大竹昭子のエッセイ

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第59回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第59回

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ひとつのシーンを横位置で撮るか、縦位置で撮るかは、大きな分かれ目だ。
三脚を立てるなら別だが、手持ちで撮るときには、充分に考えて縦横を選ぶより、直感的に判断することが多いように思う。ちょっと奇妙な感じのするこの写真も、おそらくそうやって撮られたものだろう。とっさにカメラを縦にしてシャッターを切ったのだ。

人の目玉は横についている。
だから、日常生活で物を見るときは、視線を上下させるよりも、横にスライドさせて見ているのであり、写真もまた横長に撮ることのほうが多いので、カメラ自体もそうしやすいように作られている。
横長の写真には空間の情報がたくさん写る。そこがどういう場所で、どういう状況下にあるか、どういう空気が流れているかを見るものに伝える。
一方、縦位置に切りとられた写真は、空気よりも写っている事柄を前面に押しだし、複数の要素を対置させるところがある。
撮らないかぎりは意識することのない物事の関係性が、縦位置写真には思いがけず立ち現れることがあるのだ。

と前置きしたところで、この写真の話に入っていきたい。
まず目がいくのは、壁にかかっている写真だろう。
最近、鬼籍にはいったロックスターの若き日の横顔が写っている。
縦位置写真である。顔写真は縦が多い。目鼻口などが縦に並んでいるからだ。
額の横には、柱や、ドアのパネルや、窓枠など、縦長の形のものがつらなっていて、フレームの上半分がそれらの要素で埋まっている。

では下半分はどうかというと、テーブルで占められている。
テーブルの上にはオープンリールの録音テープや映画フィルムらしきものが載っている。手前のものほど大きく写るレンズの原理により、円形の形状がより強調され、背後の長方形と対照をなしているのがおもしろい。
テーブルの背後にはサングラスの男がいる。
床にしゃがんでいるらしく、上半身の一部しかみ見えない。彼の顔の前にあるのはノートパソコンかと一瞬思ったが、時代が合わない。ほかのものがタイプライターにしろ、オープンリールのテープレコーダーにしろ、完全にアナログ時代の品々なのだから。

何かはわからないが、彼の前には平たいボックス状があるわけだ。そこに入っているものを探しているらしい。細かい文字で何か記してあるのか、目を近づける必要があって、しゃがんだのだろう。
そうやって探している最中に、何か気を引かれることが起きて、顔画面左に向けたのだ。それが何事なのかは写真からは想像がつかない。横位置だったら、あるいはヒントめいたものが少しは写ったかもしれないが、この写真にはそうした要素が皆無で、物語に入っていくルートは断ち切られてしまっている。

奇妙なのは、額に入った男も同じ方向をむいていることである。彼もまた同じことに気がついて顔をそちらにむけたのだろうか。同じことを不安がっているような表情をしている。
壁のクローズアップの男は威風堂々とした気品を感じさせるが、テーブルの下に屈みこんでる男は何かに脅えているようだ。次の瞬間には机の下に隠れたりしたかもしれない。子どもぽい、傷つきやすい人のような気がする。

大竹昭子(おおたけあきこ)

●紹介作品データ:
金坂健二
アンディ・ウォーホル
1968年
ゼラチンシルバープリント
34.0x26.7cm

金坂健二 Kenji KANESAKA
映画作家、評論家、写真家。1934年東京都生まれ。1957年慶応義塾大学文学部英米文学科卒業。松竹映画国際部に社長(城戸四郎)付きの通訳として籍を置き、ハーバード大学の国際セミナーに参加するうちに米国のアングラ映画作家と知り合い、松竹を休職中にフルブライト基金を受けて渡米、ノースウェスタン大学に1年間留学。映画『アメリカ、アメリカ、アメリカ』を完成して学校を離れ、日本に帰国後、1966年に映画『ホップスコッチ』を完成。1964年、飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、高林陽一、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成した。1999年、歿。

12月5日(火)21:55〜22:00 BSフジブレイク前夜〜次世代の芸術家たち〜』に光嶋裕介さんが出演します。

◆埼玉県立近代美術館の広報紙ZOCALOの12月-1月号が発行されました。おもて面の特集は、次回の企画展「版画の景色 現代版画センターの軌跡」とMOMASコレクション第4期。館内で無料配布しているほか、HPからもご覧いただけます。

◆ときの忘れものは「メキシコ地震被災地支援・チャリティー頒布会」を開催しています。会期は明日2日までです。
201711mexico
会期:2017年11月28日(火)〜12月2日(土)
出品100点のリストは11月11日ブログに掲載しました。
全作品、一律8,000円で頒布し、売上金全額を被災地メキシコに送金します。


◆銀座のギャラリーせいほうで宮脇愛子展が開催されています。
201711MIYAWAKI「宮脇愛子展 last works(2013〜14)」
会期=2017年11月20日[月]〜12月2日[土] ※日・祝日休廊
会場=ギャラリーせいほう 
〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目10-7 東成ビル1F
電話:03-3573-2468
最後の新作である油彩を中心に立体(ガラス、真鍮)、ドローイング、版画など。


◆ときの忘れものは「WARHOL―underground america」を開催します。
会期=2017年12月12日[火]―12月28日[木] ※日・月・祝日休廊
201712_WARHOL

1960年代を風靡したアングラという言葉は、「アンダーグラウンドシネマ」という映画の動向を指す言葉として使われ始めました。ハリウッドの商業映画とはまったく異なる映像美を目指したジョナス・メカスアンディ・ウォーホルの映画をいちはやく日本に紹介したのが映画評論家の金坂健二でした。金坂は自身映像作家でもあり、また多くの写真作品も残しました。没後、忘れられつつある金坂ですが、彼の撮影したウォーホルのポートレートを展示するともに、著書や写真集で金坂の疾走した60〜70年代を回顧します。
会期中毎日15時よりメカス映画「this side of paradise」を上映します
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60〜70年代のアメリカを象徴する映像作品です。(予約不要、料金500円はメカスさんのNYフィルム・アーカイブスに送金します)。

●六本木の国立新美術館で「安藤忠雄展―挑戦―」が開催されています。
会期:2017年9月27日[水]〜12月18日[月]
オープニングのレポートはコチラをご覧ください。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第58回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第58回

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この写真を見てまず目がいったのは、部屋のなかの女性たちではなく、そこにかかっているカーテンだった。なんだかカーテン屋のショールームのようではないか。
窓側にも入口にもさがっていて、広くはない部屋がカーテン攻めにあっている。
しかも、そのカーテンはシンプルとは言いがたいデザインで、奥のものにはフリルやポンポンがつき、手前のものは派手なレース模様でしかもドレイプがたっぷりで、狭い部屋のなかがゴテゴテでさわがしい。

奥の壁側は窓だからカーテンが必要だろう。でも、手前のほうはどうだろう。
カーペットの際のところにレールが見えるから、ここに引き戸がついているのだ。
それを閉じれば間仕切りできるから、カーテンをつける必要はないのではないか。
ということは、室内の雰囲気づくりのためにわざわざカーテンをさげたのだろう。

そう思って改めて見ると、このカーテンが天蓋に見えてきた。
部屋はちょうどキングサイズのダブルベッドに匹敵する大きさだし、カーペットの模様もなにやらベッドカバーを連想させなくもない。
どうやらふたりは、寝る部屋を天蓋付きベッドに見立ててデコレーションしたらしい。

