鳥取絹子のエッセイ

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第12回(最終回)

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第12回(最終回)

「記憶に残る言葉」


 1年間はあっという間で、この連載も今回が最終回になった。そこで、締めくくりの意味も込めて、百瀬がこれまで出会った数えきれない人たちとの現場での会話から、いまでも記憶に残る言葉を2つほど。
「ボランティアをするために、日本からこんな遠いインドまで来るのなら、阪神へ行ってお手伝いしたほうがいいと思います」(マザー・テレサ)
 これは1995年2月、阪神・淡路大震災の直後にインドのカルカッタへ行ってマザー・テレサを撮ったときに言われた言葉だ。「なるほど、確かに」と頷いた百瀬に、マザーは続けて言った。「まずは身近なところで活動するのです。あなたは日本でエイズのことをやりなさい」
 突然、エイズと言われて驚いたのだが、偶然が偶然を呼び、百瀬はその後、HIV感染者の女性2人の写真を撮ることになる。当時は現在と違ってHIV感染=死という恐ろしい病気。奇しくもその頃私は、フランスで性によるHIV感染をテレビで告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソンの本を翻訳中だった。きっかけは何でもいい。このときはマザー・テレサの言葉が引き金になって、いざ行動! 翌年4月には、私たちは彼女の取材と撮影のためにパリにいた。そこで、彼女が恋人と同居していることを知ってびっくりし(HIV感染者でも恋はできる。さすがフランス!)、その勢いで、彼女たちを日本に呼んで各地の高校生の前で講演してもらうことに成功する。そのときも百瀬がルポ形式で写真を撮影し、それぞれ女性誌で発表することができた。手前味噌ながらこのときの講演会は大成功、翌年も彼女たちに来日してもらっている。
 そしてもう1人は、日本で初めて性によるHIV感染を告白した女性、北山翔子(ペンネーム)さんの撮影だ。北山さんも、エイズに詳しくなった私が取材して女性誌に発表、のちに単行本にするときも協力した。
「少しは、マザー・テレサの言葉を実践したかな」とは百瀬である。

hana-001百瀬恒彦
「3.11への祈り」
インクジェット
A3ノビ


hana-002百瀬恒彦
「3.11への祈り」
インクジェット
A3ノビ


 もう1つ記憶に残る言葉というより1つのシーンは、観世流の著名な能楽師を撮影したときだ。ご本人の写真以外に、能面も間近に見てみたいと思った百瀬は、不用意にも「能面を撮らせてください」と言った。すると、その場で能面を出してはもらえたのだが、そのときの「お道具」「魂がこもっているものですから」という心に響く言葉とともに、箱からの出し方1つひとつが、祈りを込めた、儀式にのっとった美しい所作なのに圧倒されてしまった。
「それを見て僕は、自分の商売道具であるカメラやレンズをどのくらい大切に扱っているのかと、恥ずかしく思った。以来、“お道具”という気持ちを込めてカメラに触っている」

 現在、百瀬は1つひとつの作品を制作するときも、同じ気持ちで魂を込めて接している。そしていちばんに心がけているのは“美しい写真”である。
「作品には誰もが何らかのメッセージを込めるものだけれど、やはり美しくないといけないと思う。そしてできれば、オリジナルプリントをみなさんに買っていただいて、絵と同じように部屋に飾ってほしい。そのためにも、目にきれいに写る写真がいいと思う」
 日本は、写真作品への評価が高い欧米と比べて、写真をアートとして見てもらえる風潮がやや低いのがとても残念だ。写真の地位向上(?)のために、これからも頑張っていくつもりである。

nude-1百瀬恒彦
「ヌード 1」
全紙バライタ紙


nude-2百瀬恒彦
「ヌード 2」
全紙バライタ紙


paris-001-p百瀬恒彦
「パリ 1」
四つ切りバライタ紙


paris-46-p-1百瀬恒彦
「パリ 2」
四つ切りバライタ紙


(とっとりきぬこ)

■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。
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ときの忘れもの企画展予告
「百瀬恒彦写真展―無色有情」
会期=2014年4月2日[水]―4月12日[土] 12:00-19:00 ※会期中無休

企画:荒川陽子(アラカワアートオフィス)

写真家・百瀬恒彦は、世界各地を旅行し、風景でありながら人間、生活に重きを置いた写真を撮り続けています。これまでにマザー・テレサなど各界著名人の肖像写真や「刺青」をテーマに撮り、和紙にモノクロプリントして日本画の顔料で着彩した作品を制作するなど、独自の写真表現の世界を追及、展開してまいりました。
本展では、1990年にモロッコを旅してフェズの街を撮影した写真約20点をご覧いただきます。
同時に、ときの忘れものより、百瀬恒彦ポートフォリオ『無色有情』(10点組)を刊行することとなりましたので、予約販売を開始します。予約特価での販売は2014年3月31日までですので、下記よりお申込みいただければ幸いです。
ご不明な点は遠慮なくお問い合せください。

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百瀬恒彦ポートフォリオ
『無色有情』

2014年4月2日
ときの忘れもの 発行
仕様:たとう箱入オリジナルプリント10点組
限定12部(1/12〜12/12)
各作品に限定番号と作家直筆サイン入り
技法:ゼラチンシルバープリント
用紙:バライタ紙
シートサイズ:20.3x25.4cm(六切)
撮影年:1990年
プリント年:2013年
テキスト:谷川俊太郎、百瀬恒彦
予約特別価格:250,000円
※申込み締切:2014年3月31日まで

申込み・お問い合わせは下記まで。
Tel: 03-3470-2631
Fax: 03-3401-1604
Email: info@tokinowasuremono.com

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ−たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。
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本日のウォーホル語録

