久保エディション/現代版画のパトロン久保貞次郎

「久保貞次郎の会」発足のご案内

「久保貞次郎の会」発足のご案内

新しい児童美術教育運動のオーガナイザー・美術評論家・新しい芸術とその運動のパトロン・現代美術のコレクター・跡見学園短期大学学長・町田市立国際版画美術館館長・はたまたエスぺランチストとして実に多くの顔を持っていた久保貞次郎氏は1996年10月31日にお亡くなりになりました。今年は23回忌にあたります。
その稀有な人物像は、没後22年たった今でも、久保氏を知る人々に心深く残っています。
久保氏ゆかりの地を訪問し、久保氏を知る方々との触れ合いの場を設けることで、今一度久保氏の業績を振り返り、後世に伝えて行きたいと思い、この会を発足致しました。
第一回『久保貞次郎の会』と致しまして、竣工80周年を迎える真岡小学校の久保講堂(遠藤新設計)を建築家井上祐一先生のご説明を伺いながら見学し、久保氏の墓参りと、かつての久保邸に隣接するレストランで会食を致します。
限定20名までとなりますが是非、久保貞次郎再発見の日としてお集まり頂きますようご案内申しあげます(定員に達し次第、締め切ります)。

2018年9月 
久保貞次郎の会』世話人
榎本エミ子、川口真寿美、秀坂令子、藤沼秀子、綿貫令子(五十音順)


日時;2018年10月27日(土)13:00〜19:00
集合時間;13:00(昼食は各自済ませてください)
集合場所;久保講堂前(〒321-4325 栃木県真岡市田町1345-1) 
アクセス方法; 北関東自動車道「真岡I.C」から15分
真岡鐵道「真岡駅」から徒歩15分
JR宇都宮線「石橋駅」から真岡車庫行き[荒町停留所]下車徒歩7分
 石橋駅発12:20 → 荒町停留所着12:51
 石橋駅発11:15 → 荒町停留所着11:46

【当日の日程】
13:00〜 講師:井上祐一先生による久保講堂見学
15:30〜 久保氏墓参り(長連寺/久保記念観光交流館隣)
     久保記念館見学 (〒321-4305 栃木県真岡市荒町1105-1 TEL.0285-82-2012)
17:00〜 会食(久保記念観光交流館内 Trattoria COCORO TEL.0285-84-8008)
19:00 解散(田町から石橋行きバス最終は19:32発〜石橋駅20:13着です)
【会費】 5,000円(交通費は各自ご負担ください。当日集金します。)

参加希望の方はときの忘れものまでお問い合わせください

●久保講堂
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*上掲の図版は、『住宅建築』2009年9月号(no.413)より転載

場所:真岡市田町1345−1
建築年:昭和13年(1938)昭和61年(1986)移築
構造 :木造2階建 左右塔屋付 瓦葺 西洋式トラス構造
規模 :【間口】45.45メートル【奥行】19.089メートル
面積:【1階】651.21平方メートル【2階】52.88平方メートル
【塔屋】11.65平方メートル
【延面積】715.74平方メートル 
久保講堂は、1938(昭和13年)に真岡小学校講堂として、遠藤新の設計で建てられた。内部は広い板敷きで、2階にはギャラリーがある。水平線を強調した正面バルコニーの左右に塔屋を設けた意匠に特徴があり、遠藤新氏の作風がよく現れている。
平成9年5月7日 国登録有形文化財

久保記念観光文化交流館
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●久保貞次郎
20180922161958

■久保貞次郎(くぼさだじろう)略歴
1909年(明治42年))5月12日 足利市 小此木家に生まれる。
1928年(昭和3)日本エスペラント学会に入会。
1933年(昭和8年)東京帝国大学 文学部 教育学科卒業。佳代子(大正2生まれ)と結婚し、 久保と改姓。
1935年(昭和10年)第2回日米学生会議に参加、渡米。東京・牛込に遠藤新設計による久保貞次郎邸を竣工。
日本エスペラント学会の九州特派員として九州各地をまわり、宮崎で後に瑛九となる杉田秀夫に出会い、現代美術への興味を深め、以後瑛九を通じてオノサト・トシノブ北川民次らと親交する。
1938年(昭和13年)真岡小学校校庭に久保家の寄付で遠藤新設計の「久保講堂」を竣工、記念事業として「児童画公開審査会」を始める、「久保賞」を創設。1942年第7回まで開催、その間に羽仁五郎、小此木眞三郎、北川民次、オノサト・トシノブ、瑛九、羽仁説子、武谷三男らが審査員を務める。
美術研究のため北米、欧州へ旅行(翌年帰国)。タリアセンにフランク・ロイド・ライトを訪ねる。国吉康雄やオシップ・ザッキンらと出会う。
1939年(昭和14年)久保コレクション「世界児童画名作展」を足利、佐野、栃木、銚子で開催、以後全国各地で開催する。
1942年(昭和17年)真岡の久保邸内に遠藤新設計の「久保ギャラリー」を竣工。
1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で牛込の久保邸が焼失。
1951年(昭和26年)瑛九、泉茂らがデモクラート美術家協会を結成、外部から支援する。
1952年(昭和27年)創造美育協会(創美)を創立。瑛九、藤沢典明、嘉門安雄、瀧口修造、田近憲三、宗像誠也、周郷博、室靖、北川民次、木水郁男、久保らが委員となる。全国で創美ゼミナールを開催。
真岡町教育委員に公選制で就任(〜54年3月)
1954年(昭和29年)久保コレクション泰西名画展を本間美術館(山形県酒田市)で開催。
瀧口修造の詩による版画集『スフィンクス』を刊行。
1956年(昭和31年)瑛九の主唱で「よい絵を安く売る会」を発足させ第1回展を東京・檪画廊で開催。小コレクター運動を展開、池田満寿夫靉嘔磯辺行久ら若い作家たちを支援する。
1957年(昭和32年)読売新聞社主催「第1回東京国際版画ビエンナーレ」開催に協力、審査員を務める。美術出版社内に「版画友の会」を設立、大下正男、今泉篤男とともに顧問となる。
1959年(昭和34年)跡見学園短期大学で児童美術、美術鑑賞の講座を担当し、多くの教え子たちを美術の世界に導く。
1965年(昭和40年)オノサト・トシノブ、瀧口修造、木水育男、杉田都、杉田正臣、山田光春、尾崎正教らと「瑛九の会」を結成。
1966年(昭和41年)ヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表を務める(オノサト・トシノブ、池田満寿夫、靉嘔、篠田守男が出品)。
1974年(昭和49年)現代版画センター(〜1985年)が設立され、顧問に就任。
1977年(昭和52年)跡見学園短期大学 学長に就任(〜85年)
1986年(昭和61年)町田市立国際版画美術館 初代館長に就任(〜93年)。
久保講堂移築。
1989年(平成1年)日本エスペラント学会会長に就任。
1993年(平成4年)町田市立国際版画美術館で「久保貞次郎と芸術家展」が開催される。
1996年(平成8年)10月31日 逝去、享年87 (長連寺に納骨)。
著書:『ブリウゲル』(美術出版社)、『シャガール』(みすず書房)、『児童画の見方』(大日本図書)、『児童美術』(美術出版社)、『子どもの創造力』(黎明書房)、『児童画の世界』(大日本図書)、『ヘンリー・ミラー絵の世界』(叢文社)、『久保貞次郎 美術の世界』全12巻(叢文社)他。

