瀧口修造の世界

土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第1夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第1夜レポート

土渕信彦


去る7月27日(金)、東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の第1夜を聴講しました。同館の企画展示「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」(図1)の関連イベントで、レクチャーのレポートに入る前に、企画展示の内容をご紹介します。
図1 企画展示案内板図1 企画展示案内板

1.企画展示について
展示点数は合計50点余り(展示替えを含む)。内訳は同館所蔵の瀧口修造作品13点と、瀧口が「見つめた」作家の作品40点ほど(ほかに雑誌などの資料11点あり)。瀧口の作品はデカルコマニー4点、バーント・ドローイング3点、ドローイング・水彩3点、ロトデッサン2点、コラージュ1点。デカルコマニーとドローイング・水彩はそれぞれ密度の高い佳品(図2,3)。バーント・ドローイングはいずれも素晴らしい大作(図4)。珍しいコラージュ「パウル・クレーのモニュメントのためのプロジェクト」も、一目見たら忘れられないでしょう(図5)。点数は多くありませんが、バラエティに富んで良いコレクションと思います。何よりも東近美が作品を所蔵していること自体、瀧口が造形作家として評価されたことを示しており、長年コレクションしてきた者として、感慨を禁じ得ません。
図2 正面の壁面図2 の壁面(右3点が水彩・ドローイング、左2点はロトデッサン

図3 デカルコマニー4点図3 デカルコマニー4点

図4図4

図5 コラージュ図5 コラージュ「パウル・クレーのモニュメントためのプロジェクト」

「見つめた作家」の作品では、海外作家ではセザンヌやシュルレアリストからフォンタナ、ミショー、コーネルまで、国内作家では戦前期の前衛画家から戦後の美術家までに及んでいます。各作家とも1〜2点、多くても5点止まりですが、選りすぐりの作品が並んでいて、「さすがは東近美」との思いを抱かせます。解説の小冊子も瀧口修造の手づくり本のようなデザインで、ファンでなくても手にしたくなるでしょう(図6)。
図6 冊子図6 冊子

会期は6月19日(火)〜9月24日(月・祝)なので、ゴードン・マッタ=クラーク展を観に行かれたら、是非この小展示も忘れずにご覧になるようお勧めします。

2.連続ミニレクチャーについて
5回の連続ミニレクチャーは以下のようなテーマが設定されています。
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」
五夜を通じて講師を務められるのは戦前期の前衛美術の専門家として著名な大谷美術課長です。担当された企画展「地平線の夢」(2003年)は、昭和10年代の前衛絵画の展覧会として今なお記憶に新しいものです。近年は大著『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八−一九五三』(国書刊行会、2016年5月。図7)も著されています。その大谷課長がまさに満を持して企画されたのが、今回の連続ミニレクチャーです。
図7 『激動期のアヴァンギャルド』図7 『激動期のアヴァンギャルド


3.瀧口修造と物質
第一夜「瀧口修造と“物質”」(図8)は、昨年11月に大阪大学で開催されたシンポジウム「〈具体〉再考」(第2回)を振り返り、吉原治良瑛九、瀧口の3人の「もの、物質、物体、オブジェ」を比較することから始められました。瀧口については、まず「詩と実在」(1931年)の「ぼくは詩の運動はそれ自身、物質との反抗の現象であることに注意したい」の一節が紹介され、「超現実主造型論」(1936年9月)の「オブジェ」論にも触れながら、「精神と物質」との系譜が辿られました。北脇昇、鶴岡政男、河原温、荒川修作吉原治良白髪一雄、もの派、「人間と物質」展などの作品や言説もスライドで紹介されました。そして1930年代後半の瀧口の「物質」観を示すものとして、『近代藝術』(三笠書房、1938年。図9)冒頭のセザンヌ論の次の一節が採り上げられました。
図8 ミニレクチャー図8 ミニレクチャー

図9 『近代藝術』図9 『近代藝術』


「セザンヌの精神は決して平衡をもったものではなくて、その感覚はたえず物質―人間の把握する空間の媒材として―と闘っている」

すなわち、私たちは言葉によって、花・花瓶・テーブルクロス……等々、自分をとりまく世界=「物質」の一部を認識していますが、言葉によって名付けられないものは、意識からこぼれ落ちてしまいます。つまり、「物質」のうちかなりの部分が、認識できていないことになります。この意識の外にある部分になんとか触れたいという動機こそ、この時期の瀧口の考える人間と物質との関係の根底に横たわるものであると指摘されました。

意識の外にある部分に触れるためのメディアとして写真ほど好適なものはないとされ、配布資料(図10)に記載された瀧口修造の「写真と超現実主義」の次の一節が紹介されました。
図10 配布資料図10 配布資料

「シュルレアリスムの写真について書く前に、読者がひょっとして持たれるかもしれない誤解のひとつを解いておきたいと思う。というのは、写真とは文字どおり現実をうつすものであるから、写真の超現実主義というのは、故意に原画を歪曲したり、切り抜いたりすることで終始するものではないという考え方である。これはまた写真とはかならず現実をありのままに再現するものだというような素朴な誤謬にも相通ずるものである。/この意味で超現実主義とは必ずしも実在を破壊加工するものではない。日常現実のふかい襞のかげに潜んでいる美を見出すことであり、無意識のうちに飛び去る現象を現前にスナップすることである。一体、不思議な感動というものは、大正が、極度に日現実的であり、しかも同じほどに現実的であるという、一種の同時感ではないだろうか?」

続いてアジェ阿部芳文、大辻清司らの写真や論考がスライドも紹介され、瀧口が一貫して取り組んでいたのは、「人間の主観的な意識の外にあるものをどうやったら捉えることができるか」ということではなかったか、と締めくくられました。

30分という限られた時間のなかで、よくこれだけ深い内容を盛り込まれたもので、たいへん感銘を受けました。次回以降も必聴と思います。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
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●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180423_takiguchi2014_II_29瀧口修造
《II-29》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.3cm
シートサイズ :19.4×13.2cm
※II-30と対


20180423_takiguchi2014_II_30瀧口修造
《II-30》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.5cm
シートサイズ :19.3×13.2cm
※II-29と対

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


ときの忘れのは本日8月11日(土)より、20日(月)まで夏季休廊中です。

◆ときの忘れものは第302回企画◆吉田克朗 LONDON II 1975を開催します。
会期:2018年8月24日[金]―9月8日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊
吉田克朗(1943-1999)は「もの派」の中心作家として物性の強い立体作品を制作する一方、風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画を精力的に制作しました。本展では『LONDON II』シリーズなど1975年の作品をご紹介します。
DM777


ときの忘れもの・拾遺 第8回ギャラリーコンサートのご案内
日時:2018年9月12日(水)18:00〜
会場:ときの忘れもの
出演:武久源造、山川節子
プロデュース:大野幸
要予約=料金:1,000円
予約:必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第3回

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

3.瀧口修造・阿部芳文『妖精の距離』

図1 妖精の距離図1 『妖精の距離』

奥付の記載事項

妖佑竜離
昭和12年10月10日 印刷 昭和12年10月15日發行
著 者  阿 部 芳 文
發行人  大 下 正 男
    東京市小石川區關口駒井町3
印刷人  菅 原 駒 吉
    東京市牛込区改代町23
發行所  春  鳥  會
    東京市小石川區關口駒井町3
定 價 \2.00

解題
本書は瀧口修造の「十二の詩」と阿部芳文の「十二の画」による詩画集です。縦30僉濂48僂梁臠修離吋鵐隼12葉と、その半分大(30僉24僉砲離吋鵐隼4葉が、綴じられずに、白厚紙の帙に包まれて収納されています。書影として有名な虫眼鏡の意匠(図1)は、この帙を撮影したものです。大判の紙は、12葉すべて中央で縦に二つ折りにされ、左頁には阿部のドローイングが(おそらくコロタイプで)印刷され、右頁には瀧口の詩が配されています。また、半分大の紙4葉は、献辞を記入する見返し(または遊び紙)、扉(図2)、目次、奥付に当てられています。

図2 扉図2 『妖精の距離』扉

奥付には上記のとおり「著者 阿部芳文」とあるだけで、瀧口の名は記されていませんが、久保貞次郎による私家版『スフィンクス』(1954年。図3)を別にすれば、『瀧口修造の詩的実験 1927〜1937』(思潮社、1967年)が刊行されるまで30年にわたって、瀧口唯一の詩集として知る人ぞ知る一冊でした。もともと100部しか刊行されず、海外向けの献呈や戦災による焼失なども考えると現存数はさらに少ないはずで、戦前の詩集や写真集のなかでも代表的な稀覯本として、今も珍重されています。20年ほど前に神田神保町の古書店で見かけた一冊は、美術評論家四宮潤一宛ての(ペン書き)献呈署名本でしたが、水を被った跡が明瞭に残っており、戦火を潜り抜けてきたことがありありと伝わってきました。

図3 スフィンクス図3 『スフィンクス』

本書の詩12篇は、もちろん前述の『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』(図4)に収録されていますが、同書のなかでは、「仙人掌兄弟」から「絶対への接吻」や「詩と実在」にいたる、1928年〜31年頃の作品の存在感が圧倒的で、それ以降の作品は、「妖精の距離」の12篇を含め、慎ましい抒情詩のように感じられます。その理由は、ひとつには、この時期の「七つの詩」「白の上の千一夜」「妖精の距離」などが、本来はイメージと組み合わされることが前提とされていたにもかかわらず、同書にはイメージが掲載されていないことにあるかもしれません。

図4 詩的実験図4 『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』と「添え書き」

例えば「七つの詩」は、ダリ、エルンスト、マグリット、ミロピカソマン・レイ、タンギ―の7人に各1篇ずつ捧げられた詩で、山中散生編『L’ÉCHANGE SURRÉALISTE』(超現実主義の交流。ボン書店、1936年。図5)に掲載されました。初出時にこれら7人の造形作品と組み合わされていたわけではありませんが、瀧口の詩が(具体的な作品とまではいえないにしても)7人の仕事を前提としているのは、言うまでもないでしょう。

図5 超現実主義の交流図5 『L’ÉCHANGE SURRÉALISTE』函(左)、赤版表紙(中)、青版表紙(右)

また「白の上の千一夜」は、実際に今井滋のデカルコマニーと組み合わされて発表された詩です。今井の証言によれば、今井が手掛けた130枚ほどから瀧口と二人で15枚を選び、1枚ごとに瀧口が1〜5行の(全体で1篇となるような)詩を書いて、1937年3月の新造型第5回展(東京府美術館)の展示壁面に、「同じ額縁の中でデカルコマニイと詩とを同時に発表した」とされています(「デカルコマニイと其の方法」「みづゑ」1937年5月。図6)。ちなみに、「みづゑ」同号には瀧口夫妻の作例が、見開きに並べて掲載されています(図7)。

図6 今井図6 今井滋「デカルコマニイと其の方法」

図7 瀧口夫妻図7 瀧口夫妻のデカルコマニー(左:綾子夫人、右:瀧口本人)

一般に、言葉とイメージとが組み合わされる場合、小説と挿絵のように、どちらか一方が主となり、他方がそれを補うというのが一般的と思われますが、瀧口が目指していたのは、イメージと言葉とが互いに触発し合いながら、全体としても統一感を持つようなあり方だったようで、早い時期から「超現実主義を通して、詩と絵画とが握手する」(「超現実主義絵画の方向について」、「詩法」1935年8月)と述べていたとおりです。その理想的な実例は、マン・レイとエリュアールの『ファシール』(1935年。図8)だったのかもしれません。「写真と超現実主義」(「フォトタイムス」1938年2月。図9)の図版に以下のようなキャプションを付けています(新字新仮名遣いに変更)。

