殿敷侃の遺したもの

松岡剛「殿敷侃展とその後(2)」

殿敷侃展とその後(2)

松岡剛
(広島市現代美術館学芸員)

 殿敷侃の多様な創作に見出せる一貫性を要約するならば、原爆によって無残に踏みにじられた人間の生や、社会の流れのなかで忘れ去られ蔑ろにされた存在を人々の意識に上らせることで、それらの存在に報いようとするものだった、と言えるのではないでしょうか。広島市現代美術館での殿敷侃展では、彼の創作全般を指し示すキーワードとして彼自身による「逆流」という言葉を用い、サブタイトルを「逆流の生まれるところ」としたのでした。
 前回の末尾で触れましたように、殿敷侃の活動をあらためて見返したとき、彼の周りには、様々な面で彼をサポートした人々が常に存在していたことを認識させられます。とりわけ、長門の地で地元の人々と過ごした日常は彼の問題意識や、制作のテーマにも影響を及ぼしたに違いありません。晩年近くに行った野外プロジェクトには、多数の地元住民の協力を得て実現したものがあります。とりわけ《山口―日本海―二位ノ浜、お好み焼き》(1987)では、多数の人々による参加そのものが主要なテーマとなっています。

1《山口―日本海―二位ノ浜、お好み焼き》1987年
二位ノ浜(長門市)での制作風景
(撮影:読売新聞社)


 また、86年以降、東京の画廊や美術館で廃棄物を用いたインスタレーションを発表するようになりました。たとえば、《森と漂流物が愛し合った時》(板橋区立美術館、1991)で、展示空間に介入させたのは、廃棄物としてだけでなく、東京という中央に対する地方という存在としての異物でもあります。実際彼は、これらの漂流物を長門の海岸で地元住民とともに拾い集め、東京へ送り込んだのでした。それは、主要都市との非対称な関係において、地方の自然や共同体が蔑ろにされる状況の告発であり、いわば地方から都会へと差し向けられた逆流であった訳です。
 今回の展覧会を開催するということは、殿敷侃の生涯はもちろんのこと、彼が作品のテーマとして主題化し報いようとした多くの人々、そして彼の制作を支えた周囲の人々の生に応じることであるように感じられたのでした。

2《BARRICADE IWAKI》1988年
いわき市立美術館での展示風景

3《椰子の実のためのバリケード》1987年
かねこアートG1(東京)での展示風景
(撮影:常葉雅人)

4《対峙する墓標》1991年
水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景
(撮影:佐藤毅

 一方で彼の挑発行為は、既存の制度に支えられつつ再生産する場としての美術館へ向けられたものでもありました。荒々しい素材や、展示空間に収まりきらないスケールばかりでなく、再展示・再構成の極めて困難なその特性によって、作家不在の状況では作品そのものを再び提示することが不可能にさえ思えます。そのため、晩年の殿敷の活動は、展覧会を構成する上で、大きな課題を突きつけるものでした。彼の作品がキャリア全体を通じた展開のなかで、よりダイナミックなものへとなっていき、一連のインスタレーションはその最終局面を示しています。そのため、当時の展示を彷彿とさせる臨場感を提示したい、という欲求にかられます。とはいえ、本展においては、オリジナルに忠実であることを担保できない再構成や、臨場感を過度に演出した展示を控えることとしました。それは、現物としての作品が残されていない状況にあって、次第に曖昧なものとなってしまう「殿敷が残したもの」の輪郭をまずは一度整理することを最優先事項に据えたからです。そして、おそらくは当人も想定していたであろう、主要な作品の不在という状況をまずは受け入れることが、殿敷の挑戦に報いることであると考えました。
 その結果、展覧会前半と後半とを比較すると、「作品」と「資料」との関係が逆転したようになっています。つまり、絵画や版画を中心とした時代においては、残された作品群が主要な展示物として存在し、記録写真や手記といった資料は作品を鑑賞する際の補足として機能しています。一方、現物としての作品があまり残されていない晩年の表現活動に関しては記録や関連資料しかありません。「作品」として展示されているのは、比較的小さな(それ故に今日まで残されてきた)例外的なものに限られます。それらは、より大規模で主要な作品が記録として提示される(ほかない)状況を補完しているかのようです。
 こうした過程を経て初めて、殿敷のプロジェクトを同時代に体験できなかった人々を含む多くの者に、その活動について語り、検証する地平を開くことができるのではないでしょうか。こうしたことは、前半から中期にかけての絵画や版画作品に関して言えば、作品が安定的に残り、保存されていく状況の確保ということに置き換えられます。今回の展覧会開催をひとつのきっかけとして、複数の美術館が殿敷作品の収蔵を検討されています。これらの作品が各地の美術館のコレクションに加えられ、持続的に作品が残り、時代を超えて鑑賞され続ける可能性を得たことはたいへん喜ばしいことです。

5「殿敷侃:逆流の生まれるところ」会場風景
広島市現代美術館


6


7


 今回の展覧会を準備するにあたって、作家がアトリエに残した作品・資料は言うに及ばず、制作協力者、美術関係者、ジャーナリストなど、多くの人々の手許にもインスタレーションの記録写真、映像、それに掲載記事から手記など、膨大な資料の存在を確認し、活用することができました。それらを重ね合わせ、補い合わせることで浮かび上がる全体像が展覧会の基礎を形作っています。これらは現在まで、主に個人によって保管されてきたものでした。私たちの調査が一定の成果を伴うものであったとすれば、それは第一にこれらの情報を集約させたことにあるのだと思います。殿敷という作家について、今後も作品の展示や調査研究の機会が持たれ、さらに踏み込んだ議論が繰り広げられることとなれば、本展に携わった者として、これに勝る喜びはありません。展覧会の終了とともに別の業務に追われ、未だその最中ではありますが、今後の研究者に対して、私たちが作家について得たすべての情報を提供する準備を整えておかなくてはならないと考えています。

8タイトル不明、1986年頃、ミクストメディア


まつおか たけし

■松岡剛 Takeshi MATSUOKA
1975年大阪府生まれ。大阪大学文学部卒。1998年より広島市現代美術館学芸員。「HEAVEN:都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン」(2010年)「路上と観察をめぐる表現史」(2013年)「赤瀬川原平の芸術原論展」(共同企画、2014-15年)「ライフ=ワーク」(2015年)「殿敷侃:逆流の生まれるところ」(2017年)などを企画。

*画廊亭主敬白
今春、広島市現代美術館で開催された「殿敷侃:逆流の生まれるところ」(会期:2017年3月18日〜5月21日)について、担当された松岡剛先生に二回にわたり「殿敷侃展とその後」を書いていただきました(9月13日ブログ参照)。
亭主も商売柄、美術館の企画展の裏側を少しはのぞいてきました。何年もかけて組み立てた展覧会ももちろんありますが、日本の行政の単年度予算の性質上、多くは短期決戦にならざるを得ない。そうでなくても日々の雑用に追われる学芸員たちの涙ぐましい努力によって一年足らずの間に組み立てられ、作品集め、展示構成、カタログ編集が同時進行する。入場者を増やすためにしなくてもいい苦労を重ねる。開幕にこぎつけたときは精根尽き果てて・・・・
欧米だと、それからが勝負。会期中にあった様々な反響を整理し、展覧会では実現できなかったこと、積み残した課題を次のステップにする。担当したキューレーターはその業績によって評価され、さらに上を目指す。
日本の「やりっぱなし」はいかにももったいないし、学芸員たちの蓄積にもならない。鑑賞者にとっても「見て終わり」ではなく、受けた感動をさらに深める努力が必要ではないか。亭主の商売でいえば、美術館での展示成果を、市場での評価につなげる努力が求められる。そんな思いを託して原稿執筆を依頼した次第です。
お忙しい中、ご執筆いただいた松岡先生に心より感謝いたします。ありがとうございました。

●本日のお勧め作品は、殿敷侃です。
21_kani殿敷侃
《カブトガニ》(仮称)
油彩
49.5×24.5cm
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

