植田実のエッセイ

植田実「美術展のおこぼれ」第48回〜「建築の日本展」

植田実のエッセイ
「美術展のおこぼれ」第48回


「建築の日本展」
会期:2018年4月25日〜9月17日
会場:森美術館

 六本木に展示を見に行った6月下旬にはカタログがまだ出来てなかったので、代金を先払いし住所氏名を書いて帰ってきた。7月に入って郵便が届いた。展覧会のカタログはこれでいいと私は思っている。会場の入り口で作品リストなどをもらえるし、会場内にはさまざまな解説のパネルがある。展覧会での自分なりの印象を煮つめる時間に、その場で買えるカタログの論文や図版は邪魔なことだってある。とくに印刷された図版はサイズも精度も、会場でその作品の全的存在に少しでも近づけたと思う一瞬を、もとの図柄の記憶に戻してしまう慣性が働くのがふつうだ。
 そもそも見本もなしで先に本代をいただきますという仕組みは、ぜったいにいいカタログをお渡ししますという美術館の自信にたいする楽しみにもなっているのだ。そして建築展のカタログは、とくに平面作品の再現に大きく比重がかかる美術展カタログとは別の、編集のバランスや精度に建築のリアリティが左右される。建築そのものは展示できないという言いわけは納得されないのだ。
 7月に入って郵便が届き、中味を見てまず嬉しかったのは要所々々に会場の写真があったことだ。ふつうのカタログには間に合わない。オープニング直前まで展示作業が続いているからだ。建築展は写真・模型・図面と、見せかたの方法が多様であり、その全体を覚えるのはたいへんだから会場写真がカタログに組みこまれているのはありがたい。けれども展示会場写真というのは(それが見事に、あるいは下手に撮られているかどうかの関係なく)、なぜか記憶のポテンシャリティを低めることが多い。撮影者が悪いのではない、もっと構造的な問題なんだと思うがうまく説明できない。最近は作品リストと一緒に会場構成の略図などを配布して下さる美術館が増えてきて、とても助かる。展示計画とその解説が複雑になってきている。それはむしろ、壁面に例えば油彩の作品を並べるだけといったごく基本の展示にも、不可避的に向かっていってしまう意識の存在に関わっている。
建築の日本展カタログ_扉
「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」カタログより展示風景。森美術館、2018年、撮影:来田 猛

 この企画展では、「縄文の住居から現代建築まで100のプロジェクト」が、模型・写真・図面・関連資料など、およそ400点で紹介されている。プロジェクト100点という数字は、結果ではなく最初から設定した枠だろう。なんといっても縄文から現代までの全建築史という途方もない時間のスパンを見渡し、その現代には石上純也、前田圭介、田根剛、吉村靖孝など1970年代生まれの建築家たちの仕事までしっかり見せているのだ。100のプロジェクトは「可能性としての木造」「安らかなる屋根」「開かれた折衷」「集まって生きる形」「発見された日本」「共生する自然」ほか9つのセクションに分けて集められている。それぞれのタイトルで内容がほぼ想像できるかもしれないが、9つに分けた構成自体がきわめて正統的というか、あえて新しい切り口は避け、日本建築についての定説を集大成して若い世代あるいは海外の読者に示そうとしたようにも思える。執筆者も建築家のほかに研究者30人あまりが数えられる。それで2000年近くの建築史を分担執筆し、しかも歴史を俯瞰する全体を表すための文体統一の配慮も必要だったにちがいなく、企画・監修者には負担がかかったと思う。でもそのコントロールが拘束的ではないのは読めば分かる。自由であり思いがけない発見や指摘がある。とくにうまいと思ったのは現代の建築については基本的にはその設計者が主旨を書いている。全体が歴史的方向を印象づける俯瞰的文体のなかで、建築家による建築とその説明が毛羽立っている。つまり小さいが自己主張のテクスチャがある。ここで研究者の共同執筆による教科書などとはちょっとちがう本が顔を出している。もともと「日本」と建築家による「建築」との関係をいうとするならば、もっとずっと多くの作品例を出すべきだろうが、本展では「現代」(あるいは「現在」)を思い切り強くアピールするために、「現在」に至るまでの多くの建築家による先行作品を割愛し、いまもっとも元気な建築家たちによる織目を微妙に変えた文体できれいに繕った。ここでは、展示を、カタログが主導している。そしてすべての説明に英文が併記されていることは重要だ。この展覧会は、日本の建築界内だけのものではなく、またその外側に、突飛な切り口によっていきなり剥き出しにする意図もないのだ。

 あらためて考えるのは、ここで選ばれたプロジェクトの100という数字である。プロジェクトを最終的に何点に絞るかについてはいろいろなアイデアが出されたなかで最適な数字が出されたにちがいない。100のプロジェクトはけっして多くはないと思うが、建築関係外の人たちにはめんどくさい数かもしれない。木造の、屋根の、空間構成の、対自然の、歴史と現在とが結び付けられる共通項が明快過ぎて、建築の理解をかえって妨げてしまうかもしれないので。例えば旧閑谷学校(1701年)について「建築をつくる前に、学校全体の環境を計画した。人々が集まってくるための広場、山火事から学校を守る日除けのための丘、防災のための池、学校を火事や災害から守るための長大な石塀、石塀で閉ざした内側の治水を制御するための石造りの埋設管による排水路など、(中略)建築についても当時の建築の常識から大きく逸脱した、徹底した工学的アプローチによって計画されている。まず平面形は極めて純粋な内陣・外陣の幾何学的構成をとっており、他の聖堂建築に類例がない。立面においても(以下略)」と、藤原徹平がわずか1000字近くの解説でこの名建築の魅力をみごとに描いているが、当のカタログでは写真3点、見開き2ページ。これを100プロジェクト全部見ていくのはたいへん。展示そのものも同様だろう。たとえば藤原の解説をすべて展示に、小学生にもよく分かるように具体化する。そのためにプロジェクトを10に厳選し、残り90は小さい扱いだがそこに至る流れをさらによく分かるように位置づける(結果として旧閑谷学校がその10点に残るかどうかは別だが)。と、あらぬ妄想に足を取られた。
 とにかく建築をもっと多くの人々に理解してもらいたいのである。なんだか迫力があり専門的威嚇的で面白そうというのではなく、信用されたいのである。
 長くなってしまったので中途半端のまま終わらせてもらうが、あとひとつだけ必見の展示。待庵(1582年頃)の原寸再現。究極の最小限空間などと言われる待庵。自分でそれを体験できる。なかに入らせていただいて直ぐ分かった。国宝内部空間のかつての体験の異様さを、私はずっと寸法にも結びつけて考えていたが、その記憶が押し出されて別の身体性がどこかの闇の中から戻ってくるのを、再現された茶室のなかで逆に、痛切に感じたのだった。
(2018.9.6 うえだまこと) 

建築の日本展カタログ_表紙「建築の日本展」カタログ
サイズ:A4
ページ数:324ページ
言語:日英バイリンガル
価格:3,672円(税込)
制作・発行:森美術館/Echelle-1
販売場所:森美術館ミュージアムショップ
詳細はこちら

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*画廊亭主敬白
久しぶりに植田実先生の<美術展のおこぼれ>です(前回第47回はコチラ)。
今回の「建築の日本展」は評判の大展覧会であり、会期終了が迫っているので、急ぎ掲載する次第です。
画廊では「吉田克朗 LONDON 1975 」展が先週末9月8日に無事終了しました。
会期末はたくさんの方に来ていただいたのですが、亭主と社長は毎年9月の恒例となった「アートフェアアジア福岡」に出展のため九州に出張しており、失礼いたしました。
福岡は雨模様の天気でしたが、おかげさまで気持ちの良いフェアを楽しませていただきました(いずれブログで報告します)。
吉田克朗先生とは現代版画センター時代に僅か1点ですが版画エディションをしていましたが、展覧会(個展)は今回が初めてでした。
43年前の吉田先生の銅版画集『LONDON 』の完璧な保存状態のものを縁あって入手することができ、初めての個展開催となった次第です。
7月からの猛暑の日々で、お客様には申し訳ないことでしたが、生前の吉田先生を知る方、直接の面識はないけれど作品に刺激され研究されている方など熱心な吉田ファンの存在に励まされた3週間でした。
それにしても台風21号(高波、強風、落雷、豪雨)や北海道での大きな地震の被害を思うと、たまたま東京に襲来しなかっただけで、「無事」だったことをありがたく思いますが、明日はわが身。
被災された皆さんには心よりお見舞い申し上げます。

●今日のお勧め作品は、植田実です。
ueda_110_dojun_edogawa_05植田実 Makoto UYEDA
《同潤会アパートメント 江戸川》(5)
(2014年プリント)
ラムダプリント
16.3×24.4cm
Ed.7
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


ときの忘れもの・拾遺 第8回ギャラリーコンサートのご案内
武久源造バッハやブクステフーデなどバロック時代の鍵盤曲の名手として知られる武久源造さんをお招きします。演奏する楽器は1830年代にウィーンでSeuffert & Seidler社によって作られたスクェア・ピアノです。それに合わせて、その時代にウィーン周辺で作られた曲がメインです。
R.シューマン/アラベスク 作品18、F.シューベルト/即興曲 作品90より2〜4番、F.シューベルト/四手連弾のためのファンタジー へ短調 作品103、他

日時:2018年9月12日(水)18:00〜
会場:ときの忘れもの
出演:武久源造、山川節子、プロデュース:大野幸
要予約=料金:1,000円
予約:必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com

ときの忘れものは第303回企画◆野口琢郎展 を開催します。
会期:2018年9月20日[木]―9月29日[土] 11:00-19:00 会期中無休
展覧会カタログを刊行します。(テキスト:金沢21世紀美術館館長・島敦彦さん)。
作家は会期中毎日在廊します
野口展


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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植田実のエッセイ「本との関係」第6回

植田実のエッセイ「本との関係」第6回

寺山修司の病室


 大学という場所に通いはじめた、とくに最初の1年間の記憶は、褪せも消えもしない痕跡の、経年変化が深まってゆく亀裂みたいにつよい。中学や高校や予備校入学時の明快さを欠いている。説明できない。
 授業がはじまった最初の1週間の印象というか受けた打撃は、単純な失望とはいえない。この1週間で、講義をされる先生方の顔ぶれと今後1年間に毎週話される授業内容の全貌がほぼ予測できてしまうわけで、それが丸見えてしまったのでがっかりしたのだろう。中学、高校における授業の楽しさと厳しさはその地域の先生と子どもたちが一体化しているからだし、予備校の講義が受講者たちの能力を一挙に全開するような説明力は、見方によれば受験という一瞬のハードルを飛び抜けるだけの頭の使いかただったのかもしれない。
 つまり授業がはじまるその直前まで、大学とは小中高および予(人によっては)と連続していて、もちろんその頂点に位置していると私は考えていたのだがそれは間違いで、むしろ大学以降の学びの場はどこからも切り離され自立している、それを学生たちに伝えるのに先生方はとても苦労されている。そのように自分の先入観を必死で変えようとした気持ちが残っている。失望したくなかったからだ。
 ずいぶん古い時代のはなしだ。書いていて気が付いた。