彼女たちが日本人ではないのは一目瞭然である。
タイとか、ミャンマーとか、東南アジア系のような気がする。
手前の女性は民族衣装を着けて頭に冠をのせ、奥の女性はフリル付きのワンピースを着てロングヘアに髪飾りを付けている。部屋のインテリアに負けないほど装飾たっぷりだ。

ところで、この部屋はどこにあるのだろう。彼らの国の家のなかだろうか。
どうもそうとは思われないのである。壁を見ると横木がまわされている。これは長押と呼ばれる日本建築の特徴で、古いアパートにはよくこれが付いていた。いまでは減りつつあるけれど、ハンガーなどをかけるのに重宝したものだ。

この長押から、ここは日本のアパートではないか、という想像が生まれる。
外階段がついている「○○荘」とか「コーポ××」というような名の二階建てアパートで、階段をドンドンと踏みならして上がり、見かけよりもはるかに軽いドアをすーっと開けて中に入ると、小さな三和土が台所に通じていて、その奥にレースのカーテンが下がっている。
壁のスイッチを手探りして蛍光灯がついたとたんに、部屋のなかが照らしだされる。

ふたりは、自国ではこういうインテリアの部屋に暮らしてはいないような気がする。
たぶんあっさりしたインテリアの部屋で、ジーンズであぐらをかいていたりするのだ。
彼女たちがこの部屋をカーテン攻めにし、フリフリの格好でくつろいでいるのは、ここがコスプレの国、日本だからなのである。あらゆる場面が芝居っけたっぷりで、何のフリをしても許されるこの国で、思いっきりお姫さま気分を味わっている。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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■瀬戸正人 Masato SETO
1953年、タイ国ウドーンタニ市生まれ。写真家。
東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)卒業後、深瀬昌久氏アシスタントを経て、1981年、フリーランスの写真家として独立。1987年、山内道雄氏と東京都新宿区四谷4丁目にギャラリー〈Place M〉を開設。国内外で個展、グループ展多数。
写真集に『《バンコク、ハノイ》 1982―1987』(IPC、1989年刊)『部屋 Living Room, Tokyo』(新潮社、1996年刊)『Silent Mode』(Mole、1996年刊) 『picnic』(Place M、2005年刊)等。その他の著作に『トオイと正人』(朝日新聞社、1998年刊)『アジア家族物語』(『トオイと正人』文庫版改題、角川書店、2002年刊)。 1990年日本写真協会新人賞、1995年東川賞新人作家賞、1996年第8回写真の会賞、1996年第21回木村伊兵衛賞、1999年新潮学芸賞。
公式サイト:http://www.setos.jp/

●展覧会のご紹介
瀬戸正人さんが代表を務めるフォトギャラリー〈Place M〉にて、二人展が開催されます。上掲の作品も出品されます。
都築響一/瀬戸正人
Place M 30周年企画展
「TOKYO STYLE/LIVING ROOM」

会期:2017年11月13日[月]〜11月19日[日]
会場:PLACE M
   東京都新宿区新宿1-2-11 近代ビル3F

●今日のお勧め作品は超レアな草間彌生の1983年のポスターです。
1983年草間展ポスター
「草間彌生展」ポスター
1983年
ポスター
109.0×79.0cm
*原宿にあったビデオギャラリーSCAN(中谷芙二子主宰)の草間彌生展のポスターである。その多くは作家の意図で小さくちぎって来場者に配られたため、ポスターとして現存するのは極く僅かと思われる。SCANはアーティストの中谷芙二子が1980年にヴィデオ・アート専門のギャラリーとして原宿にオープンし、80年代の日本のヴィデオ・アートの中心的存在だった。

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものは「細江英公写真展」を開催しています。
会期=2017年10月31日[火]―11月25日[土]
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●会期中、細江英公サイン入り写真集を特別頒布しています。

◆ときの忘れものは「メキシコ地震被災地支援・チャリティー頒布会」を開催します。
201711mexico
会期:2017年11月28日(火)〜12月2日(土)
出品100点のリスト:11月11日ブログに掲載
全作品、一律8,000円で頒布し、売上金全額を被災地メキシコに送金します。


●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料250円


中村美奈子さんが瀧口修造にオマージュした文鎮を制作しました。
中村美奈子 文鎮こげ茶、赤、緑、オレンジの4色あります。
一個:大5,500円 小5,000円(税別)
二個組:10,000円(税別)
三個組:14,000円(税別)
紙ケース付、送料は一律500円(何個でも)。
瀧口ファンならずとも手元に置きたくなるような色彩豊かな佳品です。特別頒布中ですのでどうぞご注文ください。


●六本木の国立新美術館で「安藤忠雄展―挑戦―」が開催されています。
会期:2017年9月27日[水]〜12月18日[月]
オープニングのレポートはコチラをご覧ください。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
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◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第57回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第57回

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ふたりが座しているのは、食卓である。
手前に急須と湯吞みが、むかって左奥に蓋付きの容器が、その背後にはラジカセが見える。

このように食卓についている人が正面きってカメラを見つめることは、日常ではまずないだろう。記念撮影の場に食卓が選ばれることはめずらしく、もしシャッターを切るとしても笑ったり、おしゃべりしているスナップになるだろう。構えて撮るのには食卓はあまりに日常的すぎるのだ。
そのミスマッチが、写真に異様な雰囲気をもたらしている。

いや、そのこと以上に非日常感を際立たせているのは、言うまでもなく、ふたりの女性が服をまとわず、裸をさらしていることだろう。
ふたりは母と娘のようだ。顔もさることながら、首から肩や胸にかけての体つきがそっくりである。顔は化粧でどうにでもなるが、骨格は変えられないし、乳房や乳輪のかたちも親から子へと引き継がれるものの典型である。
そうしたディテールの総体が、ふたりの肉体の構えに、赤の他人とは思わせない類似した表情をもたらしている。

服を着ていても異様な構図なのに、ましてや裸体となれば、二重の意味で見る者の日常にくいこんでくる。気の弱い男性なら、ちょっとひるむかもしれない。
娘のほうは髪の毛を剃って坊主にしている。ぶかっとしたワークシャツを着ていたら、男の子と思ってもおかしくないだろう。乳房があらわなゆえに、女性とわかるわけで、髪型は性別を見分けるには役立たず、衣服でつねに隠されている乳房と性器だけがそれを可能にする、という当たり前の事実に改めて思い至る。

テーブルの横には食器棚があり、扉の開け閉てがかろうじて出来るくらいにぎっしりと皿やグラスが詰め込まれている。それに並んで冷蔵庫が立っているが、こちらのドアにはお知らせや領収証のたぐいがびらびらと張られてにぎにぎしい。窓を覆っているカーテンも、チェックの柄が細かく、狭くて雑然とした空間を想像させる。

日常とは、このようにごちゃごちゃした未整理な空間で、行き当たりばったりに、出たとこ勝負で進んでいくものである。水の流れに似て、流れているかぎりはディテールも内実も意識されないのがふつうなのだ。

そうした日常の対極にある価値を、正面切った一対の裸体は屹立させる。あたかも人工のせせらぎに巨大な岩が投げ込まれたように、狭い空間のなかに始原を立ち上がらせ、意味を超えた何ものかをつきつけてくる。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
長島有里枝
《Self-Portrait (Mother #24)》
From the series Self-Portrait
1993年
ゼラチン・シルバー・プリント
38.7x58.0cm
東京都写真美術館蔵

