大竹昭子のエッセイ

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第47回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第47回

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羊飼いが牧草地でピクニックをしている。
草原に布を広げ、と書いてからよく見ると、布ではなくて上着のようだ。ジッパーがついているのでわかる。野外とはいえ、テーブルはなくてはならない。食べ物を置くため、というよりも祝祭的な気分を盛り上げるために。裏地のチェック模様がテーブルクロスっぽく、最適だ。

「テーブル」の上にはパンが載っている。ぶっといのがごろんと三本。加えて画面の端にぽつんともう一本。ソーセージかチーズがありそうだと探すが、見当たらない。代わりに見つかったのは缶詰である。くるくると巻き上げる蓋の中は何だろう、と思って見つめていると、そこから少し離れたテーブルの左うしろにチーズらしきものが顔を覗かせているのがわかる。あの丸い入れ物はカマンベールにちがいない。

祝祭気分は上々のようだ。すでにワインが2本空いており、3本目のボトルにハンチングの男の手がかかっている。右のセーターの男より彼のほうがずっと飲ん兵衛なのだ。すっかりでき上がった様子で寝転がっている。

セーターの男は用心深い性格で、もう一本開けて大丈夫かな、という表情でそれを見ている。上着を脱いで草の上に敷いたのも、この男だ。なかなか几帳面な人なのである。昼飯、いっしょに喰わないか?とハンチングに誘われ、悪くないな、と応じて、羊同伴でこの草原で落ち合うことと相成ったのだ。

背後にいる羊はふたりが共同で飼っているのだろうか、と考えていると、群れのなかにRFという焼き印が捺されているのが見つかった。どちらかの羊がRFなのだ。見分けがつくよう徴が要る。ごっちゃになるのはよくない。付けたのはセーターの方だ、という気がする。

羊はどのくらいいるのか、画面を外れたほうまで群れは広がっている。数えきれないほどたくさんだ。彼らは草を食むわけでなく、羊のようにおとなしいという形容どおりの静けさでその場に佇んでいる。

そのなかに一頭だけ男たちのほうを向いているのがいる。目の離れた淡い三角形の顔を正面に突き出し、テーブルをのぞき込んでいる。その表情はどう考えても「なに食べてんの?」と言っているとしか思えない。

と、たちまち羊と人間の立場が逆転して、この写真の主人公は彼らだ、という声がどこかから響いてきた。たしかに、数から言っても羊のほうがマジョリティーである。どんなに待たされても怒らないし、急かさない。寛容な心をもってご主人に交遊のときを許している。薄ぼんやりした顔が神々しく輝きだす。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
ロベール・ドアノー
〈移牧〉シリーズより「野営」
1958年
ゼラチン・シルバー・プリント
40.0×50.0cm
©Atelier Robert Doisneau/Contact

ロベール・ドアノー Robert DOISNEAU
1912年パリ郊外のジョンティイ生まれ。印刷会社でリトグラフの仕事を経験後、1931年写真家に転向。1934年ルノー自動車で広告、工業写真家として勤務し、1939年に独立するが、すぐに召集を受ける。パリ陥落後はレジスタンス活動に加わる。戦後は1946年にラフォ通信社に参加し、フリー写真家として「パリ・マッチ」などのフォトジャーナリズム分野で活躍。一方、1948年から1952年まではファッション誌の「ヴォーグ」の仕事も行う。
パリの庶民生活をエスプリを持って撮影し、もっともフランス的な写真家として根強い人気がある。1947年にコダック賞、1956年にニエペス賞を受賞。また、シカゴ美術館(1960年)、フランス国立図書館(1968年)、ジョージ・イーストマン・ハウス(1972年)をはじめ世界中の主要美術館で回顧展が開催されています。1994年、歿。

●展覧会のご案内
静岡県のベルナール・ビュフェ美術館で、「ロベール・ドアノーと時代の肖像 ―喜びは永遠に残る」が開催されています。

「ロベール・ドアノーと時代の肖像 ―喜びは永遠に残る」
会期:2016年9月15日[木]〜2017年1月17日[火]
会場:ベルナール・ビュフェ美術館
時間:10:00〜16:30(入館は閉館の30分前まで)
休館:水曜(祝日の場合は翌日休)、2016年12月26日[月]〜2017年1月6日[金]は休館

日常の小さなドラマを絶妙にとらえ、「イメージの釣り人」と評されるフランスの国民的写真家、ロベール・ドアノー(1912-1994)。ドアノーがとらえた、パリの恋人たちや子どもたちの豊かな表情、ユーモアや風刺の効いた街頭の一場面など、人間に対する無限の愛情と好奇心に満ちた写真は、時代を超えて世界中で愛され続けています。
写真家ロベール・ドアノーを語る上で欠かせない分野、それが「ポートレイト」です。鋭い洞察力と観察眼に裏打ちされたドアノーによる芸術家のポートレイト群は、ドアノー自身の「見る喜び」を見事に体現したものでもあります。
本展では、同時代を代表する人々を写したポートレイトを中心に、精選されたドアノーの代表作など、未発表作品を含む約140点を一堂に展示します。ロベール・ドアノーのまなざしを通して提示される同時代人たちの肖像は、写真の本質でもある「見る喜び」とともに、あらためて創造の喜びを私たちに伝えてくれるに違いありません。(ベルナール・ビュフェ美術館HPより転載
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●大竹昭子ポートフォリオ『Gaze+Wonder NY1980』のご案内
600600
大竹昭子ポートフォリオ『Gaze+Wonder NY1980』
発行日:2012年10月19日
発行:ときの忘れもの
限定8部
・たとう入り オリジナルプリント12点組
・写真集『NY1980』(赤々舎)挿入
テキスト:堀江敏幸、大竹昭子
技法:ゼラチンシルバープリント
撮影年:1980年〜1982年
プリント年:2012年
シートサイズ:20.3x25.4cm
各作品に限定番号と作者自筆サイン入り
価格:220,000(税別)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●大竹昭子写真集『NY1980』(サイン本)のご案内
NY1980大竹昭子写真集『NY1980』サイン本
2012年
赤々舎 発行
109ページ
20.5x15.7cm
テキスト:大竹昭子(ときの忘れものWEB連載エッセイ「レンズ通り午前零時」に加筆・修正+書き下ろし)
デザイン:五十嵐哲夫
2,300円(税別) ※送料別途250円

「撮るわたし」と「書くわたし」を育んだ80年代のニューヨークへ!
鋼鉄のビルが落とす鋭い影、ストリートにあふれるグラフィティー。
30年前、混沌のニューヨークへ渡り、カメラを手に街へ、世界へと歩きだした。生のエネルギーを呼吸し、存在の謎と対峙する眼。
ジャンルを超えて活躍する著者が、写真と言葉の回路を解き明かした重要な一冊。
そこに通っているのは一本のレンズ通りである。虚構と現実をつなぐこの通りこそが、過去といまと未来を接続するラインなのであり、それをつかみとることに生のリアリティーがあるのを強く確信したのだった。(本文より)
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本日の瑛九情報!
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彼の魂は扉の向うとこちらにいる。
その居ずまいが存在理由
ふと差出された真昼の夢は
陰と陽の落し子

瀧口修造【瑛九へ「ノートから 1951」】より)〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

戦後の前衛美術‘50-70 Part III S氏 & Y氏コレクション(入札)」
会期:2016年12月3日[土]―12月10日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
入札締切り:12月10日[土] 17時必着

2016121950年代から「夜の会」など前衛美術運動に参加、国際的な視野にたって活躍したS氏と、同じく50年代から丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を携えて全国を巡回した反骨の評論家Y氏の旧蔵作品を入札方式で頒布します。
好評だったPart I及びPart IIに続き、1950〜70年代の前衛の時代を駆け抜けた作家たちの希少なコレクションです。
*下記の画像はクリックすると拡大しますが容量の関係で鮮明ではありません。より鮮明な作品画像は下記のURLにてご覧ください(クリックすると拡大します)。
http://www.tokinowasuremono.com/tenrankag/izen/tk1612/284/284_list.jpg
201612戦後の前衛〜_5000

