桑原規子『恩地孝四郎研究 版画のモダニズム』

著者からのメッセージ


 恩地孝四郎(1891−1955)は、美術界では日本の抽象画のパイオニア、近代版画運動を推進した版画家として知られる。また、その活動は版画に留まらず、本の装幀から詩歌、写真、舞台美術と多彩なジャンルに及んでいる。
 私がこの作家の存在を知ったのは、約30年前、版画家由木礼氏に出会ったのがきっかけだった。当時、卒論のテーマを何にするか悩んでいた私に由木氏は、恩地孝四郎という版画家がいることを教えてくださった。現在では、町田市立国際版画美術館ができて活発な活動を行っている。しかし、当時の大学には日本近代美術史の講座はほとんどなく、ましてやその中でもマイナー・アートといえる版画史の授業など皆無の状況だった。
 そうした環境の中で私が恩地孝四郎研究に着手し、研究を継続できたのは、日本の近代版画研究に情熱を注いでいた学芸員の方々(学生時代にお世話になったのは、石田泰弘氏、三木哲夫氏、加治幸子氏、河野実氏)の励ましがあったからである。以来30年、途中ブランクはあったものの、筑波大学五十殿利治教授のもとで2002年博士論文を提出、この10月にようやく『恩地孝四郎研究―版画のモダニズム』としてせりか書房から上梓することができた。遅すぎた感はあるが、しかしこの10年がなければ、恩地の研究書を今回のように、多くのカラー図版を収める形で出版することはできなかっただろう。
 なぜならば、恩地の戦後作品の大半が海外に収蔵されているからである。終戦直後、恩地の抽象版画を評価したのは、日本人ではなく日本に駐留したアメリカ人たちだった。それが皮肉にも、現在では画集の出版や展覧会の開催を妨げる要因のひとつとなっている。 
 私の場合は、幸いにも科学研究費補助金を頂けたため、2003年から大英博物館、シカゴ美術館、ホノルル美術館、レジョン・オブ・オナ―美術館(サンフランシスコ)、ロサンゼルス・カウンティ・ミュージアム、ボストン美術館、ハワイ大学マノア校図書館、パリ国立図書館、パリ装飾美術館9館の調査が行えた(そのほとんどは味岡千晶氏との共同調査である)。
 今回の著書では、国内16館、海外3館から所蔵作品の画像データを借用し、カラー図版193点、モノクロ図版10点を収載した。中には、海外の美術館に新たに撮影を依頼した作品も含まれている。また図版選択に当たっては、国内外の調査を踏まえて、なるべく摺りの状態の良いものを選んだ。こうした作業が行えたのも、海外の美術館学芸員の方々の御協力があったからに他ならない。
 著書の中でもたびたび触れたが、戦前にはマイナー・アートとみなされていた版画によって、しかも一般に理解しにくい抽象表現によって芸術を追求する道のりは平坦なものではなかった。それは現在、恩地の画業の全体像を見通せる画集が一冊も書店に並んでいないことからも容易に想像がつく。恩地より一世代あとに登場した版画家棟方志功の画集が、幾種類も書店に並んでいるのとはまったく対照的である。
 この状況は、私が恩地孝四郎という作家の存在を知り、研究を開始したころと実は大きく変わっていない。当時も今も、彼の作品を手軽に鑑賞できる画集は出版されていない。1994年から翌年にかけて、横浜美術館・宮城県美術館・和歌山県立近代美術館で「恩地孝四郎 色と形の詩人」展が開催され、彼の多面的活動に光が当てられた。しかし、カタログは展覧会場のみの販売だった。恩地が情熱を傾けた日本版画協会は今年第80回記念展を行うが、こうした状況下で、さて何人の若手会員が彼の作品を知っているだろうか。
 恩地の画集が新たに刊行されないのには、さまざまな要因が複雑に絡んでいる。第一の理由は、彼の作品が大衆的ではないからだろう。だがそればかりでなく、前述したように、戦後作品の大半が海外に収蔵されているからでもある。美術家は何よりも作品そのもので語られるべきで、作品を見ずして恩地の再評価もありえない。今回の著書で特にカラー図版の掲載に拘ったのは、このような理由による。
 本書の出版によって一人でも多くの方に恩地の芸術を知ってもらい、それがまた新たな研究につながるのであれば幸いである。