●今日のお勧め作品は久保エディションから桂ゆきです。
桂ゆき「虎の〜」桂ゆき
虎の威を借る狐
1956年 リトグラフ
38.8×55.8cm
Ed.100  signd

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ときの忘れものは第303回企画◆野口琢郎展 を開催しています。
会期:2018年9月20日[木]―9月29日[土] 11:00-19:00 会期中無休
展覧会カタログを刊行しました(テキスト:金沢21世紀美術館館長・島敦彦さん)。
作家は会期中毎日在廊します
野口展

野口琢郎展カタログのご案内
野口琢郎展_表紙600野口琢郎展カタログ
2018年
ときの忘れもの発行
24ページ
テキスト:島敦彦(金沢21世紀美術館館長)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
本体価格800円(税込) 
※送料別途250円
(メールにてお申し込みください)


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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明日から「吉田克朗 LONDON 1975」

明日8月24日より、ときの忘れものは吉田克朗 LONDON 1975を開催します。

玄関で出迎えるのは、吉田克朗が宣伝美術を担当した劇団乱気流のポスター。
88吉田克朗
劇団乱気流 旗上げ公演「幻飛行散華」
(作=中山幹雄・岡倉俊彦、演出=岡倉俊彦、全国労音会館ホール)
オフセット 79.0×54.6cm
*ポスターには年が記載されていないのですが、恐らくは1983年のものと思われます。


21日のブログでご紹介した通り、出品は1975年に青画廊で発表展示された銅版画集『LONDON II』シリーズ12点が中心ですが、同じ頃に制作されたシルクスクリーンとリトグラフも展示します。

特に珍しいのが「Work "46"」(1975年、リトグラフ)です。
吉田克朗(久保ED)
吉田克朗「Work "46"」 1975年 リトグラフ
イメージサイズ:44.8×29.3cm、シートサイズ :65.6×50.4cm
Ed.100  サインあり
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いくら40数年前の作品とはいえ、限定100部も作ったんだから珍しいはずはないだろう、と皆さんお思いでしょうが、いくら100部もつくっても流通しなければ「無い」と同じです。
この作品、制作されてから40数年間、某所にそっくり眠っていました。
版元は久保貞次郎先生です。
「Work "46"」に関しては「久保エディション第3回」で以前ご紹介しました。
いわゆる久保銘柄ではない吉田克朗先生の版画をなぜエディションしたか、詳しいことは亭主もわかりません。推測はできるのですが、確信が持てないので、これは次回の課題とします。

「支持することは買うことだ」を信条とした久保先生ですが、このように大枚投じてエディションしたにもかかわらず、売らずに(売る暇もないうちに)そのまま眠ってしまったものも少なくありません。いかにも久保先生らしいのですが・・・・。
今回展示する作品は従って1975年制作ですが、新品です。

吉田克朗 (1943-1999)
1943(昭和18)年9月23日 埼玉県深谷生まれ。1968年多摩美術大学絵画科卒。斎藤義重教室で学ぶ。 1968年から70年代にかけて、「もの派」の中心作家として《Cut-off》シリーズをはじめとする物性の強い立体作品を制作。1968年第8回現代日本美術展、69年「現代美術の動向」展、70年「現代美術の一断面」展、71年「パリ青年ビエンナーレ」などに出品した。 また、1969年から風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画の制作を始め、70年第1回ソウル国際版画ビエンナーレで大賞受賞。
以後、72年クラコウ国際版画ビエンナーレほか国内外の版画展に出品。1973年-74年文化庁芸術家在外研修員としてイギリスに滞在。さらに1980年代からは絵画の制作を始め、平面的な色彩の《かげろう》シリーズ、黒鉛と指を使った《蝕》シリーズほかを制作した。1982年鎌倉中央公民館の壁画を制作。1997年から武蔵野美術大学教授を務めた。
1999(平成11)年9月5日、鎌倉で死去。周囲から惜しまれた55歳の若すぎる死でした。
19780710関根歓送会、関根と吉田
1978年7月10日青山ラミアにて
関根伸夫ヨーロッパ巡回展に向けての歓送会
関根伸夫(左)と、当日の司会役を勤めた吉田克朗(右)


◆ときの忘れものは吉田克朗 LONDON 1975を開催します。
会期:2018年8月24日[金]―9月8日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊
吉田克朗(1943-1999)は「もの派」の中心作家として物性の強い立体作品を制作する一方、風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画を精力的に制作しました。本展では『LONDON II』シリーズなど15点をご紹介します。
DM777

10月31日は久保貞次郎先生の命日です。

日本有数のコレクターであり、児童画教育運動(創美)を展開し、小コレクター運動を唱導した久保貞次郎先生は跡見女子短大学長、町田市立国際版画美術館初代館長などを歴任して、日本の美術界に大きな足跡を残しました。
社長の恩師であり、亭主にとっては美術のイロハを教えてくれ現代版画センターの顧問として物心ともに支援してくださった大恩人です。
久保先生は19年前の今日、1996年10月31日に亡くなられました(享年87)。
私たちが10年ぶりに美術業界に復帰し「ときの忘れもの」を開設して一年後のことでした。
1991年7月27日軽井沢_久保貞次郎1991年7月27日
旧軽井沢の久保家別荘にて
社長と久保先生

1991年7月27日軽井沢_久保貞次郎2
同じく亭主と久保先生

支持することは買うことだ」という言葉が端的に示しているように、久保先生の作家への支援は文字とおり作品を即金で買い、エディションをつくり、つくった版画は自らが全国の久保シンパに売るという、非常に明快、具体的なものでした。
私たちが版元として多くの作家のマルチプル(版画や立体)をエディションできたのも久保先生のご指導があったればこそでした。
久保先生が集められた作品はいま日本各地の美術館に収蔵され、瑛九オノサト・トシノブ靉嘔など多くの作家やコレクターが訪れた栃木県真岡の本宅は久保記念観光文化交流館として一般に公開されています。

