土渕信彦のエッセイ

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第2回

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

2.瀧口修造訳アンドレ・ブルトン『超現実主義と絵画』

『超現実主義と絵画』訳者瀧口修造
厚生閣書店 現代の藝術と批評叢書第17編
19.2×13.8僉福峪溶司儼身宗廖
本文100頁、挿絵目次6頁、挿絵50頁(1頁に1点)。50点すべて原書からの転載。作家ごとの点数は後出「作家別挿絵点数」表参照。

奥付の記載事項
昭和五年六月十日印刷
昭和五年六月十五日發行
超現實主義と繪畫 【定価一圓五十銭】
著者  瀧口修造
發行者 東京市麹町區下六番町四十八番地
岡本正一
印刷者 東京市牛込區西五軒町二十九番地
溝口榮
印刷所 東京市麹町區土手三番町二十九番地
厚生閣印刷部
發兌  東京市麹町區下六番町四十八番地
厚生閣書店
振替  東京五九六〇〇番
電話  九段三二一八番

図1図1
『超現実主義と絵画』初版


解題
表紙のアルファベット部分のタイポグラフィーは原書を踏襲しています。並べてみると一目瞭然です(図2)。刊行当時、瀧口は27歳。慶應義塾大学文学部英文科に在学中でした。英語に堪能だったのはもちろんですが、「シュルレアリスム革命」誌などを購読していたのですから、フランス語もかなりのレベルにあったのは間違いないでしょう。当時の大学生は今の大学院生かそれ以上の学力があったのかもしれませんが、それにしても学部の学生が、しかも仏文科でなく英文科の学生が、ブルトンの原書を翻訳(原書初版の全訳)したという事実に、まず驚かされます。

図2図2
訳書とアンドレ・ブルトン『シュルレアリスムと絵画』初版本


といっても、もちろん翻訳には難渋したようで、刊行から32年後の1962年10月8日に、母校の県立富山高校(図3)で行った講演「美というもの」のなかでこの翻訳について触れ、「まるで方程式でも解くみたいに」意味を考えたことや、分からないところをフランス人の先生に(友人を介して)質問したところ、「こんなフランス語はない」と言われたことなどを回想しています(「瀧口修造の光跡」展 I カタログに講演録を収録。参考図)。

図3図3
瀧口在学当時の富山中学(『富中富高百年史』、富山高等学校創校百周年記念事業後援会、1985年10月)


参考 美というもの参考図
瀧口修造の光跡機嵌というもの」展カタログ


挿絵点数は全体で50点と、原書の77点からおよそ3分の2に減らされています。作家別の点数は下表のとおりです。もともと掲載点数の多いピカソとデ・キリコは、削減点数も多い一方、エルンストミロは削減点数が比較的少なく、タンギーは全く削られていません。その理由はいろいろに想像されるでしょう。ダリとマグリットは取り上げられていませんが、これは原書の執筆・刊行がこの二人の登場前だったからと思われます(原書の刊行は1928年。「シュルレアリスム革命」誌上での連載は1925〜27年)。

表 作家別挿絵点数
表


ところで瀧口は、三一新書『私の人生を決めた一冊の本』(三一書房、1972年12月)のなかで、「超現実主義との出会い」との題のもと、ブルトン『シュルレアリスム宣言』を採り上げています(図4)。超現実主義が瀧口の人生を決めたという意味で、『宣言』が挙げられるのは当然でしょう。けれども、「人生の節目ないし転換点となった」という意味では、本書『超現実主義と絵画』の方が、その痕跡がより具体的で明確なように思われます。

図4図4
『私の人生を決めた一冊の本』


例えば「自筆年譜」1932年の項(「本の手帖」特集瀧口修造、昭森社、1969年8月、図5)では、以下のように回想されています。本書がシュルレアリスムに関心を持つ美術家たちの間で広く読まれ、後に彼らが結成した「新造型美術協会」などのグループを指導する立場へと瀧口を導くことになったのは明らかでしょう。

「古賀春江からブルトンの『超現実主義と絵画』の訳を読んだ感想をのべた手紙を貰う。一度訪ねるが不在、ついに会わずじまいであった。」

図5図5
「本の手帖」」特集瀧口修造表紙


さらに重要と思われるのは、本書に訳出した内容そのもの、とりわけ以下に引用する一節が、その後も瀧口自身のシュルレアリスム絵画論に繰り返し引用され、シュルレアリスム絵画に関する考え方のいわば柱となっていることです。

「視覚的影像を固定せんとする欲求は、その影像がそれらの固定よりも先在的であると否とを問はず、常に外面化され、私には他のもの以上に人工的であるとは思はれぬ一つの真実の言語の形成に到達する、そしてその原因に就ては遅疑することは無益であろう」(『超現実主義と絵画』)

具体的に述べればこの一節は、『超現実主義と絵画』刊行の6年後に、美術雑誌「みづゑ」379号(1936年9月、図6)の巻頭を飾った「超現実造型論」の冒頭部に引用され、全体を貫く中心的な命題とされています。余談になりますが、「みづゑ」同号の口絵は前年12月に結婚した瀧口綾子によるものです(図7)。

図6図6
「みづゑ」379号


図7図7
瀧口綾子口絵


この「超現実造型論」は、翻訳・紹介や展評などを除けば瀧口初の本格的な美術評論ないしシュルレアリスム論といえる論考で、これを抜粋再録したのが、2年後に三笠書房から刊行された『近代藝術』(図8)のシュルレアリスム論「シュルレアリスムと絵画」です。もちろん上の一節は、その冒頭に引用されています。つまりこの一節は、瀧口にとって『超現実主義と絵画』全体のなかでもシュルレアリスム絵画の本質に関わる、原点ともいえる命題だったのではないでしょうか。年を経るあいだも絶えずそこに立ち戻り、実作や写真図版を観たり他の文献などを読んだりしながら、その意味を実感するうちに、訳文も次第にこなれていったものと思われます(煩雑になるので引用は省略します)。

図8図8
『近代藝術』初版


もちろん、「超現実造型論」(図9)では、この一節の前に、前置きとして次のように述べられ、美術の領域に限定してシュルレアリスムを考えることの危険性を指摘している点は見落とせません。またこの論考では、本訳書刊行後に登場し、シュルレアリスムの新たな展開の契機となったダリについても、比較的詳しく述べられている点も、付け加えておきます(図10)。

「超現実主義を、造型的領域の関連においてのみ考えることは、或る種の根本的な危険を犯すものである。詩的領域といい、哲学的領域といい、あらゆる領域が、誤った専門化、純粋性を固守することは、現世紀の、一つのもっとも大きな不幸を暗示するものであろう」(「超現実造型論」)

図9図9
「超現実造型論」


図10図10
ダリ「フロリダに於ける今夏の想像的暗示」と瀧口修造のコメント


1950年代後半にはアンフォルメル芸術が大きな潮流となりましたが、これに対する瀧口の見解ないし関わり方でも、上に引用した一節がその基底で作用しているように思われます。前出「自筆年譜」(図11)1958年の項には次のように記されています。

「アンフォルメル芸術と現象的に呼ばれた傾向のなかに、自分にとってある本質的な問題にかかわるもののあることを感じる。しかもそれが長くシュルレアリスムが自分を捉えてきたものと終局において背馳すべきではないという確信のもとに。しかもそれは画壇的な消長や流行現象とは無関係に自分の内部に浸透し、現にとりつつある批評の形式を瓦解させるような危機意識をはらむ」

図11図11
「自筆年譜」


60年代に入ると瀧口は時評的な美術評論の執筆を避けるようになり、替わってさまざまな造形の試みを開始しましたが、そこにおいてもこの命題が意識されていたのは間違いないと思われます。つまり引用の一節は、1930年の翻訳後も瀧口自身が絶えずその意味を問い返し、自ら実践しようとした命題といっても良いでしょう。このような意味で、この一節を含む『超現実主義と絵画』は、その後の瀧口の「人生を決めた一冊の本」と呼ぶにふさわしいと思われます。

最後にご案内をひとつ。
瀧口修造研究会会報「橄欖」第4号が刊行されました(奥付の発行日は7月1日付け)。

表紙表紙


表紙は上図のような、光沢ある青となりました。材質より色味を優先したのでしょう。

執筆者は掲載順に、霧山深、岩崎美弥子、山腰亮介、永井敦子、朝木由香、島敦彦、嶋田美子、藤澤顕子、石原輝雄、野海青児、宮井徹、山口馨、三谷風子、高島夏代、尾山景子、高橋修宏、伊勢功治、小生の18名で、論考、随想、詩、創作など、211頁です。

目次目次


ときの忘れもので扱っていただいております。頒価1,500円(送料250円)です。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
V-37(042)瀧口修造 《V-37》
デカルコマニー
Image size: 14.2x12.3cm
Sheet size: 26.3x19.2cm
※『瀧口修造の造形的実験』(2001年)No.203と対
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆銀座で関根伸夫展が開催中です。
会場:銀座・ギャラリーせいほう
会期:2018年6月18日[月]―6月29日[金] ※日曜休廊
関根伸夫先生はこの展覧会のためにロサンゼルスから帰国されました。在廊予定は下記の通りです。
21日(木)午後から
22日(金)午後3時から、夕方6時頃まで
23日(土)12時から、夕方5時頃まで
27日(水)午後1時から、夕方5時頃まで
28日(木)午後1時から、夕方5時頃まで

あくまで予定なので、詳しくは画廊までお問い合わせください。
関根伸夫展_Gせいほう_案内状

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銀座ギャラリーせいほう外観(撮影:佐藤毅)
*関根伸夫の新作絵画「空相ー皮膚 Phase of nothingness-skin」のためのノートをお読みください(6月20日ブログ)。
オープニングの様子は6月22日のブログに掲載しました。
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左から《Phase of Nothingness - Skin14》《Phase of Nothingness - Skin3》《Phase of Nothingness - Skin15》(撮影:佐藤毅)

180618関根伸夫_gせいほう_11_TS(撮影:佐藤毅)

◆ときの忘れものは移転一周年謝恩企画70-80年代を彩ったポスター繚乱を開催しています。
横尾忠則がビクターの、ナム・ジュン・パイクがソニーの、エットレ・ソットサスが佐田建設のポスターを手がけた1970〜80年代はまさにグラフィックの時代でした。名人刷り師岡部徳三が美学校でシルクスクリーン教室を開き、そこで育った石田了一が天井桟敷のポスターを手刷りします。かたや印刷技術の粋を尽くした杉浦康平の華麗なポスターが時代を彩りました。
出品リストと詳細な画像は6月11日ブログに掲載しました。記載の頒布価格(千円〜)は会期中のみの謝恩価格です。
また元永定正、オノサト・トシノブ、菅井汲などの版画小品を特別価格(1万円均一)にて頒布します。
会場:ときの忘れもの
会期:2018年6月12日[火]―6月30日[土] ※日・月・祝日休廊
出品作家:靉嘔、磯崎新、猪熊弦一郎、内間安瑆、加納光於、草間彌生、栗山豊、黒田征太郎、白髪一雄、菅井汲、杉浦康平、関根伸夫、田名網敬一、野中ユリ、花輪和一、福田繁雄、細江英公、宮脇愛子、元永定正、横尾忠則、吉田克朗、李禹煥、E.ソットサス、アルバース、J.ジョーンズ、A.ウォーホル、クリスト、マーク・コスタビ、フォロン、フォンタナ、M.グレイヴス、ル・コルビュジエ、サム・フランシス、D.ホックニー、白南準、ポリアコフ、J.ミロ、ボイス、マン・レイ、K.へリング、イブ・サンローラン、オルデンバーグ、 他、
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「柳正彦のクリスト新作報告会」を開催します
日時:2018年7月12日(木)18時
会場:ときの忘れもの(駒込)
地図:https://goo.gl/maps/VezVggChfaR2
参加費:1,000円
要予約:必ず「件名」「お名前」「住所」を明記の上、メールにてご連絡ください。
E-mail. info@tokinowasuremono.com
柳正彦さんがクリストの新作、ロンドンのハイドパーク内の湖に浮かべるマスタバ(ドラム缶の構築物)に参加してきましたので報告会を開催します。
Christo_09 (1)クリストとジャンヌ=クロード
《マスタバ》
2006 オフセットリトグラフ
Image size: 27.2x34.7cm
Sheet size: 40.8x50.0cm
クリストとジャンヌ=クロードのサイン入り

柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は毎月5日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・光嶋裕介のエッセイ「幻想都市風景の正体」は毎月13日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・鈴木素直のエッセイ「瑛九・鈔」(再録)は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「TOKYO NETURE PHOTOGRAPHY」は毎月19日の更新です。
 ・柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
 ・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・植田実のエッセイ「本との関係」は毎月29日の更新です。
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 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
  エッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・西岡文彦のエッセイ「現代版画センターの景色」は全三回、1月24日、2月14日、3月14日に掲載しました。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は終了しました。
 ・関根伸夫のエッセイ「〈発想〉について[再録]」は終了しました。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は終了しました。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は終了しました。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は終了しました。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は終了しました。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第1回

新連載・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

 今回から瀧口修造の著書・訳書などを順次取り上げ、体裁や奥付の事項などを記したうえで解説します。存命中の単行本を対象とし、美術全集や事典、雑誌、手作り本などは差し当たり対象外とします。お気付きの点はどうぞご指摘ください。

1.西脇順三郎『超現実主義詩論』
18.2×13.8僉併溶使愁侫薀鵐港)
本文168頁、目次4頁、索引8頁
口絵として、「詩人の肖像」「PANTHEON」と表記され、シェイクスピアとボードレールの肖像が掲載されています(ボードレールの肖像はナダール撮影の写真。ナダールには風刺肖像画の連作「パンテオン・ナダール」があります)。

奥付の記載事項
昭和四年十一月十日印刷
昭和四年十一月十五日発行
超現實主義詩論 【定価一圓二拾銭】
著者 西脇順三郎
発行者 東京市麹町區下六番町四十八番地
岡本正一
印刷者 東京市牛込區西五軒町二十九番地
溝口榮
印刷所 東京市牛込區早稲田鶴巻町四百三番地
厚生閣印刷部
發兌 東京市麹町區下六番町四十八番地
厚生閣書店
振替 東京五九六〇〇番
電話 九段三二一八番

図1図1
『超現実主義詩論』初版


解題
 『超現実主義詩論』は「現代の藝術と批評叢書」第14編として厚生閣書店から刊行されました。著者は瀧口ではなく西脇順三郎ですが、以下に引用する著者序文のとおり、瀧口の貢献は明らかですし、おそらく初めて本作りに関わった貴重な一冊と思われますので、連載第1回に採り上げることとしました。

「序
本書に印刷したものは第十九世紀文學評論の一節である。
殊にCh. Baudelaireを中心として感じたことを單に記述したものである。記述によって構成した世界は論理と體系によって支配されない單に記述によって表現せんとして企てた世界に過ぎない。
BaudelaireのSurnaturalismeに関聯して、二十世紀のSurréalismeに及んだ。けれども最近の發展變化の事狀は本書に附加した瀧口修造氏の論文を有益なものと信ずる。
本書中にて私の書いたものは以前「三田文學」及び「詩と詩論」に出たものであるが、それを修正して再び本書に入れた。
是等の修正と校正の全部は瀧口修造氏がなした。この勞力に感謝します。
著者」


図2図2
同書序文


 当時、瀧口は26才、慶應義塾大学英文科の学生として西脇の指導を受けていました。校正・修正だけでなく、補論「ダダよりシュルレアリスムへ」の執筆を任されたのは、いかに信頼が篤かったかを示すものでしょう。補論は本文168頁のうち、131頁以降の38頁(18%強)を占めています。序文で特に触れられていませんが、130名近くに及ぶ人名索引も、おそらく瀧口が作成したものと思われます。

図3図3
補論「ダダよりシュルレアリスムへ」


図4図4
索引頁


 序文に明記されているとおり、本書の内容は、「超現実主義の詩論」というよりもむしろ、ボードレールの「超自然主義」を中心に19世紀文学を対象とするもので、この叢書の刊行当初は、単に「『詩論』J・N」として刊行が予定されていました(図5)。『超現実主義詩論』という題名は叢書の編集責任者春山行夫の意向によるものでしょう(後述)。

図5図5
「現代の藝術と批評叢書」第3編 北川冬彦訳マックス・ジャコブ『骰子筒』裏表紙カバー(上から6番目が「『詩論』J・N」。「超現実主義詩と詩論」とのサブタイトルあり)


 題名と内容との齟齬はもちろん西脇も承知しており、打開策として瀧口に委嘱されたのが、補論執筆だったと思われます。指導教授として瀧口の勤勉さを目の当たりにし、前年3月に発表していた「シュルレアリスムの詩論に就いて」(文藝春秋「創作月刊」。図6,7)にも目を通していたはずですから、この運動についての瀧口の認識と洞察に、一目置いていたのでしょう。西脇の本文は雑誌記事の再録ですから、これだけなら単行本化は比較的容易だったと思われますが、実際の刊行が半年ほど遅れて6番目から14番目となったのは、補論の脱稿を待ったためかもしれません。

図6図6
「創作月刊」表紙


図7図7
同「シュルレアリスムの詩論に就いて」


 上で触れましたが、本書を『超現実主義詩論』と命名したのは編集責任者の春山行夫と思われます。というのも、春山が実質的な編集人となって同じ厚生閣書店から刊行していた季刊誌「詩と詩論」では、「レプリ・ヌーヴォー」と並んで「超現実主義」の紹介に力を入れており、「現代の藝術と批評叢書」でも、本書に続いて「超現実主義」を題名に含む以下のようなラインナップの刊行が予定されていたからです(再掲図5)。

図5再掲図5


超現実主義宣言 附詩集『溶ける魚』アンドレ・ブルトン北川冬彦訳(図5上から9番目)
超現実主義のスタイル論ルイ・アラゴン瀧口修造訳(同10番目)

 余談になりますが、多くの新進文学者を「詩と詩論」や続く「文学」に糾合して最先端の詩や詩論を掲載し、それらを編集・再録して詩集や叢書を刊行した、編集者春山行夫の手腕は見事というほかありません。ここを拠点にいわゆる「モダニズム文学」の大きな潮流を造り出したのは、春山の不朽の功績といえるでしょう。反面、シュルレアリスムもレスプリ・ヌーヴォーも峻別しないまま「モダニズム」と一括りにする傾向が、今なお一部に見られるとすれば、その元祖、いや元凶も春山行夫と言わなければならないかもしれません。

 さて、ここで注目されるのは上のラインナップ中の『超現実主義のスタイル論』です。「衣裳の太陽」及び「詩と詩論」に瀧口が連載していたアラゴン『文体論』の訳稿を単行本化する計画だったのでしょう(図8)。『文体論』はシュルレアリストだった時期のアラゴンの(おそらく『パリの農夫』と並ぶ)代表作で、瀧口は単に翻訳しただけでなく、自らの詩作にも多くのものを吸収しているように思われます。例えば「地球創造説」以降の、命題を敷衍し畳み掛けるような饒舌な語り口などは、その最たるものでしょう。

図8図8
『超現実主義詩論』巻末の「詩と詩論」広告頁


 補論「ダダよりシュルレアリスムへ」のなかでも瀧口は、当時のアラゴンについて「唯一の形而上学者」と呼び、その作品をブルトンの「影像の光線」、エリュアールの「愛の力学」と並ぶ、超現実主義のテクストの典型の一つに位置付けています。別のところで論じましたのでここでは詳述しませんが(註)、当時の瀧口にとってのアラゴンの重要性は、もう少し認識されてよいと思われます。この点で『超現実主義のスタイル論』が未刊に終わったのはまことに残念です。

註 「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」第6〜8号、洪水企画、2010年7月〜2011年7月。参考図)参照

参考図参考図
「洪水」第7号


 その後、この補論は金星堂から「分冊現代詩講座」の一冊『ダダと超現実主義』として刊行されました(図9,10)。戦後、せりか書房から刊行された『シュルレアリスムのために』にも、「ダダと超現実主義」として巻頭に再録されています。瀧口の詩的テクストを考察するうえで、第一に参照されるべき論考と思われます。

図9図9
瀧口修造『ダダと超現実主義』(金星堂、1933年1月)


図10図10
同裏表紙(表紙・裏表紙のデザインは後年の『画家の沈黙の部分』などの自装本を想起させます)


 冒頭で述べましたが、この『超現実主義詩論』は、瀧口が本作りに初めて関わった点で唯一の本であるわけですが、「ダダよりシュルレアリスムへ」という重要な論考の初出文献である点でも、無二の一冊といえるでしょう。連載第1回に採り上げたのもこのためです。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180523_023瀧口修造
《III-28》
デカルコマニー
イメージサイズ:16.0×11.5cm
シートサイズ :17.7×12.7cm

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日時:2018年6月23日(土)13時高崎駅集合
inoue_house1952年竣工の旧井上房一郎邸
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◆ときの忘れものは没後70年 松本竣介展を開催しています。
会期:2018年5月8日[火]―6月2日[土]
11:00-19:00  ※日・月・祝日休廊

ときの忘れものは生誕100年だった2012年に初めて「松本竣介展」を前期・後期にわけて開催しました。あれから6年、このたびは素描16点による「没後70年 松本竣介展」を開催します。
201804MATSUMOTO_DM

「没後70年 松本竣介展」出品作品を順次ご紹介します
27出品No.23)
松本竣介
《作品》

紙にインク
Image size: 34.2x24.5cm
Sheet size: 38.3x27.0cm
※『松本竣介展』(2012年、ときの忘れもの)p.13所収 No.27


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●本展の図録を刊行しました
MATSUMOTO_catalogue『没後70年 松本竣介展』
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 
テキスト:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
作品図版:16点
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
税込800円 ※送料別途250円



◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は毎月5日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・光嶋裕介のエッセイ「幻想都市風景の正体」は毎月13日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・鈴木素直のエッセイ「瑛九・鈔」(再録)は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「TOKYO NETURE PHOTOGRAPHY」は毎月19日の更新です。
 ・柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
 ・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・植田実のエッセイ「本との関係」は毎月29日の更新です。
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 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
  エッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・西岡文彦のエッセイ「現代版画センターの景色」は全三回、1月24日、2月14日、3月14日に掲載しました。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は終了しました。
 ・関根伸夫のエッセイ「〈発想〉について[再録]」は終了しました。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は終了しました。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は終了しました。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は終了しました。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は終了しました。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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新連載・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第0回

新連載・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

第0回 瀧口修造の本/瀧口修造とマルセル・デュシャン補遺3


口上
 「瀧口修造の本」という表題のもと、著書・訳書などについて連載するよう、綿貫不二夫氏から依頼され、毎月23日に登場することになりました。簡潔を旨としてまとめますので、お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
今回は以前連載していた「瀧口修造とマルセル・デュシャン」の「補遺3」も兼ねて、昨年開催された「瀧口修造・岡崎和郎二人展」のカタログ《to and from Kazuo Okazaki / to and from Shuzo Takiguchi》についてご紹介します。

1.《to and from Kazuo Okazaki / to and from Shuzo Takiguchi》
 この「瀧口修造・岡崎和郎二人展」は、マルセル・デュシャン生誕130年を記念して、2017年1月7日(土)〜2月12日(日)に、京都の画廊ozasa kyotoの企画展として開催された展覧会でしたが、私のコレクション展「瀧口修造の光跡」の第5回でもありました(以前の連載「瀧口修造とマルセル・デュシャン」の「補遺」参照)。

図1図1
瀧口修造・岡崎和郎二人展 会場写真1(撮影:土渕信彦。以下同じ)


図2図2
同2


 展示点数40点と小規模ながら、デュシャン生誕130年(あるいは「泉」100年)に因むさまざまな企画の、露払いの役割は果たせたのではないかと自負しております。開催地が瀧口にとってアウェイ(?)である京都だった上、天候にもあまり恵まれませんでしたが、熱心な来廊者が後を絶たず、3回開催したイベントも大盛況でした。たいへんありがたく思っております。

図3図3
瀧口修造・岡崎和郎二人展 会場写真3


図4図4
同4


 そしてこのたび、同展のカタログ《to and from Kazuo Okazaki / to and from Shuzo Takiguchi》が刊行されました。ozasa kyotoを運営しているARTOFFICE OZASA Inc.が1年がかりで編集に当たり、刊行に漕ぎ着けたものです。同画廊の企画展ですので、カタログ制作に関してもお任せすることとし、私は展覧会開催前にいくつかの提言・助言をした以外、まったく関与しませんでした。これが奏功したのでしょう、たいへん美しいカタログが出来上りました。用紙の色違いにより白版とクリーム版の2種があり、甲乙つけがたい仕上がりと思います。

