植田実のエッセイ

映画『蝶の眠り』からの住宅論

映画『蝶の眠り』からの住宅論

植田実


 映画のなかに現れる建築や都市が虚構をめざすとき、あちこちの建築や都市の断片をつなぎ合わせ、ときにはセットを加えて現実から逃げようとしているのが面白い。あるいはよく知られた街にいっさい手を加えないままに、例えばサンフランシスコの街なかで実際にはあり得ない激しいカーチェイスの一部始終を撮影するとき、坂の起伏だけを身体接触でたどる街に切り替えられて、サンフランシスコは虚構になる。あるいは違反に向かう速度が外科手術的に摘出した、サンフランシスコの真実になる。テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』ではパリ郊外の集合住宅「アブラクサス」の屋内通路にやはり破壊的なカーチェイスが挿入される時、ふだんは子どもたちが遊んでいる安全な場所が見知らぬ都市空間に移植される。リドリー・スコットの『ブレードランナー』ではロサンジェルスの歴史的建築の玄関側ファサードをつくり変え、館内の床を水浸しにするだけで本来の建築が奪い去られて、見知らぬ建築が居坐っている。
 そのような作品がいくつかあるというのではなく、すべての映画のなかで建築と都市がウソとホントとのあいだを行ったり来たりしている。物語られる全プロセスが眼に見えるようにつくられる、それが映画の宿命でありエンタテイメントにもなっている。気楽に見ているテレビ・ドラマでも、外観は超高層の企業本社ビルや贅をつくした政治家の邸宅の、一歩屋内に入ればあきらかに別のところで撮ったにちがいないエントランスロビーや応接間との辻褄あわせが楽しい。まさに物語のなかの建築になっているのだ。

 今年三月に試写会で見せてもらった『蝶の眠り』は素晴らしかった。映画のなかの建築が否応なく虚構と現実とに向き合わされるというより、以前からよく知っていたつもりの建築が映画の視線によって思いがけない読まれ方をしている。そこを実際に訪れたという信頼できるはずの体験、図面やスティル写真を中心としたメディアでの再現がいかにも狭く弱く思えてしまう。ただの動画も同じである。物語をつくる映画だけに可能な建築の解読、それを『蝶の眠り』は示唆していると思ったのだ。
 主人公の小説家(中山美穂)の住まいでも仕事場でもある建築がそれで、建築家の阿部勤さんの、現在はひとり住まいの自邸を、居抜きじゃないが生活していた状態をほとんどそのままに阿部さんから明け渡してもらって、あとはたぶん監督(チョン・ジェウン)の判断で家の内外にあるもの、家具その他の道具類から書物までを見繕いながら撮影したように思われる。1974年の竣工時の取材から始めて私は何度か訪ねているので、映画のなかには見覚えのある椅子や壁に架けられた絵の気配が濃く残っていて、けれどもそこには阿部さんはいわば住んでいない。つまり物語というトンネルを抜けて懐しく親しい家を訪ねている。
 肝心のその物語の流れは忘れてしまって申しわけないのだが、女性小説家は街で偶々知りあった韓国人留学生(キム・ジュウク)に自分の仕事を手伝ってもらうことになる。彼は手に障害がある彼女の口述筆記役をつとめ、あるときは愛犬散歩係を引き受ける。現実の阿部邸は東京西郊の緑が多い美しい住宅地の一画にある。1階は鉄筋コンクリート造。その上に木造の2階が載る建物だが、まさにその家の前から犬を連れた青年は歩き出す。すぐ広々とした公園のなかを歩いている。背後に超高層建築軍が迫っている。新宿中央公園らしい。所沢と新宿と、ふたつの場所の縫い合わせはごく自然である。と同時に不可解な隔たりもちゃんと残されている。それは家そのものがまとっている雰囲気、設計する側からすれば、ある独自の構成のせいだ。

 ここからがじつは本論、あるいは結論というとおおげさだけど、言いたかったことのまとめである。私には、家の本来の在り方としてその土地に繋ぎとめられ土地の顔になっているなどという、つねに変わらぬ住宅論の息苦しさがこの映画作品によって窓を思い切り開け放ったように消えていくのに気がついた。青年と犬のあとを追って家が、建っている場所から辷り出していくような動きを感じたのだ。
 この家の例えば配置図を見るといい。住宅地のなかの十字路に面した4つの敷地に4軒が建ち、その1軒が阿部邸なのだが、この家だけ敷地に約30度斜めに振られている。家の正面が十字路の中心に向き、しかも塀も生垣もない三角形の空地をつくり出して建っている。もし他の3軒も同じように家を斜めに振り塀をやめて配置したら十字路は広場に変わるだろうが、1軒がそのようにしただけでも住宅地の風景が一新されたことがすぐ分かる。
 阿部邸はこれまで、私有地を閉ざさず公共空間に連続させていると評価されてきた。けれども映画を見ると向こう三軒両隣にだけ貢献しているのではない。この建築自体の特性として、はるか遠くにまで辷り出していくような、移動するような性格を帯びていることがわかってくる。配置だけでない。平断面計画の至るところに同じ特性が見られる。これ以上詳しい説明は省くが、映画はそこをじつに的確に描写している。それは阿部さんが手がけたほかの建築にも通じている特性なのだ。いつも旅へ誘っているかのような。
 小説家には厖大な蔵書がある。作家別あるいは項目別に書棚に並べてあるが彼女はその全体を把握しきってしまっているために目をつむったままでも目的の本を取り出すことができ、逆にそれで悩んでいる。本を新しく読むことができないのだ。青年は蔵書全部を並べ替える。内容に関係なく背表紙の色に則して揃えてゆく。結果は虹のように色調が移り変わる美しい書棚になり、内容は脈絡がつかない。アナーキーな整理法で蔵書を「新生」させたのだ。
 これ、阿部さんの設計手法と思いがけないところでつながっている気がする。これから考えたいことだ。小説家の家はその後は住まい手がさらに増えたかのように、変わって街の小さな図書館になっていた。
(うえだまこと

【メイン】蝶の眠り
5月12日(土)、角川シネマ新宿ほか全国ロードショー
配給:KADOKAWA

small16-07-2416-07-24-0003阿部勤さん自邸。玄関ホールから見る左はアプローチ、右は屋内

small16-08-0416-08-04-0010阿部勤さん自邸。正面外観

*東京都内での上映は6月17日(日)までですが、そのほかの地域では上映中、もしくはこれから上映する予定です。詳しくは公式サイト『蝶の眠り』をご覧くださいませ。
*ときの忘れものの新米スタッフによる「中心のある家」阿部勤邸訪問記もお読みいただければ幸いです。

関根伸夫展
会場:銀座・ギャラリーせいほう
会期:2018年6月18日[月]―6月29日[金] ※日曜休廊
さきほど(16日午前10時)関根先生から「ロサンゼルスから無事帰国した」との電話をいただきました。
初日18日(月)17時より関根伸夫先生を囲みオープニングを開催します。皆様のご来場をお待ちしています。

関根伸夫展_Gせいほう_案内状


◆ときの忘れものは移転一周年謝恩企画70-80年代を彩ったポスター繚乱を開催しています。
横尾忠則がビクターの、ナム・ジュン・パイクがソニーの、エットレ・ソットサスが佐田建設のポスターを手がけた1970〜80年代はまさにグラフィックの時代でした。名人刷り師岡部徳三が美学校でシルクスクリーン教室を開き、そこで育った石田了一が天井桟敷のポスターを手刷りします。かたや印刷技術の粋を尽くした杉浦康平の華麗なポスターが時代を彩りました。
出品リストと詳細な画像は6月11日ブログに掲載しました。記載の頒布価格(千円〜)は会期中のみの謝恩価格です。
また元永定正、オノサト・トシノブ、菅井汲などの版画小品を特別価格(1万円均一)にて頒布します。
会場:ときの忘れもの
会期:2018年6月12日[火]―6月30日[土] ※日・月・祝日休廊
出品作家:靉嘔、磯崎新、猪熊弦一郎、内間安瑆、加納光於、草間彌生、栗山豊、黒田征太郎、白髪一雄、菅井汲、杉浦康平、関根伸夫、田名網敬一、野中ユリ、花輪和一、福田繁雄、細江英公、宮脇愛子、元永定正、横尾忠則、吉田克朗、李禹煥、E.ソットサス、アルバース、J.ジョーンズ、A.ウォーホル、クリスト、マーク・コスタビ、フォロン、フォンタナ、M.グレイヴス、ル・コルビュジエ、サム・フランシス、D.ホックニー、白南準、ポリアコフ、J.ミロ、ボイス、マン・レイ、K.へリング、イブ・サンローラン、オルデンバーグ、 他、
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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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植田実〜本との関係 第3回『アンジェロ・マンジャロッティ 1955-64』

植田実のエッセイ「本との関係」

第3回『アンジェロ・マンジャロッティ 1955-64』


 建築系の編集者として最初につくらせてもらった単行本は『アンジェロ・マンジャロッティ/ANGELO MANGIAROTTI 1955−64』である。月刊誌「建築」の編集作業だけでも手一杯だったのに、無謀な企画をひとりで勝手に起こし、ミラノのマンジャロッティに手紙を出して資料を送ってくれるよう依頼してしまった。当時の編集部では私がいちばん下っ端だったから誰かに手伝ってもらうつもりもなかったし、そのために雑誌の仕事を軽減してもらうのも嫌だった。まもなく資料や作品集としての方向づけの指示が良い頃合いでミラノから送られてきたのに、肝心の東京では一向に進まない。

01『アンジェロ・マンジャロッティ 1955-64』
1965年5月1日
青銅社 発行
企画・製作:植田実
140ページ
26.0×26.0cm
和・伊・英文
表紙:ハードカバーにジャケット、ケースつき


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 月刊「建築」の創刊は1960年9月号である。その翌年には海外の建築家に直接依頼状を送り、写真、図面、テキストを送ってもらい、掲載号とともに資料を返却するというやり方を覚えて、建築家の選定と手紙のやりとりを私が担当することになった。フィリップ・ジョンソン、エーロ・サーリネン、ジオ・ポンティ、オスヴァルト・マティアス・ウンゲルス、ピエル・ルイジ・ネルヴィ、アトリエ・ファイヴ、ミース・ファン・デル・ローエなどの建築を紹介している。ジョンソンやネルヴィは1号分のほぼ全ページに及ぶ大特集にまでなっている。
 そのなかでマンジャロッティも「建築」特集号の1冊に当てれば、作業を先輩たちが手助けしてくれるし、誰かに建築家論を書いたり話したりしてもらって誌面を盛りあげることもできたはず。なぜ単行本という、未経験で苦難の道に踏みこんでしまったのか。この本につきまとっている記憶ときたら後悔ばかりだったのだが、今回書くにあたって、あらためてゆっくりページをめくりながら思い出してみると、たぶん単行本でしかマンジャロッティの仕事は紹介できないという気持ちに強くとらわれていたのだ。
 アンジェロ・マンジャロッティ(1921-2012)は1960年代の日本ではその名を知る人は少なかったと思う。いまでもあまり変わりないかもしれない。当時はミラノで出されていた、編集長ジオ・ポンティによる建築・デザイン誌「ドムス domus」でよく紹介されていたマンジャロッティの仕事は、工場や教会や集合住宅などの建築も、時計や花器や棚などのプロダクトも同じように、とても明快、しかし幾何学的な表現に頼るというよりは自然の形態にむしろ近い。たとえば樹木や貝殻を連想するような。といって自然造形の表現主義に傾くことなく、可愛らしいとでも言うべき性格を感じさせながら透明度の高いモダニズムを貫徹させていた。
 建築と家具と什器のデザインのなかに同じ精神が、手法を切りかえたりすることがないかのように循環している。同じような傾向が見られるイタリアの建築家たちのなかで、達者という以上にピュアな一貫性をもっとも強く見せているマンジャロッティには雑誌の特集は似合わない。そこから切り離され自立したメディアが必要で、単行本なら余計なデザイン要素を払拭して成り立つ。本文も表紙も判形も、彼のデザインに等しいようにつくりたい。そのように考えての決断、いや盲進だったにちがいない。
 そのころ、ひとりの若い建築家が私に会いに青山の編集室に訪ねて来た。彼はこれからマンジャロッティのアトリエでしばらく働くことになったが、日本を発つ前に植田という編集者に会って作品集の進捗状況をきいてきてほしいとマンジャロッティに頼まれたのだった。ほどほどの言い訳をしたが、私にとってはタイミングよい催促でもあった。その後はさらに必死に作業してなんとか本を完成させることができた。おまけにその若い建築家、藤井博巳とは以来ペンパルになって最新のヨーロッパの建築情報とそれについての彼の考えに接することになる。藤井さんはミラノで数年働いたあと、ロンドンのアリソン&ピーター・スミッソンの建築事務所に移り、帰日してそのまま自分のアトリエを開設して、現在まで独自の建築作家として国内よりむしろ海外での評価が高く、展覧会に出品することも多い。私にとっても個人的な付き合いがとくに長く続いている建築家である。

