瀧口修造の世界

10月2日はデュシャンの命日

台風24号は強風と大雨で各地に大きな被害をもたらしました。
幸い駒込の私たちの画廊は無事でしたが、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

それにしても台風に振り回され、あたふたした数日間でした。
9月29日は野口琢郎展の最終日でしたが、留守を作家とスタッフに任せ、京都のロームシアター(旧京都会館、1960年前川國男設計で竣工、その後2016年に 香山壽夫建築研究所設計により改修、一部は改築して2016年に新装オープン)で開催された現代芸術の会主催(代表理事:浅井栄一)の一柳慧先生のコンサートに社長と二人で駆けつけました。一柳先生の新曲「ヴァリエーション」は、原田節さんのオンド・マルトノと一柳先生のピアノによる世界初演で、そこに立ち会えたことは生涯の思い出になります。
休憩時間のロビーでは思わぬ人たちにお目にかかりました。それも京都の人たちばかりでなく、遠く四国の方や、神戸、大阪、東京の方々など、つくづく演奏会というのは「サロン」だなあと思った次第です。
そしてtsutayaの入り口に設置されている野口琢郎さんの大作を拝見できたことも収穫でした。箔画による洛中洛外図ともいうべき力作です。

当初はのんびり酒でも飲んで翌日は京都の画廊さんめぐりを、などと考えていたのですが、台風24号の襲来でそれどころではなく、主催者の浅井さん、一柳先生にご挨拶して早々にホテルに入り、翌朝早い便で帰京致しました。

さて、本日10月2日は、マルセル・デュシャン(1887年7月28日ー1968年10月2日)の命日です。

昨2017年はデュシャンの生誕130年の記念すべき年であり、また現代美術史最大の事件となった既製の便器にR・MUTTとサインしただけの〈泉〉を発表してから(ただし実物は現存せず)、ちょうど100年にあたりました。
京都国立近代美術館ではなんと一年間にわたりその<泉>について考察する試みが開催されました(後述)。
京都に続き、今度は東京。
それが竹橋の東近美でもなく、六本木の国立新美術館でもない、上野のトーハクでデュシャン展が開催されると聞いて正直驚きました。

昨10月1日の「マルセル・デュシャンと日本美術」のオープニングには、デュシャンのコレクターとして著名な笠原正明さん、マン・レイイストの石原輝雄さん、瀧口修造研究の土渕信彦さんの東西コレクターの三人衆がそろい踏み、社長と亭主もその後についてトーハク平成館に向かい、なぜか京都の綺麗な舞妓さんが並ぶ開会式に出かけてまいりました。

そしてすでに話題のようですが色んな意味で期待の高まる「マルセル・デュシャンと日本美術」展公式の広報らしきこの記事がとても残念。というか有害ではないかと思います。
(20180926/成相 肇さんのfacebookより)

これ、そもそも展覧会自体が不愉快だから、スルーしたかったけど、やっぱり言っておく。この展覧会の東博側のキュレーション責任者と思しき、松嶋雅人氏って、デュシャンについても、日本美術についても、両方ともナメてる、あるいは観者対してもバカにしているとしか思えないんだけど。この広報マンガによると、デュシャンに代表させているところの「現代美術」とは、コンテクストを読むものらしいのだが、それと近代以前の日本美術を、レディメイドやらオリジナリティやら複製やらの概念と結び付けていること自体が、それこそ「コンテクストが異なる」のだけど、その点についての納得のいく釈明は、展覧会の解説なり展覧会カタログなりで行われるのであろうか。(多分行われない)
(20180930/土屋誠一さんのfacebookより)

上記のごとく、始まる前から、ネットでは議論が沸騰していました。
実際に拝見した感想は、さすがフィラデルフィア、ごくごく真っ当なデュシャン展で、いまさらながら凄い作家だなあと感銘を受けました。
しかし成相肇さんの指摘したとおり、マンガ風の広報記事はまったくひどいもので、フィラデルフィア美術館の優れたコレクションをおちょくっているのかと思うほどです。
例の「泉」(もちろんレプリカ)も多数の出品作品の中でごく自然な感じで展示されています。
むしろ、最後のコーナーの<日本美術>はわけのわからん展示内容で、まったく意味不明、余計でした。

全152点のデュシャン作品の中で唯一日本からの出品は「大ガラス」の東京バージョン(1980年、東京大学教養学部美術博物館所蔵)ですが、その完成に尽力された瀧口修造先生、東野芳明先生、横山正先生の功績を伝えていくことも私たちの務めだと痛感しました。

亭主は1981年の西武美術館の「マルセル・デュシャン展」は見逃しました。ですので初期油彩から始まる今回のデュシャンの作品はほとんどが初めて見るものばかりで、ガツンとやられました。
これはあと二、三回は行かねばなりませんね。必見の展覧会です。

下に掲載するのは評判の悪いチラシ、これじゃあ行く気にもならないのじゃあないかしら。
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東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展
マルセル・デュシャンと日本美術

会期:2018年10月2日(火)〜12月9日(日)
会場:東京国立博物館(上野公園) 平成館 特別展示室 第1室・第2室

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京都国立近代美術館「キュレトリアル・スタディズ12:泉/Fountain 1917−2017
会期:2017年4月19日[水]〜2018年3月11日[日]
会場:京都国立近代美術館
前述の通り、京都国立近代美術館では昨年から今年にかけて一年間にわたりデュシャンの<泉>を検証(顕彰?)する試みが開催されました。
現代の美術家によるデュシャン解読の作例を加え、各回展示替えをしながら本作品の再制作版(1964)を1年間展示するとともに、さまざまなゲストを迎えて《泉》およびデュシャンをめぐるレクチャーシリーズを開催

京都の展示とレクチャーシリーズに関しては、マン・レイになってしまった人・石原輝雄さんが詳細なレポート「マルセル、きみは寂しそうだ。」をこのブログに連載してくださいました。
第1回(2017年6月9日)『「271」って何んなのよ』

第2回(2017年7月18日)『鏡の前のリチャード』

第3回(2017年9月21日)『ベアトリスの手紙』

第4回(2017年11月22日)『読むと赤い。』

第5回(2018年2月11日)『精子たちの道連れ』
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今回のトーハクの展示に関しては、ブログ執筆の常連、石原輝雄さんと土渕信彦さんたちの観戦記をぜひ期待したいものです。

マルセル・デュシャンと親交を結び、自ら『マルセル・デュシャン語録』(瀧口修造、マルセル・デュシャン、荒川修作、ジャスパー・ジョーンズ、ジャン・ティンゲリーのマルチプル作品を挿入)を編集刊行したのが瀧口修造でした。
念のため申し上げておきますが、今回のデュシャン展にはこの『マルセル・デュシャン語録』は出品されていません。
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瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI『マルセル・デュシャン語録』
A版(限定50部)
1968年   本、版画とマルティプル
外箱サイズ:36.7×29.8×5.0cm
本サイズ:33.1×26.0cm
各作家のサインあり
発行:東京ローズ・セラヴィ
刊行日:1968年7月28日
販売:南画廊
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外箱もコンディション良好。緑も色あせることなく鮮やかです。

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表紙


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荒川修作 《静物》サイン入り


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マルセル・デュシャン「プロフィールの自画像」複製

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ジャン・ティンゲリー《コラージュ・デッサン》サイン入り


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ジャスパー・ジョーンズ《夏の批評家》サイン入り


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《ウィルソン・リンカーン・システムによるローズ・セラヴィ》マルセル・デュシャンのサイン入り
マン・レイ撮影のデュシャンの若い頃の横顔(プロフィール)の写真にチェンジ・ピクチャ―の「ウィルソン・リンカーン・システム」によってRrose Sélavyのサインを組み合わせた作品。

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瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI『マルセル・デュシャン語録』A版(限定50部)
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

瀧口修造は、現代美術の先駆者であるマルセル・デュシャンに対して、1930年代から深い関心を寄せ、たびたび論じてきましたが、1958年の欧州旅行でダリ宅を訪れた際にデュシャン本人を紹介され、以降は互いに著書を献呈するなど、直接の交流が生まれました。帰国後1960年代に入るとデュシャンに対する瀧口の傾倒はさらに深まり、その頃に構想した架空の「オブジェの店」についてもデュシャンに命名を依頼し、若き日の有名な変名「ローズ・セラヴィ」を贈られました。その返礼として瀧口が製作し、1968年に刊行したのが『マルセル・デュシャン語録』です。
デュシャンのメモや言葉の遊びを自ら編集・翻訳したもので、デュシャンだけでなく、ジャスパー・ジョーンズ、ジャン・ティンゲリー、荒川修作ら協力者たちの作品(マルチプルないし複製)も付属しています。
その後もデュシャンに対する瀧口の関心は継続し、手作り本『扉に鳥影』(1973年)や岡崎和郎との共作のマルチプル『檢眼圖』(1977年)、デュシャンについてのメモを収めた「シガー・ボックス」なども制作しています。
デュシャンを巡る考察は、後半生の瀧口の最も重要な課題のひとつであり、最も多くの時間が充てられていた、といっても過言ではないでしょう。
>(土渕信彦

詳しくは、土渕信彦さんのエッセイをお読みください。

11.『マルセル・デュシャン語録』(その1)20150713

12.『マルセル・デュシャン語録』(その2)20150813

13.『マルセル・デュシャン語録』(その3)20150913

●今日のお勧めは中村美奈子さんが瀧口修造にオマージュした文鎮です。
中村美奈子 文鎮こげ茶、赤、緑、オレンジの4色あります。
一個:大5,500円 小5,000円(税別)
二個組:10,000円(税別)
三個組:14,000円(税別)
紙ケース付、送料は一律500円(何個でも)。

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●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料250円


ときの忘れものは倉俣史朗 小展示を開催します。
会期:2018年10月9日[火]―10月31日[水]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
倉俣史朗(1934-1991)の 美意識に貫かれた代表作「Cabinet de Curiosite(カビネ・ド・キュリオジテ)」はじめ立体、版画、オブジェ、ポスター他を展示。 同時代に倉俣と協働した磯崎新安藤忠雄のドローイングも合わせて ご覧いただきます。
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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第3夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第3夜レポート

土渕信彦


第3夜「瀧口修造と瀧口綾子」(8月24日)のレポート

続いて第3夜をレポートします。大谷さんは早くから画家としての瀧口綾子に注目し、作品図版の発掘・収集に努めて来られたそうで、「25年かけて発掘した図版を今夜はすべてご覧にいれます」とレクチャーが始められました。さっそく瀧口綾子の略歴と作品図版が、配布資料にそって紹介されました(図10、11)。この配布資料はA4一枚に現在判明している鈴木(瀧口)綾子についての基本情報が網羅された、大変貴重なものです。今回のレポートはその再録ないし転載のようなものですが、といっても配布資料そのままではなく、内容の変更や省略も若干あることを、お断りしておきます。

