植田実のエッセイ

植田実・美術展のおこぼれ第44回「石山修武・六角鬼丈二人展―遠い記憶の形」

植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」第44回

 「石山修武・六角鬼丈二人展―遠い記憶の形」が突然始まった。石山は去年の暮れに毛綱毅曠との共著『異形建築巡礼』を上梓したばかり、その出版記念会で彼に会ったばかりで、それから直ぐの二人展は連続しているといっていいのだが、いやそれだけに終わらず今年じゅうに写真家や詩人や建築家たちとのそれぞれ4回にわたる二人展と出版とを続行するつもりだと、石山は書いている。こんな長丁場の連続プロジェクトを思いつくひとは滅多にいない。実行するひとは皆無だ。その圧倒的なパワーによる始動は「突然」と言うしかない。これについてはごく短いけれど何かを断ち切る刃物のような石山の宣言を参照してほしい。こちらは「二人展」を見ての印象。
 石山の銅版画は世田谷美術館での大々的な個展(2008年)でたぶん初めて見た。建築家の絵ではない。イメージを融通無礙に捕獲していくその山と海の豊かさがすばらしかった。その後はときの忘れものでの個展でもさらにイメージの展開は終わることがなかった。そして今回の銅版が私はいちばん好きだ。石山は「(サイズが)大きいから」と、それだけを説明していた。たしかに今回つくられた作品の半数近くがこれまでにない大きさによって縦づかいなら高みに飢えた登攀力、横づかいなら遠くまで進む持続力が増しているのが画面に見える。版を彫る道具もニードルだけでなくノミまで用いたという。その荒々しいテクスチャからどの作品にも大小さまざまの足が、それもテクスチャの一部のように強い表情でゾロッと現れている。あとになって作品の写真がときの忘れものから送られてきたとき初めてそれぞれの絵柄がわかったほどに、テクスチャの強さが構図そのものをはるかに凌駕していた。それは長いあいだその旅行きを語りつがれてきた物語に登場する足男たちの肖像画集でもあったのだ。つまり今回の銅版シリーズではとても意識的なテーマでおさえこんだために、これまでにない強靭な、石山という建築家ならびにその肩書をもぎとる何者かにいきなり向かいあわされている。
 制作年2016となっている石山の銅版にたいして、その石山から声をかけられた六角のシルクスクリーンは二人展オープニングの1月10日に制作年2017。インクの香がまだ濃い。そして摺られているのは期待に違わず、現実の建築作品をベースにしたもので、たとえば「奇想流転(奇合建築)」は1970年代後半から80年代前半にかけて六角が設計した京都の幼稚園・プレイスクール・工作棟、福岡の金光教教会、札幌の鐘楼展望塔などの屋根伏図を集中合体させた建築図面で、その異様な密度は現実の建築を超えた場所に見る者を誘いこんで帰さない。幼稚園や金光教教会の個々の姿は立面図として取り出され、並べて展示されている。精妙に刷り重ねられたインクは、立体化し、同時になにも見えない光沢面をつくり出す。
 軽快なタッチによる「みみ」のシリーズは90年代はじめに東京・杉並区のあちこちにつくられた「みみ」「とき」「はだし」「はな」など、身体で感じる小公園で出会う動きと見ることができる。90年代に入ってはやはり立面のシルクスクリーンがある東京武道館、さらには東京藝術大学大学美術館、富山の立山博物館まんだら遊苑、宮城の感覚ミュージアムなどの大作がその後に続くが、それらも折にふれ独立した絵画や立体作品にしてきた。今回出品されている「斎具」の頂部にまたもや金光教教会が載せられているように、六角は繰り返し自分のこれまでの作品に立ち帰り、私たちもそれらを繰り返し見ることを怖れつつたのしむ。それらはイコンではない。原型、いや原器とでもとりあえず言うしかないが、イコンではなく力の源である。「斎具」においてシリンダーの重なる建築形態からあふれ出る力の流れを受けて納める器として形づくられていくのを見る不思議。立体作品のなかの「求心具」は今回展の数日前ぎりぎりになんとか間に合ったという。六角の処女作としてよく知られる自邸「クレバス」(1967年)がモチーフだが、あの時代あまりにも直結的な小さな階段のクレバスの残響が50年後の現在こそ、もっとずっと頭の深部に入ってくる原器なのだ。
 こうしてみると、いかに二人が違っていると同時に、時代状況にたいしては兄弟のように似ていることか。建築家の作品という先入観で見れば異端の図像である。これまでの記憶を失うならばその瞬間、誰にも覚えのある始まりの景色が歩み寄ってくる。

(2017.1.18 うえだまこと)

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「石山修武・六角鬼丈 二人展―遠い記憶の形―」
会期:2017年1月10日[火]〜1月21日[土] 11:00〜18:30 ※日・祝日休廊
主催/会場:ギャラリーせいほう
〒104-0061 東京都中央区銀座8-10-7 東成ビル1F
TEL. 03-3573-2468
協力:ときの忘れもの

石山修武の新作銅版画の詳細はコチラをご覧ください。
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六角鬼丈の新作シルクスクリーンの詳細はコチラをご覧ください。
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08六角鬼丈
《求心具》
2017年 木製家具
H95cm

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2017年1月10日(火)
ギャラリーせいほうでのオープニングにて
植田実(右)、六角鬼丈(左)

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本日の瑛九情報!
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「瑛九の会」の発足時に事務局を担当したのが東京大田区に住む小学校教師の尾崎正教先生でした。
創美(創造美育協会)の運動に参加、久保貞次郎の唱導した小コレクター運動に共鳴、「小コレクターの会」を主宰してオークションや頒布会を精力的に開いていました。亭主は1973年秋に尾崎先生に出会い、翌年結成した現代版画センターの顧問には久保貞次郎先生を、事務局長には尾崎先生をお迎えしました。やがて全国の会員たちを訪ね歩く中で「わたくし美術館運動」を発起し、2001年10月3日旅先の新潟県で急逝するまで各地のコレクター、美術愛好家たちに版画の頒布を精力的に展開されました(享年79)。
20170121_600
尾崎正教編『わたくし美術館』
1980年1月10日第一刷発行、1984年11月20日改訂版発行
文化書房博文社刊
26.5×20.0cm 199頁

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qei_115瑛九
「風景」
板に油彩
23.7x33.0cm(F4)
サインあり

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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

植田実「丸の内赤煉瓦街」

植田実

「丸の内赤煉瓦街」

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出品番号41.
植田実
「丸の内赤煉瓦街」
1961年撮影
動画(8mmフィルムをDVDに変換)
再生時間:4分25秒

 まだ小学生にもなっていない頃、母に連れられて見知らぬ街に行きました。 電車を降り歩くにつれて街は黙りこむ。壁が堅固になる。その壁のなかから突 然、父が現れた。おどろきとショックがいまでもあざやかな瞬間でした。両親 は表通りでちょっと立ちばなしをし、父はまた壁のなかに消えました。私たち の住まいから途方もなく遠いところにひとりでいた父。大人になることの恐怖 が襲ってきました。そこは父の勤め先である丸の内赤煉瓦街の一画で、三菱系 の会社だったのです。
 20年後、兄が参加していた建築設計事務所も偶々同じ赤煉瓦街の、こちらは 5、6人分の机でいっぱいになるくらいの小さな、路地に面した一部屋で、若い 建築家たちの活気が外にも伝わってきました。赤煉瓦街とひとまとめに言って も建物の顔はそれぞれで、そこに遥かな静けさが霧のように立ちこめていまし た。
 私のはじめての仕事先は八重洲の出版社で、昼休みのあいだに丸の内に行っ て戻ってこられる距離です。先輩の編集者が貸してくれた8ミリの撮影機でと りあえず1巻、わずか3分間を撮ったのだけど肝心の映写機がなく、ようやく その映像を見たのは10年もあとのこと。カメラも持たなかったので写真を撮る 習慣もずっと先になってからです。
 撮りっ放しで編集もしていない、わが生涯でただ1本の8ミリ映像のフィル ム・ケースには1961年1月29日の日付、おそらくはこの日に撮影した。社会人 になって1年足らずでした。
うえだまこと

◆ときの忘れものは2015年1月9日[金]―1月23日[金]「植田実写真展―都市のインク 端島複合体、同潤会アパートメント」を開催しています(*会期中無休)。
植田実写真展DM
2003年度の日本建築学会文化賞を受賞するなど、建築評論、編集者として長年活躍し続ける植田実が、長年撮りためてきた写真作品を初めて公開したのは2010年のときの忘れものでの「植田実写真展―空地の絵葉書」でした。70歳を超えての初個展でした。
二度目の個展となる本展では〈端島複合体〉〈同潤会アパートメント〉の写真と、61年に8mmフィルムで撮影した《丸の内赤煉瓦街》の映像をご覧いただきます。

●イベントのご案内
本日1月9日(金)18時より植田実さんを囲んでオープニングを開催します。

1月16日(金)19時より植田実さんと降旗千賀子さん(目黒区美術館学芸員)を迎えてギャラリートークを開催します。
既に定員に達しましたので、受付は終了しました。
※要予約/参加費1,000円
※開始時間の変更
DMにはギャラリートークの開始時間を「18時」と記載しておりましたが、「19時」に変更になりました。お間違いのないようお願いいたします。

