瀧口修造の世界

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第4回

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

4.『近代藝術』

図1『近代藝術』初版図1 『近代藝術』初版


瀧口修造『近代芸術』
三笠書房 三笠全書11
16.9×12.5
序文4頁
目次3頁
挿図目次1頁
本文233頁

奥付の記載事項
近代藝術
昭和十三年九月十二日印刷
昭和十三年九月一八日發行
臨時定價九十五餞
外地定價一割増
著者 瀧口修造
發行者 竹内富子
東京市壇漬神錠壇墜鵐瞭鶲
印刷者 堀内文治郎
東京市壇漬浸虻蠶二ノ二二
發行所 三笠書房
東京市壇漬神錠壇墜鵐瞭鶲
電話九段四〇一三番
振替東京二二〇九六番
豫約頒價二冊一圓九十餞

『近代藝術』については、まず、瀧口自らによる「私の1冊『近代芸術』」という回想をご紹介しましょう(『コレクション瀧口修造』1巻412頁。初出は「毎日新聞」1968年4月30日)。

「[『近代藝術』は]昭和13年に三笠全書の1冊として刊行されたものである。昭和の初頭からシュルレアリスムに熱中し、詩をこころみていた私は、すでに昭和5年にブルトンの『超現実主義と絵画』の訳本を出していたけれど、美術評論家というレッテルをはられるようになる素地は、よかれあしかれこの本あたりに発しているのだろう。
今日の美術批評のような職業意識なぞもとうともしなかった私が、なぜあのような本を書いたかといえば、当時、画壇の一角に接してシュルレアリスムも抽象芸術も脈絡を欠いていることを知り、近代芸術を自分なりに位置づけてみる必要に迫られたからである。勉強はしたつもりだが、結局は自分の直感のようなものに駆られて書いたのだと思う。
しかし出版の直接な動機は、唯物論研究会の戸坂潤のすすめがあったからである。三笠全書は弾圧された唯物論全書を引き継いだものであったが、私はといえば率直に自分の近代芸術観を述べたにすぎない。それを戸坂氏はこころよく迎えてくれた。(後略)」

戦後、唯物論全書の刊行が再開されると、さっそく1949年に本書もその1冊として再刊され(図2)、さらに51年には新書版で再々刊されました(図3)。

図2『近代藝術』唯物論全書版図2 『近代藝術』唯物論全書版


瀧口修造『近代藝術』
三笠書房 唯物論全書18
18.4×13.2
序文3頁
再版の序3頁
目次3頁
挿図目次1頁
本文213頁

奥付の記載事項
近代藝術
昭和二十四年三月十日印刷
昭和二十四年三月十五日發行
定價百六十圓
著者 瀧口修造
發行者 広瀬文子
東京都千代田區壇訂段歡二ノ二〇
印刷者 額賀秀
東京都北區王子鍛町一丁目四八二
發行所 株式會社三笠書房
東京市壇漬神錠壇墜鵐瞭鶲
東京都千代田區壇訂段歡二ノ二〇
電話九段33六五〇四番
振替東京二二〇九六番
東京證券印刷株式會社印刷・共成社製本所製本

図3『近代藝術』三笠新書版図3 『近代藝術』三笠新書版


瀧口修造『近代藝術』
三笠書房 三笠新書
17.4×10.6
序文3頁
新版の序3頁
目次3頁
挿図目次1頁
本文213頁

奥付の記載事項
近代藝術
1951年11月刊行
\90
著者 瀧口修造
株式會社三笠書房
東京都千代田區壇訂段歡二丁目
電話九段(33)6504 7483
振替東京22096
刊行者 竹内富子
新光社印刷・壽製本

初版の三笠全書版の巻頭には著者による「序」が置かれています(図4)。唯物論全書版、三笠新書版でも冒頭にこの「序」が置かれた上で、それぞれ「再版の序」「新版の序」が付されています(図5,6)。特に唯物論全書版の「再版の序」では、本書が「むしろこれらの [唯物論的な立場から批判を受けている唯心論的傾向をとる] 芸術諸派の立場から記述している」とした上で、「自由芸術擁護のほとんど最後の役割の一端をつとめた」と述べられています。

図4 序図4 序

図5 再版の序図5 再版の序

図6 新版の序図6 新版の序


この「自由芸術擁護」という言葉で念頭に置かれているのは、戦前・戦中の前衛芸術に対するさまざまな圧迫であるのはもちろんですが、「再版の序」が執筆された1949年の時点においても、芸術の自由を擁護する、すなわち右翼であれ左翼であれ、芸術を政治的プロパガンダに利用しようとする動きに警鐘を鳴らし、批判する意味合いも含まれていたのではないでしょうか。以下のようなシュルレアリスムの政治的立場の変遷を考慮すると、そんな風に思えてきます。

シュルレアリスム運動は1929年〜30年頃に共産主義に接近したこともありましたが、1930年代に入るとその教条性を批判し、鋭く対立するようになっていきました。中心人物のアンドレ・ブルトンは、芸術の自由を唱えるトロツキーと連携し、芸術を政治的プロパガンダに利用しようとする国際共産党と対立し、厳しく批判したのです。

1930年代後半の瀧口は、このような政治的立場も含めてシュルレアリスム運動と同調していました。それは例えばブルトンから送られてきた「文化擁護作家会議に於ける講演」を訳出し、山中散生編『ÉCHANGE SURRÉALISTE』(超現実主義の交流。ボン書店、1936年。図7)に掲載したことなどでも明らかでしょう。

図7 『ECHANGE SURREALISTE』図7 『ÉCHANGE SURRÉALISTE』


こうしたシュルレアリスムの政治的立場の変遷を視野に入れない論者からは、本書刊行の半年ほど前に発表された「前衛芸術の諸問題」(「みづゑ」1938年4月。『コレクション瀧口修造』12巻)の以下に引用する有名な一節が、本心から述べたものではなく、一種の政治的後退ないし妥協であると、しばしば誤解されています。しかしこの一節は、治安維持法の拡大解釈により共産党員以外の知識人にも弾圧が及んだ、1937年12月の人民戦線事件や38年2月の教授グループ事件を目の当たりにした瀧口が、ブルトンの共産党批判の立場に則ってシュルレアリスムの非政治性、すなわち政治から独立したものであることを強調し、前衛芸術家に対する弾圧を牽制するとともに、国民精神総動員運動に対する非協力的立場を根拠づけようとしたもので、瀧口の本音そのものといえるのではないでしょうか。

「ヨーロッパの超現実主義の一部で、政治的左翼主義と結びつけられている場合があるのは事実である。しかしわたしの理解するかぎりでは、超現実主義的芸術はとうてい政治主義とは相容れないものである。(中略)おそらく今後も、超現実主義が政治主義に化することはあるまいとわたしは信じている。」

こうした主張にもかかわらず1941年4月に検挙されたのは、シュルレアリスムが国際共産党と関連した運動であるとの嫌疑を払拭できなかったためでした。拘留中の取り調べの際に、特高から両者の関係の有無を問われたことに触れて、瀧口は「勿論、事実はなし」とコメントしています(「自筆年譜」1941年の項)。当時のシュルレアリスムは国際共産党と鋭く対立していたわけですから、「そんなことがあるわけがない」という、言葉通りの意味と受け止めるのが適当でしょう。

余談はこのくらいにして、ふたたび『近代藝術』に戻ります。本書は2度も改版され、1950年代を通じて美術家や美学生たちを中心に読み継がれてきました。その理由はもちろん、本書が近代芸術のさまざまな潮流について、脈絡を通して論じたほとんど唯一の理論書で、また戦前・戦中に前衛芸術が置かれた困難な状況を物語る、歴史的な書物でもあったからでしょう。それだけでなく何よりも、本書が常に同時代の芸術のあり方を問い直す、アクチュアルな書物として受け止められてきたからではないでしょうか。

1960年代に入ると、本書は美術出版社の美術選書シリーズの1冊として4たび刊行され(図8)、一般の読書人にまで広く受け入れられました。このシリーズは好著が揃っており(図9)、大手書店を中心に常備されていました。中でも本書は代表的な1冊として版を重ねました。筆者(土渕)が学生時代に購入した第10版は、1976年1月30日発行となっています。刊行当時は函入りではありませんでしたが、美術選書シリーズ全体が函入りの体裁となりました。

図8『近代芸術』美術選書版図8 『近代芸術』美術選書版


瀧口修造『近代芸術』
美術出版社 美術選書
20.6×14.9
目次3頁
選書のための序3頁
初版の序3頁
再版の序3頁
新版の序3頁
本文203頁
挿図目次2頁
挿図について1頁
解題(針生一郎)11頁

奥付の記載事項
近代芸術
1962.12.15発行
\540
著者 滝口修造©
発行者 大下正男
印刷 猪瀬印刷株式会社
   同美原色印刷所
製本 金子製本所
発行所 株式会社美術出版社
東京都新宿区市谷本村町15
電話(332)5221
振替 東京166700
担当 雲野良平

図9「美術選書」シリーズ図9 美術選書シリーズ


美術選書版には、著者による「選書のための序」(図10)が巻頭に置かれているほか、過去3つの版の序文もすべて再録されています。さらに巻末には、先年亡くなった美術評論家針生一郎による解題も付されています(図11)。瀧口に対する深い理解と共感に溢れた、懇切で的確な解題と思われ、筆者も学生時代から何度も読み返してきました。この解題に引用されている瀧口自身の文章や回想の出典はどの文献だろうかと、同じ頃に入手したせりか書房の『シュルレアリスムのために』を読み込んだことも想い出されます。

図10 選書のための序図10 「選書のための序」

図11 針生一郎「解題」図11 針生一郎「解題」


もっとも、針生が本書の第1部を「書き下ろし」としている点は、訂正が必要でしょう。重箱の隅をつつくような指摘かもしれませんが、例えば第1部のシュルレアリスム論「シュルレアリスムと絵画」の部分は1936年に「みづゑ」1936年9月号に発表した「超現実造型論」を加除修正したものですし、「シュルレアリスム その史的展開」の個所は、本書刊行の前に「超現実主義の史的概観」として雑誌「科学ペン」1938年6月号(図12)に、ほぼそのままの形で発表されています。

