小林美香のエッセイ

小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第9回ラリー・クラーク

小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第9回


ラリー・クラーク「Combing Boy」

combing_boy(図1)ラリー・クラーク Larry CLARK
「タルサ」より Combing Boy 1963年
ゼラチンシルバープリント
20.7×31.2cm サインあり
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三面鏡に向かってブラシで髪を整える青年。至近距離から撮られているのにもかかわらず、逆光で影になった顔の表情は、カメラを意識していないかのようにも見えます。三面鏡の縁で切り取られた胴体や腕の輪郭や、鏡の中に映り込んだ壁や天井により、室内の奥行きが強められています。この写真が収録されている写真集『TULSA』(Lustrum Press, 1971)は、次のような衝撃的な独白で始まります。

「俺は1943年にオクラホマ州タルサで生まれた。16歳の頃にアンフェタミンを打ち始めた。3年もの間、友だちと一緒に毎日打った。それから街を出たが、また戻ってきてしまった。一度針を刺してしまうと、それはもう抜けないのだ。」L.C.

ラリー・クラーク(Larry Clark, 1943-)は独白に記されているような、タルサでの仲間たちとのドラッグ漬けの日々を撮影し、1963年、1968年、1971年の3つの時期に分けて写真集を構成しました。彼の写真は、ドラッグ、暴力、セックス、死にみちた若者たちの日常生活を当事者の視線で生々しく描き出しています。(図1)がそうであるように、その多くは寝室やバスルーム、車の中など、屋内で撮影されていて、タルサという街の様子をつたえるものはほとんど写っていません。しかし、若者たちがリビングルームに集まってドラッグを注射している写真(図2)を見ると、マントルピースの上にイエス・キリストの肖像画が架けられていて、アメリカ内陸部のオクラホマ州の街タルサが、宗教的な保守層の強い地域であることをうかがわます。若者たちは、このような抑圧的な地域の風土に反発し、あるいは逃れるために、ドラッグにのめり込んでいったのかもしれません。

living-room(図2)

tulsa-spread(図3)

(図1)の写真は、写真集の導入部分にあたる、仲間たちを間近に捉えた四点の写真で構成された見開きのページ(図3)の中に含まれています。被写体になった青年たちはいずれも逆光や薄暗い光のもとで撮影されており、物思いに沈んでいたり、苛立っていたりするような表情を浮かべています。また、誰もカメラの方に視線を向けていないこともあって、映画の中の場面を彷彿とさせたりもします。
(図3)のページの右上の写真で、割れたガラス越しに写っている青年は、写真集の表紙(図4)にも使われている、上半身裸でベッドの上に座り、ピストルを構えている青年と同一人物です。写真集の中でこの写真が掲載されたページでは、dead 1970(1970年他界)というキャプションとともに、「死は生よりも完璧だ」という一文が添えられ、ドラッグ漬けの若者が迎えた悲惨な結末が示唆されています。

Clark Tulsa Bk 1000(図4)『TULSA』表紙

冒頭の独白の「一度針を刺してしまうと、それはもう抜けないのだ。」という言葉通り、『TULSA』の全体を通じて繰り返されるのは、若者たちが腕や脚にドラッグの注射針を刺している場面であり、ドラッグ中毒に陥った若者たちのセックスや暴力的な状況が生々しく描き出されています。写真集の最後のページは、伸ばした左腕に注射の針を刺す場面を捉えた写真で締めくくられています(図5)。また、写真集の終盤近くに掲載されている、出産を間近に控えた妊婦が、窓際の椅子に腰かけ、自分の腕に注射を打っている様子を捉えた写真(図6)は、窓から差し込む光の効果も相まって、強烈なインパクトを具えています。

larry clark shoot up(図5) 1971年

clark_02_pregnantwoman(図6)ラリー・クラーク Larry CLARK
「タルサ」より Pregnant woman 1971年
ゼラチンシルバープリント
20.6×31.1cm サインあり
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『TULSA』は、ドラッグにまつわる状況を糾弾したり、解決すべき社会問題として提示したりするのではなく、ラリー・クラークが閉ざされた室内に籠もるドラッグ中毒の若者の一人として、当事者の生活をパーソナルな視点で虚飾なく捉えた写真をまとめたものです。描き出された数々の衝撃的な場面とともに印象に残るのは、部屋に差し込み、若者たちを照らす光であり、彼らが抱える苦悩や絶望感を際立たせるような酷薄さを帯びています。(図7)

19_1a『TULSA』(図7) 
 
『TULSA』を、同時代のアメリカン・ニューシネマを代表する映画『イージー・ライダー』(1969年 デニス・ホッパー監督)と併せて見ると、当時のドラッグ・カルチャーやアメリカ内陸部の閉塞感を多面的に理解することができるのではないでしょうか。
(こばやしみか)
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小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第8回リチャード・アヴェドン

小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第8回

リチャード・アヴェドン"Hiroshi Hamaya"


hayama(図1)
リチャード・アヴェドン
"Hiroshi Hamaya"
c.1980年
ゼラチン・シルバー・プリント
イメージサイズ:47.3x38.0cm
シートサイズ:51.0x41.0cm

