井桁裕子のエッセイ

私の人形制作第76回(最終回) 井桁裕子

私の人形制作第76回(最終回) 井桁裕子

展覧会を終えて

先月、9月15日(火)〜27(日)の個展には多くの方にご来場頂き、誠にありがとうございました。
遠方から、あるいはお忙しい中をご予定をつけて来てくださったり、何度も足を運んでくださった方もいらっしゃいました。
私本人が会場にいるとかえって邪魔(?)という気もしなくはなかったですが、極力会場にいるようにしておりました。
26日のトークショーも、客席でも何組もトークショーをやって欲しいくらい、素敵な皆様にお集りいただきました。そういう中で、今後ますます東京での活躍も増える森田かずよさんをご紹介できたのも嬉しい事でした。
そして、焼き物の作品を多くの方にご購入頂きました。
作品は私にとってはその時にしか作れない何かでもあるし、また壊れさえしなければ人の人生を越えて存在できるものでもあります。
ご購入頂いた皆様に御礼を申し上げますとともに、作品が末永く寄り添っていかれることを願っております。
時間と集中力を必要とする制作を、この先も続けて行くのは変わらない課題ですが、この13日間で多くの励ましと心の栄養を頂きました。

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「ときの忘れもの」では展覧会を3回、そしてブログの連載も2009年の11月から約6年の永きに渡りました。

貴重な機会をいただき、大変お世話になりました。
改めまして、この場にて深く御礼申し上げます。

この連載も今回を最終回とさせて戴きます。
いつもお読みくださっていた皆様、ありがとうございました。
毎月1回とはいえ、自分の言葉を書くことは大切なトレーニングともなりました。
今後はHPをもっと活用したいということと、フェイスブックやTwitterにて情報を発信して行きたいと思います。
(以下が私のHPサイトですが、更新がなかなか…。)
http://igeta-hiroko.com/

またいつか、どこかでお目にかかれましたら幸いです。

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11月は、大阪・心斎橋の大丸本館の向かいにある「御堂筋ホール心斎橋」での3日間のイベントに参加し、森田さんの肖像作品を「まだ見ぬ故郷の地」に連れて行く事となりました。
このイベントは創作人形の公募展で、私は僭越ながら審査員・招待作家ということでお招き頂きました。

「関係者全員が、現在進行形の人形文化を前に進めようという情熱で運営しています。」とは、招待作家の展示を企画された森内憲(アラビク)さんの弁ですが、ネットでのやり取りの中からも情熱が伝わります。

<人形シンポシオンMIDOW展2015>
公募作品の展示と、現在活躍中の作家による招待作家展が同会場内で開催されます。
FaceBookページ:https://www.facebook.com/events/479972602183249/

*創作人形コンクール(初日に公開審査・結果発表と表彰式)
*招待作家作品(展示・販売)
 11月15日(日)〜17日(火) 11:00-18:00( 最終日は16:00まで)
 大阪市中央区西心斎橋1-4-5 御堂筋ホール心斎橋9F
 入場料500円

主催:アール・リベ人形学院
 http://www.art-reve.com/?p=53046
招待作家展へのお問い合わせ: 珈琲舎・書肆 アラビク/Luft
 http://arabiq.jugem.jp/?eid=525
 t/f 06-7500-5519
  mail cake@qa3.so-net.ne.jp
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MIDOW展のお問い合わせは上記の「珈琲舎・書肆 アラビク」か、フェイスブックへのコメント欄へお願いいたします。
FaceBookページ:https://www.facebook.com/events/479972602183249/

(いげたひろこ)
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●井桁さんのエッセイが最終回となりました。長期連載ありがとうございました。
また作品を拝見できるのを楽しみにしております。
昨日から始まった荒井由泰さんの新連載「いとしの国ブータン紀行」はいかがでしたか。
藤本貴子さんの「建築圏外通信」、森下泰輔さんの「 戦後・現代美術事件簿」、等々これからも続々と新しい連載が始まります。
どうぞご期待ください。

私の人形制作第75回 井桁裕子

私の人形制作第75回 井桁裕子

展覧会開催中です

15日から「片脚で立つ森田かずよの肖像」展示が始まっています。
作品は時折、私の浅い思考や狭い視野を越えて、ずっと深い思いを持つ人からの共感を頂く事があります。
限られた展示期間に、そのような出会いを得ること一つひとつが作品と私にとって得難い幸運です。
いつも思う事ですが、作られたものは観た人の中でいろいろな形で完成するのだと思います。

前回の個展「加速する私たち」の開催は2012年12月でした。
制作は2011年の5月頃からで、震災・原発事故が濃く影を落とす作品となりました。
「鉄のゲージツ家・クマさん」こと篠原勝之さんが前回に引き続きご来場いただき、「ものすごい眼に見えない爆風の彫刻に続いて、今回も近未来的彫刻に度肝を抜かれた。」とTwitterで書いてくださいました。
こうして前作とのつながりで作品を観てもらえるのは嬉しいことです。
作品は時が過ぎれば制作時の動機から離れ、その時々の見え方で解釈されるものだと思うので、あの作品もただ高橋理通子さんの肖像というだけで良かったのですが、やはりそれだけには収まらないものとなっていきました。
「爆風」というのは、私がそこまではっきりと言葉にする勇気のなかった部分であって、経済原理ばかりが至上のルールとされる競争社会の中で、弱く美しい豊かなものたちが犠牲になっていくことの、その極限状況としての核の爆風、それを感じてためらいなく言葉にしてもらえたことが嬉しいです。
過去を置き去りにして走らされる、破滅へと加速して行く、そういう中でどのように理性を保ち未来を信じていくのか。
2012年の段階では、そういう「問い」を作ったその後に何を作れば答えになるのか私には判りませんでした。

blog75(1《加速する私たち》部分/写真:齊藤哲也


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森田かずよさんの特別な身体の、ごく個人的で難解な謎解きが次の制作となりました。
はからずもそれは、問いに対する答えとなる巡り合わせだったと、出会いから3年の時を経て私は思いました。
今、嵐のような時代の変わり目にこの作品が展示されている事も、何か意味のあることかもしれません。
しかし、そういったことも私が今ここで思う限りの事でしかないとも思います。
作品は時を越えてより良い未来に置かれるものと信じたいし、また観る人と響き合ってその意味を深めていってほしいと心から願っています。