リストはHPには公開しません
入札リスト(最低価格入り)をご希望の方は、こちらから、必ず「件名(入札リスト希望)」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してお申込みください。希望者には郵送でもお送りします。
出品予定
赤瀬川原平「零円札」、荒木経惟『センチメンタルな旅』、池田龍雄、伊坂義夫、石内都『YOKOSUKA STORY』、猪瀬辰男、入野忠芳、岩崎巴人、岡本太郎、オノ・ヨーコ Yoko ONO『Grapefruit』、小山田チカエ、河原温「印刷絵画」、絹谷幸二、俊寛(久保俊寛)、桑原盛行、小松省三、近藤竜男、斎藤義重、桜井孝身、篠原有司男、白髪一雄、勝呂忠、スズキシン一、ヌリート・マソン・関根、多賀新、高山良策、田口雅巳、谷川晃一、田淵安一、たべけんぞう、利根山光人、土橋醇、豊島弘尚、中村宏、古沢岩美、三浦久美子、水谷勇夫、緑川俊一、南桂子+浜口陽三、元永定正、横尾忠則、ヨシダ・ヨシエ、吉仲太造、吉原治良、依田邦子、K Noriko(K・ノリコ)、Eugene BRANDS(ユージーン・ブランズ)、Beatriz SANCHEZ(ベアトリス・サンチェス)、Gerard Schneider(ゲラルド・シュネーデル)、Salvador y Domenech DALI (サルヴァドール・ダリ)、Mark TOBEY(マーク・トビー)、Roberto CRIPPA(ロベルト・クリッパ)、Pierre ALECHINSKY(ピエール・アレシンスキー)、Jean TINGUELY(ジャン・ティンゲリー)、
具体』機関誌4号・8号、
五人組写真集 REVOLUTION』季刊第1号(1972年 池田昇一、伊藤久、鈴木完侍、彦坂尚嘉、矢野直一)、
色彩と空間展」南画廊ポスター1966年(磯崎新、山口勝弘、アン・トルーイット、サム・フランシス、三木富雄、田中信太郎、湯原和夫、五東衛(清水九兵衛)、東野芳明)、
現代美術フェスティバル」ポスター1970年(荒川修作、岡本信次郎、馬場彬、三木富雄、元永定正、山口勝弘、吉仲太造、村上善男、伊藤隆道、野田哲也、高松次郎、柵山龍司、池田満寿夫、若尾和呂、瀬木愼一)

ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサートのご案内
第4回「ガット弦で弾く、J.S.バッハとG.クルタークのチェロの無伴奏作品」

日時:2016年12月22日(木)18時
会場:ときの忘れもの
出演:富田牧子(チェロ)
プロデュース:大野幸
曲目:J.S.バッハ (1685-1750)/無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1009
ジェルジュ・クルターク(1926- )/メッセージ −クリスチャン・ズッターへの慰め、他
詳細はコチラをお読みください。
*要予約=料金:1,000円
必ず、「件名(第4回ギャラリーコンサート予約)」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してメールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
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 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は毎月14日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
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 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
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 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
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大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第46回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第46回

山田脩二「ひと夏の旅」より(佐田岬半島)_1500
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男の子の世界と、女の子の世界。
真ん中の樹木によってふたつに分たれている。
女の子の世界は木の根方より低いところにあり、陽がよく当たる。
男の子の世界はそこより少し高くて、木陰になっている。

女の子たちはおしゃべりしながら、膝の上に広げた帳面に何かを書き付けている。
男の子がしているのはそれぞれ別のこと。奥にいる子は両脚を木の幹にもたせかけてドリル帳のようなものを両手で掲げ、手前の子は顎の下に手を置いて膝を折って眠っている。

どこの子も齢は七、八歳くらい。にもかかわらず、おとなになったときの姿が早くもその身に宿っているように感じられてならない。子どもらしい、と感じるのと同時に、歳を重ねたおばさんやおじさんを見ているような感覚にもなるのだ。

たとえば、少女たちが土間で干した豆をよったり、梅干しを漬けている姿を、すんなりと目に浮かべることができないだろうか。手を動かしながら口も動かしていて、おしゃべりしつつも作業は着々と進んでいく。

少年たちがいるのは、田んぼが見渡せる屋根付きの台の上だ。弁当を食べ終えて一休みしているところで、ひとりは農事日記をめくって昨年の作柄を振り返り、もうひとりは胎児のように身をちぢめて昼寝している

どちらか一方の世界に重心を置くこともできたが、写真家はそうせずに世界をまっぷたつに分けてとらえた。樹々を境にして男女の世界が別々にあることに反応し、画面の左右にそれを分銅のように分けてバランスをとったのだ。

それから数十年がたったいま、写真を見ながらわたしは思うのだ。世界を男と女に分けてバランスを取るのは、そのころの社会のやり方でもあったということに。

共同体的なものをひきずっている社会に暮らす人間は、都市社会にいる人間と表情がちがう。昔はもちろんのこと、現代でもそうだ。子どものなかにおとながいる、と同時に、おとなのなかにも子どもがいる。都会のおとながハメを外して子どもじみた騒ぎをするのとは別の子どもがいる。

それは、「うしろを振りむくと親である/親のうしろがその親である」ではじまる山之口莫の詩「喪のある風景」にあるような、人から人にバトンが渡された記憶がふっと表にでてくる瞬間だ。日の光、土のにおい、風のにおい、空気の湿り気などに呼び覚まされ、人のからだに一瞬灯るそれは、子どもでもあり、おとなでもある人の姿なのだと思う。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
山田脩二
〈ひと夏の旅〉より(佐田岬半島)
1963年撮影
ゼラチン・シルバー・プリント
29.4×20.5cm
『山田脩二 日本旅1961-2010』(2010年、平凡社)収録

山田脩二 Shuji YAMADA
1939年兵庫県生まれ。桑沢デザイン研究所を修了後、印刷会社で印刷と写真の技術を2年間学ぶ。退社後、グラフィックデザイナーを目指しながら、常滑や瀬戸内海などを旅する。1970-80年代にかけて、建築写真家(カメラマン)として活躍。造形的な写真を撮り続けるかたわら日本各地を旅して、新旧入りまじった村や街、都市の風景を撮影した写真が、数多くのメディアに取り上げられる。1982年に職業写真家に「終止符宣言」をして、兵庫県淡路島の瓦生産地集落・津井で瓦師(カワラマン)に転身。伝統的ないぶし瓦を現代に活かす作り手として活動しながら、地域に点在する炭焼生産地の現場を訪ね、"焼き"にこだわり続ける。主な著書、『山田脩二 日本村1969-79』(1979年、三省堂)、『カメラマンからカワラマンへ』(1996年、筑摩書房)、『山田脩二 日本旅1961-2010』(2010年、平凡社)など。

●展覧会のご案内
兵庫県の西脇市岡之山美術館で山田脩二さんの展覧会が開催されます。
「山田脩二―日本村・日本旅・日本晴れ―」展
会期:2016年11月27日[日]〜2017年3月26日[日]
会場:西脇市岡之山美術館
   〒677-0039 兵庫県西脇市上比延町345-1
時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館:月曜日(祝日の場合は翌日)と祝日の翌日、年末年始12月29日(木)〜2017年1月3日(火)
入館料:大 人 310円(260円)
高大生 210円(160円)
小中生 110円(80円)  ()内20名以上の団体割引料金
※障がい者割引有
※ココロンカード利用可

西脇市岡之山美術館は「山田脩二―日本村・日本旅・日本晴れ―」展を開催する運びとなりました。
山田脩二は1939年兵庫県武庫郡鳴尾村(現西宮市)に生まれ、桑沢デザイン研究所に学び、グラフィックデザイナーを志して印刷工場の現場に2年間身を投じた後、職業カメラマンとして主に建築写真のジャンルで活躍しました。同時に日本各地を旅して人々の生業と暮らしの表情、常滑などの焼きもの産地の製造現場、都市と地域をカメラに収めました。それらの仕事の集大成写真集『山田脩二・日本村1969―1979』(1979年、三省堂刊)は、高度成長によって新旧が激しく混じり合う、常に変容してやまない日本の姿が映し出された貴重なドキュメントとして注目を浴びました。
1982年以降は淡路島の瓦産地、津井に移住して瓦師(カワラマン)となり、2007年南あわじ津井の瓦衆と《達磨窯プロジェクト「脩」》を立ち上げ、達磨窯を復興・築窯し、いぶし瓦を焼き続け、銀色に渋く光る肌と独特の風合いをみせる瓦・敷瓦の製造を手がけながら淡路島の風景、全国に点在する炭焼きの現場、日本の津々浦々の写真も撮り続けています。
本展は、淡路移住以降の写真の仕事を中心に紹介し、淡路の達磨窯との出会いが生む独創的な“山田瓦”の仕事、写真も瓦も焼いて、裏と表の“焼き具合”に徹底的にこだわる山田脩二の人生の旅そのものの魅力を紹介します。(プレスリリースより転載)

