杉山幸一郎のエッセイ

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第12回

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」

第12回 すべてのモノに対する愛


今回はずっと気になっているピーターメルクリ設計のルミスベルク(Rumisberg)にある住居付きスタジオを皮切りにメルクリの住宅について考えてみようと思います。

archithese 1. 2014 s78 von Hubert Adams
Für das Haus eines Musikerpaars hat Peter Märkli sein Konzept, alltäglichen Dingen die gleiche Sorgfelt angedeihen zu lassen wie werthalten Materialien, noch einmal radikalisiert: Kaum etwas ist verkleidet, vieles roh belassen. Dabei geht es nicht um Rohbauästhetik, sondern um die Schönheit des Unprätentiösen.

筆者訳
メルクリは音楽家夫婦のための住宅において「日常にありふれたモノを価値あるモノと同じように扱う」という彼の考えを再びラディカルに実現させました。ほとんどの建築要素が被覆されておらず、躯体仕上げのまま(例えばレンガ壁を漆喰で覆っていないということ)にしてあります。しかしそれは躯体構造の美学からではなく、気負いのない素朴な美しさを意図したものなのです。



ふと思い起こせば、僕が建築を勉強し始めた頃、10年くらい前になりますが、建築を計画する上で与えられたプログラム(建築に必要な諸機能、例えば住宅であればリビング、キッチン、バストイレ、寝室など)を一旦バラバラにして、できる限り細分化した部屋・空間単位と捉え、またそれらをヒエラルキーのない(例えば寝室はキッチンよりも重要である。とせずに)等価なものとして扱い、それら単体機能の相互関係、配置の組み合わせで建築を考え直す、言わば"空間の関係性"で建築を考えることがよく議論されていました。
それに対してここでメルクリが行なっているのは、そうした"プログラムレベル"での解体、価値の見直しではなく、すべてのものを"オブジェクトレベル"で同じように大切なものとして気配りをし価値あるもの認識する。ということになります。

この住宅はAnia Losinger というアーティストとそのパートナーであるMats Eser夫妻家族のためのスタジオです。Aniaが用いるXala と名付けられた大きな木琴のような楽器は人がその上でフラミンゴシューズを履いて踊ることで響きのある音色を奏でます。人が小さなスティックの代わりに木琴を足で叩きながら、同時に踊って魅せるパフォーマンスです。ここにそのスタジオの風景も少し映っています。shanghai patterns


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彼らのスタジオを作ることがメインのプログラムで、そこに人を招くためのゲストルーム、家族のための寝室が付随しています。重要なのはスタジオ付き住居ではなく、住居付きスタジオであるということです。そのためスタジオは地下でも別棟でもなく家の中心にあり、そこから放射線状に住居の諸機能が配置されています。また音響効果のために少しだけ歪められた壁が単調になりがちな残りの空間にアクセントを与え、とりわけキッチンからリビング、主寝室へ続く空間に動きが生まれています。


それでは内部を見ていきます。

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写真を見るとわかるように、室内では空洞レンガ壁下部の漆喰を塗り残し、室外ではコンクリートの壁の下部を打ち放しのまま露わにしています。こうして粗い仕上げが建物内部にまで入ってくることで、本来あるはずの建物の内と外の大きな"区切り"を緩やかに"繋がった"ものとして認識するのを助けてくれます。
内部の写真を見ると、壁が白く塗られていない(素材そのままの)部分にはそれと同じくらいの高さの家具が配置されて、白く塗られた(簡単な処置がされた)高さの領域にはほとんど空間しかありません。塗られた領域は今まさにできたばかりの新しさがあり、塗られていない部分はもう20年くらい経ったような粗さがあります。もちろんどちらの領域も同時期に新しく建てられたものだけれど、今の時点でもう異なる時代・時間の流れを感じることができ、またこれから過ごすであろう時間も自然と想起させてくれます。
この写真がとても上手い(ズルイ)なと思うのは右手前の壁にプリント用紙を貼り、"素材そのままの部分"と"簡単な処置がされた部分"との境界ラインを曖昧にしているところです。暖炉部分の塗り分けラインも暖炉の高さと外してあって視覚的な印象を和らげています。
またルドルフ・オルジアティの住宅(第5回の記事を参照)のような空間プロポーションとスケールを感じます。小さめで、しかし狭い感じのしない心地良い大きさがあります。

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このバスルームの写真はとても建築家メルクリらしい印象を受けます。まさに、目に映る全てのモノそれぞれから異なる時間を感じ、しかしそれぞれが丁寧に存在しているためなのか、不可分な要素たちに思えてきます。果たしてこの建築は、古い建物を改修してできたものなのか?この黄色の化粧品棚はメルクリがデザインし、ここにあるべきだと造り付けられたものなのか?それとも施主が衝動的にIKEAで買ってきた安価なものなのか?それは全く問題になっていません。そういったそれぞれの要素の辿って来た軌跡や歴史すべてが一緒になって溢れ出してくるような感覚。"カッコ良く新しくデザインされた感じ"ではなく、肩肘張らずにすんなりと"そこにある、もしくはあった"ような感じです。僕はそうした"異なる時間軸を持った建築"にとても興味があります。



「メルクリの建築には化粧材がふんだんに使われ、表面部分がどう見えるかということがとても重要視されている」とある友人は話していました。一方でメルクリは講演会で「躯体構造に正しいプロポーションを与えることができれば建築はほとんどできたようなものだ」と語っています。それらは「視覚的効果のある化粧材」と「綺麗なプロポーションの躯体構造」という二項分立の話ではない、つまり正しくは「化粧材」ではなく「要素(躯体もその1つ)とそれが有する時間」なのだろう、と僕は考えます。躯体は物理的に建築の大部分で頑強であるし、他のどの要素よりも時間に耐えうる。一方で化粧材などは比較的簡単に付け加えることができ、その分脆いかもしれないけれど、少ない要素で建築に大きな意味を与えることができるかもしれない。そういったすべての要素を"オブジェクトレベル"で等価に扱いながら、それぞれの要素が有する時間軸を混ぜていくことで、過去も現在も未来も担える建築にしていく。おそらくこのメルクリの住居付きスタジオでは、建築家がデザインした本棚も、100円ショップで買ったカラフルなペンケースも同じように扱われ、存在を主張しているのだろうと思います。

最後に再び記事から一部を抜粋。

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archithese 1. 2014 s81 von Hubert Adams
Installationen offenzulegen und Baumaterialien möglichst unverändert zu verwenden sind Strategien, die Peter Märkli in vielen seiner Arbeiten erprobt hat. Mit dem Haus in Rumisberg wurde sein Ansatz noch einmal radikalisiert. Hohlziegelwände samt Zementfugen bleiben unverputzt, zum Teil sogar steinsichtig. Wo Materialien aufeinandertreffen, sind die Fugen sichtbar. Und während des Bauprozesses wurde sogar entschieden, die Foamglasblöcke nicht zu verkleiden. Mehrfach lackiert, um das Abbröseln zu verhindern, verleihen sie dem Haus mit ihrem anthrazitfarbenen Ton eine fast festliche Atmosphäre.


筆者訳
設備を露わにし、建築材料をできるだけそのままの形で使用するという手法をメルクリは何年も試みてきた。そして、この住宅で彼は、自身の原点の考え方をもう一度推し進めた。部分的に漆喰の塗り残しをすることで、空洞レンガの壁とセメント目地のあらわにし、また素材同士が隣り合うところの目地を見えるようにした。建設途中には、断熱材であるスタイロフォームに被覆をしないと決め直し、幾重にも塗料を重ねることによって、そのスタイロ表面のぼろぼろとした箇所を補修し仕上げた。その結果与えられた黒灰色のトーンは、その住宅をほとんど祝福的ともいえる空間にしている。


いつか実際に訪れてみたいものです。

掲載した写真は全てarchithese 1.2014より

すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。

●本日のお勧め作品は、磯崎新です。
028 のコピー磯崎新
《Museum Form"Plan-A"》
1986年
レリーフ、鉛
サイズ:60.0×60.0cm
Ed.8
刻印(制作年)
*Ed.8とあるが、実際には数点しか制作されなかった。


◆ときの忘れものは「小野隆生コレクション展」を開催しています。
会期:2017年3月7日[火]―3月25日[土] *日・月・祝日休廊
201703_ONO
岩手県に生まれた小野隆生は、1971年イタリアに渡ります。国立ローマ中央修復研究所絵画科を卒業し、1977〜1985年にイタリア各地の教会壁画や美術館収蔵作品の修復に携わり、ジョットやティツィアーノらの作品に直接触れ、古典技法を習得しました。1976年銀座・現代画廊で初個展開催。資生堂ギャラリー[椿会展]に出品。「ライバルは500年前のルネサンスの画家たち」との揺るぎない精神でテンペラ画による肖像画を描き続けています。
2008年には池田20世紀美術館で「描かれた影の記憶 小野隆生展 イタリアでの活動 30年」 を開催しました。
本展では、小野の1970年代の初期作品から2000年代の近作まで、油彩・テンペラ・素描など約15点をご覧いただきます。

◆ときの忘れものは東京・有楽町駅前の東京国際フォーラムで開催される「アートフェア東京 2017」に出展します。
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会期:2017年3月16日[木]〜3月19日[日]
※プレビュー:3月16日[木]
会場:東京国際フォーラム
公式サイト:Art fair Tokyo 2017
出品:堀尾貞治六角鬼丈小野隆生秋葉シスイ松本竣介瑛九オノサト・トシノブ植田正治瀧口修造

瑛九_フォトデッサン_2瑛九
《作品名不詳》
1950年
フォトデッサン
イメージサイズ:27.8×22.0cm
シートサイズ:27.8×22.0cm
サイン、年記あり


◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第11回

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」

第11回 至高のくうかん


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さて、ずいぶんと大層なサブタイトルを付けてしまいましたが、久々に向かったケルンでのズントー建築二作品について今回は綴ろうと思います。

年始めに少し無理して早朝からチューリッヒ空港へ向かい、飛行機でドイツのケルン(Köln)まで。そのまま電車で1時間強南下してザッツウェイ(Satzvey)という駅前に全くお店のないスーパーローカルな駅に着きました。ここから約4kmの道のりを歩いてヴァッヒェンドルフ(Wachendorf)という村まで行きます。そこにズントー設計の小さなチャペル(Bruder Klaus Feldkappelle)があるのです。

