画廊亭主の徒然なる日々

駒井哲郎を追いかけて 第66回

先月末をもって、shumoku galleryのスペースをクローズしました。古い建物をリノベーション工事してからまだ4年足らず。ようやく内部も整いまだまだこれからというところに突然、貸主都合での建て替えを申し渡され、抵抗虚しく撤退を決めました。
思えば当初はただ、当時あまり知られていなかった60年代の戦後美術を紹介するギャラリーを名古屋に、そして当時の建物に飾って文化を伝えようという、徒手空拳なスタートでした。
しかしスペースを持つというのは面白いもので、この場で素晴らしい作家たちと出会い、多くの展覧会を開催することになりました。
美術にかぎらず全ての価値基準は、人の主観によって無限の広がりがあるもので、それにある基準を提示するのがギャラリーと思います。ここで自分が紹介できた美術もほんのちょっとの要素だったと思いますが、ここでは、なるべく広い分野の展示をするよう心がけました。もともと好きな分野を見るだけで終わるのではなく、美術という軸を通して色々な時代や感性のものを見て、好奇心を刺激して、関心をもつことが、大切と思っています。
何人かの方の好奇心を刺激し、扉を開くものであったら、この場を作って良かったと思います。
また、いつかどこかに良いスペースを作れるよう、引き続き努力します。
これまで訪れて頂いた皆様、ありがとうございました。

(居松 篤彦さんのfacebookより 20180902)>

昨年春、同じように突然青山を引き払わざるを得なかった私たちですが、居松さんの無念なお気持ち、身につまされます。
一時は廃業まで考えた私たちですが、おかげさまで駒込に新天地を求めることができました。
居松さんの次なる飛躍と展開を心より期待します。

とろこで駒井哲郎(1920-1976)は亭主が1974年に美術界に入って以来、ずっと追いかけてきた作家ですが、今秋嬉しい展覧会が西と東と二つあります。

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●「山と樹を描く
会場:中野美術館
〒631-0033 奈良市あやめ池南9丁目946-2
電話・FAX:(0742)48-1167
会期:前期・2018年9月7日(金)〜10月8日(月・祝)
   後期・2018年10月13日(土)〜11月11日(日)
休館日:毎週月曜日  ※月曜祝日は開館し、翌日休館
開館時間 午前10時〜午後4時
中野美術館は奈良の大和文華館近くにあり、村上華岳(所蔵点数43点)のコレクションで有名ですが、入江波光、土田麦僊、榊原紫峰など国画創作協会のメンバーはじめ、富岡鉄斎、横山大観、冨田溪仙、小林古径、徳岡神泉など近代日本の巨匠たちの作品を収蔵しています。洋画も須田国太郎を中心に、青木繁、萬鉄五郎、中村彝、岸田劉生、小出楢重、古賀春江、村山槐多、三岸好太郎、熊谷守一、松本竣介などを所蔵、版画では長谷川潔、駒井哲郎、浜口陽三恩地孝四郎、清宮質文など実にオーソドックスなコレクションが光ります。
今回は駒井哲郎の「大きな樹」が展示されるので楽しみです。
「大きな樹」は文字とおり、駒井作品の中でも異例なほど大判作品ですが、なかなか市場には出てきません。そのあたりの事情は「駒井哲郎を追いかけて 第57回」で書きましたのでお読みください。

横浜では久しぶりに駒井哲郎の大規模な展覧会が開催されます。
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「駒井哲郎―煌(きら)めく紙上の宇宙」
会場:横浜美術館
会期:2018年10月13日(土)〜12月16日(日)
横浜美術館は長谷川潔のコレクションで有名ですが、今回は福原義春氏コレクション(世田谷美術館蔵)を核とした色鮮やかなカラーモノタイプ(1点摺りの版画)を中心に、駒井の版画作品や詩画集など約210点を展示、レンブラント・ハルメスソーン・ファン・レイン/ジェームス・マクニール・ホイッスラー/ オディロン・ルドン/パウル・クレーマックス・エルンストジョアン・ミロ/ 恩地孝四郎/長谷川潔/岡鹿之助/瀧口修造/安東次男/北代省三/粟津則雄/ 湯浅譲二/谷川俊太郎/大岡信/中林忠良など関連作家の80点を含む華やかな展示になるようです。
期待したいですね。

それにしても一昔前なら駒井=白と黒の造形、と相場は決まっていたのに、福原コレクションの圧倒的な色彩世界(主にモノタイプ作品)が常識を覆し、今では学校の教科書にすらカラー作品が紹介される時代になりました。
色彩を愛しながら、生前は「白と黒の造形」という名声に呪縛され、色彩作品の公開に消極的にならざるをえなかった駒井先生、今回の色彩あふれる展覧会をどう天上からご覧になるでしょうか。
横浜では初の駒井展、幾度か通わなければなりませんね。

上掲の二つの展覧会は、美術館から送っていただいたチラシをコピーして紹介しました。
このブログでは亭主が面白いと思い(独断)、あまり人が入っていなそうな展覧会(偏見)をなるべくご紹介したいと思っています。
ありがたいことに各地の美術館がチラシ(フライヤー)を送ってくださる。それをコピーしてブログに載せているのですが、どうしても東京近辺が多くなってしまいます。なかなか西の美術館からはチラシが届きません。
某月某日、スタッフがとある西の美術館にウエブサイトに掲載されているチラシをスキャンしたいと許可を求めたらしい。そうしたらですね「一応どんな紹介になるのか事前に掲載文を送って欲しい」と言われたとか。
亭主は例によってかっとなり「それって検閲でしょ」とスタッフに八つ当たりしてしまいました。
美術館が公共のサービスとして四方八方に送っている(しかしたまたま私どもの画廊には来ていない)チラシをスキャンして掲載するのに、事前に文章のチェックが必要だなんて。
もちろん上掲の美術館ではありません。
いつから学芸員は検閲官になってしまったのでしょうか。日本の未来は・・・暗いなあ。

●今日のお勧め作品は駒井哲郎です。
駒井哲郎「岩礁」1970駒井哲郎「岩礁」
1970年 銅版(カラー)
23.0×35.0cm
Ed.500 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


ときの忘れものは第303回企画◆野口琢郎展 を開催します。
会期:2018年9月20日[木]―9月29日[土] 11:00-19:00 会期中無休
9月22日(土)17時よりレセプションを開催しますので、ぜひお出かけください。
展覧会カタログを刊行します(テキスト:金沢21世紀美術館館長・島敦彦さん)。
作家は会期中毎日在廊します
野口展


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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埼玉県立近代美術館・MOMAS COLLECTION第二期〜宮脇愛子

この夏の猛暑にはほんとうに参りますね。
7月後半の体温より高い温度の日々は思い出すだけでもクラッとなります。
加えて、西日本の皆さんがかつてない豪雨に見舞われ、今もご苦労が続いています。
あらためて被災地の皆さんにはお見舞いを申し上げます。

8月中旬、画廊の夏休みが10日間ありました。
亭主と社長はまず溜まった仕事や家事の片付けに二日、懸案だった病院(亭主のアレルギー症状)の検査で二日を費やし、墓参で少し遠出。
あとの5日はのんびりさせていただきました。
映画を二本、コンサートを二つ。

えっ、それじゃあ美術館がないじゃないかと訝しがる方もいらっしゃるでしょうね。
その通りで、すいません、暑さを言い訳に、この夏は美術館ゼロでありました。
もちろん、行かねばならぬ展覧会も多々あります・・・

その筆頭は、埼玉県立近代美術館の「MOMAS COLLECTION第二期
会期:2018年7月14日〜10月14日
出品リストをご覧ください。
埼玉近美コレクション展示201807
現代版画センターのエディション作家など45人の作品278点を埼玉県立近代美術館に寄贈したことは7月6日のブログでご報告いたしました。
寄贈作品は順次、同美術館のコレクション展などで公開されると伺っています。
宮脇愛子先生の作品が現在展示されています。
063
寄贈した宮脇愛子作品、埼玉県立近代美術館「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展の展示スナップより

