大竹昭子のエッセイ

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第44回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第44回

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ベッドの上に女性が寝転がっている。
全裸で、男物のような黒い靴下だけを履いて……。
床にはジーンズが脱ぎ捨てられているが、下着は落ちていない。
ジーンズとまとめて一緒に脱いでしまったのか。それとも最初から着けてなかったとか?

夏のあいだ彼女の肌はむきだして、最小限のエリアだけが小さな「布切れ」で覆われていた。
太陽はその肌を印画紙にして布切れを転写した。
フォトグラムの手法で白く焼き付けられた布のかたち。

皮膚がむきだしだと、外界の変化が直に感じとれる。
着衣状態よりも感覚は鋭敏になり、野性が目覚めてくる。
衣装を欠いた裸体から、本来あるべき動物的な裸体に移行する過程を経て、
彼女の体はこの夏無敵の身体へと発展した。

だが、彼女に野性を与えた夏がいま去ろうとしている。
夏は別れに悩まない。ぐずぐずと引き伸さない。
去ると決めたら即実行、振り向いたらもういない、
それが夏というヤツだ。

彼女はその非情さをよく解っている。
からだは夏の側に残しつつも、気持は秋にむけて準備している。
皮膚に焼きつけられたビキニのシルエットが夏の余韻ならば、
足先を覆っている黒いソックスは秋への心得だ。

ベッドの上空には、いままさにバトンを渡して立ち去ろうとする夏の潔さが漂っている。
それに対抗するには、全裸から一気に靴下の極へと走らなくてはならない。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
五味彬
「PLAYBOY 91-06-05」
1991 printed in 2009
Gelatin Silver Print
26.2x20.5cm サインあり

五味彬 Akira GOMI
1953年東京生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。77年渡仏し、ローレンス・サックマン、ミッシェル・ベルトンに師事する。83年帰国後、ファッション誌『流行通信』『エル・ジャポン』などを中心に活躍。93年日本初のCD-ROM写真集『YELLOWS』を発表。その後、『YELLOWS2.0』『AMERICANS』『YELLOWS3.0』など00年までに14タイトルを発表。バンタンデザイン研究所で写真Webデザインを教える。97年東京都写真美術館で《アウグスト・ザンダーと五味彬》展。99年《YELLOWS RESTART》を発表。
97年DIGITALOGUE Gallery Tokyo(東京・原宿)で個展《YELLOWS Contemporary Girls Psycho Sexual》。2008年キャノンギャラリー(銀座、名古屋、梅田を巡回)にて個展《YELLOWS Return To Classic》、ときの忘れものにて個展《五味彬写真展 Yellows 1.0》。09年GALLERY COSMOSで元アシスタントたちとのグループ展《Family Plots》。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

◆ときの忘れものは「アール・デコの作家〜バルビエ、エルテ、ラブルール、カッサンドル展」を開催しています。
会期:2016年9月1日[木]〜9月10日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
201609artdeco
1910年代半ばから1930年代にかけてヨーロッパおよびアメリカを中心に一世を風靡したアール・デコ(仏: Art Déco)を代表する4人の作品約15点をご覧いただきます。

本日は出品作の中からラブルール(Jean=Emile LABOUREUR、1877〜1943)をご紹介します。
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《軍隊の通過》
1900年
木版
22.9×30.0cm
Ed.60
Signed

ラブルールの初期を飾る木版画です。バルビエと同じナント出身で、1911年から銅版画を始める。キュビストたちの影響を受け、エッチングによる繊細な線描により1920年代の都市生活や自然を描いた。新時代のホテルやカフェ、レストラン、モダンなファッションの女たち、デパートで買い物をする人、といったさりげない日常の都市風景を描き、そのさりげなさが多くの人々に愛されたが、それゆえに美術史の上では長く忘れ去られていました。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第43回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第43回

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外に面した側は障子で、手前側は唐紙、ふたつの部屋を仕切るのは板戸である。畳の上には布団が敷かれ、その上には竹製の傘がさがり、丸い電球がふたつ灯っている。

眼が覚めると、部屋のなかは薄暗かった。外は晴天ではなさそう。ヒモを引っ張ってパチンと電灯をつけ、障子を開ける。と、白い光が飛び込んできた。電灯の光量を超えるほどの明るさ。あたり一面に雪が降り積もっている。そこになにがあったかわからないほどの嵩があり、その雪に吸い取られたように音の消えた静かな朝である。

少女が三人いる。そのうちのふたりは窓の前に立って、腰布だけ巻いた姿で外を見ている。上半身は裸だ。右の部屋にいる子は腰ヒモを横にピンとひっぱり、左の部屋の子は両腕を上にあげて五本指をヤモリのように開いてからだをガラスに押し付けている。冷たくないだろうか。

三人目の少女はどこにいるかと言うと、乱れたふとんの上に少し前屈みの姿勢で座っている。顔を窓のほうに向けてぼうっとした様子。肩のラインに力がない。起きたばかりで夢とうつつの間をさまよっているらしい。

もしもこの少女がいなければ、こちらの視線はストレートに窓辺の少女にそそがれるが、彼女がいるためにその視線が意識に入って少女の視線は「わたし」のものになる。つまり、最初にいたのはこの少女だけなのだ。

ふとんから起き上がってふと窓辺を見ると、自分に似た子がそこに立っていた。右目と左目を代表するようにふたりいて、ひとりは腰ヒモをつかんで腕を真っ直ぐ伸ばし、もうひとりは両腕を上にあげて窓に押し付けている。
どうして、なにのためにふたりはこういう格好をしているのか。意図はわからないが違和感はない。もしかするといまより少し先の「わたし」を暗示しているのではないか。

まだ形が定まっていないあやふやな状態の「わたし」は、幻影の背中を見つめながらそんなふうに思い、雪にからだを開いて直立する快感や、見えない意志が発動する震えや、冷たさと熱さの落差がもたらす興奮などが自分のなかから離陸していくのを意識する。そして、雪の朝は何度も経験しているのに、今朝はじめてこういう感覚になったのはどうしてだろうと思い、おとなになったある日、この朝のことが鮮明によみがえってくるのを確信する。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
榮榮&映里
「妻有物語 No.11-3 2014年」
2014年
ゼラチンシルバープリント
50.8x61.0cm

榮榮&映里 RongRong&inri
榮榮:1968年中国の福建省生まれ、北京在住。
映里:1973年神奈川県生まれ、京都在住。
北京を拠点に世界中で展覧会を開催。2007年に北京の草場地に中国初となる写真専門の民間現代アートセンター、三影堂撮影芸術中心(Three Shadows Photography Art Centre)を設立。2010年からは南仏の「アルル国際写真フェスティバル」と提携した「草場地春の写真祭」を開催、2015年には厦門に三影堂厦門撮影芸術中心を設立するなど、中国写真芸術の中心的存在として活動を続ける。国内での主な展覧会に「榮榮&映里写真展 三生万物」(資生堂ギャラリー、2011)、越後妻有アートトリエンナーレ2012、「写真のエステ−五つのエレメント」(東京都写真美術館、2013)、「LOVE展」(森美術館、2013)など。

