飯沢耕太郎のエッセイ

飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」 第9回〜普後均

飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第9回

普後均(Hitoshi FUGO 1947-)――思考と技術を融合させた希有な作品世界

飯沢耕太郎(写真評論家)


 普後均は1947年に神奈川県で生まれ、3歳の時から山形県米沢市で育った。1970年に日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公のアシスタントを3年間務め、73年に独立してフリーランスの写真家として活動し始めた。 
 普後が青年期を過ごした1960年代後半〜70年代初頭は、日本の写真表現が大きく変わっていく時期であり、森山大道、中平卓馬、荒木経惟といった写真家たちが、個の眼差しにこだわるスナップショットや「私写真」を発表して、同時代の写真家たちに大きな影響力を及ぼしていた。だが、普後はそんな流れからは一歩距離を置いて、あくまで自分の作品世界を緻密に構築していく方向を目指した。学生時代や細江のアシスタントの時代に、撮影や暗室作業のテクニックを徹底して身につけたのも役に立ったのではないだろうか。
 パリ、ニューヨーク滞在を経て、個展「遊泳」(画廊春秋、1976年)、「暗転」(フォト・ギャラリー・インターナショナル、1982年)などで、内面性、精神性を強調するスタイルを確立し、意欲的な個展を次々に開催して注目を集めた。その普後の作品世界が、大きく飛躍したのは、1984年のツァイト・フォト・サロンでの個展で「飛ぶフライパン」として発表され、1997年に写真集『FLYING FRYING PAN』(写像工房)として刊行された連作である。普後はこのシリーズで、見慣れた日常的な道具であるフライパンを、あたかも銀河にきらめく星々や、太陽や月の運行を思わせるような、壮大な宇宙的イメージとして再構築してみせた。彼の鮮やかな思考力と卓越した技術が見事に融合した傑作といえるだろう。
 普後の緻密で粘り強い作品制作の姿勢は、2009年に銀座ニコンサロンで発表され、2012年に写真集『ON THE CIRCLE』(赤々舎)として刊行されたシリーズでも充分に発揮された。彼の家の近くにある、直径6メートルほどの貯水槽、そのコンクリートの蓋の上にさまざまな人物たちが召還され、現実と幻想のあわいを行き来するような、不思議なパフォーマンスが展開される。これまた長い時間をかけて、発想を煮詰めて形にしていった力作である。
 今回、ときの忘れもので発表される「肉体と鉄棒」は、ある固定された空間で繰り広げられるパフォーマンスの記録という意味で、「ON THE CIRCLE」の延長上にあるシリーズである。鉄工所に特注して作ってもらったという高さ2メートル、幅1.8メートルの鉄棒に、さまざまなモノ、人、動物などが乗っかったり、ぶら下がったりしている。これまでとやや違って、その組み合わせは即興的であり、どこかユーモラスでもある。今年70歳になる普後は、円熟味を増しつつも、創作意欲をさらに昂進させ、融通無碍に新たな領域にチャレンジしていこうとしている。この作品を足がかりにして、また次のシリーズが生み出されていくのではないだろうか。
いいざわ こうたろう

「普後均写真展―肉体と鉄棒―」出品作品のご紹介
価格はステップアップ方式です
Ed. 1/15 〜 3/15: シート税込129,600円
Ed. 4/15 〜 7/15: シート税込162,000円
Ed. 8/15 〜 11/15: シート税込216,000円
Ed.12/15 〜 15/15: シート税込270,000円
額代別途:税込16,200円

肉体と鉄棒 1-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 1》
2015年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 4-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 4》
2014年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 5-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 5》
2014年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 6-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 6》
2016年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:35.8×44.8cm
シートサイズ:40.6×50.8cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 7-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 7》
2015年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 8-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 8》
2012年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 9-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 9》
2015年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 10-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 10》
2012年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 11-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 11》
2010年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 12-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 12》
2013年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 14-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 14》
2012年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 15-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 15》
2003年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:35.8×44.8cm
シートサイズ:40.6×50.8cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 17-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 17》
2013年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 18-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 18》
2012年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 19-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 19》
2008年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 20-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 20》
2013年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:35.8×44.8cm
シートサイズ:40.6×50.8cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 21-1普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 21》
2003年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:35.8×44.8cm
シートサイズ:40.6×50.8cm
Ed.15
サインあり


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

普後均 Hitoshi FUGO(1947-)
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公に師事。1973年に独立。2010年伊奈信男賞受賞。国内、海外での個展、グループ展多数。主な作品に「遊泳」「暗転」「飛ぶフライパン」「ゲームオーバー」「見る人」「KAMI/解体」「ON THE CIRCLE」(様々な写真的要素、メタファーなどを駆使しながら65点のイメージをモノクロで展開し、普後個人の世界を表現したシリーズ)他がある。 主な写真集:「FLYING FRYING PAN」(写像工房)、「ON THE CIRCLE」(赤々舎)池澤夏樹との共著に「やがてヒトに与えられた時が満ちて.......」他。パブリックコレクション:東京都写真美術館、北海道立釧路芸術館、京都近代美術館、フランス国立図書館、他。

◆ときの忘れものは「普後均写真展―肉体と鉄棒―」を開催しています。
会期:2017年2月15日[水]―2月25日[土] *日・月・祝日休廊
作家在廊日
2月15日(水) 13:00〜
2月16日(木) 13:00〜
2月22日(水) 13:00〜
2月24日(金) 13:00〜
2月25日(土) 13:00〜
201702_FUGO

ときの忘れものでは初となる普後均の写真展を開催します。新作シリーズ〈肉体と鉄棒〉から約15点をご覧いただきます。
作家と作品については大竹昭子のエッセイもお読みください。
●イベントのご案内
2月24日(金)18時より中谷礼仁さん(建築史家)をゲストに迎えてギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
※必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申込ください。
E-mail: info@tokinowasuremono.com

石原悦郎——写真をアートにした希代のギャラリスト

石原悦郎——写真をアートにした希代のギャラリスト

飯沢耕太郎
(写真評論家)
 