065同上

1982年4月9日_ギャラリー方寸 (8)
宮脇愛子先生
1982年4月9日ギャラリー方寸
第3回プリントシンポジウム展」オープニングにて

●今日のお勧め作品は宮脇愛子です。
宮脇愛子『GOLDEN EGG(A)』
宮脇愛子「GOLDEN EGG(A)」 1982年 ブロンズ
21×12×4.5cm  限定50 刻印及びケースに自筆サインあり
*現代版画センターエディション
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。


●編集思考室シオング「Colla:J」編集局の塩野哲也さんから、月刊フリーWebマガジン Colla:J(コラージ)の最新号のご案内をいただきました。
愛媛 瀬戸内の島々・大洲の夏 」を発行しました(閲覧無料です)。
 http://collaj.jp/
(ご覧になれない場合は下記をクリックください)
 http://collaj.jp/data/magazine/2018-08/

 愛媛県 今治の大三島、伯方島と大洲市を訪ねました。
 瀬戸内の島々は、土石流などの被害を受けながら、
 一歩づつ復興への道をあゆんでいます。
 大三島では大山祇神社や伊東豊雄建築ミュージアムを訪ねつつ、
 被害の大きかった多々羅温泉や伯方島の有津地区に向いました。
 愛媛の小京都 大洲市も、肱川の洪水により浸水しましたが、
 市街地は大半が復興し、臥龍山荘や大洲城は平常どおり公開され、
 夏の風物詩「うかい」も再開されています。

 [ 特集 ]愛媛 瀬戸内の島々・大洲の夏
 今治「瀬戸内の島々と豪雨災害」
 多々羅大橋 / 多々羅温泉 /
 大山祇神社 / ところミュージアム大三島 /
 今治市伊東豊雄建築ミュージアム /
 伯方島 有津地区
 愛媛の小京都 大洲と肱川
 肱川に咲く数寄「臥龍山荘」
 市民の力で甦った天守閣「大洲城」

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 までご連絡くださいませ。
 編集思考室シオング「Colla:J」編集局・編集兼発行人 塩野哲也

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
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営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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名古屋ボストン美術館が10月で閉館

名古屋に居ながらにして、米国が世界に誇るボストン美術館のコレクションを鑑賞できる姉妹館名古屋ボストン美術館は、使命を全うして、10月8日(月・祝)をもって閉館することとなりました。
20年間、当館をお支えいただいた皆様に感謝を込めて、最終展として「ハピネス〜明日の幸せを求めて」を開催します。
美術の目指すところも究極的には人間の幸福感とは―、と問い返すところにあるように思います。この最終展をご覧いただき、その問い返しにそれぞれの思いを重ねていただける事を願っております。
これまで当館を愛し、ご支援いただいた皆様に心から熱くお礼申し上げます。どうぞ、名古屋ボストン美術館の最後の展覧会をお楽しみください。
   名古屋ボストン美術館館長 馬場駿吉


先日、「石神の丘美術館が25周年」と岩手の小さな町の美術館の健闘を称えたばかりですが、大都市名古屋の美術館が閉館となる残念なニュースです。

名古屋ボストン美術館には幾度か伺いましたが、亭主にとって一番印象の残る展覧会は、ボストンの名品ではなく、2008年に開催された館長の馬場駿吉先生のコレクション展でした。
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2017年2月「ART NAGOYA 2017」にて
馬場駿吉先生(左)

名古屋B駒井哲郎展表駒井哲郎展_名古屋B裏


駒井哲郎名古屋B美展図録馬場駿吉先生は人も知る駒井哲郎先生と親交厚かったコレクターです。
「一俳人のコレクションによる 駒井哲郎銅版画展〜イメージと言葉の共振〜」
会期:2008年4月26日〜9月28日
会場:名古屋ボストン美術館

 このときの名古屋ボストン美術館の案内には「名古屋在住の俳人で、芸術評論家としても活動している当館館長の馬場駿吉は、大学医学部の若き研究者だった1961年、市内の画廊が主催した個展で初めて駒井哲郎の作品を目にしました。そして、それまで味わったことのない衝動に駆られ、駒井の版画1点を購入します。それは馬場が生まれて初めて購入した美術品でした。その後、駒井自身とも知遇を得て、70点近くに及ぶ駒井作品のコレクションを築きました。馬場にとって彼の作品は現代美術への扉であると同時に、自らの俳句の源泉でもありま す。本展では、馬場の新旧の俳句を織り交ぜ、彼の目を通した駒井哲郎像、そして一俳人と銅版画家との領域を超えた響き合いを紹介します。」とあります。
 因みに上記の名古屋<市内の画廊>とあるのは、鈴木佐平が経営していた「サカエ画廊」のことですが、今でもサカエ画廊のシールがついた作品が市場に出ることがあります。名古屋では先駆的な画廊でした。鈴木佐平については、中村稔著『束の間の幻影 銅版画家駒井哲郎の生涯』222ページには馬場駿吉先生の文章を引用して<名古屋市中区東田町にサカエ画廊を自営し、引き続き駒井作品を名古屋周辺へ熱心に紹介しつづけた慧眼の画商であったが、残念ながら経営上の破綻によってやがて画廊は閉ざされ、氏も消息を絶った>とあります。

 この展覧会は駒井追っかけの亭主としては見逃すわけには行かず、名古屋まで遠征して出品作品一点づつを克明に見て、その限定番号をメモし、このブログで二回にわたり報告しました。
2008年9月16日ブログ「馬場駿吉コレクション〜駒井哲郎を追いかけて第30回
2008年9月22日ブログ「馬場駿吉宛書簡〜駒井哲郎を追いかけて第31回

 1615年創業の名古屋の老舗百貨店・丸栄百貨店が6月30日に閉店したニュースにも驚きました。
駒井追っかけとしては、1958年(昭和33)4月に丸栄百貨店で開催された「駒井哲郎版画展」は忘れることのできない重要な展覧会でした。
65回で中断したままの「駒井哲郎を追いかけて」を再開し、丸栄百貨店のことも書かねばなりませんね。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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中谷芙二子先生が高松宮殿下記念世界文化賞を受賞

今年度の高松宮殿下記念世界文化賞を中谷芙二子先生が受賞されました。
おめでとうございます。


(*高松宮殿下記念世界文化賞は1988年に創設された文化賞。毎年、絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像の5部門で文化芸術の発展に寄与した世界の芸術家に贈られる。建築ではこれまでに丹下健三や安藤忠雄、フランク・ゲーリー、オスカー・ニーマイヤーらが、絵画では杉本博司やダニエル・ビュレン、彫刻では三宅一生、アニッシュ・カプーアらが受賞してきた。)

銀座メゾンエルメスフォーラムで開催された『グリーンランド/中谷芙二子+宇吉郎展』は霧のアーティストとしての面目躍如、連日若い人たちで賑わいました(2017年12月22日〜2018年3月4日)。この展覧会で中谷先生のことを知った人たちも多かったのではないでしょうか。

私たちが中谷先生の存在を知ったのは1970年代に遡りますが、霧の彫刻家としての活動より(これは極く限られた場所で短期間の展示のため実際に見る機会は少なかった)、ビデオアートの先駆者であり、1980年に開始された実験的なギャラリー活動「ビデオギャラリーSCAN」(原宿にあった)にたいへん刺激されました。1983年には草間彌生先生の個展も開催され、そのときのポスターは今見てもパワーと品に満ちています。
プロセスアート」を設立し、SCANで国内外のビデオ作品の個展を開催し、多数のビデオアーティストを世界に送り出した功績はもっともっと評価されていいと思います。

