《言葉はそこからはじまった
――大竹昭子ポートフォリオ「Gaze + Wonder/NY1980」に寄せて》
     
堀江敏幸


 人を介しての、手探りの情報を頼りにした移動がまだ生きていた一九七〇年代末のニューヨーク。石造りを基本とする欧州の都市から、金属とコンクリートとガラスの圧倒的な量塊が迫り出す別世界に足を踏み入れた大竹昭子は、動物的な嗅覚と勘を働かせながら賑やかな碁盤目の中心線を離れ、いつも周縁地区に引き寄せられていった。地下に潜ることを比喩にすりかえず、自然体で実践していたのである。

 高い建物のあいまから覗く空の誘いに惑わされない低い目線と、ひと足ひと足の動きに呼応する真新しい心の揺れは、のち『アスファルトの犬』(一九九一)と題された小さな本で再度計測されることになるのだが、二十代を終えようとしていた彼女の不安定な軸足のぶれをなんとか支えてくれたのは、写真を撮ることだった。じっさい、右の本には、今回このポートフォリオのためにセレクトされたものとおなじ写真が何枚も収められている。

 写真集「NY1980」のなかのエッセイで原初の体験として挙げられている「歩道にいる犬」は、人生においてそう幾度も遭遇できない幸福な不意打ちを捉えた一枚だが、「この写真を見返すとき、かならずフレーミングのことに思いがいく。犬をど真ん中にいれてこれ以外は関心なし、という感じで撮っているところが、子供の写した写真のようだ」と彼女は書き、これをもって「子供時代」は終わったのだと断言している。

 しかし、本当にそうだろうか。ある時期に集中して撮影されたこれら一連の写真には、学校を休むには少し足りない微熱と夢の中の彷徨に似たあやうさが刻まれている。原っぱで遊んでいた子どもたちの無計画さや無鉄砲さ、その場その場で遊びを発見していく柔軟さ、そして目の前の出来事を言葉で説明しようとしない身体感覚がある。子供時代は、「このアングルでないとしっくりこないと思う何かがからだのなかで作動する」ことを悟った瞬間ではなく、そのような感触に言葉を与えた時にこそ終わりを告げられるのだ。

 見慣れたものを見知らぬものへといったん変貌させたうえで意識のネガに取りこむフレーミングは、アスファルトを歩く犬ではなく、屋根の上から地上を歩く犬としての自分を見ている「私」という幽体の眼に等しい。この眼の力と鮮度をどのように保ち、どのように稼働させたらいいのか。大竹昭子の「言葉」は、その問いからはじまったのだ。ニューヨークの写真がとどめているのは、レンズ通りが言葉通りと改名される直前の、みずみずしい姿なのである。
(ほりえとしゆき)

堀江敏幸
一九六四年、岐阜県生まれ。作家。主著として『郊外へ』(白水社)、『象が踏んでも』(中央公論新社)、訳書として、エルヴェ・ギベール『幻のイマージュ』(集英社)、ロベール・ドアノー『不完全なレンズで』(月曜社)等がある。
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●大竹昭子ポートフォリオ『Gaze+Wonder NY1980』
発行日:2012年10月19日
たとう入りオリジナルプリント12点組
限定8部(1/8〜8/8)
各作品に限定番号と作者自筆サイン入り
テキスト:堀江敏幸
技法:ゼラチン・シルバー・プリント
撮影年:1980−1982
プリント:2012年(大竹昭子、写真弘社)
シートサイズ:20.3x25.4cm
*写真集『NY1980』(赤々舎)同梱
セット価格:231,000円(税込)

予約受付を開始しましたので、ファックスまたはメールでお申込みください。
申込先:ファックス03-3401-1604/メールアドレスinfo@tokinowasuremono.com

ポートフォリオに収録されるオリジナル・プリント12点組
夜の会話「夜の会話」

5 屋上犬「屋上犬」

12 猫を見る男「猫を見る男」

3 ナッツ・ショップ「ナッツ・ショップ」

17 ゴミ缶「セントマークス通り」

13 消防士「消防士」

A 171「A街171番地」

1 SOHO 犬「SOHO犬」

2 掃除機を担ぐ女性「掃除機を担ぐ女」

33 雪の日のジョガー「雪の日のジョガー」

9 廃虚のファサード「廃墟」

14 キッチン「キッチン」


●イベントのご案内
個展(10月19日―10月27日)会期中、初日10月19日(金)18時より大竹昭子さんを囲みオープニングを開催します(予約不要)。
10月24日(水)19時より、生物学者の福岡伸一氏を迎え大竹昭子さんとのギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
ギャラリートークのご予約は10月10日(水)12時より受付開始となります。

メールにてお申し込みください。
E-mail : info@tokinowasuremono.com

大竹昭子 Akiko OHTAKE(1950- )
1950年東京都生まれ。上智大学文学部卒。作家。1979年から81年までニューヨークに滞在し、執筆活動に入る。『眼の狩人』(新潮社、ちくま文庫)では戦後の代表的な写真家たちの肖像を強靭な筆力で描き絶賛される。著書は他に『アスファルトの犬』(住まいの図書館出版局)、『図鑑少年』(小学館)、『きみのいる生活』(文藝春秋)など多数。都市に息づくストーリーを現実/非現実を超えたタッチで描きあげる。自らも写真を撮るが、小説、エッセイ、朗読、批評、ルポルタージュなど、特定のジャンルを軽々と飛び越えていく、その言葉のフットワークが多くの人をひきつけている。現在、トークと朗読の会「カタリココ」を多彩なゲストを招いて開催中。

*画廊亭主敬白
大竹昭子さんは来月の個展(10月19日―10月27日)を前に暗室に篭もり、展示作品と初めてのポートフォリオ『Gaze+Wonder NY1980』の制作に没頭しています。
30年前にNYで撮影した夥しい写真からどれを選んでポートフォリオにまとめるか、何度も何度もセレクションを繰り返し、ときの忘れもののスタッフやデザイナーと打合せしながら練り上げた12点セットです。
私たちも大のファンである堀江敏幸さんにポートフォリオに寄せてエッセイを執筆していただきました。