図12「科学ペン」図12 「科学ペン」1938年6月号


美術選書シリーズを書店の棚に見かけなくなった現在、学術系の文庫などで、4つの序文と秀逸な解題も含めて、本書を再刊していただけないものでしょうか。もちろん、大きな図書館に行けば『コレクション瀧口修造』で読むことはできますが、昨今、瀧口の本を入手するには古書を捜すしかない状態となっており、気軽に読むことができないのは、まことに残念です。本文が今なお通用する、高度で正確な内容であるのはもちろん、各序文も執筆当時の状況を理解するうえでの貴重な証言と思われます。解題も瀧口の全体像を形成するうえで優れた水先案内となることでしょう。シュルレアリスムを日本に導入した張本人による、歴史的で記念碑的な著作といっても過言ではありません。本書が及ぼした広範な影響からみても、文庫本化されていないのが不思議なくらいですが、いかがでしょうか。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

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v-09瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"V-09"
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第5夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第5夜レポート

土渕信彦


第5夜「瀧口修造と福沢一郎」(9月21日)のレポート

1.福沢一郎との関わり
大谷さんがまだ学生だった1990年代、古賀春江や福沢一郎の絵画のモチーフの典拠に関する一連の研究が、速水豊氏(当時は姫路市立美術館・兵庫県立美術館学芸員。現三重県立美術館館長。)によって進められ、発表されたそうです。

図5−1図1 第5夜 レクチャー風景


例えば福沢の「四月馬鹿」(図2)では、トム・ティットというフランス人が著した、家庭にある道具で簡単にできる科学の実験や遊びを紹介した『楽しい科学』(La Science Amusante)という叢書から採られていることが明らかにされています。速水さんの研究成果はNHKブックス『シュルレアリスム絵画と日本』、日本放送出版協会、2009年。図3)に再録されています。

図5−2図2 福沢一郎「四月馬鹿」(1930年)

図5−3図3 速水豊『シュルレアリスム絵画と日本』


こうした研究に大谷さんは大いに触発され、自身も福沢一郎の作品の典拠を探索する研究を進めたそうです。『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八−一九五三』(国書刊行会、2016年。図4)に再録されています。

図5−4図4 大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八−一九五三』


しかし、そうしたモチーフの典拠を明らかにしても、福沢が何を描きたかったか、あるいは何を行いたかったか、解明されたとは言えません。福沢が目指していた目的は何であり、また瀧口修造とどういう関係にあるのか、これを少し考えてみたいと思います、と述べられてました(配布資料参照。図5)。

図5−5図5 配布資料


2.福沢の目指していたもの(瀧口修造との比較)
瀧口修造と福沢一郎は、日本にシュルレアリスムを導入・普及させたツートップといえるでしょう。1930年代の2人の活動は、下表のような見事な相似形をなしています。

スクリーンショット (190)

けれども、二人のシュルレアリスムに対するスタンスは対照的だったようです。瀧口が一貫してオートマティスムを重視したのに対し、福沢はオートマティスムを、絵画技法をおろそかにする危険性を有するものと見なしていたようです。

上に紹介した『シュールレアリズム』(アトリヱ社、1937年。図6)のなかで福沢は「超現実主義は無意識性を第一義的に前面へ押出して、非合理的な自働主義を標榜するが、これはやはり超現実主義者好みの擬態ではないかと筆者は考える」と述べています。「擬態」という言葉が示すように、福沢の姿勢は、瀧口のようにシュルレアリスムに一身を捧げるようなものではなく、むしろ福沢はポスト・プロレタリア美術としての、新たなレアリスム美術を開拓する可能性のひとつとして、シュルレアリスムを探究・利用しようとしていたように思われます、と解説されました。

図5−6図6 福沢一郎『シュールレアリズム』(アトリヱ社、1937年)


3.「牛」を例として
こうした福沢の試みを示す例として、展示作品の「牛」(1936年。図7)について解説されました。この作品に関しては、牛の図像がフランスの美術雑誌「ミノトール」に掲載された図像から採られているらしいことが、従来から指摘されています。当時の人間が見ると、この作品は満州の風景を描いたものと、直ちに理解されたはずで、しかも、よく見ると牛の姿のところどころに穴が開けられ、背景が見えるように描かれていること、背景には横たわった牛か人間かが描かれていること、なども判ります。そこから、こうしたモチーフやこの絵全体に福沢が込めていたであろう意図を、さまざまに解読することもできるでしょう、と解説されました。

図5−7図7 福沢一郎「牛」1936年


4.今後の福沢一郎展など
レクチャーの最後に、生誕130年に当たる今年から来年にかけて、以下の3つの美術館で福沢一郎展が開催されることが紹介されました。
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館:2018年9月15日〜11月11日
多摩美術大学美術館:2018年12月15日〜2019年2月24日
東京国立近代美術館:2019年3月12日〜5月26日
ちなみに、展示内容はどれも異なっているそうです。

また大谷さんは他の研究者たちとともに、福沢の『シュールレアリズム』を読む研究をすすめて来られたそうで、その成果をまとめ、みすず書房から『超現実主義の1937年 福沢一郎《シュールレアリズム》を読みなおす』を、年明け頃に刊行する予定であることも紹介されました。

こうして5回にわたる連続講演会は終了しました。大谷さん、どうもお疲れさまでした。上記3館の福沢一郎展はいずれも必見と思います。是非伺いたいと思います。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂

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●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_III_03瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
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デカルコマニー、紙
イメージサイズ:13.7×9.8cm
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倉俣史朗 小展示 」は本日が最終日です。
会期:2018年10月9日[火]―10月31日[水]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
倉俣史朗(1934-1991)の 美意識に貫かれた代表作Cabinet de Curiosite(カビネ・ド・キュリオジテ)」はじめ立体、版画、オブジェ、ポスター他を展示。
国内及び海外での倉俣史朗展のポスターはベストコンディションのものを出品しています。
また倉俣の作品集、書籍、カタログ、雑誌等も多数用意しました。
同時代に倉俣と協働した磯崎新安藤忠雄の作品も合わせて ご覧いただきます。
ブログでは橋本啓子さんの連載エッセイ「倉俣史朗の宇宙」がスタートしました。
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ときの忘れもの・拾遺 第9回ギャラリーコンサート
武久源造コンサート」のご案内

日時:2018年11月24日(土)15:00〜
会場:ときの忘れもの
出演:武久源造
プロデュース:大野幸
今回は午後3時開演。ちょうど近くの六義園の紅葉のライトアップの時期です。
*要予約=料金:1,000円(定員に達し次第締切ります)
予約:必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊です。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第4夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第4夜レポート

土渕信彦

(*土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は今月は休載します。再開は11月から)

東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の、第4夜(9月7日)と第5夜(9月21日)を聴講してきました。第4夜のテーマは「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」、第5夜は「瀧口修造と福沢一郎」、講師は引き続き同館の大谷美術課長です。本日(第4夜)と、10月31日(第5夜)の二回にわけてレポートします。

第4夜「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」(9月7日)のレポート

1.帝国美術学校の画学生と小グループ
帝国美術学校は1929年に吉祥寺の地に開校された私立の美術学校で、現在の武蔵野美術大学の前身にあたります。レクチャーでは詳しく触れられませんでしたが、各種学校への昇格や上野毛への移転などをめぐって、1935年にストライキ騒動「同盟休校事件」が起こり、新たに上野毛に開校した多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)と、元の吉祥寺に留まった帝国美術学校との、2つに分裂しました。以下、レクチャーの報告に戻ります。

図4−1図1 第4夜 レクチャー風景


帝国美術学校の画学生たちには、独自の小グループを作り、銀座などの画廊でグループ展を開催するものが多く存在しました。以下のようなものです。
JAN(1934年結成)
アニマ(1935年1月第1回展)
表現(1936年1月第1回展)
動向(1936年9月第1回展)
ジュンヌ・オム(1938年1月第1回展)
絵画(1938年12月第1回展)

彼らは多かれ少なかれシュルレアリスムに関心を寄せ、瀧口修造にも敬意を払っていました。彼らの作品に多く見られるのは、地平線・水平線を背景に幻想的な光景を描いた一種の風景画です。こうした絵画は、ダリの亜流として否定的に見られることが多かったわけですが、逆に彼らのモチベーションがこうした絵画に現れていると前向きに評価する、つまり自分が描きたい主題・モチーフを定着するために、彼らは地平線が描かれたダリの絵画を参考にしたとも考えることができるのではないでしょうか。こうして実現したのが、2003年の企画展「地平線の夢」でした、と解説されました。

続いて、今夜のレクチャーでは、彼らのなかから浅原清隆、浜田浜雄、森尭之、矢崎博信、大塚耕二の5名が採り上げられました。5名とも地方出身で、しかも浜田浜雄を除く4人は戦死しており、作品はあまり残っていませんが、近年相次いで出身地の美術館で彼らに焦点を当てた展覧会が開催され、次第に注目を集め始めています。下記のとおりです。
熊本県立美術館の「画家たちの上京物語」展(2014年7月)
茅野市美術館「矢崎博信展 幻想の彼方へ」(2014年7月)
米沢市上杉博物館「造形の遊戯場 浜田浜雄展」(2015年12月)
など。

図4−2図2 配布資料


2.浅原清隆(1915〜1945)兵庫出身
大谷さんが東京国立近代美術館に就職した1994年に、浅原清隆の遺族から「郷愁」「多感な地上」の2点と関連資料が寄贈され、いろいろな話も聞くことができたそうで、これが2003年の「地平線の夢」展の伏線となったようです。今夜のレクチャーでも、会場に展示されている「多感な地上」についての解説にかなり時間をかけられました。会場の展示ケース内に陳列されている「浅原清隆個人展目録」(1939年)には瀧口修造や深沢一郎、北園克衛が短い文章を寄せていることも紹介されました。

図4−3図3 浅原清隆「郷愁」1938年

図4−4図4 浅原清隆「多感な地上」1939年

図4−5図5 「浅原清隆個人展目録」

図4−6図6 「地平線の夢」展図録


3.浜田浜雄(1915〜1994)山形出身
浜田浜雄は5人のなかでは唯一人、戦後まで生き延びた画家で、戦後は写真やデザインの仕事にも携わっています。展示作品の題名の「ユバス」とは東南アジアに生息する毒を持った植物のことで、この絵は緊迫する時局への不吉な予感が描かれているのかもしれません、と解説されました。