またあまり知られていないことですが、アンディ・ウォーホルの友人として日本への紹介に尽力し、1974年の大丸のウォーホル展の影の功労者でもあります。
1983年現代版画センターが企画した「アンディ・ウォーホル全国展」にもご協力いただきました。

中谷芙二子「ウォーホル 東京の夜と朝

青山にときの忘れものをオープンして11年目に私たちの画廊の画期となる「トリシャ・ブラウン ドローイング展 思考というモーション」を開催したのですが(2006年3月22日〜4月8日)、自らのダンス・カンパニーを率いて18年ぶりの来日公演(彩の国さいたま芸術劇場)をしたトリシャ・ブラウンさんとの仲介をして下さったのも中谷先生でした。
DSCF6532トリシャブラウン展オープニング2006年3月22日中谷芙二子
2006年3月22日ときの忘れものにて
中谷芙二子先生(左)と、トリシャ・ブラウンさん(右)
トリシャ・ブラウン
『トリシャ・ブラウン―思考というモーション』
2006年  ときの忘れもの 発行
デザイン:北澤敏彦
編集:尾立麗子
執筆:トリシャ・ブラウン、岡崎乾二郎、スティーヴ・パクストン、マース・カニングハム、ウィリアム・フォーサイス、ジョナス・メカス、中谷芙ニ子、石井達朗、黒沢美香、岡田利規
112ページ  A5版
価格:2,571円*送料250円


今秋10月には水戸芸術館で初めての大規模な個展(10月27日〜 2019年1月20日[)が開かれるそうです。
ますますのご健康とご活躍を期待しています。
〜〜〜〜〜〜

今年の高松宮殿下記念世界文化賞には中谷先生のほかに、建築部門ではクリスチャン・ポルザンパルクが、絵画部門ではピエール・アレシンスキー、音楽部門はリッカルド・ムーティ、演劇・映像部門はカトリーヌ・ドヌーヴが受賞しました。
いずれも日本には馴染みの深い人たちですね。

●本日のお勧め作品は、ピエール・アレシンスキーの1960年の版画集です。
Alechinsky_1ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky
"LA REINE DES MURS"

1960年
リトグラフ7点組
タトウサイズ:57.5×39.0cm
Ed.65

Alechinsky_2ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky
"LA REINE DES MURS"(1)

1960年
リトグラフ
イメージサイズ:31.0×48.0cm
シートサイズ:38.0×56.5cm
サインあり

Alechinsky_3ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky
"LA REINE DES MURS"(2)

1960年
リトグラフ
イメージサイズ:31.0×48.0cm
シートサイズ:38.0×56.5cm
サインあり

Alechinsky_4ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky
"LA REINE DES MURS"(3)

1960年
リトグラフ
イメージサイズ:31.0×48.0cm
シートサイズ:38.0×56.5cm
サインあり

Alechinsky_5ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky
"LA REINE DES MURS"(4)

1960年
リトグラフ
イメージサイズ:31.0×48.0cm
シートサイズ:38.0×56.5cm
サインあり

Alechinsky_6ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky
"LA REINE DES MURS"(5)

1960年
リトグラフ
イメージサイズ:31.0×48.0cm
シートサイズ:38.0×56.5cm
サインあり

Alechinsky_7ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky
"LA REINE DES MURS"(6)

1960年
リトグラフ
イメージサイズ:31.0×48.0cm
シートサイズ:38.0×56.5cm
サインあり

Alechinsky_8ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky
"LA REINE DES MURS"(7)

1960年
リトグラフ
イメージサイズ:31.0×48.0cm
シートサイズ:38.0×56.5cm
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky
ベルギーのブリュッセルに生まれ、高校卒業後、市内の美術工芸学校で本の装丁の課程に入学。ここでは芸術家としての道を拓くことになる版画も学んだ。1948年結成の国際的な前衛美術集団「コブラ(CoBrA)」(1951年解散)で活躍。その後、パリに移住した。
京都の前衛書道家、森田子龍と交流を深め、1955年に初来日。『日本の書』という短編映画を製作した。書道の影響を受けた自由な筆さばきと、乾きやすいというアクリル絵具の特性を活かし、自身の内面を大胆に表現する。鮮やかな色彩と、複雑かつ有機的、躍動感と生命感にあふれた線描で、独自のスタイルを確立。1960年と1972年にはベルギー代表としてヴェネツィア・ビエンナーレに出品。2016−17年には日本初の大規模回顧展が日本・ベルギー国交関係樹立150年を記念して東京と大阪で開かれた。

内間安瑆・内間俊子展のご報告

先週末に終了した「内間安瑆・内間俊子展」のご報告もしないうちに、ときの忘れものは夏季休廊に突入しました。
例年通り8月11日〜20日まで、10日間の休みをスタッフたちはゆっくりのんびり過ごしている(に違いない)。
ブログは執筆陣の皆様にお願いしていつもより締切りを早めて予約投稿していますので、画廊は休みですが無休で更新しています。どうぞご愛読ください。

01
内間安瑆作品

05
内間俊子作品

今回の「内間安瑆・内間俊子展」は会期も7月17日〜8月10日と長めにとり、NY在住のご遺族をお迎えして私たちも張り切って開催したのですが、思いもかけない災害級の猛暑にぶつかってしまいました。
20180722内間家と会食2018年7月22日
東洋文庫カフェにて、内間家の皆さん、社長の跡見の後輩たちと会食

燃えるような暑さの中を4日間も在廊してお客様に対応して下さった内間家の皆様に感謝するととともに、会期の設定を間違ったことへの悔いが残ります。
きっと来たくても来られなかったお客様も多かったはず。
最後の週になってようやく普通の暑さ(それでも暑い!)に戻り、来廊者も増えました。

2014年9月12日付ブログ用画像_08
1982年の内間安瑆先生と俊子夫人
この写真を撮った僅か半年後、安瑆先生が病に倒れ、18年間に渡る長い闘病生活が続きます。
2000年に相次いで亡くなられた内間ご夫妻には私たちは言葉に尽くせぬほどお世話になりました。

これほどの優れた作家が忘れられ、貴重な作品が人々の目に触れられる機会が少ないのは残念でなりません。
今回二人展として展示したのは、美術史の空白ともなっている1950年代に活躍し、1960年代以降は太平洋をはさみ日米の架け橋ともなったお二人の活動を記録し、伝えてゆくことが私たちの務めと思っているからです。

幸い、多くの美術館学芸員にお二人の作品を見ていただくことができました。きっと遠くない将来に美術館レベルでの展示が実現するでしょう。

○神奈川県立近代美術館館長の水沢勉先生には、ご多忙の中、お二人について素晴らしい文章をご寄稿いただきました(8月4日ブログ「ふたりでひとり―内間安瑆と内間(青原)俊子」)。
20180720水沢勉先生と内間安樹さん
2018年7月20日ときの忘れものにて
内間安樹さん(左)と水沢勉先生

○水沢先生には版画掌誌「ときの忘れもの」第04号にもご執筆いただいています。
水沢勉版の音律―内間安瑆の世界
版画掌誌第4号には、安瑆先生の作品(後刷り)が挿入されており、ぜひご購読ください。

お元気ならば俊子先生が100歳、安瑆先生は97歳です。
日本に在住していた頃のお二人を良く知る方に再会できたことも、大きな収穫でした。
斎藤玲子さん20180810
2018年8月10日最終日に来廊された斎藤玲子さん(右)。
お二人の1950年代、青原俊子さんと安瑆先生を良く知るご友人です。


○7月21日ブログ「流政之と内間安瑆・内間俊子
○7月24日ブログ:内間安樹「My parents: A Reflection  追想:両親のこと
○7月25日ブログ「オリヴァー・スタットラーと内間安瑆〜名著『Modern Japanese Prints: An Art Reborn』
○7月28日ブログ「イサム・ノグチと内間安瑆〜東京オペラシティでイサム・ノグチ展
○7月30日ブログ「内間安瑆先生と早稲田の友人たち