このブログでは久保先生が折りにふれて執筆された作家論を<久保貞次郎のエッセイ>として再録しています。

また久保先生が直接関わった版画作品を「久保エディション」として紹介しています。
第1回 桂ゆき
第2回 瀧口修造の詩による版画集『スフィンクス』
第3回 吉田克朗
第4回 殿敷侃
第5回 久保卓治

まだまだたくさんあるのですが、時間を見つけてこれからも順次紹介してまいります。

東京ステーションギャラリーでは<『月映(つくはえ)』田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎>展が開催されています。
会期:2015年9月19日(土)-11月3日(火・祝)
1914年に刊行された作品集『月映』は、当時20代前半の美術学生、田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎らによる木版画と詩の雑誌です。田中恭吉の死を迎えた頃、1年ほどで終刊となりましたが、日本の版画史に清冽な足跡を残しました。
恩地孝四郎(1891-1955)は創作版画というより、日本の抽象絵画の先駆者としてもっともっと評価されていい世界的な作家だと亭主は考えています。
その再評価のきっかけとなったのが1975年に形象社から刊行された『恩地孝四郎版画集』です。出版に奔走したのが恩地の長女・三保子さんですが、それを知った久保先生が惜しみない支援の手を差し伸べたことは記憶されていいでしょう。

●今日はちょっと珍品を紹介しましょう。やはり久保エディションのひとつですが、オノサト・トシノブ先生が久保先生の求めに応じて制作した蔵書票です。
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オノサト・トシノブ
「久保蔵書票(黄)」
Image size: 9.8x7.0cm
サインあり

●さらに一点、恩地孝四郎作品をご紹介します。
onch_sobyo_omote恩地孝四郎
「失題」
1936年
色鉛筆、紙
Image size :表25.0x19.5cm
Image size :裏26.5x22.0cm
Sheet size :27.7x24.3cm


onchi_sobyo_ura

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◆「瀧口修造展 IV」は本日が最終日です。
Takiguchi_DM600
ときの忘れものでは昨年から3度にわたり「瀧口修造展」を開催してまいりましたが、本展はその第4回目に当たり、また昨年11月に開催した「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展の後半ということにもなります。
瀧口修造の『マルセル・デュシャン語録』と未発表のデカルコマニーを中心に、同語録の製作に協力した作家たち(マルセル・デュシャン、ジャスパー・ジョーンズ、ジャン・ティンゲリー、荒川修作、他)の作品を約25点展示します。

●ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」としてまとめています。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
●出品リストはホームページに掲載しました。
価格リストをご希望の方は、「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してメールにてお申し込みください。
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真岡に久保記念観光文化交流館がオープン

<真岡市では、2013年に美術評論家で絵画コレクターでもあった久保貞次郎(1909-96)の御遺族から、久保が蒐集した約1,500点の版画、油彩、水彩などの美術品の寄贈を受けました。これらのコレクションは、久保が支持し交流した作家から贈られたものや自身で購入したもので、作家数は89名にものぼります。美術品展示館では、年に数回の企画展を開催し久保コレクションを順次公開いたします。>
(同展チラシより転載)

社長の恩師(跡見女子短大学長だった)久保貞次郎先生が4年間にわたる闘病生活ののち亡くなられたのは1996年10月31日でした。
87歳の生涯でした。
1991年7月27日軽井沢_久保貞次郎と令子
1991年7月27日
旧軽井沢の久保貞次郎別荘にて
久保先生と社長
美術評論家、日本有数の絵画のコレクターでしたが、社長にとっては、よき教育者でした。

お元気だったころは、栃木県真岡の本宅、東京市ヶ谷のお屋敷、旧軽井沢の別荘を往来する日々でしたが、真岡の広いお屋敷には数棟の蔵があり、コレクションがぎっしりと詰まっていました。
一年をかけて整備された久保邸は今年10月に「久保記念観光文化交流館」としてオープンしました。
観光案内所や美術品展示館、レストラン、観光物産館などが設けられ真岡の新しい観光文化の拠点施設として期待されています。
20141023久保記念観光文化交流館 表20141023久保記念観光文化交流館 裏

20141023久保記念観光文化交流館 パンフ 表20141023久保記念観光文化交流館 パンフ 裏

久保記念観光文化交流館
〒321-4305 栃木県真岡市荒町1105番地1
Tel. 0285-82-2012
時間:9:00〜18:00
休館日:毎週火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日〜翌年1月3日)
※展示替えにより展示館・資料室が休館となる場合もあります
※入館無料

12月28日(日)まで「久保コレクション展 戦後美術を開拓した画家たち」が開催されています。
20141023戦後美術を開拓した画家たち 表20141023戦後美術を開拓した画家たち 裏

久保コレクション展 戦後美術を開拓した画家たち
会期:2014年10月23日[木]〜12月28日[日]
会場:久保記念観光文化交流館 美術品展示館
時間:9:00〜18:00(入館は閉館の30分前まで)
火曜休館(祝日の場合は翌日休館)
入館無料
 本展は、久保コレクションの中から、久保貞次郎が支持した北川民次や瑛九とその周辺の前衛画家たち、栃木ゆかりの作家など、戦後に活躍した画家たちの代表作を中心に作品を紹介します。また、絵画の新しい領域を開いたとして久保が評価したヘンリー・ミラーの水彩画を展示します。これらの画家たちは、当時の美術界の伝統や権威に反発し、それぞれが独自の新しい美術表現を模索しました。戦後に開拓された多様な表現技法や豊かな色彩とイメージに溢れた世界をお楽しみいただければ幸いです。(同市HPより)
出品作家:北川民次瑛九オノサト・トシノブ靉嘔磯辺行久池田満寿夫泉茂、利根山光人、竹田鎮三郎、ヘンリー・ミラー、浅香公紀、笹島喜平 出品点数約25点
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ときの忘れものでは、久保先生ののこしたコレクションの中から「久保エディション」を順次このブログで紹介しています。
桂ゆき「虎の〜」桂ゆき
虎の威を借る狐
1956年 リトグラフ
38.8×55.8cm
Ed.100 signd

