写真

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第17回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第17回

お盆

 いま、この原稿を書いているのはお盆の直前で、明日から私は諏訪へ帰省しようとしている。私はライフワークとして全国のお祭りを撮影しているのだが、お盆の時期に諏訪以外で撮った写真はほかに比べ、極端に少ない。お盆にしか行われないお祭りは全国に様々あるので、出かけたい気持ちはもちろんあるのだが、それ以前にまず自分のお盆を優先しなくてはならない、という気持ちが強く働くのだ。お盆に諏訪以外の場所で過ごすことに、いまだに違和感を抱く。

 もはや珍しい部類にはいるのだろうが、お盆の始まりと終わりに家の前で火を焚く風習が残っている。13日の夕方にまず迎え火。
「ぼんさん、ぼんさん、この明かりでおいでなして・・・・」
 亡くなった祖母はいつも、こんなふうに声にした。歌っているようにも、念仏をと唱えているようにも聞こえた。私もそれをなぞる。
 そして16日の晩にまた火を焚く。送り火だ。
「ぼんさん、ぼんさん、この明かりでお帰り・・・」
 同じく歌うようにも、唱えるようにも聞こえる声を数回繰り返す。今年もそれをするために私は帰省する。亡くなった祖父、祖母、父、そして会ったこともない遠い人たちを呼ぶことにもなる。

01小林紀晴
「MUKAEBI」
2011撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch


 幼い頃から、お盆のあいだだけ空気が濃密になると感じていた。ヌメッとして、どこか息苦しいのだ。何かがすぐ近くにいて、身体に張り付くようだと感じていた。何かとは、「霊」ということになるのだろうが、もっと、漠然と何かがいる、という感じだった。怖いわけでもないが、緊張感がともなった。
だから送り火を焚いて送り出すと、正直ホッとした。

 奥座敷にはお盆のあいだだけ精霊棚が設けられる。位牌が並び、当然のようにキュウリで馬を作り、ナスで牛を作る。それは昔から、母の役目と決まっているのだが、私も何度か作った。足は葦の茎で作るので、河原まで取りに行かされた。
 精霊棚を目の前にすると、やはり何かがたったいま「帰ってきている」と思えるのだ。物心つく前から見続けきたのだから、当然の感覚として、刷り込まれたに違いない。

 そして、ふらりと現れるお寺の和尚さん。日にちは決まっているのだが、檀家すべてを回ってくるので、訪れる正確な時間はわからない。長い午後、待ち続けることになる。
 和尚さんが精霊棚に向かってお経をあげている姿を背後から眺めていると、必ずたったいま、自分は夏の頂点にいるのだと思えてくる。毎年のことだ。

 私は長いあいだ、迎え火と送り火にカメラを向けることができなかった。写真に収めれば、そこに何かが確実に写ってしまうと考えたからだ。子供じみたことを、と言われそうな気もするのだが、ずっとそう信じてきた。
 それがあるきっかけで、カメラを向けた。ニューヨークで知り合ったアメリカ人の友人が来日し、お盆の時期に彼を連れて帰省したことがある。2002年のことだ。
 彼がいきなり迎え火にカメラを向けて写真をバシバシ撮った。正直、止めたかったのだが、野暮だと思い、そのままにした。
 後日、彼が撮影したネガを見せてもらったのだが、何かは写っていなかった。当然といえば、当然だが、ちょっと拍子抜けした気分だった。
 その翌年、私は初めて迎え火にカメラを向けた。緊張した。後日、現像したフィルムを見てみたが、何かの姿は微塵もなかった。
こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160819_kobayashi_10_work小林紀晴
〈ASIA ROAD〉より2
1995年
ヴィンテージC-print
Image size: 18.7x28.2cm
Sheet size: 25.3x30.3cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆「今週の特集展示:白南準(ナム・ジュン・パイク)と文承根(ムン・スングン)」は本日が最終日です。
会期=2017年8月8日[火]―8月19日[土] 11:00-18:00 ※日・月・祝日休廊
201708_
白南準(ナム・ジュン・パイク)文承根(ムン・スングン)の作品約10点をご覧いただきます。


ギャラリートークのご案内
柳正彦が語る<プロジェクトとその記録、クリストとジャンヌ=クロードの隠れたライフワーク>

日時:2017年9月2日(土)16時〜
長年クリストとジャンヌ=クロードのスタッフをつとめてきた柳さんが、世界各地で実現された大規模なプロジェクトを紹介しながら、短期間しか存在しない作品を、アーティスト自身がいかに記録に纏めていったかを、参考映像を交えて語ります。
*要予約/参加費1,000円
必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com

●同時に8月29(火)〜9月9日(土)「クリストとジャンヌ=クロード展を開催します。ご期待ください。

夏季休廊のお知らせ
ときの忘れものは明日8月20日(日)〜8月28日(月)まで夏季休廊となります。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は毎月5日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は終了しました。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

奈良原一高写真集『HUMAN LAND 人間の土地』復刻

奈良原一高が写真家として歩み始めるきっかけとなった重要な作品、『人間の土地』。
初個展の30年後にリブロポートから刊行された写真集が、このたび復刊ドットコムから復刊されました。
ときの忘れものでも扱っていますので、ご注文ください。

20170824奈良原一高写真集
『HUMAN LAND 人間の土地』

2017年
復刊ドットコム 発行
176ページ
28.7x23.0cm
ハードカバー
テキスト:福島辰夫、奈良原一高
価格8,000円(税別) ※送料別途250円


昭和三十一年(一九五六)、処女個展「人間の土地」によってたちまち写真界に認められた奈良原一高の登場ぶりは、まさに颯爽たるものがあった。問題意識と主題の設定における鮮烈さに人々は眼を見張った。そしてその点において、それまでの写真界に長らく不在だった、新しいタイプのパーソナリティーの出現であることを疑うものはなかった。
…(中略)…彼が「人間の土地」において発見したものは、どのような状況においても人間は生きていけるし生きているということへの、率直な感動であったといってよい。観念としてあった人間の生きる姿を、現実に如実なものとして発見したことの驚きなのであった。この作品はその驚きを隠そうとしない点でも鮮烈だった。
*重森弘庵(自意識の写真・奈良原一高)より

20170824_1掲載番号3)
奈良原一高
「軍艦島全景」


20170824_3掲載番号12)
奈良原一高
「地下道(トンネル)」


20170824_2掲載番号57)
奈良原一高
「海を見る少年」


本作『人間の土地』は、奈良原一高が早稲田大学院時代に長崎県の端島(軍艦)と鹿児島県の桜島(黒神村)を撮影し、1956年年に銀座松島ギャラリーでの初個展発表したシリーズです。軍艦島は海底炭鉱の開発ために埋め立てて人が住るよう改築を繰り返した人工島で、労働者と家族が要塞のような建物にひしめきあって暮らす、近代化産業の象徴のような炭鉱都市でた。
一方の桜島は20世紀以降火山活動が発になり、1914年の大噴火では村のほとんどが溶岩や灰に埋まりました。地中に埋まった3メートルもの鳥居がその凄まじさを伝えています。工業のために人工的に造られた要塞のような「緑なき島」と、自然の巨大な力の元にある「火の山の麓」。
子供時代を長崎で過ごした奈良原は、美学を志す学生として再び訪れた九州で、対照的な要因によって孤立したそれぞれの土地で厳しい条件の下に生き続ける人々の姿に惹かれてカメラを向けました。
『人間の土地』という示唆的なタイトルを与えられたこの作品には、どんな過酷な土地でも根を張り生きていくという人間の極限の希望が若き日の作家のまなざしを通して焼き付けられおり、軍艦島が閉山して長い年月が経ち世界遺産となった今も変わらず、見るものを引きつける大きな力を放っています。

●今日のお勧め作品は奈良原一高です。
narahara_17_wthv3
Ikko NARAHARA
"Two Garbage Cans, Indian Village, New Mexico from "Where Time Has Vanished"
写真集〈消滅した時間〉より
《インディアンの村の二つのごみ缶、ニューメキシコ》
1972
Gelatin Silver Print / printed in 1975
Image Size : 26.5×39.8cm
Sheet Size : 40.6×50.8cm
Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
〜〜〜

*画廊亭主敬白
うっかりしていて、ご案内するのが遅くなりました。
建築好きなら見逃せない展覧会が、東京丸の内の ASJ TOKYO CELL で開催中です。

日本人がまだ知らないル・コルビュジエ アジール・フロッタン 再生展
― 浮かぶ避難船 ル・コルビュジエが見た争乱・難民・抵抗から ―


会期:2017年8月5日(土)〜8月22日(火)10:00〜19:00
会場:ASJ TOKYO CELL 新日石ビル1F
主催:株式会社遠藤秀平建築研究所
共催:アーキテクツ・スタジオ・ジャパン株式会社
年中無休、入場無料

