光嶋裕介のエッセイ

光嶋裕介「幻想都市風景の正体」第5回

光嶋裕介のエッセイ「幻想都市風景の正体」

05-異物との遭遇
〜金箔と奥行き〜


人はなぜ旅に出るのだろうか?
そこに、未知なる世界が広がっていることに
胸をときめかせ、自分の知らない、
経験したことのない世界との遭遇によって
人はまったく新しい自分を発見することがある。

幻想都市風景を描いているときもまた、
この未知との遭遇に対して、
できるだけ自覚的であるように心がけている。
つまり、
世界に一枚しかない敷地としての和紙の上に
ペンを走らせながら、さまざまな素材を
融合しようと私は、常々考えている。
白と黒の深い和紙の陰影に
空と大地を感じたり、
ときに、浮遊する雲を感じたりしながら、
自然の石を描き、レンガの壁を立ち上げて、
軽やかな屋根を架けてみる。
階段や橋によって、それぞれの建築が接続し、
木造、鉄骨、コンクリートといった異質な素材の
建築群がゆっくりと統合されていく。
排除に基づいた統一感ではなく、
多様な建築が変幻自在に接続していく複雑な世界。
敬愛する建築家の吉坂隆正は、
それを「不連続統一体」と呼んだ。
一見わかりにくいものかもしれない。
がしかし、
そこには、異物をも自らの一部として
取り込むような生命体として強度が宿る。
雑多なモノがいきいきと同居した空間。
大きな自然石に鮮やかな木造建築が差し掛けられ、
鉄骨の柱に茅葺の屋根が架かったり、
隆起した砂場に豪快な石の建築が積み上げられる。
こうした文脈は、
和紙そのものからインスピレーションを受け、
描かれた対象がそれぞれに響き合った結果
奏でられるハーモニーといえる。

今年からまた新しいことに挑戦がはじまった。
それは「金箔」という新たな異物との遭遇だ。
京都在住の箔画家の野口琢郎氏とは、
共に海外アートフェアでときの忘れもの画廊より
作品を出展している作家仲間である。
彼の煌びやかな作品に私は惹かれていった。
そこで、
「コラボしませんか?」という大胆な提案に
「やりましょう!」と二つ返事をいただいた。

そもそも、金箔といえば、
「金屏風」がまず最初に脳裏に浮かぶ。
そして、
金箔という素材について考えていくと、
絵画における「奥行き」というテーマに収束する。
この圧倒的な輝きを放ち、
画面より前面に飛び出してくる金箔には、
奥行きがない。つまり、描いた対象が
あたかも金箔によって隠されている
ようにさえ感じられるのだ。
そこが、面白い。
和紙の陰影を頼りに描かれた幻想都市風景が
金箔という光り輝く新たな道標を得て
これまでとはいささか違った
化学反応が起きはじめている。
奥行きのある建築群とフラットな金箔が
立体的な世界を構築しはじめている。
こうして未知なるものとの遭遇を繰り返し、
進化していくことで、
描くという行為そのものが常にフレッシュで
発見に満ちたものとなる。
そこには、終わりはない。
だから、やっぱり、面白い。

TOKI-5-1京都の工房にて、光嶋の和紙に箔押しをする野口琢郎さん

TOKI-5-2

TOKI-5-3
こうしま ゆうすけ

光嶋裕介 Yusuke KOSHIMA(1979-)
建築家。一級建築士。1979年米国ニュージャージー州生。1987年に日本に帰国。以降、カナダ(トロント)、イギリス(マンチェスター)、東京で育ち、最終的に早稲田大学大学院修士課程建築学を2004年に卒業。同年にザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツ(ベルリン)に就職。2008年にドイツより帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。
神戸大学で客員准教授。早稲田大学などで非常勤講師。内田樹先生の凱風館を設計し、完成と同時に合気道入門(二段)。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの全国ツアーの舞台デザインを担当。著作に『幻想都市風景』、『みんなの家。』、『建築武者修行』、『これからの建築』など最新刊は『建築という対話』。
今秋11月8日〜18日にときの忘れもので新作個展を開催します。
公式サイト:http://www.ykas.jp/

◆光嶋裕介のエッセイ「幻想都市風景の正体」は毎月13日の更新です。

●本日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
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光嶋裕介 Yusuke KOSHIMA
"幻想都市風景2016-02" ※画像をクリックすると拡大します。
2016年 和紙にインク
45.0×90.0cm  Signed
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ときの忘れものは第303回企画◆野口琢郎展 を開催します。
会期:2018年9月20日[木]―9月29日[土] 11:00-19:00 会期中無休
9月22日(土)17時よりレセプションを開催しますので、ぜひお出かけください。
展覧会カタログを刊行します(テキスト:金沢21世紀美術館館長・島敦彦さん)。
作家は会期中毎日在廊します
野口展


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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光嶋裕介「幻想都市風景の正体」第4回

光嶋裕介のエッセイ「幻想都市風景の正体」

04-自然と都市
〜地球と建築〜


drawing-low最新作
※箔押しは、箔画家・野口琢郎氏とのコラボレーション

空間とは何か?
というすごくプリミティブであり、
難しい問いを設定してみると、
空間が存在するためには、
そもそも人間がいなければならない、
ということに気づく。
とても当たり前のことだ。
自然も都市も、
常に人間との関係においてしか
語り得ることができないのである。
そして、
その空間を構成するものが建築なのか、
はたまた自然なのか、考えてみると、
自然と建築のどちらであっても、
人間は、それぞれの身体感覚によって
目の前の空間、あるいは環境を
感じるのではないかと思うのである。
つまり、
人工的な都市と野生の自然という
対比のなかにあって、
人間が空間と対峙することに関して言えば、
自然も都市も差異がないのである。
共に、空間の響きを肌で感じることができる。

私は、幻想都市風景を描くときに、
この自然と都市をなるべく等価に扱うことを
意識するようにしている。
いかなる建築も宙に浮くことはできず、
地球(大地)の上に存在することを思えば、
この地球と建築の関係に思いを巡らせている。
あらゆる物体は、地球の中心に向かって
引っ張られる「重力」が働いている。
ガウディが行った「逆さ吊り実験」は、
この重力を放物線というアーチという
造形によって可視化したのである。

地球の一部がめくられたような建築、
地球から独立した柱で持ち上げられた建築、
地球の中に深く刺さったような建築、
すべての建築は、
こうして地球との関係性の中で
魅力的な空間を立ち上げている。
内部と外部の境界線についても、
また建築と地球の多様な関係ではないだろうか。

ドローイングを描いているとき、
建築単体だけのことを考えているのではない。
いつだって、建築の立ち上がり方、
地球との関係について考えながら
ペンを走らせている。
具体的には、建築を構成するいろんな素材の
組み合わせ方が問題となってくる。
硬い岩を描いたと思えば、
そこから鉄骨の柱が林立し、
レンガの壁が立ち上がる。
自然としての植物や
ラフな素材としての石や砂、氷もよく描く。
そうした組み合わせが互いに反応しながら
幻想都市風景は、描かれていく。
いつもいうように、
地球と建築のあり方において、
模範解答など存在しない。
そこには、大きな「自由」だけがある。
少しでも新しい可能性を切り開くべく、
今宵もまた、
ドローイングを描く旅を続けている。

こうしま ゆうすけ

光嶋裕介 Yusuke KOSHIMA(1979-)
建築家。一級建築士。1979年米国ニュージャージー州生。1987年に日本に帰国。以降、カナダ(トロント)、イギリス(マンチェスター)、東京で育ち、最終的に早稲田大学大学院修士課程建築学を2004年に卒業。同年にザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツ(ベルリン)に就職。2008年にドイツより帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。
神戸大学で客員准教授。早稲田大学などで非常勤講師。内田樹先生の凱風館を設計し、完成と同時に合気道入門(二段)。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの全国ツアーの舞台デザインを担当。著作に『幻想都市風景』、『みんなの家。』、『建築武者修行』、『これからの建築』など最新刊は『建築という対話』。
今秋11月ときの忘れもので新作個展を開催します。
公式サイト:http://www.ykas.jp/