内間安瑆先生については、以前ブログで紹介した下記の論文、インタビューもご参照いただければ幸いです。
永津禎三内間安瑆の絵画空間
内間安瑆インタビュー(1982年7月 NYにて)第1回第2回第3回

今回の展覧会の出品作品は7月14日ブログに掲載しましたので、ご覧ください。
展覧会が終了したので一部は倉庫に戻しますが、事前にご連絡いただければご用意しますので、どうぞご興味のある作品がありましたら、ご連絡ください。

『内間安瑆・内間俊子展』カタログ
2018年 ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 図版:51点、略歴収録
テキスト:内間安樹(長男、美術専門弁護士/ニューヨーク州)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
編集:尾立麗子
編集協力:桑原規子
翻訳:味岡千晶、他
価格:税込800円 ※送料別途250円

表紙_表1_内間展_修正_0628_600表紙_表4_内間展_修正_0628_600

作品をお買い上げいただいたお客様、炎暑の中をお運びいただいた皆様、そしてNYから展覧会にかけつけてくださった内間家の皆様には心より御礼を申し上げます。
ほんとうにありがとうございました。

追悼 島州一先生

訃報です。
島州一先生が7月24日に亡くなられました。享年82。

例年にない酷暑の中、2018年7月24日、島 州一は急性骨髄性白血病の為亡くなりました。
僭越ですが、このblogについては、島 州一の作品画像に、妻である私がそばで見聞きしたことをコメントとして加えていきたいと思います。作品理解の一助になれば幸いです。
     2018年7月31日 島 今子

島 州一のフェイスダイアリー「とんだ災難カフカの日々」より>
島州一 1974年10月7日
1974年10月7日
銀座・ギャラリープラネートにて島州一先生
(現代版画センターの初めてのエディション展)
亭主が美術界に入ったのが1974年、もし60〜70年代を「版画の時代」と称するのなら島州一先生こそが現代版画の革命児でした。
針生一郎先生は当時の現代版画センター機関誌の連載で、端的にそのことを指摘されています。

一九六〇年代には、ビデオ・カセット、有線テレビ、コンピュータ、電子リコピー、電子計算機、レーザー光線、教育機器など、エレクトロニクス・メディアが多様化した一方、版画ではガリ版の原理にもとづくシルクスクリーン技術の発達によって、写真の転写がいちじるしく容易になった。マス・メディアの複製機能をそのまま模倣するポップアートが出現し、「メディア・イズ・メッセージ」というマクルーハン理論がもてはやされたのも、この時代である。デザイナー粟津潔は「複々製に進路をとれ」「ものみな複製ではじまる」とこの時代相を要約したが、そういう方向をもっとも典型的に体現した版画家としては、島州一があげられるだろう。
*針生一郎「現代日本版画家群像 第11回 島州一と野田哲也」より>

現代版画センターは1974年春、顧問に久保貞次郎先生を迎え、事務局長・尾崎正教という、世間的には久保一派といわれる人々が参加して創立されました。
しかし事務局の中枢を担ったのは版画にも美術にもまったく縁のなかった亭主はじめ20代の若者たちでした。その一人、橋本凌一さんに関しては先日7月31日のブログに書きました。
初年度のエディション作家は20人ですが、久保カラーだけではなかったことがわかるでしょう。

靉嘔オノサト・トシノブ、矢柳剛、木村光佑高柳裕木村利三郎、丹阿弥丹波子、小田襄、船坂芳助、竹田鎮三郎島州一森義利、小田まゆみ、古沢岩美金守世士夫木村茂吉原英雄、飯塚国男、ジミー鈴木、木村満志子

素人集団に過ぎなかった現代版画センターだからできた作品もありました。
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『版画センターニュースNo.1』(1975年2月20日発行)、島州一「」を巻頭で紹介、頒価:500円でした。制作の経緯については初期スタッフだった西岡文彦さんが「第2回 エディションの革新性」で詳述しています。

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左から、関根伸夫「落ちるリンゴ」、島州一「筒」、島州一「ジーンズ」、島州一「ゲバラ
於・埼玉県立近代美術館「版画の景色 現代版画センターの軌跡」より、撮影:タケミアートフォトス

島州一先生のエディションはコピーした画像を筒に巻きつけたものであったり、布であったり、従来の版画の概念をことごとく覆すものでした。
このような作品を右も左も分からない素人たちが売ろうとしたわけですから、売れるわけがない(笑)。
現代版画センターの今考えれば苦肉の策でもあったわけですが、作家を連れて全国巡回展を文字とおり全国津々浦々で展開し、作家のオーラとオークションなどの非日常的イベントに参加者を巻き込み、その勢いで売っていったわけです。

全国に先駆けて手を挙げて下さったのがMORIOKA第一画廊の上田浩司さんで、盛岡まで行商に付き合ってくれたのが森義利先生と島州一先生でした。
1974年7月盛岡第一画廊版画への招待展1974年7月盛岡第一画廊版画への招待展DM
全国縦断「版画への招待展」盛岡展とオークション
会期:1974年7月13日〜21日
会場:岩手県盛岡市・MORIOKA第一画廊
19740720全国縦断企画”版画への招待展”20171206114110_00003盛岡支部結成記念オークションにて。左から、「ゲバラ」を手にする綿貫不二夫、尾崎正教、島州一

1974年7月20日_盛岡第一画廊_版画への招待展_オークション_14
左から牛久保公典さん(版画収集家)、島州一先生、画廊主の上田浩司さんと長女のり土さん、右端で芳名簿に署名しているのは森義利先生

1974年7月20日_盛岡第一画廊_版画への招待展_オークション_16
当日の様子を中村光紀さん(当時岩手日報記者、現在は萬鉄五郎記念美術館館長)が『画譜』第2号(1974年9月1日発行)に寄稿されています。
クリックすると拡大します。

1974年7月20日_盛岡第一画廊_版画への招待展_オークション_17
クリックすると拡大します。

岡部徳三、石田了一ら優れた刷り師たちの協働を得て、現代版画センターのエディション活動は活発化します。
翌1975年には、一挙に新作エディションを制作し、全国数十箇所で「島州一・関根伸夫クロスカントリー7500km」展を同時開催しました。
1975年11月島・関根全国展・岐阜
1975年島・関根全国展共通DM
「島州一・関根伸夫クロスカントリー7500km」岐阜展
会期:1975年11月6日〜11月16日
会場:岐阜県岐阜市・画廊匠屋(纐纈君平)
19751106島州一・関根伸夫クロスカントリー画廊匠屋_00002関根伸夫先生
19751106島州一・関根伸夫クロスカントリー画廊匠屋_00003
ジーンズ」の前に立つ島州一先生、左端立っているのが画廊主の纐纈君平さん

『島州一・関根伸夫 版画目録』は1975年の現代版画センター企画・全国縦断「島州一・関根伸夫クロスカントリー7,500km展」のために制作されました(テキスト執筆:東野芳明)。展覧会は1975年10月31日〜11月30日の一ヶ月間、全国各地でほぼ同時に開催された。
版画のエディションの大きな特徴は、たとえば限定75部の版画を30種類、一挙に制作できれば、全国(全世界)で同時に75会場で、30点からなる展覧会を開催できるということにある。
1975年の「島州一・関根伸夫クロスカントリー7,500km展」はまさにそのことを実証した初めての全国同時展でした。
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島州一(しまくにいち)
1935年東京都に生まれる。2018年没する。1958年「集団・版」の結成に参加し、翌年多摩美術大学絵画科を卒業。「集団・版」のグループ展、現代日本美術展に発表を続け、1971年同美術展でコンクール賞、翌年ジャパン・アート・フェスティバルで大賞、以後もクラコウ国際版画ビエンナーレ展や、東京国際版画ビエンナーレ展など、国内外の版画展に多数出品し各賞を得る。1975年、関根伸夫と日本縦断展を全国30ヵ所で行う。1980年には文化庁在外研修生として欧米に1年間留学した。島の作品には、黄色に塗装した団地の外壁に黄色い布団を干したり、河原の石1万個に印刷し再び川に返す、また地面や新聞紙に泥の版画を刷るなど、日常的な物質による表現と物質そのものの関係を探るもの、映像の物質性や版画の可能性を探るものが多い。それによって、内面的な「個」と普遍性(世界)とのつながりを見出そうとした。
2018年7月24日死去。
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今春、現代版画センター(1974〜1985)の全活動の軌跡を追った展覧会が埼玉県立近代美術館で開催され、時代に先駆けた島州一先生の作品の斬新さに多くの若い人が注目してくれました。
北海道から九州まで全国の行商に伴走してくださり、多くの版画作品を制作してくださった島州一先生に深い感謝をささげ、ご冥福を祈る次第です。
ありがとうございました。