埼玉県立近代美術館では15年ぶりとなる「駒井哲郎 夢の散策者」展が開催されています。
会期:2017年9月12日[火]〜10月9日[月・祝]
企画を担当された吉岡知子さん(同館学芸員)のエッセイ<企画展「駒井哲郎 夢の散策者」に寄せて―武田光司氏のコレクション>をお読みください。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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松岡剛「殿敷侃展とその後(1)」

殿敷侃展とその後(1)

松岡剛
(広島市現代美術館学芸員)

 今年の3月から5月にかけて、広島市現代美術館では広島出身の作家、殿敷侃(1942-1992)を紹介する特別展を開催しました。本展にもご協力を賜りました綿貫氏より機会をいただき、その準備から展覧会の開催までを振り返り、報告させていただきます。

01殿敷侃:逆流の生まれるところ」会場風景 広島市現代美術館


02


03


 「殿敷侃:逆流の生まれるところ」は、その初期から最晩年までの活動を網羅する回顧展として構想されました。殿敷が広島と山口を活動の拠点としていたこともあり、これまでに下関市立美術館(1993)、山口県立美術館(2008)、はつかいち美術ギャラリー(2013)といった各所で回顧展が催されてきたものの、意外なことに出身地である広島市では初の本格的な開催となりました。殿敷にとって広島は出身地というだけでなく、原爆体験が制作の原点であり続けたという点においても重要な場所と言えます。私が今から20年近く前、広島で仕事を始めた時から既に、殿敷の名前は当館でも検証すべき作家として挙がっていたように記憶しています。美術館の先輩学芸員、地元の作家、キュレーターといった人々から話を聞く中で、広島のアートシーンの展開にも深く関わる作家であることを知りました。
 一方で、殿敷侃という作家は絵画に始まり、銅版画、シルクスクリーン版画、インスタレーションへと、技法とともに作風を変転させ、それに伴って発表の方法や場も移り変わっていきます。それ故に、様々な局面で作家や作品に親しみつつも、そのイメージが断片的であったという方も多数おられる状況がありました。こうした作家の全貌をあらためて辿ることは、とりわけ広島という町で活動する美術館として意義のあることに思えました。

 本展の様子は、既に佐藤毅氏が本ブログで詳細なレポートを寄せられているように、この目まぐるしい展開を遂げた作家の活動をそのスタイルごと、年代順に整理し概観する構成としています。今日作品が残されているものについては、いくつかの例外を除いてほぼ全てのタイプの作品を展示しました。そうすることで、殿敷という作家がどのような流れの中で新たなスタイルに着手し、どのように変化していていったのかということを示そうとしています。こうしてその全貌を提示することで浮かび上がってくる点もありました。

04《は2》1970年 油彩・キャンバス


05《釋寛量信士(鉄かぶと)》1977年 油彩・キャンバス


06《HYDROGEN BOMB (2)》1981年 シルクスクリーン・キャンバス


07《タイヤの生る木[Plan.7]》1991年(撮影:中本修造)


 なかでも注目すべきは、彼が一つの技法に取り組み自身のスタイルへと到る際の集中力でしょう。たとえば、キャリアの前半期を代表するものに銅版画があります。彼のペン画を目にし、才能を見出した美術評論家、久保貞次郎の勧めによって、1977年から始められました。それまでのペン画を思わせる細密な点描によるエッチングに始まり、次第にアクアチントによってモチーフとなる物体を直に型取りするような手法を模索し始めます。さらには、物を銅板に強く押しつけて生じるへこみを利用した作品など実験的な創作を展開させ、多彩な作品を残しました。その制作期間はわずか3年ほどであったと推測されます。このように、彼はひとつの技法に取り組む中で集中的に実験を繰り返し、一定の作風を確立していきます。時としてそれらは作家としての評価や作品の販売に繋がっていくのですが、長く作り続けることはなく、新たな別の技法へと関心が移っていきます。同様のことが、絵画やシルクスクリーンの作品にも見られます。新たな試みと同時に過去のスタイルを平行して続けていた形跡もあまり見られませんでした。彼が綴った手記や、関わった人々の言葉からは、彼が頓着なく軽やかに他の作家のスタイルを受け入れ、取り込んでいった様子も窺われます。また、ひとつのスタイルの中で醸成させた自身の問題意識を新たに展開させる別のスタイルを直感的に選び取っていったようでもあります。
 そこで重要なのが、既存の様式を自身の問題意識に強引に接続させ、換骨奪胎させるかのような、スタイル採用の作法でした。こうした特質を語るときに無視できないのが、彼の原爆体験です。自身も語っているように彼は原爆を制作の原点に据えていました。様々な様相を呈しながらも、作品に透かし見える(見せる?)彼の原爆体験がいずれの作品の印象にも、切実さや重みをもたらします。彼は作風の展開を通して、自身の原爆体験を様々な手法とオーバーラップさせていくことで、既存の手法を読み替えていくとともに、自身の原爆体験の意味合いも普遍性を帯びたテーマへと再編成していったように見えます。

08《作品(石)》1977年 エッチング・紙


09《貝(3)》1978年 エッチング・雁皮紙


10《彼岸花》制作年不明 アクアチント・紙


11《クシ》制作年不明 アクアチント・紙


12タイトル、制作年不明 アクアチント、型押し・紙


 このような作家の歩みを反映させるように、展覧会はその短いキャリアに見合わぬほどバラエティに富み、そこになお一貫性を見出すことのできる流れを形作りました。そして、この流れは彼が常に新たな関心を持ち続け、それにのみ集中し制作に明け暮れた日々を物語っています。たしかに彼の創作は、苦悩や怒り、抵抗の身振りを伴っていますが、一方でそのキャリア全体を眺めたとき、そこに作家としての幸福を見出すこともできるように思われます。このような生活が続けられたことの背景には、彼を慕う周囲の人々の強力なサポートがありました。そうした人々が、作家の没後もアトリエや作品、資料を管理し、本展覧会開催への大きな助けとなったことは言うまでもありません。(つづく)
まつおか たけし

*後編は9月18日に掲載します。

■松岡剛 Takeshi MATSUOKA
1975年大阪府生まれ。大阪大学文学部卒。1998年より広島市現代美術館学芸員。「HEAVEN:都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン」(2010年)「路上と観察をめぐる表現史」(2013年)「赤瀬川原平の芸術原論展」(共同企画、2014-15年)「ライフ=ワーク」(2015年)「殿敷侃:逆流の生まれるところ」(2017年)などを企画。

●本日のお勧め作品は、殿敷侃です。
20170909_08_block殿敷侃
《ドームのレンガ》(1)
1977
銅版、雁皮刷り
イメージサイズ:23.2×32.3cm
シートサイズ :32.8×44.0cm
Ed.50 サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

埼玉県立近代美術館では15年ぶりとなる「駒井哲郎 夢の散策者」展が開催されています。
会期:2017年9月12日[火]〜10月9日[月・祝]
企画を担当された吉岡知子さん(同館学芸員)のエッセイ<企画展「駒井哲郎 夢の散策者」に寄せて―武田光司氏のコレクション>をお読みください。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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佐藤毅のエッセイ〜殿敷侃:逆流の生まれるところ@広島市現代美術館

殿敷侃:逆流の生まれるところ@広島市現代美術館

佐藤 毅(アート・ウオッチャー)


 ”僕は夜明けを信んじた”と絶筆を残し、25年前に亡くなった殿敷侃の回顧展が、ようやくというか、やっと広島市現代美術館で開催されています(5月21日まで)。
 30年にも満たない期間に表現方法をめまぐるしく変化させた、殿敷の制作活動の全貌が見渡せるように次のような順序だてのとてもよく出来た展覧会です。
I |何くそ、こんな絵は…:初期具象からポップアート的絵画へ 1964-1970
II |たたみ込まれた執念:点描と銅版画の実験 1970-1980
III|上手く描くと忘れ物をする:長門という場所での創作
IV |埋め尽くすものと、隙間からのぞくもの:反復と集積による表現 1980-1985
V |逆流する現実:廃材によるインスタレーション 1983-1991