「外国の詩集などでイリュミネ―ション(飾画)とよばれるものを憶い起す。ブレークなどは彼自身画家であったから詩の周囲に自分で銅版画を描いた。日本では詩画一致と呼ばれるが、こうした形式はとらなかった。マン・レイの写真とエリュアールの詩の文字とは全部グラビア版であるから融け合っている。写真もこうして詩画一致を形づくるのである。」

図8 ファシール図8 『ファシール』

図9 フォトタイムス図9 「フォトタイムス」(右下に『ファシール』の図版)

本書は阿部のドローイングと瀧口の詩によって「詩画一致」を実現した、記念碑的な詩画集といえるでしょう。具体的な制作過程は明らかではありませんが、「白の上の千一夜」同様、阿部のドローイングを見ながら瀧口が詩を書き下ろしたものと思われます。「みづゑ」1937年月11号に挟み込まれた刊行案内(図10)では、次のように述べています(新字新仮名遣いに変更)。

「私の内部には、永いあいだ、卵のように絶えず温められていた妙な思想があった。そう、それは全く思想というより、ほかに言いようのない、だが卵のようなものであった。ただ貝殻の中に小石が形づくられてしまったように、いま一冊の詩画集『妖精の距離』が、阿部芳文君とのあいだに作られたことはたのしい。すべて夢想というものは卵のように名状すべからざる形をしていたのである。かつては、花と鳥たちとが容易に結ばれたことを思い起すまでもない。今は詩はその余白を、絵画はその余白を、孤独なさらに巨大なブランクに曝している。
『妖精の距離』の第三の余白は読者のやさしい手の中に委ねられているばかりである。」

図10 刊行案内図10 『妖精の距離』刊行案内(「みづゑ」1937年11月号)

昨年(2017年)9月、神奈川県立近代美術館(葉山)で開催された企画展「1937−モダニズムの分岐点」(図11)では、本書と『ファシール』とが並べて展示されていました。この『妖精の距離』は山中散生宛ての瀧口・阿部両名の献呈署名本(ペン書き)で、「100部限定出版の内のNO14」でした。山中は刊行の数ヶ月前に「海外超現実主義作品展」(1939年5月)を共同で招来・開催した、いわば「盟友」といえるはずの人物ですから、もう少し番号が若くても良さそうな気もします。しかしシュルレアリスムやシュルレアリストたちに対する山中の関わり方・姿勢に、瀧口は若干の違和感を覚えていたようで、3年前の34年には以下の引用のように述べています。本書刊行の時点でも、この違和感は解消されていなかったのかもしれません。「NO14」という番号から、こうした微妙な間合いが読み取れるように思われます。

「この頃山中散生氏等のなされているシュルレアリスム紹介の仕事に対して、敬意を払いたいと思う。私は性来の無精から、氏等に対して度度例を失しているので、この誌上を通じて深く謝しておきたいと思う。ポール・エリュアール氏へのオマージュの出版や、ルイ・アラゴン氏の翻訳等の努力は注目されていい。
ただ、単なる交友的エシャンジュ[交流]に終わらしめず、このムーヴマンの正当な認識を植えつけることに、努力されたいと希望する。」「脱頁」(「詩法」第5号、紀伊國屋出版部、1934年12月。図12)

図11 会場写真図11 「1937−モダニズムの分岐点」展 会場写真(神奈川県立近代美術館 葉山)

図12 脱頁図12 「脱頁」

なお、本書の画を担当した阿部芳文(その後「展也」と名乗る)は、1913年生まれ、37年の刊行当時24歳で、2年後には美術文化協会の結成にも参加しました。戦後は同協会を脱退して数々の国際展に参加する一方、下落合のアトリエに集った福島秀子、漆原英子、草間彌生宮脇愛子、榎本和子など、錚々たる女流作家たちを指導しています。62年にはイタリアに渡り、71年に没するまでローマのアトリエで制作を続けました。瀧口の協力のもとに、1957年まで208回の企画展を開催したタケミヤ画廊の第1回展も、「阿部展也デッサン・油絵個人展」(1951年6月1日〜6月15日)だったことを付け加えておきます。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_III_14瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"-14"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:18.5×13.9cm
シートサイズ :18.5×13.9cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●本日23日(月)は休廊です。

石原輝雄「瀧口修造・宮脇愛子 ca.1960展報告」

石原輝雄のエッセイ「瀧口修造・宮脇愛子 ca.1960展報告」

『不思議な取っ手』


京都西陣、晴明神社近くの古いビルにあるART OFFICE OZASAで、6月2日から末日まで催された展覧会「瀧口修造 宮脇愛子 ca.1960」展は、作品と人との一期一会を物語る最高の場であった。しかし、場所は京都、昨今の積極的な広報とは別の次元で、ひっそりと画廊の扉は開かれていた。気づかないまま通り過ぎた人も多かったと思うが、なにげなく画廊の扉を押した人の幸せに祝福を贈りたい。このようにして宮脇さんの初期油彩を観ることは、もう出来ないとわたしは思っているので、展覧会を見逃された方々に展示の様子を捉えた写真をアップし、最高の場の一端を味わってもらいたいと願う(横道に逸れてしまうけど)。

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TM60-1ART OFFICE OZASA 京都市上京区堅門前町414 西陣産業会館207


TM60-2宮脇愛子『作品3-4-62』『作品3-3-62』など


 瀧口 修造と宮脇愛子のお二人は、ときの忘れもののブログにアクセスされる皆さんにとっては親しく、その業績と人柄、作品との対面には、多数の機会が用意されてきたと思う。しかし、「二人の名前を冠した展覧会は始めてではないか」と綿貫さんにうかがい、展覧会のタイトルに記された「ca.1960」の意味合いを改めて考えた。
 瀧口さんは、’58年の欧州旅行の後、「ジャーナリスティックな評論を書くことに障害を覚えはじめ」’60になると「スケッチブックに万年筆で文字でない線描を走らせ」10月に初個展を開催。’62年には「デカルコマニーに没頭する」ようになり、やがて、個人的に友人や知人に「言葉」や「個展への序文」、あるいは造形の仕事を贈る場合が増えていった。一方の宮脇さんは’59年に初個展を銀座の養清堂画廊で開催し「溶岩のようなマチエールの肌」で注目を集めた後、瀧口さんや阿部展也氏の勧めもあって単身イタリアに渡り、’61年にミラノのミニマ画廊で個展。’62年に帰国し東京画廊で国内二度目の個展を開くほど活躍。その折、作品を気に入ったパリの画商アンドレ・シェレールが「120号以上の大作ばかり15点ぐらいをまとめて」購入。彼と契約してパリに拠点を移し、「並列的なレリーフ状の油彩」を描いて同年10月パリで個展。マン・レイとの交流が深まったのは、この時期だと云う。そうした1960年頃の状況が、リアリティを持って会場を支配しているのだから、遅れてきた世代としては、嬉しいと云うか、不思議な感覚である。

TM60-3瀧口修造 デカルコマニー 5点、宮脇愛子『作品3-3-62』


TM60-4宮脇愛子『作品3-6-62』『作品6』'61 瀧口修造 バーントドローイング、デカルコマニー


TM60-5宮脇愛子『作品』'62


 どうして宮脇作品の前に立つと、重力に逆らう物質の意志を感じるのだろう。彼女の手から絞り出され空気を孕んで固まった大理石粉の皮膜が、実は思いの外にはかなく、今でもやっとの思いで形象を留めていると感じるのは、個人コレクションの中で静かに余生を送ってきたためだろうか。
 瀧口さんのデカルコマニーから、海の深みと閉ざされた光を感じるのは、どうしてだろう。目には見えない何者かが、人の手を借りて紙の表面に、涙の痕跡を残した。──そんな事があるのだろうか。これまでもお二人の造形を見てきたはずなのに、特に気高い色彩を感じるのは、どうしてだろう。疑問ばかりがわたしの中を巡っている。

 画廊であって画廊でなく、生活の痕跡をわずかばかり残す距離のもたせ方は、京都のスタイルと言って良いかと思う。画廊主は黒いパンツとシャツが似合う人、宮脇さんもそうした服装を好む人だった。瀧口さんは煙の影に隠れて、ウフフと笑っておられるように思う。昨日が瀧口さんの命日にあたるので、特にこんな連想をしてしまった。四人で談笑しているような、気分なのである。

TM60-6画集『フォンタナ』、後方に掲載作品『無題』'64


TM60-7宮脇愛子 個展ポスターなど


TM60-8ミニマ画廊カタログなど


 東京で宮脇作品に魅せられ、パリに持ち帰ったシェレールは、没年から推測すると宮脇さんより1歳若く当時32歳。今回ART OFFICE OZASAで展示されている宮脇さんの油彩4作品は、氏との契約のもとパリ、モンパルナスのアトリエで制作された作品と思われ、シェレールの手許に長く置かれていた。近年、同氏のアフリカやアメリカの原始美術コレクションと共に市場に現れ、縁あって京都に招来された。そして、展覧会の後も京都に留まってくれれば(美術館などで)、地元民として幸せこの上ないのだが、全作品が展覧会の開催と同時に売約済となり、新しい所有者のところに移動してしまうと云う。ですから、ここには戻らないのです(涙)。

 わたしは作品と人との物語に興味を持つ、そのための資料が沢山用意されているこの展覧会は、居心地が良く、宮脇さんのアトリエ、あるいは、瀧口さんの書斎にお邪魔している感覚。この幸せを解説したくなった。例えば、みすず書房が’64年に刊行した現代美術シリーズ第25巻『フォンタナ』のテキストで、瀧口さんが「フォンタナという作家ほど近づきやすく、また誤解されやすい作家もめずらしいのではないか、私はいろんな機会にそう感じる。」と書いた冒頭を飾る対向頁の図版に用いられたフォンタナの作品(’64年)が、瀧口作品(’62年、宮脇旧蔵)の横に掛けられている。その手前のテーブルの上には、名古屋のギャラリー高木で行われた宮脇さんの個展(‘80年)の折に磯崎新氏がデザインしたポスターが置かれている。これにはマン・レイが撮影した彼女の肖像写真が使われていて、その経緯などを知っているものだから、懐かしさが一杯。そして、語り部の第一人者となるのは、ミニマ画廊での個展カタログ。手に取り彼女の初期油彩を背景に写真を撮った。書体と色合い、そして、紙の手触り。ミラノの石造りの建物に差し込んでいた光が、彼女の絵肌に留められたまま、京都までやってきた感覚。考えてみれば、油彩の表面は大理石扮なのだから、親和性があるのは当然なのだ、眼の解釈は正直である。

TM60-9中村美奈子 文鎮、瀧口修造 立体


TM60-10市田文子 半革装『瀧口修造の詩的実験 1927-1937』他


 展示台には、造本作家グループLes fragments de Mの皆さん(羽田野麻吏、市田文子、平まどか、中村美奈子)による瀧口修造へのオマージュ本が飾られている。作品保護のためにわたしの場合は、白手袋越しでしか楽しめないが、革製本の国の知性に対して、湿潤な国の用紙達の苦しみを体験してこられた瀧口さんが、どんな感想を持たれたのか尋ねてみたい。見ると彼女たちと共演するようにアクリルケースの中に、デカルコマニーを用いた四角錐台(’70)が置かれている。裏面の穴から覗くと言葉が認められる。なんて書いてあるのだろう。瀧口さんが贈ったオブジェに、「書物は姿を変えていく」と書物好きのわたしは思ってしまうのだった。

