小林美香のエッセイ

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第16回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第15回

藤岡亜弥『川はゆく』

今回紹介するのは、藤岡亜弥(1972−)の写真集『川はゆく』(赤々舎、2017年)です。藤岡は20代の頃から台湾やヨーロッパ諸国、南米、ニューヨークと世界各地で旅や滞在を重ねながら写真家として活動を続け、人との巡り会いや、近親者や土地との関係を見つめながら、その関係の中にある自身の位置を探るような作品を制作してきました。これまでに発表した写真集として、ヨーロッパを旅する中で撮影した写真をまとめた『さよならを教えて』(ビジュアルアーツ、2004年)や、2000年から2006年にかけて東京に生活の拠点を置きながら、広島県呉市にある実家に帰省した際に撮り続けた写真をまとめた『私は眠らない』(赤々舎、2009年)を発表しています。ニューヨークから帰国後2013年から広島市内に生活拠点を移して写真を撮り続け、2016年に開催した写真展「川はゆく」により第41回(2016年度)伊奈信男賞を受賞しました。写真集『川はゆく』は、この写真展にもとづきつつ、作品を追加して綿密に再編成されています。

01(図1)
写真集『川はゆく』左 ケースの表 左 表紙


02(図2)
写真集『川はゆく』 ケースの裏


03(図3)
航空写真


『方丈記』の冒頭の一節「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」を連想させる題名を追うようにして、写真集のケースの裏側には「川は血のように流れている 血は川のように流れている」と記されています(図2)。タイトルが示唆する無常観ととともに、血と川が相互に入れ替わる類推的な関係にあるものとして組み合わせられることで、体内の血の巡りが川の流れになぞらえられているようにも読み取られます。写真集のケースと表紙には、川が写った2点の航空写真を捉えた写真がトリミングの仕方を変えて使われており(図1)、ケースの方では、二枚の航空写真を収める金属製のフレームが、写真の画面を縦半分に、あたかも二つの川の間に差し込むように分割しています。写真集に収録された写真(図3)に照らし合わせて見ると、二枚の航空写真のうち左側は、原爆投下後の焦土と化した広島市街の川沿いの区画を捉えたものであり、右側はその後しばらく時間が経過した後に同じ地点を捉えたものであることが見て取れます。このように写真とむすびつけてみると「川は血のように流れている 血は川のように流れている」というフレーズは、夥しい数の被爆者達が流した血と結びついて紡ぎ出されたもののようにも響きます。藤岡は写真を撮り続けるなかで、自分の体内を巡る血と、原爆により流された血のありように想像を巡らせ、そこから広島という土地の現在と過去の間を往還するように写真集を編んだのではないでしょうか。

伊奈信男賞受賞に際して藤岡は次のようにコメントしています。「広島を歩くと、いやがおうでもヒロシマの表象に出会う。広島で平和を考えるのはあたりまえのことのようでもあるが、日常という厚い皮層からヒロシマの悲劇を垣間みることの困難さなど、生活してみて初めて知ることが多かった」。ここで藤岡が「広島」と「ヒロシマ」と二通りの表記の仕方を選び、繰り返し用いていることからも明らかなように、原爆に関わる事象としての「ヒロシマ」は、戦後から70年の時間の経過の中で抽象化され、あくまでも「表象」として日常生活の中に断片的にさし出されるもの、それ自体は直接確かめることのできない、不可視的なものになっています。藤岡が写真を撮りながら追求してきた「日常を通してヒロシマを考えるという作業」は、日常の景色の中から不可視的な層を掬い上げようとする試みであり、『川はゆく』が、写真集としては大部の240ページというボリュームになったのも、本質的には要約してまとめることのできない「日常」という時空との格闘の軌跡を示すことにあったと言えるでしょう。

04(図4)
小学生の集団


05(図5)
フラワーフェスティバル


06(図6)
被爆者を捉えた写真パネルとそれを撮影するカメラを持つ手


07(図7)
オバマ元大統領の広島来訪を報道する番組を見る人たち


08(図8)
原爆ドームを背景に、取材を受ける男性


藤岡は、デルタ地帯である広島市の川辺の景色や、通勤・通学で路上を行き交う人たち、遠足や社会見学、修学旅行で集団行動する子どもたち(図4)、路面電車の車内、8月6日の原爆忌などの行事のために平和公園の周辺に集う人々、広島東洋カープの試合やひろしまフラワーフェスティバル(図5)、夏祭りなど、人々が集まるイベントにカメラを向け、時折人々の日常生活の光景の片隅に現れる原爆ドームや広島平和記念資料館、被爆建物といった、原爆にまつわる建造物の姿を捉えています。写真集を通して眼をひきつけるのが、画面の中に別の画面を収める「複写」のような撮影手法です。平和資料館の展示物の写真パネルや印刷物をとらえたり(図6)、アメリカの政府要人(ケリー元国務長官、オバマ元大統領)の広島訪問を報道する番組を放映するテレビ画面をとらえたり(図7)、あるいは原爆ドーム周辺で報道カメラを向ける情景をとらえたりする撮影手法を用いることで(図8)、藤岡は「ヒロシマ」の表象のあり方、人々が「ヒロシマ」に視線を向け、フレーミングを形作る方法や関係のあり方を示しています。このような意図的に視線を入れ籠にしたり、人々が対象を見る状況を俯瞰して捉えてみせたりするような恣意的な画面の作り方は、「見る」ことや「記録する」という行為を意識化させ、それらの行為がどのような状況の元に成り立っているのか、ニュース報道がどのように伝達され、どのように受容されているのかといったことを含めて、その時空を記録しようとする意志に裏打ちされています。

09(図9)
ポストカードと原爆ドーム


10(図10)
ジャンプして宙に浮く女子学生たち


11(図11)
フラダンサーたち


藤岡の「見る」という行為への意識の向け方を探る上で重要な位置を占めているのが、原爆ドームの捉え方です。藤岡は「日常を通してヒロシマを考えるという作業」を続けていくなかで、「ヒロシマ」の揺るぎないシンボルである原爆ドームを、日常の景色の一部として捉えることを何度も試みています。たとえば、写真絵葉書を実際の原爆ドームの手前にかざして、過去に捉えられた姿と現在の状態の双方を見比べるような撮り方をしてみたり(図8)、原爆ドームが面している元安川の川沿いで偶発的に起きている出来事と組み合わせるような撮り方をしています。たとえば、女子学生達のグループが一斉にポーズを作ってジャンプし、宙に浮いているような写真を撮るのに興じている情景(図9)や、鮮やかなピンクの衣裳を纏ったフラダンサーたちが、対岸の原爆ドームの方を向いて並んでいる情景(図10)は、一見するとどことなくユーモラスな場面にも映りますが、手前と向こう岸の関係は、此岸と彼岸にも重なって見え、原爆ドームとその周辺の場所が担わされてきた意味合いと日常の営みの間にある裂け目のようなものをあらわにしているようでもあります。

12(図12)
金髪の少女


(図10)や(図11)においてもそうですが、子どもたち(図4)や若い女性(図5)、10代の若者達の姿が、写真集全体を通して多く捉えられています。被爆者の世代に属する高齢者の人たちの姿も所々に見られますが、戦後から遠く隔たった世代の幼い子どもたちや若者たちや外国から訪問してきたと思しき白人の少女の姿(図12)は、「ヒロシマ」として抽象化され得ない現在の広島を表す存在として差し出されているようでもあります。
藤岡や筆者のような1970年代に生まれた団塊ジュニア前後の世代、すなわち現在40代から50代にさしかかる世代で(以前にも書きましたが、私は1歳から18歳までの17年間、子供時代を広島市で過ごしました。)で、
広島やその周辺で育った人たちは、学校の中で原爆に関する平和教育を受けるだけではなく、被爆者の存在を、祖父母や親戚として身近に存在することを肌で感じ、体験談を耳にすることができました。しかし、さらに一世代を下った現在の若者や子どもたちは、被爆者の高齢化が進み、世代が移り変わっていくなかで、そういった経験をすることが難しくなっている現状があります。『川はゆく』は、移ろいゆく時間のなかで、日常という皮層の下に横たわる歴史を探るとともに、未来を担う子どもや若者達の相貌を景色の中に位置づけ、「ヒロシマ」と「広島」が多層的に重なる現在の広島の姿を描き出しているのです。
こばやし みか

■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

●今日のお勧め作品は、植田正治です。
作家については、飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」第4回をご覧ください。
20170625_ueda_12_tasogare植田正治
《昏れる頃 3》
1974年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:14.7×22.4cm
シートサイズ:20.2×25.6cm
サインあり

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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第15回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第15回

ジェレミ・ステラ『東京の家 tokyo no ie』(青幻社、2017)

01(図1)
『東京の家 tokyo no ie』表紙
(青幻舎、2017)


02(図2)
『tokyo no ie : Maisons de Tokyo』表紙(右は帯つき)
(Le Lezard Noir, 2014)