このような儲けにならない作品の展覧会を開催してくださる「ときの忘れもの」綿貫ご夫妻に深く感謝しております。
展示は27日まで開催中です。また、26日はトークショー終了後の18時以降も、森田さんもご一緒にギャラリーにいます。
お時間がありましたら、どうぞ作品に会いにいらしてください。

blog75(4《片脚で立つ森田かずよの肖像》/写真:齊藤哲也


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(いげたひろこ)

*画廊亭主敬白
今日、親父誕生日だったんだ。知らんかった。
(関根 光才さんのfacebookより)
画廊には連日、井桁さんのファンが押し寄せています。ブログのアクセスも多いのですが、昨日は今年で一番のアクセス数でした。
アクセス解析でどの記事が読まれているかがわかるのですが、昨日のアクセス急騰は、実は「関根光才」さんのおかげでした。
冒頭に記した<今日、親父誕生日だったんだ。知らんかった。>を読んだ人たちがこぞって<関根伸夫73歳「日本美術オーラル・ヒストリー」>にアクセスしたらしい。
ブログの記事をシェアしてくれた関根光才さんは「もの派」のリーダー関根伸夫先生のご子息です。
今春久しぶりに関根先生と会食したとき、「キミたち、セキネコウサイって知ってる? 今じゃ俺より有名なんだ」とほんとうに嬉しそうに語ってくれたのがほほえましかった。
トンビが鷹を産んだというと、天才関根に失礼になりますがそのくらい才能豊かな若者です。60年代にまったく新しい地平を美術に築いたセキネが、21世紀の映像にまったく新しい世界を切り開きつつある天才を産んだといっていいでしょう。
光才さんのホームページ」でその片鱗(ショートフィルム)がご覧になれます。
因みに光才さんのコメントを読んだ人たちの反応が面白い。「え!」と皆さん絶句、親の七光りどころじゃあなく、そのうち息子の七光りを関根先生が浴びることになるかも。
ここで読者の皆さんにお詫びせねばなりません。亭主は関根先生の誕生日を9月19日とすっかり思い込んでいたのですが、オーラル・ヒストリーの記述によれば1942年9月12日生まれです。
お詫びして訂正します。

私の人形制作第74回 井桁裕子

私の人形制作第74回 井桁裕子

個展に向けて

記録的な猛暑が続いたこの夏、体調を崩された方も多かったと思います。
これを書いている今も、酷暑の盛りは過ぎた気はするものの蒸し暑く、そんな一週間の過去からお送りする手紙です。
9月には外出も楽になるでしょうか。
世の中のいろいろな事が予断を許さない昨今です。

「森田さんの肖像」は、DMのために撮影した後また、気になる表面のヒビを直して、やっと作業を終わらせました。
ヒビの部分を金属のヘラでぐっと押して広げ、そこを埋めてやすりがけして、また塗り直すのですが、このヒビは細かいものまで気にし始めるとなかなか終わりません。
そう思ってブレーキをかけていても気になりだすとどうにも偏執狂になってしまい、つい広げなくてもいい程度のヒビまで感知して洗いざらい広げてしまいます。
緩衝材のプチプチを潰し出したら止まらなくなっている人のような感じです。
しかし、いい感じで絵の具が乗っている所をヤスリがけしてしまうと惜しいので、もうヒビ直しは我慢しています。

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制作中に困ったのは、背中の脊椎部分の窪みできたヒビでした。ひずみがかかりやすい部分なのか何回埋めても割れてしまい、最後まで引きずりました。
森田さんが生まれた時に、背中に大きく開いた傷があって神経がむき出しになっていたと聞きましたが、その手術跡と同じ位置だったのは奇妙な偶然の一致でした。

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ともあれ大きい作品は終えて、その後は焼き物の小品を制作しています。
窯の蓋を開ける時は、気合いがいります。閉める時は万全を尽くしたと信じて閉めますが、開ける時は、どうにも落ち着かず、元気が無い時は開けられません。
ここ2年ぐらい、時々テストピースを焼いたりして実験していた釉薬をやっと作品に使ったりして、この時期、自分なりの「実りの時」を迎えた感じです。
ずっと釉薬に魅了されていましたが、造形を活かすためには、釉薬を使わないことも大切だということも判ってきました。

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もう来月の連載が載る20日は展覧会の会期中になります。
初日とイベント以外でも、私は午後から会場に居る予定です。
元気で皆様にお会いできるように、睡眠も食事も作業のうちと思って、休み休みして頑張ります。
お読み頂いている皆様も、夏の疲れを溜めないようにどうぞお気をつけてお過ごしください。

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*プレスリリースのためのテキストを、大阪の京谷裕彰さんに書いて頂きました。
どこかで目にされた方もいらっしゃるかと思いますが、スペシャルサンクスの思いを込めて、以下に転載します。

――――――

 1967年生まれの井桁裕子は、1990年代に球体関節人形の制作から始まり、以来、身体をモチーフとした立体表現を〈人形〉として作り続ける作家である。
 「人形とは何か」という問題はさておき、井桁はこの十年来、桐の粉を澱粉で練った桐塑(とうそ)という素材をもって、実在する同時代人をモデルに肖像人形の制作を続けてきた。
 わけても三人の舞踏家、吉本大輔の肖像《枡形山の鬼》(2007年)、石川慶の肖像《Kei doll》(2010年)、高橋理通子の肖像《加速する私たち》(2012年)は、表現のために身体の自由を自ら封じる舞踏家たちの志向に重ねられるかのように変形された姿で造形された。桐塑での制作には数ヶ月、ときには1年以上の時間を要し、その間作者はモデルと語り合いその世界を共有するため、作品には〈時間〉が織り込まれることになる。
 今回発表される新作のモデルは1977年生まれの森田かずよ。森田は二分脊椎症・先天性畸形・側湾症を持って生まれた、義足の女優にしてダンサーである。
 これは、森田が「自分の体を立体で見てみたい」という依頼から始まった制作だった。井桁は彼女の希望に応えるべく、骨格も筋肉も違うその身体を理解することに努めるうちに、その特殊な形の身体を、森田の人柄のように正面から取り組む姿勢で造形してみたいという意思が生まれ、試行錯誤が繰り返されたのである。
 これまでもずっと作品はモデルの似姿でありつつ、そこには収まりきらないものとしてあったが、今回も同じ身体表現者の肖像でありながら、彼女のありのままの姿の造形へと至り着いた。

