土渕信彦のエッセイ

土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第5夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第5夜レポート

土渕信彦


第5夜「瀧口修造と福沢一郎」(9月21日)のレポート

1.福沢一郎との関わり
大谷さんがまだ学生だった1990年代、古賀春江や福沢一郎の絵画のモチーフの典拠に関する一連の研究が、速水豊氏(当時は姫路市立美術館・兵庫県立美術館学芸員。現三重県立美術館館長。)によって進められ、発表されたそうです。

図5−1図1 第5夜 レクチャー風景


例えば福沢の「四月馬鹿」(図2)では、トム・ティットというフランス人が著した、家庭にある道具で簡単にできる科学の実験や遊びを紹介した『楽しい科学』(La Science Amusante)という叢書から採られていることが明らかにされています。速水さんの研究成果はNHKブックス『シュルレアリスム絵画と日本』、日本放送出版協会、2009年。図3)に再録されています。

図5−2図2 福沢一郎「四月馬鹿」(1930年)

図5−3図3 速水豊『シュルレアリスム絵画と日本』


こうした研究に大谷さんは大いに触発され、自身も福沢一郎の作品の典拠を探索する研究を進めたそうです。『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八−一九五三』(国書刊行会、2016年。図4)に再録されています。

図5−4図4 大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八−一九五三』


しかし、そうしたモチーフの典拠を明らかにしても、福沢が何を描きたかったか、あるいは何を行いたかったか、解明されたとは言えません。福沢が目指していた目的は何であり、また瀧口修造とどういう関係にあるのか、これを少し考えてみたいと思います、と述べられてました(配布資料参照。図5)。

図5−5図5 配布資料


2.福沢の目指していたもの(瀧口修造との比較)
瀧口修造と福沢一郎は、日本にシュルレアリスムを導入・普及させたツートップといえるでしょう。1930年代の2人の活動は、下表のような見事な相似形をなしています。

スクリーンショット (190)

けれども、二人のシュルレアリスムに対するスタンスは対照的だったようです。瀧口が一貫してオートマティスムを重視したのに対し、福沢はオートマティスムを、絵画技法をおろそかにする危険性を有するものと見なしていたようです。

上に紹介した『シュールレアリズム』(アトリヱ社、1937年。図6)のなかで福沢は「超現実主義は無意識性を第一義的に前面へ押出して、非合理的な自働主義を標榜するが、これはやはり超現実主義者好みの擬態ではないかと筆者は考える」と述べています。「擬態」という言葉が示すように、福沢の姿勢は、瀧口のようにシュルレアリスムに一身を捧げるようなものではなく、むしろ福沢はポスト・プロレタリア美術としての、新たなレアリスム美術を開拓する可能性のひとつとして、シュルレアリスムを探究・利用しようとしていたように思われます、と解説されました。

図5−6図6 福沢一郎『シュールレアリズム』(アトリヱ社、1937年)


3.「牛」を例として
こうした福沢の試みを示す例として、展示作品の「牛」(1936年。図7)について解説されました。この作品に関しては、牛の図像がフランスの美術雑誌「ミノトール」に掲載された図像から採られているらしいことが、従来から指摘されています。当時の人間が見ると、この作品は満州の風景を描いたものと、直ちに理解されたはずで、しかも、よく見ると牛の姿のところどころに穴が開けられ、背景が見えるように描かれていること、背景には横たわった牛か人間かが描かれていること、なども判ります。そこから、こうしたモチーフやこの絵全体に福沢が込めていたであろう意図を、さまざまに解読することもできるでしょう、と解説されました。

図5−7図7 福沢一郎「牛」1936年


4.今後の福沢一郎展など
レクチャーの最後に、生誕130年に当たる今年から来年にかけて、以下の3つの美術館で福沢一郎展が開催されることが紹介されました。
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館:2018年9月15日〜11月11日
多摩美術大学美術館:2018年12月15日〜2019年2月24日
東京国立近代美術館:2019年3月12日〜5月26日
ちなみに、展示内容はどれも異なっているそうです。

また大谷さんは他の研究者たちとともに、福沢の『シュールレアリズム』を読む研究をすすめて来られたそうで、その成果をまとめ、みすず書房から『超現実主義の1937年 福沢一郎《シュールレアリズム》を読みなおす』を、年明け頃に刊行する予定であることも紹介されました。

こうして5回にわたる連続講演会は終了しました。大谷さん、どうもお疲れさまでした。上記3館の福沢一郎展はいずれも必見と思います。是非伺いたいと思います。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂

=======

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_III_03瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"-3"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:13.7×9.8cm
シートサイズ :13.7×9.8cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


倉俣史朗 小展示 」は本日が最終日です。
会期:2018年10月9日[火]―10月31日[水]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
倉俣史朗(1934-1991)の 美意識に貫かれた代表作Cabinet de Curiosite(カビネ・ド・キュリオジテ)」はじめ立体、版画、オブジェ、ポスター他を展示。
国内及び海外での倉俣史朗展のポスターはベストコンディションのものを出品しています。
また倉俣の作品集、書籍、カタログ、雑誌等も多数用意しました。
同時代に倉俣と協働した磯崎新安藤忠雄の作品も合わせて ご覧いただきます。
ブログでは橋本啓子さんの連載エッセイ「倉俣史朗の宇宙」がスタートしました。
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ときの忘れもの・拾遺 第9回ギャラリーコンサート
武久源造コンサート」のご案内

日時:2018年11月24日(土)15:00〜
会場:ときの忘れもの
出演:武久源造
プロデュース:大野幸
今回は午後3時開演。ちょうど近くの六義園の紅葉のライトアップの時期です。
*要予約=料金:1,000円(定員に達し次第締切ります)
予約:必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊です。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第4夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第4夜レポート

土渕信彦

(*土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は今月は休載します。再開は11月から)

東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の、第4夜(9月7日)と第5夜(9月21日)を聴講してきました。第4夜のテーマは「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」、第5夜は「瀧口修造と福沢一郎」、講師は引き続き同館の大谷美術課長です。本日(第4夜)と、10月31日(第5夜)の二回にわけてレポートします。

第4夜「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」(9月7日)のレポート

1.帝国美術学校の画学生と小グループ
帝国美術学校は1929年に吉祥寺の地に開校された私立の美術学校で、現在の武蔵野美術大学の前身にあたります。レクチャーでは詳しく触れられませんでしたが、各種学校への昇格や上野毛への移転などをめぐって、1935年にストライキ騒動「同盟休校事件」が起こり、新たに上野毛に開校した多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)と、元の吉祥寺に留まった帝国美術学校との、2つに分裂しました。以下、レクチャーの報告に戻ります。

図4−1図1 第4夜 レクチャー風景


帝国美術学校の画学生たちには、独自の小グループを作り、銀座などの画廊でグループ展を開催するものが多く存在しました。以下のようなものです。
JAN(1934年結成)
アニマ(1935年1月第1回展)
表現(1936年1月第1回展)
動向(1936年9月第1回展)
ジュンヌ・オム(1938年1月第1回展)
絵画(1938年12月第1回展)

彼らは多かれ少なかれシュルレアリスムに関心を寄せ、瀧口修造にも敬意を払っていました。彼らの作品に多く見られるのは、地平線・水平線を背景に幻想的な光景を描いた一種の風景画です。こうした絵画は、ダリの亜流として否定的に見られることが多かったわけですが、逆に彼らのモチベーションがこうした絵画に現れていると前向きに評価する、つまり自分が描きたい主題・モチーフを定着するために、彼らは地平線が描かれたダリの絵画を参考にしたとも考えることができるのではないでしょうか。こうして実現したのが、2003年の企画展「地平線の夢」でした、と解説されました。

続いて、今夜のレクチャーでは、彼らのなかから浅原清隆、浜田浜雄、森尭之、矢崎博信、大塚耕二の5名が採り上げられました。5名とも地方出身で、しかも浜田浜雄を除く4人は戦死しており、作品はあまり残っていませんが、近年相次いで出身地の美術館で彼らに焦点を当てた展覧会が開催され、次第に注目を集め始めています。下記のとおりです。
熊本県立美術館の「画家たちの上京物語」展(2014年7月)
茅野市美術館「矢崎博信展 幻想の彼方へ」(2014年7月)
米沢市上杉博物館「造形の遊戯場 浜田浜雄展」(2015年12月)
など。

図4−2図2 配布資料


2.浅原清隆(1915〜1945)兵庫出身
大谷さんが東京国立近代美術館に就職した1994年に、浅原清隆の遺族から「郷愁」「多感な地上」の2点と関連資料が寄贈され、いろいろな話も聞くことができたそうで、これが2003年の「地平線の夢」展の伏線となったようです。今夜のレクチャーでも、会場に展示されている「多感な地上」についての解説にかなり時間をかけられました。会場の展示ケース内に陳列されている「浅原清隆個人展目録」(1939年)には瀧口修造や深沢一郎、北園克衛が短い文章を寄せていることも紹介されました。

図4−3図3 浅原清隆「郷愁」1938年

図4−4図4 浅原清隆「多感な地上」1939年

図4−5図5 「浅原清隆個人展目録」

図4−6図6 「地平線の夢」展図録


3.浜田浜雄(1915〜1994)山形出身
浜田浜雄は5人のなかでは唯一人、戦後まで生き延びた画家で、戦後は写真やデザインの仕事にも携わっています。展示作品の題名の「ユバス」とは東南アジアに生息する毒を持った植物のことで、この絵は緊迫する時局への不吉な予感が描かれているのかもしれません、と解説されました。

図4−7図7 浜田浜雄「ユパス」1939年

図4−8図8 浜田浜雄「予感」1937年(米沢市上杉博物館)

4.森尭之(1915〜1944)徳島出身
森尭之は絵画だけでなく写真も手掛けており、瀧口修造の「前衛写真協会」や名取洋之助のNIPPONにも参加したことが、紹介されました。フォトグラムなども製作したそうです。


図4−9図9 森尭之「風景」


5.矢崎博信(1914〜1944)長野出身
矢崎博信はシュルレアリスムを理論的に追求しようとする姿勢が最も強かった画家で、「アトリヱ」誌(1937年1月号)に掲載されたシュルレアリストたちの集団制作「優美な死体」と日本の俳諧の比較した考察なども行ったことなども、紹介されました。