TM60-11手前に造本作家グループの装幀本、後方に瀧口修造、宮脇愛子


TM60-12岡崎和郎、瀧口修造、ルーチョ・フォンタナなど

 
 天井高4メートルと云う広い空間の、光に包まれた窓側の椅子に座って、会場を見渡している。視線の先に掛けられた作品たちとは、離れているから図像を見ているというのではなくて、存在を感じているといった感覚。並んで掛けられた斎藤義重、阿部展也両氏の小品などは、宮脇さんへのアドバイスの時期に関わるものなので、会話の余韻が立ち現れ、「ca.1960」へと続く彼女の新しい人生の扉であったように思う。57年の後、その取っ手をゆるやかに回すのは、だれだろう。開けることと閉めることが同時に行われる人生の扉。作品もそうした扉の一形態であるのは間違いない。ここからでは見えないが、対向壁には岡崎和郎さんによる一対の「HISASHI」が、題名そのままに「鳥のように」飛翔しているはずだから、心憎い演出である。柱の影に誰か居るのかしら……

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TM60-13


 京都の梅雨開けは、「夕立三日」前祭の巡行が終わる頃だと云う。展覧会は終わってしまったが、幸せな記憶が残された。京都に住まいを移し画廊での仕事を始めた女性の、素直な指の先にも不思議な取っ手があることを、教えてあげたい。これは、蛇足だろうな。

(いしはらてるお)
〜〜〜

●「橄欖」第4号が
瀧口 修造(1903年(明治36年)12月7日 - 1979年(昭和54年)7月1日)の命日に刊行されました。
20180619173457_00001瀧口修造研究会 発行
2018年7月1日
22.5x15.0cm 211P
執筆者は掲載順に、霧山深、岩崎美弥子、山腰亮介、永井敦子、朝木由香、島敦彦、嶋田美子、藤澤顕子、石原輝雄、野海青児、宮井徹、山口馨、三谷風子、高島夏代、尾山景子、高橋修宏、伊勢功治、土渕信彦

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『橄欖』はときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。
頒価:1,500円、送料250円

●今日のお勧め作品は、瀧口 修造です。
takiguchi2014_II_18-18
デカルコマニー
イメージサイズ:15.7×9.0cm
シートサイズ :19.3×13.1cm 
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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京都ozasaで「瀧口修造・宮脇愛子 ca.1960」開催中

先日大盛況のうちに終了した松本竣介展の最終日6月2日、お客様には申し訳なかったのですが、亭主は社長のお供で京都に行ってまいりました。
ART OFFICE OZASAで始まった「瀧口修造 宮脇愛子 ca.1960」展の初日だったからです。
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「瀧口修造 宮脇愛子 ca.1960」
会期:2018年6月2日[土]〜6月30日[土]
会場:京都・ART OFFICE OZASA
   京都市上京区竪門前町414 西陣産業会館207(西陣織会館 西館)
時間:11:00〜18:00 *日・月・祝日休廊
●展示風景(画像提供:ART OFFICE OZASA)
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●6月2日(土)初日の様子
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奥の壁に瀧口修造のドローイング、右は宮脇愛子作品

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さりげなく瀧口修造(左)とフォンタナ(右)

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岡崎和郎

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CIMG8989 Les fragments de M(frgm)の皆さんが瀧口修造の著書をそれぞれ造本しました。瀧口先生へのオマージュ作品です。

CIMG8984羽田野麻吏制作造本
マン・レイの素描
ポール・エリュアールの挿詩
瀧口修造訳
『自由な手・抄』
1973年 ジイ・キュウ出版 刊
149×126×10mm


CIMG8985羽田野麻吏制作造本
瀧口修造/篠原佳尾
『小球子譚』
1975年 西村画廊 刊
87×87×18mm


CIMG8986左)平まどか制作造本
瀧口修造『三夢三話』
1980年 書肆山田 刊
229x178x11mm
右)市田文子制作造本
瀧口修造
『瀧口修造の詩的実験・1927-1937』
1967年 思潮社 刊
254×193 ×33mm


CIMG8987市田文子制作造本
滝口修造『余白に書く』
1966年 みすず書房 刊
239×94×18mm


CIMG8993会場の机の上には、frgm 中村美奈子制作の文鎮と資料類


CIMG8996左から土渕信彦さん、画家の林哲夫さん、亭主

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CIMG8999ギャラリーオーナー小笹さんご自慢の照明器具と椅子。

CIMG9000左から清家克久さん、小笹義朋さん、亭主

CIMG9001手前は歩いて5分のところに住む野口琢郎さん、9月のときの忘れものの個展のために新作に没頭している最中でしたが、かけつけてくれました。

CIMG9002名作椅子に座りゴキゲンなのは京都の写真家・森岡誠さん

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CIMG9005左から2番目は夜野悠さん

とても広い画廊です。
お親しかったにもかかわらず、瀧口先生と宮脇先生の二人展は今回が初めてでした。
歴史的なといってもいいと思います。
画廊は展示がすべて!」と言い切る小笹さんのセンスあふれた素晴らしい展覧会です。
会期は6月末まで、関西の皆さんはもちろん、京都旅行にお出かけの皆さん、ぜひご覧ください。
これだけの秀作が揃った展示は二度とできないかも知れません。
場所はちょっと(というかかなり)わかりづらいです。亭主は何度行っても迷う。西陣織会館はタクシーに乗れば直ぐ連れてってくれますが、そこからがタイヘン。くれぐれも電話で入り口を確認してお出かけください。

小笹さんが数年がかりで準備された展覧会、プレスリリースにも力が入っています。
以下、原文のまま引用します。
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この度、ART OFFICE OZASAでは「瀧口修造 宮脇愛子 ca.1960」展を開催いたします。
戦前・戦後を通してあらゆる表現分野の多くの作家と交流した詩人で美術評論家の瀧口修造(1903-1979)。
シュール・レアリスム芸術を基軸に、日本における前衛芸術の精神的・理論的支柱として活発な評論活動を展開します。
読売アンデパンダン(1951)、実験工房(1951)、タケミヤ画廊での企画など常に現代美術に刺激を与え続けましたが、1960年以降、国際展の審査、新聞や雑誌など職業的に書くことに矛盾を感じ、1963年にはそれらいっさいをやめます。
その一方で1960年以降、南天子画廊での初個展(1960)をはじめ、数多くのデッサンやデカルコマニー、バーントドローイングなどの造形作品を残しており、これらは近年、瀧口独自の表現として益々注目されています。
宮脇愛子(1921-2014)もまた瀧口と親密に交遊した作家でした。1953年、義理の姉であった神谷伸子を通じて阿部展也斎藤義重に師事します。養清堂画廊での初個展(1958)ののち、瀧口の勧めでイタリアミラノへ移り住み、フォンタナ、カステラーニ、マンゾーニ、そしてパリのマンレイなど多くの作家と交流し、本格的に作家活動を始めます。
一時帰国した1962年1月には東京画廊で個展を開催し、その時に出会ったパリの画商アンドレ・シェレールと契約し、1年間パリに滞在し作品制作をします。そして同年10月には、アンドレ・シェレール画廊にて個展を開催し、これを契機にニューヨーク、ワルシャワを始め世界各地の主要な美術館での発表が始まります。
ほぼ時を同じくして鬼籍に入った宮脇愛子(2014年没)とアンドレ・シェレール(2015年没)。
この度、ART OFFICE OZASA は、アンドレ・シェレールのプライヴェートコレクションからパリ・モンパルナスのアトリエで制作された宮脇愛子の初期の重要な作品の里帰りを実現することができました。
これを機会に初公開作品を含め1958年〜1962年の宮脇愛子作品6点、瀧口修造の1960年以降の未発表作品10点を併せて展示いたします。またプライヴェートコレクションから宮脇愛子旧蔵の瀧口修造作品4点も併せて展示いたします。
具体美術、もの派をはじめ、世界から熱い視線を集める戦後日本美術。その中でも1960年代の草間彌生田中敦子をはじめとする女性陣の活躍は一層際立った輝きを放っています。宮脇愛子もまた1967年にはグッゲンハイム美術館に作品買上となり、世界各所の美術館に収蔵されれています。しかし、まだまだ十分な評価がされているとは言い難く、本展示が再評価の一端となることを願っております。
今日まで目にする機会の少なかった宮脇愛子の1960年初頭、パリでの制作をご覧いただける貴重な機会となります。
また造本作家グループ<Les fragments de M>による、瀧口修造のルリユール(工芸としても製本)作品もあわせてご覧いただけます。
ぜひご高覧賜りますよう、よろしくお願い申しあげます。

【主な展示作品】
瀧口修造

・1960年以降の未発表作品を中心に10点     
・宮脇愛子旧蔵のプライヴェートコレクションから4点
・「デカルコマニー」「バーントドローイング」「水彩」など
    
宮脇愛子
・「作品8」1958-59年
・「作品」1961年
・「作品」1962年 *アンドレ・シェレール・コレクション
・「作品3-3-62」1962年 *アンドレ・シェレール・コレクション
・「作品3-5-62」1962年 *アンドレ・シェレール・コレクション
・「作品3-6-62」1962年 *アンドレ・シェレール・コレクション
・資料展示のみ「作品1」1961年 *アンドレ・シェレール・コレクション

【ルリユール展示】
造本作家グループLes fragments de M 
・瀧口修造関連書籍「自由な手・抄」「小球子譚」「瀧口修造の詩的実験・1927-1937」「余白に書く」「三夢三話」など

【参考展示作品】
・阿部展也「アブデルワラ寺院」ca.1953
・ルーチョ・フォンタナ「無題」1964

【協力】
土渕信彦
・ときの忘れもの
・松田昭一(宮脇愛子アトリエ)

【宮脇愛子 略歴】
1929年 東京に生まれる
1952年 日本女子大学文学部史学科卒業
1953年 阿部展也、斎藤義重に師事する
1957年 サンタモニカ・シティ・カレッジおよびカリフォルニア大学・ロサンゼルス校に学ぶ
1959年 ミラノ、パリ、ニューヨークに滞在
1966年 帰国
1967年 《Work》でグッゲンハイム国際彫刻展・買上げ賞受賞
1977年 第7回現代日本彫刻展で《MEGU-1977》が北九州市立美術館賞を受賞
1981年 第2回ヘンリー・ムア大賞展(彫刻の森美術館)で《UTSUROHI》が エミリオ・グレコ特別優秀賞を受賞
1982年 第8回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で《UTSUROHI》が第1回土方定一賞を受賞
1986年 第2回東京野外現代彫刻展(都立砧公園)で《UTSUROHI》が東京都知事賞を受賞
1992年 モンジュイック・オリンピック広場(バルセロナ)への《UTSUROHI》設置により、カタルーニャ芸術評論家賞を受賞
2000年 第7回日本藝術振興賞受賞
2003年 フランス政府より芸術文化勲章・オフィシエを受賞
2014年 膵臓癌のため84歳で死去

主なコレクション
日本:東京国立近代美術館、東京都現代美術館、国立国際美術館、神奈川県立近代美術館、宮城県美術館、原美術館、静岡県立美術館、芸術の森美術館、群馬県立美術館、奈義町現代美術館
フランス:ピエール・ブーレーズのための音楽広場(リヨン)、ラ・デファンス(パリ)
イタリア:ファットレア・チェレポーランド ウッジ美術館、クラコウ・マンガセンター日本庭園
スペイン:モンジュイック・オリンピック広場(バルセロナ)、ミロ美術館
アメリカ:グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)、チェイス・マンハッタン銀行(ニューヨーク)、プラザタワー広場(コスタ・メッサ)
ベルギー:ヴェランヌマン財団
カタール:アル・ワプラ・ファーム(ドーハ)
ドイツ:鉄鋼労働組合ビル(フランクフルト)
台湾:花蓮空港、南港駅(台北)

