瀧口修造の世界

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第4回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第4回

 1980年に思潮社より「現代詩読本」シリーズの1冊として「瀧口修造」が刊行され、その表紙に使われたのが自由が丘画廊での「窓越しに…マルセル・デュシャン小展示」(1978年)に来廊した時の写真(撮影:安齊重男)である。この展示はデュシャンのコレクター笠原正明さんの所蔵品を主とし「瀧口が監修的な立場で関与した国内初の本格的なデュシャンの個展」(「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展カタログより千葉市美術館2011年刊)であった。

01現代詩読本15瀧口修造


02同上表紙の元となった写真
「瀧口修造とマルセル・デュシャン展」千葉市美術館カタログより


1984年の末頃、自由が丘画廊に瀧口関連の作品を探している旨電話と手紙で伝えたところ、しばらくして画廊主の実川暢宏さんから速達の返事が届いた。その中には先の「小展示」におけるリーフレットと瀧口のオブジェの写真が同封されていた。オブジェはある関係者から預かったもので売価も記されていた。12センチ四方の木箱の中に鳥の羽根とバラの花が白い台紙の上に置かれ、「誰のものか、これは? 瀧口修造 (日付) 綾子へ 庭で拾う」とペン書きの献辞があり、月日は判読できないがその下に‘73と書かれている。1973年といえばマルセル・デュシャン大回顧展のために渡米し「扉に鳥影」が作られた時期と重なり、綾子夫人への贈物であるこのオブジェはデュシャンとの関連も伺わせる。

03「マルセル・デュシャン小展示」リーフレット


04瀧口修造のオブジェ


05「扉に鳥影」
ユリイカ1977年8月号付録より


しかし、写真だけでは判断がつかず、翌年の2月に上京した折に初めて自由が丘画廊を訪れ実川さんから現物を見せていただいたが、これは私のような者が持つべきではないと思ったのは、それがあまりに純粋でプライベートな作品であり、お金で購うことへの抵抗感があったのかもしれない。
瀧口は1962年に出身地の富山市で開催された第15回全国造形教育大会において「今日の美術―オブジェを中心として」と題した講演を行っているが、その下書きにあたる未発表原稿が「オブジェの生命」覚え書として遺されていた。(みすず357号1990年12月)その中で「シュルレアリスムがオブジェというものを普遍化させた最初の体系的な運動」であり、「日本に芸術用語としてのオブジェを流行させた最初の張本人は私であった。」と述べ、オブジェの分類の中でも「本質的で基本的なものはobjet naturel(自然の物体)殊にobjet trouvé(発見されたオブジェ)である。」と結論付けていた。

06みすず357号


07同上収録「オブジェの生命覚え書」


瀧口によるあのオブジェはまさにその典型だろう。後日、私の家の近くにある神社の境内で見つけた鳥の羽根を手紙に添えて綾子夫人にお送りしたら「石神井の庭で拾った羽根を失くしてしまい― 思いがけず濡れた様に美しい鳥の羽根をいただき だれが落した羽根かしらと思いました」との返事をいただいたが、もしかすると失くしたのはあのオブジェの羽根だったのだろうか?

08綾子夫人の手紙


実川さんは初対面の私にも親切に応対してくださり、画廊を始めた経緯や日本ではあまり取り扱われていなかったド・スタールやポリアコフなどの展覧会を行ったこと、駒井哲郎の版画がまだ売れない時期に1枚1万円で仕入れていたことなどを話された。そして、瀧口先生はまるで仙人のような生活を送っていたと語り、あの書斎をそのまま遺せなかったことを惜しまれた。また、デュシャンの「大ガラス」東京版が国有財産として東京大学教養学部美術博物館に東洋美術の考古物と一緒に陳列されていることが面白いと言い、見に行くことを勧められ、その場で「大ガラス」の制作に携わった東大の横山正助教授の助手の方に電話して見学の了解まで取り付けていただいた。翌日、駒場にある美術博物館へ行き「大ガラス」と初めて対面することができた。世界で三つしかない「大ガラス」のレプリカの一つが、この日本にあること自体特筆すべきだが、デュシャン夫人は瀧口修造と東野芳明による監修を条件に制作を許可したそうである。しかし、その完成を見ずに瀧口は逝ってしまったのも「ガラスの遅延」(「急速な鎮魂曲」美術手帖1968年12月号)と言うべきだろうか。

09東京大学教養学部美術博物館パンフレット


10「大ガラス」東京版
(写真・清家克久)


実川さんは瀧口の本を探すなら友人でそうした情報に詳しい人がいると言って紹介されたのが詩人で朗唱家の天童大人さんだった。天童さんからは瀧口の本が見つかるたびに電話や手紙で頻繁に連絡をいただいた。そのおかげで一気に収集が進み、その中には「超現実主義と絵画」「黄よ。おまえはなぜ」「星は人の指ほどの―」「畧説虐殺された詩人」「自由な手抄」など容易に見つけることができないものも含まれていた。

11アンドレ・ブルトン「超現実主義と絵画」
訳厚生閣書店刊1930年


12サム・フランシスとの詩画集「黄よ。おまえはなぜ」
南画廊刊1964年


14野中ユリとの詩画集「星は人の指ほどのー」
私家版1965年


15アポリネール「畧説虐殺された詩人」
訳湯川書房刊1972年


16マン・レイ素描エリュアール詩「自由な手・抄」
訳GQ出版社刊1973年


17同上


このことが機縁となって交流が始まり、ご自身の活動である詩の朗唱や美術展評に関する資料などを送っていただいた。私には朗唱という言葉は聞き慣れないものだったが、聲の持つ始原の力を現代に蘇らせる行為として朗読との違いを強調されていたように思う。天童さんが初めて即興朗唱を試みたのは瀧口の三回忌を目前にした1981年6月26日、東京・六本木のストライプハウス美術館でのイベントにおける「アントナン・アルトー ― 瀧口修造へ ―」と題する作品であったという。(巒気通信創刊号1985年発行)瀧口とアルトーといえば第1巻のみ刊行され絶版となった「アントナン・アルトー全集」(現代思潮社刊1971年)の瀧口にしては珍しくエキセントリックな装幀と内容見本に書かれた「未知の人アントナン・アルトー」を思い出す。

18「巒気通信創刊号」
鹿火編集室刊1985年


19「アントナン・アルトー全集第1巻」
現代思潮社刊1971年


20同上内容見本


天童さんは1983年より吉増剛造さんらと共に北海道を回る「北ノ朗唱」を行っていたが、愛媛でも聲を発したいという希望に応えるため、私が仲介となり松山で出版を営む創風社の大早友章さんに主催を、後援を友人の江原哲治さんにお願いして1989年9月9日松山市のアオノホールにおいて詩人の白石かずこさんと天童さんを招き「詩の夜 SPIRIT VOICE」と題して四国初の朗唱のイベントが行われた。

21「北ノ朗唱」ポスター1986年


22「詩の夜SPIRIT VOICE」チラシ


23同上新聞記事


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
041瀧口修造
「III-19」
デカルコマニー
※『瀧口修造の造形的実験』(2001年)No.205と対
Image size: 14.0x10.5cm
Sheet size: 25.1x17.5cm


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

ただいま引越し作業中
6月5日及び6月16日のブログでお知らせしたとおり、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
電話番号も変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
12

営業時間も7月1日から11時〜18時に変更します。
JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
お披露目は7月初旬を予定しています。
09


◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
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 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第3回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第3回

 佐谷画廊のことを知ったのは、1982年7月に「オマージュ瀧口修造展」と銘打って詩画集「妖精の距離」と「スフィンクス」の展示を行っていたからである。このカタログは小冊子のモノクロ図版だったが、滅多に見ることができない詩画集の全容を写真で紹介していた。このために寄せられた巖谷國士さんの「三年ののち」と題するテキストは、戦前におけるチェコスロヴァキアと日本のシュルレアリスム運動の比較を通していかに瀧口修造が孤立し「詩的実験」が彼一人によって遂行された〈運動〉であったかを論じ、その中から生まれた幸福とも言える成果が「妖精の距離」であることを示されたものだった。そして、初めて名前を知ったもう一人の寄稿者、土渕信彦さんの「切抜帖から」と題する文章からは、純粋かつ熱烈なファンとしての追悼の念とこれから研究を志す決意のようなものが伝わってきて親近感を覚えた。

「オマージュ瀧口修造展」案内状佐谷画廊1982年「オマージュ瀧口修造展」案内状
佐谷画廊
1982年


「オマージュ瀧口修造展」カタログ佐谷画廊1982年「オマージュ瀧口修造展」カタログ
佐谷画廊
1982年


 佐谷画廊はこの前年に瀧口の三周忌に合わせてアントニ・タピエスとの詩画集「物質のまなざし」の展示を行っているが、後になってそれを第1回展として恒例のオマージュ瀧口修造展を開催するようになった。1982年の11月には画廊も京橋から銀座に移り、翌年の第3回展は「加納光於 ― 瀧口修造に沿って」と題し、カタログも大判となりカラー図版も入るようになった。

「物質のまなざし」カタログ佐谷画廊1981年「物質のまなざし」カタログ
佐谷画廊
1981年


「加納光於ー瀧口修造に沿って」カタログ佐谷画廊1983年「加納光於ー瀧口修造に沿って」カタログ
佐谷画廊
1983年


同上カタログより同上カタログより


 私が初めて佐谷画廊を訪れたのは1984年の2月のことで、佐藤忠雄コレクション展が開かれていた。「画廊にて 現代絵画収集35年の軌跡」刊行記念の企画で、著者の佐藤さんもおられて本にサインをしていただいた。佐藤さんは高級官僚の経歴を持つ現代美術のコレクターとして知られていた。この本の中で特に印象に残ったのは、南画廊における三木富雄の絶筆となったデッサンとの出会いの場面と、画廊主志水楠男の死に触れて「この人の偉さはパイオニアとしての偉さであると思う。精力的に新しい画壇の創成に、努力された点にあると思う。価値のあるものを売ったり買ったりするのではない。まったく価値のないものを、価値のあるものにする仕事をされたのである。」と書いていたことである。