[イベント]
山田脩二とキュレーターによるギャラリートーク

日時:11月27日(日)11:00〜11:30
会場:本館

スライドショー&対談
山田脩二×山均(当館客員キュレーター、神戸芸術工科大学教授)
日時:11月27日(日)14:00〜15:00
会場:アトリエ
参加費:無料(要入館料)
定員:20名(要予約)

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●大竹昭子ポートフォリオ『Gaze+Wonder NY1980』のご案内
600600
大竹昭子ポートフォリオ『Gaze+Wonder NY1980』
発行日:2012年10月19日
発行:ときの忘れもの
限定8部
・たとう入り オリジナルプリント12点組
・写真集『NY1980』(赤々舎)挿入
テキスト:堀江敏幸、大竹昭子
技法:ゼラチンシルバープリント
撮影年:1980年〜1982年
プリント年:2012年
シートサイズ:20.3x25.4cm
各作品に限定番号と作者自筆サイン入り
価格:220,000(税別)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●大竹昭子写真集『NY1980』(サイン本)のご案内
NY1980大竹昭子写真集『NY1980』サイン本
2012年
赤々舎 発行
109ページ
20.5x15.7cm
テキスト:大竹昭子(ときの忘れものWEB連載エッセイ「レンズ通り午前零時」に加筆・修正+書き下ろし)
デザイン:五十嵐哲夫
2,300円(税別) ※送料別途250円


「撮るわたし」と「書くわたし」を育んだ80年代のニューヨークへ!
鋼鉄のビルが落とす鋭い影、ストリートにあふれるグラフィティー。
30年前、混沌のニューヨークへ渡り、カメラを手に街へ、世界へと歩きだした。生のエネルギーを呼吸し、存在の謎と対峙する眼。
ジャンルを超えて活躍する著者が、写真と言葉の回路を解き明かした重要な一冊。
そこに通っているのは一本のレンズ通りである。虚構と現実をつなぐこの通りこそが、過去といまと未来を接続するラインなのであり、それをつかみとることに生のリアリティーがあるのを強く確信したのだった。(本文より)

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
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 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は毎月14日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は毎月30日の更新です。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第45回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第45回

<日々>より、1971年 (2)
(画像をクリックすると拡大します)

さっきからずっと気になっていることがあるような気がしてこの写真を見ているが、それが何なのかわからない。

犬が顎を上げて鼻を天に向けている。スタイルとしては遠吠えにちかいけれど、口は開いていないし、そもそも窓辺に手をついてそんなことはしないだろう。きちんと揃えられた両手には鼻先とおなじくらい神経が張りつめている。

犬のうしろには竹で編んだ背負い籠のようなものがある。同じものがその背後にも、右手にもあって、それらは天井まで高く伸びている。
あるのは籠だけ、という部屋である。

でも、籠の収納場にしては建物の造りは凝っている。窓のまわりの壁にはガラスキューブがはめられ、その横の壁は小さなタイル仕立てで、上部にはまた別の横長のタイルが張られている。ちょっとモダンな雰囲気を漂わせる建物のなかに、籠と犬が居る。

ところで、彼(犬のことだ)は鼻を上にむけて何をしているのか。空気の匂いを嗅いでいるのか。いい匂いがするが、それはどこだろうと出所を探っているのか。いまは匂いを嗅いでいるけれど、それが終わったらどうする? 
外国の老人のように、窓辺から道行く通行人を眺めて過ごすのだろうか。

と、そこまで来てようやく気になることが何かがわかった。
窓の下にある車のことである。その運転席に人がいない。気になっていたのはそのことだった。
答えは簡単だ、車を駐車して出て行ったんだ、と言う人がいるかもしれない。つまりこの車は路上駐車しているのだと。

でも、どうしてもそうは思えないのである。
道はわずかに傾斜していて、画面左手には何かの影が建物の上まで大きく伸びている。どこか不吉な印象の影だが、その影を出て緩やかな上り坂を進んできた車は、いま窓の下を通過し、彼(犬のことだ)の黒い鼻先が示す方向(そこは陽の当たる場所だ)へと、走り去ろうとしているのである。
坂を上っていく車のエンジン音を、彼(犬のことだ)は聞いたにちがいない。中に人が乗っているかどうかは関心の埒外で、無人とは気づかなかっただろうけれど。

ところで、この部屋の床はどのあたりあるのか。さっぱり想像がつかない。もし彼(犬のことだ)がその床に後脚で立っているならば、窓の位置は異様なほど低くなる。もっと下のほうに床があるならば、何かの上に乗って立ちあがっていることになる。

そこまでして身を乗り出し、追わなければならない匂いとは、いったいどんな匂いなのか。光る鼻先を見つつ彼(犬のことだ)に尋ねてみると、固まった姿勢のままきっぱりと、「アナタには決して嗅ぐことのできない匂いです」と断言したのだった。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
牛腸茂雄
〈日々〉より、1971年
1967-68年撮影(2016年プリント)
(初出『カメラ毎日』1968年10月号、<四匹の犬>)
ゼラチン・シルバー・プリント
Image size: 12.0x18.0cm
Sheet size: 24.0x30.5cm

牛腸茂雄 Shigeo GOCHO
1946年11月2日、新潟県南蒲原郡加茂町(現・加茂市)で金物屋を営む家に次男として生まれる。3歳で胸椎カリエスを患いほぼ1年間を寝たきりで送る。 10代から数々の美術展、ポスター展などに入選。 1965年、新潟県立三条実業高等学校を卒業後、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科入学、その後、リビングデザイン研究科写真専攻に進む。 1968年、同校卒業。デザインの仕事と並行して写真を撮り続ける。 1977年、『SELF AND OTHERS』(白亜館)を自費出版。1978年、本写真集と展覧会により日本写真協会賞新人賞受賞。 1983年、体調不良のため実家に戻り静養を続けるが、6月2日、心不全のため死去。享年36歳。 2004年には回顧展「牛腸茂雄 1946-1983」(新潟市立美術館、山形美術館、三鷹市民ギャラリー)が開催され、2000年には佐藤真監督によるドキュメンタリー映画「SELF AND OTHERS」が製作され大きな反響を呼ぶ。 2013年、『こども』(白水社)、新装版『見慣れた街の中で』(山羊舍)が相次いで刊行された。

●展覧会のご案内
FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館企画写真展
「GOCHO SHIGEO 牛腸茂雄という写真家がいた。1946-1983」

会期:2016年10月1日[土]〜12月28日[水]
会場:FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)写真歴史博物館
   〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目7番3号(東京ミッドタウン・ウエスト)
時間:10:00〜19:00(入場は18:50まで)
会期中無休
作品点数:約30点
入場料:無料
主催:富士フイルム株式会社
監修協力:三浦和人
後援:港区教育委員会
企画:コンタクト

 新しい写真表現の豊穣期であった1970年代、その一翼を担う写真家として注目を浴びながら、36歳という若さでこの世を去った牛腸茂雄という写真家がいました。
 1946年、新潟県に生まれた牛腸茂雄は3歳で胸椎カリエスを患い、長期間にわたって下半身をギプスで固定される生活を余儀なくされたことから成長が止まり、生涯、身体的ハンディとともに生きていくことになりました。10代からデザインの分野で非凡な才能を見せた牛腸の大きな転機となったのが、高校卒業後、デザイナーを志し進学した桑沢デザイン研究所での大辻清司との出会いでした。戦後美術史に重要な足跡を残した写真家・大辻は、新しい世代の礎となる才能を数多く見出した優れた教育者でもありました。「もしこれを育てないで放って置くならば、教師の犯罪である、とさえ思った」。その回想にある言葉通りの大辻の熱心な説得は、牛腸の心を動かし本格的に写真の道を歩む決意を固めます。
 レンズを通して見つめる新たな世界を獲得した牛腸茂雄は、憑かれるように創造の世界に没頭し、カメラ雑誌などに発表した作品が次第に評判を呼び、若い世代の写真家として注目されるようになっていきました。何気ない日常で出会った子どもたち、家族、友人... 静逸で淡々とした作品の奥からこちらを見つめる被写体のまなざしは、写真を通して「自分と世界との関わり」を探求し続けた牛腸茂雄のポートレイトでもあります。その身体的ハンディゆえに「見ること」と「見られること」、「自己」と「他者」との関係性を意識することを強いられていた牛腸が世界を見るまなざしには、常に初めて世界をみたような初々しさと深い洞察が共存しています。