 2016年2月27日、石原悦郎さんの死去が伝えられた。享年74。石原さんとは個人的な交友も多少あったので、いろいろな思いが渦巻いている。今はただただご冥福をお祈りしたい。
 石原さんの最大の功績は、何といっても1978年に「オリジナル・プリント」の展示・販売をめざすギャラリー、ツァイト・フォト・サロンを、日本ではじめて東京・日本橋に創設したことだろう。今でこそ、写真をアート作品として収集・展示するギャラリーや美術館はあたり前になっているが、当時としては時代に先駆けたものだったのだ。写真は報道や広告のような視覚的な情報伝達の手段であり、何枚でも複製できるプリントに価値はないという考え方が一般的だった時代に、石原さんはアジェカルティエ=ブレッソンマン・レイの「オリジナル・プリント」を展示・販売することで、敢然とチャレンジしていった。
 石原さんが笑いながら話してくれたことがある。「ツァイトでは鳥を飼っていたんだよ。閑古鳥という鳥をね」。実際、最初の一年余り、お客はほとんど来なかったようだ。だが、少しずつその存在が知られるようになり、1980年代になると森山大道、荒木経惟植田正治北井一夫、そしてより若い世代の柴田敏雄、杉本博司、渡辺兼人、畠山直哉、伊奈英次など日本の写真家たちにも門戸を開いていく。
 1985年、科学万博の開催にあわせて開設した「つくば写真美術館」のことも忘れることができない。「パリ・ニューヨーク・東京」という三都市を取り巻く写真の状況を、19世紀から現代まで、450点余りの写真作品(すべて石原さんが私財を投じて蒐集したもの)で辿る大展示会だが、経済的には惨敗だった。この展覧会に金子隆一、平木収、横江文憲、谷口雅、伊藤俊治の諸氏ともに、「キュレーター・グループ」の一員としてかかわらせていただいたのは、僕にとっても得がたい経験だった。わずか半年余りしか開催できなかったのだが、この仮設の美術館が、川崎市市民ミュージアム、横浜美術館、そして東京都写真美術館など、80年代末〜90年代初頭にかけて次々にオープンした、本格的な写真部門を持つ美術館の呼び水になったことは間違いない。
 ツァイト・フォト・サロンは90年代以降、日本橋のブリヂストン美術館の裏手、さらに京橋と移転し、オノデラユキ、米田知子、鷹野隆大、鈴木涼子、蔵真墨など、さらに若い世代の作家たちを取り上げていった。展示を見に行き、石原さんと作品を見ながらいろいろな話をするのが楽しみだった。作品を売買するというだけではなく、彼は写真家、コレクター、編集者、評論家などのオープンな出会いの場として、ツァイトを育てていこうとしていたのではないだろうか。経済よりもロマンを優先するという思いは、いつお会いしてもはっきりと伝わってきたし、本音で話ができるギャラリストはなかなかいない中で、彼の存在は代えがたい貴重なものだったと思う。
 とはいえ、立ち止まっているわけにはいかない。ツァイトが創設された1970年代と比較すれば、写真をアートとして認知する見方は大きく広がり、ほぼ定着したといってもよいだろう。実際に、写真作品を扱うギャラリーや美術館も相当な数になってきている。だが、それが本当の意味で「文化」として根づいたのかといえば、まだ道半ばという印象を受ける。石原さんの遺志をどのように受け継いでいくのか、それぞれの覚悟が問われる正念場を迎えつつあるのではないだろうか。
いいざわこうたろう

1981年\600\1981年3月1日_ギャラリー方寸_瑛九その夢の方へ_37.jpg
渋谷・ギャラリー方寸
「瑛九その夢の方へ」オープニングにて
石原悦郎さん
1981年3月1日
(撮影:酒井猛)

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八木長ビル時代のツァイト・フォト・サロンにて
左から石原輝雄さん、石原悦郎さん、笠原正明さん
(撮影: 土渕信彦)
石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」 第9回より

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ツァイト・フォト・サロンにて
石原悦郎さん
1984.8.19
(撮影:石原輝雄)
石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」 第9回より

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2014年3月
「アートフェア東京}(有楽町、東京国際フォーラム)にて
石原悦郎さん(左)、亭主、井桁裕子さん(右)

*画廊亭主敬白
石原悦郎さんの訃報に接し、40年前のあれこれを思い出しました。
ツァイト・フォト・サロンを開設した1978年に私たちがインタビューした記事を3月2日のブログに再録掲載したのは当時を知らない若い世代に石原さんがいかに時代に先駆けていたかを知ってもらいたかったからです。
3月4日お通夜の席で飯沢耕太郎さんに「ぜひ追悼文を書いてください」とお願いしました。
お忙しい中、ご執筆してくださったことに厚く御礼を申し上げます。
石原さん、あなたの志はきっと若い世代に受け継がれるでしょう。私もそんなに遠くない日にそちらに行くことになるでしょうからどうぞお手柔らかに。
心からご冥福を祈っています。

アートブックラウンジ Vol.01“版画挿入本の世界”」
会期:2016年3月9日[水]〜3月17日[木] ※日・月・祝日は休廊

201603アートブックラウンジ_01
今回より日・月・祝日は休廊しますので、実質7日間の会期です。
短い会期ですが、ご来廊のうえ実物(版画挿入本)を手にとってご覧ください。
同時開催:文承根

●出品作品(版画挿入本)の一部をご紹介します
・李禹煥『李禹煥全版画 1970-1998』1998
・大竹伸朗『倫敦/香港 1980 (限定版)』1986
・ジャスパー・ジョーンズ『The Seasons』1991
・ジャスパー・ジョーンズ『Technics and Creativity: Gemini GEL』1971
・アンディ・ウォーホル『アンディ・ウォーホル展 1983-1984』1983
・アンディ・ウォーホル「KIKU」1983
・ENZO CUCCHI『Enzo Cucchi Scultura 1982-1988』1988
・靉嘔『GQ/5 1974』1974
・磯崎新『The Prints of ARATA ISOZAKI 1977-1983』1983
・堀内正和・磯崎新『堀内正和 磯崎新展』1982
・文承根『版画芸術19』1977
・WOLS『WOLS ヴォルス展/南画廊カタログ』1964
・木村光佑オリジナル版画「OUT OF TIME K」 「十人の版画家 」木村光佑オリジナル版画「OUT OF TIME K」、川合昭三、池田満寿夫、吉原英雄、永井一正、木村光佑黒崎彰署名1971
・難波田龍起『抽象』1979
・LAWRENCE WEINER『SKIMMING THE WATER [MENAGE A QUATRE』2010
・Park Seo-Bo『Enzo Esquisse - Drawing 1996-2001』2001
・李禹煥『版画芸術21』1977
・Sam Francis『Sam Francis』1992
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ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサートのご案内
第1回「独奏チェロによるJ.S.バッハと現代の音楽〜ガット(羊腸)弦の音色で〜
日時:2016年3月19日(土)18時〜19時
出演:富田牧子(チェロ)、木田いずみ(歌)
プロデュース:大野幸
曲目予定:J.S.バッハ、クルターク・ジェルジュ、ジョン・ケージ、尾高惇忠
*要予約=料金:1,000円
予約:メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com