図4−10図10 矢崎博信「江東工場地帯」1936年(茅野市美術館)

図4−11図11 矢崎博信「街角(B)」1938年頃(茅野市美術館)

図4−12図12 「優美な死体」(「アトリヱ」誌1937年1月号掲載)


6.大塚耕二(1914〜1945)熊本出身
大塚耕二の「トリリート」(図13)は「シュルレアリスム簡約辞典」(図14)にも掲載されています。銀座紀伊國屋で開催された第5回「表現」展に出品された「海の見える丘と木の枝」は、風景画のようなタイトルが付されていますが、明らかに女性の下半身のヌードを描いたものでしょう。こういう絵を展示するというのは、なかなかの反骨精神を持っていたようで、後に警察官とトラブルを起こして、留置場に送致されたこともありましたが、ちょうど特高に拘束されていた瀧口も同じ留置場に居た、というエピソードも紹介されました。

図4−13図13 大塚耕二「トリリート」1937年(熊本県立美術館)

図4−14図14 「シュルレアリスム簡約辞典」(下が「トリリート」)


7.まとめ
帝国美術学校の学生たちにはシュルレアリスムに刺激を受けながらユニークな絵を描いた画家がたくさんいた。彼らの絵は一見するとダリの絵をパクったように見えるが、よく見ていくと、それぞれが切実なテーマとメッセージをもっている。彼らの多くは戦死した。私たちは彼らの存在と作品を忘れてはいけない、とまとめられ、レクチャーは終了しました。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂
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●土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」11月23日から再開し、毎月23日に更新します。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_II_03瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
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デカルコマニー、水彩、紙
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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第3夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第3夜レポート

土渕信彦


第3夜「瀧口修造と瀧口綾子」(8月24日)のレポート

続いて第3夜をレポートします。大谷さんは早くから画家としての瀧口綾子に注目し、作品図版の発掘・収集に努めて来られたそうで、「25年かけて発掘した図版を今夜はすべてご覧にいれます」とレクチャーが始められました。さっそく瀧口綾子の略歴と作品図版が、配布資料にそって紹介されました(図10、11)。この配布資料はA4一枚に現在判明している鈴木(瀧口)綾子についての基本情報が網羅された、大変貴重なものです。今回のレポートはその再録ないし転載のようなものですが、といっても配布資料そのままではなく、内容の変更や省略も若干あることを、お断りしておきます。

図10 第3夜レクチャー風景図10 第3夜 レクチャー風景

図11 第3夜配布資料図11 第3夜 配布資料


1.略歴
1911年9月20日、山形県米沢市に生まれる(岡本太郎と同年生まれ)。
父・鈴木寛也は商工省の官吏(染色関係の技官)。9人兄弟姉妹の長女。父方の祖父は南画家の鈴木蘭崖、叔父(父の弟)は俳優の伴淳三郎、母キクの妹は日本画科の吉池青園女。熊谷高等女学校卒。その後、東京杉並に住む。
1932年から独立美術協会の展覧会に作品を出品(詳細は下記参照)。
1934年3月、仲間たちと「独立不出品同盟」を組織。4月、「新造型美術協会」を結成に加わる。以降、同協会の展覧会を中心に作品を出品(詳細は下記参照)。
1935年9月、雑誌「セルパン」(図12)の瀧口修造訳アポリネール「暗殺された詩人」の挿図を担当(図13)。同年12月14日、瀧口修造と結婚。

図12 セルパン図12 雑誌「セルパン」1935年9月号

図13 アポリネール「暗殺された詩人」図13 瀧口修造訳「暗殺された詩人」と鈴木綾子のカット


1939年5月、「美術文化協会」の結成に参加。
1941年4月5日、瀧口修造が治安維持法違反の嫌疑で検挙される(11月釈放)。その後、美術文化協会を退会か。
1945年5月25日、空襲により自宅と作品を焼失。父の赴任先金沢で終戦を迎える。
1972年、瀧口修造訳アポリネール『暗殺された詩人』刊行(湯川書房の叢書「融ける魚」の1冊)。綾子のカットも再録されている。
1979年7月1日、瀧口修造逝去。同年9月、雑誌「みすず」(瀧口修造追悼。図14)に「終焉の記」を寄稿(図15)。
1998年8月15日逝去。

図14 みすず図14 「みすず」233号(瀧口修造追悼。1979年9-10月号)

図15 瀧口綾子「終焉の記」図15 瀧口綾子「終焉の記」


2.主な出品歴など
以下、作品の図版が年代順に紹介されました。
1932年3月、第2回独立展で「静物」が初入選(鈴木阿耶子名義)
1933年3月、第3回独立展で「風景」が入選(同上)
1934年3月、第4回独立展で「羊歯たち」が入選(福沢一郎に絶賛される)。
1935年1月、第1回新造型展に10点ほど出品。以降、1937年に同協会が(第6回展に当たる名古屋展を最後に)活動を休止するまで、毎回出品。特に37年3月の第5回展には作品2点、フォトデッサン6点、瀧口修造と共作のデカルコマニー8点を出品。
1937年10月より雑誌「蝋人形」にカットを寄稿。
1938年1月、パリの国際シュルレアリスム展の際に刊行された『シュルレアリスム簡約辞典』(図16)に「風景」(図17)が掲載される。
1940年4月、第1回美術文化展に2点出品
1941年12月、美術文化第2回小品展に1点出品。
出品作品だけでなく、雑誌に提供した数多いカットの図版も紹介されました。戦後は制作をしていないようです。

図16 シュルレアリスム簡約辞典図16 『シュルレアリスム簡約辞典』(1938年1月)

図17 鈴木綾子「風景」(右上)図17 鈴木綾子「風景」(右上)


3.まとめ
最後に「瀧口綾子は1930年代に期待の若手画家として活躍していたが、戦争で作品が失われた。再評価すべき」とまとめられ、「現存作品をご存じの方はご連絡ください。また他にも当時の雑誌の挿絵やデザインの仕事があるはずです。情報提供をお願いします」という呼び掛けで、この夜のレクチャーは終了しました。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

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連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

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時間 各回とも18:30−19:00
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2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第2夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第2夜レポート

土渕信彦

(*土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は今月と来月は休載します。再開は11月から)

東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の、第2夜(8月10日)と第3夜(8月24日)を聴講してきました。第2夜のテーマは「瀧口修造とデカルコマニー」、第3夜は「瀧口修造と瀧口綾子」で、講師は第1夜に続き同館の大谷美術課長です。以下にレポートします。

第2夜「瀧口修造とデカルコマニー」のレポート

1.デカルコマニーとは
第2夜のレクチャーは、まず「デカルコマニーとは何か」ということから始められました(図1)。

図1 第2夜レクチャー風景図1 第2夜 レクチャー風景


デカルコマニーは、絵具(インク)を塗った紙に、別の紙を圧着することによって図像を作り出す手法で、シュルレアリスム運動に参加していたオスカー・ドミンゲスが1935年頃に始めたとされていますが、フランスではそれ以前から試みられていたことが指摘され、その例として、1993年にカナリア諸島の大西洋近代芸術センターで開催された「インクの夢」展のカタログ(図2)から、女流作家ジョルジュ・サンドが1860年頃に試みたデカルコマニー(図3)などが紹介されました。

図2 インクの夢展カタログ図2 「インクの夢」展カタログ表紙

図3 ジョルジュ・サンドのデカルコマニー図3 同カタログ(ジョルジュ・サンドのデカルコマニーの頁)


この手法に改めて注目したのが、ドミンゲスをはじめとするシュルレアリスト達だったわけで、同じカタログからドミンゲス、アンドレ・ブルトン、ジャックリーヌ・ブルトン、マルセル・ジャン、ジョルジュ・ユニエらのデカルコマニーも紹介されました。

2.「対象の予想されないデカルコマニー」
続いてブルトンの「対象の予想されないデカルコマニー」が紹介されました(図4)。デカルコマニーの原理を説いた有名な論考で、「ミノトール」誌第8号(1936年)に掲載されました。これを日本に紹介したのが瀧口修造で、雑誌「阿々土」第15号(1936年12月)に訳出しています(図5)。

図4 ブルトン「対象の予想されないデカルコマニー」図4 アンドレ・ブルトン「対象の予想されないデカルコマニー」

図5 瀧口訳「対象の予想されないデカルコマニー」図5 同上(瀧口修造訳)


3.「新造型美術協会」
当時、日本でもシュルレアリスムに関心を示す造形グループが存在しました。「新造型美術協会」で、瀧口修造はその機関誌に寄稿するなど、彼らを指導する立場にありました。1937年3月に開催された新造型第5回展には今井滋、瀧口綾子、瀧口修造らがデカルコマニーを出品・展示しています。彼らはデカルコマニーについての文章も発表しており、その中から配布資料に、瀧口綾子の「不思議の窓・デカルコマニイ」(「アトリヱ」1937年5月)と今井滋「デカルコマニイと其の方法」(「みづゑ」1937年5月)の一節が再録されました(図6)。

図6 第2夜配布資料図6 第2夜 配布資料


また資料に再録されていない箇所ですが、瀧口綾子の「作者が同時に熱心な鑑賞者となれるのもデカルコマニイです」という一節や、今井滋が引用したロートレアモン「ポエジイは凡ての人によって作られる」という言葉の重要性が指摘されました。

この年の5月には「海外超現実主義作品展」が東京などで開催されましたが、その展示作品を収録した「アルバム・シュルレアリスト」(雑誌「みづゑ」臨時増刊。1937年5月)の表紙は瀧口修造によるデカルコマニーです(図7)。残念ながら、瀧口夫妻らのデカルコマニーは空襲などで失われ、現存していません。

図7 アルバム・シュルレアリスト2図7 「アルバム・シュルレアリスト」表紙

図7 アルバム・シュルレアリスト3図7 「アルバム・シュルレアリスト」裏表紙


4.瀧口修造とデカルコマニー
その後、瀧口は1941年4月に特高に検挙され、同年11月まで拘束されました。釈放後も保護観察司の訪問を受け、監視されていたのですから、デカルコマニーを試みることは不可能だったでしょう。戦後も美術評論家として活動していた15年ほどの間は、デカルコマニーを制作することはなかったようです。しかし1960年頃から、再びドローイングやデカルコマニーを試みるようになりました(図8)。興味深いことに、それと反比例するようにこの頃から美術評論活動の比重が低下して行きます。これは第1夜の話にも関連することですが、言葉に限界を感じ、言葉に拠らない外界の探究すなわち、造形領域の試みが開始されたと捉えることもできるでしょう。