■桑原規子(くわはらのりこ)
1960年大分県生まれ。お茶の水女子大学教育学部卒業、筑波大学博士課程芸術学研究科修了。現在、聖徳大学人文学部准教授。博士(芸術学)。
共著=『モダニズム/ナショナリズム』『クラシック モダン』(いずれも、せりか書房)、『大正期美術展覧会の研究』(東京文化財研究所)、『「帝国」と美術』(国書刊行会)他。

恩地孝四郎研究 版画のモダニズム
桑原規子著
『恩地孝四郎研究 版画のモダニズム』
2012年10月10日 
せりか書房 発行
21.6x15.6cm
575ページ


日本近代版画史の巨匠の全貌に迫る大著。
抽象画の先駆者、創作版画の推進者として、また装幀家、写真家、詩人、評論家として多彩な面をもつモダニスト恩地孝四郎。
一九一〇年代から一九五〇年代まで、実験的創作の最前線にあった作家の軌跡を克明に辿る。
●目次(抄):
・序章
・第一章 版画家への道 一八九一―一九一三年
・第二章 『月映』と<抒情>シリーズの誕生 一九一四―一九一五年
・第三章 「抒情」の周辺 一九一四―一九一九年
・第四章 油彩画家として 一九一四―一九二四年
・第五章 <人体考察>シリーズと「考察画」 一九二四―一九二九年
・第六章 帝展出品作をめぐって 一九二七―一九三〇年
・第七章 <楽曲による抒情>シリーズ―「抒情」の復活 一九三〇―一九三六年
・第八章 二つの「出版創作」―『海の童話』と『飛行官能』 一九三四年
・第九章 <ポエム>シリーズの誕生 一九三五―一九四五年
・第十章 戦時期の具象版画をめぐって 一九三八―一九四五年
・第十一章 戦後の抽象 一九四五―一九五五年
・終章 没後の評価をめぐって
・索引
・謝辞
・著者執筆恩地孝四郎関連文献

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*画廊亭主敬白
出版元から送られてきた本を見て仰天した。
厚さ4.5cm、575ページの文字通り大冊である。
恩地ファン待望の本格的研究書。著者の桑原規子さんにご多忙の中、無理をお願いして寄稿していただきました。
本はときの忘れもので扱っていますので、ぜひご注文ください。またご来廊の折にはぜひ手にとってご覧ください。


20121001恩地孝四郎研究 表20121001恩地孝四郎研究 裏


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ときの忘れもののコレクションから恩地孝四郎作品をご紹介します。
46-2_恩地孝四郎-3
恩地孝四郎
「失題(きびしい人格の作者)」
1915年 コンテ・紙
17.0x15.0cm
*恩地邦郎の証明書付

onchi_05_china恩地孝四郎
「中国風景」
1939年
水彩
18.0x23.5cm
恩地邦郎の証明書貼付

DSCF4391_600恩地孝四郎
「ウィリアム・ハートネット」
1948年
鉛筆・紙
21.0x15.0cm

onchi_14_yokushitu-gozen恩地孝四郎
「浴室午前」
1928年
木版(色)
21.0x14.0cm

onchi_04_compo-2恩地孝四郎
「Composition No.2 文字」
1949年(1968年刷り:平井摺)
木版
34.2x26.7cm
スタンプサインあり
裏面に「刷り平井孝一」のシールあり
※レゾネNo.314(形象社)

31恩地孝四郎
「Poem No.22 A Leaf and Clouds 葉っぱと雲」
1953年
マルチブロックプリント(平井摺)
63.5x55.5cm  
スタンプサイン
※レゾネNo.401(形象社)

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