●展覧会のご紹介
水戸芸術館 現代美術ギャラリーで榮榮&映里の展覧会が開催されています。
「記憶の円環|榮榮&映里と袁廣鳴の映像表現」
会期:2016年7月23日[土]〜2016年9月19日[月・祝]
会場:水戸芸術館 現代美術ギャラリー
時間:9:30〜18:00 ※入場時間は17:30分まで
休館:月曜 ※ただし9月19日(月・祝)は開館

東アジアの進展に伴うかのように、今までにはなかった新しい写真・映像表現がこの地域に増えています。本展ではその中から、日常や伝統を新しいメディアで捉えなおし、自然や家族、人と人との交感を詩情豊かな写真と映像で表現する2組の作家を紹介します。
榮榮&映里(ロンロン・アンド・インリ: 1968年中国生まれ、1973年日本生まれ/写真)は、中国の社会的現実とそこでの彼らの生活を写した作品や、人と美しい自然との関係性を、自身の身体を媒体として表現した作品で高い評価を得ています。地方特有の文化的性質を色濃く残す越後妻有を何度も訪れ、滞在しながら四季折々の里山の風景を撮影した《妻有物語》は、榮榮&映里が創作活動の主軸としている「生命の環」というテーマを象徴する作品となっています。
袁廣鳴(ユェン・グァンミン:1965年台湾生まれ/映像)は台湾におけるビデオアートの先駆者として、ケーブルカムなどの特殊機材や、自ら開発した機器を用いた撮影・展示により、常に映像表現の新たな可能性を追求してきました。彼自身、家、そして家族の日常を中心テーマに制作される作品は、視覚体験のみならず、身体的、心理的な感覚へも訴えかけます。近年は社会の成り立ち、そしてその構成メンバーとしての個に関心を寄せた作品を制作しています。
本展はギャラリーを二分し、榮榮&映里、袁廣鳴それぞれの個展として空間を構成します。「記憶の円環」というタイトルのもとに、二つの個展が並行しつつも共鳴する展覧会となるでしょう。(水戸芸術館 同展HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

●皆様にご協力いただいた「ここから熊本へ〜地震被災者支援展」での売上げ総額634,500円は、一番被害の大きかった益城町でお年よりや子供たちのケアに尽力されている木山キリスト教会に400,000円を、熊本市の城下町の風情を残す唐人町で被災した築100年の商家(カフェアンドギャラリーなどが入居、一時は解体も検討された)の西村家の復興資金に234,500円を、それぞれ送金いたしました。
詳しくはコチラをお読みください。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第42回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第42回

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この写真を見てすぐに頭に浮かんできたシーンがある。60年代のアングラ芝居の観客席の様子である。人が肩を寄せ合って身じろぎもせずになにかのはじまりを待っている、そんな熱気と期待が似ている気がした。だが、よく見ると、「観客」の目の前にあるのは舞台の緞帳ではなくてコンクリートの壁だ。そこには「人民路售票処」と大書されており、切符売り場であるのがわかる。

左に「船票」の文字が見えるから、売り出されるのは船のチケットらしい。いったいどこに行くための船に売り出し前からこんなに列ができるのか。それにしてもこの並び方は尋常ではない。鉄柵の上に一部の隙なくぎっしりと並んでいるさまは、養鶏場のニワトリを想わせる。前屈みになっているのは下の鉄柵に両脚をのせているせいで、接着剤かなにかでくっつけたように全員が一つのかたまりと化していて、だれかの背中をぐいと押したら、全員が前につんのめって落ちてしまいそうだ。

二段目のバーには、つま先の向きが彼らとは反対になっている人たちがのぞき見える。彼らの膝は曲がってなくて伸びている。お尻はどこに据えれているのだろう。見えない場所に腰を下ろせるものがあるとか? それとも背中を向けている人に抱きかかえられているとか? いや、ちがう。上半身を後ろの壁にもたせかけ、宙に浮いた格好で脚だけを柵にのせているのだ。

彼らの足下にもぐって床に腰をおろしている人がいる。もしかしたら、いちばん乗りは彼らだったのかもしれない。しゃがみ込んで場所取りしているうちに、上にどんどん人垣が作られていき、首すら伸ばせなくなったのだ。全身が入り切らずに横向きになって柵にしがみついている人もいるが、彼らは後から横入りしたのかもしれない。この格好から想像できるのは、鉄柵の内側にいることがとても重要だということだ。そうでなくてはチケットを売ってもらえないのだろう。だからきつくてもがまんして、柵のなかに身を忍び込ませ、買う権利を主張しているのである。

券売所が開くのはずっと先で、このままの姿勢でかなり長く待たされるにちがいない。腹を空かせる人が出るのを見込んで露天商が出ていることからわかる。四角いケースのなかにはラップされたサンドイッチが入っている。これをかじりながら、いつ開くとも知れない券売所の窓を忍耐強く待つのだ。小屋に押し込められた家畜のように。

柵の内側にはサンダル履きの人は一人もいなくて、みな靴を履いている。一方、柵の外にしゃがんでいる人のなかには、サンダルをつっかけている男がいる。この差がなにを意味するかわからないが、両者には雰囲気のちがいが感じられる。柵の内側にいる人は「学生」っぽく、対する柵の外の男たちは「おっさん」っぽい。そう思いながら眺めるうちに、内側にいる人たちがスクラムを組んだデモ隊のようにも見えてきた。

思えば、アングラ芝居も学生デモも同時代の出来事で、皮膚をくっつけ合うことは「連体」の証であり、体内の熱が文字どおり集合して場を熱狂させたのだった。ここにいる彼らは熱狂していないが、こうやって待つことをイヤだとも苦しいとも思っていない。比較するものがないから、当然のこととして受け入れているのだ。

そういう心理状態にあるとき、人は家畜に近い姿になる。もっとも、彼らは猛々しいものを内に抱えていて、声も動作も大きく粗暴そうで、姿は家畜に似ていても飼いならされた印象は与えないが、家畜だって怒ったらなにするかわからないのだ。ギリギリのところで耐えているエネルギーの充満を感じる。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
小畑雄嗣
「乗船券予約に並ぶ男たち」
1986年撮影
ゼラチンシルバープリント、アーカイバルピグメントプリント
サイズ:可変
エディション:Sサイズ10、Mサイズ10
サインあり

小畑雄嗣 Yuji OBATA
1962年神奈川県生まれ。1985年日本大学芸術学部写真学科卒業。太陽賞(1987年)、コニカ写真奨励賞(1997年)、日本写真協会新人賞(1998年)を受賞。主な個展に「ヨーロッパの果て−Marginal Land of Europe−」(2001年)がある。主な写真集:平凡社から『Bird of Paradise: MADEIRA』(2001年、平凡社)、『二月 Wintertale』(2007年、蒼穹舍)、『SHANGHAI,SHANGHAI』(2016年、蒼穹舍)など。

●写真集のご紹介
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小畑雄嗣写真集『SHANGHAI,SHANGHAI』特装版(プリント付)
2016年5月15日
蒼穹舎 刊行
A4変型
上製本
モノクロ・カラー
ページ数:136
作品点数:124点
編集:大田通貴
装幀:木村裕治、川崎洋子(木村デザイン事務所)
20,000円(税別)
普及版(限定500部)は5,000円(税別)
※販売については蒼穹舎にお問い合わせください

蒼穹舎では『二月 Wintertale』以来となる小畑雄嗣写真集。1986年と2015年、モノクロとカラー、時代と色数を対象させることで、上海という巨大な都市の移ろいをイメージによって表現した、意欲的な作品集。
(蒼穹舎HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第41回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第41回