美術展のおこぼれ43

植田実のエッセイ
美術展のおこぼれ43


二川幸夫 建築写真の原点
日本の民家一九五五年

会期:2013年1月12日―3月24日
会場:パナソニック 汐留ミュージアム

飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡
会期:2013年1月12日―4月7日
会場:東京国立博物館 本館 特別5室

エル・グレコ展
会期:2013年1月19日―4月7日
会場:東京都美術館

書聖王羲之
会期:2013年1月22日―3月3日
会場:東京国立博物館 平成館

記憶写真展
会期:2013年2月16日―3月24日
会場:目黒区美術館

フランシス・ベーコン展
会期:2013年3月8日―5月26日
会場:東京国立近代美術館

20130308フランシス・ベーコン展


20130308フランシス・ベーコン展 裏


カルフォルニアデザイン1930−1965
モダン・リヴィングの起源
会期:2013年3月26日―6月3日
会場:国立新美術館

アートがあればII 9人のコレクターによる個人コレクションの場合
会期:2013年7月13日―9月23日
会場:東京オペラシティアートギャラリー

アメリカン・ポップ・アート展
会期:2013年8月7日―10月21日
会場:国立新美術館

国宝興福寺仏頭展
会期:2013年9月3日―11月24日
会場:東京藝術大学美術館

ミケランジェロ展
会期:2013年9月6日―11月17日
会場:国立西洋美術館

加納光於 色身(ルゥーパ)―未だ見ぬ波頭より
会期:2013年9月14日―12月1日
会場:神奈川県立近代美術館 鎌倉

20130914加納光於展


20130914加納光於展 裏


明治のこころ モースが見た庶民のくらし
会期:2013年9月14日―12月8日
会場:江戸東京博物館

うさぎスマッシュ展 世界に触れる方法(デザイン)
会期:2013年10月3日―2014年1月19日
会場:東京都現代美術館

吉岡徳仁―クリスタライズ
会期:2013年10月3日―2014年1月19日
会場:東京都現代美術館

印象派を超えて 点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで
会期:2013年10月4日―12月23日
会場:国立新美術館

20131004印象派を超えて


20131004印象派を超えて 裏


横山大観展 良き師、良き友
会期:2013年10月5日―11月24日
会場:横浜美術館

20131005横山大観展


20131005横山大観展 裏


京都―洛中洛外図と障壁画の美
会期:2013年10月8日―12月1日
会場:東京国立博物館 平成館

ターナー展
会期:2013年10月8日―12月18日
会場:東京都美術館

カイユボット展―都市の印象派
会期:2013年10月10日―12月29日
会場:石橋財団 ブリヂストン美術館

植田正治のつくりかた
会期:2013年10月12日―2014年1月5日
会場:東京ステーションギャラリー

スヌーピー展
会期:2013年10月12日―2014年1月5日
会場:森アーツセンターギャラリー

土屋幸夫展―美術家、デザイナー、教育者
会期:2013年10月19日―12月8日
会場:目黒区立美術館

かたちとシミュレーション 北代省三の写真と実験
会期:2013年10月19日―2014年1月13日
会場:川崎市岡本太郎美術館

20131019かたちとシミュレーション展


20131019かたちとシミュレーション展 裏


古径と土牛
会期:2013年10月22日―12月23日
会場:山種美術館

井戸茶碗
会期:2013年11月2日―12月15日
会場:根津美術館

ジョセフ・クーデルカ展
会期:2013年11月16日―2014年1月13日
会場:東京国立近代美術館

実験工房展 戦後芸術を切り拓く
会期:2013年11月23日―2014年1月26日
会場:世田谷美術館

生誕140年記念 下村観山展
会期:2013年12月7日―2014年2月11日
会場:横浜美術館

20131207下村観山展


20131207下村観山展 裏


磯崎新 都市ソラリス
会期:2013年12月14日―2014年3月2日
会場:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]

16th DOMANI・明日展 建築×アート
会期:2013年12月14日―2014年1月26日
会場:国立新美術館

 昨年2013年に入ってから始まった主な美術企画展で、見には行ったけれどこの「おこぼれ」にはまだ報告していないのを最近のぶんまでリストアップしたら、上のようにずいぶんな数になる。これに画廊の展示企画まで加えたらさらに多い。
 並行してやはりときの忘れものブログに書かせてもらっていた「松本竣介を読む」にかまけて、こっちのほうがおろそかになっていた。おまけに8月と10月に身体の故障で入院・手術とアフターケアで外出もままならぬ時期が続き、書くどころか見る機会さえ失なった。だからなんとか歩けるようになってまた美術館を訪ねはじめたころはもう年の終わり近くで、個々の美術展を追って何か書こうと思う前に、1年間という時間のなかであわただしく始まっては最終日を迎える、贅沢とも空しさとも受けとれるかずかずの企画展示を、いままでにはなかった距離から見渡すことになったようである。

 いい意味で、予想をいちばん裏切られたのは「印象派を超えて」展である。「点描の画家たち」という後半のタイトルだけに気をとられて、国内外のあちこちの美術館からその手の作品を集めたていどと早合点してしまい、別に見なくてもいいやと思ってたのが会期の終わり近くに偶々招待券をいただいたので行ってみたら、目からウロコだったのだ。
 ようするに、子どものとき近代美術の教科書で印象派について学び、そのなかにスーラやシニャックによる点描派という、やや極端な試みをした画家の少数グループがいた、ていどの知識でずっと今まで済ませていた。スーラは素晴らしいが彼の主要作品は日本では見られない、だから点描派の作品展といってもあまり期待できないと思っていたのが、まるで違う企画展だった。絵画における色彩を「点描」というスタイルに偏らせるのではなく、絵具をパレット上で混ぜ合わせることなくキャンバス上に「分割」配置する。この「分割」というコンセプトがにわかに広く作用して、モネ、シスレー、セザンヌなどを説明し、ゴッホからモンドリアンに及ぶ視野まで拡大してみせる。しかもこの視野に思いもかけない厚味をもたらしているのが日本ではほとんど見る機会のない、アンリ=エドモン・クロス、マクシミリアン・リュス、ジョルジュ・レメン、テオ・ファン・レイセルベルヘ、ヤン・トーロップ、ヨハン・トルン・ブリッカー、レオ・ヘステル、等々といった、これまでの先入観からすれば点描派と呼ぶしかない未知の画家たちの膨大な作品群が証人席に立ち、だからこそそのなかにあるスーラの、わずか4点の油彩風景と3点のコンテ・クレヨン、インク・鉛筆による素描が、点描いや分割の精髄に位置を占めていることがはっきり分かる。
 描かれた時点で絵画は完成するのではなく、観られる段階で初めて完成と考えることは、絵画を光学装置として見做す「発見」だったにちがいない。しかし点描としての表れはそれ自体の雄弁さにおいて新しい「スタイル」でもあった。ここに集められた作品群の多彩さはその「スタイル」への依処のそれぞれの個性の表れであり、その頂点はやはりゴッホということになるだろう。これにたいしてあくまで真正面から光学的表現をきわめようとしたのがスーラであり、しかしだからといって科学的探求のような様相に結果しない。どころか画家という存在の神性がその営為にこそ見えてくる気配がある。大真面目に対象の真を描こうとしたアンリ・ルッソオに似ている。
 この企画展のタイトルもサブタイトルも長いが、その前にもうひとつ「クレラー=ミュラー美術館所蔵作品を中心に」という冠タイトルが付いている。かつてない展示作品の見応えの原因はこの美術館の協力に尽きる。しかもこの企画展の英文タイトルは「DIVISIONISM」(from Van Gogh and Seurat to Mondrian のサブタイトルはそのまま日本語になっている)で、図録の解説では「分割主義」と訳されているがこの馴染みのない用語を表立って掲げたのでは客が来てくれなかっただろうし、まったく別の手法や流派を連想させかねないともいえる。主催者側の苦心のほどが察せられるが、自分なりに訳語を考えてもどうも良い案が見つからない。片仮名の「ディヴィジョニズム」にしたとしてもややこしい、などと考えているところに建築家の藤井博巳から電話があったので、このはなしをしたら彼も見に行ったらしく、やはりこれを日本語にするむつかしさが話題になった。そのうち藤井が「Divisionという表現はぼくの建築を説明するのにも使ったことがあるよ」と言い出して、「そうだ、そうだった」と応じているうちに視野はモンドリアンの先にさらに広くなっていくかのようだった。