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久保エディション第5回〜久保卓治

久保エディション第5回〜久保卓治

久保貞次郎先生は、国内外の数多くの作品をコレクションするだけでなく、まだ版画を手がけていない作家には版画制作を勧め、駆け出しの作家からは気前よくまとめて買うことによって彼らを励ましました。
久保エディションについては、この連載第1回桂ゆきの項で詳しく述べましたが、久保先生が直接版元となってエディションしたもの、制作された版画を全部数まるごと(または大半を)買取ったものなど、久保先生の支援がなければ誕生しなかったであろう版画作品のことをここではいいます。
第2回は瀧口修造の詩による版画集『スフィンクス』を、第3回吉田克朗を、第4回は殿敷侃を紹介しました。

今回は久保先生がその才能を高く評価したビュランの名手・久保卓治です。
DSCF7363_600

久保卓治「On the street」
1991年 engraving
19.5×24.8cm
Ed.100 Singed

DSCF7363_600_2拡大画面

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DSCF7379_600

久保卓治「Bascule bridge in Wapping」
1989年 engraving
39.4×24.5cm
Ed.100  Singed

DSCF7372_600

久保卓治「Gun wharves and warehouse」
1992年 銅版(engraving
22.1×31.8cm
Ed.100  Singed

DSCF7355_600

久保卓治「Wapping entrance」
1991年  engraving
19.5×30.0cm
Ed.100  Singed

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エングレーヴィング(ENGRAVING)は、銅版技法のひとつで、ビュラン(断面が正方形か菱形の刃をもつ彫刻刀)で直接彫りこむ直刻技法。
ビュランで版材を完全に刻り取ってしまうので、ドライポイントのようなまくれもエッチングのような腐蝕による線のくずれもない、冷たく硬質な線が最大の特徴である。
単純な技法ではあるが、抵抗の大きいビュランを自在に操り、髪の毛の数分の一の線からあらゆる太さの線までを彫刻するには相当の熟練を必要とする。

「3年ばかり前からパリの風景を描き始めた。ロンドンの建築物の煉瓦を基調にしたスクエアーなかたちと比べると、パリの建築物にはトライアングルなかたちが随所に配置されていて興味深い。パリの風景画といえば、シャルル・メリヨンのエッチングを思い浮かべるが、学生の頃から大好きでずっと僕を魅了し続けてきた。メリヨンが描いた当時の風景は、シャトル街のように130余年もほとんど変わらない所もあるが、それは例外で、多くの風景は失われたり、当時の面影もなくなってしまった。とはいえ、パリは魅力的な街であることは今も昔も変わらない。現代のパリをメリヨンとは違った技法で描いてみたい。」
久保卓治(「わたしのかたち」『版画年鑑1999』阿部出版より)

■久保卓治(くぼ たくじ)
1948年愛媛県生まれ
1971年多摩美術大学駒井哲郎教室にて銅版画を始める
1974年多摩美術大学油絵科卒業
1976年多摩美術大学美術研修科修了
   銅版画集『オープン ユア マインド』刊行
1977年-1979年 ロンドン、モーリー・カレッジ美術科修了 素描 銅版画 製本技術を学ぶ
ロンドン、プリント・ワークショップにてビルギット ショールドのもとで銅版画を学ぶ
大英博物館 版画素描室にて古典銅版画を研究
1978年エングレーヴィング画集『ナチュレ モーテ』刊行
1981年ガレリア・グラフィカ(東京)で個展(以後各地で多数開催)
1985年1980日本の版画(栃木県立美術館)
1987年現代の版画1987(渋谷区立松濤美術館)
1988年エングレーヴィング画集『ナチュレ モーテ』刊行
1994年エングレーヴィング画集『エングレーヴド ロンドン』刊行
2007年 多摩美術大学にて銅版画、ソーラープレート版画を教える
2007年 上海大学美術学院にて銅版画を教える

久保エディション第4回〜殿敷侃

今日はヒロシマの鎮魂の日。

<山口県の海辺に住む殿敷侃は、神秘と深い情熱をデッサンにたたきこみ、いちずに求めてやまぬ若者で、ぼくはかれの将来に嘱目する。
           1978年8月20日 久保貞次郎>


久保エディションについては、この連載第1回桂ゆきの項で詳しく述べましたが、久保貞次郎先生が直接版元となってエディションしたもの、制作された版画を全部数まるごと(または大半を)買取ったものなど、久保先生の支援がなければ誕生しなかったであろう版画作品のことをここではいいます。
第2回は瀧口修造の詩による版画集『スフィンクス』を、第3回吉田克朗を紹介しました。

第4回の今日は、3歳のときに原爆投下直後の広島に入り二次被爆し、1992年50歳で死んだ殿敷侃をご紹介します。
近年再評価の機運の高まるこの作家の才能に初めて注目し惜しみない支援をしたのが久保先生でした。

01_kai_4《貝(4)》
銅版
9.8x9.8cm
Ed.40 サインあり

05_kani《カニ》
銅版
12.3x16.0cm
Ed.30 サインあり

08_block《ドームのレンガ》(1)
1977年 銅版、雁皮刷り
23.2×32.3cm
Ed.50 サインあり

14_insect《地中の虫》
リトグラフ
21.2×35.9cm
Ed.30 サインあり

18_saw3《ノコ》(3)
銅版
23.3×32.0cm
Ed.30 サインあり

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亭主は、同時代に生き3歳しか違わないこの作家に会おうと思えば会えたのに、その機会を失ってしまいました。わが身の不明を恥じるばかりです。
版画はもとより美術に関して何の素養もなかった亭主は、ある偶然から1974年に久保先生を顧問に現代版画センターを創立しました。以来、市谷佐土原町にあった久保邸に毎週のように、それも早朝にお伺いして版画のイロハから教えを乞い、エディションの相談をし、つくった作品を買っていただき、しばしば金策のお願いまでしました。
1977年のある日、いつものように伺うと、興奮した口調で《飯田画廊で面白い作家に会った》と言って、石(今思うとそれは原爆ドームの煉瓦だった)を鉛筆で精緻に描いた何枚ものドローイングを見せてくれました。
久保先生はいつものやり方で、銅版プレス機と版画道具一式を買い揃え、山口県の殿敷さんのアトリエに送りつけ、版画の制作を勧めたのでした。上掲の銅版、リトグラフはその成果です。
当時、久保先生から殿敷作品の購入を勧められても買いませんでした。久保先生企画の飯田画廊での個展にも行きませんでした。
久保先生没後、遅まきながら殿敷さんの仕事の重要性を気づいた亭主ですが、いつか顕彰の展覧会をとずっと考えていました。
ようやく準備も整い、久保先生旧蔵の作品による「殿敷侃 遺作展」を8月21日〜31日の会期で開催します。
遺作展を開催するにあたりカタログを制作し、下関市立美術館の濱本聰先生に執筆をお願いしました。
またこのブログでは、友利香さん、山田博規さん、土屋公雄さん、西田考作さん、池上ちかこさんらに寄稿(再録も含む)をお願いしています。