JPG「佐藤忠雄コレクション展」案内状
佐谷画廊
1984年


JPG「画廊にて」佐藤忠雄著
1984年
書苑刊行


JPG「月刊大樹誉6月号」より
三木富雄のデッサンと佐藤忠雄さん
1991年(株)東興


 この展覧会の折に画廊の応接間に置かれていた一つの作品に目が留まった。それは動物の紋章のような形に鮮やかなコバルトブルーの色が紙に食い込むように刷られたもので、加納光於の「ソルダード・ブルー」(接合された青)と名付けられた作品だった。私は直感的に瀧口修造の詩におけるイメージと物質の結合を連想したが、それはまるで「原型ノナイ青空ノ鋳物」のように見えた。(「掌中破片」煌文庫1書肆山田1979年刊)

JPG加納光於「ソルダード・ブルー」
1965年作


JPG「掌中破片」
書肆山田
1979年刊行


 周知のとおり加納光於は独学で銅版画を始め、早くから瀧口にその才能を認められ1956年にはタケミヤ画廊で最初の個展を行っている。瀧口はすでにその将来を予見するかのように南画廊での個展に寄せて「加納光於は黒と白の銅版画家である。そして、いままでのところそれに限っている。」(「一人の銅版画家についてのノート」1960年加納光於個展リーフレットより)と書いているが、その4年後に飽くなき表現技法の追求の過程で初めて色彩に取組んだのが亜鉛版をガスバーナーで焼き切ったものに色を付け凸版で刷ったメタルプリントだった。加納は「金属表面の凹凸のため圧刷プレス機がこわれてもいい、その瞬息の間に消え去った〈色彩〉の動的なダイナミズムのようなものを呼び戻してみたい。そうしてできたのがソルダード・ブルー」だと語っている。(ポエティカ臨時増刊特集・加納光於「馬場駿吉によるインタビュー〈揺らめく色の穂先に〉」より1992年小沢書店刊)

10「加納光於個展」リーフレット
南画廊
1960年


11「ポエティカ臨時増刊特集・加納光於」
小沢書店
1992年


11-2馬場駿吉によるインタビュー記事〈揺らめく色の穂先に〉


 この作品を購入したことがきっかけとなって、私は加納さんへ手紙を出したが、すぐに作品を購入したことへの感謝とデータを記した返事を頂いた。そして、1985年の2月に神奈川県の鎌倉山にあるアトリエを訪ねた。鎌倉駅からバスに乗り、とある停留所で降りて谷側に沿った細い小径を下って行くと入口に加納光於と書かれた白い木製の郵便箱が立っていた。その右手に見える白い洋館がかつて瀧口修造も訪れ「ある日、私は辿りついた谷間の家で」と書いたアトリエであった。(「加納光於についてのある日の断章」1967年南画廊個展〈半島状の!〉より)

12加納光於さんの手紙


13加納光於のアトリエ
「ポエティカ臨時増刊特集加納光於」より
小沢書店
1992年


 その日は、あいにく激しい雨が降っていたが、函のオヴジェ「アララットの船あるいは空の蜜」が置かれた書斎のような部屋でいくつか質問を交えてお話を伺った。瀧口さんについて何か書く予定はないですかと聞くと「瀧口さんのような人は後にも先にもいないし、書くことによってますます捉えがたい存在となるおそれがあるが、いつかオマージュとしての本を出したい。」と答えられ、制作にあたっては、「先にイメージがあるのではなく、不定形なものを明確にしたい欲求にかられて表現している。版画にこだわる訳ではないが、そのプロセスを大切にしている。」と語った。また、レオナルド・ダ・ヴィンチの素描「洪水」についての関心も示されたが、詩画集「稲妻捕り Elements」(1978年書肆山田刊)はその反映であったのかもしれない。
2時間ほど滞在し、その場で署名をされた図録「加納光於1977」(南画廊での個展に際して刊行)を戴いて帰途についたが、しばらくは興奮冷めやらぬ心地であった。
※アトリエ訪問時における加納さんの言葉は私の覚書に基づくものである。

14「アララットの船あるいは空の蜜」
1972年制作
(みずゑ1978年3月号特集・加納光於より)


15レオナルド・ダ・ヴィンチ素描展カタログより
「洪水」
西武美術館
1985年


16「稲妻捕り Elements」
書肆山田
1978年


17同上図版より


18「加納光於1977」
南画廊刊


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20170520_V-09(185)瀧口修造
「V-09」
水彩、インク、色鉛筆、紙
Image size: 27.5x22.7cm
Sheet size: 31.5x26.8cm
サインあり


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◆清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第2回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第2回

 瀧口修造の著作の中でも最も欲しいと思ったのが「マルセル・デュシャン語録」(To and From Rrose Sélavy)である。瀧口によるデュシャンへの追悼文「急速な鎮魂曲」(美術手帖1968年12月号)や「余白考」(東野芳明著「マルセル・デュシャン」序文1977年美術出版社刊)などの文章に魅了され、デュシャンへの関心もにわかに高まっていたので1点でもコレクションと言えるような作品を持ちたい願望もあった。

01「急速な鎮魂曲」
美術手帖1968年12月号


02東野芳明著「マルセル・デュシャン」
1977年美術出版社刊


 「瀧口修造書誌」(鶴岡善久編)には1968年に私家版としてA版50部(実際は60部、うち非売10部)、B版500部刊行と記載されていたが、それから12年経て今や現代美術を代表する作家たちのオリジナル作品が収録されたA版の方は容易に見つかるとは思えないし、どんな値段が付くのか予想もつかなかった。発売元もわからず、おそらく画廊が取り扱っているだろうと思い、瀧口の「自筆年譜」の記述から1960年に最初の個展が催された南天子画廊へ電話で問い合わせた。在庫があるとの返事で届いたのは何とデュシャンのメモ集で通称「ホワイト・ボックス」と呼ばれる「A l'infintif」(不定法で)だった。忠実に複製された79点のメモ類を収めた白いプレクシグラスの箱の上部に、あの有名な「大ガラス」の下半分に描かれている「水車のある滑溝」の部分がシルクスクリーンで刷り込まれたデュシャン署名入りの魅力的な作品である。画廊の方がこのメモ集を「デュシャン語録」と取り違えたのは明らかだったが、これを買うほどの資金の余裕はないのですぐに返送した。

03「A l'infintif」(不定法で)Joseph Cornell Marcel Duchamp._.in resonance1998年刊より


03_1同左


03_1_通称「大ガラス」(彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも)ロベール・ルベル著「マルセル・デュシャンについて」1959年刊より (2)


 次に1962年に第3回個展「私の心臓は時を刻む」を開催していた南画廊に問い合わせたところ、画廊主宅へ直接連絡してくれと言う。怪訝に思いながらご自宅に電話すると夫人の志水陽子さんが出てこられた。1冊在庫があると言われ、値段を聞くと予想以上の高額だった。私は正直に即金で払える額と瀧口ファンであることを伝えるとかなり値引きしていただき、運よく入手することができたのである。その頃は画廊についての情報など知るよしもなく、後になってわかったことだが、南画廊は積極的に海外の前衛美術や日本の若い作家たちを紹介するなど現代美術を扱う草分け的な存在として知られ、画廊主の志水楠男は傑物の画商として戦後の美術界に大きな功績を残し、瀧口修造とも親交があったが本人の急逝によって1979年11月に閉廊していた。私が南画廊に電話した時は、まだ陽子夫人が代表として事後処理にあたっておられたのではないかと思われる。そして、「デュシャン語録」A版の発売元が当の南画廊だったのである。(「志水楠男と南画廊」1985年刊より)

04瀧口修造第3回個展「私の心臓は時を刻む」カタログ


05同カタログ


06「志水楠男と南画廊」刊行会
1985年刊


07同左「展示マルセル・デュシャン語録について」の記事


 何しろこの「デュシャン語録」は、1958年にスペインのポルト・リガトでのたった一度の二人の遭遇が機縁となり、10年という歳月を経て瀧口がデュシャンへのオマージュとして友人たちの協力を得て全精力を注いで制作にあたり、この日本で生まれた類例のない「本」だったのである。デュシャンがかつてレディ・メイド(既製品)に署名した女偽名のローズ・セラヴィが瀧口によってオブジェの店名として時空を超えて甦り、二人の自由な精神の交流と友情の証としてTo and From Rrose Sélavyの表題となった。デュシャンの思考の痕跡である機知に富む文章やメモ類の中から瀧口が周到に選んで日本語に訳し、言葉のオブジェとして活字化したものを本冊としている。さらに豪華な付録としてデュシャンおよびデュシャンから大きな影響を受けたジャスパー・ジョーンズ、ジャン・ティンゲリー、荒川修作のオマージュ作品など5点が、1枚ずつトレーシングペーパーに包まれアクリルケースに入れられて本冊と共にグレーのクロス装による堅牢な夫婦箱に収められている。

08マルセル・デュシャン語録(A版)
*佐谷画廊の第7回オマージュ瀧口修造「マルセル・デュシャン
と瀧口修造」カタログから引用


09「マルセル・デュシャン語録」本冊より


10マルセル・デュシャン語録(A版)付録
*佐谷画廊の第7回オマージュ瀧口修造「マルセル・デュシャン
と瀧口修造」カタログから引用


 そして、この「本」の添え書きにあたる「ローズ・セラヴィに」と題する文章は、デュシャンの作品と人生にまつわる様々な謎や解釈にとらわれず、その思想の本質を明快に説いたものであり、アンドレ・ブルトンが1922年に「文学」誌に発表した「マルセル・デュシャン」(アンドレ・ブルトン集成第6巻「失われた足跡」所収・1974年人文書院刊)と呼応するかのような白眉のデュシャン論なのである。みすず書房の編集者であった小尾俊人氏は「これは本であって同時にオブジェである。これで驚かされるのは、本文を、330×260mmの大型の判型のなかに明朝活字18ポイント・三段で組んだということである。とにかく18Pである。それに余白効果の演出の鮮やかさである。これは、きわめて実験的な大胆な試みである。ふつうの商業出版では到底できない。」(「本が生まれるまで」1994年築地書館刊)と述べている。しかし、この「本」の完成を目前にしてデュシャンは亡くなってしまうのである。