今回紹介するのは、東京を拠点に活動するフランス人の写真家、ジェレミ・ステラ(Jérémie Souteyrat, 1979-)の写真集『東京の家 tokyo no ie』(図1)です。この写真集は、フランスの出版社から刊行された『tokyo no ie : Maisons de Tokyo』(2014) (図2)を新たに日本版として編集、制作されました。フランス版の写真集が刊行された2014年のインタビューで語っているように、ジェレミ・ステラは2009年から東京に在住し、都内に点在する著名な建築家が設計したユニークな住宅とその周辺の光景に惹かれ、建築雑誌の住宅特集号やインターネットを手がかりに住宅を探し出し、住人と交渉して許可を得て4年間かけて撮影に取り組みました。
フランス版(図2)は縦位置の判型に左開きの構成で、横位置の写真をページ毎に上下左右に余白を設けて配置したり、あるいは見開き全体で一枚の写真を配置したりしており、写真のサイズの違いが際立っています。それに対して日本版では、上開きの構成で、ページを上向きに繰りながら上下それぞれのページで一つ一つの場面に対峙し、空間の広がりや奥行き、住宅の形を吟味することができるようになっています。ところどころで、都心の景色を遠景から捉えた裁ち落としの写真が挿入されていますが、ページに余白の有無にかかわらず、写真のサイズが大きくは違わないため、写真集を通じて淡々としたリズムが刻まれています。フランス版は黒いクロス製本ですが、日本版では、建材のコンクリートや鋼鉄やアルミニウムのような建材を連想させる光沢のある灰色の紙で装丁されています。
写真集の巻末には、作品のリストとして、住宅の名前、撮影年月日がまとめられています。住宅の名前には、所在地や素材、形状、設計のコンセプトにかかわる言葉が使われおり、「建築家の作品」としての住宅が、あたかも彫刻や立体、インスタレーション作品として存在しているありようを印象づけます。一連の住宅の竣工年と、撮影年月日を照らし合わせて見ると、住宅が完成して数年を経た後に撮影されていることがわかります。一般的に、建築家の作品としての建築物をとらえた写真と言うと、竣工写真のような完成直後を捉えたものが思い浮かべられますし、建築雑誌でもそういった写真が数多く紹介されています。しかし、ジェレミ・ステラの関心は、それらの住宅が、住人や周囲の環境とともに、どのように存在し、時間の流れのなかでどのような変化を遂げているのか、ということに向けられています。そのため、ステラは、水平と垂直を整えた上で、住宅の構造がきちんと収まるような視点を注意深く選びつつ、通行人や車、自転車のような偶発的な要素を画面の中に取り入れています。

03(図3)
House Tokyo, 三幣順一 / A.L.X
2012年9月7日

04(図4)
Laatikko, 木下道郎ワークショップ
2013年10月

表紙にも使われている、House Tokyoをとらえた写真(図3)では、四つ角の斜向いから住宅を捉えつつ、自転車で通り過ぎた人物の黄色い帽子と、路面に描かれた十字線の中心の黄色い四角が偶さかに呼応するような瞬間が捉えられています。このように、住宅という動かないものを被写体の中心に据えつつも、その時の現象、偶然の出会いによって成り立つ生き生きとしたストリート写真としての性格をも具えていることが、ステラの写真の魅力だと言えるでしょう。
ステラが捉えた住宅の多くは、都心の限られた敷地に建てられたいわゆる狭小住宅と呼ばれるもので、ユニークな造形の住宅とともに、建てられた敷地のあり方にも眼が惹きつけられます。たとえば、いびつな形をした区画の端や角のわずかな空間や、建物と建物の間の間口が3mにも満たないような細長い形状の土地のように、町の土地区画から取り残された敷地の中に、建築家がアイデアと工夫を凝らして作り上げた住宅が納まり、側に停められた自動車や自転車、通行人が、家のスケールを測る尺度のようにも映ります。「Laatikko」(図4)は、隣接する建て売り住宅の方が画面の中に大きく捉えられ、わずかに戸口と側面だけが写っており、画面を右側から通りかかる女子学生たちの姿と相まって、主役であるはずの住宅が、さほど目立つこともなく、周囲の景色に馴染んでひっそりと存在するものとして捉えられています。House Tokyo(図3)が、素材や形において、周囲の住宅とは全く異質な強い存在感を持つものとして、その特徴が際立つような視点から捉えられているのと比べると、「Laatikko」(図4)は、敷地の形や隣接する建物との位置関係によって、景色の中に紛れ込んでしまっているようです。どんなに奇抜なデザインの住宅も、町の景色の中に飲み込まれている様子は、新陳代謝を繰り返す東京という都市が持つ性格をあらわにしているようでもあります。

05(図5)
BB 山縣洋建築設計事務所
2011年2月15日

06(図6)
ペンギンハウス アトリエ天工人
2010年11月20日

それぞれの住宅が、竣工からしばらく年数を置いて撮影されていることは、先にも述べましたが、数年の間に、住宅が経た変化は、壁面、とくに白い壁面の汚れに見て取ることができます。
たとえば、「BB」(図5)の白い壁面の量塊感は隣の住宅と並ぶことで強いインパクトを放っていますが、採光用の天窓の角の部分からの雨だれにより、筋のような汚れが残っています。「ペンギンハウス」(図6)も同様に、白い壁面に汚れが沈着しつつ、周辺の木立とともに、その外観を時間の中で徐々に変えていっていることを伺わせます。双方(図5)(図6)ともに、壁面の汚れの痕跡が、偶然そこに居合わせた通行人や隣家の住人の存在も相まって、撮影時の時間性を強く印象づけるものになっています。
ジェレミ・ステラが、住宅を通して東京という都市の構造や変化を記録する姿勢は、フィールドワークに臨む研究者のような理知性と、その時々の状況に即座に反応するストリート写真家の視線に根ざしています。写真に捉えられた住宅や周辺の町の情景が、数十年を経た後にどのように変化していくのか、ステラ自身の関心は、東京の未来の姿にも向けられているのかもしれません。

2017年5月26日(金)〜6月8日(木)の会期で、新宿のエプソンイメージングギャラリー エプサイトにて、展覧会「東京の家」(【東京写真月間2017】関連企画)が開催されます。写真集に収録された作品の大型プリントが展示されます。6月3日には、展覧会関連イベントとして<アーティストトーク&サイン会>ジェレミ・ステラ(Jérémie Souteyrat)x小林美香が開催されますので、是非お運び下さい。また、「日本、家の列島 ―フランス人建築家が驚くニッポンの住宅デザイン―」(汐留ミュージアム、2017年4月8日(土)〜6月25日(日))においても、『東京の家』の写真作品や、撮影された住宅の内部を捉えた写真や映像、縮小模型などが展示されています。こちらも併せてどうぞお運び下さい。
こばやし みか

■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

●今日のお勧め作品は、ジョナス・メカスです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第31回をご覧ください。
20170525_0909-35ジョナス・メカス
「ウーナ、1歳...」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり


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小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第14回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第14回

大橋英児『Roadside Lights』(Zen Foto Gallery, 2017)

01(図1)
『Roadside Lights』表紙


今回紹介するのは、北海道を拠点に活動する写真家、大橋英児の写真集『Roadside Lights』です。表紙には、残雪の平原に設置された一台の自動販売機が正面から捉えられており、煌煌と光を放つ赤い自動販売機は、背景に広がる荒涼とした平原と重い雲が立ちこめる冬の空模様のなかで、強い存在感を放っています。誰がこんな平原をはるばると歩いて飲み物を買いにくるのか、電力はどのように供給されているのかと訝しくも感じられます。タイトルにも示されているように、大橋は自動販売機を「道端の光」として捉えており、写真集の中には、仄暗い夕暮れや夜間のような自動販売機の光が明るく輝いて見える時間帯に撮影した写真が収められています。
大橋が自動販売機に注意深く視線を向け、撮影を続けてきた動機には、北海道の風土のなかで暮らしてきた生活者としての経験に根ざしています。『Roadside Lights』に先立って、大橋は雪深い北海道の各地で自動販売機を白黒写真で撮影したシリーズをまとめた写真集『Merci(メルシー)』(窓社、2015年)を刊行しています(収録作品の撮影時期は2008-2014年)(表紙 図2)。『Merci』のあとがきのなかで、大橋は日本最北端の地、稚内市で住んでいた時に吹雪に見舞われ、その時自動販売機の光を手がかりに自分の位置を確認することができたという自身の経験を綴っています。自動販売機が自然災害時の命綱になった自身の経験が契機となり、「Merci!(ありがとう)」という感謝の念を抱きながら自動販売機と自然環境との関係を見つめながら風景を撮影していくようになりました。撮影を続ける過程で、東日本大震災が起き、震災後には電力を消費する自動販売機の使用を控えたり、撤去したりした方がよいという声が起きる一方で、被災地の復興作業に従事する人たちのためにいち早く自動販売機が設置されたという経緯も知り、そういったことが地域社会の中での自動販売機の位置づけを再考するきっかけにもなったと語っています。