 本展は、<日々><幼年の「時間(とき)」><SELF AND OTHERS>などモノクロ作品のシリーズから精選した約30点により「夭折の写真家」牛腸茂雄の足跡をたどります。近年、再評価の新たな機運が高まる牛腸茂雄が提示する世界は、見るものそれぞれの奥に眠る記憶を呼び起こし、静かで深い感動を呼ぶものと確信します。
(FUJIFILM SQUARE HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第44回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第44回

AkiraGOMI_PB18_ItoShiina
(画像をクリックすると拡大します)

ベッドの上に女性が寝転がっている。
全裸で、男物のような黒い靴下だけを履いて……。
床にはジーンズが脱ぎ捨てられているが、下着は落ちていない。
ジーンズとまとめて一緒に脱いでしまったのか。それとも最初から着けてなかったとか?

夏のあいだ彼女の肌はむきだして、最小限のエリアだけが小さな「布切れ」で覆われていた。
太陽はその肌を印画紙にして布切れを転写した。
フォトグラムの手法で白く焼き付けられた布のかたち。

皮膚がむきだしだと、外界の変化が直に感じとれる。
着衣状態よりも感覚は鋭敏になり、野性が目覚めてくる。
衣装を欠いた裸体から、本来あるべき動物的な裸体に移行する過程を経て、
彼女の体はこの夏無敵の身体へと発展した。

だが、彼女に野性を与えた夏がいま去ろうとしている。
夏は別れに悩まない。ぐずぐずと引き伸さない。
去ると決めたら即実行、振り向いたらもういない、
それが夏というヤツだ。

彼女はその非情さをよく解っている。
からだは夏の側に残しつつも、気持は秋にむけて準備している。
皮膚に焼きつけられたビキニのシルエットが夏の余韻ならば、
足先を覆っている黒いソックスは秋への心得だ。

ベッドの上空には、いままさにバトンを渡して立ち去ろうとする夏の潔さが漂っている。
それに対抗するには、全裸から一気に靴下の極へと走らなくてはならない。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
五味彬
「PLAYBOY 91-06-05」
1991 printed in 2009
Gelatin Silver Print
26.2x20.5cm サインあり

五味彬 Akira GOMI
1953年東京生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。77年渡仏し、ローレンス・サックマン、ミッシェル・ベルトンに師事する。83年帰国後、ファッション誌『流行通信』『エル・ジャポン』などを中心に活躍。93年日本初のCD-ROM写真集『YELLOWS』を発表。その後、『YELLOWS2.0』『AMERICANS』『YELLOWS3.0』など00年までに14タイトルを発表。バンタンデザイン研究所で写真Webデザインを教える。97年東京都写真美術館で《アウグスト・ザンダーと五味彬》展。99年《YELLOWS RESTART》を発表。
97年DIGITALOGUE Gallery Tokyo(東京・原宿)で個展《YELLOWS Contemporary Girls Psycho Sexual》。2008年キャノンギャラリー(銀座、名古屋、梅田を巡回)にて個展《YELLOWS Return To Classic》、ときの忘れものにて個展《五味彬写真展 Yellows 1.0》。09年GALLERY COSMOSで元アシスタントたちとのグループ展《Family Plots》。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

◆ときの忘れものは「アール・デコの作家〜バルビエ、エルテ、ラブルール、カッサンドル展」を開催しています。
会期:2016年9月1日[木]〜9月10日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
201609artdeco
1910年代半ばから1930年代にかけてヨーロッパおよびアメリカを中心に一世を風靡したアール・デコ(仏: Art Déco)を代表する4人の作品約15点をご覧いただきます。

本日は出品作の中からラブルール(Jean=Emile LABOUREUR、1877〜1943)をご紹介します。
086LABOUREUR_01_armyラブルール
《軍隊の通過》
1900年
木版
22.9×30.0cm
Ed.60
Signed

ラブルールの初期を飾る木版画です。バルビエと同じナント出身で、1911年から銅版画を始める。キュビストたちの影響を受け、エッチングによる繊細な線描により1920年代の都市生活や自然を描いた。新時代のホテルやカフェ、レストラン、モダンなファッションの女たち、デパートで買い物をする人、といったさりげない日常の都市風景を描き、そのさりげなさが多くの人々に愛されたが、それゆえに美術史の上では長く忘れ去られていました。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第43回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第43回

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外に面した側は障子で、手前側は唐紙、ふたつの部屋を仕切るのは板戸である。畳の上には布団が敷かれ、その上には竹製の傘がさがり、丸い電球がふたつ灯っている。

眼が覚めると、部屋のなかは薄暗かった。外は晴天ではなさそう。ヒモを引っ張ってパチンと電灯をつけ、障子を開ける。と、白い光が飛び込んできた。電灯の光量を超えるほどの明るさ。あたり一面に雪が降り積もっている。そこになにがあったかわからないほどの嵩があり、その雪に吸い取られたように音の消えた静かな朝である。

少女が三人いる。そのうちのふたりは窓の前に立って、腰布だけ巻いた姿で外を見ている。上半身は裸だ。右の部屋にいる子は腰ヒモを横にピンとひっぱり、左の部屋の子は両腕を上にあげて五本指をヤモリのように開いてからだをガラスに押し付けている。冷たくないだろうか。

三人目の少女はどこにいるかと言うと、乱れたふとんの上に少し前屈みの姿勢で座っている。顔を窓のほうに向けてぼうっとした様子。肩のラインに力がない。起きたばかりで夢とうつつの間をさまよっているらしい。

もしもこの少女がいなければ、こちらの視線はストレートに窓辺の少女にそそがれるが、彼女がいるためにその視線が意識に入って少女の視線は「わたし」のものになる。つまり、最初にいたのはこの少女だけなのだ。

ふとんから起き上がってふと窓辺を見ると、自分に似た子がそこに立っていた。右目と左目を代表するようにふたりいて、ひとりは腰ヒモをつかんで腕を真っ直ぐ伸ばし、もうひとりは両腕を上にあげて窓に押し付けている。
どうして、なにのためにふたりはこういう格好をしているのか。意図はわからないが違和感はない。もしかするといまより少し先の「わたし」を暗示しているのではないか。

まだ形が定まっていないあやふやな状態の「わたし」は、幻影の背中を見つめながらそんなふうに思い、雪にからだを開いて直立する快感や、見えない意志が発動する震えや、冷たさと熱さの落差がもたらす興奮などが自分のなかから離陸していくのを意識する。そして、雪の朝は何度も経験しているのに、今朝はじめてこういう感覚になったのはどうしてだろうと思い、おとなになったある日、この朝のことが鮮明によみがえってくるのを確信する。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
榮榮&映里
「妻有物語 No.11-3 2014年」
2014年
ゼラチンシルバープリント
50.8x61.0cm

榮榮&映里 RongRong&inri
榮榮:1968年中国の福建省生まれ、北京在住。
映里:1973年神奈川県生まれ、京都在住。
北京を拠点に世界中で展覧会を開催。2007年に北京の草場地に中国初となる写真専門の民間現代アートセンター、三影堂撮影芸術中心(Three Shadows Photography Art Centre)を設立。2010年からは南仏の「アルル国際写真フェスティバル」と提携した「草場地春の写真祭」を開催、2015年には厦門に三影堂厦門撮影芸術中心を設立するなど、中国写真芸術の中心的存在として活動を続ける。国内での主な展覧会に「榮榮&映里写真展 三生万物」(資生堂ギャラリー、2011)、越後妻有アートトリエンナーレ2012、「写真のエステ−五つのエレメント」(東京都写真美術館、2013)、「LOVE展」(森美術館、2013)など。