●本日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
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光嶋裕介 Yusuke KOSHIMA
"幻想都市風景2016-03"
2016年  和紙にインク  45.0×90.0cm  Signed
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光嶋裕介「幻想都市風景の正体」第3回

光嶋裕介のエッセイ「幻想都市風景の正体」

03-奥行きのある立面図
〜余白と敷地〜


建築図面の中で平面図というものは、
「機能性」を描くための図面であり、
立面図というものは、
「美しさ」を描くための図面である。
この美しさを表現するために、
建築家たちは、遠近法を修正したりしながら
工夫を重ねてきた。
具体的に立面図というものは、
建物を真横から見ることによって
得られるイメージを描いているため、
立面図においては、遠近法が無い。
言うなれば、神の視点で描かれているのだ。
要するに描かれた立面図のようには、
実在する建築を見ることはできない。

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私も自分のドローイングの視点を
設定するために「地平線」を引くことから始めた。
しかし、前回書いたように、
和紙を自ら漉くことによって、
描かれた「地平線」を必要とすることなく、
世界に一枚しかない和紙の
白と黒の差異の中から想像力を
働かせることで、美しい建築の群像劇を
描く道を選択したのである。
この和紙がもつ独自な表情は、
それだけで「奥行き」をもっていること。
この奥行きを意識しながら、
立面図のようでいて、
そうでないドローイングを描いている。

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建築家としての設計活動における実践を
幻想都市を描くことで遠くから補完している
ように思えてならない。
それは、
言語化できない力が拮抗しているからだ。
そのため、ドローイングを描く時の
視点はものすごく大切になってくる。
どこから見える風景を描くのか?
それは、鑑賞者一人ひとりに開かれている。
そのために心がけていることが、
造形の自由な組み合わせと、
人間を描かないことである。何故か?
端的に言って、スケールを特定しないためである。
人間を不在にすることで、描かれた世界の中に
明確なスケールを与えない。
それこそ、
鑑賞者に委ねられた自由な視点を提供したい。
見る「視点」と同じく私が大事にしているのが、
建築と建築がつながるための「支点」だ。
これは、何も思いつきではない。
雑多なものが同居した相互扶助的世界を
表現する上で、あらゆる支点がそれぞれの
建築をつなぎ、支え合っている。
そのため、私の描く幻想都市風景の中には
ある種の「不安定さ」が内在する。
重力に対する不安定さこそ、
あらゆるものがつながり、
支え合うための重要な要素となる。
塔状の造形も、トラスのような構造体も、
岩のような自然物も、あるいは、
氷や砂といったマテリアルも
すべてがドローイングの中では
有機的につながっている。

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建築家の描く人間不在の幻想都市風景は、
鑑賞者という視点を得て、
多様な物語がそれぞれに追記され、
画面の中で溶け合うようにして存在する。
建築群に強度ある思想が宿ると信じて
私は、今宵も和紙の上でペンを走らせる。
こうしま ゆうすけ

光嶋裕介 Yusuke KOSHIMA(1979-)
建築家。一級建築士。1979年米国ニュージャージー州生。1987年に日本に帰国。以降、カナダ(トロント)、イギリス(マンチェスター)、東京で育ち、最終的に早稲田大学大学院修士課程建築学を2004年に卒業。同年にザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツ(ベルリン)に就職。2008年にドイツより帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。
神戸大学で客員准教授。早稲田大学などで非常勤講師。内田樹先生の凱風館を設計し、完成と同時に合気道入門(二段)。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの全国ツアーの舞台デザインを担当。著作に『幻想都市風景』、『みんなの家。』、『建築武者修行』、『これからの建築』など最新刊は『建築という対話』。
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光嶋裕介
"ベルリン"
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光嶋裕介「幻想都市風景の正体」第2回

光嶋裕介のエッセイ「幻想都市風景の正体」

02-白紙には描けない
〜余白と敷地〜


私は、まっさらの紙に描くのが苦手である。
というか「白紙には描けない」と言った方が
より正確かもしれない。
白紙に対する強迫観念のようなものがあるのだ。
要するに白紙に線を重ねてドローイングを
描いていくと、当然のことながら、
どこかの時点でペンは止まり、
サインを入れて、作品が完成する。
すると、次の一枚を描く時に目の前に現れるのは
全く同じ白紙の紙ではないか。
描く前のスタート地点にすっかり逆戻りしてしまう。
これが、辛い。

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私は、考えた。
描く対象が建築や自然の風景であり、
図面でいうところの「立面図」に近いため、
一本の線を引くことからはじめることにした。
そう、地平線である。
これは、四角い画用紙が必然的にもっている
四辺の描く範囲(限界)を少しでも拡張するための
補助線としての役割も果たす。それにより、
地平線の下には「絶対的な余白」が確保され、
加えて、左から右へと絵巻物のように
連続して紙を何枚でも繋げて描くことが
できるようになった。

しかし、
それだけでは結局のところ、同じように、
地平線の描かれた白紙の紙に毎回
戻ってきてしまうことに不自由さを感じていた。
そんな頃、2015年の春、敬愛する漫画家の
井上雄彦さんが描くガウディの展覧会が企画され、
ご縁あって「公式ナビゲーター」をやらせて
もらうことになった。
その一環として、福井県武生に井上さんと一緒に
行って、大きな和紙(後にサグラダファミリアの
絵が描かれる)の製作をお手伝いすることになった。
そして、ひらめいたのだ。
私も自分だけの和紙をここでつくりたい、と。
その年の夏頃、改めて一人で武生を訪れた。
越前和紙のつくり方をあれこれ職人さんに
教えてもらい、私が採用したのは、
紙の原料にたっぷり墨を入れた黒いものと、
一般的な白いものとを同時に流し込む
ということだった。
右手には黒い原料の入ったバケツを持って、
左手には白い原料の入ったバケツを持ち、
同時に網の枠に勢い良く流し込む。
ドロッとした白と黒の液体がぶつかり合う。
液体同士がどのように混ざり合うのかは、
ある程度しか制御できない。
というか、その時の偶然性に委ねられており、
「アン・コントローラブル(制御不能)」なのだ。
そこが、実に面白い。完成した紙は、
雲のようでもあり、煙のようでもあり、
地形のようでもある。
紙が私の想像力を刺激する。
要するに「世界に一枚しかない」紙を前にして、
私は、ドローイングが描きたくて、
ウズウズするのである。このウズウズする感覚は、
描く人間にとってものすごく大切な感情であり、
創作の泉の「水圧」である、といえよう。

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以来、私は年に一度武生に行って
自分の描くための和紙を自ら漉いている。
ドローイングを描くための欠かせない
下ごしらえとなった。
言うなれば、二段階制作なのだ。思えば、
これは建築家である私が建物を設計する際に
いつも世界に一つだけの「敷地」で
仕事していることと同義なのである。
一つとして同じ敷地がないように、
一つとして同じでないドローイングを描くためにも、
やはり、
画材屋さんで同じ白紙の画用紙を
購入するのではなく、描くための敷地として
「和紙を自ら漉く」のである。
和紙によって拡張された想像力の可能性に、
無限の広がりを感じている。
こうしま ゆうすけ

光嶋裕介 Yusuke KOSHIMA(1979-)
建築家。一級建築士。1979年米国ニュージャージー州生。1987年に日本に帰国。以降、カナダ(トロント)、イギリス(マンチェスター)、東京で育ち、最終的に早稲田大学大学院修士課程建築学を2004年に卒業。同年にザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツ(ベルリン)に就職。2008年にドイツより帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。
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光嶋裕介
《幻想都市風景2016-03》
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新連載・光嶋裕介のエッセイ「幻想都市風景の正体」第1回