以下、会場スナップ:

01広島市現代美術館


02会場入口


03I|
初期の厚塗り絵具が重苦しく感じられる風景画や人物画。
本人はすべて自画像だと語ったそうです。


04
初期と一変して明るいポップな作風の「は」シリーズ。
朝日ジャーナル(1970.12.6号)の表紙を飾る。


05II|
原爆で失った両親にまつわる品や自画像の点描油彩画。


06II|
「カブトガニ」と「鉄かぶと」
右は、父の遺品と確信した鉄かぶとと原爆ドームのレンガ。


07II|
カニ、トンボ、貝など身近な小さな生き物をモチーフにした銅版画。


08IV|
キノコ雲の写真を拡大・反復させた巨大シルクスクリーン版画と新聞紙に直接刷り込んだシルクスクリーン版画。


09IV|
無意識に手を動かすことで、自己を見つめたいと、鉛筆やボールペンで描いた点や線の集積。


10V|
「山口ー日本海ー二位ノ浜・お好み焼き」は、浜に流れついたいろいろなゴミを地域の人たちと協働で燃やしたもの。


11V|
「JUPITER」は、社会的システムのなかで自動的に死に追いやられていく廃棄物を「自分を駆り立てる愛すべき美しいもの」と感じていたそうです。
それを焼き固めたもの。


12V|
赤ペンキでドローイングした長さ100 メートルのビニール・シートを原爆ドームの前に持ち込んだパフォーマンス。


13V|
美術館やギャラリーの空間をタイヤ、ゴミ、廃棄されたテレビなどで浸食した大がかりなインスタレーション記録写真やその資料など。


14V|
この部屋は記録写真や資料が多く、実際のインスタレーションの再制作がないので、その迫力が見えてこないのが少し残念でした。
殿敷さんがもし生きていたら、と思ってしまいました。


この展覧会は、出来る事なら関東のどこかの美術館に巡回展示されるといいのですが。。。
さとう つよし

■佐藤毅 Tsuyoshi SATO
・1943年 名古屋市生まれ。
・1966年 桑沢デザイン研究所卒業。
・1977年 アート・ウオッチングを始める(現在も)。
・1980年 アート・シーンの撮影を始める(現在も)。
・1987年 殿敷侃さんと知り合う(亡くなるまで親交を結ぶ)。

●展覧会のご案内
「殿敷侃:逆流の生まれるところ」
会期:2017年3月18日[土]〜5月21日[日]
会場:広島市現代美術館
時間:10:00〜17:00(入場は閉館の30分前まで)
休館:月曜日 ただし、3月20日(月・祝)は開館、3月21日(火)は休館。
殿敷_1200殿敷2_1200


●展覧会図録のご案内
20170414『殿敷侃:逆流の生まれるところ』
2017年
広島市現代美術館 発行
278ページ
25.7x18.7cm
価格3,400円(税別) ※送料別途250円


目次:
・序にかえて―殿敷侃についての覚書 寺口淳治
・I 何くそ、こんな絵は…:初期具象からポップアート的絵画へ 1964-1970
・II たたみ込まれた執念:点描と銅版画の実験 1970-1980
・III 上手く描くと忘れ物をする:長門という場所での創作
・VI 埋め尽くすものと、隙間からのぞくもの:反復と集積による表現 1980-1985
・V 逆流する現実:廃材によるインスタレーション 1983-1991
・逆流の生まれるところ 松岡剛
・年譜
・文献リスト
・出品リスト

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●殿敷侃Tシャツ特別頒布のご案内
本展覧会を記念してTシャツが制作されました。広島現代美術館での会期中限定販売です。
ときの忘れもので注文を取り次ぎますので、ご希望の方はメールでお申込みください。

殿T_POS_1200
TONOSHIKI_T_DIRECTION_6 (1)-1


TONOSHIKI_T_DIRECTION_6 (1)-2


TONOSHIKI_T_DIRECTION_6 (1)-3


サイズ:S、M、L
価格3,800円(税別)
※送料別途250円

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
ご注文には必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。

●今日のお勧め作品は殿敷侃です。
17_saw2殿敷侃
《ノコ》(2)
銅版
イメージサイズ:23.5×32.7cm
シートサイズ :38.4×43.4cm
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

没後25年・広島市現代美術館で「殿敷侃展」2017年3月18日〜5月21日

ときの忘れものは本日より「堀尾貞治・石山修武 二人展―あたりまえのこと、そうでもないこと―」を開催します。
3月31日(金)17:00〜19:00お二人を迎えてオープニングを開催します。ぜひお出かけください。


●広島市現代美術館で没後25年を記念して「殿敷侃:逆流の生まれるところ」が開催されています。
展覧会を企画された同美術館の松岡剛先生にご寄稿いただきました。

〜〜〜〜〜

殿敷侃:逆流の生まれるところ
Tadashi Tonoshiki—the Source of a Compelling Reversal
広島市現代美術館
2017年3月18日(土)〜5月21日(日)
休館日:月曜日 ただし、3月20日(月・祝)は開館、3月21日(火)は休館。
開館時間:10:00〜17:00(入場は閉館の30分前まで)
主催 広島市現代美術館、中国新聞社
後援 広島県、広島市教育委員会、広島エフエム放送、尾道エフエム放送
観覧料 一般1030円(820円)大学生720円(620円)高校生・65歳以上510円(410円)
     ※( )内は前売りおよび、30名以上の団体料金
     5月5日(金・祝)は高校生以下無料

開催趣旨:
 広島出身の作家、殿敷侃(とのしき・ただし1942-1992)は国鉄職員として勤めていたなか、1962年からの長期療養をきっかけに絵画制作を始めました。60年代の半ばより作品を発表し始め、70年代からは生活と創作の拠点を山口県の長門市に移し、両親と自身の被爆体験に向き合い緻密な点描による絵画・版画作品を制作します。その後80年代に入ると、シルクスクリーンの実験的制作や、インスタレーション的な提示方法を通して作風を大きく展開させました。また80年代半ばからは、廃棄物や漂流物を素材としたダイナミックなインスタレーションを多数実現させ、それらが現代の消費社会や環境破壊へと向けられた問題意識に基づく創作として高い評価をうけ、国内外の展覧会での発表を重ねていきます。そして、今後のさらなる活躍が期待されるなか、50歳にしてこの世を去りました。
 近年、殿敷の創作が社会的なテーマへの取り組みや、地域住民との協働による制作といった観点から再評価されるなか、没後25年を迎える広島ゆかりの作家として、その活動を包括的に振り返ります。「逆流」とは、晩年の殿敷が自身の制作に対して用いた言葉で、忘れ去られたり、脇に追いやられたりした存在が、強引に人びとの意識の上に現れる様を意味しています。本展では、この「逆流」をキーワードに、殿敷の活動を辿るように、主に時代別の5つのコーナーより構成し、およそ300点の作品および資料によって紹介します。殿敷という作家が、何に苦悩し、何に抗い、何を引き受けてその表現活動を展開してきたのか、そして、30年に満たない限られた期間に目まぐるしく作風を変転させたその展開において、何が付け加わり、何が温存され、何が醸成されていったのか。本展は、その全貌に迫り、彼が美術表現を通して現代社会に投げかけた視座を探ろうとするものです。

歯2《は2》
Teeth 2
1970
油彩・キャンバス
oil on canvas
162.1×130.8cm
広島市現代美術館蔵
collection of Hiroshima City Museum of Contemporary Art


手《手》
Hand
1976
インク・鉛筆・紙
ink and pencil on paper
21.5×27.0cm
下関市立美術館蔵
collection of Shimonoseki City Art Museum


