瑛九の世界

埼玉県立近代美術館「特別展示:瑛九の部屋」4月14日まで

埼玉県立近代美術館「特別展示:瑛九の部屋」
会期:2019年1月12日〜4月14日

昨日は埼玉県立近代美術館に行って来ましたよ🎵企画展は2度目なのでサーっと、目的のMOMASコレクションの瑛九の展示へ😃特に光量による変化を楽しめる瑛九の部屋に感激しました😊新しい見方の提案素晴らしいですねぇ❗今日のお気に入りの椅子は冷たいようで心地よいこれ🎶
(20190115/masatanさんのtwitterより)>


埼玉県立近代美術館がユーチューブに投稿した「瑛九”田園”」の動画第1作目。
その後も2作目、3作目と、続けて配信予定らしい。

MOMASコレクションは瑛九が秀逸。照明の明暗を自分で操作できるのもあった。暗→明にすると、網膜の細胞が1つずつ活性化していくような感覚で、新しい感覚かも。かなりオススメ。
(20190116/K.Kondoさんのtwitterより)>

新しく収蔵作品となったシニャックの絵も見てきました。
瑛九の特別展示の「田園」が光の照度を変えて鑑賞出来るようになっているのですが、これは驚きでした!

(20190114/s_tさんのtwitterより)>

埼玉近美、辰野登恵子もオススメなのですが、コレクション展の「瑛九の部屋」は何があっても見て欲しい展示です。こちらは4月14日までなので、次回企画展「インポッシブル・アーキテクチャー」(おもしろそう!)の時でも見られます
(20190114/おけいさんのtwitterより)>

MOMASコレクションもとてもよかった。「特別展示:瑛九の部屋」のキャプション、美術館の立場や考えが明確になってて最高だなと思ったらチラシの裏にも載ってた🙌
(20190113/saoriさんのtwitterより)>

埼玉県立近代美術館、辰野登恵子の他に常設展が見逃してはいけない。新収蔵のシスレー以上に瑛九の小特集が面白い。瑛九と関係の深い山田光春の作品・資料に加え瑛九自身の作品、とくに瑛九「田園」を暗室内に置き鑑賞者が照明を自分で光量調整する企画は実験的。発見がある。
(20190114/永瀬恭一さんのtwitterより)>

コレクション展には「瑛九の部屋」というのがあって、「田園」という絵に当てる照明の具合を鑑賞者が手元のスイッチで変えられるという面白い展示方法だった。印象の変化を感じられた。温度みたいに。暗室で作品と対峙する感じは三菱一号館美術館のルドン「グラン・ブーケ」を思い出した。
(20190116/出紅為郎さんのtwitterより)>

埼玉県立近代美術館、「MOMASコレクション第4期」。いつものモネ作品などのコーナーにシニャック作品が新収蔵品に。というニュースもありつつ、瑛九コーナーが圧巻。とくに「田園」。作品自体もこれ、すごくないですか!各自照明のコントロールが可能な部屋が設置され、これが素晴らしすぎる。暗い照明と明るい照明(シームレスに調整可能)で、まったく別の作品のように見える。どのような光のもとで作品を見るのか、ということはとても大事なファクターだと常々感じているのだけれど、ここまで印象が大きく異なるとは。作品の偉大さと合わせて、ぜひ体験を!4/14まで。
(20190114/笹崎・(T)・譲さんのtwitterより)>

埼玉県立近代美術館MOMASコレクション第4期を見てきました。瑛九の部屋が衝撃だった。完成された作品があんなに表情を変えるなんて知らなかった。薄暗い中では幻想的で神秘的で、照度を上げると作品が輝き出す、不思議な体験でした。
(20190118/四季さんのtwitterより)>

埼玉近美の常設では、瑛九の特集。山田光春との関わりを紹介するもの。あと、瑛九の作品の照明を自分で調整してその変化をみるコーナーもあり、これがまったく印象がかわって面白かった。となると、照明の固定ってどうしてるんだろう。新収蔵作のシニャックの風景画もみてきた。
(20190118/あつしさんのtwitterより)>

埼玉県立近代美術館MOMAコレクション第4期。
瑛九「田園」観てきました。
「ときの忘れもの」で、初めて瑛九を知り、早速!埼玉へ向かったのです。
「田園」に当てる照明を自分で調節して、変化する田園のイメージを膨らませる事が出来る。
暗室小部屋で、田園と私だけになれるのが特別な感覚だった。

(20190118/石井菜緒子さんのtwitterより)>

「辰野登恵子ON PAPERS」に来たのに瑛九に感動してしまって瑛九の図録を買ってしまった!辰野の図録は高い!
(20190119/ninicoさんのtwitterより)>

埼玉県立近代美術館へ。「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」最終日前日滑り込み。特別展示の瑛九の部屋にあった「田園」という点描画が素晴らしかった。
(20190119/矢野ミチルさんのtwitterより)>

今日は埼玉県立近代美術館に久し振りにキター🙌相変わらず、美しい場所だな✨企画展、何の予備知識も無かったけど良かった😃思い掛けず、大好きな瑛九の特別展に巡り会えたのは最高に幸せだ🤗✨んでもって、猫写真展やら一般参加の展示も楽しかった😀充実してた😆余韻に浸りながら、カフェでまったり
(20190119/Satin Clothesさんのtwitterより)>

20190116153423_00001

注目を浴びていた埼玉近美の辰野登恵子展は昨日20日に終了しましたが、引き続き開催中の「MOMASコレクション第4期」の展示が凄いことになっています。
一番奥にどーんと展示されているのは2億9千万円で埼玉が購入したポール・シニャックの「アニエールの河岸」。
この作品については、わざわざこのブログでご説明する必要はないでしょう。
それよりもこれよりもtwitterで発信されたいくつかを再録しましたが、瑛九「田園」の特別展示は衝撃的です。
詳細は上掲のフライヤーをじっくり読んでいただきたいのですが、油彩120号の「田園」を所蔵者から借用し、そのためにわざわざ暗い特別室をつくり、観覧者が自分で照明のダイヤル式コントローラーを操作できるようになっています。
かつて1970年代に所蔵者の加藤南枝さんが試みた「田園のライトデッサン展」のコンセプトを引き継いだ展示です。
と言っても「田園のライトデッサン展」を知らない方はちんぷんかんぷんでしょう。
いずれきちんとご説明いたしますが、ともあれ、美術館としては画期的な展示方法をぜひ皆さん体験してください。
「田園」ばかりではなく、近年収集した瑛九と山田光春の作品・資料を中心とした選りすぐりの40点が展示されており、これは単なるコレクション展示というより、相当なレベルの「瑛九展」です。
必見の瑛九特別展示は4月14日までです。
休館日:月曜日(ただし、2月11日は開館)
観覧料:一般200円 、大高生100円

ときの忘れものは「第27回瑛九展 」を開催しています。
会期:2019年1月8日[火]―1月26日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊
307
ときの忘れものは3月末開催のアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展します。1930年代最初期から最晩年まで、油彩大作、フォトデッサンの代表作を香港に持って行く前に、ギャラリーで展示しています。
・瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
・現在、各地の美術館で瑛九作品が展示されています。
埼玉県立近代美術館:「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、他に40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示(4月14日まで)。
横浜美術館:「コレクション展『リズム、反響、ノイズ』」で「フォート・デッサン作品集 眠りの理由」(1936年)より6点を展示(3月24日まで)。
宮崎県立美術館<瑛九 −宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示(4月7日まで)。

●九州の博多阪急で1月16日(水)- 1月22日(火)【博多阪急×アートフェアアジア福岡 “Catch Good Signs! アートの兆し”】が開催されており、ときの忘れものも松本竣介ボブ・ウィロビーを出品しています。

●東京神田神保町の文房堂ギャラリーで「版画のコア core2」展が始まりました(1月21日〜2月2日[土])、会期中無休)。ときの忘れものは日和崎尊夫を出品協力しています。

●ときの忘れもののブログは年中無休ですが、それは多くの執筆者のおかげです。昨年ご寄稿いただいた方は全部で51人。年末12月30日のブログで全員をご紹介しました。

●2019年のときの忘れもののラインナップはまだ流動的ですが、昨2018年に開催した企画展、協力展覧会、建築ツアー、ギャラリーコンサートなどは年末12月31日のブログで回顧しました。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第12回〜瑛九

飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第12回

瑛九と「フォト・デッサン」 瑛九 (Q Ei 1911~1960)

飯沢耕太郎(写真評論家)


 瑛九(本名・杉田秀夫 1911~1960)は、いうまでもなく戦前・戦後の前衛美術の展開に大きな足跡を残したアーティストである。その作品は、油彩や水彩画だけでなく、エッチング、リトグラフなど多彩であり、1951年に組織したデモクラート美術協会の活動では、早川良雄、山城隆一、靉嘔池田満寿夫吉原英雄泉茂細江英公らに大きな影響を及ぼした。
 その瑛九が、写真の分野においても注目すべき仕事をしていたことは、それほど広く知られていないのではないだろうか。彼はまだ画家としては認められていなかった1930年に写真機を購入し、写真学校(おそらく1929年に設立された3ヶ月制のオリエンタル写真学校と思われる)に入学して写真作品の制作に熱中した。同時に写真評論も執筆するようになり、『フォトタイムス』誌に本名の杉田秀夫名義で「フォトグラムの自由な制作のために」(1930年8月号)、「芸術写真以上のものヘ」(同12月号)、「フォトグラムは如何に前進すべきか」(1931年2月号)などを精力的に発表した。当時は、絵画的な「芸術写真」からモダニズムを志向する「新興写真」へと日本の写真界が大きく転換しようとしていた時期であり、若き瑛九=杉田秀夫の活動もそれに呼応するものだったといえる。
 一時、故郷の宮崎に帰っていた瑛九は、1936年にふたたび上京し、画家の長谷川三郎、美術評論家の外山卯三郎の協力を得て、新作のフォトグラム作品10点を複写したプリントを挟み込んだ作品集『眠りの理由』(芸術学研究会、限定40部)を刊行する。紙を切り抜いたフォルムや、ネット状の物体が自由に絡み合い、乱舞するユニークな写真作品は、フォト・デッサンと命名された。瑛九という名前を用いるようになったのも、この『眠りの理由』の刊行がきっかけであり、まさに彼にとってはアーティストとして大きな飛躍を遂げた作品集といえるだろう。
 瑛九はその後もフォト・デッサンや、写真を切り貼りしたフォト・コラージュ、さらにそれにドローイングを加えた作品などを制作し続けた。1950年代には宮崎、大阪、東京などで「瑛九フォト・デッサン展」をたびたび開催し、1951年にはフォト・デッサン作品集『真昼の夢』(9点組、限定100部)を刊行している。こうしてみると、瑛九の写真作品は最初から最後まで一貫して、現実世界の再現・描写ではなく、自身の内的なファンタジーを、光と影によって定着することを試みたものであることがわかる。彼はまさに、画家と写真家の仕事を一体化した活動を生涯にわたって続けたのである。
いいざわ こうたろう

qei17-005瑛九 Q Ei
Work
作品
C. 1936〜
Photo-dessin (photogram)
30.3×25.2cm
Signed


qei_photodessin-hukituke瑛九 Q Ei
Work
作品
Photo-dessin (photogram) and spray
23.0×38.3cm
Signed by Mrs. Q Ei on the back.


qei_161瑛九 Q Ei
Work
作品
C.1954
Photo-dessin (photogram)
20.1×25.3cm
Signed by Mrs. Q Ei on the back.


qei_141_three瑛九 Q Ei
Three people
三人
1950
Photo-dessin (photogram)
55.2×45.5cm
Signed and dated


qei_140_work瑛九 Q Ei
Work
作品
Photo-dessin (photogram)
40.8×31.9cm


瑛九「小鳥」瑛九 Q Ei
Little bird
小鳥
1951
Photo-dessin (photogram)
55.0×45.0cm
*Noted "Q Ei Exhibition (Odakyu Grand Galley) 1979" on the rear side of the frame


瑛九「魚」瑛九 Q Ei
Fish

Photo-dessin (photogram)
45.4×56.0cm
Signed by Mrs. Q Ei on the back


瑛九「水の中」瑛九 Q Ei
In the water
水の中
Photo-dessin (photogram)
53.5×42.2cm
Signed by Mrs. Q Ei on the back


瑛九「三人」瑛九 Q Ei
Three people
三人
Photo-dessin (photogram) and pen drawing
54.8×44.9cm
Signed by Mrs. Q Ei on the back