図8 瀧口修造デカルコマニー図8 瀧口修造のデカルコマニー(展示作品)


ここで瀧口修造のデカルコマニーを改めて見ますと、その大きな特徴は、イメージが固定化されない、ということにあるように思われます。つまり、ドミンゲスやエルンストのデカルコマニーの場合は、出来上ったデカルコマニーに対してさらに筆が加えられ、「ライオンの姿」「川の流れ」など、イメージが特定の像に固定化されているものが多いのに対して、瀧口修造のデカルコマニーは、描き加えは行われず、イメージが絶えず移り変わっていくのが特色です。おそらく唯一の例外は、富山県美術館蔵のデカルコマニー連作100点「私の心臓は時を刻む」の扉絵「詩人の肖像」(図9)で、これは緑色の絵具で描き加えられた眼によって、「詩人の肖像」という具体的なイメージに固定化されています。

図9 瀧口修造「詩人の肖像」図9 瀧口修造「詩人の肖像」(「現代詩手帖」臨時増刊瀧口修造、1974年10月より転載)


配布資料に再録された瀧口綾子の「不思議の窓・デカルコマニイ」(「アトリヱ」1937年5月)の中の、たいへん詩的で美しい次の一節を読むと、綾子もまたイメージが固定されないところにデカルコマニーの魅力ないし本質を見出していたことがわかるでしょう。

「不思議な泡、恐ろしく速く飛ぶ森、恐ろしく意力的な岩石、飛ぶもの、囁くもの、永遠の沼の中や、悲劇的な夜の砂漠、星の散る鍾乳洞、喪失と愛撫と、様々な暗示にみちあふれたる輪郭のこのイリウジヨン」

5.まとめ
最後に、「デカルコマニーは誰にでも作ることができる。作者という近代的な主体的存在が揺らぐ。作者が同時に鑑賞者でもある。《○○に見える》と言ったとたん、意味が固定化され、他の物に見える可能性が閉ざされる」とまとめられ、この夜のレクチャーは終了しました。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
=======
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_III_43瀧口修造
"-43"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:17.5×13.6cm
シートサイズ :17.5×13.6cm
※-44と対


takiguchi2014_III_44瀧口修造
"-44"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:17.3×13.6cm
シートサイズ :17.3×13.6cm
※-43と対

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第1夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第1夜レポート

土渕信彦


去る7月27日(金)、東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の第1夜を聴講しました。同館の企画展示「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」(図1)の関連イベントで、レクチャーのレポートに入る前に、企画展示の内容をご紹介します。
図1 企画展示案内板図1 企画展示案内板

1.企画展示について
展示点数は合計50点余り(展示替えを含む)。内訳は同館所蔵の瀧口修造作品13点と、瀧口が「見つめた」作家の作品40点ほど(ほかに雑誌などの資料11点あり)。瀧口の作品はデカルコマニー4点、バーント・ドローイング3点、ドローイング・水彩3点、ロトデッサン2点、コラージュ1点。デカルコマニーとドローイング・水彩はそれぞれ密度の高い佳品(図2,3)。バーント・ドローイングはいずれも素晴らしい大作(図4)。珍しいコラージュ「パウル・クレーのモニュメントのためのプロジェクト」も、一目見たら忘れられないでしょう(図5)。点数は多くありませんが、バラエティに富んで良いコレクションと思います。何よりも東近美が作品を所蔵していること自体、瀧口が造形作家として評価されたことを示しており、長年コレクションしてきた者として、感慨を禁じ得ません。
図2 正面の壁面図2 正面の壁面(右3点が水彩・ドローイング、左2点はロトデッサン)

図3 デカルコマニー4点図3 デカルコマニー4点

図4図4 バーント・ドローイング3点

図5 コラージュ図5 コラージュ「パウル・クレーのモニュメントためのプロジェクト」

「見つめた作家」の作品では、海外作家ではセザンヌやシュルレアリストからフォンタナ、ミショー、コーネルまで、国内作家では戦前期の前衛画家から戦後の美術家までに及んでいます。各作家とも1〜2点、多くても5点止まりですが、選りすぐりの作品が並んでいて、「さすがは東近美」との思いを抱かせます。解説の小冊子も瀧口修造の手づくり本のようなデザインで、ファンでなくても手にしたくなるでしょう(図6)。
図6 冊子図6 冊子

会期は6月19日(火)〜9月24日(月・祝)なので、ゴードン・マッタ=クラーク展を観に行かれたら、是非この小展示も忘れずにご覧になるようお勧めします。

2.連続ミニレクチャーについて
5回の連続ミニレクチャーは以下のようなテーマが設定されています。
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」
五夜を通じて講師を務められるのは戦前期の前衛美術の専門家として著名な大谷美術課長です。担当された企画展「地平線の夢」(2003年)は、昭和10年代の前衛絵画の展覧会として今なお記憶に新しいものです。近年は大著『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八−一九五三』(国書刊行会、2016年5月。図7)も著されています。その大谷課長がまさに満を持して企画されたのが、今回の連続ミニレクチャーです。
図7 『激動期のアヴァンギャルド』図7 『激動期のアヴァンギャルド


3.瀧口修造と物質
第一夜「瀧口修造と“物質”」(図8)は、昨年11月に大阪大学で開催されたシンポジウム「〈具体〉再考」(第2回)を振り返り、吉原治良瑛九、瀧口の3人の「もの、物質、物体、オブジェ」を比較することから始められました。瀧口については、まず「詩と実在」(1931年)の「ぼくは詩の運動はそれ自身、物質との反抗の現象であることに注意したい」の一節が紹介され、「超現実主造型論」(1936年9月)の「オブジェ」論にも触れながら、「精神と物質」との系譜が辿られました。北脇昇、鶴岡政男、河原温、荒川修作吉原治良白髪一雄、もの派、「人間と物質」展などの作品や言説もスライドで紹介されました。そして1930年代後半の瀧口の「物質」観を示すものとして、『近代藝術』(三笠書房、1938年。図9)冒頭のセザンヌ論の次の一節が採り上げられました。
図8 ミニレクチャー図8 ミニレクチャー

図9 『近代藝術』図9 『近代藝術』


「セザンヌの精神は決して平衡をもったものではなくて、その感覚はたえず物質―人間の把握する空間の媒材として―と闘っている」

すなわち、私たちは言葉によって、花・花瓶・テーブルクロス……等々、自分をとりまく世界=「物質」の一部を認識していますが、言葉によって名付けられないものは、意識からこぼれ落ちてしまいます。つまり、「物質」のうちかなりの部分が、認識できていないことになります。この意識の外にある部分になんとか触れたいという動機こそ、この時期の瀧口の考える人間と物質との関係の根底に横たわるものであると指摘されました。

意識の外にある部分に触れるためのメディアとして写真ほど好適なものはないとされ、配布資料(図10)に記載された瀧口修造の「写真と超現実主義」の次の一節が紹介されました。
図10 配布資料図10 配布資料

「シュルレアリスムの写真について書く前に、読者がひょっとして持たれるかもしれない誤解のひとつを解いておきたいと思う。というのは、写真とは文字どおり現実をうつすものであるから、写真の超現実主義というのは、故意に原画を歪曲したり、切り抜いたりすることで終始するものではないという考え方である。これはまた写真とはかならず現実をありのままに再現するものだというような素朴な誤謬にも相通ずるものである。/この意味で超現実主義とは必ずしも実在を破壊加工するものではない。日常現実のふかい襞のかげに潜んでいる美を見出すことであり、無意識のうちに飛び去る現象を現前にスナップすることである。一体、不思議な感動というものは、対象が、極度に非現実的であり、しかも同じほどに現実的であるという、一種の同時感ではないだろうか?」

続いてアジェ阿部芳文、大辻清司らの写真や論考がスライドも紹介され、瀧口が一貫して取り組んでいたのは、「人間の主観的な意識の外にあるものをどうやったら捉えることができるか」ということではなかったか、と締めくくられました。

30分という限られた時間のなかで、よくこれだけ深い内容を盛り込まれたもので、たいへん感銘を受けました。次回以降も必聴と思います。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
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●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180423_takiguchi2014_II_29瀧口修造
《II-29》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.3cm
シートサイズ :19.4×13.2cm
※II-30と対


20180423_takiguchi2014_II_30瀧口修造
《II-30》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.5cm
シートサイズ :19.3×13.2cm
※II-29と対

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第3回

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

3.瀧口修造・阿部芳文『妖精の距離』

図1 妖精の距離図1 『妖精の距離』

奥付の記載事項

妖佑竜離
昭和12年10月10日 印刷 昭和12年10月15日發行
著 者  阿 部 芳 文
發行人  大 下 正 男
    東京市小石川區關口駒井町3
印刷人  菅 原 駒 吉
    東京市牛込区改代町23
發行所  春  鳥  會
    東京市小石川區關口駒井町3
定 價 \2.00

解題
本書は瀧口修造の「十二の詩」と阿部芳文の「十二の画」による詩画集です。縦30僉濂48僂梁臠修離吋鵐隼12葉と、その半分大(30僉24僉砲離吋鵐隼4葉が、綴じられずに、白厚紙の帙に包まれて収納されています。書影として有名な虫眼鏡の意匠(図1)は、この帙を撮影したものです。大判の紙は、12葉すべて中央で縦に二つ折りにされ、左頁には阿部のドローイングが(おそらくコロタイプで)印刷され、右頁には瀧口の詩が配されています。また、半分大の紙4葉は、献辞を記入する見返し(または遊び紙)、扉(図2)、目次、奥付に当てられています。

