大竹昭子のエッセイ

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第56回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第56回

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上野公園でときどき餌をあげていたカラスたちが、上空を追いかけて千駄ヶ谷にある家をつきとめ、以来、上野の森から通ってきては、ベランダで羽をばさつかせて餌をねだるようになったーーー。

この話を人から聞いたとき、カラスの観察力、思考力、記憶力に舌を巻いた。それらをフル稼働して彼らが日々溜め込むものは、すべてこの世で生きながらえるために費やされる。人間のように使わずにただしまっておくだけのものはない。知恵とは本来そういうものなのだろう。

ここに一羽のカラスがいる。頭の毛と胴体の羽の部分がつながらないほどからだが細いが、ただ、痩せているだけなのか。カラスも痩せるとこんな姿になるのか。唯一、カラスらしさを感じさせるのは足。精悍で、野卑で、獰猛な印象の鉤爪をクルマの屋根に載せている。ぴかぴか光る車体に爪が反射し、影が円弧を描いて一瞬、金属の部品がついているのかと思った。

カラスの前には男がいる。イグサで編んだ帽子を被り、メガネをかけ、首を右に傾けて唇をつきだしている。カラスは髭におおわれたその口にくちばしを突っ込んでいる。男がくれとおねだりしてたものを、カラスから口移しに受け取っているかのようだ。でも、本当は逆だろう。男の口のなかにはカラスの好物が入っている。それをカラスはくちばしでつまみ出そうとしているのだ。そのように口移しに物をあげるのは男の習慣で、彼が口を突き出したらどうすればいいかをカラスはよくわかっている。これぞ、生きものの知恵である。

カラスに餌を上げるとしても、やり方はいろいろあるだろう。皿に載せてもいいし、ただ地面に置いてもいいし、掌に載せてやってもよい。ところが、この男はそのどれもとらずに、口からあげるやり方を選んだのだ。あいだに何も介さずに、口と口を直結させて食べ物をカラスのからだに送り込む、その束の間の一体感を味わうために。

人間の口とカラスの口を比較して、どちらが無防備かと言えば、人間の口に決まっている。われわれのやわな口蓋に、カラスのあの黒々したくちばしを本気で突っ込まれたらひとたまりもない。その弱い部分を相手に差し出し、男は契りを乞いたかったのだろう。オレはこれほどオマエを信じているんだよ、と。

カラスも男にすっかりなついて信頼している様子である。瀕死の状態で路上に落下していたのを助けられたのかもしれないし、翼が折れていて飛べなくなり大空に帰ることが出来ないのかもしれない。ともあれ、カラスには男になつかずにはいられない事情があったのだ。この男についていけば生きられると直感したのだ。

思うに、男のほうにも似たような事情があったのではないか。だれかになつかずにはいられない。でも、人間が相手だとどうもなつけない。そんな鬱屈に浸り込んでいたときに、傷ついたカラスに遭遇したのである。弱った者同士がともに支え、求めあう関係。話す言葉がちがうから、齟齬も生じないし、喧嘩にもならない。わかり合えるような合えないような曖昧さが救いなのである。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
梁丞佑
〈人〉より
2003年撮影(2017年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 21.0x32.5cm
Sheet size: 11x14inch
Ed.5
サインあり

■梁丞佑 YANG Seung-Woo
韓国出身。
1996 来日
2000 日本写真芸術専門学校卒業
2004 東京工芸大学芸術学部写真学科卒業
2006 東京工芸大学大学院芸術学研究科メディアアート修了
主な出版物:『君はあっちがわ僕はこっちがわ』(2006、新風舍)、『君はあっちがわ僕はこっちがわ2』(2012、禪POTOギャラリー)、『青春吉日』(2012、禪POTOギャラリー)
主な個展:「外道人生」(2004、東京工芸大学芸術情報館ギャラリー・中野)、「君はあっちがわ僕はこっちがわ」(2005、JCII日本カメラ博物館・千代田区一番町)、「だるまさんが転んだ」(2006、銀座ニコンサロン)、「LOST CHILD」(2007、企画展ギャラリーニエプス・四谷三丁目)、「LOST CHILD 2」(2008、アルバカーキ)

●写真集のご紹介
禅フォトギャラリーから、写真集『人』が刊行されました。上掲の作品も収録されています。

梁丞佑写真集『人』
2017年
禅フォトギャラリー 発行
112ページ
21.0x29.7cm
ソフトカバー

社会からはみ出した他人同士が寿町では家族のように付き合っている姿がここにある。前回の写真集『新宿迷子』同様に梁丞佑の丁寧な付き合いが彼らとの関係を築き、信頼を得た。2002年から最近までレンズを向け続けた情熱と鋭い問題意識に目を見張らされる。
―大石芳野(写真家)

神奈川県横浜市寿町。
横浜中華街から10分ほど歩いた所に存在する。
最初は話に聞いて何の気なしに訪れた。
いろんな国の言葉が聞こえ、さらに私が思っている日本像とはあまりに違う街の様子に「ここは日本ではない」と感じた。
撮りたいと強く思い、この街に通いつめるわけだが、しばらくは「ただ、見ていた」。隠し撮りをするという方法もあったのだが、それではなんだか気がとがめ、彼らと交わりたいと思った。
とりあえず、道に座って酒を飲んでみた。
彼らは私が煙草の吸殻を灰皿に捨てたら「変な奴だ」と言った。言葉も乱暴。しかし「分け合う」ことを知っていた。生活は貧しくても心は豊かであるように感じた。
こうして彼らと過ごす事3ヶ月。やっと、私に1人が聞いた。
「お前は何をやっている人間なんだ」と。
仕事もせずに日がな一日道に座っている事を、やっと奇妙に思ってくれたのだ。
満を持して私は言った。
「写真しています」と。そこから私の撮影が始まった。
ぎりぎりで、這いつくばるような、そうかと思えば、すでに全てを超え浮遊しているような、悲しさや寂しさ辛さとともに、幸せも楽しみも、悪意も善意も。
手に取るように感じられた。
「人が生きるということは…」
そう問われているように感じた。
ある日、コインランドリーの入り口で雨宿りをしていた一人の中年男性がいた。血だらけだった。「どうしたの?」と聞いたら、その男性は私の目を見て、
「だるまさんが転んだ…」とだけ繰り返した。温かいお茶を差し出したら、
「ありがとう」と言って、ただ握っていた。私がいるときには、飲まなかった。
日本には「だるまさんが転んだ」という遊びがある。
鬼が「だるまさんが転んだ」といって振り返ると、鬼に向かって近づいて来ていた人達は、動きを止める。もし動いている事がばれると、自分もまた鬼になる。
オレに構うな。
「だるまさんが転んだ」
もしかするとそういう事だったのかもしれないと今になって思う。
2017年現在、寿町は他のドヤ街と同じく以前の姿は消え、高齢化が進み、街の「境界」は曖昧になり他の街となじみつつある。

これらの写真は、2002年から2017年まで寿町で撮影したものです。
―梁丞佑
禅フォトギャラリーHPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

●今日のお勧め作品は、クリストです。
Christo_02 (2)クリスト
《包まれた木馬》
1963-2000
ドローイング、コラージュ
Image size: 20.3x20.3cm
Frame size: 35.2x35.2cm
Signed


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第55回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第55回

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この写真を見たときに、最初に目がいったのは、最前列のむかって左側の人たちだった。
腕を組んで横につながり、背筋をピンと伸ばし、片足をすっと前に出すしぐさがダンスのステップを踏んでいるように見えた。