瑛九「散歩(楽園)」瑛九 Q Ei
Walk (Paradise)
散歩(楽園)
Photo-dessin (photogram)
53.8×42.8cm
Signed by Mrs. Q Ei on the back


瑛九「題不詳」瑛九 Q Ei
Untitled
題不詳
Photo-dessin (photogram)
45.2×55.7cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


*画廊亭主敬白
偶然でしょうが、今各地の美術館で瑛九作品が展示されています。
一番大規模なのが埼玉県立近代美術館、120号の大作「田園」唯一点のために特別室を設け「特別展示:瑛九の部屋」を開催中、常設コーナーではなんと40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他が展示されています(4月14日まで)。
東京国立近代美術館の小企画「遠くへ行きたい」では瑛九のリトグラフ「旅人」が何と中村岳陵の誰もが知る名作「気球揚がる」の横に展示されています(20日までです、お急ぎください)。
横浜美術館コレクション展『リズム、反響、ノイズ』」では瑛九の「フォート・デッサン作品集 眠りの理由」(1936年)より6点が出品展示されています(3月24日まで)。
瑛九の故郷、宮崎県立美術館では「コレクション展」の一環として<瑛九 −宮崎にて>が特集展示されており、120号の大作「田園 B」などが展示されています(4月7日まで)。

ときの忘れものは「第27回瑛九展 」を開催しています。
会期:2019年1月8日[火]―1月26日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊
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ときの忘れものは3月末開催のアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展します。1930年代最初期から最晩年まで、油彩大作、フォトデッサンの代表作を香港に持って行く前に、ギャラリーで展示しています。
・瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。

●九州の博多阪急で1月16日(水)- 1月22日(火)【博多阪急×アートフェアアジア福岡 “Catch Good Signs! アートの兆し”】が開催されており、ときの忘れものも松本竣介ボブ・ウィロビーを出品しています。

●ときの忘れもののブログは年中無休ですが、それは多くの執筆者のおかげです。昨年ご寄稿いただいた方は全部で51人。年末12月30日のブログで全員をご紹介しました。

●2019年のときの忘れもののラインナップはまだ流動的ですが、昨2018年に開催した企画展、協力展覧会、建築ツアー、ギャラリーコンサートなどは年末12月31日のブログで回顧しました。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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「第27回 瑛九展」開催中

新しい年を迎えました。
今年もよろしくお願いいたします。
昨年は須賀敦子没後20年の年にあたり、いろいろな場でトークしましたが、
なかでも印象的だったのは、駒込の「Books青いカバ」さんの企画によりギャラリーときの忘れものでおこなった、
「一日だけの須賀敦子展」です。
彼女の著作を集め、わたしがイタリア取材で撮った写真を展示。
たった一日なんてもったいないと思われるかもしれませんが、一日だからこそ生まれるライブ感があり、
書店とギャラリーのお客さんが交じう楽しさもありました。
今年も「一日だけの○○」をおこなう予定で企画中です。○○に何がはいるかご期待ください!

大竹昭子さんからの年賀より)>

大竹さんと青いカバさんのお力で実現した「一日だけの須賀敦子展」で、ようやくときの忘れもの=駒込が認知されたようです。それほど反響の大きいイベントでした。
駒込に引っ越してから一年半経ちますが、いまだに青山に行ってしまうお客様がいます。

青山跡地passerby@tokyopasserbyより(passerbyさんのtwitterより転載)
passerbyさんが1月6日のtwitterで<南青山。ここはかつて「ときの忘れもの」があった場所ではないですか。>とつぶやき、南青山3-3-3の今の姿を投稿してくださいました。
社長と亭主が再起を期して借りた一軒家はあとかたもありません(さすがに寂しいです)。
20170605_aoyama_cube_before1995年開廊当時のときの忘れもの

さて、気を取り直して駒込の新空間では「第27回 瑛九展」を開催中です。

1月10日(木)駒込に回り、ときの忘れもので「第27回 瑛九展」を観る。アートバーゼル香港での展示予定作品を一足先に国内で披露するもの。長年瑛九を扱ってきた画廊だけあって、100号の大作「海の原型」から小品まで、粒揃いの油彩画やフォトデッサンの大作・代表作が並ぶ。すでに何点かは売約済となっていた。
(20190110/土渕 信彦さんのfacebookより)>

ときの忘れもの「第27回瑛九展」001
実に27回目となるときの忘れもでの「瑛九展」ですが、今回はちょっと特別。初めて出展することが決まった「アートバーゼル香港2019」に向けた壮行の意味もあり、目玉となる100号の油彩「海の原型」は、今回が日本で観られる最後の機会となるかもしれません。

(20190111/岡田昌浩さんのtwitterより)>

東京芸大で退官記念展をいくつか見る。本郷先生の彫刻が面白かった。駒込のときの忘れものでの瑛九展を見る。大きな油絵が素晴らしかった。
(20190113/中村惠一さんのtwitterより)>

01瑛九 "作品" 紙に水彩 28.0×23.5cm スタンプサインあり


02


19
瑛九 "鳥の歌" 1957 板に吹き付け(スパッタリング)45.5×53.0cm(F10号) ※レゾネNo.348


03
瑛九 「作品」 1958年 水彩 29.0×20.0cm Signed and dated


DSC_1010


18
瑛九 「海の原型」 1958年 板に油彩 91.0×160.0cm (100号変形) Signed and dated  ※レゾネNo.441


DSC_1018


04


05
瑛九 「赤と黄」 1957年 板に吹き付け (スパッタリング) 45.5×38.0cm (F8号)  ※レゾネNo.353


06
瑛九 「黄色い朝」 1958年 キャンバスに油彩 45.5×53.0cm (F10号) Signed and dated ※レゾネNo.446


07
瑛九 「花々」 1949年 キャンバスに油彩 45.5×38.2cm (F8号) ※レゾネNo.202


08


09
瑛九 「作品―B」 1935年 板に油彩 29.0×24.0cm (F3号) ※レゾネNo.17


10
瑛九 「弓」 1959年 板に油彩 16.3×23.0cm Signed


11
瑛九 「作品」 フォトデッサン+吹き付け 23.0×38.3cm 裏面に瑛九夫人のサインあり


12
瑛九 「小鳥」 1951年 フォトデッサン 55.0×45.0cm ※額裏に「瑛九展(小田急グランドギャラリー)1979年」と記載あり


13
瑛九 「作品」※裏面にも作品あり 紙に吹きつけ 表:35.5×31.2cm/裏:31.5×28.5cm シートサイズ:39.7×31.2cm Stamp signed


14
瑛九 「青いソナタ」 1956年 リトグラフ イメージサイズ:40.0×25.0cm シートサイズ:54.5×38.7cm Ed.15 裏にタイトルと杉田都(瑛九夫人)の署名あり ※レゾネNo.55(瑛九の会、1974年)


DSC_0999


15
瑛九 「虫の生活」 1957年 リトグラフ 45.5×31.0cm Ed.20 Stamp signed ※レゾネNo.105(瑛九の会、1974年)


16
瑛九 「蟻のあしあと」 1956年 リトグラフ イメージサイズ:35.5×22.5cm シートサイズ:54.0×39.0cm Ed.22 Stamped


17
瑛九 「作品」※裏面にも作品あり 紙に吹きつけ 表:35.5×31.2cm/裏:31.5×28.5cm シートサイズ:39.7×31.2cm Stamp signed

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


ときの忘れものは「第27回瑛九展 」を開催しています。
会期:2019年1月8日[火]―1月26日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊
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ときの忘れものは3月末開催のアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展することになりました。
香港に作品を持って行く前に、ギャラリーで出品作品を公開いたします。
瑛九がさまざまな技法で試みた「光の絵画」への志向が最後に行き着いたのが点描で画面全体を埋め尽くす独自の抽象絵画でした。本展では輝くばかりの100号の油彩大作《海の原型》(1958年)など代表作ほか、カメラを使わず印画紙に直接光を当ててデッサンする「フォトデッサン(フォトグラム)」など1930年代最初期から最晩年までの作品をご覧いただきます。
瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。

●ときの忘れもののブログは年中無休ですが、それは多くの執筆者のおかげです。
昨年ご寄稿いただいた方は全部で51人。年末12月30日のブログで全員をご紹介しました。
荒井由泰,飯沢耕太郎,石原輝雄,井上祐一,植田 実,王 聖美,大竹昭子,大谷省吾,大野 幸,小国貴司,小此木美代子,片多祐子,金子隆一,喜夛孝臣,北村淳子,君島彩子,熊倉浩靖,倉方俊輔,光嶋裕介,小林紀晴,小林美香,佐藤研吾,島 敦彦,嶋吉信,東海林 洋,杉山幸一郎,鈴木素直,住田常生,清家克久,関根伸夫,高北幸矢,蔦谷典子,土渕信彦,戸田 穣,中根秀夫,中野和加子,中村惠一,中村茉貴,西岡文彦,野口琢郎,橋本啓子,平野 到,弘中智子,frgm/羽田野麻吏,市田文子,平まどか,中村美奈子,堀 浩哉,水沢 勉,柳 正彦,夜野 悠,

●2019年のときの忘れもののラインナップはまだ流動的ですが、昨2018年に開催した企画展、協力展覧会、建築ツアー、ギャラリーコンサートなどは年末12月31日のブログで回顧しました。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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瑛九を知るために(画集、カタログ、資料)

瑛九を知るために

このブログにはいくつかカテゴリー分類をたてています。
瑛九の世界」は現時点で193件ありますが、瑛九を愛好するコレクターの人たちにぜひ知って欲しい情報を整理しました。

瑛九情報! 総目次(2017年3月9日ブログ)
東京国立近代美術館で2016年11月22日〜2017年2月12日の会期で「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」展が開催されました。大谷省吾先生の企画による画期的ともいえる小展示に敬意を表して(勝手連的に宣伝を買ってでて)、2016年11月24日から最終日の2017年2月12日まで毎日<瑛九情報!>を発信しました。81日間の<瑛九情報!>総目次には全項目にリンクを張りました。

瑛九に関する文献(作品集、カタログ、書籍、他)順不同です。
以下は今までブログ等で紹介してきた文献ですが、申し訳ありませんが、販売可能か(在庫が残っているか)、値段はいくらか、を明らかにできません。
一昨年、青山から駒込に引越しした際に、他の資料とともに片っ端からダンボール箱に入れて取り敢えず倉庫にしまったまではいいのですが、その後それを開梱して整理する時間がとれずにとうとう今日に至ってしまい、情けない状況です。少しづつ整理しますんで、どうぞご容赦ください。二階図書室にあるものは会期中展示販売しますので、どうぞよろしくお願いします。

『Q Ei photo〜dessin 新作発表展覧会目録』
瑛九1950年目録1950年 12頁 写真一枚貼り込み 松坂屋 
文:外山卯三郎 *瑛九生前の新作展目録で、瑛九によるフォトデッサンの小さな複写写真が貼りこんであります。


『瑛九フォート・デッサン展』出品目録
瑛九1955年目録1955年 四つ折8頁 日本橋・高島屋 
文:海老原喜之助、瀧口修造、岡鹿之助 
*瑛九生前の展覧会です。


瑛九生前最後の個展案内状
瑛九油絵展1
1960年2月の兜屋画廊の個展案内状の表紙

瑛九油絵展2
個展案内状の裏に印刷された瑛九のメッセージ


『瑛九遺作展』出品目録
福井瑛九遺作展1960年 三つ折6頁 福井市・繊協ビル 
主催:瑛九会 
文:海老原喜之助、瀧口修造、山城隆一、泉茂 
*瑛九没後僅か2ヶ月後に初めての遺作展が福井で開催された


『瑛九作品展』カタログ
南天子瑛九展1969年1月 10頁 
南天子画廊(会場=文藝春秋画廊)
文・池田満寿夫


久保貞次郎編『瑛九画集』
瑛九画集 久保貞次郎編久保貞次郎瑛九画集1971年12月24日 瑛九画集刊行会発行
限定2,000部
編者:久保貞次郎
90ページ 30.0×23.4cm
*遺族や生前から瑛九を支えたコレクター達の所蔵する油彩、フォトデッサン、版画など66点を収録


『瑛九石版画総目録』
瑛九石版画総目録1974年
発行:瑛九の会
限定1000部   
74ページ 25.7×18.0cm
*1951〜1958年に制作されたリトグラフ全158を収録


山田光春著『瑛九 評伝と作品』
瑛九伝1976年 青龍洞 
480頁 
瑛九の盟友だった画家山田光春が全国をまわり資料・作品を蒐集調査、克明に瑛九の生涯を追った伝記。