●本日のお勧め作品は島州一です。
DSCF2415_600島州一「
1974年
シルクスクリーン
30.0×28.0cm
Ed.100  サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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私立雑誌専門図書館「六月社」が35年間の活動に幕

高田馬場に六月社という私立雑誌専門図書館がありました。
ありましたと過去形で書くのは、先月6月10日をもって閉館したからです。

2018年6月5日(火)朝日新聞・夕刊 8面
アサヒ_00002のコピー

2018年6月5日(火)読売新聞・朝刊 14面
読売_00001

35年間、孤軍奮闘した主宰者の橋本凌一は半世紀前に既に伝説の男でした。
大学が政治の季節だった時代、
中学、高校でならした橋本が、
早稲田大学に入る前から「あの橋本が入ってくる」といわれたらしい。

亭主が毎日新聞社に在籍していたとき、当時の社の事情で定期採用を見合わせた年がありました。いびつな年齢構成は将来に禍根を残すと子会社でかなりまとまった人数を採用しました。
通常なら入ってこないような(優秀な)人材が子会社に入り、その新人教育を亭主がたまたま在籍していた販売局販売調査課が担当しました。
子会社に入社した橋本凌一と出会ったのは亭主にとって生涯の幸運でした。
課長は三宅秀三さんといい、新聞産業の将来を憂うる実に優れた人で、1960年代に既に新聞の斜陽を予見し、生き残るための建策を続けていました。
(そのことは以前、少し書きました/2015年8月16日ブログ「誰も新聞を読まなくなる日」

やがて亭主は現代版画センターを企画立案し、部長の山本栄蔵さんの理解を得て、当初は毎日新聞の事業として発足するはずだったのですが、社内合意が得られず、仕方なく(奇策ですが)毎日新聞の別の子会社に亭主の身柄を移し、「金は出すから、とにかく事業を立ち上げよ」ということになりました。
そのとき橋本凌一は既に退職し、友人と「コラボレーション」という制作会社をつくり、渋谷区桜ヶ丘のマンションで始動していました。
亭主は版画の普及事業の企画書と毎月本社の経理から渡される運転資金をもって橋本の会社に間借りしたわけです。

1974年春、法人格を持たない任意団体として「全国版画コレクターの会(仮称)準備会」を、代表・西本董(毎日新聞開発株式会社代表取締役)、顧問・久保貞次郎、事務局長・尾崎正教、事務局次長・綿貫不二夫、橋本凌一という体制でスタートしました。
19740331現代版画センター第一回オークション201712061312722_00002
現代版画センター旗揚げ「第一回東京オークション
1974年3月31日
会場:東京・高輪プリンスホテル
主催:全国版画コレクターの会(仮称)準備会
中央演壇に立つのが尾崎正教事務局長、左から二人目が橋本凌一事務局次長
19740331現代版画センター第一回オークション20171206131722_00003
全国から参加者が集まり、高輪プリンスホテルの大広間を埋め尽くしました。
1974年3月31日_高輪プリンスホテル第一回オークション_2_5
当日の進行役のスタッフたち
左から有沢小百合、橋本凌一、北條恵子、実川暢宏(自由が丘画廊)、藤本義一(サントリー宣伝部)、後列のベレー帽は高森俊(創美)


1974年5月「もし、普遍的な運動を目指すのなら名称は限りなく普通名詞で行きましょう」と橋本が提案し、「現代版画センター」という名称が決まりました。
あのとき、私たちは版画というメディアをつかってアートの多様性を訴え、誰にでも手にすることのできる美術品を生み出したいという思いにかられて走り出しました。
実際中学生だった顧客(柳正彦さん)が出現し、その後の版画センターの活動を支えてくれました。
学生運動で鍛えられた橋本の戦略、実務能力がなければ、短期間での全国展開は難しかった。メールはもちろん、ヤマト便などという便利なシステムはまだなかった時代です。初期の会員への通信はすべて橋本のガリ版でした。
現代版画センターの志の根底には、アートが私たちの社会に多様性をもたらすものであり、なおかつ真に優れたアートは直ぐには理解されない(少数者のもの)という意識がありました。
学生時代に聞いた日高六郎先生の「前衛はたくさんあっていい」という言葉が支えでした。
やはり学生時代の法哲学の授業で聞いた「人間の尊厳を多数決で決めてはならない」というナチスドイツへの反省をこめた言葉も常に頭の隅にありました。

1985年2月(株)現代版画センター(代表取締役・綿貫不二夫)は倒産しました。

それから33年後の2018年1月、「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が埼玉県立近代美術館で開催されました。
あらためて当時を支えてくれた支部、会員の皆さん、そして橋本凌一はじめ歴代スタッフの皆さんに感謝する次第です。

六月社に話を戻しますが、新聞で報じられるや多くの支援の申し出があったようです。
一番危惧した10万冊を超える雑誌は、何とか廃棄処分を免れ、某企業のもとに引き取られました。
橋本さん、ご苦労さまでした。

●本日のお勧め作品は、靉嘔です。
ayo_07_iloveyou靉嘔 Ay-O「I love you」
1974年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
53.0x34.0cm
Ed.11,111  サインあり
*現代版画センターの第1号エディション
発表当時1,000円で頒布した。
*レゾネ(叢文社)267番では「Love letter(s)」となっている。
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現代版画センターの創立の理念を具体化した上掲の靉嘔「I love you」の制作の経緯については、作家自身が詳しく書いています。以下同レゾネより再録します。

‘74年の或る日、岡部君と一緒に綿貫不二夫さんと若い人々5,6人が清瀬にやって来た。若者の層を対象として若い作家の版画を出版販売したいと(現代版画センター)。大賛成の私は更に若者向にたくさんのエディションナンバーを安く売るこころみをすすめた。そのためには作家の名前で作品を売るのでなく、作品の内容で買う人々を引きつけねばならぬと説いた。そして話はどんどん拡がりついに2,3週間後には一万一千百拾一のエディションナンバーにしようということになった。値段は千円か2千円を目ざした。私はノーバスコーシアで作ったリトグラフのNo.247「Love letter」を示し話を進めた。皆賛成してくれて岡部君の刷りでNo.267「Love letter(s)」のシルクスクリーンが生まれた。
11111の数を誰が云いだしたか今ではミステリーになってしまった。私は世界中まだ誰も1万以上の版画を作っていないと思うので、1万をちょっとこえた数にしたいと提案したのをおぼえている。そしてそれを伝え聞いた久保さんが、このゴロのいい数を云い出したと誰かが云ったような気もするがたしかではない。しかしこの数は瞬間に私をキャッチした。ロマンティックなウィットかもしれないが人々に生きる力をあたえてくれるファンタジーでもある。私は考えた。出来ればぶっつづけにサインをしてこのナンバーを1日で完成できないものだろうかと。ニューヨークへ行く2,3日前、女性1人と男性2人の協力をえて指にバンソーコーをはり、この行動は開始された。約16時間後、私たち4人はその完成を喜び合って握手をし、だきあっていた。

