ギャラリー  ときの忘れもの

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佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第71回

青木淳さんの建築について1


なかなかたどり着きそうにないので予め始めに書いておきたいのだが、この日記的小文では建築家・青木淳さんの建築から得た気付きについて書こうとしている。ただし、そこに至るまでの思考の経路を回り道しながら辿ってみる。
先月末、およそ1年ぶりに秋田を再訪した。東京で喫茶店プロジェクトを始めて以来のチーム、野ざらしの青木彬さん、中島晴矢さんと共に。目的はインディペンデント・キュレーターの服部浩之さんと青森県立美術館学芸員の奥脇嵩大さん、そして野ざらしによる対談イベントを秋田市文化創造館にて。(https://akitacc.jp/event-project/park_1123/
その前日には、羽仁もと子らが主導した東北地方の農村セツルメントの一つである生保内セツルメントの地を野ざらし3人で訪れた。生保内村につい最近まで存在していたセツルメントハウスは今和次郎による設計であったことも知られている。野ざらしの3人はそれぞれ異なる分野で各々活動をしているが、この生保内セツルメントは3人それぞれが抱く関心の輪の共通項として、半ば偶然にも浮かびあがった。生活・アートと福祉の間に関心を持つ青木(つい最近、東京・墨田区にあるセツルメントハウスの展示開催(https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/events/54785/ )にも関わっていた)、考現学あるい
はその延長にある路上観察学に注目する中島、そしてインドのタゴールあたりの新教育運動に関心をもちつつ一方でやはり建築のデザインに関心を持つ佐藤。なかなか、こんな風に一言で表しきれない総体ではあるが、ともかく生保内セツルメントあるいは東北の農村あたりで、そんな3人の興味のベクトルが再び束ねられたのは面白かった。

1
(秋田へ行く途中の写真。おそらく生保内あたりの秋田と岩手の間あたりを、飛行機から
見下ろした。)

秋田市文化創造館でのトークイベントはいろいろ興味深い気付きを得続けた会だった。トークの場で都度考え込みながら言葉を探して何らかの受け答えをすることで、自分自身の思考、あるいは自分がやってきていたことを改めて整理、再構築できるのは本当にありがたい。そんなトークの中で特にハッとさせられたのが、奥脇さんが提示した「堆肥的力学」という言葉であった。これを訳すと、
Composting Dynamicsであるという。自分はどうにも英語のニュアンスをまずカタカナ英語によって捉えてしまう癖があるので、Compostingを「コンポスティング」と聞き、そこから何やら囲われたハコ、あるいは膨大な質量の内に発生するうごめく何か、といったイメージを得た。そして、これはおそらく奥脇さんの意図からは外れた勝手な解釈ではあるが、「堆肥的力学の発生には何らかのフレーミング、枠組みの設定がまずある」と理解した。奥脇さんは青森県立美術館にて現在「美術館堆肥化計画」なるアートプロジェクトを継続的に展開している。近年、美術館というハコが、ハコとしての役割を果たすこと。何らかのハコ=フレームの存在が堆肥を促す装置として働き得ること。そんなことを単年度事業ではなく数年間の、しかもそのハコから飛び出して青森県内の各スポットとの間を往還しながら展覧会を練り上げ、展開、あるいは熟成させていっているのは、やはりすごい。ここでのハコ=フレームとなるには、もちろん運営的母体としてのソフト的側面と、建物内部の場としてのハード的側面どちらも欠かせない。奥脇さんのレクチャーから、青森県立美術館についてのそんな魅力的想像を膨らませることができた。
秋田でのトークイベントを終え、オンラインでいくつかの打ち合わせをこなしつつ、列車で青森県に入る。そして青木淳さん設計の青森県立美術館を訪れた。
実は青森県を訪れるのは今回が生まれて初めてである。さまざまな魅力あるヒト・モノ・場所があることを知ってはいたものの、なかなか行くことができていなかった。青森県立美術館も行こうと思っていて行くことができていなかった場所である。
青木淳さんの建築、あるいは言説について、自分は今まであまり触れずに来てしまっていた。何となく、建物の白さ、それこそ表層の(ここが青木さんの建築ではおそらく重要な所と思われる)抽象さしか眺めることができていなかったのだと思う。自分の解像度の粗い眼に落胆している。『原っぱと遊園地』についても学部生の頃に目を通した記憶があるが、その2つの定義めいた言葉を理解しただけで、本書の中で肝心な、建築設計においてどんな枠組みを持ち得ることが必要か、といったような内容についてはおそらく読み飛ばしてしまっていたと思う。
最近、ようやくにして、青木さんの本をいくつか読んでみた。すると自分がまさにいま壁にぶち当たり、どのように思考を向かわせるべきかの指針がボロボロと書いてあるのだった。建築設計におけるある形式的論理の必要性、あるいは形式と自由の間の話、コンセプトとは作ることに対していかなる位置にあるか、など。ただし、これはもしかすると、設計の仕事をいくつかやったからこそ頭に入ってきた内容なのかもしれない。自分は設計の仕事に関わり始めて10年弱ほどが経つが、取り組むプロジェクトに対して、一体どこからデザインに取りかかれば良いのか未だによく分からない。毎回手探りのなか、手当たり次第に、まさに思いつくモノから順々にアイデアを足していき、いつも土壇場でドタバタと案を捻り出して、何とか仕事を進めて来ている。青木さんのいくつかの文章には、そんな
設計者としての悩み、あるいは、おそらく本来的に抱えるべきそんな闇雲感を肯定し、そしてヤミクモに進み切ることを促す言葉が散りばめられている。
そんな言葉を前もって頭に入れて、青森県立美術館を訪れた。

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(青森県立美術館の三和土の床。このクラックと補修痕が、この建築=ハコの中で展開さ
れていることが重要なのではと思う。)
(次稿に続くことにします。1ヶ月かけてもう少し言葉をインプットし直してみます。)
さとう けんご

佐藤研吾作品のご紹介
佐藤研吾遠い場所を囲い込むための空洞4佐藤研吾 Kengo SATO
遠い場所を囲い込むための空洞 4》  
2022年
クリ、鉄媒染
20.0×25.0×25.0cm
サインあり
Photo by comuramai


*画廊亭主敬白
きょうは、詩人、画家、美術評論家の瀧口修造(1903ー1979)の誕生日です。#MOMATコレクション展 7・8室で開催中の「プレイバック「抽象と幻想」展」は、1953年に瀧口と批評家の植村鷹千代を協力委員に迎えて構成した展覧会でした。再現VRや資料も交えて当時の展示をプレイバック!(20221207/東京国立近代美術館 MOMATさんのtwitterより)>
昨日のブログで舟越保武先生の生誕110年のことを書きましたが、同じ12月7日は瀧口修造先生の誕生日でもあります。ときの忘れものは来年、瀧口コレクターによる蒐集作品の展覧会を計画しています。

「Tricolore 2022 ハ・ミョンウン、戸村茂樹、仁添まりな」
会期:12月9日(金)〜12月23日(金)※日・月・祝日休廊
出品21点のデータと価格は12月4日ブログをご参照ください。
49_tricolore_案内状_表1280

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