久保先生が殿敷侃さんの個展(1978年)に寄せた文章を再録します。
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殿敷侃くんの仕事
久保貞次郎


 ぼくは殿敷くんに偶然の機会で知りあいになったが、最初かれが包みからとりだした「煉瓦」のペン・デッサンに注目した。それは、ひとつの執念がたたみこまれていた。情熱のほかに何か別のものが加わっていた。その別のものは、作者の祈るような神秘の心であった。それはかれの意識のなかにはなく、心の奥深くにうずくまる情熱であった。
 かれは自分がどこから来たか、そしてどこへ行くのかの問いを、父や母の思い出に沈潜して、何ものかをつかもうと試みる。それは後ろ向きで、ぼくはそれほど好きでない。しかし、ひとが創造の作業に入ることを、自己の混沌のうちに没することだ、という思考からみれば、かれのいまの制作も、ひとつの出口を発見する手だてとなるだろう。
 銅版画はかれの神秘を求める心がよく出ていて魅力に富む。原版は作者自身が腐蝕し、刷りは小浦昇くんがやってくれた。
   (1978年 殿敷侃個展 飯田画廊別館)

*久保貞次郎・美術の世界第5巻『日本の版画作家たち』248ページより
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殿敷侃
1942年広島市生まれ。3歳のときに被爆。父親は原爆で亡くなり、母親も五年後に病死。26歳で画家を志す。77年久保貞次郎の勧めにより銅版画の制作を始める。
作家自身の被爆体験にもとづいた作品で注目され、79、80年に安井賞連続入選。82年ヨーロッパ旅行で[ドクメンタ7]のボイスの作品に大きな衝撃を受け、翌年の山口県展に約4トンのタイヤなどの廃品をぶちまけたインスタレーションを発表。92年永逝(享年50)。

●『殿敷侃 遺作展』カタログのご案内
Tonoshiki表紙600『殿敷侃 遺作展』カタログ
2013年
ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm
執筆:濱本聰
図版:21点
価格:800円(税込)
※送料別途250円

2013年8月に開催した「殿敷侃 遺作展」のカタログです。
広島で生まれた殿敷侃は、被爆体験をもとにヒロシマにまつわる遺品や記憶を細密極まる点描で描き、後に古タイヤなどの廃品で会場を埋めつくすというインスタレーションで現代社会の不条理に対して批判的・挑発的なメッセージを発信し、1992年50歳で亡くなりました。
このブログでは「殿敷侃の遺したもの」を記録するため「久保エディション第4回〜殿敷侃」はじめ、濱本聰(下関市立美術館)さん、山田博規さん(広島県はつかいち美術ギャラリー)、友利香さん、土屋公雄さん、西田考作さん、池上ちかこさんらに寄稿(再録も含む)していただきました。

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久保エディション第3回〜吉田克朗

久保エディション第3回〜吉田克朗
(現代版画のパトロン久保貞次郎)


1984年3月27日東京湯島のホテル、東京ガーデンパレスで「久保貞次郎 美術の世界」出版記念会が盛大に開催されました。当日の司会は亭主が務めたのですが、多くの人々がスピーチした中で忘れられない場面があります。
既に南画廊の志水楠男さんは亡くなっており、並み居る画商たちを代表して東京画廊の山本孝さんが祝辞を述べました。
「久保先生からは長年にわたり、数多くの作品を買わせていただきました。しかし、今日にいたるまで私どもの東京画廊からはただの一点も買っていただいたことはございません。」
場内爆笑、大画商山本さんの面目躍如でした。
これじゃあ、どっちが画商だかわからない、いかにも久保先生らしいエピソードといえるでしょう。

「支持することは買うことだ」を信条とした久保先生ですが、義理買いはせず、どんなに付き合いがあっても好きな画家以外は買わなかった。
東京画廊から買ったことがないということは、東京画廊の作家たちーー斎藤義重李禹煥関根伸夫はじめ「もの派」の作家たちーーとは無縁であった(と最近まで亭主は思っていました)。

久保エディションについては、この連載第1回桂ゆきの項で詳しく述べましたが、久保先生が直接版元となってエディションしたもの、制作された版画を全部数まるごと(または大半を)買取ったものなど、久保先生の支援がなければ誕生しなかったであろう版画作品のことをここではいいます。
第2回は瀧口修造の詩による版画集『スフィンクス』をご紹介しました。
第3回として本日ご紹介するのは吉田克朗です。
DSCF7417
吉田克朗
「Work "46"」
1975年
リトグラフ
イメージサイズ:44.8×29.3cm
シートサイズ :65.6×50.4cm
Ed.100  サインあり

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この作品が久保エディションだと知ったときはさすがに驚きました。
久保先生から「もの派」や吉田克朗さんの話など聞いたことがありませんでしたから・・・

ただ吉田さんは「もの派」の作家としては珍しく早くから版画制作に取り組んでいましたから、版画の専門家である久保先生の視野に入っていたことは間違いありません。
吉田さんは1970年の「第1回ソウル国際版画ビエンナーレ」で受賞し、1973年に文化庁海外芸術研究生としてロンドンに滞在したときにはフォト・エッチングの技法を学び、帰国後数多くのエッチングの作品を制作しています。
亭主は吉田さんのエディションもしていますが(シルクスクリーン)、むしろ吉田さんの先輩である関根伸夫の版画作品を大々的にエディションしていました。
吉田さんはやんちゃな弟分という感じでまさかあんなに早く逝かれるとは思ってもいませんでした。

吉田克朗
1943年 埼玉県生まれ。1968年多摩美術大学絵画科卒。斎藤義重教室で学ぶ。
1968年から70年代にかけて、「もの派」の中心作家として《Cut-off》シリーズをはじめとする物性の強い立体作品を制作。1968年第8回現代日本美術展、69年「現代美術の動向」展、70年「現代美術の一断面」展、71年「パリ青年ビエンナーレ」などに出品した。
また、1969年から風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画の制作を始め、70年第1回ソウル国際版画ビエンナーレで大賞受賞。以後、72年クラコウ国際版画ビエンナーレほか国内外の版画展に出品。1973年-74年文化庁芸術家在外研修員としてイギリスに滞在。さらに1980年代からは絵画の制作を始め、平面的な色彩の《かげろう》シリーズ、黒鉛と指を使った《蝕》シリーズほかを制作した。1982年鎌倉中央公民館の壁画を制作。1997年から武蔵野美術大学教授を務めた。
1999年死去。