【瀧口修造 略歴】
1903年 富山県に生まれる。
1923年 慶應義塾大学予科に入学。
1926年 富永太郎・堀辰雄らの同人誌「山繭」に参加。西脇順三郎教授の教えを受ける。
1928年 シュルレアリスム機関誌「衣裳の太陽」創刊。
1931年 慶應義塾大学英文科卒業。
1938年 「近代芸術」を出版し、1941年前衛芸術弾圧により検挙され約8か月拘留される。
1947年 「日本アヴァンギャルド美術家クラブ」結成に参加。
1951年 「タケミヤ画廊」企画に無報酬で参画。「実験工房」発足。
1953年 国際アートクラブ結成に参画。
1958年 ヴェネチア・ビエンナーレの日本代表及び審査員として渡欧。
1959年 美術評論家連盟会長に就任(1962年まで)
1960年 初個展「私の画帖から」(南天子画廊)
1967年 『詩的実験1927-1939』刊行。
1969年 詩画集『手づくり諺』ミロと共作。
1973年 フィラデルフィア美術館デュシャン大回顧展に出席。
1979年 肺水腫のため76歳で死去

【アンドレ・シェレール Andre Schoeller】
パリ、サンジェルマンデプレのアートマーケット、オークションハウスDrouotで数々の大きな売上を記録した伝説的な人物。
プリミティヴアート、近代美術、戦後の現代美術、特に抽象的な芸術を専門とするギャラリスト、アートディーラー。プロヴァンスの邸宅で86歳で2015年12月1日に死去。

【造本作家グループ Les fragments de M(略称frgm)】
frgm は2011年10月、三人の製本家と一人の箔押し師が集まり、ルリユールをもっと多くの方々に知って頂き、より身近なものとして慈しんでもらうことを願い、活動を始めまる。メンバーは羽田野麻吏平まどか中村美奈子市田文子(2017 年退会)。
「ルリユール」とはフランス語で「製本」を意味し、書店で売られているいわゆる機械製本も含める語ではありますが、一方で工芸としての製本を強く想起する言葉として、フランス語圏の国々では使われています。
工芸としての製本とは、読書家・愛書家が自らの蔵書を製本家に依頼して、世界に一つの作品に仕立て直し、(具体的には山羊革や仔牛革などを表装材に用い、その上に革や他の素材による)装飾を施していきます。
ART OFFICE OZASAプレスリリースより転載)
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残り会期はあと僅かですが、京都はじめ関西圏のみな様、ぜひお運びください。

◆銀座で関根伸夫展が開催中です。
会場:銀座・ギャラリーせいほう
会期:2018年6月18日[月]―6月29日[金] ※日曜休廊
関根伸夫先生はこの展覧会のためにロサンゼルスから帰国されました。
関根伸夫展_Gせいほう_案内状

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銀座ギャラリーせいほう外観(撮影:佐藤毅)
*関根伸夫の新作絵画「空相ー皮膚 Phase of nothingness-skin」のためのノートをお読みください(6月20日ブログ)。
オープニングの様子は6月22日のブログに掲載しました。
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左から《Phase of Nothingness - Skin14》《Phase of Nothingness - Skin3》《Phase of Nothingness - Skin15》(撮影:佐藤毅)

180618関根伸夫_gせいほう_11_TS(撮影:佐藤毅)


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第2回

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

2.瀧口修造訳アンドレ・ブルトン『超現実主義と絵画』

『超現実主義と絵画』訳者瀧口修造
厚生閣書店 現代の藝術と批評叢書第17編
19.2×13.8僉福峪溶司儼身宗廖
本文100頁、挿絵目次6頁、挿絵50頁(1頁に1点)。50点すべて原書からの転載。作家ごとの点数は後出「作家別挿絵点数」表参照。

奥付の記載事項
昭和五年六月十日印刷
昭和五年六月十五日發行
超現實主義と繪畫 【定價一圓五十銭】
著者  瀧口修造
發行者 東京市麹町區下六番町四十八番地
岡本正一
印刷者 東京市牛込區西五軒町二十九番地
溝口榮
印刷所 東京市麹町區土手三番町二十九番地
厚生閣印刷部
發兌  東京市麹町區下六番町四十八番地
厚生閣書店
振替  東京五九六〇〇番
電話  九段三二一八番

図1図1
『超現実主義と絵画』初版


解題
表紙のアルファベット部分のタイポグラフィーは原書を踏襲しています。並べてみると一目瞭然です(図2)。刊行当時、瀧口は27歳。慶應義塾大学文学部英文科に在学中でした。英語に堪能だったのはもちろんですが、「シュルレアリスム革命」誌などを購読していたのですから、フランス語もかなりのレベルにあったのは間違いないでしょう。当時の大学生は今の大学院生かそれ以上の学力があったのかもしれませんが、それにしても学部の学生が、しかも仏文科でなく英文科の学生が、ブルトンの原書を翻訳(原書初版の全訳)したという事実に、まず驚かされます。

図2図2
訳書とアンドレ・ブルトン『シュルレアリスムと絵画』初版本


といっても、もちろん翻訳には難渋したようで、刊行から32年後の1962年10月8日に、母校の県立富山高校(図3)で行った講演「美というもの」のなかでこの翻訳について触れ、「まるで方程式でも解くみたいに」意味を考えたことや、分からないところをフランス人の先生に(友人を介して)質問したところ、「こんなフランス語はない」と言われたことなどを回想しています(「瀧口修造の光跡」展 I カタログに講演録を収録。参考図)。

図3図3
瀧口在学当時の富山中学(『富中富高百年史』、富山高等学校創校百周年記念事業後援会、1985年10月)


参考 美というもの参考図
瀧口修造の光跡機嵌というもの」展カタログ


挿絵点数は全体で50点と、原書の77点からおよそ3分の2に減らされています。作家別の点数は下表のとおりです。もともと掲載点数の多いピカソとデ・キリコは、削減点数も多い一方、エルンストミロは削減点数が比較的少なく、タンギーは全く削られていません。その理由はいろいろに想像されるでしょう。ダリとマグリットは取り上げられていませんが、これは原書の執筆・刊行がこの二人の登場前だったからと思われます(原書の刊行は1928年。「シュルレアリスム革命」誌上での連載は1925〜27年)。

表 作家別挿絵点数
表


ところで瀧口は、三一新書『私の人生を決めた一冊の本』(三一書房、1972年12月)のなかで、「超現実主義との出会い」との題のもと、ブルトン『シュルレアリスム宣言』を採り上げています(図4)。超現実主義が瀧口の人生を決めたという意味で、『宣言』が挙げられるのは当然でしょう。けれども、「人生の節目ないし転換点となった」という意味では、本書『超現実主義と絵画』の方が、その痕跡がより具体的で明確なように思われます。

図4図4
『私の人生を決めた一冊の本』


例えば「自筆年譜」1932年の項(「本の手帖」特集瀧口修造、昭森社、1969年8月、図5)では、以下のように回想されています。本書がシュルレアリスムに関心を持つ美術家たちの間で広く読まれ、後に彼らが結成した「新造型美術協会」などのグループを指導する立場へと瀧口を導くことになったのは明らかでしょう。

「古賀春江からブルトンの『超現実主義と絵画』の訳を読んだ感想をのべた手紙を貰う。一度訪ねるが不在、ついに会わずじまいであった。」

図5図5
「本の手帖」」特集瀧口修造表紙


さらに重要と思われるのは、本書に訳出した内容そのもの、とりわけ以下に引用する一節が、その後も瀧口自身のシュルレアリスム絵画論に繰り返し引用され、シュルレアリスム絵画に関する考え方のいわば柱となっていることです。

「視覚的影像を固定せんとする欲求は、その影像がそれらの固定よりも先在的であると否とを問はず、常に外面化され、私には他のもの以上に人工的であるとは思はれぬ一つの真実の言語の形成に到達する、そしてその原因に就ては遅疑することは無益であろう」(『超現実主義と絵画』)

具体的に述べればこの一節は、『超現実主義と絵画』刊行の6年後に、美術雑誌「みづゑ」379号(1936年9月、図6)の巻頭を飾った「超現実造型論」の冒頭部に引用され、全体を貫く中心的な命題とされています。余談になりますが、「みづゑ」同号の口絵は前年12月に結婚した瀧口綾子によるものです(図7)。

図6図6
「みづゑ」379号


図7図7
瀧口綾子口絵


この「超現実造型論」は、翻訳・紹介や展評などを除けば瀧口初の本格的な美術評論ないしシュルレアリスム論といえる論考で、これを抜粋再録したのが、2年後に三笠書房から刊行された『近代藝術』(図8)のシュルレアリスム論「シュルレアリスムと絵画」です。もちろん上の一節は、その冒頭に引用されています。つまりこの一節は、瀧口にとって『超現実主義と絵画』全体のなかでもシュルレアリスム絵画の本質に関わる、原点ともいえる命題だったのではないでしょうか。年を経るあいだも絶えずそこに立ち戻り、実作や写真図版を観たり他の文献などを読んだりしながら、その意味を実感するうちに、訳文も次第にこなれていったものと思われます(煩雑になるので引用は省略します)。

図8図8
『近代藝術』初版


もちろん、「超現実造型論」(図9)では、この一節の前に、前置きとして次のように述べられ、美術の領域に限定してシュルレアリスムを考えることの危険性を指摘している点は見落とせません。またこの論考では、本訳書刊行後に登場し、シュルレアリスムの新たな展開の契機となったダリについても、比較的詳しく述べられている点も、付け加えておきます(図10)。

「超現実主義を、造型的領域の関連においてのみ考えることは、或る種の根本的な危険を犯すものである。詩的領域といい、哲学的領域といい、あらゆる領域が、誤った専門化、純粋性を固守することは、現世紀の、一つのもっとも大きな不幸を暗示するものであろう」(「超現実造型論」)

図9図9
「超現実造型論」


図10図10
ダリ「フロリダに於ける今夏の想像的暗示」と瀧口修造のコメント


1950年代後半にはアンフォルメル芸術が大きな潮流となりましたが、これに対する瀧口の見解ないし関わり方でも、上に引用した一節がその基底で作用しているように思われます。前出「自筆年譜」(図11)1958年の項には次のように記されています。

「アンフォルメル芸術と現象的に呼ばれた傾向のなかに、自分にとってある本質的な問題にかかわるもののあることを感じる。しかもそれが長くシュルレアリスムが自分を捉えてきたものと終局において背馳すべきではないという確信のもとに。しかもそれは画壇的な消長や流行現象とは無関係に自分の内部に浸透し、現にとりつつある批評の形式を瓦解させるような危機意識をはらむ」

図11図11
「自筆年譜」


60年代に入ると瀧口は時評的な美術評論の執筆を避けるようになり、替わってさまざまな造形の試みを開始しましたが、そこにおいてもこの命題が意識されていたのは間違いないと思われます。つまり引用の一節は、1930年の翻訳後も瀧口自身が絶えずその意味を問い返し、自ら実践しようとした命題といっても良いでしょう。このような意味で、この一節を含む『超現実主義と絵画』は、その後の瀧口の「人生を決めた一冊の本」と呼ぶにふさわしいと思われます。

