ギャラリー  ときの忘れもの

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アーカイブと美術史

粟生田弓


 綿貫不二夫さんという方は、私にとって長い間、謎めいた人物でした。最初にお会いしたのは、実は綿貫さんの存在を知ったずっと後のことです。今回の冊子「アーカイブと美術史 ―『資生堂ギャラリー七十五年史 1919 - 1994』を編集執筆された綿貫不二夫さんにお話を伺う」は、ですので、長年気になり続けていた綿貫さんを知りたいということが、まず、最初の動機としてあったということを告白しなければなりません。私がツァイト・フォトでアルバイトをしていた頃、青山の骨董通りを石原悦郎さんの車で走っている時のことです。ふと石原さんが綿貫さんの話をされたのがはじまりでした。石原さんはご自分も「つくば写真美術館 ’85」で大失敗をしているためか、人の失敗を話す時には、まるで秘密の取引を企てているかのような独特の声のトーンになりました。この独特のトーンは、私がずっと感じているお二人の共通点で、こちらの聴く気を妙に引き寄せる力があり、芸術を扱うのに絶対に必要な能力なのではと感じているのですが、それはいったん置いておくとして…。
さて、石原さんは綿貫さんについて、「彼は『現代版画センター』を作って頑張っていたんだけど、それに失敗した後で、ちょうどあの辺りで偶然会ったら、ひどく落ち込んでいたよ」と言い出しました。その頃、まだ「ときの忘れもの」というギャラリーの名前さえ知らない私は、こうして綿貫さんを、骨董通りでうなだれる一人の男の姿として記憶したのです。
 ところが、実際にお会いした綿貫さんは、駒込の素敵な建築物で、有能なスタッフの方々を何人も味方につける、大成功したギャラリストでした(想像していたよりうんと長身でもありました!)。最初にお会いしたのは、まだ南青山にいらした頃でしたが、綿貫さんは、石原さんが美術評論家の瀬木慎一さんに宛てた手紙が、当時私が執筆していた評伝の参考になるのでは、と丁寧なお手紙を添えてお持ちくださったのです。これには大変感激したのですが、この出来事が、今思えばアーカイブに関心を寄せる私にとっての第一歩でした。また、同時に綿貫さんへの興味が沸々と湧き上がったのもこの時です。「なぜ、綿貫さんがこの手紙を持っているのかな」というところから、「ときの忘れもの」のホームページにいくと、まずその広範で重厚な情報量に驚きました。そして今回の中心的話題である『資生堂ギャラリー七十五年史』(以下、ギャラリー史)を編集されたことや、そもそも「ときの忘れもの」はギャラリー兼編集事務所であること。綿貫さんが保管や記録に対して他のギャラリーに類を見ないレベルでおこなっていらっしゃることを知りました。アーティストやその作品が行き交う画廊という場において、記録があるということが、どれだけ重要なことであるかは、近年、アーカイブという言葉もメジャーになり、だいぶ認知されていると思いますが、綿貫さんははじめからそれをやっていたわけです。
長くなってしまいましたが、アーカイブをテーマに誰かにお話を聞くというこの好機。気になり続けていたその人、綿貫不二夫さん以外には有り得ませんでした。

 こうして、まだコロナ前の2018年10月6日。14時からはじまったそのお話は、予定を延長して夕暮れ時まで続きました。その記録をまとめたものが、この「アーカイブと美術史 ―『資生堂ギャラリー七十五年史 1919 - 1994』を編集執筆された綿貫不二夫さんにお話を伺う」です。アーカイブ・ゼミ(註) の受講生6名と、どのようにして綿貫さんが発した言葉を残そうかと試行錯誤し、林頌介さんによるこだわりのデザインで、昨年の春、ようやくひとつの形に至りました。副題にある通り、皆さんご存じの分厚い書物『ギャラリー史』がいかにして出来たのか。その経緯と編集方針・方法について教えていただいたことを記録しています。全735ページにも及ぶその本は、資生堂ギャラリーという現存する最古のギャラリーで開催された展覧会を網羅する驚異的な書物ですので、これを紐解くのは大変なことでした。一冊の本の誕生の背景には、綿貫さんご自身の人生のタイミングと、企業メセナの発足や、資生堂企業文化部に配属されたKさんの存在という、さまざまな幸運が重なっていたことがあることや、編集作業に貫かれた理念と、理念に導かれた方法としての“悉皆調査”が実施されたこと。当日は、悉皆調査の結果生まれた膨大なオリジナルの資料も見せていただきました。当時の記憶を呼び覚ましていただくために、実際に使っていた資料を広げながら記憶を辿っていくことは、そうとう体力がいることだったと思います。
粟生田弓 アーカイブと美術史表紙
 「アーカイブと美術史」というタイトルは、両者の関係性を揺さぶるようなお話だったことからきています。アーカイブが、素材として後世の研究活動に活かしてもらえるように、資料を保管しておくこと、出来事を記録化しておくことだとすれば、美術史は、そのアーカイブを用いて記述されるものとなります。一方で、美術史を書く上で、アーカイブが誕生するという逆方向の可能性を綿貫さんのお話を伺い考えました。『ギャラリー史』は、これを記述するために膨大な一次資料に当たっています。記録として残る展覧会が実際に開催されたのかを確定させるために、国会図書館にある何百もの新聞を調べ上げ、得られた情報を大きなカードに切り貼りし、整理していったそうです。有名なヴァルター・ベンヤミンの「歴史の天使」の姿を思い浮かべるようなお話です。「歴史の天使」は、目の前でどんどん瓦礫化していく〈いま−ここ〉を「なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたい」と考えるような存在だとベンヤミンは言いますが、アーキビストの究極の夢は「歴史の天使」の欲望と同じです。とはいえ、そんなことは不可能なので、実際にアーカイブするにしてもいくつかのインデックスが必要ですが…。『ギャラリー史』についての語りの中で印象的だったのが、参考にしたとされるとある球団の社史についてのくだりです。

