写真

日本のアジェ死す〜写真家・風間健介さんの訃報に接して

日本のアジェ死す 
〜写真家・風間健介さんの訃報に接して〜

原茂


以前「ときの忘れもの」のフォトビューイングにも登場していただいた写真家の風間健介さんが死去されました。17日頃からSNSで情報が飛び交っていたようでしたが、私と同年代の若さで、しかもブログの更新も頻繁でしたから、いつもの「身体の調子悪い」「パソコン動かない」の類いではと半信半疑でした。しかし、6月20日に「北方ジャーナル」の公式ブログが報じ、北海道新聞が 6月23日朝刊で訃報を掲載したことで、動かしがたい事実であることを受け入れざるを得ませんでした。

風間健介さん死去 写真家、56才
 夕張市内で約18年間暮らし、写真集「夕張」(2005年、寿郎社)で06年度日本写真協会新人賞、第18回写真の会賞、第19回地方出版文化功労賞奨励賞をトリプル受賞した写真家風間健介(かざま・けんすけ)さんが千葉県館山の自宅で亡くなっていたことが、22日分かった。56才。死因は不明。
 風間さんは三重県出身で1989年、夕張に移住。炭鉱跡や炭鉱住宅を撮影しながら炭鉱遺産としての活用に取り組んだ。
 「そらち炭鉱遺産散歩」(北海道新聞空知「炭鉱」取材班編著、03年、共同文化社刊)の写真も担当した。
(北海道新聞6月23日朝刊)


 私が風間さんの作品を最初に拝見したは、安友志乃さんの『撮る人へ』(窓社)でした。なんと綺麗な写真なのだろうと思いました。写っているものはゴツいコンクリート打ちっ放しのうち捨てられた炭鉱施設なのに、背景に流れる白い雲の下、古代の神殿か何かのような神聖さを感じさせる不思議な写真でした。

 さらに、今はなき写真雑誌「TIDE」第3号に、夕張のシリーズから「星啼の街」が掲載され、「プリント販売いたします」との一文にふらふらと「注文」をしてしまったのが風間さんとのお付き合いの始まりでした。

 文字通り「直販」「手売り」でプリントを販売されていた風間さんはいつもお金がなく、軍艦島を撮りに行きたいがお金がないのでプリント買ってくださいとのメールをいただいて、先物買いで軍艦島のプリントを購入させていただいたこともありました。

 写真家は写真を売って生活するもの、写真家にとって写真は商品ではなく作品、という、ある意味あたりまえでありながら現実的にはあまりに困難な生き方を貫かれた風間さんの作品は、重厚でありながら重苦しさを感じさせない、軽やかさに満たされていながら軽薄さとは無縁な、濃密で端正な写真でした。

 けれども、ドキュメンタリー写真でも風景写真でもない、真の意味でのシリアスフォトグラフィーである風間さんの写真は、写真に「わかりやすさ」を求め、「なんとか」写真、「かんとか」写真と肩書きがつかないと落ち着かない日本の写真界で評価されるには時間がかかるだろうなと思わせられました。しかし時間はかかってもかならず評価されるに違いないと確信していました。

 実際、その作品は頻繁にというわけではなくても、コンスタントにカメラ雑誌にも掲載されてきましたし、2004年には、新宿ペンタックスフォーラムで「夕張」のシリーズから「風を映した街」の大規模な展示が行われました。

 この時、風間さんと初めてお目にかかることができました。第一印象は「え、この人がこの写真を」という実に失礼なものでしたが、話を聞くうちに、「ああ、この人だからこそこの写真なのだ」という思いが湧いてきたことです。ご一緒に新宿西口の居酒屋でホッケの塩焼きを口にしながら、アジェに初めてあったアボットもきっとこんな気持ちだったのではないかと想像したことを思い起こします。

 そして、2005年に写真集『夕張』を発表され、2006年に「日本写真協会新人賞」、「写真の会賞」、「地方出版文化功労賞奨励賞」を立て続けに受賞されます。特に、一部では「木村伊兵衛賞を取るより難しい」と言われる「写真の会賞」を、かの傑作、瀬戸正人さんの『picnic』を抑えて受賞されたことは、風間さんのお仕事にようやく写真界の評価が追いついてきたと胸のすくような思いをしたことです。

 その後、体を壊されたこともあって東京、さらに館山に居を移され、新しいシリーズを展開されていました。東日本大震災に際しては被災地にも足を運ばれ、報道写真とはひと味もふた味も違う−誤解を招く言い方かもしれませんが−本当に「美しい作品」を残されています。さらに、実験的な作品も試みておられ、その世界はますます彩りと深みを加えておられたように思っていました。

 その一方、生活と健康は好転せず、ブログには、毎回のように、体の不調とパソコンの不調を嘆くコメントが載せられていました。下の文章は、風間さんが6月3日にご自身のブログに書き込んだ最後のコメントです。

館山日記 6月3日

震える

好みの強い光なのだが、暑くて寒いのだ。
薄着で寝て毛布や布団を掛けていたのだが、
2〜3分で暑くなり布団を除けていた。
そして2〜3分で寒くなって布団を掛けていた。
これでは眠れないし28度でも寒いし、
汗ももの凄い。
トイレの帰りでも動悸と眼の痛みが痛い。
パソは騙し騙し使っているが、
薬を買いたいがアマゾンが使えないし、
動画も見えないし心臓が痛い。
友人に貰ったパソに変えたい。
しかし、データが移せないし、
体がもたない。汗びっしょり。

作業も遅れていて申し訳ありません。


恐らく、その後容態が急変し、助けを求める間もなく意識を失われ、そのままになられたのではないかと思われます。56歳という若さでの急逝、そして孤独死という最期に言葉を失います。けれども、その2日前のブログにはこうもありました。

問題

この時期は光が多く一番よいと思う。
しかし、体調や精神が悪いとその時間を活用出来ない。
解決出来ない問題は辛いし苦しいし、
金がいくらあっても解決出来ないのは辛い。
もちろん金はないし、作品だけなので幸福な人生なのだが。


そして、最期のブログに添えられた作品は、白い雲の浮かぶ真っ青な空に飛び立つ幾羽もの鳥の群れの写真でした。ひょっとしたらこのときすでに風間さんはその最期を覚悟しておられたのかも知れません。いくつもの珠玉の作品を残してこの世界から飛び立って行かれた風間さんの魂が安らかであることを祈るのみです。

その後、ご友人で現在沖縄に拠点をおいて活動しておられるミュージシャンの方がご遺族と連絡を取られ、ご自宅の整理と残された作品の管理を引き受けてくださっておられるようです。今後写真展や写真集の出版も考えておられ、その資金のために、風間さんの遺志を受け継いで、現在、一枚1000円でRCペーパーの六つ切りの作品を販売しておられます。関心のある方は、ネットで「風間健介」で検索していただければ、当該のツイッターやフェイスブックに辿り着けるかと思います。

56歳で自宅で孤独死という最期は、普通に考えればショッキングで悲惨ということになるのでしょうが、生前何度も聞かされた「自分は写真家だから、何が何でも写真を売って生きていく」という覚悟と、その類い希な撮影のセンスとプリントの超絶技巧と、それと引き替えのような徹底して不器用な(パソコンを含む)生き方があればこその、あの凛として涼やかな作品世界を知る者としては、不思議に「やっぱり」という思いと「でも早すぎる」という思いが交錯しています。

これだけの作家を日の当たる場所に出すことのできなかった不明を恥じます。

ただ、作家の場合は肉体は土に帰っても、作品は永遠に残りますから、あとは残された作品の保全と顕彰が残された者の責任となるかと思います。アジェにアボットがいたように、またシャーカフスキーがその評価を決定づけたように、風間健介の評価はこれから時間をかけて高まっていくことを信じて疑いません。
はら しげる

・風間さんのサイト http://kazama2.sakura.ne.jp/
・館山日記(風間さんのブログ) http://sayamanikki.seesaa.net/

●画廊コレクションより風間健介さんの作品をご紹介します。
20170629_kazama_01_yuubari-hatudensyo-1風間健介
「夕張 清水沢発電所(1)」
1991年
ゼラチンシルバープリント
23.6x30.0cm
サインあり


20170629_kazama_02_yuubari-hatudensyo-2風間健介
「夕張 清水沢発電所(2)」
1991年
ゼラチンシルバープリント
23.7x29.8cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
12

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
14

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第16回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第15回