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板塀にむかって立っているふたり。ひとりはおとなの男で、もうひとりは小さな少年だ。少年は裸足でやかんのようなものを片手に提げ、もう一方の手をポケットに入れている。おとなの男のほうは、塀に立てかけた自転車(スタンドがない)のフレームの上に立ち上がり、両手を塀にかけている。

この姿を見てまず頭に浮かんだのは、おとなの男の態度が「おとなげない」ということだ。限られた状況のもとで欲求を全うしようとがっついたことをする人がいるが、そういう人物の典型で、好条件の場所に食らいつこうと必死である。

かたや、少年のほうは登れるものは周りになく、裸足だから靴底の厚みすらも助けにならず、自分の身長しか使えるものがない。この限界を察している諦観の気持ちが、少年の背中にそこはかとなく漂っている。子どもとは、願いや望みが遂げられないことを甘受しなければ生きていけない生きものなのだ。

ふたりは塀のなかでおこなわれていることを、外から覗き見ようしているが、その見たいものが何なのか、ということを想像させる要素がここにはまったく写っていない。同じ長さの縦板をつなげた高い塀と、舗装していない土の道と、あとは広い空があるだけだ。男がこんな不安定な格好をしてまでも見たいものとは、いったい何なのだろう。

しかも、たとえ高いところに登ったからといって、見晴らしがよくなるとは思えない。板の隙間が下よりももう少し空いているというわずかな差しか感じられないのだ。にもかかわらず、こんな危なっかしいことをしているのが馬鹿げているが、もしかしたら、塀から頭を出せると思ったのに、わずかなところで足りなかったのかもしれない。少年の立っている位置では、塀の隙間は詰まっていて、覗きの効果は期待できそうにない。それでも、じっと立って見ているいじらしさが、逆に彼の愚かしさを浮き彫りにしている。

もうひとつ考え込んでしまうのは、ふたりの関係である。,燭世旅圓ずり、知っている者同士、親子、という三つの選択肢が浮かんできたが、どれもちがうような気がする。なぜなら、両方ともに、ここに至る前の時間と、後の時間を連想させる気配が少しもないからである。まるで空からポトンと落されたように、ときの流れから置き去りにされた寂寥感と、だれとも邂逅できない孤立感を漂わせている。

と、ここまで考えて、あっ、と声を上げた。実はふたりがいるのは塀の外ではなく、内側なのではないか。中に閉じ込められたまま、外の世界を窺っているのではないか。そう考えると、すべてが腑に落ちる。塀は空間を仕切るだけで、内と外の関係についてはつねに黙秘する。ここは内側なのか、外側なのか。決断を下すのはそこに居る当人なのだ。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
大原治雄
「見物人、パラナ州、ロンドリーナ」
1981年撮影(2009年プリント)
ゼラチン・シルバー・プリント
33.0x50.0cm
2009年、所蔵先のモレイラ・サーレス財団で展覧会が開催された際に作られたプリントのためエディションなし

大原治雄 Haruo OHARA
大原治雄(1909〜1999)は、高知から移民としてブラジルに渡り、農業を営みながらブラジルの自然や家族たちの姿、変わりゆくロンドリーナの町を写真に収め、ブラジル国内で近年評価が高まっている写真家です。彼の写真作品を日本ではじめて紹介する展覧会が高知美術館で開催中です。
大原は、1909年、高知県吾川郡三瀬村石見(現いの町)に生まれました。1927年、17歳で家族らと集団移民としてブラジルに渡り、はじめサンパウロの農園で農場労働者として働き、その後未開拓の地、パラナ州ロンドリーナに最初の開拓者の一人として入植します。28歳の頃に小型カメラを購入し、農作業の合間に趣味で写真を撮るようになります。独自に研究を重ねながら技術を習得し、次第にカメラに没頭していきます。1951年には、サンパウロのフォトシネクラブ・バンデイランチの会員になり、国内外の写真展にも出品するようになります。当時はほとんど無名のアマチュア写真家でしたが、1970年代初頭頃から徐々に知られ始め、地元パラナ州の新聞などで紹介されるようになります。1998年、「ロンドリーナ国際フェスティバル」で初の個展が開催され、大きな反響を呼びます。その後、「クリチバ市国際写真ビエンナーレ」(パラナ州)に第2回(1998年)、第3回(2000年)と連続で紹介され、高い評価を受けました。 1999年、大原は家族に見守られながら89歳で永眠します。2008年、日本人のブラジル移民100周年の記念の年に、遺族によりオリジナルプリント、ネガフィルム、写真用機材、蔵書、日記など一連の資料が、「モレイラ・サーレス財団」(IMS:ブラジルの写真や文学、音楽などを収集研究する機関)に寄贈されました。

●展覧会のお知らせ
高知県立美術館で、大原治雄さんの展覧会が開催されています。上掲の作品も出品されています。

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「大原治雄写真展―ブラジルの光、家族の風景」
会期:2016年4月9日[土]〜6月12日[日]
会場:高知県立美術館
   〒781-8123 高知県高知市高須353-2
時間:9:00〜17:00(入場は16:30まで)
会期中無休

1909年に高知に生まれ、1927年にブラジルに農業移民として渡った大原治雄の写真を日本で初めて紹介する展覧会である。大原はブラジルでは高い評価を受けているが、日本ではこれまで紹介されたことが無く、知られざる写真家の発見となる展覧会である。
展覧会では、1940年代から60年代に撮影された作品を中心に182点のモノクローム・プリントが展示される。また、大原が妻・幸の思い出を編集し子どもたちに手渡したという「アルバム帖」を展示。また渡伯以来書き続けた日記、カメラなどの関連資料が、高知会場のみ特別展示される。(同展HPより転載)

※高知県立美術館での展示の後、下記の会場を巡回します。
 6月18日〜7月18日 伊丹市立美術館
 10月22日〜12月4日 清里フォトアートミュージアム

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第40回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第40回

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(画像をクリックすると拡大します)

黒々した山が建物に迫っている。土の山ではない。ごつごつしたキメの荒い岩山だ。浅間山の鬼押出を歩いたときの記憶がよみがえる。平らなところがなく、どの岩も尖っていて、そこに足を乗せると足元がぐらつき、からだがふらふらした。あそこと同じように、建物ギリギリのところで止まった溶岩の流れが冷え固まってできた山なのか。

建物は二階建てだが、窓の様子からすると住宅ではなさそうだ。ガラス窓はどれも破壊され、弾丸が飛び込んだような跡が付いていたり、アルミのフレームが曲がって外壁に飛び出していたりする。部屋の奥の様子は暗くて見えない。

右端にちらりと写っている空の様子からすると、天気は快晴。斜め上の角度から照りつけた日差しが強そうだ。それにしても、部屋の中が真っ暗なのが気になる。

岩山の影を左に追っていくと、その延長上に別の影が写っている。とっさにブロック塀が思い浮かんだ。影のなかに透かし模様のついた花ブロックに似たものが写っているからだ。

もし本当にブロック塀ならば、手前に立ちはだかる山の大きさからすると、相当に背の高い塀でなければ写真には写らないはずだ。あるいは、この建物めがけて流れてきた溶岩が塀を押し倒し、建物のほうに引き寄せたのだろうか。

