尾形一郎・優のエッセイ

尾形一郎 尾形優さんから、新春メッセージ

尾形一郎・尾形優さんから、新春メッセージ

 昨年はゴーストタウンを撮影した「ナミビア:室内の砂丘」展に来ていただいてありがとうございました。京都から始まって、銀座、青山、名古屋、ソウル、テグ、広尾とたくさんの方に見ていただきました。中には4つの会場に応援に来てくださった方もいて、とても感謝しております。このシリーズは、一昨年の「メキシコ:ウルトラバロック」から「ナミビア:室内の砂丘」、そして今年は「中国:洋楼」を予定しています。
 2人とも学生時代から世界中を旅するのが趣味でした。そんな旅の中から「西洋文明と異文化が衝突している場所」に興味を持ちました。それは自分たちが日本という、欧米社会から遠い辺境の国に育ったことと関係があると思います。
 そもそも日本の歴史は、外来文化の移入とその日本化の繰り返しです。古くは中華文明やオリエント文明、現代の私たちの生活は西洋文明の断片があふれかえっています。
 ずっと、こうした異文化の交差を建築で表現したかったのですが、文化をテーマに建築を作るということはとても難しく、手がかりがつかめませんでした。従来の建築は、構造や素材、機能などをテーマにすることが多かったからです。しかし、日本人として何が世界に貢献できるか、自分たちのテーマは貫きたいと思いました。2人で大型カメラを担いで20年、時間をかけて撮影することで手がかりを得ていきました。
 5月頃を予定している「中国:洋楼」展は、100年前の中国で一世を風靡した西洋文明の街を見ていただきたいと思います。
(おがたいちろう おがたゆう)
尾形夫妻2
2011年12月29日ときの忘れものにて、今春の個展の抱負を語る尾形一郎・尾形優さん

Elizabeth Bay-3-2004尾形一郎 尾形優
Yu OGATA & ICHIRO OGATA ONO
"Elizabeth Bay-3-2004"

2004年(2011年プリント)
ライトジェットプリント
イメージサイズ:40.2x32.1cm
シートサイズ:43.3x35.6cm
Ed.10
サインあり

Kolmanskop-4-14-2006尾形一郎 尾形優
Yu OGATA & ICHIRO OGATA ONO
"Kolmanskop-4-14-2006"

2006年(2011年プリント)
ライトジェットプリント
イメージサイズ:40.2x32.1cm
シートサイズ:43.3x35.6cm
Ed.10
サインあり

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尾形一郎・尾形優のエッセイ「ナミビア 第6回」

尾形一郎・尾形優のエッセイ

「ナミビア」第6回 人間のいた時間


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 コルマンスコップの町のはずれに子供たちのいた痕跡が残っていた。小学校の跡だ。倒れかけた優雅な扉をくぐって中に入ると、暗闇の中に板張りの大きな教室が見えた。さらに、ガラスの割れた扉を開けると暗くて長い廊下に出た。ヒューヒューという、砂を伴った風の音を聞いていたら、子供の頃「漂流教室」という漫画があったのを思い出した。
ある日授業を受けていると、突然、学校が人類の終った異次元の砂漠にワープしてしまうという刺激的な内容だったが、ここではそれが不思議に思えない。もしかすると近未来の私たちの町の姿も、こことあまりかけ離れていないのかもしれない。
 以前、メキシコの先住民が自分の町にある銀鉱山を批判して、山を掘りかえすようなことをしてはならない、という祖先からの言い伝えを訴えている場面をテレビ番組で見たことがある。アフリカの先住民から見ても同様に、鉱物を選別して富を得ていくという科学技術や資本主義といったシステムは異質なものであったろう。
 かくして、アフリカの砂漠にも西洋文明はやってきた。私たちの目の前を漂流するものたちは、近代人が砂漠に持ち込んだものだ。この姿は、地球の長い時間の中で、人間のいた時間の短さを見せつけている。人間の欲望が作り上げた室内に、自然の力がなだれ込んで神秘的な空間が生まれている。扉の向こうにあの世が見えるような。
 私はこのような、自然の力が作り上げた室内の砂丘を見ていると、生まれ故郷の京都の禅庭を重ね合わせてしまう。母の実家から程近い銀閣寺に子供の頃よく訪れた。大きく崩れそうでありながら、かっちりと切り取られたような石庭の表現を見るのが好きだった。人工と自然の衝突というか、箱庭的な感じがナミビアと同じだ。
 私の妻は、ナミビアの家の中にいると、遠い記憶を呼び起こされるような懐かしい感じがするという。妻は幼少期をドイツのデュッセルドルフで過ごしている。
 京都の石庭とドイツの家、ナミビアのゴーストタウンの風景は二人の原風景が重なっている場所なのだ。
(おがた いちろう)