『現代美術の父 瑛九展』カタログ
瑛九展会期:1979年6月8日〜20日
会場:新宿・小田急グランドギャラリー
主催:発行:瑛九展開催委員会
後援:文化庁・瑛九の会
132ページ 24.0×25.0cm

小田急瑛九展1979年 小田急開催
銅版1点入り・特装限定150部

小田急瑛九展フライヤーチラシ
 

『みづゑ 1979年6月号No.891』
瑛九「みずゑ」1979年6月号1979年6月3日 美術出版社発行
特集=瑛九
124ページ 29.5×22.5cm


鈴木素直『瑛九・鈔』
20180426151054_000011980年
鉱脈社 発行
著者:鈴木素直
63ページ  9.2x13.1cm
目次:出会い/瑛九への旅 東京・瑛九展を見て/一枚の写真の現実 二十回忌に思う/フォトデッサン/版画に無限の楽しみ/二人の関係 瑛九・池田満寿夫版画展/“必死なる冒険”をすすめた画家後藤章
/瑛九―現代美術の父


『瑛九と仲間たち 久保貞次郎・美術の世界2』
瑛九と仲間たち1985年2月28日 
発行:叢文社
著者:久保貞次郎
232ページ 21.6×15.9cm


『瑛九とその周辺展』カタログ
瑛九とその周辺1986年
埼玉県立近代美術館他で開催 
発行:読売新聞社、美術館連絡協議会
128ページ 24.0×25.0cm
執筆:久保貞次郎・瀬木慎一、
出品:瑛九、靉嘔、池田満寿夫、泉茂、オノサト・トシノブ、長谷川三郎、早川良雄、細江英公、吉原英雄の全146点。


『瑛九とその仲間たち展』カタログ
瑛九とその仲間たち展1988年 
発行:町田市立国際版画美術館
112ページ 27.6×21.5cm


『瑛九作品集』
日経瑛九作品集瑛九作品集1997年10月1日 日本経済新聞社発行
204ページ 32.0×26.0cm
クロス装
監修:本間正義
執筆:五十殿利治
年表:横山勝彦 
編集:三上豊・綿貫不二夫 
*油彩・フォトデッサン・版画など代表作237点を網羅した決定版作品集。


『瑛九 前衛画家の大きな冒険』展カタログ
松濤瑛九展2004年 渋谷区立松濤美術館  176頁 
執筆:瀬尾典昭 
*瑛九没後、宮崎、埼玉などの美術館でさまざまな回顧展が開催されてきたが、晩年の点描に絞って構成されたのは初めて。


『石井コレクション研究1:瑛九』
石井コレクション 瑛九 表紙2010(平成22年)3月31日 筑波大学芸術学系発行
21×14.8cm 98頁
2010年1月23日、筑波大学で開催された瑛九ワークショップの記録集。
参加者、及び執筆者:五十殿利治 寺門臨太郎 田中佐代子、城山萌々、田島直樹、栗原真未、大塚真穂、小林美紀、坂本雅美、綿貫不二夫、

石井コレクション 瑛九 P14-P15石井コレクション 瑛九 P18-P19
左)同書14〜15頁
右)同書18〜19頁


ギャラリー方寸「瑛九 その夢の方へ」展カタログ
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瑛九の会 刊行物
『眠りの理由 No.2(季刊)』
21966年8月1日 瑛九の会発行
限定500部
58ページ 24.6×17.6cm


『眠りの理由 No.3(季刊)』
31966年11月20日 瑛九の会発行
限定500部
66ページ 24.7×17.7cm


『眠りの理由 No.4(季刊)』
41967年4月1日 瑛九の会発行
限定500部
48ページ 24.4×17.6cm


『眠りの理由 No.5(季刊)』
51967年12月10日 瑛九の会発行
限定500部
54ページ 24.5×17.6cm


『眠りの理由 No.6、7合併号』
6-71968年6月20日 瑛九の会発行
102ページ 25.3×17.8cm


『眠りの理由 No.8(季刊)』
81969年5月1日 瑛九の会発行
限定500部
68ページ 24.5×17.6cm


『眠りの理由 No.9、10合併号』
9-101969年7月5日 瑛九の会発行
158ページ 25.1×17.8cm


『眠りの理由 No.13』
131973年9月1日 瑛九の会発行
限定300部
34ページ 24.7×17.5cm


ときの忘れものの刊行物
「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」ポスター
poster_A_600(表面)
2011年
発行:ときの忘れもの
デザイン:北澤敏彦+DIX-HOUSE
サイズ:84.1x59.4cm(A1)
限定200部(番号入り)
*全46点の型紙の裏表両面を掲載した大判のポスター

poster_B_600瑛九展ポスター(裏面)
価格:1,500円(税込)+梱包送料:1,000円


『第20回瑛九展 奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発』図録
第20回瑛九展表紙裏表紙
発行日:2010年9月11日
発行:ときの忘れもの
15ページ 25.6x18.1cm(B5判)
執筆:三上豊(和光大学教授)
図版:15点+参考図版:27点
価格:800円(税込)※送料別途250円


『第23回 瑛九展』カタログ
『第23回 瑛九展』カタログ
発行日:2013年5月17日
発行:ときの忘れもの
執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館主任研究員)
図版:約30点掲載
カラー 24ページ
25.6x18.1cm(B5判)
価格:800円(税込)※送料別途250円

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


以上、ブログに過去掲載したものをそのまま順不同で転載しました。
今回のその中で駒込に在庫のあるものを、二階図書室で展示販売していますので、どうぞよろしくお願いします。

●本日のお勧め作品は瑛九です。
qei_141_three瑛九 Q Ei
三人 Three people
1950
Photo-dessin (photogram)
55.2×45.5cm
Signed and dated

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ときの忘れものは「第27回瑛九展 」を開催しています。
会期:2019年1月8日[火]―1月26日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊
307
ときの忘れものは3月末開催のアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展することになりました。
香港に作品を持って行く前に、ギャラリーで出品作品を公開いたします。
瑛九がさまざまな技法で試みた「光の絵画」への志向が最後に行き着いたのが点描で画面全体を埋め尽くす独自の抽象絵画でした。本展では輝くばかりの100号の油彩大作《海の原型》(1958年)など代表作ほか、カメラを使わず印画紙に直接光を当ててデッサンする「フォトデッサン(フォトグラム)」など1930年代最初期から最晩年までの作品をご覧いただきます。

●ときの忘れもののブログは年中無休ですが、それは多くの執筆者のおかげです。
昨年ご寄稿いただいた方は全部で51人。年末12月30日のブログで全員をご紹介しました。
荒井由泰,飯沢耕太郎,石原輝雄,井上祐一,植田 実,王 聖美,大竹昭子,大谷省吾,大野 幸,小国貴司,小此木美代子,片多祐子,金子隆一,喜夛孝臣,北村淳子,君島彩子,熊倉浩靖,倉方俊輔,光嶋裕介,小林紀晴,小林美香,佐藤研吾,島 敦彦,嶋吉信,東海林 洋,杉山幸一郎,鈴木素直,住田常生,清家克久,関根伸夫,高北幸矢,蔦谷典子,土渕信彦,戸田 穣,中根秀夫,中野和加子,中村惠一,中村茉貴,西岡文彦,野口琢郎,橋本啓子,平野 到,弘中智子,frgm/羽田野麻吏,市田文子,平まどか,中村美奈子,堀 浩哉,水沢 勉,柳 正彦,夜野 悠,

●2019年のときの忘れもののラインナップはまだ流動的ですが、昨2018年に開催した企画展、協力展覧会、建築ツアー、ギャラリーコンサートなどは年末12月31日のブログで回顧しました。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

今日から仕事はじめ、2019年は瑛九展でスタートします〜1月26日まで

ときの忘れものは今日から2019年の営業を開始します。

幕開けは、3日に予告したとおり「第27回瑛九展 」です。
会期:2019年1月8日[火]―1月26日[土] 
11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊

307

ときの忘れものは3月末開催のアートバーゼル香港2019に海外初となる瑛九の個展で初出展することになりました。
香港に作品を持って行く前に、ギャラリーで主な出品作品を公開いたします。
瑛九がさまざまな技法で試みた「光の絵画」への志向が最後に行き着いたのが点描で画面全体を埋め尽くす独自の抽象絵画でした。

油彩では点描小品から100号の大作《海の原型》(1958年)まで。
特にカメラを使わず印画紙に直接光を当ててデッサンする「フォトデッサン(フォトグラム)」については、1930年代の初期作品から1959年の最晩年の作品まで、いずれも代表作を用意しました。
会場の制約(狭い)から全点は展示できません、どうぞスタッフにお声がけください。
いずれもご覧いただくことができますので、ぜひご来廊ください。

瑛九「作品ーB」瑛九 Q Ei
Work−B
作品−B
*Raisonne No.017
1935
Oil on board
29.0×24.0cm


瑛九「花々」瑛九 Q Ei
Flowers
花々
*Raisonne No.202
1949
Oil on canvas
45.5×38.2cm


瑛九「鳥の歌」瑛九 Q Ei
Song of birds
鳥の歌
*Raisonne No.348
1957
Spattering on board
45.5×53.0cm


瑛九「赤と黄」瑛九 Q Ei
Red and Yellow
赤と黄
*Raisonne No.353
1957
Spattering on board
45.5×38.0cm


瑛九「海の原型」瑛九 Q Ei
Archetype of sea
海の原型
*Raisonne No.441
1958
Oil on board
91.0×160.0cm
Signed and dated on the rear


瑛九「黄色い朝」瑛九 Q Ei
Yellow moning
黄色い朝
*Raisonne No.446
1958
Oil on canvas
45.5×53.0cm
Signed and dated


triming6瑛九 Q Ei
Work
作品
1958
Watercolor
29.0x20.0cm
Signed and dated


qei1トリミング瑛九 Q Ei

1959
Oil on board
16.3x23.0cm
Signed
 

qei17-005瑛九 Q Ei
Work
作品
C. 1936〜
Photo-dessin (photogram)
30.3×25.2cm
Signed


qei_photodessin-hukituke瑛九 Q Ei
Work
作品
Photo-dessin (photogram) and spray
23.0×38.3cm
Signed by Mrs. Q Ei on the back.


qei_161瑛九 Q Ei
Work
作品
C.1954
Photo-dessin (photogram)
20.1×25.3cm
Signed by Mrs. Q Ei on the back.


qei_141_three瑛九 Q Ei
Three people
三人
1950
Photo-dessin (photogram)
55.2×45.5cm
Signed and dated


qei_140_work瑛九 Q Ei
Work
作品
Photo-dessin (photogram)
40.8×31.9cm


瑛九「小鳥」瑛九 Q Ei
Little bird
小鳥
1951
Photo-dessin (photogram)
55.0×45.0cm
*Noted "Q Ei Exhibition (Odakyu Grand Galley) 1979" on the rear side of the frame


瑛九「魚」瑛九 Q Ei
Fish

Photo-dessin (photogram)
45.4×56.0cm
Signed by Mrs. Q Ei on the back


瑛九「水の中」瑛九 Q Ei
In the water
水の中
Photo-dessin (photogram)
53.5×42.2cm
Signed by Mrs. Q Ei on the back


瑛九「三人」瑛九 Q Ei
Three people
三人
Photo-dessin (photogram) and pen drawing
54.8×44.9cm
Signed by Mrs. Q Ei on the back


瑛九「散歩(楽園)」瑛九 Q Ei
Walk (Paradise)
散歩(楽園)
Photo-dessin (photogram)
53.8×42.8cm
Signed by Mrs. Q Ei on the back


瑛九「題不詳」瑛九 Q Ei
Untitled
題不詳
Photo-dessin (photogram)
45.2×55.7cm

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●ときの忘れもののブログは年中無休ですが、それは多くの執筆者のおかげです。
昨年ご寄稿いただいた方は全部で51人。年末12月30日のブログで全員をご紹介しました。
荒井由泰,飯沢耕太郎,石原輝雄,井上祐一,植田 実,王 聖美,大竹昭子,大谷省吾,大野 幸,小国貴司,小此木美代子,片多祐子,金子隆一,喜夛孝臣,北村淳子,君島彩子,熊倉浩靖,倉方俊輔,光嶋裕介,小林紀晴,小林美香,佐藤研吾,島 敦彦,嶋吉信,東海林 洋,杉山幸一郎,鈴木素直,住田常生,清家克久,関根伸夫,高北幸矢,蔦谷典子,土渕信彦,戸田 穣,中根秀夫,中野和加子,中村惠一,中村茉貴,西岡文彦,野口琢郎,橋本啓子,平野 到,弘中智子,frgm/羽田野麻吏,市田文子,平まどか,中村美奈子,堀 浩哉,水沢 勉,柳 正彦,夜野 悠,