ドームのレンガ《ドームのレンガ(1)》
Brick from the Dome (1)
1977
エッチング・雁皮紙
etching on gampi paper
23.2×32.3cm
有限会社ワタヌキ・ときの忘れもの蔵
collection of Watanuki Ltd./Gallery Toki-no-Wasuremono


自画像の風景《自画像の風景》
Self-Portrait with Landscape
1975
油彩・キャンバス
oil on canvas
116.3×91.0cm
広島市現代美術館蔵
collection of Hiroshima City Museum of Contemporary Art


鉄かぶと《釋寛量信士(鉄かぶと)》
Shakukanryoshinshi (Iron Helmet)
1977
油彩・キャンバス
oil on canvas
53.0×41.0
個人蔵
private collection


HYDROGENBOMB2《HYDROGEN BOMB (2)》
Hydrogen Bomb (2)
1981
シルクスクリーン・キャンバス
silkscreen on canvas
181.5×227.2cm
広島市現代美術館蔵
collection of Hiroshima City Museum of Contemporary Art


数字(赤)《数字(赤)》
Numerals (Red)
1984
ゴムスタンプ・紙
rubber stamp on paper
162.2×130.2cm
広島市現代美術館蔵
collection of Hiroshima City Museum of Contemporary Art


JUPITER《JUPITER》
Jupiter
c. 1985
焼き固めたプラスチック類
lump of burnt found objects, plastics
47.0×160.0×80.0cm
広島市現代美術館蔵
collection of Hiroshima City Museum of Contemporary Art


山口《山口—日本海—二位ノ浜、お好み焼き》記録写真
Yamaguchi-Nihonkai-Niinohama, Okonomiyaki
photographic documentation
1987
二位ノ浜(長門市)での制作風景
撮影:読売新聞社
production view at Niinohama (Nagato)
photo by Yomiuri Shinbun


タイヤの生る木《タイヤの生る木[Plan.7]》記録写真
Tyre Bearing Tree [Plan. 7]
photographic documentation
1991
常盤公園(山口県宇部市)での展示風景
撮影:中本修造
installation view at Tokiwa Park (Ube, Yamaguchi)
photo by Shuzo Nakamoto


夢装置《夢装置》記録写真
Dream Apparatus
photographic documentation
1991
川尻岬(山口県油谷町)での展示風景
撮影:宮崎茂
installation view at Kawajiri Cape (Aburayacho, Yamaguchi)
photo by Shigeru Miyazaki

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*カタログも刊行されましたので、後日ご紹介します。

●殿敷侃Tシャツ特別頒布のご案内
本展覧会を記念してTシャツが制作されました。広島現代美術館での会期中限定販売です。
ときの忘れもので注文を取り次ぎますので、ご希望の方はメールでお申込みください。

殿T_POS_1200
TONOSHIKI_T_DIRECTION_6 (1)-1


TONOSHIKI_T_DIRECTION_6 (1)-2


TONOSHIKI_T_DIRECTION_6 (1)-3


サイズ:S、M、L
価格3,800円(税別)
※送料別途250円

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
ご注文には必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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●ときの忘れもので扱っているカタログのご案内
ときの忘れものでは、殿敷さんの下記のカタログ、作品集を頒布しています。

1990年『殿敷侃 逆流する現実』『殿敷侃 Reversing Reality 逆流する現実』
1990年
SOS PLAN 発行
168ページ
29.5x26.0cm
執筆:リン・ガンパート
限定:3,000部
価格:10,000円(税別)
※送料別途250円


1991年『殿敷侃 タイヤの生る木』『殿敷侃 タイヤの生る木』
1991年
SOS PLAN 発行
28ページ
29.5x21.1cm
執筆:山本和弘
編集:佐藤毅、殿敷侃
限定:2,000部
価格:2,000円(税別)
※送料別途250円


1993年『殿敷侃展』『殿敷侃 遺されたメッセージ・アートから社会へ』展カタログ
1993年
下関市立美術館 発行
47ページ
29.7x20.8cm
執筆:山本和弘、渡部誠一、濱本聰
図版:89点
価格:1,500円(税別)
※送料別途250円
殿敷が亡くなった翌年に下関市立美術館で開催された展覧会のカタログです。


Tonoshiki表紙600『殿敷侃 遺作展』カタログ
2013年
ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm
執筆:濱本聰
図版:21点
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:北澤敏彦(株式会社DIX-HOUSE)
価格:800円(税別)
※送料別途250円

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ご注文には必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。

殿敷DM広島で生まれた殿敷侃は、1992年50歳で亡くなりましたが、ときの忘れものでは2013年8月21日[水]―8月31日[土]「殿敷侃 遺作展」を開催しました。
遺作展では初期の原爆ドームのレンガや、鋸、蟹など、点描で精緻に描かれた油彩と版画を約20点展示しました。
殿敷さんの版画制作の経緯は「久保エディション第4回〜殿敷侃」でご紹介しました。
本展カタログのテキストは下関市立美術館の濱本聰先生(2015年3月13日死去)に執筆をお願いしました。
ブログでは<殿敷侃の遺したもの>として、山田博規さん(広島県はつかいち美術ギャラリー)、友利香さん、土屋公雄さん、西田考作さんたちに寄稿(再録も含む)していただきました。

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●作品紹介
ときの忘れもののコレクションからいくつかご紹介します。
17_saw2殿敷侃
《ノコ》(2)
銅版
イメージサイズ:23.5×32.7cm
シートサイズ :38.4×43.4cm
サインあり


18_saw3殿敷侃
《ノコ》(3)
銅版
イメージサイズ:23.3×32.0cm
シートサイズ :35.4×42.5cm
Ed.30
サインあり


05_kani殿敷侃
《カニ》
銅版
12.3x16.0cm
Ed.30
サインあり


14_insect殿敷侃
《地中の虫》
リトグラフ
イメージサイズ:21.2×35.9cm
シートサイズ :36.2×45.1cm
Ed.30
サインあり


02_kai_2殿敷侃
《貝(2)》
銅版
7.7x9.8cm
Ed.55
サインあり


04_kai_3殿敷侃
《貝(3)》雁皮紙摺
銅版 雁皮紙摺り
7.6x9.5cm
Ed.30
サインあり


03_kai_3殿敷侃
《貝(3)》
銅版
7.6x9.5cm
Ed.30(A.P.)
サインあり


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訃報 濱本聰先生

下関市立美術館館長の濱本聰先生が3月13日に急逝されました。
まだ60歳、下関市立美術館の開館からずっと勤務され、2010年からは館長として活躍されてきました。
専門は日本近代美術史、「桂ゆき展」「香月泰男展」「日本のリアリズム 1920s−50s」(第6回倫雅美術奨励賞受賞)などの重要な展覧会を企画。

1992年50歳で亡くなった殿敷侃の再評価、顕彰に尽力し、亡くなった翌年に遺作展を企画開催されました。
1993年『殿敷侃展』『殿敷侃 遺されたメッセージ・アートから社会へ』展カタログ
1993年
下関市立美術館 発行
47ページ
29.7x20.8cm
執筆:山本和弘、渡部誠一、濱本聰
図版:89点

殿敷は自らの被爆体験をもとにヒロシマにまつわる遺品や記憶を細密極まる点描で描き、後に古タイヤなどの廃品で会場を埋めつくすというインスタレーションで現代社会の不条理に対して批判的・挑発的なメッセージを発信し、昨年の横浜トリエンナーレにも20数年前の作品が出品され、注目を集めました。

Tonoshiki表紙600『殿敷侃 遺作展』カタログ
2013年
ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm
執筆:濱本聰
図版:21点
編集:尾立麗子

ときの忘れもので2013年に開催した「殿敷侃 遺作展」カタログにもご執筆いただきました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

「無人島にて〜殿敷侃」9月26日〜10月19日

1992年に50歳で亡くなった殿敷侃さんが、没後22年を経て注目を浴びています。
先日もご紹介したとおり、横浜で開催中の「ヨコハマトリエンナーレ2014」に殿敷侃の作品が出品されており(そのレポートはコチラ)、殿敷作品を扱う画廊としてはとても嬉しい。

