ギャラリー  ときの忘れもの

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瀧口修造と作家たち ― 私のコレクションより ―

第11回「中川幸夫」

清家克久

「中川幸夫」


図版1.中川幸夫ガラス器「盤」1990年頃作直径約34cm、高さ約5cm図版.1
中川幸夫
ガラス器「盤」
1990年頃作
直径約34cm、高さ約5cm

図版2.同上共箱(題字署名)46×46×11cm図版.2
同上共箱(題字署名)
46×46×11cm

 中川幸夫の「盤」と題された連作の一点で大らかな曲線による造形と花汁を想わせる色彩が特徴の自作ガラス花器。立派な木箱に収められ、独特の書体で題字と署名が記されている。(中川の書に対する評価も非常に高い)2017年9月にネットオークションで徳島の古美術商から6万2千円で落札した。1990年3月に国立市のギャラリー旅人木(りょじんぼく)で開催された「90皿盤」展にガラス器が出品されており、タイトルとの関連からその頃の作品と推測される。(「ギャラリーいそがや」ホームページ掲載の中川幸夫履歴より)
 中川にとって花器は花と一体の造形としてそのこだわりは尋常ではない。陶芸家の三輪龍作(十二代三輪休雪)は「今日彼程、器に対して深い造詣と執着を持った作家を知らない。彼が花を生ける時、器の選定がどんなに深い教養と、厳しい美意識によってなされているか、その水面下の行為に敬服せざるを得ない。逆に言えば、今日の生け華作家達の多くは、あまりにも土台の器について不見識であると言わざるを得ない。魯山人が料理の為に焼物作りを始めた様に、彼も又ガラス器の制作に手を染めている。然しそれ程の器に対する執着を持ち乍ら、時として器から脱却する傾向にある彼の見識にさらなる賛辞をおしまない。」と絶賛している。(月刊「美術の窓」癸牽機ζ箪乎羸邱夫の仕事1989年12月生活の友社刊より)

図版3.「月刊美術の窓85」表紙1989年12月刊図版.3
「月刊美術の窓85」
表紙1989年12月刊


 中川幸夫は1918年香川県丸亀市の生まれで、幼児期に事故により脊椎カリエスを患い背中が曲がるハンディを生涯背負う。池坊に属していた伯母からいけばなを習い、京都に通い立華を学ぶなどして1949年に丸亀市で初の個展を開催している。その翌年、作庭家の重森三玲に認められ、彼が主宰する前衛生け花集団白東社結成に参加し、そこで同じ志を抱く11歳年上の半田唄子と出会う。1951年に家元制度に反発して池坊脱退声明を発表する。1955年に土門拳、新居義久撮影による「中川幸夫作品集」(限定五百部)を自費で刊行するが、全て自分で売って歩いた。当時、いけばな界を席巻していたのは草月流の創始者勅使河原蒼風である。土門拳の進言で中川は蒼風を訪ねるが、長く待たされた後にこの本を献呈した。蒼風は天麩羅屋で歓待してくれたがその場で批評はしなかった。暗黙の裡に彼の才能を認めていたのであろう。1956年に東京に出て半田唄子と結婚した中川は、蒼風に比肩するほどの実力があると言われながら流派をもたず弟子もとらず、市井で細々と夫婦で花を生けて生計を立て六畳一間の貧しい生活を送っていたことから、孤高のいけばな師として芝木好子の小説「幻華」のモデルになるなど伝説的な存在として注目された。(早坂暁「華日記―昭和生け花戦国史」新潮社1989年10月刊より)

図版4.早坂暁「華日記」表紙1989年10月新潮社刊図版.4
早坂暁
「華日記」表紙
1989年10月新潮社刊
(題字・中川幸夫装画・今井俊満)