 森田かずよの肖像人形と向き合うことを通じて、私たちは多くの問いかけとともに豊穣なものを受け取ることになるだろう。
(京谷裕彰/詩人・批評家)

〜〜

井桁裕子 新作展・片脚で立つ森田かずよの肖像
会期:2015年9月15日(火)〜2015年9月27日(日)12:00-19:00 ※会期中無休

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(いげたひろこ)

●今日のお勧め作品は、井桁裕子です。
20150820_igeta_text_10_1井桁裕子
「Fujita doll 精神分析医・藤田博史氏肖像」
2002年
石塑粘土、水彩、ガラス塗料
各H45.0cm


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

私の人形制作第73回 井桁裕子

私の人形制作第73回 井桁裕子

散歩、『空がまた暗くなる』

森田さんの大きい作品ができて、今は焼き物の作品を作っています。
陶土での造形はイメージを素早く形にすることができ、そのまま焼いて、手で作ったままを留めておけるのが嬉しい素材です。
大きいものを作るには、もっと高い技術や本格的な設備が必要なので、私の場合は小さい作品にならざるを得ませんが、本来の人形の意味で手の中に収まる宝物として作ろうと思っています。
昨年4月から、大きい公園のそばに引っ越して来たのですが、時間の余裕が無くてずっと「散歩に行く」ということさえできずにいました。
いま、ようやく1日に一度は散歩ができる余裕が出てきました。
初夏の強い日射しと雨で、一層濃くなった緑を楽しんでいます。

昨日の夕方、気まぐれに、いつもは行かない方角に向かって歩いて行くと、公園のはずれから老人のしわがれた怒声が聞こえてくるのに気がつきました。
大型犬などを叱っているのかと思いましたが、音の方にはアパートしかありません。
繰り返し、人間を叩いているとしか思えない大きな音がしていました。
「お前が判らないから、俺の手が血が出て来たぞ」などと言いつのってはまた叱りつけています。
もしや子どもが虐待されているのか?と思って緊張し、声の方向を探していると、そのアパートの上の階でドアが開き、人が出てきました。
さっきから怒鳴られ叩かれていたのは腰の曲がった小さな老女でした。
夫と思われる老人の怒声と暴力がなおも続き、ビニールを老女の頭にかぶせて「息をできなくしてやろうか」などと脅しているのがはっきり見え、聞こえていました。
さっきからずいぶんしつこく続いているし、このまま立ち去るわけにもいきません。
私は下から「やめなさい!」と精一杯の声で叫びました。
「さっきから何をしているのだ、暴力はやめなさい」と繰り返して大きな声で言うと、老人は「何か用か」「ここまで上がって来い」などと叫び返してきましたが、やがて降りてきました。
「暴力をやめないと警察を呼びますよ」と言いましたが、こういうときに限って携帯電話が無かったので、それはハッタリです。
老人は、詰め寄るように近寄ってきて指先をこちらの鼻に突きつけながら、お前には関係ない、あれは俺のかかあだ、と言いました。
老人の顔が間近にせまり、私の顔にしぶきが飛んできました。
自分が支配した人間ならば奴隷のように怒鳴りつけ殴っても良いという、その権力の根拠はなんでしょうか。
ともあれ、恫喝に相手がひるむのが当然と思っている人間を前に、期待通り退くわけにはいきません。
私は両手をスーパーマンのように腰にあてて仁王立ちしながら、近所の人々にも聞こえるように大きな声で、今あなたは女の人に暴力をふるっていましたね、自分の手が痛くなるほど人を殴ってはいけない、と繰り返して言いました。
威嚇する老人の手をよけようとして、私の眼鏡が飛びました。こうなるともはや焦点が定まりませんが、眼をそらすことはできません。
老人と書きましたが年齢にそぐわぬ俊敏さで、人に暴力をふるうのに慣れている動きでした。毎日おばあさんを怒鳴って英気を養っているのかもしれません。
押し問答で、らちがあかないのに飽きたのか、やがて老人は自分から引き上げていきました。
私は、近所の人がだれも出て来ないのにがっかりしました。
関わりたくないのはよく判りますが…。
携帯電話も無いし、そのあたりに知り合いもいないので、私も立ち去るしかありませんでした。
気になるのでまた行こうかと思いますが、こういう場合どうしたらいいのか、悩むところです。

孤立して、隠された暴力におびえながら暮らしている人が、世の中にはどのくらいいるのでしょうか。
もっと若くても、経済関係などでがんじがらめになり、現状から脱出できない人がたくさんいるのではないかと思います。
個人的な問題が、辿って行けば大きな構造や歴史の一部である場合もあります。
自分と関係のないはずの大きな問題が、いつの間にか個人をどこかに連れて行くのです。

様々な芸術は、堪え難い現実を超越して、人をもっと高い何かに近づけるために必要なのだと私は思います。
良い方に向かって行く力は心の中に生まれるものだから、単に軽く空しさを埋め合わせるだけとしか思えなくても、心を救う何かが必要なのです。
非常に理不尽な現実を目の前にして、それでなお自分の心に嘘をつかずに楽しくて美しいものを作り続けるにはどうしたらいいのか。
少なくとも、非道な現実に対しては「それは違う」という表明をどこかでしていなくては、作っている美しいものと自分との間に裂け目ができてしまう。
仮に芸術に言葉はいらないとしても、自分の存在のためには言葉が必要なときがあるという気がします。

〜〜
ついに個展のDMができました。
写真は齊藤哲也さんに撮影していただきました。
9月まであと少し、準備は限られた時間ですが、ささやかであっても良い展示にしたいと思います。

igeta井桁裕子展DM宛名


(いげたひろこ)

●今日のお勧め作品は、井桁裕子です。
20150720_igeta_39_tuiraku井桁裕子
「墜落」
2012年
桐塑、油彩
40.0x60.0xH60.0cm
サインあり