 左肩にカメラをかけて持ち、飲み物の入ったグラスを右手に持ち、正面を見つめる写真家、濱谷浩(1915-1999)。ドキュメンタリー写真、報道写真の分野で活躍し、写真エージェンシーのマグナム・フォトで寄稿写真家として活躍していたことでも知られています。この写真は、8 ×10インチの大判カメラで撮影されており、上半身全体が縦位置の画面に収められているために、顔の表情だけではなく、胴体や腕、手の所作も精緻に描写されています。細身の身体にがっしりと骨張った手、固く結んだ唇に、鋭く澄んだ眼差しが、穏やかな佇まいとともに、気骨のある人柄を印象づけます。
 1940年代からポートレート写真、ファッション写真や広告写真など幅広い分野で活動したリチャード・アヴェドン(Richard Avedon, 1923-2004)http://www.richardavedon.com/は、その長いキャリアの中で一貫して人の容貌や表情を注視して撮影に取り組んでいました。(図1)のように、被写体の人物を白い背景の前に配置して余分な要素をそぎ落として撮影する手法は、アヴェドンの活動の初期から特徴的なスタイルとして知られています。初期の作品の一例として、アヴェドンが最初に刊行した写真集『OBSERVATIONS』(小説家のトゥルーマン・カポーティによる解説、1959) に掲載された、マリリン・モンロー(図2)とココ・シャネル(図3)のポートレート写真を見てみましょう。マリリン・モンローといえば、アメリカのセックスシンボルと称され、コケティッシュな魅力をふりまく演技や、セクシーな肢体や表情が思い起こされます。しかし、この写真(図2)では、遠くに視線を向けていて、カメラに向かって表情を作る前に不意を突かれたように、無防備な呆然としたような表情をしています。ココ・シャネルの写真(図3)を掲載したページでは、笑顔の写真と、のけぞって首筋を強調してとらえた写真を見開きで組み合わせることで、彼女の強烈な個性を際立たせています。いずれの写真からも、アヴェドンが、被写体に対峙する際に、その人物が奥底に秘めている表情を引き出し、その一瞬をとらえる鋭い観察眼を具えていたことがわかります。

marilyn070514_1_560(図2)『OBSERVATIONS』より マリリン・モンロー

coco-chanel(図3)『OBSERVATIONS』より ココ・シャネル

john-szarkowski(図4)『PORTRAITS』(1976)より ジョン・シャーカフスキー

 『PORTRAITS』(1976)や、『In the American West』(1979年から1984年の5年間にわたって、アメリカ西部13州189都市で撮影されたポートレート写真のシリーズ 1985)のような1970年代以降に刊行された写真集では、(図3)のようなトリミングをほどこして編集された写真ではなく、黒縁を残したままの写真が収録されています。一例として『PORTRAITS』のジョン・シャーカフスキー(当時のニューヨーク近代美術館の写真部門ディレクター)の写真を掲載したページ(図4)を挙げておきましょう。(図4)も(図1)と同様に、縦位置で上半身全体が撮影されており、体格や姿勢、所作が精緻に描写されています。このように胴体を画面の中に入れる撮影の仕方では、必然的に頭部が画面の中に占める割合が少なくなります。それでもなお、顔の表情の印象が薄まっておらず、画面全体のバランスのなかで、顔の表情が強く印象に残るのは、アヴェドンの撮影の技術のみならず、周到なプリントの仕方に依るところが大きいと言えましょう。

Avedon-Lyal-Burr-1981(図5)『In the American West』(1985)炭鉱夫のライアル・バーと息子のケリーとフィリップ
1981年5月7日

Avedon-Instruction(図6)プリンターへの指示

 (図5)は『In the American West』に収録された写真の中の一つで、(図6)は、(図5)のプリントの制作に際して、アヴェドンがプリンターに対して与えた焼き付けの指示の一部です。中央の男性の顔が、目鼻や口、額、顎、皺に細かく分割され、その凹凸がプリントに陰影・濃淡として再現されるように細かく指示を与えらえているのを見て取ることができます。顔の容貌を、筋肉や骨格、皮膚のテクスチュアのレベルにまで分析するようなアヴェドンの透徹した視線は、顔を表面から写し撮るだけではなく、解剖医がメスを操るように、カメラのレンズを通して被写体の内側まで切開して見せているようですらあります。濱谷浩のように普段は撮る側にいる写真家が、被写体になってアヴェドンの鋭い視線の元に捉えられることは、独特な緊張を味わう体験ではなかったでしょうか。(こばやしみか)

小林美香
写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。
2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。

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小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第7回ウィージー

小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第7回

ウィージー「上流社会の人々」


weegee1(図1)
ウィージー WEEGEE
The fashionable people
上流社会の人々

1943年撮影(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
26.7×36.5cm 裏面にスタンプあり

着飾った二人の女性と、その二人を右側から睨みつけるようにしている女性。(図1)ウィージー(Weegee, 本名Arthur Fellig, 1899-1968)が1943年11月22日、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で撮影したこの写真は、12月6日刊行の「ライフ」誌上で、歌劇場60周年記念公演の初日の様子を報じる記事の中で掲載されました(図2)。「上流社会の人々」という題名は、この記事の中で写真のキャプションとして添えられていたもので、着飾った二人の女性——ニューヨークの社交界の著名人だったジョージ・ワシントン・カヴァノー夫人(1867 - 1954)(左)とデシーズ夫人(1868-1944)(右)——のことを指しています。(この写真は、「The Critic(批評家)」という題名でも知られていますが、「The Critic」という題名は1945年に刊行された写真集『Naked City(裸の街)』に収録された際に添えられたキャプションです。)

weegee_life(図2)

見開き2ページの「ライフ」の記事は、上半分が上演された歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』の舞台写真、下半分は観客を捉えた写真で構成されています。メトロポリタン歌劇場のシーズン初日は、着飾った社交界の面々や著名人たちが足を運ぶ華やかなイベントとして知られ、その様子を取材するために、多くの報道陣も劇場に詰めかけていました。ウィージーは、カヴァノー夫人がリムジンを降りる場面(図3)や、カヴァノー夫人とデシーズ夫人が歌劇場の中で多くの報道陣のフラッシュとカメラに取り囲まれている様子を彼女たちの背後から撮影しています。(図4)

weegee-limo(図3)

weegee_back_of_women(図4)

046_008_lbw-jpg(図5)