02(図2)
『Merci』表紙 小樽市春香町


03(図3)
岩見沢市幌向


『Merci』の表紙(図2)では、街灯に照らされた夜の路上に設置された自動販売機の側面が、高く積もった雪越しに捉えられた写真が使われており、降雪という自然現象が作り出した稜線のようなカーブと、自動販売機の直線やロゴのコントラストが眼を惹きつけます。この写真集では、後に刊行された『Roadside Lights』に収録された写真と比べると、自動販売機を至近距離から捉えた写真が多く収録されています。雪に埋もれた自動販売機が放つ光が周辺の雪に反射され、光に満たされた独特の空間を作り出しています。降雪により、商品を販売する機能を一時的に奪われ、また人が近づいていくことも難しくなった自動販売機の佇まいは、電動の機械である以上の擬人的な存在感を帯びています(大橋は、この存在感を笠地蔵に喩えています)。
『Roadside Lights』では、白黒写真では明暗としてとらえられた光の様相が、色味の異なる光の関係として捉えられています。表紙(図1)にも見て取られるように、夕暮れの自然光と、自動販売機の蛍光灯やLEDのが、周辺の景色、積雪面の反射により、相互に影響し合って独特の色が作り出されています。『Merci』と比較すると、自動販売機から距離をおいて、周辺の景色を画面の中に捉えた写真が多く収録されています。(図4)は、『Merci』の表紙(図2)に近い状況化で、自動販売機を斜め後ろから捉えており、雪に反射するオレンジ色を帯びた街灯の光と、自動販売機の放つ青みを帯びた光が、幻想的な光の世界を作り出しています。

04(図4)


05(図5)
『Roadside Lights』より


カラー写真で捉えられることによってより際立ってくるのが、自動販売機と、その周囲にある、とくに年季の入った木造家屋のような建造物とのコントラストです(図5)。業者によって定期的にメンテナンスが行われ、売り上げが悪ければ撤去される自動販売機は、古びていたり、故障していたりするようなものはそのままに放置されていることはありません。つまり、景色の中にあって、その環境の経年変化とは同期せずに、自動販売機は存在しているのです。設置される環境が都心であれ、人里離れた場所であれ、人の注意を換気するべく設置された自動販売機という装置がいかに遍在しているのか、またその色や形がいかに画一化、企画化されているのかということを、写真を通して確かめることで、この国で人々の生活を成り立たせているインフラや経済を新たな視点から見つめることができるのではないでしょうか。

06(図6)


07(図7)


こばやし みか

■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。

●今日のお勧め作品は、ウィン・バロックです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第25回をご覧ください。
20170425_bullock_03_navigation-without-numbersウィン・バロック
「Navigation Without Numbers」
1957年(Vintage)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:17.8x23.0cm
台紙サイズ:33.5x38.0cm
サインあり


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小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第13回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第13回

アフリカ系アメリカ人写真家の伝記絵本『ゴードン・パークス』

01(図1)
『ゴードン・パークス』(光村教育図書、2016)表紙


今回紹介するのは、伝記絵本『ゴードン・パークス』(光村教育図書、2016)です。ゴードン・パークス(Gordon Parks、1912−2006)はアフリカ系アメリカ人の写真家で、1940年代初頭からフォトジャーナリズム、ファッション写真などの分野で活躍し、『ライフ』誌でアフリカ系アメリカ人初の専属写真家兼記者として活躍し、公民権運動、貧困問題に関するフォトエッセイを発表したことで知られています。また、写真家としてのみならず、小説や詩、作曲、映画の制作も手がけ、映画『黒いジャガー』(1971)の監督としても知られています。絵本の著者、キャロル・ボストン・ウェザーフォードも、アフリカ系アメリカ人の著述家で、歴史や芸術家に関するテーマで児童文学作品を手がけており、最近では、写真家ドロシア・ラングの伝記絵本『Dorothea Lange The Photographer Who Found the Faces of the Depression』(2017)を発表しました。絵はイラストレーターのジェイミー・クリストが手がけており、登場人物の表情とともに、20世紀前半のアメリカの街の光景を情感豊かに描いています。
絵本では、黒人に対する差別が厳しかった時代にカンザス州の貧しい家庭に生まれたゴードン・パークスがさまざまな仕事をしながら生計を立て、25歳の時に中古のカメラを7ドル50セントで買い求め、写真家としての才能を開花させて、人生を切り拓いていった過程が描かれています。物語の中では、ゴードン・パークス自身の記憶や、彼の眼に捉えられた光景、心情を表す文章として、当時の黒人に対する差別の厳しさが語られています。(図2、3、4)

02(図2)
(少年時代)「ところが、黒人ばかりのクラスで、白人の先生が言いはなった。「あなたたち黒人は、どうせ荷物運びか、ウェイターになるしかないのよ。」 どうしてそんなことがわかるんだろう。」


03(図3)
(写真家になり、ワシントンD.C.に移住)「さらに歩くと、建国の精神を伝える大理石の像や記念碑がたくさんあった。白人たちをたたえるものばかりだ。 そんなものを撮った写真は、めずらしくもなんともないだろう。」


04(図4)
(ワシントンD.C.の街中)「あちこちの店の窓に「白人専用!」の看板が出ている。あんな看板がない場所でも、どうせ黒人はまともにあつかってもらえるはずがない。「白人専用!」


05(図5)
ゴードン・パークス「アメリカン・ゴシック」(1942)


06(図6)
グラント・ウッド「アメリカン・ゴシック」(1930)


07(図7)
(「アメリカン・ゴシック」を撮影する場面)「しかし、いちばん有名な作品といえば、「アメリカン・ゴシック」だろう。新聞にのったその写真は、人種差別のきびしさをアメリカじゅうに訴えた。 星条旗の前に、エラ・ワトソンが立っている。手にしたほうきは、エラの日常を、そして、孫たちの未来を物語ってもいる。」


物語の終盤のハイライトになっているのが、ゴードン・パークスの代表作「アメリカン・ゴシック」(1942)(図5)にまつわるエピソードを描いた部分です。この写真は、ゴードン・パークスがFSA(Farm Security Administration 農業保障局:世界恐後のアメリカの農村の惨状およびその復興を記録するプロジェクトを行った政府機関)からの奨学金を得て、人種差別の状況を写真に撮ろうと考え、FSAの事務所のあるビルで掃除婦として働く黒人女性エラ・ワトソンを何週間にも渡って撮り続けたものの中の一点です。タイトルの「アメリカン・ゴシック」は、グラント・ウッドによる同名の絵画作品(図6)に由来します。ウッドの作品では、アメリカの農村部に見られるゴシック様式の一軒家の前に、ピッチフォークを右手に持つ年老いた農夫のような男性と、その脇に佇む妻か娘と思しき女性の姿が描かれており、二人の険しく神妙な表情と視線が謎めいた印象を残します。ゴードン・パークスは、FSAの事務所内に掲げられた星条旗を背景に、右手に帚を持って立つエラ・ワトソンの姿を捉えています。(星条旗にはモップのようなものが立てかけられています)家の前に立つ白人の男女の姿を、アメリカの家族や社会の価値観を映し出すものとして描いたのであろう「アメリカン・ゴシック」を参照しつつ、家族を養うために低賃金で身を粉にして働く黒人の女性を星条旗の前で捉えることで、社会の中での黒人が置かれている立場を明るみに出しています。絵本の中では、なぜこの写真が「アメリカン・ゴシック」というタイトルで発表されたのか、グラント・ウッドの「アメリカン・ゴシック」との関連性は説明されていませんが(アメリカでは、この絵画作品が説明を要することのないほど有名なものだということもありますが)、一点の写真が何故どのように撮影されたのか、その写真がどのような反響を巻き起こしたのかを、丁寧に描き出しています。ゴードン・パークスがエラ・ワトソンを撮影する場面(図7)は、彼女の右側の窓から光が差し込む室内の空間を下から見上げるような角度で描かれており、読者が撮影の現場に立ち会っているかのような臨場感が作り出されています。

本書の原書は、「Gordon Parks: How the Photographer Captured Black and White America(ゴードン・パークス:写真家がいかにして黒人と白人のアメリカをとらえたのか)」という題名で2015年に刊行されました。近年、近年、写真家、美術家の伝記絵本が欧米の出版社から相次いで出版されており、この本はその流れに位置づけられるものでもあります。世界規模の政治的な動乱が続き、移民排斥や人種差別の問題がクローズアップされている状況で、そういった問題の歴史的な背景を、子どもたちや若い世代にどのように伝えるのか、ということが大きな課題になっていることの証左と言えるでしょう。
人種差別や公民権運動など社会的問題を伝える上で、芸術家や写真家がどのような役割を果たしてきたのかということを、子どもたちに視覚的に伝える手段として絵本の果たす役割は大きいのではないでしょうか。
こばやし みか

■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

●今日のお勧め作品は、ヘルベルト・バイヤーです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第1回をご覧ください。
20170325_bayer_untitledヘルベルト・バイヤー
「Untitled」
1930年代(1970年代プリント)
Gelatin Silver Print on baryta paper
37.7×29.0cm
Ed.40(18/40)
裏面にサインあり


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◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第12回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第12回

サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)「Japanese Photography: From Postwar to Now」と日本写真の研究プロジェクト

01(図1)
「Japanese Photography: From Postwar to Now」展 会場入口


 2月に1週間ほどサンフランシスコに滞在し、サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)で開催されている展覧会「Japanese Photography: From Postwar to Now」(会期は2017年3月12日まで)(図1)を見てきました。この展覧会は、美術館の収蔵作品を展示するコレクション展であり、戦後から現代までの日本写真の展開を概観し、Kurenboh Collection(現代美術ギャラリー空蓮房を主宰する谷口昌良氏が寄贈した写真作品)を紹介するという意図を持つものでもあります。SFMOMAでは、キュレーターのサンドラ・S・フィリップス(2017年現在では名誉キュレーター)の企画により「Daido Moriayma: Stray Dog」(1999)と、「Shomei Tomatsu: Skin of a Nation」(2004)が開催され、これらの展覧会を契機として森山大道、東松照明、深瀬昌久、畠山直哉、石内都など、第二次世界大戦後に活躍してきた写真家の作品に重点を置いて蒐集が続けられており、Kurenboh Collectionの寄贈により、日本の写真コレクションは若い世代の写真家の作品も含む幅の広いものになっています(SFMOMAのウェブサイトで作品を検索、閲覧することができます。)
 展示会場は、時系列に沿って歴史を辿るというよりも、「アメリカと日本の関係」、「田舎(地方)の描写」、「近代都市という概念」、「写真界への女性の進出」、「自然災害が日本に与えてきた影響」といったテーマに沿って、異なる世代の作家の作品を緩やかに結びつけ、相互に見比べることができるように構成されています。また、東日本大震災以降に津波の被害や原発、放射能の問題を扱った作品も数多く紹介され、現代写真の展開の中でもひときわ重要な転換点として扱われていることが伺われました。
 現代美術を含む多様な作家の作品を紹介することに重点を置いていること、Kurenboh Collectionに収められた作品が、写真家のシリーズ全体を把握できるような点数で構成されているものではないこと、さらに展示空間の物理的な制約もあり、日本の写真の文脈に通じていないアメリカの観客には、作品の内容や意図が一見してすぐに把握しやすくはないだろうと思われる部分もあります。しかし、すでに名を知られている世代の作家の作品の間に、アメリカではまださほど名の知られていない若手、中堅の写真家の作品が織り交ぜられることによって現代写真の展開の厚みが示されているように感じられました。写真作品を読み取るための手がかりとして、関連する写真集も併せて会場の中で展示されていたことも、写真集を軸とする日本の写真への関心を反映しています。(図2、3)

02(図2)
「田舎(地方)の描写」に関連する作品を展示した展示室


03(図3)
写真集を収めたケース


 今回のSFMOMAの訪問には、このコレクション展に並行して現在構想されている日本写真の研究プロジェクトのために、近年刊行された写真集をリサーチ・ライブラリーに寄贈するという目的がありました。SFMOMAは、数年前から所蔵作品に関連する研究成果をオンラインで公開するプロジェクトに取り組んでおり、日本写真の研究プロジェクトは、2013年に公開されたロバート・ラウシェンバーグ研究プロジェクトに続く第二弾のプロジェクトとして構想が進められています。
 私が写真集の寄贈を考えた理由として、2008年に3カ月間Patterson Fellowshipの助成金を受けて客員研究員として、美術館に収蔵されている日本の写真家の作品研究に携わった経験から、SFMOMAが森山大道、東松照明の展覧会などを始め、欧米において日本写真の研究、展示をリードしてきた、他に類を見ない機関であることを実感し、美術館でのさらなる作品や資料の蒐集が。この研究プロジェクトの立ち上げに欠かせないと考えたからです。写真集やアートブックを専門とする出版社やギャラリー、ディストリビューター、写真家の方々に個人的なお願いとして寄贈を申し出たところ、75冊もの写真集を提供して頂くことができました。
 「Japanese Photography: From Postwar to Now」の展示方法にも示されているように、写真集は展示されている写真作品(プリント)のシリーズとしての全体像を把握するための資料としての重要性を持つのみならず、造本やデザイン、構成などにおいて精緻でユニークな特徴を具えた写真集はそれ自体が作品としての価値を持っています。この作品としての価値を多くの人に伝え、広めていくことに、今後も微力ながらも貢献できればと考えています。

04(図4)
リサーチ・ライブラリーの書庫 Kurenboh Collectionとして寄贈された日本の写真集の棚


05(図5)
今回寄贈した写真集を載せたブック・カートと名誉キュレーターのサンドラ・S・フィリップスさん


こばやし みか

●今日のお勧め作品は、エドワード・スタイケンです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第32回をご覧ください。
20170225_steichen_21_Brancusiエドワード・スタイケン
「Brancusi, Voulangis, France」
1922年頃(1987年プリント)
ゼラチンシルバープリント
33.2x27.0cm
Ed.100
裏にプリンターと遺族のサインあり


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
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「普後均写真展―肉体と鉄棒―」は本日が最終日です。
普後均さんは13:00〜ラスト19:00まで在廊の予定です。
皆さんのご来廊をお待ちしています。
作家と作品については大竹昭子のエッセイ、及び飯沢耕太郎のエッセイをお読みください。
201702_FUGO

ときの忘れものでは初となる普後均の写真展を開催します。新作シリーズ〈肉体と鉄棒〉から約15点をご覧いただきます。
出品作品の詳細な画像とデータは2月18日のブログをご覧ください。
肉体と鉄棒 11-1《〈肉体と鉄棒〉より 11》
2010年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり

肉体と鉄棒 12-1《〈肉体と鉄棒〉より 12》
2013年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり

肉体と鉄棒 14-1《〈肉体と鉄棒〉より 14》
2012年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり

肉体と鉄棒 15-1《〈肉体と鉄棒〉より 15》
2003年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:35.8×44.8cm
シートサイズ:40.6×50.8cm
Ed.15
サインあり

肉体と鉄棒 16-1《〈肉体と鉄棒〉より 16》
2012年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり

肉体と鉄棒 17-1《〈肉体と鉄棒〉より 17》
2013年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり

肉体と鉄棒 18-1《〈肉体と鉄棒〉より 18》
2012年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり

肉体と鉄棒 19-1《〈肉体と鉄棒〉より 19》
2008年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり

肉体と鉄棒 20-1《〈肉体と鉄棒〉より 20》
2013年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:35.8×44.8cm
シートサイズ:40.6×50.8cm
Ed.15
サインあり

肉体と鉄棒 21-1《〈肉体と鉄棒〉より 21》
2003年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:35.8×44.8cm
シートサイズ:40.6×50.8cm
Ed.15
サインあり

肉体と鉄棒 22-1《〈肉体と鉄棒〉より 22》
2013年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


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小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第11回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第11回

『遠い渚』小松透 (Place M、2016)

16128299_10212051691831334_1941197541_n(図1)
『遠い渚 a distant shore』表紙 


DS-001(図2)
#宮城 #気仙沼 #祝崎 2016/4(表紙)


DS-042(図3)
#宮城 #気仙沼 #祝崎 2016/4(裏表紙)


今回紹介するのは、東京を拠点に活動する写真家小松透(1969-)の写真集『遠い渚 a distant shore』(Place M、2016)です。小松は、1992年から静物をテーマに写真や映像作品を制作しており、この写真集には2011年の東日本大震災以降、津波や地震の被害があった場所の木々を撮ったモノクロームの写真で構成されています(収録作品は2012年から2016年にかけて撮影)。写真集の判型は正方形で、表紙と裏表紙には丸くくり抜かれた白いボード紙が被せられており、オーバーマットのように写真を円形にトリミングするような役割を果たしています。(図1)丸くくり抜かれた写真の中では、画面の中心にある木々と左右両側から打ち寄せる波に囲まれた岩山の形が際立ち、表紙をめくって矩形の状態の写真と比べながら見ていると、画面の奥と手前の距離感が変化するのを感じ取ることができます。題名の「遠い渚」が示唆するように、この写真集の主題は、眼前の光景を写真に撮ることや写真を見ることに関わる「距離」であり、そのことはこのような装丁の仕方にも明確に反映されています。裏表紙(図3)には、表紙の写真(図2) と同じ場所で撮影された別の写真が使われており、波しぶきや光の状態の違いによって、時間の経過が表されています。
写真集の冒頭で、小松は幼少期を回想するモノローグのような文章を綴っています。

山育ちなので海は子供のころの憧れだった。
初めて海を見たのはいつだったかな?
野蒜に海水浴に連れて行ってもらった時か、遠足で松島に行った時かな?
大きくなったら海の近くに住もうと。
今は山も海も見えないところにすんでいるけど、いつもあの海を思っている。