図2 扉図2 『妖精の距離』扉

奥付には上記のとおり「著者 阿部芳文」とあるだけで、瀧口の名は記されていませんが、久保貞次郎による私家版『スフィンクス』(1954年。図3)を別にすれば、『瀧口修造の詩的実験 1927〜1937』(思潮社、1967年)が刊行されるまで30年にわたって、瀧口唯一の詩集として知る人ぞ知る一冊でした。もともと100部しか刊行されず、海外向けの献呈や戦災による焼失なども考えると現存数はさらに少ないはずで、戦前の詩集や写真集のなかでも代表的な稀覯本として、今も珍重されています。20年ほど前に神田神保町の古書店で見かけた一冊は、美術評論家四宮潤一宛ての(ペン書き)献呈署名本でしたが、水を被った跡が明瞭に残っており、戦火を潜り抜けてきたことがありありと伝わってきました。

図3 スフィンクス図3 『スフィンクス』

本書の詩12篇は、もちろん前述の『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』(図4)に収録されていますが、同書のなかでは、「仙人掌兄弟」から「絶対への接吻」や「詩と実在」にいたる、1928年〜31年頃の作品の存在感が圧倒的で、それ以降の作品は、「妖精の距離」の12篇を含め、慎ましい抒情詩のように感じられます。その理由は、ひとつには、この時期の「七つの詩」「白の上の千一夜」「妖精の距離」などが、本来はイメージと組み合わされることが前提とされていたにもかかわらず、同書にはイメージが掲載されていないことにあるかもしれません。

図4 詩的実験図4 『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』と「添え書き」

例えば「七つの詩」は、ダリ、エルンスト、マグリット、ミロピカソマン・レイ、タンギ―の7人に各1篇ずつ捧げられた詩で、山中散生編『L’ÉCHANGE SURRÉALISTE』(超現実主義の交流。ボン書店、1936年。図5)に掲載されました。初出時にこれら7人の造形作品と組み合わされていたわけではありませんが、瀧口の詩が(具体的な作品とまではいえないにしても)7人の仕事を前提としているのは、言うまでもないでしょう。

図5 超現実主義の交流図5 『L’ÉCHANGE SURRÉALISTE』函(左)、赤版表紙(中)、青版表紙(右)

また「白の上の千一夜」は、実際に今井滋のデカルコマニーと組み合わされて発表された詩です。今井の証言によれば、今井が手掛けた130枚ほどから瀧口と二人で15枚を選び、1枚ごとに瀧口が1〜5行の(全体で1篇となるような)詩を書いて、1937年3月の新造型第5回展(東京府美術館)の展示壁面に、「同じ額縁の中でデカルコマニイと詩とを同時に発表した」とされています(「デカルコマニイと其の方法」「みづゑ」1937年5月。図6)。ちなみに、「みづゑ」同号には瀧口夫妻の作例が、見開きに並べて掲載されています(図7)。

図6 今井図6 今井滋「デカルコマニイと其の方法」

図7 瀧口夫妻図7 瀧口夫妻のデカルコマニー(左:綾子夫人、右:瀧口本人)

一般に、言葉とイメージとが組み合わされる場合、小説と挿絵のように、どちらか一方が主となり、他方がそれを補うというのが一般的と思われますが、瀧口が目指していたのは、イメージと言葉とが互いに触発し合いながら、全体としても統一感を持つようなあり方だったようで、早い時期から「超現実主義を通して、詩と絵画とが握手する」(「超現実主義絵画の方向について」、「詩法」1935年8月)と述べていたとおりです。その理想的な実例は、マン・レイとエリュアールの『ファシール』(1935年。図8)だったのかもしれません。「写真と超現実主義」(「フォトタイムス」1938年2月。図9)の図版に以下のようなキャプションを付けています(新字新仮名遣いに変更)。

「外国の詩集などでイリュミネ―ション(飾画)とよばれるものを憶い起す。ブレークなどは彼自身画家であったから詩の周囲に自分で銅版画を描いた。日本では詩画一致と呼ばれるが、こうした形式はとらなかった。マン・レイの写真とエリュアールの詩の文字とは全部グラビア版であるから融け合っている。写真もこうして詩画一致を形づくるのである。」

図8 ファシール図8 『ファシール』

図9 フォトタイムス図9 「フォトタイムス」(右下に『ファシール』の図版)

本書は阿部のドローイングと瀧口の詩によって「詩画一致」を実現した、記念碑的な詩画集といえるでしょう。具体的な制作過程は明らかではありませんが、「白の上の千一夜」同様、阿部のドローイングを見ながら瀧口が詩を書き下ろしたものと思われます。「みづゑ」1937年月11号に挟み込まれた刊行案内(図10)では、次のように述べています(新字新仮名遣いに変更)。

「私の内部には、永いあいだ、卵のように絶えず温められていた妙な思想があった。そう、それは全く思想というより、ほかに言いようのない、だが卵のようなものであった。ただ貝殻の中に小石が形づくられてしまったように、いま一冊の詩画集『妖精の距離』が、阿部芳文君とのあいだに作られたことはたのしい。すべて夢想というものは卵のように名状すべからざる形をしていたのである。かつては、花と鳥たちとが容易に結ばれたことを思い起すまでもない。今は詩はその余白を、絵画はその余白を、孤独なさらに巨大なブランクに曝している。
『妖精の距離』の第三の余白は読者のやさしい手の中に委ねられているばかりである。」

図10 刊行案内図10 『妖精の距離』刊行案内(「みづゑ」1937年11月号)

昨年(2017年)9月、神奈川県立近代美術館(葉山)で開催された企画展「1937−モダニズムの分岐点」(図11)では、本書と『ファシール』とが並べて展示されていました。この『妖精の距離』は山中散生宛ての瀧口・阿部両名の献呈署名本(ペン書き)で、「100部限定出版の内のNO14」でした。山中は刊行の数ヶ月前に「海外超現実主義作品展」(1939年5月)を共同で招来・開催した、いわば「盟友」といえるはずの人物ですから、もう少し番号が若くても良さそうな気もします。しかしシュルレアリスムやシュルレアリストたちに対する山中の関わり方・姿勢に、瀧口は若干の違和感を覚えていたようで、3年前の34年には以下の引用のように述べています。本書刊行の時点でも、この違和感は解消されていなかったのかもしれません。「NO14」という番号から、こうした微妙な間合いが読み取れるように思われます。

「この頃山中散生氏等のなされているシュルレアリスム紹介の仕事に対して、敬意を払いたいと思う。私は性来の無精から、氏等に対して度度例を失しているので、この誌上を通じて深く謝しておきたいと思う。ポール・エリュアール氏へのオマージュの出版や、ルイ・アラゴン氏の翻訳等の努力は注目されていい。
ただ、単なる交友的エシャンジュ[交流]に終わらしめず、このムーヴマンの正当な認識を植えつけることに、努力されたいと希望する。」「脱頁」(「詩法」第5号、紀伊國屋出版部、1934年12月。図12)

図11 会場写真図11 「1937−モダニズムの分岐点」展 会場写真(神奈川県立近代美術館 葉山)

図12 脱頁図12 「脱頁」

なお、本書の画を担当した阿部芳文(その後「展也」と名乗る)は、1913年生まれ、37年の刊行当時24歳で、2年後には美術文化協会の結成にも参加しました。戦後は同協会を脱退して数々の国際展に参加する一方、下落合のアトリエに集った福島秀子、漆原英子、草間彌生宮脇愛子、榎本和子など、錚々たる女流作家たちを指導しています。62年にはイタリアに渡り、71年に没するまでローマのアトリエで制作を続けました。瀧口の協力のもとに、1957年まで208回の企画展を開催したタケミヤ画廊の第1回展も、「阿部展也デッサン・油絵個人展」(1951年6月1日〜6月15日)だったことを付け加えておきます。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_III_14瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
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イメージサイズ:18.5×13.9cm
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●本日23日(月)は休廊です。

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第2回

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

2.瀧口修造訳アンドレ・ブルトン『超現実主義と絵画』

『超現実主義と絵画』訳者瀧口修造
厚生閣書店 現代の藝術と批評叢書第17編
19.2×13.8僉福峪溶司儼身宗廖
本文100頁、挿絵目次6頁、挿絵50頁(1頁に1点)。50点すべて原書からの転載。作家ごとの点数は後出「作家別挿絵点数」表参照。

奥付の記載事項
昭和五年六月十日印刷
昭和五年六月十五日發行
超現實主義と繪畫 【定價一圓五十銭】
著者  瀧口修造
發行者 東京市麹町區下六番町四十八番地
岡本正一
印刷者 東京市牛込區西五軒町二十九番地
溝口榮
印刷所 東京市麹町區土手三番町二十九番地
厚生閣印刷部
發兌  東京市麹町區下六番町四十八番地
厚生閣書店
振替  東京五九六〇〇番
電話  九段三二一八番

図1図1
『超現実主義と絵画』初版


解題
表紙のアルファベット部分のタイポグラフィーは原書を踏襲しています。並べてみると一目瞭然です(図2)。刊行当時、瀧口は27歳。慶應義塾大学文学部英文科に在学中でした。英語に堪能だったのはもちろんですが、「シュルレアリスム革命」誌などを購読していたのですから、フランス語もかなりのレベルにあったのは間違いないでしょう。当時の大学生は今の大学院生かそれ以上の学力があったのかもしれませんが、それにしても学部の学生が、しかも仏文科でなく英文科の学生が、ブルトンの原書を翻訳(原書初版の全訳)したという事実に、まず驚かされます。

図2図2
訳書とアンドレ・ブルトン『シュルレアリスムと絵画』初版本


といっても、もちろん翻訳には難渋したようで、刊行から32年後の1962年10月8日に、母校の県立富山高校(図3)で行った講演「美というもの」のなかでこの翻訳について触れ、「まるで方程式でも解くみたいに」意味を考えたことや、分からないところをフランス人の先生に(友人を介して)質問したところ、「こんなフランス語はない」と言われたことなどを回想しています(「瀧口修造の光跡」展 I カタログに講演録を収録。参考図)。

図3図3
瀧口在学当時の富山中学(『富中富高百年史』、富山高等学校創校百周年記念事業後援会、1985年10月)


参考 美というもの参考図
瀧口修造の光跡機嵌というもの」展カタログ


挿絵点数は全体で50点と、原書の77点からおよそ3分の2に減らされています。作家別の点数は下表のとおりです。もともと掲載点数の多いピカソとデ・キリコは、削減点数も多い一方、エルンストミロは削減点数が比較的少なく、タンギーは全く削られていません。その理由はいろいろに想像されるでしょう。ダリとマグリットは取り上げられていませんが、これは原書の執筆・刊行がこの二人の登場前だったからと思われます(原書の刊行は1928年。「シュルレアリスム革命」誌上での連載は1925〜27年)。

