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スタッフSの「金子隆一ギャラリートーク」レポート

スタッフSの「金子隆一ギャラリートーク」レポート

 読者の皆様こんにちは、この度慣れ親しんだ青山より画廊が移転することとなり、引っ越しのあれこれを考えると憂鬱になりつつも、新天地を思い年甲斐もなくウキウキしております、スタッフSこと新澤です。

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 普段は展覧会半ば、或いは最終日前後に開催するギャラリートークですが、今回は月末にギャラリーコンサートが控えていたこともあり、「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」初日に開催することと相成りました。既に過去に二回、「中藤毅彦写真展 Berlin 1999+2014」と「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」のギャラリートークにご出演いただき、最早ときの忘れもので写真について語っていただくのはこの方しかおられない(と、スタッフSは勝手に思っている)写真史家・金子隆一先生に、ひょんなことから画廊で取り扱うこととなった、珍しい植田正治作品についてお話しいただきました。

RIMG0304 恒例、亭主の前語り。
 今回のお題は今展覧会の開催経緯について。さるお客様より持ち込まれた植田作品の数々ですが、その来歴からサインされていないものが多数。ですが、もしご存命ならばツァイトフォトの石原氏に話が行ってもおかしくないものばかり。早々に画廊内だけの判断は無理と結論し、金子先生にご出馬願うことに。

 金子先生は複数の植田正治写真集の出版に関係されており、こちらもときの忘れものが大変お世話になっている飯沢耕太郎先生と共に去年の12月に出版された「植田正治作品集」にも監修として参加されています。この作品集は特徴として、掲載内容をプリントの実存が確認されている作品に限らず、雑誌等に掲載された作品をベースとして選ばれています。今回展示した作品もその中に含まれていますが、驚くべき事に、編集時にプリントの現存が絶望視され、雑誌に掲載された画像を撮影した作品が、非常に良好な状態であっさりウチに入荷されていることが判明しました。他にも構図は同じものの、左右が反転している作品もあり、それはミスではなく、元々掲載されていた冊子の構成に逆らわないように構図を調整した結果であること等を教えていただきました。

RIMG0318 写真雑誌、特に日本のそれが半ば観光雑誌ともいえる特異性を持ち、1960年代の植田正治が所謂「有力な地方作家」と見做されていたことを説明する傍ら、作品集の編集時に集められた資料を回覧。

 今回最も自分の興味を惹いたのは、昨今美術写真としてモノクロ写真がカラー写真よりもてはやされている理由が、作風だけではなく社会インフラも関わっているというお話でした。後発の技術であるカラー写真は当初白黒写真よりも手間暇が必要とされる分野でしたが、1970年代には技術の発展に伴い一般においてカラー写真の方が簡単、安価に大量のプリントが処理できるようになりました。結果として一般人が気軽に、自分でも撮影できるカラー写真と、手間暇がかかる玄人志向のモノクロ写真という棲み分けが確立したということです。また、2014年の4月に開催した「百瀬恒彦写真展―無色有情」のギャラリートークで写真家・百瀬恒彦さんは現在でも個人単位ではカラー現像よりモノクロの方が簡単と言われており、その辺りの労力の差も写真屋任せの一般人と、現像まで自分でこなす作家でカラーとモノクロが分かれた理由なのかと思い返してみたり。

 今回のギャラリートークでは建築評論の植田実先生、奈良原一高先生の夫人の恵子さん、写真家の五味彬先生、植田正治事務所の増谷寛さん、国立美術館や大学の研究者の皆さんなどなど、何時にもまして豪華な面々が来廊され、青山での最後のギャラリートークを飾るに相応しい盛況ぶりでした。

RIMG0344建築評論の植田実先生
RIMG0360奈良原一高先生の夫人の恵子さん(右)
RIMG0340写真家の五味彬先生
RIMG0335植田正治事務所の増谷寛さん

 本日のギャラリーコンサートを持ちまして青山CUBEでのイベントは全て終了します。
 とはいえ画廊の場所が変わったくらいで亭主のイベント好きが収まるハズはありませんので、そう遠くない内にまた何かしら告知することとなると思われます。

 どうぞ今後ともお付き合いいただけますよう、宜しくお願い申し上げます。

RIMG0365

(しんざわ ゆう)

◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。
本日夕方6時からギャラリーコンサートを開催します(既に満席)。6時以降は予約者以外は入場できません。

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第15回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第14回