「私が私自身の肉体をことさら強く意識してきたのは、幼い頃から病弱だったことによるのかも知れない。13歳の頃あやうく一命を落すところを救われ、また人生で最も多感な人格形成時の18歳からの2年間の闘病生活。このことが私の私以外のもの(人や物や風景や)を見る目を、ほんのちょっとずらしたのだと思える。幼い頃の臨死体験は肉体の脆さを自覚させたし、あの2年間に及ぶ病院生活が再度自分の肉体の脆さと、闘病に敗れて死んでゆく同じ棟の知人たちの葬儀に臨んだあのむなしさが、私の視覚を常に自分の肉体からしか他を見ざるを得ないような視覚に形作ったのだろうと思える。そんな所から私は作品を作っている。」
(吉田克朗「わたしのかたち」『版画年鑑1999』阿部出版より)

久保エディション第2回〜瀧口修造「スフィンクス」

久保エディション第2回

瀧口修造の詩による版画集『スフィンクス』


稀代のコレクターだった久保貞次郎については前回(第1回・桂ゆき)の項で詳述しました。
このブログでは、久保貞次郎が直接版元となってエディションしたもの、または制作された版画を全部数まるごと(または大半を)買取った場合など、久保先生の支援なしには誕生しなかったであろう版画作品を「久保エディション」として紹介していきたいと思います。
第2回としてご紹介するのは、瀧口修造の詩による版画集『スフィンクス』です。
ときの忘れものでは、1997年10月に開催した久保貞次郎追悼集刊行記念展で一度ご紹介しています。

『スフィンクス』は1954年に限定50部刊行されました。
瀧口修造の1930年代の詩に、北川民次瑛九泉茂、加藤正、利根山光人、青原俊子(内間)の6名の版画を組み合わせたもので、奥付に<アイデア久保貞次郎・編集福島辰夫>とありますが、久保先生が実質的な版元で、制作の実務を福島さんが担当されたようです。
1番本から6番本までには、通常の6枚の版画に加え、各作家のオリジナル・デッサンがそれぞれ1枚ずつ入っており、1番本は瑛九です。

ときの忘れもには、2冊を所蔵しています。
先ず、限定1/50、文字通り一番。岡鹿之助の旧蔵本で、瑛九のオリジナル・デッサンが挿入され、奥付には瀧口修造、北川民次、福島辰夫、久保貞次郎の4人の自筆ペン・サインが記入されています。
なぜ1番本が岡鹿之助の旧蔵本かというと、これは亭主の推測ですが、久保先生は(意外に思われるかも知れませんが)岡鹿之助を非常に尊敬しており、おそらく刊行後、真っ先に献呈されたのではないかと思います。

もう一冊は、限定48/50。こちらの奥付には瀧口修造、北川民次、久保貞次郎の3人の自筆ペン・サインが記入されています。

福島辰夫のサインが片方にあり、片方にないのはどうもたいした理由ではないようです。
なぜなら、この詩画集の2冊を詳細にチェックすると、6人の作家のサインもあったり、なかったりするからです。おそらくサイン漏れと思われます。

ご紹介する図版はすべて、限定1/50のものです。
01表紙

02奥付

奥付が左ページ、瑛九のオリジナル・デッサンが右ページ。
瀧口修造の詩による版画集『スフィンクス』
限定50部  1954年
アイデア:久保貞次郎
編集:福島辰夫
表紙デザイン・レイアウト:山城隆一
限定1/50〜6/50には、6作家のオリジナル・デッサンを挿入
瀧口修造、北川民次、久保貞次郎のサインあり、
場合によっては福島辰夫のサインあり
瑛九スフィンクス挿入デッサン瑛九「素描」

1954年 鉛筆、コンテ
イメージサイズ:23.7x19.5cm
シートサイズ:29.5x48.0cm
鉛筆サインあり
限定1/50のみに挿入

03「地球創造説」

左ページに瀧口修造の詩、右ページに北川民次の銅版
(以下同様、左に瀧口詩、右に版画)

地球創造説
Mammonノ惡魔ハ新鮮ナ金貨ヲ
用意シテヰル
ソノ特徴アル職業ノタメニ・・・・
ソノ鋭利ナ季節ニ
再ビ野獸ニ復ルライオンノ奇癖ハ
靈感ニ悩ム
物語ハ月夜ニ笛ト共ニ蒸發シテ終ツタ
ソシテ酒ノヤウニ最モ古イ部分ガ殘ル

北川民次「地球創造説」
1954年 銅版
イメージサイズ:8.8x6.8cm
シートサイズ:29.5x48.0cm
版上サイン

04「五月のスフィンクス」

五月のスフィンクス
夜の無い星
盲ひた眼の噴水
風の鏡の中の巨大な夜々
澄明な雛鳥の巨大な足跡

輕い五月のスフィンクス
不條理な千の影たち

羞恥のない美のくぼみと自由
あなたはラヂウムの果物である
しかしうら若いその手は直ぐ
遒ぬ妓造亮蠹紊亡靴譴襪世蹐

暴風の日に
僕たちは恐ろしい孤独の虹を
殺された砂の上で放牧するだろう

瑛九「五月のスフィンクス」
1954年 銅版
イメージサイズ:17.7x11.7cm
シートサイズ:29.5x48.0cm
1/50,48/50番ともに鉛筆サインあり

05「睡魔」

睡魔
ランプの中の噴水 噴水の中の仔牛 仔牛の
中の蝋燭 蝋燭の中の噴水 噴水の中の
ランプ
私は寝床の中で奇妙な昆蟲の軌跡を
追つていた
そして瞼の近くで深い記憶の淵に落ちていた
忘れ難い顔のような
眞珠母の地獄の中へ
私は手をかざしさえすればよい
地下には澄んだ水が流れている
卵形の車輪は
遠い森の小筐に眠つていた
夢は小石の中に隱れた

泉茂「睡魔」
1954年 銅版
イメージサイズ:16.8x14.2cm
シートサイズ:29.5x48.0cm
1/50番には鉛筆サインあり
48/50番はサイン無し

