ギャラリー  ときの忘れもの

001_外観1
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石原輝雄のエッセイ「美術館でブラパチ」─11

『親しげなヴォーリズ建築』


展覧会 モダン建築の京都 ─ 後編
    京都市京セラ美術館新館東山キューブ
    2021年9月25日(土)〜12月26日(日)

BP11-01 2021.10 東華菜館塔屋

 鴨川右岸に建つ東華菜館の屋上ビアガーデンを知ったのは1973年、職場の同僚Hに誘われての仕事帰りだった。川辺の心地よい風、西陽を反射し、酔いと重なってとばりに消えた東山。1000年の都、風光明媚な土地柄にスパニッシュスタイルの西洋建築。48年前の情景が重いジョッキと生ビールの喉越しとなって身体に残っている。その場所を目を凝らし四条通り側から見上げている。
 鉄筋コンクリート造り5階建ての建物を設計したのはウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964)率いるヴォーリズ建築事務所(現・一粒社ヴォーリズ建築事務所)、1926年の竣工と云う(詳細は後述)。今回はヴォーリズ建築を中心に天井のない「生きた建築博物館」を巡る。


11-1 京都御幸町教会会堂

BP11-02 2021.10 正面妻壁・アーチ飾り窓 (年号表記は撮影年月、以下同)

BP11-03 礼拝堂

 京都人のHには、宍戸恭一が営んだ寺町通り二条の三月書房(2021年廃業)も教えられた。紹介したい教会は一筋西の御幸町通りに面して建つ。木造の牧師館や低い煉瓦塀があった頃の記憶は曖昧なのだが、建築の受容は生きて使われる体験を抜きには語れないと思い、10月10日の主日礼拝に参加した。改めて拝見するゴシック様式の教会は正面妻壁の飾り窓デザインと重厚な側壁へと続くアーチのリズムが心地よい。内部は梁間を渡すトラストの連なりがシンプルで、講壇を見切るアーチ、張り出す聖所棚など、過剰な装飾を持たないプロテスタントの教義に沿った造り。この日の説教は「生きている命の水」についてだったが、信仰によって人の心の底から流れ出る水の活力が強く語られた。その間に堂内に光が何度か入った、キラキラと椅子の背に反射する光。開け放たれた扉から時折差し込む光の正体については、何と報告すれば良いのだろうか。前庭のザクロの実が色づきかけていた。

BP11-04 礼拝堂内、梁間を渡すトラストの連なり、南接集会室との境に3連ガラス入り格子戸

BP11-05 同・アーチ飾り窓、聖所棚

BP11-06 同・聖書

 カンザス生まれのアリゾナ、コロラド育ち、幼少期は病弱だったと云うヴォーリズは、音楽と絵画に興味を持ったプロテスタントのキリスト教信者で早くからYMCAの活動に参加、建築家を志すもコロラド大学では哲学を専攻した。「フロンティア精神の最後の信仰的輝き」とも称されるSVM(海外宣教学生奉仕団)に所属した彼は、1902年の霊的体験を経て、人生の目標が「建築家から海外宣教」に変わったと、『ヴォーリズ評伝』(港の人、2005年)で奥村直彦が記述している。日本には1905年に滋賀県立商業高校の英語教師として来日、多くの困難に遭いながら『近江に神の国を』建設する理想に生涯を捧げた(奥村)。ヴォーリズの生涯と業績を辿る道は、「伝道者、社会事業家、建築家」と様々あるが、アメリカ的な「合理主義と実務性」の気質が常にあったのではと思う。

BP11-07 礼拝堂側面

 京都御幸町教会会堂は1913年に建てられた。建築史の山形政昭によるとこの頃体調を崩していたヴォーリズは療養のために帰米しており、実際にはヴォーリズが招来したSVMのメンバーで技師でもあるレスター・チェーピンを中心とした後のヴォーリズ建築事務所のスタッフたちであったと云う(『ウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築』創元社、2018年)。もちろん、神に祈る簡素な空間はヴォーリズの思想によるもので、初期教会堂作品の貴重な遺産として現在まで残され100年を越えた。南西角に埋め込まれた定礎がそれを語っている。