「ぼくは長い婚約を信じる。期間が長ければ、長いほど、良い。
―アンディ・ウォーホル」


ときの忘れものでは4月19日〜5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第11回

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第11回

「モノクロへのこだわり」


 百瀬はモノクロの写真にこだわっている。ここでいうモノクロはフィルム撮影によるモノクロで、その場合、現像や紙焼きを業者に任せる写真家もなかにはいるが、百瀬はすべて自分ひとりでする。昔、何度か現像所でやってもらったことがあるのだが、どうしても自分が撮ったときの思いとは違ったものが出来上がってきた。だから、人には絶対に任せない。
「写真は、もちろん撮る行為がいちばん大事だけれど、それだけで終わらせたくない。幸い、モノクロはカラーと違って、現像も紙焼きもすべて自分でできるから、そこで“魂”を入れられるのではないか。そう思って、モノクロを一生懸命やっている。自分の色を出したい一心で」
 問題は、そのためには真っ暗な暗室にこもらなければならないことで、天気のいい日などはどうしても腰が重くなる。とくにデジタルに移行してからは、明るい光のなかですべての作業ができるのが嬉しくて、ついご無沙汰していたのだが、このところ久しぶりに暗室にこもっている。そう、『ときの忘れもの』でこの4月2日から11日まで開催される『百瀬恒彦写真展――無色有情』のための作品づくりだ。今度の個展では展示用に大きい全紙サイズの作品を何点か作るので、暗室の作業スペースもいつもより広く確保しなければならない。
 そこで今回は百瀬の暗室を少し紹介しよう。デジタル全盛の時代、いまどきこんな作業をしている人は少ないだろうし、10年後、20年後、いやそれほど経たずして過去の遺物(?)になる恐れもあるので、記録の意味も込めて。
 暗室になるのは19平方メートルぐらいの仕事場で、普段はデスクの上のパソコンや大型のプリンターが主役の顔をしている。仕事場の片隅には引き伸ばし機と、全紙サイズの紙焼きまで乾燥させられる結構大きな乾燥機もある。彩光部は外に面してすりガラスになった一面と、居住空間へのドア部分で、この二カ所にカーテン状になった暗幕(常設)を張り巡らすと暗室に変身する。普通サイズの紙焼きはこのままでいいのだが、今回は全紙サイズを作るので、引き伸ばし機をデスクの上に移動し、印画紙を床の上に置いて投影する作業をした。

DSC_1799僕の遊び場


DSC_1802引き伸ばし


DSC_1804必需品


DSC_1807乾燥機


「久しぶりに大きいのを焼いて痛感したのは、視力が落ちたこと。裸眼と老眼鏡で何度も調整しながらピントを合わせた。いちばん伸ばしたのは床から160センチぐらい」 作品が大きいので、現像液→停止液→定着液→水洗用のバットも当然大きく、水洗は万全を期して流しっ放しで1時間半。これらすべてが手作業で、ちょっとした力仕事でもある。
「さじ加減でそれぞれ違って、やっぱり面白い」
 いま現在、展示用の全紙4枚と、半切9枚の作品が完成し、いよいよこれから和紙の作品づくりに入るところだ。
「楽しみだ。書道家の篠田桃紅さんを撮影したときの言葉に、『若い頃は、思っていてもなかなかできなかったことが、年を取ってくると“ふっと”できるようになる』というのがあるんだけど、僕もいまそれを実感している。こうしたい、ああしたいと思っていたことがやっとできるようになった」
 それにしても、暗室用品をヨドバシカメラなどに買いに行くたびにビックリするのは、値段の高騰ぶり! 売り場面積もどんどん縮小され、販売員も少数で手持ちぶさたで寂しそうだし、以前愛用していた印画紙がないことが多い! それだけ面倒な手作業をやる人が少なくなったのだろうが、このままいくと本当に過去の遺物になってしまうのではないだろうか? と、百瀬は面食らいつつも危機感を抱いている。
(とっとりきぬこ)

■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ−たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。

ときの忘れもの企画展予告
「百瀬恒彦写真展―無色有情」
会期=2014年4月2日[水]―4月12日[土] 12:00-19:00 ※会期中無休

企画:荒川陽子(アラカワアートオフィス)

写真家・百瀬恒彦は、世界各地を旅行し、風景でありながら人間、生活に重きを置いた写真を撮り続けています。これまでにマザー・テレサなど各界著名人の肖像写真や「刺青」をテーマに撮り、和紙にモノクロプリントして日本画の顔料で着彩した作品を制作するなど、独自の写真表現の世界を追及、展開してまいりました。
本展では、1990年にモロッコを旅してフェズの街を撮影した写真約20点をご覧いただきます。
同時に、ときの忘れものより、百瀬恒彦ポートフォリオ『無色有情』(10点組)を刊行することとなりましたので、予約販売を開始します。予約特価での販売は2014年3月31日までですので、下記よりお申込みいただければ幸いです。
ご不明な点は遠慮なくお問い合せください。

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百瀬恒彦ポートフォリオ
『無色有情』

2014年4月2日
ときの忘れもの 発行
仕様:たとう箱入オリジナルプリント10点組
限定12部(1/12〜12/12)
各作品に限定番号と作家直筆サイン入り
技法:ゼラチンシルバープリント
用紙:バライタ紙
シートサイズ:20.3x25.4cm(六切)
撮影年:1990年
プリント年:2013年
テキスト:谷川俊太郎、百瀬恒彦
予約特別価格:250,000円
※申込み締切:2014年3月31日まで