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 この作品集がマンジャロッティに届けられた時点では私は本人に会っていないし、彼の建築を実際に見てもいない。大体からして海外に出るのは「建築」から退いて「都市住宅」を創刊してからである。そんな状態で本や雑誌をつくるのは当たり前の時代で、自分の生涯にヨーロッパを訪ねる可能性が果してあるのか分からぬままに彼の地の建築に夢中になっていたのだ。ずっとあと、マンジャロッティ来日の機会にやっと会えて握手して、それでお終い。彼を歓迎する建築家たちの会で三輪正弘さんが「これは世界で最初につくられたマンジャロッティさんの作品集です」と紹介して下さった。さらにずっとあと、「デザインの現場」2006年2月号(美術出版社)のブックデザイン特集号でもクローズアップされ、「それまで彼の仕事を断片的に見てはいたが、この本によって知った全貌はあまりにも衝撃的だった」とコメントを寄せたデザイナーの川上元美さんは、作品集刊行の翌年から約3年間をマンジャロッティのもとで過ごすことになる。それ以後も彼のアトリエには日本人スタッフが次々と引き継がれるようにつねに存在していたという。作品集の奥付に記されている協力者、河原一郎、田島学、藤井博巳は、その先達である。
うえだ まこと

●今日のお勧め作品は、植田実です。
20180529_ueda_77_hashima_07植田実
《端島複合体》(7)
1974年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
26.9×40.4cm
Ed.5
サインあり


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものは「没後70年 松本竣介展」を開催しています。
会期:2018年5月8日[火]―6月2日[土]
11:00-19:00  ※日・月・祝日休廊

ときの忘れものは生誕100年だった2012年に初めて「松本竣介展」を前期・後期にわけて開催しました。あれから6年、このたびは小規模ですが「没後70年 松本竣介展」を開催します。本展では素描約16点をご覧いただきます。
201804MATSUMOTO_DM


「没後70年 松本竣介展」出品作品を順次ご紹介します
15出品No.8)
松本竣介
《作品》

紙にペン
Image size: 20.5x29.5cm
Sheet size: 22.7x30.3cm


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●本展の図録を刊行しました
MATSUMOTO_catalogue『没後70年 松本竣介展』
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 
テキスト:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
作品図版:16点
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
税込800円 ※送料別途250円


◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は毎月5日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・光嶋裕介のエッセイ「幻想都市風景の正体」は毎月13日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・鈴木素直のエッセイ「瑛九・鈔」(再録)は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「TOKYO NETURE PHOTOGRAPHY」は毎月19日の更新です。
 ・柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
 ・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・植田実のエッセイ「本との関係」は毎月29日の更新です。
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 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
  エッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・西岡文彦のエッセイ「現代版画センターの景色」は全三回、1月24日、2月14日、3月14日に掲載しました。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は終了しました。
 ・関根伸夫のエッセイ「〈発想〉について[再録]」は終了しました。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は終了しました。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は終了しました。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は終了しました。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は終了しました。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

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植田実のエッセイ「本との関係」第2回

植田実のエッセイ「本との関係」

第2回 『関根伸夫』


 今年に入ってすぐ、埼玉県立近代美術館で「版画の景色――現代版画センターの軌跡」のタイトルでとてもユニークな回顧展があった。これについてはすでに同じこのブログに書いた(2018.3.4付)ので繰り返さないが、270点あまりの展示作品のなかでとりわけ懐かしく見たのは関根伸夫のコーナーで、20点ほどの版画がある。その前に出現した、彼の代表作といわれる≪大地―位相≫(1968)は私にとって、当時それだけでは現代アート状況のどこに位置づけできるかよく分からなかったのだが、この版画センターのエディション作品がじつに雄弁でチャーミングな解説になっていたのだ。
 例えば≪絵空事―鳥居≫(1975)がある。
 2本の赤鉛筆を左右の手でそれぞれ垂直に握ったその上にもう一本、水平にのせて鳥居に見立てている。背景は海の水平線と雲ひとつない青空。その強く明快な形と色彩、同時に次の瞬間には危うく崩れてしまうような面白い発想は他の彫刻・環境作品にダイレクトに通じている。これを迷うことなく購入したのが、私にとってはじめてのアート体験になる。次いでずっと前から1点だけでいいからと念願していた駒井哲郎の版画もその勢いで綿貫不二夫さんから譲ってもらった。≪森の中の空地(小)≫(1970)を前に置いて、それまでの所蔵者その他の作品由来を綿貫さんが荘重に述べるのを神妙に聞いていた。そんな嬉しい儀式もあった時代に、版画センターに出入りしていた、ゆりあぺむぺるの主宰、北川フラムさんから、関根伸夫作品集の編集を依頼されたのだった。

01『関根伸夫』
1978年
ゆりあぺむぺる 発行
120ページ(見返しを含む)
26.0×25.0cm
表紙ソフトカバーにビニールジャケット付き


07関根伸夫
《Project-石の風景》
※A版(限定250部)に収録


 今、この本を見直すと何とも不思議な作品集だ。ブッキラボーで即物的。序文も作家論も作家の言葉も、あらためて書かれてはいない。表紙をめくると前見返しから本文の大きさいっぱいの写真(すなわち三方截ちの)が何の説明もなく始まり延々と続く。デッサンや図面も同じ扱いである。まず作家が大地から円筒状に土の層を掘り抜いている。作業は進み、例の≪大地―位相≫の完成写真にいたる。それに続くディテール写真には「関根伸夫」のサインが重ねられて、動きのなかの扉ページ。映画みたいな構成ともいえるが、その後に他の彫刻や油土によるエスキスなどの写真が原則的に同じ三方截ちでひたすら続く。
 本の前半部はこのように紙の白地を排するかのように画像を拡大している。モノそのものを押し出そうとしている。対して後半部は一転して余白と版面(はんづら)までのモデュールを見せるように構成されている。全345点の作品図版とデータがカタログレゾネ風に収録されたページだ。編年体で13期に分けられたそれらの作品と併せて、その時期の年譜、新聞や雑誌での紹介記事、作家のコメントなどがコラージュされている。13に分けられた各時代の作家活動の特性を要約する「仏像・鉱物」「消去」「位相・大地」「水・油土」などのキーワードで章立てされているがその題字を関根さんに書いてもらった。ときにはスケッチから文字が発芽したかのような書の姿が素晴らしかった。
 関根さんとフラムさんと3人で、アイデアを出したり、関根さんに字を書いてもらったり、また前の見返しは一面小石に覆われたどこかの河原、後見返しは同じ小石河原に関根さんの彫刻がいくつか顔を出しているといった漠然としたイメージだけでフラムさんに写真撮影の手筈を整えてもらったり、いや誰が案を出し、誰が受けたか分からないほどに即興的編集だった気がするが、まわり道もせず迷わず1冊の本にたどりつくことができたのは、関根さんの仕事がそれだけ明確だったからだ。

02『関根伸夫』前見返し


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 表紙は、白いマット紙の中央に「関根伸夫」の明朝活字、その真下に小さく「Nobuo Sekine 1968-78」が同じグレーのインクで刷られ、タイトル上部にやや重なるかたちで「n. sekine」と墨でサインが入っている。じつは当初の意図とは少し違った。活字のタイトルに完全に重ねて、ローマ字ではなく同じ大きさの漢字で関根伸夫と墨でサインが入ることになっていた。「版画の景色」展でも出品されていた、≪おちるリンゴ≫(1975)などを参照すれば、この表紙の意図が分かるだろう。だが実際に刷り上ってきたタイトルロゴが指定以上に濃かったために、活字から書き文字が「おちる」視覚効果が出ない。その場で関根さんが工夫して今の体裁に修正してくれたのだが、表紙の真ん中にいきなりサイン、という面白さはちゃんと残されている。
 本や雑誌の形式をまず整える要素は、なるべく取っ払ってしまう。それは私の編集癖なのかもしれない。フラムさんの義兄である、建築家の原広司さんが、編集者の名を見なくても誰がつくった本かすぐ分かったよと言ったらしい。褒めことばのようで実はこれから先のマンネリを戒められたのかもしれない。
うえだ まこと

*画廊亭主敬白
植田実先生の本についてのエッセイ、当初はホームページに以前掲載したものの再録のつもりだったのですが、さすが(というか予想外のことでしたが)植田先生、全面的に書き直しされてしまいました。申し訳ないやら、嬉しいやら、ぜひホームページの文章と読み比べてください。お気づきでしょうが以前は三人称(九曜明)で「関根伸夫」編集の経緯を書かれていますが、今回書き直しにあたり一人称に切り替えています。
〜〜〜
ボブ・ウィロビー写真展〜オードリー&マリリン@ときの忘れもの(2018/04/25)
今日の夕方はときの忘れものに。現在開催されているのはボブ・ウィロビーの写真展。ハリウッド映画のメイキングをフリー写真家として撮影してきた人で、全盛期には『ライフ』や『ヴォーグ』などの有名雑誌に彼の写真が載らない週はなかったそう。
今回展示されているのはオードリー・ヘップバーンとマリリン・モンローの写真。多くの写真が「あ、どこかで見たことがある」と感じさせるもので、本当に彼女らのパブリックイメージを形作った作品がずらりと並んでいる様は圧巻。
今回の展示には作家が生前にプリントしたオリジナルプリントと、ここ5年ほどの間にオリジナルのネガからプリントし直されたエステートプリントとの、2種類の作品が並んでいる。こので「いやオリジナルプリントの方が味がある」と言えばアートに含蓄があるっぽく聞こえるけど、僕はエステートプリントの方に心が惹かれた。オリジナルプリントは経年変化で緩い印象が出てきているんだけど(もちろんそれが「味」なのだが)、エステートプリントは息を呑むような艶めかしさだけではなく、大女優と巨匠写真家が向かい合う緊張感がしっかり伝わってくる。会津八一の「あせたるを ひとはよしとうびんばくはの ほとけのくちは もゆべきものを」という歌を思い出した。

