雲と残像――現代美術を媒介にして(その四)

裸身と眼鏡  佐伯修

2008年10月15日
 東京青山、地下鉄「外苑前」下車、表通りから一歩奥へ入った、微妙な谷間感漂う路地にあるギャラリー「ときの忘れもの」で五味彬写真展「Yellows1.0」を見る。
 『流行通信』や『エル・ジャポン』のファッション写真を撮っていた五味(1953〜)が、幾人もの若い日本女性の全裸の立ち姿を、真正面と真うしろから、一人ずつモノクロームで撮影し、それを『月刊PLAYBOY』誌上に発表(連載)したのは1991年のこと。時あたかも「ヘアヌード」と称する、恥毛が写った成人の裸体写真が、一般向け書籍などで”解禁”されだしたところであったが、五味のこのこころみには、何がしか版元をはじめとする世間を竦ませるようなところがあったのか、まもなく連載は中断され、刷り上って製本もされて出荷されるばかりだった単行本の写真集も、版元の自主規制のかたちで発売中止の憂き目に遭った。
 そのご、何年かしてほとぼりもさめた頃、五味の「Yellows」は、カラーによる新シリーズが、文庫版かやや大きめのサイズで相次いで出版された。日本女性の一冊、中国女性の一冊、さまざまなエスニック・ルーツの(従ってさまざまな肌の色の)アメリカ(USA)の女性の一冊、さらには、売れっ子風俗嬢のものなどと江戸時代の花魁銘鑑みたいなものまで現れた。が、そうなるともはや悪ノリで、何だか最初のシリーズから感じられたものからは、遠ざかるように思われた。
 今回の展示は、五味の一連の作品の原点である「Yellows1.0」のうち、56人分の「ヴィンテージプリント」を10の群(ユニット)に構成したものと、「デジタル出力」によるプリントを二曲一隻の屏風に仕立てたものとから成っている。つまり、作者の当初の意図に近いものが見られるのではないかと思って足を運んだのだ。
五味彬6P 被写体である彼女たちの表情はまじめであり、姿勢はせい一杯まっすぐに、身体とりわけ胴体は堂々とカメラのレンズに向かって開かれている。瞼は閉じられている顔もあるが、瞠かれた眼はどれもまっすぐにレンズを見凝めている。どの顔にも裸身にも、かすかに見おぼえを感じるのは、後に出たカラー版写真集でも、彼女たちがそっくりそのままモデルをつとめていたせいだろう。
 初めて彼女たちの写真を見たとき、若い女性のグラビア、それもヌードでありながら、媚びた微笑みも恥じらいもしない、何を考えているかわからないような彼女たちに、少なからぬ戸惑いを覚えた記憶がある。だが、知り合いでもない他人が何を考えているかわからないのは当然であり、自分の戸惑いは、単に表情を拵えた女性たちの写真を見過ぎただけのことかもしれなかった。
 ギャラリーの壁に並ぶ彼女たちの裸身は、一群としてみればなぜか少しも卑猥ではなかった。それは、大衆浴場の旧式の番台に坐るお風呂屋さんの視線に近い見方なのかもしれない。一点一点のカットに眼を止めても、ただそれだけならやはり卑猥とまでは言えない気がした。ならば、媚びも微笑みかけもしない彼女たちに色気が感じられないかと言えば、否である。ただし、そのためには写真を見る側に、ある種のエネルギーが必要かもしれないと思った。それは、「Yellows1.0」の女性たちの裸には、どことなく、例えば同居人などの、あまりにも見馴れた”日常の裸”に通じるものがあるせいかもしれない。
 しかし、こうも考えられないだろうか。写真の中の彼女にセクシャルな感情をよびおこされるには、実は彼女の顔だけでも十分なのではないか。さらには、彼女は裸である必要すらなく、着衣でも支障ないのではなかろうか、と。
五味彬25P そのへんに思い至ると、もはや彼女たちが全裸である意味を無理にエロティシズムと結びつけるのは、何だか面白くなさそうに思えてきた。加えて、五味のこのシリーズの真価は、一人一人のモデルのからだの細部よりも、ある種の証明(証拠?)写真か標本のような一定のポーズの多数のモデルを反復的に見せること、図鑑やカタログのように見せることにあるのは、疑いなさそうであった。その意味で、初出誌上やのちのカラー版単行本のように、一点一頁で見せられるよりも、今回ここでの展示( 砲里茲Δ法⇒修畉酩覆髻彪欧譟匹里たちでまとめて見せられるほうが、右のような(私が勝手に決めた)真価は明白になったとも言える。
五味彬屏風 わけても、50カット、25人のモデルたちの写真からなる屏風は壮観だった。世間一般の基準では、たぶん「美形」、そして「やせ型」か「中肉」の範囲にまずまず収まるのだろうが、彼女たちの顔も体つきも、当然のことだが実にさまざまである。だが、これだけの数を並べると、そこにはある共通した傾向いな特徴が無言で浮かび上がってくるようなのだ。