光嶋裕介のエッセイ「幻想都市風景の正体」

01-身体で考える
〜スケッチとドローイング〜


建築家は、身体で考える生き物である。
頭であれこれ考えることには限界があり、
言葉にならないものは、表現できないものだ。
だから、言葉ではない「非言語」というカタチで
自由に思考するためには、やはり、
身体で考えることが建築家の大切な資質である。

具体的にはどういうことか?
それは、身体全体で目の前の空間を感じ、
皮膚感覚で感じたままに、視覚情報を介して、
自らの中に立ち上がった風景を描くのだ。
ペンを持って、紙に描くといっても、大きく分けて二つある。

ひとつは、目の前の風景をそのまま描く「スケッチ」。
何も、見た通りに描く必要など全然ない。
ただ、感じた通りに描く必要がある。
そのためのコツは、やっぱり頭を使って描くこと。
要するに、目の前の風景と対話しながら描くのである。
地球の放つエネルギーをヒシヒシと感じながら、
あるいは、建築や自然の美しさを自らの身体を通して
描き出せばよいのである。
記憶の定着のためのスケッチに対して、
自らの内側から手探りで掘り出して描くのが「ドローイング」。
このときは、目の前の風景を描くのではなく、
自分の心象風景を描くのである。
ドローイングの面白さは(少なくとも私にとっては)
何を描くか自分でさえも「わからない」というところにある。
それは、なぜなら、ドローイングを描く行為は、
自分で自分を「発見していく」ことに他ならないからだ。
どういういうことか?
目の前の風景をスケッチすることと、
内的な心の風景をドローイングすることの相違点は、三つある。
まず、スケッチが建築家にとって、インプットであるのに対して
ドローイングがアウトプットであるということ。
次に、スケッチは、描き始めたときから大方の「完成予想図」が
薄っすら見えているのに対して、
ドローイングは、描きながら生まれる造形と造形の関係性や、
画面の中の余白とのバランスによって、動き続けるために、
完成の瞬間は、そのときにならないとわからないということ。
最後に、スケッチは、目の前の風景を描くので、
太陽の光が不可欠であるのに対して、
ドローイングは、室内で人工照明の下で描くため、
太陽の光を必要としないということだ。
私の場合、ドローイングを描くのは設計の仕事を終えて、
寝る前の深夜であるため、自然光は一切ない場所で線を紡ぎ出す。

TOKI-1


TOKI-2


TOKI-3光嶋裕介
《幻想都市風景2016-04》
2016年
和紙にインク
45.0×90.0cm
Signed


TOKI-4《幻想都市風景2016-04》部分


ここまで、
スケッチとドローイングの相違点についてばかり書いてきたので、
最後に共通点についても書いておこう。
それは、ともに「模範解答がない」ということに尽きる。
何をどのように描けば「正解」であるというものがなく、
自らの身体で、考え続けるしかないのである。
また、ごくごく当たり前のことかもしれないが、
スケッチとドローイングを描きながら身体で考えることが、
むろん楽しい行為であり、ずっと継続していくことができるということは、
描くことによって、いつも新しい自分を発見する手助けになっていて、
少しでも今までに見たことのない風景を自分に見せてくれるのも、
自分が風景と同化して、気持ちよく描いているときなのだ。
だからこそ、
スケッチも、ドローイングも、今なお、やめられない。
こうしま ゆうすけ

光嶋裕介 Yusuke KOSHIMA(1979-)
建築家。一級建築士。1979年米国ニュージャージー州生。1987年に日本に帰国。以降、カナダ(トロント)、イギリス(マンチェスター)、東京で育ち、最終的に早稲田大学大学院修士課程建築学を2004年に卒業。同年にザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツ(ベルリン)に就職。2008年にドイツより帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。
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*画廊亭主敬白
建築家として大活躍されている光嶋裕介さんの2年ぶりの個展をこの秋(11月を予定)開催します。
2016年のときは自ら越前和紙の本場で紙漉きに挑戦し、45.0×90.0cmの大判和紙に描いた作品を出品しましたが、今は遥かにそれを上回る畳一畳サイズの超特大サイズの和紙を漉き、それに描くという冒険に取り組んでいます。光嶋さんはtwitterで日々少しずつ描き進んでいる様子を実況中継していますが、このブログでも毎月13日更新、個展開催の日まで「幻想都市風景の正体」を書き継いでいただくことにしました。
本日5月13日は亭主の敬愛する井上房一郎さんの誕生日(1898年5月13日生れ - 1993年7月27日没)です。このブログでは<井上房一郎さんのこと>として関連記事を掲載しています。明治、大正、昭和、平成を生きた文化のパトロン、井上さんの助手だった熊倉浩靖さんに「井上房一郎先生 生誕120年にあたって」をご執筆いただきました。明日14日のブログに掲載しますのでぜひお読みください。

●今日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
20180513_Urban Landscape Fantasia2018 - 01
光嶋裕介《幻想都市風景2018-01》
2018年 和紙にインク
45.0×90.0cm サインあり
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◆ときの忘れものは没後70年 松本竣介展を開催しています。
会期:2018年5月8日[火]―6月2日[土]
11:00-19:00  ※日・月・祝日休廊

ときの忘れものは生誕100年だった2012年に初めて「松本竣介展」を前期・後期にわけて開催しました。あれから6年、このたびは小規模ですが素描16点による「没後70年 松本竣介展」を開催します。
201804MATSUMOTO_DM

「没後70年 松本竣介展」出品作品を順次ご紹介します
13出品No.6)松本竣介《作品》
1946年2月
紙にペン、墨、水彩、コラージュ
Image size: 15.5x29.5cm
Sheet size: 23.5x32.3cm
サインあり
※『松本竣介素描』(1977年、株式会社綜合工房)口絵

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●本展の図録を刊行しました
MATSUMOTO_catalogue『没後70年 松本竣介展』
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 
テキスト:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
作品図版:16点
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
税込800円 ※送料別途250円


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光嶋裕介「継続は力なり 国際アートフェア参戦レポート」

継続は力なり
国際アートフェア参戦レポート


光嶋裕介
(建築家)

 ニューヨークは、やはり、ニューヨークだった。ニュージャージー生まれの僕にとって、ニューヨークは子供の頃から親しみをもっている街であり、最も好きな都市のひとつである。そんなニューヨークに仕事として行くことになったのは、昨年の春。イースト・リバー沿いの36番埠頭にて毎年開催される「Art on Paper」というアートフェアに「ときの忘れもの」画廊が出展することがきっかけで、今年も二年連続して参加させてもらうことになった。

 昨年より幾分寒さが緩和されていたのか、アートフェア前日の嵐(1日ズレていたら、大変だった)以外は、連日天気にも恵まれて、会場は活気付いていた。まずは、何よりアートフェアの意義について、考えさせられた。つまり、芸術が美術館の中で鑑賞するだけのものではなく、日々の生活の中にある暮らしにとって身近なものであるという感覚だ。そこは、容赦なく厳しい市場原理が貫かれた世界でもある。だから、アートフェアの来場者たちも、自らの予算があり、自らの美意識(あるいは、テイスト)に対して高いハードルを設定している。そのため、広い会場に並べられた無数の作品の中から「これだ!」と思うものには、みんなゆっくり立ち止まり、十分に吟味したうえで、購入もしてくれる。

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IMG_9398「Art on Paper」ときの忘れものブース


 この「Art on Paper」というのは、その名の通り、紙に特化してアートフェアであり、福井県・武生に行って越前和紙を自分で漉いている僕の作品には、ぴったりなのだ。2014年に六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーにて開催された《ガウディ×井上雄彦》のオフィシャル・ナビゲーターをやらせてもらったのがご縁で、自分のドローイングを描くための紙づくりをするようになった。