ここに至ってもうひとつ気づいたことがある。岩山のはじっこから、葉の長い植物が飛び出していることだ。暗くて不鮮明だが、ラン科の植物を連想させる長い葉が垂れているのが見える。前庭に植わっていたものが溶岩の流れに押しつぶされたのだ。ぐったりした葉の様子から、建物のなかに押し入ろうとする溶岩が間一髪のところで止まったのがわかる。

ここでおもむろに、その植物からそう遠くない位置にいる男の姿に目を移す。彼の姿はもちろん視界には入っていたが、触れるのをためらっていたのは、背広に蝶ネクタイ、シルクハットに雨傘というこの場にそぐわない彼の出で立ちに意表を突かれたからだった。言葉を失うとはこのことだ。

男は窓枠に左足を残したまま、一メートル以上も離れている岩に右足を大きく踏み出している。窓のサッシも岩山も凹凸があって靴底でしっかり踏みしめるのは不可能だ。開脚している姿勢もあぶなっかしく、体が揺れているのか顔からメガネがずり落ちそうになっている。右手に傘を抱えているから余計にバランスがとりにくそうだ。晴天なのだから持ってくることはないのに、帽子を被ると自動的に傘に手が伸びてしまうのだろうか。

男が脱出しようとしているところなのはわかる。わからないのは、なぜこんな格好をしているのかということだ。外出するのに着替えたのではないだろう。この服装で室内でなにかしていたところに溶岩が流れてきたのだ。

そこで行われていたのは、異なる意見の調整がむずかしい会議だったのか。なにかの業績に権威を与える儀式だったのか。あるいは食べきれないほどの料理が並んだ豪華な宴会だったのか。

男はその場を後にし、すたこらさっさと部屋を出る。窓に足をかけて身を戸外に乗り出す。暗い室内からの脱出は、文明からの脱出だったのかもしれない。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
植田正治
シリーズ〈砂丘モードより〉
(『BRUTUS』1985年4月1日号より)
1985年撮影
(没後のニュープリント ※2010年頃)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 23.0x23.0cm
Sheet size: 27.9x35.6cm

植田正治 Shoji UEDA
1913年、鳥取県生まれ。15歳頃から写真に夢中になる。1932年上京、オリエンタル写真学校に学ぶ。第8期生として卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。この頃より、写真雑誌や展覧会に次々と入選、特に群像演出写真が注目される。1937年石津良介の呼びかけで「中国写真家集団」の創立に参加。1949年山陰の空・地平線・砂浜などを背景に、被写体をオブジェのように配置した演出写真は、植田調(Ueda-cho)と呼ばれ世界中で高い評価を得る。1950年写真家集団エタン派を結成。
1954年第2回二科賞受賞。1958年ニューヨーク近代美術館出展。1975年第25回日本写真協会賞年度賞受賞。1978年文化庁創設10周年記念功労者表彰を受ける。1989年第39回日本写真協会功労賞受賞。1996年鳥取県岸本町に植田正治写真美術館開館。1996年フランス共和国の芸術文化勲章を授与される。2000年歿(享年88)。2005〜2008年ヨーロッパで大規模な回顧展が巡回。

●展覧会のお知らせ
アツコバルーで、植田正治さんの展覧会が開催されています。上掲の作品も出品されています。

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「あの時代(とき)のホリゾント
植田正治のファッション写真展」

会期:2016年4月16日[土]〜5月22日[日]
会場:アツコバルー
   〒150-0046 東京都渋谷区松濤1-29-1 クロスロードビル5F
時間:水曜〜土曜/14:00〜21:00、日曜・月曜/11:00〜18:00
火曜休廊
¥500 (includes a drink)

「生涯、アマチュア写真家」を自称していた植田正治が初めてファッション写真を手がけたのは1983年、植田が70歳を迎えた年であった。それまでのファッション写真の枠組みを自由に飛び越えた作品は大きな反響をもって迎えられ、新たに植田正治の名を世に知らしめる契機となった。すでに植田正治を知るものにとっても、生まれ故郷の鳥取にとどまり、戦前からアマチュアリズムを貫いていた植田正治が、商業写真、しかもファッション写真を撮影したことに対する驚きは相当なものだった。
ただひたすらに「写真する歓び」を追い求めることで満足していた植田正治を新たな世界へ導いたのは、当時、アートディレクターとして活躍していた次男の充であった。この年の3月、最愛の妻を亡くし、写真を撮る気力さえ喪失していた父の姿を見かねた充が思いついた"荒療治"、それがデザイナー菊地武夫のブランドTAKEO KIKUCHIのカタログ撮影だった。自らのホームグラウンドとも言える砂丘で、モデルたちを自由に演出することが許された撮影で生来の実験精神と遊び心を取り戻した植田は、まったく新しいファッション写真の世界を創造することになった。それは、期せずしてすでに70歳になっていた植田正治の写真家としての新たな転機にもなる。もともと新しもの好きでハイカラ趣味だった植田正治とファッション写真との相性は抜群だった。その後も、充の手引きにより、多くのファッション写真を手がけた植田正治は、まさに水を得た魚のように次々と名作を生み出していった。後年、「砂丘モード」として知られるようになるこれら一連の作品群は、若い世代や海外にも大きくアピールし、植田の名前を次世代に伝えていく上で重要な役割を果たすことになった。時代と運命を共にする宿命であるはずのファッションは、植田正治の作品の中では色あせるどころか、時代を経てさらに輝きを増し続けている。それは、まさに植田正治が生み出したあらゆる作品にも共通して言えることだ。
本展では、80年代に手がけたファッション写真を中心に植田正治の作品世界を立体的に展示することで、その世界観を追体験する。また「80年代」をキーワードにアート、ファッション、グラフィックなど、バブル経済を背景に成熟の頂点を迎えた時代の証言者たちを迎えたトークセッションの開催も予定されている。
企画協力:植田正治事務所、五味彬、コンタクト
(アツコバルーHPより転載)
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●今日のお勧め作品は、ときの忘れものコレクションより植田正治作品です。
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植田正治
〈砂丘モード〉より《砂丘D》
1983年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 25.0x23.3cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第39回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第39回

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一瞬、新しい生きものを目の前にしているような気持ちになった。全身に背びれと尾びれが隠し込まれ、危険を感じるとそれを一斉に開いて相手を威嚇する。思いがけないところから飛び出した奇妙な翼に、敵は一目散に逃げていく。

でも実際はその逆で、この「生きもの」は威嚇しているのではなく、威嚇されているのだ。大寺院の広場で売り子から鳩の餌を買い、三角錐型の紙筒を手にして一歩踏み出したとたんに、鳩が襲ってきたのである。もっとも彼らには威嚇するつもりはなかっただろう。彼女の右手に握られているものを狙ってまず一羽が降り立ち、それにつられてほかの仲間が群がったのだ。餌を見つけた一羽は翼をたたんで冷静につついているが、ほかの鳩たちは焦りすぎて状況がつかめていない。とくにいちばん高い位置にいるのは闘争的で、あたかも彼女の頭に跨がっているかのようだ。鳩にそんなに長い脚はないというのに。