図10 第3夜レクチャー風景図10 第3夜 レクチャー風景

図11 第3夜配布資料図11 第3夜 配布資料


1.略歴
1911年9月20日、山形県米沢市に生まれる(岡本太郎と同年生まれ)。
父・鈴木寛也は商工省の官吏(染色関係の技官)。9人兄弟姉妹の長女。父方の祖父は南画家の鈴木蘭崖、叔父(父の弟)は俳優の伴淳三郎、母キクの妹は日本画科の吉池青園女。熊谷高等女学校卒。その後、東京杉並に住む。
1932年から独立美術協会の展覧会に作品を出品(詳細は下記参照)。
1934年3月、仲間たちと「独立不出品同盟」を組織。4月、「新造型美術協会」を結成に加わる。以降、同協会の展覧会を中心に作品を出品(詳細は下記参照)。
1935年9月、雑誌「セルパン」(図12)の瀧口修造訳アポリネール「暗殺された詩人」の挿図を担当(図13)。同年12月14日、瀧口修造と結婚。

図12 セルパン図12 雑誌「セルパン」1935年9月号

図13 アポリネール「暗殺された詩人」図13 瀧口修造訳「暗殺された詩人」と鈴木綾子のカット


1939年5月、「美術文化協会」の結成に参加。
1941年4月5日、瀧口修造が治安維持法違反の嫌疑で検挙される(11月釈放)。その後、美術文化協会を退会か。
1945年5月25日、空襲により自宅と作品を焼失。父の赴任先金沢で終戦を迎える。
1972年、瀧口修造訳アポリネール『暗殺された詩人』刊行(湯川書房の叢書「融ける魚」の1冊)。綾子のカットも再録されている。
1979年7月1日、瀧口修造逝去。同年9月、雑誌「みすず」(瀧口修造追悼。図14)に「終焉の記」を寄稿(図15)。
1998年8月15日逝去。

図14 みすず図14 「みすず」233号(瀧口修造追悼。1979年9-10月号)

図15 瀧口綾子「終焉の記」図15 瀧口綾子「終焉の記」


2.主な出品歴など
以下、作品の図版が年代順に紹介されました。
1932年3月、第2回独立展で「静物」が初入選(鈴木阿耶子名義)
1933年3月、第3回独立展で「風景」が入選(同上)
1934年3月、第4回独立展で「羊歯たち」が入選(福沢一郎に絶賛される)。
1935年1月、第1回新造型展に10点ほど出品。以降、1937年に同協会が(第6回展に当たる名古屋展を最後に)活動を休止するまで、毎回出品。特に37年3月の第5回展には作品2点、フォトデッサン6点、瀧口修造と共作のデカルコマニー8点を出品。
1937年10月より雑誌「蝋人形」にカットを寄稿。
1938年1月、パリの国際シュルレアリスム展の際に刊行された『シュルレアリスム簡約辞典』(図16)に「風景」(図17)が掲載される。
1940年4月、第1回美術文化展に2点出品
1941年12月、美術文化第2回小品展に1点出品。
出品作品だけでなく、雑誌に提供した数多いカットの図版も紹介されました。戦後は制作をしていないようです。

図16 シュルレアリスム簡約辞典図16 『シュルレアリスム簡約辞典』(1938年1月)

図17 鈴木綾子「風景」(右上)図17 鈴木綾子「風景」(右上)


3.まとめ
最後に「瀧口綾子は1930年代に期待の若手画家として活躍していたが、戦争で作品が失われた。再評価すべき」とまとめられ、「現存作品をご存じの方はご連絡ください。また他にも当時の雑誌の挿絵やデザインの仕事があるはずです。情報提供をお願いします」という呼び掛けで、この夜のレクチャーは終了しました。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
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●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_II_08瀧口修造
"-8"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:11.0×8.5cm
シートサイズ :13.7×9.8cm
※-7(sold)と対

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


ときの忘れものは第303回企画◆野口琢郎展 を開催しています。
会期:2018年9月20日[木]―9月29日[土] 11:00-19:00 会期中無休
展覧会カタログを刊行しました(テキスト:金沢21世紀美術館館長・島敦彦さん)。
作家は会期中毎日在廊しています
野口展


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第2夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第2夜レポート

土渕信彦

(*土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は今月と来月は休載します。再開は11月から)

東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の、第2夜(8月10日)と第3夜(8月24日)を聴講してきました。第2夜のテーマは「瀧口修造とデカルコマニー」、第3夜は「瀧口修造と瀧口綾子」で、講師は第1夜に続き同館の大谷美術課長です。以下にレポートします。

第2夜「瀧口修造とデカルコマニー」のレポート

1.デカルコマニーとは
第2夜のレクチャーは、まず「デカルコマニーとは何か」ということから始められました(図1)。

図1 第2夜レクチャー風景図1 第2夜 レクチャー風景


デカルコマニーは、絵具(インク)を塗った紙に、別の紙を圧着することによって図像を作り出す手法で、シュルレアリスム運動に参加していたオスカー・ドミンゲスが1935年頃に始めたとされていますが、フランスではそれ以前から試みられていたことが指摘され、その例として、1993年にカナリア諸島の大西洋近代芸術センターで開催された「インクの夢」展のカタログ(図2)から、女流作家ジョルジュ・サンドが1860年頃に試みたデカルコマニー(図3)などが紹介されました。

図2 インクの夢展カタログ図2 「インクの夢」展カタログ表紙

図3 ジョルジュ・サンドのデカルコマニー図3 同カタログ(ジョルジュ・サンドのデカルコマニーの頁)


この手法に改めて注目したのが、ドミンゲスをはじめとするシュルレアリスト達だったわけで、同じカタログからドミンゲス、アンドレ・ブルトン、ジャックリーヌ・ブルトン、マルセル・ジャン、ジョルジュ・ユニエらのデカルコマニーも紹介されました。

2.「対象の予想されないデカルコマニー」
続いてブルトンの「対象の予想されないデカルコマニー」が紹介されました(図4)。デカルコマニーの原理を説いた有名な論考で、「ミノトール」誌第8号(1936年)に掲載されました。これを日本に紹介したのが瀧口修造で、雑誌「阿々土」第15号(1936年12月)に訳出しています(図5)。

図4 ブルトン「対象の予想されないデカルコマニー」図4 アンドレ・ブルトン「対象の予想されないデカルコマニー」

図5 瀧口訳「対象の予想されないデカルコマニー」図5 同上(瀧口修造訳)


3.「新造型美術協会」
当時、日本でもシュルレアリスムに関心を示す造形グループが存在しました。「新造型美術協会」で、瀧口修造はその機関誌に寄稿するなど、彼らを指導する立場にありました。1937年3月に開催された新造型第5回展には今井滋、瀧口綾子、瀧口修造らがデカルコマニーを出品・展示しています。彼らはデカルコマニーについての文章も発表しており、その中から配布資料に、瀧口綾子の「不思議の窓・デカルコマニイ」(「アトリヱ」1937年5月)と今井滋「デカルコマニイと其の方法」(「みづゑ」1937年5月)の一節が再録されました(図6)。

図6 第2夜配布資料図6 第2夜 配布資料


また資料に再録されていない箇所ですが、瀧口綾子の「作者が同時に熱心な鑑賞者となれるのもデカルコマニイです」という一節や、今井滋が引用したロートレアモン「ポエジイは凡ての人によって作られる」という言葉の重要性が指摘されました。

この年の5月には「海外超現実主義作品展」が東京などで開催されましたが、その展示作品を収録した「アルバム・シュルレアリスト」(雑誌「みづゑ」臨時増刊。1937年5月)の表紙は瀧口修造によるデカルコマニーです(図7)。残念ながら、瀧口夫妻らのデカルコマニーは空襲などで失われ、現存していません。

図7 アルバム・シュルレアリスト2図7 「アルバム・シュルレアリスト」表紙

図7 アルバム・シュルレアリスト3図7 「アルバム・シュルレアリスト」裏表紙


4.瀧口修造とデカルコマニー
その後、瀧口は1941年4月に特高に検挙され、同年11月まで拘束されました。釈放後も保護観察司の訪問を受け、監視されていたのですから、デカルコマニーを試みることは不可能だったでしょう。戦後も美術評論家として活動していた15年ほどの間は、デカルコマニーを制作することはなかったようです。しかし1960年頃から、再びドローイングやデカルコマニーを試みるようになりました(図8)。興味深いことに、それと反比例するようにこの頃から美術評論活動の比重が低下して行きます。これは第1夜の話にも関連することですが、言葉に限界を感じ、言葉に拠らない外界の探究すなわち、造形領域の試みが開始されたと捉えることもできるでしょう。

図8 瀧口修造デカルコマニー図8 瀧口修造のデカルコマニー(展示作品)


ここで瀧口修造のデカルコマニーを改めて見ますと、その大きな特徴は、イメージが固定化されない、ということにあるように思われます。つまり、ドミンゲスやエルンストのデカルコマニーの場合は、出来上ったデカルコマニーに対してさらに筆が加えられ、「ライオンの姿」「川の流れ」など、イメージが特定の像に固定化されているものが多いのに対して、瀧口修造のデカルコマニーは、描き加えは行われず、イメージが絶えず移り変わっていくのが特色です。おそらく唯一の例外は、富山県美術館蔵のデカルコマニー連作100点「私の心臓は時を刻む」の扉絵「詩人の肖像」(図9)で、これは緑色の絵具で描き加えられた眼によって、「詩人の肖像」という具体的なイメージに固定化されています。

図9 瀧口修造「詩人の肖像」図9 瀧口修造「詩人の肖像」(「現代詩手帖」臨時増刊瀧口修造、1974年10月より転載)


配布資料に再録された瀧口綾子の「不思議の窓・デカルコマニイ」(「アトリヱ」1937年5月)の中の、たいへん詩的で美しい次の一節を読むと、綾子もまたイメージが固定されないところにデカルコマニーの魅力ないし本質を見出していたことがわかるでしょう。

「不思議な泡、恐ろしく速く飛ぶ森、恐ろしく意力的な岩石、飛ぶもの、囁くもの、永遠の沼の中や、悲劇的な夜の砂漠、星の散る鍾乳洞、喪失と愛撫と、様々な暗示にみちあふれたる輪郭のこのイリウジヨン」