●ときの忘れものは2016年3月より日曜、月曜、祝日は休廊します。
従来企画展開催中は無休で営業していましたが、今後は企画展を開催中でも、日曜、月曜、祝日は休廊します。

飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」 第8回〜中山岩太

飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第8回

中山岩太(Iwata NAKAYAMA 1895〜1949)

飯沢耕太郎(写真評論家)


 日本の写真家たちの中で、中山岩太ほど華麗な経歴の持ち主はほかにいないかもしれない。1895年に福岡県の柳川に生まれ、1918年に東京美術学校に新設された臨時写真科の最初の卒業生となる。同年にアメリカに渡り、カリフォルニア大学で学んだ後、ニューヨークに移って、21年に肖像写真スタジオを開業した。26年⒋月にはパリに移り、ファッション誌の仕事をしたり、マン・レイや未来派の画家のエンリコ・プランポリーニと交友したりするなど、写真家としての経験を深めた。
 1927年11月に帰国。兵庫県芦屋にスタジオ兼住居を構え、30年にはハナヤ勘兵衛、紅谷(べにたに)吉之助らと芦屋カメラクラブを結成した。同年、朝日新聞社が主催する第一回国際広告写真展に「福助足袋」を出品して一等賞を受賞、32年には野島康三、木村伊兵衛と写真雑誌『光画』を創刊して、毎号作品を発表するなど、華々しい活動を展開する。中山を中心とした芦屋カメラクラブの写真家たちの作品は、同時期の日本における「新興写真」(写真のモダニズム)の運動をリードする役目を果たした。
 自ら「純芸術写真」と称した中山の作風は、フォトグラムやフォトモンタージュを駆使して、幻想の美の世界を構築するもので、どちらかといえば現実志向が強かった当時の日本の写真界ではかなり異色のものだった。「私は美しいものが好きだ。運悪るく、美しいものに出逢はなかつた時には、デツチあげても、美しいものに作りあげたい」(『カメラクラブ』1938年1月号)とまで言い切っている。このような強烈な耽美主義の主張に対しては、批判の声もあったし、軍国主義に傾斜していく時代の状況の中では孤立することも多かった。それでも彼は昂然と胸を張って「自己陶酔の境地」を求め続けていった。
 1930年代後半から40年代にかけて、中山のモンタージュ作品はより象徴性を深め、自在なものになっていく。同時に女性ポートレートの傑作「上海から来た女」(1936年)や、一連のヌード作品のように、エロティシズムの極みというべき作品が次々に制作された。1945年、長く続いた戦争がようやく終わり、写真家たちはふたたび自由な創作活動をおこなうことができるようになる。中山にとっても、新たな一歩を踏み出す契機となるはずだったが、残念なことに戦時中に蝕まれていた体力がそれを許さなかった。1949年に脳溢血で倒れて死去。まだ53歳という働き盛りだった。
 1980年代以降、関西「新興写真」の再評価が進む中で、中山の仕事にもふたたび注目が集まるようになる。芦屋市立美術館、渋谷区立松濤美術館、東京都写真美術館などで開催された回顧展で、その全体像がようやくくっきりと浮かび上がってきた。彼の作品をインターナショナルな視点で見直していくことが、これから先の課題となるだろう。
いいざわ こうたろう

nakayama_02中山岩太
「無題(パイプとグラスと舞)」
1932年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
23.0x29.0cm


nakayama_03中山岩太
「作品名不詳(マスク)」
1933年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
23.0x21.0cm


中山岩太_上海から来た女中山岩太
「上海から来た女」
1936年頃
ゼラチンシルバープリント
28.0x21.0cm

■中山岩太 
写真家。1895年福岡県に生まれる。1915年東京美術学校(現・東京藝術大学)に新設された臨時写真科に入学。卒業後渡米し、1921年ニューヨークでラカン・スタジオを設立。1926年パリへ渡り藤田嗣治や海老原喜之助、マン・レイらと交流をもつ。帰国後は兵庫県芦屋を拠点とし、1930年にハナヤ勘兵衛、紅谷吉之助、高麗清治らとともに 1芦屋カメラクラブを設立。新興写真のジャンルで活躍し注目を集める。
暗室作業で多重に構成したイメージを一枚のプリントに紡ぎだすといった構成写真に取り組んだほか、コマーシャル写真や観光写真、スタジオ写真の分野でも先鋭的な表現を多く残した。1949年、歿。

◆飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。

◆冬季休廊のお知らせ
2015年12月27日(日)―2016年1月4日(月)はギャラリーをお休みします。
新年の営業は1月5日(火)からです。

◆ときの忘れものは2016年1月6日[水]―1月16日[土]「中藤毅彦写真展 Berlin 1999+2014」を開催します(*会期中無休)。
中藤毅彦写真展DM_年末のごあいさつなし600写真家・中藤毅彦は、世界各地の都市を訪れ、それぞれの都市の違いに興味を惹かれ、一貫してストリートスナップを撮り続けています。
2001年に初めて東欧の旧社会主義国を訪れてからは、さらに都市の持つ歴史的意味合いにも思いを馳せるようになりました。2014年に出版した『STREET RAMBLER』(ギャラリー・ニエプス刊)には、キューバの首都ハバナに始まり、ニューヨーク、モスクワ、上海、パリ、ベルリン、東京の20世紀に劇的な変化を遂げた各都市の姿が収録されており、本写真集で2015年の第24回林忠彦賞を受賞しました。
本展では1999年と2014年の15年の年月を隔てたベルリンの都市や人々を撮影した写真作品を約25点出品します。