 クラス担任あるいは講義の先生方やカリキュラムなどよりもっとずっと激しく、自分を危機に追いつめた、あるいは救ったものが、大学にあった。学生たちとの出会いである。それも専修が同じクラスの学生たちとは毎日会っているが、それぞれの個性や考え、目標としているものなど直ぐにはわからないのに対して、部活の部屋に集まってきたのは誰もが詩を書いている連中だからそれなりにわかりやすい、しかも2年から4年生までの先輩がいて全体の動きもはっきりしている。そういう出会いのなかに巻きこまれた。
 その最初の日は先輩たちと新入生との顔合わせ会で、私たち新入生は10人あまり、先輩たちはそれよりちょっと多めだったかもしれない。さいごにいかにもリーダー格の、穏やかな笑顔の学生と、それとは対照的な、むしろ怒っているかのような鋭い目つきの学生が連れだって部屋に入ってきた。これほど眼光の強い男を見たことがなかった。おまけに学生服の上着を、前ボタンを全部外したまま羽織っているのでいちだんと立ってみえる詰め襟に、削げた蒼白い頬が埋もれている。勢揃いしたところでまず上級生からの自己紹介があり、例のどこか不良っぽいスタイルの学生はひとこと、「寺山修司です」とだけ名乗った。
 その名をつい最近知ったのだった。1954年11月に「チェホフ祭」50首が第2回短歌研究新人賞を受賞する。それを発表した「短歌研究」が代々木駅前の本屋の店頭に平積みになっていて、それは私の通っていた予備校の真向かいでもあったので目についた。読書断ちの日々だったのに、しかもまったく縁のないジャンルの雑誌だったのに、つい手にとって立ち読みし、いっぺんに魅せられた。しみじみと読まなくても、体験したことのない新鮮な言葉が頭のなかを通りはじめたのだ。店頭にその発表誌を見たのは54年の暮か、遅くても翌年早々である。その1955年の春に部活の会でその作者といきなり出会ったのである。東京とはこのようなかたちで人を知ることがある都市なんだという実感が急に迫ってきたと同時に、大学とはそれこそが当たり前の場と納得したように覚えているが、たしかにこの集まりのすぐあと、5月には10人ほどが集まった部室に谷川俊太郎さんに来ていただいて話をきく贅沢な会を実現したりしている。でも寺山さんとの出会いは違う。遠くに見えた知らない男が突然私の横に現れて私の名を呼んだのである。
 寺山さんとはその後は大学で会うことはなかったと思う。詩の会の部屋に来ることもなかった。『寺山修司全詩歌句』1986年思潮社刊の巻末に付けられている年譜によれば短歌研究新人賞受賞の年、混合性腎臓炎のために立川の病院に入院、退院後さらにネフローゼ発病とある。翌年、新宿の社会保険中央病院に入院するが、(私の記憶ではおそらく夏以降に)病状が悪化し、面会謝絶となる。大学の部活の会に顔を出したときの厳しい印象は、病いをおして会のために出席した律儀さだと説明できたのかもしれない。
 部活の会で知り合った同じ1年生の、だが学部は違う女子学生と、JR新大久保駅から歩いてまもなくの、上記の病院に寺山さんを見舞いに行った。今度はベッドの上の寝巻姿で表情もずっと穏やか。ゆっくり言葉を交わすことができた。枕元においてあった彼のノートの表紙にお気に入りの女性たちの顔写真がいくつも貼られており、一緒に見舞った彼女の写真もすでにそのなかにあって、寺山さんのチェックのはやさに唖然とした。ノートのページにはさまざまなメモのほかに新刊書籍発売の新聞広告もじつにまめにスクラップされていて、思うように外出できない人ならではと思いながら、寺山さんにはすべてがためらいなく動いている、そのことを痛感するばかりだった。
 ネフローゼという病名は寺山さんの口からはじめて知った。一日の塩分摂取量が制限されていて、小指ほどの小瓶は許される微量の塩が入っているのを見せてくれた。面会謝絶となった同じ年に詩劇グループ「ガラスの髭」を組織し、大学の詩祭にその旗揚げ公演のための戯曲『忘れた領分』まで自分で書き下ろしている。このグループには私も参加し、補欠的な役割で上の本の読み合わせに付き合ったのでよく覚えている。学外からの参加の顔ぶれも充実していて、詩人の山口洋子、作家の河野典生らが出演、舞台美術は野中ユリ。だが寺山さんの姿はなかった。その年に続く日々も、病気の悪化と、休みを知らないどころかさらに急ピッチで展開される創作活動とが繰り返されていく。
 ずっと後、今から20年ほど前だったか、その存在が知られず、寺山修司戯曲全集にも入っていなかった『忘れた領分』台本発見のことが新聞で大々的に報じられて、私も手元においていた素朴な謄写版の資料的価値にあらためて気づいたのだった。けれども私にとって寺山修司の存在を強く残している「本」は、彼の病室で見たノートである。ノートだけでなく、あの白い病室そのものが彼の「本」だった。寺山修司の「本」とは完成の表れではなく、動きそのものの形だった。
 田中未知編による寺山修司未発表歌集『月蝕書簡』2008年岩波書店刊は、寺山没後に編まれた、晩年の、しかもまだ完成に至っているとはいえない試行を集めた歌集である。資料として使っている上記の『全詩歌句』のほか、私の手元にあるのはこれ1冊だけである。私が出会った人の記憶にとても近い。いつも1、2首だけ読んで本を閉じる。

001寺山修司『忘れた領分』1955年
手書き(植田による)の表紙と謄写版刷りの本文の一部

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うえだ まこと

●今日のお勧め作品は、植田実です。
ueda_95_dojun_daikanyama_04植田実 Makoto UYEDA
《同潤会アパートメント 代官山》(4)

ラムダプリント(2014年プリント)
24.4×16.3cm
Ed.7  サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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植田実のエッセイ「本との関係」第5回

植田実のエッセイ「本との関係」

第5回「沙漠」の50年


 第4回の続き。受験に落ちた。
 私にとってそれよりもっと大きな事件は、8年ぶりに東京に帰ってきたことである。やっと病い癒えての安らかな気持ちになった。生まれ育った下北沢に戻りたいわけではなく、遊園地や盛り場にもう一度行きたかったのでもない。東京の途方もない大きさだけが恋しかった。だったらもう高校生なんだからアルバイトで小遣い稼いで数日でも東京にいってくればよかったのに、自ら行動することは人生の出来事にはならないという理屈感覚が自分にはあり、それはいまに至るまで変わらないようである。当時「何でも見てやろう」と単身海外に出ていった小田実には感動したけれど、それは「出来事」とは正反対だと思っていたらしい。
 大学受験を機に東京行きの列車に乗った。目標は逃したけれど東京に止まった。11歳上の長兄がRIA(Research Institute of Architecture 建築綜合研究所)の創設期スタッフで、その主宰である山口文象の自邸の離れに居候しており、その居候の居候として私もその一室に転がりこんだからだ。このまま小倉に戻ったら、君は二度と東京には帰ってこれないよと、ほかならぬ山口先生に強く諭され、山口邸最寄りの池上線久が原駅から国電代々木駅前の予備校通いが始まる。授業というものがわが生涯でもっとも面白くなった1年間だった。
 この夏、姉とその知人である松本哲夫さん、佐藤恒子さんたちが鎌倉に行くときに声をかけてもらった。映画断ち読書断ち態勢になった浪人生の気晴らしを考えてくれたのだろう。古い寺社を訪ねた。2年前に竣工したばかりの広瀬 鎌二自邸「SH−1」を訪ねた。強烈な印象を受けた。その時はまるで理解できなかったので。これが私にとっては日本人建築家による戦後初期住宅を知る最初の体験で、それを読み解くための長い時間がその後にやってきた。
 ついでに思い出した。だいぶあとのことだが、思いがけない人が日常生活から私を連れ出して思いがけない場所に行った。山口先生とふたりで巨人軍の試合を見に野球場。どの球場だったか相手チームがどこだったか思い出そうとしたことがない。監督水原茂、一塁手川上哲治、三塁手長島茂雄をとにかく見た。巨人の勝敗より川上の日々の打率を新聞に読んでいたころで、それを知った先生がつい男気を出して誘ってくれてしまったのか。さいごは相手投手のボークで巨人の三塁ランナーがホームベースを踏み、おかしなサヨナラだったが「延長戦にならなくてよかったよ」と、先生の帰り支度は早かった。私のスポーツ観戦はこのとき突然頂点にあってあとは川上が監督になろうが、ほかの種目でも日本人選手が世界でどれほど活躍しようが、この日を超える事件はない。打席に入るなり不動で立つ川上の白いユニフォーム姿や、水原に軽口めいた注意とともに頭をポンとたたかれて守備位置に戻っていった長島の笑顔は、野球の最後の絵だった。体調を押して御一緒して下さった山口先生には、感謝以上に申しわけなさで今も思い出すだに身がすくむ。

 はなしを浪人生時代に戻す。
 受験が再び眼前に迫った1955年正月、福岡県行橋市に住む詩人麻生久から、久が原に居候している私に届いた5円の年賀葉書が手元にある。「高野喜久雄(荒地同人)や小田雅彦(九州作家)の賞讃があなたの背後を盛大なものとしている。決戦の今年の貴君に過分な期待の残酷なのは百も承知で沙漠の第一バイオリンを弾かれることを期待する。」
 高校文芸部発行の詩のアンソロジー『愛宕』や仲間たちと謄写版の同人誌をつくっていた同じときに、私は上の『沙漠』という詩誌にも関わっていた、そこに引っ張り込まれたきっかけは覚えていないが、実社会の職業に就いている詩人たちが出していた同人誌で、リーダー格だった麻生は当時安川電機の労組委員長でもあり、彼について小田久郎は著書『戦後詩壇私史』(1995 新潮社)のなかで「この戦前の尖鋭なモダニストは、戦後の北九州の労働運動の渦中で、こういう詩を書くコミュニスト詩人に変貌していたのだった」と書いて「弟たち」という作品を紹介し、さらに、戦前はこんな詩を書いていたと「転身前の」作品も引用している。
 『沙漠』の会合に顔を出すようになってはじめて同人のみなさんやその作品を知るようになった。麻生さんの作品にはとくに魅かれたが、詩壇における彼の位置づけに多少なりとも触れえたのは上の本を読んでだから、ずっとあとのことだ。高校生ということで会費を免除してもらい、そのくせ同誌に作品発表をさせてもらっていた(大学生もいなかった)ふしぎな一時期は、自分が東京に帰って以来次第に遠のいた。詩そのものからも自分が遠のいた。でもそれっきりで終わることなく、今から10年ほど前に小倉で麻生さんと、やはり当時同人のいちばん若手だった河野正彦さんとに再会している。とりわけ驚いたのは、『沙漠』がずっと続いて刊行されているという事実だった。そのときの写真や資料がまだ見つかっていないのだがわが家のどこかにあるはず。とりあえず『沙漠』の会の集合写真です。