 今回は趣向を変えて、過去に書いた文章をご紹介したいと思います。
 幼い頃の山に関する出来事で、私がこれまでもっとも繰り返し書いてきた事柄は「スガリ」についてです。地蜂を食する文化が長野県にはあるのですが、私の生まれ育った八ヶ岳の裾野も例外にもれず、それを食べます。俗に「蜂の子」と呼ばれるものです。そもそも「スガリ」の語源は巣狩と思われますが、確かなことはわかっていません。ちなみにイナゴも日常的に食べます。
 繰り返し同じ事柄を書く。私はこのことを意識してやっています。同じことを再び書くことに当初は大きな抵抗がありました。新鮮味はないし、何より二番煎じではないかという思いがあったからです。
 でも、ある著名な小説家で、私より4つほど年上の方(あえてお名前はだしません日本人です)が、「自身にとって大切なことは、時に触れ、何度でも繰り返し書くべき。年齢によって、その意味、理解の濃度と深度は変わっていくから」という意味のことを書かれた文章を読み、多いに影響をうけ、同時に「繰り返し書いてもいい」ことに気がつき、背中を押されもしました。
 それから時折、私は記憶をたどりながら、「スガリ」をできるだけ別の方法で改めて書くことにしています。
 今回は、昨年の春(2016)に『文學界』(2016年5月号・文藝春秋)に発表しました中編小説「山人」のなかから、引用してみたいと思います。最新の「スガリ」の文章です。小説なのであくまで、架空の人物が登場します。東京生まれ東京育ちの主人公の少年が、両親を急に亡くし、父方の祖父母の元に引き取られ、そこで新たな生活を始めるといったストーリーです。
 少し長いですが、お読みください。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 昨日、じいちゃんとぼくは一緒に田んぼに行って、二匹のトノサマガエルを捕まえた。二匹ともプラスチックの虫かごに閉じ込め、ぼくの手の中にある。ときどきなかでカエルが跳ねる。そのたびにぼくは立ち止まって虫かごを両手でつつむ。もし、カエルが逃げてしまったら、スガリができなくなるからだ。
 じいちゃんがトノサマガエルを捕まえるさまは、手品でもみせられているようだった。糸の先の釣り針に器用にトンボをつけ釣竿をゆすると、トンボがまるで飛んでいるかのように土手と稲のあいだ、水面近くをふらふらとゆれた。しばらく繰り返していると、黒々としたものが水面から突然、勢いよくトンボめがけて飛びだした。じいちゃんが持った釣竿の先端が激しく上下に揺れた。釣り糸がきらきらと光って、次の瞬間、じいちゃんの手のなかにカエルが収まっていた。じいちゃんが閉じた手のひらをゆっくりと開くと、緑と黒の濡れた肌が見えた。黒い目も見えた。指のあいだから、後ろ足がにゅっと出たので驚いた。
「これがオウゲエロだ」
(略)
 じいちゃんは魚籠から取り出したビニール紐で、近くの木の枝にカエルの足を縛りつけた。カエルは力なげに両手をだらりと垂らしている。さらにベルトにつけた革のケースからナイフを出すと、刃をカエルの背中にすっと走らせた。次にその切り口に指を入れ、こじ開けるように皮をはぎ出した。お尻の方から頭の方へ指を滑らせる。魚をさばくみたいに見えた。器用だ。きれいに皮が剥けた。鶏肉を連想させた。そのあとで、カエルの身体のあちこちにナイフで切れ目のようなものを入れていった。そのあとでぎゅっと一度握ると血が吹き出した。家の祖先はカエルじゃなかったのか。
「始めるぞ」
 血の匂いで蜂が来る。そのことは知っている。でも、こんなに残酷なことをする必要なんてあるのだろうか。
「なんか文句でもあるだか? じいちゃんも、父ちゃんに教えてもらっただ」
 じいちゃんはあごをあげ、その姿勢のまま、じっと動かない。飛んで来る蜂を待っているようだった。
 十五分ほどたっただろうか。驚いたことに吊るされたカエルをめがけて蜂がやってきた。最初は注意深くカエルの周りをぐるぐると飛んでいたけど、やがてピタリとカエルの背中にとまった。
 なにも匂ってなどいない。ぼくにはわからないそれが、どうして蜂にはわかるのか。じいちゃんにも、嗅ぎ分けられるのか。地蜂はどれほど遠くからこの臭いを嗅ぎつけたのだろうか。ぼくも上を向いた。ゆっくりと回れ右をするようにぐるりと一周してみた。カエルと蜂とじいちゃんはこうして目には見えないものでつながっているのに、ぼくだけが、誰とも、どこともつながっていないのではないか。
 カエルにとまった蜂に、じいちゃんがそっと親指を近づけた。蜂はおとなしく爪の先に乗った。爪の上にはあらかじめナイフでマッチ棒の先ほどの大きさに切られたカエルの肉片が乗っている。肉片には真綿がつけられている。先を縒って器用に結んであるのだ。それもまたあっという間につくった。
 じいちゃんはじっと動かない。ぼくも黙って地蜂を見つめた。蜂はおそるおそるという感じに肉片を抱えた。かすかな羽音を立て、やがて空中に舞った。ぐるりとじいちゃんとぼくの頭の上に円を一度描くと、迷わず沢の上流の方向へ、真綿の白が遠ざかっていった。
(略)
 じいちゃんはどこまで行ったのだろうか。沢をそのまま上がっていったのか。自分がどうすればいいのかが、わからない。カエルが吊るされた場所へ戻るべきか。きっとそうすべきだろう。じいちゃんもそこに戻ってくるのだから。このまま斜面を下り、沢に沿って歩けば戻れるだろう。ぼくは足元を見る。自分が歩いて来た足跡はない。
 あの舌がだらりと垂れた血だらけのカエルが吊るされた場所で、じいちゃんを待つことがどうしようもなく恐ろしく感じられた。でもここにいても仕方がない。歩きだすと、何度も転んだ。そのたびに手のひらは泥だらけになり、爪の先にもそれがつまった。藪をかきわけようとした時、棘で左手の中指をざっくりと切った。
 戻ってきたじいちゃんに中指を切ったことを訴えると「つばでもつけとけ」と相手にされなかった。「泥がついているから、なめられない」と言い返すと「だったら頭を使え」と沢を指差した。「水道の水じゃなきゃ、やだ」なんて言ったら、怒鳴られることはわかっていた。でも、そんな水で傷を洗いたくはなかった。ぼくは代わりにじいちゃんを睨んだ。
「そういうやつは、とっととけえれ、性悪はいるだけで邪魔ずら。だで都会育ちはダメだ」
 じいちゃんはカエルの方に背を向けた。
 太陽が頭の真上を通りすぎた頃、じいちゃんは立ったまま、ばあちゃんが作ってくれたおにぎりを食べた。じいちゃんもぼくも時計を持っていないので、正確な時間はわからない。じいちゃんは不機嫌そうで、ほとんど何も口にしなかった。ぼくも同じように立ったまま食べた。食べ終わると、じいちゃんは虫かごに入れていたもう一匹のカエルを潰した。一匹目のカエルは乾き始め、もう血の匂いがしなくなったからだ。ぼくはその姿をぼんやりと見つめた。じいちゃんがゆっくりと動物に姿を変えていくような気がした。
 日が傾きだした頃、迷ったのだけど、
「ぼくもやりたい」
 と告げた。このままでは帰れないと思ったし、何よりじいちゃんを見返してやりたかった。
「そうか、やってみろ」
 駄目だ、と言われる気がしたので意外だった。
 見よう見まねで左手の親指の先にじいちゃんと同じように蜂を乗せた。じいちゃんの視線を感じ、緊張した。指先が震えていた。どういうわけか蜂は肉を握ろうとはせず、指の上をゆっくり甲の方に歩いてきた。蜂にからかわれているような気がした。怖くなって思わず手を振り払った。次の瞬間、手首の内側に鋭い痛みが走った。
「刺された!」
 じいちゃんはぼくの手を掴み、いきなりくわえた。硬い。吸いだした。
「しょんべんをかけろ、アンモニア消毒だ。自分のをかけろ」
 手首を見ると、赤く腫れ上がっていた。蜂に刺されたからなのか、じいちゃんが勢いよく吸いついたからなのか判別がつかなかった。混乱した。
「ほれ、めたしろ」
 自分のそれが効くとはとても思えなかった。
「……じいちゃんのをかけてほしい」
 とっさに答えた。じいちゃんは「めたしろ」とまた言った。ぼくは大きな声でもう一度言った。
「じいちゃんのがいい」
 すると、じいちゃんは迷うことなく、ぼくの左手を股間にもっていった。大げさなほどしぶきがあがって、じいちゃんのズボンに無数のシミをつくった。ぼくのシャツにも顔にもそれは跳ね返った。温かく、心地よかった。いままで何度も蜂に刺されたのに生きているじいちゃんのおしっこなのだから、毒など簡単に流れ去ってしまうだろう。
(略)
 じいちゃんはどれほどカエルが吊るされた木と藪の先を、行ったり来たりしたのだろうか。三、四十回ほどだろうか。
「見失った、くそ」
 吐き捨てるように、毎回そう言いながら戻ってきた。そのときまでには大抵、吊るされたカエルに地蜂が数匹留まっていた。だから休む間もなく、祖父は次の蜂に真綿のついた肉片を持たせ、地蜂が空中に舞い上がると、あっという間にまた藪のなかに消えていった。
 一日中追い続けたからといって、必ず巣が見つかるとは限らない。いや、見つからないことの方が多い。夕方、じいちゃんも諦めかけていたのだろう、「あと二回だけ」と力なく言って、藪のなかに消えていった。やがて、「見つけたぞ」と興奮気味に声を上げながら、戻ってきた。ぼくに抱きつかんばかりだった。
 手には何も持っていなかった。不思議に思って訊くと「目印をつけてきた」と言った。他人が見ても目印だと思わないもの、つまり木の枝をつかって自分にしかわからない目印をつくったという。以前のように巣をすぐに獲らないのは、相当にわかりにくい場所なので「ぜってえ誰かに獲られる心配はねえぞ。だで、巣が大きくなる秋までこのまま太らせる」のだという。
 やはり動物に近い。普段は隠している動物の本能が目を覚まし、こぼれ出している。それが匂った。なのに、じいちゃんは気がついていない。ぼくはじいちゃんをまじまじと見上げた。これから先、自分にそんなものが備わるなどとは、到底思えなかった。初めてうらやましく思った。
 