このような語り口から浮かび上がらされているように、「遠い渚」とは海辺の光景を眺める時の物理的な距離だけではなく、幼少期と現在の間の時間的な隔たり、現在居住している都市と海辺の地域との距離など、心理的に感じられ、測られるさまざまな意味での「遠さ」を含み持つ場所だと言えるでしょう。東日本大震災と津波により甚大な被害を被った沿岸地域の光景は、小松にとって幼少期の記憶の中の光景と重なりつつも、震災によって大きく変容した風景の様相は、過ぎ去った時間の隔たりを強く感じさせるものでもあったのであろう、と想像されます。
写真集には円形にトリミングをほどこされた写真のシークエンスに時折、矩形の写真が挟み込まれ、矩形の写真の前には円形にくり抜かれた白いページが挿入されています。表紙や裏表紙と同様に、白いページを写真の上に重ねたり捲ったりしながら繰り返し見てゆくと、ディテールや構図のあり方に意識が誘われていきます。写真は、写された光景の地平線や水平線がちょうど円の直径に重なるように切り取られており、画面の縁は少し暗くなっているために、筒を通して覗き込んでいるような効果が生み出されています。矩形の画面の場合では、縦横の比率や四方の角を基準にして構図が形作られますが、円形の画面の場合は径が基準となり、中心と周辺との関係が強く意識されます。

DS-010(図4)
#福島 #小高 2016/6


DS-012(図5)
#宮城 #七ヶ浜 #黒崎 2015/12


そのために画面の中心近くにあるものやその形――たとえば、木々の幹や枝、木の生い茂る岩山、断崖、小さな島、家屋や建造物、塀など――が際立ち、とくに、岩山や島は円形の画面の中で、△や□の形としてその姿を浮き上がらせてきます。(図 4、5)このように、せまい湾が複雑に入り組み、小さな島が沿岸に点在する三陸海岸周辺地域に固有の景色のなかに岩山や島を抽出された形として意識すると、その側面に見える断層や褶曲、傾斜などの地層の断面に眼が惹きつけられていきます。地殻変動や地震、気候変動など、遥か太古から自然の力が形作ってきた地形の形状と、過去数十年の間に建造されていった道路や建造物、造成地、堤防、消波ブロック、ブロック塀、法面(図6、7、8)のような人工物の組合わさった景色は、その土地に経過していった時間のさまざまな痕跡をとどめています。たとえば、(図8)のように、造成地に残る岩山と、その脇のブロック塀の端や塀の後ろから僅かにのぞく屋根が組合わさっている様子は、人間の生活の営みも、自然の力や経年変化など様々な要因によって姿を変え、やがては朽ちていくものであることを示唆しているようにも思われます。

DS-037(図6)
#宮城 #宮戸 2014/8


DS-041(図7)
#宮城 #宮戸 2015/8


DS-026(図8)
#福島 #鹿島 #柚木 2015/12


小松は、(図4、6、8)のように陸地にある岩山を(図2、3、5、7)に捉えられているような海に浮かぶ島に対して、「陸に浮かぶ島」と呼び、写真集のあとがきの締めくくりで、「陸に浮かぶ島は、海から遠く隔てられた今でも、海に浮かんでいたときを忘れていないのだろうと想像する。」と述べています。つまり、「遠い渚」とは、写真を撮る小松自身から距離だけではなく、かつては周辺を海に囲まれた島だった岩山からの、時間的、空間的に隔たったところにある地点であることが示唆されています。このように、距離を自分自身が測るものとしてだけではなく、島という被写体から測られるものとしても捉えるような見方は、小松が写真を撮影するにあたって、被写体になる光景と相互に交感する感覚に根ざしているように思われます。津波や地震の被害があった場所の木々を撮り続けるなかで意識するようになったという「陸に浮かぶ島」は、写真が円形に切り取られているがゆえに、景色との関係の中ではスケール感が測り難くなっています。しかし、その島の上に育っている木々や植物が島のスケールを手立てとなり、また小さな島それぞれの存在を静かに語りかける声を秘めて佇んでいるようにも見えるのです。

本作品は、2016年11月にTokyo Art Book Fairの企画により開催されたSteidl Book Award Japanに出品され、ファイナリストに選出されました。2017年秋にドイツのSteidl社から写真集が刊行される予定です。
こばやし みか

●今日のお勧め作品は、オリビア・パーカーです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第24回をご覧ください。
20161125_parker_01_hane-compositionオリビア・パーカー
「羽のあるコンポジション」
1981年 カラー・ダイ・トランスファー
33.7×39.4cm
Ed.75 Signed


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本日の瑛九情報!
〜〜〜
昨日からご紹介している福井県大野の堀栄治さんの功績の一つとして忘れてはならないのは『福井創美の歩み』(1990年10月初版、2007年5月第5版発行)という手作りの記録集を残されたことです。
福井における創造美育運動、ひいては小コレクター運動の詳細な日録です。
20150307182903_00001_600

たとえば、1954(昭和29)11月2日3日の項目をそのまま引用してみましょう。

<11月2日 久保コレクション「西洋版画展」(だるま屋)(ポスター制作 渡辺)
・前売り券を競争して売る 純利益金四万六千円(入場七千人)
・純益が久保氏の予想を大きく上回ったので、堀、久保氏との賭けに勝ちピカソのリトグラフを金三万円で入手する
・久保氏、瑛九来福 山内旅館泊 会期中仲間が交替で展覧会場で不寝番をする
谷口、自転車盗難に遭う
11月3日 久保、瑛九、繊協ビルで座談会 席上、堀の提唱により希望者に瑛九のエッチングを特別安く頒けて貰うことになる(75点)
これが福井に瑛九の作品が入るさきがけとなる。瑛九が初めて訪れた福井で同志的愛情に触れたと言っている意味は深く、その友情は生涯変わることなく益々大きく発展していった>


次に瑛九の亡くなった1960年3月10日からの項目を引用します。

=====
1960年3月10日
瑛九 午前8時30分 急性心不全で永眠

3月15日
午後2時から自宅で無宗教による告別式が行なわれる
池田満寿夫自作の[鎮魂歌―心から瑛九に捧げる―]を静かに読みあげる

3月19日
坂井ブロック 児童美術普及のため絵の見方についての会合を持つ

3月28日〜29日
瑛九宅を訪問して、瑛九の遺作を整理する
・木水・谷口・堀・藤本・中村 6名


瑛九 遺作
・エッチング 605点
・リトグラフ 1,567点
・フォトデッサン705点(*)
・吹付デッサン66点
・コラージュ 27点
・カット 32点
・デッサン 427点
・油絵吹付 11点
・油絵リアリズム 32点
・スケッチブック 30点
・油絵30号まで 175点
・水彩 247点
・毛筆 6点
・ガラス絵 9点
(*引用した第5版にはフォトデッサンの項目が脱落しており、この項だけ初版の記述を再録しました。亭主記)

・堀、瑛九の絶筆の詩「ヒミツ」を謹写して福井瑛九の会、会員に渡す

(「読売新聞に『花ひらく瑛九氏の遺作』12人の教員グループ」という記事がのる。

 超現実主義派の草分けの一人として特異な作風で知られた画家、清和市本太五の四四、瑛九氏(四八)(本名杉田秀夫氏)は、
 さる十日慢性ジン炎がもとで東京神田の病院でなくなったが、生前九年間も同氏を支持し続けて来た福井県小、中学の若い先生たちのグループ六人が春休みを待って二十八日、浦和の瑛九氏宅に集まった。
 都未亡人を慰め、遺作の整理をするとともに、瑛九氏の遺志をくんで五月のはじめ福井市内で初の遺作展を開くことになった。)
   

3月26日
福井小コレクター例会 福井市三上ビル
・撲九後援会のこと、遺作展のことについて話し合う

5月1日
瑛九遺作展の準備 福井市三上ビル

5月3日
瑛九遺作展のために資金カンパをする
・北川民次のリト8点(中間は58年の12月に入手した「子供を抱く二人の裸婦」を1点宛拠出する)泉のリト5点集まる

5月7日
「瑛九遺作展」が福井繊協ビルで福井瑛九の会主催によって開かれ
・遺作80余点が陳列される
・浦和市より 瑛九夫人、岩瀬久江女史、宇佐美兼吉
・大阪より 福野正義・松本弘駆けつける(福野「故瑛九に捧げる詩」を500部持参する)

5月29日
国立近代美術館「物故作家四人展」4月27日より(菱田春草・高村光太郎・瑛九・上阪雅人)を見るために上京 堀・福野

5月30日
堀・福野、瑛九宅訪問(瑛九宅で中西末治と合う)
・福井の瑛九の会 仲間に頒布するために次の作品を預かる
エッチング 特大 13点、リトグラフ 征版13点、ミノ版 13点、水彩 13点、
油10号 1点、8号 3点、3号 1点、ガラス絵6号 1点
福野 水彩 リト大 油10号 各1点
中西個人で油20号 8号 4号 2号 各1点、10号 2点、デッサン 3点 購入する>
=====
瑛九が亡くなって僅か二週間後の3月末、木水育男さんや堀栄治さんら福井の教師たち6人が春休みをつかって瑛九のアトリエに入り、遺された作品を整理、カウントしたことは特筆にあたいします。
〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(2016年11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第10回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第10回