藤岡亜弥『川はゆく』

今回紹介するのは、藤岡亜弥(1972−)の写真集『川はゆく』(赤々舎、2017年)です。藤岡は20代の頃から台湾やヨーロッパ諸国、南米、ニューヨークと世界各地で旅や滞在を重ねながら写真家として活動を続け、人との巡り会いや、近親者や土地との関係を見つめながら、その関係の中にある自身の位置を探るような作品を制作してきました。これまでに発表した写真集として、ヨーロッパを旅する中で撮影した写真をまとめた『さよならを教えて』(ビジュアルアーツ、2004年)や、2000年から2006年にかけて東京に生活の拠点を置きながら、広島県呉市にある実家に帰省した際に撮り続けた写真をまとめた『私は眠らない』(赤々舎、2009年)を発表しています。ニューヨークから帰国後2013年から広島市内に生活拠点を移して写真を撮り続け、2016年に開催した写真展「川はゆく」により第41回(2016年度)伊奈信男賞を受賞しました。写真集『川はゆく』は、この写真展にもとづきつつ、作品を追加して綿密に再編成されています。

01(図1)
写真集『川はゆく』左 ケースの表 左 表紙


02(図2)
写真集『川はゆく』 ケースの裏


03(図3)
航空写真


『方丈記』の冒頭の一節「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」を連想させる題名を追うようにして、写真集のケースの裏側には「川は血のように流れている 血は川のように流れている」と記されています(図2)。タイトルが示唆する無常観ととともに、血と川が相互に入れ替わる類推的な関係にあるものとして組み合わせられることで、体内の血の巡りが川の流れになぞらえられているようにも読み取られます。写真集のケースと表紙には、川が写った2点の航空写真を捉えた写真がトリミングの仕方を変えて使われており(図1)、ケースの方では、二枚の航空写真を収める金属製のフレームが、写真の画面を縦半分に、あたかも二つの川の間に差し込むように分割しています。写真集に収録された写真(図3)に照らし合わせて見ると、二枚の航空写真のうち左側は、原爆投下後の焦土と化した広島市街の川沿いの区画を捉えたものであり、右側はその後しばらく時間が経過した後に同じ地点を捉えたものであることが見て取れます。このように写真とむすびつけてみると「川は血のように流れている 血は川のように流れている」というフレーズは、夥しい数の被爆者達が流した血と結びついて紡ぎ出されたもののようにも響きます。藤岡は写真を撮り続けるなかで、自分の体内を巡る血と、原爆により流された血のありように想像を巡らせ、そこから広島という土地の現在と過去の間を往還するように写真集を編んだのではないでしょうか。

伊奈信男賞受賞に際して藤岡は次のようにコメントしています。「広島を歩くと、いやがおうでもヒロシマの表象に出会う。広島で平和を考えるのはあたりまえのことのようでもあるが、日常という厚い皮層からヒロシマの悲劇を垣間みることの困難さなど、生活してみて初めて知ることが多かった」。ここで藤岡が「広島」と「ヒロシマ」と二通りの表記の仕方を選び、繰り返し用いていることからも明らかなように、原爆に関わる事象としての「ヒロシマ」は、戦後から70年の時間の経過の中で抽象化され、あくまでも「表象」として日常生活の中に断片的にさし出されるもの、それ自体は直接確かめることのできない、不可視的なものになっています。藤岡が写真を撮りながら追求してきた「日常を通してヒロシマを考えるという作業」は、日常の景色の中から不可視的な層を掬い上げようとする試みであり、『川はゆく』が、写真集としては大部の240ページというボリュームになったのも、本質的には要約してまとめることのできない「日常」という時空との格闘の軌跡を示すことにあったと言えるでしょう。

04(図4)
小学生の集団


05(図5)
フラワーフェスティバル


06(図6)
被爆者を捉えた写真パネルとそれを撮影するカメラを持つ手


07(図7)
オバマ元大統領の広島来訪を報道する番組を見る人たち


08(図8)
原爆ドームを背景に、取材を受ける男性


藤岡は、デルタ地帯である広島市の川辺の景色や、通勤・通学で路上を行き交う人たち、遠足や社会見学、修学旅行で集団行動する子どもたち(図4)、路面電車の車内、8月6日の原爆忌などの行事のために平和公園の周辺に集う人々、広島東洋カープの試合やひろしまフラワーフェスティバル(図5)、夏祭りなど、人々が集まるイベントにカメラを向け、時折人々の日常生活の光景の片隅に現れる原爆ドームや広島平和記念資料館、被爆建物といった、原爆にまつわる建造物の姿を捉えています。写真集を通して眼をひきつけるのが、画面の中に別の画面を収める「複写」のような撮影手法です。平和資料館の展示物の写真パネルや印刷物をとらえたり(図6)、アメリカの政府要人(ケリー元国務長官、オバマ元大統領)の広島訪問を報道する番組を放映するテレビ画面をとらえたり(図7)、あるいは原爆ドーム周辺で報道カメラを向ける情景をとらえたりする撮影手法を用いることで(図8)、藤岡は「ヒロシマ」の表象のあり方、人々が「ヒロシマ」に視線を向け、フレーミングを形作る方法や関係のあり方を示しています。このような意図的に視線を入れ籠にしたり、人々が対象を見る状況を俯瞰して捉えてみせたりするような恣意的な画面の作り方は、「見る」ことや「記録する」という行為を意識化させ、それらの行為がどのような状況の元に成り立っているのか、ニュース報道がどのように伝達され、どのように受容されているのかといったことを含めて、その時空を記録しようとする意志に裏打ちされています。

09(図9)
ポストカードと原爆ドーム


10(図10)
ジャンプして宙に浮く女子学生たち


11(図11)
フラダンサーたち


藤岡の「見る」という行為への意識の向け方を探る上で重要な位置を占めているのが、原爆ドームの捉え方です。藤岡は「日常を通してヒロシマを考えるという作業」を続けていくなかで、「ヒロシマ」の揺るぎないシンボルである原爆ドームを、日常の景色の一部として捉えることを何度も試みています。たとえば、写真絵葉書を実際の原爆ドームの手前にかざして、過去に捉えられた姿と現在の状態の双方を見比べるような撮り方をしてみたり(図8)、原爆ドームが面している元安川の川沿いで偶発的に起きている出来事と組み合わせるような撮り方をしています。たとえば、女子学生達のグループが一斉にポーズを作ってジャンプし、宙に浮いているような写真を撮るのに興じている情景(図9)や、鮮やかなピンクの衣裳を纏ったフラダンサーたちが、対岸の原爆ドームの方を向いて並んでいる情景(図10)は、一見するとどことなくユーモラスな場面にも映りますが、手前と向こう岸の関係は、此岸と彼岸にも重なって見え、原爆ドームとその周辺の場所が担わされてきた意味合いと日常の営みの間にある裂け目のようなものをあらわにしているようでもあります。

12(図12)
金髪の少女


(図10)や(図11)においてもそうですが、子どもたち(図4)や若い女性(図5)、10代の若者達の姿が、写真集全体を通して多く捉えられています。被爆者の世代に属する高齢者の人たちの姿も所々に見られますが、戦後から遠く隔たった世代の幼い子どもたちや若者たちや外国から訪問してきたと思しき白人の少女の姿(図12)は、「ヒロシマ」として抽象化され得ない現在の広島を表す存在として差し出されているようでもあります。
藤岡や筆者のような1970年代に生まれた団塊ジュニア前後の世代、すなわち現在40代から50代にさしかかる世代で(以前にも書きましたが、私は1歳から18歳までの17年間、子供時代を広島市で過ごしました。)で、
広島やその周辺で育った人たちは、学校の中で原爆に関する平和教育を受けるだけではなく、被爆者の存在を、祖父母や親戚として身近に存在することを肌で感じ、体験談を耳にすることができました。しかし、さらに一世代を下った現在の若者や子どもたちは、被爆者の高齢化が進み、世代が移り変わっていくなかで、そういった経験をすることが難しくなっている現状があります。『川はゆく』は、移ろいゆく時間のなかで、日常という皮層の下に横たわる歴史を探るとともに、未来を担う子どもや若者達の相貌を景色の中に位置づけ、「ヒロシマ」と「広島」が多層的に重なる現在の広島の姿を描き出しているのです。
こばやし みか

■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

●今日のお勧め作品は、植田正治です。
作家については、飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」第4回をご覧ください。
20170625_ueda_12_tasogare植田正治
《昏れる頃 3》
1974年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:14.7×22.4cm
シートサイズ:20.2×25.6cm
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
12

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
14

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第16回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第16回