―――――――――――――――――――――――――

 小説はここまでです
 文章のなかの幾つかのことは本当にあった出来事です。私はその地で生まれ育ちましたが、初めて父と祖父に連れていってもらった「スガリ」の体験は強烈な記憶としていまも残っています。父と祖父が、突然、野性に目覚めたような、そこへ帰っていくような、あるいは別の動物になっていくような恐ろしさを何よりも感じました。
 この独特の「スガリ」の方法を、いつ誰が編み出したのか。知る術もありませんが、先人が考え出した原始的な方法で蜂の巣を見つける。そのことに驚きもしました。
 次回も、また別の小説に書いた同じく「スガリ」の場面をご紹介したいと思っています。地元で生まれ育ち青年になった男たちが、久しぶりに再会し同窓会的に「スガリ」をする話です。

01小林紀晴
「Winter 13」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160319_kobayashi_05_work小林紀晴
〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

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会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

植田正治写真展開催中

ときの忘れものでは「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催中です。
出品リストはコチラをクリックしてください。

昨日の金子隆一先生のギャラリートークは雨にも関わらず、多くの方々にご参加いただきありがとうございました。
山口や栃木など遠方からのお客様をはじめ、写真のコレクター、建築評論の植田実先生、奈良原一高先生の夫人の恵子さん、写真家の五味彬先生、植田正治事務所の増谷寛さん、国立美術館や大学の研究者の皆さんなどなど、錚々たるメンバーが集まり、熱気あふれるひとときでした。
尚、本日(日曜)と明日(月曜)は休廊です。
01


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右から、
出品No.9《作品名不詳》
出品No.7《昏れる頃 3》
出品No.6〈童暦〉より《白い道》

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右から、
出品No.2《浜の少年》
出品No.3《パパとママとコドモたち》
出品No.4《砂丘ヌード》
出品No.5《砂丘ヌード》

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右から、
出品No.14《光の筺》
出品No.15〈幻視遊間〉より

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06

右から、
出品No.11〈白い風〉より
出品No.10〈白い風〉より
出品No.12〈白い風〉より
出品No.13《作品名不詳》

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右から、
出品No.1《都会》
出品No.8《作品名不詳》

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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆ときの忘れものは「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催しています。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」2017年5月13日(土)〜5月27日(土)

訃報です。
ときの忘れものでも幾度か展覧会を開いていただいた作家の舟越直木さんが亡くなりました。1953年生まれですから亭主よりも8歳も若い、これからもっともっと活躍してほしかったのに残念です。
謹んでご冥福をお祈りします。

〜〜〜

ときの忘れものは「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催します。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM

2008年11月の「植田正治写真展 -砂丘劇場」以来、9年ぶりの植田正治展です。
昨年、縁あって植田正治作品をまとめてコレクションすることができました。専門家である金子隆一先生、植田正治事務所の増谷寛さんらに見ていただき、データの調査、カタログ制作等に一年近くを費やし、ようやくその一部を公開できる運びとなりました。
今まであまり知られることの無かったカラー写真が多く、今後数年をかけて、順次公開、頒布してゆきたいと考えています。
第一弾となる13日からの<Part I>では、1935年の初期名作「都会」から、晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。
出品リスト(価格入り)をご希望の方は、「件名(植田正治展リスト希望)」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
今まで販売される(コレクションできる)機会の少なかったカラー写真ですが、(破格の)お求めやすい価格でご案内します。ぜひこの機会に、植田正治作品をコレクションしてください。
初日には間に合いませんが、カタログも鋭意編集中です(テキスト:金子隆一)。