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◆ときの忘れものは、2011年5月30日[月]―6月11日[土]「ナミビア:室内の砂丘 尾形一郎 尾形優写真展」を銀座と青山の二会場で同時開催します。
営業時間と休廊日が異なりますので、ご注意ください。
尾形展ナミビア案内状600
作家と作品については、「尾形一郎 尾形優のエッセイ」をぜひお読みください。

銀座:ギャラリーせいほう  
   東京都中央区銀座8-10-7 電話03-3573-2468
   11:00-18:00 日曜・祭日休廊
青山:ときの忘れもの  
   東京都港区南青山3-3-3 青山Cube101 電話03-3470-2631
  12:00-19:00  会期中無休
*初日5月30日(月)17時〜19時、銀座・ギャラリーせいほうでオープニングを開催します。
20年に亘って大型カメラを携え、世界の辺境に残された建築物を撮りつづけている尾形一郎と尾形優。 昨年好評を博したシリーズ〈ウルトラ・バロック〉に引き続き、今回は、アフリカ・ナミビアの砂漠に残された100年前の家々の痕跡を撮影したシリーズ〈室内の砂丘〉を発表します。
銀座・ギャラリーせいほうでは大作7点、南青山・ときの忘れものでは20点組の初のポートフォリオを出品します。

今月のWEB展は細江賢治展です。

尾形一郎・尾形優のエッセイ「ナミビア 第5回」

尾形一郎・尾形優のエッセイ

「ナミビア」第5回 室内の砂丘


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 今、私たちの目前に広がるのは、砂に押し流され漂流しているようなコルマンスコップの街だ。近くに水源はなく異常に乾燥している。一番近いルーデリッツの街から、月面のような世界を車で飛ばして20分、途中出会う車は鉱山労働者を満載したダイアモンド会社のバスくらいだ。
 私たちは道が埋まってしまった砂丘で車を降り、砂の中をどんどん歩いて、大きな病院の廃墟に入る。砂に埋もれた便器が不気味に並んでいる。長い廊下の両側には病室が並び、壊れた窓から砂がなだれ込んでいる。剥がれ落ちた天井には断熱用のアスベストがめくれ、壁には外れかけた古い配電盤がぶら下がっている。
 廊下の突き当たりの扉を開けて外へ出ると強い日差しで目がくらみそうだ。砂に足を奪われながら進むと、ここから続く家々にも割れたガラス窓から大量の砂が侵入している。
 行き場を失ったバスタブやストーブが砂に押されて室内を漂流しているらしい。明らかに昨年とも、一昨年とも場所がずれている。幾重にも繰り型が彫られた優雅な扉は砂に埋まって動かない。よく見ると、室内の壁には淡いペイントの色や繊細な模様が残っていた。
 これらのインテリアの基調を成しているのは、モダニズムの一世代前に風靡した分離派とかゼツェシオンといわれる様式をもとに作られた優雅なものだ。もともとは19世紀末にウィーンやドイツにおいて、先進的な芸術家たちが、人間の心の内面を表現しようと追求して生まれたデザインだ。
本来、このようなドイツ風の家は、本国では緑豊かな森に囲まれて建っているはずだ。しかし、このアフリカのドイツは、ある日突然、月面に漂流してしまったかような姿を見せている。
 毎日吹き付ける強風が、室内に堆積した砂山に美しい風紋を描いていた。撮影している最中も室内を砂が駆け抜ける。風紋だけを見ているとナミブ砂漠のものと変わりはない。同じ風紋を砂漠で見るのか、家族が暮らしていた室内で見るのか。
(おがた いちろう)

