西村智弘のエッセイ

西村智弘のエッセイ「ジョナス・メカスをめぐる断章」第三回

ジョナス・メカスをめぐる断章」第三回

西村智弘(映像評論家・美術評論家)

3.「this side of paradise」と60年代

 『メカスの映画日記』は、「ヴィレッジ・ヴォイス」にメカスが連載した「ムービー・ジャーナル」を抜粋したものである。メカスは劇映画についても言及しているが、多くはアンダーグラウンド映画に関する記述となっている。『映画日記』では、1959年から1971年までの映画評が掲載されているので、まさに60年代のアンダーグラウンド映画の状況がわかる本となっている。
 『映画日記』に取り上げられた作品は膨大だが、メカスの作品についてはあまり触れていない。映画に関する時評なので当然であろう。しかし、往々にして作家が他の作家の作品について書いた文章は、本人の作品について語っているものである。『映画日記』においても、メカスの自作解説として読むことのできる個所が散見している。
 『映画日記』の1962年1月15日には、「失敗、ピンボケ、ぶれ、あいまいな構え、はっきりしない動き、露出方や露出不足などでさえ、ヴォキャブラリーの一部である」とある。これは、当時のアンダーグラウンド映画の特徴を論じたくだりであって、メカスの作品の解説ではないのだが、彼の日記映画によく当てはまる記述となっている。
 メカスの映画では、ピンボケや露出の不手際、不安定な構図や動きといったカメラの失敗が大胆に用いられている。とくにメカスの作品に特徴的なのは画面の明滅で、これは断続的にコマ撮りを行うことによって生まれている。彼が明滅を用いるようになったのは、『リトアニアへの旅の追憶』を撮影しているとき、カメラが故障してしまい、そのようにしか撮影できなくなったことがきっかけであった。メカスは、カメラの不具合を自分の作品の「ヴォキャブラリーの一部」として取りこんでしまった。
 通常の映画制作では、適正に撮影されていない個所や不具合を起こして撮影された部分は切り捨てられる。それは失敗した撮影であって、作品のなかにもちこんではいけないものであった。しかし、アンダーグラウンド映画の作家たちは、それまで失敗として排除されていた映像に新しいリアリティを見いだしたのであった。ここに、当時のアンダーグラウンド映画がもつ反逆精神とアヴァンギャルドの美学を認めることができる。
 ところでメカスは、1980年代中頃から写真作品を発表するようになっている。その写真は、メカスの映画のフィルムのなかから2コマから3コマの連続した部分をプリントしたものである。今回、「ときの忘れもの」で発表された「this side of paradise」もそうした作品によるシリーズである。
 メカスは、1960年代末から70年代初頭にかけて、ピーター・ビアードの紹介で、ケネディ大統領の未亡人であったジャクリーヌ(ジャッキー)・ケネディに請われ、子息のジョン・ジュニアやキャロラインに映画を教えていた。「this side of paradise」は、このときに撮影されたフィルムを使っている。映画の授業は、アンディー・ウォーホルから借り受けたモントークの別荘で行われ、週末にはウォーホルやビアードも参加したという。
 「this side of paradise」には、60年代を象徴する人物が関わっている。メカスとジャッキーという組み合わせは意外で興味深いが、映画の授業がウォーホルの別荘で行われたというのも奇妙なめぐり合わせである。60年代前半にウォーホルは、ジャッキーの写真を使ったシルクスクリーンの作品をつくっていた。これは、ケネディ大統領が暗殺されたときの写真と結婚した当時の微笑んでいる写真を組み合わせたシリーズで、ジャッキーの悲劇性が強調されている。
 メカスの「this side of paradise」は、ウォーホルの「ジャッキー」シリーズとは対照的である。メカスの作品は、ジャッキーの子息が部屋のなかに佇んでいたり、浜辺で遊んだりしているなにげない姿を捉えている。そこに向けられたやさしいまなざしは、メカスのいう「祝福の瞬間、歓びや幸福の瞬間」を写しているだろう。わたしたちはジャッキーの悲劇を知っているため、メカスによって切り取られた瞬間は、よりかけがえのないものに思えるのではないだろうか。
 よく知られているようにメカスとウォーホルは仲がよかった。メカスは、ウォーホルにまつわる映像を集めた『ライフ・オブ・アンディー・ウォーホル』(1990)という作品を制作している。この作品のなかに、海岸近くの家にウォーホルや友人たちが集まっているシーンがある。おそらくこの家がジャッキーの子息に映画を教えた別荘ではないかと思われる。
 60年代にはウォーホルもアンダーグラウンド映画を制作していた。メカスはウォーホルの映画を高く評価し、決して評判のよかったわけではないその作品をシネマテークで上映し続けた。撮影の不手際を作品に取りこむアンダーグラウンド映画の特徴は、ウォーホルの作品にもそのまま当てはまる。彼は、どんなに失敗していても撮影したフィルムは必ず使うのであった。
 カメラの不手際は、「this side of paradise」シリーズにも認めることができる。たとえば、コマを超えて黒い帯のようなものが大きく横切っている作品がある。この黒い帯は、断続的にコマ撮りをしたために生じたもので、上映時に起こる明滅の原因がこれである。また、最初のコマと次のコマの明るさがまったく異なっている作品もある。これは、一方のコマの露出が適正ではないのである。いずれの場合も、通常の映画制作では失敗と見なされる部分である。
 どうやらメカスは、カメラの不具合を起こしている箇所を意図的に選択しているようである。それは、メカスがカメラの失敗を「ヴォキャブラリーの一部」として用いた証であり、映画がアヴァンギャルドであったことの痕跡である。ここに、メカスの日記映画の独自なスタイルを認めることができるし、アンダーグラウンド映画の美学が示されているともいえる。「this side of paradise」のシリーズは、こうした点においても60年代を想起させる作品となっている。(にしむらともひろ)