●イベントのご案内
5月13日(土)17時より、写真史家の金子隆一さんによるギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com

●出品作品のご紹介
20植田正治
《都会》
1935年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 12.9×11.1cm
Sheet size: 17.9×13.0cm
*『植田正治作品集』(2016年、河出書房新社) P10参照
初出=『写真サロン』(1935年11月号 第33回月例懸賞A 部特選)

ueda_13_hama_no_shonen植田正治
《浜の少年》
1931年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 20.2×30.1cm
Sheet size: 27.8×35.5cm
サインあり

ueda_01_papamama植田正治
《パパとママと子供たち》
1949年(Printed Later)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 20.0×28.3cm
Sheet size: 23.8×32.5cm
サインあり
*『植田正治のつくり方』(2013年、青幻舎)No.79 参照

ueda_06_sakyu-nude_3植田正治
《砂丘ヌード》
1950年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 23.7×21.7cm
Sheet size: 30.3×25.2cm
サインあり

ueda_08_sakyu-nude_5植田正治
《砂丘ヌード》
1950年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 24.2×21.7cm
Sheet size: 30.3×25.3cm
サインあり

ueda_15_dowa_yori植田正治
〈童暦〉シリーズより《白い道》
1955年-1970年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 20.1×31.2cm
Sheet size: 27.7×35.6cm
*『植田正治作品集』(2016 年、河出書房新社)No.102参照

ueda_12_tasogare植田正治
《昏れる頃 3》
1974年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 14.7×22.4cm
Sheet size: 20.2×25.6cm
サインあり

04植田正治
《作品名不詳》
1970年代〜80年代前半
ゼラチンシルバープリント、木製パネル
Image size: 40.6×28.0cm
Panel size: 53.2×42.9cm

21植田正治
《作品名不詳》
ゼラチンシルバープリント
Image size: 9.5×12.0cm
Sheet size: 13.0×18.0cm

22植田正治
〈白い風〉より
1970年代〜80年代前半
Type-Cプリント
Image size: 7.4×10.9cm
Sheet size: 8.2×11.7cm

07植田正治
〈白い風〉より
1970年代〜80年代前半
Type-Cプリント、木製パネル
Image size: 22.0×32.6cm
Panel size: 41.5×52.0cm

05植田正治
〈白い風〉より
1970年代〜80年代前半
Type-Cプリント、木製パネル
Image size: 22.0×32.6cm
Panel size: 41.5×52.0cm
サインあり

06植田正治
《作品名不詳》
1970年代〜80年代前半
Type-Cプリント、木製パネル
Image size: 22.0×32.6cm
Panel size: 41.5×52.0cm

19植田正治
《光の筺》
1994年
Type-Cプリント
Image size: 24.2×35.5cm
Sheet size: 25.3×36.3cm
*『植田正治 印籠カメラ寫眞帖』(2011年、青幻舎)P120参照

ueda_20_sakuhin植田正治
〈幻視遊間〉より《作品》
1992年
Type-Cプリント
Image size: 35.6×43.0cm
Sheet size: 35.7×43.1cm
Ed.3   サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆4月29日(土、祝日)から始まる連休中・日曜・月曜・祝日は休廊です(暦通り)。
5月2日(火曜)と6日(土曜)は開廊。連休明けは明日5月9日(火曜)から営業します。

写大ギャラリーでロベール・ドアノー写真展「ドアノーのパリ劇場」2017年4月17日〜6月11日

写大ギャラリーでロベール・ドアノーの写真展が開催されています。

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ロベール・ドアノー写真展「ドアノーのパリ劇場」
―写大ギャラリー・コレクションより―

会期:2017年4月17日[月]〜6月11日[日]
会場:東京工芸大学 写大ギャラリー
   〒164-8678 東京都中野区本町2-4-7
   東京工芸大学中野キャンパス・芸術情報館2階
   TEL:03-3372-1321(代表)
時間:10:00〜20:00
会期中無休・入場無料
モノクロ写真作品約40点を展示

写真教育の“創造的現場”として、1975年開設された写大ギャラリーは、海外の著名写真家の日本における初個展をはじめとして、数々のユニークな写真展を開催してきました。
写真展期間中には、その作家を招聘して学生への授業だけでなく、一般公開しているギャラリー・トークも開催しています。また、ギャラリーは写真展の開催だけでなく、国内外の写真家の貴重なオリジナル・プリントを1万点以上コレクションし、展示や研究にと活用しています。
日本のみならず海外でも“SHADAI GALLERY”として知られているユニークなギャラリーです。(写大ギャラリーHPより転載)

「レンズは主観的だ。この世界をあるがままに示すのではない。私が気持ちよく感じ、人々が親切で、私が受けたいと思うやさしさがある世界だ。私の写真はそんな世界が存在しうることの証明なのだ。」
自作についてこのように語ったロベール・ドアノーは、パリの街や郊外において、一般市民の混沌とした日常生活のなかで起きる、予想できない奇跡的な瞬間をユーモアと情念を持って撮影し続けます。
街の中の人物、建物、背景などを前に「感嘆する瞬間」が訪れるのを忍耐強く待ち、カメラにおさめたのでした。
1994年に亡くなったロベール・ドアノーは市井の人々のかけがえのない一瞬や、心に沁み入る瞬間をとらえる類希な洞察力によって、日常のドラマを写真に紡ぎ、独自の世界を築いた写真家として、時代や国境を越えて、人々を魅了し続けています。代表作《パリ市庁舎前のキス》(1950年)は、世界で最も良く知られた写真の一枚でしょう。
生涯で約45万点のネガを残しましたが、近年は、その膨大なアーカイヴから、様々な新機軸による展覧会・出版によってますます評価が高騰しています。

本展は、写大ギャラリーがコレクションするオリジナルプリントの展覧会です。
ドアノーの作品を「こども」「パリ郊外」「街」「物陰のパリ」「恋人たち」「芸術家」の6つのテーマに沿って選び、構成されています。