自動車なしでチャペルへ行くにはアクセスし難い場所あり、以前訪れた時はヒッチハイクして近くまで乗せて行ってもらったのですが、今回は雲一つない快晴であったので、何より新年早々向かっていく先に太陽が光り輝いていたので(単純ながら笑)縁起良しと思って歩いて行くことにしました。

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鉄道駅からしばらく自動車道沿いに歩いて行くとぱっと拓けたフィールドに出ます。周りは自然だけで歩いていると穏やかな風の音、草花がかすれ合う音が聴こえてくるかのようです。
それは2010年にフランス中西部にあるウイスキーで有名な街コニャック(Cognac)からスペインのイベリア半島最西部まで歩いたキリスト教の巡礼道を僕に強く思い出させました。200棟以上のロマネスク教会を訪ね描き留めていた頃、いつもこうして感覚が研ぎ澄まされていったのを覚えています。
一月一日というのに、むしろ、であるからなのか最寄りの村Wachendorfにある駐車場から目的のチャペルへ向かう道中では少なくない人たちに出会いました。それも家族連れが多い。なるべく一人きりでゆったりと空間に対峙したかったので、人が空く時間帯を見計うために道中のベンチで待っていたのですが、どうもひっきりなしに人がやってくるので諦めて進んで中に入りました。

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中に入ってすぐ"ずいぶんタイトな空間だな"と思わず言葉になって出ました。内と外を意識的にきっちりと隔てている非常に重厚な扉を開けると人がギリギリすれ違う程の空間があり、さらに数歩進むとすぐに祈りの空間に出会います。そこで先の家族連れが溜まっていたので空間的にも狭い。子供がお父さんに"これは何?"と不思議そうな顔をして色々と質問していたので、残念ながら神秘的でもない。何だか少し呆気ない感じでがっかりしてしまいました。僕自身がダイナミックな感動を求めすぎていたかもしれませんが。。
それでもそこに佇んで時間を過ごしていると、周りの自然が為す音が聞こえてきました。教会(チャペル)というのは、とても特殊な役割を担っている。そこは人が集まる場所であり、静かに佇む場所、学ぶ場所でもあり、そしてコンサートホールのようにもなる場所。多目的でありながらも一貫しているのは人が無意識にも静かになってしまうところ。考えてみればロマネスク時代は小さな教会で巡礼者が一夜を明かすこともありました。

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上を見上げると12mの吹き抜けがあります(写真は吹き抜けから雨が降って溜まった小さな水溜りを撮っています)。文字通り垂直方向に吹き抜けた感じが強い。備えられた蝋燭を消すほどの勢いある風も上部から吹いて来ます。外は天気がよく強い陽射しのおかげで暖かいものの、中は日陰で底冷えするほど寒い。でもなぜか沖縄にいるような匂いがします。それはどこからくるのでしょうか?

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このチャペルが有名であるのは、一つにその特殊な工法から来ています。このアイフェル(Eifel)地方で調達されたスプルース(Fichte)の丸太を120本使ってテント屋根のように並べ内側の型枠とし、外側の通常型枠との間にGestampfter Betonつまり版築の要領でコンクリートを打ちます。その骨材もこの地方で取れた川砂利と赤黄色の砂利。ベースは白セメントです。砂利は内側表面に5cmくらいの大きさのものがよく現れてきています。床は厚さ2cmの錫と鉛でできており、近くのメヒャーニッヒ(Merchernich)という地域にある鉛山に因んでいる。版築は一日に50cmずつ行い、高さ12mになるまで24日間かかります。その後に中の丸太を燻して乾燥させ、コンクリートと丸太型枠を剥離し易くします。こうして中の空間は丸太を反転させた形態になり、内側と外側の型枠を結んでいた金具を外してできるパイプの内側端部には吹きガラスでできた雫のようなガラスを嵌めて内部に光が入ってくるようにしています。(現地のパンフレットと掲示板を参照)

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結局このチャペルに入ったり出たりしながら二時間ほどここに滞在しました。その間に少なくとも30人くらいの人々が行ったり来たり。小さな子供たちがきゃっきゃっとチャペルの周りを駆け回るのを見て、初めのうちは早く人が掃けてくれないかな、建築だけの写真が撮りたいなと思っていましたがよく考えてみればここは教会、老若男女が集まって来て当然なのです。人がいない状態で建築だけが存在すること自体がおかしい。素晴らしい空間があって、そこに人が集まって、彼らがそれに対してどう振舞うのか。そしてそれらが他の人(例えば僕)にどういう影響を与えるのか。空間体験(認識)の仕方も様々です。




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翌日コルンバ美術館(Kolumba)へ向かいました。事務所の同僚と待ち合わせて行きます。以前訪れたのは2009年、今回が二度目6年半ぶりになります。以前ここを訪れた時あまりの空間体験に感動して、"こんな美術館を自分でも作ってみたい"と思ったことを強烈に覚えています。言動に若さを感じる笑、しかし今でもそう思い続けています。僕が事務所で働きたいと思ったキッカケもこの美術館でした。遥々やって来たのは今関わっている美術館プロジェクトの参考にと、あまり思い出せない部分を実体験して取り戻し、前回気付かなかったことを発見するためです。少しは成長して見えてくるものも変わって来ただろうと信じて中に入ります笑。
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一歩入った瞬間から、もうズントーです。この美術館は特に全てのモノがデザインされている。窓枠から始まりドアノブから傘立て、チケットショップの什器からコインロッカー、非常灯。既製品であるのはトイレの便器と洗面くらいなのではないか。。どれだけ労力が、そしてもちろんコストもかかっているのか。。おかげで見て感じるもの全てから、何と言ったらいいのか、同じ種類の心地良さを感じます。全てがコントロールされているのだけれどそれは強制的な感じではなく、無意識に操作されている感じでもなく、ポジティブな意味での"建築空間という芸術"の中にいる感覚です。この空間を体験して、バウハウスがなぜ建築を"総合芸術"として位置づけ、カルキュラムの最後に据えたのかが理解できました。

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空間に気品があって、しかし同時に素材感の泥くささもある。全体は大らかにできているけれど、部分は華奢で繊細。2つの相反する要素が混在しているけれど、それらが相殺されて中途半端になっていない。そのバランス感覚とアレンジ力がよく見えます。オルジアティ事務所で長く働いていた友人が、オルジアティの凄いところはその"空間をアレンジする力"だと言っていたのを思い出しました。床壁天井を用いた空間プロポーションを、開口部や吹き抜けなどの構成を、建築要素や家具をアレンジするのは、空間体験というコマ送りの為にひとつひとつ丁寧に絵コンテを考え、アレンジしているようなものかもしれません。

かと言ってこの美術館が完璧な建築という気も全然しない笑。今回は個人的に二つの点がとても気になりました。

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まず、読書室に入るドアがどうしてもしっくりこない。2004年に竣工したズントー自邸兼アトリエも同様に、室内ドアは見た目には重厚ですが実際は意外と軽く、無垢材ではなく突き板なので他の重厚な建築要素と比べるとその在り方に少しがっかりします。ドアノブもドアの大きさに不釣り合いな程に華奢で光沢があり、合わせて時に安っぽく見えてしまうことがあります。
ズントーはハリボテ装飾を嫌うので、例えば石材を躯体壁に貼ったりは絶対にしないのですが、家具職人であった素地からか木の扱い方に関しては柔軟で、突き板を多用し木目を活かした現れとすることが多い。その"木の例外的な扱い"が起こす矛盾がマイナスイメージとしてのフェイクを思わせるのです。一方で、考え直してみると、その(軽い)ドアを(重厚な)壁の1つの変形要素としてではなく、独立した1つの(移動が簡単な)家具として考えているのではないか。そう考えると、その軽いフラッシュドアの留め方やハンドルの付け方もしっくりくるところがあります。
そうした建築要素の"実際の在り方"と、自分が"こう(であって欲しい)と考える在り方"を行き来しながら建築を認識し理解していく作業からは、思いもかけない楽しさを発見できることが多い。それは建築を体験することの醍醐味です。繰り返し、空間に割り当てる素材を含めた建築要素をアレンジするピーターのセンスにはいつも脱帽してしまいます。

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二つ目にタワーと呼ばれる展示室空間。コルンバには3つあります。9-12m弱の高さがあるこの空間にはハイサイドライトが採られ、柔らかくも空から降ってくるような光を空間に取り込んでいます。しかしその開口部の大きさが少し大きすぎるように感じるのと、開口部に取り付けられた半透明ガラスとその留め具が悪い意味で強くインダストリアル感があることが、ナチュラルに手仕事で仕上げられた展示壁の漆喰とどこか合っていないように感じるのです。もっと光を鈍く光らせてくれる留め具であって欲しかった。それは以前紹介したブレゲンツ美術館展示室の天井からも思います。ズントー建築を形容するキーワードには"手仕事"や"素材感"といったどちらかと言うと手触りを意識し、デザインの手垢を残しているように思われがちですが、実際はこうした光沢のある工業製品のように"サラッとし過ぎてはいないか?"と思わせる素材の使い方もよくしています。そのバランス感覚を頭で理解し想定するのには、一筋縄にはいかないところがあります。
また展示室へアプローチする入り口の大きさが展示空間に対して小さいことで、その高さを活かした作品を搬入出来ずにいます。その制限された入り口が逆にあの教会のようなプロポーションの空間体験をさらにダイナミックなものにしているとも言えるのですが。。

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全体として、現在事務所で行なっているいくつかのプロジェクトにも同じような意匠ディテールが(今のところ)見られます。それを飛躍的な進歩がない為に滞留というのか、それとも物事を洗練させるとはこういうことだというのか、消費されない設計というのか。。竣工から20年経とうとしている今訪れてもデザインに古さを感じないコルンバ美術館を見ていると、建築デザインが担うべき時間の流れというのをもう一度考えざるを得ません。

次回はメルクリの住宅から建築を考えてみようと思います。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。

●今日のお勧め作品は、倉俣史朗です。
kuramata_04_mirror_blac20161122_k倉俣史朗
「鏡」(黒)
1983年
H80.0×W50.0×D5.5cm
磯崎新設計「つくば第一ホテル」のためのオリジナル家具
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