 それは、中沢新一がこの展覧会のカタログ(◆砲能劼戮討い襪茲Δ福◆峅色い裸体」としての彼女たちの解剖学的もしくは形態人類学的特徴、さらには「精神的伝統」が彼女たちに無意識にとらせてしまう身体の表情、といった要素もたしかに含まれる。しかし、私がより強く感じてしまったのは、ある一時代の日本の若い女たちの身体、俗っぽい言い方をすれば、「バブル期」と言われた時代の日本の若い女の身体、「ボディコン/ワンレン」全盛期の女の子たちの身体がここにある、ということであった。
 ストレートの長い黒髪、太く力強く黒々と描いた眉、その他日頃は人目にふれない身体のすみずみまで、その時代の化粧(メイク)や美容・健康法、その時代の下着、その時代の衣装や履物・装身具、その時代の食事や酒や嗜好品の習慣、その時代に好まれたしぐさや身のこなし(その背後には、当時の、映像や舞台、スポーツ等々メディアの流布した厖大なイメージがある)、等々のすべてが、多かれ少なかれ影をおとし、彼女たちの裸形をこの姿にしているのだ。
 1991年、つまり平成3年といえば、日本経済史上”バブルが弾けた年”とされているが、むしろ世間の浮かれ騒ぎようは加速していたのではなかろうか。れいのディスコ「ジュリアナ東京」がオープンしたのは、この年のことである。
 4年後の1995年(平成7)年、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が同時に起り、世は一挙に本当の世紀末に突入したように思われた。そして、バブルの余韻も、ボディコン/ワンレンも、またたく間に雲散霧消したのである。
 閑話休題、そういうわけで、ここにはバブル期の女性の身体がしっかりと記録されている。また、言いかえれば、これは若い女性の身体というかたちで語り残された、一時代の記憶である。世上ひそかにバブル期を懐古するプチ・ブームもあるやに聞くが、そんな「全共闘」や「昭和三十年代」と同工異曲のナツメロを聴くよりも、この時代を知りたくば五味彬の「Yellows1.0」の女たちを見よ。ひょっとするとそこには、写真には写らないはずの彼女たちの「何を考えているかわからない」頭の中さえ保存されているのでは、と空想をしたりもするのである。
 すると、どうしても見たくなってくるのは、ここに写っている彼女たちの、17年後の現在の、全く同じ条件で撮影された全裸である。もはやボディコンでもワンレンでもないだろう彼女たちにとって、それはあるいは残酷なことかもしれない。だが、ひとたびカメラの前に曝された裸は際限なくその現在の姿を見せることを求められ続ける、と言ったら乱暴だろうか。写真が時の流れを堰き止めて、瞬間を永遠に保存する、というのは一面の真にすぎない。写真はまた、撮影時から現在に続く時の流れを強く意識させる力も持つのである。
 ましてや、裸像(ヌード)はそれ自体、見る者に時の流れを否応なく感じさせるものではないだろうか。それは人の裸の肉体ほど時の流れが敏感に刻まれるものはないと、私たちが知っているからに他ならない。その結果、日附のある「ヌード写真」の前で、私たちは日附から現在までの時の経過を意識し、その間の被写体(モデル)の肉体の変化を想像してしまう。あるいは、自分自身の肉体に刻まれた時の経過を振り返って確認しようとする。
 いや、むしろ私たちは「ヌード写真」を前にして、右のようなことを意識すまい、想像すまい、振り返るまいとして、むきになる。それは、現在がなしくずしに過去になってゆくという、「時」そのものに対する本能的な恐怖のためであり、「ヌード写真」は私たちが考えまい、考えまいとするその恐怖を強いて憶い出させる潜在力を持つ。その力は、被写体がたとえ既にこの世の人でなかろうとも(例、夏目雅子)失われるものではない。
 カメラ附き携帯電話の普及等もあり、プライヴェート・レベルまで含めれば、「ヌード写真」はいま空前の隆盛を迎えているのかもしれない。だが、「時」というものを意識するとき、「ヌード写真」にもその程度の”兇暴性”はあると思ってもいいと思うのである。
五味彬_Yellows修復版2 さて、実はもう一つ、会場で衝撃的だったものがある。それは、印刷・製本までされながら、発売寸前に断裁されてしまった五味の写真集の実物である。一頁大に拡大されたモデルたちのからだの正中線から2センチ位のところを、断裁機の刃は縦に真っ二つに切り割いた。それを作者五味が、一頁一頁ビニールテープで継いだものがそこにあった。
 かく言う私も、かつて売れなかった自著を事前通告なしに版元に断裁された苦い経験がある。在庫にも税金がかかる以上、やむを得ないことであり、売れない本を書いた自業自得と今は諦めもついたが、あれはつらかった。五味の写真集の断裁には税務署員が立ち合ったそうだが、そういうところは、妙に人間の「処刑」っぽい。テープで継がれた五味の写真集を手に、不運だった自分の本の最期を想って、私はこっそりと涙ぐんだ。(以下、略。『coto Vol.17』より転載)