ロベール・ドアノー Robert Doisneau(1912-1994)
1912年パリ郊外のジョンティイ生まれ。印刷会社でリトグラフの仕事を経験後、1931年写真家に転向。1934年ルノー自動車で広告、工業写真家として勤務し、1939年に独立するが、すぐに召集を受ける。パリ陥落後はレジスタンス活動に加わる。戦後は1946年にラフォ通信社に参加し、フリー写真家として「パリ・マッチ」などのフォトジャーナリズム分野で活躍。一方、1948年から1952年まではファッション誌の「ヴォーグ」の仕事も行う。
パリの庶民生活をエスプリを持って撮影し、もっともフランス的な写真家として根強い人気がある。1947年にコダック賞、1956年にニエペス賞を受賞。また、シカゴ美術館(1960年)、フランス国立図書館(1968年)、ジョージ・イーストマン・ハウス(1972年)をはじめ世界中の主要美術館で回顧展が開催されています。1994年、歿。

●ときの忘れもののコレクションからロベール・ドアノーの作品をご紹介します。
01doisneau_04_kyabareロベール・ドアノー
"L'ENFER"
キャバレー地獄

1952年
ゼラチンシルバープリント
35.0×24.5cm
サインあり


09doisneau_06_Un-regard-obliqueロベール・ドアノー
"Un regard oblique"
斜めの視線

1948年撮影(1978年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:33.5x37.7cm
シートサイズ:50.7x60.8cm


02doisneau_05_La-stricte-intimiteロベール・ドアノー
"La stricte intimite"
厳粛な関係

1945年撮影(1977年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:37.5x34.0cm
シートサイズ:44.0x40.0cm


03doisneau_07_Les-cantinieres-be-la-foiロベール・ドアノー
"Les cantinieres be la foi"
1950年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:24.0x27.2cm
シートサイズ:30.5x40.5cm
サインあり


04doisneau_10_Creature-de-reveロベール・ドアノー
"Creature de reve"
夢の想像物

1952年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:38.5x32.5cm
シートサイズ:60.5x50.5cm


05doisneau_11_La-palme-de-Picassoロベール・ドアノー
"La palme de Picasso"
1952年撮影(1977年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:22.3x34.0cm
シートサイズ:30.5x40.3cm
サインあり


06doisneau_12_Le-ptit-balconロベール・ドアノー
"Le ptit balcon"
かわいいバルコニー

1953年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:24.0x34.5cm
シートサイズ:30.3x40.5cm
サインあり


07doisneau_13_Les-bouchers-melomanesロベール・ドアノー
"Les bouchers melomanes"
音楽狂の肉屋

1953年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:29.5x40.0cm
シートサイズ:40.0x50.5cm


08doisneau_14_Jacques-prevertロベール・ドアノー
"Jacques prevert"
ジャック・プレヴェールのいる街角

1955年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:29.0x23.2cm
シートサイズ:40.3x30.5cm


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆4月29日(土、祝日)から始まる連休中・日曜・月曜・祝日は休廊です(暦通り)。
5月2日(火曜)と6日(土曜)は開廊。連休明けは5月9日(火曜)から営業します。

◆ときの忘れものの次回企画は「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」です。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など約15点をご覧いただきます。どうぞご期待ください。
●イベントのご案内
5月13日(土)17時より、写真史家の金子隆一さんによるギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第52回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第52回

04
(画像をクリックすると拡大します)

止まると翅を閉じるのが蝶、開いたままなのが蛾、という見分け方は果たして正しいだろうか。

ちょっと胡散臭い気もするが、子どものころはそうやって見分けたものである。目の前をひらひらと舞っている蝶か蛾かわからぬものが、どこかに降りた瞬間、翅を閉じているか開いているかに注目する。
蝶だとうれしく、蛾だとがっかりさせられた。
明らかに蝶のほうがランクが上だった。

その見分け方に従えば、写真に写っているのは、蝶である。
翅が閉じている。前脚をちょんと付き、触覚をピンと上げている。

触覚を動かす音が聞こえそうなほど、静かな写真である。
蝶のほかにだれもいない。見ているものの息をひそませるほどの静寂が支配している。
ふと蝶のしたに影があるのに気付く。
体をどけたら何の影なのかわからないような奇妙なかたちの影が、孤独を感じさせる。

蝶には儚く、か弱いイメージがある。
薄い翅、もげそうな脚、翅の動きを支えるには小さすぎる胴体。
この蝶も、よく見ると翅の端が破れている。鱗粉もはげ落ちて模様も鮮明ではないだろう。
生まれ立てではなく、寿命が尽きる手前の蝶なのだ。

それにしても、この蝶はどういう場所にいるのか。
背景の黒いものは何なのか。
いったいどのくらいの大きさの蝶なのか。

これらの疑問を解く手がかりを、写真は一切与えてくれない。
状況については黙秘するつもりなのだ。
告げたいことはただひとつ。
蝶がたったいま舞い降り立った、とそれだけなのである。

とても広い場所のような印象を受ける。
前脚の前にぼんやりと浮かぶ縦線が奥行きをもたらし、遠い地平線を望んでいるような感覚にもなる。

広大無縁な土地を、なにも頼るものなく進んでいく蝶。
強さや逞しさとは無縁の、いのちの囁きのようなもの。
触覚と前脚のシルエットに生きている瞬間が凝縮されている。

大竹昭子(おおたけあきこ)

〜〜〜〜
●紹介作品データ:
植田正治
1970年代〜80年代前半
ゼラチンシルバープリント、木製パネル
Image size: 40.6x28.0cm
Sheet size: 53.2x42.9cm

5月13日(土)〜5月27日(土)までときの忘れもので開催する「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」に出品します。