とくにその姿が際立っているのは、中央にいる腕に腕章を巻いたコートの男である。
顎を引いて前方を見据え、胸を張り、上半身に彫像のような緊張感をみなぎらせながら足を踏み出している。となりのメガネの男と比べると、彼のほうが他者の視線を意識しており、中央に立つにふさわしい勇ましさをも感じさせる。

彼の左どなりにいるのは、女性である。スーツなのかワンピースなのか、黒っぽい服をまとい、腕には男とおなじく腕章を巻き、靴はまぶしいくらいの白だ。彼女の肩のラインにも、男と同様の張りつめたエレガンスが感じられる。

彼女が腕を組んでいるのは、前列でもっとも年若い女性である。肩にショルダーバッグをかけ、片手に傘をもった姿は颯爽としていて、大柄のからだから踏み出される足幅は大きく大胆だが、緊張感に関しては中央の男女よりも見劣りがする。どこか日常的な雰囲気なのだ。

それにつづくコートの女性は、明らかに彼女とは世代がちがう。背の低いずんぐりした体形で、歳もかなり上だが、それを感じさせるのは風貌以上に足の出し方である。膝が曲がってガニ股ふうなのだ。

同様に、彼女のとなりにいるコートと帽子姿の女性もガニ股気味。でも、おかしなことに、彼女の足は隣の女性と反対のほうが踏みだされていて、そのために足と同じ側の肩が前に出ている。なんだかふたりで二人三脚しているようだ。

このように、つい足の動きに目が行ってしまうのは、女性たちがみなスカートを履いているせいがだいぶあるだろう。パンツの時代はまだ先のこと、膝のかくれるスカート丈からあらわになった脛が、足のかたちや、出し方や、動きや、歩幅や、歩く速度を際立たせている。

腕組みをして道幅いっぱいに広がるこのようなスタイルのデモを「フランス式」という。ダンスしているように見えるのも、こんなに人がたくさんいるのに汗くさい感じがしないのも、「フランス式」と思ってみると、なんとなく納得するし、隊列の先頭をいく男が掲げる旗の「日教」の文字に気付くと、参加者に女性の数が多いことにも合点がいく。そう、彼らは日教組に入っている教職員なのだ。

道路には敷石がしかれ、都電の線路が通っていて、はるか後方には、身動きのとれなくなった車輛の頭も見える。前進する人の波が都電を押しとどめたのだ。その前進が、なによりも人の足によってなされたことを、この写真は強く訴えかけており、そこに溌剌した希望が感じられる。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
濱谷浩
“June 22, 1960” from the series “A Chronicle of Grief and Anger”
1960年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 15.9x24.0cm
Sheet size: 16.9x24.9cm
(C)Keisuke Katano / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film
*当該作品は1960年に刊行の『怒りと悲しみの記録』の入稿原稿。プリント背面に作家が押したスタンプと手書きの制作年記載あり。

■濱谷浩 Hiroshi HAMAYA
1915年東京生まれ(1999年没)。1933年、二水実用航空研究所に入所し航空写真家としてキャリアを始め、同年オリエンタル写真工業株式会社(現・サイバーグラフィックス株式会社)に就職。1937年に退職し、兄・田中雅夫と「銀工房」を設立。1938年、土門拳らと「青年写真報道研究会」の結成や、瀧口修造を中心とした「前衛写真協会」設立に参加。1939年にグラフ雑誌『グラフィック』の取材により新潟県高田市を訪れ、民俗学者・市川信次や渋沢敬三と出会う。1941年、木村伊兵衛、原弘らを擁する東方社に入社するも、43年に退社。同年、太平洋通信社の嘱託社員として日本の文化人を取材。1960年マグナムの寄稿写真家となる。主な個展に「写真家・濱谷浩展」川崎市市民ミュージアム(神奈川、1989年)、「写真の世紀 濱谷浩 写真体験66年」東京都写真美術館(1997年)など。主な写真集に『雪国』毎日新聞社刊(1956年)、『裏日本』新潮社刊(1957年)、『怒りと悲しみの記録』河出書房新社刊(1960年)など。主な受賞に第2回毎日写真賞(「裏日本」にて、1956年)、日本芸術大賞(『濱谷浩写真集成:地の貌・生の貌』にて、1981年)、ハッセルブラッド国際写真賞(1987年)など。

●展覧会のご紹介
六本木のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムで濱谷浩さんの展覧会が開催されています。上掲の作品も出品されています。

濱谷浩「怒りと悲しみの記録」
会期:2017年7月8日[土]〜8月12日[日]
会場:タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム
   〒106-0032 東京都港区六本木5-17-1 AXISビル2F
時間:11:00〜19:00
日・月・祝日休廊

濱谷は1930年代より、人間と人間を育む環境・風土の関係を透徹した眼差しで捉え、峻厳な態度で写真の記録性に向き合い、時代を映す重要なドキュメントを数多く残しました。本展では、濱谷が1960年の日米安保闘争を1ヶ月に亘り取材し上梓した『怒りと悲しみの記録』(河出書房新社、1960年)より約22点を展示いたします。

東京に生まれた濱谷浩は、モダニスムの空気が漂う1930年代に都会や下町における新旧の混沌たる市井風俗を撮影し、1933年、西欧の先進的な芸術動向を紹介したカメラ雑誌『フォトタイムス』を刊行していたオリエンタル写真工業に就職しました。グラフ・ジャーナリスムの確立や新興写真の隆盛など、近代写真表現の模索に伴い、写真家という存在も近代化へ向かっていた時代において、堀野正雄や木村専一といった新時代を象徴する写真家や編集者との出会いは、濱谷にプロフェッショナルとしての写真家の在り方を意識させる機会となりました。新進気鋭の写真家として活躍する傍ら、「前衛写真協会」の設立に携わるなど、写真の近代化の最先端に身を置いていた濱谷は、グラフ雑誌『グラフィック』の仕事で新潟県高田市の陸軍スキー連隊の冬季演習を取材した際、民俗学研究者・市川信次や民俗学資料博物館を主宰する渋沢敬三と出会い、また和辻哲郎の著作『風土:人間学的考察』に感銘を受けたことを通じ、それまで都会の華やかなものに向けられていた視線を、人間とその形成に基底的な作用を持つ風土に転じ、時代の転換の中でこれらを記録することの重要性を改めて認識するようになりました。

記録することは、人類が人類であるために絶対に切り離すことのできぬ人間的な貴重な行為なのである。そして写真こそは、その最も近代的機能をもったものであるといえる。
濱谷浩、「写真の記録性と記録写真」、『カメラアート』カメラアート社、1940年12月終刊号

1940年、新潟県・桑取谷における小正月の民俗行事を撮影する中で、雪深い越後の庶民の古典的な生活と向き合い、人々の自然に対する畏怖と調和の精神を目の当たりにした濱谷は、以降10年に亘り山間の村に通い『雪国』を発表します。その後、より広範に日本列島の気候風土、歴史的な地域社会の成立過程とその現況を確かめるべく、日本海沿岸の厳しい自然風土の中で暮らす人々を取材記録した『裏日本』の冒頭には、「人間が人間を理解するために、日本人が日本人を理解するために」という濱谷の生涯のテーマとなる言葉が記されています。

