瑛九について

3月10日は瑛九の命日/瑛九情報!総目次

明日3月10日は瑛九の命日です(1960年3月10日死去 享年48)。

東京国立近代美術館で昨年11月22日〜2017年2月12日の会期で開催された「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」展に合わせ、2016年11月24日から最終日の2017年2月12日まで毎日<瑛九情報!>を発信しました。
瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)

ときの忘れもののブログは年中無休ですが、81日間、毎日のブログ記事をアップした上に、さらに末尾に<瑛九情報!>を一日も欠かさず追加発信するのはさすがに瑛九=命の亭主でもへろへろになりました。
以下、81日間の<瑛九情報!>総目次です。(この目次を作成するのも一苦労でありました)

11月24日1960年の四人の作家展

11月25日「近美のtwitter

11月26日「この人はコラージュがまじやばいからみといたほうがいいよ。坂口恭平

11月27日「瑛九は1911年(明治44年)生まれ、岡本太郎と同い年

11月28日「展覧会を企画した大谷省吾さん

11月29日「松本竣介と瑛九

11月30日「通りすぎるもの

12月1日「瀧口修造【瑛九へ「ノートから 1951」】より

12月2日「瀧口修造【瑛九のエッチング】『美術手帖』No.74 1953年10月号より

12月3日「瑛九はけっしていわゆる孤絶の人なぞではなかった。いつも社会にむかってひらかれた心を持ちつづけたといってよいだろう。〜瀧口修造

12月4日「瀧口修造【ひとつの軌跡 瑛九をいたむ】『美術手帖』1960年5月号より

12月5日「何事も平均化され、うやむやにされがちな現状にとって、山田光春氏の多年にわたる瑛九探求が『瑛九』として刊行されることはうれしい〜瀧口修造【『瑛九』を待ちながら】
瑛九伝山田光春著『瑛九 評伝と作品』1976年 青龍洞 480頁 瑛九の盟友だった画家山田光春が全国をまわり資料・作品を蒐集調査、克明に瑛九の生涯を追った伝記

12月6日「写真は光線の言葉だといわれます〜瀧口修造『1955年1月・瑛九 フォート・デッサン展目録』より

12月7日「瑛九の父杉田直(すぎた なお)は息子を送った九ヵ月後の1960年(昭和35年)12月7日に亡くなりました。享年92

12月8日「1891年(明治31年)宮崎初の眼科医院を開業した杉田直は医学界の発展に貢献する傍ら俳句をよくし、荻原井泉水の層雲同人として活躍しました

12月9日「たゞ一つ湯婆残りぬ室の隅 漱石/明治41年12月22日夏目漱石から瑛九の父・杉田作郎に送られた俳句

12月10日「1951年瑛九と泉茂らによって大阪で結成されたデモクラート美術家協会には多くの若者が集まりました

12月11日「月が静かにさしよればフラスコにある球面 月月虹/秋田の医師船木綱春は瑛九の父杉田直の俳句仲間でした

12月12日「本展企画者・大谷省吾さんの講演会〜書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九〜は 12 月17 日と1月7日に開催されます

12月13日「なんでも鑑定団に出演したKさん所蔵の油彩大作『田園』が寄託されています、必見です

12月14日「近美の至宝『青の中の丸』は1981年3月1日ギャラリー方寸の開廊記念展で展示された作品です

12月15日「一度は国立近代美術館に展示されながら、その後海を渡ってしまった名作もあり

12月16日「中村茉貴〜美術館に瑛九を観に行く〜第12回

12月17日「瑛九の故郷、宮崎県立美術館では<第三期コレクション展より 瑛九の世界供笋魍催

12月18日「瑛九の多くの文献資料には、早くから瑛九をコレクションし、瑛九の顕彰展を開催してきたある美術館の名がすっぽりと抜け落ちています

12月19日「山形県酒田の本間美術館は瑛九のほぼ全てのリトグラフ作品を所蔵し、7回もの瑛九展を開催してきた

12月20日「酒田の本間美術館は1974年(昭和49)2月2日〜2月23日に瑛九リトグラフ展を開催しています
瑛九石版レゾネ本間美術館のコレクションが基礎となり刊行された『瑛九石版画総目録』1974年 瑛九の会 限定1000部 74頁 1951〜1958年に制作されたリトグラフ158点を収録

12月21日「写真家・細江英公の原点は瑛九
20170107_1
2004年8月21日「第15回瑛九展/1936年画家の出発」
ときの忘れものにて細江英公先生(右)

12月22日「磯辺行久は高校時代にデモクラート美術家協会に入会、最年少

12月23日「デモクラートの解散声明は靉嘔が執筆

12月24日「建築家・磯崎新は学生時代に浦和の瑛九アトリエを訪ねた

12月25日「池田満寿夫の色彩銅版画は瑛九の助言で生まれた

12月26日「12月26日は瑛九の兄・杉田正臣さんの命日
瑛九展小田急レセプション4靉嘔1979年6月新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて
左から杉田正臣さん(瑛九の兄)、郡司君さん(瑛九の姉)、杉田都さん(瑛九夫人)、靉嘔先生


12月27日「新人スタッフの英文レポート

12月28日「瑛九の会の設立趣意書と八人の発起人

12月29日「中村茉貴〜美術館に瑛九を観に行く〜第13回

12月30日「瑛九畏るべし。ほぼ数年おきに回顧展が開催されるというようなことは他の抽象画家では例がありません

12月31日「お正月に瑛九を見られる美術館は七つ

2017年
1月1日「沖縄県立博物館・美術館は元旦から開館、瑛九を展示しています

1月2日「お正月に瑛九を展示している美術館

1月3日「お正月に瑛九を展示している美術館

1月4日「瑛九を所蔵している美術館は亭主の把握しているだけでも48館

1月5日「瑛九のガラス絵〜府中市美術館・ガラス絵 幻惑の200年史展

1月6日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.1創刊号
nemuri_1
瑛九の会『眠りの理由 創刊号
瀧口論文の他に、山田光春「瑛九伝」第一回、杉田都「雪とEi Q」、杉田正臣「思い出すことなど」が掲載された。1966年4月20日発行

1月7日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.2

1月8日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.3

1月9日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.4

1月10日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.5

1月11日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.6,7合併号

1月12日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.8

1月13日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.9,10合併号

1月14日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.11

1月15日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.12

1月16日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.13

1月17日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.14

1月18日「瑛九の会の発起人たち

1月19日「瑛九を支えた人々〜福井県鯖江の木水育男さん

1月20日「瑛九を支えた人々〜尾崎正教さん

1月21日「細江英公〜瑛九と私

1月22日「瑛九を支えた人々〜福井県勝山の原田勇さん

1月23日「田中章夫〜本間美術館と瑛九

1月24日「瑛九を支えた人々〜福井県大野の堀栄治さん
瑛九展小田急レセプション2原田1979年6月新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」にて
左から一人おいて、堀栄治さん、中村一郎さん、中上光雄さん、原田勇さんたち、いずれも福井瑛九の会のメンバー。

1月25日「貴重な記録集〜堀栄治・編<福井創美の歩み>

1月26日「1938年のスケッチ帖〜立正大学新聞臨時増刊・青年の読物特輯
表紙瑛九スケッチ帖 「青年の読物特輯」


1月27日「福井県勝山の中上光雄・陽子ご夫妻と瑛九
20150103中上コレクション展 表2015年1月福井県立美術館「福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―」

1月28日「浦和のアトリエを守る都夫人

1月29日「瑛九の銅版画について

1月30日「初期スケッチ帖

1月31日「スタッフMの瑛九展を見て

2月1日「初期抽象画〜作品ーB(アート作品・青)

2月2日「スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポート

2月3日「1941年制作の油彩・逓信博物館 A

2月4日「中村茉貴〜都城市立美術館・瑛九芸術の迷宮へ〜その1

2月5日「瑛九の吹き付け作品

2月6日「スタッフAの瑛九展を見て

2月7日「生前、海外での作品発表の機会がただ一度ありました

2月8日「最大の支援者・久保貞次郎の瑛九コレクション
瑛九展小田急レセプション1泉茂1979年6月新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて
左から、オノサト・トシノブ先生、久保貞次郎先生、マイクを握っている泉茂先生、瑛九の会事務局長の原田勇さん、右端の背広姿は瑛九の会代表の木水育男さん