11アンドレ・ブルトン集成第6巻
1974年人文書院刊


12小尾俊人著「本が生まれるまで」
1994年築地書館刊


 なお、アルトゥーロ・シュヴァルツ編のカタログレゾネ(The Complete Works of Marcel Duchamp)にも「デュシャン語録」についての記載があり、制作の動機や経緯については雑誌「遊」癸機複隠坑沓廓工作舎刊)に「ローズ・セラヴィ‘58〜’68」として瀧口修造がメモと図版で詳述しているので紹介しておきたい。

13アルトゥーロ・シュヴァルツ編「マルセル・デュシャンカタログレゾネ」より


14「遊」No.5 1973年工作舎刊より


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

◆清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20170420_takiguchi2014_I_05瀧口修造
「I-05」
墨、紙
イメージサイズ:26.0×19.6cm
シートサイズ :35.5×25.2cm


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危うしデスクトップ

デスクトップ=53.4%
モバイル=46.6%


通勤で地下鉄に乗ると前の座席に坐った人たちが全員スマホピコピコしているのが珍しくなくなりました。
ローテクを信奉し、流行には無関心(のつもり)だった亭主も、少々(ばかりか、だいぶ)焦っています。
亭主の予想を超えるスピードで皆さんがこのブログを読む環境が変わってきたらしい。
上掲の数字はつい数日前のブログのアクセス解析の結果です。

今秋からメトロポリタンで働くことになったイェンス・バルテルさんが提案し、構築したモバイルサイトはその後、勝見美生が作業を引継ぎ、何とか開設できたのがこの2月。
まだ三ヶ月も経たないのに、既に半数近い方がスマホで読んでいるらしい。
当初は、まあのんびりと更新してくれればいいやと軽く考えていたのですが、先日あるお客様からいただいたメールに愕然としました。

お客様のメール瀧口修造の●●が欲しいので価格を教えてください」
当方の返信メール「●●は既に売却済みで、HPにはSoldと記載してあるはずですが」
再びお客様からのメール「私が見ているモバイルサイトの画面はSoldとなっていませんが」

亭主が慣れ親しんだホームページの画面とモバイルサイトの画面は別だということを初めて知った次第で(お恥ずかしい)、大慌てであります。
つまり、ある作品の新しい情報は、
和文ホームページの作家のページ
及び該当作品のショップのページ
英文ホームページの作家のページ
及び該当作品のショップのページ
和文モバイルサイト
英文モバイルサイト の計6箇所を修正更新しないといかんらしい。
こりゃあたいへんだ、どうしよう・・・・・・・

それにですよ、あの小さなスマホの画面で読まれる皆さんは、時として大長論文になりがちなときの忘れものの連載を最後まで読んでくれるのかしら。
こりゃあ、連載執筆者の皆さんに緊急連絡して「お願いですから、各回の字数は少なくしてください」と頼まねばなりませんね。

----------------------------
気を取り直して、
ちゃんと在庫のある瀧口修造作品をご紹介しましょう。
(さきほど大騒ぎして実物を確認いたしました)
28_I-11
瀧口修造
- 11
インク、紙
Image size: 30.5×22.0cm
Sheet size: 35.4×27.0cm
『瀧口修造展 I』図録23頁所収

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新連載・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第1回

新連載・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第1回

 先に土渕信彦さんが連載されたエッセイ「瀧口修造の箱舟」と「瀧口修造とマルセル・デュシャン」を私は共感と羨望の思いで読ませていただいた。土渕さんは瀧口修造研究をライフワークとし、これまで瀧口修造関連の展覧会や雑誌の特集などを通して緻密な研究の成果を発表している。特に平凡社の伝統ある雑誌「太陽」の特集として出た「瀧口修造のミクロコスモス」(1993年4月号)では、「彼岸のオブジェ」と題し瀧口の造形作品の解析を通してオブジェの問題に言及するという画期的な論考を発表するとともに、落合実・編と称して「瀧口修造事典」を作成したことはその後の瀧口研究に新たな一面をもたらしたのではないだろうか。また、文献・資料はもとより造形作品に至るまで個人としては屈指の瀧口コレクションを有し、その展覧会(「瀧口修造の光跡」展など)も何度か開催されている。それも単に顕彰や披露を意図したものではなく、瀧口修造の実像に迫ろうとする試みの一つであることを強調しておきたいと思う。土渕さんとは共に瀧口ファンとして知り合ってから30年以上の交流が続いているが、私は瀧口修造その人に出会った体験もなく、研究への取り組みやコレクションにおいても土渕さんの足元にも及ばない。いたずらに年を重ねてきただけの瀧口ファンの一人にすぎないことを最初にお断りしておかねばならない。

太陽特集号(1993年平凡社刊)太陽特集号(1993年平凡社刊)


土渕信彦 「彼岸のオブジェ」 土渕信彦「彼岸のオブジェ」


落合実・編「瀧口修造事典」落合実・編「瀧口修造事典」


2009年 森岡書店2009年 森岡書店


2010年 森岡書店2010年 森岡書店


2011年 千葉市美術館2011年 千葉市美術館


 土渕さんは、「瀧口修造の箱舟」のなかで西脇順三郎を通して瀧口修造に関心を持つようになった経緯を記されている。私の場合も文学方面から瀧口へ接近していったが、それまでに日本の近・現代小説を乱読していた時期があった。森鴎外や谷崎潤一郎によって小説の醍醐味を知ったが、現実逃避の孤独な慰みのための読書に過ぎなかった。次第に言葉で紡がれる虚構の世界に飽き足りなくなり、美術への関心も芽生えていたがアクチュアリティなものを渇望するようになっていた。同時代の文学への関心から朝日新聞の文芸時評を読んでいたが、1970年より作家の石川淳が担当してから、それまでの文芸誌の小説を中心とした論評を覆し、ジャンルにとらわれない独自な選択眼による時評を展開した。そのおかげで私は読書の幅が広がったが、石川淳の手法を受け継いだ英文学者で作家の吉田健一が1972年の夏に大岡信詩集「透視図法―夏のための」(書肆山田版)を取り上げた。「たからかな蒼空の瀧音に 恍惚となったいちまいの 葉っぱを見たのだ」という詩篇の一節などを紹介し、現代の数少ない詩人の一人として大岡信を高く評価していた。程なく松山市の古本屋で偶然見つけたこの詩集には言葉の調べとイメージが見事に一体となって思わず口ずさみたくなるようなフレーズが随所に見られ、私は初めて現代詩の世界へと誘われたような気がした。その中に「瀧口修造に捧げる1969年6月の短詩」と題する作品があり、「熱狂もてしずかに輝く 水滴に化けた詩人よ」と称えられるこの謎めいた人物の名前を初めて脳裏に刻んだ。

大岡 信詩集 透視図法―夏のための 書肆山田版(刊行年記載無)大岡信詩集 透視図法―夏のための 書肆山田版(刊行年記載無)


瀧口修造に捧げる1969年6月の短詩瀧口修造に捧げる1969年6月の短詩


 そして、1974年に「現代詩手帖」10月臨時増刊として出た瀧口修造特集が私の入門書であり座右の書となった。詩人・美術評論家・画家の三つの顔を持ち、シュルレアリスムの思想を実践している稀有な存在であることを知った。近作の夢と言語への執拗なこだわりと考察から生まれたインスピレーションともいうべき短章「寸秒夢、あとさき」と、迫真的な夢の記録である「夢三度」に加えて、不思議に美しいデカルコマニーや躍動する線描の作品はこれまで見たことのないものだった。また、「自筆年譜」は貴重な自伝・ドキュメントとして「執筆・著作年表」と共に瀧口修造を知るうえで欠かせない資料となった。その他詩人や画家、評論家たちが様々な角度から捉えた作品論と人物像も面白く、とりわけ西脇順三郎、花田清輝、澁澤龍彦の三者三様の讃辞が瀧口の偉大さを物語っているように思われた。

9現代詩手帖10月臨時増刊 瀧口修造 表紙(1974年 思潮社刊)


10現代詩手帖1974年10月臨時増刊 瀧口修造 収録「寸秒夢、あとさき」


11現代詩手帖1974年10月臨時増刊 瀧口修造「口絵」


 それから5年後の1979年7月1日に瀧口修造は76歳で亡くなった。10月に「現代詩手帖」が追悼の特集を組み、リバティ・パスポートや「余白に書く」(1966年みすず書房刊)以後に発表された文章など晩年の主要な活動の一端を紹介していたが、マルセル・デュシャンへの追悼文「急速な鎮魂曲」が特に印象に残った。同誌に載っていた「瀧口修造書誌」(鶴岡善久編)は、本の出版元や体裁などを簡略に纏めた便利な資料として、これをもとに著作の収集を始めることになった。「近代芸術」「点」「詩的実験(縮刷版)」「画家の沈黙の部分」「シュルレアリスムのために」などの再版本はまだ地方の大きな書店でも見かけたが、あとは古書店で探すしか手立てがなかった。だが、地方の田舎に住む者がたまに所用で都会に行ってわずかの時間に古書店を巡っても瀧口修造の本を見つけることはほとんどなかった。没後に私のように瀧口の本を求める人が増えたのも一因だったかもしれないが、特に戦前に出た本や少部数の限定本の入手は容易ではないと覚悟していた。しかし、何事も求めなければ出会いは望めないので少しずつだが手探りの収集活動が始まった。

現代詩手帖10月 特集瀧口修造(1979年 思潮社刊)現代詩手帖10月 特集瀧口修造(1979年 思潮社刊)


現代詩手帖10月特集瀧口修造 リバティ・パスポート現代詩手帖10月特集瀧口修造 リバティ・パスポート


新刊書店で買った瀧口の本新刊書店で買った瀧口の本


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

*画廊亭主敬白
3月16日[木]〜3月19日[日]の会期で開催された「アートフェア東京 2017」が昨日終了しました。たくさんのご来場をありがとうございました。
いつもでしたらスタッフSがレポートを書くのですが、今回は「NYのレポートもあるので、ボクは書けません」と拒否されてしまった。
困った・・・・(いずれにせよ近日中にご報告します)