西村智弘(にしむらともひろ)
1963年 茨城県生まれ、1990年 第13期イメージフォーラム付属映像研究所修了、1993年 美術出版社主催「第11回芸術評論」に「ウォーホル/映画のミニマリズム」で入選。
以後、美術評論家、映像評論家として活動する。
美術評論家連盟、、日本映像学会会員。現在、東京造形大学、東京工芸大学、多摩美術大学、阿佐ヶ谷美術専門学校にて非常勤講師を務める。
著書:『日本芸術写真史』(美学出版、2008)、共編著:西村智弘+佐藤博昭編著『スーパー・アヴァンギャルド映像術』(フィルムアート社、2002)他。

0909-46Andy_Warholジョナス・メカス
「Andy Warhol at Montauk, 1971」
2000年
C-print
イメージサイズ:30.5×20.2cm
シートサイズ :30.5×20.2cm
Ed.10  signed

mekas_26_John_and_Anthony_Montauk_sunsetジョナス・メカス
「John and Anthony, Montauk sunset, August 1972」
2000年
Type-Cプリント
イメージサイズ:30.5x20.3cm
シートサイズ :30.5x20.3cm
Ed.10  サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

◆ときの忘れものは、2012年2月10日[金]―2月25日[土]「ジョナス・メカス写真展」を開催しています(※会期中無休)。
レセプション:2月18日(土)18時〜20時
メカスさんは来日しませんが、昨秋刊行されたジョナス・メカス『メカスの難民日記』(みすず書房)の翻訳者である飯村昭子さんをニューヨークから迎え、同じく飯村訳の『メカスの映画日記』(1974年、フィルムアート社)の装幀者である植田実さん、メカス日本日記の会の木下哲夫さんらを囲みレセプションを開催します。どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。
尚、パーティの始まる前(17時〜18時)にギャラリートークを開催しており、18時前には予約者以外は入場できません。
メカス展
それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった
「this side of paradise」シリーズより日本未発表の大判作品13点を展示します。
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのアンディ・ウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60〜70年代のアメリカを象徴する映像作品(静止した映画フィルム)です。