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私の人形制作第72回 井桁裕子

私の人形制作第72回 井桁裕子

それが「人形」であるということ・3

前回、多くの印象を統合して「永遠」を作ろうとした高村光太郎の肖像彫刻、それとは逆に、単に「一瞬」を捕らえればかまわないのだと割り切ったにもかかわらず、その一瞬というものがどこまでも多様さを示してきて、結局は泥沼へと導かれてしまう私の作業、というなんだかフラクタルのような話を書きました。

のみならず、私は大きい方の森田さんの作品を作り始めた初期の頃に、単にリアルな再現にとどまらない造形の可能性を探って、やたらにややこしいスケッチをいくつも描いていました。
それは、体から骨格がはみだして、骨格だけ増幅して上に伸びて行くといったアクロバティックなイメージでした。
左右非対称な肋骨が螺旋状に上下逆に繰り返され、もう一つの左脚が空に突き上げられているのです。
それはおおまかな像を描く事はできても、やはり実際には肋骨がどんな形なのか判らないままということもあり、どうやったら作れるのかさっぱり判りませんでした。
そのスケッチは、12月にぎっくり腰で動けなくなった時に泉のごとく湧いたものでした。
私は「せっかく良いアイデアなのに、できないのは自分の能力が足りないから」と考えて困っていました。

年が明けて2月、東京に日帰り旅行にやってきた森田さんと、障害者の身体表現について話をしました。
できることの限られた身体でどこまで、見る側も純粋に「楽しめる」ダンス作品ができるだろうかという問題です。
「障害者の人達を応援しましょう」という態度で片付けられはしない、独自な表現について。
それには不自由な身体と動きを、思い切って見せることが必要かもしれない。
しかし、それには「障害を見世物にしている」と批判する人もいる。
見る側の興味が身体そのものへの関心でしかないとしたら、確かにそうでしょう。
私は、それは健常者が踊ることでも同じだと思いました。
いかに見応えのある裸体を持った人であっても、身体の露出が多いだけでは底の浅い表現としか言えないわけです。
しかし身体を見せなければできない表現もあって、そのような表現を「見世物」のようにしか見られない鑑賞者がいたならば、それは鑑賞の姿勢のほうが浅いということになるのです。
森田さんは「ある意味、見世物でいいと思う」、または「がんばっている障害者」という感動物語のイメージが入り口であっても、それでもかまわないと言うのでした。
少なくとも今の日本で、障害者の芸術表現はあまりに狭い世界でしかない。
たとえ同情が入り口であれ、そのための機会が用意されれば、表現者が育っていける。
しかし自分が活躍したからといっても、それは自分だけの話で、他のあらゆる障害者への理解が深まるということにはならない。
そんなような話をしたのでした。


私はその会話のあとでなぜかふいに、あの妄想の骨格の像は実現不可能だということに気がつきました。
そしていくつものイメージを一つの作品に集約することに決めて、やっと焦らずに取り組めるようになりました。
自分の能力が足りないと思っていたのですが、足りないのは透視力などの超能力だったのでしょう。


雛型として作った像に続き、大きい作品も1点、先日ようやく完成しました。
2014年末から2015年が明けてこの半年の、なんと早く過ぎ去ったことか。


私の知る限りですが、これまで障害者の身体を作った例では、ダウン症の人の巨大なヌード彫刻を作ったマーク・クイン(Marc Quinn)というイギリスの作家がいます。
作品は白い大理石で作られており、手足の短い「異形」の裸体を、高さ10メートルの巨大彫刻としたものです。
その「妊娠する女神像 (Alison Lapper Pregnant )」を、私は2005年にたまたま現地ロンドンで見ました。
広場にそびえる彫像はかなりの迫力があり、支持する人ばかりではなく非難する人もいたようです。
(参考サイト:salon de mimi「マーク・クイン展/ Marc Quinn @Giorgio Cini Foundation, Venice」

私の制作については、森田さんの「自分の身体を知りたい」という欲求があったからこそできたと言えます。
振り返れば、かつて私がセルフポートレートの作品を作った時も、「自分の身体を知りたい」という同じ動機だったのでした。
それが彫刻というパブリックな存在ではなく人形という器であったことによって、謎解きは私的な領域を越えず、表面張力を保った水面のように意味をはらんで揺れている気がします。
「自分」というものは自分にとって世界と等しい。
誰にとってもそうで、世界の中の一個人は砂漠の砂の一粒と同じではありません。
作品は森田さん個人の物語であると同時にもっと大きなイメージも重ねています。
「加速する私たち」で、あらゆる苦悩と後悔を置き去りに滅亡へと走らされる「私たち」を力一杯作った、それに続いて人類の「加速を止める」ために森田さんを作った、というような流れとなった気がしているのです。
前回の作品で発した問いへの答えが提示される、運命的な巡り合わせだったと思います。

〜〜
お知らせをいたします。
9月15日から27日まで、ときの忘れもので個展をさせていただくこととなりました。
もうすぐDMも出来上がります。
作品をご覧頂ける日を楽しみにしております。皆様どうぞよろしくお願いいたします。
(いげたひろこ)

●今日のお勧め作品は、井桁裕子です。
20150620_igeta_05_RyokoDoll井桁裕子
「錬金術 Ryoko-doll」
2009年
桐塑
H70.0cm


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私の人形制作第71回 井桁裕子

私の人形制作第71回 井桁裕子
Reality of a doll and a sculpture -About sculptor Kotaro TAKAMURA-


それが「人形」であるということ・2

人形のリアルな表現は、リアリティではなくむしろ違和感へと向かう。
というよりは、リアルさゆえに、本物とのずれが強く意識されてしまうということなのでしょう。
彫刻はどうなのでしょうか。
彫刻は単一の素材で表現され、作業の跡をそのまま残したりします。
素材をいろいろ使うという方面の努力は彫刻にはほとんどなく、そこが人形と彫刻の分かれ目のような気がします。