●展覧会のご紹介
水戸芸術館 現代美術ギャラリーで榮榮&映里の展覧会が開催されています。
「記憶の円環|榮榮&映里と袁廣鳴の映像表現」
会期:2016年7月23日[土]〜2016年9月19日[月・祝]
会場:水戸芸術館 現代美術ギャラリー
時間:9:30〜18:00 ※入場時間は17:30分まで
休館:月曜 ※ただし9月19日(月・祝)は開館

東アジアの進展に伴うかのように、今までにはなかった新しい写真・映像表現がこの地域に増えています。本展ではその中から、日常や伝統を新しいメディアで捉えなおし、自然や家族、人と人との交感を詩情豊かな写真と映像で表現する2組の作家を紹介します。
榮榮&映里(ロンロン・アンド・インリ: 1968年中国生まれ、1973年日本生まれ/写真)は、中国の社会的現実とそこでの彼らの生活を写した作品や、人と美しい自然との関係性を、自身の身体を媒体として表現した作品で高い評価を得ています。地方特有の文化的性質を色濃く残す越後妻有を何度も訪れ、滞在しながら四季折々の里山の風景を撮影した《妻有物語》は、榮榮&映里が創作活動の主軸としている「生命の環」というテーマを象徴する作品となっています。
袁廣鳴(ユェン・グァンミン:1965年台湾生まれ/映像)は台湾におけるビデオアートの先駆者として、ケーブルカムなどの特殊機材や、自ら開発した機器を用いた撮影・展示により、常に映像表現の新たな可能性を追求してきました。彼自身、家、そして家族の日常を中心テーマに制作される作品は、視覚体験のみならず、身体的、心理的な感覚へも訴えかけます。近年は社会の成り立ち、そしてその構成メンバーとしての個に関心を寄せた作品を制作しています。
本展はギャラリーを二分し、榮榮&映里、袁廣鳴それぞれの個展として空間を構成します。「記憶の円環」というタイトルのもとに、二つの個展が並行しつつも共鳴する展覧会となるでしょう。(水戸芸術館 同展HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

●皆様にご協力いただいた「ここから熊本へ〜地震被災者支援展」での売上げ総額634,500円は、一番被害の大きかった益城町でお年よりや子供たちのケアに尽力されている木山キリスト教会に400,000円を、熊本市の城下町の風情を残す唐人町で被災した築100年の商家(カフェアンドギャラリーなどが入居、一時は解体も検討された)の西村家の復興資金に234,500円を、それぞれ送金いたしました。
詳しくはコチラをお読みください。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第42回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第42回

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(画像をクリックすると拡大します)

この写真を見てすぐに頭に浮かんできたシーンがある。60年代のアングラ芝居の観客席の様子である。人が肩を寄せ合って身じろぎもせずになにかのはじまりを待っている、そんな熱気と期待が似ている気がした。だが、よく見ると、「観客」の目の前にあるのは舞台の緞帳ではなくてコンクリートの壁だ。そこには「人民路售票処」と大書されており、切符売り場であるのがわかる。

左に「船票」の文字が見えるから、売り出されるのは船のチケットらしい。いったいどこに行くための船に売り出し前からこんなに列ができるのか。それにしてもこの並び方は尋常ではない。鉄柵の上に一部の隙なくぎっしりと並んでいるさまは、養鶏場のニワトリを想わせる。前屈みになっているのは下の鉄柵に両脚をのせているせいで、接着剤かなにかでくっつけたように全員が一つのかたまりと化していて、だれかの背中をぐいと押したら、全員が前につんのめって落ちてしまいそうだ。

二段目のバーには、つま先の向きが彼らとは反対になっている人たちがのぞき見える。彼らの膝は曲がってなくて伸びている。お尻はどこに据えれているのだろう。見えない場所に腰を下ろせるものがあるとか? それとも背中を向けている人に抱きかかえられているとか? いや、ちがう。上半身を後ろの壁にもたせかけ、宙に浮いた格好で脚だけを柵にのせているのだ。

彼らの足下にもぐって床に腰をおろしている人がいる。もしかしたら、いちばん乗りは彼らだったのかもしれない。しゃがみ込んで場所取りしているうちに、上にどんどん人垣が作られていき、首すら伸ばせなくなったのだ。全身が入り切らずに横向きになって柵にしがみついている人もいるが、彼らは後から横入りしたのかもしれない。この格好から想像できるのは、鉄柵の内側にいることがとても重要だということだ。そうでなくてはチケットを売ってもらえないのだろう。だからきつくてもがまんして、柵のなかに身を忍び込ませ、買う権利を主張しているのである。

券売所が開くのはずっと先で、このままの姿勢でかなり長く待たされるにちがいない。腹を空かせる人が出るのを見込んで露天商が出ていることからわかる。四角いケースのなかにはラップされたサンドイッチが入っている。これをかじりながら、いつ開くとも知れない券売所の窓を忍耐強く待つのだ。小屋に押し込められた家畜のように。

柵の内側にはサンダル履きの人は一人もいなくて、みな靴を履いている。一方、柵の外にしゃがんでいる人のなかには、サンダルをつっかけている男がいる。この差がなにを意味するかわからないが、両者には雰囲気のちがいが感じられる。柵の内側にいる人は「学生」っぽく、対する柵の外の男たちは「おっさん」っぽい。そう思いながら眺めるうちに、内側にいる人たちがスクラムを組んだデモ隊のようにも見えてきた。

思えば、アングラ芝居も学生デモも同時代の出来事で、皮膚をくっつけ合うことは「連体」の証であり、体内の熱が文字どおり集合して場を熱狂させたのだった。ここにいる彼らは熱狂していないが、こうやって待つことをイヤだとも苦しいとも思っていない。比較するものがないから、当然のこととして受け入れているのだ。

そういう心理状態にあるとき、人は家畜に近い姿になる。もっとも、彼らは猛々しいものを内に抱えていて、声も動作も大きく粗暴そうで、姿は家畜に似ていても飼いならされた印象は与えないが、家畜だって怒ったらなにするかわからないのだ。ギリギリのところで耐えているエネルギーの充満を感じる。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
小畑雄嗣
「乗船券予約に並ぶ男たち」
1986年撮影
ゼラチンシルバープリント、アーカイバルピグメントプリント
サイズ:可変
エディション:Sサイズ10、Mサイズ10
サインあり

小畑雄嗣 Yuji OBATA
1962年神奈川県生まれ。1985年日本大学芸術学部写真学科卒業。太陽賞(1987年)、コニカ写真奨励賞(1997年)、日本写真協会新人賞(1998年)を受賞。主な個展に「ヨーロッパの果て−Marginal Land of Europe−」(2001年)がある。主な写真集:平凡社から『Bird of Paradise: MADEIRA』(2001年、平凡社)、『二月 Wintertale』(2007年、蒼穹舍)、『SHANGHAI,SHANGHAI』(2016年、蒼穹舍)など。

●写真集のご紹介
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小畑雄嗣写真集『SHANGHAI,SHANGHAI』特装版(プリント付)
2016年5月15日
蒼穹舎 刊行
A4変型
上製本
モノクロ・カラー
ページ数:136
作品点数:124点
編集:大田通貴
装幀:木村裕治、川崎洋子(木村デザイン事務所)
20,000円(税別)
普及版(限定500部)は5,000円(税別)
※販売については蒼穹舎にお問い合わせください

蒼穹舎では『二月 Wintertale』以来となる小畑雄嗣写真集。1986年と2015年、モノクロとカラー、時代と色数を対象させることで、上海という巨大な都市の移ろいをイメージによって表現した、意欲的な作品集。
(蒼穹舎HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第41回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第41回

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(画像をクリックすると拡大します)

板塀にむかって立っているふたり。ひとりはおとなの男で、もうひとりは小さな少年だ。少年は裸足でやかんのようなものを片手に提げ、もう一方の手をポケットに入れている。おとなの男のほうは、塀に立てかけた自転車(スタンドがない)のフレームの上に立ち上がり、両手を塀にかけている。

この姿を見てまず頭に浮かんだのは、おとなの男の態度が「おとなげない」ということだ。限られた状況のもとで欲求を全うしようとがっついたことをする人がいるが、そういう人物の典型で、好条件の場所に食らいつこうと必死である。

