ギャラリー  ときの忘れもの

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井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」第14回

『あの通りはどこ? あるいは、今ここに過去はない』『石がある』


泣きそうなくらいよく晴れた土曜日、わたしは秋に観た2本の映画のことを思い出していました。1本目は、東京国際映画祭で観たジョアン・ペドロ・ロドリゲス監督とジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ監督による『あの通りはどこ? あるいは、今ここに過去はない』(2022年)、2本目はフィルメックスで観た太田達成監督の『石がある』(2022年)です。

『あの通りはどこ? あるいは、今ここに過去はない』は、1963年のポルトガル映画『青い年』をめぐるドキュメンタリー。上映後トークによると、それまで政府の考えに基づいたプロパガンダ映画か、大衆向けのコメディー映画しかなかったポルトガルに登場した初めての「映画」が『青い年』なのだそう。ポルトガル映画のなかで女性がイニシアチブをとった初めての物語でもあるのだとか。ジョアン・ペドロ・ロドリゲス監督は偶然『青い年』が撮影されたロケ地のすぐそば、祖父が建てた建物に住んでいて、「あのシーンはここで撮影されたんだ」「あのシーンはここ」などと考えることが暮らしの一部になっていたそうです。

『青い年』予告編

そんな『あの通りはどこ?』は始め、『青い年』が撮影されたリスボンのロケ地を次々に辿っていきます。しかし中盤までずっと、寄る辺のなさみたいなものが、画面に滲んでいるような気がしました。「当時の撮影現場にキャメラを向けてはいるけれど、それは本当に『青い年』の跡を映すことになるのだろうか?」。そういう切なさが画面をつたって漂ってくる印象です。映されているのがガランとしたコロナ禍の街並みだということも、そうした気分を助長していたのかもしれません。

けれどある時点から、映画はしきりに植物を映し出します。たとえ「今ここに過去はない」としても、長い年月をかけて街を見つめてきた植物たちになら、『青い年』が公開された1963年当時、あるいはそのもっと前から集積された記憶が宿っていて、その連なりを映すことができるかもしれない。監督たちはそういう考えを持っていたのではないか、というのが私の仮説です。そうして植物たちを映し終えると、映画はあらためて街の風景を撮っていきます。そのとき、前半の寄る辺なさは感じられず、むしろキャメラが「今、目の前の風景をたしかに記録しよう」という意思を携えているように思えるのです。

『あの通りはどこ? あるいは、今ここに過去はない』

上に書いたことはあくまで仮説で、とんでもないデタラメを書いている可能性もあるのですが、ほとんど台詞のない映像に視点を導かれて街を眺め、心の中に自然と想いが湧き上がってくるという体験それ自体が新鮮なものだったので、まずはそのことを記録しておきたいと思いました。劇中、たびたび顔を出しては舞い踊る、『青い年』にも出演していたという俳優・イザベル・ルートさんの身体は、過去と現在とを繋ぎ止めるには十分すぎるほど魅力的で、そのほかにも街角にちらりと現れるゲイカップルや犬、ウーバーの配達員なども、外出禁止の街でもなんとか繋ぎとめられていく物語を思わせる重要な存在として目に焼き付きました。

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『石がある』は今年いちばん楽しみにしていた映画のひとつで、上映前、フィルメックスの作品ページを眺めては「楽しみにしすぎないように気をつけよう」と自分に言い聞かせていたほど。じっさいに観た映画は、そういう期待をかるがる超えて素晴らしかったです。

あらすじは、見知らぬ町を訪れた女が河原で水切り遊びをしている男と出会い、川辺を歩くという至極シンプルなもの。小川あんさん演じる女が見知らぬ人とどんどん交流していく様子を、映画を観始めて間もないころはどこか危なっかしく、自分とはかけ離れた存在のように見つめていました。しかし作品を観終えるころにはその印象はスッと身をひそめ、代わりにその場その時の大きな流れに運ばれていくことの豊かさや、そうして運ばれたものどうしが、束の間となり合うことの奇跡(と言い切りたくなる時間)について考えるようになりました。そう思えたのは、『石がある』という映画が、私の固い頭をほぐして目の前の景色を生まれ変わらせてくれたからなのだと思います。

地図に沿って進めば予想通りの結果が得られるけれど、その外側にひそむ遊びやドラマの可能性はたやすく崩れ去ってしまう。効率、目的、締め切りだとか、いつの間にかそういうものにがんじがらめの日々を送っている自分や誰かにとって、ふと川に出かけたり、こういう映画に出会ったりすることがどれだけ大切なのだろうと、抽象的ですが、鑑賞してからしみじみ感じ続けています。映画の最後に訪れる、ロメールの『緑の光線』を思わず並べたくなるような瑞々しい瞬間を、わたしは何度でも観返したい。

『あの通りはどこ? あるいは、今ここに過去はない』の、途切れそうになりながらも連なっていく過去から現在、そして未来への時間のこと。『石がある』で大量の石たちや人々が偶然川辺に居合せる前後の、途方もなく膨大な時間や選択、偶然のこと。それらを照らし合わせるようにして考えては、良い具合にぼーっとしている今日この頃です。

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(いどぬま きみ)

井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年〜)などの上映イベントを企画した。

井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2023年1月22日掲載予定です。

【お知らせ】
誠に勝手ながら、11月29日(火)は17時閉廊とさせていただきます。
ご迷惑をお掛けしますが、ご理解とご協力の程宜しくお願い申し上げます。

◆「第32回瑛九展アート・バーゼル・マイアミ・ビーチ Art Basel Miami Beach 2022
会期:2022年11月29日(火)〜12月3日(土)
AB18_Miami Beach_Pos_RGB_Color会場:
Miami Beach Convention Center
1901 Convention Center Drive, Miami Beach, FL 33139, USA
Google Map
公式サイト: https://www.artbasel.com/miami-beach
出展ギャラリーについてはコチラを参照。
魔方陣11280今年20周年を迎える「Art Basel Miami Beach 2022」は、世界の38の国と地域から283ギャラリーが参加する、過去最大規模のアートフェアです。日本からは3軒が出展、ときの忘れものは2019年に香港で開催された「Art Basel Hong Kong 2019」に続き、「第32回瑛九展」を開催します。
カタログを刊行しました。

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