2月9日「中村茉貴〜都城市立美術館・瑛九芸術の迷宮へ〜その2

2月10日「ときの忘れものの第20回瑛九展と第23回瑛九展のカタログ紹介

2月11日「46の光のかけら/フォトデッサン型紙ポスター

2月12日最終回瑛九の生前最後の個展の案内状
瑛九油絵展1
「瑛九油絵展」案内状
会期:1960年2月23日〜28日
会場:銀座・兜屋画廊



以上、お時間のあるときに再読いただければ嬉しいです。

●本日のお勧め作品は瑛九です。
qei_165瑛九
《花々》
1950  油彩
45.5x38.2cm(F8号)

瑛九 ペン素描
瑛九《作品
1959年
ペンデッサン
イメージサイズ:28.5×18.0cm
シートサイズ:35.1×24.9cm
ペンサインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

◆ときの忘れものは「小野隆生コレクション展」を開催しています。
会期:2017年3月7日[火]―3月25日[土] *日・月・祝日休廊
201703_ONO
岩手県に生まれた小野隆生は、1971年イタリアに渡ります。国立ローマ中央修復研究所絵画科を卒業し、1977〜1985年にイタリア各地の教会壁画や美術館収蔵作品の修復に携わり、ジョットやティツィアーノらの作品に直接触れ、古典技法を習得しました。1976年銀座・現代画廊で初個展開催。資生堂ギャラリー[椿会展]に出品。「ライバルは500年前のルネサンスの画家たち」との揺るぎない精神でテンペラ画による肖像画を制作をしています。2008年には池田20世紀美術館で「描かれた影の記憶 小野隆生展 イタリアでの活動 30年」 を開催しました。
本展では、小野の1970年代の初期作品から2000年代の近作まで、油彩・テンペラ・素描など約15点をご覧いただきます。

◆ときの忘れものは東京・有楽町駅前の東京国際フォーラムで開催される「アートフェア東京 2017」に出展します。
logo_600
会期:2017年3月16日[木]〜3月19日[日]
※プレビュー:3月16日[木]
会場:東京国際フォーラム
公式サイト:Art fair Tokyo 2017
出品:堀尾貞治六角鬼丈小野隆生秋葉シスイ松本竣介瑛九オノサト・トシノブ植田正治瀧口修造

瑛九_フォトデッサン_2瑛九
《作品》
1950年
フォトデッサン
27.8x22.0cm
サインあり

中村茉貴〜都城市立美術館「瑛九芸術の迷宮へ」その3

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第16回

都城市立美術館
UMK寄託作品による「瑛九芸術の迷宮へ」その3


 都城市立美術館で行われた展覧会に関するレポートも今回で最後を迎える。本展は、「1. 瑛九のはじまり」、「2. 増大するイメージ」、「3.色と形の挑戦」と三部構成になっており、その1では、1階会場1・2章のフォト・デッサンおよびガラス絵、初期油彩画を見てきた。その2は2階会場で展示されていた都城市ゆかりの詩人富松良夫と瑛九について、そして、その3では、2・3章に出品された銅版画、リトグラフ、晩年の油彩画等を紹介したい。

都城市立美術館_26階段を2階に上がると、《神話》(1956年、紙・エッチング、右下に鉛筆で「Q Ei」のサインあり、[特])が目に付くところに展示されている。会場を見渡すと瑛九の版画が整然と並んでいる。広々とした会場をも埋め尽くす作品点数の多さは、まさに圧巻である。
向かって右側の壁には、林グラフィックプレスが発行した銅版画の後刷り画集「SCALE」のシーリーズが展示されている。手前からSCALE兇茲蝓圓いり》(1957年、紙・エッチング)、SCALE靴茲蝓塢と少女》(1957年、紙・エッチング)、SCALE靴茲蝓埓院奸1956年、紙・エッチング、ドライポイント、ルーレット)、SCALE兇茲蝓圓燭燭い》(1956年、紙・エッチング)、SCALE垢茲蝓埒垢寮此奸1958年、紙・エッチング、館蔵品)、SCALE垢茲蝓埀世硫屐奸1958年、紙・エッチング、館蔵品)


都城市立美術館_27右から《街B》(1953年、紙・エッチング)、《なやみ》(1953年、紙・エッチング、[特])、《忘れた道》(1957年、紙・エッチング)


都城市立美術館_28《叫び》(1954年、紙・エッチング)、《小さな人魚》(1954年、紙・エッチング)

都城市立美術館_29参考画像:林グラフィックプレスで刷られたエッチングにはスタンプによる裏書がある。


original etching by Ei Q
limited edition of 60
published by Hayashi Graphic Press

林グラフィックプレスを設立した林健夫は、池田満寿夫と親交のあった人物としても知られる。都夫人の許可のもと瑛九が残した銅版の原版から後刷りされた版画集「SCALE」は、機銑后1974-76年、83年刊行)まであり、カタログも発行している。未発表作を含め全278点の銅版画(後刷り)が収録されていることからレゾネとして代用されることもしばしばある(全作品ではないが)。

銅版画のコーナーの次は、リトグラフの作品が並ぶコーナー。リトだけでも23点あり見応えがある。

都城市立美術館_30向かって右側から《蟻のあしあと》(1956年、紙・リトグラフ、[特])、《白い丸》(1956年、紙・リトグラフ、[特])、《街の燈》(1956年、紙・リトグラフ)、《スケート》(1956年、紙・リトグラフ)、《舟》(1956年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり)、《青の構成》(1956年、紙・リトグラフ、「Q」[特])、《夜明けに飛ぶ》(1956年、紙・リトグラフ、スタンプサインあり)※スタンプ(真岡市蔵)は久保貞次郎制作


都城市立美術館_31左から《航海》(1956年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり、[特])、《輪》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり、[特])、《拡声器》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり、[特])、《海底》(1957年、紙・リトグラフ、[特])、《考える鷺》(1957年、紙・リトフラフ)


都城市立美術館_32右から《迷路》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり、[特])、《風が吹きはじめる》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり、[特])、《舞台のピエロ》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり、[特])、《春の風》(1957年、紙・リトグラフ)


都城市立美術館_33右から《赤き微小》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり)、《飛ぶ》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり)、《流れるかげ》(1958年、紙・リトグラフ、「Q」あり、[特])


都城市立美術館_34右から《壁》(1958年、26.0×21.0、「Q Ei」あり、フォト・デッサン)、《顔》(1958年、25.5×20.5、「Q Ei」あり、フォト・デッサン)


都城市立美術館_35《森のささやき》(1958年、25.5×18.0、ボード・水彩、鉛筆により「Q Ei」、[特])、《春のめざめ》(1958年、43.5×28.5、紙・水彩、「Q Ei」あり、[特])、《虚ろな記憶》(1959年、38.5×22.5、紙・水彩、ペン、「Q Ei」あり、[特])


都城市立美術館_36《空の旅》(1957年、41.0×31.8、キャンバス・油彩、「Q Ei」あり、[特])、《土の中》(1957年、27.3×22.0、キャンバス・油彩、「Q」あり、[特])、《丸の遊び》(1958年、板・油彩、「Q」あり、[特])、《森》(1959年、キャンバス、油彩、「Q」あり、[特])


3回に渡って宮崎県の都城市立美術館の展覧会を紹介してきた。こちらの美術館に訪問して感じたことは、郷土の美術家を展示することが実に自然であるということ。家族写真を飾るかのように、シンプルで気持ちのいい雰囲気があった。いつからか地方美術館でも人気取りのための展示と高額な観覧料を払わないと入場できなくなってきたが、ここでは特別展以外は従来の博物館法に近いスタンスで作品を無料公開している。また、どこの館も展覧会事業費や、まして作品購入費は開館時よりもグッと落ち込んでいるはずであるが、それを見かねてか、テレビ宮崎(UMK)が代わって作品をコレクションしている。良いバランスで美術館が保たれている。薩摩藩の気風によるものかもしれない。平日の昼下がり、確かに来館者は少なかった。しかし、2人組のご婦人が「瑛九さん…」と親しげに呼んで作品を覗く様子に、ほっとする思いがした。

***

ちょっと寄道…

前回、瑛九と親交のあった都城市の詩人「富松良夫」を紹介した。
美術館で展示されていた詩集は高値で入手困難であるが、宮崎県の出版社「鉱脈社」で下記のように再編されている。

都城市立美術館_37富松良夫『黙示』表紙


都城市立美術館_38杉田正臣『父、暁天、瑛九抄』表紙


巻末を見ると、本書は「みやざき21世紀文庫」シリーズとして今まで刊行されたタイトルがズラリと並んでいる。小さな字でそれに付随して本シリーズが出来た経緯を書いている。たいへんユニークで興味深い取り組みをされているので下記に紹介したい。