 これは、何も思い付きではない。建築家の僕にとって、白紙の紙は、どうにも息苦しい。何故なら、とても綺麗で、文字通り何もないからだ。しかし、建築を設計する時の「敷地」がひとつとして同じものがないように、ドローイングを描くための紙も「白紙」のものを画材屋で購入するのではなく、自らつくるのはどうか?と考えるようになり、2015年からはじめたやり方である。要するに、僕の場合、ドローイングを描く前の段階から創作がはじまっており、世界に一枚しかない紙から幻想都市風景を想像(創造)するのだ。

 このことは、畳一畳分ある新作の和紙ドローイングを目にした来場者の多くの人が共感してくれた。サイズとしては過去最大の作品だったので、お客さんの「引き」は強かった。ただ、購入するかしないかは、また別の話。四日間、声が枯れそうになるほどひっきりなしに来場者たちと話していると、購入の決め手は、最初に気に入った「深度」であり、そこから予算、飾りたい場所などが考慮されていくという流れが一般的。ここのところが「厳しい目」で査定され、瞬時にハートを掴んだ人だけが、「じっくり」と作品を見てくれるのだ。僕は、この十数秒の「ため」を確保してから、「This is my work」という一言から対話をはじめるようにしている。すると、十中八九「wow, amazing!」という言葉とともに、目が輝き、どうやって描いたの?下書きするの?ここには実在する建築はあるの?などなど生き生きした対話がスタートする。

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 今年は、家族連れのお客さんが多かったように思う。そして、驚いたことに、美術館のキュレーターだというお母さんと僕の作品の前でお話していたら、六歳の娘さんが僕の作品をえらく気に入ってくれて、その場でスケッチブックを取り出した。なんと、いきなり「模写」をはじめたのである。更に鞄から色鉛筆まで取り出して、色も載せたのだ。きっと、僕の白黒のドローイングは、彼女の目には色鮮やかな風景として映っていたのだろう。売れる・売れないは、多分に運の良さも必要だが、来場者たちと交わすこうした交流は、作品をつくり続ける作家にとって、たいへん貴重な意見交換の場所でもある。昨年、僕のドローイングを購入してくれた方々とも再会し、ライターの方から取材を受け、アーティストの方には「感動したから君の似顔絵を描きたい」と言われたり、大学教授の方から「うちでアーティスト・トークしてくれないか?」などの依頼を受けたり、今年も実り多き時間であった。

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 やはり、二年連続して出展することの意味は、大きいと思う。そのためには、良い作品をつくり、売れなければならない、という当たり前の結論に辿りつく。ニューヨーカーたちにアピールして、知ってもらわないと何もはじまらない。そして、回を重ねることで見えてくることもあるし、予測不能なこともまだまだ多い。けれども、大前提としてニューヨークのアートフェアに出展することは、日本だけで作品発表するのとは、大きく意味合いが変わってくる。いささか大袈裟な言い方になるが、世界の目に曝されることで、作品は鍛えられるように感じている。そこから新しく見えてくることは沢山ある。そのような学びの場に作家として参加させてもらったことの意義は計り知れない。しかし、繰り返しになるが、それらをちゃんと消化し、自分のものにすること。そして、より良い作品をつくり続けることでしか、既に購入してくれたコレクターの方々への恩返しもできない。だから、さらに制作に没頭する決意を胸に、帰りの飛行機に乗る際は心の中で「また来年!」と誓ったのである。
こうしま ゆうすけ

光嶋裕介 Yusuke KOSHIMA(1979-)
建築家。一級建築士。1979年米国ニュージャージー州生。1987年に日本に帰国。以降、カナダ(トロント)、イギリス(マンチェスター)、東京で育ち、最終的に早稲田大学大学院修士課程建築学を2004年に卒業。同年にザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツ(ベルリン)に就職。2008年にドイツより帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。
神戸大学で客員准教授。早稲田大学などで非常勤講師。内田樹先生の凱風館を設計し、完成と同時に合気道入門(二段)。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの全国ツアーの舞台デザインを担当。著作に『幻想都市風景』、『みんなの家。』、『建築武者修行』、『これからの建築』など最新刊は『建築という対話』。
公式サイト:http://www.ykas.jp/

●本日のお勧め作品は光嶋裕介です。
20180330_15_koshima_ulf2017光嶋裕介
《幻想都市風景2017-01》
2017年
和紙にインク
198.5×100.0cm
サインあり


20180330_koshima_ulf2017-2_72dpi光嶋裕介
《幻想都市風景2017-02》
2017年
和紙にインク
198.5×100.0cm
サインあり


20180330_Urban Landscape Fantasia2018 - 01光嶋裕介
《幻想都市風景2018-01》
2018年
和紙にインク
45.0×90.0cm
サインあり


20180330_05光嶋裕介
《ベルリン》
2016年
和紙にインク
45.0×90.0cm
サインあり


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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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光嶋裕介「身近な芸術としての版画について」

「身近な芸術としての版画について」

光嶋裕介
(建築家)

 期待が大き過ぎた展覧会にがっかりして帰路につくことは多々ある。しかし、埼玉県立美術館にてただいま開催中の『版画の景色〜現代版画センターの軌跡』には、すっかり度肝を抜かれてしまった。それは一言でいうと「こんなにも身近にこれほどの芸術があったのか」という「気づき」ということに尽きる。
 美術館に展示されるものは、当たり前だが「芸術」として美しいものである。それが絵画であれ、彫刻、写真、あるいはビデオ映像とその表現方法は多岐に渡っている。この展覧会は、その中でも「版画」というメディアに特化して組まれた稀有な展覧会といえる。
 ひとくちに「版画」と言っても銅版画や凸版、リトグラフ、シルクスクリーンなどこれまた技法はたくさんあるが、世界にたった一枚しかない「絵画」のオリジナル性に比べて、「複数」であるということが版画というメディアが背負ったハンディキャップである。つまり、世界にたった一枚しかないという芸術を担保している部分が「エディションの数だけある」ということで、希少価値という面において、絵画(タブロー)などには敵わないのである。所有者が複数いるから仕方ないのだ。
 しかし、この圧巻の展覧会が示していることは、版画がたとえ複数であっても、まったく芸術としての価値の高さが揺るぎないということだ。美術館という芸術の殿堂にふさわしい一流の作品の数々が複数ある版画にもたくさん存在するということを知らしめたのである。先に「身近に」芸術を感じたと書いたのも、端的に言ってしまうと、いくつもの作品をつい「買いたい」と思うほど、惹きつけられたからである。気がつけばそれほど広くない展示室にもかかわらず、私は3時間弱もの濃密な時間を過ごすこととなっていた。
 なかでも磯崎新安藤忠雄が自身の設計した建物を版画にすることで、三次元の空間が二次元に還元され、純度の高い芸術として結晶化した表現には、分野を越境して活躍する建築家たちの真骨頂を見たように思う。磯崎が自身の建築だけを何もない抽象空間の中で美しい陰影と共に立ち上がらせたのに対して、安藤の作品は自身の建築全体ではなく、その内部空間における光の入り方をもっとも美しい状態で捉えた姿を克明に表現していた。全体と断片、フォルムの有無、素材と色彩、両者の空間における光のあり方について、じつに対照的な表現となっていたのが深く印象に残っている。
 しかし、私の心に響いた作家は他にあった。
 それが、木村利三郎と菅井汲である。
087_木村利三郎《サンフランシスコ》木村利三郎
《サンフランシスコ》1976年
シルクスクリーン(作家自刷り)
Image size: 41.0×54.0cm
Sheet size: 53.7×67.8cm
Ed.50  サインあり
現代版画センターエディションNo.87