■長島有里枝 Yurie NAGASHIMA
1973年、東京都中野区生まれ。1995年、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。1999年、カリフォルニア芸術大学にてMaster of Fine Arts取得。1993年、家族とのポートレイトで「アーバナート#2」展パルコ賞を受賞しデビュー。2001年、写真集『PASTIME PARADISE』(マドラ出版、2000年)で、第26回木村伊兵衛賞受賞。2010年、エッセイ集『背中の記憶』(講談社、2009年)で第26回講談社エッセイ賞受賞。主な写真集に『YURIE NAGASHIMA』(風雅書房、1995年)、『empty white room』(リトルモア、1995年)、『家族』(光琳社出版、1998年)、『not six』(スイッチパブリッシング、2004年)、『SWISS』(赤々舎、2010年)、『5 Comes After 6』(マッチアンドカンパニー、2014年)など。

●展覧会のご紹介
東京都写真美術館で、「長島有里枝 そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」が開催されています。

「長島有里枝 そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」
会期:2017年9月30日[土]〜11月26日[日]
会場:東京都写真美術館
時間:10:00〜18:00(木・金曜は20:00まで)※入館は閉館の30分前まで
休館:月曜 ※ただし10月9日(月・祝)は開館、10日(火)休館

東京都写真美術館は長島有里枝の個展を開催します。デビュー以来、長島は社会における「家族」や「女性」のあり方への違和感を作品で問い続けてきました。ラディカルさとしなやかさをあわせ持つ、パーソナルな視点にもとづいた長島の表現は、若い世代を中心に支持され、国際的にも評価が高まっています。
長島は武蔵野美術大学在学中の1993年、家族とヌードで撮影したセルフ・ポートレイトで「アーバナート#2」展パルコ賞を受賞し、一躍注目を集めました。2001年には、写真集『PASTIME PARADISE』で第26回木村伊兵衛写真賞を受賞。近年では、自身の幼少期をモチーフにした短編集『背中の記憶』で、2010年に第26回講談社エッセイ賞を受賞するなど、写真以外にも活動の幅を広げています。
公立美術館で初めての個展となる本展では、初期を代表する〈セルフ・ポートレイト〉や〈家族〉、90年代のユースカルチャーを切り取った〈empty white room〉のシリーズに始まり、アメリカ留学中の作品、2007年にスイスのアーティスト・イン・レジデンスで滞在制作をした植物の連作、女性のライフコースに焦点を当てた新作までを一堂に展示します。
デビューから四半世紀近くが経ち、共同制作など新しい試みも取り入れながら、長島の表現はさらなる広がりを見せつつあります。本展では、作家の「今」が色濃く反映された現在の作品とともに、これまでの歩みを振り返り、パーソナルかつポリティカルな視点にもとづく写真表現の可能性を探ります。(東京都写真美術館HPより転載)

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大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第56回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第56回

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上野公園でときどき餌をあげていたカラスたちが、上空を追いかけて千駄ヶ谷にある家をつきとめ、以来、上野の森から通ってきては、ベランダで羽をばさつかせて餌をねだるようになったーーー。

この話を人から聞いたとき、カラスの観察力、思考力、記憶力に舌を巻いた。それらをフル稼働して彼らが日々溜め込むものは、すべてこの世で生きながらえるために費やされる。人間のように使わずにただしまっておくだけのものはない。知恵とは本来そういうものなのだろう。

ここに一羽のカラスがいる。頭の毛と胴体の羽の部分がつながらないほどからだが細いが、ただ、痩せているだけなのか。カラスも痩せるとこんな姿になるのか。唯一、カラスらしさを感じさせるのは足。精悍で、野卑で、獰猛な印象の鉤爪をクルマの屋根に載せている。ぴかぴか光る車体に爪が反射し、影が円弧を描いて一瞬、金属の部品がついているのかと思った。

カラスの前には男がいる。イグサで編んだ帽子を被り、メガネをかけ、首を右に傾けて唇をつきだしている。カラスは髭におおわれたその口にくちばしを突っ込んでいる。男がくれとおねだりしてたものを、カラスから口移しに受け取っているかのようだ。でも、本当は逆だろう。男の口のなかにはカラスの好物が入っている。それをカラスはくちばしでつまみ出そうとしているのだ。そのように口移しに物をあげるのは男の習慣で、彼が口を突き出したらどうすればいいかをカラスはよくわかっている。これぞ、生きものの知恵である。

カラスに餌を上げるとしても、やり方はいろいろあるだろう。皿に載せてもいいし、ただ地面に置いてもいいし、掌に載せてやってもよい。ところが、この男はそのどれもとらずに、口からあげるやり方を選んだのだ。あいだに何も介さずに、口と口を直結させて食べ物をカラスのからだに送り込む、その束の間の一体感を味わうために。

人間の口とカラスの口を比較して、どちらが無防備かと言えば、人間の口に決まっている。われわれのやわな口蓋に、カラスのあの黒々したくちばしを本気で突っ込まれたらひとたまりもない。その弱い部分を相手に差し出し、男は契りを乞いたかったのだろう。オレはこれほどオマエを信じているんだよ、と。

カラスも男にすっかりなついて信頼している様子である。瀕死の状態で路上に落下していたのを助けられたのかもしれないし、翼が折れていて飛べなくなり大空に帰ることが出来ないのかもしれない。ともあれ、カラスには男になつかずにはいられない事情があったのだ。この男についていけば生きられると直感したのだ。

思うに、男のほうにも似たような事情があったのではないか。だれかになつかずにはいられない。でも、人間が相手だとどうもなつけない。そんな鬱屈に浸り込んでいたときに、傷ついたカラスに遭遇したのである。弱った者同士がともに支え、求めあう関係。話す言葉がちがうから、齟齬も生じないし、喧嘩にもならない。わかり合えるような合えないような曖昧さが救いなのである。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
梁丞佑
〈人〉より
2003年撮影(2017年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 21.0x32.5cm
Sheet size: 11x14inch
Ed.5
サインあり

■梁丞佑 YANG Seung-Woo
韓国出身。
1996 来日
2000 日本写真芸術専門学校卒業
2004 東京工芸大学芸術学部写真学科卒業
2006 東京工芸大学大学院芸術学研究科メディアアート修了
主な出版物:『君はあっちがわ僕はこっちがわ』(2006、新風舍)、『君はあっちがわ僕はこっちがわ2』(2012、禪POTOギャラリー)、『青春吉日』(2012、禪POTOギャラリー)
主な個展:「外道人生」(2004、東京工芸大学芸術情報館ギャラリー・中野)、「君はあっちがわ僕はこっちがわ」(2005、JCII日本カメラ博物館・千代田区一番町)、「だるまさんが転んだ」(2006、銀座ニコンサロン)、「LOST CHILD」(2007、企画展ギャラリーニエプス・四谷三丁目)、「LOST CHILD 2」(2008、アルバカーキ)

●写真集のご紹介
禅フォトギャラリーから、写真集『人』が刊行されました。上掲の作品も収録されています。

梁丞佑写真集『人』
2017年
禅フォトギャラリー 発行
112ページ
21.0x29.7cm
ソフトカバー

社会からはみ出した他人同士が寿町では家族のように付き合っている姿がここにある。前回の写真集『新宿迷子』同様に梁丞佑の丁寧な付き合いが彼らとの関係を築き、信頼を得た。2002年から最近までレンズを向け続けた情熱と鋭い問題意識に目を見張らされる。
―大石芳野(写真家)