●イベントのご案内
1月9日(土)18時より中藤毅彦さんと金子隆一さん(写真史家)によるギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申込ください
E-mail. info@tokinowasuremono.com

飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」 第7回〜小林紀晴

飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第7回

小林紀晴(Kisei KOBAYASHI 1968〜)

飯沢耕太郎(写真評論家)


 長野県諏訪出身の小林紀晴は、1988年に東京工芸大学短期大学部写真学科を卒業後、日刊工業新聞社にカメラマンとして入社する。3年半後、息が詰まるようなルーチンワークに疲れ果てて辞表を提出し、タイ、インドネシア、ネパール、インドなどを放浪する旅に出た。この時期にアジア各地で出会った若い日本人たちについて、文章と写真で綴った彼の最初の著書『アジアン・ジャパニーズ』(1995年)は、この種の本では珍しく10万部を超えるという大ヒットになった。
 その後、小林は『アジアン・ジャパニーズ2』(1996年)、『アジアン・ジャパニーズ3』(2000年)をはじめとして、写真集、エッセイ集、小説などを次々に刊行し、同時代の若者たちの生き方を代弁するような立場になっていった。2000〜2002年にはニューヨークに滞在し、たまたま「9・11」の同時多発テロを間近で体験した。この時の衝撃は写真集『days new york』(2003年)にまとめられている。 
 小林のこの頃までの写真と文章の仕事は、無名の同世代の若者たちへの共感に裏づけられており、彼らとの関係を細やかに、「等身大の」親しみやすいスタイルで記述したものだった。それはたしかに社会に広く受けいれられやすいもではあったが、反面、表現の奥行きや強度においては、物足りないところがあったことは否定できない。だが、2000年代半ば以降、彼はもう一度自分自身を見つめ直して、そのルーツを確認し、一回りスケールの大きな表現のあり方を模索するようになっていった。
 そのきっかけとなったのは、7年に一度、故郷の諏訪で開催される「御柱際」をはじめとする、日本各地に伝わる儀礼や祭礼を丹念に記録し始めたことだった。既に1999年には「御柱際」の前後を撮影した写真集『homeland』を刊行しているが、近年はその範囲が日本全国にまで広がりつつある。その成果は写真集『KEMONOMICHI』(2013年)と写真展「遠くから来た舟」(同)に結実し、後者で第22回林忠彦賞を受賞した。また、オーストリア在住の写真家、古屋誠一との交遊を軸に、「写真家であること」の意味を問いつめた『メモワール 古屋誠一との二〇年』(2012年)は、渾身のノンフィクションとして話題をさらった。
 小林はいま一つの壁を乗り越え、写真家として、また文筆家として、さらなる未知の可能性にチャレンジしようとしている。
(いいざわ こうたろう)

kobayashi_07_work小林紀晴
〈ASIA ROAD〉より1
1995年
ヴィンテージC-print
Image size :18.6x27.9cm
Sheet size :25.3x30.3cm
サインあり


kobayashi_10_work小林紀晴
〈ASIA ROAD〉より2
1995年
Image size :18.7x28.2cm
Sheet size :25.3x30.3cm
サインあり


kobayashi_01_work小林紀晴
「作品1」
1996年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size :21.4x17.3cm
Sheet size :25.3x20.3cm
サインあり


kobayashi_08_work小林紀晴
〈South〉より2
2002年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size :32.0x25.7cm
Sheet size :35.6x28.0cm
Ed.20
サインあり


kobayashi_09_work小林紀晴
「冬林」
2011年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size :23.8x30.4cm
Sheet size :28.0x35.2cm
サインあり


小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真科卒業。新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。現在、雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。
公式サイト:http://www.kobayashikisei.com

飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第6回〜西村多美子

飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第6回
西村多美子(NISHIMURA Tamiko 1948〜)

飯沢耕太郎(写真評論家)


 西村多美子は1948年に東京で生まれ、東京写真専門学院(現東京ビジュアルアーツ)で学んだ。在学中は唐十郎が主宰するアングラ劇団「状況劇場」の役者たちの写真を撮影していた。1970年の日米安保条約改定を巡って、政治・経済の体制への異議申し立てが相次ぎ、日本中が騒然としていた時期である。
 1969年に東京写真専門学院卒業後、西村は北海道から沖縄まで日本全国を旅し始めた。この時期には、個人的な動機で旅をしながら写真を撮るというスタイルが、若い写真家たちの心を捉えつつあった。カメラ雑誌に「何かへの旅」(1971年)を連載した森山大道をはじめとして、須田一政、北井一夫、土田ヒロミらが、カメラを手に東京から地方に出かけていったのだ。高度経済成長と都市化の進行によって、東京や大阪のような大都市と地方との差がなくなってきて、日本各地に残る伝統的な暮らしのあり方が失われつつあったことも、彼らを動かす大きな動機になったのではないだろうか。そんな時、母校の出版局から、写真集を出さないかという話がくる。それまで撮りためていた写真をまとめて出版することにした。
 西村の写真集『しきしま』(東京写真専門学院出版局)は1973年に刊行された。タイトルの「しきしま」は日本の古名である「大和」に掛かる枕詞であり、この写真集には1969〜72年に撮影された北海道、東北、北陸地方を中心とした旅の写真がおさめられている。それらを見ると、西村が民俗学や社会的なドキュメンタリーへの関心とはまったく無縁に、あくまでも自らの生理的な反応に促されてシャッターを切っていることがわかる。とはいえ、徹底してプライヴェートな旅の体験にこだわりながらも、そこには1960〜70年代の日本の空気感が生々しく写り込んでいる。
 西村がこの時期に撮影した写真群は、その後あまり言及されることなく、ほぼ忘れ去られていた。ところが、2010年代以降になって、ふたたび脚光を浴びるようになる。2011年には写真集『実存―状況劇場 1968-69』(グラフィカ編集室)が12年には『憧景』(同)が出版された。そして2014年には再編集版の『しきしま』(禪フォトギャラリー)が刊行され、展覧会も相次いで開催されている。単純なノスタルジアというだけではなく、西村の写真の切なく、心揺さぶる魅力が、ふたたび認められてきたということだろう。
(いいざわこうたろう)
nishimura_02
西村多美子 Tamiko NISHIMURA
出品番号2:《函館、北海道》
(憧景p.28)
1970年代初期
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:36.5×54.7cm
シートサイズ :44.6×54.7cm
サインあり

nishimura_28
西村多美子 Tamiko NISHIMURA
出品番号28:《大曲、秋田県》
(憧景p.56-57)
1970年代初期
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:15.0×23.2cm
シートサイズ :25.3×30.8cm
サインあり