図5図5
岡崎和郎側表紙(左:白版、右:クリーム版)


図6図6
瀧口修造側表紙(同)


 全体は岡崎作品の部と瀧口作品の部の2部で構成され、頁番号(ノンブル)こそ岡崎側から打たれていますが、瀧口側・岡崎側のどちらも表表紙といえる、どちら側から開けてもそのまま見ていくことができる造本となっています。すなわち、岡崎側は縦組右開けで、表紙を開けると見返しに瀧口が岡崎に捧げた序詩「彼の微笑、それから」が現れ、瀧口側は横組み左開けで、表紙を開けると同じく序詩”His smile, and”が現れます。どちら側も作品図版頁、作家略歴、作品リストが続き、開催趣旨の頁および奥付頁が真中に配ざれています。なお、二人の共作「檢眼圖」の図版は開催趣旨の頁に掲載されています(図12参照)。

図7図7
「彼の微笑、それから」


図8図8
“His smile, and”


 瀧口・岡崎とも実作の要所要所に赤色が用いられていることに応じたものと思われますが、各頁とも刷りを墨と赤の2色に絞り(瀧口作品頁の地色であるクリーム色を含めると3色)、墨の濃淡を基調に、所々で赤色が配されています。どの頁も研ぎ澄まされた感覚により見事に洗練されています。

 表紙を貼り込みにし、しかし綴じの部分はあえて貼らず、表紙を開けると背の内側に隙間ができるようにするという、手の込んだ綴じ方が採用されています。その隙間から表紙裏に配された赤色が顔を覗かせ、まるで着物の裾からちらりと襦袢が見えるような、エロティシズムを感じさせます。頁を繰るたびに斬新さに目を瞠らされ、全体を通じて衝撃的な存在感があります。

図9図9
岡崎和郎図版頁1


図10図10
瀧口修造図版頁1


 以上のような全体の構成・設計およびデザインは、国立国際美術館や京都国立近代美術館のカタログも担当されている大御所の西岡勉氏によるもので、「素晴らしい!」という以外に言葉が見当たりません。

図11図11
開催趣旨頁(和文)


図12図12
同(英文)


 このデザインに大きく貢献しているのが山本糾氏撮影の写真と思われます。2010年9月〜11月に神奈川県立美術館で開催された「岡崎和郎展 補遺の庭」の際にも撮影を担当されており、岡崎作品の撮影者としてこれほど適任の方は考えられません。本展のためにozasa kyotoでの撮影に立ち会わせていただきましたが、カタログ写真の圧倒的な説得力を目の当たりにし、改めてお仕事の緻密さを認識させられた次第です。

図13図13
岡崎和郎図版の頁2


図14図14
同3


 瀧口の平面作品の図版は、土渕が提供したカラー・ポジフィルムに基づいています。オブジェではなく平面なので、岡崎側から頁を繰って行くと、さすがに2色では物足りない印象もありますが、クリーム色の地色が、実作のさまざまな色彩やニュアンスを想像させ、見事に補っています。なお、瀧口作品の図版頁は、白版でもクリーム版同様、地がクリーム色に彩色されています。

図15図15
瀧口修造図版頁2


図16図16
同3


 瀧口、岡崎ともに、近年ますます海外から熱い視線が注がれていますが、このカタログでは、開催趣旨や瀧口による序詩はもちろん、作品名、作家略歴、展示リスト、開催趣旨、奥付に至るまで、英文・和文の2ヶ国語で表記されており、海外からの注目にも応えられるでしょう。自らの所蔵品によって企画展が開催されただけでなく、このような美しいカタログまで制作していただけて、まさにコレクター冥利につきます。展覧会を開催し、カタログの制作者であるARTOFFICE OZASA Inc.の小笹義朋氏、並びに小笹氏を紹介してくださった畏友のマン・レイ・イスト石原輝雄氏に、心より感謝申し上げます。

2.奥付データなど
 白版・クリーム版とも菊判65頁(縦220×横150×厚さ10弌砲如奥付データは以下のとおりです。なお刊行部数並びに価格の表記はありませんが、白版・クリーム版各500部、1冊各3000円(税込み)と聞いています。

編集:ARTOFFICE OZASA Inc.
写真:山本 糾 No.1〜No.3, No.5, No.6, No.10, No.12〜No.18, No.20, No.21
写真提供:土渕信彦 No.22〜No.36, No.39, No.40’ ときの忘れもの No.38
翻訳:渡辺真也
デザイン:西岡 勉
印刷:株式会社スイッチ・ティフ+クラフティー・デザイン

発行日:2018年1月
発行:ARTOFFICE OZASA Inc.
〒602-8216 京都市上京区竪門前町414 西陣産業会館207(西陣織会館西館)
TEL:075-417-4041 E-mail:mail@artozasa.com URL:www.artozasa.com

つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180423_takiguchi2014_II_29瀧口修造
《II-29》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.3cm
シートサイズ :19.4×13.2cm
※II-30と対


20180423_takiguchi2014_II_30瀧口修造
《II-30》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.5cm
シートサイズ :19.3×13.2cm
※II-29と対


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●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年 ときの忘れもの 発行
21.5x15.2cm 92ページ
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
ハードカバー 英文併記
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円


表紙『瀧口修造展 I』
2014年 ときの忘れもの 発行
21.5x15.2cm 76ページ
テキスト:土渕信彦、瀧口修造(再録)
ハードカバー 英文併記
翻訳:ポリー・バートン
デザイン:北澤敏彦
図版:水彩、ドローイング、ロトデッサンなど44点
価格:2,000円(税別) ※送料別途250円

表紙『瀧口修造展 II』
2014年 ときの忘れもの 発行
21.5x15.2cm 67ページ
ハードカバー 英文併記
テキスト:大谷省吾、瀧口修造(再録)
翻訳:ポリー・バートン
デザイン:北澤敏彦
図版:デカルコマニー47点
価格:2,000円(税別) ※送料別途250円

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◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦  埼玉県立近代美術館「版画の景色―現代版画センターの軌跡」展を見て

埼玉県立近代美術館「版画の景色―現代版画センターの軌跡」展を見て

土渕信彦


去る2月15日、埼玉県立近代美術館で開催されている「版画の景色―現代版画センターの軌跡」展を観てきた。同展についてはすでにこのblogでも、現代版画センターの機関誌に寄稿されていた植田実先生をはじめ、草創期に参加されていた西岡文彦氏や、当時からコレクターとして関わって来られた荒井由泰氏、ときの忘れものから版画をエディションしている建築家の光嶋裕介氏、国立近代美術館美術課長の大谷省吾氏らによって詳細かつ的確に紹介されているので、実際に関わりがあったわけでもなく、専門の研究者でも作家でもない私が今さら寄稿しても、屋上屋を重ねることにしかならないのだが、たいへんインパクトのある展覧会だったので、以下に感想をまとめる。

1.展示と図録について
会場に入るとまず展示されているのは靉嘔のシルクスクリーンだった。3色で摺った「I love you」、多色の「大きな透明な木」をはじめ、どの作品も今刷り上がったばかりのように初々しい。靉嘔といえば誰しもがあの虹色を思い浮かべると思うが、改めて「こんなに美しかったのだ!」と驚かされる。これこそ実作に接した者のみが抱くことのできる感動に他ならず、図録や画集を見ただけでは決して味わうことができないだろう。
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靉嘔「大きな透明な木」 撮影:酒井猛

この「いま刷り上がったばかりのように美しい!」という印象は、続いて展示されている木村光佑、高柳裕木村利三郎関根伸夫や、まとまった点数が展示されているオノサト・トシノブ大沢昌助菅井汲元永定正らの作品にも、総じて共通している。磯崎新の作品は今見ても時代を超越した未来性を感じさせるが、逆に島州一の作品は、まとめて観る機会があまりないためか、いかにも70年代を思わせる。良く知られたA.ウォーホール「キク」、草間彌生「カボチャ」はもちろん、加山又造「レースをまとった人魚」、舟越保武「若い女」までが、現代版画センターのエディションだったのだと、改めて驚かされた。

会場をひとわたり歩いて作品を通覧すると、写真集をめくっていくのと同様、70〜80年代の時代性が感じられる。現代版画センターが活動していた1974〜85年に、刷り師が紙の上に定着していたのは、単に版画作品というだけでなく、当時の時代そのものだったのかもしれない。展覧会のタイトルも、「版画の景色」というよりはむしろ、版画を通して見た「時代の光景」と言った方が相応しいように感じられる。

時代性を強く感じるのは、作品の傍らに掲げられている作家解説の小パネルのためかもしれない。コンパクトにまとめられているが、美大の学長になった作家、禅僧となってハワイに渡った作家など、どの作家についても、現代版画センターとの関わりに止まらず、その後の人生までに及んだ、射程の長い、眼配りの行き届いたコメントが付されており、展示自体に重層的な厚み、奥行き、膨らみを与えている。

図録も出色の出来栄えで、基本資料として後世に残る内容だろう。「A.テキスト・ブック」「B.ヴィジュアル・ブック」「C.アトラス」の3分冊、収納ケースにも写真や資料の一部が再録されているので、これを含めると4分冊からなる。Aにはエディション作品総目録、「現代版画センターニュース」総目録、主要刊行物目録、さらには当時の関係者を対象とするアンケートまで収録されている。関根伸夫をはじめとする作家、刷り師、会員、スタッフなどの証言は貴重と思われる。Bには展示されたエディション作品の図版が収録され、さらに「作家略歴」として上述「解説パネル」の記述が再録されている。展示されなかったエディション作品の図版まで掲載されていれば、カタログ・レゾネとなっていたところだ。せっかくAに作品総目録を収録したのだから、是非とも期待したい。Cは現代版画センターの「組織運営年表」「個別事項年表」、さらには全国の「主要活動拠点分布図」が掲載されている。この分布図は同心円状に図案化されており、全国的に展開した状況が見事にヴィジュアル化されている。

埼玉カタログ

展示作品を選定したのは、もちろん展覧会の企画者である美術館側だそうで、魅力的な作品が選ばれているのは確かだろう。植田実先生の「どの順序で見ても構わない花園」との評のとおり、順路を作らずブース間を自由に移動できる展示構成もたいへん効果的と思われる。とはいっても展示作品は280点近くに上り、現代版画センターの活動期間(約11年)の間にエディションした、約80名の作家による700点以上の作品の3分の1以上をカバーしているのだから、飛び抜けて良い作品ばかりが選ばれたわけでもないだろう。同センターがエディションした版画作品として平均的ないし平均よりやや高めの水準の作品が展示されている、というのが実態に近いのではなかろうか。

活動期間中に、年平均60〜70点、毎週1点以上というハイ・ペースでエディションしたにもかかわらず、それらが今でもこうした魅力に溢れているのは、その水準自体がコンスタントに高かったことを物語っている。これはやはり驚くべきことだろう。こうした良質の作品を全国に送り出した現代版画センターの、版元としてのレベルの高さを認識させられた。

しかしながら、多彩な作家の版画をエディションし、全国に普及させようとした現代版画センターの試みは、単に版元としてレベルが高かっただけではない。全国の画廊などの流通拠点を組織化し、共同版元としてエディションしながら販売する仕組みと、講演会やオークションなどを含む新たな購入層を開拓する普及活動とを一体化し、新しい流通の仕組みそのものを構築しようするという、画期的な試みであった。こうした新たな流通の仕組みを構想し、実現しようとした先駆性こそ、現代版画センターの真骨頂と思われる。

すでに1950〜60年代には公募展、アンデパンダン展、商業画廊、美術館などの既存の美術制度の限界が次第に表面化し、60年代後半から70年代には別の仕組みへと向かい始める流れがあったとすると、現代版画センターの活動もそうした流れの中に位置づけられるように思われる。60年代中頃から瀧口修造が抱いていた「オブジェの店」をひらく構想とシンクロするする部分も見えて来るかもしれない。

2.「パノラマ」と刊行物について
30〜40年後の今でも「美しい」と思えるのだから、当時、文字通り刷り上がったばかりのこれらの版画作品を観た全国の会員や購入者にとって、どれほど魅力的に感じられたことだろうか。全国各地に美術館が建設され、展覧会も頻繁に開催されている現在とは違い、当時は実作に接する機会は少なかったはずなので、かなり熱狂的に受け入れられたものと推測される。展示作品を見て「美しい」と感じるのは、当時の感動を共有し、追体験することに繋がるが、具体的な状況を想像するのはなかなか難しいところがある。