 そのように、いわば進行するモンドリアンがもっとも圧倒的だった日本での企画展は1987年、西武美術館(宮城県美術館、滋賀県立近代美術館、福岡市美術館にも巡回)でのモンドリアン展で、写実的な樹が線のコンポジションに一気に置きかえられていく壮観は今でも忘れ難い。1912年前後のクレヨンの素描と油彩とが10点以上も展示されていた。その時代に先立つ点描的作品も少なくなかったが、とにかく樹のシリーズのインパクトがあまりにも強烈で、だがそれはモンドリアンという一画家の裡での具象から抽象へという進行であり、対して今回展は「点描派の画家たち」という問題意識を絡めながらフランス、ベルギー、オランダにわたる多くの画家たちを動員することで視野を変えている。
 そういう眼で、たとえば「植田正治のつくりかた」展に接すると、例の砂丘に点在する人物群が別の印象を帯びはじめるような気持ちになった。この展示構成が植田の最初期から最晩年までをていねいに辿っているために、完成された作品以上にそこに至るプロセス自体がとてもよく見えたせいもあるのだが、植田は家族あるいは集団という、本来は一体的に見られる存在を個々人に、見事に「分割」して知覚させることで異化作用ともいえる詩情を生み出した。そこに写っているひとりひとりはパレットの上で混ぜられる前の絵具のように純粋な色を保っている。と、そんな解読をしたくなる。
 さらにいえば、植田正治の砂丘にぽつりぽつりとたたずむ人々の姿は、北園克衛の詩を思い出させる。それは言葉がとくに改行によって極限にまで「分割」された立ち姿だが、これについてもあまりにも長い歳月を完成形に馴染んでいたので、2010年に世田谷美術館での「橋本平八と北園克衛展」を見て驚いてしまった。北園にあんなに立派な兄上がいたとは知らなかったし、そこから北園の生い立ちや詩の構想過程をあらためて考えるきっかけができたのだった。分割と純化が及んでいる視覚の範囲は広く深く、これまでのように美術の近現代を流派などによって分類することが急につまらなくなってきた。
 と、きりがなくなってきましたが、明日から3度目の入院なので、この辺で。無事帰還できたら、また上のリストから選んで続きを書かせていただくつもりです。今年もよろしく。
(2014.1.6 うえだまこと

◆ときの忘れものは2014年1月8日[水]―1月25日[土]「瀧口修造展 機を開催しています。
245_takiguchi2014年、3回に分けてドローイング、バーントドローイング、ロトデッサン、デカルコマニーなど瀧口修造作品を展示いたします(1月、3月、12月)。
このブログでは関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。

●展覧会の感想から
<世田美の『実験工房展 戦後芸術を切り拓く』と岡本太郎美の『かたちとシミュレーション 北代省三の写真と実験』展を観てきたけど、どちらも観ごたえありましたねぇ!外苑前にあるときの忘れものでは瀧口展もやっててこの時期に併せて観れたのも良かった!>(将賢 さんのtwitterより)

カタログのご案内
表紙『瀧口修造展 I』図録
2013年
ときの忘れもの 発行
図版:44点
英文併記
21.5x15.2cm
ハードカバー
76ページ
執筆:土渕信彦「瀧口修造―人と作品」
再録:瀧口修造「私も描く」「手が先き、先きが手」
価格:2,100円(税込)
※送料別途250円(お申し込みはコチラへ)

瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHIの出品作品を順次ご紹介します。

takiguchi2014_I_27
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
「出品番号 I-27」
1962年
水彩、インク、紙
イメージサイズ:34.5×26.4cm
シートサイズ:38.0×27.0cm
右下に年記、サインあり

takiguchi2014_I_28
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
「出品番号 I-28」
水彩、インク、紙
イメージサイズ:35.5×24.4cm
シートサイズ:35.5×24.4cm

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宮脇愛子×植田実(作家のアトリエから1982)その三

ILLUMINANT SCENE 1 作家のアトリエから その三

空にドローイングするというそんな自由なものが欲しい

宮脇愛子×植田実(1982)

1982年7月14日宮脇愛子氏宅にて宮脇真鍮

植田 あと、質問が断片的になるんですけど、建築の中で仕事をされたのはやはりこの辺り(一九六〇年代初頭)になりますか。
宮脇 いえ、私が最初にやったのは剣持(勇)先生から頼まれた、例の東京会館のパイプの間仕切りですね。あれは剣持先生が瀧口(修造)先生のところで、私のこんな小さい作品をご覧になったのね。それがきっかけなんです。すごく面白いとおっしゃって下さって。
植田 ただあの時は、作品をポンと置くという感じでもなかったんですか。
宮脇 いや、あの時は場所を見に行って、ここに合うような作品をつくってくれといわれて。で、計算したんです。35階から向うが、こう見えるんじゃないかと。逆さまに蜃気楼のような感じで見えるんじゃないかということを一応想定したんです。
植田 じゃあ、もう建築とのつきあいはながいですね。やはり建築のなかで仕事をするというのは、何らかの影響はありますか。あるいは建築家との協同、あるいはもっと具体的に磯崎さんでもいいですけど、建築側からの考え方にいろいろと――。
宮脇 あんまりないんじゃないかしら。それほどやってないでしょう。例えばこれなんか(東京会館の作品)建築はまったく関係ないという感じで。だからむしろ磯崎の方が非常に合ってますよね。秀巧社の例みたいに。
植田 そうですね。磯崎さんも強引に組み込んでくるというか、そこに置いてくるという以上のものがありますね。
宮脇 建築というのは非常に広いでしょう。アートというのは建築と密接な関係があるし、例えばわたくし、卒論は桃山時代の障壁画をやったんですが、それはもう建築と美術とは切り離せないものですね。だから現代の建築もそうあってほしいですね。

限定された彫刻というのは つまらない
植田 建築というのは非常に実学的というか、システマチックに都市なら都市を考えるというところがありますよね。そうすると僕なんか建築やってる人とつき合っててどうしても影響を受けちゃって、自分がどっちか分らなくなっちゃうんですよね。建築の外の人と会ったりすると、おまえの属してる建築の領域はもっとしっかりしろと言われるし、建築の内では、おまえはどうせ文学出身だからというわけで、非常に中途半端なんですよね。まあ、それだけ影響を受けちゃうわけですが、その辺で彫刻の置かれ方で気になるのは、やはり建築が前程としてポンと置かれるとかですね、役割りというか、都市のなかにひとつ置くというかたちが、あまりどうもうまくいってないという気がするんです。で、宮脇さんの場合は、非常に特殊なかたちで、かなり深いところで建築なら建築と関わり合って、それで表現されてると思うんですね。その辺はどうなんだろうと。
それは例えば、さっきも出ましたこの《Golden Egg》に台座をつけるかつけないかという問題まで含んでると思うんですけどね。
宮脇 えゝ、私はこういう場合、これに台座をつけるとそれで限定されるんですよね。これだけだったら、置くということで完全に広いスペースを占領できるわけ。この“たまご”ひとつで。
植田 置いてある状態だけでね。
宮脇 えゝ、何でも限定するのが嫌いなのかもしれない。すごく自分がこう、不自由なせいか、自由が欲しい(笑)。だからこのワイヤーの仕事をFlying Heartじゃないけども、やはりDrawing in the airという感じでね、空にドローイングをするというような、そういう自由なものが欲しかったという。だから彫刻でも、いわゆる限定された彫刻というものはすごくつまらない。例えばそこにあるガラスの彫刻(割った板ガラスを何枚も重ね合わせた作品《MEGU》――光線の当り方によりイメージが微妙に変化する)でも、これもサイズとしては限られてますけども、これを通して深い海の底に自分が入ってゆくような、そんな感覚を見る人に与えることができればという感じで。拡がりというか、そんなものを常に欲しいんです。希望してるというか、切望してるという感じね、むしろ。(笑)
(了)
宮脇うつろひ

『PRINT COMMUNICATION No.84』 現代版画センター 1982年9月より再録
その一
その二
その三
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宮脇愛子新作展2013」もいよいよ明日が最終日です。
連日たくさんのお客様がいらしていますが、皆さん宮脇先生の「新作」ということで驚かれています。
出品作よりご紹介します。
出品番号1番
miyawaki_01
宮脇愛子"Work"
2013年
ミクスドメディア
イメージサイズ:47.5×41.0cm
シートサイズ :53.6×46.3cm
サインと年記あり

出品番号2番
miyawaki_02
宮脇愛子"Work"
2013年
ミクスドメディア
イメージサイズ:54.5×47.5cm
シートサイズ :56.7×47.5cm
サインと年記あり

出品番号3番
06
宮脇愛子"Work"
2013年
ミクスドメディア
イメージサイズ:45.5×43.5cm
シートサイズ :56.3×43.5cm
サインと年記あり

◆ときの忘れものは2013年12月4日(水)ー12月14日(土)今秋84歳を迎えられた宮脇愛子先生の新作ドローイング及び立体による「宮脇愛子新作展2013」を開催しています。
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●『宮脇愛子新作展2013』カタログを制作しました
表紙『宮脇愛子新作展2013』
2013年 ときの忘れもの 発行
16ページ
25.7x18.3cm
図版:16点

※現代版画センター刊『PRINT COMMUNICATION No.84』(1982年9月)に収録された宮脇愛子と植田実の対談を再録
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

宮脇愛子×植田実(作家のアトリエから1982)その二

ILLUMINANT SCENE 1 作家のアトリエから その二

空にドローイングするというそんな自由なものが欲しい

宮脇愛子×植田実(1982)

