笹沼俊樹のエッセイ

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第21回

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第21回

「又、会う日まで」


 多様な壁と対面し、ある時は冷や汗の出るようなスリル感を味わい自分の甘い思考や感覚と戦い、又老練な画商と戦い<現代美術の作品コレクション>を行ってきた結果として、自分の手元に“作品”が残っている。
 それらの作品を時折眺めていると、いつも、フウッと思うことがある。「作品を入手するまでの過程」が頭をよぎる。それは、「作品をなんとか入手しようと、全知を傾けてそれを追っている」時のことだ。この過程に、自分にとって表現のしようのない程の強い緊張感や充実感を感じることが多かった。ある意味では、作品そのものより、この過程の中に、“生きがい”のようなものを見い出しているケースが多かったようにも思えてならない。
 この過程は、作品のように色彩も、形もない。ただ、記憶の中に浮遊しているのだ。そして、時間の経過と共に、徐々に記憶の中で、フェード・アウトしてゆく。実にはかないもの。なんとか、自分の中に、これを末長く、色褪せず残しておけないか……。これは、大切な自分の足跡でもあるのだ。
 “日記”をつけ始めた。
 1972年9月3日から始めている。当初は画廊や百貨店の絵画コーナーで聞いた価格の数値の羅列。1972年12月6日頃から、日記の一部分に、価格だけでなく、その作品を見た自分の感想も書き留めだした。
 当時、切実な問題として、作品を購入する資金が自分に重くのしかかっていたことが分る。「高値では買いたくない」 数値データの記述の背後にそれが見えてくる。
 だが、飽きもせず、このコレクション日記も進化を重ねながら40年以上も続いている。この中で、特に大切にしているものは、多様な未知の世界を知り、多様な学習をしたニューヨーク駐在期〔80年代後半〕及び欧米への海外出張時につけた日記である。ノートに細かな字でビッシリと記述された10冊のこの時期の日記。これを読むと、“忘却の彼方”に押しやられたものが、昨日のことのように、生々しく再生されてくる。
 前回のエッセイの終りの部分で、次回は“日記”について記述すると一言そえた。
 その為、気持ちを新たに、日記を読み始めた。今迄、読んだ時に見すごした、<沢山の教訓><美術市場の習性><コレクターとしての視角>……などが文章の背後にあるのを感知。これを現代の感覚で拾いなおしてみたいと思った。
 いくつもの“宝”を掘り出してみたい。
 これをするために、暇をいただきたい。それは数ヶ月間。そして、2016年には、今迄と異なった新しい姿で、皆様と再び対面したいと思います。これまで、予想もできない程の沢山の方々に拙稿をお読みいただきました点、感謝しても、しきれません。我が儘をお許し下さい。
 尚、今、平行して、「河原温の想い出」も執筆中です。では、又、会う日まで。“8の日”を忘れないで……!
ささぬま としき

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号〜12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う
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*画廊亭主敬白
というわけで笹沼さんの連載はしばらくお休みとなります。
小林美香さんにつぐ休載で、加えて大番頭が産休にはいるので、それらの穴をどう埋めようかと亭主は頭がいたい。皆さん早く帰ってきてください!
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●今日のお勧めは、森内敬子です。
20151231_moriuchi1森内敬子 Keiko MORIUCHI
ダイヤモンドもついに溶ける

1991年
カンバスに油彩
イメージサイズ:53.0×45.0cm
裏面にペンサインあり

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第20回

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第20回

「アメリカの若きコレクター達から学んだこと」


 60年代後半から70年代にかけ、日本には勢いがあった。夢もあった。
 経済界には、この頃、表現しようのない程の活力と躍動感が満ちあふれていた。「欧米の先進企業に追い付け、追い越せ」を合い言葉に、企業戦士は睡眠時間も惜しみ、仕事にのめり込んでいった。商社での一現象を見てみればその一端が分かる。ニューヨーク・オフィスでは、夜中の12時、ほとんどの社員がせわしなく仕事をしていて、「まだ、宵のうち」という雰囲気。それでも、翌朝8時には、いつも出社していた。
 企業内行動でも、多少のとりこぼしや失敗は看過してくれた。今、思えば「実に、ヤリガイのある時代」だった。
 「Oh! モーレツ」という突飛なテレビ・コマーシャルが世をにぎわし、話題になったのが1969年。時代を素直に表現していた。
 一方、仕事はきつかったが、そのリターンも相応なものだった。給与やボーナスの上昇率は現在の比でない程大きなものだった。その結果、「心のゆとり」も感じるようになってくる。
 出張で、アメリカ東部のニューイングランド地方を回ると、その美しい生活環境に憧れ、又、カリフォルニアのサンノゼ近郊のカーメルでは、真っ白なコンチネンタル・スタイルの木造住宅を眼にすると、「よし、オレやってやる」と真面目につぶやいていたことを思いだす。「欧米のようなスマートで、洗練された生活」をしたいという夢を抱えて走っていた。
 この頃、日本で多くはなかったが、現代美術のコレクターが出現していた。おそらく、これが日本での現代美術コレクターの“第一世代”と言える人々ではないか。知っているだけでも、三井物産、日本銀行、大手都市銀行や生保、日本電気、日立金属、総務省のキャリア……、など日本を代表する企業や官庁に勤務すサラリーマン・コレクターが多かった。コレクションしている作品は、日本人作家であると、山口長男オノサト・トシノブ斎藤義重菅井汲、高松次郎……。外国作家であると、クレー、マグリット、エルンスト、ミロ、ジャスパー・ジョーンズ、フォートリエ、ボルス……などの水彩や油彩の小品、版画に視線を当てていた。
 だが、当時、知りあった多くのコレクターからは、「あの作品、かなり上がったので、儲かった」とか、「これ儲かりそうだから買ってみる」などという、今、コレクターの間で、挨拶代わりのように出る言葉は聞くことがなかった。ただ、ただ「自分の好みの作品を1点ずつ丁寧にコレクションしている」状況だった。この点が当時と現在との注目すべきひとつの相異点だ。日本では、当時、現代美術市場が未成熟だった点もあるが、“時代の勢い”とは恐ろしいもの。経済的にも、心理的にも、なんとなく人々を包みこんだ“余裕”というものがこうさせたように思えてならない。
 ただ、彼等は新人作家への関心は強くなかった。勤務しているところが、ところだけに、“名前の効用”を知り尽くしていたのか……、コレクションを行うにあたっても、「無意識」のうちに、「安定したもの」を選択していたのではないか……。
 一方、当時、美術館に行っても、外国作家の作品を見る機会はごく限られていた。又、画廊でもしかり。従って、とにかく作品数が少ないので、その作家の作品の比較感すらつかめない。見比べて「好み」で選ぶなどまったく不可能。極端に言えば、出会った作品を買うか、買わないか……。要するに、「作家の名前で作品を買っている」ような状況になっていた。
 「このような状況の中に、たたずんでいていいのだろうか?」冷静に考えてみた。「もっと広い、未知の世界があるのでは……?」と思い始めた。
 思いついたが吉日。ニューヨークやロサンゼルス、シカゴ、ミネアポリス……などで、出張の度に時間をつくり、新しい世界を求めて、美術館や画廊を訪問し始めた。なにもかも、眼にするものすべてが未知の世界だった。