133_菅井汲《スクランブルG》菅井汲
《スクランブルG》 1976年
凸版、シルクスクリーン(刷り:石田了一)
Image size: 24.0×35.5cm
Sheet size: 28.5×40.4cm
Ed.150  サインあり
現代版画センターエディションNo.133

 この二人に共通しているのは、版画のモチーフが建築というか、都市というか、空間であることだ。木村はニューヨークにアトリエを構えたこともあり、アメリカの都市をじつに的確にカラフルな色でもってその町の表情を見事に表現していて、つい見入ってしまう。展示されていた都市シリーズは、どれも視点に特徴があり、都市という人間がつくり上げた人工的なものを俯瞰してとらえて抽象化しているところに、彼の版画の強度があるように感じた。つまり、人間の視点から描くのではなく、バーズ・アイ・ビューという神の視点からとらえた都市の姿がシンプルな造形と絶妙な色使いによってその町の特徴がはっきりと浮き上がるのである。
 《57st.&5th Ave. New York》は、格子状の町にあって、多様にうごめく人間のエネルギーが表出する様を上品に描き上げ、《サンフランシスコ》では、海岸都市として海からスプロールするグラデーションがポップに表現されていた。たくさんの色を使うことは、画面の中が賑やかになり過ぎて、うまくいかないことがしばしばあるが、木村の画面にはバラバラのように存在しているそれぞれの色が、個々にはっきりと主張しているにもかかわらず、全体としてある「トーン」が作品を決定付けており、決して色が多いことがうるさくないのである。やはり、色の多さに対して、線としての造形がシンプルに抑制が効いていることで、作品の統一感が整えられているのだろう。
 一方菅井は、《スクランブル》と題された7点シリーズがとにかく輝いていた。版画の表現を拡張しているじつに美しい作品群である。木村のそれとは違うものの、菅井の作品にも独特なタッチがあり、圧倒的な強度を獲得している。明確な幾何学と白黒写真によるコラージュという表現の振れ幅の大きさに版画としての魅力があるのだろう。白黒写真は、空間に奥行きを与え、そこにフラットな幾何学を重ねることで、作品に独自の「トーン」がまたここにも出現する。造形と色による見事な対比と調和が見る者の想像力を自由に開放してくれるのだ。
 芸術は、なにもかもを「同じ」という方向に統合しようとする社会に対して、みんなと「違う」ことが許される分野である。要するに人間が生きることの根源的な部分に芸術はあるのである。なぜなら、みんなそれぞれに違う顔と心と身体をもっているのだから。そんな芸術を自分から遠いものとして鑑賞するのではなく、自分の生活の一部となり得るものとして「身近」に感じてもらうためには、今一度「版画」というものがもっている可能性について考えてもらいたい。その一つの切り口は、本物の芸術は時間に耐えるということだ。そして、この展覧会で紹介されている膨大な作品たちは1974年から85年というたった11年間のあいだに誕生し、すでに「現代版画センター」が倒産して33年も経っている。私が生まれる前に誕生した組織であり、同時代的に体験できなかったことが悔しくもある。しかし、ここに展示されている作品群は、まったく廃れることなく、より輝きを増して美しくメッセージを届け続けている。
 私たちは、そうした作品たちの声に耳を澄ませ、版画について、芸術について、いや、人間が生きることについて、深く考えてみたいと思う。展覧会を見終わった私も、早く絵が描きたくてなんだかウズウズしていた。
こうしま ゆうすけ

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左の7点が菅井汲「スクランブル」シリーズ、使われた写真は菅井汲の愛車ポルシェ、自ら撮影した阪神間の町、線路はもちろん阪急電車です。
2018年1月20日埼玉県立近代美術館にて、撮影:酒井猛

*画廊亭主敬白
今回の展覧会は少しでも多くの人に見ていただきたいので、幾人かの方に原稿をお願いしました。24日に掲載した西岡文彦さんのように版画センターのど真ん中にいた方や、本日の光嶋裕介さんのように生まれてもいなかった若い方もいます。
twitterやfacebookでの感想なども再録させていただいていますが、「ときの忘れものの前身が現代版画センターだった」という記述も散見します。反論するつもりはありませんが、学芸員の皆さんが現代版画センターを「時代の熱気を帯びた多面的な運動体」として捉えてこの展覧会を企画されたことだけは強調しておきたいと思います。
法人の代表者は確かに綿貫不二夫でしたし、その破綻の責任を忌避するものではありません。しかし全国各地の支部、会員の皆さんが繰り広げた版画の普及活動は一企業の事業としてくくるには余りにも膨大で多彩でした。
会場入り口のパネルには1300項目の展覧会・イベント開催記録が掲示されています。その一つ一つの固有名詞こそが、現代版画センターであったと、亭主は思っています。
1063会場入り口の1974〜1985年年表  撮影:酒井猛

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年〜1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約300点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。同館の広報誌もお読みください。

西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。
パンフレット_01
【出品作家 45 名】靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎 新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田 襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村 茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島 州一/菅井 汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳 裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林 芳史/藤江 民/舟越保武/堀 浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本 旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄

●BSフジで毎週火曜 に放映される「ブレイク前夜〜次世代の芸術家たち〜」に光嶋裕介さんが紹介され、ユーチューブでも見ることができます。


◆国立近現代建築資料館で2月4日[日]まで「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展が開催されています。磯崎新安藤忠雄らの版画作品も出品されています。
展覧会については戸田穣さんのエッセイをお読みください。

◆ときの忘れものは「Art Stage Singapore 2018」に出展しています。
Art_Stage_Singapore_2018_logo2018年1月25日(木)〜28日(日)
会場はマリーナベイサンズのコンベンションセンター。3回目の出展となりますが、今回は葉栗剛、安藤忠雄、光嶋裕介の三人展です。


野口琢郎さんが本日の「日曜美術館」に出演します
今週28日(日)放送のNHK Eテレ 日曜美術館のクリムト特集にVTRで出演します。
クリムト関係のテレビ出演は2回目、箔画やってると海外のアートフェアなんかで「まるでクリムトね、あはは」と笑われて通り過ぎて行かれる事もあり悔しい思いは何度もしましたが、クリムトのお陰でテレビに出られるので有り難いかもです 笑
恐らく2〜3分のVTRになるかと思いますが、今回は半笑いでモゾモゾ話さないように気をつけたつもりなので 笑 ぜひご視聴くださいませ、どうぞよろしくお願い致します。
NHK Eテレ 日曜美術館 「熱烈!傑作ダンギ クリムト
1月28日(日) 9:00〜9:45
2月 4日(日) 20:00〜20:45 (再放送)
(野口さんのfacebookより)

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
18駒込庭
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

光嶋裕介「安藤忠雄展を見て」

手の痕跡が示す〈挑戦〉の彼方

〜国立新美術館「安藤忠雄展」を見て〜

光嶋裕介(建築家)


 美術館は、「美」を展示する場所であり、当たり前だが、建築は、動くことができない。では、美術館で開催されるすべての「建築展」には、実際の建築に込められた美を、違った形で「抽出」し、展示することが求められる。模型や図面、スケッチがそうだ。三次元である建築物を小さく縮小した模型、建築物をつくるための方法が記された図面、設計者が建築物を発想した痕跡が残るスケッチなど、建築に込められた美を抽出する方法は、さまざまだ。展覧会でもって建築の「美」を表現するには、建築そのものを設計するのとは違った手法と思考が求められる。それは、繰り返しになるが、「建築が動かない」からだ。
 では、建築が空間としてひとつのメディアであるとしたら、実物の建築を体験する以上の「メッセージ」を果たして「建築展」は、発信することが可能であるのだろうか。実際に世界中に建築を設計し、日本を代表する建築家である安藤忠雄という建築家の仕事をすべて体験することは、もちろん難しい。だから、実物の建築を見に行くよりも、こうして建築展を通して、建築家・安藤忠雄がその人生をかけている仕事を網羅的に理解し、その全体像らしきものが開示されることには、実物の建築体験より豊かなものがあるのかもしれない、と思えてくる。《挑戦》と付けられたタイトルからも、この展覧会に掛けた安藤の並々ならぬ想いが伝わってくる。