本日の瑛九情報!
〜〜〜
ときの忘れものは1995年6月に開廊し、最初の企画「銅版画セレクション1」展では瑛九の銅版画を展示しました。続いて翌1996年3月 6日〜3月23日には「第1回瑛九展」を開催し、以後2015年5月の「第26回瑛九展 光を求めて」まで毎年のようにシリーズ「瑛九展」を開催してきました。
第20回瑛九展表紙裏表紙『奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発』展図録
2010年
ときの忘れもの 発行
15ページ 25.6x18.1cm
執筆:三上豊(和光大学教授)
出品作品図版:15点
参考図版:27点
税込864円 ※送料別途250円

20170210瑛九『第23回 瑛九展』図録
2013年
ときの忘れもの 発行
24ページ 25.6x18.1cm
執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館主任研究員)
図版:約30点
税込864円 ※送料別途250円

昨年(2016年)は海外のアートフェア出展に忙殺され、瑛九展は初めてお休みしましたが、そろそろ第27回目となる瑛九展を開催したいと準備を進めています。
〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第10回

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」

第10回 建築への静かな姿勢


スイスから、新年明けましておめでとうございます。

このエッセイもこれで第10回となりました。たまたま記事を見つけて来られた方も、毎回楽しみにしていてくださる方も、どちらとも言えない方も(笑)、読んでいただきどうもありがとうございます。
スイスで建築をしていて感じたことを自分の中だけに留めずにどこかへ発信できればと思って始めましたが、誰かわからないけれど世界のどこかでそれを受信していてくれる方がいるという事実は、小さな村で活動をしている僕にとっては心強いこと。と同時に、よく考えてみるとどこか不思議な気持ちにもなります。
これからも自分がいいなと、面白いなと感じたことを無理なくできる範囲で綴っていこうと思っています。今年もよろしくお願いします。




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12月も終わりにさしかかってきた頃、知人のクリスマスディナーに誘われました。Chur から電車で30分程西へ向かいイランツ(Ilanz)という街に着きます。そこからバスで東に少し戻ってヴァレンダース(Valendas)という小さな村が今回の目的地です。ここに古い建物をできるだけ手を付けずに改装したホテル(貸別荘)があり、そこで食事をして宿泊するというわけです。実はこの村は、近年村興し(とまでの規模ではないけれど)として複数の建物を改修することで今後の村の在り方を探っています。正面に見えるのが村の広場(井戸)で、そこに面してギオンカミナダ(Gion Caminada)改修の建物があります。右奥にあるのが今回の宿泊先です。

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この井戸の反対側には、フリムスを拠点に活躍している Selina Walder und Georg Nickisch によるビジターセンター(2016)があります。つまり井戸を中心にそれにほぼ面した3つの建物が改修されています。

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ビジターセンター内部は白く塗られて展示室になっていて、オルジアティ改修のフリムスにあるイエローハウス(Gelbhaus)が良くも悪くも頭の中に過ぎりましたが、師の影響はなかなかぬぐえないもの。外観は元学校の面影を残すように落ち着いた手の加え方です。


僕たちが宿泊したゲストハウスは、実は昨年から泊まってみたいなと思っていたところでした。友人からクリスマス休暇の滞在先参考として保存建築物に泊まれるという話を聞き、そのウェブサイトで見つけたはいいものの、既に予約で一杯だったのです。http://www.magnificasa.ch


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宿泊先であるTüralihuus(小さな階段塔の家)は1485年に建てられ、18世紀末に建て増しされています。もちろん縦方向にも増築され、通称玉ねぎ屋根の塔は貴族としての威厳を村の人たちに表すためのものでした。そして60年以上空き家になっていたところを2007年に Stifung Ferien im Baudenkmal des Schweizer Heimatschutzes という、言わば保存建築物を宿泊所にして有効活用しようという機関の手に渡り、2010-14にイランツで活躍する Capaul & Blumental Architekten という建築事務所に改修されています。いやもっと言えばほんの少し補修されているだけです。


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図面を見てみると西側に階段塔があり、広い踊り場のような場所からバスルーム、キッチン、寝室やリビングへアプローチします。北側部分へは、キッチンを経由して向かう。所々に段差があり、そして開口部も限られているため方向感覚がやや不確かで、実際に中に入ると少し混乱するところがあります。天井も低めで壁も真っ直ぐでない。子供のためのアトラクションのような感じもする。こうした段差は初めから意図したものではなく度重なる増改築によるものですが、アドルフロースのラウムプランを思い起こさせます。


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メインの部屋は大きなオーブンがあります。これはドイツ南部の農家を調べていた時にもたくさん見かけました。この反対側に必ずキッチンがあって壁の中でつながっており、ここで炊いた火で調理もします。今回はなかったのですが大抵はベンチが付属してそこに祖父母が座り、また近くで雪に濡れたブーツを乾かす。家族が集まって来るのが想像できます。

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写真奥の寝椅子があるところの壁は接木のように補修されています。異なる種類の木材で補修されていて、ちょっとしたアクセントになっています。部屋という器に施された金継ぎのような印象を受けました。


スイスの建物は一般的にみて日本よりも長い間そこに存在し、部分的に改修されてきているものが多く、空間の中に様々な時系列が存在しています。例えばここは1700年に、そしてここは1850年に改修され、更に増築された。。など。今現在からしてみれば、もはやどこがどの年代からなのか全くわからない。だから今回の補修も、声高々に「私たち建築家はこう改修して空間を豊かにしました!」という感じがしません。もちろん劇的な変化もない。しかし、そうした保守的なコラージュに実はとても労力がかかっており、その軌跡をふとした瞬間に見つけた時のニヤッとしてしまう楽しさは建築家でなくとも感じられるものではないでしょうか?

こうした建築に対する静かな姿勢も学んでいくべきだと僕は強く感じています。
すぎやま こういちろう

写真5.6枚目はp31.32, 11-2015 werk, bauen+wohnenより掲載
参考資料
Architekturrundgänge in Graubünden Valendas, Bündner Heimatschutz
Dorfgeschichten 11-2015 werk, bauen+wohnen, Verlag Werk AG
Surselva Aufbruch im Dorf, Themenheft von Hochparterre, Oktober 2014

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。

●今日のお勧め作品は、アントニン・レイモンドです。
20170110_raymond_01_workアントニン・レイモンド
「作品」
1957年 水彩・紙
21.0x27.5cm
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●「今月のお勧め作品」を更新しました(オノサト・トシノブ)。

本日の瑛九情報!
〜〜〜
瑛九の会の機関誌『眠りの理由』を順次ご紹介しています。
5『眠りの理由 No.5(季刊)』
限定500部
1967年12月10日 瑛九の会発行
編集発行者:尾崎正教
54ページ 24.5×17.6cm

目次:
瑛九さんと私 ------------------山城隆一 1
瑛九伝 -----------------------山田光春 4
瑛九誕生 -----------------------杉田正臣 45
瑛九とその兄妹達 ------------日高笑子 46
芳信抄------------------------------------ 50
〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆本日から銀座のギャラリーせいほうで「石山修武・六角鬼丈 二人展―遠い記憶の形―」が開催され、ときの忘れものの新作エディションが出品展示されています。
会期:2017年1月10日[火]〜1月21日[土]*日・祝日休廊
201701_ISHIYAMA-ROKKAKU
主催/会場:ギャラリーせいほう
協力:ときの忘れもの
石山修武の新作銅版画の詳細はコチラ
六角鬼丈の新作シルクスクリーンの詳細はコチラをご覧ください。
●オープニングパーティー
本日1月10日(火)17:00〜19:00
ぜひお出かけください。


◆杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第9回

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」

第9回 スイス木工所


img 01
今回はスイスの木工所を見ていこうと思います。

第三回のエッセイで紹介したヴェネチアビエンナーレも終わり、再び会場であるArsenalへ向かい撤収作業を行いました。ズントー事務所はそこでLACMAプロジェクトを展示しましたが、それを解体して美術館へ搬送するためです。 設置する際はプロの手によって組み立てられましたが、今回は大きな模型以外は事務所からやって来た自分たち3人で解体する必要があるため、どのように行うのが一番安全で効率的なのか確認も含め発注先であったRuWaという木工所へ向かいました。


日本では、少なくとも僕の年代で周りを見渡して考えると、建設現場で働く大工や左官、板金職人というのは中学高校卒と同時に会社に入って親方に師事して職人になるというのが一般的であったように思います。一方でスイスやドイツの教育システムでは日本でいうところの小学校を卒業した後に普通高等学校へ進むのとは別に、職業訓練学校へ進んで成る道が一般的です。もちろん職人と言っても建設業に限らず様々で、コックや美容師、自動車工、銀行員など多岐に渡ります。彼らは二、三年学校へ行く傍ら仕事をしながら学んでいき卒業と同時に職人となります。(と言っても分野によってはこの卒業証明がなければその仕事ができないという縛りではなく、肩書きのようなものらしいです)
僕たちの事務所でも常に2人の職業訓練学校生が学んでおり、彼らは三年間勉強しHochbauzeichnerいわゆる設計ドラフトマンとなります。
木工関係の仕事では、大工Zimmermann、木工職人Schreiner、カット職人Säger、模型職人Modellbauerなどに細かく分かれています。それでも同じような機械を使い仕事としては部分的に重なっているため、自分が学んだ分野以外のところで仕事をしている人も珍しくありません。
Workflow としては仕入れた丸太をカット職人が大まかに角材とし、大工が無垢のままもしくは集成材にした材木を寸法通りに製材し、必要であれば現場で組み立てる。木工職人は扉から机、バスタブまでの幅広い家具を作り、また巨大で精密なCNCマシンで行う作業を受け持つ職人もいます。訪れた木工所では木造住宅の設計、一部施行施工も受注する比較的大きな規模とシステムを持つ創立80年以上の会社で従業員は全部で35人程度、カット職人、事務員が数名、木工職人と大工が大半でした。展示した全長5mほどの大きな模型を発注した別の製作所Modellbauは比べて小さな会社であったため、当然ながら1人が行う作業の幅は増えていました。


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始めに見せてもらったのは、大きな木材を切断する機械。僕は恥ずかしながら、木材を垂直に立て掛けて切断する機械を見たのは初めてだったので戸惑いましたが、なるほどスペースを有効に使える良いアイデアです。これは大きめの木材を主に短手方向にカットする際に用います。