■  ■

 1985年頃の事だったと思う。ニューヨークのマンハッタン、東75丁目にあったザビエル・フォーケード画廊に立ち寄った。画廊主は非常に眼が良いと市場で評価され、当然、一流画廊のレッテルがはられていた。そこで、50歳ぐらいの男性コレクターが人も寄せつけないような真剣な面持ちで作品を選んでいる場に接した。抽象表現主義のような作家の120号ぐらいのサイズの作品を15点程並べて比較している。このコレクターにすごさを感じたので、許可をとり、側で、その選択の光景を見させてもらった。
 作家はジョーン・ミッチェル〔英国の現代美術作家:1926〜1992〕当時、ニューヨークでは、未だ、コレクターのコレクション・アイテムにはほとんど入ってない作家だった。当然、自分もこの作家の作品を初めて眼にした。このコレクターは、かなりの時間をかけ15点の中から5点を購入した。
 画廊主は、「今、彼はジョーン・ミッチェルの初期の作品のみに注目している」とつぶやく。初めて、このような作品のコレクションの仕方もあることを知った。そこで聞いてみた。
「なぜ、このような作品の集め方をするのですか?」
「このコレクターの特徴は、いつも、他のコレクターが注目してない“力のある作家”に眼をつける点です。そして、今日のような作品選択の行動に入るかなり前から、“文献”や“作品集”で、その作家を徹底的に研究して、又、美術館でも作品を見て細かく調査して、自分が選ぶ作品の時代やタイプを決めてくるところが凄いのですよ。それと、とにかく、眼筋がすごく良い。しかも、そのような作品は安値に放置されてますしね」
 続けて、「その作家を徹底的に研究した結果でしょうよ……。その作家の特性が最も良く出た時期の作品を選びますよね。これには私共でも非常に刺激をうけてます」
 自分にとって、余りにも刺激的な現場を体験した。このようなコレクションの仕方にじかに触れ、自分のコレクションの手法を根本から組み立てなおす切っ掛けとなった。

■  ■

 土曜や日曜に、画廊回りや美術館回りをしている時に、大手金融企業〔J.P.モルガン銀行、チェース・マンハッタン銀行、ゴールドマン・サックス、シティ・バンク……〕に勤める若手コレクターに出会い、親しくなってゆく。彼等からは、自分では思いもつかないシステマティックなコレクション手法を聞き、これ又、強いショックを受けた。同時に、自分の発想の乏しさに気付き、視野の狭さも痛感した。
 アメリカの金融分野の大企業には、“絵好き”でコレクションに真剣に向き合う若手の絵画コレクターがけっこういる。ニューヨークはマンハッタン、ウォール・ストリートやパーク・アヴェニューにある企業のヘッド・クオーター〔本社〕で働く若きエリート達である。
 ハーバード大学、スタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学、シカゴ大学、コロンビア大学、ペンシルベニア大学……などの、世界のビジネススクールのランキングでベスト10に常に位置づけられている超一流ビジネス・スクールでMBA〔修士〕を取得。引く手あまたのなかで、気に入った金融企業を選び入社する。20歳代半ばで、初任給は年収で15万ドル〜20万ドル。優秀な者は30歳ともなれば、プロ野球の選手なみの途方もない報酬を受けとる。当然、若手ながら、マンハッタンのウエスト地区の高級コンドミニアムに住居をかまえる。若くして、優雅である。
 だが、アメリカの企業社会は甘くない。「条件がよい」ことの裏には恐ろしい競争社会の掟が潜んでいる。どんな有名大学を出ていても、“名前”だけでは通用しない。最高の教育をうけた上で、生れつき持った鋭敏な頭脳が売りになるのだ。「力がない。機能が十分でない」と判断されると、「明日から、出社に及ばず」と厳しい結論が飛ぶ。プロ野球の選手と同じだ。彼等はこれを十分に心得ている。従って、実社会に出た時から、抜け目のない連中は、人生設計をそれなりにたてる。「絵画コレクション」もただ「好きだから」だけの単純さは少数派であることを、端でみていて、うすうす感じていた。
 それは、コレクション手法が、ただの趣味とは思えない程、非常に緻密な点だ。彼等の本業である経済分析や金融商品の企画の段階で見られるような手法をコレクションの中にも取り入れている。なぜ、こんなにも用意周到に……。彼等の人生の中で、万一の時の“補助戦力”のひとつとして、絵画コレクションも考えているからではないか……。
 1ケースを見てみると、美術市場で、彼等なりの分析手法で選んだ信頼できる一流画商、そして、自分がコレクションしようとしている作家、そして、超一流美術館の学芸員。これらの3つの特色ある機能を、自分独自で編み出した≪分析システム≫の中に組み込んでゆく。彼等から、上質な情報やサゼスチョンを吸い上げるために、日頃の彼等に対するメンテナンス〔接待を含めたコミュニケーションの機会を多くつくる〕は丁寧さを極めていた。
 ただ、冷徹なところは、コレクションする作家を、このシステムに組み入れていても、作家の“言”を全面的には、鵜呑みにしない。必ず、他の2つの機能にそれをぶつけて、反応を見るなど、彼等の本業でやるような複雑な情報分析をしていることが見えてきた。この事象の中に、アメリカの凄い競争社会で生きる術の一端を垣間見た。
 80年代後半、ジャンクボンド〔信用度の低い高利回り債券〕の帝王と言われたドレクセル・バーナム・ランベール社の当時の若き経営者、あのやり手マイケル・ミルケンも類似したネットワークをつくっていた。私がジョエル・シャピロのスタジオに遊びに行っていた時、ミルケンから電話が入り、シャピロが他作家について多岐にわたって助言をしていたのを思い出す。ミルケンはシャピロの作品を20点以上所有しているコレクターだった。