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1953あるいは54年。現在の北九州市小倉区内で。前列左端が麻生久、その右に河野正彦。後列左端の学生服が植田。
うえだ まこと

●今日のお勧め作品は、植田実です。
ueda_74_hashima_04植田実 Makoto UYEDA
《端島複合体》(4)

1974年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
26.9×40.4cm
Ed.5
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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植田実〜本との関係 第4回「学校の謄写版」

植田実のエッセイ「本との関係」

第4回 学校の謄写版


 中学生だったとき、謄写版をよくやっていた。原紙を切り、謄写機で1枚ずつパタンパタンと刷っていた。個人用の学級日誌をつけるために、いちにちのことを1ページに記入するフォーマットを印刷し、1ヵ月分ずつ綴じる。あとは毎日の天気や授業や課外活動などについて書けばいい。クラスごとの、担当の生徒が毎日交代で記入するいわばオフィシャルな学級日誌はちゃんとあるのに、しかもどのように許可をとったのか、その印刷作業はひとり職員室で道具やインクを使ってやっていた。
 先生がたの姿が見えない、しんと静まった職員室の記憶がある。東京・下北沢のわが家が敗戦の3ヵ月前の空襲で炎上したとき、そこに私は居なかった。学童集団疎開で長野県内の温泉旅館や村の集会所を転々としていた。家やまちを呑みこむ火に出会うのは避けられたが、いきなり焼跡の何もない地面と対面した。そこは今も日々大きくなっている。だれもが、「帰る」ことを生涯的に奪われていた。私は小学5年から高校卒業まで、母の故郷である福岡県小倉市(いまの北九州市内)をあちこち仮暮らしのあいだ、置き去りにしてきた東京の焼跡をずっと見ていた。中学校の職員室は失われたまちの記憶の調停役になっていたのかもしれない。私的学級日誌はひとに伝える目的のない、逆に学校生活の完全に閉ざされた記録を目指していた気もする。
 やはり小倉市内の高校に入っても謄写版は続けていた。こんどは文学同人誌で、作業場所は空いている教室である。しかも無断拝借、授業までサボってのことだ。中学時代の伸び伸びした空気、好きな授業は数学と生物(生物部に入っていた)に比べて、高校では就職と進学とのクラスに分かれることで生徒同士の交流も重苦しく、大学受験を控えての授業から生物は遠のき、数学は突然その視界がなくなった。同人誌を通して新しい友人は増えたが文学仲間はけっこう面倒だ、ということも分かってきた。謄写版の同人誌なども真っ当すぎる。第1号を出しただけで終わった。
 中学の終わり頃、たまたま北川冬彦の著書を読み、現代詩というジャンルの存在をはじめて知った。北川自身を含む多くの詩人たちの作品が紹介されていて、その異常な美しさにたちまち魅せられた。自分でも現代詩といえるものをつくりはじめた。いや実際にはつくったのではなく真似しただけなのだが。同時にそれらの詩集の、本としての斬新さは私にとんでもない贅沢を強いた。詩を扱う専門の古書店が東京にいくつもあることを知り、高校に入ってからはとくに渋谷の宮益坂上の中村書店から目録を定期的に送ってもらい、そこから選んで注文していたのである。親から渡される授業料をこっそり書籍料にあてていたのだが、その穴をどう埋めたのか覚えていない。1952年、高校2年のときに谷川俊太郎『二十億光年の孤独』、翌年に早くも次作『62のソネット』が出版されてこれは小倉の書店で買ったと思うが、そのときには現代詩のもうひとつ新しい時代が見えてきたという印象で、北園克衛、西脇順三郎、安西冬衛、村野四郎などの詩集は1940年代に刊行されていた。それらを東京から送ってもらっていたのである。
 初版詩集のコレクションも、謄写版の学級日誌も同人誌も手元に残していない。あるのは高校文芸部で正式にまとめられた詩のアンソロジー『愛宕』(固苦しい誌名は学校がある場所の名)だけである。掌におさまるほどの小さな本だがシャレている。部長の小峯昇先生のデザインだったのか。先生は教室では英語を教えておられたが作家でもあり、芥川賞候補になられたこともある。このアンソロジーには詩を寄せられている。あとは部員生徒たちの作品。

001詩集『愛宕』
発行日:1953年9月20日
著者:愛宕詩人同人
発行所:小倉高等学校文芸部
81ページ
15.1×10.3cm


 現代詩を書く高校生はまだ少なかった頃で、小峯先生が部員を自宅に招いて下さったり国語の長野先生も興味をもたれて話しかけられてきた。長野先生にはまちのレストランで紅茶とケーキを御馳走になったが、いかつい風貌の先生とふたりきりの座では緊張のあまり紅茶のカップをソーサーにぶつけてその顫える音がいつまでも止まず困ったことがある。こういうヒイキって今の学校でもあるんだろうか。でも『愛宕』に載っている私の作品はどんな言いわけもできないくらいひどい。好きな詩人のスタイルをただコピーしている、それだけ。ちょっと変わった生徒にたいして甘かったとしか言いようがない。
 授業を受けたかったのにうちのクラスには来てもえらえなかった数学の中村先生に声をかけられたことがある。「君、詩を書くのに数学は不可欠だよ」。大学受験をバカにしていたのか、その報いで1年目は見事に落ちた。
うえだ まこと

●今日のお勧め作品は、植田実です。
20180629_ueda_84_hashima_14植田実
《端島複合体》(14)
1974年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
40.4×26.9cm
Ed.5  サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●植田実のエッセイ「本との関係」は毎月29日の更新です。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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映画『蝶の眠り』からの住宅論

映画『蝶の眠り』からの住宅論

植田実


 映画のなかに現れる建築や都市が虚構をめざすとき、あちこちの建築や都市の断片をつなぎ合わせ、ときにはセットを加えて現実から逃げようとしているのが面白い。あるいはよく知られた街にいっさい手を加えないままに、例えばサンフランシスコの街なかで実際にはあり得ない激しいカーチェイスの一部始終を撮影するとき、坂の起伏だけを身体接触でたどる街に切り替えられて、サンフランシスコは虚構になる。あるいは違反に向かう速度が外科手術的に摘出した、サンフランシスコの真実になる。テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』ではパリ郊外の集合住宅「アブラクサス」の屋内通路にやはり破壊的なカーチェイスが挿入される時、ふだんは子どもたちが遊んでいる安全な場所が見知らぬ都市空間に移植される。リドリー・スコットの『ブレードランナー』ではロサンジェルスの歴史的建築の玄関側ファサードをつくり変え、館内の床を水浸しにするだけで本来の建築が奪い去られて、見知らぬ建築が居坐っている。
 そのような作品がいくつかあるというのではなく、すべての映画のなかで建築と都市がウソとホントとのあいだを行ったり来たりしている。物語られる全プロセスが眼に見えるようにつくられる、それが映画の宿命でありエンタテイメントにもなっている。気楽に見ているテレビ・ドラマでも、外観は超高層の企業本社ビルや贅をつくした政治家の邸宅の、一歩屋内に入ればあきらかに別のところで撮ったにちがいないエントランスロビーや応接間との辻褄あわせが楽しい。まさに物語のなかの建築になっているのだ。

 今年三月に試写会で見せてもらった『蝶の眠り』は素晴らしかった。映画のなかの建築が否応なく虚構と現実とに向き合わされるというより、以前からよく知っていたつもりの建築が映画の視線によって思いがけない読まれ方をしている。そこを実際に訪れたという信頼できるはずの体験、図面やスティル写真を中心としたメディアでの再現がいかにも狭く弱く思えてしまう。ただの動画も同じである。物語をつくる映画だけに可能な建築の解読、それを『蝶の眠り』は示唆していると思ったのだ。
 主人公の小説家(中山美穂)の住まいでも仕事場でもある建築がそれで、建築家の阿部勤さんの、現在はひとり住まいの自邸を、居抜きじゃないが生活していた状態をほとんどそのままに阿部さんから明け渡してもらって、あとはたぶん監督(チョン・ジェウン)の判断で家の内外にあるもの、家具その他の道具類から書物までを見繕いながら撮影したように思われる。1974年の竣工時の取材から始めて私は何度か訪ねているので、映画のなかには見覚えのある椅子や壁に架けられた絵の気配が濃く残っていて、けれどもそこには阿部さんはいわば住んでいない。つまり物語というトンネルを抜けて懐しく親しい家を訪ねている。
 肝心のその物語の流れは忘れてしまって申しわけないのだが、女性小説家は街で偶々知りあった韓国人留学生(キム・ジュウク)に自分の仕事を手伝ってもらうことになる。彼は手に障害がある彼女の口述筆記役をつとめ、あるときは愛犬散歩係を引き受ける。現実の阿部邸は東京西郊の緑が多い美しい住宅地の一画にある。1階は鉄筋コンクリート造。その上に木造の2階が載る建物だが、まさにその家の前から犬を連れた青年は歩き出す。すぐ広々とした公園のなかを歩いている。背後に超高層建築軍が迫っている。新宿中央公園らしい。所沢と新宿と、ふたつの場所の縫い合わせはごく自然である。と同時に不可解な隔たりもちゃんと残されている。それは家そのものがまとっている雰囲気、設計する側からすれば、ある独自の構成のせいだ。