最後にご案内をひとつ。
瀧口修造研究会会報「橄欖」第4号が刊行されました(奥付の発行日は7月1日付け)。

表紙表紙


表紙は上図のような、光沢ある青となりました。材質より色味を優先したのでしょう。

執筆者は掲載順に、霧山深、岩崎美弥子、山腰亮介、永井敦子、朝木由香、島敦彦、嶋田美子、藤澤顕子、石原輝雄、野海青児、宮井徹、山口馨、三谷風子、高島夏代、尾山景子、高橋修宏、伊勢功治、小生の18名で、論考、随想、詩、創作など、211頁です。

目次目次


ときの忘れもので扱っていただいております。頒価1,500円(送料250円)です。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
V-37(042)瀧口修造 《V-37》
デカルコマニー
Image size: 14.2x12.3cm
Sheet size: 26.3x19.2cm
※『瀧口修造の造形的実験』(2001年)No.203と対
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第1回

新連載・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

 今回から瀧口修造の著書・訳書などを順次取り上げ、体裁や奥付の事項などを記したうえで解説します。存命中の単行本を対象とし、美術全集や事典、雑誌、手作り本などは差し当たり対象外とします。お気付きの点はどうぞご指摘ください。

1.西脇順三郎『超現実主義詩論』
18.2×13.8僉併溶使愁侫薀鵐港)
本文168頁、目次4頁、索引8頁
口絵として、「詩人の肖像」「PANTHEON」と表記され、シェイクスピアとボードレールの肖像が掲載されています(ボードレールの肖像はナダール撮影の写真。ナダールには風刺肖像画の連作「パンテオン・ナダール」があります)。

奥付の記載事項
昭和四年十一月十日印刷
昭和四年十一月十五日発行
超現實主義詩論 【定價一圓二拾銭】
著者 西脇順三郎
發行者 東京市麹町區下六番町四十八番地
岡本正一
印刷者 東京市牛込區西五軒町二十九番地
溝口榮
印刷所 東京市牛込區早稲田鶴巻町四百三番地
厚生閣印刷部
發兌 東京市麹町區下六番町四十八番地
厚生閣書店
振替 東京五九六〇〇番
電話 九段三二一八番

図1図1
『超現実主義詩論』初版


解題
 『超現実主義詩論』は「現代の藝術と批評叢書」第14編として厚生閣書店から刊行されました。著者は瀧口ではなく西脇順三郎ですが、以下に引用する著者序文のとおり、瀧口の貢献は明らかですし、おそらく初めて本作りに関わった貴重な一冊と思われますので、連載第1回に採り上げることとしました。

「序
本書に印刷したものは第十九世紀文學評論の一節である。
殊にCh. Baudelaireを中心として感じたことを單に記述したものである。記述によって構成した世界は論理と體系によって支配されない單に記述によって表現せんとして企てた世界に過ぎない。
BaudelaireのSurnaturalismeに関聯して、二十世紀のSurréalismeに及んだ。けれども最近の發展變化の事狀は本書に附加した瀧口修造氏の論文を有益なものと信ずる。
本書中にて私の書いたものは以前「三田文學」及び「詩と詩論」に出たものであるが、それを修正して再び本書に入れた。
是等の修正と校正の全部は瀧口修造氏がなした。この勞力に感謝します。
著者」


図2図2
同書序文


 当時、瀧口は26才、慶應義塾大学英文科の学生として西脇の指導を受けていました。校正・修正だけでなく、補論「ダダよりシュルレアリスムへ」の執筆を任されたのは、いかに信頼が篤かったかを示すものでしょう。補論は本文168頁のうち、131頁以降の38頁(18%強)を占めています。序文で特に触れられていませんが、130名近くに及ぶ人名索引も、おそらく瀧口が作成したものと思われます。

図3図3
補論「ダダよりシュルレアリスムへ」


図4図4
索引頁


 序文に明記されているとおり、本書の内容は、「超現実主義の詩論」というよりもむしろ、ボードレールの「超自然主義」を中心に19世紀文学を対象とするもので、この叢書の刊行当初は、単に「『詩論』J・N」として刊行が予定されていました(図5)。『超現実主義詩論』という題名は叢書の編集責任者春山行夫の意向によるものでしょう(後述)。

図5図5
「現代の藝術と批評叢書」第3編 北川冬彦訳マックス・ジャコブ『骰子筒』裏表紙カバー(上から6番目が「『詩論』J・N」。「超現実主義詩と詩論」とのサブタイトルあり)


 題名と内容との齟齬はもちろん西脇も承知しており、打開策として瀧口に委嘱されたのが、補論執筆だったと思われます。指導教授として瀧口の勤勉さを目の当たりにし、前年3月に発表していた「シュルレアリスムの詩論に就いて」(文藝春秋「創作月刊」。図6,7)にも目を通していたはずですから、この運動についての瀧口の認識と洞察に、一目置いていたのでしょう。西脇の本文は雑誌記事の再録ですから、これだけなら単行本化は比較的容易だったと思われますが、実際の刊行が半年ほど遅れて6番目から14番目となったのは、補論の脱稿を待ったためかもしれません。

図6図6
「創作月刊」表紙


図7図7
同「シュルレアリスムの詩論に就いて」


 上で触れましたが、本書を『超現実主義詩論』と命名したのは編集責任者の春山行夫と思われます。というのも、春山が実質的な編集人となって同じ厚生閣書店から刊行していた季刊誌「詩と詩論」では、「レプリ・ヌーヴォー」と並んで「超現実主義」の紹介に力を入れており、「現代の藝術と批評叢書」でも、本書に続いて「超現実主義」を題名に含む以下のようなラインナップの刊行が予定されていたからです(再掲図5)。

図5再掲図5


超現実主義宣言 附詩集『溶ける魚』アンドレ・ブルトン北川冬彦訳(図5上から9番目)
超現実主義のスタイル論ルイ・アラゴン瀧口修造訳(同10番目)

 余談になりますが、多くの新進文学者を「詩と詩論」や続く「文学」に糾合して最先端の詩や詩論を掲載し、それらを編集・再録して詩集や叢書を刊行した、編集者春山行夫の手腕は見事というほかありません。ここを拠点にいわゆる「モダニズム文学」の大きな潮流を造り出したのは、春山の不朽の功績といえるでしょう。反面、シュルレアリスムもレスプリ・ヌーヴォーも峻別しないまま「モダニズム」と一括りにする傾向が、今なお一部に見られるとすれば、その元祖、いや元凶も春山行夫と言わなければならないかもしれません。

 さて、ここで注目されるのは上のラインナップ中の『超現実主義のスタイル論』です。「衣裳の太陽」及び「詩と詩論」に瀧口が連載していたアラゴン『文体論』の訳稿を単行本化する計画だったのでしょう(図8)。『文体論』はシュルレアリストだった時期のアラゴンの(おそらく『パリの農夫』と並ぶ)代表作で、瀧口は単に翻訳しただけでなく、自らの詩作にも多くのものを吸収しているように思われます。例えば「地球創造説」以降の、命題を敷衍し畳み掛けるような饒舌な語り口などは、その最たるものでしょう。

図8図8
『超現実主義詩論』巻末の「詩と詩論」広告頁


 補論「ダダよりシュルレアリスムへ」のなかでも瀧口は、当時のアラゴンについて「唯一の形而上学者」と呼び、その作品をブルトンの「影像の光線」、エリュアールの「愛の力学」と並ぶ、超現実主義のテクストの典型の一つに位置付けています。別のところで論じましたのでここでは詳述しませんが(註)、当時の瀧口にとってのアラゴンの重要性は、もう少し認識されてよいと思われます。この点で『超現実主義のスタイル論』が未刊に終わったのはまことに残念です。

註 「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」第6〜8号、洪水企画、2010年7月〜2011年7月。参考図)参照

参考図参考図
「洪水」第7号


 その後、この補論は金星堂から「分冊現代詩講座」の一冊『ダダと超現実主義』として刊行されました(図9,10)。戦後、せりか書房から刊行された『シュルレアリスムのために』にも、「ダダと超現実主義」として巻頭に再録されています。瀧口の詩的テクストを考察するうえで、第一に参照されるべき論考と思われます。

図9図9
瀧口修造『ダダと超現実主義』(金星堂、1933年1月)


図10図10
同裏表紙(表紙・裏表紙のデザインは後年の『画家の沈黙の部分』などの自装本を想起させます)


 冒頭で述べましたが、この『超現実主義詩論』は、瀧口が本作りに初めて関わった点で唯一の本であるわけですが、「ダダよりシュルレアリスムへ」という重要な論考の初出文献である点でも、無二の一冊といえるでしょう。連載第1回に採り上げたのもこのためです。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

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〜〜〜

◆ときの忘れものは没後70年 松本竣介展を開催しています。
会期:2018年5月8日[火]―6月2日[土]
11:00-19:00  ※日・月・祝日休廊

ときの忘れものは生誕100年だった2012年に初めて「松本竣介展」を前期・後期にわけて開催しました。あれから6年、このたびは素描16点による「没後70年 松本竣介展」を開催します。
201804MATSUMOTO_DM

「没後70年 松本竣介展」出品作品を順次ご紹介します
27出品No.23)
松本竣介
《作品》

紙にインク
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※『松本竣介展』(2012年、ときの忘れもの)p.13所収 No.27


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●本展の図録を刊行しました
MATSUMOTO_catalogue『没後70年 松本竣介展』
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 
テキスト:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
作品図版:16点
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
税込800円 ※送料別途250円



◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12

新連載・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」第0回

新連載・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

第0回 瀧口修造の本/瀧口修造とマルセル・デュシャン補遺3


口上
 「瀧口修造の本」という表題のもと、著書・訳書などについて連載するよう、綿貫不二夫氏から依頼され、毎月23日に登場することになりました。簡潔を旨としてまとめますので、お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
今回は以前連載していた「瀧口修造とマルセル・デュシャン」の「補遺3」も兼ねて、昨年開催された「瀧口修造・岡崎和郎二人展」のカタログ《to and from Kazuo Okazaki / to and from Shuzo Takiguchi》についてご紹介します。

1.《to and from Kazuo Okazaki / to and from Shuzo Takiguchi》
 この「瀧口修造・岡崎和郎二人展」は、マルセル・デュシャン生誕130年を記念して、2017年1月7日(土)〜2月12日(日)に、京都の画廊ozasa kyotoの企画展として開催された展覧会でしたが、私のコレクション展「瀧口修造の光跡」の第5回でもありました(以前の連載「瀧口修造とマルセル・デュシャン」の「補遺」参照)。

図1図1
瀧口修造・岡崎和郎二人展 会場写真1(撮影:土渕信彦。以下同じ)


図2図2
同2


 展示点数40点と小規模ながら、デュシャン生誕130年(あるいは「泉」100年)に因むさまざまな企画の、露払いの役割は果たせたのではないかと自負しております。開催地が瀧口にとってアウェイ(?)である京都だった上、天候にもあまり恵まれませんでしたが、熱心な来廊者が後を絶たず、3回開催したイベントも大盛況でした。たいへんありがたく思っております。

図3図3
瀧口修造・岡崎和郎二人展 会場写真3


図4図4
同4


 そしてこのたび、同展のカタログ《to and from Kazuo Okazaki / to and from Shuzo Takiguchi》が刊行されました。ozasa kyotoを運営しているARTOFFICE OZASA Inc.が1年がかりで編集に当たり、刊行に漕ぎ着けたものです。同画廊の企画展ですので、カタログ制作に関してもお任せすることとし、私は展覧会開催前にいくつかの提言・助言をした以外、まったく関与しませんでした。これが奏功したのでしょう、たいへん美しいカタログが出来上りました。用紙の色違いにより白版とクリーム版の2種があり、甲乙つけがたい仕上がりと思います。