 このような動きとは別に、彼等は自身の作品を見る眼の鍛錬もおこたらない。前述のような情報システムに依存し過ぎるのを極力避ける努力も重ねていた。美術家や超一流画廊で、よく出会ったのは、この作業を行っている時だった。この時は、あの功利的でハードな姿勢は消え、本来の“絵好き”のコレクターに戻っているのを感じた。
 自分が考えられる最上の情報システムをつくったからと言え、それに振り回されないような歯止めは意識している。自分のコレクションの質を落さないように何重もの防御をかけているのが分った。自分にとってはものすごく参考になった未知の世界だった。彼等の思考やそのシステムを≪自分の体質≫に合うようにmodification〔修正〕して、自分なりのコレクション手法を時間をかけ、再構築しはじめた。画商や美術館の利用の仕方などのヒントも彼等から得たものだった。
■  ■

 1986年頃だったか……。J.P.モルガン勤務の若手コレクターがつぶやいていた。
「絵では、サーファーのやるような≪波乗り≫はやりませんよ。『絵の動きは株とは異質』ということを頭においておかないと……。株でさえ、これをやり小掬いを重ね、運に恵まれ利益を蓄積したとしても、一度にそれを吐き出すような事態に、高い確率で遭遇するのですよ。それどころか、大火傷することもね……」
 何回も相場の波をくぐり抜けてきたプロらしい言葉である。
 商社マンの眼でみても納得である。通常、上昇、下降のサイクルを見ると、株が上昇に入っても、絵画も同期して上昇に入るとは限らない。株が何サイクルか上下を繰り返し、その後に上昇に入った時、たまたま絵も上昇するケースがある。絵の方が一般的に見て、サイクルが長くゆったりとしている。彼等は企業内で学んだ、それへの読みの感覚は鋭い。
 彼からだけでなく、彼等の仲間からも同じような事を聞く。要するに、絵画作品を「10年、15年、20年」と長期保有し、付加価値をつけるやり方が流儀のようだ。
 それ故、選び抜いた画商、頭抜けて優秀なキュレーター、作家との3パーツで造りあげた≪情報システム≫と自己鍛錬をかみ合せ、長期保有に耐えられる作品をコレクションしようと努めているのだ。強い価値へのこだわりがあっても、時々、彼等の家にゆき展示されている作品を見ると、実に、作品を大切にしている。絶えず展示替えをし、陽焼けによる退色を防止している。保存の知識もすごく豊富である。ただ、価値のみを追う連中でないことが分る。「コレクションした作品が好きでたまらない」という気持ちが、こちらに伝わってくる。
 やはり知的な連中の一味違う面を見た気がした。

■  ■

 次回は「コレクション日記」について記述。コレクションをするにあたり、これをどのように利用したかも記述する。
ささぬま としき

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号〜12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う
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●今日のお勧めは、秋葉シスイです。
20151208_akiba_24_next14秋葉シスイ
「次の嵐を用意している」(14)
2015年
カンバスに油彩
65.5x91.0cm(P30号)
サインあり


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笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第19回

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第19回

「コレクションの失敗を少なくするために」


 寄り道をしながらも、趣味として、自分に合ったユックリとした歩調で現代美術コレクションも、飽きずに半世紀。この間に、多様な思い出も、かなり堆積した。数え切れない程の失敗。この大部分は眼力の未熟さ、そして知識や体験の不足に起因。又、コレクションの過程では、迷いに迷った試行錯誤も、「イヤッ」と言う程味わった。だが、これだけではない。成功体験もある。不思議な程、「ツキ」に恵まれた時期もあった。
 しかし、世に言う“成功体験”とは、非常に曖昧としたものである。ある目的を見事に達成したその方法論やロジックをシッカリと固め、次のケースでその通りにしても、社会情況、景気、流行、価格……などの変異の中で、それらが効力を発揮できないことが多い。例えば、'80年代の前半、現代美術作家のデュビュッフェは〔仏:1901-1985〕は人気もなく、多くのコレクターは興味の対象から外していた。作品の価格も極めて安い。なによりな事は、「売れてない」ので、市場に沢山の作品が存在していて、好みの作品をよりどりみどりで選択ができた。さらに、あのピエール・マティスも存命していたのである。
 当時、世界で最高の画廊のひとつと言われ、特にデュビュッフェでは「この上なし」とまで言われたピエール・マティス画廊で、1949年に制作されたデュビュッフェの作品に偶然にあたり、この作品獲得のために全力をあげて動いた。自分の安月給でも買える程、「今、思えばタダのような価格」で購入できたのだ。
 しかし、今、希代の目利きピエール・マティスもこの世にいない。デュビュッフェの人気は極めて高く、価格が高騰している。作品も各所に吸収されてしまい、一流画廊に行っても、作品は数える程しか見ることができない。質の良い作品はめったにない。従って、選択の余地などまったくない。こう見てくると、非常に良い時期に作品を入手できたことは、その“偶然な時の流れ”が強く味方したとしか思えない。おそらく、このような成功体験は、現在の状況に適応させても無力である。
 特定の成功体験にあまりにこだわると、多様なケースで行動や思考に柔軟性が欠けてくる。ややもすれば、逆に失敗への道を辿らせるかも……。一方、“時”は状況や条件をドンドン変化させてゆく。これに対応するには、よりしなやかな適応力が重要である。作品だけでなく、社会状況とも密接な関連をもつコレクション行為も、このようなケースを幾つか体験すると、その奥深さを感じ、興味も一層増してくるものだ。
 やがて、“成功体験”への依存から一定の距離をとり、コレクション行為の中での<失敗>や<試行錯誤>からの“反省”より得られた≪教訓≫を重視するようになっていった。これの方が、より実戦的に思えたからだ。
 だからと言って、<失敗>ばかりしてもいられない。一人の人間に与えられた時間には限りがあり、財力にも限界がある。従って、失敗を極小化する為に、多方面で、多様な知識を採集し、それらを基に、瞬発的な判断力を、自分自身で工夫して鍛えることにも注力した。≪そのような知識≫を得るのに利用した“場”や“道具”を幾つか記述してみたい。