そして京都造形芸術大学ギャルリ・オーブで開催中の「無人島にて「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション」にも、殿敷侃の作品が出品されています。
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「無人島にて「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション」
会期:2014年9月26日(金)〜10月19日(日)
会場:京都造形芸術大学ギャルリ・オーブ
時間:11:00〜19:00 ※会期中無休
入場料:無料
主催:京都造形芸術大学
キュレーター:長谷川新

出展作家:上前智祐、笹岡敬、椎原保、殿敷侃、福岡道雄、宮豊治、八木正

1980年代、オールオーバーで装飾的なインスタレーション、レリーフ的な絵画、あるいは絵画/彫刻の復権といった動向とは一線を画しつつも、しかし緩やかなる同時代性を帯びた作家たちの実践があった。建畠晢は彼らの一部を「時代の状況から鋭く孤立したところにそれぞれの拠点を定めた作家」と呼んだが、「関西ニューウェーブ」が席巻し、すべてが「インスタレーション」として呼びならわされていくその過程において、彼らはどのように自らの作品と向き合ってきたのだろうか。そこにはただ60年代や70年代との切断や急激な転換の痕だけが刻まれているわけではないはずである。
「ひとつの島が無人島でなくなるためには、なるほど、単に人が住むだけでは足りない。」―ジル・ドゥルーズが残した奇妙なテクストが私たちにヒントを与えてくれる。他者なきそれぞれの拠点=無人島において、本展の作家たちは自身の日常を信じつつも反転させ、制作を行ってきた。彼らの実践は、無人島になり続けようとする不断の過程なのかもしれないが、その創造性は、これまでの80年代美術のイメージに修正を促すものだ。
断片的に語られてきた彼らの創造性をつなぎとめる係留点をつくりあげることで、本展が「80年代」を再考する一契機になるとともに、それぞれの作家の実践を現在と結びつける場となれば幸いである。(同展HPより転載)

●トークイベント
10月11日(土)
会場:ギャルリ・オーブ
進行:長谷川 新
14:30〜16:00 福岡道雄、宮豊治、石崎尚[愛知県立美術館学芸員]
16:30〜18:00 笹岡敬、椎原保、前田裕哉[Twitter ID@atashika_ymyh]
※予約不要、定員80名
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殿敷侃は1942年広島市に生まれました。45年8月6日の原爆投下で広島中央郵便局に勤務していた父は爆死。母は投下2日後に3歳の殿敷侃を背に、9歳の姉の手を引き、夫を探して爆心地に入り、二次被爆し5年後に病死します。
侃は26歳で画家を志し、77年久保貞次郎(1966年ヴェネチアビエンナーレ・コミッショナー、町田市立国際版画美術館初代館長などを歴任)の勧めにより銅版画の制作を始めます。 作家自身の被爆体験にもとづき、父母の形見の品や原爆ドームのレンガなどのをモチーフにした細密な作品で注目され、79、80年に安井賞連続入選。
1982年にヨーロッパやアメリカを旅行、ドクメンタ7でヨーゼフ・ボイスに衝撃を受け、以後、今までの絵画表現から離れ、古タイヤ、テレビ、自動車、傘、ゴミ回収袋などの廃棄物で会場を埋めつくすという過激な表現によるインスタレーションを行なうようになります。多数の人々をまき込んで行なうイベントを表現方法とし、現代社会とその中での人間の意識について厳しく問い続けました。
1991年第14回現代日本彫刻展では車椅子から指示を出しながら、立木18本にタイヤ800個をくくりつけ社会への強烈な批判的・挑発的なメッセージを発信しますが、原爆二次被爆に起因する肝臓がんで1992年2月11日50歳の短い生涯を閉じました。

ときの忘れものでは昨年8月に「殿敷侃 遺作展」を開催しました。
このブログでは「殿敷侃の遺したもの」を記録するため「久保エディション第4回〜殿敷侃」はじめ、濱本聰さん(下関市立美術館)、山田博規さん(広島県はつかいち美術ギャラリー)、友利香さん、土屋公雄さん、西田考作さんらに寄稿(再録も含む)していただきました。こちらも合わせてご覧ください。

●殿敷侃カタログのご紹介
Tonoshiki表紙600『殿敷侃 遺作展』カタログ
2013年
ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm
執筆:濱本聰
図版:21点
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:北澤敏彦(株式会社DIX-HOUSE)
価格:864円(税込)
※送料別途250円


1993年『殿敷侃展』『殿敷侃 遺されたメッセージ・アートから社会へ』展カタログ
1993年
下関市立美術館 発行
47ページ
29.7x20.8cm
執筆:山本和弘、渡部誠一、濱本聰
図版:89点
価格:1,620円(税込)
※送料別途250円

殿敷が亡くなった翌年に下関市立美術館で開催された展覧会のカタログです。



1990年『殿敷侃 逆流する現実』『殿敷侃 Reversing Reality 逆流する現実』
1990年
SOS PLAN 発行
168ページ
29.5x26.0cm
執筆:リン・ガンパート
限定:3,000部
価格:10,800円(税込)
※送料別途250円


1991年『殿敷侃 タイヤの生る木』『殿敷侃 タイヤの生る木』
1991年
SOS PLAN 発行
28ページ
29.5x21.1cm
執筆:山本和弘
編集:佐藤毅、殿敷侃
限定:2,000部
価格:2,160円(税込)
※送料別途250円


●今日のお勧め作品はもちろん殿敷侃です。
08_block《ドームのレンガ》(1)
1977年 銅版、雁皮刷り
23.2×32.3cm
Ed.50 サインあり

19_ノコ_600殿敷侃
「ノコ」(3)
銅版
Image size:23.3x32.0cm
Sheet size:35.4x42.5cm
Ed.30 サインあり

15_地中の虫_600殿敷侃
「地中の虫」
リトグラフ
Image size:21.2x35.9cm
Sheet size:36.2x45.1cm
Ed.30 サインあり

作家と作品については、「久保エディション第4回〜殿敷侃」をお読みください。

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ヨコハマトリエンナーレ2014に殿敷侃と松本竣介が選ばれました

ちょっと嬉しいニュースです。

横浜トリエンナーレは、横浜で3年に一度行われる現代アートの国際展。
2001年にスタートし、今年で5回目となる「ヨコハマトリエンナーレ2014」が、アーティスティック・ディレクターに森村泰昌さんを迎え、2014年8月1日[金]〜11月3日[月・祝]まで開催されます。
主会場は、横浜美術館、新港ピア(新港ふ頭展示施設)。

先日、逢坂恵理子さん(横浜トリエンナーレ組織委員会委員長、横浜美術館館長)、森村泰昌さんらが記者発表して参加作家の第二弾を発表しましたが、昨年ときの忘れもので小回顧展を開いた松本竣介殿敷侃が選ばれました。

二人とも物故作家ですが(詳しくは同トリエンナーレのサイトをお読みください)、森村泰昌さんによれば「今回はいわゆる旬の作家を紹介するショーケースではなく、我々が大切だと思っているテーマを反映するビビッドな作家たちを選んでいる。生と死の関係を考えることは忘却というテーマを考える上ですごく重要。若い作家も、既に亡くなった作家も、特に意識せず選んだ」とのこと。
他にもアンディ・ウォーホル、ピエール・モリニエ、ジョゼフ・コーネル、吉村益信らも物故ですが選ばれました。
旬の作家には縁のないときの忘れものにとっては思いがけない朗報でした。

twitterで樋口ヒロユキさんが<広島の美術作家、故・殿敷侃さんが、横浜トリエンナーレに出品することが正式に決まりました。311以降の日本に生きる私たちにとって、とても大切な作家だと思います。>とつぶやいていましたが、これを機会に殿敷さんのことを知っていただければと思います。

●『殿敷侃 遺作展』カタログのご案内
Tonoshiki表紙600『殿敷侃 遺作展』カタログ
2013年
ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm
執筆:濱本聰
図版:21点
価格:823円(税込)
※送料別途250円