かたや、少年のほうは登れるものは周りになく、裸足だから靴底の厚みすらも助けにならず、自分の身長しか使えるものがない。この限界を察している諦観の気持ちが、少年の背中にそこはかとなく漂っている。子どもとは、願いや望みが遂げられないことを甘受しなければ生きていけない生きものなのだ。

ふたりは塀のなかでおこなわれていることを、外から覗き見ようしているが、その見たいものが何なのか、ということを想像させる要素がここにはまったく写っていない。同じ長さの縦板をつなげた高い塀と、舗装していない土の道と、あとは広い空があるだけだ。男がこんな不安定な格好をしてまでも見たいものとは、いったい何なのだろう。

しかも、たとえ高いところに登ったからといって、見晴らしがよくなるとは思えない。板の隙間が下よりももう少し空いているというわずかな差しか感じられないのだ。にもかかわらず、こんな危なっかしいことをしているのが馬鹿げているが、もしかしたら、塀から頭を出せると思ったのに、わずかなところで足りなかったのかもしれない。少年の立っている位置では、塀の隙間は詰まっていて、覗きの効果は期待できそうにない。それでも、じっと立って見ているいじらしさが、逆に彼の愚かしさを浮き彫りにしている。

もうひとつ考え込んでしまうのは、ふたりの関係である。,燭世旅圓ずり、知っている者同士、親子、という三つの選択肢が浮かんできたが、どれもちがうような気がする。なぜなら、両方ともに、ここに至る前の時間と、後の時間を連想させる気配が少しもないからである。まるで空からポトンと落されたように、ときの流れから置き去りにされた寂寥感と、だれとも邂逅できない孤立感を漂わせている。

と、ここまで考えて、あっ、と声を上げた。実はふたりがいるのは塀の外ではなく、内側なのではないか。中に閉じ込められたまま、外の世界を窺っているのではないか。そう考えると、すべてが腑に落ちる。塀は空間を仕切るだけで、内と外の関係についてはつねに黙秘する。ここは内側なのか、外側なのか。決断を下すのはそこに居る当人なのだ。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
大原治雄
「見物人、パラナ州、ロンドリーナ」
1981年撮影(2009年プリント)
ゼラチン・シルバー・プリント
33.0x50.0cm
2009年、所蔵先のモレイラ・サーレス財団で展覧会が開催された際に作られたプリントのためエディションなし

大原治雄 Haruo OHARA
大原治雄(1909〜1999)は、高知から移民としてブラジルに渡り、農業を営みながらブラジルの自然や家族たちの姿、変わりゆくロンドリーナの町を写真に収め、ブラジル国内で近年評価が高まっている写真家です。彼の写真作品を日本ではじめて紹介する展覧会が高知美術館で開催中です。
大原は、1909年、高知県吾川郡三瀬村石見(現いの町)に生まれました。1927年、17歳で家族らと集団移民としてブラジルに渡り、はじめサンパウロの農園で農場労働者として働き、その後未開拓の地、パラナ州ロンドリーナに最初の開拓者の一人として入植します。28歳の頃に小型カメラを購入し、農作業の合間に趣味で写真を撮るようになります。独自に研究を重ねながら技術を習得し、次第にカメラに没頭していきます。1951年には、サンパウロのフォトシネクラブ・バンデイランチの会員になり、国内外の写真展にも出品するようになります。当時はほとんど無名のアマチュア写真家でしたが、1970年代初頭頃から徐々に知られ始め、地元パラナ州の新聞などで紹介されるようになります。1998年、「ロンドリーナ国際フェスティバル」で初の個展が開催され、大きな反響を呼びます。その後、「クリチバ市国際写真ビエンナーレ」(パラナ州)に第2回(1998年)、第3回(2000年)と連続で紹介され、高い評価を受けました。 1999年、大原は家族に見守られながら89歳で永眠します。2008年、日本人のブラジル移民100周年の記念の年に、遺族によりオリジナルプリント、ネガフィルム、写真用機材、蔵書、日記など一連の資料が、「モレイラ・サーレス財団」(IMS:ブラジルの写真や文学、音楽などを収集研究する機関)に寄贈されました。

●展覧会のお知らせ
高知県立美術館で、大原治雄さんの展覧会が開催されています。上掲の作品も出品されています。

haruo ohara flyer-1haruo ohara flyer-2
「大原治雄写真展―ブラジルの光、家族の風景」
会期:2016年4月9日[土]〜6月12日[日]
会場:高知県立美術館
   〒781-8123 高知県高知市高須353-2
時間:9:00〜17:00(入場は16:30まで)
会期中無休

1909年に高知に生まれ、1927年にブラジルに農業移民として渡った大原治雄の写真を日本で初めて紹介する展覧会である。大原はブラジルでは高い評価を受けているが、日本ではこれまで紹介されたことが無く、知られざる写真家の発見となる展覧会である。
展覧会では、1940年代から60年代に撮影された作品を中心に182点のモノクローム・プリントが展示される。また、大原が妻・幸の思い出を編集し子どもたちに手渡したという「アルバム帖」を展示。また渡伯以来書き続けた日記、カメラなどの関連資料が、高知会場のみ特別展示される。(同展HPより転載)

※高知県立美術館での展示の後、下記の会場を巡回します。
 6月18日〜7月18日 伊丹市立美術館
 10月22日〜12月4日 清里フォトアートミュージアム

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第40回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第40回

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(画像をクリックすると拡大します)

黒々した山が建物に迫っている。土の山ではない。ごつごつしたキメの荒い岩山だ。浅間山の鬼押出を歩いたときの記憶がよみがえる。平らなところがなく、どの岩も尖っていて、そこに足を乗せると足元がぐらつき、からだがふらふらした。あそこと同じように、建物ギリギリのところで止まった溶岩の流れが冷え固まってできた山なのか。

建物は二階建てだが、窓の様子からすると住宅ではなさそうだ。ガラス窓はどれも破壊され、弾丸が飛び込んだような跡が付いていたり、アルミのフレームが曲がって外壁に飛び出していたりする。部屋の奥の様子は暗くて見えない。

右端にちらりと写っている空の様子からすると、天気は快晴。斜め上の角度から照りつけた日差しが強そうだ。それにしても、部屋の中が真っ暗なのが気になる。

岩山の影を左に追っていくと、その延長上に別の影が写っている。とっさにブロック塀が思い浮かんだ。影のなかに透かし模様のついた花ブロックに似たものが写っているからだ。

もし本当にブロック塀ならば、手前に立ちはだかる山の大きさからすると、相当に背の高い塀でなければ写真には写らないはずだ。あるいは、この建物めがけて流れてきた溶岩が塀を押し倒し、建物のほうに引き寄せたのだろうか。

ここに至ってもうひとつ気づいたことがある。岩山のはじっこから、葉の長い植物が飛び出していることだ。暗くて不鮮明だが、ラン科の植物を連想させる長い葉が垂れているのが見える。前庭に植わっていたものが溶岩の流れに押しつぶされたのだ。ぐったりした葉の様子から、建物のなかに押し入ろうとする溶岩が間一髪のところで止まったのがわかる。

ここでおもむろに、その植物からそう遠くない位置にいる男の姿に目を移す。彼の姿はもちろん視界には入っていたが、触れるのをためらっていたのは、背広に蝶ネクタイ、シルクハットに雨傘というこの場にそぐわない彼の出で立ちに意表を突かれたからだった。言葉を失うとはこのことだ。

男は窓枠に左足を残したまま、一メートル以上も離れている岩に右足を大きく踏み出している。窓のサッシも岩山も凹凸があって靴底でしっかり踏みしめるのは不可能だ。開脚している姿勢もあぶなっかしく、体が揺れているのか顔からメガネがずり落ちそうになっている。右手に傘を抱えているから余計にバランスがとりにくそうだ。晴天なのだから持ってくることはないのに、帽子を被ると自動的に傘に手が伸びてしまうのだろうか。

男が脱出しようとしているところなのはわかる。わからないのは、なぜこんな格好をしているのかということだ。外出するのに着替えたのではないだろう。この服装で室内でなにかしていたところに溶岩が流れてきたのだ。

そこで行われていたのは、異なる意見の調整がむずかしい会議だったのか。なにかの業績に権威を与える儀式だったのか。あるいは食べきれないほどの料理が並んだ豪華な宴会だったのか。