戦争へ向かう情勢の中、濱谷は東方社に入社し対外宣伝グラフ誌『FRONT』の撮影をするも、社の幹部と衝突し退社します。多くの写真家の仕事が戦時下の体制に組み込まれていく中で、濱谷は一貫して厭戦思想を貫き、1944年には新潟県高田に移り終戦を迎えました。戦後の高度経済成長の中、濱谷は1960年の日米安保闘争を市民の立場で客観的に取材、約1ヶ月間で2,600点にも及んだ記録は『怒りと悲しみの記録』として出版されました。

それまで、私は政治的な取材には縁が薄かった。だが今度は違う。五月十九日の強行採決、民主主義を崩壊に導く暴力が議事堂内部で起こった。私は戦前戦中戦後を生きてきた日本人の一人として、この危機について考慮し、この問題にカメラで対決することにした。
濱谷浩、『潜像残像:写真家の体験的回想』、河出書房新社、1971年、p.198

1960年にマグナム・フォトにアジア人として初めて参加した濱谷の写真は、広く欧米で関心を集め、「怒りと悲しみの記録」は6月25日付『パリ・マッチ』に掲載、その後マグナムを通じてイギリスの『ザ・サンデー・タイムス』でも連載され、日本では写真展が銀座・松屋を皮切りに日本全国の展示会場や大学を巡回しました。しかしながら、高まりを見せていたはずの政治意識の急速な萎靡沈滞とその後に続く擬似的な太平・繁栄の氾濫を受け、日本の政治体制や人間に対して大きな失望感を抱いた濱谷は、日本人の特異な性質との因果関係を自然に求め、「人間はいつか自然を見つめる時があっていい」とし、60年代後半より科学的な視点から自然風景の撮影へと向かいます。その後も南極やサハラ砂漠など海外の辺境へと視点を移し撮影を行なった濱谷の活動は、常に「人間と自然の課題を自身の目で探る」ことに根ざし、そのヴィジョンは写真が社会とどのように関わりうるかを問い続けています。
協力:Marc Feustel(Studio Equis)
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムHPより転載)

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第54回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第54回

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男がいて、その背中に、張りつくように女がいる。
男の視線は前方に向けられ、女はその男の肩に顎をのせているが、視線はどこも見ていない。

ふたりの視線が一致していないのは、なぜか。
こんなに接近し、からだをくっつけ合っているのに、心はおなじ場所にいないように感じられるは、どうしてか。

この男女がバイクに相乗りしている、ということを、わたしはあらかじめ知っている。
その事実を下敷きにして見ると、視線のちがいはなんとなく了解できてしまう。
バイクに乗せてもらっているときって、たしかにこんなふうだな、と。

それを知らなかったら、写真の見え方はどう変わるだろう。
つまり、この写真一点を、なんの説明もなく見せられたら、どういう場面が思い浮かんでくるだろうか。

直立している男を、女がうしろから抱きすくめた、というシーンは、あり得ないことはないだろう。
男が嫌がるのを半分承知で、女はそれをする。
だいぶ前からふたりの関係はぎくしゃくしている。
男はもはや女の存在が面倒なのだ。
どうやったらうまく別れられるだろう、と思いながら、張りついている女の重みを感じている。
うっとうしいが、跳ね返すだけの度胸は彼にはまだない。

女は彼のそうした心の動きを察していて、もう、だめかも、と思いながら、身が離れるまでにまだ時間が要るように思えて、くっつかずにはいられない。そして接しているあいだだけ、もしかしたら状況は好転するかもしれない、という期待に浸っている。

ひるがえって、ふたりがバイクに乗って走っているとすると、どうだろう。
バイクでは体をくっつけないと走行ができない。スピードを出すのに二体を一体にする。
というか、速度があがると、自然に体がそうなってくる。
親しくない人に乗せてもらってもそうで、顔は見えないのに、一体感だけはやけに強い。

いや、そうではなく、顔が見えないゆえに高まる、と言うべきではないか。
見えないと、体は実にすんなりとその状況を受け入れる。
そしていったん受け入れると、単純にも上がっていくスピードに体を任せ切る快感に酔っていくのだ。

もっとも、これは後ろに乗せられている女の感覚である。
ハンドルを握る男はどうかといえば、前方を注視している。
注視しつつも、背中に伝わってくる女の胸の膨らみと熱に、彼女を背負っているようなヒロイックな気分がわきあがってくる。
女がどんな表情をしているかはわからずとも、背中に感じる重みが信頼の証のように思えて、気分が高揚するのだ。

顔は見えないのに、体が異常に接近し、接近した体がおなじ方向をむいていて、前方にむかって送りこまれていくこと。
こんな奇妙な事態は、バイクの相乗りでしか思いつかない。
見えないことが、見えているとき以上に、一体化を加速する。
盲目の愛、といういう言い方があるが、視覚が遮断された状況で肌を晒して移動するとき、心は肉体の原理にむかって一気に走って行き、いつも考えているのとはちがう<愛>の形に近づいていく。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
志賀理江子
「Blind」
2009年撮影(2017年プリント)
ゼラチンシルバープリント、木製パネル
Image size: 120.0x180.0cm
Sheet size: 123.0x183.0cm
サイン無し
エディション未定

■志賀理江子 Lieko SHIGA(1980-)
1980 愛知県生まれ
1999-2004 ロンドン芸術大学 チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン
2007-2008 文化庁在外派遣研修(ロンドン)
現在、宮城県在住

主な個展:
2012 「志賀理江子 螺旋海岸」せんだいメディアテーク、仙台
2011 「カナリア門」ギャラリー・プリスカ・パスカー、ケルン 「カナリア門 志賀理江子写真展」三菱地所アルティアム、福岡
2008 「座礁の記録」フォトギャラリエット、オスロ
2006 「リリー」ニューク・ギャラリー、パリ
2005 「リリー」グラフメディアジーエム、大阪
2003 「明日の朝、ジャックが私を見た。」グラフメディアジーエム、大阪/アップリンク・ギャラリー、東京
2001 「浮遊する出来事」グラフギャラリー、大阪

受賞歴:
2008 木村伊兵衛写真賞受賞【写真集『Lilly』『CANARY』(共に2007年)】

●展覧会のご紹介
「志賀理江子 ブラインドデート」
会期:2017年6月10日[土]〜9月3日[日]
会場:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで) 会期中無休

写真を通して自身と社会が交差する接点に生じる「イメージ」の探求を続ける志賀理江子。1980年に愛知県に生まれ、2008年から宮城県に拠点を移し制作活動を行っています。本展では、2009年にバンコクの恋人たちを撮影したシリーズ「ブラインドデート」を始まりとして、「弔い」「人間の始まり」「大きな資本」「死」などをめぐる考察と物語が綴られていきます。出品作品は、写真プリントの他に約20台のスライドプロジェクターによってインスタレーションを構成。会場に置かれたプロジェクターの点滅は、生、暗闇と光、この世界に相反しながら同時に存在するものごとの隠喩でもあります。私たちの肉眼で見えぬものは何か。その領域をこそ写し出す写真というメディアに懸ける志賀は、出来うる限りの正直さで社会をまなざしながら、人間の生から離れない写真の空間を立ち上げます。(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館HPより転載)

●今日のお勧め作品はパウル・クレーです。
DSCF3756_600パウル・クレー Paul Klee
"Three Heads"

1919年
リトグラフ
イメージサイズ:12.1×14.8cm
シートサイズ:19.7×23.4cm
版上サイン

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◆ホームページのWEB展を更新しました。2017年1月〜6月までの青山時代の企画展・アートフェア出展の記録をまとめました。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
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駒込開店6日前
20170630_お祭り_8ダンボール箱との格闘もようやく終結に近づいた6月30日、直ぐ近くの駒込富士神社のお祭りに行ってきました。