 たった一試合、一打席しか出なかった人も、全部出てるの。すばらしいでしょ! つまり、歴史を作った人っていうのは、スターもいる。大将もいるけど、兵隊もいる。兵隊も大将も同等に扱っているわけね。記録に大小をつけなかったわけです。これだぁ! と思ったわけですね、我々は。



東京大学情報学環北田研究室で受託した文化庁「大学における文化芸術推進事業」「社会を志向する芸術のためのアートマネジメント育成事業(AMSEA)」で、私は特任助教としてアーカイブ・ゼミを担当していました。

 その結果、資生堂ギャラリーで開催されたいかなる展覧会も漏らさず記述されています。出来事を紙の上で記録していくわけですから、ありのままを甦らせることはできないとしても、散り散りになっていた情報を拾い集め、年月日を繋ぎ合わせていったという事実を前に、受講生も私も、何も言えなくなってしまったことを思い出します。一方、この編集方針の元では、開催されたと伝聞される展覧会であっても、開催の事実がどこにも確認されなければ掲載しないということになります。本編では、美術史の通説をアーカイブされた資料が覆すエピソードを紹介していただいていますが、「ある」と言われていたことを「ない」とすることの重さから、次の自問自答が繰り返されていました。

 ギャラリーが本当に大正8年十二月で正しいのか? いまでも疑問として考えているんですよ。もしかしたら陳列場と名乗ったのが大正8年十二月だけど、実はそれ以前にギャラリー的なことはしていたんじゃないか? その時に……

 綿貫さんがそう考えてしまう訳は、本編を辿っていただければと思いますが、『ギャラリー史』は1919年(大正8年)12月13日に陳列場と名乗ったスペースで開催された「川島理一郎氏個人展覧会」から始まります。万が一それが覆ることになったとしても『ギャラリー史』は精確さの方を選ぶ。当然といえばそうかもしれないのですが、簡単なことではありません。
長い間、知りたいと思っていた綿貫不二夫さんですが、その仕事の徹底ぶりは謎に包まれているどころか、むしろ謎を明らかにする探求者だったのです。

 最後に、この冊子のデザインについて触れておきたく、紹介させていただきます。一見普通の冊子ですが、ページの一枚一枚が実は大きな紙を4つに折った形状をしています。ゴムで綴じられているので、外して展開すると内側にも“あるもの” が印刷がされています。それが例の「悉皆調査の結果生まれた膨大なオリジナルの資料」です。ひとつの展覧会ごとに新聞での紹介欄をはじめとした関連情報が切り貼りされているこのカードもパッケージされているのです。この冊子自体も、オーラル・ヒストリーというひとつの美術史でありつつも、同時に、『ギャラリー史』から研究を拡げようとする未来の誰かのためのアーカイブでもあると考えています。編集段階で、私たちが葛藤したのが、綿貫さんに話を聞いたという「体験」の取り扱いでした。そこで、林さんのアイデアで、当日見せていただいた資料の中から、特にお話の中で重要だと思われるものを抜粋し、実物大で見られるようにしていただきました。展開した時のサイズはタブロイド版と同じサイズで、調査対象であった新聞を連想できるこだわりのデザインです。

 ぜひ、多くの方々にこの冊子を手に取って読んでいただきたいです。アーカイブや美術史に関わるすべての人の役に立ってくれることを願っています。
あおた ゆみ

冊子「アーカイブと美術史」のご案内
粟生田弓 アーカイブと美術史AMSEA 2019記録集(別冊)
アーカイブと美術史 ―『資生堂ギャラリー七十五年史 1919 - 1994』を編集執筆された綿貫不二夫さんにお話を伺う」
編集委員:上野目めぐみ、高橋なつみ、藤田祥子、山本玲子、吉田裕亮、坂井若菜
責任編集:粟生田弓
デザイン:林頌介
発行:AMSEA:The University of Tokyo/Art Management of Socially Engaged Art
(東京大学情報学環:社会を指向する芸術のためのアートマネジメント育成事業)
発行日:2020年3月31日
A4サイズ(27.5×20.0cm) 28頁
*粟生田弓さんのご厚意で、希望者には無料でおわけします。画廊にいらっしゃるか、郵送希望の場合は250円の切手を同封してお申込みください。
 