知られざるル・コルビュジェのプロジェクトが、パリのセーヌ川に浮かんでいる。
世界救世軍の依頼により設計し、船を改造した「アジール・フロッタン」(浮かぶ避難所)だ。これは第一次世界大戦の混乱によって生じた難民を収容すべく、1929年に完成したものである。もともと鉄ではなく、コンクリート造の石炭を運ぶ船だったが、箱型の船体に柱と屋根・水平窓を増築し、船が建築としてリノベーションされた。客船を近代建築の理想的なモデルと考えていたル・コルビュジェが、ここでは船をモダニズム建築に改造したのである。アジール・フロッタンは、今もノートルダム大聖堂から上流1キロの左岸に係留されているが、老朽化により建築としての機能を失っていた。しかし、2006年からミシェル・カンタル=デュパール氏ら5名の有志によって修復工事を実施、さらに今秋に日本から桟橋を寄贈し、2018年からギャラリー機能をもった建築として再生される。この新しい船出を祝して、ル・コルビュジェ財団から提供された完成当時の資料、設計のスタディ、現在の写真・映像、模型などを用いて、アジール・フロッタンを紹介する。
五十嵐 太郎 (建築史・建築評論家/東北大学大学院教授)
(同展サイトより)
〜〜〜
◆「今週の特集展示:白南準(ナム・ジュン・パイク)と文承根(ムン・スングン)」は明日が最終日です。
会期=2017年8月8日[火]―8月19日[土] 11:00-18:00 ※日・月・祝日休廊
201708_
白南準(ナム・ジュン・パイク)文承根(ムン・スングン)の作品約10点をご覧いただきます。


ギャラリートークのご案内
柳正彦が語る<プロジェクトとその記録、クリストとジャンヌ=クロードの隠れたライフワーク>

日時:2017年9月2日(土)16時〜
長年クリストとジャンヌ=クロードのスタッフをつとめてきた柳さんが、世界各地で実現された大規模なプロジェクトを紹介しながら、短期間しか存在しない作品を、アーティスト自身がいかに記録に纏めていったかを、参考映像を交えて語ります。
*要予約/参加費1,000円
必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com

●同時に8月29(火)〜9月9日(土)「クリストとジャンヌ=クロード展を開催します。ご期待ください。

夏季休廊のお知らせ
ときの忘れものは8月20日(日)〜8月28日(月)まで夏季休廊となります。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第55回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第55回

HIH_press001
(画像をクリックすると拡大します)

この写真を見たときに、最初に目がいったのは、最前列のむかって左側の人たちだった。
腕を組んで横につながり、背筋をピンと伸ばし、片足をすっと前に出すしぐさがダンスのステップを踏んでいるように見えた。

とくにその姿が際立っているのは、中央にいる腕に腕章を巻いたコートの男である。
顎を引いて前方を見据え、胸を張り、上半身に彫像のような緊張感をみなぎらせながら足を踏み出している。となりのメガネの男と比べると、彼のほうが他者の視線を意識しており、中央に立つにふさわしい勇ましさをも感じさせる。

彼の左どなりにいるのは、女性である。スーツなのかワンピースなのか、黒っぽい服をまとい、腕には男とおなじく腕章を巻き、靴はまぶしいくらいの白だ。彼女の肩のラインにも、男と同様の張りつめたエレガンスが感じられる。

彼女が腕を組んでいるのは、前列でもっとも年若い女性である。肩にショルダーバッグをかけ、片手に傘をもった姿は颯爽としていて、大柄のからだから踏み出される足幅は大きく大胆だが、緊張感に関しては中央の男女よりも見劣りがする。どこか日常的な雰囲気なのだ。

それにつづくコートの女性は、明らかに彼女とは世代がちがう。背の低いずんぐりした体形で、歳もかなり上だが、それを感じさせるのは風貌以上に足の出し方である。膝が曲がってガニ股ふうなのだ。

同様に、彼女のとなりにいるコートと帽子姿の女性もガニ股気味。でも、おかしなことに、彼女の足は隣の女性と反対のほうが踏みだされていて、そのために足と同じ側の肩が前に出ている。なんだかふたりで二人三脚しているようだ。

このように、つい足の動きに目が行ってしまうのは、女性たちがみなスカートを履いているせいがだいぶあるだろう。パンツの時代はまだ先のこと、膝のかくれるスカート丈からあらわになった脛が、足のかたちや、出し方や、動きや、歩幅や、歩く速度を際立たせている。

腕組みをして道幅いっぱいに広がるこのようなスタイルのデモを「フランス式」という。ダンスしているように見えるのも、こんなに人がたくさんいるのに汗くさい感じがしないのも、「フランス式」と思ってみると、なんとなく納得するし、隊列の先頭をいく男が掲げる旗の「日教」の文字に気付くと、参加者に女性の数が多いことにも合点がいく。そう、彼らは日教組に入っている教職員なのだ。

道路には敷石がしかれ、都電の線路が通っていて、はるか後方には、身動きのとれなくなった車輛の頭も見える。前進する人の波が都電を押しとどめたのだ。その前進が、なによりも人の足によってなされたことを、この写真は強く訴えかけており、そこに溌剌した希望が感じられる。

大竹昭子(おおたけあきこ)

〜〜〜〜
●紹介作品データ:
濱谷浩
“June 22, 1960” from the series “A Chronicle of Grief and Anger”
1960年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 15.9x24.0cm
Sheet size: 16.9x24.9cm
(C)Keisuke Katano / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film
*当該作品は1960年に刊行の『怒りと悲しみの記録』の入稿原稿。プリント背面に作家が押したスタンプと手書きの制作年記載あり。

■濱谷浩 Hiroshi HAMAYA
1915年東京生まれ(1999年没)。1933年、二水実用航空研究所に入所し航空写真家としてキャリアを始め、同年オリエンタル写真工業株式会社(現・サイバーグラフィックス株式会社)に就職。1937年に退職し、兄・田中雅夫と「銀工房」を設立。1938年、土門拳らと「青年写真報道研究会」の結成や、瀧口修造を中心とした「前衛写真協会」設立に参加。1939年にグラフ雑誌『グラフィック』の取材により新潟県高田市を訪れ、民俗学者・市川信次や渋沢敬三と出会う。1941年、木村伊兵衛、原弘らを擁する東方社に入社するも、43年に退社。同年、太平洋通信社の嘱託社員として日本の文化人を取材。1960年マグナムの寄稿写真家となる。主な個展に「写真家・濱谷浩展」川崎市市民ミュージアム(神奈川、1989年)、「写真の世紀 濱谷浩 写真体験66年」東京都写真美術館(1997年)など。主な写真集に『雪国』毎日新聞社刊(1956年)、『裏日本』新潮社刊(1957年)、『怒りと悲しみの記録』河出書房新社刊(1960年)など。主な受賞に第2回毎日写真賞(「裏日本」にて、1956年)、日本芸術大賞(『濱谷浩写真集成:地の貌・生の貌』にて、1981年)、ハッセルブラッド国際写真賞(1987年)など。

●展覧会のご紹介
六本木のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムで濱谷浩さんの展覧会が開催されています。上掲の作品も出品されています。

濱谷浩「怒りと悲しみの記録」
会期:2017年7月8日[土]〜8月12日[日]
会場:タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム
   〒106-0032 東京都港区六本木5-17-1 AXISビル2F
時間:11:00〜19:00
日・月・祝日休廊

濱谷は1930年代より、人間と人間を育む環境・風土の関係を透徹した眼差しで捉え、峻厳な態度で写真の記録性に向き合い、時代を映す重要なドキュメントを数多く残しました。本展では、濱谷が1960年の日米安保闘争を1ヶ月に亘り取材し上梓した『怒りと悲しみの記録』(河出書房新社、1960年)より約22点を展示いたします。

東京に生まれた濱谷浩は、モダニスムの空気が漂う1930年代に都会や下町における新旧の混沌たる市井風俗を撮影し、1933年、西欧の先進的な芸術動向を紹介したカメラ雑誌『フォトタイムス』を刊行していたオリエンタル写真工業に就職しました。グラフ・ジャーナリスムの確立や新興写真の隆盛など、近代写真表現の模索に伴い、写真家という存在も近代化へ向かっていた時代において、堀野正雄や木村専一といった新時代を象徴する写真家や編集者との出会いは、濱谷にプロフェッショナルとしての写真家の在り方を意識させる機会となりました。新進気鋭の写真家として活躍する傍ら、「前衛写真協会」の設立に携わるなど、写真の近代化の最先端に身を置いていた濱谷は、グラフ雑誌『グラフィック』の仕事で新潟県高田市の陸軍スキー連隊の冬季演習を取材した際、民俗学研究者・市川信次や民俗学資料博物館を主宰する渋沢敬三と出会い、また和辻哲郎の著作『風土:人間学的考察』に感銘を受けたことを通じ、それまで都会の華やかなものに向けられていた視線を、人間とその形成に基底的な作用を持つ風土に転じ、時代の転換の中でこれらを記録することの重要性を改めて認識するようになりました。