「上流階級の人々」(図1)は、夫人たちの至近距離から撮影されたように見えますが、実際の写真(図5)はかなり引いた距離から、カヴァノー夫人を中心に据えて撮影されており、見物人や報道陣の後ろ姿が写っている左側と、頭上の空間をあわせて画面の半分以上がトリミングされています。取材陣に応えるように微笑み、豪華なドレスやティアラ、毛皮のコート、バッグ、アクセサリーを見せびらかすようにして写っている二人に比べると、右側に立って睨みつけている女性の身なりはあまりにもみすぼらしく、極めて対照的です。この女性は、観客として偶然この歌劇場の中に居合わせたのではありませんでした。ウィージーのアシスタントが、飲み屋や安ホテルが建ち並ぶ下町、バワリー街のバーで泥酔していたこの女性を見つけて買収して、劇場まで連れて来たのです。ウィージーは、アシスタントに指示してこの女性が夫人たちと同じ画面に入るように誘導させた上で(図5)の写真を撮りました。つまり、この写真は周到な準備の上に作り上げられた「やらせ」なのです。
ウィージーは、多くの報道陣がつめかける撮影現場にこのようなやらせを仕組むことによって、戦時中でありながらも豪勢な生活を楽しむ上流社会の人々を揶揄し、富める者と貧しい者の間の対比を際立たせて見せることに成功しました。観客の人間模様が、舞台の上で演じられるオペラと同様、あるいはそれ以上にドラマティックなものとして強いフラッシュのもとにさらけ出されたことに、当時の「ライフ」の読者たちは目を見張り、この写真はウィージーの代表作として広く知られるようになりました。
ウィージーは、グラフ雑誌や、センセーショナルな内容のスキャンダルを売り物にするタブロイド新聞が人気を集めていった1930年代から40年代にかけて、殺人や事故の現場などいち早く駆けつけ、スクープをモノにする写真家として、時代の寵児になりました。彼の鮮烈な写真は、現場に肉薄する行動力のみならず、演出やトリミングのような操作の上にも成り立っていたのであり、どのような写真が読者の目を奪うのか、読者が写真の中から何を読み取りうるのか、ということを熟知していたからこそ撮れたものだと言えるでしょう。
(こばやしみか)
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小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第6回ルイス・キャロル

小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第6回

ルイス・キャロル「ドロシー・キッチン」

R_carroll_01_Dorothy_Kitchin(図1) 「Dorothy Kitchin ドロシー・キッチン」
1879年  printed later
Gelatin Silver Print
15.0x12.8cm
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xie-kitchin1870(図2) イクシー(アレクサンドラ)・キッチン (1870年頃)


長椅子の肘掛けにもたれかかって寝そべる少女。長椅子の端を裁ち落とすような仕方でフレーミングされていて、やや低い位置から撮影されているために、顔の位置が画面の中心近くにあって、じっと正面を見つめる視線が印象に強く残ります。膝の上で手を握り、顔の表情はやや硬いものの、寝そべった姿勢や、無造作におろした巻き毛、スカートの裾からのぞくペチコートや膝などからは、子どもらしさが伝わってきます。
『不思議の国のアリス』の著者ルイス・キャロル(Lewis Carroll, 本名チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン, Charles Lutwidge Dodgson 1832-1898)は、クライスト・チャーチで数学教師として教鞭を執るかたわらで、1850年代半ばから1880年までの間に、大学関係の友人や知人の娘たちなど、たくさんの少女たちの写真を撮影していました。この写真のモデルになったドロシー・キッチン(1874-1953)は、彼の同僚であり、後にダラム大学の総長を務めたジョージ・ウィリアム・キッチンの娘です。キャロルのモデルとして、4歳から16歳まで約50回も撮影された、イクシー(Xie)ことアレクサンドラ・キッチン(Alexandra Kitchin, 1864-1925)は、ドロシーの姉にあたります。
イクシーも、ドロシーと同じく4,5歳の頃に同じ長椅子とクッションに寝そべった姿勢で撮影されています。(図2) イクシーは寝間着か下着のような服を着て、裸足の足を投げ出し、立て膝をつき、視線を遠くに向けています。大きなクッションを背景にして全身が写っていることもあり、ドロシーの写真よりも、身体の小ささや幼さがより際だって見えます。二人の姉妹が時期を隔てて同じ長椅子で撮影されていることや、イクシーの服装から、これらの写真はキッチン家の中で撮られたものではないだろうか、と推測できます。
ルイス・キャロルが撮影した写真のなかには、このように少女たちが長椅子に寝そべって写っているものが数多くあります。たとえば、『不思議の国のアリス』の主人公アリスのモデルになったアリス・リデル(Alice Liddell, 1852-1934)と姉のロリーナ、妹イーディス(1854-1876)の三姉妹の写真(図3)や、イーディスの写真(図4)もまた、キッチン家の姉妹と同様に、同じ長椅子に寝そべった状態で撮られています。体を寄せ合う三姉妹の仕草(図3)や、疲れて眠たそうなイーディス(図4)表情は、撮影のためにポーズを取っているというよりも、彼女たちが日常生活や、会話のやりとりをする合間に見せるような、リラックスした自然なもののように映ります。ルイス・キャロルにとって、少女たちを長椅子に寝そべらせるということは、彼女たちがカメラを前に緊張せず、リラックスしていられるようにするための撮影上のテクニックだったのかもしれません。

edith-lorina-alice(図3)リデル三姉妹(左からイーディス、ロリーナ、アリス)(1858)


edith(図4)イーディス・リデル (1858)


cdv1

cdv2 (図5)(図6) カルト・ド・ヴィジット(名刺判写真)


ルイス・キャロルが写真を撮っていた1850年代中頃から1880年は、カルト・ド・ヴィジット(名刺判写真)が流行し、写真館でポートレート写真を撮ることが広く行き渡っていった時期でもありました。おめかしをして撮られている少女たちのカルト・ド・ヴィジットには、写真館の椅子に座って撮られたものや、椅子の座面や背もたれに手を添えて立って撮られているものが多く見られます。(図5)(図6)写真を撮ることがとても珍しかった時代ですから、写真館の調度品に囲まれて写された少女たちは、よそゆきのすまし顔をしていたり、緊張してこわばった表情を浮かべていたりします。
ルイス・キャロルの撮った少女たちをこのようなカルト・ド・ヴィジットと比べてみると、彼の写真に捉えられている少女たちの自然な表情や所作がより際だっています。彼女たちが横たわる長椅子には生活の跡が色濃く表れていて、寝そべった少女たちは、撮影の前後で眠っていたのかもしれないと思わせるほどリラックスしているようです。寝そべり、眠りと目覚めの間にたゆたう少女たちの写真は、『不思議に国のアリス』の夢の世界に接合するような雰囲気を漂わせていると言えましょう。
(こばやしみか)