5.まとめ
最後に、「デカルコマニーは誰にでも作ることができる。作者という近代的な主体的存在が揺らぐ。作者が同時に鑑賞者でもある。《○○に見える》と言ったとたん、意味が固定化され、他の物に見える可能性が閉ざされる」とまとめられ、この夜のレクチャーは終了しました。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
=======
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_III_43瀧口修造
"-43"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:17.5×13.6cm
シートサイズ :17.5×13.6cm
※-44と対


takiguchi2014_III_44瀧口修造
"-44"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:17.3×13.6cm
シートサイズ :17.3×13.6cm
※-43と対

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


ときの忘れものは第303回企画◆野口琢郎展 を開催しています。
会期:2018年9月20日[木]―9月29日[土] 11:00-19:00 会期中無休
展覧会カタログを刊行しました(テキスト:金沢21世紀美術館館長・島敦彦さん)。
作家は会期中毎日在廊しています
野口展


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第1夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第1夜レポート

土渕信彦


去る7月27日(金)、東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の第1夜を聴講しました。同館の企画展示「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」(図1)の関連イベントで、レクチャーのレポートに入る前に、企画展示の内容をご紹介します。
図1 企画展示案内板図1 企画展示案内板

1.企画展示について
展示点数は合計50点余り(展示替えを含む)。内訳は同館所蔵の瀧口修造作品13点と、瀧口が「見つめた」作家の作品40点ほど(ほかに雑誌などの資料11点あり)。瀧口の作品はデカルコマニー4点、バーント・ドローイング3点、ドローイング・水彩3点、ロトデッサン2点、コラージュ1点。デカルコマニーとドローイング・水彩はそれぞれ密度の高い佳品(図2,3)。バーント・ドローイングはいずれも素晴らしい大作(図4)。珍しいコラージュ「パウル・クレーのモニュメントのためのプロジェクト」も、一目見たら忘れられないでしょう(図5)。点数は多くありませんが、バラエティに富んで良いコレクションと思います。何よりも東近美が作品を所蔵していること自体、瀧口が造形作家として評価されたことを示しており、長年コレクションしてきた者として、感慨を禁じ得ません。
図2 正面の壁面図2 正面の壁面(右3点が水彩・ドローイング、左2点はロトデッサン)

図3 デカルコマニー4点図3 デカルコマニー4点

図4図4 バーント・ドローイング3点

図5 コラージュ図5 コラージュ「パウル・クレーのモニュメントためのプロジェクト」

「見つめた作家」の作品では、海外作家ではセザンヌやシュルレアリストからフォンタナ、ミショー、コーネルまで、国内作家では戦前期の前衛画家から戦後の美術家までに及んでいます。各作家とも1〜2点、多くても5点止まりですが、選りすぐりの作品が並んでいて、「さすがは東近美」との思いを抱かせます。解説の小冊子も瀧口修造の手づくり本のようなデザインで、ファンでなくても手にしたくなるでしょう(図6)。
図6 冊子図6 冊子

会期は6月19日(火)〜9月24日(月・祝)なので、ゴードン・マッタ=クラーク展を観に行かれたら、是非この小展示も忘れずにご覧になるようお勧めします。

2.連続ミニレクチャーについて
5回の連続ミニレクチャーは以下のようなテーマが設定されています。
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」
五夜を通じて講師を務められるのは戦前期の前衛美術の専門家として著名な大谷美術課長です。担当された企画展「地平線の夢」(2003年)は、昭和10年代の前衛絵画の展覧会として今なお記憶に新しいものです。近年は大著『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八−一九五三』(国書刊行会、2016年5月。図7)も著されています。その大谷課長がまさに満を持して企画されたのが、今回の連続ミニレクチャーです。
図7 『激動期のアヴァンギャルド』図7 『激動期のアヴァンギャルド


3.瀧口修造と物質
第一夜「瀧口修造と“物質”」(図8)は、昨年11月に大阪大学で開催されたシンポジウム「〈具体〉再考」(第2回)を振り返り、吉原治良瑛九、瀧口の3人の「もの、物質、物体、オブジェ」を比較することから始められました。瀧口については、まず「詩と実在」(1931年)の「ぼくは詩の運動はそれ自身、物質との反抗の現象であることに注意したい」の一節が紹介され、「超現実主造型論」(1936年9月)の「オブジェ」論にも触れながら、「精神と物質」との系譜が辿られました。北脇昇、鶴岡政男、河原温、荒川修作吉原治良白髪一雄、もの派、「人間と物質」展などの作品や言説もスライドで紹介されました。そして1930年代後半の瀧口の「物質」観を示すものとして、『近代藝術』(三笠書房、1938年。図9)冒頭のセザンヌ論の次の一節が採り上げられました。
図8 ミニレクチャー図8 ミニレクチャー

図9 『近代藝術』図9 『近代藝術』


「セザンヌの精神は決して平衡をもったものではなくて、その感覚はたえず物質―人間の把握する空間の媒材として―と闘っている」

すなわち、私たちは言葉によって、花・花瓶・テーブルクロス……等々、自分をとりまく世界=「物質」の一部を認識していますが、言葉によって名付けられないものは、意識からこぼれ落ちてしまいます。つまり、「物質」のうちかなりの部分が、認識できていないことになります。この意識の外にある部分になんとか触れたいという動機こそ、この時期の瀧口の考える人間と物質との関係の根底に横たわるものであると指摘されました。

意識の外にある部分に触れるためのメディアとして写真ほど好適なものはないとされ、配布資料(図10)に記載された瀧口修造の「写真と超現実主義」の次の一節が紹介されました。
図10 配布資料図10 配布資料

「シュルレアリスムの写真について書く前に、読者がひょっとして持たれるかもしれない誤解のひとつを解いておきたいと思う。というのは、写真とは文字どおり現実をうつすものであるから、写真の超現実主義というのは、故意に原画を歪曲したり、切り抜いたりすることで終始するものではないという考え方である。これはまた写真とはかならず現実をありのままに再現するものだというような素朴な誤謬にも相通ずるものである。/この意味で超現実主義とは必ずしも実在を破壊加工するものではない。日常現実のふかい襞のかげに潜んでいる美を見出すことであり、無意識のうちに飛び去る現象を現前にスナップすることである。一体、不思議な感動というものは、対象が、極度に非現実的であり、しかも同じほどに現実的であるという、一種の同時感ではないだろうか?」

続いてアジェ阿部芳文、大辻清司らの写真や論考がスライドも紹介され、瀧口が一貫して取り組んでいたのは、「人間の主観的な意識の外にあるものをどうやったら捉えることができるか」ということではなかったか、と締めくくられました。

30分という限られた時間のなかで、よくこれだけ深い内容を盛り込まれたもので、たいへん感銘を受けました。次回以降も必聴と思います。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
=======
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180423_takiguchi2014_II_29瀧口修造
《II-29》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.3cm
シートサイズ :19.4×13.2cm
※II-30と対


20180423_takiguchi2014_II_30瀧口修造
《II-30》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.5cm
シートサイズ :19.3×13.2cm
※II-29と対

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土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第3回

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

3.瀧口修造・阿部芳文『妖精の距離』

図1 妖精の距離図1 『妖精の距離』

奥付の記載事項

妖佑竜離
昭和12年10月10日 印刷 昭和12年10月15日發行
著 者  阿 部 芳 文
發行人  大 下 正 男
    東京市小石川區關口駒井町3
印刷人  菅 原 駒 吉
    東京市牛込区改代町23
發行所  春  鳥  會
    東京市小石川區關口駒井町3
定 價 \2.00

解題
本書は瀧口修造の「十二の詩」と阿部芳文の「十二の画」による詩画集です。縦30僉濂48僂梁臠修離吋鵐隼12葉と、その半分大(30僉24僉砲離吋鵐隼4葉が、綴じられずに、白厚紙の帙に包まれて収納されています。書影として有名な虫眼鏡の意匠(図1)は、この帙を撮影したものです。大判の紙は、12葉すべて中央で縦に二つ折りにされ、左頁には阿部のドローイングが(おそらくコロタイプで)印刷され、右頁には瀧口の詩が配されています。また、半分大の紙4葉は、献辞を記入する見返し(または遊び紙)、扉(図2)、目次、奥付に当てられています。

図2 扉図2 『妖精の距離』扉

奥付には上記のとおり「著者 阿部芳文」とあるだけで、瀧口の名は記されていませんが、久保貞次郎による私家版『スフィンクス』(1954年。図3)を別にすれば、『瀧口修造の詩的実験 1927〜1937』(思潮社、1967年)が刊行されるまで30年にわたって、瀧口唯一の詩集として知る人ぞ知る一冊でした。もともと100部しか刊行されず、海外向けの献呈や戦災による焼失なども考えると現存数はさらに少ないはずで、戦前の詩集や写真集のなかでも代表的な稀覯本として、今も珍重されています。20年ほど前に神田神保町の古書店で見かけた一冊は、美術評論家四宮潤一宛ての(ペン書き)献呈署名本でしたが、水を被った跡が明瞭に残っており、戦火を潜り抜けてきたことがありありと伝わってきました。

図3 スフィンクス図3 『スフィンクス』

本書の詩12篇は、もちろん前述の『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』(図4)に収録されていますが、同書のなかでは、「仙人掌兄弟」から「絶対への接吻」や「詩と実在」にいたる、1928年〜31年頃の作品の存在感が圧倒的で、それ以降の作品は、「妖精の距離」の12篇を含め、慎ましい抒情詩のように感じられます。その理由は、ひとつには、この時期の「七つの詩」「白の上の千一夜」「妖精の距離」などが、本来はイメージと組み合わされることが前提とされていたにもかかわらず、同書にはイメージが掲載されていないことにあるかもしれません。

図4 詩的実験図4 『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』と「添え書き」

例えば「七つの詩」は、ダリ、エルンスト、マグリット、ミロピカソマン・レイ、タンギ―の7人に各1篇ずつ捧げられた詩で、山中散生編『L’ÉCHANGE SURRÉALISTE』(超現実主義の交流。ボン書店、1936年。図5)に掲載されました。初出時にこれら7人の造形作品と組み合わされていたわけではありませんが、瀧口の詩が(具体的な作品とまではいえないにしても)7人の仕事を前提としているのは、言うまでもないでしょう。

図5 超現実主義の交流図5 『L’ÉCHANGE SURRÉALISTE』函(左)、赤版表紙(中)、青版表紙(右)

また「白の上の千一夜」は、実際に今井滋のデカルコマニーと組み合わされて発表された詩です。今井の証言によれば、今井が手掛けた130枚ほどから瀧口と二人で15枚を選び、1枚ごとに瀧口が1〜5行の(全体で1篇となるような)詩を書いて、1937年3月の新造型第5回展(東京府美術館)の展示壁面に、「同じ額縁の中でデカルコマニイと詩とを同時に発表した」とされています(「デカルコマニイと其の方法」「みづゑ」1937年5月。図6)。ちなみに、「みづゑ」同号には瀧口夫妻の作例が、見開きに並べて掲載されています(図7)。