表 作家別挿絵点数
表


ところで瀧口は、三一新書『私の人生を決めた一冊の本』(三一書房、1972年12月)のなかで、「超現実主義との出会い」との題のもと、ブルトン『シュルレアリスム宣言』を採り上げています(図4)。超現実主義が瀧口の人生を決めたという意味で、『宣言』が挙げられるのは当然でしょう。けれども、「人生の節目ないし転換点となった」という意味では、本書『超現実主義と絵画』の方が、その痕跡がより具体的で明確なように思われます。

図4図4
『私の人生を決めた一冊の本』


例えば「自筆年譜」1932年の項(「本の手帖」特集瀧口修造、昭森社、1969年8月、図5)では、以下のように回想されています。本書がシュルレアリスムに関心を持つ美術家たちの間で広く読まれ、後に彼らが結成した「新造型美術協会」などのグループを指導する立場へと瀧口を導くことになったのは明らかでしょう。

「古賀春江からブルトンの『超現実主義と絵画』の訳を読んだ感想をのべた手紙を貰う。一度訪ねるが不在、ついに会わずじまいであった。」

図5図5
「本の手帖」」特集瀧口修造表紙


さらに重要と思われるのは、本書に訳出した内容そのもの、とりわけ以下に引用する一節が、その後も瀧口自身のシュルレアリスム絵画論に繰り返し引用され、シュルレアリスム絵画に関する考え方のいわば柱となっていることです。

「視覚的影像を固定せんとする欲求は、その影像がそれらの固定よりも先在的であると否とを問はず、常に外面化され、私には他のもの以上に人工的であるとは思はれぬ一つの真実の言語の形成に到達する、そしてその原因に就ては遅疑することは無益であろう」(『超現実主義と絵画』)

具体的に述べればこの一節は、『超現実主義と絵画』刊行の6年後に、美術雑誌「みづゑ」379号(1936年9月、図6)の巻頭を飾った「超現実造型論」の冒頭部に引用され、全体を貫く中心的な命題とされています。余談になりますが、「みづゑ」同号の口絵は前年12月に結婚した瀧口綾子によるものです(図7)。

図6図6
「みづゑ」379号


図7図7
瀧口綾子口絵


この「超現実造型論」は、翻訳・紹介や展評などを除けば瀧口初の本格的な美術評論ないしシュルレアリスム論といえる論考で、これを抜粋再録したのが、2年後に三笠書房から刊行された『近代藝術』(図8)のシュルレアリスム論「シュルレアリスムと絵画」です。もちろん上の一節は、その冒頭に引用されています。つまりこの一節は、瀧口にとって『超現実主義と絵画』全体のなかでもシュルレアリスム絵画の本質に関わる、原点ともいえる命題だったのではないでしょうか。年を経るあいだも絶えずそこに立ち戻り、実作や写真図版を観たり他の文献などを読んだりしながら、その意味を実感するうちに、訳文も次第にこなれていったものと思われます(煩雑になるので引用は省略します)。

図8図8
『近代藝術』初版


もちろん、「超現実造型論」(図9)では、この一節の前に、前置きとして次のように述べられ、美術の領域に限定してシュルレアリスムを考えることの危険性を指摘している点は見落とせません。またこの論考では、本訳書刊行後に登場し、シュルレアリスムの新たな展開の契機となったダリについても、比較的詳しく述べられている点も、付け加えておきます(図10)。

「超現実主義を、造型的領域の関連においてのみ考えることは、或る種の根本的な危険を犯すものである。詩的領域といい、哲学的領域といい、あらゆる領域が、誤った専門化、純粋性を固守することは、現世紀の、一つのもっとも大きな不幸を暗示するものであろう」(「超現実造型論」)

図9図9
「超現実造型論」


図10図10
ダリ「フロリダに於ける今夏の想像的暗示」と瀧口修造のコメント


1950年代後半にはアンフォルメル芸術が大きな潮流となりましたが、これに対する瀧口の見解ないし関わり方でも、上に引用した一節がその基底で作用しているように思われます。前出「自筆年譜」(図11)1958年の項には次のように記されています。

「アンフォルメル芸術と現象的に呼ばれた傾向のなかに、自分にとってある本質的な問題にかかわるもののあることを感じる。しかもそれが長くシュルレアリスムが自分を捉えてきたものと終局において背馳すべきではないという確信のもとに。しかもそれは画壇的な消長や流行現象とは無関係に自分の内部に浸透し、現にとりつつある批評の形式を瓦解させるような危機意識をはらむ」

図11図11
「自筆年譜」


60年代に入ると瀧口は時評的な美術評論の執筆を避けるようになり、替わってさまざまな造形の試みを開始しましたが、そこにおいてもこの命題が意識されていたのは間違いないと思われます。つまり引用の一節は、1930年の翻訳後も瀧口自身が絶えずその意味を問い返し、自ら実践しようとした命題といっても良いでしょう。このような意味で、この一節を含む『超現実主義と絵画』は、その後の瀧口の「人生を決めた一冊の本」と呼ぶにふさわしいと思われます。

最後にご案内をひとつ。
瀧口修造研究会会報「橄欖」第4号が刊行されました(奥付の発行日は7月1日付け)。

表紙表紙


表紙は上図のような、光沢ある青となりました。材質より色味を優先したのでしょう。

執筆者は掲載順に、霧山深、岩崎美弥子、山腰亮介、永井敦子、朝木由香、島敦彦、嶋田美子、藤澤顕子、石原輝雄、野海青児、宮井徹、山口馨、三谷風子、高島夏代、尾山景子、高橋修宏、伊勢功治、小生の18名で、論考、随想、詩、創作など、211頁です。

目次目次


ときの忘れもので扱っていただいております。頒価1,500円(送料250円)です。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
V-37(042)瀧口修造 《V-37》
デカルコマニー
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※『瀧口修造の造形的実験』(2001年)No.203と対
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◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第1回

新連載・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

 今回から瀧口修造の著書・訳書などを順次取り上げ、体裁や奥付の事項などを記したうえで解説します。存命中の単行本を対象とし、美術全集や事典、雑誌、手作り本などは差し当たり対象外とします。お気付きの点はどうぞご指摘ください。

1.西脇順三郎『超現実主義詩論』
18.2×13.8僉併溶使愁侫薀鵐港)
本文168頁、目次4頁、索引8頁
口絵として、「詩人の肖像」「PANTHEON」と表記され、シェイクスピアとボードレールの肖像が掲載されています(ボードレールの肖像はナダール撮影の写真。ナダールには風刺肖像画の連作「パンテオン・ナダール」があります)。

奥付の記載事項
昭和四年十一月十日印刷
昭和四年十一月十五日発行
超現實主義詩論 【定價一圓二拾銭】
著者 西脇順三郎
發行者 東京市麹町區下六番町四十八番地
岡本正一
印刷者 東京市牛込區西五軒町二十九番地
溝口榮
印刷所 東京市牛込區早稲田鶴巻町四百三番地
厚生閣印刷部
發兌 東京市麹町區下六番町四十八番地
厚生閣書店
振替 東京五九六〇〇番
電話 九段三二一八番

図1図1
『超現実主義詩論』初版


解題
 『超現実主義詩論』は「現代の藝術と批評叢書」第14編として厚生閣書店から刊行されました。著者は瀧口ではなく西脇順三郎ですが、以下に引用する著者序文のとおり、瀧口の貢献は明らかですし、おそらく初めて本作りに関わった貴重な一冊と思われますので、連載第1回に採り上げることとしました。

「序
本書に印刷したものは第十九世紀文學評論の一節である。
殊にCh. Baudelaireを中心として感じたことを單に記述したものである。記述によって構成した世界は論理と體系によって支配されない單に記述によって表現せんとして企てた世界に過ぎない。
BaudelaireのSurnaturalismeに関聯して、二十世紀のSurréalismeに及んだ。けれども最近の發展變化の事狀は本書に附加した瀧口修造氏の論文を有益なものと信ずる。
本書中にて私の書いたものは以前「三田文學」及び「詩と詩論」に出たものであるが、それを修正して再び本書に入れた。
是等の修正と校正の全部は瀧口修造氏がなした。この勞力に感謝します。
著者」


図2図2
同書序文


 当時、瀧口は26才、慶應義塾大学英文科の学生として西脇の指導を受けていました。校正・修正だけでなく、補論「ダダよりシュルレアリスムへ」の執筆を任されたのは、いかに信頼が篤かったかを示すものでしょう。補論は本文168頁のうち、131頁以降の38頁(18%強)を占めています。序文で特に触れられていませんが、130名近くに及ぶ人名索引も、おそらく瀧口が作成したものと思われます。

図3図3
補論「ダダよりシュルレアリスムへ」


図4図4
索引頁


 序文に明記されているとおり、本書の内容は、「超現実主義の詩論」というよりもむしろ、ボードレールの「超自然主義」を中心に19世紀文学を対象とするもので、この叢書の刊行当初は、単に「『詩論』J・N」として刊行が予定されていました(図5)。『超現実主義詩論』という題名は叢書の編集責任者春山行夫の意向によるものでしょう(後述)。

図5図5
「現代の藝術と批評叢書」第3編 北川冬彦訳マックス・ジャコブ『骰子筒』裏表紙カバー(上から6番目が「『詩論』J・N」。「超現実主義詩と詩論」とのサブタイトルあり)


 題名と内容との齟齬はもちろん西脇も承知しており、打開策として瀧口に委嘱されたのが、補論執筆だったと思われます。指導教授として瀧口の勤勉さを目の当たりにし、前年3月に発表していた「シュルレアリスムの詩論に就いて」(文藝春秋「創作月刊」。図6,7)にも目を通していたはずですから、この運動についての瀧口の認識と洞察に、一目置いていたのでしょう。西脇の本文は雑誌記事の再録ですから、これだけなら単行本化は比較的容易だったと思われますが、実際の刊行が半年ほど遅れて6番目から14番目となったのは、補論の脱稿を待ったためかもしれません。