日本女子大で教えていらっしゃる藤木直実先生に、私の今の制作についてお話したところ「肖像彫刻ですごく時間がかかった一例」として日本女子大の創立者・成瀬仁蔵校長の肖像について興味深い話を聞かせてくださいました。
それは桜楓会(同窓会)から、当時まだ青年だった高村光太郎に依頼されたものでした。
しかしその制作は1919(大正8)年から1933(昭和8)年、依頼の時から数えて14年間に及びます。
これには高村が成瀬先生のご存命の間にわずか2度しか会えなかったこともありますが、亡くなられて一層慕われ尊敬されるこの方の偉大な姿をどう現すか、悩み続けた様子が伺われます。
ついにできあがった胸像を母校に贈ったときの桜楓会機関誌「家庭週報」の記事には、高村の苦労を伝えて「十余年間、このアトリエの中に胸像を護持して検討を続けられ」たとあり、「この永遠の芸術から永遠の生命を呼吸できるように思います」と像を讃えて生き生きと喜びが書かれています。

01「女性ジャーナルの先駆け」日本女子大学校・桜風会 機関誌「家庭週報」年表 より


一方、高村光太郎の言葉には、さらに深い実感がこもっています。
以下がその言葉です。

 おわびとお礼と(1933年・週報1175号)   高村光太郎
最初三四年の間の二三の作は成瀬校長の印象再現に傾き、いわば「或る日の校長」というような現象表現に力をそそぎ、(中略)最後の二三年になってようやく人格の総合表現と彫刻的取り扱いとに或る融合を見出し(中略)もうこの肖像は「或る日の印象」ではありません。それ故特定の年齢もそこになく、特殊の表情もありません。ただ一個の魂が彫刻的表現をもってそこに存在しているに過ぎません。生命の有無はただ作品のみが証となるでしょう。


特定の年齢も表情もない、ただ一個の魂。
生き続ける人間の意識は、常に連続して記憶の堆積となり続けます。
そのすべての印象を一つの造形に集約しようとするなら、造形は揺れ動くものにならざるを得ないのです。

私の今の制作の場合はモデルの森田さんの姿を写真撮影し、それを律儀に再現する方法で制作しています。
高村光太郎のように言えば「一個の魂」ではなく「或る日の森田さん」が作れたら、私はそれでいいのです。
なので、写真で無作為に切り取られた一瞬を凝視することになります。
ところが、実を言うとモデルの森田さんの身体は何枚かの写真を撮るわずかの時間の中でさえ同じではありません。
片脚で立つバランスが少しずつ変わり、腕を置く位置が変わり、呼吸によって胸や腹部の形も変化します。
写真ごとに違う形が記録され、その矛盾をとらえきれず形がわからなくなります。
まして数ヶ月の間があると、筋肉と骨格の見え方が実際に変化してしまいます。
レントゲン写真のぼやけた画像を見つめても、たいしたことは読み取れません。
医師でさえ彼女の骨格がどうなっているのか判っていないということですから、私が判らないのも無理はありません。
また普通なら、脚や腕は左右で同じにすれば良いのですが、森田さんの場合はそうはいきません。
顔もどこを向いているのが「正面を向いている」ことになるのか判りにくかったりします。
こうしてみると、私はデジカメという文明の利器を使って便利にやっているはずなのに、結局、刻々と変化する像を探して苦労をしているわけです。
魂の表現を模索しているわけでもないのに、こんな不器用なことで良いのでしょうか。

「或る日の森田さん」が目的であれば、手段を間違えているのではないか、と私のみならずこれを読んでいる人々も思うかもしれません。
70年代のスーパーリアリズムのムーブメントの頃、人体をまるごと型取りする技術でスーパーリアルマネキンが作られ、一世を風靡したことがありました。
現代は、3Dスキャニング・プリンターの技術が発達しています。
瞬時に全方向からの立体データを取り込むようなことがもしできれば、森田さんの身体も正確な複製を作ることができるでしょう。
そういう科学技術があるのに、頼りない眼と手で作るのは意味が無いと、誰もが考えるはずです。
もちろん私もそういうことを知らないわけではないのですが、この世にどんな高度な技術があっても、私に好きに使わせてくれるわけではありません。
などと言うと、つまりそれは金銭的な問題なのか、と人々は思うでしょう。
村上隆氏の著書の中に「金があれば外注ができる、自分のかけがえのない時間が節約できる、だから金はあったほうがいい」というようなごく合理的なことが書いてあったのを読んだ記憶があります。
このような常識的な思考は説得力があり、私もおおいに納得しました。
それはまさに私のこのような場合を指していると、人々は考えるに違いありません。
しかしもちろん、常識によって結論の出るものが必ずしも芸術ではないと思う人も居るかもしれません。

私もよく判らないのですが、この場合は、正確さを求めつつ、しかし決して本物からの複製であってはいけないに違いないのです。
私の下手な技術力や勝手なファンタジーのフィルターを通した造形であればこそ、謎は謎のままに、静かに遠いものに触れる事が可能かもしれない。
手で作る事には合理性以外のいろいろな意味があります。
一瞬をとどめようとするにせよ、魂の表現を模索するにせよ、それは何かを問うための旅であって、問いも答えも他者にとっては謎なのです。
そして旅というのはもともと、価値の決めにくいものです。
(次号へ続く)

(いげたひろこ)

●今日のお勧め作品は、井桁裕子です。
20150520_igeta_40_syukusai井桁裕子
「祝祭」
2011年
桐塑、油彩
15.0x34.0xH31.0cm
サインあり


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私の人形制作第70回 井桁裕子

私の人形制作第70回 井桁裕子
Reality of a doll and a sculpture -Visiting Ichimatsu doll studio-


それが「人形」であるということ・1

先日、ご縁あって市松人形の人形師さんの工房にお邪魔させて戴きました。
市松人形は頭、上半身、手足が桐塑でできていて、表面は膠で練った胡粉で仕上げられています。
腰から下や二の腕は布で作られています。
私がお会いした方は頭を作られていて人形師としてお名前の出る立場ですが、手足など他の部分は別の職人さんたちが作って納品に来られるとのことでした。