  前回に続き、「スガリ」について繰り返し書くことについて、触れてみたいと思っています。尊敬するある小説家が、「自身にとって大切なことは、時に触れ、何度でも繰り返し書くべき。年齢によって、その意味、理解の濃度と深度は変わっていくから」という意味のことを言ったと前回触れましたが、「スガリ」の似たような一場面を違う形で書いた例をご紹介します。
 前回、蜂に刺された主人公である子供が、さされた患部に祖父のおしっこをかけてもらう描写がありましたが、それは実際の私の体験がもとになっています。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 自分のそれが効くとはとても思えなかった。
「……じいちゃんのをかけてほしい」
 とっさに答えた。じいちゃんは「めたしろ」とまた言った。ぼくは大きな声でもう一度言った。
「じいちゃんのがいい」
 すると、じいちゃんは迷うことなく、ぼくの左手を股間にもっていった。大げさなほどしぶきがあがって、じいちゃんのズボンに無数のシミをつくった。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 蜂に刺され、誰のそれをかけてもらうか。幼い私にとって、突発的な出来事の前で、大きな選択肢でした。瞬時の判断も迫られました。だから記憶は鮮明です。とっさに自分のものより年齢を重ねた祖父のそれの方が効くと考えのです。
 今回は、2008年秋に小説現代(講談社)に発表した『真綿の飛ばし方』という短篇小説からの抜粋です。前回は2016年に発表したものでしたので、さらに8年ほど遡ることになります。いまから9年前に書いたものになります。
 まったく別の話ですが、描写が緩やかにつながっていることに改めて気付かされもしました。
 インドネシアに滞在中のカメラマンが、郷里の小学校の同級生から携帯電話に電話をもらい、帰国後、お盆に帰省し、同窓会のような「スガリ」へ参加するという小説です。中年の大人である主人公が、また蜂にさされます。全員が同い年です。小説の主人公は前回とはまったくの別人です。念のため。
 以下から小説です。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 蜂が不意に舞い上がった。しかし肉片を持っていない。軌道を眼で追ったが、黒い体はすぐにわからなくなった。このまま巣へ戻ってしまうのだろうか。私は腕を静かにおろし、辺りを見わたし蜂の姿を探した。
 突然激しい痛みが、右の二の腕にやってきた。
「刺された!」
 自分でも驚くほど、大きな声を上げてしまった。腕を慎重に外側から覗きこんでみると、蜂の姿はすでに消えていたが、小さな赤い点をみつけた。きっとあっという間に腫れ上がってしまうだろう。
「毒を出せ」
 真司が慌てて、私の腕をつかんだ。好夫はたいして表情を変えずに、両手をぶらりと下げたまま立っていた。
 左手で刺された箇所をつまみ、親指と人差し指で内側から毒を押し出すようにもみ出した。でも何かがなかから出てくるわけではなかった。
「アンモニアをかけた方がいい」
 好夫がぼんやりとした顔のまま言った。
 私は素直にうなずいた。かつて同じように蜂に指を刺された時、祖父の尿を直接かけてもらった。果たしてそんなものが効くのかどうかは知らない。でも小学生の私は確かに祖父のそれをかけられたのだ。とっさにそれを、どうしてもかけてほしくなった。
 あの時、父は「早くしろ、すぐにかけねえと効かねえだ。ほら手をだせ」と言いながら、自分のズボンのチャックを開け始めた。その姿を見ながら、
「じいちゃんのがいい」
 と私は言った。何故、とっさにそんなことを言ったのだろうか。どうして父では駄目だったのだろうか。湯気をたてる生ぬるい祖父の尿が私の手頸に直接あたり、飛沫をあげるのを、ぼんやりと見ていた。
「どっちにする?」
「どっち?」
 私は聞き返した。
「だで、真司のと俺の、どっちがいいだ?」
「好夫、してくりょ」
 私は迷わなかった。

01小林紀晴
「Winter 14」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160319_kobayashi_05_work小林紀晴
〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

ただいま引越し作業中
6月5日及び6月16日のブログでお知らせしたとおり、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
電話番号も変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
12

営業時間も7月1日から11時〜18時に変更します。
JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
お披露目は7月初旬を予定しています。
06


◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第53回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第53回

shin-0000717
(画像をクリックすると拡大します)写真集『Untitled』(2017年、roshin books)から複写

子どもの眼はマークによく反応する。
絵本を出している出版社のマーク、運動靴についてるメーカーのマーク、デパートのマーク、製菓会社のマークなど、身のまわりにあるマークを意味もなくじっと見つめ、記憶する。
そのイメージは、文字よりもずっと奥深いところに納まるのかもしれない。

そして、おとなになったある日、そのマークがいきなり目の前に出現し、これを知っている!という感覚が体のなかで破裂する。
とはいうものの、そのマークのなにを知っているわけではない。
ただこの形に覚えがあるという驚きにとらえられ、動けなくなるのだ。

この写真を見たときが、まさにそうだった。
壁に描かれた左のマークに、あっ、と声にならない声をあげた。
こういうマークがたしかにあった。ガソリンスタンドを通りかかると、ふいに目に飛び込んできて心がわしづかみにされたのだった。
あれは何だろう、と考えだすともうだめで、イメージが勝手に動きだしてしまう。
丸い部分があたまで、長い曲がったものは手足で、喉のところに付いている短いのもあわせるとぜんぶで6本。脚の数があわないにもかかわらず、いったん蜘蛛だと思うと、そうとしか思えなく、蜘蛛とガソリンがどうつながるのだろう、とつぎなる疑問が浮かんだのだった。

当時のガソリンスタンドはまっ白である。
白は未来を象徴する色で(だから冷蔵庫も、洗濯機も白以外はありえなかった)、ガソリンスタンドは街のなかでまぶしく輝き、晴れている日にその前通ると、思わず目をつむってしまうほどだった。
早く車やバイクを持てる身になって、エンジンを鳴り響かせてあの場所に乗りつけたい。
そんな羨望をそそるに充分な輝きをガソリンスタンドは放っていたのである。

写真のガソリンスタンドも、ペンキのなかにどっぷり浸けたようにぜんぶ白い。
しかも給油機の影から判断するに、時間は正午に近く、太陽は真上から直射している。
まぶしさは頂点に達しているはずだ。
その炎天下の道を、丸い竹籠をさげた老婆が杖をつきながら歩いてきた。
腰が曲がり、上半身は直角に前に突き出し、杖はもう一本の脚になっている。
もんぺの裾は地下足袋のなかにたくしこまれ、腿からつま先までがひとつづきになった姿は、もぞもぞと動く黒い虫のようだ。

一歩また一歩と脚を前に出して虫のように歩く彼女の目に、ガソリンスタンドの姿は映ってはいない。
クルマには縁のない暮らしで、車輪のついたものは、乳母車とリヤカーしかつき合ってこなかったのだ。
力を入れて押したり引っ張たりしなくても動くなんてものは危険で疑わしい、そう思っているにちがいないのだ。

画面の左手には、わずかにリヤカーがのぞいている。
これは老婆と関係あるのか、ないのか。
どちらにせよ、彼女がリヤカーのある場所からスタンドの前を通って、ここまで歩いてきたのはまちがいなく、そこを間もなく通りすぎるというときに、カメラのシャッターがおりたのだった。

このタイミングは偶然ではないだろう。
腰を折って進む老婆の異様な姿と、すぐ上にある例のマークとを、カメラマンの率直な目は重ねて見ずにはいられなかったのだ。
ふたつが交わった瞬間、奇妙奇天烈な凄みが放たれ、白一色の空間は非日常の世界に引っばり込まれ、白昼夢とひとつになった。

大竹昭子(おおたけあきこ)

〜〜〜〜

●写真集のご紹介
東京をベースに活動する写真専門の出版レーベルroshin booksさんから、柳沢信写真集『Untitled』が刊行されました。
上掲の作品も収録されています。

柳沢信写真集『Untitled』
2017年
roshin books 発行
96ページ
25.6x25.6cm
限定1,000部

roshin booksでは7冊目の写真集として柳沢信(1936 - 2008)の写真集を出版いたします。柳沢は1958年にミノルタの広報誌「ロッコール」において「題名のない青春」という作品で華々しいデビューを飾りました。その後の1961年から2年間は病気のために療養しますが、再び精力的にカメラ雑誌を中心に活動しました。
復帰後の柳沢の視線は日本の各地へと向けられます。氏はデビュー当時から一貫して「写真に言葉はいらない」と言い続けました。被写体、撮影者の感情、それらを言葉で説明する必要もないほどに見つめられ研ぎ澄まされた世界、それがまさしく写真ではないかと。
柳沢信の生前の個展数は4回(グループ展などの出展は除く)、写真集は3冊とその活動時間の割には極めて少数であります。周囲の流行などにとらわれず、自らのペースで眼球に写る世界をフィルムに刻んでいきました。70年代初期には当時カメラ毎日の編集長で天皇とまで呼ばれていた山岸章二からの写真集の出版要請を断ったというエピソードもあります。
1990年に出版された「柳沢信・写真」から27年の月日が経ちました。既に過去の写真集は絶版となり、今ではそれらに触れる機会がありません。柳沢が写した「写真」という言葉以上他にいいようもない圧倒的な世界が再びこの時代に甦ります。60年代から70年代の旅の写真を中心に大田通貫が編集しました。作品はもちろん印刷、装丁、一つの作品として堪能してください。2017年に生まれる歴史的な1冊です。(roshin books HPより転載)