*画廊亭主敬白
飯沢先生の「日本の写真家たち」は海外のコレクターに向けて、日本の写真家を紹介する目的で連載をお願いしています。まずこのブログに掲載し、次にスタッフの新澤が英訳して英文のホームページに掲載しています。前回(第5回牛腸茂雄)から少し間が開いてしまいましたが、第6回は昨日から個展が始まった西村多美子さんを取り上げていただきました。
亭主の友人・平嶋彰彦が「知る人ぞ知る」と喝破しましたが、お恥ずかしい話、知らぬは亭主ばかりなり。ホームページに出品リストを掲載するや、何人もの方からお問い合わせやご注文をいただきました。ときの忘れものの写真展で初日に複数の赤丸がついたことなど、実に久しぶりでした。
厳しい冷気(まさに西村さんの写真を体感するような)の中、初日にいらした皆さん、熱い写真談義、70年代談義を繰り広げていました。
夕方にいらした常連のОさんに「70年代を象徴してますよね」などと言ったら、「ボクは1974年生まれ」ですと言われ、しゅん! 

◆ときの忘れものは2014年2月5日[水]―2月22日[土]「西村多美子写真展―憧景」を開催しています。
出品リストはホームページに掲載しました。
DM
本展は六本木の ZEN FOTO GALLERY との共同開催です(会期が異なりますので、ご注意ください)。
ときの忘れものの会期は2月5日[水]―2月22日[土]


第1会場 ZEN FOTO GALLERY
「西村多美子写真展―しきしま」
会期:2014年2月5日[水]―3月1日[土]
日・月・祝日休廊

第2会場 ときの忘れもの
「西村多美子写真展―憧景」
会期:2014年2月5日[水]―2月22日[土]

会期中無休

●イベントのご案内
2月8日[土]18時〜20時にZEN FOTO GALLERYにて西村多美子さんを囲んでレセプションパーティーを開催します。お誘いあわせのうえご来場ください。

西村多美子写真集『憧景』のご案内
西村多美子『憧景』 表紙2012年10月31日
グラフィカ 発行
27.7x22.8cm(A4変型判)
ハードカバー 142ページ
写真点数:88点
限定500部
価格:4,500円(+税) 
※送料別途250円

西村多美子の若き日(1970〜83年)の旅の記録。1970年代初頭に北海道、東北で撮影されたものを中心に、東京、関東近郊、北陸、関西で撮られたもの、またその後80年代初頭にかけて撮影されたものも含む「西村多美子の血の轍ともいうべき若き日の旅の記録」です。
未だ都市に塗られていない、それぞれの土地の独自性が西村多美子の眼だけではなく身体全体にによって捉えられた渾身の写真です。

飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第5回〜牛腸茂雄

飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第5回
牛腸茂雄(GOCHO Shigeo 1946-83)

飯沢耕太郎(写真評論家)

 牛腸茂雄は、1946年に新潟県加茂市で生まれた。3歳の頃、胸椎カリエスという難病にかかり、一年ほど石膏のベッドで寝たきりの生活を送る。一命はとりとめたものの、重い後遺症が残り、医者からは20歳まで生きられないかもしれないといわれたほどだった。
 身長が伸びず小柄なままの体型だったが、10代になると体調もだいぶ回復し、1965年に東京の桑沢デザイン研究所に入学してグラフィック・デザインを学ぶ。そこで講師をしていた写真家の大辻清司に出会ったことが、彼のその後の生涯を決定づけることになる。写真撮影に強い興味を抱いた牛腸は、写真家になることをめざすようになるのである。
 1971年に最初の写真集『日々』(桑沢デザイン研究所の同級生、関口正夫との共著)を刊行。都市の日常を鋭敏な感覚で切り取ったスナップショットで注目を集める。だが、彼の写真のスタイルが確立してくるのは、次の写真集『SELF AND OTHERS』(1977年)だろう。文字通り「自己と他者」との関係の見取り図を描き出すように、家族、友人、行きずりに出会った人々のポートレート60点をおさめている。特に大辻清司が「願望の自画像」と称した、子供たちをモデルにした写真群が印象深い。彼らの中に潜む脆さ、危うさを繊細な手つきで引き出している。
 『SELF AND OTHERS』は日本写真協会新人賞を受賞するなど、高く評価されるが、牛腸はそこに留まることなく前に進み続けた。というより、30歳を超えた頃から、ずっと死の予感を抱き続けていたのではないだろうか。牛腸の最後の写真集になったのは、1981年に刊行した『見慣れた街の中で(Familiar Street Scenes)』である。カラーフィルムを使った都市のスナップショットだが、そこここに非日常的な裂け目が顔をのぞかせているように感じる。この写真集刊行の2年後の1983年、体調が悪化して故郷の加茂市に戻り、36歳という若さで逝去した。
 今年(2013年)は、牛腸の没後30年という年にあたる。それにあわせて、写真集『こども』(白水社)と新装判の『見慣れた街の中で』(山羊舎)が刊行された。牛腸のライフワークといってよい子供たちをモデルにした作品を集成した『こども』からは、体のハンディを背負いつつ「いのち」の輝きを追い求め続けた彼の写真家としての軌跡が浮かび上がってくる。『見慣れた街の中で』は、展覧会には出品されたが写真集には未収録だった27点を新たに加えた構成になっている。
 生前の牛腸の仕事を知らない世代も含めて、これから先も、彼の静かだが張りつめた緊張感を持つ写真は、人々の心をとらえ続けていくのではないだろうか。
01「Familiar Street Scenes」
1981
(c)2013 Hiroichi GOCHO, courtesy MEM, Tokyo