 ここからがじつは本論、あるいは結論というとおおげさだけど、言いたかったことのまとめである。私には、家の本来の在り方としてその土地に繋ぎとめられ土地の顔になっているなどという、つねに変わらぬ住宅論の息苦しさがこの映画作品によって窓を思い切り開け放ったように消えていくのに気がついた。青年と犬のあとを追って家が、建っている場所から辷り出していくような動きを感じたのだ。
 この家の例えば配置図を見るといい。住宅地のなかの十字路に面した4つの敷地に4軒が建ち、その1軒が阿部邸なのだが、この家だけ敷地に約30度斜めに振られている。家の正面が十字路の中心に向き、しかも塀も生垣もない三角形の空地をつくり出して建っている。もし他の3軒も同じように家を斜めに振り塀をやめて配置したら十字路は広場に変わるだろうが、1軒がそのようにしただけでも住宅地の風景が一新されたことがすぐ分かる。
 阿部邸はこれまで、私有地を閉ざさず公共空間に連続させていると評価されてきた。けれども映画を見ると向こう三軒両隣にだけ貢献しているのではない。この建築自体の特性として、はるか遠くにまで辷り出していくような、移動するような性格を帯びていることがわかってくる。配置だけでない。平断面計画の至るところに同じ特性が見られる。これ以上詳しい説明は省くが、映画はそこをじつに的確に描写している。それは阿部さんが手がけたほかの建築にも通じている特性なのだ。いつも旅へ誘っているかのような。
 小説家には厖大な蔵書がある。作家別あるいは項目別に書棚に並べてあるが彼女はその全体を把握しきってしまっているために目をつむったままでも目的の本を取り出すことができ、逆にそれで悩んでいる。本を新しく読むことができないのだ。青年は蔵書全部を並べ替える。内容に関係なく背表紙の色に則して揃えてゆく。結果は虹のように色調が移り変わる美しい書棚になり、内容は脈絡がつかない。アナーキーな整理法で蔵書を「新生」させたのだ。
 これ、阿部さんの設計手法と思いがけないところでつながっている気がする。これから考えたいことだ。小説家の家はその後は住まい手がさらに増えたかのように、変わって街の小さな図書館になっていた。
(うえだまこと

【メイン】蝶の眠り
5月12日(土)、角川シネマ新宿ほか全国ロードショー
配給:KADOKAWA

small16-07-2416-07-24-0003阿部勤さん自邸。玄関ホールから見る左はアプローチ、右は屋内

small16-08-0416-08-04-0010阿部勤さん自邸。正面外観

*東京都内での上映は6月17日(日)までですが、そのほかの地域では上映中、もしくはこれから上映する予定です。詳しくは公式サイト『蝶の眠り』をご覧くださいませ。
*ときの忘れものの新米スタッフによる「中心のある家」阿部勤邸訪問記もお読みいただければ幸いです。

関根伸夫展
会場:銀座・ギャラリーせいほう
会期:2018年6月18日[月]―6月29日[金] ※日曜休廊
さきほど(16日午前10時)関根先生から「ロサンゼルスから無事帰国した」との電話をいただきました。
初日18日(月)17時より関根伸夫先生を囲みオープニングを開催します。皆様のご来場をお待ちしています。

関根伸夫展_Gせいほう_案内状


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
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植田実〜本との関係 第3回『アンジェロ・マンジャロッティ 1955-64』

植田実のエッセイ「本との関係」

第3回『アンジェロ・マンジャロッティ 1955-64』


 建築系の編集者として最初につくらせてもらった単行本は『アンジェロ・マンジャロッティ/ANGELO MANGIAROTTI 1955−64』である。月刊誌「建築」の編集作業だけでも手一杯だったのに、無謀な企画をひとりで勝手に起こし、ミラノのマンジャロッティに手紙を出して資料を送ってくれるよう依頼してしまった。当時の編集部では私がいちばん下っ端だったから誰かに手伝ってもらうつもりもなかったし、そのために雑誌の仕事を軽減してもらうのも嫌だった。まもなく資料や作品集としての方向づけの指示が良い頃合いでミラノから送られてきたのに、肝心の東京では一向に進まない。

01『アンジェロ・マンジャロッティ 1955-64』
1965年5月1日
青銅社 発行
企画・製作:植田実
140ページ
26.0×26.0cm
和・伊・英文
表紙:ハードカバーにジャケット、ケースつき


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 月刊「建築」の創刊は1960年9月号である。その翌年には海外の建築家に直接依頼状を送り、写真、図面、テキストを送ってもらい、掲載号とともに資料を返却するというやり方を覚えて、建築家の選定と手紙のやりとりを私が担当することになった。フィリップ・ジョンソン、エーロ・サーリネン、ジオ・ポンティ、オスヴァルト・マティアス・ウンゲルス、ピエル・ルイジ・ネルヴィ、アトリエ・ファイヴ、ミース・ファン・デル・ローエなどの建築を紹介している。ジョンソンやネルヴィは1号分のほぼ全ページに及ぶ大特集にまでなっている。
 そのなかでマンジャロッティも「建築」特集号の1冊に当てれば、作業を先輩たちが手助けしてくれるし、誰かに建築家論を書いたり話したりしてもらって誌面を盛りあげることもできたはず。なぜ単行本という、未経験で苦難の道に踏みこんでしまったのか。この本につきまとっている記憶ときたら後悔ばかりだったのだが、今回書くにあたって、あらためてゆっくりページをめくりながら思い出してみると、たぶん単行本でしかマンジャロッティの仕事は紹介できないという気持ちに強くとらわれていたのだ。
 アンジェロ・マンジャロッティ(1921-2012)は1960年代の日本ではその名を知る人は少なかったと思う。いまでもあまり変わりないかもしれない。当時はミラノで出されていた、編集長ジオ・ポンティによる建築・デザイン誌「ドムス domus」でよく紹介されていたマンジャロッティの仕事は、工場や教会や集合住宅などの建築も、時計や花器や棚などのプロダクトも同じように、とても明快、しかし幾何学的な表現に頼るというよりは自然の形態にむしろ近い。たとえば樹木や貝殻を連想するような。といって自然造形の表現主義に傾くことなく、可愛らしいとでも言うべき性格を感じさせながら透明度の高いモダニズムを貫徹させていた。
 建築と家具と什器のデザインのなかに同じ精神が、手法を切りかえたりすることがないかのように循環している。同じような傾向が見られるイタリアの建築家たちのなかで、達者という以上にピュアな一貫性をもっとも強く見せているマンジャロッティには雑誌の特集は似合わない。そこから切り離され自立したメディアが必要で、単行本なら余計なデザイン要素を払拭して成り立つ。本文も表紙も判形も、彼のデザインに等しいようにつくりたい。そのように考えての決断、いや盲進だったにちがいない。
 そのころ、ひとりの若い建築家が私に会いに青山の編集室に訪ねて来た。彼はこれからマンジャロッティのアトリエでしばらく働くことになったが、日本を発つ前に植田という編集者に会って作品集の進捗状況をきいてきてほしいとマンジャロッティに頼まれたのだった。ほどほどの言い訳をしたが、私にとってはタイミングよい催促でもあった。その後はさらに必死に作業してなんとか本を完成させることができた。おまけにその若い建築家、藤井博巳とは以来ペンパルになって最新のヨーロッパの建築情報とそれについての彼の考えに接することになる。藤井さんはミラノで数年働いたあと、ロンドンのアリソン&ピーター・スミッソンの建築事務所に移り、帰日してそのまま自分のアトリエを開設して、現在まで独自の建築作家として国内よりむしろ海外での評価が高く、展覧会に出品することも多い。私にとっても個人的な付き合いがとくに長く続いている建築家である。

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 この作品集がマンジャロッティに届けられた時点では私は本人に会っていないし、彼の建築を実際に見てもいない。大体からして海外に出るのは「建築」から退いて「都市住宅」を創刊してからである。そんな状態で本や雑誌をつくるのは当たり前の時代で、自分の生涯にヨーロッパを訪ねる可能性が果してあるのか分からぬままに彼の地の建築に夢中になっていたのだ。ずっとあと、マンジャロッティ来日の機会にやっと会えて握手して、それでお終い。彼を歓迎する建築家たちの会で三輪正弘さんが「これは世界で最初につくられたマンジャロッティさんの作品集です」と紹介して下さった。さらにずっとあと、「デザインの現場」2006年2月号(美術出版社)のブックデザイン特集号でもクローズアップされ、「それまで彼の仕事を断片的に見てはいたが、この本によって知った全貌はあまりにも衝撃的だった」とコメントを寄せたデザイナーの川上元美さんは、作品集刊行の翌年から約3年間をマンジャロッティのもとで過ごすことになる。それ以後も彼のアトリエには日本人スタッフが次々と引き継がれるようにつねに存在していたという。作品集の奥付に記されている協力者、河原一郎、田島学、藤井博巳は、その先達である。
うえだ まこと

●今日のお勧め作品は、植田実です。
20180529_ueda_77_hashima_07植田実
《端島複合体》(7)
1974年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
26.9×40.4cm
Ed.5
サインあり


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものは「没後70年 松本竣介展」を開催しています。
会期:2018年5月8日[火]―6月2日[土]
11:00-19:00  ※日・月・祝日休廊

ときの忘れものは生誕100年だった2012年に初めて「松本竣介展」を前期・後期にわけて開催しました。あれから6年、このたびは小規模ですが「没後70年 松本竣介展」を開催します。本展では素描約16点をご覧いただきます。
201804MATSUMOTO_DM


「没後70年 松本竣介展」出品作品を順次ご紹介します
15出品No.8)
松本竣介
《作品》

紙にペン
Image size: 20.5x29.5cm
Sheet size: 22.7x30.3cm


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●本展の図録を刊行しました
MATSUMOTO_catalogue『没後70年 松本竣介展』
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 
テキスト:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
作品図版:16点
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
税込800円 ※送料別途250円


◆植田実のエッセイ「本との関係」は毎月29日の更新です。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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植田実のエッセイ「本との関係」第2回

植田実のエッセイ「本との関係」

第2回 『関根伸夫』


 今年に入ってすぐ、埼玉県立近代美術館で「版画の景色――現代版画センターの軌跡」のタイトルでとてもユニークな回顧展があった。これについてはすでに同じこのブログに書いた(2018.3.4付)ので繰り返さないが、270点あまりの展示作品のなかでとりわけ懐かしく見たのは関根伸夫のコーナーで、20点ほどの版画がある。その前に出現した、彼の代表作といわれる≪大地―位相≫(1968)は私にとって、当時それだけでは現代アート状況のどこに位置づけできるかよく分からなかったのだが、この版画センターのエディション作品がじつに雄弁でチャーミングな解説になっていたのだ。
 例えば≪絵空事―鳥居≫(1975)がある。
 2本の赤鉛筆を左右の手でそれぞれ垂直に握ったその上にもう一本、水平にのせて鳥居に見立てている。背景は海の水平線と雲ひとつない青空。その強く明快な形と色彩、同時に次の瞬間には危うく崩れてしまうような面白い発想は他の彫刻・環境作品にダイレクトに通じている。これを迷うことなく購入したのが、私にとってはじめてのアート体験になる。次いでずっと前から1点だけでいいからと念願していた駒井哲郎の版画もその勢いで綿貫不二夫さんから譲ってもらった。≪森の中の空地(小)≫(1970)を前に置いて、それまでの所蔵者その他の作品由来を綿貫さんが荘重に述べるのを神妙に聞いていた。そんな嬉しい儀式もあった時代に、版画センターに出入りしていた、ゆりあぺむぺるの主宰、北川フラムさんから、関根伸夫作品集の編集を依頼されたのだった。