1982年7月14日宮脇愛子氏宅にて

植田 彫刻をやるというのはどうなんでしょう。さっきも話が出たんだけど、ひととおり材質、材料というものを考えられてるんでしょうか。例えばキレをつかうとか、粘土をつかうとか、そういう形で一応材料を想定してて、それで宮脇さんの場合は特に金属を使うという風に。版画も作られてますよね、エッチングを。あれは紙というものがでてくるんですけども。
miyawaki_douhangasyu1980_vi宮脇愛子
「作品 VI」
1980年
エッチング
29.8×12.3cm
Ed.50
サインあり

極小のなかに逆に拡大された宇宙が
宮脇 あれは紙というより、むしろ銅版に彫るという…
植田 そうですね。ではやはり銅版という金属があるということなんでしょうね。
宮脇 そう、私はやはりリトグラフなんかはあまり好きになれないんですね。
植田 それは面白いなァ。
宮脇 いつか、やりたくなるときが来るかもしれないけども、いまは版画のなかでは興味がないですね。
――実際に石に描く場合も含めてですか。
宮脇 えゝ、出来たものも含めて……エッチングの方が好きだなァ。
植田 多木(浩二)さんも言われてたけども、やはり宮脇さんのエッチングというのは極小の世界を描いてらっしゃるという、そんな感じがしますね。やはり極小というのは、細かければ細かいほど逆に拡大された宇宙がそこに見えてくるというような。宮脇さんの線というのは蜘蛛の巣みたいに切れそうなんだけど、逆に非常に強く感じますね。それが宮脇さんの金属彫刻とつながってるなァと感じるんだけど。ただ彫刻家と版画の関係というのは、宮脇さんの場合は独特だと思うんだけど、例えばそれこそロダンなんていうのは、彫刻のためのエスキースとしてモデルをたいへんなスピードで描いた絵が絵として残ってるし、関根(伸夫)さんとか若林(奮)さんですか、あゝいう方も理想としてはこういう風に作りたいというのを、規模や構造的な問題からみてかなり極端な形でスケッチされて、それが結果として版画になったりする。ところが宮脇さんの場合、それが彫刻のプランというんじゃないし、まったくイメージとしても彫刻作品とは別のもので、たしかにパイプが沢山並んでいる感じというのは似てるかもしれないけども、実はずい分違うと思うんですね。ところが、宮脇さんのエッチングと彫刻の質というのは、逆に他の彫刻家と版画の関係よりももっと近い感じがする。この辺の考えというのはありますか。
宮脇 完全にやはり好みでいきますけれど私は。好き嫌いですね。どうしてもそれ以外のものでは出来ないという風に。だから自分でかなり限定してゆくという――
植田 やはりすごく細かい世界を語られてるという?
宮脇 というより、むしろあの場合は「スクロール ペインティング」というのを毎日やってたでしょう。ある一定の時間、例えば午後の何時から何時まで、その時間は必らず筆をとるという、それは描くのが目的じゃなくて、集中力を養う時間をつくるというのが目的で何日もやっていたわけですけども。いまでも出来ればそれをやると非常に精神的にいいと思うんですけど。私の場合はそれがいいというよりその時は必然的にそれをやらざるを得なかったわけで、そこから始まってるわけですよ、それの続きですよね、エッチングは。

バッハのように流れていくもの
植田 あれが延々と、いわば無限に続いてるというような形で描かれてるということは特に意味はありますか。
宮脇 ありますね。初めがなくて終りがないという。私、もともと、ドラマチックな盛り上がりのようなものに興味がないんです。およそ演劇的じゃないんですね。この頃は早稲田小劇場にすっかり巻きこまれてしまってよく観るんですけれども、本来私の性質としては新劇とか、大げさな身振りとかは――。どちらかというと私は歌舞伎よりもお能の方が好きなんです。お能だったら何時間見てても飽きないんです。
植田 感じはわかる気がしますね。それはいわゆる造型という言葉、とくに造型作家という言葉があまりお好きでないという宮脇さんがいわれていることにも通じますね。
宮脇 そうです。だから音楽でもそうですけど、あまりバ・バ・バ・バーンというようなものは好きじゃないんですね、例えばベートベンみたいな。バッハのように何となく流れていくものの方が好きなんです。
植田 絵の方もそういう無限のかたちというのがありますね。
宮脇 えゝ、だからアクション・ペインティングみたいなバーッというのはどうしても好きになれないんです。
植田 宮脇さんの初期のチューブでやられた油彩の作品というのは、ひとつひとつやられてるんでしょうか。
宮脇 いいえ、あれはペインティング・ナイフを使ってるんですよ。
植田 でも、ひとつひとつ同じ形を繰り返し並べられてるでしょう? あれは僕は、もう誰かも書いてるかもしれないけど、まったく同じなんですよね、かたちが。殆んどね。それがまずすごいことだなっと思ってね。
宮脇 そんなことありませんよ。
植田 そうかなァ、そういう風に見えるんですよね。男がやると必ず乱れますよね。
宮脇 そんなにきちんとしているわけでもないんですけど、私は男がやると必ず乱れるというお説には賛成しかねるんです。
(つづく)
『PRINT COMMUNICATION No.84』 現代版画センター 1982年9月より再録
その一
その二
その三
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宮脇愛子新作展2013」より順次出品作品をご紹介します。
出品番号5番
miyawaki_05
宮脇愛子"Work"
2013年
紙に銀ペン
イメージサイズ:23.2×28.5cm
シートサイズ :29.8×42.0cm
サインと年記あり

出品番号13番
miyawaki_13
宮脇愛子"Work"
2013年
紙に銀ペン
イメージサイズ:30.7×25.0cm
シートサイズ :42.2×29.8cm
サインと年記あり

出品番号16番
miyawaki_16
宮脇愛子"Work"
2013年
紙に銀ペン
イメージサイズ:25.0×22.5cm
シートサイズ :42.0×29.7cm
サインと年記あり

◆ときの忘れものは2013年12月4日(水)ー12月14日(土)今秋84歳を迎えられた宮脇愛子先生の新作ドローイング及び立体による「宮脇愛子新作展2013」を開催しています。
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●『宮脇愛子新作展2013』カタログを制作しました
表紙『宮脇愛子新作展2013』
2013年 ときの忘れもの 発行
16ページ
25.7x18.3cm
図版:16点

※現代版画センター刊『PRINT COMMUNICATION No.84』(1982年9月)に収録された宮脇愛子と植田実の対談を再録
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宮脇愛子×植田実(作家のアトリエから1982)その一

ILLUMINANT SCENE 1 作家のアトリエから その一
宮脇愛子×植田実(1982)


空にドローイングするというそんな自由なものが欲しい

アトリエというところは妙な場所である。単に仕事場とだけいうのなら、もっと事務所的な味気なさが感じられる筈だし、あくまで作家個人の創造のための厳粛な空間とするなら、こんなにまで第三者の心を躍らせる筈がない。実際、アトリエという空間には、この奇妙な興奮と好奇心、そして一種の緊張感と安堵感が満ちている。そこでこれから数回に亘り、そのアトリエに作家を訪ね、ものが生まれる現場からのインタビューをお届けしようと思う。インタビュアーは建築誌『GA』の編集者で建築・都市論を中心に評論、エッセーも多い植田実氏。美術という枠を超えて、作家の世界がどのように映し出されるかに注目したい。

●ヨーロッパ、アメリカ旅行から帰られたばかりの宮脇さん、最近はずっとお元気だと思っていたけれど、元気すぎてちょっと無理をしてしまったらしい。パリで体調をくずされたとかで、あまり良い状態でのインタビューではなかったようだ。軽井沢へ静養へ行かれるので出来ればあちらでという宮脇さんの希望だったが、そこを無理に時間を割いて頂いた。インタビューはしばらく病気のこと、ベニスやパリでの話などを間にはさんで進行したが、途中、腹ごしらえに寄ったソバ屋さんでもテープを回したので多少前後するところもある。少しかわった病み上りインタビューとなった。 1982年7月14日宮脇愛子氏宅
photo by 酒井猛6001982年7月14日
撮影:酒井猛

石だって重いから みんなギックリ腰になる
植田 御茶の水にいらした頃は、お住まいの一隅がちょっとした仕事場になっていましたね。遊びにうかがったついでに、材料や道具の置かれているのを見るのはなかなか楽しいものでしたけれど、今はアトリエをお住まいから完全に切り離していらっしゃるわけ?
宮脇 駒込にね。いらしたことありますか。六義園のそばだから、今日あたり行くと涼しくて良かったかもしれなかったんですが――。
植田 アトリエには規則的に通っておられるんですか。
宮脇 えゝ、まあ、そうですね。自分一人になれるでしょう、電話もないから。
植田 駒込では材料に触ってられる時間がやはり多いのかな?
宮脇 そういうことが多いですね。それからドローイングしてるときとか、ボンヤリしてるときが多いかしら。
植田 製作のときは、宮脇さん御自身が材料に触れられる?
宮脇 もちろんです。材料を自分でさわれないということはさびしいですから。手を使わないでいると、フラストになってしまいますね。
植田 このところずっとお元気だったし、一昔前よりかえってお若く見えるくらいで、宮脇さんの作品について書く人はついそんなことにも触れてしまうという感じがあったほどですが、今度のヨーロッパ旅行ではお元気すぎて無理をしてしまい、それでダウンされたんでしょう。
宮脇 本当にそうなんです。夜おそくまで楽しくやりすぎて。それで磯崎(御主人の建築家・磯崎新氏)なんかは、罰が当ったんだ、だから同情はしないって。(笑)
植田 彫刻家の方に対しては、とくに健康にされているかどうか気になりますね。ただ病気をしていない、というだけじゃすまない、もっと体力的にも積極性が感じられるような健康が必要でしょう? とくに、宮脇さんは金属を多く扱っていらっしゃるけれど、石や粘土とくらべ、金属というのはとくにきつい材料だなって気がするんだけど。
宮脇 石だって重いでしょう。みんなぎっくり腰になるわね。(笑) 鍛え方が足りないのかな。