11-2 駒井家住宅(駒井卓・静江記念館)

 展覧会での紹介に後押しされ、北白川の疎水沿いに建つ駒井邸を初めて訪ねた。「日本のダーウィン」と称される遺伝学者・駒井卓博士の住宅で設計はヴォーリズ建築事務所、1927年に建てられている。駒井は夫人を伴い1923年より2年間欧米に留学しており、特に米国生活に親しんだようで、神戸女学院で学んだ夫人の静江が。後にヴォーリズの妻となる満喜子と同窓で、ともにキリスト教徒であった縁から新居の設計を依頼したと伝聞されている。

BP11-08  2021.10(以下同)西側正面

 アメリカン・スパニッシュ様式を基調とした外見で、屋根は切妻赤色桟煉瓦、外壁面はモルタルスタッコ仕上げ。玄関へのアプローチ、半円アーチの飾り窓、親しみ溢れる心地よさに、門戸が開かれている住宅の予感。室内は明るく庭の緑に包まれた。

BP11-09 玄関 扉上部に半円アーチの飾り窓

BP11-10 東の庭に面する居間とサンルーム。ちどり柄の照明器具

 ヴォーリズは1923年に著した『吾家の設計』(創元社改訂版、2017年)で、「人の住居はその人を現わす」と述べ、続いて「安全、安楽、個性、健康、発展」と別けて五つの根本問題を指摘する。具体的な事柄を駒井家住宅に当てはめながら、太陽の光を取り込み、風を通す構造、気持ちの良い空間を写真に撮った。

BP11-11 階段ホールの吹抜け、穏やかな階段、空間が黄金色に染まる

BP11-12 駒井卓博士の書斎、赤いカーテンは書籍保護、左壁面に祭壇

BP11-13 二階ヴェランダ。揺り椅子の位置から大文字山の送り火を想像

 ヴォーリズは台所から設計を始めると云う。「家族全体の健康の鍵を握っている所」だからだと云う。次に寝室、「生涯の三分の一は寝室に暮らす」からと、やはり健康のために重要だと指摘する。二階が適し、外開きの窓で風が通り、日光が入り、黴菌を殺す、温度も温かい。ベッドの効用を説き、隣接しての便所と風呂場を推奨する。居間や客間の設計は最後の段階だと云う。ヴォーリズ住宅の幸せな空間は、「キリスト生活の徹底的な実践にある」と、前述の奥村直彦は指摘している。建築当初の姿を留める住宅は、駒井夫妻の意志を次いで2002年日本ナショナルトラストに寄贈された。筆者が訪ねた折にも会員ボランティアの方が、往時を解説してくれたが、掃除が行き届き極めて気持ちが良い。書斎には祈りの祭壇も設けられ、ここには、プロテスタントの信仰が生きている。
 
BP11-14 サンルームのクリスタル製ドアノブ、色彩による使い分け

BP11-15 庭から観る駒井家住宅東面

BP11-16 サンルームのスパニッシュ様式アーチ型三連窓

 芝生の庭に出た。東からの外観も眼に優しい、光に包まれ、光を発する住まい。和服姿の静江夫人が出てこられそう。美術館には幾枚かの図面が展示されていたので、生活の動線を辿りたくなった。冬の季節になると京都市内でも今出川を超えると寒い。まして疎水沿いのこの場所での暖炉のなかった生活を想像する。季節が春と秋だけで続けば、などとつまらないことを考えた。100年の後、市内西南部の下町に住む身には、排気ガスで窓が開けられない。これも又つまらない連想ですな。


11-3 矢尾政(現・東華菜館)

BP11-17 絵葉書「壮麗第一の四条大橋及其附近」1926年頃

BP11-18 絵葉書(9×14cm) 表面

 『モダン建築の京都』展会場の映像に上掲した鴨川右岸の矢尾政と川沿いを走る京阪電車100形を写した絵葉書の場面が映し出されていた。架蔵しているので嬉しかったのは、歴史の繋がりである。矢尾政の竣工は1926年、設計はヴォーリズ建築事務所。前述の山形政昭によると、同地にあった牡蠣料理店・矢尾政がビアホールを併設した西洋料理店を目指し開店させたようで、設計にあたっては「禁酒禁煙を信条とするクリスチャンであるヴォーリズにはビールを出すとは知らされず、終始レストラン建築で通したという」。