2008年、これとは別に「キャノンギャラリー」で「YELLOWS Return To Classic」が開かれ、東京、名古屋、大阪を巡回した。
ときの忘れものアーカイブス vol1 五味彬 Yelows』有限会社ワタヌキ/ときの忘れもの、2008年。ここに掲載された中沢新一の「黄色い裸体(1)」は、本来五味がタレントの村上麗奈を撮った作品に対して書かれたものらしい。

佐伯修/1955(昭和30)年東京生まれ。北里大学水産学部卒。ライター。歴史、民俗、アジア、動植物等を主なテーマとする。
・著書=『上海自然科学研究所』(宝島社)、『外国人が見た日本の一世紀』(洋泉社)、『偽史と奇書の日本史』(現代書館)
・共著=『漂泊する眼差し』(新曜社)、『いま、三角寛サンカ小説を読む』(現代書館)、『帝都・東京(宝島SUGOI文庫)』(宝島社)、等
・聞き書き=花見薫著『天皇の鷹匠』(草思社)

*画廊亭主敬白
関西在住の銅版作家・庄野予侑子さんが『coto』(キトラ文庫発行、編集・発行:安田有、センナヨオコ、400円)という雑誌を送ってきてくれました。
coto
coto Vol.17
表紙:庄野予侑子

庄野さんは、京都芸大で吉原英雄先生の教え子です。
私は、1973年頃に現代版画センターのエディションをつくってもらうために京都(正確には高槻)の吉原先生を訪ねました。ちょうどご自宅には吉原教室の若い学生さんたちがいらしていて活気ある京都芸大版画科の未来を象徴するようでした。山本容子さんや田中孝さん、中井富士子さんたちがいたのを覚えています。
とにかく、そのときに吉原先生の眠っていた銅版画を中心に『鳥と女』という銅版画集にまとめる話が決まりました(1974年刊、銅版11点セット、限定366部)。後になって知ったのですが、既にスターだった吉原先生のこれが初めての版画集でした。この中のみみずくの作品が現代版画センターのエンボスのマークになりました。
話が最初から横道にそれてしまいましたが、庄野さんが送ってくださった『coto』Vol.17はもちろん庄野さんの作品が表紙につかわれているのですが、その57〜59ページにかけて、何とときの忘れもので昨年10月に開催した「五味彬展」にいらした佐伯修さんという方の展評が掲載されていました。私どもの存知ない方だったので慌てて庄野さんに連絡して、佐伯さんへのご連絡と転載のお願いをした次第です。
佐伯さん、庄野さん、ありがとう。そして転載を許可してくださったキトラ文庫さんありがとう。
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