神奈川県横浜市寿町。
横浜中華街から10分ほど歩いた所に存在する。
最初は話に聞いて何の気なしに訪れた。
いろんな国の言葉が聞こえ、さらに私が思っている日本像とはあまりに違う街の様子に「ここは日本ではない」と感じた。
撮りたいと強く思い、この街に通いつめるわけだが、しばらくは「ただ、見ていた」。隠し撮りをするという方法もあったのだが、それではなんだか気がとがめ、彼らと交わりたいと思った。
とりあえず、道に座って酒を飲んでみた。
彼らは私が煙草の吸殻を灰皿に捨てたら「変な奴だ」と言った。言葉も乱暴。しかし「分け合う」ことを知っていた。生活は貧しくても心は豊かであるように感じた。
こうして彼らと過ごす事3ヶ月。やっと、私に1人が聞いた。
「お前は何をやっている人間なんだ」と。
仕事もせずに日がな一日道に座っている事を、やっと奇妙に思ってくれたのだ。
満を持して私は言った。
「写真しています」と。そこから私の撮影が始まった。
ぎりぎりで、這いつくばるような、そうかと思えば、すでに全てを超え浮遊しているような、悲しさや寂しさ辛さとともに、幸せも楽しみも、悪意も善意も。
手に取るように感じられた。
「人が生きるということは…」
そう問われているように感じた。
ある日、コインランドリーの入り口で雨宿りをしていた一人の中年男性がいた。血だらけだった。「どうしたの?」と聞いたら、その男性は私の目を見て、
「だるまさんが転んだ…」とだけ繰り返した。温かいお茶を差し出したら、
「ありがとう」と言って、ただ握っていた。私がいるときには、飲まなかった。
日本には「だるまさんが転んだ」という遊びがある。
鬼が「だるまさんが転んだ」といって振り返ると、鬼に向かって近づいて来ていた人達は、動きを止める。もし動いている事がばれると、自分もまた鬼になる。
オレに構うな。
「だるまさんが転んだ」
もしかするとそういう事だったのかもしれないと今になって思う。
2017年現在、寿町は他のドヤ街と同じく以前の姿は消え、高齢化が進み、街の「境界」は曖昧になり他の街となじみつつある。

これらの写真は、2002年から2017年まで寿町で撮影したものです。
―梁丞佑
禅フォトギャラリーHPより転載)

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●今日のお勧め作品は、クリストです。
Christo_02 (2)クリスト
《包まれた木馬》
1963-2000
ドローイング、コラージュ
Image size: 20.3x20.3cm
Frame size: 35.2x35.2cm
Signed


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大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第55回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第55回

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この写真を見たときに、最初に目がいったのは、最前列のむかって左側の人たちだった。
腕を組んで横につながり、背筋をピンと伸ばし、片足をすっと前に出すしぐさがダンスのステップを踏んでいるように見えた。

とくにその姿が際立っているのは、中央にいる腕に腕章を巻いたコートの男である。
顎を引いて前方を見据え、胸を張り、上半身に彫像のような緊張感をみなぎらせながら足を踏み出している。となりのメガネの男と比べると、彼のほうが他者の視線を意識しており、中央に立つにふさわしい勇ましさをも感じさせる。

彼の左どなりにいるのは、女性である。スーツなのかワンピースなのか、黒っぽい服をまとい、腕には男とおなじく腕章を巻き、靴はまぶしいくらいの白だ。彼女の肩のラインにも、男と同様の張りつめたエレガンスが感じられる。

彼女が腕を組んでいるのは、前列でもっとも年若い女性である。肩にショルダーバッグをかけ、片手に傘をもった姿は颯爽としていて、大柄のからだから踏み出される足幅は大きく大胆だが、緊張感に関しては中央の男女よりも見劣りがする。どこか日常的な雰囲気なのだ。

それにつづくコートの女性は、明らかに彼女とは世代がちがう。背の低いずんぐりした体形で、歳もかなり上だが、それを感じさせるのは風貌以上に足の出し方である。膝が曲がってガニ股ふうなのだ。

同様に、彼女のとなりにいるコートと帽子姿の女性もガニ股気味。でも、おかしなことに、彼女の足は隣の女性と反対のほうが踏みだされていて、そのために足と同じ側の肩が前に出ている。なんだかふたりで二人三脚しているようだ。

このように、つい足の動きに目が行ってしまうのは、女性たちがみなスカートを履いているせいがだいぶあるだろう。パンツの時代はまだ先のこと、膝のかくれるスカート丈からあらわになった脛が、足のかたちや、出し方や、動きや、歩幅や、歩く速度を際立たせている。

腕組みをして道幅いっぱいに広がるこのようなスタイルのデモを「フランス式」という。ダンスしているように見えるのも、こんなに人がたくさんいるのに汗くさい感じがしないのも、「フランス式」と思ってみると、なんとなく納得するし、隊列の先頭をいく男が掲げる旗の「日教」の文字に気付くと、参加者に女性の数が多いことにも合点がいく。そう、彼らは日教組に入っている教職員なのだ。

道路には敷石がしかれ、都電の線路が通っていて、はるか後方には、身動きのとれなくなった車輛の頭も見える。前進する人の波が都電を押しとどめたのだ。その前進が、なによりも人の足によってなされたことを、この写真は強く訴えかけており、そこに溌剌した希望が感じられる。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
濱谷浩
“June 22, 1960” from the series “A Chronicle of Grief and Anger”
1960年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 15.9x24.0cm
Sheet size: 16.9x24.9cm
(C)Keisuke Katano / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film
*当該作品は1960年に刊行の『怒りと悲しみの記録』の入稿原稿。プリント背面に作家が押したスタンプと手書きの制作年記載あり。

■濱谷浩 Hiroshi HAMAYA
1915年東京生まれ(1999年没)。1933年、二水実用航空研究所に入所し航空写真家としてキャリアを始め、同年オリエンタル写真工業株式会社(現・サイバーグラフィックス株式会社)に就職。1937年に退職し、兄・田中雅夫と「銀工房」を設立。1938年、土門拳らと「青年写真報道研究会」の結成や、瀧口修造を中心とした「前衛写真協会」設立に参加。1939年にグラフ雑誌『グラフィック』の取材により新潟県高田市を訪れ、民俗学者・市川信次や渋沢敬三と出会う。1941年、木村伊兵衛、原弘らを擁する東方社に入社するも、43年に退社。同年、太平洋通信社の嘱託社員として日本の文化人を取材。1960年マグナムの寄稿写真家となる。主な個展に「写真家・濱谷浩展」川崎市市民ミュージアム(神奈川、1989年)、「写真の世紀 濱谷浩 写真体験66年」東京都写真美術館(1997年)など。主な写真集に『雪国』毎日新聞社刊(1956年)、『裏日本』新潮社刊(1957年)、『怒りと悲しみの記録』河出書房新社刊(1960年)など。主な受賞に第2回毎日写真賞(「裏日本」にて、1956年)、日本芸術大賞(『濱谷浩写真集成:地の貌・生の貌』にて、1981年)、ハッセルブラッド国際写真賞(1987年)など。

●展覧会のご紹介
六本木のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムで濱谷浩さんの展覧会が開催されています。上掲の作品も出品されています。

濱谷浩「怒りと悲しみの記録」
会期:2017年7月8日[土]〜8月12日[日]
会場:タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム
   〒106-0032 東京都港区六本木5-17-1 AXISビル2F
時間:11:00〜19:00
日・月・祝日休廊

濱谷は1930年代より、人間と人間を育む環境・風土の関係を透徹した眼差しで捉え、峻厳な態度で写真の記録性に向き合い、時代を映す重要なドキュメントを数多く残しました。本展では、濱谷が1960年の日米安保闘争を1ヶ月に亘り取材し上梓した『怒りと悲しみの記録』(河出書房新社、1960年)より約22点を展示いたします。