もともとは灰皿の《Golden Egg》
植田 宮脇さんが電気ドリルやハンマーを使われるのはどこか痛々しくて。関根伸夫さんの顔や身体つきで大きな石を扱うというのはぴったりくるんですけど。(笑)金属のきつさというのは、重さや硬さとは別に、もうひとつ何かあるような気がするんですけれど。鋭い切り口をもっていたり、弾性があったり、表面が錆びたり……宮脇さんは、当面は金属中心ですか。
宮脇 石もありますけど。石は……そうですね、嫌いじゃないし、1972年の《Listen to your portrait》は自分のお墓のつもりでつくったんですけど、今でも好きな作品のうちの一つです。ただ、いまは線の仕事に興味がありますから、まだまだこれを追求していきたいんです。
植田 《Golden Egg》というのは、どういうところから出てきた作品なんですか。
宮脇 あれは自分ではじめに型を粘土で作ったんです。最初は正式なディナーの時のテーブル用の灰皿として、あんまり目立つのも目障りだし、ちょっと気にならないものとして考えたんです。
植田 それは意外だ。あれはもともと灰皿なわけ?
宮脇 もともとはそうなんですが――。あんまり奇麗に磨いたんで灰皿には勿体ないということから“げいじゅつひん”になってしまったんです。それと《Golden Egg》というのは、一種みんなの夢でしょう。だからそれのパロディのつもりなんです。
植田 なるほど、じゃあ最初は半分だけだった? じゃなくてあくまでペアの状態?
宮脇 ペアだったんです。
植田 それで”黄味”は抜いてあるわけでしょう?
宮脇 そうです。このあいだアメリカに行ったら、黄味も作ってくれよと言われまして。とてもたい変だと私が言ったら、それはわかるけど、片方に黄味を作って、それでこうのせたいというわけね。(笑)いま研究中なんです。それで、その話で傑作なのは、去年のヘンリー・ムア大賞展に招待されて大きな作品を出品していたでしょう。そしたらフジテレビが、フジ・サンケイグループ広告大賞のトロフィーを作ってくれと言ってきたわけ。それでうつろひの線のトロフィーをはじめにつくったんです。そうでなければ私がつくる意味がないでしょう。そしたらそれでは品が良すぎて影が薄いというわけ。で、たまたま”たまご”が置いてあったので、じゃあこれトロフィーにしませんかと言い出した。
植田 あれをですか。トロフィーだから台の上にのっけるわけですか。
宮脇 そうなの。まるでキッチュよね。そしたら磯崎が面白がって、そこがいいとこだよってね。で、それを後から見るとお坊さんの頭みたいでしょう。それがけっこう評判でして、授賞式には私は出なかったんだけど、みんな欲しがってたらしいんです。
――立ってるわけですね、“たまご”は?
宮脇 立ってるわけ。
植田 それほどの評判だったのなら、今度の作品もすごく売れるんじゃない?(笑)
――今回のは台座はないんですか。
宮脇 もちろん台座なんか無い方がずっと素敵でしょう。ただ、売れるかどうかは知りませんよ。(笑)

●大きな丸テーブルの上にペアになった《Golden Egg》をのせて話をすすめる、初めて手にとってみた植田さん、その意外の重さに少しびっくりした様子。
宮脇愛子golden Egg
宮脇愛子「Golden Egg(A)」

(つづく)
『PRINT COMMUNICATION No.84』現代版画センター 1982年9月より再録
その一
その二
その三

*画廊亭主敬白
先日もご報告した通り、当初は来年春に予定していた新作展ですが、病み上がりにもかかわらず宮脇先生のモチベーションがきわめて高く、次々とハイレベルなドローイングが完成した。
急遽年末開催が決まった次第でカタログは無理かなあと迷っていたら、「簡単なパンフレットでもいいからつくらないと何も残らない、駄目よ。」と宮脇先生にお叱りを受けた。
どなたかにテキストを依頼するのも時間的に厳しい。そこで思い出したのが、亭主が刊行していた現代版画センターの機関誌『PRINT COMMUNICATION 版画センターニュース』に連載した植田実先生のアトリエ訪問記だった。第一回が宮脇先生で第二回は草間彌生先生だった。いずれも単行本類には未収録なのでこの機会に今回のカタログに再録することにしました。
今から30年前の若いお二人の姿がすがすがしいですね。
このブログでも今日から3回にわけて再録します。

12月7日の宮脇先生を囲んでのレセプションには私たちが驚くほどのたくさんのお客様が来廊されました。
DSC00452
2013年12月7日
上掲対談から30年後のお二人。

DSC00407
2013年12月7日
宮脇愛子展レセプションにて
槙文彦さんご夫妻と山本理顕さん(右)。

宮脇愛子新作展2013」より順次出品作品をご紹介します。
出品番号4番
miyawaki_04
宮脇愛子"Work"
2013年
紙に墨と銀ペン
イメージサイズ:32.2×49.6cm
シートサイズ :33.4×49.6cm
サインと年記あり

出品番号9番
miyawaki_09
宮脇愛子"Work"
2013年
紙に墨と銀ペン
イメージサイズ:49.5×39.7cm
シートサイズ :49.5×39.7cm
サインと年記あり

出品番号10番
miyawaki_10
宮脇愛子"Work"
2013年
ミクスドメディア
イメージサイズ:52.5×46.1cm
シートサイズ :52.5×46.1cm
サインと年記あり

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◆ときの忘れものは2013年12月4日(水)ー12月14日(土)今秋84歳を迎えられた宮脇愛子先生の新作ドローイング及び立体による「宮脇愛子新作展2013」を開催しています。
1

●『宮脇愛子新作展2013』カタログを制作しました
表紙『宮脇愛子新作展2013』
2013年 ときの忘れもの 発行
16ページ
25.7x18.3cm
図版:16点

※現代版画センター刊『PRINT COMMUNICATION No.84』(1982年9月)に収録された宮脇愛子と植田実の対談を再録
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美術展のおこぼれ42「恩地孝四郎展」

植田実のエッセイ
美術展のおこぼれ42


「恩地孝四郎展」
会場:ときの忘れもの
会期:2013年6月25日―7月6日

恩地展案内状

 木版が中心なのは当然だが、素描、水彩、オフセットも各1点ずつ、あわせて20点足らずという規模なのに、1910年代、20年代、30年代、40年代にわたる制作年のスケールが張り渡され、作品傾向も多角で、見始めるときりがない。何度もくりかえし見てまわることになる。
 けれども恩地孝四郎という人について、その生涯の作品展開を時代を追ってたどってみたり、時代と作品傾向との関係を意識したりすることは、私はじつはこれまで一度もなかった。その形態と色彩のモダンな斬新さと盤石の安定感を、いつも「いいなあー」と漫然と楽しむばかりで、彼は初めから終わりまで太陽の如くその恵みが変わらない恩地孝四郎であり、彼にとっては紆余曲折なぞありえない、みたいな気分で接していた。それがこの企画展を機にガラッと変わったのである。
 昨年の暮だったが、ときの忘れもので、新しく刊行された桑原規子著『恩地孝四郎研究―版画のモダニズム』(せりか書房)を見せられ、そこにおられた著者にも紹介されて、即座に1冊を買わせてもらったものの、A5判576ページの大著である。おまけにブックデザインが峻厳さではダントツの中垣信夫(当然ハードカバーの角背)。頂上を見上げるばかりで麓から一歩も進めない。チャレンジしても数ヵ月はかかるだろうと思いつつツンドク状態になっていた。
 それからまもないこの時期に恩地展が開かれ会期中に桑原先生のギャラリートークがあるというので、その前に少しでも目を通しておこうとおずおずと読みはじめたら、あまりの面白さにすらすらと最終章まで行ってしまった(とはいえ2日間を要した)。
 この研究書をどれほどうまく要約したとしても、本文そのものの文体が帯びている理解へのスピード感とより大きな日本近代美術全体へと向かう開放感には敵わないと思う。それほど読んでいて気持ちのいい記述であり、いいかえれば恩地孝四郎という一作家の解明が即、この100年の日本の美術界のありようへの展望になっているのである。これまでの美術館における企画展とその図録というセットというルーティン化した観賞体験が、小さな画廊での展示とその画家の決定的な研究という組み合わせにとって替わったみたいな。