ジョナス・メカスさんの新作映画《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》が東京都写真美術館他での「第4回 恵比寿映像祭――映像のフィジカル」で上映されます。

西村智弘のエッセイ「ジョナス・メカスをめぐる断章」第二回

ジョナス・メカスをめぐる断章」第二回

西村智弘(映像評論家・美術評論家)

2.『難民日記』とメカス

 メカスの日記映画は、それ自体がアンダーグラウンド映画であり、映画のアヴァンギャルドとしての側面をもっている。一方、日記映画のスタイルは、メカスの人生とも深く関わっているようだ。
 昨年、飯村昭子の訳で『メカスの難民日記』(みすず書房)が刊行された。これまでにも一部の翻訳が紹介されていたが、やっと完訳が出たのである。『難民日記』は、1944年から1955年までのほぼ10年間、メカスが22歳から33歳までの日記を収録したものである。この時期の体験がメカスの作品を日記映画に導いていると考えてよい。
 『難民日記』の冒頭近くに、「われわれ小国の人間にできることはただ一つ、なんとか生き延びることだけだ」という記述がある。この日記に書かれているのは、リトアニア人であるメカスが「なんとか生き延びること」を強いられた苦難の時代であった。
 『難民日記』は、ドイツの強制労働収容所で過ごした時期と、アメリカに亡命した時期の二つに分けられる。リトアニアで反ナチの運動をしていたメカスは、逮捕される可能性が出てきたため、弟とともにウィーンに逃亡することにした。しかし、乗った列車がドイツに到着してしまい、メカスと弟はナチの強制労働収容所に入れられてしまう。つらい労働と不自由な生活、絶望と飢餓に苦しめられる日々が続いた。
 戦争が終わってもメカスと弟は、ソビエトに占領されたリトアニアに帰らなかった。しばくのあいだ難民収容所を転々としていたが、1949年にアメリカに亡命する。ニューヨークでメカスは、実にさまざまな職業に就いている。職業探しに明け暮れる貧しい日々であり、慣れない異国での生活に悩まされた時期であった。そうしたなかでメカスは、演劇や映画、美術などさまざまな芸術を見て回り、借金して買って16ミリカメラで映画を撮りはじめる。
 メカスの日記映画は、日々の生活のなかで撮影した映像を使って制作されている。しかしメカスは、手当たりしだいに身の周りのものを記録しているわけではない。彼は、生活のなかで自分にとって好ましいと思うものを選択している。その選択は決して恣意的ではなく、メカス個人のなかではなんらかの理由が存在している。
 1980年に飯村昭子が行ったインタビューで、メカスはその選択の理由について次のように語っている。「多分、おもに、私が戦中・戦後の悲惨の時代に生まれ、生きてきたために、あこがれ続けていたシーンがあって、私がひたすらそれらのシーンに固執しているということでしょう。他の人々は知りませんが、現在(いま)でも、私だけは、あの悲惨の時代を生きているのです」。また彼は、「私が記録したい瞬間は、あの悲惨さをやわらげることのできる祝福の瞬間、歓びや幸福の瞬間なのです」とも述べている。悲惨の時代を当事者として生きた体験が、メカスに「祝福の瞬間、歓びや幸福の瞬間」を渇望させている。
 『リトアニアへの旅の追憶』というタイトルからも伺えるように、「追憶」はメカスの日記映画の根底にある重要な要素である。この作品をめぐるレクチャーでメカスは、「私には現実をコントロールする力など大してなくて、すべてを決定しているのは、私の記憶、私の過去なのです」と語っている。彼の日記映画には、「私の記憶、私の過去」が強く反映されている。
 「私の記憶、私の過去」にこだわるのはメカスの資質なのであろうが、とくに強制労働収容所で培われたもののようである。『難民日記』には、折に触れて思い出された年少の頃の記憶が繰り返し書き留められている。収容所でのつらい日々が平和だった年少の頃の記憶を呼び覚ますのであろう。そして、いまでも「あの悲惨の時代を生きている」と語るメカスは、たえず過去の記憶を追い求めることを強いられているのかもしれない。
 しかし、メカスの意識は過去にばかり向いているわけではない。『メカスの映画日記』には、冒頭近くに「わたしにはいまここしかない」という記述がある。これは、1958年の日記からの引用として示された文章の一部で、メカスがアメリカに亡命したあとに書かれたものである。
 ニューヨークで生活していたメカスには、故郷のリトアニアから切り離されているという意識が強くあったようである。「わたしにはいまここしかない」という発言は、故郷に帰ることができず異国で新しい生活を獲得しなければならない彼自身の決意であり、アメリカに亡命したリトアニア人としてのアイデンティティの表明だったといえるであろう。また、「わたしにはいまここしかない」という意識は、「いまここ」を懸命に生きること、「いまここ」の一瞬一瞬を大切にするという態度を導いているだろう。それが戦中・戦後の悲惨な体験から導かれたメカスの生き方だったのである。
 メカスが日記映画で撮影するのは、目の前にいる友人や家族であり、身の回りに起こる出来事である。それは、メカスにとっての「いまここ」を記録したものに他ならない。その「いまここ」は、決して特別なものではなく、誰もが普段すごしているようなごく当たり前の日常にすぎない。しかしメカスは、その日常をかけがえのない体験に変えてしまう。ささいなものやはかないものに対する愛情と、過ぎゆくものをいつくしむ心情が、なにげない日常をこの上なく美しいものとしてフィルムに定着させるのだ。ここに、メカスのいう「祝福の瞬間、歓びや幸福の瞬間」が生まれている。
 メカスの日記映画には彼の人生が記録されている。しかしそれだけではなく、日記映画というスタイルがメカスにとっての人生を象徴しており、またメカスの生き方を反映していると思われる。
(にしむらともひろ)