◆ときの忘れものでは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 植田実さんのエッセイは毎月数回、更新は随時行います。

 小林美香さんのエッセイは毎月10日と25日の更新です。

 大竹昭子さんのエッセイは毎月15日の更新です。

 井桁裕子さんのエッセイは毎月20日の更新です。

 山田陽さんのエッセイは毎月30日の更新です。

 深野一朗さんのエッセイは不定期ですが、更新は随時行います。

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小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第5回アンドレ・ケルテス

小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第5回

アンドレ・ケルテス「おどけた踊り子、パリ、1926年」

0804001
アンドレ・ケルテス Andre KERTESZ
"Paris,Magda,The satiric dancer,1926"
《おどけた踊り子、パリ、1926年》

1926年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
24.7×19.9cm サインあり

ぴったりとしたシルエットの短いドレスを身につけ、手足をくねらせるようなポーズでソファに寝そべり、茶目っ気に溢れた表情でカメラに視線を向ける女性。アンドレ・ケルテス(André Kertész 1894-1985)の作品の中でももっともよく知られているこの作品は、彼が友人の彫刻家のイシュトゥバーン(エティエンヌ)・べーティ(István (Étienne) Beöthy1897-1961)のスタジオに、踊り子のマグダ・フェルストネル(Magda Förstner)を呼んで撮影したものです。
三人はいずれもブダペスト出身で、それぞれに活動の場を求めてパリに移ってきたばかりでした。この写真と前後して撮影された写真として、マグダがソファに座ってポーズを取っているもの(図2)や、べーティとマグダがソファに座って談笑している様子をとらえたもの(図3)もあります。同郷の若い芸術家同士が集って撮られたこともあって、いずれの写真にもリラックスした雰囲気が漂っています。

tumblr_lc1ttflBAz1qztk1wo1_500(図2)

tumblr_lcmxb6x0lB1qcl8ymo1_500(図3)

マグダのおどけたポーズは、ソファ左隣にある台の上におかれたべーティの彫刻作品を真似したものだったのでしょう。腰をひねって右腕を持ち上げている姿勢が、壁を背景にくっきりと浮かび上がる白い彫刻作品とよく似た形になっています。マグダが身につけているドレスは、襟の部分が胴体から離れて、首飾りのようなデザインになっているために、彼女の胴体と頭の分節が強調されていて、頭のない彫刻の肢体との類似性がますます強まっているように見えます。右側の壁には、女性の身体を描いた絵画を収めた額縁が、彫刻作品に対面するような位置に架けられています。ソファに寝そべるマグダ、彫刻作品、絵画という三つの異なったかたちで表された身体は、それぞれ別個の存在でありながら、互いを結びつけるような関連性が生まれたかのようです。
ソファに座ってポーズを取っている写真(図2)と比べてみると、寝そべって取ったポーズが、マグダのコケティッシュな魅力を強調しているだけではなく、彫刻作品の存在感を引き出す上で重要な役割を果たしていることがわかります。このように、写真の中に写されているものを子細に見ていくと、ケルテスがマグダの所作やべーティの作品を注意深く観察し、それぞれの魅力が融合する瞬間を捉えていたことがよくわかります。

ケルテスがパリでさまざまな芸術家たちと交友を持つ中で撮影した写真には、芸術家たちの性格や、作品のエッセンスが巧みに引き出されているのを見て取ることができます。その好例として、「おどけた踊り子」と同じ年に撮影された、画家ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian, 1872-1944)のアトリエの写真(図4)が挙げられます。画面を縦半分に分割する戸口、室内のイーゼルやテーブルの直線、壁にかけられた帽子やテーブルの上の花瓶と造花の丸いかたち、階段や手摺りのカーブが画面の中に視覚的なリズムを作り出していて、モンドリアンの絵画作品を特徴づける画面構成や線の表現を連想させるような効果を醸し出しています。細部に至るまでの緻密な画面構成ゆえに、ケルテスが撮影のためにアトリエの中で物を配置したのではないか、とすら思えますが、実際にはモンドリアンのアトリエに手を加えることはなかったそうです。ケルテスの空間に対する鋭い観察眼と、モンドリアンの作品への深い理解に裏付けられた一枚と言えるでしょう。

06237101 (図4)

http://www.tumblr.com/tagged/magda+foerstner

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小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第4回エルンスト・ハース

小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第4回

エルンスト・ハース Ernst Haas「三番街での光の反射、ニューヨーク」

ErnstHaas_Reflection3rdAveNewYorkCity
エルンスト・ハース
三番街での光の反射、ニューヨーク
"Reflection-Third Ave., New York"
1952(Printed in 1993)
Dye-transfer Print (color)
30.5x45.5cm
estate stamp

画面の中央に、まるで蝶が羽を広げたような形で広がる色の帯。遠景に立ち並ぶ摩天楼をよく見ると、左右対称に反転していて、画面右半分はショーウィンドウの表面に映り込んだ像であることがわかります。ショーウィンドウの上にはためく幕が反射像として増幅され、微妙なグラデーションを帯びた色合いと相まって、幻想的な光景が立ち現れています。
この写真はカラー写真の先駆者として知られるエルンスト・ハース(Ernst Haas, 1921-1986)が、ニューヨークを取材して制作し、グラフ雑誌「ライフ」の1953年9月14日号と9月21日号と2回にわたって掲載された、フォトエッセイ「Images of a Magic City (ある魔法の街のイメージ)」の中の一枚です。「ライフ」は1936年から1972年まで刊行され、フォトジャーナリズムの黄金時代を築いた雑誌として広く知られており、現在はGoogle Booksで、全号を閲覧することができます。
(9月14日号掲載のフォトエッセイはこちら、9月21日号掲載のフォトエッセイはこちらをご覧下さい。)
ピクチャ 2