02「SELF AND OTHERS」
1977
(c)Hiroichi GOCHO, courtesy MEM, Tokyo

いいざわ こうたろう

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20130924_book
牛腸茂雄写真集『こども』
『日々』『SELF AND OTHERS』『幼年の〈時間〉』など、夭折の写真家が残した作品の中から「こども」をテーマに厳選したオリジナル編集版。
白水社 / 収録写真55点 / B6判 / ハードカバー / ダブルトーン印刷 / 82頁 / 解説=飯沢耕太郎 / 定価1,995円(税込)

牛腸茂雄写真集『新装版・見慣れた街の中で』
1981年初版発行の同名カラー写真集を新装・復刊。初版本から除外されつつも翌年のミノルタフォトスペースでの展示において追加されたイメージ27点をポジフィルムよりスキャンして収録、計74点の作品を装いも新たに紹介。
山羊舎 / 310×240mm / ハードカバー / クロス装 / 500部限定(エディションナンバー入り) / 定価8,400円(税込)

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◆飯沢耕太郎さんのエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。

飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第4回〜植田正治

飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第4回
植田正治――世界に開かれたローカリティ

 飯沢耕太郎(写真評論家)
 

 植田正治は1913年に鳥取県西伯郡境町(現境港市)に生まれ、生涯を中国地方の日本海側(山陰地方)の小さな町で過ごした。その意味では典型的な「地方作家」といえる。だが、その作品世界はむしろ日本の写真家には珍しいスケール感と構成力を備えたものであり、国際的にも高い評価を受けてきた。実際に、植田が2000年に亡くなった後、スペイン、フランス、イタリアなどを巡回した回顧展は評判を呼び、「Ueda-cho(植田調)」という言葉がそのまま通用するほどになったという。たしかに、彼自身が「砂丘劇場」と称した、鳥取砂丘を舞台にした群像やオブジェの写真などを見ると、どことなくシュルレアリスティックな雰囲気さえ感じさせる。
 植田が鳥取県米子市の米子写友会に入会して写真の世界に踏み込んでいった1930年前後は、日本の写真家たちが絵画的な美意識の「芸術写真」から、モダンな都市の文化を背景にした「新興写真」へと大きくシフトしていこうとしていった時期だった。彼自身も初期のピクトリアルな表現から、すぐに画面を抽象的なパターンとして構成していく作風へと転換していく。1937年には、岡山県や広島県の写真家たちと中国写真家集団を結成し、見事な造形感覚で横長の画面に人物を配置する、のちの「砂丘劇場」につながっていくスタイルを確立していった。
 戦後になると1947年に写真家集団「銀龍社」に参加し、1955年からは二科会写真部の会員として、積極的に作品を発表するようになる。この頃から植田の名前は東京でも広く知られるようになり、1971年には写真集『童暦(わらべごよみ)』(中央公論社)を刊行して大きな話題を集めた。この写真集は、山陰の風土に根ざした子供たちの暮らしぶりを、叙情性と理智性とを融合させた作風で四季を追って描写したもので、植田の代表作の一つとなった。また、1974〜85年に『カメラ毎日』に断続的に掲載した「小さい伝記」は、1930年代の汚れや傷がついたネガからあらためてプリントするなど、実験的な意識の強いシリーズだった。1980年代にはファッション写真(「砂丘モード」)に挑戦するなど、最後まで写真家としての意欲はまったく衰えを見せなかった。
 来年(2013年)には植田正治の生誕100年を迎える。彼の写真がなぜ今なおみずみずしい魅力を保っているのか、展覧会や写真集の刊行を通じて、その秘密をさまざまな角度から解き明かしていくべき時期にきていることは間違いない。
(いいざわ こうたろう)
DSCF5931植田正治 Shoji UEDA
《妻のいる砂丘風景(III)》
1950年頃(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
23.6×28.0cm
サインあり

DSCF9730植田正治 Shoji UEDA
〈砂丘モード〉より《砂丘D》
1989年
ゼラチンシルバープリント
25.0x23.3cm
サインあり

DSCF7621植田正治 Shoji UEDA
〈童暦〉シリーズより《白い道》
1955年-1970年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
20.1×31.2cm

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飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第3回〜尾形一郎・尾形優

日本の写真家たち第三回
「尾形一郎・尾形優 ディスレクシアの世界像」
            
           飯沢耕太郎(写真評論家)