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◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子さんのエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・土渕信彦さんのエッセイ「瀧口修造の箱舟」は毎月5日の更新です。
 ・君島彩子さんのエッセイ「墨と仏像と私」は毎月8日の更新です。
 ・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は毎月14日の更新です。
 ・鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。
 ・井桁裕子さんのエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
  バックナンバーはコチラです。
 ・森下泰輔さんの新連載エッセイ「私のAndy Warhol体験」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香さんのエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
 ・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実さんのエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・飯沢耕太郎さんのエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
 ・浜田宏司さんのエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
 ・深野一朗さんのエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
 ・ときの忘れものでは2014年1月から数回にわけて瀧口修造展を開催します。関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。

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鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第10回

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第10回

「一瞬を切り取る! 瞬間芸?」


「写真が絵と違うのは、一瞬を切り取るものだということ」 
 ポートレートで“絵”を描くことをライフワークにしている百瀬は、写真と絵の違いをそう語る。絵なら、ある程度の時間をかけ、納得のいくまで自分のイメージを追求することができるが、百瀬の場合の写真は、その現場での瞬間の勝負! その瞬間をどうとらえ、どう切り取り、どう決めるのか。そこには演出などはいっさい存在せず、対象が人物の場合でも、前回も触れたように、カメラで近づいても「気配」を感じさせない不思議な力で、その一瞬をものにする。ちなみに「気配を消す」うんぬんは、あくまでも第三者の見方、百瀬自身はまったくの無意識による行動だそうで、本人いわく「瞬間芸かな?」
 作品を撮るのは、おもに海外へ旅行したときで、目的の場所や街を、必要最低限のカメラ器材を肩に、ぶらぶら歩きながら、あるいは車で移動しながら、獲物を追う狩人のように被写体を探す。「カメラを持って歩くときは、つねに何かを撮ろうとしている」のだけれども、何をカメラに収めるかは、拍子抜けするようだが、獲物に遭遇するまでまったくわからない。
「そこでの“出会い”を大事にする。そこに自分の身体を運び、身の周り360度で起きている出来事を切り取る。なぜそこに自分の身を置くのかも含めて、すべてが偶然だから、そこでたまたま出くわすことは事件みたいなもの」
 偶然の“出会い”は、見逃すことが多々あるにしても、思いがけない出来事もあり、それをものにできるかどうかは、そのときの光の具合や、カメラに付けているレンズなどの撮影条件が万全でないとうまくいかず、現場は想像以上にスリリング。写真に留めておきたい光景に出会っても、大急ぎでカメラを取り出し、セットしたときはすでに遅かった、ということもままある。
 こうして、これまで行く先々で切り取った“一瞬”のなかから、今回は百瀬の好きなパリで撮ったお気に入りの作品を何点か。

paris-001百瀬恒彦
「ひととき」
ゼラチンシルバープリント、バライタ紙
25.4x30.4cm
サイン入り


paris-002百瀬恒彦
「抵抗」
ゼラチンシルバープリント、バライタ紙
25.4x30.4cm
サイン入り

paris-003
百瀬恒彦
「家路」
ゼラチンシルバープリント、バライタ紙
25.4x30.4cm
サイン入り


paris-004
百瀬恒彦
「恋人」
ゼラチンシルバープリント、バライタ紙
25.4x30.4cm
サイン入り


paris-005百瀬恒彦
「抱擁」
ゼラチンシルバープリント、バライタ紙
25.4x30.4cm
サイン入り


 パリはどこを撮っても、風景も人も美しい“絵”になる街で、それを象徴するのがロベール・ドワノー(Robert Doisneau 1912-1994)の写真「パリ市庁舎前のキス」だろう。この作品は、日本でも東京都写真美術館の外壁を飾る写真壁画になっているほど有名なのだが、残念ながら、のちにドワノー自身の告白で演出だったことがわかり、失望した人も多いはずだ。それもあってか、ここに紹介する百瀬の作品を見て、「モデルさん使ったの?」とよく聞かれるそうだが、まったくそうではなく、演出はゼロ。ただし、ここが案外ポイントかもしれないのは、どの写真も「これだ!」と思うシャッターチャンスは1回のみというところだ。「シャッターがぶれると困るので、写真を撮る姿勢には持っていっている」にしても、まさに瞬間芸? たとえば、「向こう側のホームでワーッと叫んでいる人がいたのでシャッターを押したら、その音に気づいた彼がこっちを見て親指を立ててOK! の合図をしてくれた」という地下鉄オデオン駅の写真も、シャッターを押したのは1回のみ。それなのに、この写真でギターの先端が突き刺している広告の文字「Irrésistible」は「抗し難い」という意味で、フランス語を知っている人なら、あまりの出来すぎに「やらせ?」と思ってもおかしくない。けれどもこれに関しては、フランス語は「ファティゲfatigué(e)」(疲れた)や「ジェ・ファン J’ai faim」(お腹が空いた)ぐらいは使える百瀬も、この単語は未知のものだったらしく、あとで知って「えっ!」。また、気配を消す百瀬の不思議さがわかるのが、学生街サン=ミシェルで抱き合う男女の写真。「気づいたら、カメラが勝手に動いて撮っていた」シーンも、シャッターを押したのは1回のみ!
(とっとりきぬこ)

■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ−たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。


ときの忘れもの企画展予告
百瀬恒彦写真展 ― 無色有情
会期=2014年4月2日[水]―4月12日[土] 12:00-19:00 *会期中無休

企画:荒川陽子(アラカワアートオフィス)」

写真家・百瀬恒彦は、世界各地を旅行し、風景でありながら人間、生活に重きを置いた写真を撮り続けています。これまでにマザー・テレサなど各界著名人の肖像写真や「刺青」をテーマに撮り、和紙にモノクロプリントして日本画の顔料で着彩した作品を制作するなど、独自の写真表現の世界を追及、展開してまいりました。
本展では、1990年にモロッコを旅してフェズの街を撮影した写真約20点をご覧いただきます。
同時に、ときの忘れものより、百瀬恒彦ポートフォリオ『無色有情』(10点組)を刊行することとなりましたので、予約販売を開始します。予約特価での販売は2014年3月31日までですので、下記よりお申込みいただければ幸いです。
ご不明な点は遠慮なくお問い合せください。