2013年8月に開催した「殿敷侃 遺作展」のカタログです。
広島で生まれた殿敷侃は、被爆体験をもとにヒロシマにまつわる遺品や記憶を細密極まる点描で描き、後に古タイヤなどの廃品で会場を埋めつくすというインスタレーションで現代社会の不条理に対して批判的・挑発的なメッセージを発信し、1992年50歳で亡くなりました。
このブログでは「殿敷侃の遺したもの」を記録するため「久保エディション第4回〜殿敷侃」はじめ、濱本聰(下関市立美術館)さん、山田博規さん(広島県はつかいち美術ギャラリー)、友利香さん、土屋公雄さん、西田考作さんらに寄稿(再録も含む)していただきました。
殿敷侃の文献資料はコチラで紹介しています。
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松本竣介(ヨコハマトリエンナーレ2014の出品作家サイトより引用)
日本の近代美術を代表する画家の一人。美術協会の新設に寄与するなど、戦後の画壇を背負って立つ人物として嘱望されながらも早逝した。本展では、終戦前後、疎開した妻と息子宛に綴った書簡を通じて、芸術家がどのような姿勢で世の中を見つめ、創造に臨んできたか、時代を経ても変わることのない精神のあり様を紹介する。
●『松本竣介展』カタログのご案内
『松本竣介展』図録 表紙『松本竣介展』図録
2012年12月14日 ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm(B5判)
執筆:植田実
図版:30点掲載
価格:823円(税込)
※送料別途250円

2012年12月〜2013年1月に開催した「松本竣介展」のカタログです。
殿敷侃と違いあらためて紹介するまでもなく日本の近代美術史を代表する作家ですが、ときの忘れものでは松本竣介の希少画集、カタログを頒布しています。
またブログでは、植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」を連載しましたので、こちらもぜひお読みください。
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◆ときの忘れものは2014年4月19日[土]―5月6日[火 祝日]「わが友ウォーホル〜氏コレクションより」を開催しています(*会期中無休)。
ウォーホル展DM
日本で初めて大規模なウォーホル展が開催されたのは1974年(東京と神戸の大丸)でした。その前年の新宿マット・グロッソでの個展を含め、ウォーホル将来に尽力された大功労者がさんでした。
アンディ・ウォーホルはじめ氏が交友した多くの作家たち、ロバート・ラウシェンバーグ、フランク・ステラ、ジョン・ケージ、ナム・ジュン・パイク、萩原朔美、荒川修作、草間彌生らのコレクションを出品します。

本日のウォーホル語録

<一緒に仕事する仲間に何を望むかと言えば、ぼくのやろうとしてることを、いくぶん誤解してくれることだ。根本的な誤解ではないよ。あちこち、小さな誤解があるといいと思ってる。そこから何がしたいかを、誰かが完全には理解しなかったり、彼らにこうしてくれ、と言ったことを、ちゃんとよく聞いていなかったりとか、テープの録音状態がまずかったりとか、彼らの気まぐれの方が勝ってしまったときは、結局、ぼくのオリジナル・アイディアより、そっちの方から出てきてしまったものの方が、ずっと好きになってしまう。そうして、あなたのアイディアをまちがって受けとってしまって、仕上げてしまった作品を、また別の人にわたして、(その上に)あなたの最初のアイディアをやるように、頼むのも良いだろう。もし人々が、まったくあなたを誤解することなしに、あなたが言った通りに、寸分の違いもなくやるとしたら、彼らはただあなたのアイディアの送信器にすぎなくて、あなたはじきにうんざりしてしまうだろう。しかし、もしあなたが、あなたのことを誤解する人たちと一緒に仕事をすれば、送信器(トランスミッション)のかわりに変換器(トランス・ミューテイション)を得ることになって、長くやっていこうと思ったら、はるかに面白いことになる。ぼくのために働いてくれる人は、ものごとに自分なりの考えを持ってる人がいい。それなら彼らはぼくを退屈させないから。まあ、互いに友だちでいられるくらい、気持ちの通じる人がいいけど。
―アンディ・ウォーホル>


4月19日〜5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催していますが、亭主が企画し1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介します。

マンハッタンの太陽 栃木県立美術館で9月23日まで

昨日は遠く京都からお客様が来られ、入手したばかりの瑛九の超名品をご覧いただきました。
夕方には公認会計士のU先生が決算書類を持って来廊、亭主の山あり谷あり(いや、谷あり谷ありでした)の人生に30数年も付き合わされてきた方ですが、最近は亭主の押し売りも減って(随分と買っていただきました)、少しホッとしたご様子。
U先生「取引先にワタヌキさんから押し付けられた草間さんを何枚贈ったことか」
亭主「それ、何とか買い戻してくださいよ」
てな呑気なやり取りがあり、今期も無事何とか越せそうだと話しているところに、異端のコレクターSさんが来廊、暑気払いに一杯やりましょうと近くのお蕎麦やさんに繰り出しました。
U先生もこの業界に関係して長いのですが、本格異端のSさんのラディカルなコレクション談義には目を白黒されておりました。

ときの忘れものでは31日まで「殿敷侃 遺作展」を開催していますが、偶然ですが、この夏、殿敷侃の作品展示が広島のはつかいち美術ギャラリー栃木県立美術館で行なわれています。
まだ展覧会に行っていないので、詳しい出品内容はわかりませんが、栃木県立美術館のHPなどから概要をご紹介します。

20130814_120130814_2

「マンハッタンの太陽
THERMODYNAMICS OF THE SUN
光学芸術から熱学芸術への拡張:18世紀から21世紀の“太陽画”の系譜」

会期=2013年7月13日(土)〜2013年9月23日(月・祝)
栃木県立美術館

展覧会名になっている「マンハッタンの太陽」とは、本展の主役である作家山中信夫が1980年に制作した連作のタイトルです。
山中は手製のピンホールカメラでニューヨーク・マンハッタンを撮影し、まるで金環食のように眩い作品を生み出しました。このシリーズはその後、1980年から81年にかけて制作された「東京の太陽」に発展し、1979年に発表した「マチュピチュの太陽」とともに1982年のパリ・ビエンナーレに出品され大きな反響を呼びます。しかしその帰国途中に再度立ち寄ったニューヨークで亡くなり、34歳の生涯を閉じました。

本展は、山中信夫の作品や関連資料を中心に、18世紀から21世紀までの20余人のアーティストたちの約140点の絵画、彫刻、写真、映像、版画、インスタレーション、映画で構成されています。
光源としての太陽と熱源としての太陽、また「核」を連想させ、さらに宇宙や時間と関わる存在である太陽と私たちの関係を考察・鑑賞・体験するものです。

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【主な出品アーティスト】
ウィリアム・ブレイク、J.M.W.ターナー、ヨーゼフ・ボイス、河原 温、イミ・クネーベル、河口龍夫、殿敷 侃、若江漢字、アンゼルム・キーファー、佐藤一郎、山崎 博、畦地拓治、山中信夫、柴田敏雄、アンディ・ゴールズワージー、鈴木理策、中ザワヒデキ、福田美蘭、志水児王、冨井大裕、田中功起、松井 茂、五月女哲平
主 催: 栃木県立美術館
(同展HPより)

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7月24日の朝日新聞夕刊にて同展が紹介されました。

20130731-17月24日
朝日新聞夕刊
「マンハッタンの太陽」 ほのめかされる宇宙の摂理
編集委員・大西若人

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●『殿敷侃 遺作展』カタログのご案内
Tonoshiki表紙600『殿敷侃 遺作展』カタログ
2013年
ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm
執筆:濱本聰
図版:21点
価格:800円(税込)
※送料別途250円