■  ■

 まずは画商である。“知識採集”のために、立ち寄って良好な関係をつくる努力を重ねたのは、多種のデータを参考にして、「目筋が非常に良い」と判断した画廊だった。特に、「自分がコレクションしよう」と思っている作家を主力に扱っている画廊は大切にした。換言すれば、コレクション作家別に画商のグループを自分なりにつくった。
 この中で≪古書店≫も“道具”として、利用価値があった。パリの古書店で買い求めた、かなり以前に出版されたある展覧会のカタログの中には非常に大切な情報が隠れていた。それは、ある作家を扱っている“画商の眼力”そのものを暗示する一種の指標となるようなものだった。これまでは、画商間やコレクター間の<評価>や<噂>で、「あの作家については、どこそこの画廊が良い」となんとなく判断していた。
 しかし、これには曖昧さが常に伴う。人間関係による“友情”とか“仲間意識”、ある場合は“妬み”までも、それにまとわりついている事がある。従って、正確な情報でない場合も考えられる。だが、この古書店で見つけたものには、「冷徹に、これだ」と判断できるデータが入っていた。
 1966年、ロンドンの≪テート・ギャラリー≫で開かれた“ジャン・デュビュッフェ回顧展”のカタログだった。高い水準で世界的な評価をとるイギリスを代表する美術館である。さらに、ここの学芸員〔研究員〕の程度の高さでも有名である。
 カタログを見ていて、最後のページを見ると、展示作品を貸し出した世界各地の<美術館>・<コレクター>・<画商>の実名が列挙されている。しかも作品ごとに、その所有者も記述した細かなリストも添えられている。粒よりの優秀な学芸員の鋭敏な眼によって選び抜かれた作品の内容にも注目したが、さらに強い関心を持ったのは“選ばれたその作品の所有者名”だった。
 リストの中に貸し出し作品数が図抜けて多い画廊があった。美術館、コレクター、他画廊、総てを見比べても、ダントツに多い。9点もの作品を貸し出していた。それはピエール・マティス画廊だった。画廊では第2位はニューヨークのシドニー・ジャニスで3点、第3位はスイスのバーゼルにあるバイエラー画廊で1点。これらは、世界で超一流と言われている画廊だが、この事象で、デュビュッフェに関しての≪画商の眼力≫は、理屈なしに、把握できたのだ。
 このような特殊な画商を重視した、第一の理由は「その画廊主の独得の眼力」で選ばれた作品を見るためだった。コレクターにとって、これは非常に重要なこと。次に、その作品を見ながら、作品についての画廊主の見解を聞くこと。作品内容、そして画廊主の知識は、自分のコレクション作品に多大な影響を与えていった。
「その作家の“独得な個性”が作品に最もよく出た時期はいつ頃か?」
「その作家の将来性は……?」〔前もって採集しておいた市場での一般的な見方とこの画商の見方を比較し差異があると、その根拠などもさぐる〕
「眼力のあると言われている有名コレクター〔例えば、デュビュッフェだと、コーリンやバンシャフト〕が眼をつける作品の特徴は……? そして、その作品の制作時期は……?」〔この作家に対する最上級コレクターの視角を知るため〕
「この作家を主として扱っている、評価のある画商はどこの国の、何という画廊?」〔この作家を扱う勢力の分布状況を見るため。これはやがて、その作家の評価にもハネかえってくる〕
 こんなことを、その画廊の現場での対話から、聞きとることに注力した。選択した画廊は超一流のそれだけではなかった。なぜなら<上質の眼力>と<市場の熟知>を尺度に選択したからだ。例えば、デュビュッフェであると、ニューヨークではピエール・マティス画廊〔超一流〕、シドニー・ジャニス画廊〔超一流・初代が存命中のみ、ロバート・エルコン画廊〔小さな画廊・ロバートが存命中のみ、パリではジャン・ブッシェ画廊〔超一流〕。これら4画廊からは、<作品の質>の件で、特に強い影響をうけたことが記憶に残っている。

■  ■

 次に、作家である。作家と画商では、その立ち位置が違うので、“ある一人の作家”を見ることにおいても、その視点が明らかに異っていた。従って、双方の見方を聞き、それを咀嚼(そしゃく)すると、その作家が立体的に見え、興味ある見方が出てくる。
 '70年代の作家をたくさん生み出し世界にその名を轟かせたポーラ・クーパーと河原温のある一人の作家についての見方を偶然に聞けた時があった。視点の違いが分り参考になった。今、執筆中の≪河原温の思い出≫の中で記述している。興味ある方は、一読いただきたい。
 非常に理論的に他作家を分析できる作家もいる。親しかった'70年代の現代美術を代表する作家の一人、ジョエル・シャピロ〔米:1941-〕がその典型である。切れ味が抜群だった。彼は若い時、名門プリンストン大学で、2年程、教壇にたっている。彼からは、<作品>に対しての善し悪しについてのサゼスチョンをよくうけた。何回も助けられている。しかもその判断を出した論拠を必ず論理的に話してくれた。この内容が、今でも作品選択時の自分の見方の中で生きている。
 一方、河原はマクロの流れを実にたくみに把握していた。これは彼のつきあっている美術関係者からの情報が飛びきりハイ・グレードだったのではないか……。それだからある作家の将来性などのマクロの予測〔予言に近い〕は正確度があった。彼は一流好みで、超一流の美術館長、学芸員、作家達としかつきあってないようだった。ニューヨークにいる日本人作家とはまったく交流がなかったと聞く。彼が避けていたように感じる。ニューヨークの画廊であった日本人作家に、河原の話を少しでも出すと、「無視する雰囲気」が漂った強烈な記憶がある。とにかく、個性の異った数人の作家から、主として“作品の質”について、“作家の素質”について、多様なサゼスチョンをうけた。やはり、これらに画商と異った視点を感じ参考になった。

 第3に美術館。片寄りの少ない正統的な「これこそ代表作」というような作品が展示されている。しかも、その作家がピークをつけた最も良い時期の作品が多い。従って、ここでは、コレクションしたい作家をつぶさに調査し、その作家の標準となる作品のイメージをしっかりと眼に焼きつける場所となった。と同時に、ここでも“画商のケース”と同様に、コレクションする作家別に、日頃立ち寄る美術館を分類した。例えば、デュビュッフェだと、パリのポンピドゥー・センターとニューヨーク近代美術館。美術館によって特徴がある。この2館は、特にデュビュッフェの収蔵作品の内容では抜きんでて充実している。