柳沢信 Shin YANAGISAWA(1936-2008)
1936年東京墨田区向島生まれ。1957年東京写真短期大学技術科卒業。桑沢デザイン研究所に入学するが、8月に中退し、以後、フリーとなる。1958年『ロッコール』に「題名のない青春」が掲載され、注目を集めるが、1961年結核と診断され、2年間の療養を余儀なくされる。1967年「二つの町の対話」「竜飛」により日本写真批評家協会新人賞を受賞。翌年、ニコンサロン(東京)で受賞記念展。写真誌を中心に精力的に作品を発表する。1993年イタリア旅行。帰国後、喉頭癌、食道癌が見つかり手術。声を失うとともに、息を止めることができなくなり、シャッターを切れなくなる。2008年6月2日死去。享年71。

長いあいだありがとうございました。

●<それと昨日は南青山のときの忘れ物さんが、移転されるとのことで、南青山での最終営業日に伺わせて頂きました。植田正治のプリントとしては初めて目にするカラー作品と新発見の数々。植田正治という名の知れた方でも、新発見が出てくる。ちゃんと捨てずに画廊を探した元所有者の方も綿貫さんも凄い。>
(YUMI AOTA/粟生田弓‏さんのfacebookより)

●<いこいの場所でした・・・・
新しいところも楽しみにしております。>

(Mさん、芳名簿より)

<会社の研修のあとときの忘れもので金子隆一さんによる植田正治についてのトークを拝聴。
アーカイブが日本において遅れているとの指摘。
遅れているのではなく、そもそもアーカイブという定義が日本では無いと感じられる。
作品を出す出さないについてのお話は、山本大臣みたいな愚か者には思いもつかないものだろう。
植田正治はまだまだ発見が待たれていて、植田カラーはこれからだと感じた。これは長い時間をかけて発見されていく。楽しみ。>

(山崎達哉さんのfacebookより)

<選りすぐられた作品が並んだ植田正治先生の写真展。きれいに飾られた写真の中には貴重なものも。けれど会場のみなさんで回し見た60〜70年代雑誌掲載のカラー写真の味わいが最も鮮烈な印象に。
写真の現場に長く関わる金子隆一さんの活きたお話と共に、とても貴重な機会でした。>

(きみのえり‏さんのtwitterより)

<青山のギャラリーときの忘れものにて展示中の植田正治作品。「砂丘ヌード」は超有名なシリーズだけど、これ自分的には初見でした。このシリーズでソフトフォーカスっても珍しいような?
植田正治はベス単使いだったけど、このボケはベス単の豪快なボケっぷりと違う気がするんだよなあ 1950年て撮影年も微妙だし。昨日は金子隆一さんも増谷寛さんもみえてたのだし聞いてみれば良かった...(撮影共有OK確認済みです)
そういえば金子隆一さんが植田正治を語る土曜日のギャラリートーク 僕も聴かせてもらったんだけど、カラー作品をめぐる考察が興味深かったな。70年代を境にして前後で意味合いが全然違っていると – 場所: ときの忘れもの >

(michiro‏さんのtwitterより)

<青山のギャラリーときの忘れもの @AoyamaCube101 で開催中の植田正治展、短時間だけど今日は落ち着いて没頭してきました。この「パパママコドモ」あちこちで見てるけど、白縁つきのプリントたぶん初めてだった
19時までのはずが今まで居残り大目に見てもらいありがとうございます! (@ ときの忘れもの in 港区, 東京都) >

(michiro‏さんのtwitterより)

<ときの忘れもの画廊にて、打ち合わせだん。移転が決まったため、この場所で最後の展示となる「植田正治展」は、圧巻の写真たち。いつか、自宅にこれを飾りたい… >
光嶋裕介さんのtwitterより)

<新緑の南青山キラー通りから1本入ったギャラリー「ときの忘れもの」で開催中の植田正治先生の展覧会へ。生前お目にかかった展覧会での先生は深紅の麻シャツをお洒落に着こなされていて素敵だったのを思い出す。Gデザイナー時代よく打ち合わせした青山キルフェボン5月限定ベリータルト。先生を偲ぶ。 >
(marimarigohan‏さんのtwitterより)

<植田正治写真展―光と陰の世界―Part I at ときの忘れ物。良かったですよ。>
(YASUSHI ISHIBASHI‏さんのtwitterより)

<gallery自体素敵空間で 行けてよかったときの忘れものさん ベルコモンズがなかったYO←;>
(わん‏さんのtwitterより)

<昨日はあのような素晴らしいコンサートに参加させていただき、ありがとうございました。
植田正治さんの写真に囲まれた空間に置かれたスクエア・ピアノもヴァ―ジナルも素敵で、淡野先生、武久先生、太郎さんによる様々な夜鶯の歌の演奏は、今思うと現実だったのかしら、と思えるくらいです。音楽の楽しみを満喫させていただきました。>

(Hさんより)

<ブログ連載でお世話になっているギャラリーときの忘れものが移転されるので、今の場所での最後の展覧会に伺いました。
ギャラリーに娘をベビーカーに乗せて連れて行ったことや、娘におやつを下さったこととかも思い出され、しみじみと愛おしい空間です。
5/27まで植田正治さんの写真展。貴重なカラー作品も見られます。>

小林美香さんのtwitterより)

<今日の見てきた!
植田正治写真展―光と陰の世界―Part I… https://www.instagram.com/p/BUjzJ3BDbkJ/

(ぼうしゃさんのtwitterより)

●<植田正治写真展ー光と陰の世界一Part?展@ときのわすれもの〜5/27(土)12時〜19時。いつもの砂丘のイメージと異なる写真が大半。新鮮というにはノスタルジックで、なんだか不思議な感じ。移転前の最後の展示、駆け込めてよかった。>
(magrittian(m25)‏さんのtwitterより)

RIMG0331_6002017年5月26日
峯村敏明先生(右)と亭主
因みに峯村先生は毎日新聞OB、亭主の大先輩であります。

●<ときの忘れもの「植田正治写真展」へ。今日が最終日。移転するということなんだがどちらへ…。青山の良い場所だったなあ。 >
(うみちんさんのtwitterより)

●<ときの忘れものは「植田正治写真展 光の陰の世界 Part機廖ここ最近植田正治作品観る機会多かったけど、カラー写真は初かもしれない。ところでこのギャラリー移転されるようなのですが、Part兇呂△襪里世蹐Δ…?どこで…?>
(aruku take‏ さんのtwitterより)

●<感想ブログ更新しました→植田正治写真展−光と陰の世界−Part I @ときの忘れもの(2017/05/27) http://bit.ly/2qp5biU 《砂丘ヌード》を含む氏の代表作が並ぶ内容。マスターピースを間近で堪能しました>
(林光一郎‏さんのtwitterより)

●<昨日はhpgrpギャラリーにゆき野村康生展を見る。美しかった。ギャラリー360°にて小林エリカ展を見る。なんとか最終日に間に合った。ときの忘れものにゆき植田正治展を見る。19時3分前。ときの忘れものは、この展覧会が青山でのラストショウなので、私が最後の観客となった。>
中村惠一さんのtwitterより)
〜〜〜
1995年6月の第1回企画展「白と黒の線刻 銅版画セレクション1/長谷川潔、難波田龍起、瑛九、駒井哲郎」から数えて第289回目となる「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が先週末27日で終了しました。
201705UEDA_DM

青山最後の展覧会となり連日たくさんの方にご来場いただきました。
最終日には一軒家時代を知るお客様とあれこれ昔話に花が咲きました。
作品をお買い上げいただいたお客様には(この時期とても助かります)心より御礼を申し上げます。

初期名作から晩年のカラー写真など15点を Part I として展示し、(当初は)6月に Part 展を開催する予定でしたが、急遽引越し話が持ち上がったため、当分はお預けです。
縁あって私たちがコレクションした植田正治作品はこれから新しい移転先で、じっくり時間をかけてご紹介してまいります。