『虹 靉嘔版画全作品集 増補版 1954-1982』146ページ(1982年 叢文社)より>

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内間安瑆先生と早稲田の友人たち

ただいま開催中の内間安瑆・内間俊子展はときの忘れものの全力投球の企画で、会期も長めに設定しました(8月10日まで)。
NYからはるばるご遺族もかけつけてくださり、用意万端整えて。。。。
ところが幕を開けるや、かつてない猛暑に見舞われ、先週末は台風とさんざんであります(涙)。
40度にもなろうかという炎暑の中、4日間も画廊につめてくださった内間安樹さん、洋子さん、蓮さん(内間先生のお孫さん)には申し訳なくて、つくづく会期の設定を誤ったと後悔しきりです。
内間家の皆さんは既にNYに戻られました。

残り会期も二週間となり、やっと普通の夏に戻った感じですが、まだまだ油断はできません。そんなわけで「ぜひお出かけください」とも言えず、亭主は地団駄踏んでおります。

内間先生ご夫妻が相次いで亡くなられたのが18年前の2000年でした。
長年の恩義に報いるため、
翌2001年の一周忌に「内間安瑆追悼展」を開催しました(会期:2001年5月 9日〜 5月26日)。
7月31日にはNYからご遺族をお招きし「内間安瑆・俊子ご夫妻を偲ぶ会」を開催しました。
続いて「版画掌誌第4号刊行記念展」を2001年11月 24日(土)〜12月4日(土)に開催し、この年は追悼の一年でした。

その後も、内間先生の展覧会はたびたび開催してきました。
そのたびに、内間先生を知る方々が来廊され、貴重なお話を伺うことができました。
内間安樹さんの回想にあるように、内間安瑆先生は自らのことをほとんど語らなかったようですし、自慢話をするような方ではありませんでした。

●内間先生が亡くなる以前から、幾度も画廊に来てくださり、内間先生のことを語ってくださったのは建築家の岡崎浩二さんでした。
私たちが1950年代に内間先生が果たした重要な役割に気づいたのも岡崎浩二さんという友情厚い同級生の証言があったからこそでした。
内間安瑆_偲ぶ会_03
2001年7月31日内間ご夫妻を偲ぶ会
左から岡崎浩二さん、内間安樹さん、洋子さん、亭主、細江英公先生

父君が蔵前工高第3期生の建築家で大阪で岡崎設計事務所を興します。岡崎浩二さんも同じ道をめざし、早稲田の建築で内間先生とは同級でした。卒業後は久米設計事務所に勤務、独立して設計事務所を経営されていました。
あるとき「うちの次男は画家ですが、なかなか食えなくて・・・」とポツリもらしたので慌ててうかがうと「ご存知ないでしょうが乾二郎といいます」とおっしゃったので驚きました。
2014年秋に開催された沖縄県立博物館・美術館での回顧展の図録テキストを執筆されたのがほかならぬ岡崎乾二郎さんです。もっともこの図録、発行されたのは展覧会終了後のなんと半年後、しかも販売されたのは僅か100冊(!)という、幻の図録です。先日来廊された神奈川県立近代美術館館長の水沢勉先生でさえご存知なかった(笑)。
乾二郎さんは内間展には一度も来たことはありませんでしたが、今回猛暑の中、奥様のぱくきょんみさんに連れられて初めていらっしゃったので仰天しました。
それはともかく、岡崎浩二さんにはもっともっとお話を聞いておけばよかった。2013年にお亡くなりになりましたが、うかつにも亭主はメモをとらなかった(後悔しています)。

FSさんも内間先生の早稲田時代の友人でした。
2015年8月内間展内間安瑆展
会期=2015年8月25日[火]―9月5日[土]

FSさんが最後に画廊にいらっしゃったのは、2015年8月27日でした。
すでに93歳とご高齢でしたが、ご覧のように体つきは頑健、記憶は鮮明でした。
2015年8月内間展FSさん
左から亭主、社長、FSさん

亭主は岡崎さんのことがあったので、このときは走り書きですが、メモをとりました。
戦前、移民としてアメリカに渡り(または移民の子として生まれ)、「教育は日本で」という親の勧めで日本に留学し、戦中、戦後の激動期に日本に留まった人々が少なからずいたという、ひとつの例として記録にとどめたいと思います。
ご本人に確認をとりたいのですが、今回送った案内状は「あて所に尋ねあたりません」と返送されてきました。ですので、FSさんと仮名での紹介になります。
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FSさんが生まれたのは、1922年(大正11)1月鹿児島でした。
1〜2歳のときに両親とシアトルに渡ります。アメリカで生まれた弟が二人いて、シアトルの日本語学校に通いました。
ハイスクール卒業時に父親に勧められ17歳で日本へ留学します。これは内間先生とよく似ていますね。
日本へは船で片道13日間かかり、横浜港に上陸しました。
洗足池近くの叔父さん(母の兄)の家に寄宿。叔父さんは神奈川一中の英語の教師だったとか。
翌年、早稲田大学と慶應義塾大学を受験し両方合格したのだそうですが、早稲田(政経)に入学します。内間先生とはアメフトのクラブで一緒にプレーした仲だった(安樹さんの回想とも符合します)。皇居前の広場でアメフトの試合(練習?)をしていたとき空襲があったという話も伺いました。
戦時中は、外務省情報局ラジオ室でアルバイトをしていた。短波放送、アメリカBBC放送などを傍受してその内容の翻訳が主な仕事でした。
やがて学徒出陣となり、鹿児島連隊に入隊(両親の故郷が鹿児島だから)。
1945年(昭和20)3月、福岡捕虜収容所に転属となった。英語が話せたため抜擢されたのではないかとFSさんは述懐されていました。
福岡捕虜収容所にはアメリカ人、イギリス人、フランス人、オーストラリア人などが収容されていた。
戦時中、シアトルに居た両親と弟2人はアイダホの収容所へ強制収容されます。その後、弟2人は合衆国への忠誠宣言をし、収容所からアメリカ軍に入隊し、フィリピンへ派遣されます。
親と子が、兄と弟が敵味方に別れるという過酷な運命があったのですね。
1945年3月東京大空襲があり、6月内間先生のルーツの地で凄惨な沖縄戦が終わり、8月には広島、長崎に原爆が投下されます。日本がポツダム宣言を受諾、敗戦を迎えたのが8月15日でした。
FSさんはいったん鹿児島に戻り、再び上京しラジオプレスに入社します。
占領軍がすべてを支配した時代、おそらく英語の堪能な人たちには仕事はいくらでもあったでしょう。ラジオプレス社には3年間勤めた後、退職してグラフィックデザインの会社に転職します。
2年半ほど勤めたそうですが、同時期に、朝日イブニングニュースに嘱託で勤務し、主に芸能関係を取材し記事を書いていたそうです。
「それから53年間、ずっと同じ仕事を続けた」とFSさんは語っていました。
最後に「あんな謙虚な人はいなかった。内間君とは奥さんと共に来日した際、会ったりしていたけれど、最後に会ったのは40年くらい前だった」と、話を締めくくりました。
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FSさん、お元気ならもう一度、お話をうかがいたいと思います。