図5図5
岡崎和郎側表紙(左:白版、右:クリーム版)


図6図6
瀧口修造側表紙(同)


 全体は岡崎作品の部と瀧口作品の部の2部で構成され、頁番号(ノンブル)こそ岡崎側から打たれていますが、瀧口側・岡崎側のどちらも表表紙といえる、どちら側から開けてもそのまま見ていくことができる造本となっています。すなわち、岡崎側は縦組右開けで、表紙を開けると見返しに瀧口が岡崎に捧げた序詩「彼の微笑、それから」が現れ、瀧口側は横組み左開けで、表紙を開けると同じく序詩”His smile, and”が現れます。どちら側も作品図版頁、作家略歴、作品リストが続き、開催趣旨の頁および奥付頁が真中に配ざれています。なお、二人の共作「檢眼圖」の図版は開催趣旨の頁に掲載されています(図12参照)。

図7図7
「彼の微笑、それから」


図8図8
“His smile, and”


 瀧口・岡崎とも実作の要所要所に赤色が用いられていることに応じたものと思われますが、各頁とも刷りを墨と赤の2色に絞り(瀧口作品頁の地色であるクリーム色を含めると3色)、墨の濃淡を基調に、所々で赤色が配されています。どの頁も研ぎ澄まされた感覚により見事に洗練されています。

 表紙を貼り込みにし、しかし綴じの部分はあえて貼らず、表紙を開けると背の内側に隙間ができるようにするという、手の込んだ綴じ方が採用されています。その隙間から表紙裏に配された赤色が顔を覗かせ、まるで着物の裾からちらりと襦袢が見えるような、エロティシズムを感じさせます。頁を繰るたびに斬新さに目を瞠らされ、全体を通じて衝撃的な存在感があります。

図9図9
岡崎和郎図版頁1


図10図10
瀧口修造図版頁1


 以上のような全体の構成・設計およびデザインは、国立国際美術館や京都国立近代美術館のカタログも担当されている大御所の西岡勉氏によるもので、「素晴らしい!」という以外に言葉が見当たりません。

図11図11
開催趣旨頁(和文)


図12図12
同(英文)


 このデザインに大きく貢献しているのが山本糾氏撮影の写真と思われます。2010年9月〜11月に神奈川県立美術館で開催された「岡崎和郎展 補遺の庭」の際にも撮影を担当されており、岡崎作品の撮影者としてこれほど適任の方は考えられません。本展のためにozasa kyotoでの撮影に立ち会わせていただきましたが、カタログ写真の圧倒的な説得力を目の当たりにし、改めてお仕事の緻密さを認識させられた次第です。

図13図13
岡崎和郎図版の頁2


図14図14
同3


 瀧口の平面作品の図版は、土渕が提供したカラー・ポジフィルムに基づいています。オブジェではなく平面なので、岡崎側から頁を繰って行くと、さすがに2色では物足りない印象もありますが、クリーム色の地色が、実作のさまざまな色彩やニュアンスを想像させ、見事に補っています。なお、瀧口作品の図版頁は、白版でもクリーム版同様、地がクリーム色に彩色されています。

図15図15
瀧口修造図版頁2


図16図16
同3


 瀧口、岡崎ともに、近年ますます海外から熱い視線が注がれていますが、このカタログでは、開催趣旨や瀧口による序詩はもちろん、作品名、作家略歴、展示リスト、開催趣旨、奥付に至るまで、英文・和文の2ヶ国語で表記されており、海外からの注目にも応えられるでしょう。自らの所蔵品によって企画展が開催されただけでなく、このような美しいカタログまで制作していただけて、まさにコレクター冥利につきます。展覧会を開催し、カタログの制作者であるARTOFFICE OZASA Inc.の小笹義朋氏、並びに小笹氏を紹介してくださった畏友のマン・レイ・イスト石原輝雄氏に、心より感謝申し上げます。

2.奥付データなど
 白版・クリーム版とも菊判65頁(縦220×横150×厚さ10弌砲如奥付データは以下のとおりです。なお刊行部数並びに価格の表記はありませんが、白版・クリーム版各500部、1冊各3000円(税込み)と聞いています。

編集:ARTOFFICE OZASA Inc.
写真:山本 糾 No.1〜No.3, No.5, No.6, No.10, No.12〜No.18, No.20, No.21
写真提供:土渕信彦 No.22〜No.36, No.39, No.40’ ときの忘れもの No.38
翻訳:渡辺真也
デザイン:西岡 勉
印刷:株式会社スイッチ・ティフ+クラフティー・デザイン

発行日:2018年1月
発行:ARTOFFICE OZASA Inc.
〒602-8216 京都市上京区竪門前町414 西陣産業会館207(西陣織会館西館)
TEL:075-417-4041 E-mail:mail@artozasa.com URL:www.artozasa.com

つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

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20180423_takiguchi2014_II_29瀧口修造
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《II-30》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.5cm
シートサイズ :19.3×13.2cm
※II-29と対


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●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年 ときの忘れもの 発行
21.5x15.2cm 92ページ
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
ハードカバー 英文併記
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円


表紙『瀧口修造展 I』
2014年 ときの忘れもの 発行
21.5x15.2cm 76ページ
テキスト:土渕信彦、瀧口修造(再録)
ハードカバー 英文併記
翻訳:ポリー・バートン
デザイン:北澤敏彦
図版:水彩、ドローイング、ロトデッサンなど44点
価格:2,000円(税別) ※送料別途250円

表紙『瀧口修造展 II』
2014年 ときの忘れもの 発行
21.5x15.2cm 67ページ
ハードカバー 英文併記
テキスト:大谷省吾、瀧口修造(再録)
翻訳:ポリー・バートン
デザイン:北澤敏彦
図版:デカルコマニー47点
価格:2,000円(税別) ※送料別途250円

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◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第12回(最終回)

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第12回(最終回)

 一年間の長丁場でしたが、この連載も今回で最後となりました。お付き合いくださった読者の皆様には感謝いたします。
瀧口修造は、孤高でありながら磁場のような存在として多くの人を引き付ける魅力を持ち、創造の根源を問い続けるかのような詩・造形作品や美術評論は今なお比類ない輝きを放っています。このエッセイに触れて一人でも多くの方が瀧口に関心を寄せていただければ幸いに存じます。
さて、今回は私にとって最も印象的な展覧会となった2013年の小樽で開催された「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展について紹介したい。

01「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム展」チラシ


02同上


 この展覧会は、小樽を皮切りに岩手の花巻、山形の天童、そして栃木の足利へと巡回された。私が小樽を選んだのは、瀧口にとって第二の故郷と言ってもよい土地だったからである。5月31日に松山発東京経由の飛行機で新千歳空港へ着き、札幌から電車で小樽へ向かった。同宿のホテルで土渕信彦さんと落ち合った時はすでに夕刻に近かったが、土渕さんの案内で瀧口とゆかりのある場所を足早に見て回った。まず向かったのは、「自筆年譜」にある1924〜25年にかけて三人姉弟で営んでいた花園女学校(現・花園小学校)前の文房具兼手芸材料店跡である。

03花園小学校


04文房具兼手芸材料店跡と推測される場所


 それから、同人誌「山繭」(1926年10月号)に発表された「冬」と題する私小説的散文の舞台と思しき小高い丘にある小樽公園、瀧口がよく通っていたという小樽図書館(現在の建物は1982年落成)、「三夢三話」(「草月」第80号1972年刊)に出てくるゴッホが描いたオーヴェルの役場を彷彿とさせるカトリック富岡教会などである。

05小樽公園の坂道


06小樽公園より市内を望む


07小樽図書館


08カトリック富岡教会


08-2「三夢三話」より(草月80号 1972年)


 翌6月1日の午前中に土渕さんと共に展覧会場の市立小樽文学館と市立小樽美術館(併設)を訪れ、文学館副館長の玉川薫さんと美術館副館長の旭司益さんにご挨拶してから観覧した。展示で注目したのは、やはり瀧口と小樽に関わる写真や史料だった。カタログにも瀧口の「自筆年譜」の草稿や原稿とその基となった手帳が紹介され、調査資料や注釈も加えた「自筆年譜」増補版とも言うべき内容が収録されていた。

09市立小樽文学館・美術館


10同上入口


11同展カタログ


 この日は午後5時から巖谷國士さんの講演が予定されており、昼前に会場に姿を見せておられたので、売店に並べられていた著書「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」(平凡社コロナ・ブックス)を購入しサインを戴いた。この本は、徳島で開催中の同名の展覧会のカタログを兼ね、沢山の図版と共にシュルレアリスムについてわかりやすく解説されている。

12巖谷國士さん


13巖谷國士著「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」


 講演までにかなり時間があるので、土渕さんと一緒に小樽駅から電車で北海道屈指の海水浴場のある蘭島海岸へ行くことにした。ここは瀧口にとってとりわけ思い出深い場所だったからである。

14小樽駅


 「ひと夏を北海道の蘭島海岸で、むつかしいブルトンの「宣言書」や「磁場」を相手に、未熟な語学力でたたかった。白骨のような樹の根が打ち揚げられた砂浜で、僕はちょうど現実の漂流物の間に立ちすくんだような気がしていた。そうして一つの別な車輪が勢いよく廻り初めるのを意識した。」(「ある時代」1939年10月「蠟人形」掲載)と追想している。

15蘭島海岸


16同上


17蘭島海岸で拾った石と貝殻


 この時期については、土渕さんは1927年か28年のどちらかと推察されているが、(「橄欖第二号「瀧口修造と小樽―詩「カヒガラ」をめぐって」2012年刊)重要な体験であったことは間違いないだろう。
二人で砂浜を歩きながら瀧口のことを偲んだ。ついでに蘭島に近い余市町の縄文遺跡「フゴッペ洞窟」まで行ってから小樽市内に戻り、戦前からある喫茶店「光」に入ったり運河を観光したりした。

18喫茶店「光」


19日本銀行旧小樽支店


20小樽運河


 巖谷さんの講演は「瀧口修造・小樽・シュルレアリスム」と題し、A4サイズで8ページに及ぶ瀧口の文章を抜粋した資料も配布されていた。ウィリアム・ブレイクの影響や小樽で書かれたと推察される散文「冬」における長姉みさをへの思慕、シュルレアリスムの受容などについて話されたが、小樽の地も手伝ってか瀧口の存在が身近に感じられる濃密な時間となった。この講演会には長姉の夫であった島常次郎のご子息の常雄さんも来ておられた。先に述べた文房具兼手芸材料店は「島屋」と名乗り、戦後に移転(現・島常雄さん宅)したが1988年まで営業していたそうである。

21巖谷國士講演会資料


221958年頃の「島屋」(カタログより)


 初めて小樽を訪れ、短い滞在ではあったが僅かながらも瀧口の足跡を辿り、現地を見ることの大切さを学ぶことが出来た。そして、山々を背に海に面したこの北の街に親しみを覚えた。
最後に、近年開催された画廊における瀧口修造展をいくつか紹介しておきたい。瀧口の作品に直に接する機会を得るには画廊の果たす役割が重要だと思うが、東京では「ときの忘れもの」が2014年から2015年にかけて「瀧口修造展」を4回開催している。残念ながらいずれも見には行けなかったが、これほど積極的に取り上げている所は他に無く、合わせて立派な図録も刊行されている。