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百瀬恒彦ポートフォリオ
『無色有情』

2014年4月2日
ときの忘れもの 発行
仕様:たとう箱入オリジナルプリント10点組
限定12部(1/12〜12/12)
各作品に限定番号と作家直筆サイン入り
技法:ゼラチンシルバープリント
用紙:バライタ紙
シートサイズ:20.3x25.4cm(六切)
撮影年:1990年
プリント年:2013年
テキスト:谷川俊太郎、百瀬恒彦
予約特別価格:250,000円
※申込み締切:2014年3月31日まで

申込み・お問い合わせは下記まで。
Tel: 03-3470-2631
Fax: 03-3401-1604
Email: info@tokinowasuremono.com

◆鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。

◆ときの忘れものは2014年1月8日[水]―1月25日[土]「瀧口修造展 機を開催しています。
245_takiguchi2014年、3回に分けてドローイング、バーントドローイング、ロトデッサン、デカルコマニーなど瀧口修造作品を展示いたします(1月、3月、12月)。
このブログでは関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。

●展覧会の感想
<外苑前のギャラリーときの忘れものにて、瀧口修造の水彩画を観た。手遊びのような自由さと、いっぽうで、こうした絵とも文字ともつかぬようなものに時間を費やすことへの切実さも感じ取れた。宇宙青と黒いインクのしみに眼を凝らす。全篇が瀧口修造の影で覆われている小説、飯島耕一『冬の幻』を読む。>(moegi nakanoさんのtwitterより)

カタログのご案内
表紙『瀧口修造展 I』図録
2013年
ときの忘れもの 発行
図版:44点
英文併記
21.5x15.2cm
ハードカバー
76ページ
執筆:土渕信彦「瀧口修造―人と作品」
再録:瀧口修造「私も描く」「手が先き、先きが手」
価格:2,100円(税込)
※送料別途250円(お申し込みはコチラへ)

瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHIの出品作品を順次ご紹介します。

takiguchi2014_I_31
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
「出品番号 I-31」
水彩、インク、紙
イメージサイズ:27.2×39.2cm
シートサイズ:27.2×39.2cm

takiguchi2014_I_32
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
「出品番号 I-32」
水彩、インク、紙
イメージサイズ:35.7×24.5cm
シートサイズ:35.7×24.5cm

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鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第9回

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第9回

「しあわせってなんだっけ?」


 1991年に初めて個展をしてから、意識して「人さまにお見せできる」機会を探すようになった百瀬のまわりで、それまであまり縁のなかったギャラリー関係の人たちの輪が少しずつ広がっていく。と同時に、「遅まきながら、写真での表現の仕方がわかってきたのかなあ? こんな絵を撮りたいと思ったら、イメージ通りに撮れるようになってきた」 そして、ここ数年はほぼ年に一回個展を開くようになっているのだが、そのときのテーマは、どこかへ旅行したりするときに、ふと頭に舞い降りてくる不思議な「ひらめき」?
 地球温暖化や異常気象が目に見える形で脅威になって久しい2010年、なぜか映画や人づてに見聞きするアーミッシュの人たちの生活が頭に浮かんだ。彼らは21世紀のいまでも電気を使わない生活をして自給自足、車も使わず馬や馬車で移動しているという。
「地球温暖化の原因は現代人の生活様式にあると言われているのに、僕たち現代人は麻酔でもかけられているように目が覚めない。アーミッシュの人たちの生活から何かヒントを与えることができないかと思った」
 調べてみると、アーミッシュはアメリカ全土で何10万人もいて、ニューヨークから車でわずか2時間ほどのペンシルバニア州ランカスター周辺に大きな集落があるという。ニューヨークなら11月に行くことがすでに決まっていた。こんなにいい機会はない! ぜひ現地に行って、自分の目=レンズを通して見てみたい! と、何かに引かれるように飛んでいった。「飽食とエネルギー使い放題の代表であるニューヨークと写真で対比させたかった」

1百瀬恒彦
「浪費癖って直るのかなあ!」
2010年撮影
デジタル
A3ノビ
インクジェットプリント


2百瀬恒彦
「急がば回ろっと!」
2010年撮影
デジタル
A3ノビ
インクジェットプリント


 アーミッシュの人たちは、タイムマシーンで100年前に戻ったような生活をしていた。しかも臆することなく堂々と! 馬で畑を耕し、馬車で買い物に行き、夜は蝋燭を明かりにしていた。子供たちはバレーボールをして遊び、大人たちは仕事が終わるとみんな一様に黒い服を着て集会所に集まり、何やらとても楽しそうだった。車で乱入した撮影隊(?)に気づくと、顔を伏せて背を向け、ドアを閉める人もいたのだが、そこは百瀬の得意とするところ。ある人に言わせると、「人を撮るときに、間近にいても気配を消す……」不思議な能力があるらしく、なんとかイメージ通りの「絵」が撮れた。