粟生田 弓 (あおた ゆみ)1980年東京都生まれ。
東京大学情報学環特任助教/RIVORAブランド・マネージャー。同大学院在学中にツァイト・フォトのスタッフとなり、画廊のプレス・リリースや展覧会用カタログなど執筆に関わる業務を中心に行い、その後独立。2009年にファッション・ブランドのRIVORAを立ち上げ現在に至る。著書に『写真をアートにした男―石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』(小学館、2016)共編著に『1985/写真がアートになったとき』(青弓社、2014)。2018年に「石原悦郎とツァイト・フォト アーカイブズ」にて書簡のアーカイブ活動を開始。その他、CHIBA FOTO(千の葉の芸術祭、2021年)ディレクターを務める。

*画廊亭主敬白
現代版画センターを倒産させ、自己破産したのが1985年。再起を期して『資生堂ギャラリー七十五年史』に取り組み刊行にこぎつけたのが1995年でした。あれから四半世紀、その頃をまったく知らない粟生田さん(名著『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』の著者)にしがないチンピラ画商がインタビューを受けるなんておこがましいのですが、大規模な悉皆調査の実態とそれを許してくれた資生堂の人たちのことだけは言い残しておきたいと思いました。
深夜の青山骨董通りでうなだれる亭主に声をかけてくれた石原悦郎さんのことは別の機会に書き残しておきましょう。

◆『資生堂ギャラリー七十五年史 1919〜1994
資生堂ギャラリー七十五年史表紙発行日:1995年3月30日
監修:富山秀男
企画・編集:資生堂企業文化部(柿崎孝夫、久保豊)
発行:資生堂  
発売:求龍堂 
制作:(有)ワタヌキ 
収録図版約2,500点、収録展覧会約3,000展
A4変型(30.5×23cm)  735頁
編纂委員:阿部公正、飯沢耕太郎、海野弘、五十殿利治、田中日佐夫、富山秀男、横山勝彦、
執筆:赤木里香子、秋山正、阿部公正、飯沢耕太郎、石川毅、海上雅臣、海野弘、大井健地、大泉博一郎、大河内菊雄、大谷省吾、大屋美那、五十殿利治、金子賢治、河田明久、菊屋吉生、北川太一、栗原敦、小池智子、佐々木繁美、島田康寛、清水勲、清水久夫、白石和己、菅原教夫、巣山健、田中日佐夫、富山秀男、中村圭介、中村誠、野地耕一郎、林洋子、福原義春、藤森照信、藤谷陽悦、増野恵子、松永伍一、六岡康光、村上公司、諸山正則、矢口國夫、柳沢秀行、山本武夫、横山勝彦、吉田漱、綿貫不二夫、
デザイン監修:中村誠
アートディレクション:北澤敏彦
記録作成:綿貫不二夫、柴田卓、三上豊
*我が国で最も長い歴史を持つ資生堂ギャラリーの歩みと、そこで開催された展覧会の記録を開催当時の資料によって正確に復元したドキュメントである。
美術、写真、工芸、建築、演劇、舞踊、服飾、文芸、デザインなど、あらゆる文化の流れを一望できる。展覧会開催当時の原資料徹底的に渉猟、網羅。今まで不十分だった戦時中の芸術家たちの活動など美術史の空白をも埋める資料性の高い厚い一冊。
大正8年から75年間に展覧会を開催した作家や、主催者・後援者、さらに展評等を執筆した人物は約五千名にのぼり、主催・後援団体は六百余あるが、そのすべてを本文記録編に収録した。特に個展や二人展を開いた約千名については有名無名を問わず略歴を記載し、資生堂を拠点としたグループ・団体については結成の経緯、構成メンバーについても詳述した。どんな作品を発表したかについても作品名はもちろん、図版を豊富に収録してる。
また重要な展覧会や埋もれた作家については、46名の専門研究者がコラムや解説約 190本を執筆しており、読み物としても充分な内容を持っている。資生堂の記録のみならず書誌事項に重点を置いた「関連年表」は一般読者のみならず、研究者にとって便利なものとなるに違いない。
本書には多彩で幅広い分野の人々とグループ・団体が数多く登場するが、それらに関して細大漏らさず、一万件をこえる完全な索引が巻末にまとめられており、美術史研究には欠かせない。

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18〜24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。*日・月・祝日は休廊
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