●2019年のときの忘れもののラインナップはまだ流動的ですが、昨2018年に開催した企画展、協力展覧会、建築ツアー、ギャラリーコンサートなどは年末12月31日のブログで回顧しました。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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初夢はアートバーゼル香港

東京は穏やかな元旦でした。
皆様には新年をいかがお迎えでしょうか。

今年の初夢は、アートバーゼル香港です。

AB_Hong-Kong_Pos_RGB_Color

Art Baselは、現代美術をメインに取り扱う世界最大級のアートフェアです。
元々はその名の通り、毎年6月にスイスのバーゼル市で開催されていましたが、現在はその市場を拡大し、12月にアメリカ・マイアミと、3月に香港でも同名のフェアを開催しており、それぞれの地域で約250の画廊が参加し、来場者数50,000人を超えるイベントとして、地域の美術振興を牽引する存在です。

香港でのアートバーゼルはワンチャイ区の海に面したコンベンションホールの1階と3階を会場として貸切って開催され、2018年のフェアでは全世界32ヶ国より248の画廊が参加し、動員数は80,000人を記録しました。
フェアは3つのセクションで構成され、自由出展枠のGalleries、3年以内に制作された作品限定のDiscoveries、そして1人ないし2人の作家に限定した展示のInsightsとなっています。
ときの忘れものは、この中の Insights に出展し、海外では初となるだろう瑛九展を開催します。

以下は昨年開催されたArt Basel Hong Kong 2017と2018の画像です(© Art Basel)
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[開催概要]
会場:Convention & Exhibition Centre, HK(1 Expo Dr, Wan Chai, Hong Kong)

会期:2019年3月27日−31日
3/27(水)VIPプレビュー
3/28(木)VIPプレビュー、ヴェルニサージュ
3/29(金)一般公開
3/30(土)一般公開
3/31(日)一般公開

2018年度参加画廊数:248(32ヶ国)(日本からは17画廊が出展)
来場者数:80,000人

公式ページ:www.artbasel.com/hong-kong
〜〜〜〜〜
ときの忘れものは海外のアートフェアには2009年のチューリッヒ以来、いくつも出展してきましたが、バーゼルも香港も初めてです。
審査は厳しいし、ブース代も超高額です。
昨春だめもとで申し込んだのですが、どういう風の吹き回しか出展できることになりました。
それも事務局からの逆指名で「瑛九展」ということになり、大いに慌てました。
世界の檜舞台で戦うには瑛九の代表作を持っていかなければ泉下の瑛九に申し訳が立たない。

瑛九「海の原型」瑛九 Q Ei
「海の原型 Archetype of sea」
1958
Oil on board
91.0×160.0cm
Signed and dated on the rear
*Raisonne No.441


瑛九「小鳥」瑛九 Q Ei
「小鳥 Little bird」
1951
Photo-dessin (photogram)
55.0×45.0cm
*Noted "Q Ei Exhibition (Odakyu Grand Galley) 1979" on the rear side of the frame

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日本全国駆け回り、コレクターを拝み倒し、とびきりの名作、文句ない代表作を用意することができました。
10代の頃からの瑛九追っかけ半世紀近い社長にとっても、また夫随する亭主にとっても幸運というべきか。万一売れなかったときの悲劇を思うと初夢も悪夢と紙一重でありました。

ご協力、ご支援いただいたお客様には厚く熱く御礼申し上げます。

ただいま冬季休廊中
ときの忘れものは1月7日(月)までは冬季休廊中、新年の営業は1月8日(火)からです。
ブログは年中無休、毎日更新していますのでお楽しみください。

ときの忘れものは「第27回瑛九展 」を開催します。
会期:2019年1月8日[火]―1月26日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊
307
ときの忘れものは3月末開催のアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展することになりました。
香港に作品を持って行く前に、ギャラリーで出品作品を公開いたします。
瑛九がさまざまな技法で試みた「光の絵画」への志向が最後に行き着いたのが点描で画面全体を埋め尽くす独自の抽象絵画でした。本展では輝くばかりの100号の油彩大作《海の原型》(1958年)など代表作ほか、カメラを使わず印画紙に直接光を当ててデッサンする「フォトデッサン(フォトグラム)」など1930年代最初期から最晩年までの作品をご覧いただきます。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」の番外編

「美術館に瑛九を観に行く」番外編 
中上邸イソザキホール(勝山市)と お食事処 飛騨(福井市)


瑛九の作品は、前回の取材地福井県大野市に隣接する勝山市や福井市でも所有しているという情報を得て、引続きコレクターの荒井由泰氏のガイドで、福井県内を観てまわった。

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中上邸イソザキホールの外観。建築家磯崎新の設計による個人住宅である。かまぼこ型の屋根が並び、明り取りの大きな窓がはめ込まれている。地元の子供たちからは、「カエルのおうち」と呼ばれ、親しまれているという。取材で訪れたときは、前夜から降り続いた雨がコンクリートの外壁を濡らしていた。緑に佇む様相は、まさしく「カエル」である。この建物を気に入った近所の人の中には、住宅の設計を磯崎新に依頼して、建ててしまった人もいる。

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玄関を上がり左手に進むと、こちらの広間がある。泉茂李禹煥菅井汲、瑛九、オノサト・トシノブ倉俣史朗の作品が並ぶ。四方八方、見渡す先に作品があり、プライベート空間とは思えないほど、量質ともに充実している。

ところで、去る2015年1月に福井県立美術館で行われた展覧会「福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―」では、ここ中上邸イソザキホールを舞台にアートを通じた交流会を行う模様が紹介された。そもそも、1950年代後半から1970年にかけて、創造美育協会による小コレクター運動や美術普及活動が行われ、靉嘔池田満寿夫、瑛九、オノサト・トシノブ、北川民次等の作品が頒布会などを通じて福井に入ってきていた。荒井氏は、そのような環境で育ち、1972年20代で世界のアートが競合するニューヨークで伊藤忠商事の繊維部門の仕事を得て、1977年帰国後の翌年、地域にアートを根づかせることを目的とし、1978年に「アートフル勝山の会」を創立した。定期的に展示会や音楽会などを主催し、2007年まで開かれていた。詳しい経緯については、荒井氏の「コレクション事始め In New York」を参照されたい。新しい世代が小コレクター運動を引き継ぎ、なおかつ、特定作家に留まることのない多様で豊かな収集活動に広がっていった。
1997年11月には、この中上邸イソザキホールで瑛九展が開催されたこともある。福井で瑛九の作品が世代を超えてどのように受け入れられてきたのか、荒井氏の文章でたどってみたい。

勝山市や隣の大野市の「創美」信奉者の存在が、地域にコレクターを育てたのだ。私も、五〇年代から六〇年代に盛んに地元で開催された展覧会の洗礼を受けた。これらの運動を行った人たちがもっとも支持したのが瑛九であった。瑛九を溺愛(できあい)したと言っても過言ではない。彼は六〇年に亡くなったが、その晩年を支えたのは実は福井の人々であったと言われている。瑛九の油絵頒布会という組織も作られ、毎月一作品を送ってもらうことを条件に代金を送ったり、頒布会で彼の作品を熱心に販売したりした。
(中略)
瑛九の美しく激しい作品群と、それを支えた人たちの熱い情熱を今一度アートフル勝山の会の活動の力として、確実に伝えていくことが私の使命のような気がしている。
荒井由泰「北陸の里に現代美術の輪―福井県勝山市で毎年企画展、画家・瑛九も支える」『日本経済新聞』1997年12月25日

久保貞次郎が提唱した小コレクター運動の息吹は、福井だけでなく、東京、埼玉、栃木などの各地に届き、作品が点在していた。しかし、そのほとんどは、美術館や画廊などに渡り、新たなコレクターの育成には繋がらなかったと思われる。しかし、荒井氏の言葉から分かるように、福井の近代美術コレクターの第一世代(創美信奉者)が地域に残した遺産は、確かに後世へと伝えられている。

nakagamitei03瑛九《黄色いかげ》、1959年、左下に「Q 59」のサインあり
〔レゾネNo.523、F60(130.3×97.0)〕(「高野明広、小林美紀編「瑛九 油彩画カタログレゾネ1925−1959」『生誕100年記念 瑛九展』図録)


nakagamitei04瑛九《(作品)》、1959年、左下に「Q 1959」のサインあり〔レゾネNo.552、F10(45.5×53.0)〕


nakagamitei05ロイ・リキテンスタイン恩地孝四郎、瑛九の作品が並んでいる。個人コレクターならではの贅沢な作品の楽しみ方である。3点の表現技法は全く異なる。しかし、いずれも作家が直線や円を画面上に置くことを愉しんでいるかのような印象を受ける。丸い形は、それぞれ作品に彩を添えるポイントとなっている。


nakagamitei06瑛九《赤と青の線》、1957年、左下に「Q Ei 1957」のサインあり〔レゾネNo.355、F3(27.3×22.0)〕


nakagamitei07瑛九《風船(仮)》、1956年〔レゾネNo.284、F15(65.2×53.0)〕
瑛九の作品の中では珍しい背景が赤い作品。


最後にもうひとつ福井創美に関するエピソードを紹介したい。時代はさかのぼるが、1960年3月10日に瑛九が逝去したあと、アトリエに遺された作品の整理は、都夫人と福井の教職員が行ったということはご存知だろうか。当時の様子を伝える新聞記事があるため、下記に一部抜粋して紹介したい。

nakagamitei08
「遺作を整理する都未亡人と福井の人たち(左上の写真が瑛九氏)」
瑛九氏が亡くなって一同嘆きは大きかったが、福井市内に集まって同志をしのぶ夜をすごし、春休みとともに六人がかけつけてきたもの。東京近代美術館で毎年開いている物故者の犹与佑虜邁氾検蹐鳳誘綮瓩呂気辰修四人の一人として選ばれ、四月二十七日から約一か月間同美術館で菱田春草(日本画)高村光太郎(彫刻)上阪雅人(版画)とともに展覧会が開かれるが、いま福井の瑛九会員たちは同氏宅に泊まり、作品の整理を急いでいる。

そしてこの四人展と並行して五月初旬福井市の繊協ビルに百数十点を集め遺作展を開く話がまとまった。都未亡人も「瑛九は作品をあまり発表したり売ったりしたがらなかったので生活は苦しく、福井の皆さんの物心両面の援助のおかげで制作が続けられたのです。瑛九は晩年の油絵を犒譴任いた作品だから売ってくれるな″といっていました。今後も瑛九の作品を守りつづけていくつもりですが、福井の皆さんが支援して下さるので心強く思っています。遺作展にはぜひ出かけたいと思います」といっていた
「花ひらく瑛九氏の遺作 5月に福井で展覧会 12人の教員グループ」『読売新聞』埼玉版1960年3月30日

福井からかけつけた「六人」というのは、木水育男、谷口等、中村一郎、藤本よし子、堀栄治のことで、1960年3月28〜29日に埼玉の瑛九宅を訪れた彼らは、アトリエに遺された作品の整理を手伝った。生前の瑛九ばかりでなく、残された都夫人との交流の深さも分かる記事で、彼らの存在が非常に心の支えになっていたことが推測される。



中上邸イソザキホールを後にして、次に瑛九の作品を観に行った先は、福井駅から徒歩約7分の「お食事処 飛騨」である。前回は、大野市の蕎麦屋の店内に靉嘔や木村利三郎の作品が掛かっていることを紹介したが、こちらの「飛騨」では、瑛九の作品が展示されているという。にわかに信じ難い話ではあったが、期待に胸を膨らませて店内にお邪魔した。