3百瀬恒彦
「しあわせってなんだっけ?」
2010年撮影
デジタル A3ノビ
インクジェットプリント


4百瀬恒彦
「さあ 働こっと!」
2010年撮影
デジタル A3ノビ
インクジェットプリント


5百瀬恒彦
「「しあわせ?」「ウン!」」
2010年撮影
デジタル A3ノビ
インクジェットプリント


6百瀬恒彦
「明日はどんな一日かな?」
2010年撮影
デジタル A3ノビ
インクジェットプリント


7百瀬恒彦
「一番星はダーレ?」
2010年撮影
デジタル A3ノビ
インクジェットプリント


 帰国して数ヶ月後の翌2011年3月11日、あの東日本大震災が発生して、東京までも揺れに揺れ、同時に発生した福島原発事故で、日本はおろか世界じゅうが恐怖におののいた。とくに人災ともいえる原発事故は、エネルギーの無駄遣いに麻痺した人間への天からの警告だった。
「本当はこのときの写真展は次の年にしようと思っていたんだけど、恐いぐらいに僕のテーマと一致してしまったので、すぐに準備に取りかかった」
 偶然とはいえ、アメリカの原発事故があったスリーマイル島もペンシルバニア州だった。そしてその年2011年7月、東京・表参道のプロモ・アルテギャラリーで開いた個展のタイトルが『しあわせってなんだっけ?』 エネルギーの無駄遣いや、自然との共存などを問いかけたつもり……だそうだが、「こういうメッセージはこれからもずっと伝えていきたいと思っている」と、百瀬は言っている。
(とっとりきぬこ)

■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ−たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。

◆鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第8回

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第8回

「沈まない太陽」


 前々回の“太陽は一つです”でも書いたように、太陽は写真家としての百瀬の意識のなかにつねにあり、限りない宇宙への畏敬の念とともに、好奇心の対象にもなっている。それが究極の行動となって表れたのが、白夜で沈まない太陽を撮影するために1985年の夏、ノルウエーの最北端ノールカップ(北岬)へ向かった旅だ。当時はまだ米国とソ連が思想的に対立する冷戦時代、西側で民間人が行けるユーラシア大陸の最北端がそこだった。
「ノールカップのことは、学生時代の1968年に最初に北欧を旅行したときに初めて聞いて、白夜で、太陽が24時間沈まないとは不思議だな……? どういう状況なのだろう? と、ずっと行ってみたいと思っていた」
 このときの旅は私と、当時小6だった娘も一緒で、夏休みに合わせて7月16日に成田を出発し、帰国はシベリア鉄道経由で、横浜港に着いたのが9月6日という大旅行だった。けれども旅のおもな目的はあくまでもノールカップでの撮影。まずはスイスに住む百瀬の兄貴分ポールさんのところに寄って、フォルクスワーゲンのワゴンをキャンプカーに改造した車を借りてひたすら北進。沈まない太陽が見られるのは7月30日頃までと聞き、それに間に合うよう、フィヨルドのくねくねした道に苛つきながら、1日500繊600舛眩って、目指すノールカップに着いたのがぎりぎり7月29日の夜8時半頃だった。
 その数日前から白夜の雰囲気はあり、太陽が山陰に隠れるのが夜の11時半頃、北極圏を越えてからは光景も殺伐としてきていたのだが、着いたところはちょっとした名所。夜の10時を過ぎると、真夜中の太陽を見るためか、物好きな人を乗せた車やバスが何台もやって来た。けれども、記念写真などを撮ってさっさと帰る人が多く、何日も滞在するのは少数派? わけても、北極からの風が吹きすさぶなか、断崖絶壁の岬に陣取って、カメラを三脚でセットし、毛布にくるまりながら、沈まない太陽を追う百瀬の姿は見物だった。百瀬の頭にあったのは多重露光による連続写真、しかも当時はまだフィルムだった。
「やり方は前もって考えていたけれど、現場での太陽の光とか、実際にやってみないとわからない。ぶっつけ本番もいいところで、次の機会もないから、たった1枚の写真になる。しかも結果は現像するまでかわからない……」
 真夜中12時の太陽がいちばん下に来るところから逆算して、夕方の6時に撮影を始め、1時間ごとにシャッターを押して、計7回。ずっと明るかったとはいえ、終わったのは翌日の午前1時だった。
「寒かったどころじゃない。吹きすさぶ風で三脚が飛ぶのが心配だった。帰国して、現像して、初めてなんとか撮れているのがわかったけれど、いま思うと大変なことをしたと思う。そういう達成感はある」

_DSC2605百瀬恒彦
2012年撮影
デジタル


 それから時代は大きく変わり、フィルムからデジカメに切り替えた百瀬は、去年2012年5月、日本で観察できる世紀の天体ショー「金環日食」のとき、ノールカップを思い出してか、美しい金の環を描く太陽にカメラを向けた。
「デジだったらどう撮れるか、興味があった。苦労せずにきれいな写真が撮れて、あとで加工もできるのはいいんだけれど、そのぶん逆に、フィルムのときの真剣さを忘れてはいけないと思う」
 ところで、わざわざノールカップまで行って撮った沈まない太陽の連続写真は「自分ひとりだけの宝物」として、これまでどこにも発表してこなかった。というわけで、今回が初公開です!

nordkapp百瀬恒彦
1985年撮影
コダクローム 35ミリポジフィルム


(とっとりきぬこ)

■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ−たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子さんのエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・土渕信彦さんのエッセイ「瀧口修造の箱舟」は毎月5日の更新です。
 ・君島彩子さんのエッセイ「墨と仏像と私」は毎月8日の更新です。
 ・鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。
 ・井桁裕子さんのエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
  バックナンバーはコチラです。
 ・小林美香さんのエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
 ・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は第4回までは毎月28日の更新でしたが、次回第5回(11月)からは毎月14日の更新に変更します。
 ・植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実さんのエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・飯沢耕太郎さんのエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
 ・浜田宏司さんのエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
 ・深野一朗さんのエッセイは随時更新します。
 ・荒井由泰さんのエッセイ「マイコレクション物語」は終了しました。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
 ・ときの忘れものでは2014年1月から数回にわけて瀧口修造展を開催します。関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。

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鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第7回

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第7回

“ムッシュー・ショコラ”