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続いてこれは木材を長手方向にカットする機械。デジタルのメモリが付いていましたが、実際に精度を出すには十分でないようで、平削盤を使って精度ある仕上げをしていきます。


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木材を綺麗にスライスする機械。まずは下面を水平にしてから、その後別の機械でもう片方を削ります。紹介していると枚挙に遑がないのですが、4面を同時に鉋がけできる機械や巨大なCNCカッターなどもあります。木工所内で加工している範囲では、クラフトマン的手作業と言うよりはむしろ機械の制御とメインテナンスが重視されているように感じました。


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続いて併設されている家具工房へ。こちらは手工業的です。雑然としているようで、モノがきちんと使いやすいところにある。どこへ行っても良い職人さんは身の回りをいつも綺麗にし、工具を大切に扱い、それらが機能的に整頓されている印象があります。フィジカルな仕事であるほど疲れやすくなるため、頭の中が整理されていないとすぐに間違った方向へ作業が進んでしまいがちです。それは事務所内でモデルを作製する時にも度々起こってしまいます。。。


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場所を変えて木材の保管場所へ。この一帯もとても良い香りがします。こうして山に囲まれた場所でその土地で取れる木々(スプルースFichte、カラマツLärche、スイスマツArve)で建材や家具を作る。とても素直で健康的な仕事です。


ズントー建築のクオリティーを保っているのはこうした職人たちです。腕の良い職人を探し一緒に仕事をすることは、良い建築を作る必要条件。今回少し紹介した木工所、職人は氷山の一角で、例えばいつも名指しして依頼する溶接工の職人がいます。彼はヴァルスの温泉施設から新アトリエまで20年以上仕事をしており、オルジアティ(Valerio Olgiati)やデプラツェス(Bearth & Deplazes )らの建築現場にいつも現れます。そうした人材を探し当て、作り手と供にモノ(建築)を発展させていく能力も建築家としての職能だと強く感じています。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。

本日の瑛九情報!
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1951年瑛九泉茂らによって大阪で結成された「デモクラート美術家協会」は既存の美術団体を批判し、翌年加藤正らその運動を東京に広げ、以後大阪と東京そして瑛九の郷里宮崎を拠点にさまざまな活動を展開します。「デモクラート」とはエスペラント語で「民主主義者」の意。エスペラントを学んでいた瑛九の命名です。
瑛九がかつて住んだ埼玉県浦和の埼玉県立近代美術館では 1999.8.21(土)-10月11日(月)「デモクラート1951〜1957」展が開催され、瑛九の周辺に集まった作家たちを回顧しました。
その出品作家の名前を挙げてみましょう。

靉嘔、池田満寿夫、泉茂、磯辺行久、井山忠行、岩宮武二、内田耕平、内間俊子、内海柳子、瑛九、織田繁、オノサトトモコ、加藤正、河野徹、河原温、郡司盛男、杉村恒、高井義博、棚橋紫水、津志本貞、鶴岡弘康、利根山光人、早川良雄、春口光義、船井裕、古家玲子、細江英公、幹英生、森啓、森泰、山城隆一、山中嘉一、吉田利次、吉原英雄

瑛九は徒党を組むことを嫌い、学校や組織になじむことの苦手な人だったようですが、彼のもとには多くの若者たちがあつまりました。
浦和の瑛九アトリエに集まった若者たちの中に、河原温がおり、細江英公がおり、まだ学生だった磯崎新もいました。
河原温「印刷絵画」_01_全体河原温
印刷絵画 「いれずみ」

1959年以前
73.0×51.0cm
*『美術手帖』臨時増刊No.155(1959年3月)107Pに図版掲載
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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第8回

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」

第8回 "集まって住む"のお手本


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クール(Chur)へ建築を見るために訪れる人達にとって、とりわけズントー建築を体験したいと思っている人達にとってこの建築はマスト(must)な目的地です。
僕自身、何度外から眺めたことだろうと思います。建物裏(東)にある大きな木の傍のベンチ。ここに座って時折のんびりと行き来するお年寄りとその家族を見ていると、一瞬だけ時を止めて自分だけがこの不思議な世界を傍観しているような気持ちになります。今と近過去が混ざったような感覚。ありきたりの言葉で言おうとすれば、静かで落ちついた場所である。となるのでしょうか。

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ズントー初期建築である木造アトリエとローマ遺跡のためのシェルター、ベネディクト教会の少しだけ後(1993)にできたこの建築を見てみると、シンプルな直方体のヴォリュームが敷地の傾斜に沿う様に平行して置かれ、内部ではそのシンプルさを少しだけ崩すようにリズミカルな平面の個室とL字型の柱壁がアレンジされています。(注:上写真では短手側面に模様が見えますが、これらは落書きではなく手前の建物のガラスの反射です、スイスの冬の日差しは強い!)

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建物と面向かって眺めるとL字壁の面が多い印象となる一方、矩形長手方向を眺めるとその壁が列柱のように見えて神殿のようにも捉えられます。ズントーの初期作品にはこういった時代を感じる(アルドロッシの影響とも)ものが実はいくつかあります。例えばハルデンシュタインの端にある個人邸、そしてクールバルデン(Churwalden)の学校など。しかし、この老人ホームは先の2つに比べてその時代の影響なりを自分なりに噛み砕いて表現した感じがあると僕は思います。


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個室は東面に配置された長い一本の廊下で繋がっており全体の見通しが良いと同時に、個室のキッチンと水廻りがそれぞれ廊下側に少し突き出た平面構成になっているため各箇所でアルコーブのような空間を作り出し、そこを拠り所として個室から家具が溢れ出て共有の生活空間ができています。それは建築家の強い意志で名付けられたコモンスペースではなく、自然発生的にできた、しかしできるべくしてできた生活の場です。(写真は少しファンシー過ぎますが笑)

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住人がこのように場所を使っていくにはプラン(平面図)によるサジェスト(suggest)だけではなく、どういった素材が視覚的に触覚的、時に嗅覚的に扱われ、ここではいつどういった光の状態になり、また外の環境との関係はどうなのかという体験ベースの情報が必要不可欠です。
こういった感覚の建築体験の空間を図面や写真などの基礎情報で、つまり実際の訪問なくして届けるにはどうしたらいいのか。これを言語化していくことにも興味があります。それは前回のエッセイで紹介したShinohara建築の体験なしでも伝わる建築の魅力の話にもリンクすることだろうと思います。


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今日再び訪れたのは、この老人ホームの改修のための現状視察です。老朽化し必要に迫られた断熱性能を向上させること、そしてこの建築の魅力の一つである大きな窓枠を改修することです。これは老朽化でスライドレールが詰まり、お年寄りにとって手動では開け閉めし難くなってきたために新ベアリング等で改善することになっています。

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ということで僕にとっても念願。内部に入ることができました。


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ちょうど夕刻の時間だったせいもあってか、南西から射し込んで来る角度の低い光が廊下の空間にささやかに満ちて、なんとも言えない静謐な美しさがありました。こんな単純な構成でありきたりの言語でも、あらゆるところで"考慮された"建築は形容しがたいものを感じます。それはこの建築にようやく入る事が出来たという嬉しさではもちろんなく、この建築空間にいる事が出来て嬉しいという気持ち。とても幸せな気持ちです。自然の中でありえない景色を見た感じと似ている。


余談でこんな話を担当している同僚から聞きました。
端の部屋に20年以上住んでいるご老人が、この部屋の天井は未だもって完成していない。早く仕上げをしてくれ。と話していたそうで、それはコンクリート仕上げの天井のことを言っていたようです。その返答に事務所の中ボスがわかりました、改修事項としてメモしておきますね。と返答したとか。

このご老人にとって未だ完成していない(コンクリートの天井が漆喰などで仕上げられていない)この建築を近いうちに改修する予定です。この新しい窓の取り付けと名建築の改修は、また進行次第レポートしようと思っています。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。

●今日のお勧め作品は、マイケル・グレイブスです。
20161110_graves_03
マイケル・グレイブス
「作品」
1989年
紙に鉛筆、色鉛筆
イメージサイズ: 13.0×81.0cm
額サイズ: 52.6×104.0cm
サインあり

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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第7回

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」

第7回 Shinohara


早朝に提出が終わったので仕事を切り上げて、平日ながらチューリッヒ工科大学へ向かいました。

大学キャンパスの建築棟の中にある、建築図書館の一角にあるマテリアルライブラリーで、ズントーのTherme Vals(ヴァルスの温泉)模型が展示される(10月7日-)ため、その設営に行ったのが一週間前。その際は時間が取れず見ることができなかった篠原一男の展示(On the Thresholds of Space-Making: Kazuo Shinohara)を見に行くためです。提出終わりの疲れがかなりあったものの、この展示のためにクールからチューリッヒまで行くノリ(気力)は残っていました。笑


篠原一男といえば、建築プロパーならず多くの方が知っている偉大な建築家ですが、今回ETHで展覧会が開催され、またスイス建築雑誌で特集*が出版されるくらいになったのは、ヴァレリオオルジアティやクリスチャンケレツの影響が大きいと言われています。ケレツは彼が学生時代だった1980年代にオランダでShinoharaの講演会を聴講して以来、虜になっていると言っています*。(*Werk, bauen+wohnen,12-2015 谷川俊太郎との対談記事より)
彼らがShinoharaに影響を受け建築を研究し、彼らの教える学生が更にそれを聞いて興味を持ち始める。こうしたことが、僕がETHで学んでいた2009年頃には既に始まっていました。恥ずかしながら僕が篠原一男の建築に興味を持ち始めたのも、横文字の“Shinohara“経由なのです。


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展覧会自体は、思っていたよりも規模が小さく少しがっかりしました。何かのディスカッションが行われるのか、展示会場が講演会場のようなレイアウトになっていたことも展示の全体像が見えず印象的でなかった原因かもしれません。

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展示媒体は写真と図面、模型。時系列で代表作を紹介してありわかりやすかったものの、資料の量としては物足りなさを感じました。篠原一男自身が建築作品のメディア露出を非常にコントロールしていたこともよく知られているので、そういった意味では厳選された、限られた図面と写真で展覧会を構成することは、篠原一男らしい展示とも言えます。