西村智弘(にしむらともひろ)
1963年 茨城県生まれ、1990年 第13期イメージフォーラム付属映像研究所修了、1993年 美術出版社主催「第11回芸術評論」に「ウォーホル/映画のミニマリズム」で入選。
以後、美術評論家、映像評論家として活動する。
美術評論家連盟、、日本映像学会会員。現在、東京造形大学、東京工芸大学、多摩美術大学、阿佐ヶ谷美術専門学校にて非常勤講師を務める。
著書:『日本芸術写真史』(美学出版、2008)、共編著:西村智弘+佐藤博昭編著『スーパー・アヴァンギャルド映像術』(フィルムアート社、2002)他。

mekas_12_Peter_Beard_and_John_enacting_ジョナス・メカス
Peter Beard and John enacting a Hollywood "fight".
Montauk, Aug. 1972

1972年 (Printed in 1999)
Type-Cプリント
イメージサイズ:49.0x32.3cm
シートサイズ :50.7x40.6cm
Ed.10  サインあり

mekas_13_John_and_Anthony_were_very_bad_ジョナス・メカス
「John and Anthony were very bad that day in the car,
Lee had to put them on the roadside, we later picked
them up. Montauk, August 1972.」

1972年 (Printed in 1999)
Type-Cプリント
イメージサイズ:49.0x32.4cm
シートサイズ :50.6x40.7cm
Ed.10  サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

◆ときの忘れものは、2012年2月10日[金]―2月25日[土]「ジョナス・メカス写真展」を開催しています(※会期中無休)。
レセプション:2月18日(土)18時〜20時
メカスさんは来日しませんが、昨秋刊行されたジョナス・メカス『メカスの難民日記』(みすず書房)の翻訳者である飯村昭子さんをニューヨークから迎え、同じく飯村訳の『メカスの映画日記』(1974年、フィルムアート社)の装幀者である植田実さん、メカス日本日記の会の木下哲夫さんらを囲みレセプションを開催します。どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。
尚、パーティの始まる前(17時〜18時)にギャラリートークを開催しており、18時前には予約者以外は入場できません。
メカス展
それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった
「this side of paradise」シリーズより日本未発表の大判作品13点を展示します。
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのアンディ・ウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60〜70年代のアメリカを象徴する映像作品(静止した映画フィルム)です。