記録することは、人類が人類であるために絶対に切り離すことのできぬ人間的な貴重な行為なのである。そして写真こそは、その最も近代的機能をもったものであるといえる。
濱谷浩、「写真の記録性と記録写真」、『カメラアート』カメラアート社、1940年12月終刊号

1940年、新潟県・桑取谷における小正月の民俗行事を撮影する中で、雪深い越後の庶民の古典的な生活と向き合い、人々の自然に対する畏怖と調和の精神を目の当たりにした濱谷は、以降10年に亘り山間の村に通い『雪国』を発表します。その後、より広範に日本列島の気候風土、歴史的な地域社会の成立過程とその現況を確かめるべく、日本海沿岸の厳しい自然風土の中で暮らす人々を取材記録した『裏日本』の冒頭には、「人間が人間を理解するために、日本人が日本人を理解するために」という濱谷の生涯のテーマとなる言葉が記されています。

戦争へ向かう情勢の中、濱谷は東方社に入社し対外宣伝グラフ誌『FRONT』の撮影をするも、社の幹部と衝突し退社します。多くの写真家の仕事が戦時下の体制に組み込まれていく中で、濱谷は一貫して厭戦思想を貫き、1944年には新潟県高田に移り終戦を迎えました。戦後の高度経済成長の中、濱谷は1960年の日米安保闘争を市民の立場で客観的に取材、約1ヶ月間で2,600点にも及んだ記録は『怒りと悲しみの記録』として出版されました。

それまで、私は政治的な取材には縁が薄かった。だが今度は違う。五月十九日の強行採決、民主主義を崩壊に導く暴力が議事堂内部で起こった。私は戦前戦中戦後を生きてきた日本人の一人として、この危機について考慮し、この問題にカメラで対決することにした。
濱谷浩、『潜像残像:写真家の体験的回想』、河出書房新社、1971年、p.198

1960年にマグナム・フォトにアジア人として初めて参加した濱谷の写真は、広く欧米で関心を集め、「怒りと悲しみの記録」は6月25日付『パリ・マッチ』に掲載、その後マグナムを通じてイギリスの『ザ・サンデー・タイムス』でも連載され、日本では写真展が銀座・松屋を皮切りに日本全国の展示会場や大学を巡回しました。しかしながら、高まりを見せていたはずの政治意識の急速な萎靡沈滞とその後に続く擬似的な太平・繁栄の氾濫を受け、日本の政治体制や人間に対して大きな失望感を抱いた濱谷は、日本人の特異な性質との因果関係を自然に求め、「人間はいつか自然を見つめる時があっていい」とし、60年代後半より科学的な視点から自然風景の撮影へと向かいます。その後も南極やサハラ砂漠など海外の辺境へと視点を移し撮影を行なった濱谷の活動は、常に「人間と自然の課題を自身の目で探る」ことに根ざし、そのヴィジョンは写真が社会とどのように関わりうるかを問い続けています。
協力:Marc Feustel(Studio Equis)
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムHPより転載)

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

12

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

今週の特集展示:アジェとドアノー 8月1日(火)〜8月5日(土)

青山から駒沢(ママ)のスペースに移ったばかりの、「ときの忘れ物」で、移転記念コレクション展を最終日に観た。ギャラリーはビルを三回まで使った広い空間で、エントランスが開放的な構造となっておりきれいな中庭もあった。
ふらっと行ったのだが、新しいスペースや展示作品について丁寧に教えていただけて勉強になった。瀧口修三の他のアーティストに贈る水彩作品、(調度であるが)磯崎新の独特の形の椅子シリーズ、ジム・ダインの版画、瑛九のフォトデッサン、 松本俊介のドローイングなどを観ることができてよかった。
現代系版画工房の活動も行っていてそれとギャラリーが合わさった活動をしてきたということで、引き継いだ歴史の厚みを感じられる。版画作品を載せた同名の美術誌も発行してきており、本がたくさん並んでいるのにも興味を惹かれたスペースだった。

(矢田滋さんのtwitterより)>
*註:駒沢ではなく、駒込です。

29日に終了した移転記念コレクション展でしたが、おかげさまで初めての方が結構多く、お友達に誘われた若い人たちにもたくさん来ていただきました。これを機に平均年齢がぐっと下がることを期待しましょう。
駒込のコンクリート打ち放しの空間には壁面が少なく、平面作品の展示には工夫が必要です。
今後は二ヶ月に一本程度の「企画展」(一階から三階まで全館を使用)と、二階の図書室周辺での小規模な「今週の特集展示」を交互に開催して行きたいと考えています。当分は試行錯誤が続くでしょうが、暖かな目で、長〜い目で見守っていただければ幸いです。

本日(月曜)は休廊ですが、明日1日からは「今週の特集展示:アジェとドアノー」をご覧いただきます。

●「今週の特集展示:アジェとドアノー」
201708
会期:2017年8月1日[火]〜8月5日[土]
11:00〜18:00

パリを捉えた二人の作家、ジャン=ウジェーヌ・アジェロベール・ドアノーの作品をご覧いただきます。


a_01ジャン=ウジェーヌ・アジェ
《サント・フォア通り24-26番地》
ゼラチンシルバープリント
Image size: 17.5x23.0cm
Sheet size: 17.5x23.0cm
*ピエール・ガスマンによるプリント


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

ジャン=ウジェーヌ・アジェ Jean-Eugene ATGET(1857-1927)
フランスの写真家。1857年フランス南西部のリブルヌに生まれる。両親を亡くし、5〜6歳頃に叔父に引きとられる。1879年に音楽家や俳優を養成する学校のコンセルヴァトワールに通うが、兵役のために演劇学校を中退し、地方回りの役者になる。1886年、生涯の伴侶となる女優ヴァランティーヌ・ドラフォスに出会い、旅回りを続ける。1897〜1902年の間にヴァランティーヌはラ・ロッシュで公演をするが、アジェは1898年に劇団を解雇される。一人パリに戻って、画家を目指すが、生活のために写真を撮り始める。初期の頃は、路上で物売りする人々の写真を撮っていたが、20世紀前後のパリの建築物や室内家具などを撮り始める。1927年、歿。30年間に約8000枚の写真を残し、作品の多くは、死後発掘公表された。フランス第三共和政下のパリの様子をとどめた貴重な記録であり、都市風景を撮影する手本として評価された。

d_01ロベール・ドアノー
《Un regard oblique 斜めの視線》
1948年撮影(1978年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:33.5x37.7cm
シートサイズ:50.7x60.8cm


d_02ロベール・ドアノー
《Creature de reve 夢の想像物》
1952年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:38.5x32.5cm
シートサイズ:60.5x50.5cm


d_05ロベール・ドアノー
《L'ENFER キャバレー地獄》
1952年
ゼラチンシルバープリント
35.0×24.5cm
サインあり


d_03ロベール・ドアノー
《La palme de Picasso》
1952年撮影(1977年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:22.3x34.0cm
シートサイズ:30.5x40.3cm
サインあり


d_04ロベール・ドアノー
《Le ptit balcon かわいいバルコニー》
1953年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:24.0x34.5cm
シートサイズ:30.3x40.5cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

ロベール・ドアノー Robert DOISNEAU(1912-1994)
1912年パリ郊外のジョンティイ生まれ。印刷会社でリトグラフの仕事を経験後、1931年写真家に転向。1934年ルノー自動車で広告、工業写真家として勤務し、1939年に独立するが、すぐに召集を受ける。パリ陥落後はレジスタンス活動に加わる。戦後は1946年にラフォ通信社に参加し、フリー写真家として「パリ・マッチ」などのフォトジャーナリズム分野で活躍。一方、1948年から1952年まではファッション誌の「ヴォーグ」の仕事も行う。パリの庶民生活をエスプリを持って撮影し、もっともフランス的な写真家として根強い人気がある。1947年にコダック賞、1956年にニエペス賞を受賞。また、シカゴ美術館(1960年)、フランス国立図書館(1968年)、ジョージ・イーストマン・ハウス(1972年)をはじめ世界中の主要美術館で回顧展が開催されています。1994年、歿。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