さて京都の夜野悠さんのエッセイ「書斎の漂流物」が3月5日に惜しまれつつ終了しましたが、今日から四国・宇和島の清家克久さんの新しい連載が始まります。
土渕信彦さんからの推薦です。瀧口修造のコレクションについて書いていただきますが、京都の石原輝雄さん、夜野悠さんなど、コレクター同士のネットワークから次々と労作が誕生するのを亭主は深い感銘と驚きをもってみています。
身銭を切って集めたからこそ、研究者や学芸員とは異なる視点での作品探求がなされており、皆さんの連載をわくわくしながら読んでいます。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20170320_takiguchi2014_III_43瀧口修造
「III-43」
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:17.5×13.6cm
シートサイズ :17.5×13.6cm
※III-44と対


20170320_takiguchi2014_III_44瀧口修造
「III-44」
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:17.3×13.6cm
シートサイズ :17.3×13.6cm
※III-43と対


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆新連載・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。

●ときの忘れものの次回企画は「堀尾貞治・石山修武 二人展―あたりまえのこと、そうでもないこと―」です。
会期:2017年3月31日[金]〜4月15日[土] *日・月・祝日休廊
初日3月31日(金)17:00〜19:00お二人を迎えてオープニングを開催します。ぜひお出かけください。
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堀尾貞治(1939〜)の未発表ドローイングと、建築家石山修武(1944〜)の新作銅版画及びドローイングをご覧いただきます。

夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」第11回

夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」

第十一回◇妖精のディスタンス―瀧口修造の小宇宙

瀧口修造といえば、筆者はまずこの写真を想起する。瀧口修造は1958年、パリ9区・フォンテーヌ通り42番地にあるシュルレアリスムを主導したアンドレ・ブルトンの書斎を訪れた。まるでシュルレアリスム界の大天使と熾天使とが美の法廷で会見でもしているかのようだ。

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『アンドレ・ブルトンと瀧口修造−第13回オマージュ瀧口修造展』(1993年 佐谷画廊 撮影:ルネ・ロラン)から。


瀧口修造。戦前から戦後、国際的な超現実主義運動の動きのなかで、常に日本の中心点にいた人である。筆者にとって、はるか遠くにいて至近の距離にいる憧憬の存在。実験詩や、コスモポリタン的な美の視点で俯瞰する美術評論、美のミクロコスモスを絵具と紙で吸い取ったデカルコマニーなどの作品群…。日本のシュルレアリスムのLe point sublime(至高点)にあった人であることは間違いない。
瀧口修造(1903-1979)は富山県出身で医師の家に生まれたが、跡を継がず慶応義塾大学で西脇順三郎に師事、モダニズムやシュルレアリスムの影響を受けた。アンドレ・ブルトンの『超現実主義と絵画』(1930)の翻訳を手始めに『近代芸術』(1938)などシュルレアリスムの紹介や美術評論に力を尽くしたほか、阿部芳文と詩画集『妖精の距離』(1937年)、『瀧口修造の詩的実験1927-1937』(思潮社 1967年)を刊行するなど詩人として知られる。『アンドレ・ブルトン集成』(人文書院 1970−71年)の編集にも携わった。1951年代の実験工房やタケミヤ画廊での若手アーティストの発掘や交流にもエネルギーを注ぎ、若い芸術家たちが新しい美の形を発見、発表する空間を与えた。瀧口修造の美の原点は「…発生の現場に惹きつけられるだけである」(瀧口修造「白と黒の断想」幻戯書房 2011年)という創作の現場に立ち会う興味にあったのかもしれない。

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瀧口修造のサイン


瀧口修造の周辺にはアーティスト、作家、詩人、音楽家らが綺羅星のごとく並ぶ。「実験工房」関係では山口勝弘北代省三福島秀子、武満徹、大辻清司、秋山邦晴らが関わった。オブジェ『検眼図』をともに制作した岡崎和郎、版画家の加納光於とは『稲妻捕り』(1978年)の共著もある。音楽家武満徹や『プサイの函』の松澤宥との深い精神的交流もよく知られている。海外ではアンドレ・ブルトンをはじめ、マルセル・デュシャンサム・フランシスらと交流。タピエスとは詩画集『物質のまなざし』を、ミロとは詩画集『手づくり諺』をそれぞれ刊行した。
「同時代」と遠く離れていた筆者の青春時代。なぜか時代にくるりと背を向け、時代の最前線と直接触れ合えなかったことが悔やまれる。たとえば1969年に設立された「美学校」。土方巽、種村季弘、唐十郎、澁澤龍彦、粟津則雄らの諸氏が初年度の講師陣。当時のそれぞれの分野の最前線にいた錚々たるメンバーである。瀧口修造は「声が小さい」ということで当初予定していた講師陣からはずれたそうだが…。大学に行かず「美学校」に通っていれば、また違った人生になっていたことだろうと時々ふと思う。「同時代」という最高のオペラの最前列席のプラチナチケットを持ちながら見逃してしまったような悔しさがある。

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美学校の当時の広告(雑誌『美術手帖』 1969年4月号)。講師陣の顔ぶれは、ただただ「凄い!」というしか言いようがない。この広告では瀧口修造の名前がある。


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古本の中に挟まっていた瀧口修造の生写真。額装して書斎に飾ってある。


だいぶ以前、買い求めた古本から書斎の瀧口修造の生写真がパラリと出てきたことがあった。何の本にはさまれていたのか失念したが、瀧口修造と親しかった東野芳明が所蔵していたとされる写真のなかに同じものがあるのをネット上で見つけた。撮影者は不詳だが、これも求めているものの情念による引力の働きであろうか。
富山から送られてきた瀧口修造特集の雑誌『とやま文学』(第34号)が届いた日、狼のミニチュアを道端で拾った。こうしたオブジェとの出会いもまたシュルレアリスム的偶然であり、何かの誰かからのメッセージ、交信だと思うようにしている。「連帯を求めて孤立を恐れぬ孤独な一匹狼であれ」という異界からのシグナルか。なにか見えざるものの「引力」が働いているのを感じる時がある。

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道端で拾った狼のミニチュアと雑誌『とやま文学』


2005年に世田谷美術館であった『瀧口修造 夢の漂流物』展。瀧口のたくさんのデカルコマニーに囲まれた美術館の大広間で、高橋悠治によるバッハの「マタイ受難曲」のピアノによるオマージュ演奏があった。瀧口修造が天界からその場に召喚されたように感じるほど鬼気迫る演奏だった。瀧口の作品とバッハのマタイ受難曲の音楽が溶融し、音のデカルコマニーとして記憶のなかに転写されたような気がする。

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『瀧口修造 夢の漂流物』展では、瀧口修造のデカルコマニーが多数展示されていた。作品を眺めていると、まさに「有の世界が無を訪れ、無の世界が有に呼びかける」(「黒の中のオレンジ」瀧口修造−『現代の思想6 美の冒険』 平凡社 1968年)空間がそこにあることをひしひしと感じた。


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『瀧口修造 夢の漂流物』展の関連イベント「デカルコマニー体験」で作った筆者の習作。


慶応義塾大学が2009年に出版した瀧口修造と旅をテーマにした変型本『瀧口修造1958−旅する眼差し』(限定400部)。瀧口の旅をオブジェ化したような本だ。1958年、瀧口修造がヨーロッパ滞在中に撮影した写真を中心に構成。「旅の手帖」や綾子「夫人宛絵葉書」のファクシミリやオリジナルプリントなどが同梱され特製ボックスに収めてある。

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『瀧口修造1958−旅する眼差し』から。手前は瀧口修造撮影のベルギー・ブルッヘ(ブリュージュ)の写真。


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『瀧口修造1958−旅する眼差し』から。下は機中の瀧口修造。


あるとき瀧口修造の署名本がどうしても入手したくなり、東京在住中たまたま訪れた神保町の古書店で『畧説 虐殺された詩人』の署名本を見つけた。署名本は著者をわが書斎に「降臨」させる筆者にとっては精神の触媒のようなものなのである。

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瀧口修造の署名本『畧説 虐殺された詩人』


東京在住中に、青山のとある古書店でレアな同人誌『マリオネット』の創刊号(1971年 限定150部)を手に入れる機会があった。本の扉には瀧口修造の詩『人形餞』が掲載されている。「人よ、人はみなおのれの人形をかくしもつ。人間の人形。それはなんと孤独で、隠れたがることか…」。まるで金属板に精神の鉄筆でもって書かれたかのような詩がここにある。

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同人誌『マリオネット』創刊号。種村季弘の「夢遊者の反犯罪」、富岡多恵子「人形の生死」なども所収。


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同人誌『マリオネット』の扉の瀧口修造の詩『人形餞』。まるで金属板に鉄筆で書かれたかのよう。


シュルレアリスムの自動筆記で創作されたとも思える実験詩『瀧口修造の詩的実験1927-1937』(思潮社 1967年)と、黒の紙に黒の活字で印刷された見えないものが見える人にしか読めないという詩の隠喩とも思える『地球創造説』(書肆山田 1973年)は言葉のオブジェ、オブジェの言葉であろうか。「詩は信仰ではない。論理ではない。詩は行為である」(『詩と実在』瀧口修造−『現代詩手帖』2003年11月号 思潮社)とする瀧口の文学的実験である。

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『瀧口修造の詩的実験1927-1937』


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『地球創造説』。黒の紙に黒のインクで詩を印刷している。「両極アル蝉ハアフロデイテノ縮レ髪ノ上デ音ヲ出ス…」(瀧口修造)


2003年冬、瀧口修造の蔵書が収められている多摩美術大学を訪れる機会があった。東京大空襲で高円寺にあった家が焼け、ブルトンからの手紙や当時蒐集した貴重なシュルレアリスムの資料が焼失したという。ここに収蔵されているのはその後入手したものだそうだ。展示されている書物を見回すと、筆者の書斎にある同じ本を多く見つけ、嬉しい思いを抱いた記憶がある。「マラルメにしたがえば、書物は精神(エスプリ)の楽器である。しかし書物もまた、時に貝殻のやうに、乾燥し、風化し、時間の不思議な光沢を発するのではなからうか」(「近代藝術」瀧口修造 1938年 三笠書房)。同じ精神の楽器で「言葉の音楽」を一緒に聴いたという喜びを感じたのである。