図4−7図7 浜田浜雄「ユパス」1939年

図4−8図8 浜田浜雄「予感」1937年(米沢市上杉博物館)

4.森尭之(1915〜1944)徳島出身
森尭之は絵画だけでなく写真も手掛けており、瀧口修造の「前衛写真協会」や名取洋之助のNIPPONにも参加したことが、紹介されました。フォトグラムなども製作したそうです。


図4−9図9 森尭之「風景」


5.矢崎博信(1914〜1944)長野出身
矢崎博信はシュルレアリスムを理論的に追求しようとする姿勢が最も強かった画家で、「アトリヱ」誌(1937年1月号)に掲載されたシュルレアリストたちの集団制作「優美な死体」と日本の俳諧の比較した考察なども行ったことなども、紹介されました。

図4−10図10 矢崎博信「江東工場地帯」1936年(茅野市美術館)

図4−11図11 矢崎博信「街角(B)」1938年頃(茅野市美術館)

図4−12図12 「優美な死体」(「アトリヱ」誌1937年1月号掲載)


6.大塚耕二(1914〜1945)熊本出身
大塚耕二の「トリリート」(図13)は「シュルレアリスム簡約辞典」(図14)にも掲載されています。銀座紀伊國屋で開催された第5回「表現」展に出品された「海の見える丘と木の枝」は、風景画のようなタイトルが付されていますが、明らかに女性の下半身のヌードを描いたものでしょう。こういう絵を展示するというのは、なかなかの反骨精神を持っていたようで、後に警察官とトラブルを起こして、留置場に送致されたこともありましたが、ちょうど特高に拘束されていた瀧口も同じ留置場に居た、というエピソードも紹介されました。

図4−13図13 大塚耕二「トリリート」1937年(熊本県立美術館)

図4−14図14 「シュルレアリスム簡約辞典」(下が「トリリート」)


7.まとめ
帝国美術学校の学生たちにはシュルレアリスムに刺激を受けながらユニークな絵を描いた画家がたくさんいた。彼らの絵は一見するとダリの絵をパクったように見えるが、よく見ていくと、それぞれが切実なテーマとメッセージをもっている。彼らの多くは戦死した。私たちは彼らの存在と作品を忘れてはいけない、とまとめられ、レクチャーは終了しました。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂
=======
●土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」11月23日から再開し、毎月23日に更新します。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_II_03瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"-3"
デカルコマニー、水彩、紙
イメージサイズ: 14.2×5.1cm
シートサイズ : 14.2×5.1cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

10月2日はデュシャンの命日

台風24号は強風と大雨で各地に大きな被害をもたらしました。
幸い駒込の私たちの画廊は無事でしたが、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

それにしても台風に振り回され、あたふたした数日間でした。
9月29日は野口琢郎展の最終日でしたが、留守を作家とスタッフに任せ、京都のロームシアター(旧京都会館、1960年前川國男設計で竣工、その後2016年に 香山壽夫建築研究所設計により改修、一部は改築して2016年に新装オープン)で開催された現代芸術の会主催(代表理事:浅井栄一)の一柳慧先生のコンサートに社長と二人で駆けつけました。一柳先生の新曲「ヴァリエーション」は、原田節さんのオンド・マルトノと一柳先生のピアノによる世界初演で、そこに立ち会えたことは生涯の思い出になります。
休憩時間のロビーでは思わぬ人たちにお目にかかりました。それも京都の人たちばかりでなく、遠く四国の方や、神戸、大阪、東京の方々など、つくづく演奏会というのは「サロン」だなあと思った次第です。
そしてtsutayaの入り口に設置されている野口琢郎さんの大作を拝見できたことも収穫でした。箔画による洛中洛外図ともいうべき力作です。

当初はのんびり酒でも飲んで翌日は京都の画廊さんめぐりを、などと考えていたのですが、台風24号の襲来でそれどころではなく、主催者の浅井さん、一柳先生にご挨拶して早々にホテルに入り、翌朝早い便で帰京致しました。

さて、本日10月2日は、マルセル・デュシャン(1887年7月28日ー1968年10月2日)の命日です。

昨2017年はデュシャンの生誕130年の記念すべき年であり、また現代美術史最大の事件となった既製の便器にR・MUTTとサインしただけの〈泉〉を発表してから(ただし実物は現存せず)、ちょうど100年にあたりました。
京都国立近代美術館ではなんと一年間にわたりその<泉>について考察する試みが開催されました(後述)。
京都に続き、今度は東京。
それが竹橋の東近美でもなく、六本木の国立新美術館でもない、上野のトーハクでデュシャン展が開催されると聞いて正直驚きました。

昨10月1日の「マルセル・デュシャンと日本美術」のオープニングには、デュシャンのコレクターとして著名な笠原正明さん、マン・レイイストの石原輝雄さん、瀧口修造研究の土渕信彦さんの東西コレクターの三人衆がそろい踏み、社長と亭主もその後についてトーハク平成館に向かい、なぜか京都の綺麗な舞妓さんが並ぶ開会式に出かけてまいりました。

そしてすでに話題のようですが色んな意味で期待の高まる「マルセル・デュシャンと日本美術」展公式の広報らしきこの記事がとても残念。というか有害ではないかと思います。
(20180926/成相 肇さんのfacebookより)

これ、そもそも展覧会自体が不愉快だから、スルーしたかったけど、やっぱり言っておく。この展覧会の東博側のキュレーション責任者と思しき、松嶋雅人氏って、デュシャンについても、日本美術についても、両方ともナメてる、あるいは観者対してもバカにしているとしか思えないんだけど。この広報マンガによると、デュシャンに代表させているところの「現代美術」とは、コンテクストを読むものらしいのだが、それと近代以前の日本美術を、レディメイドやらオリジナリティやら複製やらの概念と結び付けていること自体が、それこそ「コンテクストが異なる」のだけど、その点についての納得のいく釈明は、展覧会の解説なり展覧会カタログなりで行われるのであろうか。(多分行われない)
(20180930/土屋誠一さんのfacebookより)

上記のごとく、始まる前から、ネットでは議論が沸騰していました。
実際に拝見した感想は、さすがフィラデルフィア、ごくごく真っ当なデュシャン展で、いまさらながら凄い作家だなあと感銘を受けました。
しかし成相肇さんの指摘したとおり、マンガ風の広報記事はまったくひどいもので、フィラデルフィア美術館の優れたコレクションをおちょくっているのかと思うほどです。
例の「泉」(もちろんレプリカ)も多数の出品作品の中でごく自然な感じで展示されています。
むしろ、最後のコーナーの<日本美術>はわけのわからん展示内容で、まったく意味不明、余計でした。

全152点のデュシャン作品の中で唯一日本からの出品は「大ガラス」の東京バージョン(1980年、東京大学教養学部美術博物館所蔵)ですが、その完成に尽力された瀧口修造先生、東野芳明先生、横山正先生の功績を伝えていくことも私たちの務めだと痛感しました。

亭主は1981年の西武美術館の「マルセル・デュシャン展」は見逃しました。ですので初期油彩から始まる今回のデュシャンの作品はほとんどが初めて見るものばかりで、ガツンとやられました。
これはあと二、三回は行かねばなりませんね。必見の展覧会です。

下に掲載するのは評判の悪いチラシ、これじゃあ行く気にもならないのじゃあないかしら。
tirasi
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東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展
マルセル・デュシャンと日本美術

会期:2018年10月2日(火)〜12月9日(日)
会場:東京国立博物館(上野公園) 平成館 特別展示室 第1室・第2室

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京都国立近代美術館「キュレトリアル・スタディズ12:泉/Fountain 1917−2017
会期:2017年4月19日[水]〜2018年3月11日[日]
会場:京都国立近代美術館
前述の通り、京都国立近代美術館では昨年から今年にかけて一年間にわたりデュシャンの<泉>を検証(顕彰?)する試みが開催されました。
現代の美術家によるデュシャン解読の作例を加え、各回展示替えをしながら本作品の再制作版(1964)を1年間展示するとともに、さまざまなゲストを迎えて《泉》およびデュシャンをめぐるレクチャーシリーズを開催

京都の展示とレクチャーシリーズに関しては、マン・レイになってしまった人・石原輝雄さんが詳細なレポート「マルセル、きみは寂しそうだ。」をこのブログに連載してくださいました。
第1回(2017年6月9日)『「271」って何んなのよ』

第2回(2017年7月18日)『鏡の前のリチャード』

第3回(2017年9月21日)『ベアトリスの手紙』

第4回(2017年11月22日)『読むと赤い。』

第5回(2018年2月11日)『精子たちの道連れ』
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今回のトーハクの展示に関しては、ブログ執筆の常連、石原輝雄さんと土渕信彦さんたちの観戦記をぜひ期待したいものです。

マルセル・デュシャンと親交を結び、自ら『マルセル・デュシャン語録』(瀧口修造、マルセル・デュシャン、荒川修作、ジャスパー・ジョーンズ、ジャン・ティンゲリーのマルチプル作品を挿入)を編集刊行したのが瀧口修造でした。
念のため申し上げておきますが、今回のデュシャン展にはこの『マルセル・デュシャン語録』は出品されていません。
09

瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI『マルセル・デュシャン語録』
A版(限定50部)
1968年   本、版画とマルティプル
外箱サイズ:36.7×29.8×5.0cm
本サイズ:33.1×26.0cm
各作家のサインあり
発行:東京ローズ・セラヴィ
刊行日:1968年7月28日
販売:南画廊
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外箱もコンディション良好。緑も色あせることなく鮮やかです。

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表紙


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荒川修作 《静物》サイン入り


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マルセル・デュシャン「プロフィールの自画像」複製

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ジャン・ティンゲリー《コラージュ・デッサン》サイン入り


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ジャスパー・ジョーンズ《夏の批評家》サイン入り


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《ウィルソン・リンカーン・システムによるローズ・セラヴィ》マルセル・デュシャンのサイン入り
マン・レイ撮影のデュシャンの若い頃の横顔(プロフィール)の写真にチェンジ・ピクチャ―の「ウィルソン・リンカーン・システム」によってRrose Sélavyのサインを組み合わせた作品。