 瀧口修造は、1977年3月に求龍堂より刊行された豪華本『華 中川幸夫作品集』のテキストとして「狂花思案抄 中川幸夫氏に」(以下「狂花思案抄」と略す。)を発表している。
 「一夕、中川幸夫氏が私の書斎を訪れて、卓上で一種異様な出来事を披露してくれた。カーネーションの花ばかり、おそらく数百と詰めこまれた自作のガラス壺を白い和紙の上に逆さに置いて待つうちに、静かに滲出する花液が紙上に刻々と軌跡を描きだしたのである。
 花の血か。おそらく花たちは互いに窒息しつつ体液を滲出するかのように思われた。一見、サディスティックな行為、「いける」ことの否定のように見える。いけにえ、という言葉がまたしても喚びさまされる。
 しかし現場に立ち会う私は、私には見えぬ花の秘められた時間の歩みを視ているかのようだ。そして、この花と器の出会い。
 花をいける、という逆説の現場検証。そして、いけばなという石のような固定観念の静かな瓦解すらが視える。
 おそらく、いけばなの自己解析が起こっていたのである。」
と二人の出会いとその時の出来事を書いているが、これが中川の代表作となる「花坊主」であり、瀧口は目の前でこのパフォーマンスを見たのである。(『コレクション瀧口修造』第5巻みすず書房1994年5月刊収録)
 なお、『華 中川幸夫作品集』の刊行に合わせて出版記念展(1977年3月17日―21日紀伊国屋画廊)が開催され、瀧口から「隣屋へ電報を打つ目出度さよ 花の命ついに姿を残す 心からお喜びもうしあげます」という祝電が贈られている。(「ギャラリーいそがや」HP中川幸夫履歴より)
 実際に「狂花思案抄」が書かれたのは1972年11月であることが「瀧口修造執筆・著作年表」(「現代詩手帖10月臨時増刊瀧口修造」1974年10月思潮社刊より)に記載されており、中川が瀧口の書斎を訪れたのはそれ以前の事である。「狂花思案抄」が書かれた経緯について佐谷画廊の佐谷和彦は「中川幸夫は作品集のテキストを是非とも瀧口修造に書いてもらいたい一心で懇請を重ねた。しかし瀧口は、いけばなについては書かないと断言し、その立場は不動であった。そこで、中川は自分の生き方を賭けた自信作「花坊主」を直接瀧口に示した。瀧口はいたく驚き「花の血か」とつぶやき、了承、半年後「狂花思案抄」が生まれたのである。」と証言している。(「第20回オマージュ瀧口修造展 中川幸夫 献花 オリーブ」資生堂企業文化部・佐谷画廊刊より)

図版5.「第20回オマージュ瀧口修造展」カタログ表紙2000年7月刊図版.5
「第20回オマージュ瀧口修造展」カタログ表紙
2000年7月刊

図版6.同上カタログより「花坊主」写真図版.6
同上カタログより「花坊主」写真

 瀧口修造は戦前に「狂花とオブジェ」(「アトリエ」1938年6月)と題する文章を発表し、加筆して『近代芸術』(三笠書房1938年9月刊)に収録した。この中で『抛入狂花園』という江戸時代の古書を取り上げ、「すべていけ花のユーモア的な応用からなる花形本である。」と紹介した上で「超現実主義のオブジェと対照して、酷似するところのあるのに驚く。」と指摘している。『抛入狂花園』については戦後に発表された「いけばなと造形芸術」(『今日のいけばな』1957年3月二玄社刊所収)や「狂花思案抄」にも引用され、瀧口にとっていけばなとオブジェの関係を考察する上で貴重な洒落花形本であったようだ。本書は大正15年6月に稀書複製会から第4期第20回配本として東京の米山堂から発行された復刻版で、瀧口は「昭和12年頃に古本屋で見つけた」『草月98号』(「狂花とオブジェ」「いけばなと造形美術」再録あとがき1975年2月刊より)と書いている。