この点で、会場で上映されている「パノラマ」と呼ばれる3種のスライド集はたいへん貴重である。いずれも7分〜8分程度と、比較的コンパクトにまとめられているが、当時の熱狂的な様子がありありと伝わってくる。久保貞次郎、尾崎正教、針生一郎、関根伸夫らの面々も若々しく、誰もが「熱さ」を持っているのが判る。現代版画センターの企画に「軍師」として参画していた関根伸夫は、全国の会員組織の画廊で開催された島州一との二人展(1975年)に臨む若々しく颯爽とした姿が記録されている。1942年生まれだから当時33歳。若々しいはずである。ちなみに戦後美術の代表作の一つとして必ず挙げられる「位相―大地」を須磨離宮公園の第1回野外彫刻展で発表したのは、この二人展より7年前の1968年で、25〜26歳のことだった。もはや言葉を失う。

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映像、資料閲覧コーナー 撮影:タケミアートフォトス

また現代版画センターの事務局長を務めていた尾崎正教の、ジャケットをお洒落に着こなした姿も確認できる。当時の本職は小学校の美術教師だったそうだが、夏休み中にこうしたダンディな人物が、魅力的な版画作品をカルトンに詰め込んで全国を行脚して歩き、職業婦人などの新たな愛好家たちに熱烈に歓迎されたというのも頷ける。閲覧資料のなかに含まれた当時のガリ版刷の行脚スケジュール表が生々しい。確か1990年代の末頃、あるコレクターに誘われて訪れたアートフェアの会場で、尾崎正教本人にお目にかかったことがあるが、すでに白髪の長髪で額もかなり広くなっておられた。そのコレクターが私のことを「瀧口修造に拘っていて、作品もコレクションしている」と紹介すると、「わたくし美術館」の活動について熱っぽく語られたのを憶えている。

何年のシンポジウムか判らないが、パネリストとして参加している針生一郎の姿も記録されている。細身のネクタイこそ当時のスタイルだが、あご髭を生やした知的な風貌にはすでに大家としての存在感がある。こうした様々な映像を眺めていると、折にふれて綿貫夫妻から断片的に聞いていたエピソードが相互に関連し合い、具体的な歴史として筋道が浮かび上がってくるように感じる。

会場の書架に置かれている「画譜」「版画センターニュース」などの刊行物も実に興味深い。現代版画センターの刊行物の編集人でもあった尾崎正教のエッセイには、当時の販売側・購入側双方の熱狂ぶりが具体的に綴られている。その他、多彩な執筆者のコラムやエッセイなど掲載され、手に取って読み始めると止まらなくなる。谷川晃一の『毒曜日のギャラリー』や池田龍雄の『夢・現・記』など、後に単行本化された連載の初出までがこの刊行物だったとは、恐れ入るしかない。特に『毒曜日のギャラリー』は、単行本化された当時愛読した記憶があり、小杉武久、中西夏之、赤瀬川原平、坪内一忠などの項が印象的だったが、先日、芦屋市美術博物館の「小杉武久―音楽のピクニック」展を見てきたばかりなので、ついつい引き込まれ、読み耽ってしまった。当時のさまざまな出来事や交友なども想い出され、たいへん懐かしく感じた。

気が付くといつの間にか4時間近くが経過し、閉館間際になっていた。じっくり拝見しようと残していたA.ウォーホルとジョナス・メカスのコーナーに向かう。このコーナーは今回の展示会場でも特別な一角のように思える。現代版画センター直営の「ギャラリー方寸」を皮切りに、1983年6月から全国で連続的に、というより同時多発的に開催された「アンディ・ウォーホル全国展」と、同年7月に栃木県宇都宮市で開催された「巨大地下空間とウォーホル展」は、現代版画センターの絶頂期というのか、最後の輝きだったのかもしれない。

3.質へのこだわりの二面性
すでに触れた「いま刷り上がったばかりのように美しい」という印象に再び立ち戻ると、40年以上が経過している現在でもこう感じられるのは、基本的には、各作家の卓抜な構成力と刷り師の力量との相乗効果といえるだろう。とりわけ、岡部徳三、石田了一、森仁志をはじめ、刷り師の方々の出来栄え・品質への志向は相当に高かったものと拝察される。一流の腕を持つ技術者や職人の常として、インクや紙などの材料にもこだわり、良質で高価なものが使われたのではなかろうか。
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菅井汲・アクリル作品(マルチプル)とGUESTシリーズ(刷りはともに石田了一) 撮影:酒井猛

その一方、販売価格はというと、図録に収録された「アンケート」の柳正彦氏の証言によると、「一般の画廊よりも入手しやすい価格設定だった」そうで、リーズナブルだったようである。柳氏は学生当時からコレクションを開始し、同センターの事務所に出入りしているうちにスタッフとして働くようになり、さらにその後、渡米してクリストの片腕として活躍されている。良質の作品を安価に提供するというのは、販売拡大のために戦略的に採用された方針かもしれないが、需要がついて来なければ経費ばかり嵩み、不良在庫も増大するという危険性も内包する。現代版画センターの事業が有意義で志の高いものだったのは間違いないだろうが、リスクとも表裏一体の冒険的な試みでもあり、その内実は薄氷を踏むような綱渡りの状況だったのではなかろうか。実際、残念ながら85年2月に倒産するに至っている。

これは版元としてのコスト管理に問題があったのか、流通の仕組みの構築が不十分だったのか、最終需要者であるコレクターがついて来ず、市場自体が未成熟に止まったのか。タケミヤ画廊や読売アンデパンダン展について、活動の内容ばかりでなく、終了を余儀なくされた要因の解明が重要だとすれば、それと同様に、現代版画センターに関しても倒産に至った要因の解析が、今後の重要な課題として残されているだろう。なお、事務局次長として実際の運営に携わっていた綿貫不二夫は、倒産(自己破産)後に破産管財人によって債権者に対する配当が実施された後も、20年ほど残債の返済に努めたと聞いている。

4.おわりに
1970年代後半〜80年代中頃の私自身を振りかえると、毎週土曜日に神田神保町の古書店を廻って瀧口修造の単行本や初出雑誌・図録などを漁るか、あるいは銀座・京橋・浜松町あたりのいくつかの画廊を訪れるという生活を送っていた。この頃に現代版画センターの活動が視野に入っていたら、どうなっていただろうか?版画のコレクターとなって、蒐集の軍資金を確保するためにサラリーマン生活を長く続けていたかもしれない。あるいは柳正彦氏と同様に事務所を訪れ、その魅力の虜になって入り浸っていたかもしれない。著作を愛読していた廣松渉や高橋悠治などの名前も、同センターの関係者として出て来るし、同センターが事務所を置いていた渋谷には行きつけのカフェバーが在り、神保町から都営バスに乗って通っていたので、こうした可能性もかなりあったように思われる。

「版画の景色―現代版画センターの軌跡」展は、単に展示作品が魅力的だというだけでなく、このように自らの生き方についてまでもさまざまな感慨を催させる、たいへん見ごたえのある展覧会だった。2月20日に展示替されたと聞いているので、後期の展示も是非拝見したいと思う。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
現代版画センターと「ときの忘れもの」については1月16日のブログをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログをぜひご購入ください(2,200円)。
埼玉チラシメカス600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年〜1985年の11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。

【担当学芸員によるギャラリー・トーク】
日時:3月10日 (土) 15:00〜15:30
場所:2階展示室
費用:企画展観覧料が必要です。
【トークイベント】ウォーホルの版画ができるまで―現代版画センターの軌跡
日時:3月18日 (日) 14:00〜16:30
第1部:西岡文彦 氏(伝統版画家 多摩美術大学教授)、聞き手:梅津元(当館学芸員)
第2部:石田了一 氏(刷師 石田了一工房主宰)、聞き手:西岡文彦 氏
場所:2階講堂
定員:100名 (当日先着順)/費用:無料
〜〜〜〜
○<幾度もお知らせや画集に添えて御丁寧なお手紙を頂戴致しました。
昨日、美術館に行ってまいりました。作品も美しい館内で輝いて見えました。本人もさぞ幸せだろうと思います。
久し振りに大々的な作品群に触れて同行の友人達も満足して帰路につきました。
心からお礼申し上げます。
学芸員の方にも御丁寧なご挨拶をいただきました。

(20180302/出品作家のご遺族より)>

○<「版画の景色」展、何より首都圏の大きな展覧会で野田哲也作品が展示されたのはいつ以来だろう。やっぱり野田哲也もいつまでも私にとってはヒーローなのだ
(20180218/Kakkine Sato / 佐藤柿杵さんのtwitterより)>

○<「版画の景色」展には駒井哲郎を見に行ったのだが他に印象に残ったもの。木村光祐「リレーションM」、高柳裕「魚座」、島州一「ボートの女」、木村茂「森の道」三作、難波田龍起作品、本田眞吾作品など。コレクション展で丸山直文「garden No.3」を見ることが出来た。
(20180304/kentbitterさんのtwitterより)>

西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半〜トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。

光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について(1月28日ブログ)

荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て(1月31日ブログ)

スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)

毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。

倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)

嶋吉信さんのエッセイ〜「紙にインクがのっている」その先のこと(2月12日ブログ)

大谷省吾さんのエッセイ〜「版画の景色−現代版画センターの軌跡」はなぜ必見の展覧会なのか(2月16日ブログ)

植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ 第47回(3月4日ブログ)

塩野哲也さんの編集思考室シオング発行のWEBマガジン[ Colla:J(コラージ)]2018 2月号が展覧会を取材し、87〜95ページにかけて特集しています。

○月刊誌『建築ジャーナル2018年3月号43ページに特集が組まれ、見出しには<運動体としての版画表現 時代を疾走した「現代版画センター」を検証する>とあります。

○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号1983年のウォーホル全国展が紹介されています。

○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。

現代版画センターエディションNo.198 元永定正「白い光が出ているみたい」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
20180308元永定正
「白い光が出ているみたい」
1977年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
Image size: 61.0×47.0cm
Sheet size: 64.9×50.0cm
Ed.100  Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

パンフレット_05
出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄

臨時ニュース
五十殿利治(おむかとしはる)先生が、1930年代の日本の前衛芸術に目を向けた『非常時のモダニズム』(東京大学出版会)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されました。おめでとうございます。同書の表紙は瑛九のフォトデッサンが使われています。

ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサートのご案内
第7回 愛といのち

日時:2018年4月3日(火)18:00〜
会場:ときの忘れもの
出演:メゾ・ソプラノ/淡野弓子
   スクエアピアノ/武久源造   
プロデュース:大野幸
*要予約=料金:1,000円
予約:必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。

info@tokinowasuremono.com

◆ときの忘れものは「植田正治写真展ー光と陰の世界ーPart 供を開催します。
201803_UEDA
会場1:ときの忘れもの
2018年3月13日[火]―3月31日[土] 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊(但し3月25日[日]は開廊)

昨年5月に開催した「Part I」に続き、1970年代〜80年代に制作された大判のカラー作品や新発掘のポラロイド写真など約20点をご覧いただきます。

●書籍・カタログのご案内
表紙植田正治写真展―光と陰の世界―Part II』図録
2018年3月8日刊行
ときの忘れもの 発行
24ページ
B5判変形
図版18点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:800円(税込)※送料別途250円

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植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:800円(税込)※送料別途250円


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
20170707_abe06新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

土渕信彦「富山県美術館の開館」後編

瀧口修造とマルセル・デュシャン(補遺2)―富山県美術館の開館 [後編]

土渕信彦


展示室6はさらに2つの部屋に分かれ、手前の部屋には、旅先の記念品やアーティストから贈られたオブジェなどが、壁の裏側の部屋には主に瀧口本人や他のアーティストの平面作品が展示されている。手前の部屋の両側の壁面全体に本棚のような棚が設けられており、オブジェや記念品が、分けられた小棚の中に収納・展示されている(図15)。ガラス越しにひとつひとつ見ていくと、瀧口との関わりやエピソードが次々と思い出されて、なかなか先に進めない。小棚それぞれがジョゼフ・コーネルの箱のように見えて、心を打たれた。

図15
図15
瀧口修造の部屋のオブジェなど

展示棚には、「瀧口修造コレクション」および「瀧口修造の書斎」のパネルも掲げられている(図16,17)。これを読めば、予備知識のない一般の人でも、瀧口の人物像やオブジェ・記念品などに親しみを覚え、興味深く展示を観ることができるだろう。(実際に会場で、「名前は聞いたことがあったけれど、こんなにハイカラなおじいちゃんだったのね」という囁きを聞いた。)