平成七年秋に宮崎県立図書館で開催され、好評を得た「21世紀の子供たちに伝えるみやざきの100冊の本」展。「宮崎にもこんないい本があったのか」と評判を呼び「ぜひ手に入れたい」という声が相次ぎました。こうした県民の声に応えて、100冊の本を逐次刊行していこうと編集委員会が結成され、平成八年八月から「みやざき21世紀文庫」として第一期(全40巻、解説付。カバー絵・瑛九)の刊行が始まりました。

これこそ郷土愛の結晶である。史料編纂所が発行する県史とは別に読み物として親しみやすい。「郷土誌」ではあるが、ただの「郷土誌」ではない存在感である。一部の巻はネットショップで購入できて、つい最近まで東京国立近代美術館で行われた瑛九展の会期中には、兄正臣の著書がミュージアムショップで平置きされていた。そして、下線で示したように本シリーズは、全て「カバー絵・瑛九」なのである。宮崎県が瑛九をいかにだいじにしているのか一目瞭然である。

宮崎訪問時には、本シリーズの表紙を確認したいと思い宮崎県立図書館へ立ち寄ったものの、手に取る時間がなかった。宮崎でやり残してきたことのひとつで頭の片隅に置き、ブログ記事の構想を練っていると、段々と表紙のことが気になり、頭の中心にまでにじり寄ってきた。「このシリーズは100冊まであるのか。出版されているとすれば、瑛九名品100選ということになるのではないか」と、妄想が膨らんだ。

そこで、駄目もとで出版社に直接問い合わせをしたところ、有難いことに、鉱脈社の鳥井氏が対応していただいた。現在の発行されているタイトルと表紙絵について情報提供していただいたので、下記にリストを公表したい。

<鉱脈社 「みやざき21世紀文庫」シリーズ>
富松良夫『新編 黙示』 1996年: 《つばさ》 1959年、油彩、宮崎県立美術館蔵
中村地平『日向』 1996年: 《田園B》 1959年、油彩、宮崎県立図書館蔵
若山牧水『郷里の山河』1996年: 《泉》 1959年、油彩、個人蔵
石川恒太郎『日向ものしり帳』1996年: 《ブーケ(花束)》 1959年、油彩、宮崎県立美術館蔵
黒木淳吉『タ映えの村』1996年: 《題不明》1958年、油彩、宮崎県立美術館蔵
戸高保『白い浮雲の彼方に』1996年: 《蟻のあしあと》 1956年、リトグラフ、宮崎県立美術館蔵
三戸サツヱ『幸島のサル』1996年: 《丸のあそび》 1958年、油彩、宮崎県立美術館蔵
小野和道『浮上する風景』1996年: 《まと水》 1957年、油彩、長島美術館蔵
小川全夫『よだきぼの世界』1996年: 《丸( 2 )》 1958年、油彩、福岡市美術館蔵
城雪穂『藤江監物私譜/笛女覚え書』1996年: 《題不明》1957年、油彩、宮崎県立美術館蔵
渡辺修三『新編 谷間の人』1997年: 《愛の歌》1957年、油彩、宮崎県立美術館蔵
青山幹雄『宮崎の田の神像』1997年: 《まつり》 1958年、油彩、宮崎県立美術館蔵
岩切章太郎『無尽灯』1997年: 《ながれ一たそがれ》 1959年、油彩、個人蔵
中村地平『中村地平小説集』1997年: 《風船(仮)》1956年、油彩、個人蔵
松田壽男『日向の風土と観光』1997年: 《眼が廻る》 1955年、油彩、宮崎県立美術館蔵
黒木清次『日向のおんな』1997年: 《鳥》 1956年、油彩、宮崎県立美術館蔵
三原七郎『三等院長のメモ』1997年: 《アブストラクション》制作年不明、水彩、宮崎県立美術館蔵
三上謙一郎『死者を追って』1997年: 《花火》制作年不明、油彩、宮崎県立美術館蔵
賀来飛霞『高千穂採薬記』1997年: 《子供たち》1955‐56年、素描、宮崎県立美術館蔵
宮永真弓『海から聞こえる笛/つゆ草の花』1997年: 《芽》 1954年、油彩、宮崎県立美術館蔵
大迫倫子『娘時代』1998年: 《青の動き》 1956年、油彩、宮崎県立美術館蔵
神戸雄一『詩集 鶴、小説集番人』 1998年: 《空》 1957年、工ッチング、宮崎県立美術館蔵
安田尚義『高鍋藩史話』1998年 : 《蜃気楼》1957年、油彩、個人蔵
渡辺綱纜『紫陽花いろの空の下で』1999年: 《街》 1947年、油彩、宮崎県立美術館蔵
みやざき21世紀文庫編集委員会編『宮崎縣嘉績誌』1999年: 《題不明》制作年不明、フォト・デッサン、宮崎県立美術館蔵
若山甲蔵『日向の言葉』2000年: 《だだっこ》 1954年、油彩、宮崎県立美術館蔵
杉田正臣『父、暁天、瑛九抄』2000年: 《明るい森の中》 1958年、水彩、宮崎県立美術館蔵
以上、27巻

作品の所蔵先は宮崎県立美術館が大半であるが、中には長島美術館、福岡市美術館、個人蔵もある。なかでも気になる表紙タイトルは、『中村地平小説集』の《風船(仮)》1996年(生誕100年記念瑛九展レゾネNo.284)である。「風船」はご存知の通り、東京国際版画ビエンナーレに出品されたリトグラフ《旅人》(1957年)の画面上に表れているモチーフである。いずれも瑛九がつけたタイトルかどうか定かではないが、造型上何か関連がある可能性もある。また、著者の中村地平は、全国的に著名な人物であるが、宮崎県立図書館の館長を勤めるなど地域に貢献した人物でもある。1951年5月県立図書館に設置された「子供読書室」の瑛九の壁画(焼失)や、「花と絵の図書館」を館内に設けて児島虎次郎、塩月桃甫、瑛九の作品を展示したのは、彼が着任中のことである。

なお、本シリーズとは別に、鉱脈社の出版物では、福富健男『画家・瑛九の世界』2011年も刊行している。合わせて参照したい論文である。
なかむら まき

●展覧会のご案内
瑛九芸術の迷宮へ「瑛九芸術の迷宮へ」
会期:2017年1月5日[火]〜2017年2月26日[日]
会場:都城市立美術館
休館:月曜(祝日・振替休日の場合、その翌日は休館)
時間:9:00〜17:00(入館は30分前)
主催:都城市立美術館
入館料:無料


 本展では平成27年度にテレビ宮崎から寄託された瑛九作品を中心に、過去にテレビ宮崎が収集した特別出品作品を加えた、写真や銅版画、リトグラフなど約80点を展示いたします。宮崎ゆかりの美術作品が散逸することを防ぎ、県内の文化・芸術を長く伝え残したいという理念のもと築かれたこのコレクションは、代表的な版画やフォトデッサンに加えて、初期の油彩画やガラス絵など。今までほとんど紹介されていない貴重な作品も含まれています。
 当館は開館以来、瑛九作品の収集と企画展示を行ってきましたが、この度の寄託を機会に、瑛九の画業全体がより広く理解されることとなりました。この展示を通じて、瑛九の自由な時代精神を感じ取っていただければ幸いです。(本展HP「ごあいさつ」より転載)

取材にご協力いただいた都城市立美術館の祝迫眞澄学芸員、鉱脈社の鳥井氏には、この場をかりて深く感謝の意を表したい。

※第14回「美術館に瑛九を観に行く」の訂正とお詫び
「富松良夫宛 杉田秀夫書簡 昭和10年8月21日」より抜粋した文章に誤りがありました。訂正箇所は以下のとおり。
[誤]小さな花のもたらる → [正]小さな花のもたらす
[誤]目がくれて → [正]日が暮れて

あれからずーと油絵をかいていました〜東京国立近代美術館の瑛九展は最終日です。

11月22日から始まった東京国立近代美術館の<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展は遂に最終日を迎えました。
瑛九=命の亭主としては、あの会場は瑛九記念室にして永久に保存して欲しい。
瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)

「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館

雪のちらつく先日、竹橋に行ってきました。

レール  瑛九
  雪がふる
  胸の中を赤い雪がふる
  ガラスがこわれて そこに心ぞうがとまる
  ふるへてゐる部屋
  トウフやのラッパに少年のリンゴのほほがはずむ。
  母。
  風はたえずレールの上を流れる