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◆2011年5月30日[月]―6月11日[土]に銀座・ギャラリーせいほうと青山・ときの忘れものの2会場で「ナミビア:室内の砂丘 尾形一郎 尾形優 写真展」を同時開催します。

尾形一郎・尾形優のエッセイ「ナミビア 第4回」

尾形一郎・尾形優のエッセイ

「ナミビア」第4回 ゴーストタウン


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 砂漠の町で一番困難だったのが水の供給だった。最初ははるばるケープタウンから船でルーデリッツに運び、そこから列車で各鉱山街に配ったが、やがて内陸部のガルブやグリレンタルといった場所に井戸が掘られると、そこから各鉱山街に水が配られるようになった。1人1日20リットルまでは支給されていたが、それを超える水はビールの半分ほどの値段がしたという。
 鉱山では、砂を掘るにも、機関車を動かすにも、精選工場でベルトコンベヤーを回すにも動力が必要だったが、蒸気機関は新鮮な水を大量に消費するため砂漠の地では不都合だった。
 現在、ルーデリッツ港のかたわらに大きな火力発電所の廃墟を見つけることができるが、鉱山の動力供給のために作られたものだ。ここから電力がエリザベス・ベイやコルマンスコップに送られ、ダイヤモンドの機械化された選別方法が確立していった。
 ルーデリッツ在住の老人に見せてもらった当時の絵葉書には、自動化された選別工場の内部や、軌道式のエレクトリック・クレーンが掘り起こした砂を次々と貨車に乗せる姿が写っていた。
 さらに、ドイツから運ばれた最新鋭の大型電気機関車、ジャーマン・クロコダイルが、連なる貨車を牽引して採掘現場と精選工場を結んでいる姿もあった。
 コルマンスコップでは大型冷凍設備が作られ、毎日すべての住民が氷のブロックを手に入れることができた。ヨーロッパでもまだ蒸気機関が主流の時代に、アフリカの辺境の地にきわめて近代的な工業設備と都市が構築されていったのだ。電気の普及率の高さを示すように、ゴーストタウンの至る所で古い配電盤を見かける。
 しかし、こうした富の追求のみを優先させた町の栄枯盛衰は激しく、ボーゲンフェルの町は1910年から1913年と僅か3年、国家事業規模のエリザベス・ベイも1926年から1931年までの5年の命だった。
 地域のセンターだったコルマンスコップも、ダイヤモンドの産出地が南部のオランジェムントに移ると1930年に操業を停止した。そして、1956年に最後の住民が去ると家具や建具、床材などの略奪が進み、壊された扉や窓から砂が侵入してゴーストタウンとなっていった。
(おがた いちろう)

尾形一郎・尾形優のエッセイは毎月10日と25日の更新です。

◆2011年5月30日[月]―6月11日[土]に銀座・ギャラリーせいほうと青山・ときの忘れものの2会場で「ナミビア:室内の砂丘 尾形一郎 尾形優 写真展」を同時開催します。