図6 今井図6 今井滋「デカルコマニイと其の方法」

図7 瀧口夫妻図7 瀧口夫妻のデカルコマニー(左:綾子夫人、右:瀧口本人)

一般に、言葉とイメージとが組み合わされる場合、小説と挿絵のように、どちらか一方が主となり、他方がそれを補うというのが一般的と思われますが、瀧口が目指していたのは、イメージと言葉とが互いに触発し合いながら、全体としても統一感を持つようなあり方だったようで、早い時期から「超現実主義を通して、詩と絵画とが握手する」(「超現実主義絵画の方向について」、「詩法」1935年8月)と述べていたとおりです。その理想的な実例は、マン・レイとエリュアールの『ファシール』(1935年。図8)だったのかもしれません。「写真と超現実主義」(「フォトタイムス」1938年2月。図9)の図版に以下のようなキャプションを付けています(新字新仮名遣いに変更)。

「外国の詩集などでイリュミネ―ション(飾画)とよばれるものを憶い起す。ブレークなどは彼自身画家であったから詩の周囲に自分で銅版画を描いた。日本では詩画一致と呼ばれるが、こうした形式はとらなかった。マン・レイの写真とエリュアールの詩の文字とは全部グラビア版であるから融け合っている。写真もこうして詩画一致を形づくるのである。」

図8 ファシール図8 『ファシール』

図9 フォトタイムス図9 「フォトタイムス」(右下に『ファシール』の図版)

本書は阿部のドローイングと瀧口の詩によって「詩画一致」を実現した、記念碑的な詩画集といえるでしょう。具体的な制作過程は明らかではありませんが、「白の上の千一夜」同様、阿部のドローイングを見ながら瀧口が詩を書き下ろしたものと思われます。「みづゑ」1937年月11号に挟み込まれた刊行案内(図10)では、次のように述べています(新字新仮名遣いに変更)。

「私の内部には、永いあいだ、卵のように絶えず温められていた妙な思想があった。そう、それは全く思想というより、ほかに言いようのない、だが卵のようなものであった。ただ貝殻の中に小石が形づくられてしまったように、いま一冊の詩画集『妖精の距離』が、阿部芳文君とのあいだに作られたことはたのしい。すべて夢想というものは卵のように名状すべからざる形をしていたのである。かつては、花と鳥たちとが容易に結ばれたことを思い起すまでもない。今は詩はその余白を、絵画はその余白を、孤独なさらに巨大なブランクに曝している。
『妖精の距離』の第三の余白は読者のやさしい手の中に委ねられているばかりである。」

図10 刊行案内図10 『妖精の距離』刊行案内(「みづゑ」1937年11月号)

昨年(2017年)9月、神奈川県立近代美術館(葉山)で開催された企画展「1937−モダニズムの分岐点」(図11)では、本書と『ファシール』とが並べて展示されていました。この『妖精の距離』は山中散生宛ての瀧口・阿部両名の献呈署名本(ペン書き)で、「100部限定出版の内のNO14」でした。山中は刊行の数ヶ月前に「海外超現実主義作品展」(1939年5月)を共同で招来・開催した、いわば「盟友」といえるはずの人物ですから、もう少し番号が若くても良さそうな気もします。しかしシュルレアリスムやシュルレアリストたちに対する山中の関わり方・姿勢に、瀧口は若干の違和感を覚えていたようで、3年前の34年には以下の引用のように述べています。本書刊行の時点でも、この違和感は解消されていなかったのかもしれません。「NO14」という番号から、こうした微妙な間合いが読み取れるように思われます。

「この頃山中散生氏等のなされているシュルレアリスム紹介の仕事に対して、敬意を払いたいと思う。私は性来の無精から、氏等に対して度度例を失しているので、この誌上を通じて深く謝しておきたいと思う。ポール・エリュアール氏へのオマージュの出版や、ルイ・アラゴン氏の翻訳等の努力は注目されていい。
ただ、単なる交友的エシャンジュ[交流]に終わらしめず、このムーヴマンの正当な認識を植えつけることに、努力されたいと希望する。」「脱頁」(「詩法」第5号、紀伊國屋出版部、1934年12月。図12)

図11 会場写真図11 「1937−モダニズムの分岐点」展 会場写真(神奈川県立近代美術館 葉山)

図12 脱頁図12 「脱頁」

なお、本書の画を担当した阿部芳文(その後「展也」と名乗る)は、1913年生まれ、37年の刊行当時24歳で、2年後には美術文化協会の結成にも参加しました。戦後は同協会を脱退して数々の国際展に参加する一方、下落合のアトリエに集った福島秀子、漆原英子、草間彌生宮脇愛子、榎本和子など、錚々たる女流作家たちを指導しています。62年にはイタリアに渡り、71年に没するまでローマのアトリエで制作を続けました。瀧口の協力のもとに、1957年まで208回の企画展を開催したタケミヤ画廊の第1回展も、「阿部展也デッサン・油絵個人展」(1951年6月1日〜6月15日)だったことを付け加えておきます。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_III_14瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"-14"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:18.5×13.9cm
シートサイズ :18.5×13.9cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●本日23日(月)は休廊です。

石原輝雄「瀧口修造・宮脇愛子 ca.1960展報告」

石原輝雄のエッセイ「瀧口修造・宮脇愛子 ca.1960展報告」

『不思議な取っ手』


京都西陣、晴明神社近くの古いビルにあるART OFFICE OZASAで、6月2日から末日まで催された展覧会「瀧口修造 宮脇愛子 ca.1960」展は、作品と人との一期一会を物語る最高の場であった。しかし、場所は京都、昨今の積極的な広報とは別の次元で、ひっそりと画廊の扉は開かれていた。気づかないまま通り過ぎた人も多かったと思うが、なにげなく画廊の扉を押した人の幸せに祝福を贈りたい。このようにして宮脇さんの初期油彩を観ることは、もう出来ないとわたしは思っているので、展覧会を見逃された方々に展示の様子を捉えた写真をアップし、最高の場の一端を味わってもらいたいと願う(横道に逸れてしまうけど)。

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TM60-1ART OFFICE OZASA 京都市上京区堅門前町414 西陣産業会館207


TM60-2宮脇愛子『作品3-4-62』『作品3-3-62』など


 瀧口 修造と宮脇愛子のお二人は、ときの忘れもののブログにアクセスされる皆さんにとっては親しく、その業績と人柄、作品との対面には、多数の機会が用意されてきたと思う。しかし、「二人の名前を冠した展覧会は始めてではないか」と綿貫さんにうかがい、展覧会のタイトルに記された「ca.1960」の意味合いを改めて考えた。
 瀧口さんは、’58年の欧州旅行の後、「ジャーナリスティックな評論を書くことに障害を覚えはじめ」’60になると「スケッチブックに万年筆で文字でない線描を走らせ」10月に初個展を開催。’62年には「デカルコマニーに没頭する」ようになり、やがて、個人的に友人や知人に「言葉」や「個展への序文」、あるいは造形の仕事を贈る場合が増えていった。一方の宮脇さんは’59年に初個展を銀座の養清堂画廊で開催し「溶岩のようなマチエールの肌」で注目を集めた後、瀧口さんや阿部展也氏の勧めもあって単身イタリアに渡り、’61年にミラノのミニマ画廊で個展。’62年に帰国し東京画廊で国内二度目の個展を開くほど活躍。その折、作品を気に入ったパリの画商アンドレ・シェレールが「120号以上の大作ばかり15点ぐらいをまとめて」購入。彼と契約してパリに拠点を移し、「並列的なレリーフ状の油彩」を描いて同年10月パリで個展。マン・レイとの交流が深まったのは、この時期だと云う。そうした1960年頃の状況が、リアリティを持って会場を支配しているのだから、遅れてきた世代としては、嬉しいと云うか、不思議な感覚である。

TM60-3瀧口修造 デカルコマニー 5点、宮脇愛子『作品3-3-62』


TM60-4宮脇愛子『作品3-6-62』『作品6』'61 瀧口修造 バーントドローイング、デカルコマニー


TM60-5宮脇愛子『作品』'62


 どうして宮脇作品の前に立つと、重力に逆らう物質の意志を感じるのだろう。彼女の手から絞り出され空気を孕んで固まった大理石粉の皮膜が、実は思いの外にはかなく、今でもやっとの思いで形象を留めていると感じるのは、個人コレクションの中で静かに余生を送ってきたためだろうか。
 瀧口さんのデカルコマニーから、海の深みと閉ざされた光を感じるのは、どうしてだろう。目には見えない何者かが、人の手を借りて紙の表面に、涙の痕跡を残した。──そんな事があるのだろうか。これまでもお二人の造形を見てきたはずなのに、特に気高い色彩を感じるのは、どうしてだろう。疑問ばかりがわたしの中を巡っている。

 画廊であって画廊でなく、生活の痕跡をわずかばかり残す距離のもたせ方は、京都のスタイルと言って良いかと思う。画廊主は黒いパンツとシャツが似合う人、宮脇さんもそうした服装を好む人だった。瀧口さんは煙の影に隠れて、ウフフと笑っておられるように思う。昨日が瀧口さんの命日にあたるので、特にこんな連想をしてしまった。四人で談笑しているような、気分なのである。

TM60-6画集『フォンタナ』、後方に掲載作品『無題』'64


TM60-7宮脇愛子 個展ポスターなど


TM60-8ミニマ画廊カタログなど


 東京で宮脇作品に魅せられ、パリに持ち帰ったシェレールは、没年から推測すると宮脇さんより1歳若く当時32歳。今回ART OFFICE OZASAで展示されている宮脇さんの油彩4作品は、氏との契約のもとパリ、モンパルナスのアトリエで制作された作品と思われ、シェレールの手許に長く置かれていた。近年、同氏のアフリカやアメリカの原始美術コレクションと共に市場に現れ、縁あって京都に招来された。そして、展覧会の後も京都に留まってくれれば(美術館などで)、地元民として幸せこの上ないのだが、全作品が展覧会の開催と同時に売約済となり、新しい所有者のところに移動してしまうと云う。ですから、ここには戻らないのです(涙)。