2013年8月開催の「殿敷侃 遺作展」のカタログです。
広島で生まれた殿敷侃は、被爆体験をもとにヒロシマにまつわる遺品や記憶を細密極まる点描で描き、後に古タイヤなどの廃品で会場を埋めつくすというインスタレーションで現代社会の不条理に対して批判的・挑発的なメッセージを発信し、1992年50歳で亡くなりました。
このブログでは「殿敷侃の遺したもの」を記録するため「久保エディション第4回〜殿敷侃」はじめ、濱本聰(下関市立美術館)さん、山田博規さん(広島県はつかいち美術ギャラリー)、友利香さん、土屋公雄さん、西田考作さんらに寄稿(再録も含む)していただきました。

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[殿敷侃ー失われたものからのメッセージー] 濱本聰

殿敷 侃——失われたものからのメッセージ—— 

濱本 聰


 殿敷侃という美術家を知る人はどれほどいるだろうか。知名度は一般的に高いとは言えないかもしれない。しかし1970年代から1980年代にかけて、さまざまなシーンで作品や作家自身に出会った人にとって、没後20年以上が過ぎた今もけっして忘れられない存在であるにちがいない。絵画、版画、インスタレーションとその表現は多彩だが、特に80年代後半の廃棄物を用いた〈環境アート〉は、確実に現代美術の最前線に立って、人々に強烈なインパクトを与えた。
                             ※
 殿敷侃の原点はヒロシマである。1942年、広島に生まれた殿敷は、原爆投下の二日後に疎開先から母親に背負われて市内中心部に入り二次被爆した。爆心地の郵便局に勤めていた父親の姿は跡形もなく、母もまた数年間の闘病の末に他界した。高校卒業後国鉄に勤めるが、20歳頃に肝臓病を患い、長期入院したのがきっかけで絵を描き始めた。退院後、国鉄勤務のかたわら精力的に団体展などに出品する。ヒロシマにまつわるモチーフを表現主義風の荒いタッチで描くことから始まり、やがてポップアート風の表現へと変わる。1970年には画家になる決意で仕事を辞め、翌年それまで特に縁があったわけでもない日本海に面した山口県長門市に住みつき、以後ここを生活の場として困窮の中で制作を続けた。この頃から両親の遺品や自画像などを、油彩やインクによる稠密な点描で描くようになる。無数の点で画面を埋めていく気の遠くなるような作業に彼を駆り立てたものは、自分の中の埋めきれない喪失感と憤りと苛立ちだったといえるだろう。
 殿敷侃が銅版画を手掛けるようになるのは、美術評論家、久保貞次郎の勧めによるものである。1977年、偶然、銀座の画廊で久保に出会い、点描の自作を見せたところ、銅版画に向いていると、その制作を強く勧められたという。久保から送られてきたプレス機を使って、ときおり久保のアドバイスを受けながら自学自習で集中的に制作に打ち込み、短期間で確かな表現技術を身につけた。モチーフはやはりヒロシマにまつわるものや両親の遺品の他、日常の些細な物や小動物、植物などである。1978年にはこれらの成果をまとめた久保の企画による個展を東京で開いた。このときに銅版画とともに出品した油彩画の1点が、久保の推薦で翌年の安井賞展に入選する(図1)。

じゅばん
図1 《釋妙昭信女A(じゅばん)》 1978年 油彩

 しかし殿敷が銅版画に力を注ぐのは1981年頃までのわずか数年間のことである。広島の印刷会社の人と知り合ったことで、銅版画に代わって、より表現を展開しやすいシルクスクリーンを用いるようになる。シルクスクリーンでもやはりヒロシマをモチーフにしたものが中心である。中でも無数のこまかい点(実は父親の遺品の爪の形をイメージした弧状)の集積による《霊地》シリーズ(図2)はその代表作といえると同時に、この作品あたりから彼は描写という意味での表現をほとんどしなくなっていく。《霊地》は画題のとおり焦土から立ちのぼる霊気のようなものを思わせるが、具体的な何かが描かれているわけではない。同じ点の集積でも油彩や銅版画のような形を浮かび上がらせるためのものではない。作者の情念のこもった手の痕跡が、茫洋と画面に広がっているだけである。その捉えどころのない空間は、それゆえに外へ向かって展開し得る可能性ももっていた。

霊地(1)
 図2《霊地(1)》 1980年 シルクスクリーン

 《霊地》シリーズでは、いくつかのヴァージョンによる1枚ずつの版画作品だけでなく、ひとつのイメージを既成のポスターや新聞紙の上に刷り、さらにそれらを何枚も並べて貼った作品も作られた。新聞の文字は無数の点で覆い隠されほとんど読み取ることができなくなっている。大量に流される情報の空虚さを、個人のメッセージの重さで対比的に示そうとしたと捉えることができるだろうか。新聞による作品の1点は、1981年の第1回西武美術館版画大賞展で第2席となった(図3)。さらに同じ時期、原子雲やケロイドの写真を使ったイメージを、何枚も反復させたり、巨大化したシルクスクリーンによる作品も制作している。イメージの反復という手法にはウォーホルの影響がうかがえるが、さらに殿敷はそれらをインスタレーションという形で展開させていくのである。原子雲の写真を刷った巨大なキャンバスを、何枚も原爆ドームの前に並べた「EVENT ATOMIC BOMB」(図4)は、その最初の大掛かりな試みであった。

作品(2)002
 図3 《作品(2)》1981年 シルクスクリーン(第1回西武美術館版画大賞2席)


ATOMIC BOMB
 図4 《EVENT ATOMIC BOMB》1981年


 シルクスクリーンの制作も、実質的には1980年からわずか2年ばかりのことである。もはやこの頃の殿敷にとって、版画というひとつの作品を作ることよりも、それを使った新しい展開に関心が移り始めていた。スケールの大きい画面が可能であることと、比較的容易に複数枚数を印刷できるという特性をもつシルクスクリーンとの出会いは、殿敷の中ですぐにインスタレーションという方法に結びついたと考えられる。それは彼が自ら表現の方向を、内から外へ向けて行くターニングポイントとなるものであった。
 こうした外へ向かう表現姿勢を決定的にしたのは1982年4月から半年間のヨーロッパ、アメリカの旅行である。この旅行中、最大の目的であったカッセルの「ドクメンタ7」の会場で、ヨーゼフ・ボイスの社会活動そのものを芸術表現と捉える思想に直接触れ、自らの表現行為ももっと社会性をもつべきだという確信を得るのである。
 以後、殿敷は実に精力的に行動し、その表現行為は、ときに過激で挑発的にも見える形で展開された。1983年の山口県美術展では、数トンの古タイヤ、ビニール、プラスティック類の黒い廃材を美術館の前庭にぶちまけて人々を驚かせた(図5)。その後も立て続けにさまざまなスケールの大きいインスタレーションやイベントを行なった。100人の人を動員して海岸のプラスティック類の漂着ゴミを集め、巨大な塊に焼き固めた《ゴミ拾いをアートするイベント》、美術館や画廊の入り口、通路をゴミで塞いだ《バリケード》シリーズ、立ち枯れの松などの木々に何本もの古タイヤ掛けた《タイヤの生る木》シリーズ(図6)等々。亡くなるまでの10年足らずの間にこうした行為がどれだけ行なわれたことだろうか。それらはまだそれほど一般的でなかった環境問題をテーマにしたアートとして注目された。同時にそれは美術館や美術という制度を否定し、そこから逸脱する行為でもあった。