駒込Las Casasより、秋葉シスイとウィン・バロック、エド・ベイナード

Thank you for the green tea & beautiful arts collection !!
(芳名簿より、Aさんのコメント>

青山のギャラリーで、引っ越し先の住宅の写真を見た時から行ってみたいと思っていました。
普段では中々入る機会のない素敵な建築をゆっくり見る事ができて感激でした。住宅空間で見る作品は、展示されたというより、以前からそこにあったような、空間に溶け込んだ感じがありました。誰かの家の中で個人コレクションを見ているような不思議な感覚になりましたが、とても居心地がよかったです。
中から外の作品や、上階から下、下から上と、いろいろな場所から作品が見られたのも面白かったです。

(Wさんのメールより)>

20170628 (1)
左下から時計周りに、長年の顧客の西村さん、スペインから来日した根岸文子さん一家、亭主、池上ちかこさん、団扇を持つ社長。
2017年7月28日 図書室にて

駒込に移転してようやく二ヶ月近く経ちました。
7月7日に皆さんにお披露目をし、移転記念コレクション展を開催してきましたが、本日が最終日です。
コンクリート打ち放しの空間、それも住宅建築ということで、展示にはずいぶん悩みましたが、おかげさまで初日から赤丸がつき(こんなことはもう二度とないかも知れませんが、昨日現在11点が売約となりました)、その作品を外して別の作品に架け替えるということを繰り返してきました。
普段はそんなことはしないのですが、今回に限って、私たち自身のトレーニング(試行錯誤)をかねて平面作品についてはほぼ日替わりの展示内容でした。

最終日の展示作品から、エド・ベイナード秋葉シスイウィン・バロックの作品をご紹介します。
RIMG0589


RIMG0591


20161128_baynard_01_hanaエド・ベイナード
「花」
1980年   木版
作品サイズ:70.0×100.0cm
A.P.11/16  Singed

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

エド・ベイナード Ed BAYNARD(1940-)
1940年、アメリカ・ワシントンD.C.生まれ。60年代にビートルズのアップル社や、パリのファッション雑誌社でグラフィックデザイナーとして勤めた後、70年以降本格的に絵画作品を発表し始める。スペイン、アイヴァン・スペンス・ギャラリーで最初の個展を開いた後、ニューヨークに移り、親しみやすい自然主義的な素描、水彩、版画作品などを手がけるようになる。80年以降はタイラーグラフィックスと組んで、数多くのリトグラフと木版画を制作。彼の作品には静物画が多く、陰影を排し余白を最大限に生かしたその画面構成は日本の伝統木版画にも通じるものがある。花器に生けた花を描いた作品はとりわけ上品な美しさがある。

20

20170729_akiba_25_next15秋葉シスイ
《次の嵐を用意している》(15)
2015年
カンバスに油彩
91.0×73.0cm(F30号)
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

秋葉シスイ Sisui AKIBA(1984-)
1984年千葉県生まれ。2007年和光大学表現学部芸術学科卒業。同年フタバ画廊で初個展「そこから」を開催。個展:2009年「向かう」(小島びじゅつ室/東京)、2010年「メロディーはない」(gallery坂巻/東京)、主なグループ展:2008年2009年「4 winds」(ときの忘れもの/東京)、2009年「この世界とのつながりかた」(ボーダレス・アートミュージアムNO-MA/滋賀)。人物が佇む静謐とした風景や、遠くに何かの気配が存在する風景、又それすら何もない風景を描き続けている。


RIMG0547


RIMG0549


RIMG0551


20170729_bullock_02_Child_in_the_forestウィン・バロック
《Child in the forest》
1951年(Vintage)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:19.0x24.2cm
シートサイズ:33.5x38.0cm
サインあり


20170729_bullock_03_navigation-without-numbersウィン・バロック
《Navigation Without Numbers》
1957年(Vintage)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:17.8x23.0cm
台紙サイズ:33.5x38.0cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

ウィン・バロック Wynn BULLOCK(1902-1975)
1902年アメリカ生まれ。コロンビア大学、ウエスト・バージニア大学で音楽を学び、プロのテノール歌手としてブロードウェイで4年間活躍。その後留学したパリで、印象派絵画やモホリ・ナジ、マン・レイなどの写真に触れ、視覚芸術に興味を抱くようになる。この頃、カメラを購入し写真を撮り始める。パリでの舞台デビューでは好評を得ながらも声の限界を感じるようになり、1930年アメリカに帰国。これを機に本格的に写真表現に傾倒していき、写真を学ぶため36歳にしてロサンジェルス・アート・センターに入学。絵画の影響を受けていたこともあり、ストレートな写真よりもソラリゼーションなどの実験的技法に没頭する。1941年卒業、商業写真で生計を立てる。1948年エドワード・ウェストンと出会い、暗室作業での操作を排しシンプルかつダイレクトに世界と向き合う彼に強い影響を受ける。その後バロックはそれまでの実験的な作品をやめ、森や海などの自然や、その自然の中に幼い少女や女性のヌードを配した写真を多く撮影する。代表作、「森の中の子供」「そこに光あれ」など。1975年、歿。

移転記念コレクション展は本日が最終日です。
※靴を脱いでお上がりいただきますので、予めご了承ください。
※駐車場はありませんので、近くのコインパーキングをご利用ください。
201707_komagome_2出品作家:関根伸夫、北郷悟、舟越直木、小林泰彦、常松大純、柳原義達、葉栗剛、湯村光、瑛九、松本竣介、瀧口修造、オノサト・トシノブ、植田正治、秋葉シスイ、光嶋裕介、野口琢郎、アンディ・ウォーホル、草間彌生、宮脇愛子、難波田龍起、尾形一郎・優、他

21

ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第17回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第17回

木村高一郎『ことば』、『ともだち』

01(図1)


今回紹介するのは、木村高一郎(1975-)の写真集『ことば』と『ともだち』(いずれもリブロアルテ、2017年)です。『ことば』や『ともだち』という、やや漠然としたタイトルからはその内容を測ることは難しいですが、いずれも木村自身の家族を自宅で撮影した写真で構成されており、家族との生活の中で、繰り返される営みが主題になっています。
『ことば』は、木村が家族(妻と幼い息子)と共に就寝する寝室の天井に、自動タイマー付きのカメラを設置して撮影した写真をまとめたものです。表紙には3人の眠る姿のシルエットがエンボス加工で象られており、薄い赤い紙が毛布のように身体の上に被さるように重ねられています。(図1)縦長の判型で見開きページ全体に写真が掲載されており、画面右側に設置されたベッドの隣に、二枚並べて敷かれたマットレスの上に、親子3人、あるいは妻と息子、木村と息子、息子一人が眠っている場面が繰り広げられていきます。マットレスの間にページの綴じが重なるように写真が配置されているため、マットレスの上での家族それぞれの振る舞い――寝相や団欒、絵本を読み聞かせている様子、ストレッチをしたり、ふざけて遊んだりしている様子など――を真上から眺めているかのように感じられます。写真をシークエンスとして見る中で、家族の振る舞いだけではなく、マットレスの周辺に置かれているものや、季節による布団やタオルなどの寝具の変化を観察することができます。

02(図2)


03(図3)


木村家の「川の字に眠る」就寝スタイルは、息子を中心に左側が妻、右側に木村が寝るパターンを基本型としつつ、息子がマットレスの中外を縦横無尽に動き回るというもので、暑い時期にはお互いに幾分離れ、寒い時期には身を寄せ合って布団をかぶり、寝相のあり方にも季節の変化があらわれています。(図2、3)

04(図4)


05(図5)


息子に絵本の読み聞かせをしたり、世話をしたりしつつ、時に自分の読書に勤しむ妻や、寝相の姿勢が相似する木村と息子など、眠る前や就寝中、あるいは目覚めた後の行動をつぶさに見ていくと、家族それぞれの振る舞いのなかに、役割や関係性、生活習慣などが垣間見られます。写真集のタイトルである「ことば」とは、話したり書いたりする狭義の「言葉」に限定されるのではなく、寝室という一つの空間の中で、無意識的に繰り広げられるそれぞれの振る舞いが関わり合っている状態のことをも含んでいると言えるでしょう。木村が家族に直接カメラを向けて自分でシャッターを切るのではなく、家族全員を俯瞰できるような地点にカメラを固定し、自動でシャッターを切るように設定して撮影するという手法を取り入れることで、睡眠中とその前後の行動観察記録を通して偽りのない家族の関係性が浮かび上がっています。(図4、5)