23ときの忘れもの「瀧口修造展」案内状


23-2同展図録


 これが起点となって大阪のTEZUKAYAMA GALLERY で展覧会が開かれ、6月7日に同会場で二つのイベント「瀧口修造の講演を聞く会」と国立国際美術館副館長(当時)の島敦彦さんと土渕さんによるトークショーが行われた。私は瀧口の音声を聞くのはこの時が初めてだったが、イメージしていたものとは違っていた。トークショーでは島さんが大阪の北画廊で催された瀧口の第二回個展(1961年)の芳名帳を持参し、そこに署名のある著名人たちを紹介されていた。この会場で綿貫御夫妻や富山の瀧口研究家萩野恭一さんに初めてお目にかかり、愛媛から来たというコレクターの安田逸美さんとも知り合うことができた。関西には少ない現代美術を扱う画廊で、代表の松尾良一さんはバイタリティーを感じさせる方だった。

24TEZUKAYAMA GALLERY「瀧口修造の展」案内状


25TEZUKAYAMA GALLERY


26瀧口修造の講演を聞く会


27島敦彦+土渕信彦トークショー


 2016年7月には名古屋の SHUMOKU GALLERY でも瀧口展が行われ、オープニングに参加した。名古屋ボストン美術館長(当時)の馬場駿吉さんと愛知県美術館長(当時)島敦彦さんによる対談があり、馬場さんのコレクションにまつわるお話が大変興味深かく、「アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々」の手稿本を見せていただいた。画廊主の尾松篤彦さんは若く美的センスを感じさせる方で、瀧口についてもっと知りたいと語っていたのが印象的だった。

28SHUMOKU GALLERY「瀧口修造展」案内状


29馬場駿吉+島敦彦講演会(撮影・安田逸美)


30「アララットの船あるいは空の蜜」手稿本(撮影・安田逸美)


 2017年には京都のART OFFICE OZASA INC.でマルセル・デュシャン生誕130年を記念して「瀧口修造・岡崎和郎 二人展」が行われた。2月4日に土渕さんのギャラリートークに合わせて久しぶりに古都を訪れた。画廊は西陣織会館の奥まった二階にあり、やや狭いながらも静謐な空間が好ましく、画廊主の小笹義朋さんには先の名古屋の展覧会で一度お会いしていた。会場には石原輝雄さんとその友人でレコードコレクターの森田真さん、画家の林哲夫さん、写真家の夜野悠さんや「具体」の作家今井祝雄さんのお姿もあった。

31「瀧口修造・岡崎和郎二人展」案内状


32ART OFFICE OZASA.INC


33同上


34土渕信彦ギャラリートーク


 画廊間のネットワークを通して人と人との繋がりが生まれ、瀧口作品の魅力が広く伝わっていくことは望ましいことであり、今後の活動にも期待したいと思う。
結びに、この連載を強く薦めていただいた我が瀧口修造研究の先達にして畏友の土渕信彦さん、このような場を提供・発信していただいた綿貫令子、不二夫さんと担当の秋葉恵美さんに厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(了)
せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180220_takiguchi2014_III_14瀧口修造
"III-14"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:18.5×13.9cm
シートサイズ :18.5×13.9cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログはお勧めです。ぜひご購入ください(2,200円)。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年〜1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。

○<埼玉近美「版画の風景」観た。なんだかとても懐かしい気分になり、セゾン文化やもの派の時代の頃に戻った気がした。それはただの感傷だけでも無く、失われた美術や今、カオスラウンジなどが行ってることに繋がっている。
(20180213/Taxxakaさんのtwitterより)>

○<‏ 観てきたというより食べてきた感じ(伝わらない)
どっしりじっくり楽しかった!

(20180210/理沙さんのtwitterより)>

○<今日は、お目にかかれて幸いでした。
まずは盛況、お祝い申し上げます。
私は、ご夫妻の歴史はもとより、「現代版画センター」についてもほとんど存知あげないので、その意味でも興味津々で出向きました。
無知を恥じつつ申し上げますが、本当に素晴らしい活動を展開されていたのですね。
どれほどの情熱を持って打ちこまれていたか……展示からひしひし伝わってくるだけに、クローズされたときの無念さ、ご苦労、いかばかりかとお察しします。
ご夫婦おふたりで乗りこえていらしたのですね。
それだけに今回の展覧会へのご感慨もひとしおかと、私まで胸が熱くなります。
もちろん展示作品そのものにも目を奪われました。珠玉の作品ぞろい。当時の「版画センター」の充実ぶりがまざまざと想像できます。時間がゆるせば、資料もじっくり読みたいところでした。
渋谷在住の、版画をやっている友人にも勧めました。14日に伺うそうです。
楽しいご気分の張りが続くと思いますが、お疲れが出ませんよう、くれぐれもご自愛ください。

(20180211/MKさんからのメールより)>

西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半〜トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでーー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。

光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について(1月28日ブログ)

荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て(1月31日ブログ)

スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)

毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。

倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)

嶋吉信さんのエッセイ〜「紙にインクがのっている」その先のこと(2月12日ブログ)

大谷省吾さんのエッセイ〜「版画の景色−現代版画センターの軌跡」はなぜ必見の展覧会なのか(2月16日ブログ)

○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号1983年のウォーホル全国展が紹介されています。

○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。

現代版画センターエディションNo.183 一原有徳「SEN」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
183_一原有徳《<現代と声>より 、SEN》一原有徳
<現代と声>より《SEN》
1977年  銅版(作家自刷り)
Image size: 39.5×30.5cm
Sheet size: 65.1×50.2cm
Ed.100   サインあり

パンフレット_05
出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄
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●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円



●日経アーキテクチュアから『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』が刊行されました。
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。日経アーキテクチュア編集長のコラム<建築家・安藤忠雄氏の言葉の力:第3回>で、出江寛先生、石山修武先生の次に紹介されていますので、お読みください。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
20170707_abe06新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第11回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第11回

 2005年1月に横浜美術館で開催されていた「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展を土渕信彦さんに誘っていただき一緒に観覧した。1981年の高輪美術館以来の日本での大規模なデュシャン展だったが、デュシャンに影響を受けた作家の作品も陳列され、改めてデュシャンが20世紀美術にもたらした衝撃の大きさを物語っているようだった。

01「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展カタログ

 
 2月には世田谷美術館で「瀧口修造 夢の漂流物」展(富山へも巡回)が開催された。このカタログの執筆と参考資料の編集に関わった土渕さんの計らいで私宛にも招待状(瀧口が好んで付けたラベルの意匠の)が届いたが度々上京することはかなわず、瀧口の書斎に遺されていた沢山のオブジェや作品などが一点ずつカラー写真に収められた分厚い図録を見て我慢するしかなかった。

02「瀧口修造夢の漂流物」展チラシ


03同上


04同上・案内状と招待状


05同上カタログ


 その年の12月には慶応義塾大学アート・センターにおいて「瀧口修造1958−旅する眼差し」展も開催された。瀧口のご遺族から寄贈された資料(瀧口修造アーカイヴ)を基に瀧口の生涯の転機となった欧州旅行に焦点をあてた企画である。小冊子のカタログも出たが旅の記録をコンパクトに纏めた貴重な資料となっている。その研究成果の一環として後に「To and From Shuzo Takiguchi」と題する論集や欧州旅行の写真資料等を箱に収めた特装限定本も刊行された。

06瀧口修造1958−旅する眼差し」展案内状(左)とカタログ(右)


07To and From Shuzo Takiguchi


08「瀧口修造1958ー旅する眼差し」特装本刊行案内


 2009年に瀧口歿後30年を記念して土渕さん企画・構成による「瀧口修造の光跡吉というもの」展が日本橋茅場町にある森岡書店で開催されることになり、最終日の7月11日のギャラリートークに合わせて上京した。

09「瀧口修造の光跡吉というもの」展案内状


 「美というもの」は瀧口が1962年に母校の県立富山高校で行った講演の題名で、瀧口の講演自体が珍しく、録音も残されており、それを土渕さんが全て文字に起こし資料や写真を添えてカタログに収録された。

10同上カタログ


 会場は川沿いの古いビルの三階にあって、まるで昭和初期の映画にでも出てきそうな佇まいで、本が置かれた部屋に並べられた作品を見て書斎のようだと思った。

11白いビルの三階に森岡書店


12森岡書店


 この日、造形作家の岡崎和郎さんと空閑俊憲さんが一緒に来ておられたのに驚いた。実はこの時まで二人は同一人物だと勝手に思い込んでいたのである。瀧口綾子夫人による「自筆年譜・補遺」の1976年の箇所に「岡崎和郎作品集『空閑俊憲』制作に序文。」とあるのを作品集の題名と勘違いしていたのだが、編集・発行人が空閑俊憲さんだった。岡崎さんは1960年代から一貫して「御物補遺」をテーマにオブジェの制作を続けている稀有な作家で「デュシャン語録」や「檢眼圖」の制作にも協力している。

13「岡崎和郎の作品1962−1976」


 なお、土渕さんの「瀧口修造の光跡」と題されたコレクション展はこの後毎年行われ4回続いた。

14「瀧口修造の光跡供.妊奪汽鵑垢觴蝓彭鍵篤眈


15「瀧口修造の光跡掘”瓦隆磴諒語」展案内状


16「瀧口修造の光跡検ー蠅先、先が手」展案内状


 2011年11月から千葉市美術館で「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展が開催され、巖谷國士さんの講演と関連企画「瀧口修造の光跡敬瓦隆磴諒語」展に合わせて12月11日に見に行った。

17「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展チラシ


18同上


19千葉市美術館


20「瀧口修造の光跡 百の眼の物語」展会場にて(撮影・石原輝雄)


 石原輝雄さんに再会し、稲垣足穂のコレクターである古多仁昂志さんを紹介された。前日に神田の田村書店に立ち寄ったが、古多仁さんも行ったらしく店主の奥平さんから私の名前を聞いたと話された。
瀧口と足穂が戦前に会っていたことは瀧口の「自筆年譜」(1928年)に記されているが、「詩と詩論」誌上の接点はあるものの交流していた形跡は見当たらない。だが、後年における足穂のデュシャンやオブジェについての言及を見るとこの二人には通じるところがあったと思われ、古多仁さんが見に来ていたのも頷けた。その後、古多仁さんからコレクション展や個展の案内状などを戴いたが、尋常ならざるタルホニストであることを知った。

21「稲垣足穂作品集」別巻付録より(潮出版社1975年刊)


22「コタニ・プレイズ・タルホ」より(喜多ギャラリー2011年刊)


 瀧口を研究されている詩人の林浩平さんも来ておられたが、林さんはかつてNHK松山局のディレクターをしていたことがあり、その関係で愛媛出身の彫刻家森堯茂さんと親交があった。1994年に松山三越での森堯茂彫刻展で林さんと初めてお会いした時に私が瀧口に関心を持っていることを話して以来、久万美術館や瀧口関連の展覧会などでお目にかかるようになった。森さんは戦後における抽象彫刻の草分け的存在で、自由美術家協会に所属していた頃に瀧口から「緊密な構成力を示している」と評されたこともあった。

23瀧口の展評(読売新聞1956年)


 森さんは「私にとりましても大きな意味のある人で時をへると共により鮮明に人間像が甦ってくるような気がします。」と私信に書いてこられた。1997年に愛媛県立美術館で作家活動50年記念展が開かれ、立派な作品集も刊行されている。

24森堯茂彫刻展案内状(愛媛県立美術館


25森堯茂作品集刊行案内


 2007年にも久万美術館で回顧展があり、林さんのプロデュースにより詩人の吉増剛造さんを招いて映像詩の朗読が行われた。林さんから吉増さんに紹介され、予め持参していた詩集「頭脳の塔」にサインをして貰った。なお、昨年森堯茂さんは95歳で亡くなられた。