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多摩美術大学所蔵の瀧口修造の蔵書の一部。筆者の書斎にあるシュルレアリスム関係の同じ本を多く見つけた。


瀧口修造は写真論について随所に書いている。筆者も畏敬するアッジェの写真について『新しい写真の考え方』(瀧口修造、渡辺勉ほか 毎日新聞社 1957年)で、瀧口は「ただ怪奇なものを漁って撮ったり、砂漠で貝殻や流木を撮ることだけがオブジェでなく、このアトジェ(アッジェ)のような卑近な事物の非情な記録からも物の精、物の妖気のようなものが感じられるのです」(「アトジェの『飾窓』」から)とアッジェの写真の本質をつく文章を綴っている。
また、『新しいショーウインドー<ウインドーディスプレイ>』(雑誌みずゑ別冊3号 1953年)の巻頭、「飾窓の小美学」と題し、アッジェの写真について触れている。「アジェ(アッジェ)のような巷の写真師は、この飾窓の物体(オブジェ)の季節を最初に感得した詩人の一人ではなかったろうか」。写真家を詩人とみなすところが瀧口らしい見方である。

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『新しいショーウインドー<ウインドーディスプレイ>』(雑誌みずゑ別冊3号。「およそ額縁のある飾窓というものは、それ自身で超現実的なカラクリなのである」(同号『飾窓の小美学』瀧口修造)。


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書斎の瀧口修造(1969年)


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瀧口修造の書斎の机


瀧口修造の書斎には、世界中のシュルレアリストやアーティストらから贈られた作品が展示室のようにぎっしり並び、瀧口修造の居場所を中心にオブジェの小宇宙を構成している。『マルセル・デュシャン語録』(美術出版社 1968年)のなかで、瀧口は「ある日ふとオブジェの店をひらくという考えが浮かんで、それがひとつの固定執念になりはじめた」と述べている。

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2004年春、富山にある瀧口修造のお墓参りをした。お墓の裏側に、瀧口修造が夢見た幻のオブジェの店の名前「Rrose Selavy」(ローズ・セラヴィ)の文字が刻まれている。デュシャンが「オブジェの店」の看板にと命名を許しサインした。


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瀧口修造関係の筆者の蔵書の一部


瀧口修造の『遺言』と題された詩がある。同じ精神のフィールドにいる人たちへのメッセージだ。天界からわれわれを優しく包むように見守ってくれる。

「年老いた先輩や友よ、
 若い友よ、愛する美しい友よ、
 ぼくはあなたを残して行く。
 何処へ? ぼくも知らない
 ただいずれは、あなたも会いにやってきて
 くれるところへ・・・
 それは壁もなく、扉もなく、いま
 ぼくが立ち去ったところと直通している。
 いや同じところだ。星もある。
 土もある。歩いてゆけるところだ。
 いますぐだって・・・ ぼくが見えないだけだ。
 あの二つの眼では。さあ行こう、こんどは
 もう一つの国へ、みんなで・・・
 こんどは二つの眼で
 ほんとに見える国へ・・・」
(「遺言」瀧口修造)

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瀧口修造・綾子夫妻(大辻清司撮影 雑誌『とやま文学 第34号』より)


瀧口修造は静かな声の人であったという。瀧口修造という人間そのものがオブジェのような存在だったのではないだろうか。鉱物でたとえると水晶のような硬質で透明なパーソナリティ。俗世界や諍いとは程遠く、静謐な微笑とともに「見えないもの」を宇宙的なパースペクティブで幻視する人であったように思う。
シュルレアリスムとは本来、作品が美術館という美のモルグに収まったり、美の解剖学者のような研究者に切り刻まれ、本質とかけ離れた微細な成果を漁るものではなく、時代を超越した終わることのない精神の永続革命であろうと思う。待ったなしで「生を刈り取り」精神の永続革命を目指し、ひっそりと隠者のように潜む市井のシュルレアリストたちに、瀧口修造は天界から「出発は遅くとも夜明けに」(瀧口修造「白と黒の断想」幻戯書房 2011年)と、終着駅のない精神の旅への参加を呼びかけることであろう。

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瀧口修造のロトデッサン(マルセル・デュシャン生誕130年記念『瀧口修造・岡崎和郎二人展』2017年2月8日まで 京都・ART OFFICE OZASAギャラリー)より。暗黒の太陽のようなロトデッサンが、額のガラス面に反射した筆者の顔に能面のように貼りついた。


よるの ゆう

作成日: 2017年1月22日(日曜日)

■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)−モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論掘戮如◆慄鳴鮮1987−消えゆく夢幻の風景』を展示。京都市在住。

●本日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20170205_takiguchi2014_III_14瀧口修造
「III-14」
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:18.5×13.9cm
シートサイズ :18.5×13.9cm

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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

京都で「土渕信彦コレクション展」2017年1月7日(土)〜2月12日(日)

瀧口修造とマルセル・デュシャン(補遺)

土渕信彦


来る2017年はマルセル・デュシャンの生誕130年に当たるので、これを記念して、1月7日(土)から2月12日(日)まで、京都のギャラリーozasa kyotoで「瀧口修造・岡崎和郎二人展」を開催することとなった。この場をお借りしてご紹介したい。

会  期 … 2017年1月7日(土)〜2月12日(日)
開廊日時 … 水〜日 12:00〜19:00
休 廊 日 … 月・火(1月9日祝日は開廊)
会場… ozasa kyoto
〒602-8216 京都市上京区堀川今出川南 西陣織会館 西館 207(西陣産業会館)
tel : 075-417-4041

図1 案内状図1
「瀧口修造・岡崎和郎二人展」案内状


この展覧会は2007年から4回開催してきた私のコレクションによる「瀧口修造の光跡展」の第5回展に当たる。30年ほど前から、点数はそれほど多くないが、岡崎和郎の作品も所蔵してきた私としては、2009年の第1回展の開催当時から「いずれは瀧口・岡崎二人展を」と念願し、岡崎先生も期待してくださっていた。東京で開催する話が進みかけ、先年亡くなられたみすず書房の小尾俊人さんをはじめ、何人かの方々をお煩わせしたこともあったが、具体化までには至らなかった。このたび、畏友のマン・レイ・イスト石原輝雄氏の口添えにより、また、ときの忘れもの、横田茂ギャラリーのご協力も得て、京都の画廊主小笹義朋氏がozasa kyotoの企画展として開催してくださることになった。マルセル・デュシャン生誕130年に実現できるのだから、幸運というほかはない。

展示作品は40点で、主なものは以下のとおり。
1.瀧口修造『マルセル・デュシャン語録』A版(著者本10部の第6番)、1968年(図2)
2.瀧口修造・岡崎和郎「檢眼圖」、1977年(図3)
3.瀧口修造 ドローイング「ローズ・セラヴィのために」、インク・水彩、1968年(図4)
4.瀧口修造 デカルコマニー for Okazaki、グァッシュ、1966年(図5)
5.瀧口修造 ロトデッサン ”cercle vicieux”、鉛筆・紙、1971年(図6)
6.瀧口修造 フィンガープリント、1968年(図7)
7.岡崎和郎 ”Giveaway Pack 2”、ミクストメディア、1968/1977年(図8)
8.岡崎和郎「瀧口修造―Arrow Finger」、ブロンズ・焼き付け塗装、1968/1998年(図9)
9.岡崎和郎 ”Snap Shot of Mr. Shuzo Takiguchi ‘Arrow Finger’”、スチレンボード・紙、1969/1996年(図10)
10.岡崎和郎「ウィリアム・テルのリンゴ」、樹脂・彩色、2008年
11.岡崎和郎 ”HISASHI”、ブロンズ、1985年

図2 デュシャン語録図2
瀧口修造『マルセル・デュシャン語録』A版


図3 檢眼圖図3
瀧口修造・岡崎和郎「檢眼圖」


図4 ローズ・セラヴィのために図4
瀧口修造 ドローイング「ローズ・セラヴィのために」


図5 for okazaki図5
デカルコマニー for Okazaki


図6 cercle vicieux図6
瀧口修造 ロトデッサン”cercle vicieux”


図7 フィンガープリント図7
瀧口修造 フィンガープリント


図8 Giveaway Pack2-1図8
岡崎和郎 ”Giveaway Pack 2”


図9 Giveaway Pack2(外側)図9
岡崎和郎 ”Giveaway Pack 2”(外側)


図10 Arrow finger図10
岡崎和郎「瀧口修造―Arrow Finger」


図11 Snapshot図11
岡崎和郎”Snap Shot of Mr. Shuzo Takiguchi ‘Arrow Finger’”


関連イベントとして、以下を予定している。
1.1月14日(土)15:00〜16:30 岡崎和郎・平芳幸浩対談「オブジェをめぐって」
2.1月28日(土)15:00〜16:30 瀧口修造講演「美というもの」(1962年の富山高校における講演録音再生) 土渕信彦解説
3.2月 4日(土)15:00〜16:30 土渕信彦ギャラリー・トーク「瀧口修造とマルセル・デュシャン」

なお、ちょうど北九州市立美術館分館では、「岡崎和郎―見立ての手法」展も開催されているので(千葉市美術館からの巡回)ご紹介しておきたい。同展と併せてこの京都展もご高覧いただければ幸いである。

図12 千葉市美図12
千葉市美術館「岡崎和郎 見立ての手法」展リーフレット


図13 北九州市美図13
北九州市立美術館分館「岡崎和郎 見立ての手法」展リーフレット


以下、プレス・リリース本文を転載する。

「ozasa kyotoでは、来る2017年がマルセル・デュシャン生誕130年に当たるのを記念し、1月7日(土)から2月12日(日)まで「瀧口修造・岡崎和郎二人展」を開催いたします。