06(図6)『ともだち』表紙


『ことば』で木村が用いている観察的な手法は、『ともだち』にも通じています。『ともだち』は、木村の息子が4、5歳の頃にトイレで排便をする様子を、踏ん張り、息み、時に放心しているかのような表情に焦点をあわせて撮影した写真をまとめたものです。正方形に近い判型の写真集は、便座の蓋が描かれた表紙が上に開くような装丁になっています(ページは横開き)。(図6)手持ちのカメラで撮影されているため、『ことば』のようには固定した視点とはいかないものの、息子が便座に座り排便する様子を、正面から見守るような視点で捉えた写真が連なっていきます。自分の育児経験から測ると、4、5歳の年頃の幼児は、トイレで排便することはできても、トイレのドアを閉めることを嫌がり、ドアを開けたままにして戸口で親が一緒に付き添い、用を足した後に尻を拭き、水を流すまでの行程を手伝うことが多いものです。「ともだち」というタイトルは、このように誰かを伴ってトイレに行くような感覚と、幼児にとっての「うんち」に対する感覚――自分の中から出てくる分身、友達のような存在で、用を足した後に水を流すことを「うんちにバイバイする」と表現するような感覚――を反映しているように思われます。
排便の度にカメラを向けられることもあって、撮られ慣れていることも手伝ってか、息子はカメラの存在を全く意識していないように、その時々のあるがままの感情をあらわにしています。写真集では左右の見開きに一点ずつ写真が掲載されており、視線の向け方や、身体や顔の向き、表情、などにおいてそれぞれに似通っていたり、共通点があったりするものが対になるように組み合わせられています。(図7、8、9)写真を見ていくと、幼児が毎回の排便にこれほど真剣で豊かな表情を見せるものなのかと驚かされます。
『ことば』と『ともだち』を相互に見比べて見ると、息子が身につけている寝間着のような洋服から判断して、これらの写真が撮影された時期が重なっていることがわかります。同じ被写体であり、同じ空間の中で、毎日同じように繰り返される営みでありながら、日々それぞれに異なる表情を具えていることが、ごく当たり前のことでありながら、写真として目に見える形をとることで新鮮に映ります。『ことば』と『ともだち』は、子どもが家族からの直接的なケアを必要とする幼児で、親から干渉を受けずに占有できる個室のようなテリトリーを主張する前の段階だからこそ成立したプロジェクトであると言えるでしょう。このように日常生活の中で、定期的に写真に撮る、撮られる関係性が成り立つのは、親子のように血縁があって生活を長く共にする場合でも、期間として限られるものなのかもしれません。

07(図7)


08(図8)


09(図9)

こばやし みか

■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

●今日のお勧め作品は、中藤毅彦です。
20170725_nakafuji_46中藤毅彦
"Winterlicht"
1999年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:54.0×35.9cm
シートサイズ:57.0×38.8cm
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

移転記念コレクション展
会期:2017年7月8日(土)〜7月29日(土) 11:00〜18:00 ※日・月・祝日休廊
※靴を脱いでお上がりいただきますので、予めご了承ください。
※駐車場はありませんので、近くのコインパーキングをご利用ください。
201707_komagome_2出品作家:関根伸夫、北郷悟、舟越直木、小林泰彦、常松大純、柳原義達、葉栗剛、湯村光、瑛九、松本竣介、瀧口修造、オノサト・トシノブ、植田正治、秋葉シスイ、光嶋裕介、野口琢郎、アンディ・ウォーホル、草間彌生、宮脇愛子、難波田龍起、尾形一郎・優、他

21

ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

12

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。

◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。

金子隆一「植田正治の写真世界」

植田正治の世界――新たな評価の軸をもとめて

金子隆一(写真史家)


植田正治(1913〜2000)が、日本を代表する写真家であることに異議をはさむ者はいないだろう。そしてその評価は国際的にも不動であると言って過言はない。そんな植田の代表作と言えば、戦前においては、「平行並列平面構成」の演出写真の傑作《少女四態》(1939)であり、戦後においては《パパとママとコドモたち》(1949)や50年代の砂丘シリーズ、そして写真集『童暦』(中央公論社、1971年刊)を構成した山陰の子供たちをモチーフにした写真群、そして74年に始まった〈小さい伝記〉シリーズの6×6判のスクエア画面のポートレイトや風景など枚挙のいとまがないほどである。これらの作品群は「植田調」時には英語で「UEDA-CHO」と称される独自の表現のスタイルをもち、誰でもが植田正治の作品であると認識ができるアイコンともなっているといってよいだろう。
これまでの植田正治の評価は、表看板たるいわばアイコン的な作品を中心にしてなされてきたと言ってよいだろう。そのような評価の軸に対して新しい評価の軸をもとめて編集されたのが『植田正治作品集』(河出書房新社、2016年刊)である。この作品集は、植田が存命中に雑誌に発表した作品を綿密に調査し、これまでのアイコン的な作品の間で見過ごされてきたものを発掘して、植田正治という写真家のよりリアルな等身大の作家像を描き出している。ある意味これからの植田正治研究の地平を切り開き、これからの植田正治の評価はこの写真集から始まると言っては、飯沢耕太郎氏とともに編集構成をおこなった筆者の思い上がりであろうか。だがここにおいて、植田の表現がもつ新たなポテンシャル(潜在能力)を指し示すことができたことは断言してよいだろう。
そして今回の「植田正治写真展―光と陰の世界―」は、明らかにこの写真集以後の評価の軸をもって見ることによってこそ、植田の写真世界の新たな豊かさを切り開く糸口となるはずである。

ここで、植田正治が写真家としてどのような軌跡をたどり、そしてどのように評価されてきたかを簡単にたどってみよう。
植田が本格的に写真に熱中し始めた頃は、日本の写真界はピクトリアリズムの芸術写真全盛の時代から、写真の機械的な本質に覚醒した近代写真への動向が顕著になるときであった。1931年に雑誌『カメラ』(12月号)の月例コンテストに《浜の少年》が入選する。スナップショットのまなざしを生かした近代的な表現を持つものであったが、同時に日本光画協会のメンバーとしても活躍している。これはベス単カメラを使ったソフトフォーカスやデフォルマシオン、雑巾がけと称されたレタッチ修整の技法を駆使した絵画的な表現を特徴とする団体で、植田もそのような表現を持つ作品で高く評価されている。つまり、植田はその始まりにおいて、近代的な写真表現とピクトリアリズムの表現とを等価な距離に持っていた、つまり一見すると相反する表現を同時に持ちながら写真家としてスタートしているということになる。
そして30年代半ばになると、写真の機能を生かしたストレートな近代的な表現で山陰の人物や風景を撮影した作品で、『アサヒカメラ』や『写真サロン』といった雑誌で入選を繰り返して、全国的に知られるようになる。特に《都会》(『写真サロン』35年11月号)は、特選をとり。山陰鳥取に植田正治あり、とその名前を全国に轟かすこととなるのであった。そして37年に、石津良介、野村秋良、正岡国男らと中国写真家集団を結成する。「ローカルカラー」を旗印に《少女四態》を筆頭に数々の傑作を発表し、「植田調」といわれる独自の表現様式を確立するのであった。しかし戦争が激しくなり、国家総動員体制の中で植田は、自身の「写真」の居場所を見失ってしまう。

20植田正治
《都会》
『植田正治作品集』(2016年、河出書房新社)P10参照
初出=『写真サロン』(1935年11月号 第33回月例懸賞A 部特選)


そして終戦。ふたたび自由に写真が撮れる時代が来たことを確信して、これまで培ってきた表現をさらに発展させた《パパとママとコドモたち》を発表するも、土門拳を中心として全国を燎原の火のごとく席捲した「リアリズム写真運動」の中で、再び自分の「写真」の方途を見失ってしまうが、自分自身ができることしかできないのだ、という確信のみを頼りに山陰という風土に根差した様々な作品をカメラ雑誌中心に発表を続け、60年代においては「有力な地方作家」としての地位を獲得するのであった。
そんな植田正治の評価を覆したのが、『カメラ毎日』の編集者山岸章二が企画構成をした写真集『童暦』の刊行であった。60年代を中心に撮影された子供の写真で構成されたこの写真集によって、植田は一地方作家から、一躍同時代の現代写真家として新たなスタートをはじめたと言えよう。70年代の〈小さい伝記〉シリーズやヨーロッパで撮影した写真をまとめた写真集『音のない記憶』(日本カメラ社、1974年刊)やベス単カメラのレンズを一眼レフカメラに装着してカラーで撮影した写真集『白い風』(日本カメラ社、1981年刊)によって、植田正治という写真家は日本の現代写真をリードする存在として注目されつづけることになるのである。その評価は、78年にフランスのアルルで開催された国際写真フェスティバルでのワークショップや79年の写真展「JAPAN:A Self-Portrait」(ICP国際写真センター、アメリカ)への参加などによって、国際的なものへと展開してゆく。さらに80年代においては、極めて私的な風景を高度な造形意識で切り取った「風景の光景」シリーズ、アート・ディレクターであった次男充とのコラボレーションによるファッション写真〈砂丘モード〉シリーズ、身近なものをテーブル・トップで構成したカラーの作品〈幻視遊間〉シリーズなどを発表し、その多彩な写真世界は他の追随を許さないものであった。