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瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI『マルセル・デュシャン語録』A版(限定50部)
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瀧口修造は、現代美術の先駆者であるマルセル・デュシャンに対して、1930年代から深い関心を寄せ、たびたび論じてきましたが、1958年の欧州旅行でダリ宅を訪れた際にデュシャン本人を紹介され、以降は互いに著書を献呈するなど、直接の交流が生まれました。帰国後1960年代に入るとデュシャンに対する瀧口の傾倒はさらに深まり、その頃に構想した架空の「オブジェの店」についてもデュシャンに命名を依頼し、若き日の有名な変名「ローズ・セラヴィ」を贈られました。その返礼として瀧口が製作し、1968年に刊行したのが『マルセル・デュシャン語録』です。
デュシャンのメモや言葉の遊びを自ら編集・翻訳したもので、デュシャンだけでなく、ジャスパー・ジョーンズ、ジャン・ティンゲリー、荒川修作ら協力者たちの作品(マルチプルないし複製)も付属しています。
その後もデュシャンに対する瀧口の関心は継続し、手作り本『扉に鳥影』(1973年)や岡崎和郎との共作のマルチプル『檢眼圖』(1977年)、デュシャンについてのメモを収めた「シガー・ボックス」なども制作しています。
デュシャンを巡る考察は、後半生の瀧口の最も重要な課題のひとつであり、最も多くの時間が充てられていた、といっても過言ではないでしょう。
>(土渕信彦

詳しくは、土渕信彦さんのエッセイをお読みください。

11.『マルセル・デュシャン語録』(その1)20150713

12.『マルセル・デュシャン語録』(その2)20150813

13.『マルセル・デュシャン語録』(その3)20150913

●今日のお勧めは中村美奈子さんが瀧口修造にオマージュした文鎮です。
中村美奈子 文鎮こげ茶、赤、緑、オレンジの4色あります。
一個:大5,500円 小5,000円(税別)
二個組:10,000円(税別)
三個組:14,000円(税別)
紙ケース付、送料は一律500円(何個でも)。

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●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料250円


ときの忘れものは倉俣史朗 小展示を開催します。
会期:2018年10月9日[火]―10月31日[水]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
倉俣史朗(1934-1991)の 美意識に貫かれた代表作「Cabinet de Curiosite(カビネ・ド・キュリオジテ)」はじめ立体、版画、オブジェ、ポスター他を展示。 同時代に倉俣と協働した磯崎新安藤忠雄のドローイングも合わせて ご覧いただきます。
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2018年から営業時間を19時まで延長します。
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第3夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第3夜レポート

土渕信彦


第3夜「瀧口修造と瀧口綾子」(8月24日)のレポート

続いて第3夜をレポートします。大谷さんは早くから画家としての瀧口綾子に注目し、作品図版の発掘・収集に努めて来られたそうで、「25年かけて発掘した図版を今夜はすべてご覧にいれます」とレクチャーが始められました。さっそく瀧口綾子の略歴と作品図版が、配布資料にそって紹介されました(図10、11)。この配布資料はA4一枚に現在判明している鈴木(瀧口)綾子についての基本情報が網羅された、大変貴重なものです。今回のレポートはその再録ないし転載のようなものですが、といっても配布資料そのままではなく、内容の変更や省略も若干あることを、お断りしておきます。

図10 第3夜レクチャー風景図10 第3夜 レクチャー風景

図11 第3夜配布資料図11 第3夜 配布資料


1.略歴
1911年9月20日、山形県米沢市に生まれる(岡本太郎と同年生まれ)。
父・鈴木寛也は商工省の官吏(染色関係の技官)。9人兄弟姉妹の長女。父方の祖父は南画家の鈴木蘭崖、叔父(父の弟)は俳優の伴淳三郎、母キクの妹は日本画科の吉池青園女。熊谷高等女学校卒。その後、東京杉並に住む。
1932年から独立美術協会の展覧会に作品を出品(詳細は下記参照)。
1934年3月、仲間たちと「独立不出品同盟」を組織。4月、「新造型美術協会」を結成に加わる。以降、同協会の展覧会を中心に作品を出品(詳細は下記参照)。
1935年9月、雑誌「セルパン」(図12)の瀧口修造訳アポリネール「暗殺された詩人」の挿図を担当(図13)。同年12月14日、瀧口修造と結婚。

図12 セルパン図12 雑誌「セルパン」1935年9月号

図13 アポリネール「暗殺された詩人」図13 瀧口修造訳「暗殺された詩人」と鈴木綾子のカット


1939年5月、「美術文化協会」の結成に参加。
1941年4月5日、瀧口修造が治安維持法違反の嫌疑で検挙される(11月釈放)。その後、美術文化協会を退会か。
1945年5月25日、空襲により自宅と作品を焼失。父の赴任先金沢で終戦を迎える。
1972年、瀧口修造訳アポリネール『暗殺された詩人』刊行(湯川書房の叢書「融ける魚」の1冊)。綾子のカットも再録されている。
1979年7月1日、瀧口修造逝去。同年9月、雑誌「みすず」(瀧口修造追悼。図14)に「終焉の記」を寄稿(図15)。
1998年8月15日逝去。

図14 みすず図14 「みすず」233号(瀧口修造追悼。1979年9-10月号)

図15 瀧口綾子「終焉の記」図15 瀧口綾子「終焉の記」


2.主な出品歴など
以下、作品の図版が年代順に紹介されました。
1932年3月、第2回独立展で「静物」が初入選(鈴木阿耶子名義)
1933年3月、第3回独立展で「風景」が入選(同上)
1934年3月、第4回独立展で「羊歯たち」が入選(福沢一郎に絶賛される)。
1935年1月、第1回新造型展に10点ほど出品。以降、1937年に同協会が(第6回展に当たる名古屋展を最後に)活動を休止するまで、毎回出品。特に37年3月の第5回展には作品2点、フォトデッサン6点、瀧口修造と共作のデカルコマニー8点を出品。
1937年10月より雑誌「蝋人形」にカットを寄稿。
1938年1月、パリの国際シュルレアリスム展の際に刊行された『シュルレアリスム簡約辞典』(図16)に「風景」(図17)が掲載される。
1940年4月、第1回美術文化展に2点出品
1941年12月、美術文化第2回小品展に1点出品。
出品作品だけでなく、雑誌に提供した数多いカットの図版も紹介されました。戦後は制作をしていないようです。

図16 シュルレアリスム簡約辞典図16 『シュルレアリスム簡約辞典』(1938年1月)

図17 鈴木綾子「風景」(右上)図17 鈴木綾子「風景」(右上)


3.まとめ
最後に「瀧口綾子は1930年代に期待の若手画家として活躍していたが、戦争で作品が失われた。再評価すべき」とまとめられ、「現存作品をご存じの方はご連絡ください。また他にも当時の雑誌の挿絵やデザインの仕事があるはずです。情報提供をお願いします」という呼び掛けで、この夜のレクチャーは終了しました。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
=======
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_II_08瀧口修造
"-8"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:11.0×8.5cm
シートサイズ :13.7×9.8cm
※-7(sold)と対

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第2夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第2夜レポート

土渕信彦

(*土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は今月と来月は休載します。再開は11月から)

東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の、第2夜(8月10日)と第3夜(8月24日)を聴講してきました。第2夜のテーマは「瀧口修造とデカルコマニー」、第3夜は「瀧口修造と瀧口綾子」で、講師は第1夜に続き同館の大谷美術課長です。以下にレポートします。

第2夜「瀧口修造とデカルコマニー」のレポート

1.デカルコマニーとは
第2夜のレクチャーは、まず「デカルコマニーとは何か」ということから始められました(図1)。

図1 第2夜レクチャー風景図1 第2夜 レクチャー風景


デカルコマニーは、絵具(インク)を塗った紙に、別の紙を圧着することによって図像を作り出す手法で、シュルレアリスム運動に参加していたオスカー・ドミンゲスが1935年頃に始めたとされていますが、フランスではそれ以前から試みられていたことが指摘され、その例として、1993年にカナリア諸島の大西洋近代芸術センターで開催された「インクの夢」展のカタログ(図2)から、女流作家ジョルジュ・サンドが1860年頃に試みたデカルコマニー(図3)などが紹介されました。

図2 インクの夢展カタログ図2 「インクの夢」展カタログ表紙

図3 ジョルジュ・サンドのデカルコマニー図3 同カタログ(ジョルジュ・サンドのデカルコマニーの頁)


この手法に改めて注目したのが、ドミンゲスをはじめとするシュルレアリスト達だったわけで、同じカタログからドミンゲス、アンドレ・ブルトン、ジャックリーヌ・ブルトン、マルセル・ジャン、ジョルジュ・ユニエらのデカルコマニーも紹介されました。

2.「対象の予想されないデカルコマニー」
続いてブルトンの「対象の予想されないデカルコマニー」が紹介されました(図4)。デカルコマニーの原理を説いた有名な論考で、「ミノトール」誌第8号(1936年)に掲載されました。これを日本に紹介したのが瀧口修造で、雑誌「阿々土」第15号(1936年12月)に訳出しています(図5)。

図4 ブルトン「対象の予想されないデカルコマニー」図4 アンドレ・ブルトン「対象の予想されないデカルコマニー」

図5 瀧口訳「対象の予想されないデカルコマニー」図5 同上(瀧口修造訳)


3.「新造型美術協会」
当時、日本でもシュルレアリスムに関心を示す造形グループが存在しました。「新造型美術協会」で、瀧口修造はその機関誌に寄稿するなど、彼らを指導する立場にありました。1937年3月に開催された新造型第5回展には今井滋、瀧口綾子、瀧口修造らがデカルコマニーを出品・展示しています。彼らはデカルコマニーについての文章も発表しており、その中から配布資料に、瀧口綾子の「不思議の窓・デカルコマニイ」(「アトリヱ」1937年5月)と今井滋「デカルコマニイと其の方法」(「みづゑ」1937年5月)の一節が再録されました(図6)。

図6 第2夜配布資料図6 第2夜 配布資料


また資料に再録されていない箇所ですが、瀧口綾子の「作者が同時に熱心な鑑賞者となれるのもデカルコマニイです」という一節や、今井滋が引用したロートレアモン「ポエジイは凡ての人によって作られる」という言葉の重要性が指摘されました。