20170630_お祭り_1毎年6月30日・7月1日の大祭(山開き)には露天商が多数出店、いやにぎやかです。

20170630_お祭り_6子どもさんがこんなにいるなんて!!。
今日は土曜日なので人出も多いらしい。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

世界初の間取り小説集・大竹昭子『間取りと妄想』

『間取りと妄想』著者からのメッセージ

大竹昭子


 間取り図をつくり、そこから13の短篇を書く、とまさに『間取りと妄想』というタイトルのどおりの短編集です。
 ちいさいときから間取りを見たり、描いたり、街を歩きながら家のなかを想像したり、知り合いの住まいを見せてもらったりするのが大好きで、だから子供のときの夢は「建築家!」でしたが、算数ができないとダメだとわかってあえなく断念しました。
 その無念な思いを晴らしたいという気持ちがどこかにあったのか、間取りの物語はいつか書いてみたいと思うテーマのひとつでした。
 「マドリスト」なんて言葉もあるくらい、世間には私のような間取り好きは多いようです。しかもその楽しみは間取りからいろんなことを妄想するとことにあることが、「間取り」と「妄想」と入れてインターネットで検索すると驚くほどたくさんヒットすることからわかります。
 もしかしてこれは日本的な傾向かもしれない、とふと思い当たりました。狭い住環境のもとでは奇想天外な間取りが生まれ、またその内部が外観からは想像がつかないことが多いです。同じように、わたしたちの行動も内と外という概念にしばられており、表情や態度や体形など人の外側にあらわれているものが、内部で考えたり感じたりしていることとちぐはぐなことがよくあります。つまり、間取りは人間の内面、人体の内側、意識世界、見えない領域などのアレゴリーでもあるわけです。
 間取りが示唆するこうした要素をあたまのなかでころがしながら、13の物語をつむいでみました。
おおたけ あきこ

20170616大竹昭子大竹昭子
『間取りと妄想』

2017年
亜紀書房 発行
203ページ
18.8x13.0cm
税別1,400円


目次:
・船の舳先にいるような
・隣人
・四角い窓はない
・仕込み部屋
・ふたごの家
・カウンターは偉大
・どちらのドアが先?
・浴室と柿の木
・巻貝
・家のなかに町がある
・カメラのように
・月を吸う
・夢に見ました

“世界初”の間取り小説集!
まず家の間取りを決め、次にそこで展開される物語を書いたのは大竹さんが世界初だろう、たぶん。13の間取りと13の物語。
藤森照信氏(建築家・建築史家)

家の間取りは、心身の間取りに似ている。思わぬ通路があり、隠された部屋があり、不意に視界のひらける場所がある。空間を伸縮させるのは、身近な他者と過ごした時間の積み重ねだ。その時間が、ここではむしろ流れを絶つかのように、静かに点描されている。
堀江敏幸氏(作家)

川を渡る船のような家。海を見るための部屋。扉が二つある玄関。そっくりの双子が住む、左右対称の家。わくわくするような架空の間取りから、リアルで妖しい物語が立ちのぼる。間取りって、なんて色っぽいんでしょう。
岸本佐知子氏(翻訳家)
(本書帯より転載)

大竹昭子 Akiko OTAKE(1950-)
1950年東京都生まれ。上智大学文学部卒。作家。1979年から81年までニューヨークに滞在し、執筆活動に入る。『眼の狩人』(新潮社、ちくま文庫)では戦後の代表的な写真家たちの肖像を強靭な筆力で描き絶賛される。都市に息づくストーリーを現実/非現実を超えたタッチで描きあげる。自らも写真を撮るが、小説、エッセイ、朗読、批評、ルポルタージュなど、特定のジャンルを軽々と飛び越えていく、その言葉のフットワークが多くの人をひきつけている。現在、トークと朗読の会「カタリココ」を多彩なゲストを招いて開催中。
主な著書:『アスファルトの犬』(住まいの図書館出版局)、『図鑑少年』(小学館)、『きみのいる生活』(文藝春秋)、『この写真がすごい2008』(朝日出版社)、『ソキョートーキョー[鼠京東京]』(ポプラ社)、『彼らが写真を手にした切実さを』(平凡社)、『日和下駄とスニーカー―東京今昔凸凹散歩』(洋泉社)、『NY1980』(赤々舎)など多数。

●今日のお勧め作品は、大竹昭子です。
20170616_otake_12_parking大竹昭子
"parking"
1980-82年撮影
(2012年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:47.0x31.6cm
シートサイズ:50.8x41.0cm
Ed.10
サインあり


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大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第53回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第53回

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(画像をクリックすると拡大します)写真集『Untitled』(2017年、roshin books)から複写

子どもの眼はマークによく反応する。
絵本を出している出版社のマーク、運動靴についてるメーカーのマーク、デパートのマーク、製菓会社のマークなど、身のまわりにあるマークを意味もなくじっと見つめ、記憶する。
そのイメージは、文字よりもずっと奥深いところに納まるのかもしれない。

そして、おとなになったある日、そのマークがいきなり目の前に出現し、これを知っている!という感覚が体のなかで破裂する。
とはいうものの、そのマークのなにを知っているわけではない。
ただこの形に覚えがあるという驚きにとらえられ、動けなくなるのだ。

この写真を見たときが、まさにそうだった。
壁に描かれた左のマークに、あっ、と声にならない声をあげた。
こういうマークがたしかにあった。ガソリンスタンドを通りかかると、ふいに目に飛び込んできて心がわしづかみにされたのだった。
あれは何だろう、と考えだすともうだめで、イメージが勝手に動きだしてしまう。
丸い部分があたまで、長い曲がったものは手足で、喉のところに付いている短いのもあわせるとぜんぶで6本。脚の数があわないにもかかわらず、いったん蜘蛛だと思うと、そうとしか思えなく、蜘蛛とガソリンがどうつながるのだろう、とつぎなる疑問が浮かんだのだった。

当時のガソリンスタンドはまっ白である。
白は未来を象徴する色で(だから冷蔵庫も、洗濯機も白以外はありえなかった)、ガソリンスタンドは街のなかでまぶしく輝き、晴れている日にその前通ると、思わず目をつむってしまうほどだった。
早く車やバイクを持てる身になって、エンジンを鳴り響かせてあの場所に乗りつけたい。
そんな羨望をそそるに充分な輝きをガソリンスタンドは放っていたのである。

写真のガソリンスタンドも、ペンキのなかにどっぷり浸けたようにぜんぶ白い。
しかも給油機の影から判断するに、時間は正午に近く、太陽は真上から直射している。
まぶしさは頂点に達しているはずだ。
その炎天下の道を、丸い竹籠をさげた老婆が杖をつきながら歩いてきた。
腰が曲がり、上半身は直角に前に突き出し、杖はもう一本の脚になっている。
もんぺの裾は地下足袋のなかにたくしこまれ、腿からつま先までがひとつづきになった姿は、もぞもぞと動く黒い虫のようだ。

一歩また一歩と脚を前に出して虫のように歩く彼女の目に、ガソリンスタンドの姿は映ってはいない。
クルマには縁のない暮らしで、車輪のついたものは、乳母車とリヤカーしかつき合ってこなかったのだ。
力を入れて押したり引っ張たりしなくても動くなんてものは危険で疑わしい、そう思っているにちがいないのだ。