尾形一郎・尾形優のエッセイ「ナミビア 第3回」

尾形一郎・尾形優のエッセイ

「ナミビア」第3回 ダイアモンドの町


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 ダイアモンド鉱山の鉱夫の家は、最初は木造の小さな掘っ立て小屋だったが、しだいにレンガが積まれて立派な家々が建設されていった。
 窓枠はスウェーデン製、セメントはベルギー製という具合に建設資材のみならず、建築技師や職人もヨーロッパから調達された。ルーデリッツやコルマンスコップ、ポモナ、ボーゲンフェルスなどの主だった鉱山町には、豪華な家やホテル、駅舎、ダンスホール、ボーリング場などが建った。そして鉱山地区のセンターとなったコルマンスコップには、アフリカで初めてというレントゲン設備が導入された近代的な病院が作られ、ドイツ人の家々は、水や氷ブロックなどの生活物資を宅配するための軽便鉄道で結ばれていた。
 この時代の豪華な町並みは、ルーデリッツやスワコプムントといった町で、今日でも現役の姿で見ることができる。特にスワコプムントでは古い家並みが完全に保全されており、旧駅舎が豪華なホテルとして改装されていたり、ビアホールがあったりして、砂漠の中のドイツ暮らしを体感できる。
 当時のコルマンスコップには300人のドイツ人と40人の子供、そして800人の先住民労働者が住んでいたというが、第一次世界大戦でのドイツの敗北後、南アフリカに占領されてダイヤモンドの権利は後にデビアス会長となるE・オッペンハイマーに格安値で買収されてしまう。
 ドイツ系住民はそのまま残留するが、超大型のエリザベス・ベイ鉱山が稼働すると、さらに戦後不況のドイツから次々と技術者が移民して来た。
 私たちは、ドイツ人にとって困難だった時代に撮られた1枚の写真を見つけた。コルマンスコップの大ホールでナチスの鍵十字の垂れ幕をバックにした集会の写真だ。そこには再びドイツ人のアフリカが誕生することを夢見た人々の活気が写されている。
 しかし、さらなる敗戦のあと、故郷が東ドイツになったなどの理由で帰国できなかった人も多く、現在のドイツ人コミュニティーはアフリカ生まれの世代が中心となっている。
(おがた いちろう)


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尾形一郎・尾形優のエッセイ「ナミビア 第2回」

尾形一郎・尾形優のエッセイ

「ナミビア」第2回 アフリカのドイツ


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 アフリカ大陸の南西の端には、人を寄せ付けない砂漠が広がっている。月面のようにひたすら何もない広い国土を移動する手段はもっぱらセスナだ。
 海岸線に沿って飛ぶと、眼下に大型船の残骸が見える。これらは喜望峰を目指しながら、荒れた海で難破し砂漠に飲み込まれた船だ。一番大きいのは1909年に濃霧で座礁したドイツの貨客船エドアルト・ボーレン。100年の歳月にも関わらず、地平線まで続く砂漠にくっきりと恐竜のように横たわっている。乗客たちはこの砂漠から脱出できたのだろうか。
 ナミビアの砂漠地帯は、地球の原始の姿が残された場所といわれている。白や赤、黒、緑などのいろいろな色の岩石と、風や磁力によって混じわったその粒子による砂丘が、月面を想像させるような荒涼とした風景を作っている。
 強風によって砂丘は1日に60キロも移動することがあるといい、鉄道や道路はたびたび砂丘によって寸断されてしまう。
 僅かな先住民と鹿などの動物が暮らす砂漠に、19世紀の末にドイツの人たちが入植した。広大なアフリカ大陸も、植民地としておいしい場所はすでにイギリスやフランスなど先行する帝国に握られており、遅れをとったドイツ帝国に残されていたのは何もない荒涼とした砂漠だった。
 ドイツは1884年に港町ルーデリッツを中心としたドイツ領南西アフリカを成立させ、内陸部に鉄道網を築くための工事を始める。そして1908年4月、ルーデリッツの内陸部の鉄道工事現場で光る石が発見される。それがダイヤモンド原石であることが確認されると、何も無かったはずの砂漠に一躍一攫千金を夢見る人々が押し寄せた。
 そんなダイヤモンド・ラッシュの中、1908年の9月にドイツ植民地政府はダイヤモンドを含むと考えられるすべての地域を立ち入り禁止地帯として規制し、許可証なしでは入域できないようにした。それは、現在もナミビア政府とデビアスに引き継がれている。
 当時を記す初期の文書には、満月の光のもとでかすかに光るダイヤモンド探すために、砂漠の上をうつ伏せに這っている男たちが列をなしている姿が記録されている。現在もポモナの鉱山跡で選別に使ったふるいの残骸とダイヤモンドを掘ったあとの無数の砂山を見ることができる。
(おがたいちろう・おがたゆう)