●内間安瑆
内間安瑆は1921年アメリカに生まれます。苗字からわかるように父と母は沖縄からの移民です。1940年日本に留学、戦時中は帰米せず、早稲田大学で建築を学びます。油彩の制作をはじめ、後には木版画に転じます。
1950年アンデパンダン展(東京都美術館)に出品。1950年代初めにイサム・ノグチと知り合い、以降親しく交流する。1954年オリバー・スタットラーの取材に通訳として同行し、その著作に協力した。
その折に創作版画の恩地孝四郎にめぐり合い大きな影響を受けます。
1954年デモクラート美術家協会の青原俊子と結婚。1955年東京・養清堂画廊で木版画による初個展を開催。1959年妻の俊子と息子を伴い帰米、ニューヨーク・マンハッタンに永住。版画制作の傍ら、サラ・ローレンス大学で教え、1962と70年にグッゲンハイム・フェローシップ版画部門で受賞。サラ・ローレンス大学名誉教授を務めました。
日米、二つの祖国をもった内間安瑆は浮世絵の伝統技法を深化させ「色面織り」と自ら呼んだ独自の技法を確立し、伝統的な手摺りで45度摺を重ねた『森の屏風 Forest Byobu』連作を生み出します。現代感覚にあふれた瑞々しい木版画はこれからもっともっと評価されるに違いありません。
06_spring-snow内間安瑆 Ansei UCHIMA
"Spring Snow"

1962年
木版
イメージサイズ:77.5×33.5cm
フレームサイズ:93.6×49.8cm
サインあり

11_short_poem内間安瑆 Ansei UCHIMA
"Short Poem"

1967年
木版
イメージサイズ:17.6×55.6cm
シートサイズ:22.8×60.7cm
サインあり


ForestByobu (Fragrance)内間安瑆 Ansei UCHIMA
"Forest Byobu (Fragrance)"

1981年
木版(摺り:米田稔)
イメージサイズ:76.0×44.0cm
シートサイズ:83.6×51.0cm
限定120部 サインあり
*現代版画センターエディション


●内間俊子
内間俊子は旧姓・青原、高知県にルーツを持ち、1918年満州・安東市で生まれました。1928年大連洋画研究所で石膏デッサンと油彩を学び、1937年に大連弥生女学校を、1939年には神戸女学院専門部本科を卒業。帰国後、小磯良平に師事します。1953年瑛九らのデモクラート美術家協会に参加。 この頃、久保貞次郎や瀧口修造を知り、 抽象的な油彩や木版画、リトグラフを制作し、デモクラート美術展に出品します。
1959年夫の内間安瑆と渡米後はニューヨークに永住し、制作を続けます。1966年頃から、古い切手、絵葉書、楽譜、貝殻や鳥の羽などが雑誌の切抜き等でアレンジして封印したボックス型のアッサンブラージュやコラージュの制作に取り組み、全米各地の展覧会や日本での個展での発表を続けました。1982年からは体の自由を失った夫を18年間にわたり献身的に看病します。介護をしながらの限られた時間の中でも制作は続けられました。作品は「夢、希望、思い出」をテーマにしたものが多く、日常の「モノ」たちの組み合わせから内間俊子の人生の記録が表現されています。
2000年 5月9日安王星が79歳の生涯を静かに終えると、その後を追うかの如く、同年12月18日ニューヨークで死去されました。
Lady_photographer内間俊子 Toshiko UCHIMA
"Lady photogorapher"

1977年
ボックスアッサンブラージュ
ボックスサイズ:31.0×41.2×3.5cm
フレームサイズ:42.0×49.0×3.0cm
サインあり

51_1_600内間俊子 Toshiko UCHIMA
"クラシックな夢をうる店 フィラデルフィア The store where classic dreams are sold"

1982年
ボックスアッサンブラージュ
ボックスサイズ:55.5×36.3×6.7cm
サインあり

24_fantasy-in-1908内間俊子 Toshiko UCHIMA
"Fantasy in 1908"

1985年
コラージュ
イメージサイズ:58.0×38.0cm
シートサイズ:73.0×51.0cm
サインと日付あり


2014年9月12日付ブログ用画像_08
1982年
内間安瑆先生と俊子夫人


『内間安瑆・内間俊子展』カタログ
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 図版:51点、略歴収録
テキスト:内間安樹(長男、美術専門弁護士/ニューヨーク州)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
編集:尾立麗子
編集協力:桑原規子
翻訳:味岡千晶、他
価格:税込800円 ※送料別途250円(メールにてお申し込みください)

表紙_表1_内間展_修正_0628_600表紙_表4_内間展_修正_0628_600

版画掌誌「ときの忘れもの」第04号もぜひご購読ください。

◆ときの忘れものは内間安瑆・内間俊子展を開催しています。
会期:2018年7月17日[火]―8月10日[金] ※日・月・祝日休廊
内間安瑆の油彩、版画作品と内間俊子のコラージュ、箱オブジェ作品など合わせて約20点をご覧いただきます。図録も刊行しました(800円、送料250円)。

水沢勉版の音律―内間安瑆の世界」(版画掌誌第4号所収)
永津禎三内間安瑆の絵画空間
内間安瑆インタビュー(1982年7月 NYにて)第1回第2回第3回
201807_uchima

大吉続く〜駒込富士神社の山開祭

猛烈な炎暑の中『内間安瑆・内間俊子展』が始まりました。
NYからはご遺族の内間安樹さん、洋子さんご夫妻も来日され、今日明日は画廊にいらっしゃる予定です。
ぜひ皆様にはご覧になってほしい展覧会ではありますが、この暑さですので、あまりご無理はなさらないでください。せめて夕方、少し涼しくなってからお出かけください。

さて、本日20日は柳正彦さんのエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」の掲載日なのですが、先日開催した「クリストとジャンヌ=クロードの最新作<ロンドンのマスタバ>訪問報告会」の準備で精根尽き果てたらしく、今月は休載させて欲しいとのことであります。

ということで、急遽亭主がピンチヒッターであります。
青山から移転して一年、駒込が戦前からの由緒ある住宅街(大和郷)だということがわかってきましたが、ときの忘れものから見える駒込富士神社は5世紀の古墳という説もあるようです。
とすると戦前どころか、1600年前からの住宅街ということですね。

毎年、6月末から7月初旬に開催される駒込富士神社の山開祭に今年も行ってまいりました。
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201807 (1)屋台がたくさん出ていました。

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財布の小銭を全部賽銭箱に投げ、社長の健康をお祈りしてから、本殿で御神籤を買いました。
な、なんとまたもや「大吉」であります。
埼玉新座の武野神社、九州博多の櫛田神社、お参りするたびに大吉。だんだん怖くなりました。
どうか神様、儲けたいなどと贅沢なことは申しませんので、社長とスタッフたちの健康をどうぞご加護ください。


●内間安瑆の作品紹介
内間安瑆は1921年アメリカに生まれます。苗字からわかるように父と母は沖縄からの移民です。1940年日本に留学、戦時中は帰米せず、早稲田大学で建築を学びます。油彩の制作をはじめ、後には木版画に転じます。
1950年アンデパンダン展(東京都美術館)に出品。1950年代初めにイサム・ノグチと知り合い、以降親しく交流する。1954年オリバー・スタットラーの取材に通訳として同行し、その著作に協力した。
その折に創作版画の恩地孝四郎にめぐり合い大きな影響を受けます。
1954年デモクラート美術家協会の青原俊子と結婚。1955年東京・養清堂画廊で木版画による初個展を開催。1959年妻の俊子と息子を伴い帰米、ニューヨーク・マンハッタンに永住。版画制作の傍ら、サラ・ローレンス大学で教え、1962と70年にグッゲンハイム・フェローシップ版画部門で受賞。サラ・ローレンス大学名誉教授を務めました。
日米、二つの祖国をもった内間安瑆は浮世絵の伝統技法を深化させ「色面織り」と自ら呼んだ独自の技法を確立し、伝統的な手摺りで45度摺を重ねた『森の屏風 Forest Byobu』連作を生み出します。現代感覚にあふれた瑞々しい木版画はこれからもっともっと評価されるに違いありません。

1)
03_hermit内間安瑆 Ansei UCHIMA
"Hermit"

1957年
木版
イメージサイズ:77.1×41.0cm
フレームサイズ:96.3×58.4cm
サインあり

2)
1959 An Emotion_600内間安瑆 Ansei UCHIMA
"An Emotion (或る感情)"