画面の左手には、わずかにリヤカーがのぞいている。
これは老婆と関係あるのか、ないのか。
どちらにせよ、彼女がリヤカーのある場所からスタンドの前を通って、ここまで歩いてきたのはまちがいなく、そこを間もなく通りすぎるというときに、カメラのシャッターがおりたのだった。

このタイミングは偶然ではないだろう。
腰を折って進む老婆の異様な姿と、すぐ上にある例のマークとを、カメラマンの率直な目は重ねて見ずにはいられなかったのだ。
ふたつが交わった瞬間、奇妙奇天烈な凄みが放たれ、白一色の空間は非日常の世界に引っばり込まれ、白昼夢とひとつになった。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●写真集のご紹介
東京をベースに活動する写真専門の出版レーベルroshin booksさんから、柳沢信写真集『Untitled』が刊行されました。
上掲の作品も収録されています。

柳沢信写真集『Untitled』
2017年
roshin books 発行
96ページ
25.6x25.6cm
限定1,000部

roshin booksでは7冊目の写真集として柳沢信(1936 - 2008)の写真集を出版いたします。柳沢は1958年にミノルタの広報誌「ロッコール」において「題名のない青春」という作品で華々しいデビューを飾りました。その後の1961年から2年間は病気のために療養しますが、再び精力的にカメラ雑誌を中心に活動しました。
復帰後の柳沢の視線は日本の各地へと向けられます。氏はデビュー当時から一貫して「写真に言葉はいらない」と言い続けました。被写体、撮影者の感情、それらを言葉で説明する必要もないほどに見つめられ研ぎ澄まされた世界、それがまさしく写真ではないかと。
柳沢信の生前の個展数は4回(グループ展などの出展は除く)、写真集は3冊とその活動時間の割には極めて少数であります。周囲の流行などにとらわれず、自らのペースで眼球に写る世界をフィルムに刻んでいきました。70年代初期には当時カメラ毎日の編集長で天皇とまで呼ばれていた山岸章二からの写真集の出版要請を断ったというエピソードもあります。
1990年に出版された「柳沢信・写真」から27年の月日が経ちました。既に過去の写真集は絶版となり、今ではそれらに触れる機会がありません。柳沢が写した「写真」という言葉以上他にいいようもない圧倒的な世界が再びこの時代に甦ります。60年代から70年代の旅の写真を中心に大田通貫が編集しました。作品はもちろん印刷、装丁、一つの作品として堪能してください。2017年に生まれる歴史的な1冊です。(roshin books HPより転載)

柳沢信 Shin YANAGISAWA(1936-2008)
1936年東京墨田区向島生まれ。1957年東京写真短期大学技術科卒業。桑沢デザイン研究所に入学するが、8月に中退し、以後、フリーとなる。1958年『ロッコール』に「題名のない青春」が掲載され、注目を集めるが、1961年結核と診断され、2年間の療養を余儀なくされる。1967年「二つの町の対話」「竜飛」により日本写真批評家協会新人賞を受賞。翌年、ニコンサロン(東京)で受賞記念展。写真誌を中心に精力的に作品を発表する。1993年イタリア旅行。帰国後、喉頭癌、食道癌が見つかり手術。声を失うとともに、息を止めることができなくなり、シャッターを切れなくなる。2008年6月2日死去。享年71。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第52回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第52回

04
(画像をクリックすると拡大します)

止まると翅を閉じるのが蝶、開いたままなのが蛾、という見分け方は果たして正しいだろうか。

ちょっと胡散臭い気もするが、子どものころはそうやって見分けたものである。目の前をひらひらと舞っている蝶か蛾かわからぬものが、どこかに降りた瞬間、翅を閉じているか開いているかに注目する。
蝶だとうれしく、蛾だとがっかりさせられた。
明らかに蝶のほうがランクが上だった。

その見分け方に従えば、写真に写っているのは、蝶である。
翅が閉じている。前脚をちょんと付き、触覚をピンと上げている。

触覚を動かす音が聞こえそうなほど、静かな写真である。
蝶のほかにだれもいない。見ているものの息をひそませるほどの静寂が支配している。
ふと蝶のしたに影があるのに気付く。
体をどけたら何の影なのかわからないような奇妙なかたちの影が、孤独を感じさせる。

蝶には儚く、か弱いイメージがある。
薄い翅、もげそうな脚、翅の動きを支えるには小さすぎる胴体。
この蝶も、よく見ると翅の端が破れている。鱗粉もはげ落ちて模様も鮮明ではないだろう。
生まれ立てではなく、寿命が尽きる手前の蝶なのだ。

それにしても、この蝶はどういう場所にいるのか。
背景の黒いものは何なのか。
いったいどのくらいの大きさの蝶なのか。

これらの疑問を解く手がかりを、写真は一切与えてくれない。
状況については黙秘するつもりなのだ。
告げたいことはただひとつ。
蝶がたったいま舞い降り立った、とそれだけなのである。

とても広い場所のような印象を受ける。
前脚の前にぼんやりと浮かぶ縦線が奥行きをもたらし、遠い地平線を望んでいるような感覚にもなる。

広大無縁な土地を、なにも頼るものなく進んでいく蝶。
強さや逞しさとは無縁の、いのちの囁きのようなもの。
触覚と前脚のシルエットに生きている瞬間が凝縮されている。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
植田正治
1970年代〜80年代前半
ゼラチンシルバープリント、木製パネル
Image size: 40.6x28.0cm
Sheet size: 53.2x42.9cm

5月13日(土)〜5月27日(土)までときの忘れもので開催する「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」に出品します。

植田正治 Shoji UEDA(1913-2000)
1913年、鳥取県生まれ。15歳頃から写真に夢中になる。1932年上京、オリエンタル写真学校に学ぶ。第8期生として卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。この頃より、写真雑誌や展覧会に次々と入選、特に群像演出写真が注目される。1937年石津良介の呼びかけで「中国写真家集団」の創立に参加。1949年山陰の空・地平線・砂浜などを背景に、被写体をオブジェのように配置した演出写真は、植田調(Ueda-cho)と呼ばれ世界中で高い評価を得る。1950年写真家集団エタン派を結成。
1954年第2回二科賞受賞。1958年ニューヨーク近代美術館出展。1975年第25回日本写真協会賞年度賞受賞。1978年文化庁創設10周年記念功労者表彰を受ける。1989年第39回日本写真協会功労賞受賞。1996年鳥取県岸本町に植田正治写真美術館開館。1996年フランス共和国の芸術文化勲章を授与される。2000年歿(享年88)。2005〜2008年ヨーロッパで大規模な回顧展が巡回、近年さらに評価が高まっている。

◆ときの忘れものは「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催します。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
未発表のカラー写真を含めた約15点をご覧いただきます。
●イベントのご案内
5月13日(土)17時より、写真史家の金子隆一さんによるギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第51回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第51回

兒女と静物 1932_1500
(画像をクリックすると拡大します)

幼女が足を投げ出して床にぺたんと座っている。
両腿の上にのせているのは、何だろう。
かぼちゃにしては光りすぎだし、りんごにしては平たいがー。
足元にはフットボール型のものがあって、そのすぐ上には輪切りになったすいかがある、と書いて不安になった。すいかにしては種が大きすぎないか。
たぶんそうではなくて、瓜科の何かだろう。

果実のほかには水差しがあり、扇風機も半分見えている。
これらは少女に選ばれたのではなく、撮影者が持ってきて配置したのだろう。
少女はただ連れてこられて、言われたままにぺたんと座り、持ちなさい、と言われたものを抱えたのだ。
レンズを見あげる両目は、なぜ?と問うている。
なぜ、わたしは、これをしているの?