尾形一郎・尾形優のエッセイ「ナミビア 第1回」

尾形一郎・尾形優のエッセイ
「ナミビア」第1回 ナミビアへ



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 昨年は、メキシコの教会建築をテーマにした「ウルトラバロック」展に多数の方々に来ていただいたことを感謝します。
 
 さて、世界の辺境に異文化衝突の痕跡を訪ねるシリーズの第二弾。
 今年はアフリカのナミビアに放棄されたゴーストタウンを撮影した作品を見ていただこうと思う。
 ナミビアは地図でいうと南アフリカの左上にあり、国土の大部分が砂漠に覆われ、人口密度の極端に低い国。
 この国に100年前のドイツが残したゴーストタウンがあるのを知ったのは2002年のことだ。南アフリカのサファリを撮影に行ったとき、現地の書店で砂に埋もれたドイツ風の家の写真を見つけた。砂漠の中に、ミュンヘンあたりの風景が埋もれてしまったような不思議な風景だった。
 帰国後、その場所がアクセスの難しいこと、砂嵐の日が多いことなど、詳細に調べて翌年の2003年から2006年にかけて3回、8x10の銀塩カメラを担いでこの地を訪れた。
 最初の撮影はクアルンプールで乗り換えてヨハネスブルクまで行き、そこからナミビアの首都ウイントフックまで定期便で飛んだ。到着した飛行場は国際空港なのに閑散としていて、私たちの乗ってきた機材以外は何も無さそうだったが、よく見るとオンボロのセスナ機が一機置いてあるのが見えてきた。
 このオンボロ・セスナこそが、私たちが日本から予約していたナミビア国内の移動手段だ。パイロットがデブだからか、私の機材が重いのか、オンボロすぎるのか、理由はどれにせよ、なかなか機体が上昇せず、何度も降下してしまう。やっと上昇してもフラフラしていて生きた心地がしない。それでもなんとか機体を立て直したところで、若い2人のパイロットが「イエ〜イ」と親指を出して祝った瞬間が、私たちにはナミビア一番の思い出となっている。
 とにかく風の強いところなのだ。この風には撮影中もずっと悩まされた。部屋の中なのに砂嵐が襲ってくる。フィルムには砂の微粒子が水のように入り込んでくる。日本に帰って現像したら、砂で穴だらけのフィルムもたくさんあった。
(おがたいちろう・おがたゆう)

*画廊亭主敬白
昨年6月の「ウルトラバロック 尾形一郎 尾形優 写真展」は、私たちにとっては写真の力をあらためて確信し、これからは写真だと覚悟をきめた画期的な個展でした。
未知の作家の個展を開くには、条件の交渉、作品の選択、展示の構成・編集、価格の設定などいくつも課題があるのですが、お二人が経験の浅い私たちを信じて、全力で取り組んでくださったこともありがたいことでした。
今年の個展は、より大胆な構想で、5月末から6月にかけて銀座・ギャラリーせいほうと、青山・ときの忘れものの二会場で同時開催します。
そのプロモーションをかねて、なぜお二人が「世界の辺境に異文化衝突の痕跡を訪ね」て写真を撮り続けているのか、毎月10日と25日の二回、ナミビア連作についてのエッセイを執筆していただき、全7回の予定で連載します。どうぞご愛読ください。