林光一郎さんのブログ)より>
おかげさまでボブ・ウィロビー写真展は大盛況のうちに昨日終了しました。今回も予想外の売り上げで、早速アメリカのご遺族に追加注文を出しました。お買い上げいただいたお客様には少々納品が遅れますが心より御礼を申し上げます。
どこでお知りになったのか初めてのお客様が続々と来られるのには正直驚きました。青山時代の芳名簿は一冊で二三ヶ月はもったのですが、駒込に来てからは二週間で一杯になります。住所は圧倒的に「文京区」、ご近所の皆さんが多い! 道で挨拶されることもしばしばで、これじゃあ悪いこともできませんね。

●本日4月29日(日)から連休となりますが、ときの忘れものはカレンダー通りの営業となります。
4月29日(日)、30日(月)は休廊
5月1日(火)、2日(水)は普段通り営業します。
5月3日(木・祝日)〜7日(火)は休廊

●本日のお勧め作品は、安藤忠雄です。
ando_mizu安藤忠雄
「水の劇場」
オフセットリトグラフにドローイング
イメージサイズ:99.4×69.5cm
シートサイズ:102.5×72.4cm
サインあり


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は随時更新します。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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植田実のエッセイ「本との関係」第1回

植田実のエッセイ「本との関係」

第1回 『植田実の編集現場―建築を伝えるということ』


 綿貫不二夫さんに言われて、ときの忘れもののホームページに編集、デザイン、執筆などで関わった本や雑誌について書きはじめてから十数年が経っている。当時から現在まで私の「書く」「読む」仕事は、紙とシャープペンシルと消しゴム、あるいは紙に印刷された文字と図版に限られて、変わることはない。だからデータ入力は原稿の依頼者にお願いしてきたので、紙の印刷物は別として、モニター上の文章や図面や写真は見たことがない。それもあって上のシリーズがどのくらい続いたのかよく覚えていない。15回くらいまで書き継いだが、中途半端のままそれ切りになっていたはず。
 そんな古い書きものをこんどはブログで再録したいと突然言われて驚いた。確認のために最初の数回分のプリントアウトを見せてもらうと、私の関わった本や雑誌を第三者(ペンネームを使っている)が紹介する体裁になっている。そんな面倒をやめて大幅に書き直すことにした。1回目は以前と同様に『植田実の編集現場―建築を伝えるということ』(発行:ラトルズ)から始めたい。2003年度の日本建築学会文化賞を受賞した折のいわば御祝儀出版だから特殊例だが、受賞理由の「出版・編集を通して建築文化の普及・啓蒙に貢献してきた実績」を反映したいと思っての企画だ。建築界のお祝い的な催しは会費制のパーティに大勢が集まって何人かがスピーチをしたりするが会場内の騒然たる私語のなかでほとんど聞きとれないままに散会、で終わるのが慣例。建築家や研究者を祝う会ならそれでもいい。その仕事はその人のものとしてよく知られ評価されているのだから。
 それに対して何者なのかよく分からん編集者の仕事の自立した輪郭を、この機会に自分自身でも見たかった。それを展覧会と出版に表わすことにしたのだ。多くの人に協力をお願いした。まず展示空間と細かな道具立てのデザインはアトリエ・ワン(塚本由晴+貝島桃代)+東京工業大学塚本研究室の皆さんに一任した。このユニークなチームの実作を見る機会はこの時はまだなかったが、ギャラリー間における展示に接したとき、それは小さな家を原寸大で会場に組み込んでアトリエ・ワンの建築思想を端的に伝えるものだったが、建築以上に建築だったのである。
 学会賞受賞の対象となった編集の仕事のひとつは1968年から75年にかけての建築誌で、受賞年から見れば30年もむかしである。その距離を埋める展示のアイデアを出してくれたのが元倉眞琴さんと山本圭介さんで、それぞれ教えている大学の建築学生に呼びかけて30年前の住宅のコンセプトを模型製作を通して蘇らせてくれたのだ。
 もうひとり、建築史研究の花田佳明さんも面識なく、いや名前さえ知らなかった人である。私の編集していた単行本シリーズの1冊を書評してくれたのだが思いもかけない辛口、いや鋭い分析に驚いた。お祝いの本などはたくさんの花輪を寄せるように知人友人がさまざまな立場から当の人物を語るのがふつうだけれど、私としてはむしろ見知らぬひとりに忌憚ない編集者批評をしてもらいたかった。でなければ編集者とは何者かいつまでも分からない。花田さんにお願いしたのはほどほどの長さのエッセイ的批評のつもりだったが結果はとんでもないヴォリュームの、研究論文に近い書き下ろしになった。
 これらを本にするに当たっては長い付き合いの編集者・中野照子さんやデザイナー・山口信博さんが中心となり思い切った形にしてくれた。私自身がどのように関わったかよく覚えていないがA5判の2冊の本を重ねた構成にしている。花田論文は縦組みの130ページ、反対側の表紙をめくるとアトリエ・ワンと元倉・山本チームの展覧会記録が横組み、50ページだが折り込み図面やカラー写真入り。2冊の本は真ん中でそれぞれの奥付けページと出会い、その境にはこのプロジェクトのために、会場設営や撮影に協力してくれた人々、金銭的に支援してくれた全国の人々500余の名が掲げられている。一介の編集者の勝手な思い込みがじつに多くの人々に大きな負担をかけてしまった。それがそっくり記録されている。編集とは出版物を明快に美しくまとめ上げる以上に、よく馴染んできたものを分裂させ、思いがけない紙とインクの姿を引き寄せてしまう。そんな思いに至った忘れられない本である。
うえだ まこと

01『植田実の編集現場―建築を伝えるということ』
2005年
株式会社ラトルズ 発行
200ページ
21.0×15.0cm
著者:花田佳明
編集:中野照子+佐藤雅夫/植田実
税別2,500円

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*画廊亭主敬白
このブログで最も多く執筆されているのは植田実先生ですが、実はホームページの方に掲載しながらブログには収録していないエッセイがいくつかあります。
それらブログ未掲載のエッセイの再録をお願いしたら、<大幅に書き直すことに>なりました。毎月29日に掲載します。どうぞご愛読ください。

●今日のお勧め作品は、植田実です。
20170923_ueda_93_dojun_daikanyama_02植田実
《同潤会アパートメント 代官山》(2)
(2014年プリント)
ラムダプリント
16.3×24.4cm
Ed.7  サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●書籍・カタログのご案内
表紙植田正治写真展―光と陰の世界―Part II』図録
2018年3月8日刊行
ときの忘れもの 発行
24ページ
B5判変形
図版18点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:800円(税込)※送料別途250円

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植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:800円(税込)※送料別途250円


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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植田実「版画の景色 現代版画センターの軌跡」

植田実のエッセイ
「美術展のおこぼれ」第47回


版画の景色―――現代版画センターの軌跡」展
会期:2018年1月16日〜3月25日
会場:埼玉県立近代美術館 

 50人近い作家による、270点あまりの版画が並ぶ会場である。多彩なのは版画史を追う作品群だからではなく、ある一貫性を感じるのは結社的な主張をもつ作家たちの集まりだからでもない。1974年から85年にかけて存在した「現代版画センター」が、版画制作、展覧会や講演会の企画、刊行物の編集発行などのかたちで関わってきた、アーティストと作品なのだ。
 そのような多彩と一貫性を引き立てるように設計された展示構成はとても気持ちがいい。ルートにせかされることも迷うこともなく、入口受付デスクと同室に飾られた靉嘔の「I love you」の連作から始まってオノサト・トシノブ関根伸夫などの魅力あふれる「景色」にうっとりしているとその先に磯崎新の巨大な立体作品「空洞としての美術館」が待ち受けている。そこからあとはどの順序で見ても構わない花園みたいになっていて、どの作家にも初めて対面するような新鮮さがある。出口近くで、草間彌生アンディ・ウォーホルが立ち上がる。その外に、関係資料のコーナーも用意されているが、特別出品としてジョナス・メカスの短篇映画「自己紹介」が上映されており、見逃したら大損だ。全部で3時間くらいを考えておくべきだと言うひともいる。名前に馴みがないがじっくり見たい作家も少なくない。
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 現代版画センターが関わったアーティストはおよそ80人、作品は700点を超えるらしい。だから今回、展示に際しては大胆な編集が行なわれてかえってよい結果にいたったようである。センターの主宰者である綿貫不二夫は作品および関係資料の使用に全面協力を惜しまなかったが企画とその進行にはいっさい口出ししていない。関与を積極的に謝絶している。理由はカタログを読めば分かるが、理由がなくても自分の仕事のレトロスペクティブには関与しないのが賢明だと、埼玉の展示会場と図録(テキスト・ブック、ヴィジュアル・ブック、アトラスの、判形・製本仕様の異なる3分冊でケース入り)とに接すればすぐ分かる。当事者の思いが干渉しないのでとても透明。第三者の思いが充満して灼熱状態。ほかに思い当たる例がない会場の空気は、ただの作品展ではないことで、それは一隅に置かれた何冊ものファイル資料からも感じとれるのだが、作家や作品の厖大な数を超えて迫ってくるものがある。その数とは日本全国津津浦浦の「地方」である。
 図録のアトラス篇に、「現代版画センター・主要活動拠点分布図」というダイアグラムがある。1974〜85年に版画センターの自主的分室として名乗りをあげ、版画普及の道を拓いた各県内のギャラリーその他の会場の分布を表したものだが、北海道から沖縄まで、訪ねた記録がないのはわずか4県のみで、43都道府県に綿貫や同行のアーティストたちが足跡を残しているのだ。版画は複数つくれるアートだから同時期に各地域で出来たばかりの作品を中心にした展覧会やオークションが可能だという、じつに単純な発想を実行に移したいきさつは、今回の企画展示と図録が語りつくしている。活動というより10年間にわたる組織的運動になってしまっているのだ。驚くほかはない。そこに確かに生起したにちがいない連鎖反応の現実感。
 いま日本の大都市部では1年を通じて数えきれないほど多くの企画展が各美術館その他の場所で行なわれている。対応できないほどだ。国内だけでなく海外の美術館からも惜し気なく貸し出された作品が次々とやってくる。その目玉作品を強調する文句がどこでも決まっていて、「ついに来た、あの名作が実物で!」。近現代の美術ならとくに、「実物」を置いてそれを見に来させる地理的位相は、日本の中央と地方、西欧と日本の関係に重なる。これら「実物」は客人として遇され、やがて去っていく。忘れることなく会期中に見に行かなければというあせりのなかに、その作品がある。それはどういう現実感なのか。
 いかにも地方らしい地方の町や村を選び、そこに住む人々にアポなしでいきなりカメラを持ちこみ話しかけて取材するテレビ番組がある。そこで歴然とするのは、子どもから年寄りまで例外なく知的であることだ。率直さとユーモアを兼ね備えている。だから番組になりうるのだろう。この「地方」が大都市圏に近づくほど、人々の反応は弱く、しつこい。現実が希薄になり混濁する。それが大都市における生活だ。綿貫不二夫とその仲間が富山の薬売りのように訪ね歩いていた当時の地方の空は自分の光で晴れていて、そこで版画を見ること、買うことはすぐ自然の営みになった。
 全国に張りめぐらされたその「地方」は中央との位相を逆にした。その本来の位相は、埼玉県立近代美術館の担当学芸員および関係者の情熱と持続力によって目に見える展示と記録になった。その作業のめざしたところはあくまで版画そのものの「景色」なのだ。
(2018.2.23 うえだ まこと