 わたしは作品と人との物語に興味を持つ、そのための資料が沢山用意されているこの展覧会は、居心地が良く、宮脇さんのアトリエ、あるいは、瀧口さんの書斎にお邪魔している感覚。この幸せを解説したくなった。例えば、みすず書房が’64年に刊行した現代美術シリーズ第25巻『フォンタナ』のテキストで、瀧口さんが「フォンタナという作家ほど近づきやすく、また誤解されやすい作家もめずらしいのではないか、私はいろんな機会にそう感じる。」と書いた冒頭を飾る対向頁の図版に用いられたフォンタナの作品(’64年)が、瀧口作品(’62年、宮脇旧蔵)の横に掛けられている。その手前のテーブルの上には、名古屋のギャラリー高木で行われた宮脇さんの個展(‘80年)の折に磯崎新氏がデザインしたポスターが置かれている。これにはマン・レイが撮影した彼女の肖像写真が使われていて、その経緯などを知っているものだから、懐かしさが一杯。そして、語り部の第一人者となるのは、ミニマ画廊での個展カタログ。手に取り彼女の初期油彩を背景に写真を撮った。書体と色合い、そして、紙の手触り。ミラノの石造りの建物に差し込んでいた光が、彼女の絵肌に留められたまま、京都までやってきた感覚。考えてみれば、油彩の表面は大理石扮なのだから、親和性があるのは当然なのだ、眼の解釈は正直である。

TM60-9中村美奈子 文鎮、瀧口修造 立体


TM60-10市田文子 半革装『瀧口修造の詩的実験 1927-1937』他


 展示台には、造本作家グループLes fragments de Mの皆さん(羽田野麻吏、市田文子、平まどか、中村美奈子)による瀧口修造へのオマージュ本が飾られている。作品保護のためにわたしの場合は、白手袋越しでしか楽しめないが、革製本の国の知性に対して、湿潤な国の用紙達の苦しみを体験してこられた瀧口さんが、どんな感想を持たれたのか尋ねてみたい。見ると彼女たちと共演するようにアクリルケースの中に、デカルコマニーを用いた四角錐台(’70)が置かれている。裏面の穴から覗くと言葉が認められる。なんて書いてあるのだろう。瀧口さんが贈ったオブジェに、「書物は姿を変えていく」と書物好きのわたしは思ってしまうのだった。

TM60-11手前に造本作家グループの装幀本、後方に瀧口修造、宮脇愛子


TM60-12岡崎和郎、瀧口修造、ルーチョ・フォンタナなど

 
 天井高4メートルと云う広い空間の、光に包まれた窓側の椅子に座って、会場を見渡している。視線の先に掛けられた作品たちとは、離れているから図像を見ているというのではなくて、存在を感じているといった感覚。並んで掛けられた斎藤義重、阿部展也両氏の小品などは、宮脇さんへのアドバイスの時期に関わるものなので、会話の余韻が立ち現れ、「ca.1960」へと続く彼女の新しい人生の扉であったように思う。57年の後、その取っ手をゆるやかに回すのは、だれだろう。開けることと閉めることが同時に行われる人生の扉。作品もそうした扉の一形態であるのは間違いない。ここからでは見えないが、対向壁には岡崎和郎さんによる一対の「HISASHI」が、題名そのままに「鳥のように」飛翔しているはずだから、心憎い演出である。柱の影に誰か居るのかしら……

---

TM60-13


 京都の梅雨開けは、「夕立三日」前祭の巡行が終わる頃だと云う。展覧会は終わってしまったが、幸せな記憶が残された。京都に住まいを移し画廊での仕事を始めた女性の、素直な指の先にも不思議な取っ手があることを、教えてあげたい。これは、蛇足だろうな。

(いしはらてるお)
〜〜〜

●「橄欖」第4号が
瀧口 修造(1903年(明治36年)12月7日 - 1979年(昭和54年)7月1日)の命日に刊行されました。
20180619173457_00001瀧口修造研究会 発行
2018年7月1日
22.5x15.0cm 211P
執筆者は掲載順に、霧山深、岩崎美弥子、山腰亮介、永井敦子、朝木由香、島敦彦、嶋田美子、藤澤顕子、石原輝雄、野海青児、宮井徹、山口馨、三谷風子、高島夏代、尾山景子、高橋修宏、伊勢功治、土渕信彦

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『橄欖』はときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。
頒価:1,500円、送料250円

●今日のお勧め作品は、瀧口 修造です。
takiguchi2014_II_18-18
デカルコマニー
イメージサイズ:15.7×9.0cm
シートサイズ :19.3×13.1cm 
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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京都ozasaで「瀧口修造・宮脇愛子 ca.1960」開催中

先日大盛況のうちに終了した松本竣介展の最終日6月2日、お客様には申し訳なかったのですが、亭主は社長のお供で京都に行ってまいりました。
ART OFFICE OZASAで始まった「瀧口修造 宮脇愛子 ca.1960」展の初日だったからです。
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「瀧口修造 宮脇愛子 ca.1960」
会期:2018年6月2日[土]〜6月30日[土]
会場:京都・ART OFFICE OZASA
   京都市上京区竪門前町414 西陣産業会館207(西陣織会館 西館)
時間:11:00〜18:00 *日・月・祝日休廊
●展示風景(画像提供:ART OFFICE OZASA)
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●6月2日(土)初日の様子
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奥の壁に瀧口修造のドローイング、右は宮脇愛子作品

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さりげなく瀧口修造(左)とフォンタナ(右)

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岡崎和郎

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CIMG8989 Les fragments de M(frgm)の皆さんが瀧口修造の著書をそれぞれ造本しました。瀧口先生へのオマージュ作品です。

CIMG8984羽田野麻吏制作造本
マン・レイの素描
ポール・エリュアールの挿詩
瀧口修造訳
『自由な手・抄』
1973年 ジイ・キュウ出版 刊
149×126×10mm


CIMG8985羽田野麻吏制作造本
瀧口修造/篠原佳尾
『小球子譚』
1975年 西村画廊 刊
87×87×18mm


CIMG8986左)平まどか制作造本
瀧口修造『三夢三話』
1980年 書肆山田 刊
229x178x11mm
右)市田文子制作造本
瀧口修造
『瀧口修造の詩的実験・1927-1937』
1967年 思潮社 刊
254×193 ×33mm


CIMG8987市田文子制作造本
滝口修造『余白に書く』
1966年 みすず書房 刊
239×94×18mm


CIMG8993会場の机の上には、frgm 中村美奈子制作の文鎮と資料類


CIMG8996左から土渕信彦さん、画家の林哲夫さん、亭主

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CIMG8999ギャラリーオーナー小笹さんご自慢の照明器具と椅子。

CIMG9000左から清家克久さん、小笹義朋さん、亭主

CIMG9001手前は歩いて5分のところに住む野口琢郎さん、9月のときの忘れものの個展のために新作に没頭している最中でしたが、かけつけてくれました。

CIMG9002名作椅子に座りゴキゲンなのは京都の写真家・森岡誠さん

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CIMG9005左から2番目は夜野悠さん

とても広い画廊です。
お親しかったにもかかわらず、瀧口先生と宮脇先生の二人展は今回が初めてでした。
歴史的なといってもいいと思います。
画廊は展示がすべて!」と言い切る小笹さんのセンスあふれた素晴らしい展覧会です。
会期は6月末まで、関西の皆さんはもちろん、京都旅行にお出かけの皆さん、ぜひご覧ください。
これだけの秀作が揃った展示は二度とできないかも知れません。
場所はちょっと(というかかなり)わかりづらいです。亭主は何度行っても迷う。西陣織会館はタクシーに乗れば直ぐ連れてってくれますが、そこからがタイヘン。くれぐれも電話で入り口を確認してお出かけください。

小笹さんが数年がかりで準備された展覧会、プレスリリースにも力が入っています。
以下、原文のまま引用します。
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この度、ART OFFICE OZASAでは「瀧口修造 宮脇愛子 ca.1960」展を開催いたします。
戦前・戦後を通してあらゆる表現分野の多くの作家と交流した詩人で美術評論家の瀧口修造(1903-1979)。
シュール・レアリスム芸術を基軸に、日本における前衛芸術の精神的・理論的支柱として活発な評論活動を展開します。
読売アンデパンダン(1951)、実験工房(1951)、タケミヤ画廊での企画など常に現代美術に刺激を与え続けましたが、1960年以降、国際展の審査、新聞や雑誌など職業的に書くことに矛盾を感じ、1963年にはそれらいっさいをやめます。
その一方で1960年以降、南天子画廊での初個展(1960)をはじめ、数多くのデッサンやデカルコマニー、バーントドローイングなどの造形作品を残しており、これらは近年、瀧口独自の表現として益々注目されています。
宮脇愛子(1921-2014)もまた瀧口と親密に交遊した作家でした。1953年、義理の姉であった神谷伸子を通じて阿部展也斎藤義重に師事します。養清堂画廊での初個展(1958)ののち、瀧口の勧めでイタリアミラノへ移り住み、フォンタナ、カステラーニ、マンゾーニ、そしてパリのマンレイなど多くの作家と交流し、本格的に作家活動を始めます。
一時帰国した1962年1月には東京画廊で個展を開催し、その時に出会ったパリの画商アンドレ・シェレールと契約し、1年間パリに滞在し作品制作をします。そして同年10月には、アンドレ・シェレール画廊にて個展を開催し、これを契機にニューヨーク、ワルシャワを始め世界各地の主要な美術館での発表が始まります。
ほぼ時を同じくして鬼籍に入った宮脇愛子(2014年没)とアンドレ・シェレール(2015年没)。
この度、ART OFFICE OZASA は、アンドレ・シェレールのプライヴェートコレクションからパリ・モンパルナスのアトリエで制作された宮脇愛子の初期の重要な作品の里帰りを実現することができました。
これを機会に初公開作品を含め1958年〜1962年の宮脇愛子作品6点、瀧口修造の1960年以降の未発表作品10点を併せて展示いたします。またプライヴェートコレクションから宮脇愛子旧蔵の瀧口修造作品4点も併せて展示いたします。
具体美術、もの派をはじめ、世界から熱い視線を集める戦後日本美術。その中でも1960年代の草間彌生田中敦子をはじめとする女性陣の活躍は一層際立った輝きを放っています。宮脇愛子もまた1967年にはグッゲンハイム美術館に作品買上となり、世界各所の美術館に収蔵されれています。しかし、まだまだ十分な評価がされているとは言い難く、本展示が再評価の一端となることを願っております。
今日まで目にする機会の少なかった宮脇愛子の1960年初頭、パリでの制作をご覧いただける貴重な機会となります。
また造本作家グループ<Les fragments de M>による、瀧口修造のルリユール(工芸としても製本)作品もあわせてご覧いただけます。
ぜひご高覧賜りますよう、よろしくお願い申しあげます。

【主な展示作品】
瀧口修造

・1960年以降の未発表作品を中心に10点     
・宮脇愛子旧蔵のプライヴェートコレクションから4点
・「デカルコマニー」「バーントドローイング」「水彩」など
    