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ちょうど昨年のこの季節、ETHの研修旅行に引率手伝いとして参加する機会がありました。テーマは“Shinohara“で文字通り日本各地の篠原建築を周ったのですが、参加者の一人であった篠原フリークの友人が軽井沢にあるプリズムハウスを見つけるために、トレジャーハンティングのような苦労としていたことを思い出しました。(彼は先の雑誌*でもそのことについて寄稿しています)
篠原建築の多くは個人邸であり、であるがゆえにアクセスしづらい。篠原建築に影響を受けた世界の建築家たちは数しれなくても、実際に建築を訪れ空間を体験した人はかなり少数であると思います。それにもかかわらず、洗練された図面と建築写真でここまで影響を与えてきたのは、“心地よい空間“とか“使いやすい空間“という実体験に基づいた、時に感覚的な空間体験とは別の次元でも、建築の魅力が多く隠されていることを教えてくれています。



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新しい学期が始まって間もないため、建築棟のメインエントランスすぐ隣では数ある建築スタジオを優秀作品とともに紹介した展示がありました。コンセプチュアルな考えを深めていくスタジオ、コンストラクションに力を入れているスタジオ、空間の雰囲気を大切にデザインするスタジオなど。こういった日本の建築(教育)とは少し異なったスイス建築の潮流もどんどん紹介していければと思っています。

すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。

●今日のお勧め作品は、植田実です。
20160910_ueda_74_hashima_04植田実
「端島複合体」(4)
1974年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
26.9×40.4cm
Ed.5  サインあり

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杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第6回

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」

第6回 アルプスのモダニスト


8月下旬に差し掛かったとある週末。日本から来瑞していた先輩とともにグラウビュンデン州のエンガーディーン地方へ小旅行する機会がありました。Soglio(ソーリオ)というイタリア国境からわずか数キロ離れた谷間の村で活躍する建築家Armando Ruinelli(アルマンド ルイネッリ)さんを訪ねるためです。僕は近くの村までMiller & Maranta(ミラー マランタ)の建築を訪れるために来たことがあったのですが、ソーリオは初めてでとてもわくわくしていました。

僕が住んでいるChur(クール)からベルリーナ急行で知られる私電に乗りSt.Moritz(サンモリッツ)まで約二時間。そこからMaloja(マローヤ)という村までバスで30分ほど走り、バス停の前でルイネッリさんと待ち合わせです。数分後、爽やかなブルーのBMWで現れた彼は気さくに僕たちを車へ迎え入れてくれました。あいにくの雨の中、マローヤから谷を進みます。

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このBergell(ベルゲル)という谷は僕たちが向かうソーリオを含め、Alberto Giacomotti(アルベルト ジャコメッテイ)のアトリエのあったStampa(シュタンパ)、弟のBruno Giacometti(ブルーノ ジャコメッテイ)が建築家として数多くの住宅を建てたCastasegna(カスタゼーニャ)などいくつかの村落が2,3kmの間隔をもって連なり、イタリアとの国境までつながっています。谷間に村落があるという地理的条件から冬には山の陰になって一日中日の当たらない地域が多く、その中で唯一ソーリオに三時間弱(11時から14時)の日照があります。そのため、かつて国境警備にあたっていたSalis家の館(パラッツォ。現在はホテルとして使用)があり、他の同じ谷間の村落とは少し違った趣を持っています。冬には近くに住んでいたジャコメッティやセガンティーニなどの芸術家がソーリオに日照を求めて移住してきたそうです。毎年レム(Rem Koolhaas)も数週間このソーリオのホテルに滞在しているという噂も聞きました。そんな知る人ぞ知るところなのです。
ちょっとした地理歴史の説明はこれくらいにして、建築を見ていこうと思います。


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ルイネッリさんの代表作であるアトリエは1988年発表。13.5mx6m弱くらいの平面に最高高さ7mくらいの小さな規模です。初めて見たとき、ズントーのアトリエ(1986)と規模も形態も似ているところがあるなと思いました。間口と最高高さはほぼ同じくらいでしょうか。奥行きはズントーアトリエが1.3倍ほどあります。ズントーアトリエは軒の出が当時の村の建築条例に合っていなかったので、許可を得るのに苦労したという話を聞いたことがあります。このアトリエも、地上レベルで見る分にはスラッとした屋根だなぁと思っていましたが、ソーリオ村の規則でスレート(Schieferdach)の屋根にしなければいけません。

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ということで隣の建物から見下ろしてみると、とても聡明な回答をしていました。写真左手前を見ると。軒からオフセットして石積みの屋根としているのがわかります。
ファサードは正方形窓の配置とプロポーションが絶妙で僕がいつしか訪れたロマネスク教会のようです。素材は断面寸法3cm弱x9cmくらいの栗の木でできており仕上げが施されておらず、時を経たパティナをも建築表現の一部としています。(この地方は栗の木が有名で、栗ケーキ、栗ジャムなどが有名なお土産です)。このファサードがどちらかといえば面を強調した寸法であるのに対し、ズントーアトリエは3cm弱角のカラマツ材が並べられており“不規則にできる陰を強調していることに違いがあります。(*Werk, Bauen+Wohnen nr.10/1987より)
窓の位置、階段のあり方に大きな違いがあるものの、同時期にこういったアトリエができたのは時代として「アトリエとはこういうものだ」という流れがあったのかもしれません。

ルイネッリさんによれば、ソーリオの村のタイポロジーを見ていくと、通り沿いの建築は石造りにモルタル塗り、もしくは石積みむき出しといったファサード表現が多く、その奥(裏)に立つ建築は木造の家畜小屋となっていることが多い。このアトリエも簡素な木造にし、当時まだ村では建材として使われることのなかった栗の木を用いることで、この建築は住居ではない=アトリエという表明をしている。ということでした。

今回はそのアトリエの隣、通り沿いに立つ石造りのルイネッリさん宅にお邪魔になりました。この住居も彼による作品です。4階建てで各階に寝室があり最上階が天井高のあるダイニングキッチンになっています。アトリエ含めたこれら2つの建築は今から20年以上も前に建てられたものだけれど、内部に関して言えばメインテナンスが非常によく、まだ建てられたばかりかのようでした。外観のパティナのような経年変化を見るのも面白いけれど、一方で内観の比較的綺麗なまま丁寧に使われ、竣工当時とさほど変わらない状態を見るのも良い。そんな時間の積み重ね方がソーリオの村にとても合っていました。


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次に写真家のための住居兼スタジオ。当初は大きな一軒家にしようと考えていたけれど、周りの建物との調和などからどうしてもうまくいかず、二棟分棟型にしたとのこと。ここでも、通りに面した一つの建物のファサード(写真右)はモルタル塗りとし、奥のもう一つのファサード(写真左)は木とするなど、ソーリオのタイポロジーを踏襲することを意識したと言います。ただしこれらの主構造はコンクリートであり、若干記号的に処理されすぎている気もしてしまいます。

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通りの反対側、中庭に面したところで二つの住居は繋がっています。ガラスの自動スライドドアで一度外部に出て、そしてもう一方の内部に入ります。写真を見て石の階段部分が外部です。この一瞬だけ外に出る感覚がとても面白く、少し雨が降っていたせいもあって、余計にその2つの住居がつながっていながら離れていることを強調された気がしました。またこれらが手動扉ではなく自動ドアで足を止めることなくスムーズに行き来できるところが、ただの分棟とは違った距離感を生み出しています。透明人間になって壁を通りぬけた感覚、スピード感がありました。


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この住居兼スタジオと通りを挟んで、数年前に家畜小屋(穀物倉庫)を改修したゲストハウスがあります。これがどうしても見たかった。その小屋はグラウビュンデン州に典型的な形態で、アプローチ階の壁は石造で四隅が上部へ伸びていき屋根を支える柱となり、石積み屋根以外の残り部分は木材でできています。

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その主な構造(殻)を残しながら版築壁で構造を補強し、スチール梁で支えられた荒削りオーク材の床が設えられています。限られた素材で仕上げられた内部空間全体は、素朴ながらとてもリッチで、肌触りがよく土着的でしかしとても健康的なモダンでした。

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翌日、ソーリオからカスタゼーナ(castasegna)へ向かう途中、いくつかの良い状態の家畜小屋と木造部分が朽ち壊されて石積み部分のみが残った小屋跡を見ました。ここにはまた新しい木材が運び込まれ建築として蘇るのか。木材と石材という最も基本的な素材の違いと経年変化の仕方を改めて感じます。


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実は宿泊した日の夜、ソーリオという人口160人くらいの村で育ち、そして建築事務所を開き生活するとは一体どういうことなのだろうと考え出したら眠れなくなってしまいました笑。ルイネッリさんにそのことを話し尋ねると、何もここへ戻ってきて事務所を開こうと計画していたわけではない。自分はチューリッヒで働き、その後ソーリオに戻ってきて小さな改修を始めていったら続いていって。。。ある時、よし建築家と名乗ってここでやっていこうと決めた。始めからそういう人生設計ではなかったんだ。と言います。前回の記事ではメルクリのインタビューを引用して、ルドルフ オルジアティの宿命はフリムスという小さな村によくも悪くも縛られた部分があったと書きました。ルイネッリさんは仕事でドイツやイタリアなどの都市へ赴くことが多いと話していましたが、そういった現代の流動性がなければ、ルイネッリさんのソーリオ発のモダン建築も違ったものになっていただろうと想像できます。

なんだか全体を軽く浚ったような紹介になってしまいましたが、今回はここで筆を止めようと思います。
次回はスイスの職人たちを紹介できればと思っています。乞うご期待。

アトリエのファサード写真(一枚)は46 De aedibus ARMANDO RUINELLI+PARTNER (Quart Verlag) p33より掲載。
ゲストハウスの写真(二枚)はDer Bauberater 2015/Heft3(Bayerischer Landesverein fuer Heimatpflege e.v.)p62より掲載。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。

●今日のお勧め作品は、マイケル・グレイブスです。
84-1マイケル・グレイブス
《作品 7・84/1》
1984年
木版
イメージサイズ:30.4×24.0cm
シートサイズ:39.4×30.7cm
Ed.150 signed


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◆杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。