 今回は閑話休題――百瀬が世界的に有名なある女優を撮影したときのちょっと面白い裏話を、二部構成で。
 第一部は1991年11月、フランスのシャンソン界の大御所、ジュリエット・グレコが10何回目かの来日公演をしたときだ。このときは私が絡む。長年、シャンソンの歌詞の対訳をしていた関係で、グレコを招聘するアンフィニの中村敬子さんとは仕事仲間であり、いわゆる同志。百瀬がグレコを個人的に撮影したいというので、無理を聞き入れてもらい、タイトなスケジュールのなか、東京・昭和女子大人見記念講堂でのリハーサルを撮影させてもらえることになった。もちろん、撮影は無事終了。さて、お礼はどうしようか?
 百瀬が思いついたのが、当時、中目黒にあった事務所の近所にあるお洒落なチョコレート屋さんのバラの形をしたチョコレート。翌日の夜の公演には二人で行くことになっていたので、そのときにでも中村さんを介して渡してもらえばいい。と思っていたら、公演終了後「楽屋へどうぞ」と言われ、直接渡せることになった。楽屋でのグレコさんは、舞台で全身全霊を出し切ったのかさすがに疲れた顔をしていたのだが、百瀬が持って行ったチョコレートの箱を見てにっこり、「メルシィ、ムッシュー・ショコラ!」と、愛情あふれる言葉を返してくれたのだ。以来、百瀬はムッシュー・ショコラになった。
DSC_1091百瀬恒彦
「ジュリエット・グレコ」
1991年撮影
RC paper
8x10inch
サイン入り

DSC_1112百瀬恒彦
「ジュリエット・グレコ」
1991年撮影
RC paper
8x10inch
サイン入り

 第二部は翌1992年の10月頃。やはりフランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴが、アカデミー外国映画賞を取った主演作『インドシナ』の日本プロモーションのために来日する。そのとき百瀬は同じ日の午前と午後に、違う媒体の雑誌2誌から撮影を依頼されていた。事件が起きたのはその前日。ドヌーヴも出席したマスコミ向けの記者会見で、撮影は最初の10分間だけと言われていたのに撮り続けたカメラマンがいたことから、彼女が激怒! 席を立ってしまったのだ。この騒動は一部の新聞やテレビでも報道され、百瀬の耳にも入る。
 案の定、翌日に指定された撮影現場(「確か帝国ホテルだったと思う」とは百瀬)に行くと、スタッフ全員がピリピリしている。その撮影が終わって「午後にまた来ます」と言ったらビックリされ、「いま撮った写真を流用してもらえないか」とまで言われる。そんなことが出来るはずもなく、しかし、同じ日に同じカメラマンに撮られることがドヌーヴの逆鱗に触れるのも困る。一計を案じなければと思った百瀬は「とにかく午後にまた来ます」と言って現場を去り、急遽、事務所へ戻って、自分用に撮影したモノクロを二時間余りで現像して紙焼きにし、それと、グレコに“ムッシュー・ショコラ”と言ってもらったのと同じバラの形のチョコレートを持っていくことにした。
 さて午後になり、その日二度目の撮影現場に行くと、ドヌーヴは一瞬、やはり怪訝な顔をしたのだが、モノクロの写真を見せると喜んでくれ、二枚ぐらいにすらすら慣れた手つきでサインをしてくれた。次に、もっと喜んでもらえるつもりでチョコレートの箱を渡したところ、それまでフランス語で喋っていたドヌーヴが、なんと英語で「アイ・ドント・ライク・チョコレート!」とはっきり言ったのだ。まわりは唖然、呆然! どうなることかと思われたのだが、撮影は無事に終了。さすが大女優の振舞である。 

DSC_1078百瀬恒彦
「カトリーヌ・ドヌーヴ」
1992年撮影
RC paper
8x10inch
サイン入り

 あのときのバラのチョコレートはどうなったのだろう? と、百瀬は思っている。
(とっとりきぬこ)

■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ−たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。

◆鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第6回

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第6回

“太陽は一つです”


 あるとき、美輪明宏さんを撮影するために美輪さんの自宅に行ったことがあった。その前にも何度か撮影していたので、美輪さんも百瀬に対しては親近感を抱いていたのだろうか。家の中で撮影場所を決めてストロボをセットし終わると、
「あら、あなたライト一つだけなの?」 
 と、やや非難めいて言われてしまった。おそらくほかの多くのカメラマンは何個ものストロボをセットしていたに違いない。それに対して、百瀬が、
「ええ、太陽は一つですから」 と答えると、美輪さんはしてやられたとばかりに「ふん!」
 咄嗟に出た言葉とはいえ、我ながらいまでも名言だと思っている。
 そう、百瀬は写真の仕事を始めた当初から光源としての人工光は一個しか使わない。撮影用の人工光として発明されたストロボは、光を昼間の太陽光に近づけたものであり、タングステンライトは夕方の赤っぽい太陽光に近いといえるだろう。
「太陽の偉大さを感じる。太陽一個で、これだけ地球の隅々まで見せてくれるのは大変なことだと思う。刻々と変わる光で、濃淡のある光と影、順光の美、逆光の美を作ってくれる。その美しさをどう撮り込むか。それが僕らの仕事だと思う」
 できれば人でも物でもすべてを自然の太陽光で撮影したいのだが、実際の仕事では撮影場所が屋内であることが多く、だから、人工光を使って偉大な太陽が織りなす光の綾をいかにつくりだすかが、いちばんのポイントになる。
「人や物を見るときの光と影に関しては、普通の人よりは注意深く、興味を持って見ていると思う。太陽の位置や雲の状態によって光と影が変わるように、光源の位置や角度、強くするか弱くするかで、光と影のバランスが微妙に変わってくる。太陽の光が地上を回るように、光源の光も回す。そうして、撮影する人や物がいちばん美しく見える光にする」
 フィルムカメラを使っていた頃は、デジタルと違ってその場で画像を確認することができないうえ、再撮影などもってのほか、光に関してはとくに緻密な計算をしなければならなかった。おかげで撮影するときの光と影についてはずいぶんと訓練された。
 当たり前のことだが、写真は“光”がないと写らない。そして、その光がつくり出すえもいえぬ影が美しいのである。
(とっとりきぬこ)

miwa百瀬恒彦
「美輪明宏」
2001
和紙にモノクロプリント
32.0x24.0cm
サイン入り


■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ−たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。