図16 瀧口修造コレクション図16
パネル「瀧口修造コレクション」


図17 瀧口修造の書斎図17
パネル「瀧口修造の書斎」


壁の裏側の部屋には、瀧口自身のデカルコマニー連作100点の第1部や、友人の作家たちから贈られた平面作品、さらにはマルチプル「檢眼圖」も展示されている(図18,19,20)。照明が落とされ、美しくレイアウトされていた。

図18 連作100点図18
瀧口修造連作100点「私の心臓は時を刻む」より


図19 平面図19
瀧口修造の部屋の作品


図20 「檢眼圖」図20
マルチプル「檢眼圖」(岡崎和郎との共作)


一つ気になったのは、前出の「瀧口修造コレクション」Exhibition Room for Shuzo Takiguchi Collection、「瀧口修造の書斎」The Study of Shuzo Takiguchiというパネルである。デカルコマニー連作百点や「檢眼圖」などは「コレクション」ではないのだし、何よりも瀧口自身が「自分は蒐集家ではない」「部屋に在る作品やオブジェは、いわゆるコレクションや蒐集ではなく、一種の記念品である」という趣旨を、比較的有名なエッセイ「白紙の周辺」「物々控」「自成蹊」などで語っているのだから、タイトルと解説文中に用いられた「コレクション」「書斎」という言葉は、実態に合わないように思われる。この趣旨を述べた個所の引用も展示棚の中に掲示されているので(図21,22,23)、それなりの配慮が示されているのは確かだが、物事の通常の在り方に疑問を投げかけ、別の在り方を志向するところにこそ瀧口の真骨頂が顕れているとするなら、ありきたりの「コレクション」「書斎」という言葉は避けるべきではなかろうか。さまざまな記念品が集積していただけでなく、デカルコマニーなどの制作、「オブジェの店をひらく」構想、『マルセル・デュシャン語録』の刊行など、すべてがこの部屋の中で進められた点も視野に入れると、パネルのタイトルは「瀧口修造記念室」Exhibition Room for Shuzo Takiguchi、「瀧口修造の部屋」「瀧口修造のスタジオ」The Studio of Shuzo Takiguchiなどに改めた方が良いように思われる。

図21 白紙の周辺図21
パネル「白紙の周辺」


図22 物々控図22
パネル「物々控」


図23 自成蹊図23
パネル「自成蹊」


それはともかく、常設展示室が設置され、心のこもった展示がされていると確認できて安堵した。部屋を出ると、通路の右側にも展示室6の別室があり、ここにはバイオリニストのシモン・ゴールドベルク夫人でピアニストの山根美代子さんから寄贈されたゴールドベルク遺愛の美術品が展示されていた。

3階から屋上に上がると芝生の庭園になっており、樹脂製の雲のようなトランポリン「ふわふわドーム」などの遊具も置かれていた(図24)。屋上庭園全体がこの「ふわふわ」を敷衍して「オノマトぺの屋上」と命名されている。親子連れでにぎわっていた(図25)。なかなか眺望が良く、晴れた日には立山・剣岳・乗鞍岳なども見えるそうだが、この日はあいにく雲がかかって見えなかった(図26)。

図24 フロアマップ屋上図24
屋上フロアマップ(美術館ホームページより)


図25 屋上図25
屋上庭園


図26 屋上から図26
屋上からの眺め


最後に、企画展示「開館記念展 LIFE」にも簡単に触れておきたい。開催趣旨は以下のとおりである。

「開館記念展の第一弾として、アートの根源的なテーマである「LIFE」を「『すばらしい世界=楽園』をもとめる旅」ととらえ、「子ども」「愛」「日常」「感情」「夢」「死」「プリミティブ」「自然」の8つの章により構成し、国内外の美術館コレクションの優品を中心とした約170点を紹介するものです」(同館ホームページより)

展示リスト
http://tad-toyama.jp/wp-content/uploads/2017/07/6bd3241dbd2918e046a5cce21da783a8.pdf

素晴らしい企画展なので、是非ご覧になるようお勧めしたい(11月5日まで。水曜日休館)。上のリストでお判りのとおり、展示作品は全国各地の美術館から集められた名品ばかりだが、特に第5章に展示されたエーリッヒ・ブラウァー「かぐわしき夜」(新潟市美術館蔵)について、ご紹介したい。原題は単に「おやすみなさい」の意味だが、これを「かぐわしき夜」と訳したのは瀧口修造である旨の解説パネルが付され、以下の瀧口訳のブラウアーの言葉も引用されていた。このあたり、美術館の見識が感じられた。

「幸福なとき、わたしは2つ半の幼児のようにものを見る―信じられないような、怖ろしい、壮大なものが、わたしの頭上にただよっているのを見ることがある。―年を経るにつれて、われわれの眼はみずみずしさを失い、盲目同然になる。
私の目的は世界をほんとうにあるがままの姿に描くことだ―それは胸がわくわくするように絡み合い、花のように輝き、楽園のように壮大な景観なのだ。」(初出は青木画廊「夜想」展カタログ、1965年4月)

つちぶち のぶひこ

前編はこちら。

●展覧会のご紹介
チラシ1チラシ2


チラシ3チラシ4

「富山県美術館開館記念展 Part1 生命と美の物語 LIFE − 楽園をもとめて」
(同時開催:コレクション展 I)
会期:2017年8月26日[土] 〜11月5日[日]
会場:富山県美術館
時間:9:30〜18:00(入館は17:30まで)
休館:水曜日(祝日を除く)、祝日の翌日 ※11月4日は臨時開館

古来より現在まで、多くの作品が「生命=LIFE」をテーマに生み出されてきました。古今東西の芸術家たちがこのテーマに関心を持ち、作品を通してその本質を明らかにしようとしてきたのは、それが私たち人間にとってもっとも身近で切実なものであったからにほかなりません。      本展は、富山県美術館(TAD)の開館記念展の第一弾として、アートの根源的なテーマである「LIFE」を「『すばらしい世界=楽園』をもとめる旅」ととらえ、「子ども」「愛」「日常」「感情」「夢」「死」「プリミティブ」「自然」の8つの章により構成し、国内外の美術館コレクションの優品を中心とした約170点を紹介するものです。ルノワールなどの印象派から、クリムト、シーレなどのウィーン世紀末美術、ピカソ、シャガールなどの20世紀のモダンアート、青木繁、下村観山などの日本近代絵画、折元立身、三沢厚彦などの現代アートまで、生命と美の深い関わりについて考察し、この富山県美術館でしか体験できない、新たなアートとの出会いを創出します。(富山県美術館HPより転載)

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20171009_v-09瀧口修造
《V-09》
水彩、インク、色鉛筆、紙
Image size: 27.5x22.7cm
Sheet size: 31.5x26.8cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


◆イベントのご案内
10月31日(火)16時〜「細江英公写真展」オープニング
細江先生を囲んでのレセプションはどなたでも参加できます。

11月8日(水)18時飯沢耕太郎ギャラリートーク<細江英公の世界(仮)
*要予約:参加費1,000円

11月16日(木)18時より 植田実・今村創平ギャラリートーク<ポンピドーセンター・メス「ジャパン・ネス 1945年以降の日本における建築と都市」展をめぐって(仮)>
*要予約:参加費1,000円
ギャラリートークへの参加希望は、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。twitterやfacebookのメッセージでは受け付けておりません。当方からの「予約受付」の返信を以ってご予約完了となりますので、返信が無い場合は恐れ入りますがご連絡ください。
E-mail: info@tokinowasuremono.com

土渕信彦「富山県美術館の開館」前編

瀧口修造とマルセル・デュシャン(補遺2)―富山県美術館の開館 [前編]

土渕信彦


去る8月26日(土)、瀧口修造の故郷である富山に、新しい県立美術館「富山県美術館」が開館した。旧富山県立近代美術館は1981年の開館後35年間にわたって親しまれてきたが、老朽化したため2016年12月をもって閉館し、新設することになったそうである。単なる移転でないことは、名称から「近代」が外されていることからも判る。では何が異なるのだろう? 何よりも、同館が所蔵していた20世紀美術の素晴らしいコレクションや、内外のアーティストから瀧口に贈られ、没後、遺族から寄贈された貴重な作品やオブジェはどうなっているのだろう? 開館3日目の8月28日(月)に訪れ、実際に確認してきたので、以下、簡単にレポートする。

前週末から滞在していた大阪を午前7時過ぎに出発し、11時前に富山駅に到着した。新美術館は駅の北側(旧近代美術館とは反対側)の木場町に建設されており、新幹線改札口のある南口から、北口に回らなければならない。構内案内板に記載された南北自由通路は未完成とのこと。地下道を捜してやっと北口にまわる。地上に出ると、後の径路は判り易く、7〜8分ほどで神通川支流沿いの道に出る。空が大きく拡がって気持ちがよい。遠くに美術館の建物も見える(図1)。対岸に渡ると運河があり、周辺がカナルパーク「富岩運河環水公園」として整備されている。クルーズ船も就航している(図2)。公園内をぶらぶら歩き、美術館に到着(駅から15分ほど)。

図1 美術館遠望図1
美術館遠望


図2 クルーズ船図2
クルーズ船(帰路に撮影)


外壁がガラス張りの瀟洒な建物だ(図3,4)。設計は内藤廣建築設計事務所。近年ではこうしたガラス張りを取り入れた美術館や、周囲に水を湛えた美術館なども増加している。確かに建物自体の佇まいは美しく、親近感や開放感も演出できるが、将来、収蔵品の維持・管理や館全体の空調などに問題が出ないか、少し心配でもある。この美術館ではエントランスに水ではなく白い石材が貼り廻らされており、照り返しが少々キツかった(図5)。自動車普及率が1世帯平均1.7台と、全国でも1・2を争う富山県では、車での来館者が大半なのだろう。だが、海外・県外からの来館者のなかには、タクシー代を節約したいバッグパッカーや学生、私のような貧乏コレクターも居ることだろう。駅からのアクセスの整備、案内板の設置、コインロッカーの増設なども含め、もう少し徒歩の来館者に対する配慮があっても良いと思う。なお、路線バスが20分に1本運行されているようなので、付記しておく。

図3 建物1図3
美術館


図4 建物2図4
美術館全景(美術館ホームページより)


図5 照り返し図5
エントランス


入口正面の受付で、知り合いの学芸員氏が在館か尋ねたが、他の県立施設に出掛けていて不在とのこと。アポなしだから仕方がない。1階には小さな展示スペース「TADギャラリー」があり(図6)、道路側のガラス壁面沿いにはミュージアム・ショップ、その向こうにカフェが置かれるが、大半のスペースは屋内駐車場に充てられている。車での来館者には便利だろう。地下フロアがないのは地盤の制約なのかもしれない。

図6 フロアマップ1階図6
1階フロアマップ(美術館ホームページより)


エスカレーターで2階に上がると、ホワイエと常設展示室1・2となる(図7)。ここには旧近代美術館から引き継いだ20世紀美術のコレクションが展示され、「開館記念展 LIFE」は奥の展示室3・4で展示されていた。旧近代美術館では2階の常設展を観ずに、1階の企画展だけで帰る来館者もいたそうなので、工夫したようだ。常設展示が「自然・風景」「肖像」などのテーマ別なのも、親しみやすさを優先したものかもしれない(図8,9)。だが、名品が揃いなのに対して小さな壁面やブースが続き、少し息苦しさを覚えたのも事実である。「20世紀美術の流れ」に沿ってゆったりと廻廊を廻る、旧近代美術館の展示が懐かしく感じられた。

図7 フロアマップ2階図7
2階フロアマップ(美術館ホームページより)


図8 常設展示図8
常設展示


図9 展示常設2図9
同上


新収蔵品としてレオナール・フジタの「二人の裸婦」(1929年。油彩、178×94.2僉砲加えられ、作品の傍らに購入協力者や企業のリストも表示されていた。旧近代美術館のコレクションの欠落を補う作品と位置付けられているようだ。展示室を出ると、三沢厚彦の大きなシロクマが展示されている(図10)。同じポーズで記念撮影する人も見かけた。2階の屋外広場(テラス)にも小ぶりのクマが設置されている(図11)。人気コーナーとなることだろう。開館記念展については後で触れる。