『While Leaves Are Falling』金山貴宏 (赤々舎 2016)

cover1(図1)
写真集『While Leaves Are Falling…』表紙1
写真「京都のホテルにて、2010」


cover2(図2)
『While Leaves Are Falling…』表紙2
写真「大磯にて、2008」


今回紹介するのは、金山貴宏(1971-)の写真集『While Leaves Are Falling…』(赤々舎、2016)です。この写真集はニューヨークに拠点を置いて活動する金山が、1999年から2016年にかけて日本に帰国する折に彼の家族――彼の母親と二人のおば(母親の姉と妹)――を撮影した写真をまとめたものです。「木の葉が落ちる間に」というタイトルは、落葉する晩秋の季節、淡々と過ぎゆく時間の流れの中での心模様を連想させるとともに、撮影された期間に50代、60代から70代、80代へと年齢を重ねていった三姉妹の「人生の晩秋期」にも重なります。写真集は、金山の母親の写真(図1)と、三姉妹の写真(図2)の二種類の表紙で装丁されています。
金山が自分の母親とその姉妹を撮り続けてきた動機は、彼自身の生い立ちに遡ります。彼は両親の離婚後、母方の実家で、母親、祖母、ふたりのおばという4人の女性に育てられますが、1991年に金山が20歳になって間もない頃に、母親が統合失調症(当時は精神分裂病と呼ばれていました)を発症します。意味不明で支離滅裂な言動を繰り返すようになった母親は実家から精神病院に居場所を移すことになり、その後、金山は写真を学ぶためにニューヨークに渡ります。「1999年春、4人の長である祖母が死んだ。家族は自分の記憶の中にあるまま永遠に不変だ、と道理なく思っていた私にとって、祖母の死は過ぎ去って行った時間を鋭く意識させる出来事だった。そこで、祖母の死後、私はニューヨークから東京に里帰りするたびにそれまで撮影することがなかった家族を撮影した。ここから普遍的なテーマである家族、老い、そして時間の経過を主題に、家族と共有する時間と場所の記録が始まった。」(写真集あとがきより抜粋)

03(図3)
家族 母の病院にて、1999


04(図4)
家族 日光にて、2000


05(図5)
家族 自宅にて、2007


06(図6)
家族 箱根のホテルにて、2015


写真集のページを捲っていて感じられる一連の写真に共通する特徴は、被写体との独特の距離感です。金山は実家や病院にいる母親を撮る際も、姉妹三人揃った写真を撮る際にも、それぞれがいる空間の広がりや建物の構造、窓や柱のような空間的な要素を構図の枠組とした上で、それぞれの姿を空間との関係の中で捉えています。まず、三姉妹が一緒に写っている写真をいくつか見てみましょう。写真集の冒頭の方の三人が近寄ってしゃがんで写っている(図3 左から、伯母(母の姉)、叔母(母の妹)、母)は、三人の容姿から血縁のつながりが見て取れるとともに、それぞれの微妙にずれた顔や視線の向きが、三人の間の関係性と、それを見る金山との距離を強く印象づけます。旅行先の日光で撮影された(図4)では、水辺のテラスのような場所で三人がそれぞれに別々のベンチに腰掛けており、三人の姿がお互いの距離、二本の円柱、遠景に霞む稜線によって囲まれた空間の広がりと奥行きの中に捉えられています。家族で営む不動産屋の店舗と2階の住居部分の外観を正面からとらえた(図3)では、向かって右の部屋で金山の母が、左側の部屋で伯母と飼い犬のケリーを抱いた叔母が窓から外を見下ろしており、三姉妹の存在が、彼女達が生まれ育ち、生活を営んできた環境のなかに描き出されています。三姉妹の写真は、思い出づくりのためにでかける家族揃って出かける旅行先で撮影されたものが多く、とくに箱根のような何度も繰り返し訪れている場所で撮影された写真は、より広い空間を画面の中に取り入れるために遠くから撮影されることも多くなり、(図6)のように滞在先のホテルのバルコニーに佇む三人を建物の外で階下から見上げるように撮られたものもあります。このような周辺の環境を画面の中に取り込むような撮影の仕方は、家族にとっての旅行が互いに共有できる思い出を作るためだけではなく、「旅行先で家族全員が揃っている」ということを証立てる一種の儀式のような性格を帯びてきていることを物語っています。
金山が家族を撮り続ける過程で、周辺の環境や家族との距離そのものを意図的に指し示すような手法を用いるのには、自らから切り離され得ない存在として家族を見つめる覚悟がより強固になっていったことが根底にあるように思われます。このような覚悟の証左として、金山はニューヨークに留学した要因の一つとして、母親が統合失調症になり、それ以前とは全く別人のようになってしまったという事実を受け入れることができなかったことを理由として挙げ、「いくら自分を母のいる場所から遠ざけても、実際は母の事を頭の中から分離することはできなかった」と語っています。

07(図7)
母と祖母が最後に家にいた日のままの祖母の日めくりカレンダー、2009


08(図8)
病院の隔離室にて 1、2016


三姉妹ではさまざまな場所で撮影されているのに対して、母親が一人で写っている写真の殆どは、実家の室内や病院のような室内で捉えられており、窓や襖、扉のような枠組が、母親を取り囲む空間と、母親と金山との間の距離を示す手立てになっていて、そのような枠組が存在することで、母親が金山に向ける眼差しの力がいっそう強められています(図7、8)。また、見開きで母親の写真と、屋外の情景――旅先や実家周辺の景色や、季節の移ろいを感じさせる植物の様相――を捉えた写真が組み合わせられることで、屋外と室内の対比が作り出され、病によって母親が外の世界から隔離されている状態が示されるとともに、金山が家族と共有する時間の経過が重層的に表わされています。(図9、10)

09(図9)
(左)無題、2005
(右)母とケリー、2008


10(図10)
(左)金髪の母 2014
(右)ホテルから展望 箱根、2014


このような被写体との距離のとりかたや、見開きでの写真の組み合わせ方、シークエンスの構成は、家族や老い、時間の経過という作品のテーマを、抑揚を控えたトーンで描き出すための手法として周到に練り上げられたものだと言えるでしょう。金山がアメリカからの帰国の都度に、統合失調症という病とともに年齢を重ねる母親が幻覚や妄想、水中毒(過剰の水分摂取によって生じる中毒症状)などのさまざまな病態を呈する様を目の当たりにしたり、病院に見舞いや面会に行ったりすることは、息子として心の重くなるような辛い体験であることは想像に難くありません。しかし、そういった体験を通したその時々の心の動きや感情を直裁に表すのではなく、客観的に冷静な態度で見つめ直そうとする「距離をとる」金山の姿勢があってこそ、個人的な経験をとらえた写真が作品として成り立ち、家族の病や老いという誰にとっても避け難い事象を語る普遍性を獲得しています。

11(図11)
(左)母 (左から1971、1971、1978)
(右)母、1976 祖母と私とおば、1974


12(図12)
(左)病院の面会室にて 1 2016
(右)病院の面会室にて 2 2016


写真集の後半には、1970年代に撮影されたスナップ写真―――金山が生まれて間もない頃に母親と一緒に撮影されたものや、母や叔母、祖母の写っているもの―――で構成された見開きがあります(図11)。古いアルバムの中から選ばれた写真は、金山が幼い頃の母親や家族の記憶の縁(よすが)であり、母親が病気を発症し、金山が祖母の死後に1999年から写真を撮り始めた時期との時間の隔たりを強く印象づけます。(右ページの左側に掲載されている、母親が犬を抱いてソファーに座っている写真に写っている壁掛け鏡が、(図7)で母親の背後の壁掛け鏡と同じものであることは、経過した時間と家との関係を物語るものとして興味深いところです。)写真集の終盤では、母親が入院する病院で2016年に撮影された写真が続き、面会室の中で対面した際に撮影された写真が見開きで組み合わせられています(図12)。白い壁を背景にテーブルの前にして椅子に座る母親は、左側のページでは金山の方を向き、右側のページでは視線を下に落としています。面会時間の中で撮影された二枚の写真の組み合わせは、老いて弱った母親と向き合う一時を記憶にとどめるものとして静謐な強度を湛えています。アルバムのスナップ写真を通して家族の過去に向き合あうこと(図11)と、面会室のテーブルを隔てて母親に向き合うこと(図12)は、家族との時間的、空間的な隔たりを示す手法であり、そのような「隔たり」のなかに金山は自身の姿を見定めようとしているのではないでしょうか。
こばやし みか

本日の瑛九情報!
〜〜〜
瑛九のもとに集まった若い作家たちの中で最も華々しい活躍を示したのは池田満寿夫でしょう。1960年の東京国際版画ビエンナーレで色彩銅版画が高く評価され文部大臣賞を受賞して脚光を浴びます。池田にモノトーンではなく着色することを薦めたのが瑛九でした。
瑛九自身は1951年から1958年までの僅か足掛け8年の間に350点もの銅版画を制作していますが、ただの一点も着色したものはありません。池田の才能が色彩にあることを見抜いた瑛九の慧眼というべきでしょう。
ikeda_01[1]池田満寿夫 Masuo IKEDA
作品集〈今日の問題点〉より 《この空の上》
1969年
エッチング、ルーレット
イメージサイズ:16.1×14.2cm
シートサイズ :20.0×20.0cm
signed