このような植田正治の軌跡は、誰もがみとめるところであろう。しかしこの軌跡は、モノクロ写真中心の軌跡であり、カラー写真は〈白い風〉にしても〈幻視遊間〉にしても、特殊なものと位置づけがされてはいないであろうか。つまり、〈童暦〉や〈小さい伝記〉〈風景の光景〉といったモノクロ写真の表現とは断絶した、別物としてカラー写真の作品を位置させていると言える。しかし、70〜80年代のカメラ雑誌を詳細にたどってゆくと、実に多くのカラーの作品が発表されているのである。それらは、明らかに植田を代表するモノクロ写真のシリーズの表現と連続していると見えるものばかりなのである。しかしそれらの多くの作品のカラー原板(ネガもしくはポジ)さらにはオリジナル・プリントを確認することは、前述した『植田正治作品集』の調査では実現せず、発表した雑誌のページ(印刷物)をスキャンして掲載したのであった。今日の印刷技術の進歩は、そのような方法によるものであっても、オリジナル・プリントを原稿とした作品に見劣りがないレベルになったことは驚きであった。
では雑誌の発表ではなく、様々なグループ展などに出品していた作品はどのようなものであったのだろうか。
植田が54年に入賞したことから会員となった二科展での出品経歴を見てゆくと、50〜70年代においてはモノクロの作品が中心になっているが、80年代以降はカラー作品が中心となっている。このことは二科展に限らず様々な展示にはカラー作品へと展開していったと言ってよいだろう。そして、この二科展での事跡は出品のデータが残ってはいるが、現物の作品ではちゃんと確認されてはいない。今回の展覧会に展示されるカラー作品の多くはパネル貼りである。植田は80年代半ばころからは明らかにオリジナル・プリントという意識をもって作品を制作しており、それらはパネル貼りではなくオーバー・マットをして額装するというのが展示の仕方になっている。このことから推測してゆくと、パネル貼りの作品はそれ以前、70〜80年代前半に制作されたものではないかと言えるのである。つまり残されたパネル貼りのカラー作品は、植田正治のミッシングリングを埋める可能性をもつものであると言うべきなのではないかと考える。
これらのカラー作品は、〈白い風〉や〈幻視遊間〉と同様にカラーの写真表現である。しかし植田の写真世界にあっては、それらのシリーズよりはずっとモノクロの写真表現と連続していよう。それらは60年代において山陰の風土のローカリティを際立たせるためのカラー表現とは隔絶している。特別な、カラフルなものを撮るためのカラー写真ではなく、カラー写真があたりまえになった時代のものである。それは明らかに「ニュー・カラー」の時代以後の写真意識であると言うべきであろう。

植田正治の写真世界はあまりにも特徴的であるために、その表現の波頭つまり典型的なものばかりに眼が奪われがちである。だがその周りに存在する多彩な表現は、植田正治という写真家が創造した世界のポテンシャルを感じさせるということにとどまらず、植田正治という写真家の評価の軸をあらたに創造するために存在しているのではないだろうか。70年代を中心としたカラー作品は、「知られざる」作品ではなく、知られていたにも関わらず評価の軸を持ちえなかったがために無視されてきたと言うのが適当なのではないか、という思いにとらわれてならないのである。この「植田正治写真展―光と陰の世界―」に展示される作品群は、その評価の軸を作る一歩になるに違いない。

かねこ りゅういち

◆本日7月4日は植田正治の命日です(1913年3月27日〜2000年7月4日)。
5月に開催した「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となりました。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点を展示しました。出品リストはコチラをクリックしてください。
カタログを編集したのですが、今まであまり知られていなかった作品が多く、展覧会初日になっても次々と新たなデータが判明するような次第で、会期中の刊行はあきらめ、ようやく新しい住所での刊行となりました。
ご執筆いただいた金子隆一先生、データの調査にご協力いただいた植田正治写真事務所の増谷寛様には心より感謝申し上げます。

●カタログのご案内
ueda_cover『植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
価格:800円(税込) 
※送料別途250円
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ホームページのWEB展を更新しました。2017年1月〜6月までの青山時代の企画展・アートフェア出展の記録をまとめました。

駒込開店3日前
青山最後の展示となった植田正治展のカタログが7月7日のお披露目に間に合うか、はらはらしていたのですが、何とかぎりぎりセーフ。ご来場の皆様にお渡しできます。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
12

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
14

『石原輝雄 初期写真 1966-1972』

石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」番外編─3

新刊『石原輝雄 初期写真 1966-1972』のお知らせ


manray28-1


---

『石原輝雄 初期写真 1966-1972』 写真: 石原輝雄 テキスト: 山本悍右 銀紙書房 2017年刊

限定25部  角背上製本 144頁 サイズ 21x15cm。 書容設計・造本(パピヨンかがりによる手製本): 石原輝雄  限定番号・サイン入り。 本文: Aプラン・ピュアホワイト 71.50kg 製本裏打ちクロス: キハラ100cm巾色番号4087 表紙カバー: キュリアスIRパール 103kg 印刷: エプソン PX-504A

---

 新しい本『石原輝雄 初期写真 1966-1972』を上梓して「ときの忘れもの」さんに納品した。3月後半からテキストの入力を始め、書容設計、面付け、印字出力、造本と作業を続けておよそ3ヶ月、時間に余裕が生じた生活(定年退職再雇用終了なのです)となったお陰で短期間に全25冊の造本を終える事ができた。銀紙書房と名乗っての本作りについては、昨年の3月まで連載させていただいた「マン・レイへの写真日記」で報告しているけれど、今回は角背上製本の写真集、新しい挑戦となった。

manray28-2表紙エンボスにタイトル表示


 これまでに銀紙書房の刊行物で上製本としたものには、『マン・レイと彼の女友達』(1978年、限定8部) 『マン・レイとの遠近法』(2001年、限定3部) 『青い言葉と黒い文字』(2006年、限定8部) などがある。一般的な上製本(ハードカバー)は中身よりも大きめのボール紙などに裏打ちしたクロスを貼り付け、包んで仕上げた本で、耐久性があり手触りにも優れている。しかし、わたしが造本した場合、表紙と本文のスムーズな開きを得るのが難しく、不満が残る結果となっていた。frgmの皆さんのような本格的ルリユールに憧れつつも、技術も道具も持ち合わせない身、教室に通わねばと思いつつ、恥ずかしいと躊躇していた。今回、新しい本を写真集で計画、写真の印字出力と本紙の相性テストをすると連量を71.50kg程度にする必要があり、厚みの関係から従来の並製本では、本としてのたたずまいが破綻してしまうと判断、上製本に取り組まねばと思ったのである。8月に刊行日を設定し、井上夏生さんの解説書『手製本レッスン』を読みながら造本テストを繰り返した。「クータ」の使用など、多くのヒントを与えていただき感謝している。

---

manray28-3「目次」7頁


manray28-4「名古屋10.21」41頁


 新刊の報告を「物としての本」の側に当ててしまうのは、わたしの悪い癖であるけど、一切合切を一人でやる楽しみについては、知ってもらいたい。銀塩写真の焼付をしていた頃と同じように、プリンターから出力される用紙を見ている。わたしの場合「本」が自己表現の手段であり、作品なのである。それ故に、版画と同じように限定番号とサインを入れる。