図10 シロクマ図10
三沢厚彦「ANIMALS」より「クマ」


図11 屋外広場図11
屋外広場


3階に上がるとアトリエがあり、ワークショップなどに使われる。アトリエ奥の左側には、ポスターと椅子を展示する展示室5があり(図12)、右側はレストランとなる。東京日本橋の老舗洋食店が出店し、通路まで行列が続いていた。展示室5の内部には、左手にポスターが掛けられ、右手に椅子が展示されている。ガウディ・チェアなど、実際に腰かけられる椅子もある(図13,14)。右側の壁面に設けられた通路を入って、左側が展示室6となる。瀧口の遺族から寄贈された作品・オブジェなどはここに展示されている。「美術館の肝」とも言える最奥の位置だが、意識していないと見落すこともあるだろう。案内板か順路の表示が欲しいところだ。

図12 フロアマップ3階図12
3階フロアマップ


図13 展示室5図13
展示室5内部


図14 ガウディ・チェア図14
ガウディ・チェア


後編へつづく(明日掲載します)

つちぶち のぶひこ

●展覧会のご紹介
チラシ1チラシ2


チラシ3チラシ4

「富山県美術館開館記念展 Part1 生命と美の物語 LIFE − 楽園をもとめて」
(同時開催:コレクション展 I)
会期:2017年8月26日[土] 〜11月5日[日]
会場:富山県美術館
時間:9:30〜18:00(入館は17:30まで)
休館:水曜日(祝日を除く)、祝日の翌日 ※11月4日は臨時開館

古来より現在まで、多くの作品が「生命=LIFE」をテーマに生み出されてきました。古今東西の芸術家たちがこのテーマに関心を持ち、作品を通してその本質を明らかにしようとしてきたのは、それが私たち人間にとってもっとも身近で切実なものであったからにほかなりません。      本展は、富山県美術館(TAD)の開館記念展の第一弾として、アートの根源的なテーマである「LIFE」を「『すばらしい世界=楽園』をもとめる旅」ととらえ、「子ども」「愛」「日常」「感情」「夢」「死」「プリミティブ」「自然」の8つの章により構成し、国内外の美術館コレクションの優品を中心とした約170点を紹介するものです。ルノワールなどの印象派から、クリムト、シーレなどのウィーン世紀末美術、ピカソ、シャガールなどの20世紀のモダンアート、青木繁、下村観山などの日本近代絵画、折元立身、三沢厚彦などの現代アートまで、生命と美の深い関わりについて考察し、この富山県美術館でしか体験できない、新たなアートとの出会いを創出します。(富山県美術館HPより転載)

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20171008_takiguchi_IV_02瀧口修造
《IV-02》
1961年
紙に水彩
イメージサイズ:9.7×9.0cm
シートサイズ:12.3×9.0cm
額裏にサイン・年記あり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆イベントのご案内
10月27日(金)18時〜中尾拓哉ギャラリートーク<マルセル・デュシャン、語録とチェス>
『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』刊行記念
*要予約:参加費1,000円

10月31日(火)16時〜「細江英公写真展」オープニング
細江先生を囲んでのレセプションはどなたでも参加できます。

11月8日(水)18時飯沢耕太郎ギャラリートーク<細江英公の世界(仮)
*要予約:参加費1,000円

11月16日(木)18時より 植田実・今村創平ギャラリートーク<ポンピドーセンター・メス「ジャパン・ネス 1945年以降の日本における建築と都市」展をめぐって(仮)>
*要予約:参加費1,000円
ギャラリートークへの参加希望は、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。twitterやfacebookのメッセージでは受け付けておりません。当方からの「予約受付」の返信を以ってご予約完了となりますので、返信が無い場合は恐れ入りますがご連絡ください。
E-mail: info@tokinowasuremono.com

京都で「土渕信彦コレクション展」2017年1月7日(土)〜2月12日(日)

瀧口修造とマルセル・デュシャン(補遺)

土渕信彦


来る2017年はマルセル・デュシャンの生誕130年に当たるので、これを記念して、1月7日(土)から2月12日(日)まで、京都のギャラリーozasa kyotoで「瀧口修造・岡崎和郎二人展」を開催することとなった。この場をお借りしてご紹介したい。

会  期 … 2017年1月7日(土)〜2月12日(日)
開廊日時 … 水〜日 12:00〜19:00
休 廊 日 … 月・火(1月9日祝日は開廊)
会場… ozasa kyoto
〒602-8216 京都市上京区堀川今出川南 西陣織会館 西館 207(西陣産業会館)
tel : 075-417-4041

図1 案内状図1
「瀧口修造・岡崎和郎二人展」案内状


この展覧会は2007年から4回開催してきた私のコレクションによる「瀧口修造の光跡展」の第5回展に当たる。30年ほど前から、点数はそれほど多くないが、岡崎和郎の作品も所蔵してきた私としては、2009年の第1回展の開催当時から「いずれは瀧口・岡崎二人展を」と念願し、岡崎先生も期待してくださっていた。東京で開催する話が進みかけ、先年亡くなられたみすず書房の小尾俊人さんをはじめ、何人かの方々をお煩わせしたこともあったが、具体化までには至らなかった。このたび、畏友のマン・レイ・イスト石原輝雄氏の口添えにより、また、ときの忘れもの、横田茂ギャラリーのご協力も得て、京都の画廊主小笹義朋氏がozasa kyotoの企画展として開催してくださることになった。マルセル・デュシャン生誕130年に実現できるのだから、幸運というほかはない。

展示作品は40点で、主なものは以下のとおり。
1.瀧口修造『マルセル・デュシャン語録』A版(著者本10部の第6番)、1968年(図2)
2.瀧口修造・岡崎和郎「檢眼圖」、1977年(図3)
3.瀧口修造 ドローイング「ローズ・セラヴィのために」、インク・水彩、1968年(図4)
4.瀧口修造 デカルコマニー for Okazaki、グァッシュ、1966年(図5)
5.瀧口修造 ロトデッサン ”cercle vicieux”、鉛筆・紙、1971年(図6)
6.瀧口修造 フィンガープリント、1968年(図7)
7.岡崎和郎 ”Giveaway Pack 2”、ミクストメディア、1968/1977年(図8)
8.岡崎和郎「瀧口修造―Arrow Finger」、ブロンズ・焼き付け塗装、1968/1998年(図9)
9.岡崎和郎 ”Snap Shot of Mr. Shuzo Takiguchi ‘Arrow Finger’”、スチレンボード・紙、1969/1996年(図10)
10.岡崎和郎「ウィリアム・テルのリンゴ」、樹脂・彩色、2008年
11.岡崎和郎 ”HISASHI”、ブロンズ、1985年

図2 デュシャン語録図2
瀧口修造『マルセル・デュシャン語録』A版


図3 檢眼圖図3
瀧口修造・岡崎和郎「檢眼圖」


図4 ローズ・セラヴィのために図4
瀧口修造 ドローイング「ローズ・セラヴィのために」


図5 for okazaki図5
デカルコマニー for Okazaki


図6 cercle vicieux図6
瀧口修造 ロトデッサン”cercle vicieux”


図7 フィンガープリント図7
瀧口修造 フィンガープリント


図8 Giveaway Pack2-1図8
岡崎和郎 ”Giveaway Pack 2”


図9 Giveaway Pack2(外側)図9
岡崎和郎 ”Giveaway Pack 2”(外側)


図10 Arrow finger図10
岡崎和郎「瀧口修造―Arrow Finger」


図11 Snapshot図11
岡崎和郎”Snap Shot of Mr. Shuzo Takiguchi ‘Arrow Finger’”


関連イベントとして、以下を予定している。
1.1月14日(土)15:00〜16:30 岡崎和郎・平芳幸浩対談「オブジェをめぐって」
2.1月28日(土)15:00〜16:30 瀧口修造講演「美というもの」(1962年の富山高校における講演録音再生) 土渕信彦解説
3.2月 4日(土)15:00〜16:30 土渕信彦ギャラリー・トーク「瀧口修造とマルセル・デュシャン」

なお、ちょうど北九州市立美術館分館では、「岡崎和郎―見立ての手法」展も開催されているので(千葉市美術館からの巡回)ご紹介しておきたい。同展と併せてこの京都展もご高覧いただければ幸いである。

図12 千葉市美図12
千葉市美術館「岡崎和郎 見立ての手法」展リーフレット


図13 北九州市美図13
北九州市立美術館分館「岡崎和郎 見立ての手法」展リーフレット


以下、プレス・リリース本文を転載する。

「ozasa kyotoでは、来る2017年がマルセル・デュシャン生誕130年に当たるのを記念し、1月7日(土)から2月12日(日)まで「瀧口修造・岡崎和郎二人展」を開催いたします。

マルセル・デュシャン(1887-1968)は、改めて申し上げるまでもなく現代美術の開拓者であり、20世紀の最も重要なアーティストの一人にも挙げられますが、こうした評価が確立する前の1930年代から、瀧口修造(1903-79)はデュシャンに深い関心を寄せ、たびたび論じてきました。58年の訪欧中に本人と出会ってからは文通や著書の献呈などの交流が続き、63年頃に構想した架空の「オブジェの店」に対して、デュシャンから若き日の女性変名「ローズ・セラヴィ」を贈られています。命名への礼状に同封して、瀧口は自作のロトデッサン(モーターによる回転線描)を一点贈ったほか、返礼として『マルセル・デュシャン語録』(1968年)を刊行しました。さらに代表作「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」の「眼科医の証人」の部分を立体化したマルチプル「檢眼圖」(1977年)も製作しています。デュシャンとその作品の研究・考証は、後半生の瀧口にとって最も重要な課題の一つとなっていたといっても、けっして過言ではないでしょう。

岡崎和郎(1930-)もデュシャンに触発されている美術家の一人です。1950年代から一貫してオブジェに取り組み、86歳を超えた現在も、「御物補遺」 ”Who’s Who” ”HISASHI”の各シリーズなどを精力的に制作している岡崎は、レディメードのオブジェの創始者デュシャンに関連する作品も、「ハート」(1962年)や「窓」(1965年)をはじめ、数多く制作してきました。50年代から岡崎の仕事を評価していた瀧口が、前出『マルセル・デュシャン語録』の製作協力者の一人に岡崎を加え、前出「檢眼圖」の実際の製作を岡崎に委ねたのも当然と思われます。学生時代から瀧口の『近代藝術』を熟読していた岡崎は、「瀧口修造―Arrow Finger」(1968年)など、瀧口に因む作品も制作しています。一方、瀧口も66年にデカルコマニー作品を岡崎に贈呈し、『岡崎和郎の作品 1962−1976』(1977年)にも序詩「彼の微笑、それから」を寄せています。二人の絆は、デュシャンに対する関心や敬意を共有することを通じ、いっそう強固なものとなっていたのは間違いないでしょう。

本展は『マルセル・デュシャン語録』「檢眼圖」をはじめ、瀧口、岡崎のデュシャンに関連する作品など約40点を展示し、生誕130年の幕開けを慶賀するとともに、改めてデュシャンに対する二人の傾倒ぶりや、二人の絆の深さを辿ろうとするものです。なお、展示作品はいずれも土渕信彦氏のコレクションであり、本展は2009年から継続されてきた「瀧口修造の光跡」展の第5回に当たるものであることを申し添えます。末筆ながら、開催にご協力いただいた皆様に感謝申し上げます。

協力|土渕信彦、ときの忘れもの、横田茂ギャラリー」

上のプレス・リリースで言及されている瀧口修造の岡崎宛て序詩「彼の微笑、それから」は、以下のとおりである。

彼の微笑、それから
            岡崎和郎に

彼自身がひらく扉、
彼自身にひらかれる扉、
ふたつの扉が完全に符合したとすると、
ふたつの扉はその瞬間消滅し、
ただ非常に薄い接触面だけが
残って見えるかも知れぬ。
信じる信じないは別だが。

      ★

もしふたつのハートが互いに抱き合ったとする
(最高に幸福な状態で)、
すると外側からは見えなくなってしまう。
(鋳型の雌雄を区別すること無用。)
(ハートはハートの鋳型で鋳られる。)

      ★

⇨ OKAZAKI KAZUO
IKAZAKO OUZAK ⇦

こうして見ると彼の姓名が
そのまま透明な箱に容れられたよう、
むしろそのままで奇妙な鏡の箱に見える。
彼のGIVEAWAYSのひとつか、
これは特に自家用の?

      ★

彼の微笑、それから彼の微苦笑… トポロジカルに?