植田正治 Shoji UEDA(1913-2000)
1913年、鳥取県生まれ。15歳頃から写真に夢中になる。1932年上京、オリエンタル写真学校に学ぶ。第8期生として卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。この頃より、写真雑誌や展覧会に次々と入選、特に群像演出写真が注目される。1937年石津良介の呼びかけで「中国写真家集団」の創立に参加。1949年山陰の空・地平線・砂浜などを背景に、被写体をオブジェのように配置した演出写真は、植田調(Ueda-cho)と呼ばれ世界中で高い評価を得る。1950年写真家集団エタン派を結成。
1954年第2回二科賞受賞。1958年ニューヨーク近代美術館出展。1975年第25回日本写真協会賞年度賞受賞。1978年文化庁創設10周年記念功労者表彰を受ける。1989年第39回日本写真協会功労賞受賞。1996年鳥取県岸本町に植田正治写真美術館開館。1996年フランス共和国の芸術文化勲章を授与される。2000年歿(享年88)。2005〜2008年ヨーロッパで大規模な回顧展が巡回、近年さらに評価が高まっている。

◆ときの忘れものは「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催します。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
未発表のカラー写真を含めた約15点をご覧いただきます。
●イベントのご案内
5月13日(土)17時より、写真史家の金子隆一さんによるギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com

◆4月29日(土、祝日)から始まる連休中・日曜・月曜・祝日は休廊です(暦通り)。
明日5月2日(火曜)と6日(土曜)は開いています。連休明けは5月9日(火曜)から営業します。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第14回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第14回

大橋英児『Roadside Lights』(Zen Foto Gallery, 2017)

01(図1)
『Roadside Lights』表紙


今回紹介するのは、北海道を拠点に活動する写真家、大橋英児の写真集『Roadside Lights』です。表紙には、残雪の平原に設置された一台の自動販売機が正面から捉えられており、煌煌と光を放つ赤い自動販売機は、背景に広がる荒涼とした平原と重い雲が立ちこめる冬の空模様のなかで、強い存在感を放っています。誰がこんな平原をはるばると歩いて飲み物を買いにくるのか、電力はどのように供給されているのかと訝しくも感じられます。タイトルにも示されているように、大橋は自動販売機を「道端の光」として捉えており、写真集の中には、仄暗い夕暮れや夜間のような自動販売機の光が明るく輝いて見える時間帯に撮影した写真が収められています。
大橋が自動販売機に注意深く視線を向け、撮影を続けてきた動機には、北海道の風土のなかで暮らしてきた生活者としての経験に根ざしています。『Roadside Lights』に先立って、大橋は雪深い北海道の各地で自動販売機を白黒写真で撮影したシリーズをまとめた写真集『Merci(メルシー)』(窓社、2015年)を刊行しています(収録作品の撮影時期は2008-2014年)(表紙 図2)。『Merci』のあとがきのなかで、大橋は日本最北端の地、稚内市で住んでいた時に吹雪に見舞われ、その時自動販売機の光を手がかりに自分の位置を確認することができたという自身の経験を綴っています。自動販売機が自然災害時の命綱になった自身の経験が契機となり、「Merci!(ありがとう)」という感謝の念を抱きながら自動販売機と自然環境との関係を見つめながら風景を撮影していくようになりました。撮影を続ける過程で、東日本大震災が起き、震災後には電力を消費する自動販売機の使用を控えたり、撤去したりした方がよいという声が起きる一方で、被災地の復興作業に従事する人たちのためにいち早く自動販売機が設置されたという経緯も知り、そういったことが地域社会の中での自動販売機の位置づけを再考するきっかけにもなったと語っています。

02(図2)
『Merci』表紙 小樽市春香町


03(図3)
岩見沢市幌向


『Merci』の表紙(図2)では、街灯に照らされた夜の路上に設置された自動販売機の側面が、高く積もった雪越しに捉えられた写真が使われており、降雪という自然現象が作り出した稜線のようなカーブと、自動販売機の直線やロゴのコントラストが眼を惹きつけます。この写真集では、後に刊行された『Roadside Lights』に収録された写真と比べると、自動販売機を至近距離から捉えた写真が多く収録されています。雪に埋もれた自動販売機が放つ光が周辺の雪に反射され、光に満たされた独特の空間を作り出しています。降雪により、商品を販売する機能を一時的に奪われ、また人が近づいていくことも難しくなった自動販売機の佇まいは、電動の機械である以上の擬人的な存在感を帯びています(大橋は、この存在感を笠地蔵に喩えています)。
『Roadside Lights』では、白黒写真では明暗としてとらえられた光の様相が、色味の異なる光の関係として捉えられています。表紙(図1)にも見て取られるように、夕暮れの自然光と、自動販売機の蛍光灯やLEDのが、周辺の景色、積雪面の反射により、相互に影響し合って独特の色が作り出されています。『Merci』と比較すると、自動販売機から距離をおいて、周辺の景色を画面の中に捉えた写真が多く収録されています。(図4)は、『Merci』の表紙(図2)に近い状況化で、自動販売機を斜め後ろから捉えており、雪に反射するオレンジ色を帯びた街灯の光と、自動販売機の放つ青みを帯びた光が、幻想的な光の世界を作り出しています。

04(図4)


05(図5)
『Roadside Lights』より


カラー写真で捉えられることによってより際立ってくるのが、自動販売機と、その周囲にある、とくに年季の入った木造家屋のような建造物とのコントラストです(図5)。業者によって定期的にメンテナンスが行われ、売り上げが悪ければ撤去される自動販売機は、古びていたり、故障していたりするようなものはそのままに放置されていることはありません。つまり、景色の中にあって、その環境の経年変化とは同期せずに、自動販売機は存在しているのです。設置される環境が都心であれ、人里離れた場所であれ、人の注意を換気するべく設置された自動販売機という装置がいかに遍在しているのか、またその色や形がいかに画一化、企画化されているのかということを、写真を通して確かめることで、この国で人々の生活を成り立たせているインフラや経済を新たな視点から見つめることができるのではないでしょうか。

06(図6)


07(図7)


こばやし みか

■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。

●今日のお勧め作品は、ウィン・バロックです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第25回をご覧ください。
20170425_bullock_03_navigation-without-numbersウィン・バロック
「Navigation Without Numbers」
1957年(Vintage)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:17.8x23.0cm
台紙サイズ:33.5x38.0cm
サインあり


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小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第14回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第14回