宮脇愛子
・「作品8」1958-59年
・「作品」1961年
・「作品」1962年 *アンドレ・シェレール・コレクション
・「作品3-3-62」1962年 *アンドレ・シェレール・コレクション
・「作品3-5-62」1962年 *アンドレ・シェレール・コレクション
・「作品3-6-62」1962年 *アンドレ・シェレール・コレクション
・資料展示のみ「作品1」1961年 *アンドレ・シェレール・コレクション

【ルリユール展示】
造本作家グループLes fragments de M 
・瀧口修造関連書籍「自由な手・抄」「小球子譚」「瀧口修造の詩的実験・1927-1937」「余白に書く」「三夢三話」など

【参考展示作品】
・阿部展也「アブデルワラ寺院」ca.1953
・ルーチョ・フォンタナ「無題」1964

【協力】
土渕信彦
・ときの忘れもの
・松田昭一(宮脇愛子アトリエ)

【宮脇愛子 略歴】
1929年 東京に生まれる
1952年 日本女子大学文学部史学科卒業
1953年 阿部展也、斎藤義重に師事する
1957年 サンタモニカ・シティ・カレッジおよびカリフォルニア大学・ロサンゼルス校に学ぶ
1959年 ミラノ、パリ、ニューヨークに滞在
1966年 帰国
1967年 《Work》でグッゲンハイム国際彫刻展・買上げ賞受賞
1977年 第7回現代日本彫刻展で《MEGU-1977》が北九州市立美術館賞を受賞
1981年 第2回ヘンリー・ムア大賞展(彫刻の森美術館)で《UTSUROHI》が エミリオ・グレコ特別優秀賞を受賞
1982年 第8回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で《UTSUROHI》が第1回土方定一賞を受賞
1986年 第2回東京野外現代彫刻展(都立砧公園)で《UTSUROHI》が東京都知事賞を受賞
1992年 モンジュイック・オリンピック広場(バルセロナ)への《UTSUROHI》設置により、カタルーニャ芸術評論家賞を受賞
2000年 第7回日本藝術振興賞受賞
2003年 フランス政府より芸術文化勲章・オフィシエを受賞
2014年 膵臓癌のため84歳で死去

主なコレクション
日本:東京国立近代美術館、東京都現代美術館、国立国際美術館、神奈川県立近代美術館、宮城県美術館、原美術館、静岡県立美術館、芸術の森美術館、群馬県立美術館、奈義町現代美術館
フランス:ピエール・ブーレーズのための音楽広場(リヨン)、ラ・デファンス(パリ)
イタリア:ファットレア・チェレポーランド ウッジ美術館、クラコウ・マンガセンター日本庭園
スペイン:モンジュイック・オリンピック広場(バルセロナ)、ミロ美術館
アメリカ:グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)、チェイス・マンハッタン銀行(ニューヨーク)、プラザタワー広場(コスタ・メッサ)
ベルギー:ヴェランヌマン財団
カタール:アル・ワプラ・ファーム(ドーハ)
ドイツ:鉄鋼労働組合ビル(フランクフルト)
台湾:花蓮空港、南港駅(台北)

【瀧口修造 略歴】
1903年 富山県に生まれる。
1923年 慶應義塾大学予科に入学。
1926年 富永太郎・堀辰雄らの同人誌「山繭」に参加。西脇順三郎教授の教えを受ける。
1928年 シュルレアリスム機関誌「衣裳の太陽」創刊。
1931年 慶應義塾大学英文科卒業。
1938年 「近代芸術」を出版し、1941年前衛芸術弾圧により検挙され約8か月拘留される。
1947年 「日本アヴァンギャルド美術家クラブ」結成に参加。
1951年 「タケミヤ画廊」企画に無報酬で参画。「実験工房」発足。
1953年 国際アートクラブ結成に参画。
1958年 ヴェネチア・ビエンナーレの日本代表及び審査員として渡欧。
1959年 美術評論家連盟会長に就任(1962年まで)
1960年 初個展「私の画帖から」(南天子画廊)
1967年 『詩的実験1927-1939』刊行。
1969年 詩画集『手づくり諺』ミロと共作。
1973年 フィラデルフィア美術館デュシャン大回顧展に出席。
1979年 肺水腫のため76歳で死去

【アンドレ・シェレール Andre Schoeller】
パリ、サンジェルマンデプレのアートマーケット、オークションハウスDrouotで数々の大きな売上を記録した伝説的な人物。
プリミティヴアート、近代美術、戦後の現代美術、特に抽象的な芸術を専門とするギャラリスト、アートディーラー。プロヴァンスの邸宅で86歳で2015年12月1日に死去。

【造本作家グループ Les fragments de M(略称frgm)】
frgm は2011年10月、三人の製本家と一人の箔押し師が集まり、ルリユールをもっと多くの方々に知って頂き、より身近なものとして慈しんでもらうことを願い、活動を始めまる。メンバーは羽田野麻吏平まどか中村美奈子市田文子(2017 年退会)。
「ルリユール」とはフランス語で「製本」を意味し、書店で売られているいわゆる機械製本も含める語ではありますが、一方で工芸としての製本を強く想起する言葉として、フランス語圏の国々では使われています。
工芸としての製本とは、読書家・愛書家が自らの蔵書を製本家に依頼して、世界に一つの作品に仕立て直し、(具体的には山羊革や仔牛革などを表装材に用い、その上に革や他の素材による)装飾を施していきます。
ART OFFICE OZASAプレスリリースより転載)
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残り会期はあと僅かですが、京都はじめ関西圏のみな様、ぜひお運びください。

◆銀座で関根伸夫展が開催中です。
会場:銀座・ギャラリーせいほう
会期:2018年6月18日[月]―6月29日[金] ※日曜休廊
関根伸夫先生はこの展覧会のためにロサンゼルスから帰国されました。
関根伸夫展_Gせいほう_案内状

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銀座ギャラリーせいほう外観(撮影:佐藤毅)
*関根伸夫の新作絵画「空相ー皮膚 Phase of nothingness-skin」のためのノートをお読みください(6月20日ブログ)。
オープニングの様子は6月22日のブログに掲載しました。
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左から《Phase of Nothingness - Skin14》《Phase of Nothingness - Skin3》《Phase of Nothingness - Skin15》(撮影:佐藤毅)

180618関根伸夫_gせいほう_11_TS(撮影:佐藤毅)


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第2回

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

2.瀧口修造訳アンドレ・ブルトン『超現実主義と絵画』

『超現実主義と絵画』訳者瀧口修造
厚生閣書店 現代の藝術と批評叢書第17編
19.2×13.8僉福峪溶司儼身宗廖
本文100頁、挿絵目次6頁、挿絵50頁(1頁に1点)。50点すべて原書からの転載。作家ごとの点数は後出「作家別挿絵点数」表参照。

奥付の記載事項
昭和五年六月十日印刷
昭和五年六月十五日發行
超現實主義と繪畫 【定價一圓五十銭】
著者  瀧口修造
發行者 東京市麹町區下六番町四十八番地
岡本正一
印刷者 東京市牛込區西五軒町二十九番地
溝口榮
印刷所 東京市麹町區土手三番町二十九番地
厚生閣印刷部
發兌  東京市麹町區下六番町四十八番地
厚生閣書店
振替  東京五九六〇〇番
電話  九段三二一八番

図1図1
『超現実主義と絵画』初版


解題
表紙のアルファベット部分のタイポグラフィーは原書を踏襲しています。並べてみると一目瞭然です(図2)。刊行当時、瀧口は27歳。慶應義塾大学文学部英文科に在学中でした。英語に堪能だったのはもちろんですが、「シュルレアリスム革命」誌などを購読していたのですから、フランス語もかなりのレベルにあったのは間違いないでしょう。当時の大学生は今の大学院生かそれ以上の学力があったのかもしれませんが、それにしても学部の学生が、しかも仏文科でなく英文科の学生が、ブルトンの原書を翻訳(原書初版の全訳)したという事実に、まず驚かされます。

図2図2
訳書とアンドレ・ブルトン『シュルレアリスムと絵画』初版本


といっても、もちろん翻訳には難渋したようで、刊行から32年後の1962年10月8日に、母校の県立富山高校(図3)で行った講演「美というもの」のなかでこの翻訳について触れ、「まるで方程式でも解くみたいに」意味を考えたことや、分からないところをフランス人の先生に(友人を介して)質問したところ、「こんなフランス語はない」と言われたことなどを回想しています(「瀧口修造の光跡」展 I カタログに講演録を収録。参考図)。

図3図3
瀧口在学当時の富山中学(『富中富高百年史』、富山高等学校創校百周年記念事業後援会、1985年10月)


参考 美というもの参考図
瀧口修造の光跡機嵌というもの」展カタログ


挿絵点数は全体で50点と、原書の77点からおよそ3分の2に減らされています。作家別の点数は下表のとおりです。もともと掲載点数の多いピカソとデ・キリコは、削減点数も多い一方、エルンストミロは削減点数が比較的少なく、タンギーは全く削られていません。その理由はいろいろに想像されるでしょう。ダリとマグリットは取り上げられていませんが、これは原書の執筆・刊行がこの二人の登場前だったからと思われます(原書の刊行は1928年。「シュルレアリスム革命」誌上での連載は1925〜27年)。

表 作家別挿絵点数
表


ところで瀧口は、三一新書『私の人生を決めた一冊の本』(三一書房、1972年12月)のなかで、「超現実主義との出会い」との題のもと、ブルトン『シュルレアリスム宣言』を採り上げています(図4)。超現実主義が瀧口の人生を決めたという意味で、『宣言』が挙げられるのは当然でしょう。けれども、「人生の節目ないし転換点となった」という意味では、本書『超現実主義と絵画』の方が、その痕跡がより具体的で明確なように思われます。

図4図4
『私の人生を決めた一冊の本』


例えば「自筆年譜」1932年の項(「本の手帖」特集瀧口修造、昭森社、1969年8月、図5)では、以下のように回想されています。本書がシュルレアリスムに関心を持つ美術家たちの間で広く読まれ、後に彼らが結成した「新造型美術協会」などのグループを指導する立場へと瀧口を導くことになったのは明らかでしょう。

「古賀春江からブルトンの『超現実主義と絵画』の訳を読んだ感想をのべた手紙を貰う。一度訪ねるが不在、ついに会わずじまいであった。」

図5図5
「本の手帖」」特集瀧口修造表紙


さらに重要と思われるのは、本書に訳出した内容そのもの、とりわけ以下に引用する一節が、その後も瀧口自身のシュルレアリスム絵画論に繰り返し引用され、シュルレアリスム絵画に関する考え方のいわば柱となっていることです。