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「お食事処 飛騨」の店内。3点の作品があるうちの左右2点が、瑛九の作品である。
真っ赤な背景に小口切りの木片がコラージュされた中央の作品は、三上誠(1919〜1972年)の作品。三上は、肺結核の療養のために福井へ訪れて、そのまま定住した日本画家である。「パンリアル」や「人人」展の第一回展に出品したほか、福井大学学芸部の非常勤講師を勤めるなど、福井で精力的に作家活動を続けた。

nakagamitei10部屋の奥側に展示されていた瑛九の油絵。《ひろがる赤》、1958年、下部に「Q Ei /58」のサインあり〔レゾネNo.490、41.0×31.8〕


nakagamitei11出入口を背にして壁にかかっている作品は、瑛九の水彩画である。《(題不明)》、下部に「Q 1958」のサインあり


瑛九の作品を所蔵する「飛騨」のご主人Y氏に、コレクターになった経緯についてお伺いした。まず、絵に関心を持ちはじめたのは、中学生の時であった。学校の課題で、家にあった和田三造の花の絵を模した作品を提出したら、学校の先生がそれを「上手い」、「絵を観る目がある」と評価されたことが印象に残っていたという。
また、瑛九の作品をはじめて入手したのは、バブル崩壊の少し前、30代になったY氏が週に一度東京へ繰り出していたときであった。パウル・クレーの作品を求めて銀座の某画廊に入ったという。そこで目にしたクレーの作品は、予想を遥かに超えた0の多さで、とても購入できない額であった。仕方なくあきらめると、代わりに画廊主から勧められたのが、瑛九であった。「福井の人なら瑛九を買って応援するべきだ」と、瑛九の作品を紹介され、一目でそれを気に入り、購入に至ったという。それ以来、瑛九をはじめ福井ゆかりの作家を支援するためにも、作品を収集するようになった。

さて、次に紹介する作品は、今回の訪問に合わせて特別に出していただいた油絵作品である。
同じ作家、同じ油絵作品でも実験的に描き方を変えていることが分かる作品群である。丸いカラフルな丸いタイルを敷き詰めたような作品、植物の維管束を覗いているような作品、水面に漂う油膜のような作品、レゴブロックを積み上げたような作品がある。何れも何度も筆を置いた形跡の残る密度のある作品で、完成度が高い。どの作品を見ても画面上では瑛九の独特な色彩感覚が存分に発揮されている。

nakagamitei12瑛九《(題不明)》、1958年、右上に「Q Ei 1958」〔レゾネNo.487、F10(45.5×53.0)〕


nakagamitei13瑛九《窓(仮)》、1958年、左下に「Q 1958」〔レゾネNo.423、F3(22.0×27.3)〕


nakagamitei14瑛九《空のひよこ(仮)》、1958年、左下に「Q Ei 1958」〔レゾネNo.415、F6(31.8×41.0)〕


nakagamitei15瑛九《(題不明)》、1953年、左下に「Q Ei 53」〔※レゾネに掲載なし〕
この作品が一番のお気に入りだと目を細めて話す「飛騨」のY氏。


福井のコレクターにとって、瑛九は特別な作家である。「瑛九は先輩の世代が集めていた手の届かない作家というイメージがある」と荒井氏は話し、「飛騨」のY氏も口をそろえて瑛九の作品収集が、一筋縄ではいかなかった経験を語っていた。福井で瑛九の作品を所有する持主を訪ねたこともあったようだが、作家とのお付き合いがあって入手した思い入れのある作品であることを説明され、とてもお金と引き換えに譲って欲しいとは言い出せなかったという。福井のコレクターとしては、新しい世代であるY氏は、創美の教職員とは異なり、ほとんど東京の画廊から購入していたことが分かった。

「飛騨」のY氏は、瑛九の作品を「病気のように集めた」とこぼしながらも、満面の笑みでコレクションを披露され、誇らしげに見えた。ご案内いただいたコレクターの荒井氏も、Y氏が収集した作品を観て、「盆と正月が一緒に来たよう」と嬉々としていた。両者は別れ際にコレクター仲間として、お互い激励するように固く握手を交わしていた。

***

ちょっと寄道…

度々ご紹介しているように、今回はコレクターの荒井氏が取材先のガイドをしてくださった。それだけで、たいへん有難かったが、ご自宅にお邪魔して荒井氏のコレクションまで拝見させていただいた。版画作品は、一枚刷りの他にも版画入りの同人誌等もあり数百点にのぼるという。短時間のうちに拝見できたものはわずかであったが、人気の高い恩地孝四郎、谷中安規、長谷川潔のものだけでも50点ほどあっただろうか。いずれも良い状態のものを購入されていた。また、シートのものは出来るだけマットを付けて保管し、湿度にも気を配っていた。

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引出しにびっしりと入れられた版画の数々。表には同人誌『水甕』がある。
荒井氏は、研究者のようなこだわりをもった作品の見方をされる。たとえば、表紙をめくった見返し部分の但し書き、あるいは奥付に記された出版部数は、大事な情報であると話していた。コレクションの仕方も徹底しているようで、時間軸でいうと前後左右、ときには同じ版の別刷りの作品を比較するためにまとめて所有されている。

nakagamitei17谷中安規(佐藤春夫著『FOU』より)


nakagamitei18恩地孝四郎(室生犀星著『青い猿』より)本作については、荒井氏がブログでも紹介しているため、併せて確認してほしい。


nakagamitei19椅子に置かれたルドンの《光の横顔》。後方では荒井氏が作品整理をしている。ルドンの版画は、2007年Bunkamuraザ・ミュージアムで開催された展覧会を拝見したとき、黒い諧調の豊かさに魅了され、すっかりファンになってしまったので、まさか個人宅で拝見できるとは思いもよらなかった。白い女性の顔立ちは黒いやわらかな背景によって、優麗さを際立てている。本作についても荒井氏が詳しい解説をブログに掲載している。熱のこもった文章に触れて、作品の魅力を知ってほしい。


荒井氏個人のコレクションを拝見していて気付いたことがある。久保貞次郎が提唱した小コレクター運動に賛同した世代とは、異なる視点が2つ加わっている。,任る限りいい状態で作品を保存管理しようとしている。◆嵎石」を買うように、お気に入りの美術作品を手に入れる感覚、さらには作品を(他人に)プレゼントするようになってほしいと考えている。むろん、荒井氏に限る考え方かもしれないが、この一歩先を行く美術作品のたのしみ方が次第に広まって行くことに期待したい。



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ここは、福井市内にあるギャラリー喫茶「サライ」。造形作家でもある松村せつ氏がもっとアートを身近なものにしたいという思いから、21年前の1997年から開業をはじめた。基本的には、彼女の好みで展示する作家を選定するが、やはり意識的に地元ゆかりの作家を紹介しているという。取材に伺った当時は、細密な鉛筆画を描く木下晋の展覧会が開催中であった。過去には、北川健次、木村利三郎、松井シゲアキを展示したこともあるという。店の入口は木でおおわれていて、まさに隠れ家のような場所であるが、常連客が多いようだ。毎月9日には、やはり常連客のひとりであった増永迪男氏(登山家・文筆家)を囲んでサロンを開いている。
なかむら まき

●本日のお勧め作品は瑛九です。
NC661瑛九工事場レゾネ133瑛九「工事場」
1957年  リトグラフ
イメージサイズ:38.0x25.0cm
シートサイズ:54.8x38.5cm
限定10部(9/10) 裏にタイトルと杉田都(瑛九夫人)の署名あり
*レゾネNo.133(瑛九の会、1974年)
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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鈴木素直「瑛九・鈔」第8回(最終回、再録)

鈴木素直「瑛九・鈔」第8回(最終回、再録)

瑛九−現代美術の父

 一、序章
「現代美術の父」−昨年六月、東京・新宿の小田急デパートで開かれた瑛九展のポスターには、そう書かれていた。
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 瑛九は、すでに一九三〇年代から「フォトデッサン」の作品により、独創・前衛の先駆者であった。一九五一年、彼は芸術家の独立と自由を主張して「デモクラート美術協会」を結成して、<―――われわれは自由に希望をもって制作し、大衆と熱意をもって語るであろう>と宣言した。その創造活動は、戦後日本芸術史に鮮烈な一ページをつくることになった。わずか六ケ年という短い期間であったが、彼の主張のもとに参加し、その中で育っていった若者たちは、今や国内だけでなく全世界に向って日本を代表する芸術家として活躍している。
鈴木素直「瑛九・鈔」38頁(鈴木素直「瑛九・鈔」38頁)

 ちなみにその中の何人かはこの瑛九展開催委員になっている。靉嘔池田満寿夫泉茂オノサトトシノブ、早川良雄、細江英公などがそうである。
 また、生前、画壇的には正当な評価を得られなかった彼の芸術も、各地の一部の人々に喜びと希望を与え、愛と勇気を語り合う大衆の中に生き、支持されつづけてきた。
混迷の現代美術の状況の中で、こうした現代一流の芸術家と全国の支持者によって、彼の作品が公開される時、「現代美術の父」と呼ばれるのは、まさにふさわしいタイトルであったといわねばならない。
 これまでに彼の遺作展は、国立近代美術館の「物故四人展」(高村光太郎、上阪雅人、 菱田春草)をはじめ、福井、勝山、北九州、宮崎大阪、福岡など各市で開かれたし、画集と伝記も刊行きれてきた。しかし、東京で、彼の生涯にわたっての画業の全貌が体系的に集成されて(油彩、フォトデッサン、エッチング、リトグラフの百七十八点)展示きれたのは初めてであった。

 二、瑛九と池田満寿夫

 この瑛九展の前触れの如く、一昨年一月、 NHKテレビ「日曜美術館」で彼の作品と人 柄が池田満寿夫によって招介された。池田は、それまでに何回となく彼の著書の中で瑛九を 語ってはいた。国際的に有名な版画家の彼が、芥川賞作家として騒がれていた時だけに、こ のテレピ対談は、瑛九の名を世間に知らせるのに大きな力があったと思われる。
鈴木素直「瑛九・鈔」39頁(鈴木素直「瑛九・鈔」39頁)

 この対談のタイトルは「私と瑛九」だったが、むしろ「私の中の瑛九」といえる興味ある内容だった。若かった池田に深い影響を与えた瑛九の芸術観と銅版技法、池田を励まし、 つき放し、そして啓蒙していった瑛九像を吐き出していて、いわば「瑛九芸術鑑賞」の一つの典型でもあった。
たしかに瑛九には、後にも述べるが、すぐれた啓蒙家、教育家として大きな役割を果した側面があった。しかしここで「啓蒙」ということは、常識的に口で言うほど生やさしいものではない。池田もこの対談の終わりで言っていた。
「瑛九は『いい絵は絶対売れる』と強力にいうが、自分の絵は売れないくせにと思い『じ ゃ、だれが買うんですか』といったら、『お前がいい絵を描いたら、まずおれが買ってやる』というんですよ。(中略)自分の絵を売ろうとするよりも、ぼくたち若い連中の絵を コレクターにしきりに宣伝するんですね―――。」瑛九のやさしさと激しさにはいつも責任を伴っていたわけである。
 瑛九の柔軟でしかもバネのきいた鋭い感受性、子どもの心のように明るいナイーブな、それでいて自由であろうとすることと可能性を追求してやまぬ気性、相手の本質を暖く見抜き、ぐいぐいと引き立てていく力。それらが彼をして啓輩家といわしめたのであろう。池田に限らず、生前の瑛九と交渉のあった人びとはよく「彼の批判はすごくこわい反面、 思いやりの深さに気づいた時の激しい感動は忘れられない。」という。
 この対談の最後で司会者が「当時若かった画家が有名になり、瑛九が最後に、そろそろ出番じゃないですか」と言うと池田は「いやそれは、世間一般の考え方であって、ぼくは瑛九は、そういう意味でポピユラーになるとか、ならないとかいうよりも、正当に評価されなければいけないと思う。また絶対に評価されると思う。」と語っている。
この発言は重要な意味をふくんでいる。つまり、瑛九の人間像と芸術を礼讃することと、逆にそれを故意に無視しようとする動きの両方に対して、もっと彼の先駆性とオリジナリティ、そして弱点を明らかにする必要性を、私はいいたかったのである。既成のモダンアートや日木画壇の観念や規準からはみだした彼の新しさと自由さをつきとめ、彼をのりこえていく人が本県からも生まれることを願うからである。

 三、宮崎の人とエッチング(銅版画)