BP11-19 2012.7 玄関上部テラコッタ装飾

BP11-20 2010.6 エレベーターホール

BP11-21 2010.6 2階個室(旧・酒場兼待合室)、飾棚装飾・八芒星意匠

 玄関上部を飾る羊の頭部が象徴する過剰な程の魚介類が織りなすテラコッタの意匠は「スペイン・パロック」と呼ばれるらしいが、戦時中には食料倉庫として使われ、終戦時の接収を避けるため店主が中国人の盟友に建物を託したと云う。四条大橋西詰に華やかにそびえる建物は市民のランドマークとして親しまれ、筆者も1973年の生ビールから48年、所属する京都写真クラブの総会や内輪の会食など折に触れお世話になっている。春巻きがお薦めらしいが、友人は炒飯押し、小生は海鮮類の強火炒めか酢豚で紹興酒グビグビ、最後は杏仁豆腐よりもサツマイモの飴煮狙いだな。ハハ。

BP11-22 2012.7 3階中宴会場(旧・アミュズメントホール) 京都写真クラブ第11回総会

BP11-23 2015.7 什錦冷葷(種々前菜の盛り合せ)

BP11-24 2015.7 乾炸両様(揚げ物二種)

 二方向に蛇腹式内扉を持つ現役としては日本最古のエレベーター(アメリカ、オーチス製、1924年)で客室に案内された時、ここで宴席を催した昭和の詩人たちと同乗する臨場感に包まれる。詩人で日本画家の天野隆一が学友の相沢等、左近司らと共同詩集『公爵と港』(青樹社)を上梓した折の出版記念会(1928年)についての記録が竹内勝太郎の日記に残されている。そんな訳でヴォーリズ建築の中でも特別の愛着を持つと報告しておきたい。

BP11-25  2019.1 夜も更けました。


11-4 大丸百貨店

 異国での伝道活動資金獲得を目的にヴォーリズが建築事務所を設立し教会、住宅、さらに公共施設や商業ビルへと対象を広げていったのはよく知られている。最新の建築資材を宗教者のネットワークを通して輸入、販売した業績も大きい。それらは奇をてらうことなくモダンの香りを漂わせた。四条烏丸東入ルの大丸百貨店は1921年に火災で全焼した後、再建するビルの設計をヴォーリズ建築事務所に依頼、1928年まで三期に分けて鉄筋コンクリート6階建てネオゴシック様式、アールデコ装飾の店舗を建てた。残念ながら四条通りに面した華やかなファサードは戦後の大規模改装で姿を消し、今は南東角の高倉地下階段装飾に往時を偲ぶだけとなっている。

BP11-26 2021.6 正面にヴォーリズ飾灯具

BP11-27 2021.6 高倉地下階段装飾

 阪急電車を降りて地下通路から地上に出る折に見上げる階段正面に、2階バルコニーに備えられていた飾灯具が置かれている。振り返る壁面にはヴォーリズが好んだ八芒星の意匠。幸せの象徴としての宗教的意味合いがあると聞く。東華菜館にもありましたな。
 通りに出るとアップル京都の全面ガラス張り店舗が目に入り、新旧対比の妙に心躍る。家人は贔屓の三嶋亭で京都肉(これは地下食品売場)、小生はiPhoneの確認。庶民の懐はいつも寂しいけど、1717年に開業した大文字屋(現・大丸百貨店)の「先義後利」の精神は今も生きていると、昨今のコロナ禍対応の誠実さに接しながら思う。ヴォーリズを受け入れる土壌が、やはり企業にあるのだろうな。


