小野隆生は、40年近くイタリアで制作しており、作品数の多い人物作品はみな外国人である。従っていわゆる洋画作家で、日本絵画の伝統とは無関係な作家のように見えると思う。ここの所国内の展覧会で見る小野の作品は、普通のキャンバスの作品で特にその印象は強いと思うが、小野には「断片」シリーズと言うシェイプドキャンバスの板に描いた作品がある。この断片シリーズには、日本絵画の伝統を正当に継承していると思える特徴があると思う。

 日本画特にここでは軸物と、洋画特に額ものとの違いは何かと言うと、膠と油と言った技法の違いもあるが、私は見た目の完成度の違いではないかと思う。日本画と洋画の同じようなものを描いた絵を見ると、余白も多くさっぱりした彩色の日本画は、額の中にきっちり納まり細部までくまなく描かれている洋画に比べて、弱々しく何処か未完成な印象を受けたりする。同じように壁などに飾って見る、軸物と額物の絵画が日本ではなぜ長年未完成に見えるようなままの作品で容認されて来たのであろうか。それは恐らく、軸物が床の間と言う特定の展示空間を与えられて来たからではないかと思う。私は、軸物と言う絵画は床の間と言う空間を演出する部品、断片に過ぎず、従って必要以上に自己主張せず他に飾られたものと一体になって、その空間を季節により迎える人により演出できれば良いと考えられていたのではないかと思う。そして、絵(軸)の購入者は、単にその絵を見るのではなく、どの様にその空間を演出するかと言うことを楽しんでいたのではないかと思う。例えば、月に雁しか描いていない物足りないような絵でも、その前にススキなどの秋の草花を生ければ、床の間に秋の野辺を現出させることが出来る。また逆にススキしか描いてないような絵でも、月の見える位置に座って見たりすればその部屋が秋の野辺に変わったりする。この時、絵が余りに完成され過ぎた額に入った、「秋の月夜の絵」であると、もはや演出や見立ての余地はなくなってしまい、弱いからこそ周りの空間にある面侵食され、その一方で広がり一体となることは出来なくなる。

 小野の断片シリーズは、帽子や、靴や、拳銃と言ったものがその形に切り取られて「断片」として描かれている。テンペラで描かれたそれらの絵はそれ自体きちっとした作品で日本画のような弱さはない。しかしながら、一つ一つではやはり何処か物足りないところがあるのも事実である。だが、それ故に購入者としては幾つか買うと組み合わせてみる楽しみが生まれるのである。ハイヒールを履いた美しい足と小型拳銃を組み合わせて「女スパイ」を思ったり、キザな帽子と大型拳銃はマフィアの男だったりする。また、ハイヒールとダンディーな靴を並べれば恋人同士の語らいを思い浮かべることが出来る。小野作品には、キャンバス作品にも何処か未完成な感じがあるが、この未完成さが日本絵画の伝統を継承する最大の特徴ではないかと思う。そして、断片シリーズには、最近の洋風建築においても新しい見立ての楽しみを蘇らせる良い意味での弱さがあるように思うのである。

2007年4月25日 こいずみ きよし
小野隆生の世界

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*画廊亭主敬白/サラリーマンコレクターという言葉が盛んに使われるようになったのはいつ頃からでしょうか。
現代作家を扱う銀座の画廊で小泉清さんの名前を知らない人はまれでしょう。
<良い作品を収集すべく毎週、銀座、青山界隈の画廊を好みのままに回っています。そうした画廊めぐりのリポートがメールマガジン RAMGnews 「先週の展覧会」です。>と自ら激白している通り、精力的に個展をまわり、そのレポートを「先週の展覧会」というメルマガで発信し続けています。
小泉さんの大コレクションの概要はそのホームページをご覧いただきたいのですが、中でも小野隆生作品の充実ぶりは屈指のものです。