 美術館ではコレクションしたい作品の目安はつけられるが、それと同類のものを入手するにはハードルが高すぎる。がしかし、コレクターは貪欲である。美術館での学習を参考に、「これはどうしてもほしい」と思えるような作品を捜す工夫を重ねる。
 そこでも、意外と効果があったのは、パリやニューヨークの<古書店>だった。目的とする作家を扱う有力画廊でのその作家の個展のカタログをあさった。これには、作品集や美術館の展示では眼にできない個性の強い、しかも全盛期の小品がのっているケースがある。コレクターにとって、たまらない程ひきつけられるものが、けっこう存在していた。これらの作品イメージをコピーして、データも書き入れ、ファイルして小冊子をつくった。この小冊子を手づくりする時の楽しみは、おそらく、コレクターでなければ分らない。いつか、ここにあるような作品を入手する夢をみながら……。画廊にゆく時は、必ずこれを携帯し、その時のチャンスを待った。
 さて、地道にコツコツと画廊や美術館をつぶさに見てまわっていると、思わぬものに出会う。この〔資料1〕を見て何を思うか……? 「あっ、吉原治良の出来のよいサークル・ペインティングだ」と気の利いたシャレを言う人がいるかも知れない。吉原がこのタイプの作品に向って手探りを始めた1963年のさらに5年も前に、既にこの作品を制作した作家がいた。その名はEllsworth Kelly〔米:1923-〕。1958年に制作した<Study for "White Ring">〔21.3x20.6〕cm。偶然にも、このような興味ある事象にも当る。やはり画廊や美術館での日頃のたゆまぬ研鑽が大切なように思えた。

01_600〔資料1〕


■  ■

 次回は<コレクター>・<自分の日記(コレクション日記)>をどのように利用し、それらをツール化していったか、記述してみたい。
ささぬま としき

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号〜12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う
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●今日のお勧めは、辰野登恵子です。
20151108_TATSUNO_01_sakuhin辰野登恵子
「作品」
1982年
パステル・紙
70.0x51.0cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

埼玉県立近代美術館で「辰野登恵子ーまだ見ぬかたちを」(特集展示)が開催されています(会期:2015年10月10日〜2016年1月17日)。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・森下泰輔のエッセイ「 戦後・現代美術事件簿」は毎月18日の更新です。
 ・新連載・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は毎月19日の更新です。
 ・新連載・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」はしばらく休載します。
 ・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
 ・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は終了しました。
 ・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
 ・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
 ・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
 ・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。新たに1974年10月7日の「現代版画センターのエディション発表記念展」オープニングの様子を掲載しました。
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笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第18回

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第18回

「商社に勤めていたからこそできたコレクション」


 趣味として、本格的に、現代美術のコレクターの道を歩み始めたのは、社会人になってからだった。社会に出る時、心に誓ったことがあった。「日々精進し、十分に実力をつけ、企業組織の“一部品”には、絶対にならない」と。
 選択したのは商社。旧財閥系でなかったので、入社して1年間程、冷静に観察をして、組織の特性を把握することに注力した。「力さえあれば、割り合い自由が効く弱肉強食の組織」だと感知した。サラリーマンは人生の大半の時間を、しかも、最も頭脳が柔軟で、体力のある時期を企業組織の中で過ごす。これをどのように有効に活用するか……、これによって自分の人生が豊潤なものになるかどうか、決まると思った。まず≪仕事の処理能力≫を極力高め、就業時間内に「余裕をどれくらいつくれるか」の工夫を多様に試みだした。そして、その≪余裕≫を利用して、多かった海外出張時には、新しい世界を知るため欧米各地の画商の世界を覗き見し始めた。
 ニューヨーク駐在もあった。この行動パターンは予期さえしなかった事にも効果を及ぼしてゆく。趣味の世界だけでなく、ビジネスの世界でも、多様な面で自分にプラスをもたらした。例えば、欧米の大企業での昼食をはさんだランチョン・ミーティングなどでは、「ビジネスの話のみ」では無粋の最たるもの。人間の小ささが目立ってしまう。“文化・芸術”の話などが多く、この輪に入れないと、「日本人は仕事熱心で、勤勉ですね」とヤンワリとした冗談まじりの皮肉が出る。さらには、「一日、何時間働くのですか?15時間?」などの野次も飛ぶ。日本のビジネス・マンのステレオタイプが彼等の意識の中に、このように沈殿しているのだ。
 非常に得をした記憶がある。このような時、自分が日本文化や現代美術の話題を話すと、「アイツは一味違う」という印象が残り、夜など幹部の邸宅に招いてくれることも多々あった。このような新しい体験は、さらに自分の視野を広めるのに役立った。趣味もその人の印象付けには貴重な戦力になるものだということも分った。やはり、人の思考には、その幅も重要なのだ。
 一方、現実的な面を見ると、“商社の選択”は自分の“趣味”にとっては最適の“解”のように思えた。まず、欧米に渡航する費用は回を重ねると、巨額になってくる。航空機代、各種交通費、そして、ホテル代……、すべて企業負担。その上、出張費までも出してくれる。言うことのない環境だ。もし、趣味のため、これ程の渡航を自費でしたのなら、フトコロと相談して、完全に不可能。このような事をしなければ、その分、資金を趣味にまわせる。合理的なのだ。
 一方、出張で画廊に寄った時、遭遇したことは現代美術の世界での視野を想像もできない程広げてくれた。又、画廊であった基礎のシッカリとした欧米のコレクターからは、多様なことを学んだ。
 企業に在籍した場合、その独得のメカニズムに巻き込まれ、利用され尽くされるのではなく、逆に、それを「トコトン利用してやる」ぐらいの意気込みを持ってないと、ボロボロになるまで使い込まれてしまうのが、現代の企業社会だ。従って、給与をもらうだけの勤務では何のメリットもない。その企業組織の特色や企業行動の方向性を極力利用して、自分を高めないと……。このような姿勢あってか……、今迄に少しずつ集め蓄積したコレクション作品は、≪商社≫に在籍していたからこそ、できたという性格を持っているように思える。他業種の企業に勤めていたなら、コレクションの内容は全く異っていたと思える。