東京に生まれた濱谷浩は、モダニスムの空気が漂う1930年代に都会や下町における新旧の混沌たる市井風俗を撮影し、1933年、西欧の先進的な芸術動向を紹介したカメラ雑誌『フォトタイムス』を刊行していたオリエンタル写真工業に就職しました。グラフ・ジャーナリスムの確立や新興写真の隆盛など、近代写真表現の模索に伴い、写真家という存在も近代化へ向かっていた時代において、堀野正雄や木村専一といった新時代を象徴する写真家や編集者との出会いは、濱谷にプロフェッショナルとしての写真家の在り方を意識させる機会となりました。新進気鋭の写真家として活躍する傍ら、「前衛写真協会」の設立に携わるなど、写真の近代化の最先端に身を置いていた濱谷は、グラフ雑誌『グラフィック』の仕事で新潟県高田市の陸軍スキー連隊の冬季演習を取材した際、民俗学研究者・市川信次や民俗学資料博物館を主宰する渋沢敬三と出会い、また和辻哲郎の著作『風土:人間学的考察』に感銘を受けたことを通じ、それまで都会の華やかなものに向けられていた視線を、人間とその形成に基底的な作用を持つ風土に転じ、時代の転換の中でこれらを記録することの重要性を改めて認識するようになりました。

記録することは、人類が人類であるために絶対に切り離すことのできぬ人間的な貴重な行為なのである。そして写真こそは、その最も近代的機能をもったものであるといえる。
濱谷浩、「写真の記録性と記録写真」、『カメラアート』カメラアート社、1940年12月終刊号

1940年、新潟県・桑取谷における小正月の民俗行事を撮影する中で、雪深い越後の庶民の古典的な生活と向き合い、人々の自然に対する畏怖と調和の精神を目の当たりにした濱谷は、以降10年に亘り山間の村に通い『雪国』を発表します。その後、より広範に日本列島の気候風土、歴史的な地域社会の成立過程とその現況を確かめるべく、日本海沿岸の厳しい自然風土の中で暮らす人々を取材記録した『裏日本』の冒頭には、「人間が人間を理解するために、日本人が日本人を理解するために」という濱谷の生涯のテーマとなる言葉が記されています。

戦争へ向かう情勢の中、濱谷は東方社に入社し対外宣伝グラフ誌『FRONT』の撮影をするも、社の幹部と衝突し退社します。多くの写真家の仕事が戦時下の体制に組み込まれていく中で、濱谷は一貫して厭戦思想を貫き、1944年には新潟県高田に移り終戦を迎えました。戦後の高度経済成長の中、濱谷は1960年の日米安保闘争を市民の立場で客観的に取材、約1ヶ月間で2,600点にも及んだ記録は『怒りと悲しみの記録』として出版されました。

それまで、私は政治的な取材には縁が薄かった。だが今度は違う。五月十九日の強行採決、民主主義を崩壊に導く暴力が議事堂内部で起こった。私は戦前戦中戦後を生きてきた日本人の一人として、この危機について考慮し、この問題にカメラで対決することにした。
濱谷浩、『潜像残像:写真家の体験的回想』、河出書房新社、1971年、p.198

1960年にマグナム・フォトにアジア人として初めて参加した濱谷の写真は、広く欧米で関心を集め、「怒りと悲しみの記録」は6月25日付『パリ・マッチ』に掲載、その後マグナムを通じてイギリスの『ザ・サンデー・タイムス』でも連載され、日本では写真展が銀座・松屋を皮切りに日本全国の展示会場や大学を巡回しました。しかしながら、高まりを見せていたはずの政治意識の急速な萎靡沈滞とその後に続く擬似的な太平・繁栄の氾濫を受け、日本の政治体制や人間に対して大きな失望感を抱いた濱谷は、日本人の特異な性質との因果関係を自然に求め、「人間はいつか自然を見つめる時があっていい」とし、60年代後半より科学的な視点から自然風景の撮影へと向かいます。その後も南極やサハラ砂漠など海外の辺境へと視点を移し撮影を行なった濱谷の活動は、常に「人間と自然の課題を自身の目で探る」ことに根ざし、そのヴィジョンは写真が社会とどのように関わりうるかを問い続けています。
協力:Marc Feustel(Studio Equis)
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムHPより転載)

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第54回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第54回

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(画像をクリックすると拡大します)

男がいて、その背中に、張りつくように女がいる。
男の視線は前方に向けられ、女はその男の肩に顎をのせているが、視線はどこも見ていない。

ふたりの視線が一致していないのは、なぜか。
こんなに接近し、からだをくっつけ合っているのに、心はおなじ場所にいないように感じられるは、どうしてか。

この男女がバイクに相乗りしている、ということを、わたしはあらかじめ知っている。
その事実を下敷きにして見ると、視線のちがいはなんとなく了解できてしまう。
バイクに乗せてもらっているときって、たしかにこんなふうだな、と。

それを知らなかったら、写真の見え方はどう変わるだろう。
つまり、この写真一点を、なんの説明もなく見せられたら、どういう場面が思い浮かんでくるだろうか。

直立している男を、女がうしろから抱きすくめた、というシーンは、あり得ないことはないだろう。
男が嫌がるのを半分承知で、女はそれをする。
だいぶ前からふたりの関係はぎくしゃくしている。
男はもはや女の存在が面倒なのだ。
どうやったらうまく別れられるだろう、と思いながら、張りついている女の重みを感じている。
うっとうしいが、跳ね返すだけの度胸は彼にはまだない。

女は彼のそうした心の動きを察していて、もう、だめかも、と思いながら、身が離れるまでにまだ時間が要るように思えて、くっつかずにはいられない。そして接しているあいだだけ、もしかしたら状況は好転するかもしれない、という期待に浸っている。

ひるがえって、ふたりがバイクに乗って走っているとすると、どうだろう。
バイクでは体をくっつけないと走行ができない。スピードを出すのに二体を一体にする。
というか、速度があがると、自然に体がそうなってくる。
親しくない人に乗せてもらってもそうで、顔は見えないのに、一体感だけはやけに強い。

いや、そうではなく、顔が見えないゆえに高まる、と言うべきではないか。
見えないと、体は実にすんなりとその状況を受け入れる。
そしていったん受け入れると、単純にも上がっていくスピードに体を任せ切る快感に酔っていくのだ。

もっとも、これは後ろに乗せられている女の感覚である。
ハンドルを握る男はどうかといえば、前方を注視している。
注視しつつも、背中に伝わってくる女の胸の膨らみと熱に、彼女を背負っているようなヒロイックな気分がわきあがってくる。
女がどんな表情をしているかはわからずとも、背中に感じる重みが信頼の証のように思えて、気分が高揚するのだ。

顔は見えないのに、体が異常に接近し、接近した体がおなじ方向をむいていて、前方にむかって送りこまれていくこと。
こんな奇妙な事態は、バイクの相乗りでしか思いつかない。
見えないことが、見えているとき以上に、一体化を加速する。
盲目の愛、といういう言い方があるが、視覚が遮断された状況で肌を晒して移動するとき、心は肉体の原理にむかって一気に走って行き、いつも考えているのとはちがう<愛>の形に近づいていく。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
志賀理江子
「Blind」
2009年撮影(2017年プリント)
ゼラチンシルバープリント、木製パネル
Image size: 120.0x180.0cm
Sheet size: 123.0x183.0cm
サイン無し
エディション未定

■志賀理江子 Lieko SHIGA(1980-)
1980 愛知県生まれ
1999-2004 ロンドン芸術大学 チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン
2007-2008 文化庁在外派遣研修(ロンドン)
現在、宮城県在住