 尾形一郎(当時は小野一郎の名前で活動)の『ウルトラバロック』(新潮社、1995年)は、強烈なインパクトを与える写真集だった。16世紀〜19世紀にメキシコ各地に建造された教会、その内部の空間をびっしりと埋め尽くす装飾物を、大判カメラで精密に写しとったシリーズである。そのまさに空間恐怖症の産物というべき過剰なインテリアの描写は、目眩を生じさせるような異様な視覚的体験をもたらすものだった。
 1960年生まれの尾形は85年に早稲田大学理工学部建築学科の大学院を修了し、設計事務所に入社して建築家としての活動を開始する。だが、既に学生時代から世界各地の建築物を撮影し始めており、90年に独立してからは、中南米の教会やコロニアル建築を集中して撮影していった。『ウルトラバロック』はその成果を集大成した写真集である。
 2000年代に入ると、尾形の関心はより広範囲な建築物に拡大していく。メキシコの教会建築もそうなのだが、西欧文明が土着の歴史・文化と衝突し、時には合体して生み出されてくる建築群を求めて、パートナーの尾形優とともに世界各地を旅しながら撮影を続けていったのだ。その成果は2009年に写真集『HOUSE』(FOIL)にまとめられた。そこにおさめられたのは「ナミビア/室内の砂丘」、「中国/洋楼」、「ギリシャ/鳩小屋」/「沖縄/構成主義」、「メキシコ/ウルトラバロック」/「日本/サムライバロック」の6つのシリーズであり、そこには尾形一郎・優の作品世界の構造がクリアーに浮かび上がってきていた。
 ただ、たとえば約一世紀前にダイヤモンド・ラッシュに湧いたナミビアの砂漠地帯に建造されたドイツ人たちの住宅が、砂に半ば埋もれている光景など、題材としての面白さと、8×10インチの大判カメラを完璧に使いこなす技術の高さは認めざるをえないにせよ、なぜ彼らがこれらの作品を撮影しなければならなかったという動機の部分については、正直よくわからなかった。ところが、今回のプライベートビューイング「自邸『タイルの家』で開く写真展」(2012年5月18日、19日、26日、27日)にゲストとして参加し、お二人の話を聞いたことで、そのあたりがかなりくっきりと見えてきた。
 最も衝撃的だったのは、尾形一郎がディスレクシア(Dyslexia)という一種の学習障害の持ち主であるのを知ったことだった。難読症、識字障害とも訳されるディスレクシアの人は、知的能力には問題がないにも関わらず、単語が連なる文章を読んで、その意味を理解していくことがむずかしい。本を読む場合、そのページの単語が全部一度に目に入ってきてしまうし、文章を書く場合は、短いセンテンスをバラバラに書くことしかできない。尾形は子供の頃からこの障害を自覚し、克服しようとつとめてきた。だが今でも、本を一行目から順を追って読んでいくのは苦手だし、長い文章を書く場合は、ブツブツに切れたセンテンスをパソコンでカット・アンド・ペーストして再構成していくので、普通の人の数倍の時間がかかってしまうという。
 だが、通常とは異なる脳の領域を使って読み書きをすることによって生じるディスレクシアは、逆に天才的な能力を発揮することにつながる場合もある。レオナルド・ダヴィンチ、アルベルト・アインシュタイン、アガサ・クリスティ、写真家でいえばアンセル・アダムスがディスレクシアであったといわれているが、尾形一郎もこの系譜に連なる表現者なのではないだろうか。つまり、彼のかなり特異な被写体の選び方、撮影のスタイルも、まさにそのあらわれといえそうな気がするのだ。
 考えてみれば、写真はレンズの前の被写体を、無差別に、等価に写しとってしまうという点において、ディスレクシア的な視覚世界の表現そのものである。彼が「ウルトラバロック」でも、あるいは他の作品でも、画面の隅々にまでピントが合ったパン・フォーカスに執拗にこだわっているのはそのためだろう。細部まで異様にくっきりと描写された画面全体が、あたかも震え、ざわめきながら目の前に押し寄せてくるように感じるのだ。このようなディスレクシアの世界像を、どのように定着していくのかを、彼は尾形優との共同制作を通じて粘り強く探求し続けてきた。
 今回の「自邸『タイルの家』で開く写真展」では、その試みがほぼ完成の域に達しつつあることが見てとれた。今後は建築家と写真家という彼の二つの領域をより緊密に融合させつつ、さらにスケールの大きな展示(インスタレーション)を実現していくことが期待できそうだ。
(いいざわこうたろう)

05_4_600
尾形邸『タイルの家』内部
2012年5月

Kolmanscop-4-14-2006
尾形一郎 尾形優
「Kolmanskop-4-14」
2006年(2011年プリント)
ライトジェットプリント
イメージサイズ:40.2x32.1cm
シートサイズ:43.3x35.6cm
Ed.10 サインあり

Kolmanscop-25-1-2006
尾形一郎 尾形優
「Kolmanskop-25-1」
2006年(2011年プリント)
ライトジェットプリント
イメージサイズ:40.2x32.1cm
シートサイズ:43.3x35.6cm
Ed.10 サインあり

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尾形一郎 尾形優
「Ocotlan 1」
1992年(2010年プリント)
ライトジェットプリント
54.0×43.0cm
Ed.10 サインあり

ogata_17_tepotzotlan_1
尾形一郎 尾形優
「Tepotzotlan 1」
1994年(2010年プリント)
ライトジェットプリント
54.0×43.0cm
Ed.10 サインあり

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飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第2回〜細江英公

日本の写真家たち第2回
「細江英公の演劇的想像力」
            飯沢耕太郎(写真評論家)


 1933年生まれの細江英公と、彼の同世代の写真家たちは、1950年代に純粋な「戦後世代」として登場してきた。彼らの上の世代の木村伊兵衛、土門拳、名取洋之助などは、第二次世界大戦以前から写真家として仕事をしていた。だが、細江や1959年にともに写真家グループVIVOを結成する東松照明、奈良原一高、川田喜久治らは、戦後になって大学に進学し、写真を撮影し始めた世代である。彼らは、土門や木村の影響を受けて写真家として出発しながらも、1950年代後半になると、それぞれの方向性を模索し始める。こうして、現実をストレートに描写する「リアリズム写真」や、新聞や雑誌を舞台に社会的なメッセージ性の強い写真を発表する「報道写真」とは一線を画する、新たな写真表現のスタイルが芽生えていった。
 その中でも、1960年代以降に個性的、実験的な写真を次々に発表し、最も尖端的な領域を切り拓いていった一人が細江英公である。舞踏家、土方巽とその仲間たちをモデルに、エロスの世界を追求した「おとこと女」(1960年)、作家、三島由紀夫の耽美的な幻想世界を映像化した「薔薇刑」(1961〜62年)、ふたたび土方巽をモデルに、東北の農村の土俗的な神々との交歓を見事に描き切った「鎌鼬」(1965〜68年)など、彼のこの時期の作品群は、今なお見る者を震撼とさせる強烈なパワーを発している。
 細江英公の作品世界の特徴をひと言でいいあらわせば、そのたぐいまれな演劇的想像力の発露ということになるだろう。細江は写真家であるとともに、モデルとともに現実世界のただ中に虚構の舞台を立ち上げ、そこに反リアリズム的な劇的空間を組み上げていく演出家でもある。とはいえ、彼の「演劇」はあらかじめ設定されたシナリオによって演じられるわけではなく、むしろモデルの生理的反応、無意識の身振りを積極的に取り込んでいくものだ。細江の写真を見ていると、次に何が起こるかわからない衝動に身をまかせつつ、シャッターを切っていることがよくわかる。
 細江の演劇的想像力は、彼が70歳代になった2000年代以降も衰えるどころか、さらに奔放に伸び広がっているように見える。近作の「春本・浮世絵うつし」(2007年)や「Villa Bottini」(2009年)のシリーズを見ても、その創作意欲はよりみずみずしさを増しているようだ。偉大な巨匠としての細江の作品だけでなく、むしろ現在進行形の彼の仕事に注目すべきだろう。
(いいざわこうたろう)
24細江英公 Eikoh HOSOE
おとこと女 No.24
1960年(Printed in 1985)
ゼラチンシルバープリント
12.0×21.3cm
Ed.100 サインあり