小正月 04

 お獅子はすべての家を回り終わると、夕方、公民館へ向かう。リヤカーはすでにミカン箱が山積みになっている。
 公民館の畳敷きの閑散した部屋にミカン箱を運び、箱からミカンを出す。ドドドッと畳の上に広がっていく。それを見るのが、毎年どういうわけか好きだった。氷のように冷たく冷えた畳が、ふと暖かく感じられるからだろうか。
 ただ、子供たち全員の感心ごとはミカンのほうにはなく、やはりご祝儀の方にある。すべての封筒から丁寧に現金を取り出し広げ、正確にどの家からいくらもらったかを記録する。
 いま考えれば不思議な気もするが、すべてのお金を子供だけで山分けした。その場に大人の姿はまったくなかった。6年生がその役目を果たし、平等にわけていった。記憶に間違いなければ、そうだったはずだ・・・・。
 一人当たりの金額は2、3万円ほどだっただろうか。当然ながら、子供にとってはかなりの大金で、当然ながら魅了的だった。お年玉に匹敵、あるいはそれ以上の金額だったはずだ。
 さらに、ミカンも山分けされる。でも、すべては山分けさなかった。量が多すぎるからだ。ただ、残りのミカンがどう処理されたのかはまったく記憶にない。あとで親たちが車で運んだのだろうか。とにかく持って帰れるだけのミカンを持つのが習わしだった。置いていくわけにはいかないから、という感じだった。
 外はもう薄暗くなっている。山分けしたお金を封筒にいれて大事に防寒ズボンのポケットに押し込む。
 ミカンは誰もがダンボールの切れ端の上に乗せた。それに紐をつけて、あたかもソリのようにして家まで引き摺って持って帰った。いやソリのようではなく、ソリそのものと呼んでもいいのかもしれない。ところどころアスファルトが露出しているところがあるが、ほぼ自宅までの道は雪か氷に覆われているから、思いのほか楽なのだ。
 急に冷え込んだ空気を頬に感じながら、紐を引っ張った。闇が空から降ってくるような感覚があった。きっと足元が雪で明るいからに違いない。空の方が地面より暗く見えるのだ。そのなかを歩くのは心地よかった。
 さすがにずっとミカンが乗ったダンボールを引っ張っていると、息が上がり、じんわりと汗をかく。だから首元だけがひんやりとする。立ち止まり、息を整える。防寒ズボンのポケットにいれた封筒をズボンの上から確認してみる。かすかな膨らみがわかる。大金がここには入っていると思うと、自然と心が弾む。
 なのに、その後にふと寂しさが差し込む。楽しみにしていた小正月が終わってしまったと実感するからだろう。年末からクリスマス、正月、小正月と続いていた冬の楽しみはここまでだ。明日からは、殺風景で色のない日だけがだらだらと続く。そう思うと、急に憂鬱になる。
 
 翌日、私は熱を出した。突然、節々が痛くて目がさめた。体温計で熱を測ってみると38度ほどあった。インフルエンザかもしれない。とっさに思った。
「厄を貰ってきちまったかもしんねえ」
 父が唐突に言った。
「厄?」
「ほれ、お獅子のなかにへえって家を回ってたで、悪い厄をもらっちまったずら」
「そういうことって、あるの?」
 急に不安になった。
「ああ」
 父はそんな答え方をした。
 熱は4日ほど続いた。医者にも行ったけどインフルエンザではなかった。家族の誰もが、それ以上何も口にしなかった。 
 私はいまでも、あのとき厄をもらって熱が出たと信じている。

01小林紀晴
「Winter 12」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

◆小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160819_kobayashi_10_work小林紀晴
〈ASIA ROAD〉より2
1995年
ヴィンテージC-print
Image size: 18.7x28.2cm
Sheet size: 25.3x30.3cm
サインあり

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◆ときの忘れものの次回企画は「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」です。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
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大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第51回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第51回

兒女と静物 1932_1500
(画像をクリックすると拡大します)

幼女が足を投げ出して床にぺたんと座っている。
両腿の上にのせているのは、何だろう。
かぼちゃにしては光りすぎだし、りんごにしては平たいがー。
足元にはフットボール型のものがあって、そのすぐ上には輪切りになったすいかがある、と書いて不安になった。すいかにしては種が大きすぎないか。
たぶんそうではなくて、瓜科の何かだろう。

果実のほかには水差しがあり、扇風機も半分見えている。
これらは少女に選ばれたのではなく、撮影者が持ってきて配置したのだろう。
少女はただ連れてこられて、言われたままにぺたんと座り、持ちなさい、と言われたものを抱えたのだ。
レンズを見あげる両目は、なぜ?と問うている。
なぜ、わたしは、これをしているの?

でも、撮っている人にその問いをむけても、答えられないだろう。
これらのモチーフは無意識の働きが誂え、並べてみた結果、合うとわかったのだ。
そこには共通項がある。どれもが丸い。直線をもつものが何一つ入っていないのである。

丸みは、柔らかさにつながる。
丸いのに堅い材質のものもあるが、曲線で構成されたものが視覚に訴えるのは、柔らかさであり、素材がわからなければ丸みから柔らかいものを自動的に想像するように、わたしたちの頭は出来ている。

また、丸さには生まれたての印象がある。直線の形をしてこの世に出てくるものはない。生まれいずるものはすべて、出てきやすいように、丸みを帯びた形状をしている。

この少女も同じだ。この世に生きてさほど時間が経っていないことを証拠づけるように、顔も、眼も、鼻も、口も、腕も、爪も、足の指も、丸っこい。そうでないところは見つからないほど、どこもかしこも丸みを帯びて、柔らかい。

でも、少女の丸さと柔らかさを表現するために、写真家は丸いものを集めたわけではないだろう。きっと、少女の雰囲気に合いそうなものを揃えたら、丸いものばかりになったのだ。
ここに絵本とかクレヨンとかを加えると、雰囲気ががらっと変わることからもそれがわかる。直線で構成されたものは、この写真の空気を壊してしまう。意志的で人工的な気配が、生まれたての感じを遠ざけてしまうのだ。