翼を広げたときの仰々しい形状と、バサバサという羽の音と、近づいてくるときの唐突さ。鳥は不吉な予兆を連想させるが、背後の寺院の複雑な装飾もまたそれと響き合っている。いろんな形が隙間なくひしめき合うさまが禍々しく、悲劇と喜劇が混じり合った狂気じみたものを感じずにいられない。女性の顔も関係しているだろう。目をつむり、口を開いて前歯を露出させ、苦痛と恐怖と喜びがない交ぜになったような表情を浮かべている。着ている服が黒いために、その顔と餌を握った右手が強調されて瞼に焼き付き、いまにも鳥たちの国へと連れ去られていくかのような危うさを漂わせている。

寺院のファサードの一部は別の建物の影で暗くなっている。しかし、彼女の立っている場所はそれから外れており、影を生み出したのと同じ光の照射を受けて顔は輝き、法悦の瞬間のように瞳が閉じられている。そしていま、新たに気づいたのは、彼女の右肩のあたりにイーゼルを立てて絵を描いている男がいるという事実だ。
広場で起きているどんな出来事にもわれ関せずという態度で黙々と絵筆を動かしているこの男は、彼女の顔のサイズよりも小さく、手でぎゅっと握ったような奇妙な圧縮感がある。彼自身が一幅の絵のようでもある。

ふたつを交互に眺めるうちに、ある確信が足下から這い上がってきた。鳥の国に召されようとしている女と、それに背を向けて一心に筆を動かす男。ふたりは無関係のように見えるが、そうではない。この世の謎を象徴する光景として、その位置に男の姿がはまったのは必然なのだ。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
沢渡朔
シリーズ〈Nadia〉より
1971年〜1973年撮影(2016年プリント)
Gelatin Silver Print
Image size: 38.2×57.0cm
Sheet size: 50.8×61.0cm
Ed.5
サインあり

沢渡朔 Hajime SAWATARI
1940年東京生まれ。日本大学芸術学部写真学科在学中より写真雑誌等で作品発表を始め、日本デザインセンター勤務を経て、1966年よりフリーの写真家として活動。
ファッション・フォトグラファーとして活躍する傍ら、『カメラ毎日』を初め数々の雑誌で作品を発表。不思議の国のアリスを題材にした「少女アリス」(1973)や、イタリア人ファッションモデルを撮影した「ナディア」(1973)やなど数々の傑作を生み出し、その後も第一線で活躍を続けている。
主な作品集に『NADIA 森の人形館』『少女アリス』(73)、『密の味』(90)、『60's 』『60's 2』(01)、『kinky』(09)。

●展覧会のお知らせ
Akio Nagasawa Galleryで、沢渡朔さんの展覧会「Nadia」が開催されています。上掲の作品も出品されています。

沢渡朔写真展「Nadia」展
会期:2016年3月18日[金]〜4月10日[日]
会場:Akio Nagasawa Gallery
   〒104-0061 東京都中央区銀座4-9-5 銀昭ビル6F
時間:11:00〜19:00
月・火休廊

1971年、沢渡は、広告の仕事で出会ったイタリア人モデル、ナディア・ガッリィと恋に落ちました。愛する人を撮りつくしたいという写真家としての欲望のもと、夏の軽井沢、ヴェネチア他ナディアの故郷である
イタリア各地、冬の軽井沢、東京といった二人の旅の途上で、沢渡の視線は、被写体としてのナディアと恋人としてのナディアの間を往来し、虚構と現実を行き来する、美しくも不思議な物語が産まれました。
沢渡は、この「Nadia」によって“虚構と現実の往来の中で、一人の女性を撮りつくす”、虚実ない交ぜの
フィクションという自身の表現スタイルを確立し、それまでの女性をモチーフとした作品とははっきりと一線を画す、写真表現の新たな領域を切り開いたのです。
その結果、この「Nadia」は、現在でも語り継がれる戦後日本写真を代表するシリーズであり、
氏の代表作品となりました。
今回の展覧会にあたって、沢渡が「Nadia」シリーズの全てのネガを見返し、現在の視線で今後に残したいと考えるものを新たにセレクトしております。そのため、未発表作品が多数展示されることとなり、
今展覧会は、これまで見た「Nadia」とはまた違った印象を与えることでしょう。
この機会に是非、ご高覧の程、宜しくお願い致します。
展覧会に併せ、未発表作品を多数含む同名の新編写真集「Nadia b/w」「Nadia color」の2冊を、各600部限定/サイン&ナンバー入りにて刊行致します。
こちらもお手にとってご高覧頂けましたら幸いです。
(Akio Nagasawa Gallery HPより転載)

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大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第38回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第38回

IZUPHOTO_motohashi_UENO
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帰省するのだろうか、親子が地べたに座って列車を待っている。客の姿がほかに見えないところを見ると、列車の入線までまだだいぶ時間があるのだろう。用心深いお母さんはふたりの子どもの手を引いて早々とホームに降りて陣取りをしたのだ。荷物は布バッグに紙袋がふたつ。長丁場になるのを覚悟してか、彼女は靴を脱いで敷物の上に足を畳んで座っている。

人々がせわしなく歩いている足下にぺったりと座り込む。いまではもはやそうする人はいなくなったが、ある時期まで駅構内でふつうに見かける光景だった。それはいつ頃までだっただろうと考えてみると、1980年あたりを境に消えたような気がして画面を見まわすと、親子の右手後にメガネの男性がビニール傘を持って歩いているのに気づいて、あれ?と思った。

私の記憶では、ビニール傘を持ち歩く光景はホームに座り込むイメージと一致しない。ビニール傘のほうがずっと後で、時代がちがうという気がする。ところが、ウィキペディアで調べたところ、ビニール傘の人気は1970年代から1980年代にかけて爆発したとあり、意外とむかしなのに驚いた。座り込む姿にぎりぎり間に合っているというか、ビニール傘にバトンを渡すようにして時代が移っていったのだろう。

この親子は望んだとおりの席が取れて、ゆったりと座りながら目的地にむかったはずである。では、席にあぶれて座れなかった客はどうしたかというと、まちがいなく通路に新聞を敷いて腰を下ろしただろう。座る場所がなければ地べたに座ればいい、というのが当時の感覚だったのだ。

私だってそうしていた。しかも記憶を探ってみると、1980年代までそれをつづけていたことに思い当り、びっくりした。さすがに通路は遠慮したが、一番うしろの座席と壁のあいだのスペースや降車口のところに新聞を敷いてどっかりと座り込んだのである。当時は読むだけではない用途が新聞にあり、持っていれば何かと便利だろうという考えから、駅の売店でよく買ったものだ。

地べたに腰を下ろしたとき、いちばん最初に驚かされるのは視界が変わることである。隠されていた世界が扉がぱっと開いて眼前にそそり立ったような感じがする。単に視線が低くなったというだけでは言い尽くせない。立って歩いている人がいきなり「社会人」になり、座り込んだ自分は「社会から降りた人」になる。まわりとの物理的な距離は近くなったようですらあるのに、彼らのいる世界の意味はものすごい速度で遠ざかっていくのだ。視界が変わるとその眼が属する世界は一転する。人の認識力と価値意識の大方は目が見ているものでつくられている。