長いあいだ青山にお運びいただいた皆さん、ほんとうにありがとうございました。
移転先の新空間もお客様にとって今以上に居心地の良い場所にしたいと念じています(長期滞在型ギャラリーが理想であります)。
契約が済み次第、発表しますが、早ければ7月上旬にはお披露目の予定です。

●あたためて出品作品のご紹介をします
20植田正治
《都会》
1935年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 12.9×11.1cm
Sheet size: 17.9×13.0cm
*『植田正治作品集』(2016年、河出書房新社) P10参照
初出=『写真サロン』(1935年11月号 第33回月例懸賞A 部特選)

ueda_13_hama_no_shonen植田正治
《浜の少年》
1931年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 20.2×30.1cm
Sheet size: 27.8×35.5cm
サインあり

ueda_01_papamama植田正治
《パパとママと子供たち》
1949年(Printed Later)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 20.0×28.3cm
Sheet size: 23.8×32.5cm
サインあり
*『植田正治のつくり方』(2013年、青幻舎)No.79 参照

ueda_06_sakyu-nude_3植田正治
《砂丘ヌード》
1950年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 23.7×21.7cm
Sheet size: 30.3×25.2cm
サインあり

ueda_08_sakyu-nude_5植田正治
《砂丘ヌード》
1950年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 24.2×21.7cm
Sheet size: 30.3×25.3cm
サインあり

ueda_15_dowa_yori植田正治
〈童暦〉シリーズより《白い道》
1955年-1970年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 20.1×31.2cm
Sheet size: 27.7×35.6cm
*『植田正治作品集』(2016 年、河出書房新社)No.102参照

ueda_12_tasogare植田正治
《昏れる頃 3》
1974年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 14.7×22.4cm
Sheet size: 20.2×25.6cm
サインあり

04植田正治
《作品名不詳》
1976年
ゼラチンシルバープリント、木製パネル
Image size: 40.6×28.0cm
Panel size: 53.2×42.9cm

21植田正治
《作品名不詳》
ゼラチンシルバープリント
Image size: 9.5×12.0cm
Sheet size: 13.0×18.0cm

22植田正治
〈白い風〉より
1978年
Type-Cプリント
Image size: 7.4×10.9cm
Sheet size: 8.2×11.7cm

07植田正治
〈白い風〉より
1978年
Type-Cプリント、木製パネル
Image size: 22.0×32.6cm
Panel size: 41.5×52.0cm

05植田正治
〈白い風〉より
1970年代〜80年代前半
Type-Cプリント、木製パネル
Image size: 22.0×32.6cm
Panel size: 41.5×52.0cm
サインあり

06植田正治
《作品名不詳》
1970年代〜80年代前半
Type-Cプリント、木製パネル
Image size: 22.0×32.6cm
Panel size: 41.5×52.0cm

19植田正治
《光の筺》
1994年
Type-Cプリント
Image size: 24.2×35.5cm
Sheet size: 25.3×36.3cm
*『植田正治 印籠カメラ寫眞帖』(2011年、青幻舎)P120参照

ueda_20_sakuhin植田正治
〈幻視遊間〉より《作品》
1992年
Type-Cプリント
Image size: 35.6×43.0cm
Sheet size: 35.7×43.1cm
Ed.3   サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

植田正治展は本日最終日です

さようなら、南青山3丁目

ブログ連載でお世話になっているギャラリーときの忘れものが移転されるので、今の場所での最後の展覧会に伺いました。
ギャラリーに娘をベビーカーに乗せて連れて行ったことや、娘におやつを下さったこととかも思い出され、しみじみと愛おしい空間です。
5/27まで植田正治さんの写真展。貴重なカラー作品も見られます。

小林美香さんのtwitterより)

前身の編集事務所の時代から30年近く青山で営業してきましたが、このたびここを引き払い、移転することになりました。
青山での最後の企画「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」は本日が最終日です(夜19時まで)。
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

植田正治についてはこのブログでもたびたびご紹介してきました。
金子隆一先生のテキストを収めた本展のカタログも実は制作中だったのですが、展示写真についての新たなデータ(撮影年など)が次々と判明し、とうとう会期末の今日までに刊行できませんでした(ゲラは画廊でご覧になれます)。可能な限り正確な情報を記載し、移転先でのお披露目のときに皆様にお渡しできたらと考えています。

植田正治を見られる美術館

●DMに使った蝶の写真については<大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第52回
(大竹さんは第40回でも植田正治作品を取り上げています)

●5月13日に開催した金子隆一ギャラリートークについては「スタッフSのレポート」

●1995年に中京大学アートギャラリーで開催された植田正治写真展については「森本悟郎のエッセイ その後」の第13回第14回

●2013年3月に代官山の蔦屋書店で開催された「S H O J I U E D A 1 0 0 t h B I R T H D A Y P A R T Y」

●飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」第4回

01


02

右から、
出品No.9《作品名不詳》
出品No.7《昏れる頃 3》
出品No.6〈童暦〉より《白い道》

09


04

右から、
出品No.2《浜の少年》
出品No.3《パパとママとコドモたち》
出品No.4《砂丘ヌード》
出品No.5《砂丘ヌード》

07


05

右から、
出品No.14《光の筺》
出品No.15〈幻視遊間〉より

08


06

右から、
出品No.11〈白い風〉より
出品No.10〈白い風〉より
出品No.12〈白い風〉より
出品No.13《作品名不詳》

03

右から、
出品No.1《都会》
出品No.8《作品名不詳》

来週からは引越し作業にかかり、7月初旬には皆様にお披露目できると思います。
慣れ親しんだ場所からの移動はたいへんですが、新たな空間への期待もあります。
長年のご愛顧に感謝するとともに、新たな場所での再出発にご支援、ご協力をお願いします。

●今日のお勧め作品は、植田正治です。
05植田正治
〈白い風〉より
1970年代〜80年代前半
Type-Cプリント、木製パネル
Image size: 22.0×32.6cm
Panel size: 41.5×52.0cm
サインあり

06植田正治
《作品名不詳》
1970年代〜80年代前半
Type-Cプリント、木製パネル
Image size: 22.0×32.6cm
Panel size: 41.5×52.0cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第15回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第15回

ジェレミ・ステラ『東京の家 tokyo no ie』(青幻社、2017)

01(図1)
『東京の家 tokyo no ie』表紙
(青幻舎、2017)


02(図2)
『tokyo no ie : Maisons de Tokyo』表紙(右は帯つき)
(Le Lezard Noir, 2014)

今回紹介するのは、東京を拠点に活動するフランス人の写真家、ジェレミ・ステラ(Jérémie Souteyrat, 1979-)の写真集『東京の家 tokyo no ie』(図1)です。この写真集は、フランスの出版社から刊行された『tokyo no ie : Maisons de Tokyo』(2014) (図2)を新たに日本版として編集、制作されました。フランス版の写真集が刊行された2014年のインタビューで語っているように、ジェレミ・ステラは2009年から東京に在住し、都内に点在する著名な建築家が設計したユニークな住宅とその周辺の光景に惹かれ、建築雑誌の住宅特集号やインターネットを手がかりに住宅を探し出し、住人と交渉して許可を得て4年間かけて撮影に取り組みました。
フランス版(図2)は縦位置の判型に左開きの構成で、横位置の写真をページ毎に上下左右に余白を設けて配置したり、あるいは見開き全体で一枚の写真を配置したりしており、写真のサイズの違いが際立っています。それに対して日本版では、上開きの構成で、ページを上向きに繰りながら上下それぞれのページで一つ一つの場面に対峙し、空間の広がりや奥行き、住宅の形を吟味することができるようになっています。ところどころで、都心の景色を遠景から捉えた裁ち落としの写真が挿入されていますが、ページに余白の有無にかかわらず、写真のサイズが大きくは違わないため、写真集を通じて淡々としたリズムが刻まれています。フランス版は黒いクロス製本ですが、日本版では、建材のコンクリートや鋼鉄やアルミニウムのような建材を連想させる光沢のある灰色の紙で装丁されています。
写真集の巻末には、作品のリストとして、住宅の名前、撮影年月日がまとめられています。住宅の名前には、所在地や素材、形状、設計のコンセプトにかかわる言葉が使われおり、「建築家の作品」としての住宅が、あたかも彫刻や立体、インスタレーション作品として存在しているありようを印象づけます。一連の住宅の竣工年と、撮影年月日を照らし合わせて見ると、住宅が完成して数年を経た後に撮影されていることがわかります。一般的に、建築家の作品としての建築物をとらえた写真と言うと、竣工写真のような完成直後を捉えたものが思い浮かべられますし、建築雑誌でもそういった写真が数多く紹介されています。しかし、ジェレミ・ステラの関心は、それらの住宅が、住人や周囲の環境とともに、どのように存在し、時間の流れのなかでどのような変化を遂げているのか、ということに向けられています。そのため、ステラは、水平と垂直を整えた上で、住宅の構造がきちんと収まるような視点を注意深く選びつつ、通行人や車、自転車のような偶発的な要素を画面の中に取り入れています。