012靉嘔コーナー、奥に木村利三郎

022関根伸夫コーナー、右は映像コーナー

DSC_0537カタログ、撮影は酒井猛、タケミアートフォトス

本日3月4日(日)朝9時のNHK日曜美術館をぜひご覧になってください(特集:イレーヌ ルノワールの名画がたどった140年)。司会は井浦新さんと高橋美鈴さん。ゲストとして多摩美術大学教授・西岡文彦さん、ピアニスト・西村由紀江さん、カメラマン・渡辺達生さんが出演します。後半のアートシーンにもご注目ください

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
現代版画センターと「ときの忘れもの」については1月16日のブログをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログをぜひご購入ください(2,200円)。
埼玉チラシメカス600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年〜1985年の11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。

【特別イベント】ジョナス・メカス監督作品「ウォールデン」上映会
日時:3月4日(日)各 13:00〜16:00
場所:2階講堂
定員:100名 (当日先着順)、無料
【担当学芸員によるギャラリー・トーク】
日時:3月10日 (土) 15:00〜15:30
場所:2階展示室
費用:企画展観覧料が必要です。
【トークイベント】ウォーホルの版画ができるまで―現代版画センターの軌跡
日時:3月18日 (日) 14:00〜16:30
第1部:西岡文彦 氏(伝統版画家 多摩美術大学教授)、聞き手:梅津元(当館学芸員)
第2部:石田了一 氏(刷師 石田了一工房主宰)、聞き手:西岡文彦 氏
場所:2階講堂
定員:100名 (当日先着順)/費用:無料
〜〜〜〜
○‏<埼玉県立近代美術館に昨日行くことができました。現代版画センターの軌跡わたしも会員だったことを思い出しましたが、盛岡のオークションに自分がいてビックリ‼️私がMORIOKA第一画廊に行っていたのが記憶より古いことが判明した。最初に買った版画は磯崎新のfollyだけどね^_^
(20180301/中村孝幸さんのtwitterより)>

埼玉近美で展覧会打ち合わせ後、「版画の景色」展を見る。74年から85年まで活動した現代版画センターの軌跡をたどる企画。作品数が多く、今回は壁が多い。ウォーホル、メカス、日本の現代作家群に交じって、建築からは磯崎新と安藤忠雄の作品もある。比べると、磯崎さんの方がうまくアート化させている
(20180301/taroigarashi‏ さんのtwitterより)

○<埼玉県立近代美術館の版画の景色展、見てきました。思ったより色鮮やかな作品が多かったです。高校の美術の課題でこんな模様描かされたな〜とか思い出した。版画じゃなかったけど(^^)
(20180228/きょろぴ‏ さんのtwitterより)>

○<版画の普及やコレクターの育成を目指して設立された現代版画センター。
その作品や資料から、活動の軌跡をたどる展示。
製作された作品を楽しむのみならず、現代の美術界に大きな影響を与えたその歴史にも興味がわく展示ですね。

(20180228/小野寺誠さんのブログより)>

西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半〜トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。

光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について(1月28日ブログ)

荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て(1月31日ブログ)

スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)

毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。

倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)

嶋吉信さんのエッセイ〜「紙にインクがのっている」その先のこと(2月12日ブログ)

大谷省吾さんのエッセイ〜「版画の景色−現代版画センターの軌跡」はなぜ必見の展覧会なのか(2月16日ブログ)

塩野哲也さんの編集思考室シオング発行のWEBマガジン[ Colla:J(コラージ)]2018 2月号が展覧会を取材し、87〜95ページにかけて特集しています。

○月刊誌『建築ジャーナル2018年3月号43ページに特集が組まれ、見出しには<運動体としての版画表現 時代を疾走した「現代版画センター」を検証する>とあります。

○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号1983年のウォーホル全国展が紹介されています。

○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。

現代版画センターエディションNo.165 磯崎新「空洞としての美術館 I」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
20180304
磯崎新「空洞としての美術館 I」
1977年
シルクスクリーン、ドローイング、カンヴァス、パネル、木(刷り:石田了一)
110.0×480.0cm
Ed.5(実際に制作したのは2部、うち1部は第14回サンパウロ・ビエンナーレに出品後破棄されたと思われる。現存は1部のみ)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。

パンフレット_05
出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄

ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサートのご案内
第7回 愛といのち

日時:2018年4月3日(火)18:00〜
会場:ときの忘れもの
出演:メゾ・ソプラノ/淡野弓子
   スクエアピアノ/武久源造   
プロデュース:大野幸
*要予約=料金:1,000円
予約:必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。

info@tokinowasuremono.com

◆ときの忘れものは「植田正治写真展ー光と陰の世界ーPart 供を開催します。
201803_UEDA
会場1:ときの忘れもの
2018年3月13日[火]―3月31日[土] 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊(但し3月25日[日]は開廊)

昨年5月に開催した「Part I」に続き、1970年代〜80年代に制作された大判のカラー作品や新発掘のポラロイド写真など約20点をご覧いただきます。

●書籍・カタログのご案内
表紙植田正治写真展―光と陰の世界―Part II』図録
2018年3月8日刊行
ときの忘れもの 発行
24ページ
B5判変形
図版18点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:800円(税込)※送料別途250円

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植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:800円(税込)※送料別途250円


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
20170707_abe06新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

植田実「建築家の手の在り処」

「建築家の手の在り処」

植田実

(2000年3月31日刊行の版画掌誌『ときの忘れもの』第2号より再録)

 昨年の暮れ、磯崎新さんが一週間ほどインドに行ってきたときのスケッチブックを見せてもらった。
 シンガポールからボンベイ(ムンバイ)に入った最初のころは、スケッチも文章もほんのメモていどだが、そこからインドールを経てのウダイプールでは早くも旅の時間に身体が合ってきたみたいで、ピチョーラ湖に面したシティパレスの構成的な正面ファサードをとらえる筆致が鋭くなり、一方、湖中のレイクパレスホテルを眺める眼はすっかりくつろいでいる。
 さらにはジャイプールへ。70もの出窓が珊瑚のように密生して表通りの赤砂岩のファサードをつくりあげている「風の宮殿(ハワ・マハル)」を見ているころから、筆ペンによるスケッチに色が注がれはじめる。そのすぐ近くにある天文観測所ジャンタル・マンタルの構内に入ると、磯崎さんはもう腰を据えてしまう。石造りの建築的スケールに近い観測儀群は18世紀に建造されたが、磯崎さんの筆致はそれらをつい最近竣工した現代建築のように見せている。付けられたメモには、先のウダイプールではムガール風のデザインから英国風のコロニアル、インドールではアールデコが通過しているが、ジャイプールは、ジャンタル・マンタルを建てた「サワイ・ジャイ・シング二世にすべてもどる」と書かれている。磯崎さんの蒼古にして超現代のものとも思えてくるスケッチを見ていると、ジャイプールだけでなく世界の都市全体が、そこに戻っていく気持ちにさえなってくる。
 スケッチブックのページを追っていくと、観測儀が20以上も集まっているこの造形物の楽園から10キロほど先の、案ベール城塞の眺めをパノラマ風にスケッチしたあと、再度ジャンタル・マンタルに戻ってまた、一カットだけだが描いている。カメラを携えての足どりとはちがうのだ。建築を見る時間が変化してきている。
 翌日には、アグラへ、そこからいよいよ南西40キロにあるファテプール・シクリに向かっている。この16世紀における束の間の都市の凄さについては、磯崎さんから何度もきかされていた。メモにはこう書かれている。「ファテプール・シクリ再訪。再訪に価する唯一の場所である」。アクロポリスと桂離宮とこれがベスト・スリーと書かれてもいる。すでにただの旅のスケッチではない。建築を描いているのではない。空と広場が熱気をはらんでいる。その熱が赤い五層楼や内謁殿を蜃気楼のように現出させている。たしかに無敵の建築。再開したよろこびの吐息が伝わってくるようなどっしりとした色彩の塊と、それを建築に変えていく、じつに微妙で素早いペンの黒い描線。この地平からは磯崎新自身の建築まで次々と現れてくるかのようだ。
 数ページにわたって描かれた熱い空気は、アグラ市内に戻った翌早朝、これも再訪したタージマハールの屋根の、白い大理石の「大球面」が、ヤムブー河に立ちこめた朝もやから浮き出てくるスケッチにつなげられて、やっと冷えていく気配がある。同じ川ぞいに並ぶ、貝の形状をしたプランの、アグラ城塞の長大で分厚い壁(メモに「レッド・フォートは赤砂岩と影だけ」)を眼でたどりながら、また城内の中庭と白大理石のパラスを訪ねながら、視界は外にまで開いている。遠くには動かない支点のように、タージマハールが見えている。
 そして最終日はニューデリーからドーハへと書かれているが、そこから帰国したのか、それとも次に予定があってヨーロッパにでも飛んだのかはわからない。なにしろただ一冊のスケッチブックから磯崎さんの足どりを追っている。しかもこちらはインドに行ったことがない。もしトンチンカンな間違いがあるとしたら、それは私のせいである。
 たとえば最近の磯崎さんは、暑い国を旅するときはどんな服装をしているのだろうかと思う。そんなことさえまるで見当がつかないまま、スケッチとメモだけから一週間の旅を読みとろうと している。
 30年ほどまえに夏のヨーロッパとギリシャに御一緒したことがある。とくにギリシャでの磯崎さんが印象的だったのだが、ウィー ンからアテネに入ったころから俄然マイペースになってきた。それでもパルテノンの丘にのぼったときは青い半袖シャツにカメラバッグという、まあ普通の出で立ちだった。じつに長いあいだ、神殿の前に坐って動かなかった(翌日もまたパルテノ ンに一日行っていたらしい)。このときの記憶を、ジャンタル・マンタルやファテプール・シクリのなかに佇む建築家の姿に重ねている。
 さて、アテネからさらにエーゲ海の島々をめぐる旅がはじまると、このひとは島では上半身は裸、レンズ一本を装着したカメラを肩から吊っているだけという大軽装になってしまう。パスポートや財布は尻のポケットに入れていたのか。スケッチをしたりしていた記憶がない。磯崎さんを知ったときから写真のうまさはプロはだしという印象が強かったので、カメラを構える姿はよく目にとどめるようにしていたのだが。このときもすでに再訪の場所が多かったようで、こちらがあせ-って撮りまくるのとは別のペースだった。帰ってからそのときの写真を見せてもらった。モノクロームのちょっとシュルレアルな雰囲気で、同行していた宮脇愛子さんが画面の中央でどこか演劇的なポーズをとっている。その背後にミコノスやサントリーニの白い集落がひれ伏している。そんな印象の写真ばかりだった。どうしてあんなふしぎな写真が撮れたのか、いまでもわからないのだが、とにかくその頃は、「磯崎さんの写真」という意識の目を通して建築を見ていたような気がする。それほど強い印象を受けていた。
 アテネから西に向かう飛行機のなかで、私は磯崎さんの右隣りに腰掛けていた。ウィスキーのグラスが空になり、彼はコースターを手にとって、左隣りの宮脇さんの膝に置かれた帽子をフェルトペンで一筆描きみたいにさらさら描いた。広いプリムに縁取られた、いかにも涼し気な日除けである。ギリシャの太陽の下を歩いてきた帽子だ。とっさに私は手を出した。苦笑いしながらもすぐARATA ROMEとサインしてそのコースターを渡してくれた。そう、もうローマの上空だった。飛行機が高度を下げはじめた。