でも、撮っている人にその問いをむけても、答えられないだろう。
これらのモチーフは無意識の働きが誂え、並べてみた結果、合うとわかったのだ。
そこには共通項がある。どれもが丸い。直線をもつものが何一つ入っていないのである。

丸みは、柔らかさにつながる。
丸いのに堅い材質のものもあるが、曲線で構成されたものが視覚に訴えるのは、柔らかさであり、素材がわからなければ丸みから柔らかいものを自動的に想像するように、わたしたちの頭は出来ている。

また、丸さには生まれたての印象がある。直線の形をしてこの世に出てくるものはない。生まれいずるものはすべて、出てきやすいように、丸みを帯びた形状をしている。

この少女も同じだ。この世に生きてさほど時間が経っていないことを証拠づけるように、顔も、眼も、鼻も、口も、腕も、爪も、足の指も、丸っこい。そうでないところは見つからないほど、どこもかしこも丸みを帯びて、柔らかい。

でも、少女の丸さと柔らかさを表現するために、写真家は丸いものを集めたわけではないだろう。きっと、少女の雰囲気に合いそうなものを揃えたら、丸いものばかりになったのだ。
ここに絵本とかクレヨンとかを加えると、雰囲気ががらっと変わることからもそれがわかる。直線で構成されたものは、この写真の空気を壊してしまう。意志的で人工的な気配が、生まれたての感じを遠ざけてしまうのだ。

丸いものはみな生命感を孕んでいて、まだ固まっていない、生まれたての状態へと見る者の心を誘う。この写真では扇風機さえもが、それが生み出す風を感じさせるのに驚く。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
塩谷定好
「児女と静物」
1932年
ゼラチンシルバープリント
23.9×22.9cm
サインあり
島根県立美術館寄託

■塩谷定好 Teikoh SHIOTANI(1899-1988)
鳥取県赤碕町(現・琴浦町赤碕)の廻船問屋に生まれる。本名は定好(さだよし)。小学校の頃から写真に親しみ、1919(大正8)年、赤碕に「ベスト倶楽部」を創設する。1924(大正13)年以降『藝術寫眞研究』『カメラ』『アサヒカメラ』『フォトタイムス』などの写真雑誌の月例懸賞に入選を続けた。1925(大正14)年、島根半島多古鼻の沖泊を撮影した《漁村》で、『アサヒカメラ』創刊号の月例懸賞第1位に選ばれる。1928(昭和3)年、日本光画協会会員となる。1930年『藝術寫眞研究』誌上に《三人の小坊主》が発表され、その深遠な表現は多くの写真家たちに感銘を与える。1982年ドイツでフォトキナ栄誉賞を、1983年日本写真協会功労賞を受賞。『塩谷定好名作集 1923-1973』(1975)、『海鳴りの風景―塩谷定好写真集』(1984)が刊行された。大正末から昭和初期の芸術写真が隆盛した時期に、一世を風靡した単玉レンズつきカメラ「ヴェスト・ポケット・コダック」(通称ヴェス単)を愛用し、「ヴェス単フードはずし」と称された軟調描写で山陰の風物を生涯に
わたって写した。日本の芸術写真を代表する写真家のひとりとして、高い評価を得ている。2014年、生家が塩谷定好写真記念館として開館した(琴浦町赤碕)。

●展覧会のご案内
島根県立美術館で塩谷定好さんの写真展「愛しきものへ 塩谷定好 1899-1988」が開催されています。

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「愛しきものへ 塩谷定好 1899-1988」
会期:2017年3月6日[月]〜5月8日[月]
会場:島根県立美術館
時間:10:00〜日没後30分(展示室への入場は日没時刻まで)
休館:火曜 ※ただし5月2日(火)は開館

「自然の心を私の心に重ねる」ように、山陰の風物を生涯写し続けた塩谷定好(1899-1988)。大正末から昭和初期に隆盛した絵画主義の写真「芸術写真」を代表する写真家です。
 19世紀末から20世紀初頭にかけて欧米で隆盛したピクトリアリスム(絵画主義)は、日本で独自の発展を遂げ、豊かな成果をもたらしました。塩谷は、洋画壇の前衛的な作風を取り入れた「日本光画協会」に属し、「ヴェス単」の愛称で知られる小型カメラを愛用し、独特の白の滲みに味わいのある軟調描写で、眼前の日本海や山里などの身近な自然とそこに暮らす人々を写し出しました。印画にメディウムを塗り、油絵具や蝋燭の油煙で仕上げる手法を用いた塩谷作品の深い味わいは、多くの写真家たちの胸を打ち、写真雑誌に次々と掲載されて全国に名を馳せたのです。写真に対するその真摯な態度は、いくつもの神話を生み、写真の道に進んだばかりの植田正治にとって、まさに神様のような存在でした。
 しかし、昭和10年頃から「新興写真」の名のもとにカメラの精緻な描写力をストレートに用いたモダン・フォトグラフィが一世を風靡すると、芸術写真は否定され、戦後のリアリズムなどの新たな潮流のなかで埋もれていったのです。多様な写真表現が展開される現在、芸術写真を再評価する機運が高まるなか、写真家・塩谷定好は、稀有の存在として再び注目されています。80年もの間大切に保存され、日の目を見ることのなかった貴重なコレクション約400点(作品約300点、資料約100点)によって、戦前の作品を中心に塩谷定好の全貌を公開します。
(島根県立美術館HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第50回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第50回

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(画像をクリックすると拡大します)

大きな岩がごろごろし、ちょっとおどろおどろしい感じのする場所である。
草木が一切生えていないことも、そうした印象を助長しているのだろう。
生き物が育つのに欠かせない潤いが途絶えた土地なのだ。

そんな荒涼とした風景に、唯一見いだせる生き物が、ふたりの人間である。
ふたりはござを敷いた上に腹ばいになり、裸足の足をハの字に開いていて寝そべっている。体つきからすると女性のようで、そばには脱いだ履物とわずかな荷物が置かれている。

ふたりのいる場所には石囲いができている。
ほかと区切するために造られたのだろうが、何を区別するためなのかはわからない。囲いの外側は道である。そこを隔てるようにして石が置かれているが、両者のちがいとして気付くのは、道よりも囲いの中のほうが地面の色が明るいことだ。

囲いには大きな石も混じっている。造るのは結構な労力がいったと思う。だれがやったのか。このふたりでないことは確かだろう。
つまり、積んだのはほかの人たちだが、そこが囲まれている意味をふたりは知っていて、他のところではなくて囲いの中を選んだのだ。

渓流のそばにある露店の天然温泉の光景に、ちょっと似ているような気がする。温泉の成分を岩で堰止めるように、この囲みの内側に何か見えないものが溜まっている。

湯の入っていない温泉みたいだなと思って見ているうちに、ふたりの頭上のあたりに視線が停止した。そこに気になるものを見つけたのだ。斜面から岩が飛び出している。ほかの岩とちがって表面がごつごつしてなくて滑らかで、地中から彫り出したように形がはっきりしているのである。

岡本太郎の太陽の塔の上にのっているような、デフォルメされた顔がそこから浮かび上がってくる。ふたつの大きな目玉とへの字口。見えないパワーが放たれているようだ。

この場所の核心は、実はその岩にあるのではないか。ふたりの人間はただそこに寝転がっているのではなく、その岩が発するパワーをあがめて五体投地しているのではないか。

だれかが、あるとき、この岩にパワーを感じて囲いをつくった。この場の力を守護するための結界を張ったのだ。

標しが付けらたことで、パワーの存在がわかりやすくなる。超能力の持ち主でなくても目で見てここだと認識できる。
噂が広まり、人々がやってくる。
人の祈ったり拝んだりする場所は、こうやって出来ていくのだ。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
山縣勉
「涅槃の谷」
2014年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 20.8x31.8cm
Sheet size: 27.9x35.6cm
裏面にサインあり