黒の反逆集団
 図5 《黒の反逆集団》1983年

タイヤの生る木001
 図6 《タイヤの生る木(Plan5)》1989年

 テーマはヒロシマから現代社会全般へ広がった。原爆というテーマを抱えたひとりの表現者のメッセージは、あるところから個人のルサンチマンを超えて、現代社会と、私たち一人ひとりの意識の在り方への痛切な問いかけとなっていった。もちろんヒロシマがテーマでなくなったわけではない。1987年には原爆ドームの前に赤ペンキを塗りたくった100メートルのビニールシートを立てかけた《まっ赤にぬられてヒロシマが視えた》というイベントを行なったように、ヒロシマは彼にとって変わらない原点であり、環境問題をはじめとする現代社会へのさまざまな疑義の象徴であった。
                             ※
 殿敷侃という美術家を版画作品だけで理解することは難しい。それはある時期の形として表された一面に過ぎない。しかしその表現行為の全体を振り返れば、常にひとつの表現姿勢に貫かれていたことに気づかずにはいられない。無数の点や線や廃棄物で平面や空間を埋め尽くすこと、これでもかといわんばかりのおびただしいものや行為を充満させることが、一貫した方法であった。ある人はその行為を「虚ろの充填作業」と形容した(註)。その充填作業はけっしてがむしゃらなものではなく、視覚的な効果にも冷静な配慮がなされ、塗り重ねられたボールペンの跡や廃棄物たちを美しく提示して、見るものをひきつけるのだった。それはまた、自らの内景を痛切に語ると同時に、数知れず失われたものたちの叫びを代弁するものでもあった。なぜ失われなければならなかったのかという問いを、失われたものたちの側から問いかけることであった。
 焼き尽くされ、消されても消されてもなお残るものからのメッセージ。彼はあるとき自ら「遺作展」と銘打った個展を開いたことがある。案内状に「ただし、ますます元気です」と書かれていたように、一面ではレトリカルなタイトルではあったかもしれないが、しかし確かに彼は、彼自身の言葉で言えば「死せられた」ものたちの代弁者としてメッセージを投げ続けたのである。
 それにしても、人々を巻き込むあのエネルギーは一体どこからきたのだろうか。最後の一年間、病魔に冒された体を削りながら、水戸、板橋、油谷、宇部、長門と、立て続けに環境をテーマにした大掛かりなインスタレーションの作品を手がけた。その行為はすでに殿敷侃という個人を超えたものだったのかもしれない。
(はまもと さとし)

*註 渡部誠一「追悼殿敷侃・死を生きる座標」『美術手帖』1992年5月号

*主要参考資料
•リン・ガンパート「序文」ほか 『逆流する現実』SOS PLAN 1990年
〈別刷〉南嶌宏「殿敷侃―背面の眼差し」
•山本和弘「殿敷侃―反省的芸術」 『TYRE BERING TREE PROJECT』SOS PLAN 1991年
•山本和弘「ボイス、キーファー、そして殿敷侃。あるいは芸術と政治、芸術と経済。」
渡部誠一「殿敷侃−死を生きる座標から−」 濱本聰「殿敷侃・現代の語り部」
『殿敷侃 遺されたメッセージ・アートから社会へ』展図録 下関市立美術館 1993年

■濱本 聰(はまもと さとし)下関市立美術館館長
1954年山口県萩市生まれ。岡山大学大学院文学研究科修士課程修了。日本近代美術史専攻。1983年より下関市立美術館勤務。2010年4月から現職。「岸田劉生と草土社」「桂ゆき展」「香月泰男展」「殿敷侃展」「日本のリアリズム 1920s−50s」(第6回倫雅美術奨励賞受賞)「香月泰男と1940−50年代の絵画」などの展覧会を企画。共著に『香月泰男画集・生命の賛歌』(小学館)など。

Tonoshiki表紙600
展覧会図録『殿敷侃 遺作展』
刊行日:2013年8月21日
発行元:ときの忘れもの/(有)ワタヌキ
テキスト:濱本聰(下関市立美術館館長)
図版:21点掲載
税込価格:800円
送料:250円

◆ときの忘れものは、2013年8月21日[水]―8月31日[土]「殿敷侃 遺作展」を開催しています(※会期中無休)。
殿敷DM
広島で生まれた殿敷侃は、被爆体験をもとにヒロシマにまつわる遺品や記憶を細密極まる点描で描き、後に古タイヤなどの廃品で会場を埋めつくすというインスタレーションで現代社会の不条理に対して批判的・挑発的なメッセージを発信します。
1992年50歳で亡くなりますが、本展は初期の原爆ドームのレンガや、鋸、蟹など、点描で精緻に描かれた油彩と版画を約20点ご覧いただきます。
殿敷さんの版画制作の経緯は「久保エディション第4回〜殿敷侃」でご紹介しました。
本展カタログのテキストは下関市立美術館の濱本聰先生に執筆をお願いしたほか、このブログでも、山田博規さん(広島県はつかいち美術ギャラリー)、友利香さん、土屋公雄さん、西田考作さん、池上ちかこさんらに寄稿(再録も含む)していただきます。

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

殿敷侃カタログ、作品集のご紹介

殿敷侃 遺作展」の二日目の昨日も殿敷さんを知る人たちが続々といらっしゃる。
中には生前の殿敷さんからの手紙や写真まで持参してくださる方もいる。
皆さん、せきをきったようにそれぞれの思い出をお話になる。亭主の知らないことばかり。
まるで20年のときを一気に超えて、いまそこに殿敷さんがいるかのごとく・・・

例年、「ニッパチ」といわれ、8月は仕事にならない。
暑いし、人は来ないし。
多くの画廊さんが長期の夏休みをとるのはそのせいです。
ときの忘れものは数年前から、あえてお盆休みにジョック・スタージスの写真展を開催し、地方のお客さまに喜んでいただいていましたが、今年は通常通り夏休みをとりました。
休み明けの企画は、亭主の長年の宿題であった殿敷さんの遺作展としたのですが、正直これほどの反応とは思いませんでした。
嬉しいし、亡き殿敷侃さんはもちろん、恩師の久保貞次郎先生にも顔向けができる。

加えて、夏なのに海外からのお客様が連日来廊され、バイリンガルの新澤はてんてこ舞い。(日本語オンリーの亭主はのんびり見てるだけですが)

画廊では、殿敷さんの下記のカタログ、作品集を頒布しています。
Tonoshiki表紙600『殿敷侃 遺作展』カタログ
2013年
ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm
執筆:濱本聰
図版:21点
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:北澤敏彦(株式会社DIX-HOUSE)
価格:823円(税込)
※送料別途250円


1993年『殿敷侃展』『殿敷侃 遺されたメッセージ・アートから社会へ』展カタログ
1993年
下関市立美術館 発行
47ページ
29.7x20.8cm
執筆:山本和弘、渡部誠一、濱本聰
図版:89点
価格:1,500円(税別)
※送料別途250円

殿敷が亡くなった翌年に下関市立美術館で開催された展覧会のカタログです。



1990年『殿敷侃 逆流する現実』『殿敷侃 Reversing Reality 逆流する現実』
1990年
SOS PLAN 発行
168ページ
29.5x26.0cm
執筆:リン・ガンパート
限定:3,000部
価格:10,000円(税別)
※送料別途250円


1991年『殿敷侃 タイヤの生る木』『殿敷侃 タイヤの生る木』
1991年
SOS PLAN 発行
28ページ
29.5x21.1cm
執筆:山本和弘
編集:佐藤毅、殿敷侃
限定:2,000部
価格:2,000円(税別)
※送料別途250円

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◆ときの忘れものは、2013年8月21日[水]―8月31日[土]「殿敷侃 遺作展」を開催しています(※会期中無休)。
殿敷DM
広島で生まれた殿敷侃は、被爆体験をもとにヒロシマにまつわる遺品や記憶を細密極まる点描で描き、後に古タイヤなどの廃品で会場を埋めつくすというインスタレーションで現代社会の不条理に対して批判的・挑発的なメッセージを発信します。
1992年50歳で亡くなりますが、本展は初期の原爆ドームのレンガや、鋸、蟹など、点描で精緻に描かれた油彩と版画を約20点ご覧いただきます。
殿敷さんの版画制作の経緯は「久保エディション第4回〜殿敷侃」でご紹介しました。
本展カタログのテキストは下関市立美術館の濱本聰先生に執筆をお願いしたほか、このブログでも、山田博規さん(広島県はつかいち美術ギャラリー)、友利香さん、土屋公雄さん、西田考作さんらに寄稿(再録も含む)していただきます。

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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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