11-5 救世軍京都小隊会館 

 前述の大丸百貨店が面する高倉通りから3筋東の富小路通り四条を下がった場所に木造3階建てスレート葺き、モダン・イングリッシュ式ゴシックファサード石貼り、1936年竣工の小さな教会がある。街中に不釣り合いな景観が否めない気もするが、北側は花遊小路にあったワンダス写真館が移った町家、南側には真宗大谷派の徳正寺が位置する。前者は家族の記念写真定番の店、後者は日本画家・秋野不矩の居宅でもあった寺で、進歩的な京都文化人の一大拠点、藤森照信が設計した茶室「矩庵」があることでも知られている。

BP11-28  2021.10 救世軍京都小隊会館

 よく散歩する通りだが、ヴォーリズ建築事務所の設計とは知らなかった。救世軍にもモダン・イングリッシュ式についても不勉強。会館のサイトで読むと「ヴォーリズは『救世軍は神の国の戦いの砦である』との設計コンセプトを揚げて取り組みました。鰻の寝床のような京都の街中の敷地に、玄関、会館、高壇、和室を合理的に配置」したとあり、2007年に改修工事を行っている。


11-6 烏丸プラザ21

 さて、Hとともに働いた会社は、新聞のチラシ広告を主力に業績を拡大させ1970年代前半、鉾町から西大路通りに本社を移転。そして、10年後に自社ビル7階をデザイナーの倉俣史朗に依頼し「人間というのは環境によって変わる」(社長)を示そうとした。筆者もHも部署が7階とは違ったが、制作陣のシンプルなデザイン空間とガラスに囲まれた会議スペースのモダンぶりには、仕事のやり方へのメッセージが込められていると感じた。会社の所在は2001年の激変によって伏見区に移り、苦節を経て2013年に市内中心部へと戻ったのだが、入居したビルは1986年竣工で、「ヴォーリズの願いを継承し、設計の基本姿勢として建築活動を行なって」いる一粒社ヴォーリズ建築事務所によるものだった。ファッション雑貨の製造・販売をしている依頼主が撤退した後、テナントビルとして活用されていたのである。


BP11-29 2013.7 烏丸プラザ21(中央、白い8階建て) 烏丸通六角下ル
 
BP11-30 2013.9 同・6階エレベーターホール

 本稿を纏めたいと考えた時、事務所の「作風は、人を驚かせるかのような建築家の自己主張をよしとせず、建築依頼者の求めに相応しい様式を選択し、その応用と近代的な改善を施すことに努め、住み心地の良い、健康を護るに良い、能率的建物を目指し」(事務所サイトから引用)たと云うヴォーリズの思想を反映した環境で働いた幸せを伝えたいと思った。モダンなビルの構造を説明する語彙には疎いが、エレベーターホールに差し込む光の美しさに、心休まる時間をもった。ここは教会ではないのだけど……


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BP11-31 2010.12 四条大橋

 Hには木屋町通りに面していた頃の一養軒や宮川町のきく屋など、地元ならではの店を紹介してもらった。アンドレ・ブルトンの『ナジャ』を読んでいた人だから、加えて男と女の色恋話。人との出会いは街の細かいディテールに宿るのだろうな、そこに建っていてくれたら思い出す事ができたのにと悔やむ。寒くなりましたな。
 Hとは烏丸プラザ21で一緒になることは出来なかった。鬼籍に入られて4年、来月30日は祥月命日にあたる。


(いしはら てるお)


*画廊亭主敬白
本日11月18日は、石原さんが最も敬愛するマン・レイの命日です。
奇しき縁というべきでしょうか、亭主の初期のパトロンであり、北園克衛が主宰したVOUの同人・船木仁先生の命日でもあります。船木先生もマン・レイのコレクターでした。
1976年11月18日にマン・レイが死去。その10年後の1986年11月18日に船木仁先生がお亡くなりになりました。謹んでお二人のご冥福をお祈りします。
マン・レイ「板上の影」
マン・レイ Man RAY
板上の影
1972年 
ポショワール
46.0×36.0cm
Ed.140 (E.A.) Signed
*レゾネNo.98 (Studio Marconi)
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。*日・月・祝日は休廊。
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