      ★

人には人の分身があり、
目にはまったく見えないもの、
透明のゆえに。
それを見ようとすること。
裏返しにするのが唯一の方法であるか。

      ★

岡崎和郎は一組の作品を箱におさめて
GIVEAWAY PACKと命名した。
物にひとつの道をつけてやる、
物にそれぞれの道をつけてやる、
それが彼自身のやりかた。

                 瀧口修造

つちぶち のぶひこ

●本日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20161217_takiguchi2015_selected_words
瀧口修造
『マルセル・デュシャン語録』
1968年
本、版画とマルティプル
外箱サイズ:36.7×29.8×5.0cm
本サイズ:33.1×26.0cm
サインあり
A版(限定部数50部)
発行:東京ローズ・セラヴィ
刊行日:1968年7月28日
販売:南画廊

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

本日の瑛九情報!
〜〜〜
昨日12月15日の瑛九情報では、<瑛九ほど、学芸員に愛されている画家はいないのではないか>と書き、日本中の多くの美術館が瑛九展を開いていることを賞賛しました。
1996年の宮崎県立美術館開館記念「魂の抒情詩ー瑛九展」図録の192〜193ページには<没後の主要な展覧会出品歴>として1960年〜1994年にかけて全国及び海外の美術館、ギャラリーで開催された瑛九関連の120余の展覧会の開催記録が掲載されています。当時の学芸員たちの労作です。
これをおそらくは踏襲して、2011年に宮崎県立美術館、埼玉県立近代美術館、うらわ美術館の三館で開催された「生誕100年記念 瑛九展」図録の228〜229ページにも<没後の展覧会歴>として1960年〜2010年にかけて全国及び海外の美術館、ギャラリーで開催された瑛九関連の展覧会の開催記録が掲載されています。
そのリストを一覧すると<西高東低>、圧倒的に東京以西での開催が多いのは当然としても早くから瑛九をコレクションし、幾度も幾度も瑛九の顕彰展を開催してきたある美術館の名がすっぽりと抜け落ちています。
瑛九の展覧会は21世紀に入ってからだけでも、渋谷区立松涛美術館(2004)、国立国際美術館(2005)、筑波大学(2010)、宮崎県立美術館・埼玉県立近代美術館・うらわ美術館(2011)、栃木県立美術館(2014)などで開催。人気なのです (【公式】東京国立近代美術館 広報 ‏@MOMAT60th ・ 11月19日 twitterより)」とつぶやいた近美の企画者すらもどうも気づいていません。
1974年から近年では2010年まで、実に7回もの瑛九展を開催してきた名門美術館があります。
山形県酒田の本間美術館です。
詳しくは明日。〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第25回(最終回)

「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第25回(最終回)

土渕信彦


25−1.「マルセル・デュシャン小展示」
「大ガラス」レプリカの制作と並行して、この頃にはマルセル・デュシャン展の計画も進められていた。自由が丘画廊の「マルセル・デュシャン小展示」(1978年1月)で、デュシャンのコレクター笠原正明氏のコレクションを中心として展示するものだった(図25−1)。

図25-1図25−1
「マルセル・デュシャン小展示」を観る瀧口修造
(撮影:笠原正明)


笠原氏は瀧口と親交が深く、西落合の部屋を訪ねてはデュシャン談義に花を咲かせたそうである。笠原氏に捧げられた以下のような川柳と解説も残されている。

「笠原正明に 余白考に余白なければ
塩売りや
言問団子を
家苞[いえづと]に
笠原氏は言問橋近くに住む。しばしば言問団子を土産に貰う。「塩売り」は言うまでもなく「マルシャン・デュ・セル」より、「塩売り」なるものたとえ江戸時代にありても存在せしや知らず」

ただし笠原氏によれば、実際に手土産に携えたのは、言問団子よりも長命寺の桜餅のことが多かったそうである(図25−2)。

図25-2図25−2
西落合の部屋の瀧口修造
(撮影:笠原正明)


「マルセル・デュシャン小展示」についてもいろいろと助言を受け、「小展示」という名称も、瀧口の示唆によって採用したものだそうである。つまり瀧口の見解では、代表作である「大ガラス」も「遺作」も展示されない以上、「展覧会」と称するのは問題なしとしないというので、この名称に落ち着いたとのことである。展覧会リーフレットに寄稿された「窓越に…」を引用しておく(図25−3,4)。

「なんと近づきがたく、なんと親しげな存在。
その全作品を一堂に眺めることは、もういろ
んな意味で不可能になった。しかし、かつて
全作品を鞄に収めることを想いついた人。
いまは窓越しに、足跡の一端をしのび、おそ
らくその人が微笑みかけるのを待つ。」

図25-3 リーフレット図25−3
「マルセル・デュシャン小展示」リーフレット、自由が丘画廊、1978年
(笠原正明氏蔵。千葉市美術館「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展図録より転載。“Rrose Sélavy, ici…”の書き込みは瀧口によるもの)


図25-4 リーフレット裏面図25−4
リーフレット裏面


「小展示」を観に自由が丘画廊を訪れた78年1月、筆者(土渕)は瀧口本人と遭遇したのだが、この時の模様は前に述べたことがあるので(「瀧口修造の箱舟」第2回)、ここでは省略する。


25−2.「絵本」
最晩年の瀧口には、当時米国に在住していた写真家奈良原一高が撮影した「大ガラス」の細部の写真と、自らの言葉を組み合わせて、「絵本」を作る構想もあった。「ユリイカ」1977年10月号(図25−5)に掲載された瀧口の「私製草子のための口上」(連載第22回参照)の末尾で、次のように触れられている。デュシャンや「大ガラス」に関わることが、瀧口のライフワークと化していたことが判るだろう。

「つい先頃、岡崎和郎氏と協力して作った「檢眼圖」と名づけたマルティプルについて、「檢眼圖傍白」と題して、同じような手製草子のために折りにふれてノートしているが、つぎつぎに問題が出てきて、いっかな終止符が打てそうにない。それよりもフィラデルフィアで奈良原一高氏に特写して貰った素晴らしい「大ガラス」のカラー・フィルムの連作で一種の「絵本」のようなものをつくる計画もいまだに宙吊りのまま、奈良原氏にも申しわけがなく、このままおさらばするわけにはゆかない。 ― たしかに私の旅はまだ終わっていないらしいのである。」

図25-5 ユリイカ図25−5
「ユリイカ」1977年10月号


「このままおさらばするわけにはゆかない」と記されているが、結局、「絵本」を完成することなく逝去した。計画されていた「絵本」は、どのようなものだったのだろうか? 『マルセル・デュシャン語録』、「檢眼圖」と、続けて産み出されてきた素晴らしい成果を見るとなおさら、具体的な姿や内容を見てみたかった気がするが、未完に終わった以上、想像するしかない。手掛かりとなるのは、奈良原宛の私信のなかの、次の一節かもしれない(後出『奈良原一高デュシャン大ガラスと瀧口修造シガー・ボックス』の奈良原のエッセイに引用されている)。

「私の夢想している本は、いわゆる美術書ではなく、詩のような断片的な言葉をカラー写真の間に散らして、カラーと白のページと活字をレイアウトして、spacyな本にしたいと思います」

引用にある「詩のような断片的な言葉」とは、単なる「詩」でも「断片的な言葉」でもなく、あくまでも「詩のような断片的な言葉」で、つまるところ、この頃しばしば産み出されていた、諺のような言葉だったのかもしれない。しかも、長年にわたってデュシャンに傾倒してきた瀧口であるから、おそらくブルトンの「<花嫁>の灯台」と並ぶような、「大ガラス」についての見事な解釈が与えられ、その解釈を土台にして産み出された「詩のような断片的な言葉」であったものと思われる。そうした言葉を(『マルセル・デュシャン語録』本文のように)一種のオブジェとしてカラー写真の間に配置する構想だったのではなかろうか。何にしても、言葉と写真とがそれぞれ存在感を有した、しかも数々の手づくり本のように簡素で軽装だが物質感のある、素晴らしい「絵本」となったことは間違いないだろう。実現しなかったのは、まことに残念である。

瀧口の没後、奈良原の写真だけは、写真集『奈良原一高デュシャン大ガラスと瀧口修造シガー・ボックス』(図25−6)として、みすず書房から刊行された。上で触れた「シガー・ボックス」と、メモ全点の写真も併せて掲載されているので、ご紹介しておきたい。この写真集のために書き下ろされた奈良原のエッセイ「”ガラスが割れたとき”―二人のローズ・セラヴィに……」には、「大ガラス」の撮影の経緯について、タケミヤ画廊当時の交流にまで遡って、詳細に述べられている。撮影を依頼されてから、作業を進め、出来上ったカラー・ポジフィルムを米国から送り、帰国後にはフィルムから改めて紙焼きしてカラー写真を届けたことなど、瀧口とのやり取りも含め、具体的に記されており、きわめて貴重な証言と思われる。是非ご一読いただきたい。

図25-6 奈良原「大ガラス」図25−6
『奈良原一高デュシャン大ガラスと瀧口修造シガー・ボックス』、みすず書房、1992年


さて、瀧口修造の多面的な仕事のなかで、特にマルセル・デュシャンとの関わりに焦点を当てたこの連載も、いつの間にか25回となった。ひとわたりは目配りしたように思うので、このあたりで筆を擱くこととする。約2年の間お付合いいただき、どうも有難うございました。
つちぶちのぶひこ

*画廊亭主敬白
25回を数えた土渕さんの連載(一回ごとの文章量がとても多いので、実質的には他の方たちの50回にも匹敵します)が終了します。長い間、ご苦労さまでした。
瀧口修造の作品紹介を企画の柱にしているときの忘れものにとっては「ブログの顔」であり、研究者であり、コレクターでもある土渕さんの卓見にはしばしば目を瞠る思いでした。いずれ別のテーマでの復活を期待しましょう。

昨日12日は青山では「山口長男とM氏コレクション展」の初日、主力スタッフが乗り込んだ韓国ソウルのアートフェアKIAFではオープニングと、東西二つのイベントが重なりました。
20161012_大野様1 (1)「山口長男とM氏コレクション展」には朝一番で旧蔵者のMさんが来廊、続いて舞踏家の大野慶人さんがいらっしゃいました。秋田で開館間近の鎌鼬美術館のこと、土方巽のこと、ご自身が子供時代に花岡事件で有名な花岡鉱山に疎開していたこと、今年訪れたブラジル、中国での公演とワークショップのことなど、お話は尽きませんでした。
大野慶人さん(左)と亭主

KIAF_野口さん撮影
同じ頃、韓国ソウルではKIAFの開会式(撮影:野口琢郎)

20161012_KIAFオープニング (4)
続々とVIPたちが来場

20161012_KIAFオープニング (3)
ときの忘れもののブース

20161012_KIAFオープニング (8)
ナム・ジュンパイク野口琢郎さんの箔画に注目が集まっています。


●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20161013_takiguchi2015_selected_words
瀧口修造
『マルセル・デュシャン語録』
1968年
本、版画とマルティプル
外箱サイズ:36.7×29.8×5.0cm
本サイズ:33.1×26.0cm
サインあり
A版(限定部数50部)
発行:東京ローズ・セラヴィ
刊行日:1968年7月28日
販売:南画廊

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は今回で終了です。
「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第24回

「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第24回

土渕信彦


24−1.「大ガラス」東京ヴァージョン
1970年代後半の瀧口の活動では、「大ガラス」東京ヴァージョン(図24−1)のについて触れないわけにはいかない。これはデュシャン「大ガラス」のレプリカを制作するプロジェクトで、東京大学の横山正助教授(現東京大学および情報科学芸術大学院大学名誉教授)が、同大学の創立100周年の記念事業の一つとして発案したものだった。「大ガラス」のレプリカとしては、ウルフ・リンデによるストックホルム・ヴァージョン(61年)、リチャード・ハミルトンによるロンドン・ヴァージョン(66年)に続く、世界で3番目のものということになる。

図24-1 東京ヴァージョン図24−1
デュシャン「花嫁は彼女の独身者達によって裸にされて、さえも」東京ヴァージョン(1980年)
(西武美術館・高輪美術館「マルセル・デュシャン展」図録、1981年より転載)


76年頃には、瀧口・東野芳明の両名が監修に当たるとの条件のもと、ティニー・デュシャンから再制作の許可が下りたようである。前回言及したティニーからの瀧口宛て手紙(「檢眼圖」の献呈に対する77年2月21日付けの礼状)のなかでも、次のように記されている。