003細江英公 Eikoh HOSOE
Ordeal by Roses #32
薔薇刑 作品32

1961年(printed later)
ゼラチンシルバープリント
20.0x30.0cm サインあり

23細江英公 Eikoh HOSOE
鎌鼬#23, 1965
1965年
ピグメント・アーカイバル・プリント
50.8×60.9cm
サインあり

008細江英公 Eikoh HOSOE
春本・浮世絵うつし #1-20
2002年
フォトグラフ
シートサイズ:40.6×50.8cm
額サイズ:50.8×61.0cm
Ed.30  サインあり

01細江英公 Eikoh HOSOE
Villa Bottini #1
2009(Printed in 2011)
Type-C print
55.0x43.8cm
Ed.10  Signed

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*画廊亭主敬白
本日10日は小林美香さんのエッセイを掲載予定でしたが、小林さんのご事情で休載します。
次回は25日の予定ですので、ご期待ください。
飯沢耕太郎の新連載<日本の写真家たち>第二回を掲載します。
ときの忘れもののホームページの英語版はいままで更新もままならず苦戦していたのですが、それでも海外からの問合せが結構入ります。
草間彌生植田正治安藤忠雄瑛九らへの問合せが多いのですが、もっと日本の写真家を海外の人たちにも知って欲しいと考えて、昨年来飯沢先生にご相談してきました。
日本語で原稿を書いていただき、私どものスタッフ新澤が翻訳して飯沢先生のチェックを受け、掲載という手順です。
すでに英文サイトにも掲載していますので、お読みください。

飯沢耕太郎さんの新連載「Photographers of Japan」

Photographers of Japan

Vol.1 "maroon" -- Whereabouts of new works by Hiroshi Osaka

by Kotaro Iizawa (Critic and historian of Photography)


When he made his debut during 1980s in his 20s, Hiroshi Osaka has already perfected his style of photography. In 1982 he was awarded the grand prize in Japan Professional Photographers Society Exhibition for "The Land of the Holly", which is the photograph of the hand-made doll. Nude photography series "Syzygy" released later decorated photography magazine tops and Osaka continued to receive high reputations, winning the Japan Photographers Society's young photographers award in 1985.

Although he continued to work energetically on fashion magazines and calendars through his 30s and 40s, his works seemed somewhat stagnant. Maybe this was because of his misfortune, not being able to meeting a gallery and director that suites his works. Whatever the reason may be, it was rather mortifying for me as I had my eyes on him from early period.

So, I was both looking forward and anxious when I heard Osaka is releasing new works. In the end, worry was just a worry and I was satisfied with what I saw. There were very Osaka-like work, where craftman's quality is fused perfectly with rich fantasy.

To be precise, these works are taken about 10 years ago but have been shelved. Models are twins working as a makeup artist and a hairdresser. Ladies with un-Japanese like beauty photographed in Osaka's main ground, woods are simply splendid. Photographs express Osaka's romantic longing towards female sexuality, and capture models' witch like aura very well. Twins are said to be a mythic existence, as one's alter ego stands aside. Its this strange sense of discomfort that can said to be creating a depth to these works.

However, this series of new works does not seem to be the full comeback. Osaka is a well known artist with nude photographs represented with series such as "Syzygy", and I can not stop expecting a new development, working further into this theme. This is not to say that this series "maroon" is just a forerunner. They are truly wonderful works, showing desires to return to nostalgic and mystic mother nature in shape. I sincerely hope this group of works to be a step towards more mature, large-scale works.
(Kotaro Iizawa)

*画廊亭主敬白
上掲は先日このブログに掲載した飯沢耕太郎のエッセイ/「唖月色の森(maroon)」--大坂寛の新作の行方/の英訳です。
以前から飯沢耕太郎さんには、日本の写真家のレベルは非常に高いので、海外に向けて紹介・発信をしたいので海外向けの原稿を書いて欲しいとお願いしていました。
今回の大坂寛写真展に書いていただいた原稿を第一回として、ときの忘れもののスタッフの新澤悠が翻訳したものを英文ホームページに掲載をはじめました。
今後は毎月1〜2回、飯沢耕太郎さんに「Photographers of Japan 日本の写真家たち」を連載していただきます。
小林美香さんの「写真のバックストーリー」とあわせご愛読ください。
尚、翻訳には未熟な点も多々あると思います。読者各位のご指摘、ご指導をよろしくお願いいたします。
ときの忘れもののホームページは日本語ページには相当の蓄積があり反応も多いのですが、英文ページが手薄というか更新もままならない状況でした。新澤はじめ新しいスタッフは英語、フランス語、ハングルにも堪能なので、これから海外への発信に一層の力を入れていきたいと思っています。
ときの忘れものの今年のラインナップも固まってきました。
お正月に予告したものと少し変わりました。
植田実先生の二回目となる写真展を春に予定していたのですが、少し先になります。
そのかわりロバート・ラウシェンバーグの展覧会を来週13日から21日まで開催します。
光嶋裕介、宮脇愛子の個展の後、7月には昨年ソウルのKIAFで出会った河明殷(Ha Myoung-eun)さんという若い女性作家の個展を開きます。
秋には、これもときの忘れものでは初登場の野口琢郎さんの個展も計画しています。
おいおい詳細は発表するとして、今年はアートフェアにも出展が続きます。
決まっているのは京都(4月)、大阪(7月)、名古屋(8月)ですが、海外にも二箇所ほど申込みしています。
発表がまだなので、それ次第で秋の予定もかわります。どうぞご期待ください。

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◆ときの忘れものは2012年3月27日[火]―4月7日[土]「大坂寛写真展―唖月色の森[あずきいろのもり](maroon)」を開催しています(会期中無休)。
大坂寛展案内状画像600
双子の姉妹の姿を自然に託し、そこに宿る気配を写し撮った新作シリーズを発表します。
銀塩印画紙に硫化調色を施したプリントのしっとりとした美しさをご覧いただきます。

◆お近くにお住まいのHさんがご自身のブログに大坂寛展の感想を書いてくださいました。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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