図6図6
「創作月刊」表紙


図7図7
同「シュルレアリスムの詩論に就いて」


 上で触れましたが、本書を『超現実主義詩論』と命名したのは編集責任者の春山行夫と思われます。というのも、春山が実質的な編集人となって同じ厚生閣書店から刊行していた季刊誌「詩と詩論」では、「レプリ・ヌーヴォー」と並んで「超現実主義」の紹介に力を入れており、「現代の藝術と批評叢書」でも、本書に続いて「超現実主義」を題名に含む以下のようなラインナップの刊行が予定されていたからです(再掲図5)。

図5再掲図5


超現実主義宣言 附詩集『溶ける魚』アンドレ・ブルトン北川冬彦訳(図5上から9番目)
超現実主義のスタイル論ルイ・アラゴン瀧口修造訳(同10番目)

 余談になりますが、多くの新進文学者を「詩と詩論」や続く「文学」に糾合して最先端の詩や詩論を掲載し、それらを編集・再録して詩集や叢書を刊行した、編集者春山行夫の手腕は見事というほかありません。ここを拠点にいわゆる「モダニズム文学」の大きな潮流を造り出したのは、春山の不朽の功績といえるでしょう。反面、シュルレアリスムもレスプリ・ヌーヴォーも峻別しないまま「モダニズム」と一括りにする傾向が、今なお一部に見られるとすれば、その元祖、いや元凶も春山行夫と言わなければならないかもしれません。

 さて、ここで注目されるのは上のラインナップ中の『超現実主義のスタイル論』です。「衣裳の太陽」及び「詩と詩論」に瀧口が連載していたアラゴン『文体論』の訳稿を単行本化する計画だったのでしょう(図8)。『文体論』はシュルレアリストだった時期のアラゴンの(おそらく『パリの農夫』と並ぶ)代表作で、瀧口は単に翻訳しただけでなく、自らの詩作にも多くのものを吸収しているように思われます。例えば「地球創造説」以降の、命題を敷衍し畳み掛けるような饒舌な語り口などは、その最たるものでしょう。

図8図8
『超現実主義詩論』巻末の「詩と詩論」広告頁


 補論「ダダよりシュルレアリスムへ」のなかでも瀧口は、当時のアラゴンについて「唯一の形而上学者」と呼び、その作品をブルトンの「影像の光線」、エリュアールの「愛の力学」と並ぶ、超現実主義のテクストの典型の一つに位置付けています。別のところで論じましたのでここでは詳述しませんが(註)、当時の瀧口にとってのアラゴンの重要性は、もう少し認識されてよいと思われます。この点で『超現実主義のスタイル論』が未刊に終わったのはまことに残念です。

註 「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」第6〜8号、洪水企画、2010年7月〜2011年7月。参考図)参照

参考図参考図
「洪水」第7号


 その後、この補論は金星堂から「分冊現代詩講座」の一冊『ダダと超現実主義』として刊行されました(図9,10)。戦後、せりか書房から刊行された『シュルレアリスムのために』にも、「ダダと超現実主義」として巻頭に再録されています。瀧口の詩的テクストを考察するうえで、第一に参照されるべき論考と思われます。

図9図9
瀧口修造『ダダと超現実主義』(金星堂、1933年1月)


図10図10
同裏表紙(表紙・裏表紙のデザインは後年の『画家の沈黙の部分』などの自装本を想起させます)


 冒頭で述べましたが、この『超現実主義詩論』は、瀧口が本作りに初めて関わった点で唯一の本であるわけですが、「ダダよりシュルレアリスムへ」という重要な論考の初出文献である点でも、無二の一冊といえるでしょう。連載第1回に採り上げたのもこのためです。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
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〜〜〜

◆ときの忘れものは没後70年 松本竣介展を開催しています。
会期:2018年5月8日[火]―6月2日[土]
11:00-19:00  ※日・月・祝日休廊

ときの忘れものは生誕100年だった2012年に初めて「松本竣介展」を前期・後期にわけて開催しました。あれから6年、このたびは素描16点による「没後70年 松本竣介展」を開催します。
201804MATSUMOTO_DM

「没後70年 松本竣介展」出品作品を順次ご紹介します
27出品No.23)
松本竣介
《作品》

紙にインク
Image size: 34.2x24.5cm
Sheet size: 38.3x27.0cm
※『松本竣介展』(2012年、ときの忘れもの)p.13所収 No.27


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●本展の図録を刊行しました
MATSUMOTO_catalogue『没後70年 松本竣介展』
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 
テキスト:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
作品図版:16点
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
税込800円 ※送料別途250円



◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

新連載・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第0回

新連載・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

第0回 瀧口修造の本/瀧口修造とマルセル・デュシャン補遺3


口上
 「瀧口修造の本」という表題のもと、著書・訳書などについて連載するよう、綿貫不二夫氏から依頼され、毎月23日に登場することになりました。簡潔を旨としてまとめますので、お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
今回は以前連載していた「瀧口修造とマルセル・デュシャン」の「補遺3」も兼ねて、昨年開催された「瀧口修造・岡崎和郎二人展」のカタログ《to and from Kazuo Okazaki / to and from Shuzo Takiguchi》についてご紹介します。

1.《to and from Kazuo Okazaki / to and from Shuzo Takiguchi》
 この「瀧口修造・岡崎和郎二人展」は、マルセル・デュシャン生誕130年を記念して、2017年1月7日(土)〜2月12日(日)に、京都の画廊ozasa kyotoの企画展として開催された展覧会でしたが、私のコレクション展「瀧口修造の光跡」の第5回でもありました(以前の連載「瀧口修造とマルセル・デュシャン」の「補遺」参照)。

図1図1
瀧口修造・岡崎和郎二人展 会場写真1(撮影:土渕信彦。以下同じ)


図2図2
同2


 展示点数40点と小規模ながら、デュシャン生誕130年(あるいは「泉」100年)に因むさまざまな企画の、露払いの役割は果たせたのではないかと自負しております。開催地が瀧口にとってアウェイ(?)である京都だった上、天候にもあまり恵まれませんでしたが、熱心な来廊者が後を絶たず、3回開催したイベントも大盛況でした。たいへんありがたく思っております。

図3図3
瀧口修造・岡崎和郎二人展 会場写真3


図4図4
同4


 そしてこのたび、同展のカタログ《to and from Kazuo Okazaki / to and from Shuzo Takiguchi》が刊行されました。ozasa kyotoを運営しているARTOFFICE OZASA Inc.が1年がかりで編集に当たり、刊行に漕ぎ着けたものです。同画廊の企画展ですので、カタログ制作に関してもお任せすることとし、私は展覧会開催前にいくつかの提言・助言をした以外、まったく関与しませんでした。これが奏功したのでしょう、たいへん美しいカタログが出来上りました。用紙の色違いにより白版とクリーム版の2種があり、甲乙つけがたい仕上がりと思います。

図5図5
岡崎和郎側表紙(左:白版、右:クリーム版)


図6図6
瀧口修造側表紙(同)


 全体は岡崎作品の部と瀧口作品の部の2部で構成され、頁番号(ノンブル)こそ岡崎側から打たれていますが、瀧口側・岡崎側のどちらも表表紙といえる、どちら側から開けてもそのまま見ていくことができる造本となっています。すなわち、岡崎側は縦組右開けで、表紙を開けると見返しに瀧口が岡崎に捧げた序詩「彼の微笑、それから」が現れ、瀧口側は横組み左開けで、表紙を開けると同じく序詩”His smile, and”が現れます。どちら側も作品図版頁、作家略歴、作品リストが続き、開催趣旨の頁および奥付頁が真中に配ざれています。なお、二人の共作「檢眼圖」の図版は開催趣旨の頁に掲載されています(図12参照)。

図7図7
「彼の微笑、それから」


図8図8
“His smile, and”


 瀧口・岡崎とも実作の要所要所に赤色が用いられていることに応じたものと思われますが、各頁とも刷りを墨と赤の2色に絞り(瀧口作品頁の地色であるクリーム色を含めると3色)、墨の濃淡を基調に、所々で赤色が配されています。どの頁も研ぎ澄まされた感覚により見事に洗練されています。

 表紙を貼り込みにし、しかし綴じの部分はあえて貼らず、表紙を開けると背の内側に隙間ができるようにするという、手の込んだ綴じ方が採用されています。その隙間から表紙裏に配された赤色が顔を覗かせ、まるで着物の裾からちらりと襦袢が見えるような、エロティシズムを感じさせます。頁を繰るたびに斬新さに目を瞠らされ、全体を通じて衝撃的な存在感があります。

図9図9
岡崎和郎図版頁1


図10図10
瀧口修造図版頁1


 以上のような全体の構成・設計およびデザインは、国立国際美術館や京都国立近代美術館のカタログも担当されている大御所の西岡勉氏によるもので、「素晴らしい!」という以外に言葉が見当たりません。

図11図11
開催趣旨頁(和文)


図12図12
同(英文)


 このデザインに大きく貢献しているのが山本糾氏撮影の写真と思われます。2010年9月〜11月に神奈川県立美術館で開催された「岡崎和郎展 補遺の庭」の際にも撮影を担当されており、岡崎作品の撮影者としてこれほど適任の方は考えられません。本展のためにozasa kyotoでの撮影に立ち会わせていただきましたが、カタログ写真の圧倒的な説得力を目の当たりにし、改めてお仕事の緻密さを認識させられた次第です。

図13図13
岡崎和郎図版の頁2


図14図14
同3


 瀧口の平面作品の図版は、土渕が提供したカラー・ポジフィルムに基づいています。オブジェではなく平面なので、岡崎側から頁を繰って行くと、さすがに2色では物足りない印象もありますが、クリーム色の地色が、実作のさまざまな色彩やニュアンスを想像させ、見事に補っています。なお、瀧口作品の図版頁は、白版でもクリーム版同様、地がクリーム色に彩色されています。