マルセル・デュシャン(1887-1968)は、改めて申し上げるまでもなく現代美術の開拓者であり、20世紀の最も重要なアーティストの一人にも挙げられますが、こうした評価が確立する前の1930年代から、瀧口修造(1903-79)はデュシャンに深い関心を寄せ、たびたび論じてきました。58年の訪欧中に本人と出会ってからは文通や著書の献呈などの交流が続き、63年頃に構想した架空の「オブジェの店」に対して、デュシャンから若き日の女性変名「ローズ・セラヴィ」を贈られています。命名への礼状に同封して、瀧口は自作のロトデッサン(モーターによる回転線描)を一点贈ったほか、返礼として『マルセル・デュシャン語録』(1968年)を刊行しました。さらに代表作「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」の「眼科医の証人」の部分を立体化したマルチプル「檢眼圖」(1977年)も製作しています。デュシャンとその作品の研究・考証は、後半生の瀧口にとって最も重要な課題の一つとなっていたといっても、けっして過言ではないでしょう。

岡崎和郎(1930-)もデュシャンに触発されている美術家の一人です。1950年代から一貫してオブジェに取り組み、86歳を超えた現在も、「御物補遺」 ”Who’s Who” ”HISASHI”の各シリーズなどを精力的に制作している岡崎は、レディメードのオブジェの創始者デュシャンに関連する作品も、「ハート」(1962年)や「窓」(1965年)をはじめ、数多く制作してきました。50年代から岡崎の仕事を評価していた瀧口が、前出『マルセル・デュシャン語録』の製作協力者の一人に岡崎を加え、前出「檢眼圖」の実際の製作を岡崎に委ねたのも当然と思われます。学生時代から瀧口の『近代藝術』を熟読していた岡崎は、「瀧口修造―Arrow Finger」(1968年)など、瀧口に因む作品も制作しています。一方、瀧口も66年にデカルコマニー作品を岡崎に贈呈し、『岡崎和郎の作品 1962−1976』(1977年)にも序詩「彼の微笑、それから」を寄せています。二人の絆は、デュシャンに対する関心や敬意を共有することを通じ、いっそう強固なものとなっていたのは間違いないでしょう。

本展は『マルセル・デュシャン語録』「檢眼圖」をはじめ、瀧口、岡崎のデュシャンに関連する作品など約40点を展示し、生誕130年の幕開けを慶賀するとともに、改めてデュシャンに対する二人の傾倒ぶりや、二人の絆の深さを辿ろうとするものです。なお、展示作品はいずれも土渕信彦氏のコレクションであり、本展は2009年から継続されてきた「瀧口修造の光跡」展の第5回に当たるものであることを申し添えます。末筆ながら、開催にご協力いただいた皆様に感謝申し上げます。

協力|土渕信彦、ときの忘れもの、横田茂ギャラリー」

上のプレス・リリースで言及されている瀧口修造の岡崎宛て序詩「彼の微笑、それから」は、以下のとおりである。

彼の微笑、それから
            岡崎和郎に

彼自身がひらく扉、
彼自身にひらかれる扉、
ふたつの扉が完全に符合したとすると、
ふたつの扉はその瞬間消滅し、
ただ非常に薄い接触面だけが
残って見えるかも知れぬ。
信じる信じないは別だが。

      ★

もしふたつのハートが互いに抱き合ったとする
(最高に幸福な状態で)、
すると外側からは見えなくなってしまう。
(鋳型の雌雄を区別すること無用。)
(ハートはハートの鋳型で鋳られる。)

      ★

⇨ OKAZAKI KAZUO
IKAZAKO OUZAK ⇦

こうして見ると彼の姓名が
そのまま透明な箱に容れられたよう、
むしろそのままで奇妙な鏡の箱に見える。
彼のGIVEAWAYSのひとつか、
これは特に自家用の?

      ★

彼の微笑、それから彼の微苦笑… トポロジカルに?

      ★

人には人の分身があり、
目にはまったく見えないもの、
透明のゆえに。
それを見ようとすること。
裏返しにするのが唯一の方法であるか。

      ★

岡崎和郎は一組の作品を箱におさめて
GIVEAWAY PACKと命名した。
物にひとつの道をつけてやる、
物にそれぞれの道をつけてやる、
それが彼自身のやりかた。

                 瀧口修造

つちぶち のぶひこ

●本日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20161217_takiguchi2015_selected_words
瀧口修造
『マルセル・デュシャン語録』
1968年
本、版画とマルティプル
外箱サイズ:36.7×29.8×5.0cm
本サイズ:33.1×26.0cm
サインあり
A版(限定部数50部)
発行:東京ローズ・セラヴィ
刊行日:1968年7月28日
販売:南画廊

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

本日の瑛九情報!
〜〜〜
昨日12月15日の瑛九情報では、<瑛九ほど、学芸員に愛されている画家はいないのではないか>と書き、日本中の多くの美術館が瑛九展を開いていることを賞賛しました。
1996年の宮崎県立美術館開館記念「魂の抒情詩ー瑛九展」図録の192〜193ページには<没後の主要な展覧会出品歴>として1960年〜1994年にかけて全国及び海外の美術館、ギャラリーで開催された瑛九関連の120余の展覧会の開催記録が掲載されています。当時の学芸員たちの労作です。
これをおそらくは踏襲して、2011年に宮崎県立美術館、埼玉県立近代美術館、うらわ美術館の三館で開催された「生誕100年記念 瑛九展」図録の228〜229ページにも<没後の展覧会歴>として1960年〜2010年にかけて全国及び海外の美術館、ギャラリーで開催された瑛九関連の展覧会の開催記録が掲載されています。
そのリストを一覧すると<西高東低>、圧倒的に東京以西での開催が多いのは当然としても早くから瑛九をコレクションし、幾度も幾度も瑛九の顕彰展を開催してきたある美術館の名がすっぽりと抜け落ちています。
瑛九の展覧会は21世紀に入ってからだけでも、渋谷区立松涛美術館(2004)、国立国際美術館(2005)、筑波大学(2010)、宮崎県立美術館・埼玉県立近代美術館・うらわ美術館(2011)、栃木県立美術館(2014)などで開催。人気なのです (【公式】東京国立近代美術館 広報 ‏@MOMAT60th ・ 11月19日 twitterより)」とつぶやいた近美の企画者すらもどうも気づいていません。
1974年から近年では2010年まで、実に7回もの瑛九展を開催してきた名門美術館があります。
山形県酒田の本間美術館です。
詳しくは明日。〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

『MELUSINE メリュジーヌ』誌に土渕信彦さんが寄稿

ときの忘れものは本日よりルリユール 書物への偏愛―テクストを変換するもの―展を開催します。

京都では『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』展が始まりました。
会期:2016年11月7日(月)〜12月16日(金)
会場:京都工芸繊維大学 美術工芸資料館2階展示室
詳しくは、石原輝雄さんからのメッセージをお読みください。

〜〜〜〜
フランスで1980年に創刊されたシュルレアリスムの研究雑誌メリュジーヌ」《MÉLUSINE》誌の第36号が「男性/女性」、「日本におけるシュルレアリスム」の二つの特集を組んでおり、瀧口修造研究の土渕信彦さんが執筆されているのでご紹介します。
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Livraison du Mélusine XXXVI  Mars 2016
MASCULIN/FÉMININ
LE SURRÉALISME AU JAPON

同誌はほぼ年1回のペース刊行されており、発行者はHenri Béhar(アンリ・ベアール)、編集者はKoffi Kouamé、
編集・発行元はÉdition L’Age de Homme
5, rue Férou, 75006 Paris

発行人のアンリ・べアール氏は、パリ第3大学の教授を長く務めた大御所で、訳書に塚原史・谷昌親訳『アンドレ・ブルトン伝』(思潮社、1997年)などがあるので、ご存知の方も多いと思います。
サブタイトルに”Cahiers de l’Association pour l’étude du surréalisme”とあるとおり、基本的にはべアール教授を中心とするパリ第3大学の研究グループの紀要・研究誌ですが、特集の内容に応じてグループ外の多くの研究者や関係者の寄稿も掲載されます。
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このメリュジーヌ第36号は二つのテーマを扱っている。
一つ目のテーマは「男性/女性」で、Elza Adamowicz, Henri Behar, Virginie Pouzet-Duzerによってまとめられた。このテーマについて、英米でよく見られる扱い方をシュルレアリスムに持ち込もうとするのではなく、各作家や画家それぞれが果たしている、男性または女性の役割という観点から取り扱うものである。このように(性別という意味での)性の問題を扱う上で、ここでは社会文化的なアプローチに加えて、文体論的な(レトリックの意味での)アプローチが試みられている。といっても、両大戦間のシュルレアリスムにおいては、両性の関係についての概念は、女性や男性の本質についての概念同様、あいまいである。

二つ目のテーマは「日本におけるシュルレアリスム」で、Martine MonteauとAtsuko Nagaiが構成し紹介している。フランスと日本におけるシュルレアリスムの相互の影響、思考、文体、芸術的実践それぞれについての影響を概観している。東洋同様、西洋でも刻々と変化する瞬間の美を詩的にとらえることが重要とされている。これは、一瞬のなかの永遠という、相反するものの緻密な結合を旨とする、日本の詩と芸術の美学に応じるものである。超現実とは、現実の中から驚異が現れ、不意を突き、概念を宙吊りにする閃きの場なのだから、シュルレアリスムは日本では馴染みやすいのだろう。

このように広範なテーマを扱ったため、本号では通常に比べて、他のテーマを採り上げる余裕はなかったが、Arthur Cravanに関する最新の研究結果については、ご紹介することができた。従来の理解を覆すものとなっている。
(翻訳:李秀香)

Cette trente-sixième livraison de Mélusine contient deux dossiers.

Le premier, Masculin/Féminin, organisé par Elza Adamowicz, Henri Béhar, et Virginie Pouzet-Duzer, se pose non pas la question des genres dans le surréalisme, à la manière anglo-saxonne, mais de la façon dont chaque auteur ou artiste a traduit la part de masculin ou de féminin qui est en chacun de tous.