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尾形一郎・尾形優さんから新年のメッセージ

尾形一郎・尾形優さんから新年のメッセージ

P1060883_600

昨年は8年ぶりにウルトラバロック展が実現しました。遠方からも多数の方々においでいただき、ありがとうございました。同じ頃、ウルトラバロックをイメージして建設し続けてきた我が家も12年かかってようやく完成しました。
今年は5月にナミビアのシリーズの初個展を行います。このシリーズは、100年前にドイツ人がアフリカの砂漠に築いた町が、ゴーストタウンとなり再び砂漠に飲み込まれていく姿をとらえた写真です。
この新シリーズの引伸しや額の制作を考えるにあたって、完成間もない我が家はウルトラバロックからナミビアへと再び改装を始めました。楽しげだった極彩色の室内は徐々に無彩色の闇の中に消えて行こうとしています。
(おがたいちろう・おがたゆう)


ogata_10_acatepec_1尾形一郎 尾形優
「アカテペック 1」
1992年(2010年プリント)
ライトジェットプリント
54.0×43.0cm
Ed.10 サインあり

ogata_17_tepotzotlan_1尾形一郎 尾形優
「テポツォトラン 1」
1994年(2010年プリント)
ライトジェットプリント
54.0×43.0cm
Ed.10 サインあり

ogata_29_tonanzintla_1-d尾形一郎 尾形優
「トナンツィントラ 1-D」
1994年(2001年プリント)
デジタルピグメントプリント
225.0×180.0cm
Ed.1  サインあり


尾形一郎・優
尾形一郎・尾形優
室内の砂丘―コルマンスコップ 25-2
Internal Sand Dune―Kolmanscop 25-2

2006年 ライトジェットプリント
150.0×120.0cm
Ed.5  サインあり

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*画廊亭主敬白
ときの忘れもので個展をお願いしている作家の皆さんに新年のメッセージをいただきました。
尾形さんたちには、今春5月、ナミビアのシリーズによるかなり大規模な個展を2会場を使って計画しています。ご期待ください。
文中にある<ウルトラバロックをイメージして建設し続けてきた我が家>については、植田実さんのエッセイ『尾形邸「タイルの家」を訪ねて』第1回2回3回をご参照ください。
明日は大竹昭子さんからのメッセージをお届けします。

尾形一郎のエッセイ第3回「撮影について」

尾形一郎のエッセイ第3回
「撮影について」  尾形一郎

 その後は、ウルトラバロックと同様の背景をもつ建築として、沖縄のアメリカ占領時代のモダニズム建築や、ナミビアのドイツ植民地のゴーストタウン、中国で帰国した華僑の建てた洋楼など、辺境の地にあって、西欧近代とのぶつかり合いがおもしろい表現を生んだ建築を、異なった地域、異なった時代に求めて撮影している。
 現在でも作品をデジタルカメラで撮ることはない。海外のX線検査に悩まされながら、4x5と8x10の大型銀塩フィルムを持ち歩いている。4X5や8X10といった大型カメラは大きなピントグラスに方眼が引いてあり、アオリも自在で、建築の図面を引くのと同じような感覚で撮影できる。建築というものは世界の在り方を記述した創造物である、というのが私たちの考え方なので、一枚一枚の写真にも世界の構造が反映されていなければならない。三脚を立てて、木製のカメラをどっしり据え、ピントグラスで建築に刻まれた文化を丹念にトレースしていくのだ。
(おがたいちろう)

ogata_26_oaxaca_1-c「オアハカ1-C」
1995年(1997年プリント)
クリスタルプリント
94.0×74.0cm
Ed.1
サインあり

ogata_27_ocotlan_1-c「オコトラン1-C」
1992年(1997年プリント)
クリスタルプリント
94.0×74.0cm
Ed.1
サインあり

ogata_28_tepotzotlan_1-c「テポツォトラン1-C」
1994年(1997年プリント)
クリスタルプリント
94.0×74.0cm
Ed.1
サインあり