やはり古くから産業としてあるものなので、一つずつのパーツは時間をかけず量産ができるように工夫されています。

素朴にそっけないくらいに作られた体、だからこそと言うべきか、綺麗な着物を着せられてきちんとしている様子に不思議な存在感が漂うのでした。

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省略した形なのに生命観があるのが人形らしさなのだという気がしますが、かつて見世物興行などで流行した精密な描写で肉体の表現に迫る「生き人形」も人形と呼ばれるものです。
リアルな人形と彫刻とはどう違うのか、という疑問を含んだ感想が聞かれます。
彫刻と明確に違うのは、人形については、それが人と実際に触れ合ったり、かなり感情的に密着してくるものだということです。
よく「人形は恐い」と言う人がいますが、彫刻に対して恐いと感じる人はいません。
市松さんの本物の髪をつけたその頭をなでながら、恐さと魅力は紙一重の差だと感じます。
蝋人形などは、私はあまり好みではないけれど、あれも彫刻のように昇華されてしまわないところに訴えてくる何かがあります。
リアリティを感じさせることと「リアルである」ことが、違うものだということを思います。
何かを再現するために現実にこだわってリアルを追いかけると、それは違うものになって行くのです。

以前、リアルさを追及しようとすると出会う「不気味の谷」について書きましたが、それはロボット工学の最先端で生まれた認識でした。

リアルな表現が、リアリティではなくむしろ違和感へと向かう。
彫刻はどうなのでしょうか。
日本女子大に高村光太郎が制作した胸像があります。
同大学で教えていらっしゃる藤木直美先生から、この日本女子大の創立者・成瀬仁蔵校長の肖像について興味深い話をお聞きし、資料を貸していただきました。
(次号へ続く。)



先月もお知らせいたしましたが、来る5月1日はいよいよ「狂童女の戀」です。
人形・ユトロちゃんは衣装も新しくなり、映画からライブの舞台へということで、大変楽しみです。
私はこれまで、あまり「人形作家」とは自称できずにいました。
なんだか変にこだわったことばかりやっていて、職業的な意味の感じられる「作家」などと名乗れない気がしていたのです。
しかし、よく判らないながらも人形ということでやってきて本当に良かったとつくづく思います。

15日に初めて全員揃っての通し稽古となりました。
淡野弓子さんの歌と武久源造さんのピアノ演奏をこのように身近な場所から聴けるのは貴重なことです。そして坂本長利さんの魅力的な語りをゆっくり間近で聞き、実に嬉しく思いました。
そして黒谷都さんの、あのもみじのような可愛らしい手がどういう凄い魔法を使っているのか、私はいまだに夢を見ているようにしか思えません。
たった一日の公演ですが、ご都合がよろしければどうぞお越し下さい。

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こちらで公演についてのご紹介があります。
*ムジカポエティカ
http://www.musicapoetica.jp
*大野幸空間研究所・ウェブサイト
http://kooono.com/サイト/days/エントリー/2015/3/20_狂童女の戀.html

〜〜
「狂童女の戀」<人形・歌・朗読の夕べ> ユトロとともに 

チケット:一般(自由席)4000円/学生(自由席)2500円
会場:三鷹市芸術文化センター「星のホール」にて/開場18:30、開演19:00〜

ご予約:
菊田音楽事務所 T&F 042-394-0543
ムジカポエティカ yumiko@musicapoetica.jp

<三鷹市芸術文化センター>
〒181-0012 東京都三鷹市上連雀6-12-14
Phone: 0422-47-5122 (チケットカウンター)
Phone: 0422-47-9100(施設受付・事務局)
JR三鷹駅南口4・5番バスのりばから3つ目「八幡前・芸術文化センター」下車すぐ。
または6・7番のりばから「八幡前」下車1分。または徒歩約15分(三鷹駅より1.2km)。
http://mitaka.jpn.org/access.php

(いげたひろこ)

私の人形制作第69回 井桁裕子

私の人形制作第69回 井桁裕子

「狂童女の戀」人形・歌・朗読の夕べ

今回は、今準備が進んでいる、とある公演のお知らせです。
ご記憶の方もいらっしゃると思いますが、2010年から2013年にかけて、このブログにも映画「ハーメルン」について度々書かせていただいてきました。
私はその中に出てくる人形劇のシーンの人形を作ったのです。
昨年はDVDも発売され、それには坪川監督の奮闘によって実現した、人形劇部分だけを編集した特典映像も入りました。
これにてめでたくこの「物語」は最後のページを閉じたと思われたのでしたが、その後また不思議なご縁で、人形をきっかけに舞台の話が進行しています。
私は以前から、建築家にしてバイオリニストである大野幸さんを通じて、声楽家の淡野弓子さんの知遇を得ておりました。
その淡野さんが映画をご覧になり、人形と一緒の舞台をぜひやってみたいと仰ったのです。
もちろん私は大変嬉しく思いました。
以来、淡野さんが中心となって、人形・歌・朗読の舞台の企画がスタートしました。
武久源蔵氏のオリジナルの楽曲・ピアノ演奏とともに、坂本長利さん、黒谷都さんのお二人が朗読と人形操演で参加されることになりました。
人形・ユトロちゃんは新しい衣装をまとって岡本かの子の描いた可憐な「狂童女」に扮します。
公演は5月1日(金)、三鷹市芸術文化センター「星のホール」にて19時から、と日時・場所も決まりました。
準備も含めて記録を残したいということで、過日このブログでもご紹介されていた映画監督・石山友美さん、佛願広樹さんご夫妻に記録映像をお願いすることにもなりました。
ご興味がおありの皆様、どうぞご来場ください。