À l’approche socioculturelle, qu’il fallait évidemment rappeler, nous avons ici tenté une approche plus précisément stylistique des genres (sens rhétorique) par les genres (sens sexuel). « Je voudrais pouvoir changer de sexe comme on change de chemise ». Simple boutade de la part de Breton ? Toujours est-il que dans le surréalisme de l’entre-deux guerres, les rapports masculin-féminins ainsi que les concepts de féminité et de masculinité sont caractérisés par l’ambiguïté (retranchement et recherche), l’oscillation (le jeu des échanges), la transgression (les au-delà du corps), le devenir (le s’indéfinir de Cahun), la fusion, voire la confusion.

Cette synthèse des divers glissements progressifs du désir n’a pas la prétention d’épuiser le sujet, encore moins de dresser un palmarès.

Au lecteur de se nourrir de chaque contribution afin de compléter le puzzle composé par une cohorte d’artistes opportunément rassemblés au cours d’une vingtaine d’années pour dire, à travers leurs créations, et chacun à sa façon, le monde auquel ils aspiraient.

Le second dossier, le surréalisme au Japon, constitué et présenté par Martine Monteau et Atsuko Nagaï, donne un aperçu de l’influence réciproque exercée entre le surréalisme tel qu’il s’est constitué en France, il faut naturellement en convenir, et le Japon, et de l’impact sur la pensée, l’écriture ou les pratiques artistiques des uns et des autres.

À l’Ouest, comme à l’Est, il s’est agi de saisir poétiquement la beauté circonstancielle, immédiate, qui passe et va. Cela répond à l’esthétique de la poésie et de l’art japonais – appréhender l’éternité de l’instantané, conjuguer la subtile alliance des contraires. Le surréel est ce lieu d’épiphanies. Où le merveilleux surgit de la réalité, surprend, suspend le concept, le surréalisme est en pays de connaissance.

Collborations de : Elza ADAMOWICZ, Henri BÉHAR, Léa BUISSON, Justine CHRISTEN, Cosana ERAM, Thomas GUILLEMIN, Misao HARADA, Satoru HASHIMOTO, David HOPKINS, Yoshiteru KUROSAWA, Hervé Pierre LAMBERT, Constantin MAKRIS, Neil MATHESON, Martine MONTEAU, Atsuko NAGAÏ, Martine NATAT-ANTLE, Andrea OBERHUBER, Virginie POUZET-DUZER, Marie REVERDY, Annie RICHARD, Camilla SKOVBJERG PALDAM, Hanako TAKAYAMA, Pierre TAMINIAUX, Masachika TANI, Darren THOMAS, Nobuhiko TSUCHIBUCHI, Fumi TSUKAHARA, Ikumi WATANABE.
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Shuzo Takiguchi ― sa vie et son oeuvre(「瀧口修造―生涯と作品」)
土渕信彦

特集「日本におけるシュルレアリスム」を編集されたマルティーヌ・モントー先生・永井敦子先生(上智大学教授)からのお声掛けにより、寄稿したものです。
(原文はもちろん日本語で、永井先生が仏訳の労を執ってくださいました)
20161116_メリュジーヌ1

20161116_メリュジーヌ2

タイトル:Shuzo Takiguchi ― sa vie et son oeuvre(「瀧口修造―生涯と作品」
瀧口の詩的テクストから晩年の「オブジェの店」に至るまで、生涯と作品を概観した10頁程度(日本語原文で400字詰23枚程度)の小論で、次の4節からなります。
1.シュルレアリスムとの出会いと詩的実験
2.美術評論とシュルレアリスムの普及
3.戦後の活動とシュルレアリスムの再開
4.「オブジェの店」とデュシャン関連の仕事

上記の第1節で瀧口初期の詩的実験においてはプラトンの『諸対話篇』が下敷きにされているとの私見を披露することができただけでなく、第3・4節で、1960年頃からの造形の仕事や、「オブジェの店」を開く構想などのデュシャンに関わる仕事も紹介することができ、たいへんありがたく思っています。
本文10頁のほか、4頁にわたる図版頁では、瀧口のデカルコマニー、バーント・ドローイング、ロトデッサン、「檢眼圖」などの作品や、銅製の「オブジェの店」の看板、大辻清司撮影の「瀧口修造の墓」など、図版13点を掲載していただきました。カラー印刷は全巻でもこの個所だけですので、たいへん好意的に扱っていただいたと思います。感謝しております。(土渕信彦記)
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ときの忘れものでは数冊仕入れることができました。
5,500円でおわけしますので、ご希望の方はメール、電話にてお申し込みください。

●今日のお勧めは、瀧口修造です。
20161116_takiguchi2014_I_12瀧口修造
「I-12」
インク、紙
イメージサイズ:31.3×25.5cm
シートサイズ :35.4×27.1cm

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第25回(最終回)

「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第25回(最終回)

土渕信彦


25−1.「マルセル・デュシャン小展示」
「大ガラス」レプリカの制作と並行して、この頃にはマルセル・デュシャン展の計画も進められていた。自由が丘画廊の「マルセル・デュシャン小展示」(1978年1月)で、デュシャンのコレクター笠原正明氏のコレクションを中心として展示するものだった(図25−1)。

図25-1図25−1
「マルセル・デュシャン小展示」を観る瀧口修造
(撮影:笠原正明)


笠原氏は瀧口と親交が深く、西落合の部屋を訪ねてはデュシャン談義に花を咲かせたそうである。笠原氏に捧げられた以下のような川柳と解説も残されている。

「笠原正明に 余白考に余白なければ
塩売りや
言問団子を
家苞[いえづと]に
笠原氏は言問橋近くに住む。しばしば言問団子を土産に貰う。「塩売り」は言うまでもなく「マルシャン・デュ・セル」より、「塩売り」なるものたとえ江戸時代にありても存在せしや知らず」

ただし笠原氏によれば、実際に手土産に携えたのは、言問団子よりも長命寺の桜餅のことが多かったそうである(図25−2)。

図25-2図25−2
西落合の部屋の瀧口修造
(撮影:笠原正明)


「マルセル・デュシャン小展示」についてもいろいろと助言を受け、「小展示」という名称も、瀧口の示唆によって採用したものだそうである。つまり瀧口の見解では、代表作である「大ガラス」も「遺作」も展示されない以上、「展覧会」と称するのは問題なしとしないというので、この名称に落ち着いたとのことである。展覧会リーフレットに寄稿された「窓越に…」を引用しておく(図25−3,4)。

「なんと近づきがたく、なんと親しげな存在。
その全作品を一堂に眺めることは、もういろ
んな意味で不可能になった。しかし、かつて
全作品を鞄に収めることを想いついた人。
いまは窓越しに、足跡の一端をしのび、おそ
らくその人が微笑みかけるのを待つ。」

図25-3 リーフレット図25−3
「マルセル・デュシャン小展示」リーフレット、自由が丘画廊、1978年
(笠原正明氏蔵。千葉市美術館「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展図録より転載。“Rrose Sélavy, ici…”の書き込みは瀧口によるもの)


図25-4 リーフレット裏面図25−4
リーフレット裏面


「小展示」を観に自由が丘画廊を訪れた78年1月、筆者(土渕)は瀧口本人と遭遇したのだが、この時の模様は前に述べたことがあるので(「瀧口修造の箱舟」第2回)、ここでは省略する。


25−2.「絵本」
最晩年の瀧口には、当時米国に在住していた写真家奈良原一高が撮影した「大ガラス」の細部の写真と、自らの言葉を組み合わせて、「絵本」を作る構想もあった。「ユリイカ」1977年10月号(図25−5)に掲載された瀧口の「私製草子のための口上」(連載第22回参照)の末尾で、次のように触れられている。デュシャンや「大ガラス」に関わることが、瀧口のライフワークと化していたことが判るだろう。

「つい先頃、岡崎和郎氏と協力して作った「檢眼圖」と名づけたマルティプルについて、「檢眼圖傍白」と題して、同じような手製草子のために折りにふれてノートしているが、つぎつぎに問題が出てきて、いっかな終止符が打てそうにない。それよりもフィラデルフィアで奈良原一高氏に特写して貰った素晴らしい「大ガラス」のカラー・フィルムの連作で一種の「絵本」のようなものをつくる計画もいまだに宙吊りのまま、奈良原氏にも申しわけがなく、このままおさらばするわけにはゆかない。 ― たしかに私の旅はまだ終わっていないらしいのである。」

図25-5 ユリイカ図25−5
「ユリイカ」1977年10月号


「このままおさらばするわけにはゆかない」と記されているが、結局、「絵本」を完成することなく逝去した。計画されていた「絵本」は、どのようなものだったのだろうか? 『マルセル・デュシャン語録』、「檢眼圖」と、続けて産み出されてきた素晴らしい成果を見るとなおさら、具体的な姿や内容を見てみたかった気がするが、未完に終わった以上、想像するしかない。手掛かりとなるのは、奈良原宛の私信のなかの、次の一節かもしれない(後出『奈良原一高デュシャン大ガラスと瀧口修造シガー・ボックス』の奈良原のエッセイに引用されている)。

「私の夢想している本は、いわゆる美術書ではなく、詩のような断片的な言葉をカラー写真の間に散らして、カラーと白のページと活字をレイアウトして、spacyな本にしたいと思います」

引用にある「詩のような断片的な言葉」とは、単なる「詩」でも「断片的な言葉」でもなく、あくまでも「詩のような断片的な言葉」で、つまるところ、この頃しばしば産み出されていた、諺のような言葉だったのかもしれない。しかも、長年にわたってデュシャンに傾倒してきた瀧口であるから、おそらくブルトンの「<花嫁>の灯台」と並ぶような、「大ガラス」についての見事な解釈が与えられ、その解釈を土台にして産み出された「詩のような断片的な言葉」であったものと思われる。そうした言葉を(『マルセル・デュシャン語録』本文のように)一種のオブジェとしてカラー写真の間に配置する構想だったのではなかろうか。何にしても、言葉と写真とがそれぞれ存在感を有した、しかも数々の手づくり本のように簡素で軽装だが物質感のある、素晴らしい「絵本」となったことは間違いないだろう。実現しなかったのは、まことに残念である。