この年の5月には「海外超現実主義作品展」が東京などで開催されましたが、その展示作品を収録した「アルバム・シュルレアリスト」(雑誌「みづゑ」臨時増刊。1937年5月)の表紙は瀧口修造によるデカルコマニーです(図7)。残念ながら、瀧口夫妻らのデカルコマニーは空襲などで失われ、現存していません。

図7 アルバム・シュルレアリスト2図7 「アルバム・シュルレアリスト」表紙

図7 アルバム・シュルレアリスト3図7 「アルバム・シュルレアリスト」裏表紙


4.瀧口修造とデカルコマニー
その後、瀧口は1941年4月に特高に検挙され、同年11月まで拘束されました。釈放後も保護観察司の訪問を受け、監視されていたのですから、デカルコマニーを試みることは不可能だったでしょう。戦後も美術評論家として活動していた15年ほどの間は、デカルコマニーを制作することはなかったようです。しかし1960年頃から、再びドローイングやデカルコマニーを試みるようになりました(図8)。興味深いことに、それと反比例するようにこの頃から美術評論活動の比重が低下して行きます。これは第1夜の話にも関連することですが、言葉に限界を感じ、言葉に拠らない外界の探究すなわち、造形領域の試みが開始されたと捉えることもできるでしょう。

図8 瀧口修造デカルコマニー図8 瀧口修造のデカルコマニー(展示作品)


ここで瀧口修造のデカルコマニーを改めて見ますと、その大きな特徴は、イメージが固定化されない、ということにあるように思われます。つまり、ドミンゲスやエルンストのデカルコマニーの場合は、出来上ったデカルコマニーに対してさらに筆が加えられ、「ライオンの姿」「川の流れ」など、イメージが特定の像に固定化されているものが多いのに対して、瀧口修造のデカルコマニーは、描き加えは行われず、イメージが絶えず移り変わっていくのが特色です。おそらく唯一の例外は、富山県美術館蔵のデカルコマニー連作100点「私の心臓は時を刻む」の扉絵「詩人の肖像」(図9)で、これは緑色の絵具で描き加えられた眼によって、「詩人の肖像」という具体的なイメージに固定化されています。

図9 瀧口修造「詩人の肖像」図9 瀧口修造「詩人の肖像」(「現代詩手帖」臨時増刊瀧口修造、1974年10月より転載)


配布資料に再録された瀧口綾子の「不思議の窓・デカルコマニイ」(「アトリヱ」1937年5月)の中の、たいへん詩的で美しい次の一節を読むと、綾子もまたイメージが固定されないところにデカルコマニーの魅力ないし本質を見出していたことがわかるでしょう。

「不思議な泡、恐ろしく速く飛ぶ森、恐ろしく意力的な岩石、飛ぶもの、囁くもの、永遠の沼の中や、悲劇的な夜の砂漠、星の散る鍾乳洞、喪失と愛撫と、様々な暗示にみちあふれたる輪郭のこのイリウジヨン」

5.まとめ
最後に、「デカルコマニーは誰にでも作ることができる。作者という近代的な主体的存在が揺らぐ。作者が同時に鑑賞者でもある。《○○に見える》と言ったとたん、意味が固定化され、他の物に見える可能性が閉ざされる」とまとめられ、この夜のレクチャーは終了しました。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
=======
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_III_43瀧口修造
"-43"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:17.5×13.6cm
シートサイズ :17.5×13.6cm
※-44と対


takiguchi2014_III_44瀧口修造
"-44"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:17.3×13.6cm
シートサイズ :17.3×13.6cm
※-43と対

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第1夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第1夜レポート

土渕信彦


去る7月27日(金)、東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の第1夜を聴講しました。同館の企画展示「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」(図1)の関連イベントで、レクチャーのレポートに入る前に、企画展示の内容をご紹介します。
図1 企画展示案内板図1 企画展示案内板

1.企画展示について
展示点数は合計50点余り(展示替えを含む)。内訳は同館所蔵の瀧口修造作品13点と、瀧口が「見つめた」作家の作品40点ほど(ほかに雑誌などの資料11点あり)。瀧口の作品はデカルコマニー4点、バーント・ドローイング3点、ドローイング・水彩3点、ロトデッサン2点、コラージュ1点。デカルコマニーとドローイング・水彩はそれぞれ密度の高い佳品(図2,3)。バーント・ドローイングはいずれも素晴らしい大作(図4)。珍しいコラージュ「パウル・クレーのモニュメントのためのプロジェクト」も、一目見たら忘れられないでしょう(図5)。点数は多くありませんが、バラエティに富んで良いコレクションと思います。何よりも東近美が作品を所蔵していること自体、瀧口が造形作家として評価されたことを示しており、長年コレクションしてきた者として、感慨を禁じ得ません。
図2 正面の壁面図2 正面の壁面(右3点が水彩・ドローイング、左2点はロトデッサン)

図3 デカルコマニー4点図3 デカルコマニー4点

図4図4 バーント・ドローイング3点

図5 コラージュ図5 コラージュ「パウル・クレーのモニュメントためのプロジェクト」

「見つめた作家」の作品では、海外作家ではセザンヌやシュルレアリストからフォンタナ、ミショー、コーネルまで、国内作家では戦前期の前衛画家から戦後の美術家までに及んでいます。各作家とも1〜2点、多くても5点止まりですが、選りすぐりの作品が並んでいて、「さすがは東近美」との思いを抱かせます。解説の小冊子も瀧口修造の手づくり本のようなデザインで、ファンでなくても手にしたくなるでしょう(図6)。
図6 冊子図6 冊子

会期は6月19日(火)〜9月24日(月・祝)なので、ゴードン・マッタ=クラーク展を観に行かれたら、是非この小展示も忘れずにご覧になるようお勧めします。

2.連続ミニレクチャーについて
5回の連続ミニレクチャーは以下のようなテーマが設定されています。
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」
五夜を通じて講師を務められるのは戦前期の前衛美術の専門家として著名な大谷美術課長です。担当された企画展「地平線の夢」(2003年)は、昭和10年代の前衛絵画の展覧会として今なお記憶に新しいものです。近年は大著『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八−一九五三』(国書刊行会、2016年5月。図7)も著されています。その大谷課長がまさに満を持して企画されたのが、今回の連続ミニレクチャーです。
図7 『激動期のアヴァンギャルド』図7 『激動期のアヴァンギャルド


3.瀧口修造と物質
第一夜「瀧口修造と“物質”」(図8)は、昨年11月に大阪大学で開催されたシンポジウム「〈具体〉再考」(第2回)を振り返り、吉原治良瑛九、瀧口の3人の「もの、物質、物体、オブジェ」を比較することから始められました。瀧口については、まず「詩と実在」(1931年)の「ぼくは詩の運動はそれ自身、物質との反抗の現象であることに注意したい」の一節が紹介され、「超現実主造型論」(1936年9月)の「オブジェ」論にも触れながら、「精神と物質」との系譜が辿られました。北脇昇、鶴岡政男、河原温、荒川修作吉原治良白髪一雄、もの派、「人間と物質」展などの作品や言説もスライドで紹介されました。そして1930年代後半の瀧口の「物質」観を示すものとして、『近代藝術』(三笠書房、1938年。図9)冒頭のセザンヌ論の次の一節が採り上げられました。
図8 ミニレクチャー図8 ミニレクチャー

図9 『近代藝術』図9 『近代藝術』


「セザンヌの精神は決して平衡をもったものではなくて、その感覚はたえず物質―人間の把握する空間の媒材として―と闘っている」

すなわち、私たちは言葉によって、花・花瓶・テーブルクロス……等々、自分をとりまく世界=「物質」の一部を認識していますが、言葉によって名付けられないものは、意識からこぼれ落ちてしまいます。つまり、「物質」のうちかなりの部分が、認識できていないことになります。この意識の外にある部分になんとか触れたいという動機こそ、この時期の瀧口の考える人間と物質との関係の根底に横たわるものであると指摘されました。

意識の外にある部分に触れるためのメディアとして写真ほど好適なものはないとされ、配布資料(図10)に記載された瀧口修造の「写真と超現実主義」の次の一節が紹介されました。
図10 配布資料図10 配布資料

「シュルレアリスムの写真について書く前に、読者がひょっとして持たれるかもしれない誤解のひとつを解いておきたいと思う。というのは、写真とは文字どおり現実をうつすものであるから、写真の超現実主義というのは、故意に原画を歪曲したり、切り抜いたりすることで終始するものではないという考え方である。これはまた写真とはかならず現実をありのままに再現するものだというような素朴な誤謬にも相通ずるものである。/この意味で超現実主義とは必ずしも実在を破壊加工するものではない。日常現実のふかい襞のかげに潜んでいる美を見出すことであり、無意識のうちに飛び去る現象を現前にスナップすることである。一体、不思議な感動というものは、対象が、極度に非現実的であり、しかも同じほどに現実的であるという、一種の同時感ではないだろうか?」

続いてアジェ阿部芳文、大辻清司らの写真や論考がスライドも紹介され、瀧口が一貫して取り組んでいたのは、「人間の主観的な意識の外にあるものをどうやったら捉えることができるか」ということではなかったか、と締めくくられました。

30分という限られた時間のなかで、よくこれだけ深い内容を盛り込まれたもので、たいへん感銘を受けました。次回以降も必聴と思います。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
=======
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180423_takiguchi2014_II_29瀧口修造
《II-29》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.3cm
シートサイズ :19.4×13.2cm
※II-30と対


20180423_takiguchi2014_II_30瀧口修造
《II-30》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.5cm
シートサイズ :19.3×13.2cm
※II-29と対

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土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第3回

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

3.瀧口修造・阿部芳文『妖精の距離』

図1 妖精の距離図1 『妖精の距離』

奥付の記載事項

妖佑竜離
昭和12年10月10日 印刷 昭和12年10月15日發行
著 者  阿 部 芳 文
發行人  大 下 正 男
    東京市小石川區關口駒井町3
印刷人  菅 原 駒 吉
    東京市牛込区改代町23
發行所  春  鳥  會
    東京市小石川區關口駒井町3
定 價 \2.00