ジョナス・メカスさんの新作映画《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》が東京都写真美術館他での「第4回 恵比寿映像祭――映像のフィジカル」で上映されます。

西村智弘のエッセイ「ジョナス・メカスをめぐる断章」第一回

「ジョナス・メカスをめぐる断章」第一回

           西村智弘(映像評論家・美術評論家)


1.日記映画とアヴァンギャルド

 ジョナス・メカスは日本での人気が高い。メカスの映画は頻繁に上映されているし、彼の詩集や日記などの著作も翻訳が出ている。もちろんこの人気は今にはじまったことではなく、かなり以前からメカスは知られた存在であった。
 日本でメカスは、まず映画批評家として紹介されたようである。『世界映画資料』1960年1月号(24)に、メカスが書いた「自由な映画を目指して」と「映画の新世代への呼びかけ」が掲載されている。これは、メカスの文章が日本で紹介された最初ではないかと考えられる。映像作家のかわなかのぶひろは、この訳文を読んで実験映画に目覚めたという。
 1960年というと、メカスが「ニュー・アメリカン・シネマ・グループ」を立ち上げた年に当たる。それは、ちょうどアメリカにアンダーグラウンド映画(実験映画)が台頭していた時期であった。メカスは、アンダーグラウンド映画を熱心に擁護するようになり、1962年に映像作家の協同組合である「フィルムメーカーズ・コーポラティブ」を設立する。この組織の運営のためメカスは多忙となるが、その合間を縫って自分の作品を制作している。
 日本でメカスの映画が最初に上映されたのは、おそらく1967年3月に草月会館ホールで「アンダーグラウンド・フィルム・フェスティバル」が開催されたときであろう。このプログラムに、メカスの第一作に当たる『樹々の大砲』(1962)が入っていた。ちなみに、プログラムのセレクションをしたのは、当時ニューヨークにいた映像作家の飯村隆彦である。
 『樹々の大砲』は、一部で注目されたもののそれほど評判になったとはいえない。一方、日本でも60年代後半にアンダーグラウンド映画が流行していて、ニューヨークにおけるメカスの活動は注目されていた。1968年に発足した「ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティブ」は、名称からもわかるようにメカスの設立した組織を参照したものだった。
 しかし、メカスの作品の影響がよりはっきりと表れるのは、1973年に『リトアニアへの旅の追憶』が公開されてからである。これは1972年の作品なので、早くも翌年に日本で上映されたわけである。『リトアニアへの旅の追憶』の上映以後、メカスの作品から刺激を受けて何人もの実験映画作家たちがプライベートな日常を撮影した映画を制作するようになる。日本のプライベート・ドキュメンタリーの歴史はここからはじまるのであった。
 メカスは日記映画のスタイルを確立した作家である。彼は、日記のように友人や家族、身近な出来事を撮影した。それまでにも子供の成長や家族の旅行などを撮影したホームムービーがあった。しかし、そうしたプライベートな記録映像は作品と見なされていなかった。メカスは、表現と思われていなかったプライベートな映像に普遍的な美を見いだしたのである。
 一方、プライベートな日常にカメラを向けることは、アンダーグラウンド映画のひとつの特徴になっていた。たとえばスタン・ブラッケージは、50年代末頃から妻の出産や飼い犬の死をテーマにした作品を制作している。そうした作品をブラッケージは、「アヴァンギャルド・ホームムービー」と呼んでいた。
 メカスの日記映画もアンダーグラウンド映画のひとつであり、その作品は「アヴァンギャルド・ホームムービー」と呼べるものである。しかし、視覚的な過激さをもつブラッケージの作品と比べると、メカスの日記映画は実に穏やかでやさしい。そのため、いまメカスの作品を見ても「アヴァンギャルド」という印象をあまり受けない。しかしそれは、わたしたちがメカスのスタイルに慣れてしまったから、いいかえるとメカスの開いた地平が一般に認知されるようになったからである。
 『メカスの映画日記』を読むとよくわかるが、メカスは商業映画のもつ制度を否定し、実験的な映画に新しい表現としての可能性を認めていた。ホームムービーのような作品をつくることは、従来の映画に対するアンチテーゼとしての意味をもっていた。日記映画であること自体、それまでの映画に対する反逆であり、映画の制度を錯乱させる試みだったのである。
 プライベート・ドキュメンタリーがひとつのジャンルとして市民権を得ている現在、60年代に日記映画がもっていた実験性や革新性は見えにくくなっている。しかし、一見穏やかなメカスの作品にはアヴァンギャルドの反逆の精神が潜んでいるし、その美しい映像にもある種の過激さが秘められている。(にしむらともひろ)