01『関根伸夫』
1978年
ゆりあぺむぺる 発行
120ページ(見返しを含む)
26.0×25.0cm
表紙ソフトカバーにビニールジャケット付き


07関根伸夫
《Project-石の風景》
※A版(限定250部)に収録


 今、この本を見直すと何とも不思議な作品集だ。ブッキラボーで即物的。序文も作家論も作家の言葉も、あらためて書かれてはいない。表紙をめくると前見返しから本文の大きさいっぱいの写真(すなわち三方截ちの)が何の説明もなく始まり延々と続く。デッサンや図面も同じ扱いである。まず作家が大地から円筒状に土の層を掘り抜いている。作業は進み、例の≪大地―位相≫の完成写真にいたる。それに続くディテール写真には「関根伸夫」のサインが重ねられて、動きのなかの扉ページ。映画みたいな構成ともいえるが、その後に他の彫刻や油土によるエスキスなどの写真が原則的に同じ三方截ちでひたすら続く。
 本の前半部はこのように紙の白地を排するかのように画像を拡大している。モノそのものを押し出そうとしている。対して後半部は一転して余白と版面(はんづら)までのモデュールを見せるように構成されている。全345点の作品図版とデータがカタログレゾネ風に収録されたページだ。編年体で13期に分けられたそれらの作品と併せて、その時期の年譜、新聞や雑誌での紹介記事、作家のコメントなどがコラージュされている。13に分けられた各時代の作家活動の特性を要約する「仏像・鉱物」「消去」「位相・大地」「水・油土」などのキーワードで章立てされているがその題字を関根さんに書いてもらった。ときにはスケッチから文字が発芽したかのような書の姿が素晴らしかった。
 関根さんとフラムさんと3人で、アイデアを出したり、関根さんに字を書いてもらったり、また前の見返しは一面小石に覆われたどこかの河原、後見返しは同じ小石河原に関根さんの彫刻がいくつか顔を出しているといった漠然としたイメージだけでフラムさんに写真撮影の手筈を整えてもらったり、いや誰が案を出し、誰が受けたか分からないほどに即興的編集だった気がするが、まわり道もせず迷わず1冊の本にたどりつくことができたのは、関根さんの仕事がそれだけ明確だったからだ。

02『関根伸夫』前見返し


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 表紙は、白いマット紙の中央に「関根伸夫」の明朝活字、その真下に小さく「Nobuo Sekine 1968-78」が同じグレーのインクで刷られ、タイトル上部にやや重なるかたちで「n. sekine」と墨でサインが入っている。じつは当初の意図とは少し違った。活字のタイトルに完全に重ねて、ローマ字ではなく同じ大きさの漢字で関根伸夫と墨でサインが入ることになっていた。「版画の景色」展でも出品されていた、≪おちるリンゴ≫(1975)などを参照すれば、この表紙の意図が分かるだろう。だが実際に刷り上ってきたタイトルロゴが指定以上に濃かったために、活字から書き文字が「おちる」視覚効果が出ない。その場で関根さんが工夫して今の体裁に修正してくれたのだが、表紙の真ん中にいきなりサイン、という面白さはちゃんと残されている。
 本や雑誌の形式をまず整える要素は、なるべく取っ払ってしまう。それは私の編集癖なのかもしれない。フラムさんの義兄である、建築家の原広司さんが、編集者の名を見なくても誰がつくった本かすぐ分かったよと言ったらしい。褒めことばのようで実はこれから先のマンネリを戒められたのかもしれない。
うえだ まこと

*画廊亭主敬白
植田実先生の本についてのエッセイ、当初はホームページに以前掲載したものの再録のつもりだったのですが、さすが(というか予想外のことでしたが)植田先生、全面的に書き直しされてしまいました。申し訳ないやら、嬉しいやら、ぜひホームページの文章と読み比べてください。お気づきでしょうが以前は三人称(九曜明)で「関根伸夫」編集の経緯を書かれていますが、今回書き直しにあたり一人称に切り替えています。
〜〜〜
ボブ・ウィロビー写真展〜オードリー&マリリン@ときの忘れもの(2018/04/25)
今日の夕方はときの忘れものに。現在開催されているのはボブ・ウィロビーの写真展。ハリウッド映画のメイキングをフリー写真家として撮影してきた人で、全盛期には『ライフ』や『ヴォーグ』などの有名雑誌に彼の写真が載らない週はなかったそう。
今回展示されているのはオードリー・ヘップバーンとマリリン・モンローの写真。多くの写真が「あ、どこかで見たことがある」と感じさせるもので、本当に彼女らのパブリックイメージを形作った作品がずらりと並んでいる様は圧巻。
今回の展示には作家が生前にプリントしたオリジナルプリントと、ここ5年ほどの間にオリジナルのネガからプリントし直されたエステートプリントとの、2種類の作品が並んでいる。こので「いやオリジナルプリントの方が味がある」と言えばアートに含蓄があるっぽく聞こえるけど、僕はエステートプリントの方に心が惹かれた。オリジナルプリントは経年変化で緩い印象が出てきているんだけど(もちろんそれが「味」なのだが)、エステートプリントは息を呑むような艶めかしさだけではなく、大女優と巨匠写真家が向かい合う緊張感がしっかり伝わってくる。会津八一の「あせたるを ひとはよしとうびんばくはの ほとけのくちは もゆべきものを」という歌を思い出した。

林光一郎さんのブログ)より>
おかげさまでボブ・ウィロビー写真展は大盛況のうちに昨日終了しました。今回も予想外の売り上げで、早速アメリカのご遺族に追加注文を出しました。お買い上げいただいたお客様には少々納品が遅れますが心より御礼を申し上げます。
どこでお知りになったのか初めてのお客様が続々と来られるのには正直驚きました。青山時代の芳名簿は一冊で二三ヶ月はもったのですが、駒込に来てからは二週間で一杯になります。住所は圧倒的に「文京区」、ご近所の皆さんが多い! 道で挨拶されることもしばしばで、これじゃあ悪いこともできませんね。

●本日4月29日(日)から連休となりますが、ときの忘れものはカレンダー通りの営業となります。
4月29日(日)、30日(月)は休廊
5月1日(火)、2日(水)は普段通り営業します。
5月3日(木・祝日)〜7日(火)は休廊

●本日のお勧め作品は、安藤忠雄です。
ando_mizu安藤忠雄
「水の劇場」
オフセットリトグラフにドローイング
イメージサイズ:99.4×69.5cm
シートサイズ:102.5×72.4cm
サインあり


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◆植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は随時更新します。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。

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植田実のエッセイ「本との関係」第1回

植田実のエッセイ「本との関係」

第1回 『植田実の編集現場―建築を伝えるということ』


 綿貫不二夫さんに言われて、ときの忘れもののホームページに編集、デザイン、執筆などで関わった本や雑誌について書きはじめてから十数年が経っている。当時から現在まで私の「書く」「読む」仕事は、紙とシャープペンシルと消しゴム、あるいは紙に印刷された文字と図版に限られて、変わることはない。だからデータ入力は原稿の依頼者にお願いしてきたので、紙の印刷物は別として、モニター上の文章や図面や写真は見たことがない。それもあって上のシリーズがどのくらい続いたのかよく覚えていない。15回くらいまで書き継いだが、中途半端のままそれ切りになっていたはず。
 そんな古い書きものをこんどはブログで再録したいと突然言われて驚いた。確認のために最初の数回分のプリントアウトを見せてもらうと、私の関わった本や雑誌を第三者(ペンネームを使っている)が紹介する体裁になっている。そんな面倒をやめて大幅に書き直すことにした。1回目は以前と同様に『植田実の編集現場―建築を伝えるということ』(発行:ラトルズ)から始めたい。2003年度の日本建築学会文化賞を受賞した折のいわば御祝儀出版だから特殊例だが、受賞理由の「出版・編集を通して建築文化の普及・啓蒙に貢献してきた実績」を反映したいと思っての企画だ。建築界のお祝い的な催しは会費制のパーティに大勢が集まって何人かがスピーチをしたりするが会場内の騒然たる私語のなかでほとんど聞きとれないままに散会、で終わるのが慣例。建築家や研究者を祝う会ならそれでもいい。その仕事はその人のものとしてよく知られ評価されているのだから。
 それに対して何者なのかよく分からん編集者の仕事の自立した輪郭を、この機会に自分自身でも見たかった。それを展覧会と出版に表わすことにしたのだ。多くの人に協力をお願いした。まず展示空間と細かな道具立てのデザインはアトリエ・ワン(塚本由晴+貝島桃代)+東京工業大学塚本研究室の皆さんに一任した。このユニークなチームの実作を見る機会はこの時はまだなかったが、ギャラリー間における展示に接したとき、それは小さな家を原寸大で会場に組み込んでアトリエ・ワンの建築思想を端的に伝えるものだったが、建築以上に建築だったのである。
 学会賞受賞の対象となった編集の仕事のひとつは1968年から75年にかけての建築誌で、受賞年から見れば30年もむかしである。その距離を埋める展示のアイデアを出してくれたのが元倉眞琴さんと山本圭介さんで、それぞれ教えている大学の建築学生に呼びかけて30年前の住宅のコンセプトを模型製作を通して蘇らせてくれたのだ。
 もうひとり、建築史研究の花田佳明さんも面識なく、いや名前さえ知らなかった人である。私の編集していた単行本シリーズの1冊を書評してくれたのだが思いもかけない辛口、いや鋭い分析に驚いた。お祝いの本などはたくさんの花輪を寄せるように知人友人がさまざまな立場から当の人物を語るのがふつうだけれど、私としてはむしろ見知らぬひとりに忌憚ない編集者批評をしてもらいたかった。でなければ編集者とは何者かいつまでも分からない。花田さんにお願いしたのはほどほどの長さのエッセイ的批評のつもりだったが結果はとんでもないヴォリュームの、研究論文に近い書き下ろしになった。
 これらを本にするに当たっては長い付き合いの編集者・中野照子さんやデザイナー・山口信博さんが中心となり思い切った形にしてくれた。私自身がどのように関わったかよく覚えていないがA5判の2冊の本を重ねた構成にしている。花田論文は縦組みの130ページ、反対側の表紙をめくるとアトリエ・ワンと元倉・山本チームの展覧会記録が横組み、50ページだが折り込み図面やカラー写真入り。2冊の本は真ん中でそれぞれの奥付けページと出会い、その境にはこのプロジェクトのために、会場設営や撮影に協力してくれた人々、金銭的に支援してくれた全国の人々500余の名が掲げられている。一介の編集者の勝手な思い込みがじつに多くの人々に大きな負担をかけてしまった。それがそっくり記録されている。編集とは出版物を明快に美しくまとめ上げる以上に、よく馴染んできたものを分裂させ、思いがけない紙とインクの姿を引き寄せてしまう。そんな思いに至った忘れられない本である。
うえだ まこと