「視覚的影像を固定せんとする欲求は、その影像がそれらの固定よりも先在的であると否とを問はず、常に外面化され、私には他のもの以上に人工的であるとは思はれぬ一つの真実の言語の形成に到達する、そしてその原因に就ては遅疑することは無益であろう」(『超現実主義と絵画』)

具体的に述べればこの一節は、『超現実主義と絵画』刊行の6年後に、美術雑誌「みづゑ」379号(1936年9月、図6)の巻頭を飾った「超現実造型論」の冒頭部に引用され、全体を貫く中心的な命題とされています。余談になりますが、「みづゑ」同号の口絵は前年12月に結婚した瀧口綾子によるものです(図7)。

図6図6
「みづゑ」379号


図7図7
瀧口綾子口絵


この「超現実造型論」は、翻訳・紹介や展評などを除けば瀧口初の本格的な美術評論ないしシュルレアリスム論といえる論考で、これを抜粋再録したのが、2年後に三笠書房から刊行された『近代藝術』(図8)のシュルレアリスム論「シュルレアリスムと絵画」です。もちろん上の一節は、その冒頭に引用されています。つまりこの一節は、瀧口にとって『超現実主義と絵画』全体のなかでもシュルレアリスム絵画の本質に関わる、原点ともいえる命題だったのではないでしょうか。年を経るあいだも絶えずそこに立ち戻り、実作や写真図版を観たり他の文献などを読んだりしながら、その意味を実感するうちに、訳文も次第にこなれていったものと思われます(煩雑になるので引用は省略します)。

図8図8
『近代藝術』初版


もちろん、「超現実造型論」(図9)では、この一節の前に、前置きとして次のように述べられ、美術の領域に限定してシュルレアリスムを考えることの危険性を指摘している点は見落とせません。またこの論考では、本訳書刊行後に登場し、シュルレアリスムの新たな展開の契機となったダリについても、比較的詳しく述べられている点も、付け加えておきます(図10)。

「超現実主義を、造型的領域の関連においてのみ考えることは、或る種の根本的な危険を犯すものである。詩的領域といい、哲学的領域といい、あらゆる領域が、誤った専門化、純粋性を固守することは、現世紀の、一つのもっとも大きな不幸を暗示するものであろう」(「超現実造型論」)

図9図9
「超現実造型論」


図10図10
ダリ「フロリダに於ける今夏の想像的暗示」と瀧口修造のコメント


1950年代後半にはアンフォルメル芸術が大きな潮流となりましたが、これに対する瀧口の見解ないし関わり方でも、上に引用した一節がその基底で作用しているように思われます。前出「自筆年譜」(図11)1958年の項には次のように記されています。

「アンフォルメル芸術と現象的に呼ばれた傾向のなかに、自分にとってある本質的な問題にかかわるもののあることを感じる。しかもそれが長くシュルレアリスムが自分を捉えてきたものと終局において背馳すべきではないという確信のもとに。しかもそれは画壇的な消長や流行現象とは無関係に自分の内部に浸透し、現にとりつつある批評の形式を瓦解させるような危機意識をはらむ」

図11図11
「自筆年譜」


60年代に入ると瀧口は時評的な美術評論の執筆を避けるようになり、替わってさまざまな造形の試みを開始しましたが、そこにおいてもこの命題が意識されていたのは間違いないと思われます。つまり引用の一節は、1930年の翻訳後も瀧口自身が絶えずその意味を問い返し、自ら実践しようとした命題といっても良いでしょう。このような意味で、この一節を含む『超現実主義と絵画』は、その後の瀧口の「人生を決めた一冊の本」と呼ぶにふさわしいと思われます。

最後にご案内をひとつ。
瀧口修造研究会会報「橄欖」第4号が刊行されました(奥付の発行日は7月1日付け)。

表紙表紙


表紙は上図のような、光沢ある青となりました。材質より色味を優先したのでしょう。

執筆者は掲載順に、霧山深、岩崎美弥子、山腰亮介、永井敦子、朝木由香、島敦彦、嶋田美子、藤澤顕子、石原輝雄、野海青児、宮井徹、山口馨、三谷風子、高島夏代、尾山景子、高橋修宏、伊勢功治、小生の18名で、論考、随想、詩、創作など、211頁です。

目次目次


ときの忘れもので扱っていただいております。頒価1,500円(送料250円)です。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
V-37(042)瀧口修造 《V-37》
デカルコマニー
Image size: 14.2x12.3cm
Sheet size: 26.3x19.2cm
※『瀧口修造の造形的実験』(2001年)No.203と対
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第1回

新連載・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

 今回から瀧口修造の著書・訳書などを順次取り上げ、体裁や奥付の事項などを記したうえで解説します。存命中の単行本を対象とし、美術全集や事典、雑誌、手作り本などは差し当たり対象外とします。お気付きの点はどうぞご指摘ください。

1.西脇順三郎『超現実主義詩論』
18.2×13.8僉併溶使愁侫薀鵐港)
本文168頁、目次4頁、索引8頁
口絵として、「詩人の肖像」「PANTHEON」と表記され、シェイクスピアとボードレールの肖像が掲載されています(ボードレールの肖像はナダール撮影の写真。ナダールには風刺肖像画の連作「パンテオン・ナダール」があります)。

奥付の記載事項
昭和四年十一月十日印刷
昭和四年十一月十五日発行
超現實主義詩論 【定價一圓二拾銭】
著者 西脇順三郎
發行者 東京市麹町區下六番町四十八番地
岡本正一
印刷者 東京市牛込區西五軒町二十九番地
溝口榮
印刷所 東京市牛込區早稲田鶴巻町四百三番地
厚生閣印刷部
發兌 東京市麹町區下六番町四十八番地
厚生閣書店
振替 東京五九六〇〇番
電話 九段三二一八番

図1図1
『超現実主義詩論』初版


解題
 『超現実主義詩論』は「現代の藝術と批評叢書」第14編として厚生閣書店から刊行されました。著者は瀧口ではなく西脇順三郎ですが、以下に引用する著者序文のとおり、瀧口の貢献は明らかですし、おそらく初めて本作りに関わった貴重な一冊と思われますので、連載第1回に採り上げることとしました。

「序
本書に印刷したものは第十九世紀文學評論の一節である。
殊にCh. Baudelaireを中心として感じたことを單に記述したものである。記述によって構成した世界は論理と體系によって支配されない單に記述によって表現せんとして企てた世界に過ぎない。
BaudelaireのSurnaturalismeに関聯して、二十世紀のSurréalismeに及んだ。けれども最近の發展變化の事狀は本書に附加した瀧口修造氏の論文を有益なものと信ずる。
本書中にて私の書いたものは以前「三田文學」及び「詩と詩論」に出たものであるが、それを修正して再び本書に入れた。
是等の修正と校正の全部は瀧口修造氏がなした。この勞力に感謝します。
著者」


図2図2
同書序文


 当時、瀧口は26才、慶應義塾大学英文科の学生として西脇の指導を受けていました。校正・修正だけでなく、補論「ダダよりシュルレアリスムへ」の執筆を任されたのは、いかに信頼が篤かったかを示すものでしょう。補論は本文168頁のうち、131頁以降の38頁(18%強)を占めています。序文で特に触れられていませんが、130名近くに及ぶ人名索引も、おそらく瀧口が作成したものと思われます。

図3図3
補論「ダダよりシュルレアリスムへ」


図4図4
索引頁


 序文に明記されているとおり、本書の内容は、「超現実主義の詩論」というよりもむしろ、ボードレールの「超自然主義」を中心に19世紀文学を対象とするもので、この叢書の刊行当初は、単に「『詩論』J・N」として刊行が予定されていました(図5)。『超現実主義詩論』という題名は叢書の編集責任者春山行夫の意向によるものでしょう(後述)。

図5図5
「現代の藝術と批評叢書」第3編 北川冬彦訳マックス・ジャコブ『骰子筒』裏表紙カバー(上から6番目が「『詩論』J・N」。「超現実主義詩と詩論」とのサブタイトルあり)


 題名と内容との齟齬はもちろん西脇も承知しており、打開策として瀧口に委嘱されたのが、補論執筆だったと思われます。指導教授として瀧口の勤勉さを目の当たりにし、前年3月に発表していた「シュルレアリスムの詩論に就いて」(文藝春秋「創作月刊」。図6,7)にも目を通していたはずですから、この運動についての瀧口の認識と洞察に、一目置いていたのでしょう。西脇の本文は雑誌記事の再録ですから、これだけなら単行本化は比較的容易だったと思われますが、実際の刊行が半年ほど遅れて6番目から14番目となったのは、補論の脱稿を待ったためかもしれません。

図6図6
「創作月刊」表紙


図7図7
同「シュルレアリスムの詩論に就いて」


 上で触れましたが、本書を『超現実主義詩論』と命名したのは編集責任者の春山行夫と思われます。というのも、春山が実質的な編集人となって同じ厚生閣書店から刊行していた季刊誌「詩と詩論」では、「レプリ・ヌーヴォー」と並んで「超現実主義」の紹介に力を入れており、「現代の藝術と批評叢書」でも、本書に続いて「超現実主義」を題名に含む以下のようなラインナップの刊行が予定されていたからです(再掲図5)。

図5再掲図5


超現実主義宣言 附詩集『溶ける魚』アンドレ・ブルトン北川冬彦訳(図5上から9番目)
超現実主義のスタイル論ルイ・アラゴン瀧口修造訳(同10番目)

 余談になりますが、多くの新進文学者を「詩と詩論」や続く「文学」に糾合して最先端の詩や詩論を掲載し、それらを編集・再録して詩集や叢書を刊行した、編集者春山行夫の手腕は見事というほかありません。ここを拠点にいわゆる「モダニズム文学」の大きな潮流を造り出したのは、春山の不朽の功績といえるでしょう。反面、シュルレアリスムもレスプリ・ヌーヴォーも峻別しないまま「モダニズム」と一括りにする傾向が、今なお一部に見られるとすれば、その元祖、いや元凶も春山行夫と言わなければならないかもしれません。

 さて、ここで注目されるのは上のラインナップ中の『超現実主義のスタイル論』です。「衣裳の太陽」及び「詩と詩論」に瀧口が連載していたアラゴン『文体論』の訳稿を単行本化する計画だったのでしょう(図8)。『文体論』はシュルレアリストだった時期のアラゴンの(おそらく『パリの農夫』と並ぶ)代表作で、瀧口は単に翻訳しただけでなく、自らの詩作にも多くのものを吸収しているように思われます。例えば「地球創造説」以降の、命題を敷衍し畳み掛けるような饒舌な語り口などは、その最たるものでしょう。