■  ■

 日記を見ていて、当時のある一日を思い出した。それは、ニューヨークのソーホー地区にあった有名画廊でのなんら変りのない通常の行動だった。この光景の中に、なつかしい当時の自分の姿が埋め込まれていた。
JAN. 21, 1989〔at Paula Cooper Gallery〕
店に入り、大きな展示室、次の展示室をぬけ、バック・オフィスに入ると、そこで、作家のジョエル・シャピロとレズリー・ミラーが打合せをしていた。レズリー・ミラーは良家〔父親は世界的な超一流シンクタンクのCEO〕の子女なのに、版画の刷り師で、自分で小さな工房を経営している。シャピロの木版画は全部、彼女が刷っていた。
 気配を感じたのか…、シャピロがこちらに顔を向け、
「おっ、久しぶりだね。元気?」
「このように元気ですよ。ただ、今、仕事が忙しくてね。今日、近くを通ったので、息抜きにチョット寄ったんですよ。新作版画の打合せ?」
「今度、2種の木版画が完成したんだ。<#14><#15>。あとで見ておいてよ」、ユダヤ人らしいプラグマティックな言葉もつけ加えた。「今回のできはいいよ。少し取っておいた方がいいよ。値上がりしてゆくから……」
この話が終るか終らないかの時、この画廊のディレクターのジム・コーハンが現れた。
「お元気そうで……」
「どう、何かおもしろい話ある?」
「耳よりなニュースをお話ししますよ。こちらの部屋で話しましょう」
部屋のドアーを閉めると、
「シャピロのドローイング、また上げますよ。<質の良い作品>は〔105x75〕cmぐらいで、
$23,000.-になります。今、セカンダリー・マーケットでは、$28,000.-〜30,000.-ぐらいしてます」
「今回、上げ幅が大きいね」
「'87年には、このサイズで、ポーラでは$12,000.-。'88年には$16,000.-になってます。今回、これらと比べると、上げ幅は大きいですね。とにかく“評価”が近頃さらに強くなってますので……」
続けて、「あなたのヤリ方は実にスマートですよね。今迄買った作品を全く売ってないのですから……」
「今日は値段の話を聞きによったんじゃないんだ。作品を見たいんだよ」
「今、ポーラの倉庫にも、シャピロの作品は2点しかありません。しかも、質はあまりよくないので、あなたでは、到底関心を示されないものです。シャピロのスタジオには、何もありません。作品が入れば、今、1日と持ちませんよ」
彼は、世辞やセールス・トークのできない、真面目な性格なので、この話の内容は真の現況を示してると思った。
「ジャ、しょうがない。入ったら知らせてよ」
この対話が終った時に、ポーラ・クーパーが戻ってきた。
「あら、久しぶり」
「なんか、おもしろい話ない?」
ちょっと、考え込んで、
「そう、今日、朝、ボロフスキーから作品が送られてきたの。見ますか?」
ポーラは長い期間、ジョナサン・ボロフスキーを扱っていて、契約作家の一人である。が、今迄、自分は関心を示したことがなかった。客の体質を知りつくしているポーラが、「見てみる?」と言ったのには、何か意味があるのでは……、と思った。
5cmぐらいの厚みのある紙の作品の束がさし出された。
「うわ、すごい量」
「とにかく、見てごらんなさいよ」
見ると、どれも、近来見たことのない程、良質の作品ばかり。
「今回どうしたの? ボロフスキーがこんな良い作品があるなんて……」
「分ったでしょう。だから見せたのよ」
500枚ぐらいあっただろうか……。すべて、よくある螺旋状の金具でとじられたノートの紙〔横線の入った〕に色エンピツやクレヨン、ペンで描かれた作品だった。どれも小品である。
この中に、1枚、好みの美しい小品があった。
「これいくら」とポーラに聞くと、
「それ、$2,500.-。すごく質の良いものよ。それね、ボロフスキーの夢に実際に出てきたイメージを描いたものよ」
「自分の部屋に飾ろうと思うんだ。インボイス切ってね」
「そう。それじゃ20%引いてあげるわよ。$2,000.-でいいわよ」

01〔資料1〕
“Untitled at 2,779,335”
Colored pencil, ink on lined spiral edge paper
9 3/8" x 6"
〔23.8x15.2〕cm
1988



ポーラは、自分の勧めた作品を、コレクション作家でもないのに、スンナリ買ってくれたので、気分をよくしたのだろう。帰り、画廊のドアーまで送って来て、別れ際に、「今日、ありがとう」と一言つぶやいた。こんな安いものでも、顧客が今まで買わなかった作家に手を出してくれたことに、何かを感じたのか……。自分の側から見れば、たまには「このような事」も行い、自分にとって大切な画廊との絆を強める事も重要であることが意識の片隅にあった。
双方が「何かを感じる」このような小さな事の積み重ねが、人間関係を強めてゆくように思えてならなかった。
 2012年に拙著を出版する時、そこに<写真>〔ポーラ・クーパーからもらったもの〕を何枚も掲載することになり、「版権の支払い」の件でletterを出した。
版権担当の専門のマネジャーがいるのに、
「あなたが本を出すのでしょ。お金はとれないわ。それらをNo chargeで使って下さい」とのポーラ自身からの返信。しかも、そのletterはタイプでうたれた文字でなく、全文自筆で書かれていた。
長い時を経ても、今なお変らない“ポーラの厚意”に目頭が熱くなった。

■  ■

 1942年、ボストン生まれのジョナサン・ボロフスキー〔JONATHAN BOROFSKY〕は、人工知能、ロボット、コンピューターのソフトウェアで、現在、世界でトップクラスにランクされているカーネギー・メロン大学を卒業したあと、1964年にはフランスに留学〔Ecole de Fountainbleau〕。帰国し、名門エール大学の大学院で建築学の修士号をとっている。〔1966年卒業〕
 現代美術では、当初、紙面を手書きの“数字”を書き埋め尽くすコンセプチュアル・アート的な作品を描いてデビュー。1973年頃には、個人的ないたずら書き、本やニュース、街角で見たり聞いたりした事から連想したイメージを描き始めた。この中には、自分が現実に見た“夢”のイメージをそのまま描いたものもあった。
 1975年にはポーラ・クーパー画廊で初個展。
 当初の“数字”への関心を今でも引きずっていて、作品には、必ず、7ケタのナンバリングを入れる。例えば、筆者が購入した作品には、最下部のところに、<2779335>の番号が記述されている。1972年以降、作家のサインの代りに、この番号を記述している。
〔日本での個展の時は、日本人のサイン好きの習癖により、名前をサインしたものを出している〕
 1985年3月。ニューヨークのホイットニー美術館で開かれたボロフスキー展は非常に変ったものだった。一言で言えば、オモチャ箱をひっくり返したようなテーマ・パーク。ここ15年間につくられた、50以上の個別の作品をワンフロアーにインスタレーションして、それら全体で、ひとつの新しい作品につくりあげていた。塩化ビニールの半透明のシートを丸めてつくった巨大な人形はゆったりと会場で屈伸運動をしている。金属でできた人物(巨大な)はハンマーを繰り返しうちおろしている。歩くように手をふる巨大な立体。これらの間を縫うように平面作品や小さな立体作品がおかれている。
 ここには、何のシステムらしいものは感じられない。又何の計算や意図も見られない。ただ雑然さが横たわっているのみ。あっけにとられ眺めているうちに、心はホッとするような何かにつつまれていた。がんじがらめに管理されてゆく社会に対しての、ささやかな異議の申し立てをしているように思えてならなかった。テンポの遅い≪マイウェイ≫のBGMが流れ、それにあわせ、チャールストンをぎこちなく踊っているピエロの人形がささやいているように感じた。「これがボロフスキーだ。彼が歩いてきた道なのだ」と。

02〔資料2〕
ジョナサン・ボロフスキー展のインスタレーション
(1984年、フィラデルフィア美術館)