 もうひとつ、この恩地展によって思い出したことがある。かつてアルス(編輯兼発行者:北原鐵雄)から「日本兒童文庫」というシリーズものが出されていて、その表紙を恩地がデザインしていた。第50巻(1928年発行)が理学博士・正木不如丘著『身體と食物』で、恩地は表紙だけでなく口絵と本文の挿画まで担当している。人体の仕組みが分かるように各部位に区分し、それを人造人間として組み立てる作業を通して子どもたちが身体と食物との関係を学ぶ、といった筋立てになっているのだが、私はこの西瓜頭の人造人間が大好きだった。食物の食べ方の項では「ゆっくりよく噛んで食べましょう、あとはしっかり歯を磨きましょう」に共感し、挿画を真似て口中を飛ぶ(!?)バイキンの絵を描いて洗面所の鏡の横に張ったものだ。やがてそのまま学童集団疎開に出かけたので、小学2、3年のころだったのだろう。
 戦災で私のバイキンの絵も日本兒童文庫も失われたが、ずっとあと、今からたぶん20年ぐらい前に、神保町の古書店で見つけて買い戻したのだった。そのこともすっかり忘れていたのを思い出し、半日がかりで書庫のなかから探し出した。いま見直しても、子どもでも描けそうなシンプルな線なのに計り知れない不思議感の魅力は変わらない。それは当時の絵本作家(「講談社の絵本」の梁川剛一とか)や少年小説の挿絵画家(「亜細亜の曙」の樺島勝一とか)とはまた別に、子どもたちに呼びかけていた画家の存在を教えてくれる。私は人生の初めに恩地孝四郎と出会ったのである。

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(2013.7.4 うえだまこと)

美術展のおこぼれ40「生誕120年 木村荘八展」、41「生誕百年 桂ゆき―ある寓話―」

植田実のエッセイ
美術展のおこぼれ40


「生誕120年 木村荘八展」
会場:東京ステーションギャラリー
会期:2013年3月23日―5月19日

20130323木村荘八展 表20130323木村荘八展 裏

 本業の建築関係の用事に振りまわされて、ちょっとのあいだこの欄を休んでいたつもりが、気がついてみると4ヵ月以上も空いていたのに驚いた。理由はほかにもあって、同じときの忘れものでの連載「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」に気持ちが入りこんでしまってなかなか脱け出せない。
 それも、そろそろ終わりが見えてきて、第12回では竣介が編集・発行した月刊誌『雜記帳』(1936年10月―39年12月)を読みはじめている。その第5号(37年2月号)に木村荘八がデッサンとエッセエを寄稿している。「降誕祭 夕」と題されたそれは、三田通りのレストラン内の賑わいを洒脱なタッチで描き、クリスマスという行事は「日本の、西洋好みの、餘程烈しい一つの異例として、後世の史家に點檢される現象でせう。實は却つてクリスマスは段段すたるんぢゃないかと思はれます」と書いている。いまの日本でも相変わらずのクリスマス騒ぎを見たら、画家はどう思うだろうか。
 竣介は東京生まれではあるが、物心がつく前に家族とともに岩手に引越し、東京に戻ってくるのは17歳のときだから、彼の描いた東京風景は初めて遭遇した新しい世界を散策者としてあるいは旅人として、あるいは異邦人としての詳細かつ発見的な記録、つまりは外から見た風景といってもいい。
 これにたいして竣介よりほぼ20歳年上の木村荘八は東京日本橋の牛肉店「いろは」で生まれ、その家業の環境のなかで育つ。ハイティーンのころは萬鐵五郎や岸田劉生など当時の前衛にたいする意識が強かったようだが、1930年代に入ると≪歌妓支度≫、≪牛肉店帳場≫、≪浅草寺の春≫など、私たちにとって親しい「荘八の世界」が現れてくる。彼は40歳を迎えている。あまりにも自分そのものの記憶であるために外部において成立する作品としては本来は描けないものを描くために、いいかえればたんなる「懐しさ」に堕さないために、荘八は記憶に虚構性あるいは記憶から微妙に隙を空けたシナリオを介入させることによって懐しい光景を強靭化した。いや、内側からの東京を辛うじて絵にすることができたというべきか。
 そして荘八が『雜記帳』に寄稿した1937年は、あの『濹東綺譚』の挿絵が登場した年でもある。今でも受け継がれている新聞の連載小説に説明的な絵をつけるという形式にとくに人物描写は見事に応えていると同時に、家々やまちの様子はたんなる説明をこえた異常な密度で描き込んでいる。硬質な線を銅版画のように張りめぐらし、小塔が並び連なるような家並み、どの路地にも共通する底知れない奥の気配は、ドイツ表現主義の絵画や映画のセットみたいに、ただの写実を突き抜けるような迫力がある。でもそれは紛れもない東京の今は失われた風景なのだ。荘八の内側からの東京の描きかたを、そのように辿るしかない。
 生粋の東京人、風俗画の名手などと呼ばれる木村荘八像はある意味で明快である。絵も文章もシャキッとしている。でも本当は幻視の人ではなかったか。絵になり得ない絵を、空しいまでに、しかし決してあきらめずに見続けていたのではなかったか。それを裏づけるように思われるのが最初期から最晩年まで断続的に描き継がれていた油彩である。1910年代の≪日比谷公園≫、≪虎の門付近≫、≪窓外屋根≫、≪樹の風景≫、≪坂のある風景≫、≪大学構内≫、20年代の≪於東京帝大構内≫、そして40年代50年代にかけての≪庭日沒≫、≪風吹く≫、≪窓外風景≫、≪和田日沒≫、≪新宿遠望≫等々、建物や樹木を一応題材としているが、いわゆる絵画としての構図や筆致が支えようもなく押し流され消失する瞬間だけを捉えている眼差し、いいかえれば風景が風景としてある根を刈り取って、自律的な諧調の色彩や輪郭線という要素にシフトし、その結果として建物や樹木を写実の外に生かしている眼差しを感じてしまう。眠りから目覚めた瞬間、それまで唯一の現実だった夢がもう絵にも文章にもとどめられない感覚に近いというか。作品タイトルにもうかがわれるように、風の、日沒の、遠くの、窓外の一瞬を追っている。すなわち自分の内側を幻視している。
 ごく当然のものとして自分が生きてきた時間を突然眼に見える絵画として考えたとき、どういう折り合いがつくのか。木村荘八の作品は切実で不思議な位相のなかに見えてくる。
(2013.5.22 うえだまこと)

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植田実のエッセイ
美術展のおこぼれ41


「生誕百年 桂ゆき―ある寓話―」
会場:東京都現代美術館
会期:2013年4月6日―6月9日

20130406桂ゆき展

 その第1室に入るなり嬉しくなった。最初期の日本画習作やコルクのコラージュと並んで、松本竣介の編集・発行による『雜記帳』のために描かれたデッサン2点と習作1点が壁にある。桂ゆきは引き裂いた風景写真や布やコルク片をランダムに、だが椆密に貼り合わせる試作を手がけ(海老原喜之助がそれはコラージュという手法なんだよと彼女に教え、その初個展を支持して実現させたエピソードは素敵だ)、それをそのまま克明に描き写してもうひとつの作品としている、その最初(たぶん)のデッサンが『雜記帳』に寄せられたのである。今回展示されているその原画は、新しい時代をどんな先入観も知識もなしで彼女が直感的に捉えた兆しでもある。『雜記帳』の誌面のフレッシュな感触もさらに生きいきと蘇ってきた。
 この画家の名を知ったのは≪進め≫(1952? 今回は展示されていない。人参を鼻先にぶら下げた馬の絵柄。図録にはそれが花田清輝の著書『政治的動物について』のジャケットに使われた写真が載せられている)≪みんならくじゃない≫(1954)、≪虎の威を借りた狐≫(1955)などによるが、それは桂ゆきという名だけにとどまらず、私にとっては大きな窓が開いて見えてきた戦後の新しい絵画の名でもあった。今回の回顧展では彼女の一貫した手法がじつはすでに1930年から、そして最晩年の90年までほとんどブレることなく高いテンションを保ったまま維持されていたことをあらためて教えられる。いいかえれば桂ゆきのどの時代もどの作品も文句なく私は好きなのだが、でもベストはと言えば上の3点あたりになってしまう。
 「あるとき二階から屋根瓦を目近く見下していて、あるショックみたいなものを感じた。同形の瓦の起伏が規則的に際限もなくひろがっている、といっただけのことだったが、私は瓦とは関係のないある画面みたいなものを予感して、なんとなくガタガタ身がふるえた」(『美術手帖』1979年7月 今回展図録に収録)と画家自身が回想する特異な視覚によって、コルク片はもとより木株、着物の布地、新聞紙、花、野菜、魚からなんでもかでも全て押しつぶしたような細密な断片が「際限もなく」集積されてゆくのだが、それらは真っ当な作品へと傾斜しているといっていい。そして時代を追ってさらに自由闊達な昔話的色合いを帯び、大根や薩摩芋や人参や野の花と共棲する、桂キャラとでも呼べそうな、とぼけた目玉の愉快な鳥や動物や、そのなかに同化していく生きものたちの別天地もつくり出されている。マンガチックでもあり、とんでもなく楽しい。
 けれども上の3点、つまりスーパーリアリズム風に描かれた籐の籠や藁編みの綱のかたまりが突然パカッと割れて、いたずら描きみたいな単純な線の馬や狐につなげられる独自の分割と連結は、絵画でもマンガでもない、桂だけの世界が決定している。そこでは細密描写の重厚と単線描きの軽妙とが同じ力でぶつかり合っているように見えながら、全体はいわばいたずら描きの方向性に支配されている。むしろ細密描写がその方向へと加速しているのだ。
 結果としてその絵はあるメッセージを伝えようとしているのだが、私はそうした解読にうかうかと乗じたくはない。どうしたって権力への告発とか諷刺とかいった常套的な見方に陥ってしまうからだ。そんなものを超えて彼女の作品のすべてに漲る、子どもでも分かる幸福感、その絵を見る幸福感というよりその絵と一緒にいる幸福感をこそ、まったく別のアングルから解読したいのだが手がかりがまだ見つからない。とりあえず考えたのは、今回の展示会場にたくさんの椅子やベンチ(背のあるのがいい)をバラバラの向きで配置する。作品観賞にはこれまでどおりの動線を確保して、それとは別に桂ゆきの作品のある空間をひとときでも生活できる場所に切り換える。美術館的展示では見えにくい桂ゆきの身体性を、それなら感じることができるんじゃないか。そんな空想に襲われたのだけれど。
(2013.5.25 うえだまこと)
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*久しぶりの植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、二回分を一度に掲載させていただきました。ともに松本竣介の『雜記帳』に関連した記述があり、著者の意向で一挙掲載となりました。