主な個展:
2012 「志賀理江子 螺旋海岸」せんだいメディアテーク、仙台
2011 「カナリア門」ギャラリー・プリスカ・パスカー、ケルン 「カナリア門 志賀理江子写真展」三菱地所アルティアム、福岡
2008 「座礁の記録」フォトギャラリエット、オスロ
2006 「リリー」ニューク・ギャラリー、パリ
2005 「リリー」グラフメディアジーエム、大阪
2003 「明日の朝、ジャックが私を見た。」グラフメディアジーエム、大阪/アップリンク・ギャラリー、東京
2001 「浮遊する出来事」グラフギャラリー、大阪

受賞歴:
2008 木村伊兵衛写真賞受賞【写真集『Lilly』『CANARY』(共に2007年)】

●展覧会のご紹介
「志賀理江子 ブラインドデート」
会期:2017年6月10日[土]〜9月3日[日]
会場:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで) 会期中無休

写真を通して自身と社会が交差する接点に生じる「イメージ」の探求を続ける志賀理江子。1980年に愛知県に生まれ、2008年から宮城県に拠点を移し制作活動を行っています。本展では、2009年にバンコクの恋人たちを撮影したシリーズ「ブラインドデート」を始まりとして、「弔い」「人間の始まり」「大きな資本」「死」などをめぐる考察と物語が綴られていきます。出品作品は、写真プリントの他に約20台のスライドプロジェクターによってインスタレーションを構成。会場に置かれたプロジェクターの点滅は、生、暗闇と光、この世界に相反しながら同時に存在するものごとの隠喩でもあります。私たちの肉眼で見えぬものは何か。その領域をこそ写し出す写真というメディアに懸ける志賀は、出来うる限りの正直さで社会をまなざしながら、人間の生から離れない写真の空間を立ち上げます。(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館HPより転載)

●今日のお勧め作品はパウル・クレーです。
DSCF3756_600パウル・クレー Paul Klee
"Three Heads"

1919年
リトグラフ
イメージサイズ:12.1×14.8cm
シートサイズ:19.7×23.4cm
版上サイン

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ホームページのWEB展を更新しました。2017年1月〜6月までの青山時代の企画展・アートフェア出展の記録をまとめました。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
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駒込開店6日前
20170630_お祭り_8ダンボール箱との格闘もようやく終結に近づいた6月30日、直ぐ近くの駒込富士神社のお祭りに行ってきました。

20170630_お祭り_1毎年6月30日・7月1日の大祭(山開き)には露天商が多数出店、いやにぎやかです。

20170630_お祭り_6子どもさんがこんなにいるなんて!!。
今日は土曜日なので人出も多いらしい。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

世界初の間取り小説集・大竹昭子『間取りと妄想』

『間取りと妄想』著者からのメッセージ

大竹昭子


 間取り図をつくり、そこから13の短篇を書く、とまさに『間取りと妄想』というタイトルのどおりの短編集です。
 ちいさいときから間取りを見たり、描いたり、街を歩きながら家のなかを想像したり、知り合いの住まいを見せてもらったりするのが大好きで、だから子供のときの夢は「建築家!」でしたが、算数ができないとダメだとわかってあえなく断念しました。
 その無念な思いを晴らしたいという気持ちがどこかにあったのか、間取りの物語はいつか書いてみたいと思うテーマのひとつでした。
 「マドリスト」なんて言葉もあるくらい、世間には私のような間取り好きは多いようです。しかもその楽しみは間取りからいろんなことを妄想するとことにあることが、「間取り」と「妄想」と入れてインターネットで検索すると驚くほどたくさんヒットすることからわかります。
 もしかしてこれは日本的な傾向かもしれない、とふと思い当たりました。狭い住環境のもとでは奇想天外な間取りが生まれ、またその内部が外観からは想像がつかないことが多いです。同じように、わたしたちの行動も内と外という概念にしばられており、表情や態度や体形など人の外側にあらわれているものが、内部で考えたり感じたりしていることとちぐはぐなことがよくあります。つまり、間取りは人間の内面、人体の内側、意識世界、見えない領域などのアレゴリーでもあるわけです。
 間取りが示唆するこうした要素をあたまのなかでころがしながら、13の物語をつむいでみました。
おおたけ あきこ

20170616大竹昭子大竹昭子
『間取りと妄想』

2017年
亜紀書房 発行
203ページ
18.8x13.0cm
税別1,400円


目次:
・船の舳先にいるような
・隣人
・四角い窓はない
・仕込み部屋
・ふたごの家
・カウンターは偉大
・どちらのドアが先?
・浴室と柿の木
・巻貝
・家のなかに町がある
・カメラのように
・月を吸う
・夢に見ました

“世界初”の間取り小説集!
まず家の間取りを決め、次にそこで展開される物語を書いたのは大竹さんが世界初だろう、たぶん。13の間取りと13の物語。
藤森照信氏(建築家・建築史家)

家の間取りは、心身の間取りに似ている。思わぬ通路があり、隠された部屋があり、不意に視界のひらける場所がある。空間を伸縮させるのは、身近な他者と過ごした時間の積み重ねだ。その時間が、ここではむしろ流れを絶つかのように、静かに点描されている。
堀江敏幸氏(作家)

川を渡る船のような家。海を見るための部屋。扉が二つある玄関。そっくりの双子が住む、左右対称の家。わくわくするような架空の間取りから、リアルで妖しい物語が立ちのぼる。間取りって、なんて色っぽいんでしょう。
岸本佐知子氏(翻訳家)
(本書帯より転載)

大竹昭子 Akiko OTAKE(1950-)
1950年東京都生まれ。上智大学文学部卒。作家。1979年から81年までニューヨークに滞在し、執筆活動に入る。『眼の狩人』(新潮社、ちくま文庫)では戦後の代表的な写真家たちの肖像を強靭な筆力で描き絶賛される。都市に息づくストーリーを現実/非現実を超えたタッチで描きあげる。自らも写真を撮るが、小説、エッセイ、朗読、批評、ルポルタージュなど、特定のジャンルを軽々と飛び越えていく、その言葉のフットワークが多くの人をひきつけている。現在、トークと朗読の会「カタリココ」を多彩なゲストを招いて開催中。
主な著書:『アスファルトの犬』(住まいの図書館出版局)、『図鑑少年』(小学館)、『きみのいる生活』(文藝春秋)、『この写真がすごい2008』(朝日出版社)、『ソキョートーキョー[鼠京東京]』(ポプラ社)、『彼らが写真を手にした切実さを』(平凡社)、『日和下駄とスニーカー―東京今昔凸凹散歩』(洋泉社)、『NY1980』(赤々舎)など多数。

●今日のお勧め作品は、大竹昭子です。
20170616_otake_12_parking大竹昭子
"parking"
1980-82年撮影
(2012年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:47.0x31.6cm
シートサイズ:50.8x41.0cm
Ed.10
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第53回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第53回

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(画像をクリックすると拡大します)写真集『Untitled』(2017年、roshin books)から複写

子どもの眼はマークによく反応する。
絵本を出している出版社のマーク、運動靴についてるメーカーのマーク、デパートのマーク、製菓会社のマークなど、身のまわりにあるマークを意味もなくじっと見つめ、記憶する。
そのイメージは、文字よりもずっと奥深いところに納まるのかもしれない。

そして、おとなになったある日、そのマークがいきなり目の前に出現し、これを知っている!という感覚が体のなかで破裂する。
とはいうものの、そのマークのなにを知っているわけではない。
ただこの形に覚えがあるという驚きにとらえられ、動けなくなるのだ。