解題
本書は瀧口修造の「十二の詩」と阿部芳文の「十二の画」による詩画集です。縦30僉濂48僂梁臠修離吋鵐隼12葉と、その半分大(30僉24僉砲離吋鵐隼4葉が、綴じられずに、白厚紙の帙に包まれて収納されています。書影として有名な虫眼鏡の意匠(図1)は、この帙を撮影したものです。大判の紙は、12葉すべて中央で縦に二つ折りにされ、左頁には阿部のドローイングが(おそらくコロタイプで)印刷され、右頁には瀧口の詩が配されています。また、半分大の紙4葉は、献辞を記入する見返し(または遊び紙)、扉(図2)、目次、奥付に当てられています。

図2 扉図2 『妖精の距離』扉

奥付には上記のとおり「著者 阿部芳文」とあるだけで、瀧口の名は記されていませんが、久保貞次郎による私家版『スフィンクス』(1954年。図3)を別にすれば、『瀧口修造の詩的実験 1927〜1937』(思潮社、1967年)が刊行されるまで30年にわたって、瀧口唯一の詩集として知る人ぞ知る一冊でした。もともと100部しか刊行されず、海外向けの献呈や戦災による焼失なども考えると現存数はさらに少ないはずで、戦前の詩集や写真集のなかでも代表的な稀覯本として、今も珍重されています。20年ほど前に神田神保町の古書店で見かけた一冊は、美術評論家四宮潤一宛ての(ペン書き)献呈署名本でしたが、水を被った跡が明瞭に残っており、戦火を潜り抜けてきたことがありありと伝わってきました。

図3 スフィンクス図3 『スフィンクス』

本書の詩12篇は、もちろん前述の『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』(図4)に収録されていますが、同書のなかでは、「仙人掌兄弟」から「絶対への接吻」や「詩と実在」にいたる、1928年〜31年頃の作品の存在感が圧倒的で、それ以降の作品は、「妖精の距離」の12篇を含め、慎ましい抒情詩のように感じられます。その理由は、ひとつには、この時期の「七つの詩」「白の上の千一夜」「妖精の距離」などが、本来はイメージと組み合わされることが前提とされていたにもかかわらず、同書にはイメージが掲載されていないことにあるかもしれません。

図4 詩的実験図4 『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』と「添え書き」

例えば「七つの詩」は、ダリ、エルンスト、マグリット、ミロピカソマン・レイ、タンギ―の7人に各1篇ずつ捧げられた詩で、山中散生編『L’ÉCHANGE SURRÉALISTE』(超現実主義の交流。ボン書店、1936年。図5)に掲載されました。初出時にこれら7人の造形作品と組み合わされていたわけではありませんが、瀧口の詩が(具体的な作品とまではいえないにしても)7人の仕事を前提としているのは、言うまでもないでしょう。

図5 超現実主義の交流図5 『L’ÉCHANGE SURRÉALISTE』函(左)、赤版表紙(中)、青版表紙(右)

また「白の上の千一夜」は、実際に今井滋のデカルコマニーと組み合わされて発表された詩です。今井の証言によれば、今井が手掛けた130枚ほどから瀧口と二人で15枚を選び、1枚ごとに瀧口が1〜5行の(全体で1篇となるような)詩を書いて、1937年3月の新造型第5回展(東京府美術館)の展示壁面に、「同じ額縁の中でデカルコマニイと詩とを同時に発表した」とされています(「デカルコマニイと其の方法」「みづゑ」1937年5月。図6)。ちなみに、「みづゑ」同号には瀧口夫妻の作例が、見開きに並べて掲載されています(図7)。

図6 今井図6 今井滋「デカルコマニイと其の方法」

図7 瀧口夫妻図7 瀧口夫妻のデカルコマニー(左:綾子夫人、右:瀧口本人)

一般に、言葉とイメージとが組み合わされる場合、小説と挿絵のように、どちらか一方が主となり、他方がそれを補うというのが一般的と思われますが、瀧口が目指していたのは、イメージと言葉とが互いに触発し合いながら、全体としても統一感を持つようなあり方だったようで、早い時期から「超現実主義を通して、詩と絵画とが握手する」(「超現実主義絵画の方向について」、「詩法」1935年8月)と述べていたとおりです。その理想的な実例は、マン・レイとエリュアールの『ファシール』(1935年。図8)だったのかもしれません。「写真と超現実主義」(「フォトタイムス」1938年2月。図9)の図版に以下のようなキャプションを付けています(新字新仮名遣いに変更)。

「外国の詩集などでイリュミネ―ション(飾画)とよばれるものを憶い起す。ブレークなどは彼自身画家であったから詩の周囲に自分で銅版画を描いた。日本では詩画一致と呼ばれるが、こうした形式はとらなかった。マン・レイの写真とエリュアールの詩の文字とは全部グラビア版であるから融け合っている。写真もこうして詩画一致を形づくるのである。」

図8 ファシール図8 『ファシール』

図9 フォトタイムス図9 「フォトタイムス」(右下に『ファシール』の図版)

本書は阿部のドローイングと瀧口の詩によって「詩画一致」を実現した、記念碑的な詩画集といえるでしょう。具体的な制作過程は明らかではありませんが、「白の上の千一夜」同様、阿部のドローイングを見ながら瀧口が詩を書き下ろしたものと思われます。「みづゑ」1937年月11号に挟み込まれた刊行案内(図10)では、次のように述べています(新字新仮名遣いに変更)。

「私の内部には、永いあいだ、卵のように絶えず温められていた妙な思想があった。そう、それは全く思想というより、ほかに言いようのない、だが卵のようなものであった。ただ貝殻の中に小石が形づくられてしまったように、いま一冊の詩画集『妖精の距離』が、阿部芳文君とのあいだに作られたことはたのしい。すべて夢想というものは卵のように名状すべからざる形をしていたのである。かつては、花と鳥たちとが容易に結ばれたことを思い起すまでもない。今は詩はその余白を、絵画はその余白を、孤独なさらに巨大なブランクに曝している。
『妖精の距離』の第三の余白は読者のやさしい手の中に委ねられているばかりである。」

図10 刊行案内図10 『妖精の距離』刊行案内(「みづゑ」1937年11月号)

昨年(2017年)9月、神奈川県立近代美術館(葉山)で開催された企画展「1937−モダニズムの分岐点」(図11)では、本書と『ファシール』とが並べて展示されていました。この『妖精の距離』は山中散生宛ての瀧口・阿部両名の献呈署名本(ペン書き)で、「100部限定出版の内のNO14」でした。山中は刊行の数ヶ月前に「海外超現実主義作品展」(1939年5月)を共同で招来・開催した、いわば「盟友」といえるはずの人物ですから、もう少し番号が若くても良さそうな気もします。しかしシュルレアリスムやシュルレアリストたちに対する山中の関わり方・姿勢に、瀧口は若干の違和感を覚えていたようで、3年前の34年には以下の引用のように述べています。本書刊行の時点でも、この違和感は解消されていなかったのかもしれません。「NO14」という番号から、こうした微妙な間合いが読み取れるように思われます。

「この頃山中散生氏等のなされているシュルレアリスム紹介の仕事に対して、敬意を払いたいと思う。私は性来の無精から、氏等に対して度度例を失しているので、この誌上を通じて深く謝しておきたいと思う。ポール・エリュアール氏へのオマージュの出版や、ルイ・アラゴン氏の翻訳等の努力は注目されていい。
ただ、単なる交友的エシャンジュ[交流]に終わらしめず、このムーヴマンの正当な認識を植えつけることに、努力されたいと希望する。」「脱頁」(「詩法」第5号、紀伊國屋出版部、1934年12月。図12)

図11 会場写真図11 「1937−モダニズムの分岐点」展 会場写真(神奈川県立近代美術館 葉山)

図12 脱頁図12 「脱頁」

なお、本書の画を担当した阿部芳文(その後「展也」と名乗る)は、1913年生まれ、37年の刊行当時24歳で、2年後には美術文化協会の結成にも参加しました。戦後は同協会を脱退して数々の国際展に参加する一方、下落合のアトリエに集った福島秀子、漆原英子、草間彌生宮脇愛子、榎本和子など、錚々たる女流作家たちを指導しています。62年にはイタリアに渡り、71年に没するまでローマのアトリエで制作を続けました。瀧口の協力のもとに、1957年まで208回の企画展を開催したタケミヤ画廊の第1回展も、「阿部展也デッサン・油絵個人展」(1951年6月1日〜6月15日)だったことを付け加えておきます。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_III_14瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"-14"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:18.5×13.9cm
シートサイズ :18.5×13.9cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●本日23日(月)は休廊です。

石原輝雄「瀧口修造・宮脇愛子 ca.1960展報告」

石原輝雄のエッセイ「瀧口修造・宮脇愛子 ca.1960展報告」

『不思議な取っ手』


京都西陣、晴明神社近くの古いビルにあるART OFFICE OZASAで、6月2日から末日まで催された展覧会「瀧口修造 宮脇愛子 ca.1960」展は、作品と人との一期一会を物語る最高の場であった。しかし、場所は京都、昨今の積極的な広報とは別の次元で、ひっそりと画廊の扉は開かれていた。気づかないまま通り過ぎた人も多かったと思うが、なにげなく画廊の扉を押した人の幸せに祝福を贈りたい。このようにして宮脇さんの初期油彩を観ることは、もう出来ないとわたしは思っているので、展覧会を見逃された方々に展示の様子を捉えた写真をアップし、最高の場の一端を味わってもらいたいと願う(横道に逸れてしまうけど)。

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TM60-1ART OFFICE OZASA 京都市上京区堅門前町414 西陣産業会館207


TM60-2宮脇愛子『作品3-4-62』『作品3-3-62』など


 瀧口 修造と宮脇愛子のお二人は、ときの忘れもののブログにアクセスされる皆さんにとっては親しく、その業績と人柄、作品との対面には、多数の機会が用意されてきたと思う。しかし、「二人の名前を冠した展覧会は始めてではないか」と綿貫さんにうかがい、展覧会のタイトルに記された「ca.1960」の意味合いを改めて考えた。
 瀧口さんは、’58年の欧州旅行の後、「ジャーナリスティックな評論を書くことに障害を覚えはじめ」’60になると「スケッチブックに万年筆で文字でない線描を走らせ」10月に初個展を開催。’62年には「デカルコマニーに没頭する」ようになり、やがて、個人的に友人や知人に「言葉」や「個展への序文」、あるいは造形の仕事を贈る場合が増えていった。一方の宮脇さんは’59年に初個展を銀座の養清堂画廊で開催し「溶岩のようなマチエールの肌」で注目を集めた後、瀧口さんや阿部展也氏の勧めもあって単身イタリアに渡り、’61年にミラノのミニマ画廊で個展。’62年に帰国し東京画廊で国内二度目の個展を開くほど活躍。その折、作品を気に入ったパリの画商アンドレ・シェレールが「120号以上の大作ばかり15点ぐらいをまとめて」購入。彼と契約してパリに拠点を移し、「並列的なレリーフ状の油彩」を描いて同年10月パリで個展。マン・レイとの交流が深まったのは、この時期だと云う。そうした1960年頃の状況が、リアリティを持って会場を支配しているのだから、遅れてきた世代としては、嬉しいと云うか、不思議な感覚である。