図版7.「抛入狂花園」大正15年6月米山堂刊表紙図版.7
「抛入狂花園」大正15年6月
米山堂刊表紙

図版8.「抛入狂花園」より挿図図版.8
「抛入狂花園」より挿図

 先に紹介した「いけばなと造形芸術」は、瀧口がいけばなについて書いた唯一とも言える論考だが、花器についても触れ「花器もまた時代と花の様式とともに変化してきたのだから、今日の「前衛陶器」やプラスティックのような新しい材料の花器が用いられるのも当然の成行である。花器は容器であると同時に、いけばなの全体のデザインを決定するものであって、花の様式や環境と有機的な関係をもつべきだろう。」と述べる。また、当時の前衛的ないけばなに見られるオブジェを使った表現に対しては「花は花の言葉でしか語ろうとしなかったのだが、そこに人間の言葉を介在させようとするのである。西洋のオブジェはできるだけ人間の言葉でなく、その物の言葉で語らせようとするこころみのように思われるのに、いけばなのオブジェはその逆を行こうとしているとさえ考えられるふしがある。」と懸念を表明している。
 中川幸夫は「いけばなは現代彫刻に近づくという言い方をされると、いやそれは違うんだと言いたい。アートに接近する、現代彫刻が花に近づく、境界線がより曖昧になってきたとも言える。しかしいけばなは、生命というか作家の水気の世界であり、いけばなはあくまでも花であるという主張をはっきりしないと駄目です。」(月刊「美術の窓」癸牽喫埆孤凜ぅ鵐織咼紂宍事より)と語っており、花に即し花の命を極限まで生かそうとする行為は、瀧口の「花は花の言葉でしか語ろうとしなかった」という言葉に呼応するものだろう。彼が瀧口に対して熱烈な尊敬の念を抱いていたことは、六畳一間の部屋に瀧口の写真が掲げられ、瀧口修造展ポスター(佐谷画廊1985年7月)が貼られ、「ミロの星とともに」や「余白に書く」などの著作が置かれていたことからも伺える。  

図版9.「中川幸夫の部屋」月刊美術の窓No.85掲載写真より図版.9
「中川幸夫の部屋」
月刊美術の窓No.85掲載写真より

(せいけ かつひさ)

清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

・清家克久さんの連載エッセイ瀧口修造と作家たち―私のコレクションより―は毎月23日の更新です。

清家克久さんの「瀧口修造を求めて」全12回目次
第1回/出会いと手探りの収集活動
第2回/マルセル・デュシャン語録
第3回/加納光於アトリエを訪ねて、ほか
第4回/綾子夫人の手紙、ほか
第5回/有楽町・レバンテでの「橄欖忌」ほか
第6回/清家コレクションによる松山・タカシ画廊「滝口修造と画家たち展」
第7回/町立久万美術館「三輪田俊助回顧展」ほか
第8回/宇和島市・薬師神邸「浜田浜雄作品展」ほか
第9回/国立国際美術館「瀧口修造とその周辺」展ほか
第10回/名古屋市美術館「土渕コレクションによる 瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展ほか
第11回/横浜美術館「マルセル・デュシャンと20世紀美術」ほか
第12回/小樽の「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展ほか。
あわせてお読みください。

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【お知らせ】
誠に勝手ながら、11月29日(火)は17時閉廊とさせていただきます。
ご迷惑をお掛けしますが、ご理解とご協力の程宜しくお願い申し上げます。

◆「第32回瑛九展アート・バーゼル・マイアミ・ビーチ Art Basel Miami Beach 2022
会期:2022年11月29日(火)〜12月3日(土)
AB18_Miami Beach_Pos_RGB_Color会場:
Miami Beach Convention Center
1901 Convention Center Drive, Miami Beach, FL 33139, USA
Google Map
公式サイト: https://www.artbasel.com/miami-beach
出展ギャラリーについてはコチラを参照。
魔方陣11280今年20周年を迎える「Art Basel Miami Beach 2022」は、世界の38の国と地域から283ギャラリーが参加する、過去最大規模のアートフェアです。日本からは3軒が出展、ときの忘れものは2019年に香港で開催された「Art Basel Hong Kong 2019」に続き、「第32回瑛九展」を開催します。
カタログを刊行しました。
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