 1960年代後半に、磯崎アトリエのスタッフだった六角鬼丈(現・東京芸大教授)は、磯崎さんが「直接定規を持って製図している姿を見たことがない」と最近書いた文章のなかで回想している。そのころは足繁くアトリエ通いをしていた私には初耳で、やはり内部にいた人じゃなければ知らないことがあるんだと、おもしろかった。その少し前、彼の最初期、つまり1960年から数年間に描かれた、大判のしかもばっちりと墨入れされた図面を次々と見せてもらっていたとき、ちょっときまり悪そうに、どこか他人事のように、図面さえ描いていれば満足だったのさと、彼がつぶやいていたのを覚えていたからだ。
 しかしそれは建築家の姿勢が一貫していたことを、逆に物語っているような気がする。最初期の製図といえば、計画案のものが多く、一本の巨大な円柱だけの建築だったり、あるいはその円柱が何十本もの数に増えて、丸の内や新宿の既存の建築群を踏み抜いていたりする。そこにギリシャ神殿の廃虚の写真をコラージュした、高名な「孵化過程」もこの時期のものである。
 計画案というより描かれた「命題」といったほうがいい。途方もない建築計画は19世紀から20世紀にかけてじつに数多く描かれているが、はじめから実現化とはっきり縁を切っている建築図面はそんなに多くはないはずである。現代都市とは何であるかを見てしまった、発見的命題としての建築を図面化するのは極度に私的な作業であったにちがいない。製図に熱中したのは当然と思う。
六角は同時に、たぶん先輩からきいたのだろう、大分県立図書館の実施設計では、断面詳細図を驚くべきスピードで一晩のうちに描きあげたという言い伝えも紹介している。その後は仕事が一気に増えてきている。それは建築計画が特定のものに限定され、次々と実現へ動きはじめた時期である。こうした建築の製図に手を染めることは、どれほど意識化しようと長い隧道のなかを行くように、来るべき完成された建築への同化を避けえない。それは危険すぎると、本来の価値破壊者である建築家は感じはじめた。スタッフの手の必要がそこにあった。そう思う。製図はしないが、スケッチは怠らず、模型を見ながらの手直しを命ずることは徹底していたというが、それは破壊において建築を完成させていく、際どい作業だったにちがいない。
 だれでもやっていることかも知れない。しかし「孵化過程」を描いてしまった建築家の破壊作業は筋金入りだった。その実証としての数々の建築を、現在に至るまで私たちは目にしてきた。
磯崎新の版画は1977年、まず「ヴィッラ」シリーズではじまるが、90°のアクソメトリックというやや特殊な図法ではあるものの、いってしまえば一般的な建築の製図をシルクスクリーンで刷っただけである。最初は意表をつかれた。スケッチのような描線を期待し てもいたからである。だが彼は「古典的なアウラ※1」としての手のあとを回避して、定規による製図表現に徹する。自分の手による描線をアートにしてみせるようなナルシシズムには陥らない。というより、それ以上にちゃんと先々まで戦略をたてていたというか、コレクターへのサーヴィスを考えていたというか、あるいは版画制作の技術まで見極めていたにちがいない。
 手の痕跡にとらわれない製図表現は、百里靴をはいたかのようにどんどん先に進んでいってしまう。「還元」シリーズの形態要素の分析、「MOCA」シリーズの透視図、あるいは「内部風景」シリーズでは写真まで使っている。「MOCA」の直かに色彩の地底から掘り起こしたような強烈な空と建物と影との対比、超大型の「MOCA EXTERIOR,INTERIOR」、さらには立体までからむ「空洞としての美術館」などはそれぞれ、版画技術の臨界点に立ち会っている緊迫感に満ち満ちている。このあいだに数点の、それこそ手のあとがうかがえる酒落た銅版画が幕間のように挿入されてはいるとはいえ、全体の展開は、完結した建築を切り崩していく、見えない「手」に支配されたコンセプトの明視性が決定的であるといっていい。
考えてみれば、カメラのシャッターを押すだけの行為にさえ、手の痕跡を残そうとする意識がはたらいていることを、磯崎さんは見抜いている。つまり、いわゆるフォトジェニックな構図とかシャッター・チャンスとかは彼の興味の対象ではない。いつだったか 彼が古い数寄屋建築や茶室を撮った写真は、思いがけないことに超広角レンズを使っていた。その結果、伝統的な日本の建築につきまとう情感が払拭されて、その構成要素がレントゲン写真のように剥き出しになっていた。「還元」シリーズに、それはつながっているといえる。

 しかし最近の磯崎さんはそのカメラも持たない。今度インドを旅したときもそうだし、建築の構想も同じ小さなスケッチブックに筆ペンと絵具で、スケッチ風の描写に戻っている。いや戻っているというのは不確かで、うんと先に行ってしまったという実感のほうが強い。
版画制作を始めたときからの大きな流れ、つまり製図表現を思い切りコントロールする手法は、昨年の新作「」「」「」シリーズで極限に達した。その冥さも華麗さも、あるカタストロフィに接続されているようにさえ見える。カタストロフィ、それは実現した建築さえも版画という仕掛けを通して解体されたかのように見せてしまう光景であり、同時にその解体あるいは破壊作業そのものが意味を失なってきている今の時代状況の不気味さが見えはじめた、そのカタストロフィでもあるのだ。
一方で、これも同時期につくられた「栖十二」はまったく異質のシリーズである。まず自分の手がけた建築ではない。いやひとつだけルイジ・ノーノの墓が入ってはいるが、あとはル・コルビュジェの「母の小さい家」やウィトゲンシュタインのストンボロウ邸、さらにはパッラディオ、マッキントッシュ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ、小堀遠州などによる十二の家を描いている。そこに終の栖のありようを求めたと彼はいう。しかしそれらは建築家たちによる彼等自身のための終の栖ではない。磯崎新設計のノーノの墓がまさにそうであるように、最後にたどりつく栖を自分自身で間違いなくつくることは、だれにもできない。つまりどこで永い眠りについたにせよ、それはすべて本質的に野垂れ死にだというのだ。
 これらはどれも旅のスケッチブックから銅版画に起こされたものである。その一見抒情的な絵柄は、手の痕跡が甘美でさえあり、そのひとつひとつの筆致が身近かで優しく感じられるだけ、虚空のように隣り合っているものの気配が強い。その虚空とは建築そのものの本体かも知れない。荘厳であるほど絶対的な死に近づいてしまう建築を、またしても彼は命題として描き出す。しかし今度は「孵化過程」のように決定的な一枚の絵ではなく、「帰還する場所の不在※2」を物語る優しい手描きの、限りない数のスケッチである。それは自分の設計する建築において、すべてを収斂できる時代が不意に消えてしまったことを、だれよりも逸早く感じとった建築家の、限りない旅への予感の表われのようにもみえる。今回のインドへの道もそこからはじまっているにちがいない。
 磯崎さんにはすでに見えてしまっているその「場所の不在」が、自分にも否定しようもなく見えてくるのがおそろしい。しかし、そこに徐々に押しやられていく過程がじつは磯崎新の描いたものを見る、ほんとうの愉楽なのである。
うえだまこと
※1「The Prints of Arata lsozaki, 1977-1983」(現代版画センター、1983年)より
※2「栖十二」(住まいの図書館出版局、1999年)より

版画掌誌第2号
版画掌誌第2号
オリジナル版画入り美術誌
2000年3月31日/ときの忘れもの 発行
特集1/磯崎新
特集2/山名文夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版:限定35部:120,000円(税別 版画6点入り)
B版:限定100部:35,000円(税別 版画2点入り)

06磯崎新のスケッチブック
版画掌誌『ときの忘れもの』第2号より

051999年のインド旅行の折のスケッチ
版画掌誌『ときの忘れもの』第2号より


版画掌誌『ときの忘れもの』第2号収録作品
01磯崎新
「ファテプール・シクリ1」
2000年  エッチング
13.5×18.0cm
Ed.35  サインあり
*A版に収録

02磯崎新
「アグラの赤い城」
2000年  エッチング
18.0×13.5cm
Ed.35  サインあり
*A版に収録

03磯崎新
「ファテプール・シクリ2」
2000年  エッチング
13.5×18.0cm
Ed.35  サインあり
*A版に収録

04磯崎新
「ファテプール・シクリ3」
2000年  エッチング
13.5×18.0cm
Ed.135  サインあり
*A版、B版に収録

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*画廊亭主敬白
 東京は大雪です。
交通機関も大混乱、スタッフの一人加畑からのメールでは乃木坂を昨夕17時に出たのに22時の時点でまだ町田の自宅に辿りつけないとか・・・
実は本日午前の便で、秋葉と新澤はシンガポールに向けて羽田を飛び立つ予定なのですが、果たしてどうなることやら。

本日のブログは植田実先生に18年前(もうそんなに経ったのか)に書いていただいた文章です。
いま埼玉県立近代美術館国立近現代建築資料館で奇しくも同じ磯崎新先生の版画「還元」シリーズが展示されており、建築家がなぜ描くか、版画を制作するのかについて論じていただいた版画掌誌の文章を再録しました。

以下は亭主の「編集後記」からの抜粋です。
 「版画は余技ではなく、自分の建築を批評すること」。優れた建築家とは優れたアーティストだと思う。建築家の磯崎新が版画制作に取り組んだのは1977年からで、当時私が主宰していた現代版画センターからの依頼がきっかけだった(その経緯は、昨年住まいの図書館出版局から刊行された磯崎新著『栖十二』巻末の栞[Appendix]17〜19頁に書いてあるので参照されたい)。建築家が技術者としてみられている日本では珍しいことだった。その後、20数年たった今にいたるまで、建築家は版画から撤退することなく、制作を続けている。編集者としてそれをずっとみてきた植田実氏に建築家が描くことの意味について執筆していただいた。
 「カメラを持つと、カメラの眼を頼ってしまい、空間を身体で感じることができない」。私が磯崎アトリエに通い出した70年代後半には建築家はすでにカメラを捨てており、かわりにスケッチブックがいつも旅の同伴者だった。何十冊にもなるそれらのスケッチブックから、昨年発表した『栖十二』の40点にも及ぶ銅版画連作が生まれ、今回本誌に挿入した銅版画も昨年インド旅行したときのスケッチをもとに帰国後制作されたものである。磯崎ファンならずとも覗いてみたいそのスケッチブックを、一冊まるごと特集させて貰った。(後略)
2000年3月 綿貫不二夫
*版画掌誌『ときの忘れもの』第2号 編集後記より抜粋
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現在開催中の「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」の展示風景をご紹介します。
201801_磯崎倉俣展_01

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こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が始まりました。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年に創立、1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約300点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。同館の広報誌もお読みください。

○<「版画の景色」@埼玉県立近代美術館。現代版画センター(1974-85)に関する予備知識ゼロだけど楽しめた。部屋に飾りたいと思うの多数。磯崎新のシルクスクリーンが超かっこよくて驚いた。
ジョナス・メカスのこれが良すぎた。ほしい。「夜の街を走る車 マンハッタン」1983
ひっそりと戸張孤雁(1882 - 1927)が展示されてたけど、あれはどういう文脈だったのかしら。この人だけ時代違う。

(20180121/KNMさんのtwitterより)>

○<埼玉近代美術館の企画展「版画の景色」を観てきました。魅力的な現代アートの数々を目にする事ができて興奮しました。ウォーホルや草間彌生の作品があったのも驚きましたが、磯崎新の建築物を描いたシルクスクリーンが特に印象に残りましたね。また観に行こうと思います。
(20180121/Takao Rival‏さんのtwitterより)>