26吉増剛造詩集「頭脳の塔」サイン

 
 千葉市美術館にはフランス文学者で放送大学名誉教授の柏倉康夫さんも見えられ、石原さんや土渕さんと親しく話しておられたが私は初対面だった。柏倉さんはマラルメの研究者として知られ、美術への造詣も深く銅版画家の浜口陽三と親交があった方である。
展覧会場を出るとすでに日は暮れて寒かったが、柏倉さんと同行の女性たちと一緒に土渕、石原、私の三人も電車で移動し、幕張メッセの近くのレストランで夕食を共にしながら歓談した。

27柏倉康夫さんを囲んでの記念写真


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180120_takiguchi2014_II_18瀧口修造
"II-18"
デカルコマニー
イメージサイズ:15.7×9.0cm
シートサイズ :19.3×13.1cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が始まりました。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
埼玉チラシ菅井600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年〜85年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約300点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。同館の広報誌もお読みください。

○<「版画の景色 現代版画センターの軌跡」at 埼玉県立近代美術館。
個人的には、菅井汲さんの作品が多く観られたのと、メカスのショートフィルムが観られた事が嬉しかった!それと、今まで存じ上げなかった柳澤紀子さんの作品を観られた事も。
後期の展示も楽しみです!(о´∀`о)

ParticlesOfTwilightさんのtwitterより)>

○<北浦和にある埼玉県美にて《版画の風景〜現代版画センターの軌跡》だん。いやはや、兎にも角にも、凄い展覧会でした! 今、お世話になっている「ときの忘れもの」の画廊主である綿貫さんが、僕の産まれる前からこんな凄いことをしていたなんて…
光嶋裕介さんのtwitterより)>

現代版画センターエディションNo.9 オノサト・トシノブ「Ce1」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
009_オノサト・トシノブ《Ce 1》オノサト・トシノブ
《Ce 1》1974年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
Image size: 21.8×27.1cm
Sheet size: 28.1×33.2cm
Ed.200 サインあり
*レゾネ98番ではタイトルが「G.H.C.5」となっている(『ONOSATO オノサト・トシノブ版画目録 1958-1989』ART SPACE 1989年刊)

パンフレット_05


◆国立近現代建築資料館で2月4日[日]まで「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展が開催中。磯崎新、安藤忠雄らの作品が出品されています。展覧会については戸田穣さんのエッセイをお読みください。
磯崎新「還元クリニック」磯崎新
「CLINIC」
1983年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75  サインあり
*現代版画センターエディション

ギャラリートーク「建築版画の世界」のご案内
植田実(住まいの図書館出版局編集長)× 石田了一(石田版画工房)× 綿貫不二夫(ときの忘れものディレクター)
司会:日埜直彦
日時:1月27日(土曜日)14時から
場所:文化庁国立近現代建築資料館
住所:〒113-8553 東京都文京区湯島4-6-15
入場方法:旧岩崎邸庭園からの入館となりますので、入園料400円(一般)が必要となります。

◆ときの忘れものは「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」を開催しています。
会期=2018年1月9日[火]―1月27日[木] ※日・月・祝日休廊
磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)に焦点を当て、磯崎の版画作品〈TSUKUBA〉や旧・筑波第一ホテルで使用されていた倉俣史朗デザインの家具をご覧いただきます。他にも倉俣史朗のアクリルオブジェ、磯崎デザインの椅子なども出品します。
版画掌誌第2号
版画掌誌第2号
オリジナル版画入り美術誌
2000年/ときの忘れもの 発行
特集1/磯崎新
特集2/山名文夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版:限定35部:120,000円(税別 版画6点入り)
B版:限定100部:35,000円(税別 版画2点入り)


●日経アーキテクチュアから『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』が刊行されました。
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。日経アーキテクチュア編集長のコラム<建築家・安藤忠雄氏の言葉の力:第3回>で、出江寛先生、石山修武先生の次に紹介されていますので、お読みください。

◆清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
06駒込玄関ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第10回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第10回

 瀧口修造へのアプローチの機運が高まっていたのか、国立国際美術館での「瀧口修造とその周辺」展に続いて1999年には世田谷文学館で「瀧口修造と武満徹」展が開催された。私は残念ながら見に行くことはできなかったが、その渇を癒してもらったのは土渕信彦さんから送っていただいた沢山の展示風景の写真だった。

01「瀧口修造と武満徹」展チラシ


02同上


03展示風景


カタログもテーマごとに分類された資料が大変充実しており、初見のものも数多く収録され、瀧口と武満の関係は師弟というよりも、むしろ父子のような絆で結ばれていたことを知った。瀧口は「焼け跡の向こうから、その人はやって来たように思われた。音の乏しいときに、音を求めてあるく少年。そのシルエットのような最初の存在から、間もなく私は生れる作曲家という人の存在をはじめて身近に知った。私にとっては遅すぎたようだけれど。しかし時はただしく刻んでいた」(武満徹著「音、沈黙と測りあえるほどに」序文・新潮社刊1971年)と書き、世界的な作曲家となった武満は「瀧口修造の存在なくして、作曲家としての私はなかったろう。」と語るほどに瀧口の影響は大きかった。

04同上カタログ


05武満徹の音楽(日本ビクター1966年)表紙・瀧口修造


2001年には富山県立近代美術館で開館20周年記念企画として「瀧口修造の造形的実験」展が開催された。

06「瀧口修造の造形的実験」展チラシ(富山)


07同上


その後、渋谷区立松濤美術館に巡回し、瀧口の後半生の主要な活動となった「言葉によらない表現」の世界が取り上げられ、「瀧口修造が終生手放さず、夫人が守り続けた、もうひとつの瀧口修造コレクション」(カタログ解説より)が初めて公開された。私は東京で見たが、これほど多様な造形作品を前にして圧倒されてしまった。余技などと言える訳もなく、しかも画家の作品とも違う何か、敢えて言うならそこに無償の表現行為の美しい痕跡の数々を眼にしていたのである。

08「瀧口修造の造形的実験」展チラシ(東京)


09同上


10同上カタログより


11同上


カタログは、編集と解説にあたった富山県立近代美術館の杉野秀樹、渋谷区立松濤美術館の光田由里、それに年譜・展覧会歴・参考文献を作成した土渕信彦の三人による労作であり、純白の装丁も「もう一つの詩的実験」であることを示唆している。(なお、富山ではこれに連携して「瀧口修造―夢の漂流物―」展と「瀧口修造の眼―戦後の作家たち」展が開催された。)

12カタログ表紙


ここで紹介しておきたいのは、銀行員を早期退職されてから慶応義塾大学大学院に入り美学・美術史学を専攻していた土渕さんが、修士論文として「瀧口修造の造形におけるシュルレアリスムの展開―オートマティスムから神話へ―」(2001年)を書いていたことである。その抜き刷りを読ませてもらったが、早くから瀧口の造形作品の重要性に着目していた土渕さんは、このなかで既存の瀧口論を比較検討し、近年のシュルレアリスム研究や構造主義との関連などを踏まえた上で「瀧口の造形の分野における実験的な試みを瀧口の多面的な仕事の中核と位置付け」(本稿より)その変遷を綿密にたどり、瀧口によるオートマティスムの実践が言葉から造形へ、さらには「オブジェの店」へと発展し、それがブルトンによる「新しい神話」の概念と呼応していると論じ、シュルレアリストとしての瀧口修造像を提示している。瀧口研究において重要な論考であると思うので、公表されていないだけにその概要だけでも知ってほしいと思った次第である。

13土渕さんの修士論文


2003年には瀧口修造生誕100年を記念した催しや企画が行われ、横須賀市のカスヤの森現代美術館では「コラボレーションの磁場―デュシャン、マン・レイをめぐって―」(共同企画:土渕信彦)と題して瀧口が関わった詩画集やマルチプルなどの展示があり、多摩美術大学上野毛キャンパス図書館では「瀧口修造の蔵書」展もあった。また、富山県立近代美術館から「写真家・大辻清司 フレームの中の瀧口修造、斎藤義重」という珍しい写真を収めた小冊子が刊行されている。「現代詩手帖」誌も生誕百年記念の特集を組んでいたが、従来の瀧口特集を踏襲したような内容で物足りない印象は拭えなかった。

14「コラボレーションの磁場」展チラシ


15同上カタログ


16「瀧口修造の蔵書」展案内状


17「写真家・大辻清司」小冊子


18「現代詩手帖」2003年11月号


そして、名古屋市美術館では土渕コレクションによる「瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展が開催され、11月30日の巖谷國士さんの講演に合わせて名古屋へ向かった。美術館の控室で俳人にして美術評論家の馬場駿吉さん、当館学芸員の山田諭さんに初めてお会いし、そこには石原輝雄さんや光田由里さんも同席されていた。質量ともに屈指の個人コレクションで、単に集められたものではなく技法に沿って系統的に選ばれた瀧口の造形作品67点と自筆原稿3点による見応えのある展示だった。

19「瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展チラシ


20同上


巖谷さんにお目にかかり講演を聴くのもこれが最初だった。瀧口は職業として書くことの困難に直面し、そこから脱出するためにデカルコマニーの制作に没頭し、生涯書くこと描くことの根源を問い続けた人であると話された。周知のとおり巖谷さんは、わが国におけるシュルレアリスム及びアンドレ・ブルトン研究の第一人者として晩年の瀧口が厚い信頼を寄せていた一人であり、最後のリバティ・パスポートと歿後に「シュルレアリスムと絵画」の改訳を託された方でもある。「瀧口修造に捧ぐ」と献辞のある著書「シュルレアリスムと芸術」(1976年河出書房新社刊)の最後に「瀧口修造論への序」が収録されているが、これほど見事に瀧口とシュルレアリスムの関連を解き明かした文章を他に知らない。その末尾に〈未完〉と記されたのは、どのような意図が込められていたのだろうか?その後、折に触れて発表された瀧口に関する文章は「封印された星」(2004年平凡社刊)に纏められたが、この中で「さしあたり『瀧口修造のために』と題するべき書物」だと書かれている。講演が終わったその晩に巖谷さんとご一緒に名古屋名物の味噌煮込みうどんを食べに行ったことも懐かしい思い出となった。

21巖谷國士著「シュルレアリスムと芸術」「封印された星」


22名古屋市・山本屋本店前にて


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20171220_iii-19瀧口修造
《III-19》
"III-19"
デカルコマニー
※『瀧口修造の造形的実験』(2001年)No.205と対
Image size: 14.0x10.5cm
Sheet size: 25.1x17.5cm


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆埼玉県立近代美術館で2018年1月16日〜3月25日「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が開催されます。
パンフレット_02


◆ときの忘れものには小さな庭があります。彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示していますので、どうぞご覧ください。

●書籍のご案内
版画掌誌5号表紙600
版画掌誌第5号
オリジナル版画入り美術誌
ときの忘れもの 発行
特集1/ジョナス・メカス
特集2/日和崎尊夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版ーA : 限定15部 価格:120,000円(税別) 
A版ーB : 限定20部 価格:120,000円(税別)
B版 : 限定35部 価格:70,000円(税別)


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別) *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
ときの忘れもので扱っています。

国立新美術館の「安藤忠雄展―挑戦―」は、大盛況のうちに終了しました。
展覧会については「植田実のエッセイ」と「光嶋裕介のエッセイ」を、「番頭おだちのオープニング・レポート」と合わせ読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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◆清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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