 では、彼の故郷・宮崎での評価、受けとめ方はどうであったろうか。
〈――ぼくは、宮崎でこの個展を宮崎の友人たちに見てもらい、今後ぼくがいかに成長す るか、今日の決心をぼくがどの程度に果すか見てもらいたいと思います。〉(一九五一年八月五日、日向日々新聞)
〈僕も長年の版画への夢を最近実現しはじめた所です。僕のエッチングがいくらかでも日本の現代版画を前進させる一段階となって、エッチング艦賞の手引きとなり、そして多数 のエッチング愛好者を見出すことが出来たらうれしく思います。〉(一九五二年三月県立図 書館での個展目録)
〈――卒直な宮崎の人々の批評がきけることをたのしみにしています。僕は画壇の流行か ら外れて自分の表現したいものを発見していきたいと思っています。〉(同年十一月県立図 書館での個展目録)
いつもこうした言葉をそえて、苦闘と前進の歩みであった作品を宮崎へ送りつづけた彼 の一念は、移住先の浦和で死ぬまで貫かれていた。こうした経緯をくぐって、彼の作品が県内の有名・無名の人々の家に今なおひっそりと所蔵されている。
 しかし、エッチングはほとんど売れなかったという。一九五二年の県展(現宮日美展)の審査に来た海老原喜之助が、前述の十一月の個展目録に〈――瑛九を知ってから十五年はすぎた。(中略)今私も宮崎を知り、彼の周囲の人々にも会って、決して偶然にぽかりと彼の如き非凡な才能が生まれたのではないことを知り、彼の芸術の不動を信ずるようになった。〉と紹介文をよせている。それでも当時の時の故郷の人々には、エッチングはなじめない奇妙な様式で、新しすぎた世界に見えたのだろうか。
〈――東京より宮崎の方が僕のエッチングを認めたという風になってほしかったのですが…。しかし卒直な僕の気持ちではすべての人が僕のエッチングの悪口をいっても一生やりつづけることをはっきりといいきれる程の愛着をもっています。〉(一九五二年十一月)彼は、宮崎での支持者であり、彼の個展や後援会の仕事をしていた内田耕平へ書いている。
 また瑛九は、県内で初めてのエッチング実技講習会を一九五六年にやった。多くの画家 や美術教師が参加したが、作品も売れず、彼の後につづく制作活動も県内では見られなか った。今でこそ、画家や子どもたちのエッチング、ドライポイントなどが街にあふれているが、当時、日本ではあまり手がつけられておらず、版画一般に対する低い評価がそうさせたのかもしれない。また、自らを未知の世界へ投入する画家の冒険心と創造への欲求の不足が宮崎の風土にあったのだろうか。
 彼の三百点に及ぶエッチングは、入り組んだ細かい線による黒と白の世界だった。それは、同じ白黒でも「カメラを使わず印画紙の上に直接光をあててつくるデッサン」といわれるフォトデッサンとは異なる。その増殖するイメージはカオスの交響楽であり、ファンタジックであり、エロスの会話と緊張感にみちている。

 四、瑛九回願展

 宮崎県民に、瑛九の名が記憶されるようになったのは、一九六〇年三月死去、同年十一月宮崎県文化賞(芸術部門)が追贈されたからであろう。すでに父、も県文化賞を受賞しており、親子二代にわたる栄誉になったわけであるが、やはりそれは生前に贈るべきものではなかったのだろうか。彼が画壇的に有名でなかったことによるのであろうが、このことは、県展(現宮日美展)の審査員についに迎えられなかったことと共にまことに残念なことであった。(この県展のスタートは、瑛九、塩月桃甫と川越篤の三氏の努力による。)
 県民が、瑛九の作品の全容を見ることができるのはもっと後のことで、一九七一年五月、 新装の県総合博物館のこけら落としとして開催された「瑛九回顧展」まで待たねばならな かった。数多い作品の中から約五百点がえらばれ関係資料などと共に、都夫人をはじめ、 地元や東京、福井などから集められた。参観者も県内はもとより全国から集まり、県内では最大規模の展覧会になった。
 回顧展図録の中で、靉嘔は呼びかけている。「瑛九は第三の目をもっていた。みなさん、われわれ各々がそしてあなた自身第三の目ですでにわれわれが知っている以上の次元を想像できるようになりませんか?もっとその世界をたしかめたかったら瑛九の仕事をじっと見つめることをおすすめします。あなたは瑛九がそれをきらったように、瑛九の仕事の 前にひれふす必要はありません。瑛九と対等に彼の仕事をじっとみつめ、あなたの心に合わせることが第一です。」
 こうして、没後十一年目にして瑛九の芸術に親しむことができた反響は大きく、特に若い人ほど新鮮な共感を与えた。またこの機会に、都夫人から「つばさ」をはじめ、瑛九の重要な作品の多くが寄贈きれたことは特筆されるべきことである。これらの作品が、宮崎市民会館ロビーのように常陳され、県内外からの参観者との対話、研究者や瑛九をのりこえてゆく後進の糧となることがのぞまれる。そうした配慮こそ、故人の意志と寄贈者の希 望にこたえることになるであろう。

 五、エスペラント、その他のこと

 ここで、彼の制作活動のほかに熱心に関与した文化活動とその周辺にいた人にふれてお きたい。
それは、第一に敗戦直後、本県の文化運動にのりだしたこと、第二に国際共通語エスぺラントの普及活動のこと、第三に全国的に新しい児童美術教育運動をひろめたことである。
 彼は、敗戦の翌年一九四六年、軍国主義と封建主義の一掃、地域の民主化のためには共産党活動が必要だと判断し、入党している。半年後には、病気再発などのため、党から離れてしまう。しかしその間に、新宮崎美術協会を創立し、第一回展を開いている。その後日高二三夫(現在東京)らと「宮崎民主主義文化連盟」を結成し、その行事は、本県の戦後文化のーつの出発だったといわれる。クリスマス子ども会、ンョパン祭、児島虎二郎遺作展、俳優座と前進座の公演など、殺ばつとした街に文化の息吹きと新鮮な希望を与えた本県文化運動のはしりに尽力したわけである。
 エスペラントには、一九三四年ごろから兄、杉田正臣(現杉田眼科病院長)の影響で親しむようになった。翌年、日本エスペラント学会の特派使節として来宮した若き久保貞次郎 (後述の美術評論家)との出会い、交友が始まっている。
 戦後の一九四七年から五〇年までは、講習会、機関誌編集印刷などエスペラント普及活動に最も熱中した時期であった。一九四八年結婚後には〈――エスペラントと結婚が僕の方向をすこしずつ明確にして行きつつある。〉(瑛九伝の著者山田光春への手紙)というほど制作活動とエスペラント普及活動との両輪生活をはじめている。
 当時、学制改革で新制高校として発足したばかりの大宮、大淀高校(現・南・農業・工業高の前身)の文化祭の講演やエスペラント同好会の講師として、瑛九夫妻は出かけ、多くの若者たちと交流している。今の高校とは 違った自由な雰囲気とさかんなクラブ活動の中で、両校の同好会は特異な存在だった。その理由は、エスペラントがもつ国際性への憧れや外国人と文通するという魅力もあったが、 風変わりな、しかもモダンな夫妻の人間味と指導法の特異さによるものだった。「会話はエスペラントでやろう。単語だけでも、下手を気にせず。生活感情を大切に。」これをモットーにしたニ人の指導には、教室では味わえない迫力と吸引カがあった。二人の知性と寛容さは、若者たちをしゃべらずにはおれないように駆き立てたし、そこには師弟関係でなく、友人としての協力という立場がはっきり存在していた。このすぐれた啓蒙家・教育家のこうした対話や貴重な交友関係の思い出は、高校生に限らず、当時二人に接した人の胸深く今も残っているという。
 また、当時二人は十数ケ国のエスペランチストと文通しており、 戦後の各国の生活や文化、日本観などを語った各国からの手紙を新聞によく発表している。二人のエスペラント会話による家庭生活は瑛九が死ぬまで続き、前述のデモクラート美術協会の「デモクラート」 もエスペラントで「民主主義者」を意味するなど、エスペラントは瑛九の思想と生活を結ぶ象徴であったともいえる。
 新しい児童美術教育運動は、彼が浦和市に移住した翌年の一九五二年五月、前述の久保貞次郎や画家北川民次(前二科会々長〕らと結成した「創造美育協会」のことである。
「私たちは子どもの創造力を尊び、美術を通してそれを健全に育てることを目的とする」など三項目の網領を掲げたこの運動は、時代の拍手と反発の中で全国に広がった。そして 戦後日本の美術教育を一新することになる。
 この運動は、当然本県にも波及してくるが、それに先行して本県で初めて「世界児童画展」が、同年一月、宮崎を皮切りに延岡、都城、小林、串間、西都、高鍋で開かれた。これは久保貞次郎が戦前外遊の際集めたものと北川民治がメキシコ野外美術学校で指導した作品を、瑛九の援助で前述の内田耕平が実現したものだった。
 反響は大きく、盛況だったが、教師たちはその指導法と評価のみにこだわり、各地での座談会で瑛九と内田が説く本質問題はあまり受け入れられなかった。とはいえ、本県のその後の新しい美術教育にーつの道標をつくったことはまちがいない。
 ただ残念だったことは、この時、彼は「児童画論」を書く約束をしながら、ついに果されなかったことである。これは一九四〇年出版すべく送った詩集の原稿が印刷屋で紛失した事件と共に、彼の仕事の中での大きな損失となった。彼は、生前、七十篇近い論文は別として「やさしい銅版画のつくり方」(一九五六年)という一冊の著書を残し、ほかに埼玉県の歌人加藤克己の歌集「宇宙塵」(一九五六年)都城市の詩人富松良夫の詩とエッセイ集「黙示」の二冊をエッチングの装画で飾っている。
創造美育運動の源流は、戦前から久保が主宰した大衆の前でやる公開児童画審査会〔瑛九や羽仁五郎説子夫妻、木下繁などが委員)にあった。久保の考えの背後には、瑛九の鋭い目と助言があったといわれ、瑛九は当時から新しい美術教育の識見をもっていたわけである。
 一方、この略称創美運動の波が全国に広がるにつれ、瑛九は全国大会などでエッチング 実技講習会をするまでにいたった。その時の助手が、無名時代の池田満寿夫である。その後の大会には、泉茂、靉嘔、磯辺行久木村茂利根山光人などの版画家、細江英公奈良原一高などの写真家が参加している。彼らはデモクラート美術協会の若い会員でもあった。そしてこの創美運動の中で「よい絵を安く売る会」「版画を普及する会」も生まれた。
 一九五四年には、創美福井支部が、久保コレクション「西洋版画展」を開いている。その時、支部の若い教師たちは、七千人を動員し、講演者の瑛九は熱狂的に迎えられたという。これをきっかけにして、その後瑛九の作品の多くが福井県内に流れ込むことになった。そして福井瑛九の会が発足、精神的にも経済的にも彼を支持しつづけた。彼の没後、全国的な組織となった「瑛九の会」を、彼らは今も運営し、研究誌「眠りの理由」を第十四号まで刊行している。

 六、終章

 以上、主に戦後の彼の生き方と芸術の特微的な部面について、彼の周辺にいた人々のことばや彼自身の手紙をまじえて述べてきた。 戦前の幼少期、青年期については、詳細な伝記(山田光春著、青龍洞発行)にゆずるとしても、芸術家としての苦悩や人間としての反逆や貧苦、各分野にまたがる作品についてはふれることができなかった。そこには、彼も人の子、どろどろとしたあがきともだえの青春、戦前・戦後の時代をくぐった、あくことなき放浪と追求の道程があった。
 山田の「瑛九伝」を読むと、幼少年期の自我の強さ、旧制中学校を第一学年途中での退学、中央画壇での落選つづき、数え切れない旅行、敗戦直前の二度の大手術など波欄に満ちている。そうしたことが、たえず両親や家族を悩ましながら、反面こまやかな親愛の情を吐露しつづけている。そして十代後半からの読書、孤独な実験制作と評論活動、新しい友人との激しい往来などに明け暮れている。それは結婚後の困窮生活へつづき、彼のことばを借りるなり、まさに「毎日が闘争」であった。それは個性豊かな人間数人を一束にした巨人の揺れ動きのような生涯であったといえそうである。
 最後に、まだ十分解明されていない点がいくつかある中でつぎの二つだけを指摘しておく。
「彼の影響を受けた芸術家の中で彼の生存中、国外へ飛び出して活曜した者は多い(前述の 泉、池田、靉嘔、磯辺、利根山、奈良原や河原温など)のに、彼は一度も国外へ出ていないのは何故か。また一九三八年ごろ、東洋主義(水墨画、俳句、静座など)に転換、模索 した時期があるが、洋の東西関係をどのようにとらえていたのだろうか。」もう一つは 「故郷の水−風土や川、海は彼の制作態度にどう影響し、どう描かれていたのか。」そこには、個人的な関心を超えて、彼の芸術に近づく一つの道がありそうに思えるからである。
〈――ぼくは啓蒙家で、絵画のおもいつき屋で、空想にうきみをやつしたにすぎません。 絵画の周囲をぐるぐるまわっていた画家だと思っていたのです。こういう自己から脱却して絵画の中に突入出来るかどうか、最後の冒険を試みようとしています――〉(福井県木水育男への手紙)
 晩年の大作、二百号「つばさ」百五十号 「田園B」はこうして制作され、今、県総合博物館と県立図書館に飾られている。通りすぎるように彼が逝ってすでに二十年の月日が流れた。新しい企画の瑛九展をのぞみたい。

