ギャラリー  ときの忘れもの

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4月2日、日比谷松本楼で恒例の連翹忌が開催され、社長と二人出席してきました。
連翹忌というのは1956年〈昭和31年〉4月2日に亡くなった高村光太郎を偲ぶ集いで、故・北川太一先生たちのご尽力で1957年からずっと続いてきましたが、コロナ禍で中断、今年は第68回目でした。

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高村光太郎が日本の「画廊の祖」などというと驚かれるかもしれませんが、いまから114年前の1910年(明治43)4月15日、高村光太郎と弟の高村道利が東京・神田淡路町に日本で初めての近代的ギャラリーを開廊しました(下記掲載の北川太一先生のエッセイをお読みください)。
1909年7月にフランスから帰国した光太郎が「美術の陳列店」を開くという噂は早くから若い芸術家たちの間を駆け巡り、期待されていたようです。
店の名前は「琅玕洞(ろうかんどう)」といいました。
この画廊は短命で終わったのですが、正宗得三郎を皮切りに一年の間に柳敬介、斎藤与里らの個展や、石井柏亭の名作版画「東京十二景」などの頒布会も組織されました。
そんなことを偲びながら社長と連翹忌の会場へと向かいました。

IMG_1087桜の美しい日比谷公園で。

IMG_1089この日、気づいたのですが亭主が松本楼で初めて食事をしたのが1964年4月でした(つまり60年前、18歳!)。その日のことはいずれ書いておきましょう。

IMG_1090第68回連翹忌開会の挨拶は高村家を代表して高村達さん。司会は小山弘明さん。

IMG_1095左から中国からの留学生・唐昆宇さん(中国で光太郎が知られているとは驚きました)、女優の渡辺えりさん(父君が光太郎のお弟子さん)、光太郎終焉の地・中西利雄アトリエの保存運動に尽力する曽我貢誠さん。

IMG_1098神奈川県立近代美術館館長を3月末で退任されたばかりの水沢勉先生。高村光太郎を巡り私たちが<忘れてはならないこと>について熱弁をふるわれました。

IMG_1100光太郎の詩を朗読する渡辺えりさん。

20240403181705_00001北川太一「最初の画廊=琅玕洞始末記」(『資生堂ギャラリー七十五年史』29頁)

●本日のお勧め作品は高村光太郎を深く敬愛した難波田龍起です。
nambata_32_seidou難波田龍起
「聖堂」
1978年
カラー銅版
28.0x18.0cm
Ed.35
サインあり


nambata_35_maboroshi難波田龍起
「幻の館」
1978年
カラー銅版
21.0×12.0cm
Ed.75
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

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ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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コメント

 コメント一覧 (2)

    • 1. 高村光太郎連翹忌運営委員会代表
    • 2024年04月15日 22:48
    • 連翹忌につきご記述下さりありがとうございました。来年以降もよろしくお願い申し上げます。
    • 2. ときの忘れもの亭主
    • 2024年04月16日 08:31
    • 小山弘明先生、ご投稿ありがとうございます。連翹忌が無事開催され、皆様の元気な様子にこちら活力をいただきました。来年も参加できるよう、健康に気をつけてまいりたいと思っています。
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