フォトエッセイの冒頭の文章では、「ハースは2カ月間にわたってニューヨークを毎日歩き回り、霧が立ちこめる街の光景や、色彩に充ちた模様、きらめく反射を丹念に観察して写真にとらえ、現実を非現実に見えるように変え、生命のないかたちに生気を吹き込んだ。」と書かれています。「魔法の街のイメージ」というタイトルといい、いささか大袈裟な表現のように思われるかもしれませんが、全編カラー写真で構成したフォトエッセイを2回にわたって発表することは、当時の「ライフ」の編集方針としては挑戦的で、まさしく誌面に魔法をかけるような試みだったのかもしれません。1950年代のカラー写真と印刷技術では、微妙な色調を再現することはできず、原色の色味が強く出る傾向があったために、カラー写真は広告で商品の華やかさを強調する手段として使われることはあっても、記事やフォトエッセイの中で使われることはほとんどなかったのです。
 フォトエッセイは、摩天楼とブルックリン橋のシルエットを俯瞰する視点から捉えた写真で始まり、マンハッタンの街をさまざまな視点からとらえた写真によって、読者を街中への散歩へと誘うような方法で構成されています。「色彩の魔術師」として名を馳せるようになったハースのカラー写真の技量は、一点一点の写真のみならず、見開きでの写真の組み合わせ方にも見て取ることができます。
ショーウィンドウや摩天楼のガラス窓への映り込み、水に濡れた地面や水面への反射など、さまざまな反射像をとらえ、大きく引き伸ばされた写真が随所に差し込まれています。読者がページをめくりながらフォトエッセイを読み進める中で、反射によって入れ子状態になった都市空間の中に彷徨いこんでいくような「魔法」が仕掛けられているのです。また、壁面の線や窓枠の形、看板のディテールなどが幾何学的な模様を作り出していていたり、クローズアップでとらえられた写真の中には、一見するとなにが写っているのかわからないような抽象的な色の平面に見えたりするものもあります。それらが、見開きで組み合わせられることによって、当時ニューヨークを中心に隆盛していた抽象表現主義の絵画を彷彿させるような表現効果をも醸し出しています。
ハースはニューヨークという街の魅力を、具体的に説明するというよりも、カラー写真という魔術によって、抽象的なかたちで印象づけることに成功したといえるでしょう。

ピクチャ 5

ピクチャ 7

ピクチャ 8

「三番街での光の反射」は、フォトエッセイの2回目の終盤に掲載されています。摩天楼の姿を遠景に映し出した写真は、魔法の街を巡る散歩の名残を留め、その締めくくりを飾るのに相応しい一枚ではないでしょうか。
(こばやしみか)

ピクチャ 14

Ernst Haas Estate
http://www.ernst-haas.com/


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小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第3回ロベール・ドアノー

小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第3回

ロベール・ドアノー Robert DOISNEAU「L'ENFER 地獄カフェ」

P1020102ドアノー「キャバレー地獄」600
ロベール・ドアノー
L'ENFER 地獄カフェ
1952年
ゼラチンシルバープリント
35.0×24.5cm  サインあり

歩道を歩きながら怪訝そうな表情を浮かべてカメラに視線を向ける制服姿の警官。その背後には恐ろしい形相の大きな顔を象った建物の入口。男性は大きく開いた口の前にさしかかり、全身がちょうど口の中におさまるような角度で捉えられていて、まさしく「食べられかけ」の状態になっています。
ロベール・ドアノー(Robert Doisneau, 1912-1994)は、偶然この光景に出くわして撮ったというよりも、この建物の前を人が通りかかるのを待ち構えていたのかもしれません。この建物は、ピガール地区(ムーラン・ルージュのようなキャバレーやナイトクラブが建ち並ぶパリの歓楽街)にあった地獄カフェ(le Café de L'Enfer)で、19世紀末に開店し、現在のテーマ・レストランの先駆け的な存在として注目を集め、悪魔を象ったカフェの入口を撮影した絵葉書も販売されていました。
ciel
絵葉書を見ると、カフェの外壁全体に装飾がほどこされていたことと、隣には「天国(Le Ciel)」という店があったことがわかります。「天国」と「地獄」が隣り合わせに並ぶ界隈として道行く人の目を楽しませていたのでしょう。(ちなみに店内はこのような感じでした。

20世紀初頭には、ジャン=ウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugène Atget, 1857−1927)も地獄カフェの入口を撮影しています。
enfer
アジェの写真では、悪魔のカッと見開いた眼がくっきりと際立ち、むき出した牙がかみついてくるような角度から捉えられていて、舞台装置の一部のような迫力があります。アジェの写真とドアノーの写真を比べてみると、入口の扉がシャッターに換えられ、外壁に幾分か経年変化が見られますが、人目を惹く存在感は保たれていたようです。ドアノーがアジェの写真を事前に見ていたどうかは寡聞にしてわかりませんが、その可能性は十分に考えられます。ドアノーが地獄カフェの入口という舞台の上に、相応しい登場人物が現れるのを待ち構えて撮影したと想像すると、40年以上の歳月を経て、ドアノーがアジェの写真から得たインスピレーションがユニークな形で結実したことの興味深さが増してくるというものです。残念ながら、後年に地獄カフェは取り壊され、かつての所在地だったクリシー通り53番地には、現在モノプリというスーパーマーケットが建っています。
Porte de l Enfer