以下に、淡野弓子さんがリーフレットに書かれた文章を転載いたします。

〜〜〜
*前口上*
 映画「ハーメルン」(監督:坪川拓史)を観たのは2013年の秋だったと思います。
西島秀俊、倍賞千恵子、坂本長利といった真の実力派の演技も心に沁みましたが、私を驚嘆させたのは劇中の人形芝居に出てきた人形と黒衣の人形遣い黒谷都でした。
もの云わぬ人形は当然といった面持ちでフルートを吹き、ドビュッシーの組曲《子供の領分》の「小さな羊飼い」の旋律が流れました。人間界に関心を寄せるような、寄せないような、その超然とした姿はやはりこの世のものではありません。
ある種の異次元からふわりと舞い降りた不思議な物体。
是が非でもこの人形をこの眼で観たいとの思いで制作者の友人に頼み込んで、人形の創り手である井桁裕子さんに人形の近況を訊ねて戴きました。
「映画に出ていたJutroちゃんなら、うちに居ます。そんなに重くないし、どこかに連れて行ってもいいですよ。」との返事が!
対面の日が来ました。
井桁さんが操って実際に動き出したユトロちゃん! 
その面差し、まなこ、手は何を語ろうとしたのでしょう。
いやそんなことは問題になりません。彼女は存在するだけで充分でした。
それは私がこれまでに遭遇した幾つかの奇跡物語の中でもかなり特殊な1ページとなりました。
帰り道、私はこらえきれずに叫んでいました。「ユトロちゃんと一緒にコンサートが出来ないかしら? もっと沢山の人にユトロちゃんを観て欲しいんです。」
私の脳裏を過ったのは岡本かの子の短編『狂童女の戀』でした。
登場人物はある奇妙な体験を述懐する詩人と詩人に恋する狂童女です。
ユトロちゃんにはこの狂童女になってもらいましょう。
この時点では夢というより妄想に近いアイディアでしたが、奇跡は奇跡を呼び人形遣いには黒谷都さん、朗読には坂本長利さん、といういずれも映画「ハーメルン」で重要な役を担われたお二人が協力して下さることになりました。話の間に流れる音楽は武久源造さんにお願いし、これ以上は望めない最高の方々が勢揃いしたのです。

『狂童女の戀』を読んでいるといろいろなアイディアが浮かんできました。
西原北春という名で登場し「ころがせ、ころがせ、びいる樽」と微吟する詩人は北原白秋だ、そうだ、白秋詩に作曲された山田耕筰の《曼珠沙華》を歌おう・・・・
狂童女の原型は恋人テーゼオに置き去りにされ嘆き狂うギリシャ神話のアリアドネーか? モンテヴェルディの《アリアンナの嘆き》はひょっとしてピッタリかも知れない・・・・
この少女の純粋性は『薔薇は生きてる』を遺した山川彌千枝と重なる。彌千枝の詩に武久源造が曲を付けた《バラの花よ》や《風の中の桜》もどこかで歌いたい・・・・

プログラムの流れは、坂本、黒谷、武久の三氏が私の一人勝手を尊重して下さり乍らそれぞれに意見を出され、紆余曲折を経てやっと決まったものですが、練習の過程で更なる変化も予想されます。
この新しい試みに興味を寄せられ、どんなものか、と「星のホール」へ足をお運び戴けるなら、こんなに幸せなことはありません。

感謝と愛のうちに
2015年 弥生の月  淡野弓子

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〜〜〜
私がこの人形を作っていたのは2009年の夏頃で、ただただ夢中の日々でした。
今回ご一緒する方々とは、黒谷都さん以外はまだ出会ってすらいませんでした。
今更ながら良い仕事をさせてもらえたと深く感じています。

チケットとお問い合わせは三鷹市芸術文化センターか以下までお願いいたします。
菊田音楽事務所 T&F 042-394-0543
ムシカ・ポエティカ 03-3970-0585・03-3998-8162 e-mail:yumiko@musicapoetica.jp

(いげたひろこ)

私の人形制作第68回 井桁裕子

私の人形制作第68回 井桁裕子

「切断ヴィーナス」のファッションショー

2月14日、「カメラと写真映像のワールドプレミアショー・CP+2015」というイベントに行ってきました。
これは、多くの写真関係者が毎年楽しみにしているという、映像機器の見本市です。
ご一緒したのは大阪からやってきた森田かずよさんと、バリアフリー建築のお仕事をされているFさんで、場所はパシフィコ横浜、好天に恵まれた一日でした。
会場に着くと、カメラの新製品には目もくれず、ハッセルブラッドのブースに突き進みました。
そこで行われるイベント「切断ヴィーナスショー」の為に私たちは出かけてきたのです。

この「切断ヴィーナスショー」とは写真家の越智貴雄氏が主催のイベントで、義足の女性たちのファッションショーです。
http://ch.nicovideo.jp/ch711/blomaga/ar726566

「義足のファッションショー」の大きなものは2012年3月に、恵比寿ガーデンプレイスでのパラリンピック関係のイベントでのショーが記憶に残っています。
その頃、義足を見せる女性アーティストたちによる、小さなスペースでの自主的なイベントが精力的に取り組まれ始めていたのです。
美術作家では片山真理さんがよく知られていますが、義肢装具士・臼井二美男氏の手がけた義足を使用する女性たちとその仲間が様々な活躍をし、雑誌、新聞、NHKなど多くのマス媒体にも紹介されていきました。
以前からパラリンピック選手を撮影されていた越智貴雄氏は、2013年から彼女達の撮影に取り組むようになり、同年4月に原宿にあるハッセルブラッドのギャラリーでその写真展が行われました。
翌2014年5月に写真集「切断ヴィーナス」が出版され、やはり様々な媒体で取り上げられました。
私も原宿での写真展は観に行きました。
Makiko dollのモデルになっていただいたイラストレーターの須川まきこさん、ロックバンド「SHAMPOO」のオリモマサミさん、アスリートの大西瞳さん、モデルのGIMICOさんなど、実際にお会いしている方達が新たな輝きをみせるファッション写真はとても楽しいものでした。
写真撮影でもショーでも、スタイリストはみんなの共通の友人である菅井葉月さんです。
洋服が主体になるアパレルのファッションショーとは違い、その人の個性が感じられるコーディネートが工夫されています。
菅井葉月さんの所属するオリジナルタイツブランド「tokone」に須川さんのイラストを使った美しいタイツがあり、これはもちろん毎回バッチリ登場します。
須川さんの絵を使ったものでは左右色違いのハイソックスもあり、これは義足の方が片脚ずつで履く場合も楽しめるように作られたものです。
http://to-ko-ne.com/portfolios/makiko-sugawa/

私たちはブースの前で須川さんと落ち合って控え室にお邪魔したりして交流し、その日2回目の、3時半からのショーを観ました。
撮影OKなので、黒山の人だかりの皆さんの多くがカメラを手にして撮影に陣取っています。
Fさんが森田さんの為に場所を取ってくれて、かろうじて前の端っこで前列に座り、ショーの始まりに間に合いました。