03(図3)
House Tokyo, 三幣順一 / A.L.X
2012年9月7日

04(図4)
Laatikko, 木下道郎ワークショップ
2013年10月

表紙にも使われている、House Tokyoをとらえた写真(図3)では、四つ角の斜向いから住宅を捉えつつ、自転車で通り過ぎた人物の黄色い帽子と、路面に描かれた十字線の中心の黄色い四角が偶さかに呼応するような瞬間が捉えられています。このように、住宅という動かないものを被写体の中心に据えつつも、その時の現象、偶然の出会いによって成り立つ生き生きとしたストリート写真としての性格をも具えていることが、ステラの写真の魅力だと言えるでしょう。
ステラが捉えた住宅の多くは、都心の限られた敷地に建てられたいわゆる狭小住宅と呼ばれるもので、ユニークな造形の住宅とともに、建てられた敷地のあり方にも眼が惹きつけられます。たとえば、いびつな形をした区画の端や角のわずかな空間や、建物と建物の間の間口が3mにも満たないような細長い形状の土地のように、町の土地区画から取り残された敷地の中に、建築家がアイデアと工夫を凝らして作り上げた住宅が納まり、側に停められた自動車や自転車、通行人が、家のスケールを測る尺度のようにも映ります。「Laatikko」(図4)は、隣接する建て売り住宅の方が画面の中に大きく捉えられ、わずかに戸口と側面だけが写っており、画面を右側から通りかかる女子学生たちの姿と相まって、主役であるはずの住宅が、さほど目立つこともなく、周囲の景色に馴染んでひっそりと存在するものとして捉えられています。House Tokyo(図3)が、素材や形において、周囲の住宅とは全く異質な強い存在感を持つものとして、その特徴が際立つような視点から捉えられているのと比べると、「Laatikko」(図4)は、敷地の形や隣接する建物との位置関係によって、景色の中に紛れ込んでしまっているようです。どんなに奇抜なデザインの住宅も、町の景色の中に飲み込まれている様子は、新陳代謝を繰り返す東京という都市が持つ性格をあらわにしているようでもあります。

05(図5)
BB 山縣洋建築設計事務所
2011年2月15日

06(図6)
ペンギンハウス アトリエ天工人
2010年11月20日

それぞれの住宅が、竣工からしばらく年数を置いて撮影されていることは、先にも述べましたが、数年の間に、住宅が経た変化は、壁面、とくに白い壁面の汚れに見て取ることができます。
たとえば、「BB」(図5)の白い壁面の量塊感は隣の住宅と並ぶことで強いインパクトを放っていますが、採光用の天窓の角の部分からの雨だれにより、筋のような汚れが残っています。「ペンギンハウス」(図6)も同様に、白い壁面に汚れが沈着しつつ、周辺の木立とともに、その外観を時間の中で徐々に変えていっていることを伺わせます。双方(図5)(図6)ともに、壁面の汚れの痕跡が、偶然そこに居合わせた通行人や隣家の住人の存在も相まって、撮影時の時間性を強く印象づけるものになっています。
ジェレミ・ステラが、住宅を通して東京という都市の構造や変化を記録する姿勢は、フィールドワークに臨む研究者のような理知性と、その時々の状況に即座に反応するストリート写真家の視線に根ざしています。写真に捉えられた住宅や周辺の町の情景が、数十年を経た後にどのように変化していくのか、ステラ自身の関心は、東京の未来の姿にも向けられているのかもしれません。

2017年5月26日(金)〜6月8日(木)の会期で、新宿のエプソンイメージングギャラリー エプサイトにて、展覧会「東京の家」(【東京写真月間2017】関連企画)が開催されます。写真集に収録された作品の大型プリントが展示されます。6月3日には、展覧会関連イベントとして<アーティストトーク&サイン会>ジェレミ・ステラ(Jérémie Souteyrat)x小林美香が開催されますので、是非お運び下さい。また、「日本、家の列島 ―フランス人建築家が驚くニッポンの住宅デザイン―」(汐留ミュージアム、2017年4月8日(土)〜6月25日(日))においても、『東京の家』の写真作品や、撮影された住宅の内部を捉えた写真や映像、縮小模型などが展示されています。こちらも併せてどうぞお運び下さい。
こばやし みか

■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

●今日のお勧め作品は、ジョナス・メカスです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第31回をご覧ください。
20170525_0909-35ジョナス・メカス
「ウーナ、1歳...」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。

植田正治を見られる美術館

ときの忘れものは近く移転しますが、青山での最後となる「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催中です。27日までですので、どうぞお見逃しなく。

今日は植田正治作品を所蔵している国内の美術館をいくつかご紹介します。
もちろん下記以外の美術館で所蔵しているところも多々あると思いますが、それは他の機会にご紹介いたします。

植田正治写真美術館
植田正治の故郷境湊に近い鳥取県西伯郡伯耆町に1995年に開館(設計:高松伸)、植田正治の作品1万2千点が収蔵されています。
いつでも植田正治の作品を見られる美術館で、現在は<植田正治の「かたち」 写真における造形表現>展が開催されています(2017年6月4日まで、火曜日(祝祭日の場合は翌日)は休館)。
植田正治美術館フライヤー2
植田正治美術館フライヤー


東京都写真美術館
所蔵点数:299件
代表作品:《妻のいる砂丘風景(III)》、《ボクのわたしのお母さん》、〈童暦〉、〈砂丘〉、〈白い風〉、〈音のない風景〉など。
ueda_03_tuma-iii_large植田正治
《妻のいる砂丘風景(III)》1950年頃


ボクのワタシのお母さん植田正治《ボクのわたしのお母さん》1950年
*『植田正治のつくりかた』(2013年、青幻舎)より転載

都写美クロージングパーティ101Fメインエントランスへと続く外壁には、ロベール・ドアノー、ロバート・キャパ、植田正治の大型パネルが展示されています。
植田正治「妻のいる砂丘風景(III)」(2014年9月22日撮影:綿貫不二夫)


米子市美術館
所蔵点数:写真作品170点+資料3点=173点
代表作品:《自写像》、《小狐登場》
子狐植田正治
《小狐登場》1948年
*植田正治『写真とボク』(2010年、クレヴィス)より転載


九州産業大学美術館
所蔵点数:12点
代表作品:〈風景の光景〉シリーズ((1970〜80年に制作、40×52cm)計10点)

清里フォトアートミュージアム(Kmopa)
所蔵点数:5点
代表作品:《少女たち》1945年 サイズ 20.4×31.6cm 
     《カコ》1949年 サイズ 27.0×24.1cm
     《土門拳とモデル》1949年 サイズ 23.7×27.9cm
カコ植田正治《カコ》1949年
*『植田正治作品集』(2016年、河出書房新社)より転載


横浜美術館
所蔵点数:11点
代表作品:《子守り(田園の1)》1938年、ゼラチン・シルバー・プリント、28.5×22.5cm

東京国立近代美術館
所蔵点数:17点
代表作品:《少女四態1939》、《パパとママとコドモたち》、《妻のいる砂丘風景(III)》など。
少女四態植田正治《少女四態》1939年
*『植田正治作品展 砂丘劇場』(1992年、JCIIフォトサロン)より転載

ueda_01_papamama植田正治
《パパとママとコドモたち》1949年


東川町文化ギャラリー
所蔵点数:10点
代表作品:すべて〈砂丘〉シリーズ、1949年、1950年、1983年、1986年、16x20インチ。

以上、8館をご紹介しました。
それぞれが所蔵する作品点数と代表作名については、各館からお答えいただきました。記して謝意を表します。
植田正治作品の展示予定については、各美術館にお問合せください。
〜〜〜
又、7月から山梨県立美術館で開催されるコレクション展にも、植田正治作品が出品されます。
●フジフイルム・フォトコレクション「私の1枚」
会期:2017年7月1日[土]〜8月20日[日]
会場:山梨県立美術館
幕末に写真が渡来してから150年余り、日本では多くの優れた写真家が作品を残してきました。
本展では、その中でも特に重要な101人が撮影した「この1枚」と呼べる代表作を銀塩プリントで展示し、日本写真史の軌跡をご紹介します。
日本写真の黎明期を支えたフェリーチェ・ベアトや下岡蓮杖の作品を筆頭に、写真に絵画的表現を追求した20世紀初頭の芸術写真、写真としての独立した芸術を目指した1930年代の新興写真、戦前戦後に活躍した木村伊兵衛、土門拳、植田正治、林忠彦などが見せた多種多様な表現、そして今日現役で活動する写真家たちの作品など、日本写真史を語る上で欠かせない作品を展示します。甲府市出身の日下部金兵衛、富士山を多く撮影した岡田紅陽、白籏史朗など、山梨にゆかりのある写真家の作品も含まれます。
写真が今まで以上に身近になった今日こそ、日本写真史の流れを改めて見直します。(山梨県立美術館HPより転載)