「地獄カフェ」にも端的に表れているように、ドアノーの写真の魅力は、パリの街に息づく歴史と、市井の人々の日常が絶妙なバランスで組み合わせられ、ユーモアと愛情を込めて描き出されていることにあります。1950年代からファッション雑誌「ヴォーグ」や「パリ・マッチ」や「ライフ」などのグラフ雑誌で発表されたドアノーの写真は、戦後の復興期の街の明るい雰囲気や、自由な生活を謳歌する人々を描き出したものとして、読者から人気を得ていました。
「地獄カフェ」と同時期に撮影され、ドアノーの代表作として知られる写真に、「パリ市庁舎前のキス」(1950)があります。ポストカードやポスターなどをとおして多くの人に知られているこの写真には、パリ市庁舎を背景に歩きながらキスをする若いカップルが、カフェの屋外テーブル越しにとらえられています。後にモデルに指示を与え、演出をほどこして撮影した写真だということが判明して話題になりましたが、「地獄カフェ」と同様に、パリの街の「舞台」としての魅力を知り尽くしていたドアノーからこそ撮ることができたものだったと言えるでしょう。
(こばやしみか)

ロベール・ドアノー公式ウェブサイト
http://www.robert-doisneau.com/fr/


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小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第2回マニュエル・アルヴァレス=ブラーヴォ

小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第2回

マニュエル・アルヴァレス=ブラーヴォ Manuel Alvarez Bravo
「腰をおろす人々(The Crouched Ones / Los agachados) 」

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Manuel Alvarez BRAVO
Los Agachados 腰をおろす人々
c.1932-1934(printed later)
ゼラチンシルバープリント
22.4×29.5cm
サインあり

食堂(comedor)のカウンターでスツールに腰をおろし、飲み食いをする人たち。通りに面した入口の両側の壁と床、鎧戸で取り囲むようなフレーミングで撮影され、店内が箱の中を覗き込むような視点でとらえられています。着古し汚れた服をまとった人たちは、肩から上が影の中に隠れていて、腰をおろしたスツールが鎖でつながれていることも相まって、牢獄の中にとじ込められた囚人たちを連想させたりもします。街中にある食堂のごくありふれた情景でありながら、入れ子状態になった画面の構図や、手前に背を向けた人たちの佇まいが、謎めいた雰囲気を醸し出しています。

メキシコを代表する写真家、マニュエル・アルヴァレス=ブラーヴォ(Manuel Alvarez Bravo、1902−2002)は1920年代から、当時欧米を中心に展開していたノイエ・フォトグラフィやストレート・フォトグラフィといった写真独自の表現を追究する運動に感化され、写真を撮り始めメキシコの伝統的な風俗や街、ポートレート、静物、ヌードなどさまざまな作品を手がけました。「腰をおろす人々」のような街中で撮られた写真には、19世紀末から20世紀初頭にかけてパリの街を撮影した写真家、ジャン=ウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugène Atget,1857−1927)の影響が色濃く表れています。

たとえば、この写真をアジェの「Au Tambour, 63 quai de la Tournelle」(1908)と見比べて見てみると、戸口を真正面から撮る視点や、戸口や外装のディテールのとらえ方において、ブラーヴォがアジェの写真を強く意識していたことがわかります。アジェは三脚に固定した大型カメラで撮影していたのに対して、ブラーヴォは手持ちのグラフレックス・カメラで撮影していました。そのために、アジェの写真に写っている人の姿――店の中からじっと外を眺めている人と、ドアのガラスに映り込んでいるアジェ自身――は、身動きをしない静止した状態でとらえられていますが、ブラーヴォの写真では、食事をする人々それぞれの自然な所作がそのままに写し取られています。
Au Tambour, 63 quai de la Tournelle
ジャン=ウジェーヌ・アジェ
「Au Tambour, 63 quai de la Tournelle」

ブラーヴォの写真にそなわる魅力の一つは、このような写された人の所作のあらわれ方にあるとも言えるでしょう。また、ブラーヴォが好んで眼差しを向けていた人々の所作には、俊敏なもの、瞬発的なものよりも、眠っていたり、祈っていたり、瞑想していたりというような、緩やかに流れる時間やゆったりとした生活を連想させるものが多いということも特徴的です。さらに、ブラーヴォは内省や瞑想に誘うような言葉を作品の題名に選んでいたりもします。
ブラーヴォ「夢想」
Manuel Alvarez BRAVO
「The Daydreaming / El ensueno」

彼の代表作として知られる「夢想(英語 The Daydreaming / スペイン語 El ensueno)」(1931)は、そういった作品の一例です。テラスの手摺に肘をつき、階下を見下ろしている少女が、もう一つの手摺越しに捉えられています。間近から撮られているのにもかかわらず、彼女はあたかもカメラに気づいていないかのように、物思いにふける表情を顔に浮かべています。身体を手摺の方にわずかにもたれさせかけて、脚を流すようして通路に立つその姿は、しなやかなカーブを描き、ワンピースの肩や裾の一部を照らす光と相まって、壁や窓枠、手摺の直線で構成された空間の中に揺らぎのような感覚をもたらしています。「夢想」とは、物思いにふける少女の心模様だけではなく、彼女がいる情景全体の印象をも表しているのではないでしょうか。「腰をおろす人々」と同様に、ブラーヴォの視線は、日常的な光景の中に詩的な場面を掬い上げ、人々の所作を詩の中の言葉として浮かび上がらせているようです。

(公式ウェブサイトManuel Álvarez Bravo http://www.manuelalvarezbravo.org/では、90年代にいたるまでに撮影された写真を見ることができます。)

(こばやし みか)

*画廊亭主敬白
今回小林さんがとり上げたManuel Alvarez Bravoの読み方ですが、ときの忘れものでは<マニュエル・アルバレス・ブラーヴォ>としてきました。
小林さんは上掲の通り<マニュエル・アルヴァレス=ブラーヴォ>とされています。
ウィキペディアでも議論があり、先ごろ岩波書店から刊行されたバンヴィル他著、杉山悦子訳の写真集は『マヌエル・アルバレス・ブラボ写真集 メキシコの幻想と光』となっています。
振り仮名のつけ方は本当に難しい。
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小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第1回ヘルベルト・バイヤー

小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第1回

ヘルベルト・バイヤー Herbert BAYER"Untitled"


bayer_untitledHerbert BAYER
"Untitled"
1930年代(1970年代プリント)
Gelatin Silver Print on baryta paper
37.7×29.0cm
Ed.40(18/40)
裏面にサインあり