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鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第5回

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第5回

刺青・タトゥーの“悪戯彫り”


“和紙”へのプリントに道が見えてきた百瀬は、次の個展は全部和紙の作品で行こう! と決め、和紙に合いそうなテーマを考えはじめた。そのときすぐに頭に浮かんだのが刺青だ。「一つは怖いもの見たさというか、好奇心。この機会に陰と陽の“陰の文化”みたいなものを作品にしてもいいと思った」 とはいえ、どこをどうたどれば刺青の世界に行きつくのか、まったく当てはない。けれども、何かをやりたいときは、それを言葉にして、アンテナを張っておくものだ。このときは、私がたまたまある雑誌で取材した、浅草の紙問屋のご主人との雑談がアンテナに引っかかった。腕のいい彫り師をひとり知っているというのだ。それが上野の彫り師、二代目彫文さんだった。
 さっそく彫文さんに電話をして、刺青の写真を撮りたい旨を丁寧に説明し、それから改めて挨拶に行ったとき、彫文さんが漏らした何気ないひと言に、百瀬のやる気はさらに固まった。「刺青を撮りたいって、カメラマンがいっぱいここに来るけど、どうもモノになった奴がいないんだな!……」。彫文さんにこちらの本気度を理解してもらうにはどうしたらいいのだろう? 刺青には、針を皮膚に刺して、一点一点色を入れていく昔ながらの和彫りと、機械で簡単に入れる“機械彫り”があり、彫文さんはもちろん“和彫り”。「針を入れるたびに皮膚が反発して、ぷちっ、ぷちって音がする、痛いよっ」 そんな話を聞きながら、百瀬の口から思わずついて出たのが「僕も入れよかな!」 
「痛さも含めて、興味があった」とは百瀬だが、刺青を彫ってもらうために彫文さんのところへ二回、三回と通ううち、彫文さんも心を開いてくれたのだろう、自分が刺青を手がけた人のなかから写真を撮ってもいいという人を紹介してもらえるようになった。調理師さん、高校の英語教師をしていたアメリカ人女性、神戸のお針子さん……、そして極めつけは、彫文さんの練習台になっていたという奥さんまで。撮った写真はすべて和紙の作品にし、日本画の顔料で自分がイメージした刺青の色合いに着色することも試みた。

DSC_0746百瀬恒彦
「刺青」
c.1990-c.1994
和紙にプリント、手彩色
90.0x60.0cm
サイン入り


DSC_0748百瀬恒彦
「刺青」
c.1990-c.1994
和紙にプリント、手彩色
60.0x90.0cm
サイン入り


DSC_0750百瀬恒彦
「刺青」
c.1990-c.1994
和紙にプリント、手彩色
60.0x90.0cm
サイン入り


DSC_0751百瀬恒彦
「刺青」
c.1990-c.1994
和紙にプリント、手彩色
60.0x90.0cm
サイン入り


 こうして二年ぐらいかけて、個展ができそうなほどの“まとまり”ができたとき、たまたまパリで画廊を経営している人と知り合い、話をしたらとんとん拍子。1994年11月、和紙にプリントした刺青の最初の写真展は、日本を越えてパリの『ギャラリー・クキ』で開かれ、このとき、詩人の谷川俊太郎さんに『刺青』という題の詩を書いてもらった。ちなみにこの詩は私がフランス語に訳させてもらったのだが、谷川さんの詩の韻の素晴らしさにうなった覚えがある。そして日本では、翌1995年6月、東京・銀座の『愛宕山画廊』で開かれ、これが作品にきちんと値段をつけて展示する最初の個展となった。
 余談だが、百瀬が刺青を入れてもらったのは背中で、図柄は“龍”。ところが途中で、絵が完成すると背中一面になることを知り、痛かったこともあって、右肩上に葉書三枚分を彫ってもらったところで、彫文さんにお願いして止めてもらっている。だから、せっかくの“龍”も尻切れとんぼで可愛い? こういう刺青を“悪戯彫り”(いたずらぼり)というのだとか。
(とっとりきぬこ)

■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ−たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第4回