男はその場を後にし、すたこらさっさと部屋を出る。窓に足をかけて身を戸外に乗り出す。暗い室内からの脱出は、文明からの脱出だったのかもしれない。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
植田正治
シリーズ〈砂丘モードより〉
(『BRUTUS』1985年4月1日号より)
1985年撮影
(没後のニュープリント ※2010年頃)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 23.0x23.0cm
Sheet size: 27.9x35.6cm

植田正治 Shoji UEDA
1913年、鳥取県生まれ。15歳頃から写真に夢中になる。1932年上京、オリエンタル写真学校に学ぶ。第8期生として卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。この頃より、写真雑誌や展覧会に次々と入選、特に群像演出写真が注目される。1937年石津良介の呼びかけで「中国写真家集団」の創立に参加。1949年山陰の空・地平線・砂浜などを背景に、被写体をオブジェのように配置した演出写真は、植田調(Ueda-cho)と呼ばれ世界中で高い評価を得る。1950年写真家集団エタン派を結成。
1954年第2回二科賞受賞。1958年ニューヨーク近代美術館出展。1975年第25回日本写真協会賞年度賞受賞。1978年文化庁創設10周年記念功労者表彰を受ける。1989年第39回日本写真協会功労賞受賞。1996年鳥取県岸本町に植田正治写真美術館開館。1996年フランス共和国の芸術文化勲章を授与される。2000年歿(享年88)。2005〜2008年ヨーロッパで大規模な回顧展が巡回。

●展覧会のお知らせ
アツコバルーで、植田正治さんの展覧会が開催されています。上掲の作品も出品されています。

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「あの時代(とき)のホリゾント
植田正治のファッション写真展」

会期:2016年4月16日[土]〜5月22日[日]
会場:アツコバルー
   〒150-0046 東京都渋谷区松濤1-29-1 クロスロードビル5F
時間:水曜〜土曜/14:00〜21:00、日曜・月曜/11:00〜18:00
火曜休廊
¥500 (includes a drink)

「生涯、アマチュア写真家」を自称していた植田正治が初めてファッション写真を手がけたのは1983年、植田が70歳を迎えた年であった。それまでのファッション写真の枠組みを自由に飛び越えた作品は大きな反響をもって迎えられ、新たに植田正治の名を世に知らしめる契機となった。すでに植田正治を知るものにとっても、生まれ故郷の鳥取にとどまり、戦前からアマチュアリズムを貫いていた植田正治が、商業写真、しかもファッション写真を撮影したことに対する驚きは相当なものだった。
ただひたすらに「写真する歓び」を追い求めることで満足していた植田正治を新たな世界へ導いたのは、当時、アートディレクターとして活躍していた次男の充であった。この年の3月、最愛の妻を亡くし、写真を撮る気力さえ喪失していた父の姿を見かねた充が思いついた"荒療治"、それがデザイナー菊地武夫のブランドTAKEO KIKUCHIのカタログ撮影だった。自らのホームグラウンドとも言える砂丘で、モデルたちを自由に演出することが許された撮影で生来の実験精神と遊び心を取り戻した植田は、まったく新しいファッション写真の世界を創造することになった。それは、期せずしてすでに70歳になっていた植田正治の写真家としての新たな転機にもなる。もともと新しもの好きでハイカラ趣味だった植田正治とファッション写真との相性は抜群だった。その後も、充の手引きにより、多くのファッション写真を手がけた植田正治は、まさに水を得た魚のように次々と名作を生み出していった。後年、「砂丘モード」として知られるようになるこれら一連の作品群は、若い世代や海外にも大きくアピールし、植田の名前を次世代に伝えていく上で重要な役割を果たすことになった。時代と運命を共にする宿命であるはずのファッションは、植田正治の作品の中では色あせるどころか、時代を経てさらに輝きを増し続けている。それは、まさに植田正治が生み出したあらゆる作品にも共通して言えることだ。
本展では、80年代に手がけたファッション写真を中心に植田正治の作品世界を立体的に展示することで、その世界観を追体験する。また「80年代」をキーワードにアート、ファッション、グラフィックなど、バブル経済を背景に成熟の頂点を迎えた時代の証言者たちを迎えたトークセッションの開催も予定されている。
企画協力:植田正治事務所、五味彬、コンタクト
(アツコバルーHPより転載)
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●今日のお勧め作品は、ときの忘れものコレクションより植田正治作品です。
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植田正治
〈砂丘モード〉より《砂丘D》
1983年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 25.0x23.3cm
サインあり


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◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第39回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第39回

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(画像をクリックすると拡大します)

一瞬、新しい生きものを目の前にしているような気持ちになった。全身に背びれと尾びれが隠し込まれ、危険を感じるとそれを一斉に開いて相手を威嚇する。思いがけないところから飛び出した奇妙な翼に、敵は一目散に逃げていく。

でも実際はその逆で、この「生きもの」は威嚇しているのではなく、威嚇されているのだ。大寺院の広場で売り子から鳩の餌を買い、三角錐型の紙筒を手にして一歩踏み出したとたんに、鳩が襲ってきたのである。もっとも彼らには威嚇するつもりはなかっただろう。彼女の右手に握られているものを狙ってまず一羽が降り立ち、それにつられてほかの仲間が群がったのだ。餌を見つけた一羽は翼をたたんで冷静につついているが、ほかの鳩たちは焦りすぎて状況がつかめていない。とくにいちばん高い位置にいるのは闘争的で、あたかも彼女の頭に跨がっているかのようだ。鳩にそんなに長い脚はないというのに。

翼を広げたときの仰々しい形状と、バサバサという羽の音と、近づいてくるときの唐突さ。鳥は不吉な予兆を連想させるが、背後の寺院の複雑な装飾もまたそれと響き合っている。いろんな形が隙間なくひしめき合うさまが禍々しく、悲劇と喜劇が混じり合った狂気じみたものを感じずにいられない。女性の顔も関係しているだろう。目をつむり、口を開いて前歯を露出させ、苦痛と恐怖と喜びがない交ぜになったような表情を浮かべている。着ている服が黒いために、その顔と餌を握った右手が強調されて瞼に焼き付き、いまにも鳥たちの国へと連れ去られていくかのような危うさを漂わせている。

寺院のファサードの一部は別の建物の影で暗くなっている。しかし、彼女の立っている場所はそれから外れており、影を生み出したのと同じ光の照射を受けて顔は輝き、法悦の瞬間のように瞳が閉じられている。そしていま、新たに気づいたのは、彼女の右肩のあたりにイーゼルを立てて絵を描いている男がいるという事実だ。
広場で起きているどんな出来事にもわれ関せずという態度で黙々と絵筆を動かしているこの男は、彼女の顔のサイズよりも小さく、手でぎゅっと握ったような奇妙な圧縮感がある。彼自身が一幅の絵のようでもある。

ふたつを交互に眺めるうちに、ある確信が足下から這い上がってきた。鳥の国に召されようとしている女と、それに背を向けて一心に筆を動かす男。ふたりは無関係のように見えるが、そうではない。この世の謎を象徴する光景として、その位置に男の姿がはまったのは必然なのだ。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
沢渡朔
シリーズ〈Nadia〉より
1971年〜1973年撮影(2016年プリント)
Gelatin Silver Print
Image size: 38.2×57.0cm
Sheet size: 50.8×61.0cm
Ed.5
サインあり

沢渡朔 Hajime SAWATARI
1940年東京生まれ。日本大学芸術学部写真学科在学中より写真雑誌等で作品発表を始め、日本デザインセンター勤務を経て、1966年よりフリーの写真家として活動。
ファッション・フォトグラファーとして活躍する傍ら、『カメラ毎日』を初め数々の雑誌で作品を発表。不思議の国のアリスを題材にした「少女アリス」(1973)や、イタリア人ファッションモデルを撮影した「ナディア」(1973)やなど数々の傑作を生み出し、その後も第一線で活躍を続けている。
主な作品集に『NADIA 森の人形館』『少女アリス』(73)、『密の味』(90)、『60's 』『60's 2』(01)、『kinky』(09)。

●展覧会のお知らせ
Akio Nagasawa Galleryで、沢渡朔さんの展覧会「Nadia」が開催されています。上掲の作品も出品されています。

沢渡朔写真展「Nadia」展
会期:2016年3月18日[金]〜4月10日[日]
会場:Akio Nagasawa Gallery
   〒104-0061 東京都中央区銀座4-9-5 銀昭ビル6F
時間:11:00〜19:00
月・火休廊