 あとがき

 画家の内面と表現世界は、作品を目の前にしてこそ感じとることができる。しかし瑛九の人と生活を語る人が少なくなった今、地元のひとりとして彼を語る義務を感じて、この 「瑛九・鈔」を思い立った。
 県立総合博物館での瑛九展は、一九七一年の回顧展につづいて今回は二度目である。前 回の折、「瑛九を語る」(ミニブック)を刊行した。その後、新聞、雑誌及び宮崎県文化年鑑に発表したものの中からえらんで小冊子にした。
 彼の世界をのりこえ、独創的な道をひらく若者、おどり出よ。
すずき すなお
*鈴木素直『瑛九・鈔』(1980年11月18日発行、鉱脈社)より再録。

鈴木素直
1930年5月25日台湾生まれ、1934年(昭和9年)父の故郷宮崎市に帰国、大淀川、一ツ瀬川下流域で育つ。戦後、新制の大宮高校時代に瑛九からエスペラント語を習い、瑛九が埼玉県浦和に移った後も親交を続け、故郷宮崎にあって瑛九の顕彰に尽力した。宮崎県内の盲学校、小中学校(主に障害児教育)に長く勤務し、日本野鳥の会会員としても活躍、瑛九については新聞や雑誌にしばしば寄稿され、1980年宮崎の鉱脈社から『瑛九・鈔』を刊行した。2018年4月5日死去。享年87。

20180426151054_00001鈴木素直
『瑛九・鈔』
1980年
鉱脈社 発行
63ページ
9.2x13.1cm

目次:
・出会い
・瑛九への旅 東京・瑛九展を見て
・一枚の写真の現実 二十回忌に思う
・フォトデッサン
・版画に無限の楽しみ
・二人の関係 瑛九・池田満寿夫版画展
・“必死なる冒険”をすすめた画家後藤章
・瑛九―現代美術の父
宮崎瑛九展9鈴木素直さん今春亡くなられた鈴木素直さん(左)は新制の大宮高校時代に瑛九からエスペラント語を習い、その後教師となります。瑛九と親交を続け、没後はその顕彰に大きな役割を果たし、詩人、日本野鳥の会会員としても幅広い活躍をなさってきました。
ご遺族の了解を得て「瑛九・鈔」をご毎月17日に再録掲載してきましたが今回が最終回です。
あらためて鈴木さんのご冥福を祈るとともに、その遺志を微力ですが伝え、さらなる瑛九顕彰に尽くしたいと思います。
鈴木さん、長いあいだお世話になりました。

瑛九展『現代美術の父 瑛九展』図録(小田急)
1979年 瑛九展開催委員会発行
132ページ 24.0×25.0cm
同図録・銅版入り特装版(限定150部)

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20180426151147_00001鈴木素直
『詩集 夏日・一九四八ー一九七四』
1979年
鉱脈社 発行
102ページ
22.0x15.5cm

目次:
・鏡より
 鏡
 ことば
・夏に向ってより
 夏に向って
 その時小さいあなたへ
 春一番
 野鳥 I
 野鳥 II
 入江 I
 入江 II
 小さいカゴの中で
 病院にて
 孟蘭盆
 夏草 I
 夏草 II
 大いなる儀式
 ムラから
 来歴
・女たちより
 秋
 雨
 夜
 川
 鳥
・夏日より
 春
 いつも同じ石
 海
・詩集「夏日」によせて 金丸桝一
・覚書

〜〜〜〜

20180426151133_00001鈴木素直
『馬喰者(ばくろう)の話』
1999年
本多企画 発行
114ページ
18.5x14.1cm

目次:
・馬喰者の時間
・馬喰者の話
・馬喰者の煙管(きせる)
・馬喰者問答
・馬喰者の夢
・馬喰者の謎
・馬喰者の庭
・ふくろう
・青葉木莵異聞
・雲雀と鶉
・時鳥がうたう
・夕焼けの中の黒いカラス
・残暑見舞い
・眠っている男
・手術室にて
・残照記
・切り株
・八月の庭
・知念さんの地図

〜〜〜〜

20180426151116_00001鈴木素直
『鳥は人の心で鳴くか みやざき・野鳥民族誌』
2005年
本多企画 発行
265ページ
18.3x13.2cm

目次(抄):
・宮崎の野鳥・俗名考―消える方言とユニークな命名
・ツバメあれこれ
・方言さんぽ
・鳥十話
・日向の鳥ばなし
・宮崎県の鳥類
・自然に関わる伝承と農耕習俗―野鳥にまつわる俗信・俚言を中心に
・野鳥にまつわる民俗文化
・県北を歩く
・県南を歩く
・野鳥の方言・寸感
・後記
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●今日のお勧め作品は、瑛九です。
NC660瑛九いたずらレゾネ57瑛九「いたずら」
1956年  リトグラフ
イメージサイズ:45.0x30.0cm
シートサイズ:54.5x38.5cm
限定13部(8/13)  鉛筆サインあり
*レゾネNo.57(瑛九の会、1974年)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

瑛九のリトグラフ

昨日から佐藤研吾さんの初個展が始まりました。
個展「囲いこみとお節介」、今日から無事に始まりました!:
午後1時からの中島晴矢さんとのトークは、平日昼間にも関わらず大盛況でした。いらっしゃっていただいた方々、どうもありがとうございました-!::
トークでは、自分がこの展示の中で作ったモノの説明やその背景、そして自分たちの依って立つ場所の話ができ、自分としてもとても実りが多かった。
自分自身がやっていることを話すときに、今まで中学高校の頃の話は特にせずにすっ飛ばしてきていたわけですが、東京の半ばど真ん中で過ごしていた当時の経験はやはり自分のどこかに横たわっているわけでして。その東京ど真ん中の経験が順番として先に在り、そこから最近の福島とインドまでの距離というものを相対的に測っているのだな、とトークの中で改めて思う。
また、どうしても建築設計での振る舞い方、あるいは都市への向き合い方において、自分がまだその支軸となるモノを持ち得ていないことも話していて痛感する。そしてそんな迷い、振動の様がこの展示で作ったモノ、作り方自体に現れているのかもしれない。
トークの中で「この展示は、近況報告」とつぶやいたように、とにかく続けるしかないのだなと、そしてもちろん、作業を続けるための仕組みを作っていかないといけないのだなと。死ぬまで続けられるかが勝負どころなのだと。
明日からもシャキッとやります。
夜の岸井大輔さんとのトーク「群れることについて」も当日参加もOKですのでぜひお越しください-
(20181213/佐藤研吾さんのfacebookより)>
〜〜〜

ときの忘れものの創業時からのメイン作家・瑛九について、これから数ヶ月集中的に紹介してまいります。
瑛九(1911〜1960)は48歳の短い生涯でしたが油彩、水彩、フォトデッサン(印画紙による作品)、版画(リトグラフ、銅版画、木版画)などさまざまな技法を使って多くの作品を残し、没後毎年のように各地の美術館で回顧展や関連する展覧会が開かれてきました。
私たちも1974年に美術の世界に入って以来、ずっと追いかけてきた作家です。
1981年に渋谷松濤にギャラリー方寸を開いたときの開廊記念展も瑛九でした。
1981年\600\1981年3月1日_ギャラリー方寸_瑛九その夢の方へ_2.jpg1981年\600\1981年3月1日_ギャラリー方寸_瑛九その夢の方へ_1.jpg


1981年\600\1981年3月1日_ギャラリー方寸_瑛九その夢の方へ_5.jpg左がリトグラフ「森の影」
右はフォトデッサン「おんどり」(現在は横浜美術館所蔵)

1981年\600\1981年3月1日_ギャラリー方寸_瑛九その夢の方へ_3.jpg
瑛九「青の中の丸」
1958年 油彩(50号)
現在は東京国立近代美術館所蔵


1997年には本間正義先生の監修で『瑛九作品集』を編集しました。
日経瑛九作品集
本間正義監修『瑛九作品集』
1997年 日本経済新聞社 204頁 執筆/五十殿利治・横山勝彦 編集/三上豊・綿貫不二夫 油彩・フォトデッサン・版画など代表作237点を網羅した決定版作品集。


瑛九の画集や展覧会カタログは数多く刊行されてきましたが、質量ともに最も充実したものであると自負しています(作品図版237点/油彩130点、コラ−ジュ、フォト・デッサン45点、銅版画39点、リトグラフ23点、他に参考図版68点)。

と、自慢ばかりしても仕方ないのですが、瑛九追いかけて44年、多くの作品を扱ってきましたが、宿題もまた多く残されています。
1)これほど、国内の美術館に作品が収蔵されていて、幾度も展覧会が開かれているにもかかわらず、海外での紹介がまだ十分にはなされていない。

2)偉大な作家には必須のカタログレゾネの刊行。
油彩はもちろんですが、フォトデッサン、版画のレゾネをいつかは実現してもらいたい。

亭主はご承知のとおり、版画育ちですが、ときの忘れものとして瑛九の版画作品を十二分に扱ってきたかというと、実はそれほどでもありません。
以前(2000年)、掲示板を使って瑛九の版画について長々とコメントしたことがあります。それを再録・編集した「瑛九について」をホームページに掲載していますが、ずいぶん前のもので誤りや不十分な記述も少なくなく、いずれ書き改めなくてはと思っています。
それはともかく、ときの忘れものが瑛九の版画に冷淡(!)だったのは、市場にあふれる銅版画の後刷りの問題がありました。
いまでもヤフオクなどネットを見れば、数多くの瑛九の銅版画(後刷り)が泣きたくなるような廉価で出品されています。多勢に無勢、いくら亭主が瑛九のすばらしさを叫んだところで、圧倒的な市場の力には抗しようがありません(この後刷りに関しては「瑛九について」で詳述しています)。
「これはもう亭主の生きているうちには回復しまい」と諦め、版画作品(特に銅版画)に関しては積極的な紹介は控えてきました。油彩やフォトデッサンはオンリーワンの一点しか存在しないものですから、後刷りのような洪水に飲み込まれる心配はありません。
ときの忘れものの倉庫には銅版、リトグラフが山ほど積んでありますが、つい最近、諦めていた版画紹介への意欲を刺激する「事件」がありました。
銅版画はともかく、リトグラフ(後刷りはありません)に関しては、気を取り直してできるかぎりの紹介に努めたいと考え直した次第です。

NC657瑛九虫の生活レゾネ105瑛九「虫の生活」
1957年 リトグラフ
イメージサイズ:38.0x27.0cm
シートサイズ:54.2x38.1cm
限定20部(19/20)   鉛筆サインあり
*レゾネNo.105(瑛九の会、1974年)


NC659瑛九あそびレゾネ83瑛九「点のあそび」
1957年 リトグラフ
イメージサイズ:42.5x30.0cm
シートサイズ:56.0x37.2cm
限定はEPのみか。鉛筆サインあり
*レゾネNo.83(瑛九の会、1974年)


NC660瑛九いたずらレゾネ57瑛九「いたずら」
1956年  リトグラフ
イメージサイズ:45.0x30.0cm
シートサイズ:54.5x38.5cm
限定13部(8/13)  鉛筆サインあり
*レゾネNo.57(瑛九の会、1974年)


NC661瑛九工事場レゾネ133瑛九「工事場」
1957年  リトグラフ
イメージサイズ:38.0x25.0cm
シートサイズ:54.8x38.5cm
限定10部(9/10) 裏にタイトルと杉田都(瑛九夫人)の署名あり
*レゾネNo.133(瑛九の会、1974年)


NC663瑛九青いソナタレゾネ55瑛九「青いソナタ」
1956年  リトグラフ
イメージサイズ:40.0x25.0cm
シートサイズ:54.5x38.7cm
限定15部(2/15)  裏にタイトルと杉田都(瑛九夫人)の署名あり
*レゾネNo.55(瑛九の会、1974年)


NC664瑛九シルクレゾネ154瑛九「シルク」
1957年  リトグラフ
イメージサイズ:39.0x51.0cm
シートサイズ:48.5x66.7cm
限定8部  鉛筆サインあり
*レゾネNo.154(瑛九の会、1974年)