  (1936年3月9日山田光春宛書簡より)

今回の展覧会は山田光春旧蔵の作品を中心にデビュー前後の瑛九作品が展示されています。
画廊コレクションにも同じ時代の作品があります。
瑛九作品(吹きつけ)
瑛九「作品
1937年 鉛筆・吹き付け
イメージサイズ:25.5x21.5cm
シートサイズ:28.5x25.0cm
サイン・年記あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから


今回、ときの忘れものは皆さんが少しでも竹橋に足を運んでいただけたらと、連日●本日の瑛九情報! を発信してきました。

最終回の●本日の瑛九情報!は、瑛九の生前最後の個展の案内状です。
瑛九油絵展1
「瑛九油絵展」案内状
会期:1960年2月23日〜28日
会場:銀座・兜屋画廊


瑛九油絵展2
個展案内状の裏に印刷された瑛九のメッセージ
(クリックしてください、拡大します)

既に病篤く浦和中央病院に入院中だった瑛九は展示にも立ち会えず、初日の翌日には東京神田の同和病院に転院、3月10日朝、48歳の生涯を閉じました。
会期中、兜屋画廊には盟友オノサト・トシノブが桐生から毎日電車で通い店番をしました。


瑛九の死去から僅か49日後の4月28日、今泉篤男率いる国立近代美術館は急遽瑛九回顧の展示を敢行しました。
四人の作家1960 表紙
「四人の作家」展目録
会期:1960年4月28日―6月5日
国立近代美術館
出展作家:菱田春草、瑛九、上阪雅人、高村光太郎
没後直後のドキュメントをお読みください。

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二ヶ月以上にわたり、瑛九情報をお読みいただき、ありがとうございました。
ときの忘れものはこれからも瑛九の紹介に微力をつくしたいと思います。

中村茉貴〜都城市立美術館「瑛九芸術の迷宮へ」その2

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第15回

都城市立美術館
UMK寄託作品による「瑛九芸術の迷宮へ」その2


 前回に引続き、都城市立美術館で開催されていた「UMK寄託作品による 瑛九芸術の迷宮へ」展の報告である。今回は、2階会場に展示されていた瑛九と富松良夫の関係資料に着目したい。

 富松良夫(1903−1954)は、都城市で「南の宮沢賢治」として地元で愛されている詩人で、瑛九と若い頃から親しい関係にあった。良夫の弟富松昇(元宮崎市助役)は、1934年11月に瑛九のアトリエを訪ね、12月には瑛九と山田光春が富松家を訪ねる。翌35年には、瑛九、岡峰龍也、杉田杉(瑛九の妹)、富松昇、藤田頴男、山田光春が洋画研究グループ「ふるさと社」を結成する。

都城市立美術館_16会場の中心に展示された資料。覗きケースには、書簡2通と詩集1冊がある。壁には、瑛九のリトグラフやエッチングが展示されている。


都城市立美術館_17「富松良夫宛 杉田秀夫書簡 昭和10年8月21日」(1935年、都城市立図書館所蔵、部分)


本書簡に記載された内容を下記に少し抜粋したい。

 私は絵画藝術とソの今迄のジャンルに従ひたくはありませぬ。ヱかきは描くものであって、観る人ではありませぬ。ゆえに私はヱカキの批評に全てにといってもいいくらいキタイをおいておりませぬ。又ヱカキのみかたとソのめがねをかけてやるこの国の美術批評家の批評は画家以上に私には他人です。私は人間のコヱ(声)をほっします。ろうごくの窓からみえる一りんの小さな赤い花によする囚人の感情、一りんの小さな花のもたらす囚人への言葉に言えない様な一種の希望を。そういった所に絵画をおいて考へたく思っております。
(中略)
 今年になって、絵筆がにぎれない精神のじょうたいにいます。すこし評論をかこうかと思ひ、それによる自己成長をはかつております。自己と世界の対決で、日が暮れてしまふのです。一歩もうごけやしません。


東京国立近代美術館の「瑛九1935−1937闇の中で『レアル』をさがす」展に展示されていた山田光春宛の書簡と富松良夫宛の書簡はどこか違う雰囲気がある。尻込みせずに自論を主張する瑛九節は健在ではあるものの、言葉の端々に緊張感が漂っている。瑛九とほぼ同い年の山田に比べて良夫は7歳ばかり年上だった為かもしれないが、おそらく、それだけではない。書簡が書かれた時期は、杉田秀夫(瑛九)が画家を志してスタートを切った頃である。すでに詩集を出版している「文学者」と対峙して、自分は「絵描き」と称して考えを説明するも、まだ不慣れで硬さがある。良夫とは土俵は違っても同じ表現者としてシンパシーを感じていたようで、希望や自論をぶつけている。いわば、山田は何でも打ち明けられる同志で、良夫はもっとも身近な表現者の先輩という存在であったのかもしれない。瑛九はこの良夫との往復書簡を通じて「絵描き」として自己形成を図っていったのではないだろうか。

都城市立美術館_18「富松良夫宛 杉田秀夫書簡」(年代不詳、都城市立図書館所蔵)
上記の書簡より少し抜粋する。


 私の制作は量だけで、すこしもうまく行きませぬ。油絵之具になれることすらまだ中々に遠い事を思ふとちょっと困るので、わん力的大作にかりたてるわけです。

 「絵描き」同志ではないため、鼓舞するようなところはない。冷静に自分をふりかえって、良夫に報告している。

都城市立美術館_19ケースに入っている本は、富松良夫『詩集 黙示』1958年、龍舌蘭。
表紙は、瑛九の抽象的なフォト・デッサンで飾られている。上部の表題部分は帯状に裁断され、裏表紙の方に回り込んでいる。本書は、1954年良夫が亡くなったあとに編集された。表紙にフォト・デッサン、普及版にデッサン2枚(金属板印刷)、100部限定にエッチング2葉付きで販売された。


都城市立美術館_20本書に挿入されている作品。シュルレアリスムと抽象のあいだのようなスケッチである。タイトルはない。


都城市立美術館_21同書に挿入された作品。タイトルはない。細かな線は幾重にも重なり、花びらや貝殻のようなシルエットが見えてくる。それは、形を変え次第に上昇して消えてゆく、「言の葉」をあらわしているのだろうか。


以下に富松良夫の詩3篇を紹介したい。

   山によせて
ひかりの箭(や)をはなつ朝
山は霧のなかに生まれ
むらさきの山体は
こんじきの匂ひをもつ
あたらしい日を信じ
あたらしい世界のきたるを信じ
さらに深い山の発燃を信じ
にんげんの哀しさも
国の面する悲運のかげも
世界の精神的下降の現実も
わすれてはてるわけではないが
いまこのあざやかな
朝のひかりにおぼれ
悠々と非情の勁さにそびえてゐる
山にまなぼう


   聴く
ふかい夜のめざめ、しんとして揺るがない星の光を額にあてている、
わたしは信ずる、この秋の夜を徹る虫の音は白銀の穂尖だ
脳髄の心をすずしくすずしく刺しとおしてくる……繊やかさ
わたしの肉身はこゝに傾く、ああわたしはしづかに胸を反らすのだ
わたしは死なないであろう、そして無上にわたしは生きるのであろう
星にぬれ、露に濡れ、この窓にわたしの映像をいつまでも填め
わたしは信ずる、生存のはてしなく涼しいその一念を。


   雲
山は風に澄んでいる
凛然と霽れきつた山をわれはまつすぐに受けている
われは坐ったまま、白雲となつて飛ぶ
からだを透きとおらせ
白々と風とあらそう無際辺の旅をする
山脈を超えるとき、われはやまはだに触れて見るのだ
鋼いろのそのつめたさが胸にとおつてくるとき
爽々とわがこころを膊つ一脈の青韻があつた


良夫は日々の生活で得た刺激をあざやかな言葉にかえて、体験した感覚をよみがえらせようとしている。6歳で脊椎カリエスにかかり良夫の体は不自由であるが、詩は空中で生き生きと跳ねあがり、エネルギーに満ちている。情景豊かな表現は、秀夫(瑛九)の影響だろうか。以上のように瑛九と富松の二人の交流関係の結晶として展示されていた資料を詳しく見てみると、互いにいい影響関係にあったことが想像できる。

都城市立美術館_22参考資料:鈴木素直「同時代の軌跡―富松良夫と瑛九」(宮崎日日新聞、2001年11月16日)瑛九と富松良夫の関係を詩人鈴木素直氏は、新聞で次のような点を書いている。一部抜粋する。


・文学の道を歩む富松は美術への関心と共感に支えられ、画家瑛九の世界は文学に育てられた。一九二二、三年ごろから始まる友好関係の中で、文学と美術、さらに音楽の世界をたえずクロスさせながらお互いを刺激し続けた。

・両人とも「就職」することなく、経済的には恵まれない芸術創造だけの生涯を選んだ。

・兵役義務に従事していない。(中略)両人の負い目や戦争観の検証はあまりされていない。

・両人とも数多くの手紙を誠実にまた激しく書いている。


鈴木氏の指摘のとおり都城市立美術館の学芸員祝迫眞澄氏によると、富松関係資料の所在はあまりよくわかっていないという。書簡や瑛九の作品がどこかにある可能性は十分に考えられる。たとえば、愛知県美術館の山田光春アーカイブには、富松良夫に関係する書簡の写しやコピーが保管されている。

同じ宮崎県内でも「瑛九」については宮崎県立美術館(宮崎市)で展示されるという意識が高く、これほどまでボリュームのある展示はしてこなかったと語る祝迫学芸員。これを機に富松と瑛九の関係を、引き続き調査したいと意気込んでいた。

本展の続きは次回にまわし、
ちょっと寄道...