1971年、沢渡は、広告の仕事で出会ったイタリア人モデル、ナディア・ガッリィと恋に落ちました。愛する人を撮りつくしたいという写真家としての欲望のもと、夏の軽井沢、ヴェネチア他ナディアの故郷である
イタリア各地、冬の軽井沢、東京といった二人の旅の途上で、沢渡の視線は、被写体としてのナディアと恋人としてのナディアの間を往来し、虚構と現実を行き来する、美しくも不思議な物語が産まれました。
沢渡は、この「Nadia」によって“虚構と現実の往来の中で、一人の女性を撮りつくす”、虚実ない交ぜの
フィクションという自身の表現スタイルを確立し、それまでの女性をモチーフとした作品とははっきりと一線を画す、写真表現の新たな領域を切り開いたのです。
その結果、この「Nadia」は、現在でも語り継がれる戦後日本写真を代表するシリーズであり、
氏の代表作品となりました。
今回の展覧会にあたって、沢渡が「Nadia」シリーズの全てのネガを見返し、現在の視線で今後に残したいと考えるものを新たにセレクトしております。そのため、未発表作品が多数展示されることとなり、
今展覧会は、これまで見た「Nadia」とはまた違った印象を与えることでしょう。
この機会に是非、ご高覧の程、宜しくお願い致します。
展覧会に併せ、未発表作品を多数含む同名の新編写真集「Nadia b/w」「Nadia color」の2冊を、各600部限定/サイン&ナンバー入りにて刊行致します。
こちらもお手にとってご高覧頂けましたら幸いです。
(Akio Nagasawa Gallery HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第38回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第38回

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(画像をクリックすると拡大します)

帰省するのだろうか、親子が地べたに座って列車を待っている。客の姿がほかに見えないところを見ると、列車の入線までまだだいぶ時間があるのだろう。用心深いお母さんはふたりの子どもの手を引いて早々とホームに降りて陣取りをしたのだ。荷物は布バッグに紙袋がふたつ。長丁場になるのを覚悟してか、彼女は靴を脱いで敷物の上に足を畳んで座っている。

人々がせわしなく歩いている足下にぺったりと座り込む。いまではもはやそうする人はいなくなったが、ある時期まで駅構内でふつうに見かける光景だった。それはいつ頃までだっただろうと考えてみると、1980年あたりを境に消えたような気がして画面を見まわすと、親子の右手後にメガネの男性がビニール傘を持って歩いているのに気づいて、あれ?と思った。

私の記憶では、ビニール傘を持ち歩く光景はホームに座り込むイメージと一致しない。ビニール傘のほうがずっと後で、時代がちがうという気がする。ところが、ウィキペディアで調べたところ、ビニール傘の人気は1970年代から1980年代にかけて爆発したとあり、意外とむかしなのに驚いた。座り込む姿にぎりぎり間に合っているというか、ビニール傘にバトンを渡すようにして時代が移っていったのだろう。

この親子は望んだとおりの席が取れて、ゆったりと座りながら目的地にむかったはずである。では、席にあぶれて座れなかった客はどうしたかというと、まちがいなく通路に新聞を敷いて腰を下ろしただろう。座る場所がなければ地べたに座ればいい、というのが当時の感覚だったのだ。

私だってそうしていた。しかも記憶を探ってみると、1980年代までそれをつづけていたことに思い当り、びっくりした。さすがに通路は遠慮したが、一番うしろの座席と壁のあいだのスペースや降車口のところに新聞を敷いてどっかりと座り込んだのである。当時は読むだけではない用途が新聞にあり、持っていれば何かと便利だろうという考えから、駅の売店でよく買ったものだ。

地べたに腰を下ろしたとき、いちばん最初に驚かされるのは視界が変わることである。隠されていた世界が扉がぱっと開いて眼前にそそり立ったような感じがする。単に視線が低くなったというだけでは言い尽くせない。立って歩いている人がいきなり「社会人」になり、座り込んだ自分は「社会から降りた人」になる。まわりとの物理的な距離は近くなったようですらあるのに、彼らのいる世界の意味はものすごい速度で遠ざかっていくのだ。視界が変わるとその眼が属する世界は一転する。人の認識力と価値意識の大方は目が見ているものでつくられている。

3人は新聞紙を敷いた上に、座布団ほど厚くはない布のようなものを重ねて座っている。お母さんが靴を脱いで正座しているためか、この敷物のスペースがお茶の間のようにも見えてくる。周囲に同じ眼の高さでものを見ている人はいない。ねえ、見てあそこ、とお兄ちゃんがホームの向かいを指さして言う。ほかのふたりも言われるまま目を向ける。お母さんの表情は静かで落ち着いているが、弟のほうは口が半ば開いて放心状態だ。男の子を夢中にさせるものがそこにあるのだろう。

3という数字が付いている前に、3人の人間が3つの荷物を持って座っている。3の偶然に気付かないまま、彼らは小さな茶の間から同じ方に目をむけて同じものに視線を注いでいる。透明なカプセルに包まれて永遠の時空のなかにいる3人は、そこだけ光が当たったように周囲から浮き上がっている。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
本橋成一
〈上野駅〉より
1981年撮影(2015年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 29.3x44.8cm
Sheet size: 40.5x50.5cm

本橋成一 Seiichi MOTOHASHI
写真家・映画監督 1940年東京生まれ。63年自由学園卒業。65年東京綜合写真専門学校卒業。68年「 炭鉱〈ヤマ〉 」で第5回太陽賞受賞。95年『無限抱擁』で日本写真協会賞年度賞、写真の会賞を受賞。98年「ナージャの村」で第17回土門拳賞受賞。
ドキュメンタリー映画 「ナージャの村」(1997)、「アレクセイと泉」(2002)、「ナミイと唄えば」(2006)、「バオバブの記憶」(2009)を監督、「水になった村」「祝の島」「ある精肉店のはなし」をプロデュース。2015年に最新監督作「アラヤシキの住人たち」を公開した。
主な個展に「本橋成一 ナジェージダ–希望」東京都写真美術(2002)、「本橋成一 写真・映像展:ナジェージダ–希望」松本市美術館(2006)など。主な写真集に『ナージャの村』(平凡社、1998)、『アレクセイと泉』(小学館、2002)、『屠場』(平凡社、2011)、『上野駅の幕間』(新版、平凡社、2012)、『サーカスの時間』(新版、河出書房新社、2013)、『炭鉱〈ヤマ〉 』(新版、海鳥社、2015)などがある。

●展覧会のお知らせ
IZU PHOTO MUSEUMで、本橋成一さんの展覧会「在り処(ありか)」が開催されています。上掲の作品も出品されています。

本橋成一写真展「在り処(ありか)」
会期:2016年2月7日[日]〜7月5日[火]
会場:IZU PHOTO MUSEUM
   〒411-0931 静岡県長泉町東野クレマチスの丘(スルガ平)347-1
時間:2月・3月/10:00〜17:00、4月・5月・6月・7月・8月/10:00〜18:00
水曜休館(祝日の場合は営業、その翌日休み)

本橋成一(1940年– )は1960年代から市井の人々の姿を写真と映画という二つの方法で記録してきたドキュメンタリー作家です。写真集『ナージャの村』で第17回土門拳賞、映画「アレクセイと泉」で第12回サンクトペテルブルグ国際映画祭グランプリを受賞するなど国内外で高い評価を受けています。
本橋は炭鉱、大衆芸能、サーカス、屠場、駅など人々の生が息づく場をフィールドとし、社会の基底にある人間の営みの豊かさを写し出してきました。また、チェルノブイリ原発事故の後もかの地で暮らす人々の日々を主題としてこれまで写真集3冊と映画2作品を制作しています。2016年はチェルノブイリの事故からちょうど30年目の節目の年になりますが、被曝した故郷をテーマとした本橋の写真は、3・11を経たわれわれによりいっそう切実なメッセージを投げかけてきます。
本展では、本橋の原点となる未発表の初期作品から代表作を含めた200点以上を展示し、半世紀にもおよぶ写真家としての軌跡をご紹介します。
(IZU PHOTO MUSEUM HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
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緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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