宙づりにされたマネキンの腕。しなやかに折り曲げられた腕と指先は、光のコントラストによって背景の壁面からくっきりと浮かび上がり、腕の中に抱え込まれた暗闇の中には、生身の体が潜んでいるかのような艶めかしい雰囲気が漂っています。
ヘルベルト・バイヤー(Herbert Bayer, 1900−1985)は、この作品を制作した1930年代には写真や絵画、グラフィック・デザインなど幅広い分野で活躍していました。この写真を撮った経緯には、ファッション雑誌のデザインも手がけていたということも関係しているかもしれません。同じ時期に制作され、バイヤーの代表作として知られているフォトモンタージュ作品「セルフ・ポートレート」(1932)や「孤独な都会人」(1932)からも、彼がなぜマネキンに惹かれていったのか、どのような観点からマネキンをとらえていたのかということを伺い知ることができます。

01ヘルベルトバイヤー_01「セルフポートレート」
ヘルベルトバイヤー
「セルフポートレート」

01ヘルベルトバイヤー_02「孤独な都会人」
ヘルベルトバイヤー
「孤独な都会人」

「セルフ・ポートレート」では、バイヤーが鏡の中に映し出された自分自身の姿――右腕を頭の後ろに持ち上げ、すっぽりと抜け落ちた右腕の脇 の一部分を、左手で掴んで持っています。――を唖然とした表情で見つめていて、その様子がバイヤーの肩越しに捉えられています。「孤独な都会人」では切り取られた両腕が建物のファサードの前に浮かび、両方の掌に張りついた眼が真正面を見つめています。
どちらの作品も、切り取られた腕がモノのように扱われていて、夢の中の一場面のような、摩訶不思議で不条理な光景が作り出されています。前者ではバイヤーが自分の腕に向けている視線が、後者では掌と一体化した視線が、切り離され宙づりになった腕を、さらに奇異なものとしての印象を強め、不安に苛まれるような心理状態をさらに高めて表しています。
バイヤーがマネキンに惹かれたのは、自分自身も含め、身体を機械や装置のように規格化され、組み立てられ、大量生産される製品に近しいものとして捉えるような、感覚を持っていたからではないでしょうか。このような感覚は、急速に工業化が進み、消費社会が拡大していった世界大戦間期の時代背景に由来するものでもありました。フォトモンタージュ(映画の編集という意味でも用いられるモンタージュ(montage)という言葉は、フランス語で「(機械を)組み立てる」に由来します。)という手法は、バイヤーのこのような感覚を表す上で、もっとも相応しい方法だったのでしょう。

01ウンボ_04「マネキンと上靴」
ウンボ「マネキンと上靴」

バイヤーと同様にバウハウス出身の写真家ウンボ(Umbo, 本名Otto Umbher 1902−1980)の「マネキンの足と上靴」(1928)からも、バイヤーの作品に共通する感覚を見て取ることができます。マネキンの脚が床に置かれたファーのついた華奢な靴に爪先を滑り込ませ、あたかも今まさに脚を伸ばして立ち上がるような姿勢で捉えられていて、ライティングによって脚の線と滑らかな表面が強調されています。ショーウィンドウやファッション写真の中で、上靴のような商品と同様に、マネキンや女性の身体が断片的なモノとして扱われ、欲望の対象として見つめられているということが、端的に表されていると言えるでしょう。

01ヘルベルトバイヤー_03「ハーパースバザー」

バイヤーが手がけたファッション雑誌「ハーパース・バザー」の表紙(1940年8月号)は、これまでに紹介した彼のマネキンに対する考え方を集約したものと言えるでしょう。モデルの顔は横並びに連結するように反復され、唇が赤、黄、青、緑に着色がほどこされています。欠点のない工業製品のように仕立て上げられたモデルの顔は、魅惑的であると同時に、どこか不気味さも感じさせ、読者の眼を惹きつけるような強いインパクトを発揮しています。(こばやし みか)

小林美香
写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。
2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。

*画廊亭主敬白
気鋭の写真研究家である小林美香さんには、今までジョック・スタージスやエドワード・スタイケンについて論じていただきました(小林美香のエッセイ・バックナンバーを参照)。
ときの忘れものの写真コレクションは、原茂さんはじめ指南役の皆さんの助言を参考にして少しづつ集めたものですが、それらが写真史の上でどのような位置を占め、どのような時代を背景にして誕生した(創作された)ものなのか。
アメリカでたくさんの写真の実物に触れ、古今内外の文献を渉猟し、写真を「読みとく」力を発揮してきた小林美香さんに長期の連載「写真のバックストーリー」をお願いした理由です。
どうぞご愛読くださいますよう。
上掲のヘルベルト・バイヤーの"Untitled"はときの忘れもののコレクションです。
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◆ときの忘れものでは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 植田実さんのエッセイは毎月数回、更新は随時行います。

 大竹昭子さんのエッセイは毎月15日の更新です。

 井桁裕子さんのエッセイは毎月20日の更新です。

 山田陽さんのエッセイは毎月30日の更新です。

 小林美香さんのエッセイは毎月10日と25日の更新を予定しています。

今までのバックナンバーはコチラをクリックしてください。

スタイケン写真展に寄せて・第3回 小林美香

スタイケン写真展に寄せて・第3回  小林美香

前回は、ポートレート写真を中心にスタイケンがスタジオの中で撮影した作品を見てきましたので、今回は屋外で撮影された写真に注目していきましょう。展示作品の中でも、木肌を前景にとらえた"Walden Pond, Concord, Massachusetts"(1934) や、ハドソン川の上にかかるジョージ・ワシントン・ブリッジをダイナミックな構図でとらえた"George Washington Bridge, New York"(1931)のような作品は、精緻なディテールや空間の奥行きが豊かなグレーの諧調によって表されています。

11エドワード・スタイケン11.Edward STEICHEN
Walden Pond, Concord, Maddachusetts
c1934(Printed in 1987)
Gelatin Silver Print
34.1x23.2cm 33/100
裏にプリンターと遺族のサイン有り