---

 マン・レイ作品の収集と研究を、自己癒着することなく続けていけるのは(本人談です)、展覧会での公開と「本」の制作を通した客観化であると思う。このところの終活にともなうネガ整理の過程で、マン・レイに魅了される以前の日々に関心を持った。そこには「どうしてマン・レイなのだろう」と云う根源的な問の回答があると思うのである。中学3年生で撮り鉄をしていたわたしが、中部学生写真連盟高校の部に関わって、写真による現状認識から自己改革に目覚め、学生運動ではなく「私写真」の側に表現の場を得た過程は、「きみは記念写真よりほかに撮れなくなってしまう。写真は決してきみを裏切らない。」と云う顧問であった故山本悍右先生のエッセイ「高校生写真のこと」からの影響だった。70年安保を挟んだ50年ほど前の名古屋での出来事、ここにわたしが居るのである。20歳までに撮影したフィルムは35mmで246本、自選した写真は51枚。「目次」で示したように「高校生写真」「名古屋10.21」「鉄道ファン14歳」「S.L.」「Halation」「飛行機雲」の6編に別けて構成した。以下にそれぞれの写真を紹介したので、ご理解いただけると思う(詳細を「あとがき」に書いたので、読んで頂けたら嬉しい)。

manray28-5「高校生写真」


manray28-6「名古屋10.21」


manray28-7「鉄道ファン14歳」


manray28-8「S.L.」


manray28-9「Halation」


manray28-10「飛行機雲」


---

シュルレアリスト山本悍右

 本書では、前述した故山本悍右先生のエッセイ2編を再録する事ができた。どちらも1967年に発行された中部学生写真連盟の機関誌に発表されたもので、高校生向けの「高校生写真のこと」には副題として「技術は君たちにとって何か?」とあり、これは二度目の再録、わたしは高校3年生の時に先輩(故杉山茂太氏)から頂いた「フォト・オピニオンNo.1」からガリ版切りで転記し、集会で使用したのだった(当時の様子については「山本悍右とフォト・オピニオン」と題して季刊『リア』14号で報告した)。もう1遍は大学生向けの「闇の中の二枚の証明書」で、友人(山崎正文氏)からコピーの提供を受けた。つたない、わたしの写真群だけでは、時代と状況が蘇らないと思うが、今日では容易に読むことの叶わないエッセイの中に含まれる「静かな抵抗」を取り出せたことが、わたしにとって喜びとなった。
 先生は1914年のお生まれで、15歳の頃から詩作をされ、17歳で「独立写真研究会」に参加された早熟の人。発禁処分を受けたシュルレアリスム詩誌『夜の噴水』の編集・発行人であり、「ナゴヤ・フォトアバンギャルド」のメンバー。生涯を前衛写真家、詩人として過ごされ、1965年頃から10年程度中部学生写真連盟の顧問として後進の指導に当たられた。1987年に亡くなられたが、没後再評価され東京ステーションギャラリー(2001年)やゲッティ美術館(2013年)などで大規模な回顧展が開かれている。尚、本年4月、日本芸術写真協会から作品集が刊行された。

manray28-11「高校生写真のこと」46-47頁


manray28-12「闇の中の二枚の証明書」88-89頁


---


 本書の造本過程をブログ「マン・レイと余白で」で報告したところ、訪問者のTさんが「本がいきなり現れるのではなく、ブログを通じてですが徐々に生成している過程も手に取った作品にしみわたっています。」と書いてくださった。望外の喜びである。造本を終え、積み上げた「物としての本」に、もう一人のわたしがうっとりしている。「美しい」---でも、全冊、引き取ってくれる方が現れるか? 恐る恐るの告知が始まります(22日)。

manray28-136月21日(水)に全冊造本終了。


いしはら てるお


●今日のお勧め作品は、山口長男です。
001_山口長男山口長男
「裸婦」
1981年
リトグラフ
Image size: 51.5x42.0cm
Sheet size: 59.0x44.0cm
Ed.30  サイン、印あり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ホームページのWEB展を更新しました。2017年1月〜6月までの青山時代の企画展・アートフェア出展の記録をまとめました。

駒込開店5日前(画廊亭主敬白)
久しぶりの休日。社長は駒込開店前の合間を縫って家事のあれこれを片付けなければならず、少々お疲れ気味。
上掲の石原さんの手作り本『石原輝雄 初期写真 1966-1972』は完成と同時に完売になったようです。その内容の濃さ、造本の美しさをよく知る亭主はずいぶん前から京都にラブレターを再三送りつけ、何とか確保いたしました。
7月7日のお披露目の折には、お客様専用の「図書室」にぜひ並べたいと思っております。
本日7月2日は敬愛する恩地孝四郎、そして岡鹿之助の誕生日です。
亭主が日本映画史上の最高傑作と称揚してきた蔵原惟繕監督の「執炎」の主演女優、浅丘ルリ子さんの誕生日でもあります。
え〜、そしてですね(何をごちゃごちゃ言ってるのか)、亭主は本日無事に72歳を迎えることができました。好きな仕事をしながらこの日を迎えることができ、愛する家族、友人、お客さま、そしてわがままな亭主をサポートしてくれる若いスタッフたちには心より感謝いたします。
学生時代には「画商」という商売があることも知らず、何かわけのわからない運命の糸に引きずられ美術界に入って43年にもなりました。
69歳のときに「画商生活40年」と題して写真アルバムをつくりかけたのですが、1995年の49歳で息切れしてしまい、中途半端なままです。何とか後半50歳以降のどったんばったんもまとめたいと思っています。期待せずにお待ちください。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
12

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第54回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第54回

01_1500
(画像をクリックすると拡大します)

男がいて、その背中に、張りつくように女がいる。
男の視線は前方に向けられ、女はその男の肩に顎をのせているが、視線はどこも見ていない。

ふたりの視線が一致していないのは、なぜか。
こんなに接近し、からだをくっつけ合っているのに、心はおなじ場所にいないように感じられるは、どうしてか。

この男女がバイクに相乗りしている、ということを、わたしはあらかじめ知っている。
その事実を下敷きにして見ると、視線のちがいはなんとなく了解できてしまう。
バイクに乗せてもらっているときって、たしかにこんなふうだな、と。

それを知らなかったら、写真の見え方はどう変わるだろう。
つまり、この写真一点を、なんの説明もなく見せられたら、どういう場面が思い浮かんでくるだろうか。

直立している男を、女がうしろから抱きすくめた、というシーンは、あり得ないことはないだろう。
男が嫌がるのを半分承知で、女はそれをする。
だいぶ前からふたりの関係はぎくしゃくしている。
男はもはや女の存在が面倒なのだ。
どうやったらうまく別れられるだろう、と思いながら、張りついている女の重みを感じている。
うっとうしいが、跳ね返すだけの度胸は彼にはまだない。

女は彼のそうした心の動きを察していて、もう、だめかも、と思いながら、身が離れるまでにまだ時間が要るように思えて、くっつかずにはいられない。そして接しているあいだだけ、もしかしたら状況は好転するかもしれない、という期待に浸っている。

ひるがえって、ふたりがバイクに乗って走っているとすると、どうだろう。
バイクでは体をくっつけないと走行ができない。スピードを出すのに二体を一体にする。
というか、速度があがると、自然に体がそうなってくる。
親しくない人に乗せてもらってもそうで、顔は見えないのに、一体感だけはやけに強い。

いや、そうではなく、顔が見えないゆえに高まる、と言うべきではないか。
見えないと、体は実にすんなりとその状況を受け入れる。
そしていったん受け入れると、単純にも上がっていくスピードに体を任せ切る快感に酔っていくのだ。

もっとも、これは後ろに乗せられている女の感覚である。
ハンドルを握る男はどうかといえば、前方を注視している。
注視しつつも、背中に伝わってくる女の胸の膨らみと熱に、彼女を背負っているようなヒロイックな気分がわきあがってくる。
女がどんな表情をしているかはわからずとも、背中に感じる重みが信頼の証のように思えて、気分が高揚するのだ。

顔は見えないのに、体が異常に接近し、接近した体がおなじ方向をむいていて、前方にむかって送りこまれていくこと。
こんな奇妙な事態は、バイクの相乗りでしか思いつかない。
見えないことが、見えているとき以上に、一体化を加速する。
盲目の愛、といういう言い方があるが、視覚が遮断された状況で肌を晒して移動するとき、心は肉体の原理にむかって一気に走って行き、いつも考えているのとはちがう<愛>の形に近づいていく。

大竹昭子(おおたけあきこ)

〜〜〜〜
●紹介作品データ:
志賀理江子
「Blind」
2009年撮影(2017年プリント)
ゼラチンシルバープリント、木製パネル
Image size: 120.0x180.0cm
Sheet size: 123.0x183.0cm
サイン無し
エディション未定

■志賀理江子 Lieko SHIGA(1980-)
1980 愛知県生まれ
1999-2004 ロンドン芸術大学 チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン
2007-2008 文化庁在外派遣研修(ロンドン)
現在、宮城県在住

主な個展:
2012 「志賀理江子 螺旋海岸」せんだいメディアテーク、仙台
2011 「カナリア門」ギャラリー・プリスカ・パスカー、ケルン 「カナリア門 志賀理江子写真展」三菱地所アルティアム、福岡
2008 「座礁の記録」フォトギャラリエット、オスロ
2006 「リリー」ニューク・ギャラリー、パリ
2005 「リリー」グラフメディアジーエム、大阪
2003 「明日の朝、ジャックが私を見た。」グラフメディアジーエム、大阪/アップリンク・ギャラリー、東京
2001 「浮遊する出来事」グラフギャラリー、大阪