○<本日は埼玉県立近代美術館で版画の景色展をみてまいりました
版画と言うのはどうも自分の中で整理がつかないものがあり興味深くみたのですがますます分からなくなりました(笑)
抽象表現とは相性が良いですね
MOMASコレクションで小村雪岱の青柳がみれました

(20180120/しの‏さんのtwitterより)>

現代版画センターエディションNo.42 島州一「ゲバラ」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
042_島州一《ゲバラ》島州一《ゲバラ》
1974年 
布にシルクスクリーン(刷り:小峰プロセス)
Image size: 69.0×99.0cm
Sheet size: 103.1×125.1cm
Ed.50  サインあり

昨日に続き、島州一先生のエディションです。
版画の定義は文字通り「版の絵」であり、支持体は問わない。現代版画センターは島先生の布に刷ったこの作品をはじめ、アクリルやキャンバスに刷った版画作品をいくつもエディションしました。

パンフレット_05


◆国立近現代建築資料館で2月4日[日]まで「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展が開催中。磯崎新、安藤忠雄らの作品が出品されています。展覧会については戸田穣さんのエッセイをお読みください。
磯崎新「還元LECTURE HALL-2 」磯崎新
「LECTURE HALL-II」
1982年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75  サインあり
*現代版画センターエディション

ギャラリートーク「建築版画の世界」のご案内
植田実(住まいの図書館出版局編集長)× 石田了一(石田版画工房)× 綿貫不二夫(ときの忘れものディレクター)
司会:日埜直彦
日時:1月27日(土曜日)14時から
場所:文化庁国立近現代建築資料館
住所:〒113-8553 東京都文京区湯島4-6-15
入場方法:旧岩崎邸庭園からの入館となりますので、入園料400円(一般)が必要となります。

●日経アーキテクチュアから『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』が刊行されました。
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。日経アーキテクチュア編集長のコラム<建築家・安藤忠雄氏の言葉の力:第3回>で、出江寛先生、石山修武先生の次に紹介されていますので、お読みください。

◆ときの忘れものは「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」を開催しています。
会期=2018年1月9日[火]―1月27日[木] ※日・月・祝日休廊
磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)に焦点を当て、磯崎の版画作品〈TSUKUBA〉や旧・筑波第一ホテルで使用されていた倉俣史朗デザインの家具をご覧いただきます。他にも倉俣史朗のアクリルオブジェ、磯崎デザインの椅子なども出品します。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
06駒込玄関ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

植田実「美術展のおこぼれ」第46回

植田実のエッセイ
「美術展のおこぼれ」第46回


安藤忠雄展―挑戦―
会期:2017年9月27日―12月18日
会場:国立新美術館

 東京・六本木の国立新美術館での開館10周年記念「安藤忠雄展―挑戦―」(12月18日まで)が盛況で、すでに見に行かれた方も多いだろう。全貌をとりまとめて報告するかわりに、気がついた展示を3点だけ選んで案内します。
 その1。全体は6つのセクションに分けられている。セクション1の「原点/住まい」はタイトルどおりで、奥行きのある、通路状の展示室の左壁面には、安藤住宅それぞれの名称とあわせて小さな写真が年代順に貼られている。注目したのはそれが(おそらく)「全」住宅であることだ。作品集ならまだしも、展覧会場でこのような一覧リストを見られる壁面はあまり例がない。その対向、右手の長い長い壁とカウンターには、そこから選ばれた住宅24、5点の、ドローイングや一般図(平・断・立面図など)、模型などが、さらにくわしい説明として並んでいる。
 安藤の住宅といえばまず「住吉の長屋―東邸」が挙がるだろう。次いで小篠邸、城戸崎邸あたりが代表作で、あとは「六甲」の集合住宅になり、それ以外はそれぞれの好みということになりがちだ。このように代表作の寡占化がすすみ、イメージがやや固定してしまっている住宅群のなかからさらには何を選ぶか。その関心に見事に応えつつ、住まいは原点だと再定義する。
 たとえば選ばれたなかに「ガラスブロックの家―石原邸」がある。3階分の高いコンクリート壁で四方を囲われたその中庭を、ガラスブロックが1面は切り立った垂直に、2面は逆ピラミッド状に、囲いこんでいる。写真を見ただけでは造形意欲が強すぎて住むにはちょっとキツいような印象を受けるがとても快適につくられていると、実際に訪ねたときに思った。そうした体験を手がかりにひとつひとつを読み解いていくと、彼の住宅がよく分かる(安藤忠雄『家』のなかの「住宅資料1971−96」を参照)。そこにとくに原点としての発想の核をもつ作品と、その自由な展開としての多様性が見える作品とが重層的にある。それぞれに良い住宅なのだ。そんなかたちでセクション1の展示が構成されている。
 その2。セクション2は「光」。教会の作品が集められた展示室だが、その途中に館外への出入り口があり、そこに話題の「光の教会」が再現されている。原寸大のモックアップである。
 大阪・茨木市にあるこの教会は劇的な写真で紹介されていることが多い。正面の壁全面を切り裂く十字型の開口部を通ってくる光やそこに向かってゆるやかに降りてゆく木の床面(粗削りの足場材を活用)が美しい。それでも実際にその場に立ってみなければ分からない。そう思わざるをえない建築である。あまりの単純さゆえの感動はメディアでは伝えようがない。というより、違う単純さになってしまう。
 安藤は以前にもモックアップ的展示を試みている。東京・乃木坂のTOTOギャラリー・間で「住吉の長屋」を、そっくり入れることはできなかったが肝心なところは外すことなく、すなわち原寸を拾い繋げることで、この重要作品のエッセンスを感取できるような展示になっていた。展示場本来の壁面と、そこに挿入された住宅とが一体となり、あたかも土のなかに埋まっていた遺構の発掘現場に似た迫力に満ちていた。展示場の物理的限界(サイズだけでなく重量も)が逆に効を奏したのである。
 すでに実物としての建築ができあがっていてそこに人が住み使っているものを、印刷・映像メディアなどより直截に伝えるために行なうモックアップは新しい手法であり事例も少ない。ふつうは大きなビルなどでデザインや収まりを確認するために壁面の一部を実際につくり、設計・施工関係者がチェックするものであり外部に公示されることはあまりない。新宿の新都庁舎建設の際には当然モックアップで検討された。それまでにない外装だという思いとともに記憶に残っている。
 さらに時代を遡り、海外を見ると強い印象を受けた事例がある。1912年、ミース・ファン・デル・ローエがクレラー=ミュラーのために設計した大邸宅は、木材と帆布で組み、仕上げもミースが想定した色で塗られた丸ごとの実物大模型がつくられている。実現していたら素晴らしかっただろう。美しい林を背にして草原に広がる姿を撮影した写真もある。だが実現には至らなかった。いろいろな事情によるが、私には前以て実物大の虚像を見てしまうと実像としての建築にたいする熱情が衰えるのではないかとも感じられたのだった。
 今度の展覧会で美術館の裏手に再現された「光の教会」は、大阪・茨城での建築体験を来場の人々に伝えるためには、写真や映像では追っつかない、そんな意図によるものだろう。実際、この特異な展示を訪れてどのように感じるかはひとそれぞれのはずだから行ってみてくださいという他ない。私自身は、よく再現されているという以上に、その空間の把えどころのないはかなさに衝撃を受けた。あまりにも何もない箱状空間。そこに斜めに1枚の壁が、図面を見なければ気がつかないほど何気なく入りこんでいるだけ。安藤がこの構想を練っているときはもちろん実物大模型もなければ、空間構想の決め手のひとつであるベンチ(今回展でもごく一部に置かれているだけ)もなかったはずだ。そのような把えどころのないはかなさの段階で実施に踏み切った安藤の建築の読みに今更ながら驚いたのだ。建築家の知られざる力、実現する以前の建築を把握する力を想像できるのが、すなわち今回展の最大の魅力である。
 その3。展示の設立・仕上げと並行してつくられた真赤なハードカバーの図録は、適切な解説あり、カラー写真満載の、臨場感あふれる作品集になっている。ただ他の美術展も同じだが、展覧会のオープニングと図録の完成が同時になるために、例えば「原点/住まい」での全作品一覧やそこからの模型や図面によるピックアップも、「光の教会」の再現も、この図録には反映されていない。建築は往々にして、唯一無二の実現された第1の建築、ドローイング、設計図面、模型、写真に記録された第2の建築、それらを多角的に取り込み、さらに現場で手を加えることもある、展示された第3の建築。それぞれの顔を持つ。
 安藤さん、この第3の建築の記録づくりもぜひ考えてください。12月18日最終日まで私ももう一度行くつもり。まだ見落としていたものがあるのを思い出した。
(2017年11月24日 うえだまこと

03
左)安藤忠雄《住吉の長屋》、右)安藤忠雄《光の教会》
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別) *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
ときの忘れもので扱っています。

国立新美術館で開催中の「安藤忠雄展―挑戦―」が残り一ヶ月を切りました(12月18日[月]まで)。番頭おだちのオープニング・レポートはコチラを、光嶋裕介さんのエッセイ「安藤忠雄展を見て」と合わせてお読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。

〜〜〜〜〜〜〜
◆ときの忘れものは「ART MIAMI 2017」に出展します。
成田出発から15時間以上経ち、ようやくマイアミに到着しました!遠かったです!
日本-14時間なので、こちらは現在12月2日の21:00前です。乗り継ぎのダラスで秋葉さんだけ抜き打ち審査で別のところに行かされそうになったり、マイアミ行きの搭乗時間は過ぎてるのになかなか荷物を受け取れなかったりと、マイアミ行きに間に合わないかと思いましたが、なんとか飛び乗れました。新澤さんがいてくれて良かったです。
取り急ぎ、ご報告まで。!
(番頭おだちのメールより)>
Art Miami_2017_LOGO_dates_600
会期:2017年12月5日[火]〜10日[日]
ブースナンバー:A428

12月5日(火)21:55〜22:00 BSフジブレイク前夜〜次世代の芸術家たち〜』に光嶋裕介さんが出演します。

◆埼玉県立近代美術館の広報紙 ZOCALO の12月-1月号が発行され、次回の企画展「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が特集されています。館内で無料配布しているほか、HPからもご覧いただけます。

◆ときの忘れものは「WARHOL―underground america」を開催します。
会期=2017年12月12日[火]―12月28日[木] ※日・月・祝日休廊
201712_WARHOL

1960年代を風靡したアングラという言葉は、「アンダーグラウンドシネマ」という映画の動向を指す言葉として使われ始めました。ハリウッドの商業映画とはまったく異なる映像美を目指したジョナス・メカスアンディ・ウォーホルの映画をいちはやく日本に紹介したのが映画評論家の金坂健二でした。金坂は自身映像作家でもあり、また多くの写真作品も残しました。没後、忘れられつつある金坂ですが、彼の撮影したウォーホルのポートレートを展示するともに、著書や写真集で金坂の疾走した60〜70年代を回顧します。
会期中毎日15時よりメカス映画「this side of paradise」を上映します
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60〜70年代のアメリカを象徴する映像作品です。(予約不要、料金500円はメカスさんのNYフィルム・アーカイブスに送金します)。

●書籍のご案内
版画掌誌5号表紙600
版画掌誌第5号
オリジナル版画入り美術誌
特集1/ジョナス・メカス
特集2/日和崎尊夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版ーA : 限定15部 価格:120,000円(税別) 
A版ーB : 限定20部 価格:120,000円(税別)
B版 : 限定35部 価格:70,000円(税別)


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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植田実「美術展のおこぼれ」第45回<日本の家 1945年以降の建築と暮らし>