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*画廊亭主敬白
尾形一郎さんのエッセイを三回にわけて掲載しました。
第1回はコチラ第2回はコチラをクリックしてください。
引き続き、明日からは<植田実のエッセイ―尾形邸「タイルの家」を訪ねて>を3回にわけて掲載しますので、どうぞご期待ください。

◆ときの忘れものは、2010年6月1日[火]―6月12日[土]まで「ウルトラバロック 尾形一郎 尾形優 写真展」を開催しています。※会期中無休
ウルトラバロック案内状600
キリスト教とメキシコの土着の文化が混じりあって生まれた「ウルトラバロック」、その小宇宙を捉えた写真作品をご紹介します。
尾形一郎さん・尾形優さん在廊日時は以下の予定です。
6月11日(金) 16:00〜18:00

◆ときの忘れものは通常は日曜・月曜・祝日は休廊ですが、企画展の開催中は会期中無休です。本日も明日も開廊しています。

尾形一郎のエッセイ第2回「興味・視点」

尾形一郎のエッセイ第2回
「興味・視点」  尾形一郎

 メキシコにしても、日本にしてもそうなのだが、世界の辺境の地に西欧文明がやってくると、その辺境にもともとあった文化と西欧近代の衝突が起こる。私たちは、その衝突が起きたときに出来た奇妙な建築やプロダクトに興味をもっている。そういう奇妙なものや形に、何かかけがえのないものが宿されているような気がしているからだ。
 世界の辺境には近代社会が排除してしまった価値が残されている、みたいな部分はレヴィストロースに通じるかもしれないが、むしろ自分たち自身が、日本というユーラシア大陸の端の住民であることが重要だと思っている。日本はメキシコより西洋化が遅かったから、近代文明にとってたいへんな辺境だともいえる。東京も昔からの土着的な感性と、西洋から輸入した近代的な思考がぶつかってできた不可思議なもので溢れかえっている。だから日本から世界の他の地域の辺境を眺めて、これはどういうことなのだろうか、どういう価値があるのだろうか、と考えたいのだ。
 中心へ向かわないこと、辺境であり続けることを善しとしているので、結論みたいなことは永久に出せないし、世界に中心とか正統とかが無いことを示したいとも言える。西欧人とか中国人のような中心にいる思考の人たちや、中心に興味の向いているタイプの日本人とは視点が逆さまになっていることもあるだろう。しかし、そういうことを発見することも創作の楽しみなのだ。(おがたいちろう)


ogata_22_oaxaca_4-c「オアハカ4-C」
1995年(1997年プリント)
クリスタルプリント
94.0×74.0cm
Ed.1
サインあり

ogata_23_tonanzintla_3-c「トナンツィントラ3-C」
1994年(1997年プリント)
クリスタルプリント
94.0×74.0cm
Ed.1
サインあり

ogata_24_tepotzotlan_5-c「テポツォトラン5-C」
1994年(1997年プリント)
クリスタルプリント
94.0×74.0cm
Ed.1
サインあり

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*尾形一郎のエッセイ第1回はコチラ

◆ときの忘れものは、2010年6月1日[火]―6月12日[土]まで「ウルトラバロック 尾形一郎 尾形優 写真展」を開催しています。※会期中無休
ウルトラバロック案内状600
キリスト教とメキシコの土着の文化が混じりあって生まれた「ウルトラバロック」、その小宇宙を捉えた写真作品をご紹介します。
尾形一郎さん・尾形優さん在廊日時は以下の予定です。
6月 4日(金) 16:00〜18:00
5日(土) 15:00〜19:00
11日(金) 16:00〜18:00

●本日6月5日(土)17時からのギャラリートークは定員に達したため、予約は締め切りました。
本日6月5日18時より、作家と金子隆一さん(東京都写真美術館専門調査員)を囲みパーティを開催します。どなたでも参加できますが、18時までは上記の予約者以外は入場できません。18時過ぎに、ご来場ください。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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