06「岩石は笑った」

岩石は笑つた
狂つた世紀の蟇標のための
鐵の帽子 湧きでた例しのない噴水塔は
蝶々の幽靈 揚げられた例しのない幕を
狂つた歌を叫びながら追つてゆく
壊れた夕闇の貝殻の中の
若い女たちの飴のゑくぼを踏みにじつた人間たちは
彼等の自由 永遠に濡れない海綿
停つた振子 正面體の心臓を持つ
裂けた眞夜中に避けた犠牲たちに
人間の腦は沸き立つ花瓶となる
猿たち 共同墓地
乾燥したパン屑 不完全な家具 貝殻のカフエは沸き立つ
星は太陽と交接する 紫色の猶
それは廣漠たる明星
網膜の公園
闇の爆音のなかに一つの偉大な夕顔がひらく
奇妙な髭男

加藤正「岩石は笑った」
1954年 銅版
イメージサイズ:11.8x12.0cm
シートサイズ:29.5x48.0cm
1/50,48/50番ともに鉛筆サインあり

07「妖精の距離」

妖佑竜離
うつくしい齒は樹がくれに歌つた
形のいゝ耳は雲間にあつた
玉虫色の爪は水にまじつた
脱ぎすてた小石
すべてが足跡のように
そよ風さえ
傾いた椅子の中に失はれた
麥畠の中の扉の発狂
空気のラビリンス
そこには一枚のカードもない
そこには一つのコツプもない
慾望の樂器のように
ひとすじ奇妙な線が貫かれていた
それは辛じて小鳥の表情に似ていた
それは死の浮標のように
春の風に捿るだろう
それは辛じて小鳥の均衡に似ていた

利根山光人「妖精の距離」
1954年 リトグラフ
イメージサイズ:18.7x19.5cm
シートサイズ:29.5x48.0cm
1/50,48/50番ともに鉛筆サインあり

08「魚の欲望」

魚の欲望
純潔な装飾
無數の逆さ蝋燭たちの疼痛
澄明な樹々の枝と花
無限大の鏡の轟きと
家々の窓々の痙攣

私の全身
一日一日輝きをましてゆく水の化石の中に
私の慾望はなほも泳ぐ
惷と呼ぶ巨大な
釣燭台の落し子である私
たれも私を戀のスフインクスと呼ばない

私の夢は碧玉の
寓話の中で
一層悗燦やいた

青原俊子「魚の欲望」
1954年 木版
イメージサイズ:16.2x15.6cm
シートサイズ:20.0x17.5cm
1/50,48/50番ともに鉛筆サインあり
※別紙に刷られたものを右ページに貼付

1/50の瑛九オリジナル・デッサン入り(岡鹿之助旧蔵本)と、48/50番ともに頒布しています。
価格についてはお問合せください。

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◆ときの忘れもののブログでは土渕信彦さんのエッセイ「瀧口修造の箱舟」を掲載しています。
毎月5日の更新です。

◆ときの忘れものは、2013年5月17日[金]―6月1日[土]第23回瑛九展を開催しています(※会期中無休)。
瑛九DM最晩年に描かれた点描の油彩大作「林」を中心に、水彩、素描、コラージュ、フォトデッサン、フォトデッサンの制作に使用した型紙、コラージュなどを出品します。

●瑛九展カタログのご案内
『第23回 瑛九展』カタログ『第23回 瑛九展』図録
執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館主任研究員)
図版:約30点掲載
カラー 24ページ
25.6x18.1cm(B5判)
価格:800円(税込)
※送料別途250円

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久保エディション第1回〜桂ゆき

今日(12日)と明日(13日)は画廊はお休みです。

さて本日5月12日は、私たちの恩師・久保貞次郎先生の誕生日です。
久保先生は1909(明治42)年5月12日に栃木県足利の小此木家の次男として生まれ、1933年東大を卒業後、真岡の久保家の長女・佳代子さんと結婚し、久保に改姓しました。
1996年10月31日に87歳で亡くなられましたが、その間、美術界を中心に他に比類ないスケールの大きな活動を展開されました。身近に接してきた(つもりの)私たちも、その活動の全貌は捉え切れません。
久保
『久保貞次郎を語る』
同編集委員会編
文化書房博文社
1997年刊行

没後に刊行された上掲の本に詳しいのですが、久保先生は美術評論家であり、日本有数の絵画のコレクターであり、教育者としては長年跡見学園女子短大で教壇に立ち、学長を務められました。
特に版画の普及啓蒙には大きな役割を果たし、町田市立国際版画美術館の初代館長も歴任されました。
これだけでは、久保先生の紹介になりません。
1966年の第33回ヴェニスビエンナーレのコミッショナー(日本代表)としてオノサト・トシノブ池田満寿夫靉嘔らを世界の舞台に押し上げたのは久保先生でした。
文豪ヘンリー・ミラーに深く傾倒し、画家としてのミラーに注目してその絵画の紹介に尽力しました。加えて自らミラー版画の版元となり数多くの版画をエディションされました。

美術教育の分野では北川民次らと1952年、戦時中の国家主義的な教育に対し、子どもを解放し自由に表現させることをめざす創造美育運動(創美)を展開します。チゼックや山本鼎の思想をうけつぎ、教師やおとなの権威、干渉、指示を排除するとともに児童画の芸術的評価と教育的評価の一致を強く主張し、最盛期の創美の全国セミナーには数千人の教師たちが集まり熱い討論を交わします。そして教師、親、画家たちが集まるこの輪の中から小コレクター運動が生まれます。「画家を支持するということは買うことだ」という久保先生の信念は、多くの画家たちを物心両面にわたり支援したのでした。創美と池田満寿夫をめぐるエピソードはこのときの雰囲気をよく伝えています。
リベラリストとして自由を尊ぶ強靭な精神を貫いた久保先生は亡くなるまで日本エスペラント学会会長を務められました。ザメンホフの創始した世界共通語のエスペラント語を人々が使うことによって、いつの日か国家も消滅し、世界が一つの共同体となるという希求に基づいていました。
久保先生が強く支持した瑛九とも、そもそもは若き日の久保先生がエスペラント語の普及活動で九州をまわったときに宮崎で知り合ったのが生涯の親交のきっかけでした。
こう書くといかにもユートピアを夢見る夢想家を思い浮かべるかも知れませんが、久保先生の凄かったのは、日本人には珍しい合理的で実践的な思考の持ち主だったことです。
商人の血をひいたことから来るのでしょう、金銭の貸借、作品の売買、すべてお金のからむことには実にクールでシビアでしたし、各種の運動を進める上で経済的な裏づけのないものを最も嫌いました。
稀代のアジテーターであり、実務に優れた方でした。
ここでは、私たちが直接ご指導いただいた「版画」の分野での功績について、なるべく正確に記録しておきたいと思います。