-------------------------------

●今日のお勧め作品は、植田正治です。
22植田正治
〈白い風〉より
1978年
Type-Cプリント
Image size: 7.4×10.9cm
Sheet size: 8.2×11.7cm

07植田正治
〈白い風〉より
1978年
Type-Cプリント、木製パネル
Image size: 22.0×32.6cm
Panel size: 41.5×52.0cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

スタッフSの「金子隆一ギャラリートーク」レポート

スタッフSの「金子隆一ギャラリートーク」レポート

 読者の皆様こんにちは、この度慣れ親しんだ青山より画廊が移転することとなり、引っ越しのあれこれを考えると憂鬱になりつつも、新天地を思い年甲斐もなくウキウキしております、スタッフSこと新澤です。

01

 普段は展覧会半ば、或いは最終日前後に開催するギャラリートークですが、今回は月末にギャラリーコンサートが控えていたこともあり、「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」初日に開催することと相成りました。既に過去に二回、「中藤毅彦写真展 Berlin 1999+2014」と「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」のギャラリートークにご出演いただき、最早ときの忘れもので写真について語っていただくのはこの方しかおられない(と、スタッフSは勝手に思っている)写真史家・金子隆一先生に、ひょんなことから画廊で取り扱うこととなった、珍しい植田正治作品についてお話しいただきました。

RIMG0304 恒例、亭主の前語り。
 今回のお題は今展覧会の開催経緯について。さるお客様より持ち込まれた植田作品の数々ですが、その来歴からサインされていないものが多数。ですが、もしご存命ならばツァイトフォトの石原氏に話が行ってもおかしくないものばかり。早々に画廊内だけの判断は無理と結論し、金子先生にご出馬願うことに。

 金子先生は複数の植田正治写真集の出版に関係されており、こちらもときの忘れものが大変お世話になっている飯沢耕太郎先生と共に去年の12月に出版された「植田正治作品集」にも監修として参加されています。この作品集は特徴として、掲載内容をプリントの実存が確認されている作品に限らず、雑誌等に掲載された作品をベースとして選ばれています。今回展示した作品もその中に含まれていますが、驚くべき事に、編集時にプリントの現存が絶望視され、雑誌に掲載された画像を撮影した作品が、非常に良好な状態であっさりウチに入荷されていることが判明しました。他にも構図は同じものの、左右が反転している作品もあり、それはミスではなく、元々掲載されていた冊子の構成に逆らわないように構図を調整した結果であること等を教えていただきました。

RIMG0318 写真雑誌、特に日本のそれが半ば観光雑誌ともいえる特異性を持ち、1960年代の植田正治が所謂「有力な地方作家」と見做されていたことを説明する傍ら、作品集の編集時に集められた資料を回覧。

 今回最も自分の興味を惹いたのは、昨今美術写真としてモノクロ写真がカラー写真よりもてはやされている理由が、作風だけではなく社会インフラも関わっているというお話でした。後発の技術であるカラー写真は当初白黒写真よりも手間暇が必要とされる分野でしたが、1970年代には技術の発展に伴い一般においてカラー写真の方が簡単、安価に大量のプリントが処理できるようになりました。結果として一般人が気軽に、自分でも撮影できるカラー写真と、手間暇がかかる玄人志向のモノクロ写真という棲み分けが確立したということです。また、2014年の4月に開催した「百瀬恒彦写真展―無色有情」のギャラリートークで写真家・百瀬恒彦さんは現在でも個人単位ではカラー現像よりモノクロの方が簡単と言われており、その辺りの労力の差も写真屋任せの一般人と、現像まで自分でこなす作家でカラーとモノクロが分かれた理由なのかと思い返してみたり。

 今回のギャラリートークでは建築評論の植田実先生、奈良原一高先生の夫人の恵子さん、写真家の五味彬先生、植田正治事務所の増谷寛さん、国立美術館や大学の研究者の皆さんなどなど、何時にもまして豪華な面々が来廊され、青山での最後のギャラリートークを飾るに相応しい盛況ぶりでした。

RIMG0344建築評論の植田実先生
RIMG0360奈良原一高先生の夫人の恵子さん(右)
RIMG0340写真家の五味彬先生
RIMG0335植田正治事務所の増谷寛さん

 本日のギャラリーコンサートを持ちまして青山CUBEでのイベントは全て終了します。
 とはいえ画廊の場所が変わったくらいで亭主のイベント好きが収まるハズはありませんので、そう遠くない内にまた何かしら告知することとなると思われます。

 どうぞ今後ともお付き合いいただけますよう、宜しくお願い申し上げます。

RIMG0365

(しんざわ ゆう)

◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。
本日夕方6時からギャラリーコンサートを開催します(既に満席)。6時以降は予約者以外は入場できません。

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第15回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第15回