16エドワード・スタイケン16.Edward STEICHEN
Geoge Washimgton Bridge, New York》 1931(Printed in 1987)
Gelatin Silver Print
33.4x26.6cm 33/100
裏にプリンターと遺族のサイン有り

"Florida Jungle" ( 1936) や"Clouds" のような作品においては、自然の光が織りなす微妙で繊細な表情そのものが主題になっていると言えるでしょう。また、ポートレート写真の中でも、詩人のカール・サンドバーグ(スタイケンとサンドバーグは義理兄弟の関係でした)のポートレートは、岩肌を背景に自然光で撮影されており、前回紹介したようなスタジオで撮影された黒と白のコントラストを強調したポートレート写真と比べると、その空間の光の柔らかなニュアンスが伝わってきます。
4エドワード・スタイケン4.Edward STEICHEN
Florida Jungle
1936(Printed in 1986)
Gelatin Silver Print
26.4x33.8cm 33/100
裏にプリンターと遺族のサイン有り

3エドワード・スタイケン3.Edward STEICHEN
Clouds
(Printed in 1987)
Gelatin Silver Print
23.7x34.2cm 33/100
裏にプリンターと遺族のサイン有り

10エドワード・スタイケン10.Edward STEICHEN
Carl Sandburg, Umpawaug, Connecticut
1930(Printed in 1987)
Gelatin Silver Print
32.6x26.4cm 33/100
裏にプリンターと遺族のサイン有り

このような豊かなグレーの階調表現は、ポートフォリオのプリンターをつとめた写真家ジョージ・タイス(1938‐)の手によって、オリジナルのネガから引き出されたものです(タイス自身も、大判カメラを用いて風景を撮影し、モノクロームの精緻なプリント作品により高く評価されています)。このような、撮影した写真家本人が他界した後に、別の人の手によって制作されたプリントは、ポスチュマス(posthumous 没後の意味)・プリントと称されることがあります。タイスは、スタイケンから直接指示を受けてプリントを制作したわけではありませんが、このような精緻なプリントから、彼がスタイケンの作品の本質を深く理解していることや、オリジナルのネガがいかに精度の高いものであったか、ということを伺い知ることができます。

この連載の第一回目でも述べたように、スタイケンは第一次世界大戦後からそれまでの印画技法を駆使して制作していたピクトリアリズム(絵画主義写真)の表現をやめて、ストレート写真という、写真の精緻な記録性をそのままに活かして、鮮鋭にディテールを表現するようなスタイルへと転向していきました。このように制作の指向性が変化する中で制作された作品の中にも、彼がそれまでに写真や絵画の作品制作で培ってきた感覚が、被写体の形状、奥行き、表面のテクスチャーを画面全体の構図のバランスのなかで表現する方法に活かされているのを見てとることができます。たとえば、重なり合うバラの花弁をクローズアップでとらえた"Heavy Roses Voulangis, France" (1914 )や、セザンヌの絵画の部分を彷彿とさせるような方法で梨と林檎を配置して撮影した"Three Pears and an Apple, France 1921"からは、被写体となったもののディテールを注視しつつ、画面全体の構図を作り上げようとする意図を見て取ることができます。

展示作品の中にも、樹木や花のような植物が写し取られたものがいくつかありますが、このことはスタイケンが園芸や植物に深い造詣を持っていたことにも関連していると言えるでしょう。彼は20世紀初頭から、コネティカット州に農園を所有して園芸に勤しみ、飛燕草(デルフィニューム、delphinium)を栽培し、品種交配までをも手がけるという、植物、園芸の専門家としての一面も持っていました。1936年にニューヨーク近代美術館で開催されたスタイケンの個展では、植物を撮影した写真を中心に構成され、彼の農園で収穫された飛燕草も併せて展示されたそうです。被写体のディテールに注視し、それを忠実に写真によって再現するスタイケンの技術は、植物の個体の差異を研究し、栽培するという経験からも培われてきたものかもしれません。
5エドワード・スタイケン5.Edward STEICHEN
Lotus Pond, Mount Kisco, New York
1915(Printed in 1986)
Gelatin Silver Print
26.6x33.5cm 33/100
裏にプリンターと遺族のサイン有り

エドワード・スタイケンは、19世紀末からその人生の大半を写真に捧げ、写真家としてだけではなく、プロデューサー、キュレーターとして幅広い活動を展開し、表現手段としての写真の可能性をさまざまな方法で切り拓いてきました。その表現の根幹は、植物のような自然の造形への観察力や、光の性質とその効果に対する深い洞察に裏づけられているのです。今回の展示に選ばれ得た作品からも、長年スタイケンが写真に取り組む中で表してきた写真の本質を成す重要な要素について学び取ることができるのではないでしょうか。
(こばやし みか)

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◆ときの忘れものは、2010年12月15日(水)~12月25日(土)まで「エドワード・スタイケン写真展」を開催しています(会期中無休)。
スタイケン案内状600
エドワード・スタイケンは、20世紀のアメリカの写真にもっとも大きな影響を与えた写真家であるだけでなく、キュレーターとして数々の写真展を企画し、写真界の発展に多大な貢献をしました。
1986年と1987年に写真家のジョージ・タイスによってオリジナルネガからプリントされた、1920年代か30年代の作品を中心に、ヌード、ファッション、風景、ポートレートなど17点を選び展示いたします。
ぜひこの機会に古典ともいうべきスタイケンの写真作品をコレクションに加えてください。
出品リスト及び価格はホームページに掲載しています。

◆今月のWEB展は、12月16日から2011年1月15日まで「根岸文子展」を開催しています。
根岸さんは昨2009年はVOCA展に選ばれ、今春2010年6月にはマドリッドで個展を開催するなど内外で活躍しています。

◆ときの忘れものは通常は日曜・月曜・祝日は休廊ですが、企画展の開催中は会期中無休です。
年内は12月28日(火)まで営業し、12月29日~2011年1月4日まで冬季休廊いたします。
新年は2011年1月5日(水)より開廊します。
tokinowasuremono
緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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