池田の快進撃は続きます。1965年ニューヨーク近代美術館で日本人として初の個展を開催、翌1966年ヴェネツイア・ビエンナー展日本代表に選ばれ、版画部門の国際大賞を受賞し一躍世界の第一線に躍り出ます。このとき呼ばれもしないのに会場に乗り込みゲリラ参加したのが草間彌生でした。
あれから50年、「マスオ」の名を知る人は減り、片や草間彌生は文化勲章を授章し名実ともに日本を代表する作家になりました。二人の評価はこれからどうなるのでしょうか・・・・・〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

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●ときの忘れものは2016年12月28日(水)〜2017年1月16日(月)まで冬季休廊です。
いつもより長い冬休みですが、お正月早々、ART STAGE SINGAPORE 2017に出展するためです。
また銀座のギャラリーせいほうで開催される「石山修武・六角鬼丈 二人展ー遠い記憶の形ー」(2017年1月10日〜1月21日)に企画協力しています。
メールやネットでのお問合せ、ご注文には通常通り対応いたします。

◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第9回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第9回

吉江淳『川世界』

0001(図1)
吉江淳、『川世界』(Salvage Press, 2016)
表紙


今回ご紹介するのは吉江淳(1973−)の写真集『川世界』(Salvage Press, 2016)です。この写真集は、吉江が生まれ育った群馬県太田市の端を流れる利根川の川岸の風景を、およそ15年間にわたって取り続けた写真をまとめたものです。表紙(図1)にはシルバーの箔押しで地図から引き写された川の輪郭が象られており、周辺の地名を削ぎ落とされた川は、抽象絵画の断片のようにも映ります。

0004(図2)


0007(図3)


0007-2(図4)


写真集には、流れゆく水面や、川を含めた流域の景色を捉えたものよりも、川岸に生い茂る草木や、遠景に見える高架道路や橋、川辺の造成地を通過するドラックやバイク、小さな畑、工事現場の標識、何がしかの目的のために建てられた小屋といった川岸にあるものや景色、あるいは川岸から見える景色を捉えたものが多く含まれます。(図2、3、4)縦長の判型のページの下の方に写真が配置されているというレイアウトにより、写真に捉えられている空間の地面の広がりが強く意識されると同時に、景色が捉えられたその時々の空の色や雲の形や広がりが印象に残ります。写真集のページを捲っていくと、一連の写真は確かに川岸で撮影されたものらしいが、一体どのような場所を見ているのだろうが、訝しく不思議に思うような感覚が湧き上がってきます。
このように「川岸の景色を撮った写真を見ていて、そこがどういう場所なのかわからない」という印象を抱くのは、私が利根川流域を訪れたことがない、という単純な事情に拠るものでもありますが、それに加えて「川岸の景色」というものを思い浮かべる時に、自分自身の記憶の中の景色や地形を参照するからなのかもしれません。私が生まれ育った広島市(河川の多いデルタ地帯)や京都市(盆地、宇治川派流地域)、現在生活する東京都(荒川流域)で目にしてきた川岸の景色と、吉江淳の撮った利根川流域の景色は「川岸の景色」としてはあまりにも違っています。西日本の山の稜線と河川に近い場所で育ってきた私にとって、吉江淳が生まれ育った北関東平野を流れる利根川は規模としても景色としても河川のあり方がどうやら随分違うらしいと感じると同時に、風景や地形に対する身体感覚は、生まれ育った環境、幼少期からの経験によって培われるものであることに思い至ります。

吉江は撮影の動機や経緯について次のように語っています。「最初は幼少期の地理的な果てという感覚で撮り始めたのですが、我々生活圏のカスや排泄物といったものが流れ着く場所として、そして日常とは異なった世界がごく身近にあると言う驚きに駆り立てられ堤防を超えました。時に厳しくも静けさに満ちた風景と向き合うのは、自分にとって世界そのものとどう向き合っていくのか考える事だったし、ひいては写真を考える事だったのではないかという気が今はしています。」(Facebook上での投稿より抜粋)

0009(図5)


0011(図6)


0012(図7)


幼少期の記憶や感覚に誘われるようにして川岸に向かい、川の堤防を日常の生活圏と異界を隔てる境界としてとらえてそれを超え、境界を行き来しながら写真を撮り続けるということは、眼前の景色を記録することにとどまらず、その景色の中で育ち、齢を重ねてきた自身の輪郭を確かめようとする動機に駆られるものでもあったのかもしれません。一連の写真は、風や雨、雪のような自然現象や、工事、時間の経過によって風景がその姿を変えていく有り様をも淡々と描き出しています。(図5、6、7)写真を繰り返し見るうちに、利根川流域という写真に捉えられた地域のみならず、自分が生まれ育ってきた場所が、歳月を重ねるなかでどのように姿を変えてきたのだろうかと、想いを馳せています。
こばやし みか

●今日のお勧め作品は、ヘルベルト・バイヤーです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第1回をご覧ください。
20160925_bayer_untitledヘルベルト・バイヤー
「Untitled」
1930年代(1970年代プリント)
Gelatin Silver Print on baryta paper
37.7×29.0cm
Ed.40(18/40)
裏面にサインあり


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小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第8回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第8回

スージー・リー、『なみ』、『かげ』

01_cover(図1)
『なみ』表紙


02_6_titles(図2)
表紙6種類


今回紹介するのは、韓国の絵本作家スージー・リーの絵本、『なみ』(図1)(2009 講談社 原著は“Wave” 2008)です。スージー・リーの絵本は、この本のほかにも、『かげ』(2010 講談社 原著は”Shadow” (2010))、やイラストレーションを手がけた『この あかい えほんを ひらいたら』(2012 講談社 原著は” Open This Little Book”) が日本でも出版されていますが、いずれの作品も本を手に取ってページをめくる読者の行為に結びついて、強くうったえかけてくるような表現力を具えており、高く評価されています。『なみ』は、木炭の線描と水色のアクリル絵の具の色をデジタル技術で重ね合わせたイラストレーションで構成されており、文章がまったくなく、タイトルのみを翻訳して数カ国で出版されています(図2)。
絵本の内容はいたってシンプルで、お母さんに海に連れてきてもらった女の子が波打ち際で遊んで帰っていく、というものです。横長の判型の表紙からも明らかなように、見開きは幅の広いパノラマの画面で、本のノド(見開きのつなぎ目)が、左右で対面するページの軸となってストーリーが展開していきます。表紙(図1)では、女の子の後ろ姿越しに海が描かれていますが、扉のページをめくると、左側のページに女の子と海鳥、右側のページに海が描かれています。

03(図3)


04(図4)


女の子は、最初はおそるおそる寄せて返す波の動きをみつめては、波に近づいたり、後ずさりします(図3)。海鳥たちも女の子の後ろからかけてきたり羽ばたいたりして、女の子のわくわくしたり、ビクビクしたりする気持ちを強めて表わしています。しだいに女の子が波に慣れて、面白がりながらその動きと戯れたり、もっと大きな波になればいいのにと身振りをしたりするようになると、女の子や海鳥たちは、左側のページから右側のページへ入っていくようになります(図4)。このように女の子の動作を追って見ていくと、見開きのつなぎ目の線が、女の子が波に近寄ったり、後ずさりしたりするなかで、その動きの幅を表わし、波の動きや大きさを示す役割を果たしていることがわかります。また、左側のページの同じ位置に背景のなだらかな丘の稜線が描かれているために、読者は同じ視点から、次第に強さを増し大きくなっていく波の動きや、女の子の感情の高ぶりを感じ取ることができます。

05(図5)


06(図6)


07(図7)


08 (図8)


女の子が波と戯れて遊ぶうちに、波はどんどん大きくなっていきます(図5)。ふと気づいたときには、自分の背丈よりもはるかに大きな波が目の前に迫って女の子が呆然とした表情を浮かべた(図6)すぐその後に、必死になって海鳥と一緒に左手側に走ろうとした時(図7)に大波が襲いかかります(図8)。このシークエンスのなかで、(図3、4、5)の背景に描かれていた丘の稜線が、(図6)ではその線が薄くなり、(図7)ではすっかり消えてしまいます。このように徐々に背景を消していくことで、波の動きや大きさに集中し、(図8)で砕けて広がる波の圧倒的な力が体感として迫ってきます。左から右へとページをめくりながら、女の子の動作と波の動きのせめぎ合いを見開きのつぎ目を軸に感じた後に、画見開き全体に渦と飛沫として広がる波は、それまでに描かれていた光景のスケール感をリセットしてしまうような力を備え、読者もまた女の子と同様にしぶきを被ってしまったような気分を味わうのです。

09(図9)


10(図10)


11(図11)