 とにもかくにも、行ってみた。平日の朝にもかかわらず、長蛇の列ができ、老若男女、外国人観光客の姿も多く、会場はえらく賑わっている。やはり、このナショナル・アーキテクトの立っている場所から見える風景に多くの人たちの関心が集まっていることは、間違いない。有名、無名、果たしてこれほどまでに注目される建築家が他にいるだろうか。もう、これだけで、この展覧会が開催された意義は大きい。
 しかし、私は三時間近くこの展覧会をじっくり隅々まで見させてもらって、その仕事に深い敬意を示すものの、すっかり困惑してしまった、というのが率直な感想である。その膨大たる仕事の質量ともに圧巻の展覧会であることは、誰の目にも疑いなく、素晴らしいものを見せられて、圧倒されてしまったのだが、同時に無力感と脱力感が襲ってきて、困惑した。

 事実、安藤建築の代名詞といえるコンクリートの列柱のレプリカから展覧会がはじまり、彼の創造の原点である大阪にある安藤忠雄建築研究所の吹き抜けの中心にある打ち合わせテーブルが、その周りの本棚とともにそっくりそのまま再現されており、まさに建築家のすべてが露出されている。何より、展覧会の目玉は、安藤の代表作である《光の教会》の原寸大のインスタレーションだろう。まったく前代未聞の試みであると言わざるを得ない。他にも、水の都ヴェネチアでの《プンタ・デラ・ドガーナ》にはじまる一連の仕事に、パリの旧・商品取引所《ブルス・ドゥ・コメルス》、ライフワークでもある直島での多くの仕事が次々と紹介されている。これでもか、これでもか、と続く安藤建築のエネルギーは見る者を完全に虜にする一貫した強度が作品にある。
 ところが、最後に「樹を植える」一連の試みを映像で見て、展覧会場を後にすると、もっとも心に響いたのは、意外にも、最初の方に展示されていた《住吉の長屋》の27枚の原図の展示である。群を抜いて私は、この原図たちに「美」を感じたのである。安藤忠雄という建築家が「手で思考する」ということが、強く表明されていて、すっかり見入ってしまった。もう40年以上も前に描かれたはずの図面たちが、何故美術館に展示するに値するほどの「美」を獲得できたかについて考えを巡らせてみた。

 建築そのものが空間として、非言語的なメッセージを含む情報を発信しているとしたら、こうして建築展には、実際の建築とは別の「何か」が表現されてなければないと、先にも述べた。そして、私は今回の展覧会であらゆる展示物の海の中から序盤の壁にきっちり額装された《住吉の長屋》の原図に一番惹かれたと改めて断言できる。それは、建築家の頭の中にだけあるはずの世界観が、建設するための図面たちに見事表出されていて、あまりにも美しく、息を呑んだからだ。
 幾度となく重ねて上描きされた結果が、ボロボロになった紙からも窺える。今では、一般的に図面はデジタル化され、モニターを見ながらマウスでクリックして製図しているのだが、昔は、トレーシングペーパーに鉛筆(正確にはきっと「ホルダー」というシャープペンシルのようなもので描かれている)で線が引かれ、青焼き機を通して感光されて、図面が完成する。あらゆる紙が不要となり、合理的なデータとなったことで、失われたのは、「身体性」であろう。つまり、デジタル化によって、線の太さがなくなり、建築図面からスケールが失われ、手で思考する身体性が引き剥がされてしまったのだ。
 そして、安藤の処女作といわれる《住吉の長屋》の原図たちには、他ならぬ芸術としての「美」がこの身体性に裏打ちされた状態で深く宿っている。精密かつ正確に描かれているのはもちろんだが、線の種類のみならず、陰影の付け方にまで徹底した哲学があり、圧倒的に美しい。建築を設計すること対する建築家の誠意がにじみ出ているのだ。それは、図面のレイアウトの美しさや寸法線の入れ方にも垣間見ることができる。それだけでは、ない。
 これらの原図たちには、みっちり図面が描かれていて、余白がまったくないのだ。ついには、立面図や断面図の上から、アクソメ図が描き重ねられている有り様だ。新しい紙に描けばいいようにも思うが、ここに、安藤が「描かずにはいられない」ことが圧倒的熱量と共に表明されているのである。ここにこそ、彼独自な表現が結晶化されている。
 加えて、平面図には、隣接するふたつの町屋の内部の様子まで克明に描かれていたのには、驚いた。自分で設計している住宅の両サイドの住宅の平面図をも描いていることは、設計者としての視野の広さに他ならない。

 本来は建設方法を正確に表記するツールに過ぎないはずの図面が、こうして美術館の中で展示されるような作品としての強度を獲得していることは、先に述べたように、デジタル化された現在の建築図面がオリジナルとしての「アウラ」を失ったからだけではないだろう。やはり、展示されている《住吉の長屋》の原図たちから読み取れるのは、若き安藤が徹底的に考え抜いた建築家としての熱量であり、ボクサーでもあった建築家としての身体性が表出しているからである。圧倒的な情報量なのだ。
 私は、あの図面たちから、建築家としての「挑戦」を見た。自然との共生、光の建築としての挑戦、モダニズムの超越、生活の新しい豊かさへの挑戦などである。そんなラディカルで、純粋な思想に共感したクライアントの東氏の存在は、計り知れない。戦う施主という同志を得たことが、奇跡のはじまりなのである。
 建築家は、一人ではなにもできない。良きクライアントたちが今の安藤をつくり上げたのであり、その最初の挑戦が建築史に輝く名作となって実を結んだのが《住吉の長屋》であり、その証拠こそ、あの原図たちであると感じたのだ。その後安藤建築は、世界のロックスターであるボノ(U2)をはじめ、ピューリッツァーやピノーといった世界の名だたる人たちを虜にし、世界中に次々と建築をつくっていく。安藤のクライアントへの敬意は、この展覧会にもところどころに展示されている、彼らにプレゼントしたというポップアートのような手作りパネルにも窺える。

 さて、私の困惑の正体が何かというと、それは《住吉の長屋》の図面以降、安藤の手の痕跡がすっかり見えなくなってしまったことにある。それは、安藤の建築に対する身体性の欠落にもつながるのかもしれない。かろうじて《光の教会》の原寸インスタレーションではなく、その後に展示されていた「シルクスクリーン」が救いであった。というのも、やはり美術館で建築展を開催するということは、実物の建築よりもその先にある建築家の「挑戦」を我々は見たいのであり、もっともそれがダイレクトに表現されていたのが、ミニチュアの模型でもなく、写真や映像でもなく、手の痕跡が残る原図とドローイングによるシルクスクリーン群だったのだ。安藤のシルクスクリーンには、実物の空間に降り注ぐ「光」が抽象化された状態で描かれていた。言葉を必要としない「美」がそこにははっきりと捉えられている。
 私が、同じ建築家として、大きくて遠い安藤さんの背中を追いかけるためにも、その圧倒的な熱量でもって「手で思考」された安藤建築に、これからも挑戦してもらいたい。展覧会は、もう充分だ。今回のもので、ほかの建築展をすべて無効にしてしまうほどのインパクトをつくったのではないか。
 「安藤忠雄」という建築家は、後にも先にも、一人しか存在しない。そして、そんな現代のスタンド・アローンの巨匠は、一切ブレーキを踏むことなく、今なおエンジン全開でアクセルを踏んでいる。
こうしま ゆうすけ

01安藤忠雄
住吉の長屋
1998年 シルクスクリーン
Image size: 43.0×69.5cm
Sheet size: 60.0×90.0cm
Ed.35  サインあり