都城市立美術館のとなりには、市立図書館が併設されている。中に入ると、さすが都城市のスターである富松良夫のコーナーが設置されていた。良夫は、瑛九と連絡を取り合う前から美術に関心があり、1928年には絵画グループ「白陽会」を創立し、自らも絵筆を握っていた人物でもある。

都城市立美術館_23富松良夫『詩集 現身』龍舌蘭、1971年
本書の表紙も瑛九のフォト・デッサンで飾られている。


都城市立美術館_24オリジナルエッチング《雨》
雨のなかに妖しく佇む奇妙な構造物。わずかに開いた隙間を除くと何が見えるのだろうか。


都城市立美術館_25オリジナルエッチング《おとぎの国》
家々が立ち並び、全体的に賑やかな作品。3人の男女の他にも、よく見ると家のなかにも人の姿がある。傘をもつ男性に手を振り上げて挨拶をする人。太陽と星、光と影が同居する世界でどのような物語が展開されるのだろうか。


なかむら まき

●展覧会のご案内
瑛九芸術の迷宮へ「瑛九芸術の迷宮へ」
会期:2017年1月5日[火]〜2017年2月26日[日]
会場:都城市立美術館
休館:月曜(祝日・振替休日の場合、その翌日は休館)
時間:9:00〜17:00(入館は30分前)
主催:都城市立美術館
入館料:無料


 本展では平成27年度にテレビ宮崎から寄託された瑛九作品を中心に、過去にテレビ宮崎が収集した特別出品作品を加えた、写真や銅版画、リトグラフなど約80点を展示いたします。宮崎ゆかりの美術作品が散逸することを防ぎ、県内の文化・芸術を長く伝え残したいという理念のもと築かれたこのコレクションは、代表的な版画やフォトデッサンに加えて、初期の油彩画やガラス絵など。今までほとんど紹介されていない貴重な作品も含まれています。
 当館は開館以来、瑛九作品の収集と企画展示を行ってきましたが、この度の寄託を機会に、瑛九の画業全体がより広く理解されることとなりました。この展示を通じて、瑛九の自由な時代精神を感じ取っていただければ幸いです。(本展HP「ごあいさつ」より転載)

スタッフAの「瑛九展」を見て

本日の瑛九情報!は、
スタッフAの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポートです。

瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)

「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館

冬の冷たい風が心地よい日、東京国立近代美術館で開催されている瑛九展を観に行ってきました。

「ときの忘れものといえば瑛九。」と言っても過言ではない作家さんですが、恥ずかしながらときの忘れものに勤めるまで、自分は瑛九のことをよく知りませんでした。
「えいきゅう」という名前を耳にしたことはあり、美術館のコレクションなどで作品を目にはしていましたが、どんな作家か深く掘り下げることはありませんでした。
それが日々の仕事で扱うようになり、次から次へと作品が出てくる。
しかも油彩や版画、ドローイングはもちろん、フォトデッサンというものまで技法も様々。その上48歳で亡くなっているということに、「えっ、じゃどのくらいのペースでこの作品たちを制作していたんだよ。」と内心驚くというか、面食らっていました。
でもその作品がどれもチャーミングなんですよね。
もう溢れて止まらないと言わんばかりで、イメージの洪水といった印象でした。

今回の展覧会は、瑛九としてのデビュー前後の24歳から26歳という時代に焦点をしぼり構成されています。
その中でも展示中盤に飾られているコラージュ作品に、惹かれました。
人間の体や顔の部位、果物やオブジェの写真が切り刻まれて、黒い背景の前に新たに組み立てられています。何者かとなったそれらは、まるで宇宙の果てにぽつんと浮かんでいるようでした。現実ではありえない形に変換された女性の体や、もうなんだか分からない塊になっているもの。その作品に「レアル」と名付けた瑛九の気持ちとは、一体どんなものだったのか。

20170206コラージュ作品


20170206_320170206_4


又、紙に描きなぐったようなドローイングも、「こういうの分かるなあ」と勝手に思っていました。
自分もクロッキー帳にこういうことをよくやります。
そこには現実のルールなんか必要ない自由な世界を作りあげることができるのです。

今回作品と同じくらい重要な資料として展示されているのが、瑛九が山田光春に宛てた手紙でした。
人が書いた手紙を覗いてしまうのはちょっと気が引けるなあと思いつつ、瑛九の字が彼のドローイングと同じような線であることに、ふふふとなってしまったり。
絵描きさんには個性的な字を書く人が多いと常々思っていたのですが、それは、文字も紙の上のドローイングと同じだからなんだなあ、とふと思いました。

展示構成の最後は、瑛九の全体像をみる内容です。
中でも晩年の点描画は、光そのものを描いているようです。

20170206_2右の「れいめい」がこんなに美しい作品だったのかと、改めて思いました。


この規模の展覧会としては珍しく立派なカタログも刊行されています。
広くないスペースの展示であるものの、それ故ひとつひとつの作品と向き合うことのできる見応えのある内容でした。
あきば めぐみ

2016東京国立近代美術館「瑛九展」『瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす』
2016年
東京国立近代美術館 発行
147ページ
23.8x16.7cm
税込1,300円 ※送料別途250円


*画廊亭主敬白
風の冷たい日が続いています。やわな亭主かはたまた栄養失調気味のスタッフMを気遣って信州のSさんが野沢菜、ヨーグルト、エリンギ、しめじ、りんご、えのきだけなどをどっさり宅急便で送ってくださいました。
竹橋の瑛九展の会期が残り一週間となりました。首都圏の美術館での瑛九展はしばらくはないでしょうから、ぜひお見逃しなく。
スタッフにも業務命令で展観を促し、それぞれにレポートを書かせました。皆、ときの忘れものに入社するまではほとんど知らなかったようですが、門前の小僧、習うよりなれろですね。
瑛九暦半世紀近い社長はもちろん、亭主も日々作品に触れながら、飽きることがない。新たな出会いがあるたびに、さてこの購入資金をどうやって工面するかと四苦八苦しつつ、「よくぞいらっしゃいました」と感謝せずにはいられません。作家の評価は市場に流通してこそ定着します。ありがたいことに今週も海外から瑛九を求めにお客が来日します。流通するだけのモノ(作品)を遺してくれた瑛九のエネルギーに脱帽です。
盟友オノサト・トシノブの作品を中心に企画した「Circles 円の終わりは円の始まり」展が一昨日終了しました。ご来場いただいた皆さん、お買い上げいただいたお客様たちに深く感謝する次第です。
ありがとうございました。

中村茉貴〜都城市立美術館「瑛九芸術の迷宮へ」その1

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第14回

都城市立美術館
UMK寄託作品による「瑛九芸術の迷宮へ」その1


 今回、訪れた先は都城市立美術館。ついに瑛九のふるさと宮崎県の地を踏む。ここで今、約80点にもおよぶ瑛九の初期から晩年に至る作品が一挙に公開されている。しかも驚くべきことに、この大コレクションは一民間企業「テレビ宮崎(UMK)」が築き上げたものである。

都城市立美術館_01都城市立美術館。暖かい陽気で、冬の冷たい風が心地よく感じた。木の下のベンチには読書をする中学生がいた。


都城市立美術館_021階展覧会の入り口。入場無料。かなりボリュームがある展示なのに申し訳ないという考えもよぎる。年に一度、他館から作品を借用する特別展と市民のために会場を空ける期間があり、その他はコレクション展示が企画されている。