受賞歴:
2008 木村伊兵衛写真賞受賞【写真集『Lilly』『CANARY』(共に2007年)】

●展覧会のご紹介
「志賀理江子 ブラインドデート」
会期:2017年6月10日[土]〜9月3日[日]
会場:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで) 会期中無休

写真を通して自身と社会が交差する接点に生じる「イメージ」の探求を続ける志賀理江子。1980年に愛知県に生まれ、2008年から宮城県に拠点を移し制作活動を行っています。本展では、2009年にバンコクの恋人たちを撮影したシリーズ「ブラインドデート」を始まりとして、「弔い」「人間の始まり」「大きな資本」「死」などをめぐる考察と物語が綴られていきます。出品作品は、写真プリントの他に約20台のスライドプロジェクターによってインスタレーションを構成。会場に置かれたプロジェクターの点滅は、生、暗闇と光、この世界に相反しながら同時に存在するものごとの隠喩でもあります。私たちの肉眼で見えぬものは何か。その領域をこそ写し出す写真というメディアに懸ける志賀は、出来うる限りの正直さで社会をまなざしながら、人間の生から離れない写真の空間を立ち上げます。(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館HPより転載)

●今日のお勧め作品はパウル・クレーです。
DSCF3756_600パウル・クレー Paul Klee
"Three Heads"

1919年
リトグラフ
イメージサイズ:12.1×14.8cm
シートサイズ:19.7×23.4cm
版上サイン

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ホームページのWEB展を更新しました。2017年1月〜6月までの青山時代の企画展・アートフェア出展の記録をまとめました。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
12

駒込開店6日前
20170630_お祭り_8ダンボール箱との格闘もようやく終結に近づいた6月30日、直ぐ近くの駒込富士神社のお祭りに行ってきました。

20170630_お祭り_1毎年6月30日・7月1日の大祭(山開き)には露天商が多数出店、いやにぎやかです。

20170630_お祭り_6子どもさんがこんなにいるなんて!!。
今日は土曜日なので人出も多いらしい。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

6月30日はボブ・ウィロビー生誕90年〜オードリー&マリリン

 2009年12月、フランス・ヴァンスの自宅で82歳の生涯を終えたボブ・ウィロビー。本日は彼の生誕90年の記念日です。

 ウィロビーは、映画会社や雑誌社の社員ではなく、世界中のマスコミに資料を提供する大手スタジオが雇った「スペシャル」とよばれる初のフリーの写真家で、『ライフ』や『ルック』など大手雑誌と映画製作者の仲介者でもあり、ハリウッド全盛期だった1950年代初期にこの特殊な職種を最初に開拓したパイオニアでもありました。

 1927年6月30日にアメリカ、ロサンゼルスに生まれたボブ・ウィロビーは、12歳の誕生日にプレゼントされたアーガスC-3カメラから映像方面に興味を持ち、高校卒業後は夜間にUSCシネマ部門で映画について学び、カーン美術学校でデザインを学びます。彼はハリウッド写真家たちに師事し、写真の技術などのノウハウを吸収するかたわらでジャズミュージシャンを対象に写真修業を行ないました。

 1954年に映画「スタア誕生」で撮影したジュディ・ガーランドのポートレート写真が『ライフ』誌の表紙を飾り、ウィロビーは一躍名を馳せます。以降、オードリー・ヘプバーンの出演作のほか、「バージニア・ウルフなんかこわくない」「卒業」「ローズマリーの赤ちゃん」「カンカン」「チップス先生さようなら」など100を越える映画のメイキング写真を撮影しました。数々の銀幕スターを撮影したウィロビーですが、中でもヘプバーンとは家族ぐるみの付き合いがあり、両家の家族を写したホームパーティの写真なども撮影しています。

 ウィロビーは、映画製作の歴史的な時代の記録において、理想的なピクチャー・ストーリーを組み込む才能がありました。また、舞台の内外を問わず、数多くの俳優やディレクターたちの撮影の合間に見せる無防備な、あるいはドラマ性の高い瞬間を捉え続けました。
 『ライフ』、『ルック』、『ヴォーグ』、『ハーパース・バザー』など7つの雑誌の映画ページを並行して担当し、50年代から70年代初頭までの約20年間に彼の作品が印刷物に掲載されない週はなかったと言われるほどです。

 さらに、いくつかの技術開発にも携わり、今日では日常的に使われている35mmスチルカメラで使用する静音装置もその一つです。当時、撮影現場においてカメラを無線操作するただ一人の写真家で、それによりほかの写真家では状況的に、あるいは物理的に撮影できない作品を生み出すことを可能としました。ほかにも、特製のブラケットを使用することで、パナビジョンカメラの上や頭上に自身のスチルカメラを配置できるようにしました。

 ハリウッドの映画芸術科学アカデミーは、彼の功績を称えて大規模な回顧展を開催し、2004年にはスチルフォトにおける多大な功績によりニューヨークでルーシーアワードを受賞しています。

 彼の作品はナショナルポートレートギャラリー(ワシントン)、ナショナルポートレートギャラリー(ロンドン)、国立写真美術館(ブラッドフォード、英国)、フランス国立図書館(パリ)、MoMA(ニューヨーク)、映画芸術科学アカデミー(ビバリーヒルズ)、メトロポリタンミュージアム(ニューヨーク)、テートギャラリー(ロンドン)、写真美術館(ニース、フランス)、写真美術館(シャルルロワ、ベルギー)などに所蔵されています。

 日本で刊行された写真集には『ハリウッド・スペシャル』(1993年、株式会社宝島社)、『オードリー・ヘプバーン:フォトドキュメント ボブ・ウィロビー写真集』(1993年、朝日新聞社)などがあります。

 ときの忘れものは2013年11月に「ボブ・ウィロビー写真展―ハリウッド・スペシャル」を開催し好評を得ました。 
 今回も生誕90年を記念した「ボブ・ウィロビー生誕90年展〜オードリー&マリリン〜」を開催する予定でご遺族と準備を進めていたのですが、ご存知の通り、突然の引越し騒ぎで宙に浮いてしまいました。
 とはいえ延期はしても中止するつもりはありませんので、ご興味のある方は続報をお待ちください。今回取り扱う作品は主にエステートプリントになりますが、ハリウッド黄金期の二大女性スター、オードリー・ヘプバーンとマリリン・モンローの作品をご案内させていただきます。

audrey_1"Audrey Hepburn on the phone at Paramount during her first trip to Hollywood after filming Roman Holiday, Paramount Studios, 1953"
1953年(2017年プリント)
アーカイバルデジタルピグメントプリント
シートサイズ:20×16インチ
Ed.25
クリストファー・ウィロビー(息子)によるサインとスタンプあり

audrey_2"Audrey Hepburn & Bill Holden at Gunpoint during a fantasy sequence on Paris When It Sizzle" (BWP123)
1962年(2017年プリント)
アーカイバルデジタルピグメントプリント
シートサイズ:16×20インチ
クリストファー・ウィロビー(息子)によるサインとスタンプあり

audrey_3"Bill Holden on his knee in front of Audrey Hepburn - Paris When It Sizzles" (BWP124)
1962年(2017年プリント)
アーカイバルデジタルピグメントプリント
シートサイズ:20×16インチ
クリストファー・ウィロビー(息子)によるサインとスタンプあり

Marilyn_1"Marilyn Monroe at a party thrown in her honor by 20th Century Fox Studios. A bit of a publicity stunt, she arrived by helicopter with bandleader Ray Anthony. Beverly Hills, 1952" (1)
1952年(2017年プリント)
アーカイバルデジタルピグメントプリント
シートサイズ:20×16インチ
Ed.50
クリストファー・ウィロビー(息子)によるサインとスタンプあり

Marilyn_2"Marilyn Monroe at a party thrown in her honor by 20th Century Fox Studios. A bit of a publicity stunt, she arrived by helicopter with bandleader Ray Anthony. Beverly Hills, 1952" (2)
1952年(2017年プリント)
アーカイバルデジタルピグメントプリント
シートサイズ:20×16インチ
Ed.50
クリストファー・ウィロビー(息子)によるサインとスタンプあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

先ずは駒込の新事務所の態勢が整いましたら、あらためて「ボブ・ウィロビー生誕90年展〜オードリー&マリリン〜」を開催しますので、よろしくお願いいたします。

(しんざわ ゆう)

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
12

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
35
ときの忘れもの
blogランキング

ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
ときの忘れもの
ホームページはこちら
Archives
Categories
最新コメント
記事検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