植田実のエッセイ
「美術展のおこぼれ」第45回


日本の家 1945年以降の建築と暮らし
会期:2017年7月19日―10月29日
会場:東京国立近代美術館

 いろんな意味で、必見の展覧会だ。
 建築に関わるひとにとって。でないひとにとってはなおいっそう。建築展は実物がそこにないものを見るのだから、はじめから何か面倒に出会う覚悟で行くことになる。その気持ちを少し掘り下げると、美術展だって同じだ。実物の絵を目の前にしながら、これを美術の現実と言い切るのはむつかしい。5年ほど前、松本竣介生誕百年記念展が、岩手、神奈川、宮城、島根の各県立美術館と東京の世田谷美術館を10ヵ月かけて巡回したとき、綿貫さんに言われて、この5美術館の展示を追っかけ訪ねたことがある。出展作品とその構成は基本的に同じで、カタログも同じだが、展示空間は当然それぞれに違う。部屋の大小、天井の高さ、壁面の長さや配置が違う。それ以前に絵と絵の間隔がわずかに広かったり狭かったりするだけでも、竣介の同じ絵画が毅然としたり親しみを帯びたり微妙に変化するのに驚いた。絵が生きて動いていた。
 建築展はそれに比べると、会場の外、遠くにある実物と、会場内でのその反映・写し・説明とのあいだの距離を読みとる展覧会である。「日本の家」展はまずオープニングに行ったけれど、その距離を楽しむには人も展示物も多くて疲れてしまい早々に退散した。その後はカタログでひととおり見当をつけ、数日前にもう一度竹橋のMOMATを訪ねた。3時間ほどかけて見てまわったが時間切れ。やはり多い。なのでとくに印象的だったものを3つだけ挙げて報告にする。全体を知るには自分で行って見てくるのがやはりいちばん。
 その1。ヴィデオがけっこうある。全部見たけれど、アトリエ・ワン設計の「ハウス&アトリエ」がよく分かった。ここには2回ほどお邪魔して、私的な住まいゾーンと公的な仕事場ゾーンの混然一体を垣間見たし、写真や図面もそこを核心として語っていたのだけれど、まだ理念としてのレベルが残るとも思えたのである。今回のヴィデオはそこがすでに堅固な構造体として働いていて、この時代におけるきわめてヴィヴィッドな提案であることを一瞬にしてとらえている。とにかく大勢のスタッフが動きまわる。プライヴェートな場面がある。それらがあくまでも建築の描出になっているのだ。
 その隣に石山修武の「世田谷村(自邸)」に入りこんだヴィデオ。住まいのほかに工房、スタジオ、その他の機能が重層し、アトリエ・ワンの住居と仕事場と共通するところがありそうだが、その建築はヴィデオによって明らかにされない。というか隠されている。屋上の菜園や屋内の暗いところで何かがずっと動いている気配だけがある。当の石山修武が手にした小さな銅板をドライポイントふうに彫りつづける姿だけがある。(ときの忘れもの註:グランドをひいて銅板をお渡ししていますが、そんなことはお構いなしにドライポイントあるいはビュランのように彫っています。)そんな小さな時間だけで、この世田谷村がめざす壮大な自給自足の家が見事に描かれている。
 この2本のヴィデオ制作者の名を見ると、石山友美。映画「少女と夏の終わり」、「だれも知らない建築のはなし」の監督であり、世田谷村は住まい手として知りつくしている。そこから十分に計算された対照的なヴィデオになったのか。
 建て主であり住まい手である人々へのインタヴューのヴィデオもいくつかあって興味深い。語り続ける表情にひきこまれていくうちに、家の所有や生活の豊富化といった局面が意識の中で強まってきて戸惑う。構成上、話に終わりがなくなり建築と住むこととが相対化してくる。そのなかで中山英之設計の「О邸」のヴィデオには人も見えないし声も聞こえない。椅子やカーテンやドアや窓が沈黙の表れのように静止画に近いかたちで淡々と写される。デザイン・ディレクターである施主の撮影と編集によるものらしいが、住む人の存在がいちばん見えているヴィデオでもあった。
 これらのヴィデオは当然、カタログでは見ることができない。とくに今回展のカタログは、展示の方向性を大きくとらえたあとはかなり自由に制作されており、独立した建築誌として読むこともできる。
 会場で印象的だったその2。
 西沢大良設計の「大田のハウス」のスタディ図面がそれで、東西に長い西入りの矩形の敷地に、さらに細長い箱のような住棟を北側に寄せて南面をあける。一見まるで単純な配置を執拗に検討する12点の図面(カタログ145ページ)がすごい。その隣のもう1枚はもっとすごい。住棟内の階段室を赤いインクで寸法チェックと併せて繰り返すとても小さな手描きの検討図面は、建築家というひとの誠実な怖さに直に触ってしまう迫力で、会場ではダントツの展示物だ。この生々しさは印刷にしたら消えてしまうだろうなと思いつつカタログのなかを探したら、図面そのものが省略されていた。
 その3。
 会場入口に掲げられていた「ごあいさつ」のパネル。
 本の表紙かとびらページみたいに、どの企画展でも会場の入口まわりに必ず見られる、あのパネル。企画の主旨を簡潔に述べている。当然カタログの巻頭にもまったく同じ文章が再録され、私もそれを読んで美術館にやってきた。にもかかわらず、あらためて「ごあいさつ」に向きあうと違う文章なのだ。会場という現場でこそ、人々を迎える主催者の、決断と高揚がストレートに伝わってくるからだ。展示そのものとカタログとはやはり違うのである。
 会場では「50人(組)を超える建築家による75件の家」を「13のテーマ(系譜)に分けて」(「ごあいさつ」より)、写真、図面、模型、ヴィデオ、モックアップ(実物大の部分模型)などの多様なプレゼンテーションで見せている。13のテーマとは、日本的なるもの、プロトタイプと大量生産、閉鎖から開放へ、家族を批評する、等々の、1945年以降の住宅を見直す切り口でもあり整理棚でもある。
 建築家による住宅建築の代表例を選んで展示する企画はこのところなぜか集中して、例えば「戦後日本住宅伝説」展(2014‐15年、埼玉県立近代美術館、ほか)では16件、「日本、家の列島」展(2017年、パナソニック汐留ミュージアム。ヨーロッパでの巡回展は3年ぐらい前から行なわれてきたらしい)では「昨日の家」のブロックに14件、まちなかでのスナップ写真を集めた「東京の家」36件、写真、図面、住まい手へのインタヴューなどでそれぞれを紹介する「今の家」21件を選んでいる(カタログを参照した)。「伝説」と「家の列島・昨日の家」では1950‐70年代の住宅が中心であり、丹下健三の「住居」、菊竹清訓の「スカイハウス」、東孝光の「塔の家」、安藤忠雄の「住吉の長屋」などのよく知られる事例がダブっている。量も質もほかのどの国に負けない日本の「建築家による住宅」のなかから、かなり特異な事例までが迷わず選ばれた結果、戦後日本の代表的住宅といえばどこも同じようなラインナップになる。展覧会だけではない。雑誌や単行本の特集を加えればさらに動かし難い歴史になっていく。「建築文化」別冊「日本の住宅50年」(布野修司編1995年)では42人の建築家・評論家がひとり10点の持ち点で選んだその集計結果は「塔の家」「スカイハウス」「住吉の長屋」が最高得点になった。現実に個人が所有し(していた)、住んでいる(いた)物件を人気投票みたいに順番をつけて評価することに問題ないのか気にもなるが、それはひとつには「外からの眼」の自然な漂着点なのかもしれない。
 住宅の基本は、外から入れない建築である。仮りに客として招かれても住宅ではほんとうになかに入れたわけではない。その組織は建築という表層(屋内であっても)に端的に可視化され、だれもがそのとくに拒絶の表れに敏感に反応する。ひらたく言えばいっぷう変わった迷宮のような家がおもしろい。なかに入ってみたい欲望に襲われる。同時代の者はその不可能性から住宅を見始めた。それが過ぎ去った時代の住宅になれば遅れて来た者はさらに外からの眼を自覚し、優位に立つ場に向かう。生活という現在性(「スカイハウス」には50年代の、「塔の家」には60年代の、「住吉の長屋」には70年代の)を抜き取ればいっそう外から俯瞰しやすくなる。
 そのあたりの自己中心性を断ち切ったのは「戦後日本住宅伝説」展の「伝説」というネーミングだ。みな同質的に住宅事例を並べてしまうことの言い訳、ではなく正当性を言っている。建築家ひとりに1作品というルールも、大スクリーンを各作品コーナーのフロントとする(東工大百年記念館での坂本一成展のアイデアを譲り受けたとはいえ)手法も、明快でおもしろく分かりやすかった。
 「日本、家の列島」展は4人のフランス人(建築家と写真家)によるものだから、まさに外からの眼を通しての展覧会で、キュートで愛らしいカタログらしからぬカタログにも、その企画内容がよく表れていた。
 対して「日本の家」展は、内側から見せようとしている眼を感じる。
 まず13のテーマに分別することで年代的序列から住宅を語り、時代を追って説明する常套から逃れている。それなりに各住宅のリアリティを支えていた属性が剥離して、どこか不安定になった姿でもある。例えば形態や構成にある共通性が見られるがそれらの住宅を生んだ時代背景や状況があまりにも違う。見た目が似ているからこそ別々のものとして考えたいと思っていた住宅が同じテーマの下に連結されているのを見る落ち着かなさ。また例えばその住宅が出現した当時、住宅に対する自分の慣習的見方を徹底して否定された衝撃を長年確信してきたのに、それとはマギャクなテーマのなかに追いこまれているのを見る生半可感。だがじつはこの身の置きどころがないような気分こそ、「日本の家」展の醍醐味である。建築本来の生命を弱めることもある、テーマの下での批評という外科的処置に、ここで疑問や不信を口に出したら負けだ。それをいちばん痛感しているのはほかならぬ監修者で、そこを自ら乗り越えるように書かれた各テーマや作品例の解説は、だからとても丁寧だ。それが新たな住宅観へと案内してくれるかどうかは、自分が会場内に立ってみて判断することである。
 だから繰り返し言わせてもらいます。必見の展覧会だ。
2017.9.20 うえだまこと

●展覧会のご紹介
20171006_チラシ


20171006_チラシ裏
「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」
会期:2017年7月19日[水]〜10月29日[日]
会場:東京国立近代美術館
   千代田区北の丸公園3-1
   Tel. 03-5777-8600
開館時間:10:00〜17:00(金・土は21:00まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜(10月9日は開館)、10月10日

本展は日本の建築家56組による75件の住宅建築を、400点を超える模型、図面、写真、映像などを通して紹介する壮大な試みです。
時系列ではなくテーマごとの展示になっているので、「日本の家」の特徴を深く理解いただけます。2016年秋からローマ、ロンドンを巡回し、いよいよ東京で開幕します。

出品建築家一覧:相田武文、青木淳、東孝光、アトリエ・ワン(塚本由晴+貝島桃代)、阿部勤、安藤忠雄、五十嵐淳、生物建築舎(藤野高志)、生田勉、池辺陽、石山修武、伊東豊雄、乾久美子、o+h(大西麻貴+百田有希)、大野勝彦+積水化学工業、岡啓輔、柄沢祐輔、菊竹清訓、岸和郎、隈研吾、黒川紀章、黒沢隆、金野千恵、坂倉準三、坂本一成、篠原一男、篠原聡子、島田陽、白井晟一、清家清、妹島和世、丹下健三、手塚建築研究所(手塚貴晴+手塚由比)、dot architects(家成俊勝+赤代武志)、中川エリカ、中山英之、難波和彦、西沢大良、西沢立衛、西田司、長谷川逸子、長谷川豪、広瀬鎌二、藤井博巳、藤本壮介、藤森照信、前川國男、増沢洵、宮本佳明、無印良品、毛綱毅曠、山下和正、山本理顕、吉阪隆正、吉村順三、アントニン・レーモンド
(東京国立近代美術館HPより転載)