01『植田実の編集現場―建築を伝えるということ』
2005年
株式会社ラトルズ 発行
200ページ
21.0×15.0cm
著者:花田佳明
編集:中野照子+佐藤雅夫/植田実
税別2,500円

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*画廊亭主敬白
このブログで最も多く執筆されているのは植田実先生ですが、実はホームページの方に掲載しながらブログには収録していないエッセイがいくつかあります。
それらブログ未掲載のエッセイの再録をお願いしたら、<大幅に書き直すことに>なりました。毎月29日に掲載します。どうぞご愛読ください。

●今日のお勧め作品は、植田実です。
20170923_ueda_93_dojun_daikanyama_02植田実
《同潤会アパートメント 代官山》(2)
(2014年プリント)
ラムダプリント
16.3×24.4cm
Ed.7  サインあり

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●書籍・カタログのご案内
表紙植田正治写真展―光と陰の世界―Part II』図録
2018年3月8日刊行
ときの忘れもの 発行
24ページ
B5判変形
図版18点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:800円(税込)※送料別途250円

ueda_cover
植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:800円(税込)※送料別途250円


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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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植田実「版画の景色 現代版画センターの軌跡」

植田実のエッセイ
「美術展のおこぼれ」第47回


版画の景色―――現代版画センターの軌跡」展
会期:2018年1月16日〜3月25日
会場:埼玉県立近代美術館 

 50人近い作家による、270点あまりの版画が並ぶ会場である。多彩なのは版画史を追う作品群だからではなく、ある一貫性を感じるのは結社的な主張をもつ作家たちの集まりだからでもない。1974年から85年にかけて存在した「現代版画センター」が、版画制作、展覧会や講演会の企画、刊行物の編集発行などのかたちで関わってきた、アーティストと作品なのだ。
 そのような多彩と一貫性を引き立てるように設計された展示構成はとても気持ちがいい。ルートにせかされることも迷うこともなく、入口受付デスクと同室に飾られた靉嘔の「I love you」の連作から始まってオノサト・トシノブ関根伸夫などの魅力あふれる「景色」にうっとりしているとその先に磯崎新の巨大な立体作品「空洞としての美術館」が待ち受けている。そこからあとはどの順序で見ても構わない花園みたいになっていて、どの作家にも初めて対面するような新鮮さがある。出口近くで、草間彌生アンディ・ウォーホルが立ち上がる。その外に、関係資料のコーナーも用意されているが、特別出品としてジョナス・メカスの短篇映画「自己紹介」が上映されており、見逃したら大損だ。全部で3時間くらいを考えておくべきだと言うひともいる。名前に馴みがないがじっくり見たい作家も少なくない。
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 現代版画センターが関わったアーティストはおよそ80人、作品は700点を超えるらしい。だから今回、展示に際しては大胆な編集が行なわれてかえってよい結果にいたったようである。センターの主宰者である綿貫不二夫は作品および関係資料の使用に全面協力を惜しまなかったが企画とその進行にはいっさい口出ししていない。関与を積極的に謝絶している。理由はカタログを読めば分かるが、理由がなくても自分の仕事のレトロスペクティブには関与しないのが賢明だと、埼玉の展示会場と図録(テキスト・ブック、ヴィジュアル・ブック、アトラスの、判形・製本仕様の異なる3分冊でケース入り)とに接すればすぐ分かる。当事者の思いが干渉しないのでとても透明。第三者の思いが充満して灼熱状態。ほかに思い当たる例がない会場の空気は、ただの作品展ではないことで、それは一隅に置かれた何冊ものファイル資料からも感じとれるのだが、作家や作品の厖大な数を超えて迫ってくるものがある。その数とは日本全国津津浦浦の「地方」である。
 図録のアトラス篇に、「現代版画センター・主要活動拠点分布図」というダイアグラムがある。1974〜85年に版画センターの自主的分室として名乗りをあげ、版画普及の道を拓いた各県内のギャラリーその他の会場の分布を表したものだが、北海道から沖縄まで、訪ねた記録がないのはわずか4県のみで、43都道府県に綿貫や同行のアーティストたちが足跡を残しているのだ。版画は複数つくれるアートだから同時期に各地域で出来たばかりの作品を中心にした展覧会やオークションが可能だという、じつに単純な発想を実行に移したいきさつは、今回の企画展示と図録が語りつくしている。活動というより10年間にわたる組織的運動になってしまっているのだ。驚くほかはない。そこに確かに生起したにちがいない連鎖反応の現実感。
 いま日本の大都市部では1年を通じて数えきれないほど多くの企画展が各美術館その他の場所で行なわれている。対応できないほどだ。国内だけでなく海外の美術館からも惜し気なく貸し出された作品が次々とやってくる。その目玉作品を強調する文句がどこでも決まっていて、「ついに来た、あの名作が実物で!」。近現代の美術ならとくに、「実物」を置いてそれを見に来させる地理的位相は、日本の中央と地方、西欧と日本の関係に重なる。これら「実物」は客人として遇され、やがて去っていく。忘れることなく会期中に見に行かなければというあせりのなかに、その作品がある。それはどういう現実感なのか。
 いかにも地方らしい地方の町や村を選び、そこに住む人々にアポなしでいきなりカメラを持ちこみ話しかけて取材するテレビ番組がある。そこで歴然とするのは、子どもから年寄りまで例外なく知的であることだ。率直さとユーモアを兼ね備えている。だから番組になりうるのだろう。この「地方」が大都市圏に近づくほど、人々の反応は弱く、しつこい。現実が希薄になり混濁する。それが大都市における生活だ。綿貫不二夫とその仲間が富山の薬売りのように訪ね歩いていた当時の地方の空は自分の光で晴れていて、そこで版画を見ること、買うことはすぐ自然の営みになった。
 全国に張りめぐらされたその「地方」は中央との位相を逆にした。その本来の位相は、埼玉県立近代美術館の担当学芸員および関係者の情熱と持続力によって目に見える展示と記録になった。その作業のめざしたところはあくまで版画そのものの「景色」なのだ。
(2018.2.23 うえだ まこと

012靉嘔コーナー、奥に木村利三郎

022関根伸夫コーナー、右は映像コーナー

DSC_0537カタログ、撮影は酒井猛、タケミアートフォトス

本日3月4日(日)朝9時のNHK日曜美術館をぜひご覧になってください(特集:イレーヌ ルノワールの名画がたどった140年)。司会は井浦新さんと高橋美鈴さん。ゲストとして多摩美術大学教授・西岡文彦さん、ピアニスト・西村由紀江さん、カメラマン・渡辺達生さんが出演します。後半のアートシーンにもご注目ください

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
現代版画センターと「ときの忘れもの」については1月16日のブログをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログをぜひご購入ください(2,200円)。
埼玉チラシメカス600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年〜1985年の11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。

【特別イベント】ジョナス・メカス監督作品「ウォールデン」上映会
日時:3月4日(日)各 13:00〜16:00
場所:2階講堂
定員:100名 (当日先着順)、無料
【担当学芸員によるギャラリー・トーク】
日時:3月10日 (土) 15:00〜15:30
場所:2階展示室
費用:企画展観覧料が必要です。
【トークイベント】ウォーホルの版画ができるまで―現代版画センターの軌跡
日時:3月18日 (日) 14:00〜16:30
第1部:西岡文彦 氏(伝統版画家 多摩美術大学教授)、聞き手:梅津元(当館学芸員)
第2部:石田了一 氏(刷師 石田了一工房主宰)、聞き手:西岡文彦 氏
場所:2階講堂
定員:100名 (当日先着順)/費用:無料
〜〜〜〜
○‏<埼玉県立近代美術館に昨日行くことができました。現代版画センターの軌跡わたしも会員だったことを思い出しましたが、盛岡のオークションに自分がいてビックリ‼️私がMORIOKA第一画廊に行っていたのが記憶より古いことが判明した。最初に買った版画は磯崎新のfollyだけどね^_^
(20180301/中村孝幸さんのtwitterより)>

埼玉近美で展覧会打ち合わせ後、「版画の景色」展を見る。74年から85年まで活動した現代版画センターの軌跡をたどる企画。作品数が多く、今回は壁が多い。ウォーホル、メカス、日本の現代作家群に交じって、建築からは磯崎新と安藤忠雄の作品もある。比べると、磯崎さんの方がうまくアート化させている
(20180301/taroigarashi‏ さんのtwitterより)

○<埼玉県立近代美術館の版画の景色展、見てきました。思ったより色鮮やかな作品が多かったです。高校の美術の課題でこんな模様描かされたな〜とか思い出した。版画じゃなかったけど(^^)
(20180228/きょろぴ‏ さんのtwitterより)>

○<版画の普及やコレクターの育成を目指して設立された現代版画センター。
その作品や資料から、活動の軌跡をたどる展示。
製作された作品を楽しむのみならず、現代の美術界に大きな影響を与えたその歴史にも興味がわく展示ですね。

(20180228/小野寺誠さんのブログより)>

西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半〜トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。

光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について(1月28日ブログ)

荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て(1月31日ブログ)

スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)

毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。

倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)

嶋吉信さんのエッセイ〜「紙にインクがのっている」その先のこと(2月12日ブログ)

大谷省吾さんのエッセイ〜「版画の景色−現代版画センターの軌跡」はなぜ必見の展覧会なのか(2月16日ブログ)

塩野哲也さんの編集思考室シオング発行のWEBマガジン[ Colla:J(コラージ)]2018 2月号が展覧会を取材し、87〜95ページにかけて特集しています。

○月刊誌『建築ジャーナル2018年3月号43ページに特集が組まれ、見出しには<運動体としての版画表現 時代を疾走した「現代版画センター」を検証する>とあります。

○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号1983年のウォーホル全国展が紹介されています。

○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。

現代版画センターエディションNo.165 磯崎新「空洞としての美術館 I」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
20180304
磯崎新「空洞としての美術館 I」
1977年
シルクスクリーン、ドローイング、カンヴァス、パネル、木(刷り:石田了一)
110.0×480.0cm
Ed.5(実際に制作したのは2部、うち1部は第14回サンパウロ・ビエンナーレに出品後破棄されたと思われる。現存は1部のみ)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。