■山縣勉 Tsutomu YAMAGATA
写真家。1966年東京生まれ 東京都在住。
1988年 慶應義塾大学法学部法律学科卒 卒業後エネルギー企業に勤務
2004年 退社後、海外放浪。その後創作活動に入る。
2007年 フリーランス写真家になる
2013年 Photolucida Critical mass TOP 50

主な個展:
2014年 Dried-up Paris and Amsterdam, ALBA GALLERY (北京)
2013年 THIRTEEN ORPHANS, Colorado Photographic Arts Center (コロラド)
2012年 Double-dealing, ALBA GALLERY (北京)
2012年 国士無双, ZEN FOTO GALLERY (東京)
2011年 国士無双, ZEN FOTO GALLERY (北京)

主な出版物:
2015年 写真集 涅槃の谷 2015 (ZEN FOTO GALLERY)
2012年 写真集 国士無双 (ZEN FOTO GALLERY)
2011年 私家版写真集 Bulgarian Rose

●写真集のご案内
六本木のZEN FOTO GALLERYから、山縣勉さんの写真集『涅槃の谷』が出版されました。

写真集山縣勉写真集『涅槃の谷』
2016年
ZEN FOTO GALLERY 発行
108ページ
25.6x19.5cm
ハードカバー
限定700部
価格5,000円(税別)
ご注文、お問い合わせはZEN FOTO GALLERYへお願いします。


親が私を産んだ歳よりずっといってから子どもが産まれた。私の二世だ。同じころ、年老いた父が癌にかかった。その治療方法を調べるうちに、癌に冒された人が集うという東北の谷のことを知った。山に埋まった岩から強力な放射線が飛び出し、川は沸騰して流れている。モウモウと湧き上がる煙の切れ間から、山を中心に人が点々と横たわっているのが見える。その光景を初めて見たときに私は涅槃図を思い出した。寝そべる仏陀を中心に十名の高弟たちが思い思いの格好で過ごす絵は、煩悩が消え去って悟りが完成された最終境地を表すという。
すべてが剥がれ落ちた人たちから苦悩や焦りは感じられない。性別さえ薄らいで、安寧な世界への準備と循環する生への期待を思わせる。一段上に形なく存在しているかのようなこの場所に私は通いはじめた。徘徊し、ゴツゴツした岩に座ってゆっくりと息を整え、父や幼い息子のことを考える。
― 山縣勉、あとがきより
(ZEN FOTO GALLERYのHPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第49回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第49回

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(画像をクリックすると拡大します)

一瞬、海かと思った。
でも、よく見れば川である。しかも、かなりの急流だ。

海だと思いちがいしたのは、少年たちの姿のせいかもしれない。
ふんどしを着けている。その姿が川に結びつかなかったのである。
漁師たちが釣った魚をぶらさげて行進している青木繁の「海の幸」の影響からか、ふんどしを見れば荒々しい海が思い浮かぶという脳になってしまったのだ。

ふんどしを着けた姿は、臀部のかたちをあらわにする。丸っこかったり、平たかったり、キュッと締まっていたり、たれさがっていたりという形状がつまびらかになり、のみならず、お尻から脚に肉がなめらかにつながっている様子がわかる。脚部と胴体という区分が消えて、ひとつづきの生きもののようなイメージが立ち上る。

ためしに、頭のなかで少年たちのふんどしを解いて海水パンツに穿きかえさせてみよう。俊敏な肉体の動きやぴちぴちと飛び跳ねるようなイキのよさは殺され、呆気ないほどふつうの子どもになるにちがいないのだ。パンツは脚の位置を際立たせ、結果として全身の流れを断ち切ってしまう。西洋の服装には体を解剖的に考えるという成り立ちがあるのかもしれない。

ひるがえって、ふんどしには体の動きを流体のように見せる効果がある。全裸にヒモをかけただけなのに、目的意識が宿る。動物と互角にやりあおうとする人間の生きものとしての覚悟が出るのだ。

彼らは手に竹槍をもって水しぶきのあがる流れを覗きこんでいる。魚を見つけたらただちに槍で突こうというわけだ。この激しい流れにのって泳いでいるのだから、川魚の速度は相当なものだ。しかも、しぶきに遮られて魚影が見にくい。

だが、抜群の動体視力をもった彼らの肉体は自信に満ちている。大きく広げた両腕や四股を踏むように踏ん張った両脚に、挑戦の意気込みがほとばしりでている。魚の動きに合わせて体勢を整え、流れを凝視するうちに、彼らもまた魚になっていくのだ。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
土門拳
「鮎突く子ら 静岡県伊豆」
1936年撮影(1978-79年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 29.1x20.1cm
Sheet size: 40.0x34.5cm
サインあり

■土門拳 Ken DOMON
写真家。1909年山形県酒田市に生まれる。リアリズム写真を確立した写真界の巨匠。報道写真の鬼と呼ばれた時代もあり、その名は世界的に知られている。  ライフワークであった「古寺巡礼」は土門の最高傑作とされ、「室生寺」「ヒロシマ」「築豊のこどもたち」「古窯遍歴」「日本名匠伝」ほか数多くの作品をのこし、いずれも不朽の名作群として名高い。
土門拳の芸術は、日本の美、日本人の心を写し切ったところにあるといわれ、その業績に対する評価はきわめて高く、1943年に第1回アルス写真文化賞を受けたのをはじめ、多数の受賞に輝き、1974年に紫綬褒章、1980年に勲四等旭日小綬章を受けた。1974年酒田市名誉市民となる。1990年、歿。

●展覧会のご案内
東京工芸大学 写大ギャラリーで、「土門拳の原点 1935-1945」が開催されています。

「土門拳の原点 1935-1945」
会期:2017年1月23日[月]―2017年3月24日[金]
会場:東京工芸大学 写大ギャラリー
時間:10:00〜20:00
会期中無休

1935年から1945年は、土門拳が、「報道写真」の理念をドイツから日本に持ち帰った名取洋之助(1910−1962)の主宰する日本工房に採用され、後に外務省の外郭団体である国際文化振興会の嘱託や、内閣調査研究動員本部への所属などを経て終戦を迎え、フリーランスの写真家として活動を開始するまでの期間にあたります。

日本工房へ入社した土門は、当初は明治神宮での七五三スナップ、早稲田大学、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の卒業アルバムなどの撮影を担当していましたが、1936年に取材で訪れた伊豆での写真が、対外宣伝のためのグラフ誌『NIPPON』8月号に掲載され、これが土門の写真が初めて仕事として雑誌に掲載されたものになります。
土門は1939年に日本工房を退社し、外務省の外郭団体 国際文化振興会の嘱託となります。(1943年に辞職)1945年には内閣調査研究動員本部に参事として所属しますが、敗戦により完全にフリーランスの写真家として活動を始めることになります。
この時期の土門の作品群は、戦後の代表作となる「ヒロシマ」や「筑豊のこどもたち」、あるいは「風貌」「古寺巡礼」などに通ずる確かな視線の礎石となっていると言えます。
本展は、土門の初期作品群を概観しながら、被写体や世相を見つめる土門の視点や思想、そして、戦後の作品へとつながる土門の確固たる美意識を、改めて見直す機会になればと存じます。(東京工芸大学写大ギャラリーHPより転載)