取材に応じてくださった本展の担当学芸員祝迫眞澄氏によると、テレビ宮崎は、瑛九をはじめ地元のゆかり作家の作品を主にコレクションしているということであった。瑛九の作品だけでも全282点寄託があり、今回は額装されている作品87点とテレビ局で保管している33点を特別出品することになった。

都城市立美術館_03左は《人魚》(年代不詳、フォト・デッサン、28.0×22.0)、人魚の周りには魚が集まり、ゆらゆらとなびくワカメや巻貝が装飾的に置かれている。光と闇が交差する海の神秘的な世界を表現している。隣は《バレー》(1947年、フォト・デッサン、26.5×20.5)本作はテレビ宮崎で保管され、今回特別に展示している。(以後、特別出品は[特]と表記する)


都城市立美術館_04左は《サーカス》(制作年不詳、55.6×45.5、フォト・デッサン、[特])画面上で舞う演者8名がそれぞれに異なるポーズをとる。ガラスのコップにガラス棒、大小の輪っかが軽やかなリズム感を与えている。
右は《画題不明》(1948年、フォト・デッサン、44.3×54.6、[特])立膝をつく女性と跪く女性が象徴的に表現されている。《サーカス》と同様に大型な作品(全紙)である。


都城市立美術館_05こちらの壁面に展示されている作品4点は、左から《村》、《鼻高のプロフィール》、《Visiters to a Ballet Performance》、《家・窓・人》である。1979年「現代美術の父 瑛九」展(瑛九展実行委員会、小田急百貨店)の開催を記念して制作された細江英公のスタジオによるリプロダクション。下側にエンボスサインがある。原作は1950年から51年頃の作である。


瑛九展実行委員会編『瑛九展記念 フォト・デッサン』(細江英公スタジオによるリプロダクション 1979年)
10点セットで限定55部。収録作品は次のとおり。
 1. 芝居 
 2. 家・窓・人 
 3. Visiters to a Ballet Performance
 4. 鼻高プロフィール
 5. 森のつどい
 6. 庭
 7. 村
 8. 子供の部屋
 9. コンポジション
 10. ビルの人
 ※オリジナルは次の美術館が所蔵している。
 国立国際美術館:1 / 北九州市立美術館:2, 4, 6, 7, 9, 10 / 宮崎県立美術館所蔵:3, 5, 8

都城市立美術館_06左手前から《森のつどい》[特]、《ビルの人》、《芝居》、《コンポジション》。上記に同じく細江英公スタジオによるもの。右奥は、《画題不明》(年代不詳、板・油彩、22.0×27.3)。印象派風の明るい色調の背景が淡い黄で大胆に塗られている。画面には所々塗り残しがあり、円形や赤い模様、引っかいて描写された部分が見受けられる。意図的に空けられた穴も数か所あり、何か別の形態のものだったことを想像させる。


都城市立美術館_07左から《並木通り》(1941年、キャンバス・油彩、45.5×38.0、左下「H.Sugita」サインあり、[特])。生誕100年記念瑛九展のレゾネでは、山田光春の記録に含まれていなかったものとして掲載されている(No.056)。《庭》(1942年、キャンバス・油彩、左下「H.sugita」の鉛筆サインあり、[特])瑛九の関係者によれば本作の描かれた場所は宮崎高等農林学校の敷地内に広がっていた風景であるという。レゾネのタイトルは、《庭にて》(No.071)


都城市立美術館_08参考資料:宮崎高等農林学校 絵葉書(1918〜1932年発行か)
本校美術部の展示を瑛九は観に行っていた。
1934年宮崎美術協会展で北尾淳一郎(1896-1973)に会い親交を深めるようになる。1930年代のフォトデッサンに移り込むガラス棒(実験器具)は本校で制作に励んだときの作のようだ。北尾は東京帝国大学農学部で学び、1925年から1930年3月まで宮崎高等農林学校で教鞭をとっていた人物である。ドイツ、イタリア、フィンランドでの留学経験を持ち、写真やレコードを聴く趣味があった。1937年銀座ブリュッケにて「瑛九フォトデッサン・北尾淳一郎レアルフォト合同展」を開催している。


都城市立美術館_09《キッサ店にて》(1950年、キャンバス・油彩、左下に「Q Ei」あり、[特])、キュビスム風に構成された作品。テーブルには、グラスとコーヒーカップが並び、二人は会話を楽しんでいるよう。本作は以前、絵の具の剥離が酷く修復している。(レゾネNo.198)。隣は《卓上》(1947年、キャンバス・油彩、515×25.5、[特])縦長の画面に少し違和感を覚えた人もいるだろう。それもそのはず、瑛九にエスペラントを教わったことから親交を深めていた鈴木素直氏によると、完全だったころの作品をみており、長辺1/3くらいが裁断されているという。また、レゾネには天地が逆さまの像が掲載されている。


都城市立美術館_10向かって左から 《バレリーナ》(1950年、紙・水彩、28.0×20.0、左下「Q」のサインあり)、《バレー》(1950年、ガラス・油彩、22.7×15.8、[特])、《バレーの女》(1950年、ガラス・油彩、17.0×12.0)小品でありながらも、多彩な色面構成とスピード感のある筆跡が印象深い。ガラスの支持体を用いることで、バレリーナの繊細かつ華やかなイメージがより一層ひきたっている。この頃、バレーをモチーフにした作品をしきりに描いている。


都城市立美術館_11右から《人魚の恋》(1954年、エッチング、[特])、《背中合わせ》(1952年、エッチング)《夢の精》(1952年、エッチング)。いずれも瑛九のサインやエディションナンバーはない。しかし、どれもインクの載りが良く、図像がはっきりと表れている。


じつは、瑛九のエッチングの魅力は余白にあると私は思う。インクの拭き残しが空気の層となり、幻想的な空間をつくりあげている。インクの濃淡に幅があるために、歓喜も悲哀をも表現できる。他の人物が刷ったものは、その独特な雰囲気が損なわれてしまっているのである。

ところで、瑛九と共著『やさしい銅版画の作り方』(門書店)を出版した島崎清海は、かつて瑛九にエッチングを教わった時のことを次のように述懐していた。島崎氏がエッチングをはじめた頃、何度やっても上手く刷れず、瑛九に教えを請うた。島崎氏が準備した版とインクを使用し、瑛九が刷ると見事に刷れているという。島崎氏もはやる気持ちでそれに続いて刷りはじめると、注意が入ったという。後で振り返ってみると、紙を水に湿らせる工程のとき、瑛九はおしゃべりを長々としていたという。(「生誕100年記念瑛九」展図録、2011年、p.185)

おそらく、そこに正解や間違いはなく、銅版の腐食具合やインクの粘度など他の調整によりいい状態に持っていくことは出来たかもしれない。しかし、瑛九は幾度も試行錯誤をしたエッチングの経験から、島崎氏の版の状態を瞬時に見極め、最善の方法をやってみせた。生前、島崎氏はこの瑛九の「おしゃべり」という、ひと工程をたいへん気に入っていたようで、満面の笑顔で話していた。

都城市立美術館_12右からSCALE気茲蝓圓△ま》(紙・エッチング)、SCALE 兇茲蝓毀襪里燭燭い》(紙・エッチング、[特])、SCALE 靴茲蝓坩Δ硫函奸併罅Ε┘奪船鵐亜法SCALE 靴茲蝓團凜.ぅリン》(紙・エッチング)。


1階の会場展示はここでひと段落し、2階に続く。


***

ちょっと寄道…

瑛九の展示に隣接して、宮崎ゆかりの作家が展示されていたので紹介したい。本展の会場入り口には、平成27年テレビ宮崎が寄託した山田新一(1899 – 1991)の油絵8点も展示されている。

都城市立美術館_13山田新一の作品群。生まれは台北で、幼少期は父親の仕事に伴って、各地を転々としていた。宮崎県の旧制都城中学校に通い、本籍は都城市にあった。東京美術学校西洋画科に入学し、藤島武二に師事。日展や光風会で活躍する傍ら、各地で後進の指導に勤めた。佐伯祐三と親交の深かった人物としても知られる。