20171006_カタログ『日本の家 1945年以降の建築と暮らし』図録
2017年
新建築社 発行
255ページ
29.7x22.2cm


20171006_石山石山修武
「幻庵」
1975年


石山修武_世田谷村石山修武
「世田谷村」
2001年


20171006_阿部阿部勤
「中心のある家」外観
1974年


20171006_阿部_2内観


◎臨時ニュース
ただいまフランスのポンピドーセンター・メスで<「ジャパン・ネス 1945年以降の日本における建築と都市」展が開催されています。同展のオープニングに出席された今村創平さんと、同展カタログに執筆された植田実先生のお二人によるギャラリートークを来月11月16日(木)18時より開催することになりました。
詳細は近日中に発表します。
*要予約:参加費1,000円
ギャラリートークへの参加希望は、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。twitterやfacebookのメッセージでは受け付けておりません。当方からの「予約受付」の返信を以ってご予約完了となりますので、返信が無い場合は恐れ入りますがご連絡ください。
E-mail: info@tokinowasuremono.com

●本日のお勧め作品は安藤忠雄です。
01安藤忠雄
住吉の長屋
1998年 シルクスクリーン
Image size: 43.0×69.5cm
Sheet size: 60.0×90.0cm
Ed.35  サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものは「安藤忠雄展 ドローイングと版画」を開催しています。
会期:2017年9月26日[火]〜10月21日[土] 11:00〜18:00 ※日・月・祝日休廊
201709_ando

●六本木の国立新美術館で「安藤忠雄展―挑戦―」が開催されています。
会期:2017年9月27日[水]〜12月18日[月]
オープニングのレポートはコチラをご覧ください。カタログと展示はまったく違う構成になっており、建築展として必見の展覧会です。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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植田実・美術展のおこぼれ第44回「石山修武・六角鬼丈二人展―遠い記憶の形」

植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」第44回

 「石山修武・六角鬼丈二人展―遠い記憶の形」が突然始まった。石山は去年の暮れに毛綱毅曠との共著『異形建築巡礼』を上梓したばかり、その出版記念会で彼に会ったばかりで、それから直ぐの二人展は連続しているといっていいのだが、いやそれだけに終わらず今年じゅうに写真家や詩人や建築家たちとのそれぞれ4回にわたる二人展と出版とを続行するつもりだと、石山は書いている。こんな長丁場の連続プロジェクトを思いつくひとは滅多にいない。実行するひとは皆無だ。その圧倒的なパワーによる始動は「突然」と言うしかない。これについてはごく短いけれど何かを断ち切る刃物のような石山の宣言を参照してほしい。こちらは「二人展」を見ての印象。
 石山の銅版画は世田谷美術館での大々的な個展(2008年)でたぶん初めて見た。建築家の絵ではない。イメージを融通無礙に捕獲していくその山と海の豊かさがすばらしかった。その後はときの忘れものでの個展でもさらにイメージの展開は終わることがなかった。そして今回の銅版が私はいちばん好きだ。石山は「(サイズが)大きいから」と、それだけを説明していた。たしかに今回つくられた作品の半数近くがこれまでにない大きさによって縦づかいなら高みに飢えた登攀力、横づかいなら遠くまで進む持続力が増しているのが画面に見える。版を彫る道具もニードルだけでなくノミまで用いたという。その荒々しいテクスチャからどの作品にも大小さまざまの足が、それもテクスチャの一部のように強い表情でゾロッと現れている。あとになって作品の写真がときの忘れものから送られてきたとき初めてそれぞれの絵柄がわかったほどに、テクスチャの強さが構図そのものをはるかに凌駕していた。それは長いあいだその旅行きを語りつがれてきた物語に登場する足男たちの肖像画集でもあったのだ。つまり今回の銅版シリーズではとても意識的なテーマでおさえこんだために、これまでにない強靭な、石山という建築家ならびにその肩書をもぎとる何者かにいきなり向かいあわされている。
 制作年2016となっている石山の銅版にたいして、その石山から声をかけられた六角のシルクスクリーンは二人展オープニングの1月10日に制作年2017。インクの香がまだ濃い。そして摺られているのは期待に違わず、現実の建築作品をベースにしたもので、たとえば「奇想流転(奇合建築)」は1970年代後半から80年代前半にかけて六角が設計した京都の幼稚園・プレイスクール・工作棟、福岡の金光教教会、札幌の鐘楼展望塔などの屋根伏図を集中合体させた建築図面で、その異様な密度は現実の建築を超えた場所に見る者を誘いこんで帰さない。幼稚園や金光教教会の個々の姿は立面図として取り出され、並べて展示されている。精妙に刷り重ねられたインクは、立体化し、同時になにも見えない光沢面をつくり出す。
 軽快なタッチによる「みみ」のシリーズは90年代はじめに東京・杉並区のあちこちにつくられた「みみ」「とき」「はだし」「はな」など、身体で感じる小公園で出会う動きと見ることができる。90年代に入ってはやはり立面のシルクスクリーンがある東京武道館、さらには東京藝術大学大学美術館、富山の立山博物館まんだら遊苑、宮城の感覚ミュージアムなどの大作がその後に続くが、それらも折にふれ独立した絵画や立体作品にしてきた。今回出品されている「斎具」の頂部にまたもや金光教教会が載せられているように、六角は繰り返し自分のこれまでの作品に立ち帰り、私たちもそれらを繰り返し見ることを怖れつつたのしむ。それらはイコンではない。原型、いや原器とでもとりあえず言うしかないが、イコンではなく力の源である。「斎具」においてシリンダーの重なる建築形態からあふれ出る力の流れを受けて納める器として形づくられていくのを見る不思議。立体作品のなかの「求心具」は今回展の数日前ぎりぎりになんとか間に合ったという。六角の処女作としてよく知られる自邸「クレバス」(1967年)がモチーフだが、あの時代あまりにも直結的な小さな階段のクレバスの残響が50年後の現在こそ、もっとずっと頭の深部に入ってくる原器なのだ。
 こうしてみると、いかに二人が違っていると同時に、時代状況にたいしては兄弟のように似ていることか。建築家の作品という先入観で見れば異端の図像である。これまでの記憶を失うならばその瞬間、誰にも覚えのある始まりの景色が歩み寄ってくる。

(2017.1.18 うえだまこと)

201701_ISHIYAMA-ROKKAKU

「石山修武・六角鬼丈 二人展―遠い記憶の形―」
会期:2017年1月10日[火]〜1月21日[土] 11:00〜18:30 ※日・祝日休廊
主催/会場:ギャラリーせいほう
〒104-0061 東京都中央区銀座8-10-7 東成ビル1F
TEL. 03-3573-2468
協力:ときの忘れもの

石山修武の新作銅版画の詳細はコチラをご覧ください。
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六角鬼丈の新作シルクスクリーンの詳細はコチラをご覧ください。
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08六角鬼丈
《求心具》
2017年 木製家具
H95cm

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2017年1月10日(火)
ギャラリーせいほうでのオープニングにて
植田実(右)、六角鬼丈(左)

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本日の瑛九情報!
〜〜〜
「瑛九の会」の発足時に事務局を担当したのが東京大田区に住む小学校教師の尾崎正教先生でした。
創美(創造美育協会)の運動に参加、久保貞次郎の唱導した小コレクター運動に共鳴、「小コレクターの会」を主宰してオークションや頒布会を精力的に開いていました。亭主は1973年秋に尾崎先生に出会い、翌年結成した現代版画センターの顧問には久保貞次郎先生を、事務局長には尾崎先生をお迎えしました。やがて全国の会員たちを訪ね歩く中で「わたくし美術館運動」を発起し、2001年10月3日旅先の新潟県で急逝するまで各地のコレクター、美術愛好家たちに版画の頒布を精力的に展開されました(享年79)。
20170121_600
尾崎正教編『わたくし美術館』
1980年1月10日第一刷発行、1984年11月20日改訂版発行
文化書房博文社刊
26.5×20.0cm 199頁

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qei_115瑛九
「風景」
板に油彩
23.7x33.0cm(F4)
サインあり

〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

植田実「丸の内赤煉瓦街」

植田実

「丸の内赤煉瓦街」

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出品番号41.
植田実
「丸の内赤煉瓦街」
1961年撮影
動画(8mmフィルムをDVDに変換)
再生時間:4分25秒

 まだ小学生にもなっていない頃、母に連れられて見知らぬ街に行きました。 電車を降り歩くにつれて街は黙りこむ。壁が堅固になる。その壁のなかから突 然、父が現れた。おどろきとショックがいまでもあざやかな瞬間でした。両親 は表通りでちょっと立ちばなしをし、父はまた壁のなかに消えました。私たち の住まいから途方もなく遠いところにひとりでいた父。大人になることの恐怖 が襲ってきました。そこは父の勤め先である丸の内赤煉瓦街の一画で、三菱系 の会社だったのです。
 20年後、兄が参加していた建築設計事務所も偶々同じ赤煉瓦街の、こちらは 5、6人分の机でいっぱいになるくらいの小さな、路地に面した一部屋で、若い 建築家たちの活気が外にも伝わってきました。赤煉瓦街とひとまとめに言って も建物の顔はそれぞれで、そこに遥かな静けさが霧のように立ちこめていまし た。
 私のはじめての仕事先は八重洲の出版社で、昼休みのあいだに丸の内に行っ て戻ってこられる距離です。先輩の編集者が貸してくれた8ミリの撮影機でと りあえず1巻、わずか3分間を撮ったのだけど肝心の映写機がなく、ようやく その映像を見たのは10年もあとのこと。カメラも持たなかったので写真を撮る 習慣もずっと先になってからです。
 撮りっ放しで編集もしていない、わが生涯でただ1本の8ミリ映像のフィル ム・ケースには1961年1月29日の日付、おそらくはこの日に撮影した。社会人 になって1年足らずでした。
うえだまこと

◆ときの忘れものは2015年1月9日[金]―1月23日[金]「植田実写真展―都市のインク 端島複合体、同潤会アパートメント」を開催しています(*会期中無休)。
植田実写真展DM
2003年度の日本建築学会文化賞を受賞するなど、建築評論、編集者として長年活躍し続ける植田実が、長年撮りためてきた写真作品を初めて公開したのは2010年のときの忘れものでの「植田実写真展―空地の絵葉書」でした。70歳を超えての初個展でした。
二度目の個展となる本展では〈端島複合体〉〈同潤会アパートメント〉の写真と、61年に8mmフィルムで撮影した《丸の内赤煉瓦街》の映像をご覧いただきます。

●イベントのご案内
本日1月9日(金)18時より植田実さんを囲んでオープニングを開催します。

1月16日(金)19時より植田実さんと降旗千賀子さん(目黒区美術館学芸員)を迎えてギャラリートークを開催します。
既に定員に達しましたので、受付は終了しました。
※要予約/参加費1,000円
※開始時間の変更
DMにはギャラリートークの開始時間を「18時」と記載しておりましたが、「19時」に変更になりました。お間違いのないようお願いいたします。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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