パンフレット_05
出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄

ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサートのご案内
第7回 愛といのち

日時:2018年4月3日(火)18:00〜
会場:ときの忘れもの
出演:メゾ・ソプラノ/淡野弓子
   スクエアピアノ/武久源造   
プロデュース:大野幸
*要予約=料金:1,000円
予約:必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。

info@tokinowasuremono.com

◆ときの忘れものは「植田正治写真展ー光と陰の世界ーPart 供を開催します。
201803_UEDA
会場1:ときの忘れもの
2018年3月13日[火]―3月31日[土] 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊(但し3月25日[日]は開廊)

昨年5月に開催した「Part I」に続き、1970年代〜80年代に制作された大判のカラー作品や新発掘のポラロイド写真など約20点をご覧いただきます。

●書籍・カタログのご案内
表紙植田正治写真展―光と陰の世界―Part II』図録
2018年3月8日刊行
ときの忘れもの 発行
24ページ
B5判変形
図版18点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:800円(税込)※送料別途250円

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植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:800円(税込)※送料別途250円


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
20170707_abe06新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

植田実「建築家の手の在り処」

「建築家の手の在り処」

植田実

(2000年3月31日刊行の版画掌誌『ときの忘れもの』第2号より再録)

 昨年の暮れ、磯崎新さんが一週間ほどインドに行ってきたときのスケッチブックを見せてもらった。
 シンガポールからボンベイ(ムンバイ)に入った最初のころは、スケッチも文章もほんのメモていどだが、そこからインドールを経てのウダイプールでは早くも旅の時間に身体が合ってきたみたいで、ピチョーラ湖に面したシティパレスの構成的な正面ファサードをとらえる筆致が鋭くなり、一方、湖中のレイクパレスホテルを眺める眼はすっかりくつろいでいる。
 さらにはジャイプールへ。70もの出窓が珊瑚のように密生して表通りの赤砂岩のファサードをつくりあげている「風の宮殿(ハワ・マハル)」を見ているころから、筆ペンによるスケッチに色が注がれはじめる。そのすぐ近くにある天文観測所ジャンタル・マンタルの構内に入ると、磯崎さんはもう腰を据えてしまう。石造りの建築的スケールに近い観測儀群は18世紀に建造されたが、磯崎さんの筆致はそれらをつい最近竣工した現代建築のように見せている。付けられたメモには、先のウダイプールではムガール風のデザインから英国風のコロニアル、インドールではアールデコが通過しているが、ジャイプールは、ジャンタル・マンタルを建てた「サワイ・ジャイ・シング二世にすべてもどる」と書かれている。磯崎さんの蒼古にして超現代のものとも思えてくるスケッチを見ていると、ジャイプールだけでなく世界の都市全体が、そこに戻っていく気持ちにさえなってくる。
 スケッチブックのページを追っていくと、観測儀が20以上も集まっているこの造形物の楽園から10キロほど先の、案ベール城塞の眺めをパノラマ風にスケッチしたあと、再度ジャンタル・マンタルに戻ってまた、一カットだけだが描いている。カメラを携えての足どりとはちがうのだ。建築を見る時間が変化してきている。
 翌日には、アグラへ、そこからいよいよ南西40キロにあるファテプール・シクリに向かっている。この16世紀における束の間の都市の凄さについては、磯崎さんから何度もきかされていた。メモにはこう書かれている。「ファテプール・シクリ再訪。再訪に価する唯一の場所である」。アクロポリスと桂離宮とこれがベスト・スリーと書かれてもいる。すでにただの旅のスケッチではない。建築を描いているのではない。空と広場が熱気をはらんでいる。その熱が赤い五層楼や内謁殿を蜃気楼のように現出させている。たしかに無敵の建築。再開したよろこびの吐息が伝わってくるようなどっしりとした色彩の塊と、それを建築に変えていく、じつに微妙で素早いペンの黒い描線。この地平からは磯崎新自身の建築まで次々と現れてくるかのようだ。
 数ページにわたって描かれた熱い空気は、アグラ市内に戻った翌早朝、これも再訪したタージマハールの屋根の、白い大理石の「大球面」が、ヤムブー河に立ちこめた朝もやから浮き出てくるスケッチにつなげられて、やっと冷えていく気配がある。同じ川ぞいに並ぶ、貝の形状をしたプランの、アグラ城塞の長大で分厚い壁(メモに「レッド・フォートは赤砂岩と影だけ」)を眼でたどりながら、また城内の中庭と白大理石のパラスを訪ねながら、視界は外にまで開いている。遠くには動かない支点のように、タージマハールが見えている。
 そして最終日はニューデリーからドーハへと書かれているが、そこから帰国したのか、それとも次に予定があってヨーロッパにでも飛んだのかはわからない。なにしろただ一冊のスケッチブックから磯崎さんの足どりを追っている。しかもこちらはインドに行ったことがない。もしトンチンカンな間違いがあるとしたら、それは私のせいである。
 たとえば最近の磯崎さんは、暑い国を旅するときはどんな服装をしているのだろうかと思う。そんなことさえまるで見当がつかないまま、スケッチとメモだけから一週間の旅を読みとろうと している。
 30年ほどまえに夏のヨーロッパとギリシャに御一緒したことがある。とくにギリシャでの磯崎さんが印象的だったのだが、ウィー ンからアテネに入ったころから俄然マイペースになってきた。それでもパルテノンの丘にのぼったときは青い半袖シャツにカメラバッグという、まあ普通の出で立ちだった。じつに長いあいだ、神殿の前に坐って動かなかった(翌日もまたパルテノ ンに一日行っていたらしい)。このときの記憶を、ジャンタル・マンタルやファテプール・シクリのなかに佇む建築家の姿に重ねている。
 さて、アテネからさらにエーゲ海の島々をめぐる旅がはじまると、このひとは島では上半身は裸、レンズ一本を装着したカメラを肩から吊っているだけという大軽装になってしまう。パスポートや財布は尻のポケットに入れていたのか。スケッチをしたりしていた記憶がない。磯崎さんを知ったときから写真のうまさはプロはだしという印象が強かったので、カメラを構える姿はよく目にとどめるようにしていたのだが。このときもすでに再訪の場所が多かったようで、こちらがあせ-って撮りまくるのとは別のペースだった。帰ってからそのときの写真を見せてもらった。モノクロームのちょっとシュルレアルな雰囲気で、同行していた宮脇愛子さんが画面の中央でどこか演劇的なポーズをとっている。その背後にミコノスやサントリーニの白い集落がひれ伏している。そんな印象の写真ばかりだった。どうしてあんなふしぎな写真が撮れたのか、いまでもわからないのだが、とにかくその頃は、「磯崎さんの写真」という意識の目を通して建築を見ていたような気がする。それほど強い印象を受けていた。
 アテネから西に向かう飛行機のなかで、私は磯崎さんの右隣りに腰掛けていた。ウィスキーのグラスが空になり、彼はコースターを手にとって、左隣りの宮脇さんの膝に置かれた帽子をフェルトペンで一筆描きみたいにさらさら描いた。広いプリムに縁取られた、いかにも涼し気な日除けである。ギリシャの太陽の下を歩いてきた帽子だ。とっさに私は手を出した。苦笑いしながらもすぐARATA ROMEとサインしてそのコースターを渡してくれた。そう、もうローマの上空だった。飛行機が高度を下げはじめた。

 1960年代後半に、磯崎アトリエのスタッフだった六角鬼丈(現・東京芸大教授)は、磯崎さんが「直接定規を持って製図している姿を見たことがない」と最近書いた文章のなかで回想している。そのころは足繁くアトリエ通いをしていた私には初耳で、やはり内部にいた人じゃなければ知らないことがあるんだと、おもしろかった。その少し前、彼の最初期、つまり1960年から数年間に描かれた、大判のしかもばっちりと墨入れされた図面を次々と見せてもらっていたとき、ちょっときまり悪そうに、どこか他人事のように、図面さえ描いていれば満足だったのさと、彼がつぶやいていたのを覚えていたからだ。
 しかしそれは建築家の姿勢が一貫していたことを、逆に物語っているような気がする。最初期の製図といえば、計画案のものが多く、一本の巨大な円柱だけの建築だったり、あるいはその円柱が何十本もの数に増えて、丸の内や新宿の既存の建築群を踏み抜いていたりする。そこにギリシャ神殿の廃虚の写真をコラージュした、高名な「孵化過程」もこの時期のものである。
 計画案というより描かれた「命題」といったほうがいい。途方もない建築計画は19世紀から20世紀にかけてじつに数多く描かれているが、はじめから実現化とはっきり縁を切っている建築図面はそんなに多くはないはずである。現代都市とは何であるかを見てしまった、発見的命題としての建築を図面化するのは極度に私的な作業であったにちがいない。製図に熱中したのは当然と思う。
六角は同時に、たぶん先輩からきいたのだろう、大分県立図書館の実施設計では、断面詳細図を驚くべきスピードで一晩のうちに描きあげたという言い伝えも紹介している。その後は仕事が一気に増えてきている。それは建築計画が特定のものに限定され、次々と実現へ動きはじめた時期である。こうした建築の製図に手を染めることは、どれほど意識化しようと長い隧道のなかを行くように、来るべき完成された建築への同化を避けえない。それは危険すぎると、本来の価値破壊者である建築家は感じはじめた。スタッフの手の必要がそこにあった。そう思う。製図はしないが、スケッチは怠らず、模型を見ながらの手直しを命ずることは徹底していたというが、それは破壊において建築を完成させていく、際どい作業だったにちがいない。
 だれでもやっていることかも知れない。しかし「孵化過程」を描いてしまった建築家の破壊作業は筋金入りだった。その実証としての数々の建築を、現在に至るまで私たちは目にしてきた。
磯崎新の版画は1977年、まず「ヴィッラ」シリーズではじまるが、90°のアクソメトリックというやや特殊な図法ではあるものの、いってしまえば一般的な建築の製図をシルクスクリーンで刷っただけである。最初は意表をつかれた。スケッチのような描線を期待し てもいたからである。だが彼は「古典的なアウラ※1」としての手のあとを回避して、定規による製図表現に徹する。自分の手による描線をアートにしてみせるようなナルシシズムには陥らない。というより、それ以上にちゃんと先々まで戦略をたてていたというか、コレクターへのサーヴィスを考えていたというか、あるいは版画制作の技術まで見極めていたにちがいない。
 手の痕跡にとらわれない製図表現は、百里靴をはいたかのようにどんどん先に進んでいってしまう。「還元」シリーズの形態要素の分析、「MOCA」シリーズの透視図、あるいは「内部風景」シリーズでは写真まで使っている。「MOCA」の直かに色彩の地底から掘り起こしたような強烈な空と建物と影との対比、超大型の「MOCA EXTERIOR,INTERIOR」、さらには立体までからむ「空洞としての美術館」などはそれぞれ、版画技術の臨界点に立ち会っている緊迫感に満ち満ちている。このあいだに数点の、それこそ手のあとがうかがえる酒落た銅版画が幕間のように挿入されてはいるとはいえ、全体の展開は、完結した建築を切り崩していく、見えない「手」に支配されたコンセプトの明視性が決定的であるといっていい。
考えてみれば、カメラのシャッターを押すだけの行為にさえ、手の痕跡を残そうとする意識がはたらいていることを、磯崎さんは見抜いている。つまり、いわゆるフォトジェニックな構図とかシャッター・チャンスとかは彼の興味の対象ではない。いつだったか 彼が古い数寄屋建築や茶室を撮った写真は、思いがけないことに超広角レンズを使っていた。その結果、伝統的な日本の建築につきまとう情感が払拭されて、その構成要素がレントゲン写真のように剥き出しになっていた。「還元」シリーズに、それはつながっているといえる。