丸いものはみな生命感を孕んでいて、まだ固まっていない、生まれたての状態へと見る者の心を誘う。この写真では扇風機さえもが、それが生み出す風を感じさせるのに驚く。

大竹昭子(おおたけあきこ)

〜〜〜〜
●紹介作品データ:
塩谷定好
「児女と静物」
1932年
ゼラチンシルバープリント
23.9×22.9cm
サインあり
島根県立美術館寄託

■塩谷定好 Teikoh SHIOTANI(1899-1988)
鳥取県赤碕町(現・琴浦町赤碕)の廻船問屋に生まれる。本名は定好(さだよし)。小学校の頃から写真に親しみ、1919(大正8)年、赤碕に「ベスト倶楽部」を創設する。1924(大正13)年以降『藝術寫眞研究』『カメラ』『アサヒカメラ』『フォトタイムス』などの写真雑誌の月例懸賞に入選を続けた。1925(大正14)年、島根半島多古鼻の沖泊を撮影した《漁村》で、『アサヒカメラ』創刊号の月例懸賞第1位に選ばれる。1928(昭和3)年、日本光画協会会員となる。1930年『藝術寫眞研究』誌上に《三人の小坊主》が発表され、その深遠な表現は多くの写真家たちに感銘を与える。1982年ドイツでフォトキナ栄誉賞を、1983年日本写真協会功労賞を受賞。『塩谷定好名作集 1923-1973』(1975)、『海鳴りの風景―塩谷定好写真集』(1984)が刊行された。大正末から昭和初期の芸術写真が隆盛した時期に、一世を風靡した単玉レンズつきカメラ「ヴェスト・ポケット・コダック」(通称ヴェス単)を愛用し、「ヴェス単フードはずし」と称された軟調描写で山陰の風物を生涯に
わたって写した。日本の芸術写真を代表する写真家のひとりとして、高い評価を得ている。2014年、生家が塩谷定好写真記念館として開館した(琴浦町赤碕)。

●展覧会のご案内
島根県立美術館で塩谷定好さんの写真展「愛しきものへ 塩谷定好 1899-1988」が開催されています。

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「愛しきものへ 塩谷定好 1899-1988」
会期:2017年3月6日[月]〜5月8日[月]
会場:島根県立美術館
時間:10:00〜日没後30分(展示室への入場は日没時刻まで)
休館:火曜 ※ただし5月2日(火)は開館

「自然の心を私の心に重ねる」ように、山陰の風物を生涯写し続けた塩谷定好(1899-1988)。大正末から昭和初期に隆盛した絵画主義の写真「芸術写真」を代表する写真家です。
 19世紀末から20世紀初頭にかけて欧米で隆盛したピクトリアリスム(絵画主義)は、日本で独自の発展を遂げ、豊かな成果をもたらしました。塩谷は、洋画壇の前衛的な作風を取り入れた「日本光画協会」に属し、「ヴェス単」の愛称で知られる小型カメラを愛用し、独特の白の滲みに味わいのある軟調描写で、眼前の日本海や山里などの身近な自然とそこに暮らす人々を写し出しました。印画にメディウムを塗り、油絵具や蝋燭の油煙で仕上げる手法を用いた塩谷作品の深い味わいは、多くの写真家たちの胸を打ち、写真雑誌に次々と掲載されて全国に名を馳せたのです。写真に対するその真摯な態度は、いくつもの神話を生み、写真の道に進んだばかりの植田正治にとって、まさに神様のような存在でした。
 しかし、昭和10年頃から「新興写真」の名のもとにカメラの精緻な描写力をストレートに用いたモダン・フォトグラフィが一世を風靡すると、芸術写真は否定され、戦後のリアリズムなどの新たな潮流のなかで埋もれていったのです。多様な写真表現が展開される現在、芸術写真を再評価する機運が高まるなか、写真家・塩谷定好は、稀有の存在として再び注目されています。80年もの間大切に保存され、日の目を見ることのなかった貴重なコレクション約400点(作品約300点、資料約100点)によって、戦前の作品を中心に塩谷定好の全貌を公開します。
(島根県立美術館HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

3月27日は植田正治の誕生日です

写真家・植田正治は今から104年前の今日、1913年(大正2)3月27日に鳥取県境港で生まれました。亡くなったのは2000年7月4日(享年87)ですが、生前から多くのファンに愛され、特に砂丘を背景とした演出写真は、ユーモアとシュールな詩情、ポリフォニーを湛えたイメージで、70年代フランスを始めとするヨーロッパでの高い評価を獲得しました。
ときの忘れものは2009年11月にスイスのチューリッヒのアートフェアに出展したことがありますが、細江英公五味彬などと一緒に植田正治の写真作品を出品したところ、現地の写真専門のディーラーたちから「あなたの画廊はウエダを扱っているのか」と敬意をもって挨拶されたものでした。そのくらいUeda-cho(植田調)は世界の共通語となっています。

ときの忘れものが初めて植田正治の個展を開催したのは、2008年11月でした。
2008年植田正治展DM
植田正治写真展ー砂丘劇場
会期:2008年11月14日(金)〜12月6日(土)

201008/銀塩写真の魅力展DM
銀塩写真の魅力II―Noir et Blanc
会期:2010年8月27日[金]―9月4日[土]

以後もグループ展などで幾度か植田作品を展示してきましたが、なかなか個展を開くほどの点数をコレクションできず、今にいたりました。
昨年縁あって植田正治の作品をまとめてコレクションすることができました。写真集や回顧展にも出品されなかった珍しい作品も多く、金子隆一先生(写真史家)やご遺族の協力を得て展覧会の準備を進めています。

昨秋には金子先生と飯沢耕太郎先生の監修で決定版ともいえる『植田正治作品集』(河出書房新社)も出版されました。
この機会に、一層植田正治の顕彰に努め、若い世代の人たちにぜひ植田作品をコレクションしていただきたいと考えています。
どうぞご期待ください。

05植田正治
《作品名不詳》
カラー写真
Image size: 22.0×32.6cm
サインあり


04植田正治
《作品名不詳》
ゼラチンシルバープリント
Image size: 40.6×28.0cm


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tokinowasuremono
緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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