「安藤忠雄展―挑戦―」
会期:2017年9月27日[水]〜12月18日[月]
会場:国立新美術館
20171004_安藤忠雄展


20171004_安藤忠雄展_裏

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●ギャラリートークのご案内
11月16日(木)18時より 植田実・今村創平トーク<ジャパンネスのこと、都市住宅のこと>
現在フランスで開催中の<ポンピドーセンター・メス「ジャパン・ネス 1945年以降の日本における建築と都市」の報告をするとともに、建築展覧会のあり方、建築の表現についてお話をします。また、同展にてフォーカスされた建築雑誌『都市住宅』について、同展での展示の狙いなど、同誌の元編集長植田実さんとお話しします。(今村創平)
*要予約:参加費1,000円

●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円


中村美奈子さんが瀧口修造にオマージュした文鎮を制作しました。
中村美奈子 文鎮こげ茶、赤、緑、オレンジの4色あります。
一個:大5,500円 小5,000円(税別)
二個組:10,000円(税別)
三個組:14,000円(税別)
紙ケース付、送料は一律500円(何個でも)。
瀧口ファンならずとも手元に置きたくなるような色彩豊かな佳品です。特別頒布中ですのでどうぞご注文ください。


●六本木の国立新美術館で「安藤忠雄展―挑戦―」が開催されています。
会期:2017年9月27日[水]〜12月18日[月]
オープニングのレポートはコチラをご覧ください。ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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光嶋裕介『建築という対話』著者からのメッセージ

『建築という対話〜僕はこうして家をつくる』上梓のご挨拶

光嶋裕介(建築家)


 今週末、自宅の書斎スペースを大幅に模様替えしました。というのも、今ある机では、これから描こうとする畳大サイズの大きな和紙のドローイングをフルに広げることができないために、新たな机を設えることにしたのです。それは、1メートル×2メートルのアルミ板と21ミリの(ラワン材の)ランバーコアの合板を単に重ねただけで、ふたつの机から掛けることでつくった即席の机なのです。

 このたび筑摩書房より、『建築という対話』という本を上梓いたしました。思えば、2012年に『幻想都市風景』(羽鳥書店)と『みんなの家。』(アルテスパブリッシング)を、翌13年には『建築武者修行』(イースト・プレス)を、続けて14年には、『死ぬまでに見たい世界の名建築なんでもベスト10』(エクスナレッジ)を、そして、昨年16年には『これからの建築』(ミシマ社)を出版し、これで6冊目の単著となりました。すべて異なる出版社からご縁あって、それぞれ違った「思い」を込めて綴った本たちです。
 今回は、連載をまとめて書籍化するというパターンではなく、はじめての「書き下ろし」ました。およそ2年半かけて、じっくり書かせてもらいました。38歳の建築家として働く自分の原点を探るようにして、幼少期の話から、画家になりたかった高校時代の話もふくめ、「当時の自分に語りかける」つもりで、書いたものです。より正確に申しますと、この本は、1歳半の娘が将来おもしろく読んでくれたらなぁ、と頭の片隅でずっと想像しながら筆を進めました。
 「ちくまプリマー新書」というのは、12年前にはじまった「中高生向け」のシリーズで、そのシリアルナンバー「002」が私の合気道の師でもり、人生の師である内田樹先生の『先生はえらい』なのです。先生と同じシリーズの松席に交ぜてもらうことは、感慨深いものがあり、同時に身の引き締まる思いであります。
 本を書くということは、<声>を獲得するということかもしれません。その声は、僕自身が発したものではありますが、「読者」によって自由に解釈され、聞き取られるものです。私は、この<声>がいつだって多義的に、ポリフォニー(多声音楽)を奏でることを常に意識して書きました。それは、筆者である私と、まだ見ぬ読者との対話にほかなりません。
 建築や空間について、あるいは、地球や世界のあり方について考えることは、衣食住が生活の中心にあるものとする私たち人間にとって根源的なことだと考えています。そこには、絶対的な「正解」などありません。なぜなら、みな違った身体をもっているからです。そうした身体性をテーマに貫きつつ、自分が建築家として働くことにおいて、過去にどのような経験を重ねてきた、決断を下してきたか、についてじっくりと書いてみました。

 今、自宅に完成した傷ひとつない綺麗なアルミ板の机を前にして、わくわくしています。ここに和紙を広げて大きなドローイングを描くことで、私自身がまた見ぬ幻想都市風景を「妄想」しているからです。自宅に机を整えることだって、きっと自分の環境を考えることの大切な行為であり、小さな一歩ではないでしょうか。
 自分の大好きな小説を、満員電車の中で読むことと、お気に入りのカフェで読むのとでは、まったく異なる読書体験が待っていることでしょう。私は、建築家として<声>を発することで、読者のみなさんが、身近な空間に対してより意識的になり、自分の身体感覚を研ぎ澄ますことで、新しい「豊かさ」を毎日の生活の中でみつける手がかりを発見してもらえたら、それほど著者冥利に尽きることはありません。そうした意味においても、この一冊が、若き読者へと届けられることを心より願っています。そして、私がこれまで人生を豊かにしてくれた多くのご縁をいただいたように、またこの本から新しいご縁が紡がれることを期待しています。
こうしま ゆうすけ

●書籍のご紹介
cover光嶋裕介
『建築という対話: 僕はこうして家をつくる』

2017年
筑摩書房 発行
255ページ
17.5x10.6cm
価格:880円+税

家という空間を生み出す建築家は人や土地、風景との対話が重要だ。建築家になるために大切な学び方を内田樹氏の《凱風館》設計で鮮烈デビューした著者が綴る。(筑摩書房HPより)

●今日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
20170530_koshima_2-1光嶋裕介
"Urban Landscape Fantasia #1" (1)
2013年
カンバスにシルクスクリーン
90.0×90.0cm
Ed.1
サインあり

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光嶋裕介「Art on Paper」に参加して

光嶋裕介「Art on Paper」に参加して

「ご縁は向こうからやってくる〜アートフェア参戦記」


 関空発のユナイテッド34便でサンフランシスコに向かう機内で不覚にもあまり寝ることができず、『ラ・ラ・ランド』(デミアン・チャゼル監督作品、2016)と『ラブ・アゲイン』(グレン・フィカーラとジョン・レクア監督作品、2011)の二本の映画を見てしまったことを、深く後悔することとなる。続くサンフランシスコからニューアーク空港までのユナイテッド779便が深夜到着にもかかわらず、爆睡してしまったからだ。初めての海外アートフェア参戦で、興奮していたのだろうか、すっかり「時差ぼけ」状態の旅となってしまった。
 この二本の映画は、ともにライアン・ゴズリングとエマ・ストーンが主演しており、脂ののった名俳優たちの演技に惹かれてしまい、特に前者の方は、複数の現実がミュージカルのごとくリズミカルに描かれており、エコノミークラスの小さな画面を、つい見入ってしまったほどだ。

AOP-1


 二年半ぶりのニューヨークは、初日こそ春めいていたものの、二日目から連日の氷点下で、お気に入りのワインレッドのジャケットだけではいささか、寒過ぎた。強風の吹く日には、体感温度が氷点下十度の寒さとなり、洋服を貫通して、寒さが身にしみた。
 今回、僕は昨年、自ら福井県武生に行って漉いた越前和紙に描いた幻想都市風景のドローイングを五枚もって、”Art on Paper”というアートフェアに参加させてもらった。会場は、ローワー・イースト・マンハッタンに位置するPier36。イースト・リヴァーが目の前に流れる港の巨大倉庫の中に50近いギャラリーが世界中から集まって、「紙に施されたアート」というコンセプトで、綺麗に区画されたブースに渾身の作品たちが並べられた。