 しかし最近の磯崎さんはそのカメラも持たない。今度インドを旅したときもそうだし、建築の構想も同じ小さなスケッチブックに筆ペンと絵具で、スケッチ風の描写に戻っている。いや戻っているというのは不確かで、うんと先に行ってしまったという実感のほうが強い。
版画制作を始めたときからの大きな流れ、つまり製図表現を思い切りコントロールする手法は、昨年の新作「」「」「」シリーズで極限に達した。その冥さも華麗さも、あるカタストロフィに接続されているようにさえ見える。カタストロフィ、それは実現した建築さえも版画という仕掛けを通して解体されたかのように見せてしまう光景であり、同時にその解体あるいは破壊作業そのものが意味を失なってきている今の時代状況の不気味さが見えはじめた、そのカタストロフィでもあるのだ。
一方で、これも同時期につくられた「栖十二」はまったく異質のシリーズである。まず自分の手がけた建築ではない。いやひとつだけルイジ・ノーノの墓が入ってはいるが、あとはル・コルビュジェの「母の小さい家」やウィトゲンシュタインのストンボロウ邸、さらにはパッラディオ、マッキントッシュ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ、小堀遠州などによる十二の家を描いている。そこに終の栖のありようを求めたと彼はいう。しかしそれらは建築家たちによる彼等自身のための終の栖ではない。磯崎新設計のノーノの墓がまさにそうであるように、最後にたどりつく栖を自分自身で間違いなくつくることは、だれにもできない。つまりどこで永い眠りについたにせよ、それはすべて本質的に野垂れ死にだというのだ。
 これらはどれも旅のスケッチブックから銅版画に起こされたものである。その一見抒情的な絵柄は、手の痕跡が甘美でさえあり、そのひとつひとつの筆致が身近かで優しく感じられるだけ、虚空のように隣り合っているものの気配が強い。その虚空とは建築そのものの本体かも知れない。荘厳であるほど絶対的な死に近づいてしまう建築を、またしても彼は命題として描き出す。しかし今度は「孵化過程」のように決定的な一枚の絵ではなく、「帰還する場所の不在※2」を物語る優しい手描きの、限りない数のスケッチである。それは自分の設計する建築において、すべてを収斂できる時代が不意に消えてしまったことを、だれよりも逸早く感じとった建築家の、限りない旅への予感の表われのようにもみえる。今回のインドへの道もそこからはじまっているにちがいない。
 磯崎さんにはすでに見えてしまっているその「場所の不在」が、自分にも否定しようもなく見えてくるのがおそろしい。しかし、そこに徐々に押しやられていく過程がじつは磯崎新の描いたものを見る、ほんとうの愉楽なのである。
うえだまこと
※1「The Prints of Arata lsozaki, 1977-1983」(現代版画センター、1983年)より
※2「栖十二」(住まいの図書館出版局、1999年)より

版画掌誌第2号
版画掌誌第2号
オリジナル版画入り美術誌
2000年3月31日/ときの忘れもの 発行
特集1/磯崎新
特集2/山名文夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版:限定35部:120,000円(税別 版画6点入り)
B版:限定100部:35,000円(税別 版画2点入り)

06磯崎新のスケッチブック
版画掌誌『ときの忘れもの』第2号より

051999年のインド旅行の折のスケッチ
版画掌誌『ときの忘れもの』第2号より


版画掌誌『ときの忘れもの』第2号収録作品
01磯崎新
「ファテプール・シクリ1」
2000年  エッチング
13.5×18.0cm
Ed.35  サインあり
*A版に収録

02磯崎新
「アグラの赤い城」
2000年  エッチング
18.0×13.5cm
Ed.35  サインあり
*A版に収録

03磯崎新
「ファテプール・シクリ2」
2000年  エッチング
13.5×18.0cm
Ed.35  サインあり
*A版に収録

04磯崎新
「ファテプール・シクリ3」
2000年  エッチング
13.5×18.0cm
Ed.135  サインあり
*A版、B版に収録

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*画廊亭主敬白
 東京は大雪です。
交通機関も大混乱、スタッフの一人加畑からのメールでは乃木坂を昨夕17時に出たのに22時の時点でまだ町田の自宅に辿りつけないとか・・・
実は本日午前の便で、秋葉と新澤はシンガポールに向けて羽田を飛び立つ予定なのですが、果たしてどうなることやら。

本日のブログは植田実先生に18年前(もうそんなに経ったのか)に書いていただいた文章です。
いま埼玉県立近代美術館国立近現代建築資料館で奇しくも同じ磯崎新先生の版画「還元」シリーズが展示されており、建築家がなぜ描くか、版画を制作するのかについて論じていただいた版画掌誌の文章を再録しました。

以下は亭主の「編集後記」からの抜粋です。
 「版画は余技ではなく、自分の建築を批評すること」。優れた建築家とは優れたアーティストだと思う。建築家の磯崎新が版画制作に取り組んだのは1977年からで、当時私が主宰していた現代版画センターからの依頼がきっかけだった(その経緯は、昨年住まいの図書館出版局から刊行された磯崎新著『栖十二』巻末の栞[Appendix]17〜19頁に書いてあるので参照されたい)。建築家が技術者としてみられている日本では珍しいことだった。その後、20数年たった今にいたるまで、建築家は版画から撤退することなく、制作を続けている。編集者としてそれをずっとみてきた植田実氏に建築家が描くことの意味について執筆していただいた。
 「カメラを持つと、カメラの眼を頼ってしまい、空間を身体で感じることができない」。私が磯崎アトリエに通い出した70年代後半には建築家はすでにカメラを捨てており、かわりにスケッチブックがいつも旅の同伴者だった。何十冊にもなるそれらのスケッチブックから、昨年発表した『栖十二』の40点にも及ぶ銅版画連作が生まれ、今回本誌に挿入した銅版画も昨年インド旅行したときのスケッチをもとに帰国後制作されたものである。磯崎ファンならずとも覗いてみたいそのスケッチブックを、一冊まるごと特集させて貰った。(後略)
2000年3月 綿貫不二夫
*版画掌誌『ときの忘れもの』第2号 編集後記より抜粋
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現在開催中の「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」の展示風景をご紹介します。
201801_磯崎倉俣展_01

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◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が始まりました。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年に創立、1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約300点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。同館の広報誌もお読みください。

○<「版画の景色」@埼玉県立近代美術館。現代版画センター(1974-85)に関する予備知識ゼロだけど楽しめた。部屋に飾りたいと思うの多数。磯崎新のシルクスクリーンが超かっこよくて驚いた。
ジョナス・メカスのこれが良すぎた。ほしい。「夜の街を走る車 マンハッタン」1983
ひっそりと戸張孤雁(1882 - 1927)が展示されてたけど、あれはどういう文脈だったのかしら。この人だけ時代違う。

(20180121/KNMさんのtwitterより)>

○<埼玉近代美術館の企画展「版画の景色」を観てきました。魅力的な現代アートの数々を目にする事ができて興奮しました。ウォーホルや草間彌生の作品があったのも驚きましたが、磯崎新の建築物を描いたシルクスクリーンが特に印象に残りましたね。また観に行こうと思います。
(20180121/Takao Rival‏さんのtwitterより)>

○<本日は埼玉県立近代美術館で版画の景色展をみてまいりました
版画と言うのはどうも自分の中で整理がつかないものがあり興味深くみたのですがますます分からなくなりました(笑)
抽象表現とは相性が良いですね
MOMASコレクションで小村雪岱の青柳がみれました

(20180120/しの‏さんのtwitterより)>

現代版画センターエディションNo.42 島州一「ゲバラ」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
042_島州一《ゲバラ》島州一《ゲバラ》
1974年 
布にシルクスクリーン(刷り:小峰プロセス)
Image size: 69.0×99.0cm
Sheet size: 103.1×125.1cm
Ed.50  サインあり

昨日に続き、島州一先生のエディションです。
版画の定義は文字通り「版の絵」であり、支持体は問わない。現代版画センターは島先生の布に刷ったこの作品をはじめ、アクリルやキャンバスに刷った版画作品をいくつもエディションしました。

パンフレット_05


◆国立近現代建築資料館で2月4日[日]まで「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展が開催中。磯崎新、安藤忠雄らの作品が出品されています。展覧会については戸田穣さんのエッセイをお読みください。
磯崎新「還元LECTURE HALL-2 」磯崎新
「LECTURE HALL-II」
1982年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75  サインあり
*現代版画センターエディション

ギャラリートーク「建築版画の世界」のご案内
植田実(住まいの図書館出版局編集長)× 石田了一(石田版画工房)× 綿貫不二夫(ときの忘れものディレクター)
司会:日埜直彦
日時:1月27日(土曜日)14時から
場所:文化庁国立近現代建築資料館
住所:〒113-8553 東京都文京区湯島4-6-15
入場方法:旧岩崎邸庭園からの入館となりますので、入園料400円(一般)が必要となります。

●日経アーキテクチュアから『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』が刊行されました。
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。日経アーキテクチュア編集長のコラム<建築家・安藤忠雄氏の言葉の力:第3回>で、出江寛先生、石山修武先生の次に紹介されていますので、お読みください。

◆ときの忘れものは「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」を開催しています。
会期=2018年1月9日[火]―1月27日[木] ※日・月・祝日休廊
磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)に焦点を当て、磯崎の版画作品〈TSUKUBA〉や旧・筑波第一ホテルで使用されていた倉俣史朗デザインの家具をご覧いただきます。他にも倉俣史朗のアクリルオブジェ、磯崎デザインの椅子なども出品します。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
06駒込玄関ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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