TM60-3瀧口修造 デカルコマニー 5点、宮脇愛子『作品3-3-62』


TM60-4宮脇愛子『作品3-6-62』『作品6』'61 瀧口修造 バーントドローイング、デカルコマニー


TM60-5宮脇愛子『作品』'62


 どうして宮脇作品の前に立つと、重力に逆らう物質の意志を感じるのだろう。彼女の手から絞り出され空気を孕んで固まった大理石粉の皮膜が、実は思いの外にはかなく、今でもやっとの思いで形象を留めていると感じるのは、個人コレクションの中で静かに余生を送ってきたためだろうか。
 瀧口さんのデカルコマニーから、海の深みと閉ざされた光を感じるのは、どうしてだろう。目には見えない何者かが、人の手を借りて紙の表面に、涙の痕跡を残した。──そんな事があるのだろうか。これまでもお二人の造形を見てきたはずなのに、特に気高い色彩を感じるのは、どうしてだろう。疑問ばかりがわたしの中を巡っている。

 画廊であって画廊でなく、生活の痕跡をわずかばかり残す距離のもたせ方は、京都のスタイルと言って良いかと思う。画廊主は黒いパンツとシャツが似合う人、宮脇さんもそうした服装を好む人だった。瀧口さんは煙の影に隠れて、ウフフと笑っておられるように思う。昨日が瀧口さんの命日にあたるので、特にこんな連想をしてしまった。四人で談笑しているような、気分なのである。

TM60-6画集『フォンタナ』、後方に掲載作品『無題』'64


TM60-7宮脇愛子 個展ポスターなど


TM60-8ミニマ画廊カタログなど


 東京で宮脇作品に魅せられ、パリに持ち帰ったシェレールは、没年から推測すると宮脇さんより1歳若く当時32歳。今回ART OFFICE OZASAで展示されている宮脇さんの油彩4作品は、氏との契約のもとパリ、モンパルナスのアトリエで制作された作品と思われ、シェレールの手許に長く置かれていた。近年、同氏のアフリカやアメリカの原始美術コレクションと共に市場に現れ、縁あって京都に招来された。そして、展覧会の後も京都に留まってくれれば(美術館などで)、地元民として幸せこの上ないのだが、全作品が展覧会の開催と同時に売約済となり、新しい所有者のところに移動してしまうと云う。ですから、ここには戻らないのです(涙)。

 わたしは作品と人との物語に興味を持つ、そのための資料が沢山用意されているこの展覧会は、居心地が良く、宮脇さんのアトリエ、あるいは、瀧口さんの書斎にお邪魔している感覚。この幸せを解説したくなった。例えば、みすず書房が’64年に刊行した現代美術シリーズ第25巻『フォンタナ』のテキストで、瀧口さんが「フォンタナという作家ほど近づきやすく、また誤解されやすい作家もめずらしいのではないか、私はいろんな機会にそう感じる。」と書いた冒頭を飾る対向頁の図版に用いられたフォンタナの作品(’64年)が、瀧口作品(’62年、宮脇旧蔵)の横に掛けられている。その手前のテーブルの上には、名古屋のギャラリー高木で行われた宮脇さんの個展(‘80年)の折に磯崎新氏がデザインしたポスターが置かれている。これにはマン・レイが撮影した彼女の肖像写真が使われていて、その経緯などを知っているものだから、懐かしさが一杯。そして、語り部の第一人者となるのは、ミニマ画廊での個展カタログ。手に取り彼女の初期油彩を背景に写真を撮った。書体と色合い、そして、紙の手触り。ミラノの石造りの建物に差し込んでいた光が、彼女の絵肌に留められたまま、京都までやってきた感覚。考えてみれば、油彩の表面は大理石扮なのだから、親和性があるのは当然なのだ、眼の解釈は正直である。

TM60-9中村美奈子 文鎮、瀧口修造 立体


TM60-10市田文子 半革装『瀧口修造の詩的実験 1927-1937』他


 展示台には、造本作家グループLes fragments de Mの皆さん(羽田野麻吏、市田文子、平まどか、中村美奈子)による瀧口修造へのオマージュ本が飾られている。作品保護のためにわたしの場合は、白手袋越しでしか楽しめないが、革製本の国の知性に対して、湿潤な国の用紙達の苦しみを体験してこられた瀧口さんが、どんな感想を持たれたのか尋ねてみたい。見ると彼女たちと共演するようにアクリルケースの中に、デカルコマニーを用いた四角錐台(’70)が置かれている。裏面の穴から覗くと言葉が認められる。なんて書いてあるのだろう。瀧口さんが贈ったオブジェに、「書物は姿を変えていく」と書物好きのわたしは思ってしまうのだった。

TM60-11手前に造本作家グループの装幀本、後方に瀧口修造、宮脇愛子


TM60-12岡崎和郎、瀧口修造、ルーチョ・フォンタナなど

 
 天井高4メートルと云う広い空間の、光に包まれた窓側の椅子に座って、会場を見渡している。視線の先に掛けられた作品たちとは、離れているから図像を見ているというのではなくて、存在を感じているといった感覚。並んで掛けられた斎藤義重、阿部展也両氏の小品などは、宮脇さんへのアドバイスの時期に関わるものなので、会話の余韻が立ち現れ、「ca.1960」へと続く彼女の新しい人生の扉であったように思う。57年の後、その取っ手をゆるやかに回すのは、だれだろう。開けることと閉めることが同時に行われる人生の扉。作品もそうした扉の一形態であるのは間違いない。ここからでは見えないが、対向壁には岡崎和郎さんによる一対の「HISASHI」が、題名そのままに「鳥のように」飛翔しているはずだから、心憎い演出である。柱の影に誰か居るのかしら……

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TM60-13


 京都の梅雨開けは、「夕立三日」前祭の巡行が終わる頃だと云う。展覧会は終わってしまったが、幸せな記憶が残された。京都に住まいを移し画廊での仕事を始めた女性の、素直な指の先にも不思議な取っ手があることを、教えてあげたい。これは、蛇足だろうな。

(いしはらてるお)
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●「橄欖」第4号が
瀧口 修造(1903年(明治36年)12月7日 - 1979年(昭和54年)7月1日)の命日に刊行されました。
20180619173457_00001瀧口修造研究会 発行
2018年7月1日
22.5x15.0cm 211P
執筆者は掲載順に、霧山深、岩崎美弥子、山腰亮介、永井敦子、朝木由香、島敦彦、嶋田美子、藤澤顕子、石原輝雄、野海青児、宮井徹、山口馨、三谷風子、高島夏代、尾山景子、高橋修宏、伊勢功治、土渕信彦

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『橄欖』はときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。
頒価:1,500円、送料250円

●今日のお勧め作品は、瀧口 修造です。
takiguchi2014_II_18-18
デカルコマニー
イメージサイズ:15.7×9.0cm
シートサイズ :19.3×13.1cm 
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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京都ozasaで「瀧口修造・宮脇愛子 ca.1960」開催中

先日大盛況のうちに終了した松本竣介展の最終日6月2日、お客様には申し訳なかったのですが、亭主は社長のお供で京都に行ってまいりました。
ART OFFICE OZASAで始まった「瀧口修造 宮脇愛子 ca.1960」展の初日だったからです。
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「瀧口修造 宮脇愛子 ca.1960」
会期:2018年6月2日[土]〜6月30日[土]
会場:京都・ART OFFICE OZASA
   京都市上京区竪門前町414 西陣産業会館207(西陣織会館 西館)
時間:11:00〜18:00 *日・月・祝日休廊
●展示風景(画像提供:ART OFFICE OZASA)
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●6月2日(土)初日の様子
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奥の壁に瀧口修造のドローイング、右は宮脇愛子作品

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さりげなく瀧口修造(左)とフォンタナ(右)

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岡崎和郎

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CIMG8989 Les fragments de M(frgm)の皆さんが瀧口修造の著書をそれぞれ造本しました。瀧口先生へのオマージュ作品です。

CIMG8984羽田野麻吏制作造本
マン・レイの素描
ポール・エリュアールの挿詩
瀧口修造訳
『自由な手・抄』
1973年 ジイ・キュウ出版 刊
149×126×10mm


CIMG8985羽田野麻吏制作造本
瀧口修造/篠原佳尾
『小球子譚』
1975年 西村画廊 刊
87×87×18mm


CIMG8986左)平まどか制作造本
瀧口修造『三夢三話』
1980年 書肆山田 刊
229x178x11mm
右)市田文子制作造本
瀧口修造
『瀧口修造の詩的実験・1927-1937』
1967年 思潮社 刊
254×193 ×33mm


CIMG8987市田文子制作造本
滝口修造『余白に書く』
1966年 みすず書房 刊
239×94×18mm


CIMG8993会場の机の上には、frgm 中村美奈子制作の文鎮と資料類


CIMG8996左から土渕信彦さん、画家の林哲夫さん、亭主

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CIMG8999ギャラリーオーナー小笹さんご自慢の照明器具と椅子。