3人は新聞紙を敷いた上に、座布団ほど厚くはない布のようなものを重ねて座っている。お母さんが靴を脱いで正座しているためか、この敷物のスペースがお茶の間のようにも見えてくる。周囲に同じ眼の高さでものを見ている人はいない。ねえ、見てあそこ、とお兄ちゃんがホームの向かいを指さして言う。ほかのふたりも言われるまま目を向ける。お母さんの表情は静かで落ち着いているが、弟のほうは口が半ば開いて放心状態だ。男の子を夢中にさせるものがそこにあるのだろう。

3という数字が付いている前に、3人の人間が3つの荷物を持って座っている。3の偶然に気付かないまま、彼らは小さな茶の間から同じ方に目をむけて同じものに視線を注いでいる。透明なカプセルに包まれて永遠の時空のなかにいる3人は、そこだけ光が当たったように周囲から浮き上がっている。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
本橋成一
〈上野駅〉より
1981年撮影(2015年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 29.3x44.8cm
Sheet size: 40.5x50.5cm

本橋成一 Seiichi MOTOHASHI
写真家・映画監督 1940年東京生まれ。63年自由学園卒業。65年東京綜合写真専門学校卒業。68年「 炭鉱〈ヤマ〉 」で第5回太陽賞受賞。95年『無限抱擁』で日本写真協会賞年度賞、写真の会賞を受賞。98年「ナージャの村」で第17回土門拳賞受賞。
ドキュメンタリー映画 「ナージャの村」(1997)、「アレクセイと泉」(2002)、「ナミイと唄えば」(2006)、「バオバブの記憶」(2009)を監督、「水になった村」「祝の島」「ある精肉店のはなし」をプロデュース。2015年に最新監督作「アラヤシキの住人たち」を公開した。
主な個展に「本橋成一 ナジェージダ–希望」東京都写真美術(2002)、「本橋成一 写真・映像展:ナジェージダ–希望」松本市美術館(2006)など。主な写真集に『ナージャの村』(平凡社、1998)、『アレクセイと泉』(小学館、2002)、『屠場』(平凡社、2011)、『上野駅の幕間』(新版、平凡社、2012)、『サーカスの時間』(新版、河出書房新社、2013)、『炭鉱〈ヤマ〉 』(新版、海鳥社、2015)などがある。

●展覧会のお知らせ
IZU PHOTO MUSEUMで、本橋成一さんの展覧会「在り処(ありか)」が開催されています。上掲の作品も出品されています。

本橋成一写真展「在り処(ありか)」
会期:2016年2月7日[日]〜7月5日[火]
会場:IZU PHOTO MUSEUM
   〒411-0931 静岡県長泉町東野クレマチスの丘(スルガ平)347-1
時間:2月・3月/10:00〜17:00、4月・5月・6月・7月・8月/10:00〜18:00
水曜休館(祝日の場合は営業、その翌日休み)

本橋成一(1940年– )は1960年代から市井の人々の姿を写真と映画という二つの方法で記録してきたドキュメンタリー作家です。写真集『ナージャの村』で第17回土門拳賞、映画「アレクセイと泉」で第12回サンクトペテルブルグ国際映画祭グランプリを受賞するなど国内外で高い評価を受けています。
本橋は炭鉱、大衆芸能、サーカス、屠場、駅など人々の生が息づく場をフィールドとし、社会の基底にある人間の営みの豊かさを写し出してきました。また、チェルノブイリ原発事故の後もかの地で暮らす人々の日々を主題としてこれまで写真集3冊と映画2作品を制作しています。2016年はチェルノブイリの事故からちょうど30年目の節目の年になりますが、被曝した故郷をテーマとした本橋の写真は、3・11を経たわれわれによりいっそう切実なメッセージを投げかけてきます。
本展では、本橋の原点となる未発表の初期作品から代表作を含めた200点以上を展示し、半世紀にもおよぶ写真家としての軌跡をご紹介します。
(IZU PHOTO MUSEUM HPより転載)

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大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第37回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第37回

菊池東太_1500
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ふつうよりもかなり高い位置に窓がある。そこから、部屋の中に光が斜めに射し込んでいる。光の中心にいるのは、小さな男の子だ。彼は突き出した右腕を左手で押さえており、勢いこんでなにかに挑もうとしているかのよう。前に踏み出された右足もそう感じさせる。

もうひとり動きを感じさせるのは、左から二番目のロングヘアーのサングラスの女性だ。彼女はうつむいて手にしたものをいじっている。それがなにかはわからないが、このしぐさが想像させるのは、電話機の機能をはるかに越えたディヴァイスを指先で操作するという、いまや世界中いたるところで見られる行為である。

彼女のすぐ横には小さな女の子が、少し離れたところには三つ編みをした少女がいて、どちらも興味深そうにそれを見つめていることも、この連想を強める一助になっている。若い人の関心を引くなにかがその手に握られているにちがいない。

立っている男の子の左には彼の母親らしい女性がいる。まだ若く、鼻から口にかけての表情がとてもよく似ている。彼女の顔もロングヘアーの女性に向けられているが、それほど関心があるようには思えない。膝の上にはなにか毛深い生き物が載っていて、せわしなく動きまわるそれを両手で押さえている。

女性の体には幼い息子とおなじくらい光が当たっているし、写真の中央にいるという位置からしても、気を引く存在である。でも、彼女の意識がいまどこに向けられているかは不明だ。サングラスの女性のほうか、動き回る膝の上の生き物か、それともこの部屋とは無関係などこか別の場所をさまよっているのか。

彼女の心のうちを見えなくさせているのはその表情である。この年頃の女性にしては驚くほど動じない雰囲気がある。まわりに無関心だったり、自己中心的なのではなく、重心の定まった超然とした落ち着きがある。

写真を見まわしてみると、そう感じさせる人はほかにもいる。右隣のネックレスの女性、背後にいるメガネの女性、いちばん端の赤ん坊を抱いた女性など、ここにいるすべての年長者が揺るぎのない安定した表情をたたえているのである。こういう人々を目にする機会がめっきり減っている昨今、もしかしたらこれは何十年も前に撮られた写真なのではないか、という想像が生まれる。

その一方で、現代だという思いも捨てきれない。この連想はサングラスの女性から来ている。彼女には長いこと留守していたような、別のところから久しぶりに訪ねてきたような、移動する人の雰囲気がある。彼女がまとっているほかとは違う時間感覚。それは彼女の手に握らている正体不明のものにも関係している。手ぶらで座っている図を想像すると、そのことがよくわかる。写真のイメージがまったく変るのだ。

つまりこの写真には不動と移動の両方の力学が写っているのではないか。不動の力のほうが強く、まるで座っているあいだにいくつもの時代が通過したかのようだ。漬物石のように重くて威厳に満ちたその空間を、移動の力が揺さぶる。重みのない突風のような力によって。

改めて男の子の動きに目を移す。すると、まだオムツがとれていない彼の無意識の動作がふたつをつなぐ掛け橋のように見えてくる。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
菊池東太
「ナバホ・インディアン」
1985年以前撮影(2015年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 24.5x27.0cm
Sheet size: 27.9x35.6cm
Ed.10(予定)
サインあり

菊池東太 Tota KIKUCHI
1943年 大阪府豊中市生まれ
出版社勤務の後、フリー
日本写真家協会会員
日本写真芸術専門学校講師
2012年3月 同校退任
2012年7月 JCII菊池東太写真塾講師