この写真を見たときが、まさにそうだった。
壁に描かれた左のマークに、あっ、と声にならない声をあげた。
こういうマークがたしかにあった。ガソリンスタンドを通りかかると、ふいに目に飛び込んできて心がわしづかみにされたのだった。
あれは何だろう、と考えだすともうだめで、イメージが勝手に動きだしてしまう。
丸い部分があたまで、長い曲がったものは手足で、喉のところに付いている短いのもあわせるとぜんぶで6本。脚の数があわないにもかかわらず、いったん蜘蛛だと思うと、そうとしか思えなく、蜘蛛とガソリンがどうつながるのだろう、とつぎなる疑問が浮かんだのだった。

当時のガソリンスタンドはまっ白である。
白は未来を象徴する色で(だから冷蔵庫も、洗濯機も白以外はありえなかった)、ガソリンスタンドは街のなかでまぶしく輝き、晴れている日にその前通ると、思わず目をつむってしまうほどだった。
早く車やバイクを持てる身になって、エンジンを鳴り響かせてあの場所に乗りつけたい。
そんな羨望をそそるに充分な輝きをガソリンスタンドは放っていたのである。

写真のガソリンスタンドも、ペンキのなかにどっぷり浸けたようにぜんぶ白い。
しかも給油機の影から判断するに、時間は正午に近く、太陽は真上から直射している。
まぶしさは頂点に達しているはずだ。
その炎天下の道を、丸い竹籠をさげた老婆が杖をつきながら歩いてきた。
腰が曲がり、上半身は直角に前に突き出し、杖はもう一本の脚になっている。
もんぺの裾は地下足袋のなかにたくしこまれ、腿からつま先までがひとつづきになった姿は、もぞもぞと動く黒い虫のようだ。

一歩また一歩と脚を前に出して虫のように歩く彼女の目に、ガソリンスタンドの姿は映ってはいない。
クルマには縁のない暮らしで、車輪のついたものは、乳母車とリヤカーしかつき合ってこなかったのだ。
力を入れて押したり引っ張たりしなくても動くなんてものは危険で疑わしい、そう思っているにちがいないのだ。

画面の左手には、わずかにリヤカーがのぞいている。
これは老婆と関係あるのか、ないのか。
どちらにせよ、彼女がリヤカーのある場所からスタンドの前を通って、ここまで歩いてきたのはまちがいなく、そこを間もなく通りすぎるというときに、カメラのシャッターがおりたのだった。

このタイミングは偶然ではないだろう。
腰を折って進む老婆の異様な姿と、すぐ上にある例のマークとを、カメラマンの率直な目は重ねて見ずにはいられなかったのだ。
ふたつが交わった瞬間、奇妙奇天烈な凄みが放たれ、白一色の空間は非日常の世界に引っばり込まれ、白昼夢とひとつになった。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●写真集のご紹介
東京をベースに活動する写真専門の出版レーベルroshin booksさんから、柳沢信写真集『Untitled』が刊行されました。
上掲の作品も収録されています。

柳沢信写真集『Untitled』
2017年
roshin books 発行
96ページ
25.6x25.6cm
限定1,000部

roshin booksでは7冊目の写真集として柳沢信(1936 - 2008)の写真集を出版いたします。柳沢は1958年にミノルタの広報誌「ロッコール」において「題名のない青春」という作品で華々しいデビューを飾りました。その後の1961年から2年間は病気のために療養しますが、再び精力的にカメラ雑誌を中心に活動しました。
復帰後の柳沢の視線は日本の各地へと向けられます。氏はデビュー当時から一貫して「写真に言葉はいらない」と言い続けました。被写体、撮影者の感情、それらを言葉で説明する必要もないほどに見つめられ研ぎ澄まされた世界、それがまさしく写真ではないかと。
柳沢信の生前の個展数は4回(グループ展などの出展は除く)、写真集は3冊とその活動時間の割には極めて少数であります。周囲の流行などにとらわれず、自らのペースで眼球に写る世界をフィルムに刻んでいきました。70年代初期には当時カメラ毎日の編集長で天皇とまで呼ばれていた山岸章二からの写真集の出版要請を断ったというエピソードもあります。
1990年に出版された「柳沢信・写真」から27年の月日が経ちました。既に過去の写真集は絶版となり、今ではそれらに触れる機会がありません。柳沢が写した「写真」という言葉以上他にいいようもない圧倒的な世界が再びこの時代に甦ります。60年代から70年代の旅の写真を中心に大田通貫が編集しました。作品はもちろん印刷、装丁、一つの作品として堪能してください。2017年に生まれる歴史的な1冊です。(roshin books HPより転載)

柳沢信 Shin YANAGISAWA(1936-2008)
1936年東京墨田区向島生まれ。1957年東京写真短期大学技術科卒業。桑沢デザイン研究所に入学するが、8月に中退し、以後、フリーとなる。1958年『ロッコール』に「題名のない青春」が掲載され、注目を集めるが、1961年結核と診断され、2年間の療養を余儀なくされる。1967年「二つの町の対話」「竜飛」により日本写真批評家協会新人賞を受賞。翌年、ニコンサロン(東京)で受賞記念展。写真誌を中心に精力的に作品を発表する。1993年イタリア旅行。帰国後、喉頭癌、食道癌が見つかり手術。声を失うとともに、息を止めることができなくなり、シャッターを切れなくなる。2008年6月2日死去。享年71。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第52回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第52回

04
(画像をクリックすると拡大します)

止まると翅を閉じるのが蝶、開いたままなのが蛾、という見分け方は果たして正しいだろうか。

ちょっと胡散臭い気もするが、子どものころはそうやって見分けたものである。目の前をひらひらと舞っている蝶か蛾かわからぬものが、どこかに降りた瞬間、翅を閉じているか開いているかに注目する。
蝶だとうれしく、蛾だとがっかりさせられた。
明らかに蝶のほうがランクが上だった。

その見分け方に従えば、写真に写っているのは、蝶である。
翅が閉じている。前脚をちょんと付き、触覚をピンと上げている。

触覚を動かす音が聞こえそうなほど、静かな写真である。
蝶のほかにだれもいない。見ているものの息をひそませるほどの静寂が支配している。
ふと蝶のしたに影があるのに気付く。
体をどけたら何の影なのかわからないような奇妙なかたちの影が、孤独を感じさせる。

蝶には儚く、か弱いイメージがある。
薄い翅、もげそうな脚、翅の動きを支えるには小さすぎる胴体。
この蝶も、よく見ると翅の端が破れている。鱗粉もはげ落ちて模様も鮮明ではないだろう。
生まれ立てではなく、寿命が尽きる手前の蝶なのだ。

それにしても、この蝶はどういう場所にいるのか。
背景の黒いものは何なのか。
いったいどのくらいの大きさの蝶なのか。

これらの疑問を解く手がかりを、写真は一切与えてくれない。
状況については黙秘するつもりなのだ。
告げたいことはただひとつ。
蝶がたったいま舞い降り立った、とそれだけなのである。

とても広い場所のような印象を受ける。
前脚の前にぼんやりと浮かぶ縦線が奥行きをもたらし、遠い地平線を望んでいるような感覚にもなる。

広大無縁な土地を、なにも頼るものなく進んでいく蝶。
強さや逞しさとは無縁の、いのちの囁きのようなもの。
触覚と前脚のシルエットに生きている瞬間が凝縮されている。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
植田正治
1970年代〜80年代前半
ゼラチンシルバープリント、木製パネル
Image size: 40.6x28.0cm
Sheet size: 53.2x42.9cm