 今回は趣向を変えて、過去に書いた文章をご紹介したいと思います。
 幼い頃の山に関する出来事で、私がこれまでもっとも繰り返し書いてきた事柄は「スガリ」についてです。地蜂を食する文化が長野県にはあるのですが、私の生まれ育った八ヶ岳の裾野も例外にもれず、それを食べます。俗に「蜂の子」と呼ばれるものです。そもそも「スガリ」の語源は巣狩と思われますが、確かなことはわかっていません。ちなみにイナゴも日常的に食べます。
 繰り返し同じ事柄を書く。私はこのことを意識してやっています。同じことを再び書くことに当初は大きな抵抗がありました。新鮮味はないし、何より二番煎じではないかという思いがあったからです。
 でも、ある著名な小説家で、私より4つほど年上の方(あえてお名前はだしません日本人です)が、「自身にとって大切なことは、時に触れ、何度でも繰り返し書くべき。年齢によって、その意味、理解の濃度と深度は変わっていくから」という意味のことを書かれた文章を読み、多いに影響をうけ、同時に「繰り返し書いてもいい」ことに気がつき、背中を押されもしました。
 それから時折、私は記憶をたどりながら、「スガリ」をできるだけ別の方法で改めて書くことにしています。
 今回は、昨年の春(2016)に『文學界』(2016年5月号・文藝春秋)に発表しました中編小説「山人」のなかから、引用してみたいと思います。最新の「スガリ」の文章です。小説なのであくまで、架空の人物が登場します。東京生まれ東京育ちの主人公の少年が、両親を急に亡くし、父方の祖父母の元に引き取られ、そこで新たな生活を始めるといったストーリーです。
 少し長いですが、お読みください。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 昨日、じいちゃんとぼくは一緒に田んぼに行って、二匹のトノサマガエルを捕まえた。二匹ともプラスチックの虫かごに閉じ込め、ぼくの手の中にある。ときどきなかでカエルが跳ねる。そのたびにぼくは立ち止まって虫かごを両手でつつむ。もし、カエルが逃げてしまったら、スガリができなくなるからだ。
 じいちゃんがトノサマガエルを捕まえるさまは、手品でもみせられているようだった。糸の先の釣り針に器用にトンボをつけ釣竿をゆすると、トンボがまるで飛んでいるかのように土手と稲のあいだ、水面近くをふらふらとゆれた。しばらく繰り返していると、黒々としたものが水面から突然、勢いよくトンボめがけて飛びだした。じいちゃんが持った釣竿の先端が激しく上下に揺れた。釣り糸がきらきらと光って、次の瞬間、じいちゃんの手のなかにカエルが収まっていた。じいちゃんが閉じた手のひらをゆっくりと開くと、緑と黒の濡れた肌が見えた。黒い目も見えた。指のあいだから、後ろ足がにゅっと出たので驚いた。
「これがオウゲエロだ」
(略)
 じいちゃんは魚籠から取り出したビニール紐で、近くの木の枝にカエルの足を縛りつけた。カエルは力なげに両手をだらりと垂らしている。さらにベルトにつけた革のケースからナイフを出すと、刃をカエルの背中にすっと走らせた。次にその切り口に指を入れ、こじ開けるように皮をはぎ出した。お尻の方から頭の方へ指を滑らせる。魚をさばくみたいに見えた。器用だ。きれいに皮が剥けた。鶏肉を連想させた。そのあとで、カエルの身体のあちこちにナイフで切れ目のようなものを入れていった。そのあとでぎゅっと一度握ると血が吹き出した。家の祖先はカエルじゃなかったのか。
「始めるぞ」
 血の匂いで蜂が来る。そのことは知っている。でも、こんなに残酷なことをする必要なんてあるのだろうか。
「なんか文句でもあるだか? じいちゃんも、父ちゃんに教えてもらっただ」
 じいちゃんはあごをあげ、その姿勢のまま、じっと動かない。飛んで来る蜂を待っているようだった。
 十五分ほどたっただろうか。驚いたことに吊るされたカエルをめがけて蜂がやってきた。最初は注意深くカエルの周りをぐるぐると飛んでいたけど、やがてピタリとカエルの背中にとまった。
 なにも匂ってなどいない。ぼくにはわからないそれが、どうして蜂にはわかるのか。じいちゃんにも、嗅ぎ分けられるのか。地蜂はどれほど遠くからこの臭いを嗅ぎつけたのだろうか。ぼくも上を向いた。ゆっくりと回れ右をするようにぐるりと一周してみた。カエルと蜂とじいちゃんはこうして目には見えないものでつながっているのに、ぼくだけが、誰とも、どこともつながっていないのではないか。
 カエルにとまった蜂に、じいちゃんがそっと親指を近づけた。蜂はおとなしく爪の先に乗った。爪の上にはあらかじめナイフでマッチ棒の先ほどの大きさに切られたカエルの肉片が乗っている。肉片には真綿がつけられている。先を縒って器用に結んであるのだ。それもまたあっという間につくった。
 じいちゃんはじっと動かない。ぼくも黙って地蜂を見つめた。蜂はおそるおそるという感じに肉片を抱えた。かすかな羽音を立て、やがて空中に舞った。ぐるりとじいちゃんとぼくの頭の上に円を一度描くと、迷わず沢の上流の方向へ、真綿の白が遠ざかっていった。
(略)
 じいちゃんはどこまで行ったのだろうか。沢をそのまま上がっていったのか。自分がどうすればいいのかが、わからない。カエルが吊るされた場所へ戻るべきか。きっとそうすべきだろう。じいちゃんもそこに戻ってくるのだから。このまま斜面を下り、沢に沿って歩けば戻れるだろう。ぼくは足元を見る。自分が歩いて来た足跡はない。
 あの舌がだらりと垂れた血だらけのカエルが吊るされた場所で、じいちゃんを待つことがどうしようもなく恐ろしく感じられた。でもここにいても仕方がない。歩きだすと、何度も転んだ。そのたびに手のひらは泥だらけになり、爪の先にもそれがつまった。藪をかきわけようとした時、棘で左手の中指をざっくりと切った。
 戻ってきたじいちゃんに中指を切ったことを訴えると「つばでもつけとけ」と相手にされなかった。「泥がついているから、なめられない」と言い返すと「だったら頭を使え」と沢を指差した。「水道の水じゃなきゃ、やだ」なんて言ったら、怒鳴られることはわかっていた。でも、そんな水で傷を洗いたくはなかった。ぼくは代わりにじいちゃんを睨んだ。
「そういうやつは、とっととけえれ、性悪はいるだけで邪魔ずら。だで都会育ちはダメだ」
 じいちゃんはカエルの方に背を向けた。
 太陽が頭の真上を通りすぎた頃、じいちゃんは立ったまま、ばあちゃんが作ってくれたおにぎりを食べた。じいちゃんもぼくも時計を持っていないので、正確な時間はわからない。じいちゃんは不機嫌そうで、ほとんど何も口にしなかった。ぼくも同じように立ったまま食べた。食べ終わると、じいちゃんは虫かごに入れていたもう一匹のカエルを潰した。一匹目のカエルは乾き始め、もう血の匂いがしなくなったからだ。ぼくはその姿をぼんやりと見つめた。じいちゃんがゆっくりと動物に姿を変えていくような気がした。
 日が傾きだした頃、迷ったのだけど、
「ぼくもやりたい」
 と告げた。このままでは帰れないと思ったし、何よりじいちゃんを見返してやりたかった。
「そうか、やってみろ」
 駄目だ、と言われる気がしたので意外だった。
 見よう見まねで左手の親指の先にじいちゃんと同じように蜂を乗せた。じいちゃんの視線を感じ、緊張した。指先が震えていた。どういうわけか蜂は肉を握ろうとはせず、指の上をゆっくり甲の方に歩いてきた。蜂にからかわれているような気がした。怖くなって思わず手を振り払った。次の瞬間、手首の内側に鋭い痛みが走った。
「刺された!」
 じいちゃんはぼくの手を掴み、いきなりくわえた。硬い。吸いだした。
「しょんべんをかけろ、アンモニア消毒だ。自分のをかけろ」
 手首を見ると、赤く腫れ上がっていた。蜂に刺されたからなのか、じいちゃんが勢いよく吸いついたからなのか判別がつかなかった。混乱した。
「ほれ、めたしろ」
 自分のそれが効くとはとても思えなかった。
「……じいちゃんのをかけてほしい」
 とっさに答えた。じいちゃんは「めたしろ」とまた言った。ぼくは大きな声でもう一度言った。
「じいちゃんのがいい」
 すると、じいちゃんは迷うことなく、ぼくの左手を股間にもっていった。大げさなほどしぶきがあがって、じいちゃんのズボンに無数のシミをつくった。ぼくのシャツにも顔にもそれは跳ね返った。温かく、心地よかった。いままで何度も蜂に刺されたのに生きているじいちゃんのおしっこなのだから、毒など簡単に流れ去ってしまうだろう。
(略)
 じいちゃんはどれほどカエルが吊るされた木と藪の先を、行ったり来たりしたのだろうか。三、四十回ほどだろうか。
「見失った、くそ」
 吐き捨てるように、毎回そう言いながら戻ってきた。そのときまでには大抵、吊るされたカエルに地蜂が数匹留まっていた。だから休む間もなく、祖父は次の蜂に真綿のついた肉片を持たせ、地蜂が空中に舞い上がると、あっという間にまた藪のなかに消えていった。
 一日中追い続けたからといって、必ず巣が見つかるとは限らない。いや、見つからないことの方が多い。夕方、じいちゃんも諦めかけていたのだろう、「あと二回だけ」と力なく言って、藪のなかに消えていった。やがて、「見つけたぞ」と興奮気味に声を上げながら、戻ってきた。ぼくに抱きつかんばかりだった。
 手には何も持っていなかった。不思議に思って訊くと「目印をつけてきた」と言った。他人が見ても目印だと思わないもの、つまり木の枝をつかって自分にしかわからない目印をつくったという。以前のように巣をすぐに獲らないのは、相当にわかりにくい場所なので「ぜってえ誰かに獲られる心配はねえぞ。だで、巣が大きくなる秋までこのまま太らせる」のだという。
 やはり動物に近い。普段は隠している動物の本能が目を覚まし、こぼれ出している。それが匂った。なのに、じいちゃんは気がついていない。ぼくはじいちゃんをまじまじと見上げた。これから先、自分にそんなものが備わるなどとは、到底思えなかった。初めてうらやましく思った。
 
―――――――――――――――――――――――――

 小説はここまでです
 文章のなかの幾つかのことは本当にあった出来事です。私はその地で生まれ育ちましたが、初めて父と祖父に連れていってもらった「スガリ」の体験は強烈な記憶としていまも残っています。父と祖父が、突然、野性に目覚めたような、そこへ帰っていくような、あるいは別の動物になっていくような恐ろしさを何よりも感じました。
 この独特の「スガリ」の方法を、いつ誰が編み出したのか。知る術もありませんが、先人が考え出した原始的な方法で蜂の巣を見つける。そのことに驚きもしました。
 次回も、また別の小説に書いた同じく「スガリ」の場面をご紹介したいと思っています。地元で生まれ育ち青年になった男たちが、久しぶりに再会し同窓会的に「スガリ」をする話です。

01小林紀晴
「Winter 13」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160319_kobayashi_05_work小林紀晴
〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。

◆小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
ときの忘れもの
blogランキング

ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
ときの忘れもの
ホームページはこちら
Archives
Categories
最新コメント
記事検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