1959年
木版
イメージサイズ:40.8×30.2cm
シートサイズ:42.6×30.9cm
サインあり

3)
04_shifting-horizon内間安瑆 Ansei UCHIMA
"Shifting Horizon"

1960年
木版
イメージサイズ:31.7×24.0cm
シートサイズ:53.0×38.0cm
Ed.15
サインあり

4)
05_early-summer-rain内間安瑆 Ansei UCHIMA
"Early Summer Rain"

1961年
木版
イメージサイズ:50.5×38.0cm
シートサイズ:61.5×45.5cm
サインあり

5)
06_spring-snow内間安瑆 Ansei UCHIMA
"Spring Snow"

1962年
木版
イメージサイズ:77.5×33.5cm
フレームサイズ:93.6×49.8cm
サインあり

〜〜〜
●内間俊子の作品紹介
内間俊子は旧姓・青原、高知県にルーツを持ち、1918年満州・安東市で生まれました。1928年大連洋画研究所で石膏デッサンと油彩を学び、1937年に大連弥生女学校を、1939年には神戸女学院専門部本科を卒業。帰国後、小磯良平に師事します。1953年瑛九らのデモクラート美術家協会に参加。 この頃、久保貞次郎や瀧口修造を知り、 抽象的な油彩や木版画、リトグラフを制作し、デモクラート美術展に出品します。
1959年夫の内間安瑆と渡米後はニューヨークに永住し、制作を続けます。1966年頃から、古い切手、絵葉書、楽譜、貝殻や鳥の羽などが雑誌の切抜き等でアレンジして封印したボックス型のアッサンブラージュやコラージュの制作に取り組み、全米各地の展覧会や日本での個展での発表を続けました。1982年からは体の自由を失った夫を18年間にわたり献身的に看病します。介護をしながらの限られた時間の中でも制作は続けられました。作品は「夢、希望、思い出」をテーマにしたものが多く、日常の「モノ」たちの組み合わせから内間俊子の人生の記録が表現されています。
2000年 5月9日安王星が79歳の生涯を静かに終えると、その後を追うかの如く、同年12月18日ニューヨークで死去されました。

39)
23_bridge内間俊子 Toshiko UCHIMA
"橋 (Bridge)"

1965年
木版
イメージサイズ:57.0×42.5cm
シートサイズ:61.0×45.0cm
サインと日付あり

40)
Signal_600内間俊子 Toshiko UCHIMA
"Signal"

1974年
ボックスアッサンブラージュ
ボックスサイズ:34.0×27.5×5.5cm
サインあり

41)
Lady_photographer内間俊子 Toshiko UCHIMA
"Lady photogorapher"

1977年
ボックスアッサンブラージュ
ボックスサイズ:31.0×41.2×3.5cm
フレームサイズ:42.0×49.0×3.0cm
サインあり

42)
49_1_600内間俊子 Toshiko UCHIMA
"イタリーよりのパッケージ Package from Italy"

1977年
コラージュ
イメージサイズ: 50.5x35.0cm
シートサイズ: 57.5×42.7cm
サインあり

43)
FromtheProvence内間俊子 Toshiko UCHIMA
"From the Provence - Avignon-"

1977年
コラージュ
ボックスサイズ:36.0×28.3×3.5cm
サインあり

2014年9月12日付ブログ用画像_08
1982年
内間安瑆先生と俊子夫人


『内間安瑆・内間俊子展』カタログ
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 図版:51点、略歴収録
テキスト:内間安樹(長男、美術専門弁護士/ニューヨーク州)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
編集:尾立麗子
編集協力:桑原規子
翻訳:味岡千晶、他
価格:税込800円 ※送料別途250円(メールにてお申し込みください)

表紙_表1_内間展_修正_0628_600表紙_表4_内間展_修正_0628_600

版画掌誌「ときの忘れもの」第04号もぜひご購読ください。

◆ときの忘れものは内間安瑆・内間俊子展を開催しています。
会期:2018年7月17日[火]―8月10日[金] ※日・月・祝日休廊
内間安瑆の油彩、版画作品と内間俊子のコラージュ、箱オブジェ作品など合わせて約20点をご覧いただきます。図録も刊行しました(800円、送料250円)。

水沢勉版の音律―内間安瑆の世界」(版画掌誌第4号所収)
永津禎三内間安瑆の絵画空間
内間安瑆インタビュー(1982年7月 NYにて)第1回第2回第3回
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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

草間彌生のオブジェ「いちご」

本日、7月18日は亭主の長年の相棒だったデザイナー北澤敏彦さんの一周忌です。
1988年ころから2017年まで約30年間、亭主の手がけた画集、書籍、カタログ、案内状、パンフレット、ポスターなどのほぼ99%は北澤さんのデザインでした。
青山から駒込への移転通知(DM)が最後の仕事でした。
北澤さんを失った痛手は深く、しばらくは呆然自失の日々でした。
今日は静かに北澤さんのご冥福を祈りましょう。

〜〜〜

先日、私たちよりはるか先輩で、お仕事も卒業され悠々自適の日々を送られている方から、久しぶりにお手紙をいただきました。メールやパソコンにはあまり縁のない方だと思い込んでいたのですが、
驚いたことにこのブログをいつも楽しみにお読みいただいているとのことでした。

毎日更新を続けていますが、ときにネタ切れで頭を抱えたり、逆にご投稿の原稿を直ぐにもアップしたいのに既に連載原稿が入っていて掲載日のバランスに悩むこともあります。
毎日多くの方にお読みいただいていますが、アクセス解析によるとその日に掲載された最新記事ばかりではなく、ずいぶん前の記事が読まれています。
中には、繰り返し繰り返し読まれる記事があります。
たとえば、

●1983年7月23日「宇都宮大谷・巨大地下空間でのウォーホル展オープニング1983年7月23日

●2007年02月20日「ウォーホルを偲んで〜サンデー・B・モーニング版」

●2008年11月11日「坂田一男!?」

●2009年02月14日「佐伯修[雲と残像――現代美術を媒介にして]〜coto Vol.17より」 

●2009年08月06日「アウグスト・ザンダーと五味彬」展〜原茂さんからの報告 

●2010年06月27日「本物、ニセモノ」

●2012年05月19日「大人のデートにどうぞ。」

●2012年12月22日「磯崎新の[低層]都庁案と版画」

●2016年4月10日「新連載・杉山幸一郎のエッセイ[幸せにみちたくうかんを求めて]第1回」

●2016年4月18日「森下泰輔のエッセイ[戦後・現代美術事件簿]第9回」

一見して、読者(コレクター)の知りたいことが如実に反映されていますね。
とくに贋作、偽物関連記事です(亭主自身はあまりそういう方面は熱心ではありませんが)。

ブログのよいところは長文でもかまわないこと、「検索」ができること、バックナンバーの保存ができることなどでしょう。
twitterやfacebookも良いでしょうが、私たち画商にとっては、優れた作品を丁寧に紹介することが重要です。
これからも、執筆陣のご協力を得て、一層のブログの充実をはかりたいと思います。
どうぞご愛読ください。

◆最後にご紹介する草間彌生先生のオブジェ「いちご」はもちろん贋作ではありません。

kusama_ichigo
草間彌生《いちご》
ブロンズにラッカー
1974年(このエディションは1993年鋳造)
22.7×21.4×7.5cm  サイン・年記あり(作家のサイン入りカード付き)
kusama_ichigo_ed_yearkusama_ichigo_card


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆ときの忘れものは内間安瑆・内間俊子展を開催しています。
会期:2018年7月17日[火]―8月10日[金] ※日・月・祝日休廊
内間安瑆の油彩、版画作品と内間俊子のコラージュ、箱オブジェ作品など合わせて約20点をご覧いただきます。図録も刊行します(800円、送料250円)。
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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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