I’m very excited by Mr. Tadashi Yokoyama(university of Tokyo)’s proposal, especially, if you and Tono are going to supervise it. I know you will keep in touch with me and let me know what happens.”「東京大学の横山氏の提案に、わくわくしています。あなたと東野さんで監修し、様子を知らせてくださいね」(土渕意訳)

この条件ないし要請は、多摩美術大学の教授を務めていた東野芳明にとっても好都合だっただろう。早速、横山・東野の両氏を中心に東大と多摩美の院生・学生たちによる準備グループが組織され、デュシャンのメモの読解や材料の分析などの作業が開始された。78年には正式にデュシャン「大ガラス」制作実行委員会が発足し、制作資金の募金活動も始まった。完成したのは80年春となった(図24−2)。

図24-2 展示風景図24−2
東京ヴァージョンの展示風景
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部駒場博物館のホームページより)


上に引用した手紙を書いていた77年初め頃にティニーの念頭にあった瀧口の姿は、米国での再会の際の、「われながらよくぞ小康を保った」(「自筆年譜」1973年の項)という姿だったのだろうし、現にマルティプル「檢眼圖」を完成し贈ってくれたのだから、瀧口が元気でいると思っていたとしても止むを得ないだろうが、すでに健康状態はかなり悪化し、外出もままならなくなっていた。全体の会議に出席することができたのは、東野の回想によれば、1回限りだった(「瀧口修造と東京版『大ガラス』」みすず、1979年9−10月。以下、この回想に拠る)。制作スタッフが西落合の部屋を訪ねて助言を仰ぐこともあったようだが、結局、完成を見届けることなく、79年7月に瀧口は他界した。デュシャン研究の先駆者・第一人者による導きを失って、スタッフは大きな喪失感を覚え、プロジェクトの進行自体も危ぶまれたそうである。


24−2.「シガー・ボックス」

このときに東野をはじめ制作スタッフが想い起したのが、上の会議に出席した際に瀧口が携えていた木製の箱だった。会議での発言に当たって、瀧口が箱の中のメモを参照し確認していたため、当時から注目を集めていた。この箱とメモが通称「シガー・ボックス」である(図24−3)。東野が瀧口に直接確認したところ、箱は荒川修作から贈られた葉巻の箱で、その中には「大ガラス」の再制作について思いついたことをメモして入れているというのだった。「デュシャンが<グリーン・ボックス>や<ホワイト・ボックス>を作った故事にならい、自分もいつかこれらのメモ入りの箱を、オリジナル作品として売ってもいい」と、笑っていたそうである。

図24-3 シガーボックス図24−3
瀧口修造「シガー・ボックス」
(千葉市美術館「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展図録より転載)


瀧口の没後、綾子夫人から借り出してメモを解読したところ、すでに前述した二つの先行事例が在るなかで、3番目のレプリカを制作する意義や目的について、本質的で多面的な考察が含まれていることがわかり、その後の作業進行の大きな指針となった。とりわけ「制作当時の作品に出来るだけ近づける方向で、新しい出来たてのLarge Glassを再製作[ママ]してみる」という考えは、瀧口自ら「平凡だが、妥当な仕方」と位置付けているとおり、レプリカ制作の基本的な方針とされた。

なお、晩年の瀧口(または綾子夫人)が記念品などを入れていた葉巻の箱にはもう一つ別のヴァ―ジョンがある。「シガー・ボックス」と区別して、「シガー・ボックス(TEN-TEN)」(図24−4)と呼ばれる。中に入れられているのは以下のような品々で、個人的な色彩を濃厚に有しているように思われる。

図24-4 TEN-TEN図24−4
瀧口修造「シガー・ボックス(TEN-TEN)」
(千葉市美術館「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展図録より転載)


・アンドレ・ラフレー挿絵『マルセル・デュシャンの生涯』LA VIE ILLUSTRÉE DE MARCEL DUCHAMP avec 12 dessins d’André RAFFRAY(ポンピドゥー・センター、1977年)2冊。瀧口宛てティニー・デュシャンの献呈署名入り(図24−5)、および東京ローズ・セラヴィ宛てマドリン・ギンズの献呈署名入り(図24−6)。
・1969〜70年頃の綾子夫人の日記帳1冊(文庫本大のノートブック。おもに瀧口入院中の看病の記録として使用したものと思われる)
・マドリン・ギンズからの絵葉書 など

図24-5 ティニー・デュシャンの献辞図24−5
ティニー・デュシャンの献辞


図24-6 マドリン・ギンズの献辞図24−6
マドリン・ギンズの献辞


つちぶちのぶひこ

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20160913_takiguchi2014_III_14瀧口修造
「III-14」
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:18.5×13.9cm
シートサイズ :18.5×13.9cm


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」 第23回

「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第23回
Shuzo TAKIGUCHI and Marcel Duchamp Vol.23

土渕信彦


23−1.Personally Speaking
前回ご紹介した「ユリイカ」1977年10月号の「私製草子のための口上」の前後にも、瀧口デュシャンに関する小論を2つ発表している。「マルセル・デュシャン:九箇の雄の鋳型 Nine Malic Moulds」および“Personally Speaking”である。

「マルセル・デュシャン:九箇の雄の鋳型 Nine Malic Moulds」は、デュシャンが1964年に製作した9部限定のマルチプル(図23−1)についての作品解説で、フジテレビギャラリーが発行していた“Gallery”誌の第6巻5号(1975年5月)に掲載された。このマルチプルの製作の契機や経緯が、「大ガラス」や「トランクの箱」に遡って簡潔に述べられているほか、デュシャン作品の蒐集や、ガラスのヒビ割れについても触れられている。マルチプルの版元について本文では「ニューヨークの前掲画廊から9部限定で発売されたが、そのうちの第1番がこれである」と記されているだけであるが、掲載されたカラー図版のキャプションにコルディエ&エクストローム画廊と明記されている(図23−1のキャプションのとおり。このカラー図版の他に、「大ガラス」のモノクロ図版も併載されている)。なお、この小論は「Gallery誌上展 フジテレビギャラリー所蔵作品を中心に」という題の連載記事に寄稿されており、同ギャラリーによる前書には「解説をとくにデュシャンと親交のあった滝口修造氏にお願いした」とある。

図23-1 「9箇の雄の鋳型」図23−1
デュシャン「九箇の雄の鋳型 Nine Malic Moulds」、1964年
ニューヨーク・コルディエ&エクストローム画廊発売
限定9部の内の1番
16.8×27.3僉淵縫紂璽茵璽・メアリー・シスラー旧蔵)


“Personally Speaking” は、1972年に開催されたニューヨーク近代美術館・フィラデルフィア美術館のデュシャン回顧展の際に寄稿した英文によるカタログ・テキスト(図23−2,3)の和訳(自訳)で、掲載されたのは「エピステーメー」誌(編集:中野幹隆、発行:朝日出版社)の1977年11月号(「マルセル・デュシャン特集号」)である。掲載に際して次のように付記している。

「この小文は勝手な英文で書きおろしたもので、われながら訳しにくい。最初はここに掲げた題をつけておいたが、カタログではCollective Portrait of Marcel Duchampと題してアポリネールからabc順に古今の61人の文章や絵などをならべたセクションに含められたので無題で発表された。ここでは敢てもとの題名を英文そのまま復活させて頂いた。[後略]」

図23-2 「マルセル・デュシャン大回顧展」カタログ図23−2
ニューヨーク近代美術館・フィラデルフィア美術館「デュシャン回顧展」カタログ
1973年


図23-3 瀧口のカタログテキスト図23−3
同上
瀧口のエッセイの頁


「エピステーメー」誌のこの特集は尋常の特集ではなく、連載記事まで休載して全頁をデュシャンに捧げるという力の入れようだった。執筆・寄稿者も豪華な面々で、瀧口のほか、東野芳明、荒川修作、柳瀬尚紀、海外ではミシェル・ビュトール、ジャン=フランソワ・リオタール、ジャン・クレール、オクタヴィオ・パス、ティエリ・ドゥ・デューヴ、ミシェル・カルージュなど。さらに磯崎新と中原佑介の対談、ジョン・ケージとアラン・ジュフロワの対談なども掲載されている。

図23-4 エピステーメー誌図23−4
「エピステーメー」誌
1977年11月号


23−2.「檢眼圖」The Oculist Witnesses
この頃の瀧口のデュシャンに対する特別な関心は、マルチプル「檢眼圖」(図23−5)に凝縮されているかもしれない。デュシャン「大ガラス」の「眼科医の証人」The Oculist Witnessesの部分を三次元に立体化したもので、デュシャン「グリーン・ボックス」に納められたメモでは、この部分は”Tableaux d’oculiste”または”Tableaux oculistes”と表記されているので、その訳が日本語の名称とされた。

図23-5 「檢眼圖」図23―5
瀧口修造・岡崎和郎「檢眼圖」、東京ローズ・セラヴィ、1977年
シルクスクリーン、アクリル板、レンズ、アルミニウム。26.0×26.0×26.0
内箱の内側に貼付された奥付ラベルに瀧口・岡崎のサイン入り。解説リーフレット別添。白厚紙の外箱入り。


「大ガラス」の「眼科医の証人」の部分は、ガラスの表面に透視図法によって描かれている(ガラス上の銀メッキを剥がして図柄が残してある)のに対して、「檢眼圖」では「グリーン・ボックス」所収の縮小図版(こちらは“Témoins Oculistes”と表記されている)から忠実に作製した平面図を、3枚のアクリル板の上にシルクスクリーンの手法で黄色のインクを定着し、見る角度を調節することによって「大ガラス」の「眼科医の証人」の部分の姿を再現できるようにしてある。「解説リーフレット」のなかで瀧口は「ブラック・ライトで眺めると、まったく別の様相をあらわすだろう」と述べているが、劣化の危険性を考慮すると、躊躇せざるをえない。

実際の製作に当たった岡崎和郎氏の証言によれば、本体だけでなく、内箱の緑色がかったグレーの色彩や眼の図柄、タイトルへの旧字体の使用など、製作のすべてにわたって瀧口の細かい指定・監修が及んだそうである。製作部数を数部の限定とする意向だったが、岡崎氏の進言に従って100部に変更された。ただし実際に製作されたのは、瀧口存命中に完成した60部のみで、しかも過半は海外に送られたそうで、国内に残っているのは30部に満たないようである。詳しくは次の文献をご参照いただきたい。岡崎和郎・空閑俊憲座談会(司会土渕信彦)「瀧口修造を語る 人差し指の方角」(「洪水」第6号、洪水企画、2010年7月。図23−6)

図23-6 「洪水」第6号図23−6
「洪水」第6号(2010年7月)


76年末に出来上ったばかりの「檢眼圖」は、ポンピドゥー・センターで開催されたマルセル・デュシャン展の開会式に出席する東野芳明に託されて、フランスのティニー・デュシャンのもとに届けられた。ティニーから77年2月21日付けの、とても喜んだ様子の礼状が届き、“Regarding your very generous offer, it would mean a great deal to me if you could send one to my daughter”「お言葉に甘えて、娘にも一部いただけないかしら」[意訳:土渕]とのリクエストがあった。早速、追加して贈られ、6月27日付けで丁寧な礼状が届いた。

岡田隆彦の証言によれば、73年の訪米の際に世話をしてくれたロックフェラー三世財団のポーター・マックレイ氏と荒川修作の二人にも、この頃に渡米した岡田に託されて贈られたようである(大岡信・武満徹・岡田隆彦による座談会「〈絶対への眼差し〉 もう一つの物質=言葉を求めて」、「現代詩手帖」「特集 瀧口修造」、1979年10月。図23−7)。

図23-7 「現代詩手帖」表紙図23−7
「現代詩手帖」1979年10月号


「檢眼圖」の製作に並行して書き溜められた瀧口の手稿が、手作り本「檢眼圖傍白」(図23−8,9)としてまとめられており、製作に当たってデュシャン「グリーン・ボックス」所収のメモをはじめ、さまざまな文献が参照されていたことが判る。(次号に続く)

図23-8 「檢眼圖傍白」表紙図23−8
手作り本「檢眼圖傍白」表紙(千葉市美術館「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展カタログより転載)


図23-9 「檢眼圖傍白」内容図23−9
同上
内容頁(同上)


つちぶちのぶひこ

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20160613_takiguchi2014_II_18瀧口修造
「II-18」
デカルコマニー
イメージサイズ:15.7×9.0cm
シートサイズ :19.3×13.1cm


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◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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