CIMG9000左から清家克久さん、小笹義朋さん、亭主

CIMG9001手前は歩いて5分のところに住む野口琢郎さん、9月のときの忘れものの個展のために新作に没頭している最中でしたが、かけつけてくれました。

CIMG9002名作椅子に座りゴキゲンなのは京都の写真家・森岡誠さん

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CIMG9005左から2番目は夜野悠さん

とても広い画廊です。
お親しかったにもかかわらず、瀧口先生と宮脇先生の二人展は今回が初めてでした。
歴史的なといってもいいと思います。
画廊は展示がすべて!」と言い切る小笹さんのセンスあふれた素晴らしい展覧会です。
会期は6月末まで、関西の皆さんはもちろん、京都旅行にお出かけの皆さん、ぜひご覧ください。
これだけの秀作が揃った展示は二度とできないかも知れません。
場所はちょっと(というかかなり)わかりづらいです。亭主は何度行っても迷う。西陣織会館はタクシーに乗れば直ぐ連れてってくれますが、そこからがタイヘン。くれぐれも電話で入り口を確認してお出かけください。

小笹さんが数年がかりで準備された展覧会、プレスリリースにも力が入っています。
以下、原文のまま引用します。
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この度、ART OFFICE OZASAでは「瀧口修造 宮脇愛子 ca.1960」展を開催いたします。
戦前・戦後を通してあらゆる表現分野の多くの作家と交流した詩人で美術評論家の瀧口修造(1903-1979)。
シュール・レアリスム芸術を基軸に、日本における前衛芸術の精神的・理論的支柱として活発な評論活動を展開します。
読売アンデパンダン(1951)、実験工房(1951)、タケミヤ画廊での企画など常に現代美術に刺激を与え続けましたが、1960年以降、国際展の審査、新聞や雑誌など職業的に書くことに矛盾を感じ、1963年にはそれらいっさいをやめます。
その一方で1960年以降、南天子画廊での初個展(1960)をはじめ、数多くのデッサンやデカルコマニー、バーントドローイングなどの造形作品を残しており、これらは近年、瀧口独自の表現として益々注目されています。
宮脇愛子(1921-2014)もまた瀧口と親密に交遊した作家でした。1953年、義理の姉であった神谷伸子を通じて阿部展也斎藤義重に師事します。養清堂画廊での初個展(1958)ののち、瀧口の勧めでイタリアミラノへ移り住み、フォンタナ、カステラーニ、マンゾーニ、そしてパリのマンレイなど多くの作家と交流し、本格的に作家活動を始めます。
一時帰国した1962年1月には東京画廊で個展を開催し、その時に出会ったパリの画商アンドレ・シェレールと契約し、1年間パリに滞在し作品制作をします。そして同年10月には、アンドレ・シェレール画廊にて個展を開催し、これを契機にニューヨーク、ワルシャワを始め世界各地の主要な美術館での発表が始まります。
ほぼ時を同じくして鬼籍に入った宮脇愛子(2014年没)とアンドレ・シェレール(2015年没)。
この度、ART OFFICE OZASA は、アンドレ・シェレールのプライヴェートコレクションからパリ・モンパルナスのアトリエで制作された宮脇愛子の初期の重要な作品の里帰りを実現することができました。
これを機会に初公開作品を含め1958年〜1962年の宮脇愛子作品6点、瀧口修造の1960年以降の未発表作品10点を併せて展示いたします。またプライヴェートコレクションから宮脇愛子旧蔵の瀧口修造作品4点も併せて展示いたします。
具体美術、もの派をはじめ、世界から熱い視線を集める戦後日本美術。その中でも1960年代の草間彌生田中敦子をはじめとする女性陣の活躍は一層際立った輝きを放っています。宮脇愛子もまた1967年にはグッゲンハイム美術館に作品買上となり、世界各所の美術館に収蔵されれています。しかし、まだまだ十分な評価がされているとは言い難く、本展示が再評価の一端となることを願っております。
今日まで目にする機会の少なかった宮脇愛子の1960年初頭、パリでの制作をご覧いただける貴重な機会となります。
また造本作家グループ<Les fragments de M>による、瀧口修造のルリユール(工芸としても製本)作品もあわせてご覧いただけます。
ぜひご高覧賜りますよう、よろしくお願い申しあげます。

【主な展示作品】
瀧口修造

・1960年以降の未発表作品を中心に10点     
・宮脇愛子旧蔵のプライヴェートコレクションから4点
・「デカルコマニー」「バーントドローイング」「水彩」など
    
宮脇愛子
・「作品8」1958-59年
・「作品」1961年
・「作品」1962年 *アンドレ・シェレール・コレクション
・「作品3-3-62」1962年 *アンドレ・シェレール・コレクション
・「作品3-5-62」1962年 *アンドレ・シェレール・コレクション
・「作品3-6-62」1962年 *アンドレ・シェレール・コレクション
・資料展示のみ「作品1」1961年 *アンドレ・シェレール・コレクション

【ルリユール展示】
造本作家グループLes fragments de M 
・瀧口修造関連書籍「自由な手・抄」「小球子譚」「瀧口修造の詩的実験・1927-1937」「余白に書く」「三夢三話」など

【参考展示作品】
・阿部展也「アブデルワラ寺院」ca.1953
・ルーチョ・フォンタナ「無題」1964

【協力】
土渕信彦
・ときの忘れもの
・松田昭一(宮脇愛子アトリエ)

【宮脇愛子 略歴】
1929年 東京に生まれる
1952年 日本女子大学文学部史学科卒業
1953年 阿部展也、斎藤義重に師事する
1957年 サンタモニカ・シティ・カレッジおよびカリフォルニア大学・ロサンゼルス校に学ぶ
1959年 ミラノ、パリ、ニューヨークに滞在
1966年 帰国
1967年 《Work》でグッゲンハイム国際彫刻展・買上げ賞受賞
1977年 第7回現代日本彫刻展で《MEGU-1977》が北九州市立美術館賞を受賞
1981年 第2回ヘンリー・ムア大賞展(彫刻の森美術館)で《UTSUROHI》が エミリオ・グレコ特別優秀賞を受賞
1982年 第8回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で《UTSUROHI》が第1回土方定一賞を受賞
1986年 第2回東京野外現代彫刻展(都立砧公園)で《UTSUROHI》が東京都知事賞を受賞
1992年 モンジュイック・オリンピック広場(バルセロナ)への《UTSUROHI》設置により、カタルーニャ芸術評論家賞を受賞
2000年 第7回日本藝術振興賞受賞
2003年 フランス政府より芸術文化勲章・オフィシエを受賞
2014年 膵臓癌のため84歳で死去

主なコレクション
日本:東京国立近代美術館、東京都現代美術館、国立国際美術館、神奈川県立近代美術館、宮城県美術館、原美術館、静岡県立美術館、芸術の森美術館、群馬県立美術館、奈義町現代美術館
フランス:ピエール・ブーレーズのための音楽広場(リヨン)、ラ・デファンス(パリ)
イタリア:ファットレア・チェレポーランド ウッジ美術館、クラコウ・マンガセンター日本庭園
スペイン:モンジュイック・オリンピック広場(バルセロナ)、ミロ美術館
アメリカ:グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)、チェイス・マンハッタン銀行(ニューヨーク)、プラザタワー広場(コスタ・メッサ)
ベルギー:ヴェランヌマン財団
カタール:アル・ワプラ・ファーム(ドーハ)
ドイツ:鉄鋼労働組合ビル(フランクフルト)
台湾:花蓮空港、南港駅(台北)

【瀧口修造 略歴】
1903年 富山県に生まれる。
1923年 慶應義塾大学予科に入学。
1926年 富永太郎・堀辰雄らの同人誌「山繭」に参加。西脇順三郎教授の教えを受ける。
1928年 シュルレアリスム機関誌「衣裳の太陽」創刊。
1931年 慶應義塾大学英文科卒業。
1938年 「近代芸術」を出版し、1941年前衛芸術弾圧により検挙され約8か月拘留される。
1947年 「日本アヴァンギャルド美術家クラブ」結成に参加。
1951年 「タケミヤ画廊」企画に無報酬で参画。「実験工房」発足。
1953年 国際アートクラブ結成に参画。
1958年 ヴェネチア・ビエンナーレの日本代表及び審査員として渡欧。
1959年 美術評論家連盟会長に就任(1962年まで)
1960年 初個展「私の画帖から」(南天子画廊)
1967年 『詩的実験1927-1939』刊行。
1969年 詩画集『手づくり諺』ミロと共作。
1973年 フィラデルフィア美術館デュシャン大回顧展に出席。
1979年 肺水腫のため76歳で死去

【アンドレ・シェレール Andre Schoeller】
パリ、サンジェルマンデプレのアートマーケット、オークションハウスDrouotで数々の大きな売上を記録した伝説的な人物。
プリミティヴアート、近代美術、戦後の現代美術、特に抽象的な芸術を専門とするギャラリスト、アートディーラー。プロヴァンスの邸宅で86歳で2015年12月1日に死去。

【造本作家グループ Les fragments de M(略称frgm)】
frgm は2011年10月、三人の製本家と一人の箔押し師が集まり、ルリユールをもっと多くの方々に知って頂き、より身近なものとして慈しんでもらうことを願い、活動を始めまる。メンバーは羽田野麻吏平まどか中村美奈子市田文子(2017 年退会)。
「ルリユール」とはフランス語で「製本」を意味し、書店で売られているいわゆる機械製本も含める語ではありますが、一方で工芸としての製本を強く想起する言葉として、フランス語圏の国々では使われています。
工芸としての製本とは、読書家・愛書家が自らの蔵書を製本家に依頼して、世界に一つの作品に仕立て直し、(具体的には山羊革や仔牛革などを表装材に用い、その上に革や他の素材による)装飾を施していきます。
ART OFFICE OZASAプレスリリースより転載)
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残り会期はあと僅かですが、京都はじめ関西圏のみな様、ぜひお運びください。

◆銀座で関根伸夫展が開催中です。
会場:銀座・ギャラリーせいほう
会期:2018年6月18日[月]―6月29日[金] ※日曜休廊
関根伸夫先生はこの展覧会のためにロサンゼルスから帰国されました。
関根伸夫展_Gせいほう_案内状

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銀座ギャラリーせいほう外観(撮影:佐藤毅)
*関根伸夫の新作絵画「空相ー皮膚 Phase of nothingness-skin」のためのノートをお読みください(6月20日ブログ)。
オープニングの様子は6月22日のブログに掲載しました。
180618関根伸夫_gせいほう_10_TS
左から《Phase of Nothingness - Skin14》《Phase of Nothingness - Skin3》《Phase of Nothingness - Skin15》(撮影:佐藤毅)

180618関根伸夫_gせいほう_11_TS(撮影:佐藤毅)


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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