◆「アール・デコの作家〜バルビエ、エルテ、ラブルール、カッサンドル展」は本日が最終日です。どうぞお見逃しなく。
会期:2016年9月1日[木]〜9月10日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
201609artdeco
1910年代半ばから1930年代にかけてヨーロッパおよびアメリカを中心に一世を風靡したアール・デコ(仏: Art Déco)を代表する4人の作品約15点をご覧いただきます。

本日は出品作からバルビエ(George Barbier、1882〜1932)をご紹介します。
バルビエ_6バルビエ
LE CARROSSE AUX DEUX LEZARDS VERTS
*『LES ARTISTES DU LIVRE』より
1929年
ポショワール
Imaze size: 16.6×11.4cm
Sheet size: 25.7×19.9cm
Ed.700

港町ナントの裕福な家に生まれ、1911年パリで個展を開催し、ギリシア趣味やロシア・バレエに加え、ファッションモードにも深い関心を寄せ、1912年創刊のファッション雑誌『ジュルナール・デ・ダーム・エ・デ・モード』や『ガゼット・デュ・ポン・トン』、『イラストレーション』誌に定期的に作品を掲載する。1920年代にはエルテとともに舞台、映画の衣装や舞台装置のデザインに進出し、日本趣味(ジャポニスム)、中国趣味(シノワズリ)の影響を受けた流麗なアール・デコ様式のイラストレーションで人気を博しました。
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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第5回

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」

第5回 ルドルフの小さな革命


ルドルフ オルジアティの建築にはいつも感心させられる。

彼の建築特有の言語である、壁勝ちの躯体構成。ギリシャ神殿を思わせる太い柱。スイスのエンガーディーン地方に見られるようなテーパーのついた開口部。FRP製の手すり。白い彫塑的な外観。。。
僕がETH Zurich(スイス連邦工科大学チューリッヒ校)で師事していたピーター メルクリの師匠であり、ヴァレリオ オルジアティの父親。

僕が思う彼の建築のすごいところは、必ずしも土着的でないはずの彼(独自)の建築言語でつくった住宅がFlims(フリムス)という村でこんなにも受け入れられ、それがあたかもこの村特有の伝統的建築であるがのごとく、広まってコピーされていったことだ。

Chur(クール)からバスで約30分。フリムスへ着くとルドルフ建築言語でできた建築が多いことに驚かされる。野蛮な感じは一切しないけれど、この村の建築史を一人で塗り替えたようなもの。全国的に保守的なスイスドイツ語圏の村で、どうしてこんなことが起こったのだろう。。?

例えば、ピーター メルクリがarchithese 6.2015でのインタビューでルドルフについて少し語っている。

p23-Ich habe Rudolf Olgiati gut gekannt. Er war für mich kein Regionalist, wie damals oft behauptet wurde. Das Fundament für seine Architektur war die Archaik der Griechen, das Engagiere Haus und die Arbeit Le Cobusiers. Das Bauhaus hat er abgelehnt. Etwa bis Ende des Zweiten Weltkriegs war Le Corbusier an der ETH kein Thema.
Olgiati hat jedoch schon während seines Studiums Lithografien von ihm erworben.
-Olgiati hat Häuser gebaut mit archaischen Säulen, jedoch ohne Kapitel. An ihre Stelle trat ein schwarze Fuge mit einem minimalen Auflager. Da war nichts, nur Schatten; eine Leere. Als Student sagte ich: Das ist doch tragisch, wenn wir es nicht mehr vermögen, den Übergang von der Säule zur horizontalen zu formulieren. Und er hat gefragt: "Was bleibt mir übrig?" Für mich war das eine Tragödie. Ich fragte mich: "Wohin führt das? Was ist die Zukunft unseres Beruf?" Ein wenig später habe ich verstanden: Er hat genau das gemacht, was für ihn möglich war. Er setzte präzis die Mittel ein, um die von ihm gewünschte Wirkung zu erzeugen.

(訳は筆者による、以下同様)
-私はルドルフ オルジアティをよく知っているが、彼は私にとって当時よく言われていたような地域主義者ではなかった。彼の建築の基になっているものは古代ギリシャであり、エンガーディーン(スイスの地方名)地方の家であり、そしてル コルビュジエの作品であった。彼はバウハウスを否定していた。第二次大戦の終わり頃までは、ETHではコルビュジエはテーマになっていなかったが、ルドルフは既に学生時代にコルビュジエのリトグラフを求めていた。
ルドルフは柱頭なしの古典古代様式の柱を有した家を建てた。柱頭の代わりに最小限の受け材を計画し、それによって黒い隙間(目透かし)をデザインした。それはただ影を落とし空白をつくるだけたっだ。
学生の私は言った「そのデザインでは柱の垂直方向の流れを(スラブの)水平方向の流れに移行するという(通常は柱頭が担う役割の)デザインの愉しみがなくなってしまうではないですか」するとルドルフはこう訊ねてきた「それでは他に何ができるというのか?」私にとってこの柱頭デザインは悲惨であった。私は悩んでいた「私たちはどこへ向かうのか。建築の未来はどうなってしまうのか」その後しばらくして私は理解した。つまりルドルフは彼にできることをただしただけなのだ。狙った効果を生み出すために、ルドルフはその精錬された方法をとったのだ。

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*ここで話している柱というのはおそらくこのことだと思われる*

またRUDOLF OLGIATI BAUEN MIT DEN SINNEN (HTW Chur出版)でもメルクリはこう語っている。

p11-Seine Kompetenz, jeden Bauteil exakt zu analysieren, beeindruckt mich. Ich habe noch nie jemanden getroffen ausser ihn, der mit mir über das Wesen des Kreises, die Bedeutung dieser elementaren Grundfigur, gesprochen hat. Oder darüber, was ein Rechteck ist und wie sich dieses körperhaft im Quader zeigt. Auch diskutierte ich mit ihm den Unterschied zwischen einem Pfeiler und einer Stütze und weshalb ein Zylinder, der sich gegen oben verjüngt, eine Säule ist.

建築要素を正確に分析するというルドルフの能力に私は感銘を受けた。私は未だかつて彼を除いて円の本質について、原初的な基礎形態の意味について話せる人に出会ったことがない。もしくは長方形とは何であるのか、そしてそれが直方体としてどう見えるのかといった事柄についてもだ。また私は彼と*Pfeilerと*Stützeの違いについて、なぜ上部が細くなっている円柱を*Säuleと呼ぶのかといったことを議論した。(*いずれも柱を意味する単語である)

p14-Olgiatis Häuser sind ein Manifest für ein die Menschen achtendes Leben. Das ist das Substanzielle und nicht ein Regionalismus. Er wurde allzu rasch in eine solche Ecke gestellt, nur weil er einen Bogen machte. Sein Schicksal war, dass er in der dörflichen Kleinräumigkeit verhaftet blieb, die mit der Zeit zu Verhärtungen führte. Seine Wahl, in Films zu leben, wurde für ihn prägend. In dieser Umgebung erlebte er keinen Widerstand und konnte sich nicht mit Persönlichkeiten auseinander setzen, die auf seiner Stufe waren. Dennoch: er ist viel brisanter, als man oft meint.

ルドルフの住宅は生活を重んじる人間のマニフェストである。それは本質的であって地域主義的なものではない。彼はあまりに短絡的に、ただアーチを(デザインとして)用いたということだけで地域主義者と見なされてしまった。彼の巡り合わせは、彼が田舎の小さな空間/コミュニティに結びついていたことであり、それが時とともに彼を頑なにしていった。フリムスで生活することは彼には決定的だった。その状況で彼は何の抵抗勢力もなく生活し、また同時に彼と同じレベルにある個性を持った人々と意見交換することができなかった。 それでも彼は多くの人々が言うよりももっと挑戦的だった。

これらメルクリの言及にも見られるようにルドルフは建築要素、言い換えれば建築言語を部分的にいくつも分析し発達させてきたのだと思う。そうしてできた建築の全体像は必ずしも明快ではなく、またどうしてこうなったのかと考え出すと理解するのに時間がかかるかもしれない。またそれぞれの要素(言語)が独立しているようにも見える時があると同時に、どの要素も外せないという気持ちにさせる一体感があり、矛盾した気持ちになる。

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また、ルドルフの図面(-p174)を眺めているとどうしてこんなに豊かな感覚になるのだろうと思う。見ていてとても楽しい。きっと考えながら、愉しみながら、興奮しながらエスキースをしていったのだろう。強いロジックやコンセプトで建築全体を押し通そうとする頑なさは見当たらない。その場その場で、建築要素の民主的な参加がうかがえる。
どういう風に始めの一本を描き始めたのか。平面図はどこからか少しずつ描き足していったのようにも見えるし、しかしできた全体は1つの要素も消せないような一体性がある。小学生の頃にテストの答案用紙の裏にトンネル迷路を描いていた時の感覚に近いような気がする。動線を意識していたという意味において、あれも建築だったのかもしれないけれど。


さて、少し建築を見ていこうと思う。

もちろんフリムスだけでなくクールにもルドルフの作品がいくつかある。
薬局、カフェ、花屋、個人住宅とプログラムにも富んでいて、とりわけ花屋さん(上階はアパート住居)は規模もかなり大きく、僕が最も好きなルドルフ建築の一つ。

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通りから見ると大きな木の庇が見え、農家の穀物倉へのトラクターでアプローチするかのような大らかなエントランスの花屋さんが見える。隣には花を展示販売する大きなガーデンがあり、そこから建物を見ると、ものすごく大きな三角のかたちが現れる。

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今まで考えたことはなかったのだけれど、壁勝ちで奥行きが把握しにくい分、実はとても平面的なファサードに見える時がある。平面的だけれど彫刻的にも見えるのは、開口部などで奥行きを見せているからだ。(ここで壁勝ちと言っているのは、通常の家のように壁の上に屋根がのっているのではなく、屋根が壁よりも低い位置にあること。写真手前の壁が厚く見える部分には、テラス側に開口のある寝室が内包されている。

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全体的にもの凄い量感のある建築だけれども、全ての方向で山に囲まれたクールでは質量としてこれくらいじゃないと自然や風景に呼応できない。実際に訪れると、単純な形態ながらも大きすぎて間延びするようなことにはなっていない。そのまま文字通り、山のような建築。