◆植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、随時更新します。
  同じく植田実さんのエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は毎月15日の更新です。
 「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。

美術展のおこぼれ39 "Ryuji Miyamoto, Look in Twilight"

植田実のエッセイ
美術展のおこぼれ39


"Ryuji Miyamoto, Look in Twilight"
会場:TARONASU
会期:2012年9月28日―10月27日(終了)

 TARONASUの空間は手強い。
 地下の展示室に降りてゆく鉄の階段からしてまず私のような年寄りにはかなり危険で、手摺りを唯一の頼みにしながら見下ろすそこは、古いビルのコンクリート壁をひたすら白く塗りまわし、固い床には椅子ひとつ置いていない。展示されている作品の作家の紹介とかメッセージとかもない。と書いていると、階段の鉄とかビルの古さとかはほんとうにそうなのかあやふやになってくるのだが、何も無いことは確かである。ものや文字の不在が堅固に形づくられていて、それだけがハーケンのごとく頭に打ち込まれる。そんな空間に作品がある。
 白く粗い壁面を大きく見せて30点近くの写真が間隔をあけて架けられている。しかもみな寸法が1対3ぐらいの長方形で縦位置だ。まず目に付いたのが東京スカイツリーを撮った写真で、左右の家並みの先に足元から天辺まで縦長の画面にすっぽりと収まっている。
 どんなカメラを使っているのだろうか。ずいぶん前に同じような長方形の写真をかんたんに撮れるカメラが出まわったり、いま若い人たちが持っているキカイなら絵巻物みたいに長い写真もすぐ撮れるので驚いたが、とにかく面白い道具で面白いものを気楽に撮ったのかと、スカイツリーの写真だけを見るとそんなふうにも思える。
 だがそのほかは、どこかの道やとりとめない家々、金網のフェンスとその奥のグラウンドのような広がり、水面、島とも岬とも思える場所、ハングル文字の看板が見える路地、手前に鳥居の一部とその先に祭礼提灯を飾った古い瓦屋根、等々、カメラはとりたてての撮影対象とは思えないもののあいだを気の向くまま、あてもなく歩いているようにみえる。あ、こんなもの見つけたという瞬間さえも感じられない。けれども次第にある感情があふれてくる。場所はどこか分からないが、みな日本国内? いや案外スカイツリー周辺かもしれない。とすると縦長の画面が短冊形にも見え、最新のタワーが昔むかしの建物とも思えてくるが、そんな幻覚に転写されてしまうことはない。あくまでストレートな写真である。
 群生する花々があり、その白い一輪が中央に大きくクロースアップされた写真を帰る前にもう一度見直したとき、これらの写真すべてが青い闇のなかに沈みかけているような、同時にわずかな光がそれを捉えてこちらに見せているような、共通の色調と光とを初めて強く意識した。
 いいかえれば立ち上がってくる深い青と、そこから逃れつつ投げ返してくる切実な光が、帰宅しても頭のなかに残っていた。さらに冥さ明るさが純粋培養されて自身の感覚として生きはじめたといってもいい。でも懐かしさといった気持ちに落ちつくわけではない。「むかし、いつか」でも「旅先、どこか」でもなく、「いま、ここ」の思いがけない潤いがある。
 画廊からの案内をあらためて見直したとき、自分のうかつさに気がついた。
 写真1点をそのままのプロポーションで印刷した縦長のポストカード(296x105mm)である。それを机の前においてずっと眺めていたのだが、その裏側にある宮本隆司の名とTARONASUの会場だけを知って私は出掛けたのだった。今回展のタイトルは見ていなかった。こうあった。
 「薄明のなかで見よ」
 ほかに写真家から画廊からのメッセージは何ひとつないが、これ以上の言葉はいらない。すべてが腑に落ちた。もう一度見たくなって数日後また浅草橋まで電車に乗り、その大迫力のガード下ぞいに歩き神田川を渡った。画廊の入口はビルの壁ぞいを辿るやや奥まったところにある。その壁にRyuji Miyamoto, Look in Twilightの文字が直接印字されていた。前に来たときはこれにも気がつかなかったのである。入った右手にとても雰囲気のあるオフィスと受付があり、正面に例の恐るべき階段が地下ギャラリーに倒れ込んでいる。この内装は青木淳による。何度来てもその洒落っ気と緊張感は変わらない。
 たしかに写真はすべて薄明のなかにある。夜明け前というより日没後のわずかな残光という印象が私には強いのだが、このときに見えるものの絶対的なありようは誰にでもすぐ理解できるだろう。これって世界の見えかたの発見ではないのか。ある時間帯を切りとって撮影したことがテーマではなく、より普遍的な「見える」ことの定理への帰結を、この一連の写真は伝えている。かつて宮本が「廃墟」の発見によって建築あるいは世界像を定理したように。
 いま「ときの忘れもの」で連載を書かせてもらっている「松本竣介を読む」のなかで、松本の油彩≪街≫についてこう書いたことがある。「微妙に明かるい。この青味は一日の終わりに近い時間のようにも思える。光が失なわれつつある直前、逆に目の前に拡がる光景のすべてが鮮明に判別できる」。これ、ちょっとした気づきにすぎなかったのだが、宮本は30点ほどの(多分)スナップショットで「見える」ものについての内実を「薄明」の発見を通して豊富化している。それを一切の説明抜きで見せようとしたのだ。
 何年か前にこの画廊で、若き日の宮本がニューヨークの下町に入りこみ、辻々の交叉点で360度の映像を撮影した記録を見たことがある。いかにも彼らしいプロジェクトだが、ひとりではなく誰かを連れて行った。でないと撮っているあいだに路上に置いた機材や荷物を持っていかれるおそれがあったからと言う。そういう環境がよく伝わってくる映像の終わり頃に、突然路地のいちばん奥に双対の世界貿易センターが現れる。彼自身もすっかり忘れていたらしく、この思いがけない貴重な記録に嬉しそうだった。いまは国際的な写真作家が超ポピュラーな東京名所を、むつかしいことなんか言わずに面白いカメラで平気で撮りに行く。私がニューヨークの映像を思い出した所以だが、そこで彼は「薄明」に気がつく。風景を構成する道や家、金網のフェンスや鳥居、水面や花の内部に放たれる一瞬の運動としての色と光。それらは縦長の、狭窄的な視界に切り取られているために、風景はいっときも定住できずにあわただしく過ぎて行く。空間枠が移ろう時間をつくり出しているのだ。それに気がつくや彼は、無邪気な撮影から一転して世界像まで一気に急滑降してしまう。これはこちらの勝手な思い込みではあるが、今回のシリーズは、予想をはるかにこえてますます宮本隆司の写真である。私にとっては彼の作品という枠さえ外れて、自分の体験や記憶が世界内事件のように蘇ってきた幸福感をうまく言い表せないのが残念だ。会期が終わってしまったところでの報告も残念だが、また見られる機会がいつかくるでしょう。
(2012.11.4 うえだまこと
600600