西村智弘(にしむらともひろ)
1963年 茨城県生まれ、1990年 第13期イメージフォーラム付属映像研究所修了、1993年 美術出版社主催「第11回芸術評論」に「ウォーホル/映画のミニマリズム」で入選。
以後、美術評論家、映像評論家として活動する。
美術評論家連盟、、日本映像学会会員。現在、東京造形大学、東京工芸大学、多摩美術大学、阿佐ヶ谷美術専門学校にて非常勤講師を務める。
著書:『日本芸術写真史』(美学出版、2008)、共編著:西村智弘+佐藤博昭編著『スーパー・アヴァンギャルド映像術』(フィルムアート社、2002)他。

*画廊亭主敬白
美術評論、映像評論で活躍する西村智弘さんにメカスさんについての原稿(3回連載)をお願いしました。
初回の本日はメカスと日本との関係と日記映画のもつアヴァンギャルドの側面について書いていただきましたが、第二回、三回も近日中に掲載します。
新しい人でメカスさんについて書いてくださる方はいないかと、尊敬するM先生に相談したところ西村さんをご推薦いただきました。
面識のない亭主は恐る恐る原稿依頼のメールをお送りしたのですが、「ときの忘れものには以前に何度か展示を見に伺ったことがあります」とのお返事。いや失礼しました、確かに芳名簿にお名前がありました。

今回の出品作品からご紹介します。
mekas_27_Kennedy_Kids
ジョナス・メカス Jonas MEKAS"
Kennedy Kids 1971"
2000年
Type-Cプリント
イメージサイズ:30.5x20.3cm
シートサイズ :30.5x20.3cm
Ed.10  サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

◆ときの忘れものは、2012年2月10日[金]―2月25日[土]「ジョナス・メカス写真展」を開催しています(※会期中無休)。
レセプション:2月18日(土)18時〜20時
メカスさんは来日しませんが、昨秋刊行されたジョナス・メカス『メカスの難民日記』(みすず書房)の翻訳者である飯村昭子さんをニューヨークから迎え、同じく飯村訳の『メカスの映画日記』(1974年、フィルムアート社)の装幀者である植田実さん、メカス日本日記の会の木下哲夫さんらを囲みレセプションを開催します。どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。
尚、パーティの始まる前(17時〜18時)にギャラリートークを開催しており、18時前には予約者以外は入場できません。
メカス展
それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった
「this side of paradise」シリーズより日本未発表の大判作品13点を展示します。
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのアンディ・ウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60〜70年代のアメリカを象徴する映像作品(静止した映画フィルム)です。

ジョナス・メカスさんの新作映画《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》が東京都写真美術館他での「第4回 恵比寿映像祭――映像のフィジカル」で上映されます。
ときの忘れもの
blogランキング

ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
ときの忘れもの
ホームページはこちら
Archives
Categories
最新コメント
記事検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