瀧口の没後、奈良原の写真だけは、写真集『奈良原一高デュシャン大ガラスと瀧口修造シガー・ボックス』(図25−6)として、みすず書房から刊行された。上で触れた「シガー・ボックス」と、メモ全点の写真も併せて掲載されているので、ご紹介しておきたい。この写真集のために書き下ろされた奈良原のエッセイ「”ガラスが割れたとき”―二人のローズ・セラヴィに……」には、「大ガラス」の撮影の経緯について、タケミヤ画廊当時の交流にまで遡って、詳細に述べられている。撮影を依頼されてから、作業を進め、出来上ったカラー・ポジフィルムを米国から送り、帰国後にはフィルムから改めて紙焼きしてカラー写真を届けたことなど、瀧口とのやり取りも含め、具体的に記されており、きわめて貴重な証言と思われる。是非ご一読いただきたい。

図25-6 奈良原「大ガラス」図25−6
『奈良原一高デュシャン大ガラスと瀧口修造シガー・ボックス』、みすず書房、1992年


さて、瀧口修造の多面的な仕事のなかで、特にマルセル・デュシャンとの関わりに焦点を当てたこの連載も、いつの間にか25回となった。ひとわたりは目配りしたように思うので、このあたりで筆を擱くこととする。約2年の間お付合いいただき、どうも有難うございました。
つちぶちのぶひこ

*画廊亭主敬白
25回を数えた土渕さんの連載(一回ごとの文章量がとても多いので、実質的には他の方たちの50回にも匹敵します)が終了します。長い間、ご苦労さまでした。
瀧口修造の作品紹介を企画の柱にしているときの忘れものにとっては「ブログの顔」であり、研究者であり、コレクターでもある土渕さんの卓見にはしばしば目を瞠る思いでした。いずれ別のテーマでの復活を期待しましょう。

昨日12日は青山では「山口長男とM氏コレクション展」の初日、主力スタッフが乗り込んだ韓国ソウルのアートフェアKIAFではオープニングと、東西二つのイベントが重なりました。
20161012_大野様1 (1)「山口長男とM氏コレクション展」には朝一番で旧蔵者のMさんが来廊、続いて舞踏家の大野慶人さんがいらっしゃいました。秋田で開館間近の鎌鼬美術館のこと、土方巽のこと、ご自身が子供時代に花岡事件で有名な花岡鉱山に疎開していたこと、今年訪れたブラジル、中国での公演とワークショップのことなど、お話は尽きませんでした。
大野慶人さん(左)と亭主

KIAF_野口さん撮影
同じ頃、韓国ソウルではKIAFの開会式(撮影:野口琢郎)

20161012_KIAFオープニング (4)
続々とVIPたちが来場

20161012_KIAFオープニング (3)
ときの忘れもののブース

20161012_KIAFオープニング (8)
ナム・ジュンパイク野口琢郎さんの箔画に注目が集まっています。


●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20161013_takiguchi2015_selected_words
瀧口修造
『マルセル・デュシャン語録』
1968年
本、版画とマルティプル
外箱サイズ:36.7×29.8×5.0cm
本サイズ:33.1×26.0cm
サインあり
A版(限定部数50部)
発行:東京ローズ・セラヴィ
刊行日:1968年7月28日
販売:南画廊

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は今回で終了です。
「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。

千葉市美術館「岡崎和郎 Who's Who―見立ての手法」

千客万来
20161005_光嶋展左から、光嶋裕介さん、ゲッティ美術館のアマンダさん、和光大学の三上豊さん。

20161005_光嶋展2後列中央は先日の福岡のアートフェアで神風を起こしてくれた田村利生さん。
今回の展覧会には建築好きの方はもちろんですが、アジカンのファンの方たちも多数ご来廊いただいています。

●光嶋裕介さんの展覧会に行ったものの、ちょうどアジカンメンバー勢ぞろいでギャラリー内テンション高めだったので、ごあいさつせずに会場を後に。ぜひ韓国ほか海外でも開催してほしい。
(OTAKESAN @yatchamさんのtwitterより)

●アジカンファンというだけで光嶋裕介さんの作品展に行ってきました。それなのに新刊本にサインまでいただいてただただ恐縮でした。でもこういう繋がりみたいの大事にしたいです。
(osamuさんのtwitterより)

●ドローイング展に行ってきました。娘もピラミッドだ〜 と楽しんでました。 #ミシマ社 の#これからの建築 も購入(^.^)
(Shuhei NEZUさんのtwitterより)

●青山・ときの忘れものギャラリーで光嶋さんの個展を拝見。幾つかの都市をイメージしたドローイングを、今回は和紙に。京都に惹かれる自分とは何者だろうかと緑茶をいただきながらしみじみ思考してきました。
(さかやまたけひこ ‏@sakayamatakeさんのtwitterより)

●ときの忘れものでの光嶋さんの展覧会、いってきた☺ 前回の大阪のときから一転、手透きの和紙とモノクロのドローイングの世界がステキでした。
京都は結構何描いてあるかわかった◎金閣銀閣だけじゃなくて飛雲閣っぽいのがあったのがうれしかった!
(よこた しおぽんは空想トラベル余韻 ‏@shi0pomさんのtwitterより)

●光嶋さん、松家さん対談だん。表現の核心に迫らん刺激的なお話でした。光嶋さんにとって今回の「ときの忘れもの」個展のようなドローイングは、孤独な作業。それが、著作や建築という宛先のある創作活動の「ため」に。松家さんの惚れ惚れするインタビュー術で明らかになりました。いやぁ。学び多き時間
(三島邦弘 ‏@mishimakunihiroさんのtwitterより)

●『住まい選びの新基準』に寄稿していただいた光嶋裕介さんの個展、週末に行ってきました!細かく細かく描き込まれていて、眼鏡をかけているのにギリギリまで近寄って見つめてしまいました。
(幻冬舎メディアコンサルティング(制作部)さんのtwitterより)

●建築家・光嶋裕介さんの展覧会『幻想都市風景』のドローイングの軌跡は、こちらのまとめからご覧いただけます。福井県武生での和紙漉きから始まり、幻想都市のドローイングはまるで世界旅行のよう。
http://togetter.com/li/992939
(アヤカン ‏@ayakanakgさんのtwitterより)


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光嶋さんがいつも使っているのはtwitter。反響も直ぐにきます。
facebookやtwitterはその速報性が便利で、展覧会やイベントの告知にはずいぶんとありがたい存在です。
ときの忘れもののホームページは基本的には取扱い作家の作品の紹介、そして開催展覧会の記録を蓄積を目指しています。
その構成はHPを構築するときに熟慮を重ねた結果なのですが、時間がたつとだんだんと更新できないものが出てきます。
毎日更新のブログ>の作業がたいへんだということもありますが、日々の情報はブログで、アーカイブ的なものはホームページでと自然に棲み分けもできてきました。
二年ほど更新をさぼっていた「今月のお勧め」を再開しましたので、ご覧ください。今後は月一での更新を確実にしてゆきたいと思っています。
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千葉市美術館で、「岡崎和郎 Who's Who―見立ての手法」が開催されています。

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「岡崎和郎 Who's Who―見立ての手法」
会期:2016年9月7日[水]〜10月30日[日]
会場:千葉市美術館
時間:日〜木曜日10:00〜18:00、金・土曜日10:00〜20:00 ※入場は閉館の30分前まで
同時開催:「小川信治−あなた以外の世界のすべて」

岡崎和郎(1930-)は、身の回りのものをモチーフとした、楽しく軽快なオブジェで知られています。1960年代より、「御物補遺」という言葉を制作指針として掲げ、「西洋では見落とされてきた物の見方を、東洋の見地から補足するようなオブジェ」を制作してきました。電球や人形など身近にあるものの内側を型に取ったり、偶然できた形に別なイメージを投影させるなど、岡崎のオブジェは、通常の視点から外れた時に現れる物の思いがけない姿を示してくれます。
 岡崎和郎の「Who’s Who(人名録)」シリーズは、アーティストをはじめとするさまざまな人物(やその作品)から着想を得て制作された一群のオブジェです。60年代初期から現在にいたるまで作られ続けており、まさにこの作家のライフワークともいうべきシリーズになりました。本展はこのシリーズの紹介を通して、半世紀を超える岡崎の仕事を概観します。 さらに「Who’s Who」にとりあげられた面々 ――ヨーゼフ・ボイス、ブランクーシ、ジョン・ケージ、チャーチル英元首相、コーネルデュシャン、ジャコメッティ、樋口一葉、アングル、磯崎新ジャスパー・ジョーンズ、葛飾北斎、河原温、宮本武蔵、マン・レイ、ウィリアム・テル、仙僂蕁宗 の作品や資料をならべて展示することで、古今東西の人物たちと岡崎の世界観が巡り会い語り合う場をつくりだします。(同展HPより転載)

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先日行われたレセプションに出席しました。
岡崎和郎さんと同時開催で個展をしている小川信治さんは、2001年に岡崎さんとのコラボレーション展を開催されたそうで(愛知/コオジ・オグラギャラリー)、またご一緒できることをとても喜んでおられました。
展覧会タイトルの通り、岡崎さんが半世紀にわたり制作している「Who’s Who(人名録)」シリーズを展観できる内容で、着想を得たアーティストの作品や資料と並んで展示されており、瀧口修造ボイス、ブランクーシなどの思想や作品が、岡崎さんのフィルターを通してどのようなオブジェに変換されたのか観ることができます。
岡崎さんの作品は、窓枠の内側を立体的にしたり、電球の内側を型取ったりと、普段私たちには見えない・見ない部分を露わにすることで、違う方向からものを見る面白さを発見させてくれます。(秋葉)

●巡回のお知らせ
「岡崎和郎 Who's Who―見立ての手法」は、北九州市立美術館分館に巡回します。
会期:2016年11月19日[土]〜2017年1月5日[木]

●本日のお勧め作品は瀧口修造です。
20161006_takiguchi2014_II_20瀧口修造
「II-20」
デカルコマニー
イメージサイズ:14.2×9.3cm
シートサイズ :25.8×19.0cm
「II-21」と対


20161006_takiguchi2014_II_21瀧口修造
「II-21」
デカルコマニー
イメージサイズ:15.5×9.3cm
シートサイズ :25.7×19.0cm
※「II-20」と対


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