個展
1981年 砂漠のひとびと(ミノルタ・フォトスペース)
1987年 二千日回峰行(そごうデパート)
1994年 木造モルタル二階建て(コニカプラザ)
1995年 アメリカンウエスト〜ミシシッピの西(コニカプラザ)
1997年 ヤタヘェ 北米最大の先住民、ナバホの20年(コニカプラザ)
2004年 足尾(ニコンサロン)
2004年 DESERTSCAPE(コニカミノルタ・プラザ)
2006年 WATERSCAPE(コニカミノルタ・プラザ)
2009年 白亜紀の海(ニコンサロン)
2013年 DESERTSCAPE-2(コニカミノルタ・プラザ)
2013年 白亜紀の海-2(ニコンサロン)
2015年 日系アメリカ人強制収容所(ニコンサロン)
2016年 ナバホ・インディアン(ギャラリー冬青)

写真集
『ヤタヘェ〜ナバホ・インディアン保留地から』(佼成出版社)
『ジェロニモ追跡』(草思社)
『大地とともに』(小峰書店)共著
『パウワウ アメリカ・インディアンの世界』(新潮社)
『アメリカ』ワールド・カルチャーガイド(トラベルジャーナル)
『宇佐と国東』(佼成出版社)
『二千日回峰行』(佼成出版社)


●展覧会のお知らせ
ギャラリー冬青で、菊池東太さんの展覧会「ナバホ・インディアン」が開催されています。上掲の作品も出品されています。

菊池東太写真展「ナバホ・インディアン」
会期:2016年2月5日[金]〜2月27日[土]
会場:ギャラリー冬青
   〒164-0011 東京都中央区中央5-18-20
時間:11:00〜19:00
日・月・祝日休廊

アメリカにインディアンと呼ばれている人たちがいる。
アメリカの先住民族のことだ。かれらはインドから渡ってきたわけではない。
コロンブスがカリブ海に到達した時にインド周辺の島であると誤認したことに由来する。
とにかくかれらはアジア大陸からベーリング海を渡って、アメリカ大陸にやって来た人たちである。
かれらは白人がアメリカにやってくる17世紀までは300万人以上いたという。
数百年にわたる白人との戦いで半数以下に激減したが、現在はほぼ以前の数字に戻ったと推定されている。
2010年の国勢調査で自分は先住民であると答えた人は293万人余り、種族の数は約500部族。
その中で最大の人口を有する人たちは主にアリゾナ、ユタ、ニューメキシコに住むナバホで
20万人を超えている。このナバホの保留地はほぼ北海道の広さに匹敵し、千葉県の緯度と大体同じである。
ナバホはスペイン人から羊を飼うことを習い狩猟民から遊牧民に生活形態を変えた。
そのまま狩猟民を続けたのはアパッチである。
この人たちはナバホである。
羊を100頭あまり飼い、土で造った伝統的な住居、ホーガンに住んでいる。
毎年会いに行って今年で45年になる。
菊池東太

(ギャラリー冬青HPより転載)

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大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第36回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第36回

宮古平良港_1500
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空が広く、その下に海があり、波止場の地面も広々している。
カラーでないのでそれらはおなじ色に統一されている。
この世からちょっとだけ距離を引いた虚構世界のように感じられるのは、このグレートーンのせいだろうか。

頭数を数えてみる。10人いる。
実際にはもっといるだろう。
トタン屋根の小屋は乗船券の発売所で、そのなかには少なくとも券を売っている人がいるし、ほかにも重い荷物の端を台に預けて待っている人がいるはずだ。

待っているとき人は独特な空気に包まれている。
駅であれ、空港であれ、なにかの到着を待っている場所には、必ずそのような気配を漂わせた人がいる。
早く来い!と叫ぼうが、待ちくたびれて苛々しようが、どうしようもない。
自分の意志ではいかんともしがたい状況をただ耐える。
いや、耐えるという意識すらも余計だろう。
ときが流れて「使い道」のない時間を連れ去ってくれるのを願って心を空にするしかない。
そこでは、社長とか校長とか「長」の付く人でもおなじ待つ人の顔になるし、来るときにならないと来ないと諦観する人の姿形をとるのだ。

おしゃべりをしている人はいない。
しゃべればそこに「世間」が生まれるが、
押し黙って使い道のない時間と対しているので、「待つ人」の輪郭がよりくっきりしている。

この静かな光景を構成するひとつの事柄がわたしの目を釘付けにする。
画面の真ん中にいる荷車を引いて立っている馬である。
いろんなポーズを取れずにただ四本足で立っているだけの馬がだれよりも待つ時間を実感させるのだ。
馬がいることでこの写真はより深く「待つ風景」になっている。

クルマに取って代わるまですべての運搬業務は馬が担っていた。
物を運ぶことにかけて彼らほど頼りになる者はいなかった。
荷を載せて「行け!」と言われたら行き、「止まれ!」と言われたら停止する。
飼い主が用足しに行ったり、店で酒をあおっていても、頭を垂れてじっと動かずにいる。
待つことにかけて彼らは人間の上をいく大ベテランであった。

駐車するクルマが耐えているよりはるかに長い時間を待つことにかけてきた馬たち。
自分の意志ではどうにもならない状況を生きるのが彼らの人生であったのだ。
待つ場所で人はほんの少しその馬の運命に近づいていく。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
川口和之
「沖縄幻視行」
1980年撮影(2015年プリント)
デジタルピグメントプリント
Image size: 20.0x30.0cm
Sheet size: 24.2x33.0cm
Ed.25
サインあり

川口和之 Kazuyuki KAWAGUCHI
1958年 兵庫県姫路市生まれ
1977年「Photo Street」創設メンバー
   兵庫県三田市 在住

主な個展
2015年 「沖縄行」 新宿区 Photographers’ Gallery
2015年 「沖縄幻視行」岡山市 Gallery 722
2011年 「PLATINUM FOREST」 新宿区 コニカミノルタプラザ
2010年 「ONLY YESTERDAY」 新宿区 蒼穹舎ギャラリー
2010年 「DISTANCE 掘 新宿区 PLACE M
2006年 「DISTANCE 供 新宿区 PLACE M
2004年 「DISTANCE」 大阪市 Early Gallery
1994年 「沖縄幻視行」 さいたま市 ギャラリー温温
1979年 「街へ」 新宿区 フォトギャラリーPUT
他 多数

主なグループ展
2015年 TAIWAN Photo 2015 台北市 新光三越
2014年 TAIWAN Photo 2014 台北市 新光三越
2007年 PHOTO STREET SUPER SESSION 30th 兵庫県立美術館
1997年 PHOTO STREET SUPER SESSION 20th 姫路市立美術館
1984年 写真の現在、展 大阪府立現代美術センター
1979年 ぬじゅん in 沖縄・大和 那覇市 ダイナハ
1978年 視覚の現在・姫路展 姫路市民会館
1978年〜2015年 PHOTO STREET SUPER SESSION 1〜36 姫路市
他 多数

写真集
2015年 「沖縄幻視行」 蒼穹舎
2014年 「気色ばむ風景」PHOTO STREET
2014年 「COUNTRY ROAD」PHOTO STREET
2010年 「ONLY YESTERDAY」 蒼穹舎

受賞歴
2015年「PHOTO STREETの活動」により第27回「写真の会賞」受賞

●写真集のご紹介
上掲の作品が表紙となっている写真集が、蒼穹舍より刊行されています。

川口和之写真集『沖縄幻視行』
2015年8月6日
蒼穹舍 発行
A4変型/上製/装幀:原耕一/600部
モノクロ/96ページ/写真点数:90点
定価:3,500円(税別)