◆久保エディション
好きな作家の作品は先ず買う、現存の作家ならば「版画の制作」を勧め、それをまるごと買取り(エディション)ご自身の力(ネットワーク)で頒布する、というのが久保先生の典型的な「支持」の仕方でした。
絵画の売買が大好きで、誤解を恐れずに言えば、戦後有数の画商であり、版画の版元(エディター)でした。
泰西名画から現代日本の作家までを網羅した久保コレクションは今では世界各地、国内各地の美術館に収蔵されています。つい最近も熊本県立美術館が久保先生旧蔵の北川民次の代表作(油彩)を購入したということです。

よく知られるように、久保先生が支持した瑛九、北川民次、池田満寿夫、靉嘔、磯辺行久竹田鎮三郎ヘンリー・ミラーらは例外なく「版画」を手がけています。
それ以外にも数多くの作家を久保先生は支持し、版画制作を勧めています。
久保先生が直接版元となってエディションしたものもあれば、制作された版画を全部数まるごと(または大半を)買取ることもしばしばでした。
久保先生の直接的支援がなければ誕生しなかったであろうそれらの版画作品をここでは「久保エディション」と呼びます。
正確にいえば「久保コレクションの中の版画」、それも一枚や二枚ではなく少なくとも数十部単位で久保先生がコレクションした作品を紹介してまいります。

第1回としてご紹介するのは桂ゆきです。
桂ゆき「虎の〜」

桂ゆき
「虎の威を借る狐」
1956年 リトグラフ
38.8×55.8cm
Ed.100 signd
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これと同じ作品を所蔵している「筑波大学 石井コレクション」のサイトの作品解説には以下のように記述されています。
●作品解説:
本作品にはその題名のとおり、第二次大戦後の世界情勢の中で、虎(アメリカ合衆国)の権勢を楯にして悪びれたふうもない狐(日本)のこっけいな姿が、赤、黒、黄の強い色彩対比で描かれている。グロテスクで巨大な顔の虎と、その背中にちょこんとすわる憎めない狐が好対照をなす。桂はこれに先立ち油彩作品《虎の威を借りた狐》(1955年、山口県立美術館蔵)を制作しており、本作品は彼女が手がけた油彩画にもとづく一連の自作リトグラフで最初のものである。占領軍の権勢を傘に着た日本政府と、現状に甘んじる国民をシニカルに表現したこのリトグラフは、攻撃的な主題であるために長い間買い手を見出すことがなかったとされる。
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いみじくも「長い間買い手を見出すことがなかった」という記述がありますが、久保先生がエディションまたはコレクションした作品群はそのほとんどが時代に先駆けたものであり、いわゆる美術界の主流作家や人気作家でなかったため、一部の例外を除いては「長い間買い手」が現れず、完売まで数十年かかるものも少なくありませんでした。その間、久保先生は売れないことを苦にする風もなく、次々と新しい版画エディションを作り続けました。経済に秀でた実務能力、豊富な資金力と販売網がそれを支えていました。

ちょうどいま、東京都現代美術館で生誕100年を記念した「桂ゆき ある寓話」が開催されています。
会期:2013年4月6日(土)〜6月9日(日)

1935年にコラージュによる個展を開いた桂ゆき(1913年−1991年)は、およそ60年にわたり創作活動を展開した、戦前と戦後を繋ぐ女性芸術家のパイオニア的存在です。
(中略)
触覚に根ざしたコルクや布などのコラージュ、油絵具による細密描写、そして戯画的な表現を桂が並行して展開したことは、独自の絵画のあり方を示すものとして戦前より瀧口修造や藤田嗣治等から注目されてきました。また戦後は、社会や人への透徹した眼差しと寓意表現を通して、ユーモアに溢れた、多層的な読み取りを可能とする作品を制作しています。
(中略)
本展は、独自の寓意表現を通して、人とモノ、生き物を、その境界を越えて自由に行き来させた桂の作品世界を、絵画の代表作、そして初出品の作品や本の仕事などによって紹介し、欧米の前衛とは別の文脈で育まれた創作の意味を多角的に検証するものです。あらゆるものから自由な態度を貫いた桂の仕事。本展はその複雑で奥深いユーモアに触れる絶好の機会となるでしょう。(同館HPより)

恩師と再会〜久保貞次郎展

跡見a跡見c

先日ご案内したように社長の恩師、久保貞次郎先生の小展覧会を後輩の学生さんたちが企画したというので、新座の跡見学園女子大学へ行ってきました。
社長は短大で久保先生に教わったので、校舎は茗荷谷でしたが、4年制のキャンパスは埼玉県新座市にある。ちょっと一般の方には遠いですね。
図書館の横の2号館にある花蹊記念資料館の小さな展示室の入り口に、おお久保先生が座っている! 久しぶりの恩師との再会です。

会場には、久保先生が愛した、靉嘔、池田満寿夫、竹田鎮三郎、北川民次、ヘンリー・ミラー、木村利三郎、オノサト・トシノブたちの作品が展示され、ガラスケースの中には著書や、世界の子供たちの児童画がおさめられていました。
久保先生の活動の軌跡が写真とともに紹介されており、没後10年を経て、先生に接したことのない若い学生さんたちが企画したということが何より嬉しいことでした。
記念館の前におかれた彫刻は広井力さんの作品です。

お亡くなりになったのが1996年の秋でした。
1974年に私と社長を引き合わせてくれたのも久保先生でした。
私は先生にずいぶんとご迷惑をかけてしまったのですが、社長のことは晩年まで「イケダ君(旧姓)」といってかわいがってくださいました。

久保先生に教えていただいた数々のことを思い出し、その恩に少しでも応えられるような仕事をしたいと決意をあらたにした次第です。
企画してくれた学生さんたち、ありがとう!

「久保貞次郎―活動のあしあと―」展
会 期 :〜2月10日(10日は午前まで)
開館時間:9:30〜16:30
休館日 :日曜・祝日
会 場 :跡見学園女子大学 花蹊記念資料館 〈2号館1階〉
  通常の開館日は月曜日〜土曜日の9時30分から16時30分 入館無料。
  ※日曜・祝日、展示替え期間、大学休業日は休館
  〒352−8501 埼玉県新座市中野1-9-6
  電話:048-478-0130

展覧会は学生のみで企画したものなので、資料館のホームぺージには、情報が掲載されていません。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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