AOP-2

16_プレビュー風景17_プレビュー風景2

 木曜日のVIPオープニングから凄まじい数の来客があり、僕はギャラリー「ときの忘れもの」ブースで、「Architects Drawing(建築家のドローイング)」と題した壁の前で、自作を中心に接客することとなった。2012年より2年おきに計3度の個展をやらせてもらった経験とは、全く次元の違う体験となった。いうなれば、アートフェアは、世界のアート市場における「戦いの場」であり、容赦なく品定めされる目の肥えたお客さんたちと、作品、ただそれだけを頼りに関係を築いていく、ものすごくスリリングな体験であった。見るからに富裕層のようなファッションや佇まいの方から、自身も作品をつくるアーティスト、画廊関係者など、多種多様な人々が訪れた。引っ切り無しにしゃべることは、大変だが、とてもいい勉強になった。
 僕のことを知って、作品を見に来てくれる「個展」と違って、アートフェアは、繰り返しになるが、壁に掛けられた作品だけが勝負なのである。人を惹きつける魅力が作品にあるのか、いわば作品の「磁力」が問われるからこそ、戦いの場なのだ。

AOP-3


 結果から言うと、開場前は「五枚すべてのドローイングを売るぞ」と鼻息の荒かった僕は、日曜日までの4日間で、2枚の絵を売ることに成功した。和紙をどのようにしてつくったか、そこからどのようなペンで、何をどのようにして描いたか、繰り返し、繰り返し、説明した。そうした生身の対話の中での「買ってくれるかもしれないな」という手ごたえらしきを感じられるようにもなったが、それは、残念ながらすべて見当外れであった。というのも、実際に2枚の絵が売れたのは、驚くほど「あっさり」とその瞬間(とき)が来たからだ。
 それは、二日目金曜日の夕方のこと。白髪混じりのご夫妻が、展示した作品の中でも唯一、クライスラー・ビルディングや自由の女神など、実在する建築を交えて描いた《ニューヨーク》を気に入って、「キープ」したいと言ってくださった。要するに、まだフェア全体を見てないから、ぐるっと一周したら、また来るから、この作品を仮に押さえておいて欲しいと言われたのである。突然のことで、ドキドキした。胸の鼓動がはっきりと、感じられ、彼らが今一度来てくれるのか、首を長くして待っていた(もちろん、ほかのお客さんに自作の説明を繰り返しながら)。
 そして、ご夫妻が再度、ときの忘れものブースに来てくれて、作品をじっくり(穴があくほど)見たあとに「I’ll take this」と言ってくれたのだ。嬉しさがこみ上げてくるのをグッと我慢して、冷静に「Thank you, such a pleasure」という返答し、両手で硬い握手を交わした。

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 福井で紙を漉き、神戸で描いた僕のドローイングが、マンハッタン在住の素敵なご夫妻の自宅のリビングに飾られることを知り、嬉しくてたまらなかった。気を良くした僕は、さらに精力的に新しいお客さんたちに語りかけ、自作を説明した。すると、オーストラリア出身だというミュージシャンの若い青年が僕の絵をえらく気に入ってくれた。白と黒の和紙が表現する奥行きのある空間性と、緻密に描かれたペンのタッチのコントラスト(対比)が音楽的で、素晴らしい、と言っていただいた。僕も白紙の紙に絵を描くことをせず、自分では制御できない液体の混ざり合いによって紙そのものを制作することで、そもそも絵を描くための「スタートライン」とすることを熱く語った。つまり、建築家として「敷地」から建築を発想して設計をするように、絵を描くときもまた、紙に個性があることが大切だというコンセプトを伝えたら、深く共感してくれた。そして、彼もまた「あとで、また来るよ」と言って、ときの忘れものブースを後にした。ドキドキ、ドキドキ。
 二日目終了間近の午後6時45分ころ、彼は宣言通り、またブースに来てくれた。そして、あの合言葉「I’ll take this」と言って、僕の幻想都市風景を購入した。値段交渉もなく、プレートに定時された価格のままで。硬い握手とともに、僕は彼に「絵というものは、飾られた場所の空気を呼吸するもの。だから、この絵がどこに飾られるか、ぜひ教えて欲しい」と言ったら、「僕のスタジオに飾ろうと思ってる。きっと、毎日この絵を見ることで、いろんな発見があるだろうからね」と。僕は、続けて言った。「絵を描くときにキース・ジャレットやビル・エヴァンスのピアノをよく聴くけど、あなたの音楽も聴いてみたい」と。彼は「明後日フェアの最終日にこの絵を取りにまた来るから、そのときにでもCDあげるよ」と言ってくれた。

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 その後、日曜日までの二日間、同じようにして何十人、何百人と作品を前にして話をした。喉が枯れそうなくらい。「また来るよ」とか、「ベストプライスはいくら?」と言った価格交渉まで行った人も少なからずいたが、あのマジックワード「I’ll take this」までは、至らなかった。しかし、これだけの作品が世界から集まり、たくさんの人の目に同時に晒されることで、売れるのと、売れないのとでは、大きな溝が存在することを実感した。決して安くない金額で、自分の作品を購入してもらうこと(コレクターとなってもらうこと)は、歴とした「共感を形で表した」ことになるからだ。
 ただ、売れなかったとしても、多くの人と、作品を通して対話を重ねられたことは、僕にとって大きな収穫となった。これから描くときに、背中を押してもらえるような、顔の見える人たちとの「言葉」が何より僕にとってかけがえのないものに思えたからだ。
 ”Art on Paper”と題されたアートフェアであるにもかかわらず、僕みたいに紙そのものから創作した作品が他になかったことで、僕は「オリジナリティー」を獲得できたことに、少なからず自信をもつこともできた。だから、これからも一枚一枚、しっかりと描いていこうと思えた。
 最後に、2枚目に僕の絵を買ってくれたミュージシャンの彼は、最終日の閉館間際に、やはり作品を取りに来た。そして、約束通り自身のCDを2枚いただいた。その後、「Would you like to come to my studio?」とブルックリンにあるスタジオに誘ってくれたが、二日後の朝に帰国するため、スケジュールが合わずに「Next time for sure」とだけ僕は言って、両手で硬い握手とともに、彼と別れたのである。そして、静かに戦いの日々は幕を下ろした。

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 帰国して、衝撃の事実を知ることとなる。な、な、なんと、彼からもらったCDをかけると、聴き覚えのある曲が。”Somebody that I Used to Know”という曲が、それだ。僕の絵を買ってくれたのは、グラミー賞受賞者でもあるシンガーソングライターのGotye(ゴティエ)だったのだ。こんなことが、果たしてあるのだろうか。信じられないことが、人生には起きるようだ。まるで、夢のような、嘘のような本当の話である。僕のニューヨークでのアートフェア初参戦は、こうして人生で忘れることのできないご縁が結ばれた旅となった。
 思えば、行きの飛行機で見た『ラ・ラ・ランド』は、エマ・ストーン演じるミアが女優を目指してたくさんのオーディションを受け、スターダムへとのし上がるサクセス・ストーリーなのだが、僕にとっての”Art on Paper”もまた、そうした飛躍のチャンスを与えてくれるものとなるのかもしれない。

(こうしまゆうすけ 建築家)

●本日のお勧めは光嶋裕介です。
20170324_04
光嶋裕介 「幻想都市風景2016-04」 2016年 和紙にインク
45.0×90.0cm Signed
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●ときの忘れものの次回企画は「堀尾貞治・石山修武 二人展―あたりまえのこと、そうでもないこと―」です。
会期:2017年3月31日[金]〜4月15日[土] *日・月・祝日休廊
初日3月31日(金)17:00〜19:00お二人を迎えてオープニングを開催します。ぜひお出かけください。
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堀尾貞治(1939〜)の未発表ドローイングと、建築家石山修武(1944〜)の新作銅版画及びドローイングをご覧いただきます。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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