本日の瑛九情報!
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瑛九は早い時期から抽象的作品を制作したことは今回の近美に展示されている素描類からもうかがわれます。
今日ご紹介するのは久保貞次郎旧蔵の最初期の作品です。
瑛九「作品-B」
瑛九「作品ーB(アート作品・青)」
1935年 油彩(ボード)
29.0×24.0cm(F3号)
※山田光春『私家版・瑛九油絵作品写真集』(1977年刊)No.19、
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第48回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第48回

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(画像をクリックすると拡大します)

要素の多い写真、という言い方がある。目に留まるものがたくさんあり、それらが強弱なく画面のなかに散在している、というニュアンスである。この写真も、写っているのはふたりだが、彼女たちの体にいろいろなものが付着し、まさしく「要素の多い写真」となっている。その数多い要素のなかでまず目がいったのは、彼女たちの顔だった。右側の女の子を見て、つぎに左の子に視線を移す。二度目のときも、三度目のときもこの順番は変わらず、まず顔、それから身につけているグッズ、なのだった。

首にかけている長いチェーンや口を開けたカエルのマスコット、手首にはめたブレスレットや輪っかやコード状のもの、指にはまっている星形の指輪やパンダの人形など、ふだんあまり見かけないものに引き寄せられる。何色かは考えず、質感だけを想像しながら見入る。付けている点数が多い割には重そうではない。大方がプラスチック製なのだろう。

生まれ落ちたときは裸で、この世にいる時間が長じるにつれて身につけるものが増す。服、靴下、靴、帽子、メガネ、バッグ、アクセサリー、メイクアップ、かつら……と増えていき、ピークをすぎるとその数が減って下降線をたどる、というのが人の一生だとすると、この少女たちはいまピークのまっただ中にある。これ以上身につけるアイテムはあるだろうかと思うほど、ありとあらゆるもので身を覆いつくしている。

いや、考えたらもうひとつあるではないか。顔にお面を付けるのだ。ピカチューとか、キティーちゃんとか、ゾンビとか、ドンキホーテに行けばいくらでも売っているだろう。だが、それを顔に被るという選択肢は彼女たちにはないらしい。それをしたら顔が見えなくなる。これはわたしです、というアピールが半減しては意味がない。

右側の女の子は口を半開きにし、もの言いたげな表情で左の子を見ている。かたや、見られているほうの子はアイラッシュをつけた両目を空にむけ、カルピスソーダを飲んでいる。ふたりの頬には星が飛んでいて、シールすらも身を飾るアイテム化している。右の少女の顎のところに水玉模様のものがある。これは何だろう、と考えるうちに、マスクだとわかった。それを顎にひっか掛けているのだ。ナルホド、口にかぶせるのは顔が隠れるからNGなのだ。

水玉模様と左の子のドリンクとのあいだに、なにか関連性があるような気がして考えているうちに、はたと思い付いた。濃縮カルピスが出回っていたころ、そのボトルはクレープ状の包装紙に包まれていた。その紙の模様が水玉模様だったのである。甘ったるい白い液体がドリンクの王様だった頃のことは、彼女たちは知るよしもないけれど、一瞬、そのイメージが瞼の奥にスパークしたのである。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
元田敬三
〈OPEN CITY〉シリーズより
2012年撮影(2016年プリント)
ゼラチン・シルバー・プリント
106.3x136.5cm
サインあり
*2012年、原宿。原宿の磁場に引き寄せられるようにハデ子が2人参上。

■元田敬三 Keizo MOTODA
1971年大阪生まれ。桃山学院大学経済学部卒業後、ビジュアルアーツ専門学校大阪入学。 在学中、1996年写真[人間の街]プロジェクト(ガーディアン・ガーデン主催)入選、準太陽賞受賞。1997年より東京ビジュアルアーツ専門学校にて非常勤講師。

●展覧会のご案内
「総合開館20周年記念 東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年1月29日[日]
会場:東京都写真美術館
時間:10:00〜18:00 ※木・金曜は20:00まで
   2017年1月2日(月・振休)・3日(火)は11:00-18:00
   (いずれも入館は閉館時間の30分前まで)
休館:月曜(月曜日が祝日の場合は開館し、翌平日休館)、年末年始(12月29日[木]―2017年1月1日[日・祝]、ただし図書室は12月29日[木]―2017年1月4日[水]まで休室)

東京都写真美術館は、写真・映像の可能性に挑戦する創造的精神を支援し、将来性のある作家を発掘し、新しい創造活動の場となるよう、さまざまな事業を展開しています。その中核となるのが、毎年異なるテーマを決めて開催している「日本の新進作家」展です。シリーズ第13回目となる本展は「東京」をテーマとして、東京というメガ・シティに対してアプローチしている現代作家たちをとりあげていきます。
東京は世界有数の都市として認知されています。しかし東京というとメディアに表現されるような、足早に大勢の人々が交差点で行き交うような風景だけではありません。人々が生活し、変化し続ける都市でもあります。写真技術が輸入されてから、多くの写真師、写真家によって記録され続けていた都市ですが、現在の写真家たちの眼にどのような形で映っているのでしょうか。今回は6人の新進作家による表現された「東京」をテーマにした展覧会を開催いたします。
東京都写真美術館では、「東京を表現、記録した国内外の写真作品を収集する」という収集方針があり、同時開催として、当館のコレクションによる「東京」をテーマとした収蔵品展を行います。(東京都写真美術館HPより転載)

本日の瑛九情報!
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新年明けましておめでとうございます。
お正月に瑛九を展示している全国の美術館を紹介します。
沖縄県立博物館・美術館本日1月1日(日)より開館しています。1月4日(水)と1月10日(火)は休館。開催中の「夢の美術館−めぐりあう名画たち−福岡市美術館・北九州市立美術館名品コレクション」展に瑛九の作品が展示されています。
東京国立近代美術館:1月1日(日)のみ休館、1月2日(月)から開館。<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展を開催しています。
埼玉県立近代美術館:1月3日(火)まで休館、1月4日(水)から開館。「MOMASコレクション 第3期」で瑛九を展示しています。
久留米市美術館:1月3日(火)まで休館、1月4日(水)より開館。「久留米市美術館開館記念 2016 ふたたび久留米からはじまる。九州洋画」展には瑛九の点描作品も展示されています。
大川美術館:1月3日(火)まで休館、1月4(水)より開館。常設展示で瑛九の油彩とフォトデッサンを展示しています。
宮崎県立美術館:1月4日(水)まで休館、1月5日(木)より開館。全国で唯一「瑛九展示室」があり、いつでも瑛九の作品をご覧になれます。
都城市立美術館:1月4日(水)まで休館、1月5日(木)より<UMK寄託作品による「瑛九芸術の迷宮へ」展>が開催されます。本展については中村茉貴さんがはるばる宮崎まで遠征し、ブログでレポートしてくださる予定です。
亭主が把握している「お正月に瑛九を展示している美術館」は上記7館ですが、他にもありましたらぜひお知らせください。
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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆ときの忘れものは休み明けの1月18日(水)より「Circles 円の終わりは円の始まり」を開催します。
会期:2017年1月18日[水]―2月4日[土] *日・月・祝日休廊
201701_Circles
オノサト・トシノブソニア・ドローネ菅井汲瑛九、高松次郎、吉原治良など円をモチーフに描かれた作品をご覧いただきます。


◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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