須川まきこ須川まきこさん。左下の前列に、臼井さんの姿も見えます…。


大西瞳後ろ姿も素敵な大西瞳さん。


CP+2015出演者(敬称略、左から):大西瞳、小林久枝、村上清加、須川まきこ、阿部未佳、佐藤陽子、藤井美穂


記念撮影そして森田さんも一緒に記念撮影!なんとなく赤と黒で揃った感じに…。
右の男性は「特定非営利活動法人ノアール」の熊篠慶彦さんです。


特別なイベントとはいえ、義足を隠さずに見せて堂々と話題にできるのは清々しい気分です。
身体障害に限らずですが、人間はそもそも不平等なものです。
ハンディキャップがある人はそれを補う助けがあってこそ平等なスタートラインに立てるという面があります。
「義足」「装具」はその象徴のようです。
自分を顧みても、周囲の人々を思っても、障害は他人事ではありません。
助け合う事を当たり前にするという意味での「豊かさ」がますます必要だと感じます。
私はテレビを持っていないので、こうしてたまに電車に乗ると、週刊誌の車内吊り広告に目がいきます。
それらに、差別をむき出しにしたり、戦争を期待するような言論が競って肩を並べるようになっているのが気になります。
寛容さを失って傷つけ合う風潮が増すと、多くの人がこういう殺伐とした考えに共感するのではないか、と心配になります。
障害が有る無しに関わらず、誰もが日々の暮らしに輝きやときめきを持っていられたら、もっと他者を思いやる余裕が持てるようになる気がします。

森田さんと一緒に出かけたのはまだ二度目ですが、何かに付けいろいろな発見や学びがあります。
それを改めて言葉にするのは、なかなか難しいのですが…。
(いげたひろこ)

●今日のお勧め作品は、井桁裕子です。
igeta_04_MakikoDoll
井桁裕子
「Makiko doll」
2009年
桐塑
H115.0cm

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

私の人形制作第67回 井桁裕子

私の人形制作第67回 井桁裕子

桐塑、そのヒビと日々

もう月の半ばを過ぎていますが、これが新年最初の回となります。
今年も制作にまつわるいろいろを書かせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします!

最近、途中段階を時々撮影するようになりました。
デジタル写真は制作日誌の代わりになって便利なのです。
今回はそういう写真をいくつか出したいと思います。

今作っているものは、桐塑(桐の粉とでんぷんのりが主成分)での作業です。
桐塑は厚く盛り上げると内部が乾かず、外側だけが乾燥していきます。
乾くと水分が抜けて体積が減りますから、盛った部分の内側に空洞が出来てしまったり、それが原因でひび割れが起こったりします。内部のどこかに空洞があると、表面をいくら修理しても、何度も何度も同じ場所にひびが入ってどうにもなりません。
ひびは布を貼って動きを押さえ、上から埋めて隠すなどのやりかたもあるのですが、それでは私は気分が落ち着きません。
結局そこを壊して、ひびを奥から埋める工事になります。
そういうことを繰り返していては永遠に終わらないので、最初から空洞化は避けなくてはなりません。

しかし、身体をデッサンするように観察力を発揮して造形して行きたいと思うと、1ミリずつ盛り上げて行くようなジワジワした作業ではらちがあかないのです。
そこで、数ミリの厚みが出来てしまう場合、切れ目や穴をあけて、乾燥の時にそこから割れて行くように工夫します。
写真1、2はそういう切り込みと穴が並んだ状態です。私はこういう気持ち悪いブツブツを好む悪趣味がありますが、嫌な気分になった方には申し訳ありません。(それにしてもなぜ人はブツブツに特別な反応をするのでしょうか…。)

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この穴を一つずつ埋めて行く作業を繰り返して乾燥させ、造形が進みます。
こうして形を探って、削ったり付けたりしている間にだんだん厚みができ過ぎてしまったり、逆に削りすぎて穴が開いたりします。
厚くなると当然、重くなります。
寝かせて展示したり、箱など安定した装置に固定する作品なら重くてもいいのですが、不安定な形で、なおかつ立たせたいとなると強度を保ちながら極力軽くしなくては心配です。
厚みのある部分は物理的に周囲を引く力が強いので、部分的に厚みが違いすぎると、何十年か後に薄い部分にひび割れなどしないか心配になります。
その意味でもなるべく均一な厚みにしたいという気がします。
そこで、形が整って来た段階でノコギリで切って開き、内側を削りだします。
木彫や石彫は何か器械で素材を固定して工具で加工すると思いますが、このような不定形なものを一時的に固定しておく設備をどうしたらいいか、私は思いつきません。
床に座って両足と左手で作品をしっかり押さえ、ノコギリで切り開き、厚みのある部分にドリルで穴をあけて行きます。
そうしておいて彫刻刀で削って行きます。
先日、うっかり足の指をノコギリで挽いてしまって、しばらく靴を履くのが大変でした。
手は作業用の手袋をはめていましたが、足は裸足だったのです。
なぜ足の指先をノコで挽くのか、知らない人にはミステリーです。
数週間、あるいは数ヶ月の作業の集積が、こうして惜しげも無く削られて行きます。
写真は脚の部分です。

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4.また盛大にブツブツ穴です。「蓮の実」が苦手な人には耐えがたい画像ですみません。
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胴体部分の内側を覗き込むと、切ったり付けたりした工事のあとが残っていて、砂漠の遺跡のようです。
しかし、これもあとで割って内側から削って「整地」してしまうので、完成時には違う風景になります。

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そんな遺跡に小さな虹が現れました。

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アトリエには虹が一本住んでいます。
移動式の大きな鏡の縁にひそんでいて、時折ふいにやってくる、もう長い付き合いになる馴染みの虹です。
このときは、制作している手元の空洞に入り込んで、午後の日射しの移り去るまでの短時間を愉快に過ごしてゆきました。

(いげたひろこ)

●今日のお勧め作品は瀧口修造です。
20150113_takiguchi2014_I_34瀧口修造
「I-34」
水彩、インク、紙
イメージサイズ:34.2×23.6cm
シートサイズ :35.7×25.1cm


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tokinowasuremono
緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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