数年前僕がまだ学生の頃、友人らとルドルフが設計したフリムスにあるホテル(Las Caglias)に宿泊したことがある。
そこで手が届きそうなほど低いリビングルームの天井が、開口部へ行くに従って少しだけ高く広がっていくのを実感した時の小さな感動を今でも時折思い出す。あれは一体どんなだったか。こんなにも些細なことが建築体験を健やかなものにしてくれるのか。豊かな空間というほど強く心踊り、心地よい感じではなかったが、とても素直で健康的な感じがした。写真を引っ張り出してみた。

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RUDOLF OLGIATI, ARCHITEKT(BIRKHÄUSER出版)を開いて断面図を探してみたが、残念ながらその部分は載っておらず、一体どれだけ天井が変化していたのかは正確にはわからない。ただ自分の過去の日記を見ると"部屋内部はかなり身体スケールで天井は2200mmくらいしかない。でも開口に向かってだんだんと天井が反っていき、2350mmくらいになる"と綴ってある。手の届く範囲だ。

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フリムスにあるフィッシャー邸はクライアントの好意で内部を見学させてもらった。なんと複雑な、しかし整合性の取れた(ように見える)要素の集合なのだろう。基本的な形態は先の花屋さんの小型版と見てもらいたい。

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この住宅もスケール(天井高)が小さく、しかし窮屈な感じは全くしなかった。むしろ"身体に近い"という感覚がした。その身体に近いことが、良いのかはあまりよくわからない。ただネガティブではないと言えることは確かだ。

彼の建築言語はもちろん過去の建築史からの大きな影響による創造であるけれど、それらの根源が必ずしも彼の活動していたスイスの村(フリムス)だけではなかったことに注目したい。例えば、ギリシャ神殿のような柱はギリシャとは関係のないコンテクストでは意味がない。。。というわけでもない。それをルドルフの作品が証明してくれたと言っても過言ではない。
建築要素というのはどこの文化に限らず、根源的なものとして扱われ得るのだ。よくよく歴史を振り返ってみれば、ブルネレスキだってフィレンツェに教会を建てるためにギリシャ神殿を視察している。スタイルや信条が違っても、建築要素・建築言語の本質的な部分は大いに参考にできる。しかし引用と流用が違うように、またフリムスという土地で彼が変容させた言葉をそのままどこかへ。ではなく、その基の本質(アルファベット)の部分から学びながら、普遍的なシンボル(言語)を日々探求/更新していくことも、メルクリも言うようにラディカルなんだろう。


最後に印象に残ったメルクリの話を紹介する。

p12-In unserem Beruf gibt es immer zwei Arten von Leistungen. Die eine könnte man als eine relative bezeichnen. Damit meine ich die Möglichkeiten, die jemand von Natur aus besitzt und die eigentlich sehr hoch einzuschätzen sind. Dann gibt es das absolute Resultat, das von der Person unabhängig ist. Ich meine, dass die Architektur von Rudolf Olgiati künstlerisch gesehen kein idealer Ausgangspunkt für die Entwicklung ist, denn sie beruht auf seiner persönlichen Grunderfahrung. Vom einem fertigen Resultat auszugehen und das nachmachen zu wollen, was auf der Lebenserfahrung eines einzelnen basiert, geht nicht. Da gehen die Kraft und die Authentizität verloren. Olgiatis Bauten sind nicht vermittelbar, weil jede Ecke individuell geformt ist.

-私たちの職業(建築家)には常に2つの異なる手法がある。その1つは相対的(条件付き)なもの、つまり生まれつき備わった性質であり、高く評価されるべき才能である。そしてもう1つは絶対的(無条件)なものであり、人間とは無縁に存在する。私が思うにルドルフの建築というのは芸術的に見て、(建築を)発展させていくための理想的な出発点ではない。というのもそれは個人的な原体験に基づいているからである。完成された手法(竣工した建築)から出発しようとしたり、真似たりしようとするのはある個人の実体験に基づいていることから(他人がやっても)上手くいくはずがない。そこでは力や真実性が失われている。オルジアティの建築はコピーができない、なぜなら全ての箇所がそれぞれ変形しているからだ。

ルドルフについて、また続きを連載する予定です。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。

●今日のお勧め作品は、南桂子です。
20160810_minami_13南桂子
「鳥と果実」
銅版
1961年
イメージサイズ:39.2×28.3cm
シートサイズ:56.3×38.0cm
Ed.150
サインあり

*レゾネNo.106(2011年 NHKサービスセンター)
*レゾネによれば1961年にデュッセルドルフ美術館の依頼で制作された(ed.50)とあり、この作品は別バージョン(デュッセルドルフ美術館版とは色が若干異なる)


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◆杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。

◆「ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート第3回 独奏チェロによるJ.S.バッハと20世紀の音楽」を9月17日(土)夕方4時(16時)より開催します。いつもより早い開演時間です。
プロデュース:大野幸、チェロ:富田牧子によるプログラムの詳細は8月18日にこのブログで発表します。
要予約、会費:1,000円。メールにてお申し込みください。

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第4回

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」

第4回 2つのブレゲンツ。


今回はルドルフオルジアティの建築について綴ろうと思っていましたが、
クリストの新作にと考え直し、戻ってズントーのブレゲンツにある2つの美術館について書こうと思います。

平日に有給を取り、クールからブレゲンツまで電車で約1時間半。
ブレゲンツ美術館は僕が学生時代にインターンをしていた事務所(Bosshard Vaquer Architekten)のボスが、ズントー事務所時代に担当していた作品です。何度か足を運んだことがあったものの、最後に訪れたのは2年前。確かWerkraumができて間もない頃でした。

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Werkraum(ヴェルクラウム)は、ブレゲンツ駅からバスで約40分。車なしでこの地域を訪れた人にとっては、ここへ来るという目的がなければなかなかアクセスしづらい場所にあります。
建物については、ミースファンデルローエのナショナルギャラリーにそっくり。という意見が多く、一見するとそう感じざるを得ないところもあります。設計担当者に話を聞いてみると、ミースのそれをとりわけ意識して設計していたわけではないけれど、度重なるデザイン変更をしていくうちに最終案段階になってなんとなく似た印象になった。つまり、あるデザインの方向性を突き詰めていくと、建築にも正当な解というのがあり得るかもしれない、という事実に驚いたそうです。
こう書くと、なんだか言い訳のようにも聞こえなくもありません。実際に見ていきます。

まず、この建物は美術館というよりは展示ホールに近い形態を持っています。
この地域一帯(Bregenzerwald)の職人たちの作品を常設展示、販売し現在はズントー自身がキュレーションをしてHandgemacht(手製、手作りの)という展覧会が行われています。
展覧会と言っても、企画展示スペースは広くはありません。黒い遮光カーテンで仕切られたその空間に、少なくない映像作品が映し出されています。それらはモノクロで様々な職種の人たちの手の辺りのみを記録したものです。
例えば石工がレンガを積んでいる作業。陶芸家が器を作っている様子。子供が積み木で遊んでいる場面から、美容師がパーマをかけているところ、指揮者の手の動き、アイパッドを打つ手などもありました。
人の顔が見えず映像に色彩がないということだけで、ちょっとした手の動きが非常に引き立ちます。パーマをかける美容師さんが、いかに手際よく仕事をするのか、マッサージ師がどうやってツボを探るのか。そんなに珍しくないよく見かける様子、知っていたようでよくよく考えてみたら、全然注意して見ていなかった。一挙一動に注目せざるを得ません。

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雑誌(archithese 1.2014)を見ていた時には、広い大地にドカンとしたミースのナショナルギャラリーを思わせるようなテンプル(寺)が建っていると思っていたけれど、しかし実際は車の往来のある道路沿いに迫って建っている、カッコいいガソリンスタンドのようにも見えます。
この地域は近くに鉄道駅がなく、僕がここへ訪れたように公共交通は専らバスです。そのため建物を挟んで道路の反対側は大きな駐車場になっており、自動車で訪れることが前提になっています。そのプログラム(地域に根ざした様々な分野の職人さんたちの作品を展示・販売する場)から、地域の特産物を売っているドライブインのような感じもある。

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中に入ると高い天井の落ち着いたワンルームです。屋根は木造、コアがコンクリートでできており、これら建築のほとんどが地元の職人たちによって作られています。つまり、建築自体が職人たちの作品になっているというわけです。
建物全体が黒いトーンで作られているのは静かで高貴な感じを出すためなのかと思案していましたが、訪れてみるとガラス張りの外観が周りの景色を反射して、外から中の様子は少し伺える程度。一方で少し暗い中に入ると外の景色が輝いてよく見えます。こうした光の扱い方はズントーの得意分野です。

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外構は駐車場のアスファルトがそのまま内部に入って来たような造りになっています。そのため床よりも屋根の存在が引き立ち、結果さらにガソリンスタンドらしさを感じます。内部の床は黒のテラッゾ。

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格子天井には吸音材としてのクッションが取り付き、また展示のためのワイヤーを吊したり照明を設置したり。とても使いやすそうです。コンクリートコア内部はカフェの厨房に、あるいはトイレや倉庫のある地下へのアプローチになっています。

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階段の降りはじめ、上がりはじめ部分には異なる色のコンクリートが填め打ちされてステップが目視しやすくなっています。こういうくすぐったいデザインをするのは少し意外な気もしますが笑。

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全体として、この建築からはある種の高貴さみたいなものを感じます。しかし同時にガソリンスタンドのような誰もが気軽に立寄れる形態にもなっている。現在確かに展示室として使われているけれど、大きなカーテンと天井の吸音クッションを増やしていけば、なかなか良い音響のコンサートホールになるかもしれないし、今ある広くて大きなカフェがもう少しきちんとしたレストランになってもいい。そんな使う側からの要望に許容力のあるホール空間です。
僕はこの建築がナショナルギャラリーのように基壇の上に建っているのではなく、道路沿いにアスファルト舗装からステップなしで立ち寄れる民主的な雰囲気が、一見似て異なる建築の意味を表していると思っています。


続いて市内に戻ってブレゲンツ美術館。
ブレゲンツの美術館ができたのは、もう二十年近く前に遡ります。今見ても全然時代の古さを感じないし、空間も寛容で光の状態がいい。プランやセクションもこの上なくシンプルで使い易い。ズントー事務所にはいくつかの美術館プロジェクトがありますが、ブレゲンツはそれらの一つの原点と言えると思います。何度訪れても、単純な構成の中に発見がある。これこそが時代を超える建築の良さだと気付かされる。個人的にズントー作品の中では、とりわけ好きな建築ではなかったのですが、今回の再訪問でいきなり上位にランクインしました。笑