ささぬま としき

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号〜12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う
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●今日のお勧めは北川民次です。
20151008_tamiji_14北川民次
「果物を売る女」
1976年
リトグラフ、手彩色
38.0x28.0cm
Ed.75
サインあり
※レゾネNo.329


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 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
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 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
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 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
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 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
 ・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
 ・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
 ・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
 ・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。新たに1974年10月7日の「現代版画センターのエディション発表記念展」オープニングの様子を掲載しました。
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笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第17回

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第17回

「コレクターの原点を求めて」


 そちこちで、聞かれる事がある。「現代美術のコレクターになった“原点”は何だったのですか?」
 色々な趣味がある中で、現代美術の鑑賞を選択し、かつ、なぜコレクターにまでなってしまったのか、自分でもよく分らない。従って、このような事を聞かれると答えに窮する。
 まだしも、“切っ掛け”なら、自分の記憶を辿れば、見つけられないことはないように思える。しかし、“原点”となると至難な事だ。
 このような質問を幾度となく受けているうちに、この年になって、自分の歩んできた道を、冷静に振り返って、“切っ掛け”や“原点”を探すことも興味あることではないか……、と思った。
 まず、記憶をたぐりよせ、“切っ掛け”となったものを探してみようと思った。おそらく、それを探しているうちに、さらにその奥に存在する“原点”が見えてくるかも知れない。

■  ■

 1945年、日本は第二次世界大戦で敗戦国となる。人々は今と異なり、日々食べるものも十分になく、衣服には“ファッション”などという言葉もなく、生活するのに最低限必要なものしか身につけることができなかった。このような極貧と言ってもよい状況にあった1951年の春、上野の国立博物館で、アンリ・マティス展が開かれた。
 「“博物館”で、なぜ現代美術展が……?」 今考えると、いささか違和感を感じる。日本で、最初の国立美術館である東京国立近代美術館が開館したのが、1952年。文化面でも、社会基盤が整備できる程の財力が国になかったのだ。
 日本のインテリ層〔大正や昭和の初期に教育をうけた〕好みの“印象派”などの古い美術ではなく、マティス〔1869-1954〕は、この頃、晩期に入っていたとは言え、当時で言えばまぎれもない現代美術の一作家だった。
 人々が生きていく糧を必死になって、探し求めていたこの混迷状況の中で、新しい火をともし、未知の世界があることを知らせようとしたのか……、実にこの時代にふさわしい企画展のように思えた。
 がしかし、当時は分らなかったのだが、今思えば、名ばかりのマティス展だった。出品作品の内容は、油彩が29点〔日本で所有されている作品が13点、海外が16点〕、素描が40点〔1939〜40年代前半のドローイング〕、ヴァンスの礼拝堂のステンドグラスの下絵36点〔グワッシュ3点、木炭ドローイング2点、墨のもの2点、木炭ドローイングを写した写真が27点、礼拝堂の模型が2点〕、この他、切り絵が1点。合計で出品作品は106点。
 今、この出品内容を見ると、なんとも表現のしようのない程、寂しい限りのマティス展だ。戦後間もない日本を象徴するような企画展だった。油彩も「マティスが描いた」という名のみの平凡な作品で構成されていた。ヴァンスの礼拝堂のステンドグラスの木炭で描いた習作は実作品でなく、ただのモノクロームの写真が27点も展示されていたのだ。〔全展示作品の1/4〕
 この時、小学4年生。美術の課外授業として、これを見にいった。“授業”と言うが説明は一切なし。従って、マティスがどんな作家かも分らない。ただ、自分の眼でみるしかなかった。ここで、1899年、マティスがコルシカ島で描いた油彩作品〔38x46.5〕cmと遭遇。タイトルは≪桃の花ざかり≫〔資料1〕。畑の中に、花をつけた桃の木が一本描かれている作品だった。確か、記憶では、この桃の花は淡いピンクだったように思う。幼心に、「桃の木がまぶしい程に美しく思えた」ことが、おぼろに記憶に残っている。作品の前に、釘付けになった。
 展覧会場の出口付近にあった売店で、この作品の“絵はがき”〔モノクローム〕を見つけ、なけなしの小遣いでこれを買った。これから、64年も経った。今でも、これが手元にある。〔資料1〕どうやら、小学生ながら、絵画に関心を持つ、“切っ掛け”となり、かつ、コレクターに向う、かすかな前兆現象が、ここあたりに芽ばえだしていたように思えてならない。本を買うなど、他に使いみちのある大切な小遣いで、“絵はがきを買った”という事実を見ても……。

マティス〔資料1〕
マティス展で購入した絵はがき



■  ■

 中学時代は「食わず嫌いなし」に、美術館や百貨店での多様な展覧会をよく見て歩いた。数えられない程見ている。これをこなしているうちに、徐々に、作家や作品にほのかな「好み」が出てきた。高校に入り、その生活になれ始めた頃だった。都心に出た時、何気なく立ち寄った日本橋の白木屋百貨店〔現在の「コレド日本橋」がある場所にあった〕で、棟方志功展が開かれていた。初めて見る作家だった。「どんな作家なのか?」 軽い気持ちで会場に足を踏み入れた。眼が作品になれ始めると、肉筆画よりも、荒削りの木版画に強く引きつけられた。特に、仏画に出てくるような素朴な人物を描いたものに不思議な魅力を感じた。
 このあと、棟方展が開かれると欠かさず見るようになってゆく。これから何年か過ぎ、日本橋の丸善に行ったついでに、白木屋にあった棟方ギャラリーに立ち寄ってみた。そこで、妙に引かれた1点の木版画に出会った。黄色に染められた円窓から、下界を眺めているような一人の女人。群青色が落された多少釣り上がった大きな目には、きつさは感じられなく、むしろなごませられる。仏界の女人のように思えた。又、裏手彩色での濁りのない柔らかな美しい色彩にもひかれた。≪弘仁の柵≫という作品だった。〔資料2〕「これ自分の部屋に飾ってみたいなあ……」 今迄に、考えもしなかった言葉が口をつく。価格は7,000円。貯金をはたけば、なんとかなる金額だった。ここに至るまで、あの小学4年の時に見たマティス展から数えて、8年ぐらいの時間が経過していた。あの時にまかれた種が、成長し実をつけ始めているように感じた。