これらリトグラフ作品から汲めど尽きせぬ瑛九の魅力を感じ取っていただければ幸いです。
画廊においてありますので、どうぞご興味ある方はご連絡ください。
*1974年に「瑛九の会」が編集刊行した『瑛九石版画総目録』には1951〜1958年にかけて制作された石版画(リトグラフ)が158点収録されています。
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ときの忘れものは「第306回企画◆佐藤研吾展―囲いこみとお節介 」を開催しています。
会期:2018年12月13日[木]―12月22日[土] 11:00-19:00 ※会期中無休
306
インド、東京、福島という複数の拠点を往還しながら創作活動に取り組んでいる建築家・佐藤研吾の初個展を開催します。
本展では、自身でデザインし制作した家具としてのハコや、ピンホールカメラ(ハコ)とそれを使って撮影したハコの写真、またハコのドローイングなど、独自の世界観をご覧いただきます。
会期中、作家は毎日在廊予定です。
以下の日程で以下のゲストをお迎えし、ギャラリートークを開催します。
※要予約、参加費1,000円、複数回参加の方は二回目からは500円
12/13(木)13時〜 ゲスト:中島晴矢さん(現代美術家)
12/14(金)18時〜 ゲスト:岸井大輔さん(劇作家)
12/15(土)18時〜 佐藤研吾レクチャー
12/21(金)18時〜 ゲスト:小国貴司さん(Books青いカバ店主)
12/22(土)18時〜 佐藤研吾レクチャー
ご予約はメールにてお申し込みください。 info@tokinowasuremono.com

●佐藤研吾展の出品作品を順次ご紹介します。
sato-20佐藤研吾 Kengo SATO
《中心について考える1》  
2018年
印画紙
23.5×23.5cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は通常は休廊ですが、「佐藤研吾展―囲いこみとお節介」(12月13日[木]―12月22日[土])開催中は無休で開廊しています。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

鈴木素直「瑛九・鈔」第7回(再録)

鈴木素直「瑛九・鈔」第7回(再録)

”必死なる冒険”をすすめた画家 後藤 章

 瑛九芸術を語る時、どうしてもふれておきたい人がいる。宮崎市で夭折した画家後藤章 (大分県出身)である。彼は宮崎での「瑛九作品展」を最ものぞんでいた、やらねばならぬと言っていた者の中のひとりであった。
 彼の瑛九とのふれあいは、彼が二十年前宮崎を訪れた時、県立図書館ロビーにかけてある遺作シリーズの「田園」Bの前に立った時からである。勿論、その時瑛九は亡くなっている。
前衛画家としての瑛九の作品、また作品からほとばしる瑛九の人間性を見知らぬ土地でさぐり当てて以来、彼は自己探究の底にはいつも南の海への沈潜と共に瑛九の芸術の秘密に学ぶことをおいていたようである。
 彼の手紙からの引用であるが、昭和四十二年の二月の手紙の中でつぎのように言っている。
「(前略)夜なか、あなたが児童公園の白鳥を見ていた時、私は子どもの国の鳥カゴを見てたのしんでいました。静かに夜をすごすこいつらに僕は頭がさがる。沈黙の夜をもつ奴は哲学者だ。夜は沈黙であるべきです。夜の闇を犯すことから、人間は弱くなり、ぼうとくの歴史が始まったのです。
夜は沈黙と恐怖とおののきと思考の時間においておくべきです。そうしないと奥行きが生まれないようです。何か、こうスーッとすいこまれてゆく透明感が出てこないのです。
瑛九にはそのスーッというものがあります。こわいことです。日本人に一番弱い空間の無限感があるのです。
 カンディンスキークレーにはそれがあり ます。今、クレーの画集と瑛九のエッチング を見ています。瑛九の方が一歩進んでいます。これはたいしたことです。『人間』を信じることができるのです。人間のすばらしさを感じることができます。
 人間のこわさをかいま見えます。
 これからはアイオーの世界を私は生きたい です。アイオーは瑛九のフォトデッサンのみを認めます。それはかつてなかったものを、『誕生』させたことにのみ、瑛九の芸術性を認めたのです。

img1



 芸術は延長の仕事ではありません。『誕生』 させることです。生みおとすことです。瑛九 のタブロー、エッチングも延長の仕事です。それは変形、生育、多様化のみです。それは 『誕生』とは全く異った次元です。
 このことが今の私には痛いくらいわかるのです。
死の直前は一切を拒否してアトリエにこもり、えがいたことはギリギリの反抗でした。実在でしたのでしょう。もしキャンバスに向うとしたら、そうしたギリギリの思想でなければならないと思います。
絵筆をにぎっているその時間は何もできないのです。他のことは、一粒の種もまけません。(後略)」
 今、夭折画家の追悼をのべるつもりはない。わずか四ヵ年の宮崎での生活が、宮崎の芸術活動へ残したものを考えたいだけである。
「宇部の野外彫刻公園を見ました。いいものです。全く。羨しいです。全く。宮崎にこそ創るべきです。こんなことができない宮崎にこそ、いろんな問題がありそうです。.........
つまり、健康な冒険が若い人間の手ではじめられようとしているみたいです。精神の若さと広がりです。冒険の行なわれない空間や時間は全く死を意味するものだと思います。 ......若者を育てることです。宮崎に欠けているのは、その若い精神、若者の悩みが少ない ことです。.........」

 いつも延々と書きつづけた彼の手紙の一部である。この最後の旅先から発言した「必死なる冒険のすすめ」が彼自身の創作活動とたえず呼びかけた主張を物語っている。惜しみなく手をさしのべる彼の行動と澄んだ眼に励まされ、自分の道を突き進んだ画家や詩人や市民が幾人かはいる。だが、彼の誠実さと先鋭性を、結果的には避けて自らを崩していった友人知人も多い。そうしたなまぬるい宮崎の美術の側面に言及した彼のことばを、個条書的に記してみよう。
 ‐銅鬚魄んだ勢いのむなしさ
 ⊃環譴らの歌が歌えぬ不自由さ
 柔軟なしかも爆発力のある精神、若い生命力を理解しようとしないさびしさ
 い修鵑覆海箸、グループ展、個展での画家たちのよそよそしい会話になり
 コ覆鼎院挨拶を保つための小品展、展覧会にしてしまう

 現在、若い芽がないわけではないが、十数年前とそう変わっていない。彼が吐きつづけ たことばは生かさねばならないと思う。
 「.........やはり私には南の海がいいです。本当にいいです。南の人間であることを痛感します。侵されることなく自己を大きくすることだと思います。もっと宮崎の芸術家には、必死なものが必要な気がします。もっともっと健康になることです。いろんな冒険をすることです。ではまた。一九六七年九月」
 前述の手紙はこう結んである。宮崎と東京の間、親子ヒッチの長旅を終えたのが十一月。翌年五月に彼は他界。南の海へのあこがれを作品として十分な結実をすることなく、純粋と野生の健康を消滅させてしまった。まわりにいた友人の一人として、私も悔いの痛みをもっている。いまは彼がまいた一粒の種を大事にしたい。
 たとえば、宮崎では誰も指摘しなかった画家瑛九の芸術――何が独創的であり、インターナショナルであり、南の人でありえたかを鋭くかぎわけていた。激しい口調で、またじっくりと多くの人に語り、それをのり越える試みを作品に残した。長崎、名古屋、東京にもねむっているはずである。
日南海岸の一角に残した居宅とそのおかげで破壊されずにすんだ自然、そしてそれを守りぬき、長い沈黙の中で制作しつづける画家がいる。また、後藤が生前たったひとり師と呼んだ画家も、縁あって宮崎市に移住しスケールの大きな仕事をしている。生前の後藤との出会いがあるなしにかかわらず、彼の作品とことばにひかれ、自分の仕事をつづけている若者たちもいる。
 南の空に果てた一閃の光芒ではあったが、確かに鮮烈な思想と痛みのやさしさを、彼はこの土地に刻みこんだ。


img2のコピー
フォトデッサンに使用する型紙製作中の瑛九


img3のコピー
池田満寿夫による瑛九の肖像

すずき すなお
*鈴木素直『瑛九・鈔』(1980年、鉱脈社)より再録。

鈴木素直
1930年5月25日台湾生まれ、1934年(昭和9年)父の故郷宮崎市に帰国、大淀川、一ツ瀬川下流域で育つ。戦後、新制の大宮高校時代に瑛九からエスペラント語を習い、瑛九が埼玉県浦和に移った後も親交を続け、故郷宮崎にあって、瑛九の顕彰に尽力した。宮崎県内の盲学校、小中学校(主に障害児教育)に長く勤務し、日本野鳥の会会員としても活躍した。2018年4月5日死去。享年87。
瑛九については新聞や雑誌に寄稿され、1980年宮崎の鉱脈社から『瑛九・鈔』を刊行した。ご遺族のご了解を得て、毎月17日に『瑛九・鈔』から再録掲載します。
20180426151054_00001鈴木素直
『瑛九・鈔』
1980年
鉱脈社 発行
63ページ
9.2x13.1cm

目次:
・出会い
・瑛九への旅 東京・瑛九展を見て
・一枚の写真の現実 二十回忌に思う
・フォトデッサン
・版画に無限の楽しみ
・二人の関係 瑛九・池田満寿夫版画展
・“必死なる冒険”をすすめた画家後藤章
・瑛九―現代美術の父
〜〜〜〜

瑛九展『現代美術の父 瑛九展』図録(小田急)
1979年 瑛九展開催委員会発行
132ページ 24.0×25.0cm
同図録・銅版入り特装版(限定150部)

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20180426151147_00001鈴木素直
『詩集 夏日・一九四八ー一九七四』
1979年
鉱脈社 発行
102ページ
22.0x15.5cm

目次:
・鏡より
 鏡
 ことば
・夏に向ってより
 夏に向って
 その時小さいあなたへ
 春一番
 野鳥 I
 野鳥 II
 入江 I
 入江 II
 小さいカゴの中で
 病院にて
 孟蘭盆
 夏草 I
 夏草 II
 大いなる儀式
 ムラから
 来歴
・女たちより
 秋
 雨
 夜
 川
 鳥
・夏日より
 春
 いつも同じ石
 海
・詩集「夏日」によせて 金丸桝一
・覚書

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20180426151133_00001鈴木素直
『馬喰者(ばくろう)の話』
1999年
本多企画 発行
114ページ
18.5x14.1cm

目次:
・馬喰者の時間
・馬喰者の話
・馬喰者の煙管(きせる)
・馬喰者問答
・馬喰者の夢
・馬喰者の謎
・馬喰者の庭
・ふくろう
・青葉木莵異聞
・雲雀と鶉
・時鳥がうたう
・夕焼けの中の黒いカラス
・残暑見舞い
・眠っている男
・手術室にて
・残照記
・切り株
・八月の庭
・知念さんの地図

〜〜〜〜

20180426151116_00001鈴木素直
『鳥は人の心で鳴くか みやざき・野鳥民族誌』
2005年
本多企画 発行
265ページ
18.3x13.2cm

目次(抄):
・宮崎の野鳥・俗名考―消える方言とユニークな命名
・ツバメあれこれ
・方言さんぽ
・鳥十話
・日向の鳥ばなし
・宮崎県の鳥類
・自然に関わる伝承と農耕習俗―野鳥にまつわる俗信・俚言を中心に
・野鳥にまつわる民俗文化
・県北を歩く
・県南を歩く
・野鳥の方言・寸感
・後記
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宮崎瑛九展9鈴木素直さん鈴木素直さん(左)
鈴木素直さんは新制の大宮高校時代に瑛九からエスペラント語を習い、その後教師となります。瑛九と親交を続け、没後はその顕彰に大きな役割を果たし、詩人、日本野鳥の会会員としても幅広い活躍をなさってきました。


●鈴木素直のエッセイ「瑛九・鈔」(再録)は毎月17日の更新です。

●今日のお勧め作品は、瑛九です。
qei_115瑛九 Q Ei
《風景》
板に油彩
23.7×33.0cm(F4)
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●11月12日のブログで小此木美代子(大川美術館学芸員)さんのエッセイ<「松本竣介 アトリエの時間」について>を掲載しましたが、
明日のNHK Eテレ「日曜美術館」で「静かな闘い〜松本竣介のアトリエ〜」が放送されます。
大川美術館「松本竣介−アトリエの時間」(10/13〜12/2開催中)に展示されている作品ならびに記念展示「竣介のアトリエ」が紹介されます。
放送日時:11月18日(日)午前9:00〜9:45
再放送:11月25日(日)午後8:00〜8:45
【ゲスト】大川美術館館長・田中淳【出演】建築家 松本竣介次男・松本莞、洋画家・小林俊介、島根県立美術館専門学芸員・柳原一徳、【司会】小野正嗣,高橋美鈴
日曜美術館ホームページ:http://www4.nhk.or.jp/nichibi/

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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