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第4回

和紙への挑戦


 1991年にモロッコの写真で初の個展の準備をしていたとき、百瀬は秘かにあることへの挑戦も始めていた。モノクロを既製の印画紙ではなく、“和紙”にプリントするという作品づくりだ。「人と違うことをやってみたいとはつねづね思っていた」 きっかけはちょうどその頃、フジフィルムから“アートエマルジョン”というモノクロ感光乳剤が発売されたことだった。印画紙の表面に塗ってある乳剤が製品として独立したもので、それを紙や布などいろいろな素材に塗って現像すれば、印画紙と同じで作品が作れる。支持体を和紙にしたのは、自分は日本人という意識があったからか。「いちばんの魅力は自分で印画紙が作れて自由に遊べることだけど、データなどなにもないから、とにかく一からやってみるしかなかった」 当然、和紙に感光乳剤を塗ることから始まる作業はフィルムや写真の現像と同じで、暗室の中で行わなければならず、そこでの光源は印画紙を感光させない薄暗い赤い電球のみ。未知の世界へ向かって、暗がりのなかでの文字通り手探りでの試行錯誤が始まった。
 まず、作品づくり以前に大きな問題として立ちはだかったのが、和紙と感光乳剤との相性を見極めることだった。数ある和紙のどれを選べばいいのか? とりあえず画材屋で適当に見つくろった日本画用の和紙を数種類購入し、暗室にこもって試してみることにしたのだが……、これが想像以上に厄介で、途中で和紙が融解してしまったり、乳剤が剥がれたり、終わって持ち上げたら水の重みで破れてしまったりと、失敗の連続。「とにかく予期できない、いろんなことがあった」 その間、仕事で会った作家の水上勉さんが竹で和紙を作っていて、試してみるようにともらったこともあったのだが、その和紙も見事にばらばらになってしまった。そうやって、何種類の和紙を試してみたことか。「なんせ暗室の中だから、うまくいったかどうかは最後に乾燥してみるまでわからない。一発勝負だったね」 
 暗中模索の日々が続いたある日、画材屋でたまたま礬水(どうさ)引きの和紙が目に入った。礬水とは明礬(みょうばん)を溶かした水に膠(にかわ)を混ぜた液で、日本画の支持体に墨や絵の具などが滲むのを防ぐために塗るものだ。もしかしたらと思い、さっそく一枚購入して試してみると、なんとかうまくいき、しかも「わりと思ったように表現できた」 ようやく「これ!」と思える和紙にいきついたのだが、それでも完全とは言い切れない。というのも、同じ和紙でも礬水の引き具合によって「むら」があり、いまだにうまくいったり、いかなかったりするからだ。「でも、僕にしたらそういうことは些細なことで、それより、和紙に乳剤を塗るときのタッチとか、写真で出したい部分と出したくない部分を考えて、いかに自分のものに持っていくかのほうに力を入れている」 こうして、同じネガでも、そのときどきの状況で仕上がりはまったく別物になる。その意味で和紙の作品は正真正銘の一点物、「写真というより絵のよう」と言う人も多いのだが、百瀬が暗室でどのように和紙と格闘して自分の世界を追求しているかは、一部企業秘密(?)だそうだ。和紙への挑戦に終わりはなく、これからもまだまだ、おそらくは一生……つづく。

01和紙にプリント 1
サイン入り


02和紙にプリント 2
サイン入り


03和紙にプリント 3
サイン入り

(とっとりきぬこ)

■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ−たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。

◆鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第3回

鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第3回

無色有情


 若い頃は、仕事以外でもわりとよく海外へ旅行をしたほうだ。普通の観光旅行と違って、重くて肩に食い込む撮影道具一式を抱え、デジタルカメラに移行するほんの数年前までは、カラーとモノクロのフィルムを何10本と準備して別の缶に入れ、飛行機に乗るたびに係員と交渉してX線検査を避けるのも常だった。写真家としての宿命だ。すでにカラー写真が席巻していた時代にわざわざモノクロフィルムを持参したのは、作品づくりが頭にあり、その場合はモノクロフィルムと決めていたからだ。カラーフィルムだと、ある意味で仕上がりは現像所任せになってしまうのだが、モノクロは自分で現像ができるうえ、暗室では自由に自分なりの表現を追求することができた。デジタル化した現在では考えられない究極の手作業の世界だ。「自分のなかではかなり早い時期から、旅行先で人さまにお見せできるものが撮影できたら、個展をしたいと思っていた。この商売をしていると、自分の作品を買っていただいて、部屋に飾ってもらえることは最高なことだと思う。子どもの頃は絵が好きで、絵描きになりたいと思っていたほどだから、写真も絵と同じように考えているところがあるんだね」 
 そんな百瀬が、写真家として初めて個展をしたのが1991年、その前年に旅行したモロッコの古都フェズの旧市街メディナの写真だった。
「ジブラルタル海峡を越えてみたい」と、パリから飛行機でマラケシュに降りたったモロッコでは、レンタカーを借り、まずは南に下りて砂漠に足を踏み入れたあと、北上して古都フェズから首都ラバト、それから海岸沿いにカサブランカとまわってマラケシュに戻った。その旅行中、おもにカラーフィルムを装填したカメラで撮影していた百瀬が、モノクロフィルムを装填したカメラに替えたのは一カ所のみ。それがフェズの旧市街で、砂漠でも、道中で目にした珍しい街道沿いの市場でも、ラバトはむろん、映画で有名なカサブランカでもなかった。「フェズの光景にピンとくるものがあった。それまでいろんな旅行をして異文化を見せてもらっていたんだけれど、その少し前からかな、世界じゅうが画一化されていくなかで、何100年前からの生活が残っていた。それもいつなくなるかわからないと思って、記録するつもりで写真を撮った」

fez-002x1990年撮影
サイン入り


fez019x1990年撮影
サイン入り


fez021x1990年撮影
サイン入り


 写真で個展をするには、テーマの統一性はもちろんとして、いい写真が1、2枚あるだけではダメ、ある程度の枚数がないと成立しない。その点でも、フェズでは「まとまったものが撮れた」と思った。そして個展のタイトル『無色有情』は、このとき一緒にモロッコを旅した詩人、谷川俊太郎さんにつけてもらった。
 けれどもじつは、この初の個展では作品に値段を提示しなかった。というのも日本には、写真を作品として購入してもらうのがややはばかられるような風潮があり、それを考慮したからなのだが、それでも、写真を見た人の何人かから「買いたい」という申し出があった。「あのときの喜びは忘れられない」 写真を絵と同じように扱ってもらいたいという思いにはずみがついた、大きな第一歩でもあった。
『ときの忘れもの』では、来年2014年の春、このモロッコの写真シリーズ『無色有情』から、よりすぐったものを展示させていただく予定だ。「あれから20数年、人間の生活ってなんなのかを、もう一度、思い出してもらいたいな」とは百瀬からのメッセージです。
(とっとりきぬこ)

■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ−たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。
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緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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