図15図15
瀧口修造図版頁2


図16図16
同3


 瀧口、岡崎ともに、近年ますます海外から熱い視線が注がれていますが、このカタログでは、開催趣旨や瀧口による序詩はもちろん、作品名、作家略歴、展示リスト、開催趣旨、奥付に至るまで、英文・和文の2ヶ国語で表記されており、海外からの注目にも応えられるでしょう。自らの所蔵品によって企画展が開催されただけでなく、このような美しいカタログまで制作していただけて、まさにコレクター冥利につきます。展覧会を開催し、カタログの制作者であるARTOFFICE OZASA Inc.の小笹義朋氏、並びに小笹氏を紹介してくださった畏友のマン・レイ・イスト石原輝雄氏に、心より感謝申し上げます。

2.奥付データなど
 白版・クリーム版とも菊判65頁(縦220×横150×厚さ10弌砲如奥付データは以下のとおりです。なお刊行部数並びに価格の表記はありませんが、白版・クリーム版各500部、1冊各3000円(税込み)と聞いています。

編集:ARTOFFICE OZASA Inc.
写真:山本 糾 No.1〜No.3, No.5, No.6, No.10, No.12〜No.18, No.20, No.21
写真提供:土渕信彦 No.22〜No.36, No.39, No.40’ ときの忘れもの No.38
翻訳:渡辺真也
デザイン:西岡 勉
印刷:株式会社スイッチ・ティフ+クラフティー・デザイン

発行日:2018年1月
発行:ARTOFFICE OZASA Inc.
〒602-8216 京都市上京区竪門前町414 西陣産業会館207(西陣織会館西館)
TEL:075-417-4041 E-mail:mail@artozasa.com URL:www.artozasa.com

つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180423_takiguchi2014_II_29瀧口修造
《II-29》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.3cm
シートサイズ :19.4×13.2cm
※II-30と対


20180423_takiguchi2014_II_30瀧口修造
《II-30》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.5cm
シートサイズ :19.3×13.2cm
※II-29と対


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年 ときの忘れもの 発行
21.5x15.2cm 92ページ
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
ハードカバー 英文併記
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円


表紙『瀧口修造展 I』
2014年 ときの忘れもの 発行
21.5x15.2cm 76ページ
テキスト:土渕信彦、瀧口修造(再録)
ハードカバー 英文併記
翻訳:ポリー・バートン
デザイン:北澤敏彦
図版:水彩、ドローイング、ロトデッサンなど44点
価格:2,000円(税別) ※送料別途250円

表紙『瀧口修造展 II』
2014年 ときの忘れもの 発行
21.5x15.2cm 67ページ
ハードカバー 英文併記
テキスト:大谷省吾、瀧口修造(再録)
翻訳:ポリー・バートン
デザイン:北澤敏彦
図版:デカルコマニー47点
価格:2,000円(税別) ※送料別途250円

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◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦  埼玉県立近代美術館「版画の景色―現代版画センターの軌跡」展を見て

埼玉県立近代美術館「版画の景色―現代版画センターの軌跡」展を見て

土渕信彦


去る2月15日、埼玉県立近代美術館で開催されている「版画の景色―現代版画センターの軌跡」展を観てきた。同展についてはすでにこのblogでも、現代版画センターの機関誌に寄稿されていた植田実先生をはじめ、草創期に参加されていた西岡文彦氏や、当時からコレクターとして関わって来られた荒井由泰氏、ときの忘れものから版画をエディションしている建築家の光嶋裕介氏、国立近代美術館美術課長の大谷省吾氏らによって詳細かつ的確に紹介されているので、実際に関わりがあったわけでもなく、専門の研究者でも作家でもない私が今さら寄稿しても、屋上屋を重ねることにしかならないのだが、たいへんインパクトのある展覧会だったので、以下に感想をまとめる。

1.展示と図録について
会場に入るとまず展示されているのは靉嘔のシルクスクリーンだった。3色で摺った「I love you」、多色の「大きな透明な木」をはじめ、どの作品も今刷り上がったばかりのように初々しい。靉嘔といえば誰しもがあの虹色を思い浮かべると思うが、改めて「こんなに美しかったのだ!」と驚かされる。これこそ実作に接した者のみが抱くことのできる感動に他ならず、図録や画集を見ただけでは決して味わうことができないだろう。
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靉嘔「大きな透明な木」 撮影:酒井猛

この「いま刷り上がったばかりのように美しい!」という印象は、続いて展示されている木村光佑、高柳裕木村利三郎関根伸夫や、まとまった点数が展示されているオノサト・トシノブ大沢昌助菅井汲元永定正らの作品にも、総じて共通している。磯崎新の作品は今見ても時代を超越した未来性を感じさせるが、逆に島州一の作品は、まとめて観る機会があまりないためか、いかにも70年代を思わせる。良く知られたA.ウォーホール「キク」、草間彌生「カボチャ」はもちろん、加山又造「レースをまとった人魚」、舟越保武「若い女」までが、現代版画センターのエディションだったのだと、改めて驚かされた。

会場をひとわたり歩いて作品を通覧すると、写真集をめくっていくのと同様、70〜80年代の時代性が感じられる。現代版画センターが活動していた1974〜85年に、刷り師が紙の上に定着していたのは、単に版画作品というだけでなく、当時の時代そのものだったのかもしれない。展覧会のタイトルも、「版画の景色」というよりはむしろ、版画を通して見た「時代の光景」と言った方が相応しいように感じられる。

時代性を強く感じるのは、作品の傍らに掲げられている作家解説の小パネルのためかもしれない。コンパクトにまとめられているが、美大の学長になった作家、禅僧となってハワイに渡った作家など、どの作家についても、現代版画センターとの関わりに止まらず、その後の人生までに及んだ、射程の長い、眼配りの行き届いたコメントが付されており、展示自体に重層的な厚み、奥行き、膨らみを与えている。

図録も出色の出来栄えで、基本資料として後世に残る内容だろう。「A.テキスト・ブック」「B.ヴィジュアル・ブック」「C.アトラス」の3分冊、収納ケースにも写真や資料の一部が再録されているので、これを含めると4分冊からなる。Aにはエディション作品総目録、「現代版画センターニュース」総目録、主要刊行物目録、さらには当時の関係者を対象とするアンケートまで収録されている。関根伸夫をはじめとする作家、刷り師、会員、スタッフなどの証言は貴重と思われる。Bには展示されたエディション作品の図版が収録され、さらに「作家略歴」として上述「解説パネル」の記述が再録されている。展示されなかったエディション作品の図版まで掲載されていれば、カタログ・レゾネとなっていたところだ。せっかくAに作品総目録を収録したのだから、是非とも期待したい。Cは現代版画センターの「組織運営年表」「個別事項年表」、さらには全国の「主要活動拠点分布図」が掲載されている。この分布図は同心円状に図案化されており、全国的に展開した状況が見事にヴィジュアル化されている。

埼玉カタログ

展示作品を選定したのは、もちろん展覧会の企画者である美術館側だそうで、魅力的な作品が選ばれているのは確かだろう。植田実先生の「どの順序で見ても構わない花園」との評のとおり、順路を作らずブース間を自由に移動できる展示構成もたいへん効果的と思われる。とはいっても展示作品は280点近くに上り、現代版画センターの活動期間(約11年)の間にエディションした、約80名の作家による700点以上の作品の3分の1以上をカバーしているのだから、飛び抜けて良い作品ばかりが選ばれたわけでもないだろう。同センターがエディションした版画作品として平均的ないし平均よりやや高めの水準の作品が展示されている、というのが実態に近いのではなかろうか。

活動期間中に、年平均60〜70点、毎週1点以上というハイ・ペースでエディションしたにもかかわらず、それらが今でもこうした魅力に溢れているのは、その水準自体がコンスタントに高かったことを物語っている。これはやはり驚くべきことだろう。こうした良質の作品を全国に送り出した現代版画センターの、版元としてのレベルの高さを認識させられた。

しかしながら、多彩な作家の版画をエディションし、全国に普及させようとした現代版画センターの試みは、単に版元としてレベルが高かっただけではない。全国の画廊などの流通拠点を組織化し、共同版元としてエディションしながら販売する仕組みと、講演会やオークションなどを含む新たな購入層を開拓する普及活動とを一体化し、新しい流通の仕組みそのものを構築しようするという、画期的な試みであった。こうした新たな流通の仕組みを構想し、実現しようとした先駆性こそ、現代版画センターの真骨頂と思われる。

すでに1950〜60年代には公募展、アンデパンダン展、商業画廊、美術館などの既存の美術制度の限界が次第に表面化し、60年代後半から70年代には別の仕組みへと向かい始める流れがあったとすると、現代版画センターの活動もそうした流れの中に位置づけられるように思われる。60年代中頃から瀧口修造が抱いていた「オブジェの店」をひらく構想とシンクロするする部分も見えて来るかもしれない。

2.「パノラマ」と刊行物について
30〜40年後の今でも「美しい」と思えるのだから、当時、文字通り刷り上がったばかりのこれらの版画作品を観た全国の会員や購入者にとって、どれほど魅力的に感じられたことだろうか。全国各地に美術館が建設され、展覧会も頻繁に開催されている現在とは違い、当時は実作に接する機会は少なかったはずなので、かなり熱狂的に受け入れられたものと推測される。展示作品を見て「美しい」と感じるのは、当時の感動を共有し、追体験することに繋がるが、具体的な状況を想像するのはなかなか難しいところがある。

この点で、会場で上映されている「パノラマ」と呼ばれる3種のスライド集はたいへん貴重である。いずれも7分〜8分程度と、比較的コンパクトにまとめられているが、当時の熱狂的な様子がありありと伝わってくる。久保貞次郎、尾崎正教、針生一郎、関根伸夫らの面々も若々しく、誰もが「熱さ」を持っているのが判る。現代版画センターの企画に「軍師」として参画していた関根伸夫は、全国の会員組織の画廊で開催された島州一との二人展(1975年)に臨む若々しく颯爽とした姿が記録されている。1942年生まれだから当時33歳。若々しいはずである。ちなみに戦後美術の代表作の一つとして必ず挙げられる「位相―大地」を須磨離宮公園の第1回野外彫刻展で発表したのは、この二人展より7年前の1968年で、25〜26歳のことだった。もはや言葉を失う。