波が引いた後に、呆然と座り尽くした女の子のまわりには波が運んできた貝殻が散らばり、海鳥たちと一緒に拾い集めます。(図9)日傘をさしたお母さんがサンダルを手に迎えに来て、一緒に遊んでいた海鳥は海の方へと羽ばたいていいきます。(図10)波を被った後(図9、10)には、(図3、4、5)で描かれていた丘の稜線が背景に再び描かれ、白かった空が海に染められたかのように水色に充ちています。(図10)では、濡れた砂浜に反射する女の子の姿も描かれていて、空と海にひたり満ち足りた表情の女の子の表情は、裏表紙(図11)の拾い集めた貝殻を差し出す女の子の笑顔へ続いていきます。海辺で過ごした時間は、実際にはほんのわずかな一時だったのかもしれませんが、そこで女の子が豊かな経験や、感情の動き、驚き、喜びが凝縮した形で表わされており、ページをめくるという動作の中でその生き生きとした動感が体験できることに、この本の魅力があります。Kindleやタブレットのような装置では再現できない、紙の本の魅力を味わえる一冊です。
こばやし みか


●今日のお勧め作品は、植田正治です。
ueda_13_hama_no_shonen植田正治
「浜の少年」
1931年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
20.2x30.1cm
サインあり

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小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第7回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第7回

写真集『森花 夢の世界』

01(図1)
『森花 夢の世界』
石川真生×吉山森花
(未来社 2014)


今回紹介するのは写真集『森花 夢の世界』です。タイトルに示されている通り、一連の写真は、沖縄の写真家、石川真生(1953-)がアーティストの吉山森花(1989-)が語った「奇妙で、過激で、セクシー」な夢の内容に触発され、吉山が夢の場面を演じ、それを石川が撮影するという共同作業で作り出されました。
それぞれの写真に添えられた説明文には、夢の内容にとどまらず、吉山の感情が綴られており、写真集の所々で挿入される吉山の手によるイラストは、刻みつけられたり、引き裂かれたり、増殖したり、ほかの生物と合体したような身体(図2)や、分裂したような顔(図3)が、紙面全体を覆うような線で描かれています。恐怖や不安に取り憑かれ、強迫観念を抱く心情がそのまま視覚化されたようなイラストと、吉山がカメラの前で演じた場面の写真、説明文の言葉が相互に混じり合い、「夢の世界」が複合的に描き出されています。

02(図2)
吉山森花のイラストレーション


03(図3)
吉山森花のイラストレーション


後書きの中で吉山が述べているように、彼女が「奇妙で、過激で、セクシー」な夢を見る背景として、幼い頃から抱いていたという「世の中に存在していることに対する罪の意識」や、「常に誰かに監視されていて、人を殺してしまう映像が頭の中に流れた」という強迫観念、「恐怖を感じずに自分を殺すにはどうしたらよいのか」とつねに考え自傷を繰り返していたという経緯があります。このような鬱屈した想念が色濃く投影された夢の世界を、実際に演じて写真に撮られることで、吉山は「生きている実感がする」ようになったとも述べています。石川との共同作業による作品制作を通して、吉山は自身の内面を解放し、自身を客観視する視点を得ることができたのかもしれません。
この作品のなかで用いられている「演じる」という要素は、石川の他の作品にも取り入れられています。たとえば、さまざまな背景や思想信条を持つ人たちが日本国旗を用いてその人自身、日本人、日本という国を表現するパフォーマンスを行って撮影した『日の丸を視る目』や、琉球国から現在にいたるまで大国に翻弄されてきた沖縄の歴史を、様々な場面ごとに友人や知人が演じて「再現」して撮影した写真をつなぎあわせた「大琉球写真絵巻」(現在進行中のプロジェクト)があげられます。石川は、「演じる」という要素を取り入れることで、写される人それぞれに具わる想像力や表現力を解き放ち、写真の中にそれを受けとめることによって、人と社会との関係を浮かび上がらせるような作品世界を生み出しています。
このような「演じる」ことを取り入れた石川の作品のなかでも、『森花 夢の世界』は、吉山森花に焦点をあわせて生み出されたものであるだけに、曝け出された彼女の身体性や感情が作品の要になっています。ポーズや衣装、とくに独特なメイクによって強調された目の表情――時には睨みつけ、見開き、挑発し、恐怖や苦しみを訴えるような――は、強烈な印象を残します。また、撮影された室内の空間や屋外の景色は、それぞれの場面での彼女の心境を反映し、沖縄という土地と彼女の関係を映し出したものとして読み解くことができます。

04(図4)
表紙の作品


05(図5)
ハンガー
ハンガーのアンテナをつけて情報を集める狂った女。


表紙(図1)の装丁にも使用されている作品(図4)では、取り壊されたバスルームでバスタブの中で寝そべりながら、瓦礫やスプレー缶、壁に書き散らされたグラフィティに囲まれ、瓦礫を貪り口から血を流しており、苦しみや混乱、攻撃性がないまぜになった心理が場面全体に表出しています。(図4)と同様に閉塞的な室内空間の中で心理状態が表現された作品として、「ハンガー」(図5)があります。頭にラップをまきつけ、ワイヤー製のハンガーを填め、階段の踊り場で這い回るようなポーズをしています。「ハンガー」(図5)のように、身のまわりにあるものや環境に衝動的に反応するようにして、自分の内面を曝け出すような吉山の身体表現は、「ポール」(図6)においても際立っています。学校の制服(社会からの抑圧や強制を表わすものとして、作品の中で頻繁に登場する要素)を着て、海辺のポールによじ登り、右手に煙草を持って、誘うような視線をカメラに向けながらポールを舐める姿は、エロティックで挑発的です。

06(図6)
ポール
高校生の女の子がポールのかっこよさに惚れてしまい、毎日学校帰りに港に立ち寄っては愛しあっている。


07(図7)
食卓
私を食べている日本人、特に東京の人。私はたくさん食べられて苦しかった。


08(図8)
米兵
戦争中にアメリカ兵に助けられた日本人の女の子


内側に潜む狂気や暴力性、性的な欲望などを、吉山一人で演じた作品に加えて、他の登場人物と共演して作り出された場面の中では、夢の内容は人間関係や家族、政治、歴史など社会的な側面に関わって、より具体的に描き出されています。「食卓」(図7)では、家族が食事をする食卓の上に裸で横たわり、お腹から内臓が引きずり出されるような状態になっている様子は、グロテスクで、ブラックユーモアを帯びながら、沖縄の視点から見た日本に対する批判的なメッセージに充ちています。
「米兵」(図8)では、裸で顔にガスマスクを装着した状態で、海の浅瀬に立つ男性に抱きかかえられており、「戦争中にアメリカ兵に助けられた日本人の女の子」という説明文と相まって、第二次世界大戦や、沖縄と米軍にまつわるさまざまな問題、米兵による暴行事件などを連想させ、背景に広がる青い海や空の下に横たわる歴史や現代の差し迫った問題が暗示されています。「食卓」(図7)と同様に、吉山が裸で演じることによって、夢の中の出来事にとどまらず、現実に差し迫った問題のありようが鮮明に浮き彫りにされていると言えるでしょう。

09(図9)
両親
両親にとって私は足かせであり、両親は私にとって何も見てくれないうえに、私を縛りつける人間だった。


10(図10)
妊婦
母体の中に入って母親に守ってもらいたい私の願望。


海辺は、吉山が生まれ育った場所、ルーツとしての沖縄を象徴するような場所であり、彼女が抱える根源的な欲求や問題を表わす舞台になっています。「両親」(図9)は、砂浜で男性と女性が足にロープを括り付け、それぞれ別の方向に向かって歩いている後ろ姿と、そのロープを首に巻きついて、二人と背中合わせになって苦しげな表情を浮かべる制服姿の吉山が、抜けるような青空と強い光の元に写し取られており、親子関係の葛藤が文字通り白日の下に晒されています。このような葛藤を抱えながらも、「妊婦」(図10)では、「守ってほしい母体」として、海を背景に佇む妊婦のお腹にすがりつく姿には、吉山が抱く、家族や生まれ育った土地、沖縄への複雑な感情が重なり合わされているようにも思われます。
『森花 夢の世界』は、「夢の世界」という極めて個人的、主観的なヴィジョンや感情を出発点としながらも、沖縄という土地の固有性のみならず、人がそれぞれに生まれ育ち、生きる社会の複雑さを提示していることに、石川と吉山二人の表現力が発揮されているのではないでしょうか。

11
9月21日から25日の会期で、「石川真生 大琉球写真絵巻」展が名護市民会館中ホールで開催されます。展覧会の開催に向けて制作費・会場費のカンパも募集しています。詳細は石川真生のブログ及びFacebookページをご覧下さい。
こばやし みか

●今日のお勧め作品は、エドワード・スタイケンです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第32回をご覧ください。
20160825_steichen_21_Brancusiエドワード・スタイケン
「Brancusi, Voulangis, France」
1922年頃(1987年プリント)
ゼラチンシルバープリント
33.2x27.0cm
Ed.100
裏にプリンターと遺族のサインあり


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●ときの忘れものは、ただいま夏季休廊中です(2016年8月21日[日]〜8月29日[月])。
休み中のお問合せ等への返信は直ぐにはできませんので、ご了承ください。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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