ギャラリー  ときの忘れもの

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酒井実通男のエッセイ「西脇順三郎をめぐる私のコレクション」第6回(最終回)

「絵画と日々の暮らし」 

今回がこのブログの最終回となります。タイトルが「絵画と日々の暮らし」ということなので、この回は少し写真を多めに掲載して、私の居場所である村暮らしの時間を若干でも感じていただければ、と思っています。
私の住む集落は長岡市の守門岳ふもとの山深いところにあります。信濃川の支流である刈谷田川の源流にあって、JR長岡駅から車で30分くらいの距離にあります。戸数は250戸で人口は約500人でしょうか。産業といっても何もなくて野生動物たちが時々山道をうろついている静かな過疎の村です。

私は窓の外の閑散な風景をながめ眺めて、暮らしています。

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そうは言っても村にも伝統行事もあって毎年2月には近くの神社で「裸押合い祭り」があります。この行事は県内ではわりと知られていまして、男たちが褌一枚で神社の社殿の中一杯になって、その年の五穀豊穣を祈願して体をぶつけ合い押し合うのです。近年では、村人ももう年も年で押し合う人たちがあまりに少ないので、若い人たちのボランティア団体にお願いして遠くから参加してもらっています。
私の少年時代には露店が参道にズラッと並んで、それはそれは活気があって、この祭りを待ち遠しく思ったもので、今ではもうすっかり見物客もまばらで淋しい限りになりました。ここでも人々と神々が遠くになってしまいました。今も変わらぬものは刈谷田川の清き流れ!
川の流れと言えば、T・S・エリオット (1888-1965) の詩をモジッた西脇順三郎の詩の一節を思い出します。どの詩集にあったのかすっかり忘れていますが、刈谷田川のほとりを散歩する度にこのフレーズを思います。

静かに流れよ 信濃川
わがうたの 尽くるまで


エリオットの原詩ではテームズ川です。西脇は信濃川のほとりに生まれ、私には「信濃川」は「刈谷田川」であって、私はここで生を受けて「尽くるまで」ここで暮らすのです。何もない村にも村の暮らしがあって、私には、暮らしの錫杖として絵画があり詩があったのでした。

家の中にはアチコチの壁に絵を掛けています。また本もいろいろあるのでやっぱりアチコチに並べたり積んだりしています。掛け変えや並べ変えも気が向いた時にしますので、季節やなんかは全然考慮しません。これもまた楽しからずや、です。

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夜はとても静かで、街灯もまばらに立っているだけなので、星の夜にはキラキラ星になります。また月の夜には、部屋の明かりを消すと窓には月光です。ベートーヴェンのピアノもいいですが、本物の月光音楽が差し込んできます。
有難いこと?に私は今は一人暮らしで、古今和歌集の時代と同じオリオン座の果てしない輝きをキリマンジャロ珈琲をすすりながら見られることを、過去の人々に感謝するのです。星辰や風のそよぎとともに日本の古典文学がとても身近に感ずることができます。
                     
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人間はなぜ繁殖しなければならないのか
女神も時には繁殖するというのは
女神は存在の本質ではないからだ。
考えがつきたところに恐らく
存在の本質がある。


この詩は西脇の詩集『第三の神話』の「雪の日」の一節。流れる時間に身を委ね、永遠の彼方の光に照らされるこの屋根の下の貧しい男の日々に、雪と埃が降り積もります。「存在の本質」というのはどうもそれは、時間という川の流れに漂泊することではないだろうか。そしてその流れの中で、絵画が私の船頭になっているような気がしています。何かの先導によって、いい船頭に出会ったものです。

この年になってもまだまだ時間が欲しく思います。何と言ってもまだまだ家にはたくさんの本があるので、開いてパラパラめくるだけでも時間がかかりそうです。
今もそうですが、私は、本は何よりのインテリアだと思っていまして、本の無い部屋はどうも殺風景な感じがしてならないのです。本のある家には若い頃から憧れていて、瀧口修造 (1903-1979) の書斎を撮った大辻清司 (1923-2001) の写真がいつも念頭にありました。また、瀧口修造とアンドレ・ブルトン (1896-1966) の「初めての再会」シーンに写っているブルトンのコレクションには相当なカルチャーショックを覚えたものでした。芸術や文学なんてものじゃなくて、そのインテリアの方に憧れてしまいました。何ともやるせない価値観を持ったものです。
               
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最後に、エッセイ集『野原をゆく』の「ピカソと近代芸術」という文章の中で西脇はこんなことを書いていますので、その一節を紹介します。

 パブロ・ピカソについてわたくしのようなものが何を語ることが出来るか、
 恐らく、無益なことだ。
 彼の芸術作品を理解しようとすることの徒労であるということは
 彼自身言っていることだ。
 「人々は一体芸術というものを理解しようとするが、
 そんなら小鳥の歌をなぜ理解しようとしないのか。」
 ピカソは今日いいかげんな批評をすることを許されない唯一の人である。


私の村ではアチコチで小鳥の歌を聞くことが出来ます。小鳥の歌と近代芸術! しかし思えば、絵が好きになった自分をちょっと褒めてやってもいいと思っています。ここまで来て悲しいことや後悔することもたくさんありましたが、概ね持ち堪えて来たのは絵という精神的支えがあったからだと思います。画家がその人生をかけたであろう一枚の薄い紙やキャンバスに出会えたことに、多く感謝しています。

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窓からの雪景色

               
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夏の素朴な栃尾花火大会


以上で、私の六回にわたってのブログを読んでいただき、たいへんありがとうございました。
当画廊では、今年には私のコレクション展が予定されています ( 開催日は未定 ) 。皆様との「初めての再会」を楽しみにしています。

■酒井実通男(さかいみちお)プロフィール
昭和27年(1952)12月、新潟県長岡市生まれ。中央大学理工学部卒。
エンジニアとしてサラリーマン生活を続ける傍ら、2004年7月東京目黒にて、絵画と本と椅子のギャラリー“ gallery artbookchair ”を開店(金・土・日のみ)。2008年6月故郷・長岡市にUターンする。現在は、集めた本の整理とフラヌールの日々。長岡市栃堀在住。

*画廊亭主敬白
昨2月22日は亭主にとって忘れられないウォーホルと栗山豊の命日でした。毎年その思い出(昔話)を綴ってきたのですが、今年は若いスタッフに任せました。彼らが会ったこともない人たちのことを知り、次代に繋いでくれることを願うばかりです。
さて、今年2024年はブルトンのシュルレアリスム宣言100年瀧口修造生誕120年西脇順三郎生誕130年という何だか不思議な周年の年です。
酒井実通男さんの「西脇順三郎をめぐる私のコレクション」の連載がひとまず終了しました。
パリ・ポンピドゥーセンターなど世界各地でシュルレアリスム宣言100年周年の記念展が開催されます。ときの忘れものでもいくつか小展示を企画しており、酒井さんのコレクション展も開催させていただく予定です。ご愛読を感謝するとともに、酒井さんのコレクション展にどうぞご期待ください。

●本日のお勧め作品は、倉俣史朗です。
kuramata-25-hhtm≪How High the Moon≫
1986年デザイン(2020年製造)
素材:スチール・エキスバンド・メタル
仕様:ニッケル・サテン・メッキ
サイズ:W95.5×D82.5×H69.5(SH33.0)cm
クラマタデザイン事務所による復刻証明プレート付
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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