『40年に亘る沖縄とのかかわりの中で、今回はフィルム時代に撮影したものを中心に写真集を編んだ。
長い時を経て光の化石となった膨大なネガに向き合うと、視えないものを見ようともがいていた時代の記憶が瞬時に蘇る。「沖縄幻視行」は37年前に発表した当時のタイトルだが、「写真になったものを通して他者に伝えるコミニュケーション」が写真行為だとすれば、変貌を続ける沖縄の状況に向き合っていく時に意識の底で持ち続けるべき言葉と信じている。
これからも視えないものが見えたと想える時を希求しながら写真と共に彷徨う事を繰り返していくのだろう。』(蒼穹舍HPより転載)

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大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第35回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第35回

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(画像をクリックすると拡大します)

インドには行ったことがないが、またこの先も行くことはないだろうけれど、行ってみたいといううっすらとした欲望が、この写真を見ていると芽生えてくる。
この世ではめったに得ることのできない豪華な時間が、そこに待っているような気がしてならない。

河のほうに突き出している八角形の建造物がある。
写真を見たとき、最初に目がいったのはそれだった。手でなぞりたいような魅力的な形状をしていて、棚の上などに置かれている容れ物が連想された。トップの八角形の蓋を開けると、なかには茶っ葉が入っている。代々その家に引き継がれてきた細工の美しい茶筒。

八角形のなかはきっと部屋になっている。そこには窓がない。瞑想をする場なのだ(という想像が働く)。湿ったひんやりした空気がこもり、黴臭く、壁の外にある広々した世界とは遮断されている。むろん前に流れている大きな河は見えず、半身でそれを感じながら、その密閉された空間で瞑想する(かもしれない)。

その背後にはもっと大きな建物が控えている。回廊でつながっていて、母屋から離れが飛び出している格好だ。回廊のアーチ型の窓の下には男の姿が見える。写真を見たとき、八角部分のつぎに惹きつけられたのは、この人影だった。腰布だけを巻いた上半身裸の男が台座の縁に座って外に目をやっている。もう一方の男は手にした物を腹にあてて力いっぱい引っぱっている(固くなった茶筒の蓋を開けているのかもしれない!)。

八角形の物体はサイズ感が曖昧なような印象を受ける。大きいようにも、小さいようにも見えるのだ。精緻な形のせいだろうか。それもあるかもしれない。でも、もっと関係しているのは彼らの姿なのではないか。手でそれを隠してみるとわかる。ふたりが消えると意外にも建物らしさが際立ち、大きさにも納得がいく。

ふつうは建物に人が居ればサイズの目安になる。でもこの写真では人の居るせいでそれが不明瞭になっている。物体の意味不明さも彼らの姿により強まっているように思う。つまり、用途のわからない建造物がただあるだけならまだよいが、そこに当たり前のように振る舞っている人間が居るがために、この世にあらざるような謎めいた世界が蓋を開けてしまったのだ。

ふと影絵の劇場のようだと思った。彼らの背後が吹き抜けになっていて、差し込む光がふたりをシルエットにしている。手前には二匹の猿がいて、腰をかがめてなにか拾っている。男たちが食べ物をやったのかもしれず、なにやら物語めいたものが動きだす。

八角の台座は五つ写っていて、奥から二番目のものには立ったり座ったりしている男たちがいる。そこだけ人数が多い。しかもみんなが河のほうを向いている。何か重要なものが、そこからだとよく見えるのだろうか。

手前から二番目の台座には猿が座っている。一匹は河に背を向け、もう一匹は河を眺めている。人間もひとりいて、空には鳩が群らがっている。

統合すると、この写真には人間と猿と鳩の三種の生き物が写っている。探せばネズミなんかもいるかもしれないが、肉眼で認められるのはこの三つだ。生きて呼吸しているものが、等しく、同じ時間のなかに身を置いている。餌を拾う猿なら猿の、茶筒の蓋を開ける男なら男の、立ち上がって遠く眺めている男なら男の、群れをなして舞う鳩なら鳩の事情というものがあるはずだが、この場にいて感じとっていることには大差がない。複雑な事情を手放してみんなが無心になっている。豪華な時間とはこういう時間のことを言うのだ。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
井津建郎
「EL294#2 Vrindavan 2014, India」
2014年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 38.0x38.1cm
Sheet size: 50.8x40.6
Ed.20
サインあり

井津建郎 Kenro IZU
1949年 大阪に生まれる
1969-1970年 日本大学、芸術学部写真科在学
1970年 ニューヨークへ移住
1974年 ニューヨークにてKenro Izu Studio を設立
1979年 最初のエジプトでの撮影を通じて『聖地』に興味をもち、以後ライフワークとして撮影を世界30カ国以上において続けている。
1983年 14x20インチのフィルムを使った密着プラチナ・プリント技法を開始する。
1993年 初めてカンボジアを訪れ強い感銘を受ける。その後アジアの『聖地』の撮影を始める。同時に病気や地雷による怪我をおっても病院で治療を受けられないカンボジアの子供たちの姿を目の当たりにしたことからチ ャリティー活動を開始し、1999年に子供のための病院をカンボジアに設立した。その後も現在にいたるまで制作の傍らチャリティー活動にも尽力している。
2013年 インドにおいての人間の尊厳と生命のドキュメント作品『永遠の光』の開始

●展覧会のお知らせ
京橋のツァイト・フォト・サロンで、井津建郎さんの展覧会が開催されています。上掲の作品も出品されています。

井津建郎写真展「 Eternal Light - 永遠の光 」
会期:2015年11月18日[水]〜12月19日[土]
会場:ツァイト・フォト・サロン
   〒104-0031 東京都中央区京橋3-5-3 京栄ビル1F
時間:10:30〜18:30(土曜日は17:30まで)
※日・月・祝日休廊

鮭は川で孵化して稚魚となり、海を目指して長い旅に出る。やがて海で大きく成長した鮭は漁師の網や大型魚の攻撃をかいくぐり再び何千キロもの旅を続け生まれ故郷の川を目指す。そして必死の力を振り絞って川を遡り、ようやく産卵を終えたのちその生命の円を閉じるという。
インドで出会った人々、その多くはカースト制度の外あるいはその末端近くで信心深く日々を生きる人たちだった。そして生命の最後の数日を家族とともに解脱を信じて聖なるガンジスの畔で過ごし、河畔で荼毘に付されることを彼らは願う。孤児、寡婦、あるいは旅立ち近い老人、その境遇にもかかわらず信仰深く生きる人々に生命の尊厳を感じて、私は私自身にとって初めての人間ドキュメントと言えるこの作品を制作した。
夜明け前に見た荼毘跡に残る熾火の微かな瞬きが、あたかも生命を輝かせる永遠の光のように見えた。
井津建郎

プラチナプリントの美しさに定評のある井津建郎ですが、2年以上の歳月をかけてインドで撮影を行った本作は銀塩写真で制作されました。プラチナプリントとはまたちがったモノクロームの味わいのある深みと、井津ならではの雄弁な表現力は観る者を圧倒します。是非ご高覧ください。
(ツァイト・フォト・サロンHPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
tokinowasuremono
緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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