図8図8
『超現実主義詩論』巻末の「詩と詩論」広告頁


 補論「ダダよりシュルレアリスムへ」のなかでも瀧口は、当時のアラゴンについて「唯一の形而上学者」と呼び、その作品をブルトンの「影像の光線」、エリュアールの「愛の力学」と並ぶ、超現実主義のテクストの典型の一つに位置付けています。別のところで論じましたのでここでは詳述しませんが(註)、当時の瀧口にとってのアラゴンの重要性は、もう少し認識されてよいと思われます。この点で『超現実主義のスタイル論』が未刊に終わったのはまことに残念です。

註 「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」第6〜8号、洪水企画、2010年7月〜2011年7月。参考図)参照

参考図参考図
「洪水」第7号


 その後、この補論は金星堂から「分冊現代詩講座」の一冊『ダダと超現実主義』として刊行されました(図9,10)。戦後、せりか書房から刊行された『シュルレアリスムのために』にも、「ダダと超現実主義」として巻頭に再録されています。瀧口の詩的テクストを考察するうえで、第一に参照されるべき論考と思われます。

図9図9
瀧口修造『ダダと超現実主義』(金星堂、1933年1月)


図10図10
同裏表紙(表紙・裏表紙のデザインは後年の『画家の沈黙の部分』などの自装本を想起させます)


 冒頭で述べましたが、この『超現実主義詩論』は、瀧口が本作りに初めて関わった点で唯一の本であるわけですが、「ダダよりシュルレアリスムへ」という重要な論考の初出文献である点でも、無二の一冊といえるでしょう。連載第1回に採り上げたのもこのためです。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

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20180523_023瀧口修造
《III-28》
デカルコマニー
イメージサイズ:16.0×11.5cm
シートサイズ :17.7×12.7cm

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〜〜〜

◆ときの忘れものは没後70年 松本竣介展を開催しています。
会期:2018年5月8日[火]―6月2日[土]
11:00-19:00  ※日・月・祝日休廊

ときの忘れものは生誕100年だった2012年に初めて「松本竣介展」を前期・後期にわけて開催しました。あれから6年、このたびは素描16点による「没後70年 松本竣介展」を開催します。
201804MATSUMOTO_DM

「没後70年 松本竣介展」出品作品を順次ご紹介します
27出品No.23)
松本竣介
《作品》

紙にインク
Image size: 34.2x24.5cm
Sheet size: 38.3x27.0cm
※『松本竣介展』(2012年、ときの忘れもの)p.13所収 No.27


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●本展の図録を刊行しました
MATSUMOTO_catalogue『没後70年 松本竣介展』
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 
テキスト:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
作品図版:16点
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
税込800円 ※送料別途250円



◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

新連載・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第0回

新連載・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

第0回 瀧口修造の本/瀧口修造とマルセル・デュシャン補遺3


口上
 「瀧口修造の本」という表題のもと、著書・訳書などについて連載するよう、綿貫不二夫氏から依頼され、毎月23日に登場することになりました。簡潔を旨としてまとめますので、お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
今回は以前連載していた「瀧口修造とマルセル・デュシャン」の「補遺3」も兼ねて、昨年開催された「瀧口修造・岡崎和郎二人展」のカタログ《to and from Kazuo Okazaki / to and from Shuzo Takiguchi》についてご紹介します。

1.《to and from Kazuo Okazaki / to and from Shuzo Takiguchi》
 この「瀧口修造・岡崎和郎二人展」は、マルセル・デュシャン生誕130年を記念して、2017年1月7日(土)〜2月12日(日)に、京都の画廊ozasa kyotoの企画展として開催された展覧会でしたが、私のコレクション展「瀧口修造の光跡」の第5回でもありました(以前の連載「瀧口修造とマルセル・デュシャン」の「補遺」参照)。

図1図1
瀧口修造・岡崎和郎二人展 会場写真1(撮影:土渕信彦。以下同じ)


図2図2
同2


 展示点数40点と小規模ながら、デュシャン生誕130年(あるいは「泉」100年)に因むさまざまな企画の、露払いの役割は果たせたのではないかと自負しております。開催地が瀧口にとってアウェイ(?)である京都だった上、天候にもあまり恵まれませんでしたが、熱心な来廊者が後を絶たず、3回開催したイベントも大盛況でした。たいへんありがたく思っております。

図3図3
瀧口修造・岡崎和郎二人展 会場写真3


図4図4
同4


 そしてこのたび、同展のカタログ《to and from Kazuo Okazaki / to and from Shuzo Takiguchi》が刊行されました。ozasa kyotoを運営しているARTOFFICE OZASA Inc.が1年がかりで編集に当たり、刊行に漕ぎ着けたものです。同画廊の企画展ですので、カタログ制作に関してもお任せすることとし、私は展覧会開催前にいくつかの提言・助言をした以外、まったく関与しませんでした。これが奏功したのでしょう、たいへん美しいカタログが出来上りました。用紙の色違いにより白版とクリーム版の2種があり、甲乙つけがたい仕上がりと思います。

図5図5
岡崎和郎側表紙(左:白版、右:クリーム版)


図6図6
瀧口修造側表紙(同)


 全体は岡崎作品の部と瀧口作品の部の2部で構成され、頁番号(ノンブル)こそ岡崎側から打たれていますが、瀧口側・岡崎側のどちらも表表紙といえる、どちら側から開けてもそのまま見ていくことができる造本となっています。すなわち、岡崎側は縦組右開けで、表紙を開けると見返しに瀧口が岡崎に捧げた序詩「彼の微笑、それから」が現れ、瀧口側は横組み左開けで、表紙を開けると同じく序詩”His smile, and”が現れます。どちら側も作品図版頁、作家略歴、作品リストが続き、開催趣旨の頁および奥付頁が真中に配ざれています。なお、二人の共作「檢眼圖」の図版は開催趣旨の頁に掲載されています(図12参照)。

図7図7
「彼の微笑、それから」


図8図8
“His smile, and”


 瀧口・岡崎とも実作の要所要所に赤色が用いられていることに応じたものと思われますが、各頁とも刷りを墨と赤の2色に絞り(瀧口作品頁の地色であるクリーム色を含めると3色)、墨の濃淡を基調に、所々で赤色が配されています。どの頁も研ぎ澄まされた感覚により見事に洗練されています。

 表紙を貼り込みにし、しかし綴じの部分はあえて貼らず、表紙を開けると背の内側に隙間ができるようにするという、手の込んだ綴じ方が採用されています。その隙間から表紙裏に配された赤色が顔を覗かせ、まるで着物の裾からちらりと襦袢が見えるような、エロティシズムを感じさせます。頁を繰るたびに斬新さに目を瞠らされ、全体を通じて衝撃的な存在感があります。

図9図9
岡崎和郎図版頁1


図10図10
瀧口修造図版頁1


 以上のような全体の構成・設計およびデザインは、国立国際美術館や京都国立近代美術館のカタログも担当されている大御所の西岡勉氏によるもので、「素晴らしい!」という以外に言葉が見当たりません。

図11図11
開催趣旨頁(和文)


図12図12
同(英文)


 このデザインに大きく貢献しているのが山本糾氏撮影の写真と思われます。2010年9月〜11月に神奈川県立美術館で開催された「岡崎和郎展 補遺の庭」の際にも撮影を担当されており、岡崎作品の撮影者としてこれほど適任の方は考えられません。本展のためにozasa kyotoでの撮影に立ち会わせていただきましたが、カタログ写真の圧倒的な説得力を目の当たりにし、改めてお仕事の緻密さを認識させられた次第です。

図13図13
岡崎和郎図版の頁2


図14図14
同3


 瀧口の平面作品の図版は、土渕が提供したカラー・ポジフィルムに基づいています。オブジェではなく平面なので、岡崎側から頁を繰って行くと、さすがに2色では物足りない印象もありますが、クリーム色の地色が、実作のさまざまな色彩やニュアンスを想像させ、見事に補っています。なお、瀧口作品の図版頁は、白版でもクリーム版同様、地がクリーム色に彩色されています。

図15図15
瀧口修造図版頁2


図16図16
同3


 瀧口、岡崎ともに、近年ますます海外から熱い視線が注がれていますが、このカタログでは、開催趣旨や瀧口による序詩はもちろん、作品名、作家略歴、展示リスト、開催趣旨、奥付に至るまで、英文・和文の2ヶ国語で表記されており、海外からの注目にも応えられるでしょう。自らの所蔵品によって企画展が開催されただけでなく、このような美しいカタログまで制作していただけて、まさにコレクター冥利につきます。展覧会を開催し、カタログの制作者であるARTOFFICE OZASA Inc.の小笹義朋氏、並びに小笹氏を紹介してくださった畏友のマン・レイ・イスト石原輝雄氏に、心より感謝申し上げます。

2.奥付データなど
 白版・クリーム版とも菊判65頁(縦220×横150×厚さ10弌砲如奥付データは以下のとおりです。なお刊行部数並びに価格の表記はありませんが、白版・クリーム版各500部、1冊各3000円(税込み)と聞いています。

編集:ARTOFFICE OZASA Inc.
写真:山本 糾 No.1〜No.3, No.5, No.6, No.10, No.12〜No.18, No.20, No.21
写真提供:土渕信彦 No.22〜No.36, No.39, No.40’ ときの忘れもの No.38
翻訳:渡辺真也
デザイン:西岡 勉
印刷:株式会社スイッチ・ティフ+クラフティー・デザイン

発行日:2018年1月
発行:ARTOFFICE OZASA Inc.
〒602-8216 京都市上京区竪門前町414 西陣産業会館207(西陣織会館西館)
TEL:075-417-4041 E-mail:mail@artozasa.com URL:www.artozasa.com

つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

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20180423_takiguchi2014_II_29瀧口修造
《II-29》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.3cm
シートサイズ :19.4×13.2cm
※II-30と対


20180423_takiguchi2014_II_30瀧口修造
《II-30》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.5cm
シートサイズ :19.3×13.2cm
※II-29と対


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●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年 ときの忘れもの 発行
21.5x15.2cm 92ページ
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
ハードカバー 英文併記
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円


表紙『瀧口修造展 I』
2014年 ときの忘れもの 発行
21.5x15.2cm 76ページ
テキスト:土渕信彦、瀧口修造(再録)
ハードカバー 英文併記
翻訳:ポリー・バートン
デザイン:北澤敏彦
図版:水彩、ドローイング、ロトデッサンなど44点
価格:2,000円(税別) ※送料別途250円

表紙『瀧口修造展 II』
2014年 ときの忘れもの 発行
21.5x15.2cm 67ページ
ハードカバー 英文併記
テキスト:大谷省吾、瀧口修造(再録)
翻訳:ポリー・バートン
デザイン:北澤敏彦
図版:デカルコマニー47点
価格:2,000円(税別) ※送料別途250円

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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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