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映像、資料閲覧コーナー 撮影:タケミアートフォトス

また現代版画センターの事務局長を務めていた尾崎正教の、ジャケットをお洒落に着こなした姿も確認できる。当時の本職は小学校の美術教師だったそうだが、夏休み中にこうしたダンディな人物が、魅力的な版画作品をカルトンに詰め込んで全国を行脚して歩き、職業婦人などの新たな愛好家たちに熱烈に歓迎されたというのも頷ける。閲覧資料のなかに含まれた当時のガリ版刷の行脚スケジュール表が生々しい。確か1990年代の末頃、あるコレクターに誘われて訪れたアートフェアの会場で、尾崎正教本人にお目にかかったことがあるが、すでに白髪の長髪で額もかなり広くなっておられた。そのコレクターが私のことを「瀧口修造に拘っていて、作品もコレクションしている」と紹介すると、「わたくし美術館」の活動について熱っぽく語られたのを憶えている。

何年のシンポジウムか判らないが、パネリストとして参加している針生一郎の姿も記録されている。細身のネクタイこそ当時のスタイルだが、あご髭を生やした知的な風貌にはすでに大家としての存在感がある。こうした様々な映像を眺めていると、折にふれて綿貫夫妻から断片的に聞いていたエピソードが相互に関連し合い、具体的な歴史として筋道が浮かび上がってくるように感じる。

会場の書架に置かれている「画譜」「版画センターニュース」などの刊行物も実に興味深い。現代版画センターの刊行物の編集人でもあった尾崎正教のエッセイには、当時の販売側・購入側双方の熱狂ぶりが具体的に綴られている。その他、多彩な執筆者のコラムやエッセイなど掲載され、手に取って読み始めると止まらなくなる。谷川晃一の『毒曜日のギャラリー』や池田龍雄の『夢・現・記』など、後に単行本化された連載の初出までがこの刊行物だったとは、恐れ入るしかない。特に『毒曜日のギャラリー』は、単行本化された当時愛読した記憶があり、小杉武久、中西夏之、赤瀬川原平、坪内一忠などの項が印象的だったが、先日、芦屋市美術博物館の「小杉武久―音楽のピクニック」展を見てきたばかりなので、ついつい引き込まれ、読み耽ってしまった。当時のさまざまな出来事や交友なども想い出され、たいへん懐かしく感じた。

気が付くといつの間にか4時間近くが経過し、閉館間際になっていた。じっくり拝見しようと残していたA.ウォーホルとジョナス・メカスのコーナーに向かう。このコーナーは今回の展示会場でも特別な一角のように思える。現代版画センター直営の「ギャラリー方寸」を皮切りに、1983年6月から全国で連続的に、というより同時多発的に開催された「アンディ・ウォーホル全国展」と、同年7月に栃木県宇都宮市で開催された「巨大地下空間とウォーホル展」は、現代版画センターの絶頂期というのか、最後の輝きだったのかもしれない。

3.質へのこだわりの二面性
すでに触れた「いま刷り上がったばかりのように美しい」という印象に再び立ち戻ると、40年以上が経過している現在でもこう感じられるのは、基本的には、各作家の卓抜な構成力と刷り師の力量との相乗効果といえるだろう。とりわけ、岡部徳三、石田了一、森仁志をはじめ、刷り師の方々の出来栄え・品質への志向は相当に高かったものと拝察される。一流の腕を持つ技術者や職人の常として、インクや紙などの材料にもこだわり、良質で高価なものが使われたのではなかろうか。
1049

菅井汲・アクリル作品(マルチプル)とGUESTシリーズ(刷りはともに石田了一) 撮影:酒井猛

その一方、販売価格はというと、図録に収録された「アンケート」の柳正彦氏の証言によると、「一般の画廊よりも入手しやすい価格設定だった」そうで、リーズナブルだったようである。柳氏は学生当時からコレクションを開始し、同センターの事務所に出入りしているうちにスタッフとして働くようになり、さらにその後、渡米してクリストの片腕として活躍されている。良質の作品を安価に提供するというのは、販売拡大のために戦略的に採用された方針かもしれないが、需要がついて来なければ経費ばかり嵩み、不良在庫も増大するという危険性も内包する。現代版画センターの事業が有意義で志の高いものだったのは間違いないだろうが、リスクとも表裏一体の冒険的な試みでもあり、その内実は薄氷を踏むような綱渡りの状況だったのではなかろうか。実際、残念ながら85年2月に倒産するに至っている。

これは版元としてのコスト管理に問題があったのか、流通の仕組みの構築が不十分だったのか、最終需要者であるコレクターがついて来ず、市場自体が未成熟に止まったのか。タケミヤ画廊や読売アンデパンダン展について、活動の内容ばかりでなく、終了を余儀なくされた要因の解明が重要だとすれば、それと同様に、現代版画センターに関しても倒産に至った要因の解析が、今後の重要な課題として残されているだろう。なお、事務局次長として実際の運営に携わっていた綿貫不二夫は、倒産(自己破産)後に破産管財人によって債権者に対する配当が実施された後も、20年ほど残債の返済に努めたと聞いている。

4.おわりに
1970年代後半〜80年代中頃の私自身を振りかえると、毎週土曜日に神田神保町の古書店を廻って瀧口修造の単行本や初出雑誌・図録などを漁るか、あるいは銀座・京橋・浜松町あたりのいくつかの画廊を訪れるという生活を送っていた。この頃に現代版画センターの活動が視野に入っていたら、どうなっていただろうか?版画のコレクターとなって、蒐集の軍資金を確保するためにサラリーマン生活を長く続けていたかもしれない。あるいは柳正彦氏と同様に事務所を訪れ、その魅力の虜になって入り浸っていたかもしれない。著作を愛読していた廣松渉や高橋悠治などの名前も、同センターの関係者として出て来るし、同センターが事務所を置いていた渋谷には行きつけのカフェバーが在り、神保町から都営バスに乗って通っていたので、こうした可能性もかなりあったように思われる。

「版画の景色―現代版画センターの軌跡」展は、単に展示作品が魅力的だというだけでなく、このように自らの生き方についてまでもさまざまな感慨を催させる、たいへん見ごたえのある展覧会だった。2月20日に展示替されたと聞いているので、後期の展示も是非拝見したいと思う。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
現代版画センターと「ときの忘れもの」については1月16日のブログをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログをぜひご購入ください(2,200円)。
埼玉チラシメカス600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年〜1985年の11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。

【担当学芸員によるギャラリー・トーク】
日時:3月10日 (土) 15:00〜15:30
場所:2階展示室
費用:企画展観覧料が必要です。
【トークイベント】ウォーホルの版画ができるまで―現代版画センターの軌跡
日時:3月18日 (日) 14:00〜16:30
第1部:西岡文彦 氏(伝統版画家 多摩美術大学教授)、聞き手:梅津元(当館学芸員)
第2部:石田了一 氏(刷師 石田了一工房主宰)、聞き手:西岡文彦 氏
場所:2階講堂
定員:100名 (当日先着順)/費用:無料
〜〜〜〜
○<幾度もお知らせや画集に添えて御丁寧なお手紙を頂戴致しました。
昨日、美術館に行ってまいりました。作品も美しい館内で輝いて見えました。本人もさぞ幸せだろうと思います。
久し振りに大々的な作品群に触れて同行の友人達も満足して帰路につきました。
心からお礼申し上げます。
学芸員の方にも御丁寧なご挨拶をいただきました。

(20180302/出品作家のご遺族より)>

○<「版画の景色」展、何より首都圏の大きな展覧会で野田哲也作品が展示されたのはいつ以来だろう。やっぱり野田哲也もいつまでも私にとってはヒーローなのだ
(20180218/Kakkine Sato / 佐藤柿杵さんのtwitterより)>

○<「版画の景色」展には駒井哲郎を見に行ったのだが他に印象に残ったもの。木村光祐「リレーションM」、高柳裕「魚座」、島州一「ボートの女」、木村茂「森の道」三作、難波田龍起作品、本田眞吾作品など。コレクション展で丸山直文「garden No.3」を見ることが出来た。
(20180304/kentbitterさんのtwitterより)>

西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半〜トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。

光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について(1月28日ブログ)

荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て(1月31日ブログ)

スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)

毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。

倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)

嶋吉信さんのエッセイ〜「紙にインクがのっている」その先のこと(2月12日ブログ)

大谷省吾さんのエッセイ〜「版画の景色−現代版画センターの軌跡」はなぜ必見の展覧会なのか(2月16日ブログ)

植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ 第47回(3月4日ブログ)

塩野哲也さんの編集思考室シオング発行のWEBマガジン[ Colla:J(コラージ)]2018 2月号が展覧会を取材し、87〜95ページにかけて特集しています。

○月刊誌『建築ジャーナル2018年3月号43ページに特集が組まれ、見出しには<運動体としての版画表現 時代を疾走した「現代版画センター」を検証する>とあります。

○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号1983年のウォーホル全国展が紹介されています。

○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。

現代版画センターエディションNo.198 元永定正「白い光が出ているみたい」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
20180308元永定正
「白い光が出ているみたい」
1977年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
Image size: 61.0×47.0cm
Sheet size: 64.9×50.0cm
Ed.100  Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

パンフレット_05
出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄

臨時ニュース
五十殿利治(おむかとしはる)先生が、1930年代の日本の前衛芸術に目を向けた『非常時のモダニズム』(東京大学出版会)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されました。おめでとうございます。同書の表紙は瑛九のフォトデッサンが使われています。

ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサートのご案内
第7回 愛といのち

日時:2018年4月3日(火)18:00〜
会場:ときの忘れもの
出演:メゾ・ソプラノ/淡野弓子
   スクエアピアノ/武久源造   
プロデュース:大野幸
*要予約=料金:1,000円
予約:必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。

info@tokinowasuremono.com

◆ときの忘れものは「植田正治写真展ー光と陰の世界ーPart 供を開催します。
201803_UEDA
会場1:ときの忘れもの
2018年3月13日[火]―3月31日[土] 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊(但し3月25日[日]は開廊)

昨年5月に開催した「Part I」に続き、1970年代〜80年代に制作された大判のカラー作品や新発掘のポラロイド写真など約20点をご覧いただきます。

●書籍・カタログのご案内
表紙植田正治写真展―光と陰の世界―Part II』図録
2018年3月8日刊行
ときの忘れもの 発行
24ページ
B5判変形
図版18点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:800円(税込)※送料別途250円

ueda_cover
植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:800円(税込)※送料別途250円


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
20170707_abe06新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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