都城市立美術館_14美術館前には、山田新一の筆塚がある。緑青のふいたプレートには、頬杖をつく山田新一の像が刻まれている。


都城市立美術館_15こちらは、美術館所蔵の郷土作家のコーナー。左から秋月種樹《梅図》(年代不詳、146.7×67.0、紙本墨画)、山内多門《梅二題》(1917年、141.0×50.8、紙本墨画)、大野重幸《鳥骨鶏》(1976年、91.4×91.6、紙本彩色)、《鳥骨鶏(白)》(年代不詳、144.9×72.7、紙本彩色)。秋月種樹は、瑛九の父杉田直が漢詩を習うなど交流のあった人物。父直(俳号:作郎)は、宮崎県で有数の文化人として名を馳せ、江戸時代の俳諧資料などを含む貴重なコレクションが県立図書館で保管されている。

今回の取材では、都城市立美術館学芸員の祝迫眞澄氏がお忙しい合間をぬって、対応していただいた。この場をかりて感謝を申し上げたい。
なかむら まき


●展覧会のご案内
瑛九芸術の迷宮へ「瑛九芸術の迷宮へ」
会期:2017年1月5日[火]〜2017年2月26日[日]
会場:都城市立美術館
休館:月曜(祝日・振替休日の場合、その翌日は休館)
時間:9:00〜17:00(入館は30分前)
主催:都城市立美術館
入館料:無料


 本展では平成27年度にテレビ宮崎から寄託された瑛九作品を中心に、過去にテレビ宮崎が収集した特別出品作品を加えた、写真や銅版画、リトグラフなど約80点を展示いたします。宮崎ゆかりの美術作品が散逸することを防ぎ、県内の文化・芸術を長く伝え残したいという理念のもと築かれたこのコレクションは、代表的な版画やフォトデッサンに加えて、初期の油彩画やガラス絵など。今までほとんど紹介されていない貴重な作品も含まれています。
 当館は開館以来、瑛九作品の収集と企画展示を行ってきましたが、この度の寄託を機会に、瑛九の画業全体がより広く理解されることとなりました。この展示を通じて、瑛九の自由な時代精神を感じ取っていただければ幸いです。(本展HP「ごあいさつ」より転載)

スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポート

本日の瑛九情報!は、
スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポートです。

 読者の皆様こんにちは。相変わらず寒い日々が続く中、今日から丁度一ヵ月後のArt on Paperへの準備に天手古舞なスタッフSこと新澤です。ここしばらくの記事の出だしはずっとこのような感じですが、来月以降はもう少し落ち着けるハズ…だといいですね。

 先日同じくスタッフの松下さんもレポートされた<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>、ときの忘れものが開廊当時から注力してきた作家とあり、自分も展覧会を見てきました。

瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)
「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館

 画廊に勤めて早6年目の自分ですが、体系立てて美術を学んだ経験はなく、瑛九を知ったのもときの忘れものに勤めてからです。中でも紙の上に型紙やレース生地を置いて感光させ、切り抜きをせずに制作するコラージュであるフォトデッサンは、自分が最初に出会った瑛九の作品であり、晩年の点描よりも「これぞ瑛九」と感じる作品群でもあります。

IMG_4134フォトデッサンの代表作「眠りの理由」シリーズ全10点
ときの忘れもの所有の作品は1点欠けているので(9点)、全10点をご覧になりたい方は是非おでかけを。
手前の展示テーブルには、「眠りの理由」のタトウ、展覧会の冊子や当時瑛九が山田光春に宛てた書簡が展示されています。

 今回の展覧会ではそんなフォトデッサンの代表作にしてデビュー作「眠りの理由」とその他フォトデッサン、そして無数のスケッチ画と少数の油彩画で構成されていますが、それ以上に自分が面白いと思ったのは、瑛九が年下の友人、山田光春に長年にわたり送った手紙の数々です。

 誠に勝手な話ながら、今まで自分は瑛九をステレオタイプな、「才能溢れながらも早逝した画家」として見ていました。線は細く、物静かで、周囲の雑音には耳を貸さずにただ一心に作品制作に取り組み続け、若くして燃え尽きた悲運の作家、等といった印象です。
 実際に書き出すとどこの漫画の登場人物かと言いたくなる人物像ですが、当然のように山田光春に宛てた手紙から見て取れた印象は大きく違いました。

 文中で瑛九は自らを「オレ」と称し、世間の自作品への無理解を嘆き、日本美術界の現状を憂い、明け透けに同時期の海外作家と比較されることに憤っていました。筆跡は流麗とは言い難く、ものによっては文字通り書き殴ったかのような物もありました。時代に寄る言葉の使い方の違いはあれど、まるで酔っ払いの愚痴を聞かされているようだ…という感想は、自分の語彙の貧弱さを差し引いてもそう的外れではないと思っています。今回一般に公開されているとはいえ、元々は私的なやり取りなワケですしね。

IMG_4120瑛九から山田光春に宛てた書簡や展覧会の冊子を展示したテーブルを囲むように当時制作されたドローイング作品が展示されています。

 そんな書簡を展示したテーブルの周りを、山田光春旧蔵のドローイングが囲んでいるのですが、こちらもこちらで妙に刺々しい印象が。ときの忘れものでも瑛九のドローイングやエッチング作品は多数取り扱っていますが、主に50年代のそれらの作品に比べ、30年代後半に描かれた展覧会の作品群は、当時の瑛九の苦悩が反映されているように見えました。

 総じて、日本前衛美術の父としてではなく、そこに至る過程、その更に裏側を垣間見える展覧会だと感じました。作品を通してばかりではなく、限定的ではあるものの、作家の一面を手紙という媒体を通して垣間見ることができる貴重な機会です。

 展覧会は来週の週末まで開催されておりますので、まだご覧になっていない方は是非お出かけ下さい。

(しんざわ ゆう)

瑛九・水彩瑛九「作品」
1954年 水彩 19.0×14.0cm
画面右下に鉛筆サインと年記

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スタッフMの「瑛九展」を見て

本日の瑛九情報は、12月27日の勝見美生のレポートに続くときの忘れもののスタッフたちによる瑛九展観覧記です。日ごろ「えいきゅう、エイキュウ」と亭主に言われ食傷気味の彼らが果たしてどんな感想を持ってくれるでしょうか。

皆さんこんにちは。
ときの忘れもののスタッフ、松下と申します。
さっそくですが、皆様もご存知の通り、ときの忘れものにとって超重要な作家である瑛九の展覧会<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が、東京国立近代美術館で開催中です。

瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館

今回は、スタッフ全員にレポート提出指令が下っため、大急ぎで展覧会を見てきました。
もちろん、ときの忘れものでは「瑛九」という名前を聞かない日は無いので、観ないわけにはいきません。
読者の皆様は、きっと私よりも瑛九について詳しい方々ばかりだと思いますので、駄文になりますがおつきあいください。

20161129_東京国立近代美術館「瑛九展 1935-1937」_14
左から「青の中の丸」「れいめい」

はじめに、私が瑛九を知ったのは、まさに東京国立近代美術館の所蔵品展でした。今回の展覧会にも出展されている瑛九の油彩画《れいめい》が、靉光やクレーなどに囲まれて展示されていたのです。初見の私は「渋い作家だなぁ」と画面を少しだけ覗いて帰りました。それ以降、何度も4階の常設展示室で《れいめい》と遭遇したのですが、私は注視することはありませんでした。瑛九のフォトデッサンを初めて見たのは、ときの忘れものに勤め始めてからです。とても大事な作品があるというので、梱包材で巻かれたマット装の作品をそっと机に広げました。そこには、深海で網に囚われたような人型。たちこめる煙。白く光る鎖のようなもの。黒地に白色のモチーフがゆらゆらと印画紙の中で浮かんでいました。なんだかその場の気温が1度ほど低くなったような、不思議な感覚だったのを覚えています。
その作品が、瑛九『眠りの理由』でした。

qei17-029瑛九
『眠りの理由』より
1936年
フォトデッサン(フォトグラム)
26.3×21.7cm
Ed.40


IMG_4134瑛九
『眠りの理由』(10点組)
from "Reason of Sleep"
1936年
フォトデッサン
*手前の展示台には『眠りの理由』表紙が展示されている。