5月13日(土)〜5月27日(土)までときの忘れもので開催する「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」に出品します。

植田正治 Shoji UEDA(1913-2000)
1913年、鳥取県生まれ。15歳頃から写真に夢中になる。1932年上京、オリエンタル写真学校に学ぶ。第8期生として卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。この頃より、写真雑誌や展覧会に次々と入選、特に群像演出写真が注目される。1937年石津良介の呼びかけで「中国写真家集団」の創立に参加。1949年山陰の空・地平線・砂浜などを背景に、被写体をオブジェのように配置した演出写真は、植田調(Ueda-cho)と呼ばれ世界中で高い評価を得る。1950年写真家集団エタン派を結成。
1954年第2回二科賞受賞。1958年ニューヨーク近代美術館出展。1975年第25回日本写真協会賞年度賞受賞。1978年文化庁創設10周年記念功労者表彰を受ける。1989年第39回日本写真協会功労賞受賞。1996年鳥取県岸本町に植田正治写真美術館開館。1996年フランス共和国の芸術文化勲章を授与される。2000年歿(享年88)。2005〜2008年ヨーロッパで大規模な回顧展が巡回、近年さらに評価が高まっている。

◆ときの忘れものは「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催します。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
未発表のカラー写真を含めた約15点をご覧いただきます。
●イベントのご案内
5月13日(土)17時より、写真史家の金子隆一さんによるギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第51回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第51回

兒女と静物 1932_1500
(画像をクリックすると拡大します)

幼女が足を投げ出して床にぺたんと座っている。
両腿の上にのせているのは、何だろう。
かぼちゃにしては光りすぎだし、りんごにしては平たいがー。
足元にはフットボール型のものがあって、そのすぐ上には輪切りになったすいかがある、と書いて不安になった。すいかにしては種が大きすぎないか。
たぶんそうではなくて、瓜科の何かだろう。

果実のほかには水差しがあり、扇風機も半分見えている。
これらは少女に選ばれたのではなく、撮影者が持ってきて配置したのだろう。
少女はただ連れてこられて、言われたままにぺたんと座り、持ちなさい、と言われたものを抱えたのだ。
レンズを見あげる両目は、なぜ?と問うている。
なぜ、わたしは、これをしているの?

でも、撮っている人にその問いをむけても、答えられないだろう。
これらのモチーフは無意識の働きが誂え、並べてみた結果、合うとわかったのだ。
そこには共通項がある。どれもが丸い。直線をもつものが何一つ入っていないのである。

丸みは、柔らかさにつながる。
丸いのに堅い材質のものもあるが、曲線で構成されたものが視覚に訴えるのは、柔らかさであり、素材がわからなければ丸みから柔らかいものを自動的に想像するように、わたしたちの頭は出来ている。

また、丸さには生まれたての印象がある。直線の形をしてこの世に出てくるものはない。生まれいずるものはすべて、出てきやすいように、丸みを帯びた形状をしている。

この少女も同じだ。この世に生きてさほど時間が経っていないことを証拠づけるように、顔も、眼も、鼻も、口も、腕も、爪も、足の指も、丸っこい。そうでないところは見つからないほど、どこもかしこも丸みを帯びて、柔らかい。

でも、少女の丸さと柔らかさを表現するために、写真家は丸いものを集めたわけではないだろう。きっと、少女の雰囲気に合いそうなものを揃えたら、丸いものばかりになったのだ。
ここに絵本とかクレヨンとかを加えると、雰囲気ががらっと変わることからもそれがわかる。直線で構成されたものは、この写真の空気を壊してしまう。意志的で人工的な気配が、生まれたての感じを遠ざけてしまうのだ。

丸いものはみな生命感を孕んでいて、まだ固まっていない、生まれたての状態へと見る者の心を誘う。この写真では扇風機さえもが、それが生み出す風を感じさせるのに驚く。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
塩谷定好
「児女と静物」
1932年
ゼラチンシルバープリント
23.9×22.9cm
サインあり
島根県立美術館寄託

■塩谷定好 Teikoh SHIOTANI(1899-1988)
鳥取県赤碕町(現・琴浦町赤碕)の廻船問屋に生まれる。本名は定好(さだよし)。小学校の頃から写真に親しみ、1919(大正8)年、赤碕に「ベスト倶楽部」を創設する。1924(大正13)年以降『藝術寫眞研究』『カメラ』『アサヒカメラ』『フォトタイムス』などの写真雑誌の月例懸賞に入選を続けた。1925(大正14)年、島根半島多古鼻の沖泊を撮影した《漁村》で、『アサヒカメラ』創刊号の月例懸賞第1位に選ばれる。1928(昭和3)年、日本光画協会会員となる。1930年『藝術寫眞研究』誌上に《三人の小坊主》が発表され、その深遠な表現は多くの写真家たちに感銘を与える。1982年ドイツでフォトキナ栄誉賞を、1983年日本写真協会功労賞を受賞。『塩谷定好名作集 1923-1973』(1975)、『海鳴りの風景―塩谷定好写真集』(1984)が刊行された。大正末から昭和初期の芸術写真が隆盛した時期に、一世を風靡した単玉レンズつきカメラ「ヴェスト・ポケット・コダック」(通称ヴェス単)を愛用し、「ヴェス単フードはずし」と称された軟調描写で山陰の風物を生涯に
わたって写した。日本の芸術写真を代表する写真家のひとりとして、高い評価を得ている。2014年、生家が塩谷定好写真記念館として開館した(琴浦町赤碕)。

●展覧会のご案内
島根県立美術館で塩谷定好さんの写真展「愛しきものへ 塩谷定好 1899-1988」が開催されています。

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「愛しきものへ 塩谷定好 1899-1988」
会期:2017年3月6日[月]〜5月8日[月]
会場:島根県立美術館
時間:10:00〜日没後30分(展示室への入場は日没時刻まで)
休館:火曜 ※ただし5月2日(火)は開館

「自然の心を私の心に重ねる」ように、山陰の風物を生涯写し続けた塩谷定好(1899-1988)。大正末から昭和初期に隆盛した絵画主義の写真「芸術写真」を代表する写真家です。
 19世紀末から20世紀初頭にかけて欧米で隆盛したピクトリアリスム(絵画主義)は、日本で独自の発展を遂げ、豊かな成果をもたらしました。塩谷は、洋画壇の前衛的な作風を取り入れた「日本光画協会」に属し、「ヴェス単」の愛称で知られる小型カメラを愛用し、独特の白の滲みに味わいのある軟調描写で、眼前の日本海や山里などの身近な自然とそこに暮らす人々を写し出しました。印画にメディウムを塗り、油絵具や蝋燭の油煙で仕上げる手法を用いた塩谷作品の深い味わいは、多くの写真家たちの胸を打ち、写真雑誌に次々と掲載されて全国に名を馳せたのです。写真に対するその真摯な態度は、いくつもの神話を生み、写真の道に進んだばかりの植田正治にとって、まさに神様のような存在でした。
 しかし、昭和10年頃から「新興写真」の名のもとにカメラの精緻な描写力をストレートに用いたモダン・フォトグラフィが一世を風靡すると、芸術写真は否定され、戦後のリアリズムなどの新たな潮流のなかで埋もれていったのです。多様な写真表現が展開される現在、芸術写真を再評価する機運が高まるなか、写真家・塩谷定好は、稀有の存在として再び注目されています。80年もの間大切に保存され、日の目を見ることのなかった貴重なコレクション約400点(作品約300点、資料約100点)によって、戦前の作品を中心に塩谷定好の全貌を公開します。
(島根県立美術館HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
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