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この美術館の特徴は、全面ファサードと展示室の天井が半透明のガラスで覆われ、外光を柔らかく展示室内の中心まで取り込んでいること。また、美術館の付属プログラムである学芸員関係の諸室、カフェ、ライブラリなどを同じ建物内に作るのではなく別棟として計画し、美術館を展示室のみのピュアな機能に限定した建物としたことにあります。そしてこれら2つの建物の配置によって、半分囲まれたような広場を作る。
ピーターメルクリ(Peter Märkli)がハンスヨゼフソン(Hans Josephsohn)の彫刻のために設計した美術館(la congiunta)も美術館を展示室のみとし、離れたところにある村のカフェに鍵を預け、あたかもそのカフェが美術館の受付兼ミュージアムカフェであるかのように機能し、紋切り型の美術館を解体しています。
両者は美術館をカフェ、ライブラリ、ミニホール、ショップなどの諸機能を囲った何でも揃った建築とするのではなく、美術館を展示室メインとすることで、建物に一歩入った途端に作品と出会うことのできる静謐な場面を創り出しています。

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展示室ガラス天井はたまたま展示していたアーティストの巨大な作品によって一部あらわになっていました。そこには規則正しく配置されたライン照明が天井裏約1.8m間を上下に動き(といっても手動なのですが)、時に外光だけではまかえない光の演出をします。この人工照明を取り替えたり、上下の位置移動をしたりする場合はガラス天井の上に木板を載せてキャットウォークとしているそうです。つまりこのガラス天井は見た目に反してかなりしっかりと固定されていることになります。

以前投稿したように、半年前に竣工した新アトリエと30年近く前に建てられた木造アトリエが度々同じディテール、仕上げでできているように、ブレゲンツ美術館とロスアンジェルスに建つ予定(2023年)の美術館もピーター自身が建築においてやりたいことはそう大きく変化していないように僕には思えます。それでも結果的にそれぞれの建物が特徴的で唯一なのは、当たり前のモノを当たり前に作るという恥ずかしいくらいにもっともな定石手段を選択し、その腑に落ちるデザインをできるだけ自然にただただ洗練させていくプロセスが、いつからか特殊になってしまっただけなのかもしれません。

そんな飾らないプロセスが創る飾られる建築を次回も紹介していきます。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
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2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
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●今日のお勧め作品は、浜口陽三です。
20160710_hamaguchi_05浜口陽三
「Green Cherry」
カラーメゾチント
7.8×5.9cm
Ed.145
サインあり


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杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第3回

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」

第3回 The hand is back.


先月28日に一般オープンした第15回ベネチア建築ビエンナーレはズントー自身がdezeenのインタビューで答えているように「手仕事による建築」が多く見かけられました。
僕は初めてこの国際建築展を訪れたので昨年までの様子がわからず比較の仕様がないのですが、比較的大きな建築インスタレーションを現地で自ら作っている建築家を多く見かけたのは、もしかしたら珍しいことだったのかもしれません。

僕たちズントー事務所は、LACMA (Los Angeles County Museum of Arts) 新館計画の展示をしました。
LACMAは事務所内で最も規模の大きなプロジェクトで、僕がアーカイヴとして知っている限りでも2008年前後から計画をスタートし、2023年にオープンの予定で進められています。

今回の展示ではその美術館の一部を1/10スケールモデルで展示し、合わせてロサンジェルス在住のファッションデザイナー、アーティストで日本でもよく知られているdosaのChristina Kimさんとコラボレーションしています。彼女の作品は、ココナッツの殻を煮詰めて繊維を染色するなど廃棄されてしまうものを再利用して制作されています。

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大きな展示室の中に建築モデルを囲むよう曲線を描いたステップが設置され、その両側に丈の異なる200着のワンピースたちが、色とりどりのテキスタイルをまとってアレンジされています。そのテキスタイルの生地の厚さによって、ワンピースが透けて見えたり見えなかったり。光と素材のバリエーションを生み出します。これらの艶やかな色の由来は、LACMAコレクションの中でも多くの割合を占める古代アメリカ、LAで大きなコミュニティのあるメキシコ、Christinaさん自身のルーツである韓国、そしてベネチアからインスピレーションを得て制作したと語っていました。
この並べられたテキスタイルのそれぞれは、美術館収蔵庫にある膨大な量の収蔵品を象徴し、こうして密に並べられオープンに展示される実際の建築プロジェクトのコンセプトを表しています。

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1/10スケールの巨大なモデルは、全長5m x3mx 2.5mくらいの大きさがあり4つのパーツからなっています。ズントー事務所にはしっかりした工房スペースがあるのですが、さすがにこの大きさを制作するだけの空間的余裕はありません。ということで外部発注です。

スイスにはModellbauという職業があり、それを学ぶための職業訓練学校もあります。その訓練を受けた職人たちは、比較的小さなスケールの模型から大きなCNCマシンでカットする木金属加工品まで扱い、実際の建築では特殊な形態のコンクリート型枠なども制作します。その模型職人(クラフトマン)たちの力を得て工場生産されたパーツを、ビエンナーレ会場で2週間ほどかけて組み立てました。

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1/10スケールの建築模型は、ブラックMDFを斜め継ぎして小口が現れないようにすることでマッシブな量感を与え、表面にマットなラッカー仕上げをし、またベネチアの湿気対策として、部分的にワックスがけをしています。コンクリートでできていると多くの人が話していたのは、こちらとしては嬉しい勘違い。笑 もちろん実際の建築はコンクリート造です。。。
内部のギャラリー空間の床は、美術品を象徴するように金箔を貼ってトレジャーボックス(宝箱)のような表現にしています。鈍く反射する建築の仕上げと展示物を守り内外を隔てるガラスは、四方の風景を映し出して展示空間に予期せぬ現象を生み出します。
ズントー事務所では、建築の仕上げを自分たちの思うようにするため、自分たちでサンプルスタディを作ります。そしてそのサンプルを外部発注先に見せレシピを共有し、防火防水性能をクリアするよう多少の改良は施されるものの基本的に同じものを作ってもらいます。が、今回の仕上げについてはこちらの希望する仕様が納得のいくクオリティで制作されず、結局大半を自分たちで仕上げることになりました。

全体の展示計画としては、実は一ヶ月前まで1/12スケールの別案で進めていたのですが、どうも展示空間とのプロポーションがおかしいという話になり、直前になってデザイン含めゼロから考え直しをしています。ギリギリになって変更するのは冷汗ものですが、最終的に出来上がるとあの段階で変更できて本当に良かったと思えます。ズントーはこうしたスケールの感覚にとりわけ敏感です。

僕はこう考えています。彼の建築は比較的ありふれた事柄をテーマにスタートして、終える。特別に肩を張ったアクションを狙っていません。しかし結果的には見かけからして特別なものに出来上がることが多い。それは彼が素材感覚、それらを組み合わせる能力に長け、プロポーションの決定に説得力があり、光の扱い方をよく知っているから。
ある意味でありきたりな建築言語だけで建築を素晴らしいものにしてしまうのは、特別なロジックがないという意味で一番簡単なようで、その感覚を真似することができないという意味で一番難しいこと。ではないでしょうか?

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さて、スイス館ではクリスチャンケレツが"Insidential space"というタイトルで彫刻のような空間を展示していました。
展示物を初めて見た時は白い泡の塊のように見え、どうやらパラメトリックに生成された彫刻、空間模型だと早々に勘違いしてしまいましたが、しかしよく見るとコンピュータでデザインされたような規則性はなく、ぐしゃぐしゃとした塊のように見えます。制作者の話によれば、学生チームが半年以上の間ずっと様々なマテリアル(スタイロフォーム、ソープ、石膏、ワイヤーなど)を用いて半ば無意識に塊を作り、それを元に型(ネガティブモデル)からできる空間をチェックしていった。300個くらいのスタディ模型を制作した後、投票をしながら民主的にその模型の良い部分や空間を見出し話し合い、何個かを選び出してスケールアップしたモデルを作り、3Dスキャンをして多少シンプルにするための修正を行って作った。ということ。興味深いスタディです。
最終的にはスイス館の内部空間に収まるように、また入って空間を体験できるように24倍拡大されています。

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面白いことには、無意識に作っていった塊を評価していきながらも、あくまで過剰な意識をもって作り込み過ぎないラフさを残し、それをただそのまま拡大することで空間を実現したということ。
ここでは、小さなスタディ模型は計画する建築を紹介/説明するためのツールではなく、むしろこの小さな模型を紹介するために24倍の拡大模型を作った。とも言えそうです。世の中には住宅を施主に説明するために小さな模型を作って表現する建築家はいますが、小さなモデルを完成させるために大きなモックアップでスタディする人はいない。でもそれをやったら、面白い結果になりそうだぁ。と変なことも考えてしまいました。(金銭的には面白くありませんね)

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他にはスイスのイタリア語圏建築学校メンドリジオの学生を引き連れて二週間ワークショップをしながら展示作品を制作したスタジオムンバイの作品。門のような倉庫のような作品は(まだ新鮮な!!)牛の糞を塗りつけて壁を作り、乾燥させて強度を持たせていました。なんでもインドから牛糞を輸送しようとしたら臭いがキツ過ぎてできず、止む無くイタリアで調達した笑。とか風の噂がありました。制作中はものすごい臭いを醸し出していたので、隣のブースでなくて良かった。と心の底から思うほど側を通るのも憚られたのですが、乾燥している完成物からは全くと言っていいほど臭いを感じません。おそらく多くの訪問者はただの土壁だと思って「この素材感いいなぁ」なんて確かめながら触れていることでしょう笑。

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個人的にはクレーモデルを出展していたCecilia Pugaがコンパクトながら魅力的でした。

次回はルドルフオルジアティの建築を見ていこうと思います。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。

●今日のお勧め作品は、セルジュ・ポリアコフです。
20160605_poliakoff_01_ao-compositionセルジュ・ポリアコフ
「青のコンポジション」
1958年
銅版
25.0×35.0cm
Ed.100
サインあり


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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
tokinowasuremono
緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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