後記
 上の小文を書いた2ヶ月後、つまり今年の1月5日、私は宮本隆司のアトリエにいた。あの一連の写真はピンホール・カメラで撮影したと教えてくれたついでに久しぶりに会おうということになったのだ。彼のアトリエは初めてである。そこで見せてもらった厚紙製のカメラももちろん初めてである。
 くわしくは『アサヒカメラ』2012年11月号に宮本が書いている(190−91ページ)ので興味のある方はぜひ読んでいただきたいのだが、スイスのバーゼル在住のグラフィックデザイナー、ペーター・オルベの手づくりカメラで、これを使って写真を撮ってほしいと、いきなり彼から依頼があったのだという。
 宮本という写真家はとくに廃墟やホームレスの住まいを撮った作品で知られるが、私がある意味ではそれ以上に驚嘆したのが、小屋状のピンホール・カメラのなかに自ら入りこんで壁・天井・床に感光紙を貼りめぐらし、自分のシルエットとともに周りの風景を写しとった巨大な写真である。その発想・行動力・出来上がった写真の美しさをことごとに人に吹聴していた。なのに今回は、ピンホールによるとは頭のなかをかすりもしなかったとは。オルベのカメラはフローニーフィルムを使用する。ピンホールといえば直接感光紙を使う1点限りの写真と思いこんでいた。TARONASUの会場では大小2種類のサイズになっていたので、気づきからますます遠ざかったのだろう。
 でも予備知識がなかったからこそ写真そのものをよく見ることができたと思う。上の文章で直すところはとくにない。やや長時間露光になるので当然、三脚に帯ゴムでカメラを固定したというから、文中の「(多分)スナップショットで」という一節はその点では間違いだが、「薄明」の寸陰の変容を瞬時にとらえるという、そこではカメラではなく人間の眼に気持ちが移っていた、というしかない。
 言いわけがましくなりました。宮本隆司とのはなしはとてもおもしろかったのだけれど、それは別の機会に。「美術展のおこぼれ」は月数回の更新となっていますが、このところ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」にかかりきりになり、おまけに本業の建築関係の編集と執筆が年末年始を通して修羅場化しているので、しばらくはサボリがちになりそうですが、とりあえずは明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
(2013.1.9. うえだまこと

美術展のおこぼれ38「メトロポリタン美術館展」

植田実のエッセイ
美術展のおこぼれ38

メトロポリタン美術館展

会期:2012年10月6日―2013年1月4日
会場:東京都美術館

 ついこのあいだ「大エルミタージュ美術館展」を見たとき、サブタイトルの「西欧絵画の400年」という数字に威圧されたが(「おこぼれ」34)、対するアメリカの大美術館展のサブタイトルは「大地、海、空―4000年の美への旅 西洋美術における自然」である。メソポタミアのブロンズ装飾(紀元前2600−前2350頃)あたりから、杉本博司の≪ボーデン湖、ウットヴィル≫(1993)あたりまでを網羅しているので、4000年でもまだ控えめな数え方なのだ。いささか怖気づいたが展示構成がよくできていてけっこう楽しかった。
 エルミタージュ展が、16、17、18、19、20世紀と五つの部屋に明快に分けていたのがとても見やすかったのだが、こちらはテーマ別の構成で、
第1章 理想化された自然
第2章 自然のなかの人々
第3章 動物たち
第4章 草花と庭
第5章 カメラが捉えた自然
第6章 大地と空
第7章 水の世界
 これがさらに細分されて、全13セクションをそれぞれ時代を追って見ることになる。今回の展示作品は全133点、各セクションに割り振られた作品は5−16点で平均約10点。その意味では多くはない点数のなかに長い歳月が凝縮している。たとえば第2章2部「狩人、農民、羊飼い」では紀元前14世紀エジプトの大麦のレリーフから始まってゴッホの油彩に至る。第6章3部「空」では12世紀頃のフランスの天使の柱頭を起点としてオキーフが描く骨盤の空洞ごしの青空までを辿る、という具合に。
 セクションごとの古い時代から近・現代までの流れがスピーディで、次々とテーマが切り換わっていく。あわただしく思えるかもしれないが実際に会場を歩くうちに悠久たる時のリズムに乗っている。彫刻、工芸品、タピスリーなど、絵画主体の展示だとどうしても補完的に見えてしまうジャンルのものもこういう構成のなかではうまく織り込まれて興味深く見ることができるし、またこれまであまり知らなかったアメリカ人作家たちの仕事がとても新鮮に思えた。たとえば、トマス・コール、アッシャー・B・デュランド、トマス・エイキンズ、チャイルド・ハッサムなど。ヨーロッパの絵画を受け継ぎつつ、それとは違う風景の感触に切り替えている。19世紀アメリカという時代が垣間見え、メトロポリタン美術館の大きさが序々に迫ってくる。
 当美術館中世美術部門・クロイスターズ美術館担当部長のピーター・バーネットが図録の序論を書いているが、その前半の具体的な沿革史で、いろいろなことがよく分かった。たとえば1960年代の館長トマス・ホーヴィングが企画した「ブロックバスター展」(大量の観客を動員する大型展)には当時批判の声も挙がったが、今日では馴染み深い。ほかの美術館でも当然のようにやっているその源流がここにあったのだ。ニューヨーク5番街の小さなビルからスタートした美術館がおよそ100年後には現在の、ハント父子やマッキム、ミード&ホワイトによる壮麗なボザール様式の建築に成長し、さらにローチ、ディンケルー&アソシエイツによるガラッと現代調の増築棟が加わるが、このローチらを起用したのもさきのホーヴィングだという。建築的側面についてもこのように最小限言及されている。
 敷地20万屬里覆に建つメトロポリタン美術館の所蔵品は17学芸部門、約200万点。その「百科全書的な広がり」のなかで選ばれた133点は「時系列の提示では、あまりにも散漫になってしまい、魅力的に見せることはできない」ので、上記のような「ゆるやかな方法で枠にはめる必要性があった」と。東京都美術館学芸員の中原淳行の写真セクションについての論文以外は、メイン論文はこのバーネットの「序論」だけである。これも多くの図録のルーティン編集から脱け出して、あとは巻末の作品解説にすべてをゆだねている。執筆者はメトロポリタンのスタッフ40名。
 なんだか数にやたらこだわっているが、この解説がじつに読み応えがあり教えられることが多い。つまり厖大な所蔵品のなかから133点を選び出し筋道をつけるまでの重みがひしひしと伝わってくるからである。解説というよりひとつひとつが掌編論文だ。全体を見渡す総論をいくつも立てるよりもこれらの小さな各論の単位の集積が、あらためてひとつひとつの作品の奥行きを見直す仕掛けになっていて、それが今回の「大地、海、空」展である。日本人にとっては身近な、いや身近すぎてこれまでやや安易にテーマづけしてきたともいえるジャンルだ。この枠にそって日本の美術館や寺院や個人が所蔵している日中韓美術の「大地、海、空」空想展を考えてみたくなった。ハンディとして国宝、重文クラスまで動員すればゼッタイ負けないんじゃないか。
 今回展のなかであえて1点だけ選ぶとすれば、私はティントレットの≪モーゼの発見≫(1570年頃)ですね。滅多に実物を見る機会がないからでもあるが、この作品はとりわけティントレット的特質が発揮された傑作だと思う。ふたりの女性が幼児モーゼを中心に、いいかえればおそるべき運命に直面して身をかがめているその中間に背景の木立ちがもうひとりの人間が割り込んでいるように見えていたり、画面中央に置かれた籠から取り出されようとしている白い襁褓(むつぎ)や、左右の背景に見える釣竿を持った女たちや弓に矢をつがえて鹿を追う男たちを描く妙に素気ない筆づかいのために全体は時間感覚を失った幻影とも思えたりとか、どこか不安感に満たされている。解説はちゃんとこの彼の描き方にも触れていて、「非常に素早い、一見したところでは無意識にも見える筆致、すなわちイタリアで「プレステッツァ(敏捷さ)」と呼ばれる特性」が評判だったらしい。印刷された複製では、彼の有名な「竜を退治する聖ゲオルギウス」や「動物たちの創造」、とくに「聖マルコの遺体を盗み出すヴェネチアの商人たち」や「聖マルコの遺体の運搬」をどうしても絵柄で見てしまうために、異常の印象が強くなる。だからこうしてたまに実物に触れると、絵柄とこまかいところまでの筆致とが相まって体感でき、それは複製でしか見ていないほかの作品にも影響を及ぼす。異常というよりは不安がティントレットの絵に帯電しはじめる。
 不安は永続的に眼の底に根づいていく。それが心のもっとも強固な現実だから。彼の扱う画題は神話や宗教史上の物語なのに、その陰影の深い不安な空気を通して、遠く古い時代という不安までひっくるめた今ある現実として、そこに私を誘いこむ。もしも彼の絵が安定した方向に向かうとしたら、現実は皮を剥ぐように薄れてゆき、物語の形式性に傾いていくだろう。ティントレットの全作品を見ているわけではないが、彼はさいごまで「無意識にも見える」筆を走らせていたと思う。現代画家と見做したくなる所以である。ダリ(とくに初期の)を思い出させるところがあるが、ダリがまず個人的私的な不安を速効的に表したのに対して、ティントレットは人類が共有する物語のなかに迷いこむがごとく踏み入り、そこで見てしまったものを血肉化した。16世紀のイタリア画家たちに通底するともいえる深度がそこにある。
(2012.10.16 うえだまこと

20121006メトロポリタン美術館展 表

20121006メトロポリタン美術館展 中

20121006メトロポリタン美術館展 裏
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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