この展覧会では、フォトデッサンのコンセプトは、機械文明によって移り変わる人々の現実の捉え方の探求であると語られています。つまり新しいリアリティの探求であると。情報化社会になった現代にも通じる考え方です。
瑛九(1911〜1960 本名、杉田秀夫)はとても早熟で、16歳で美術雑誌に評論を発表し始め、25歳でフォトデッサン集『眠りの理由』を刊行しています。そしてエスペラント語という国際語を操っていたといいますから、昔のインテリは、凄まじかったのですね。『眠りの理由』を刊行する6年前からフォトデッサンの試作を行なっていたそうで、逆算すると10代頃から制作に熱を燃やしていたようで恐れ入ります。この『眠りの理由』の試作期間に、瑛九は年齢が一つ下の山田光春に出会っています。瑛九は山田光春との間で、何通もの書簡のやり取りをしているのですが、この書簡が今回の展覧会で展示されています。『眠りの理由』で輝かしいデビューをした彼でしたが、マン・レイとの比較などをうけて、彼は精神を追い込まれていきますが、その葛藤や苦悩を手紙から垣間見ることができます。(1937年4月23日書簡には、「この手紙は読んだら燃やしてくれ」など人間味ある文面ばかり。)

IMG_4120展示室の中心に書簡が置かれ、周囲の壁に作品が並びます。



私は『眠りの理由』刊行前後に注目したこの展覧会で、瑛九の《れいめい》をみたときの印象ががらっと変わりました。彼のフォトデッサンには、美術の技法だけではなく、真のリアルを問う信念が注ぎ込まれていたのです。また山田光春の存在がなければ、こんなにも瑛九の人間味ある生の声は残っていなかったことでしょう。まだ展覧会に行かれていない皆様には、書簡をじっくり読んでいただきたいと思います。ぜひ瑛九の世界をじっくり味わってみてください。
私事ですが、現在私は25歳。
瑛九が『眠りの理由』を刊行した年齢です。これはオチオチしていられません!
新しいレアルを探しに行かねば!

まつした けんた

◆ときの忘れものは「Circles 円の終わりは円の始まり」を開催しています。
会期:2017年1月18日[水]―2月4日[土] *日・月・祝日休廊
201701_Circlesオノサト・トシノブの油彩を中心に、円をモチーフに描かれた作品をご覧いただきます。
出品作家:オノサト・トシノブソニア・ドローネ菅井汲瑛九、高松次郎、吉原治良

「Circles 円の終わりは円の始まり」開催中

画廊では「Circles 円の終わりは円の始まり」を開催中です。
(会期:2017年1月18日〜2月4日)

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Circles展

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本日の瑛九情報!
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先日に続き、画廊コレクションから瑛九の初期スケッチ帖をご紹介します。
qei_146_croquis2_01瑛九
「CARNET CROQUIS」(2)
スケッチブック
全18点の素描
28.5x24.7cm
うち5点に鉛筆サイン、15点にスタンプ印あり
*表紙に「9-Ei」の鉛筆サインあり

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こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(2016年11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆ときの忘れものは「Circles 円の終わりは円の始まり」を開催しています。
会期:2017年1月18日[水]―2月4日[土] *日・月・祝日休廊
201701_Circlesオノサト・トシノブの油彩を中心に、円をモチーフに描かれた作品をご覧いただきます。
出品作家:オノサト・トシノブソニア・ドローネ菅井汲瑛九、高松次郎、吉原治良

福井県勝山の中上光雄・陽子ご夫妻と瑛九

東京国立近代美術館で<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が開催されています(2016年11月22日〜2017年2月12日)。
外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信していますが、お読みになっている人たちは瑛九のファン(支援者たち)が故郷宮崎や東京のみならず、遠く山形県酒田や、福井県に広く存在していることに驚かれたのではないでしょうか。

瑛九に関連して私たちが最もお世話になったのが福井県勝山の中上光雄・陽子ご夫妻でした。
最晩年の点描大作はほとんどが公立美術館に収蔵されていますが、中上ご夫妻は点描大作を含む瑛九の有数のコレクターでした。
ご夫妻のことについては、亭主の駄文「台所なんて要りませんから」をお読みいただければ幸いです。

福井県には木水育男(鯖江市)を中心に、原田勇、中村一郎(勝山市)、堀栄治(大野市)、谷口等(福井市)などの教師たちが熱心に瑛九の作品をコレクションし、またその普及につとめました。亭主にとっては大先輩の諸氏は既に全員が鬼籍に入られています。
福井瑛九の会の面々がいかに熱心だったか、それは現存する(であろう)油彩作品約600点のうち、1970年代には約100点が福井にあったことでもおわかりになると思います。
瑛九の謦咳に直に接した第一世代のあと、それらの人たちの夢を引き継いだのが荒井由泰さんたちの「アートフル勝山の会」であり、「大野市玄関に子供の絵をかける会」でした。

福井県には美術館もありますが、不思議なことに瑛九をコレクションしてきたわけではありません。県立美術館にようやく瑛九の作品が中上家からの寄贈という形で収蔵されたのはつい数年前です。

福井県勝山市の医師として活躍する傍ら、現代美術を熱心に蒐集し続けた中上光雄先生がお亡くなりになったのはちょうど2年前の2015年1月27日、福井県立美術館で中上コレクションが公開中の訃報でした。
20150103中上コレクション展 表
福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み
―中上光雄・陽子コレクションによる―

会期:2015年1月3日[土]〜2月8日[日]
主催:福井県立美術館

20150103中上コレクション展 裏
出品作家:北川民次、難波田龍起、瑛九、岡本太郎、オノサト・トシノブ、泉茂、元永定正、 木村利三郎、丹阿弥丹波子、吉原英雄、靉嘔、磯崎新、池田満寿夫、野田哲也、関根伸夫、小野隆生、舟越桂、北川健次、土屋公雄(19作家150点)

19951027_イソザキホールにて下中央から時計回りに、中上光雄、荒井由泰、荒井多恵子、中上陽子、綿貫令子、浪川和江、綿貫不二夫
1995年10月
撮影:浪川正男

IMG_3403_600中上邸イソザキホール
撮影:マイク・ヨコハマ 2014年

既に陽子夫人が亡くなり、ご自身も病床にあった中上先生のコレクションについては、ご家族の依頼でときのわすれものがお手伝いして、「福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―」という展覧会が実現しました。

このときは東京、岩手、新潟、京都などのお客様たちと「現代美術と磯崎建築〜北陸の冬を楽しむツアー」を企画しました。
勝山市という人口3万人にも満たない山間の小都市には磯崎新先生設計の小住宅が二つもあり、さらに黒川紀章設計の恐竜博物館もあります。
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磯崎新設計
中上邸イソザキホール外観
1983年竣工
撮影:古舘克明

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磯崎新設計
中上邸イソザキホール内観
1983年竣工
撮影:古舘克明

展覧会終了後、中上家から福井県立美術館に瑛九作品などが寄贈されました。

中上コレクションの素晴らしさ、お住まいだった「中上邸イソザキホール」については、ツアーに参加された皆さんのレポートをお読みください。

●石原輝雄「現代美術と磯崎建築〜北陸の冬を楽しむツアー」に参加して〜その1

●浜田宏司「現代美術と磯崎建築〜北陸の冬を楽しむツアー」に参加して〜その2

●酒井実通男「現代美術と磯崎建築〜北陸の冬を楽しむツアー」に参加して〜その3

40年以上、私たちを支えてくれた中上光雄先生と陽子夫人のご冥福をあらためてお祈りいたします。

NC_cover_600『福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―』図録
2015年 96ページ 25.7x18.3cm
発行:中上邸イソザキホール運営委員会(荒井由泰、中上光雄、中上哲雄、森下啓子)
出品作家:北川民次、難波田龍起、瑛九、岡本太郎、オノサト・トシノブ、泉茂、元永定正、 木村利三郎、丹阿弥丹波子、吉原英雄、靉嘔、磯崎新、池田満寿夫、野田哲也、関根伸夫、小野隆生、舟越桂、北川健次、土屋公雄(19作家150点)
執筆:西村直樹(福井県立美術館学芸員)、荒井由泰(アートフル勝山の会代表)、野田哲也(画家)、丹阿弥丹波子(画家)、北川健次(美術家・美術評論)、綿貫不二夫(ときの忘れもの)
編集:ときの忘れもの

価格:1,200円 ※送料別途250円
ときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。

瑛九 ペン素描
瑛九《作品
1959年
ペンデッサン
イメージサイズ:28.5×18.0cm
シートサイズ:35.1×24.9cm
ペンサインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


◆ときの忘れものは「Circles 円の終わりは円の始まり」を開催しています。
会期:2017年1月18日[水]―2月4日[土] *日・月・祝日休廊
201701_Circlesオノサト・トシノブの油彩を中心に、円をモチーフに描かれた作品をご覧いただきます。
出品作家:オノサト・トシノブソニア・ドローネ菅井汲瑛九、高松次郎、吉原治良

tokinowasuremono
緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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