棟方志功〔資料2〕
≪弘仁の柵≫
棟方志功
木版画〔手彩色〕
〔20x20〕cm

初めて購入した作品



■  ■

 当時、父の事業が思わしくないのが分っていた。この貯金は自分にとって大切なものであることは十分に感知していた。このような状況なのに、あの版画を見つけてから、絶えず頭の片隅を占めていたのは、“作品を入手したいという気持”と“貯金の重み”の綱引きだった。長い時間苦しみながらも、「大学に入ったら、家庭教師をして、これを取り戻せばいいんだ」という事を何回も自分に言い聞かせ、自分を説得していた。
 家の大事も顧みず、大切な銭を使い“不急不要”なものに手を伸ばす心情に後ろめたさを感じた。苦しんだ挙句、この作品を購入した。これがコレクションの第1号の作品となった。

■  ■

 “切っ掛け”をさがし、記憶の糸をたどりよせていた時、幼い頃のなんとも奇妙な“習癖”が思い浮んだ。おそらく3才ぐらいの時だった。家の中に居て、絵本を見たり、玩具遊びをしていない時は、母に気づかれないように、鋏(はさみ)を持って不在の父の部屋に入って行く。狙いは本箱。黙々とある作業に取り掛かる。本箱からは、日本の書籍でなく、必ず洋書を取り出す。一心不乱にページを表示している≪数字≫だけを、次から次へと凝視してゆく。洋書に目をつけたのは、「個性的な多様なロゴタイプ」の数字があることを、幼心に嗅ぎつけたからだ。
 3桁の数字が、なぜか、好みだった。心打つ数字に行き当たると、鋏でその部分を大きめに切り取り、封筒にしまい込む。時々、溜めた数字の切れ端を封筒から取り出して見る時は、何にも増して言いようのない喜びを感じた。
 当時、洋書は高価だった。いつの間にか、沢山の洋書のページの部分が切り取られているのを知った父に、こっぴどくしかられた事を記憶している。しかし、何回しかられても親の目を盗んでは、部屋に忍び込みこれを繰り返し、なかなかやめられなかった。
 「味も素っ気も無い、ただの数字」に、これ程、執拗に執着したのはなぜ?
 この深層心理は分らない。しかし、数字のロゴタイプに、選択行為が発生していたことは、“形”あるものへの嗜好が、既に、芽生え始めていたのではないか……。
 これぞ、コレクターへの道の“原点”のひとつのように思えてならなかった。

■  ■

 4〜5才頃、昆虫が好きだった。蝉、トンボ、黄金虫……などは特に好きだった。これは、虫自体にではなく、その虫の独得の色彩に引き付けられていたのだ。蜩(ひぐらし)は鳴き声も好きだったが、背の部分の“緑”に、子供ながら「美しい」と思った。又その透き通った羽の色にも不思議なものを感じた。
 トンボはギンヤンマ。胴体部と尾の部分の接合部にある、あのコバルト色の小さな部分を、ほんとうに美しいと感じていた。黄金虫は、体全体を虹色に輝かせ、夏の暑い日に飛ぶ姿を見ると、鳥肌が立つ程に感動した。この頃の体験が、コレクターとしての「色彩へのこだわり」の“原点”になったように思える。物心もついてない幼少の頃、なんの気なしに眼に入った事、気のむくままに、おこなった事、又ある時に、「綺麗だな」と素直に感じた事……、多様な事が時間をかけて、自分の心の奥で、寄りそいあって、毬藻(まりも)のように育ったものが≪原点≫のように思えてならない。
 もの心もつかない時期の多様な体験は、ある面では、人間形成にとって、大きな意味をもっているのかも知れない。
(ささぬまとしき)

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号〜12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う
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●今日のお勧めは飯塚八郎です。
iizuka_600
飯塚八郎
「作品」
コラージュ
13.0×11.3cm
サインあり


飯塚八郎(1928年〜2008年)は兵庫県生まれ。平面、立体、版画を手がけ、東京芸術専門学校(TSA)(校長は斎藤義重)で講師も務めた。大江戸線青山一丁目駅にレリーフが設置されておりご覧になった方も多いでしょう。

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 ・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
 ・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
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笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第16回

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第16回

「超一流の画廊のしたたかさ」


 『超一流の○○』という言葉の響きは実に良い。これを耳にした時、“老舗”などであると、「接客の作法は洗練されていて、扱い商品は極上、店内の雰囲気もこの上なく上品」というようなイメージを思い浮べ、大方の人は「その名以上のもの」を連想するケースが多いようだ。確かに、ニューヨークやパリで、この手の店を訪れてみると、その気配は十分に感じられる。
 一方、このような“高み”に昇りつめた連中と、利害が絡むビジネスの場で、手合せをした時、言いようのない「したたかさ」を感じた事が少なくない。「ここまで、するのかよ!!」と何回も、つぶやいたことを思い出す。俗に、世界で『超一流』と言われているものには、外見ほどに、美化された甘さはない。
 さらに、「これだから、この位置まで登りつめたのでは……」とさえ感じさせるものが、いささか気どった、上品でスマートな彼らの≪衣装≫の下に見え隠れしていた。人は見た目ほど、単純ではない。
 エッセイの中で度々記述した超一流画廊で、実際に手合せを何回かした時、発生した事は、今でも脳裏に鮮明に残っている。

■  ■

June 15, 1989〔Art-Fairで〕
Xのブースに寄った。デュビュッフェ〔1901-1985〕の最晩期に制作された三種類のシリーズの作品が展示されていた。よく売れている。この中に、際立った作品が1点あった。1984年9月17日に制作された“Lit du Tarrent Non-Lieu LI”。サイズ〔90x60〕cm。今迄に見たことのないイメージで、質のよいものだった。
「これ、価格は?」と店員にたずねると、「$125,000.-です」 聞きもしないのに、続けて、「これは予約済みです」とつぶやく。
「今、デュビュッフェはどんな状況?」
「このMireのシリーズで良い作品は、2年前の約2倍の価格になってます。デュビュッフェは、まだまだあがりますよ
店員は、この作品のタイトルの中に示されている“Non-Lieu”のシリーズとは言わず、Mireのシリーズと言っていた。他界する8ヵ月前に、作家が紡ぎだしたこのあまりにも変ったイメージを“Mire”と判断したのかも……。それ程、この作品は特異なものだった。おそらく、このアートフェアーで、沢山の人々がこの作品に興味を示したに違いない。

01“Lit du Tarrent Non-Lieu LI”
1984
〔90x60〕cm
デュビュッフェの逝去は1985年5月だったので、なくなる8ヶ月前にこの作品を制作。今迄になかったImageで、色彩のCombinationも珍しい作品。



■  ■

 この翌年、このArt-Fairで意外な事に遭遇。
June 17, 1990
Xのブースは80%ぐらいがデュビュッフェの作品で埋められていた。
驚いたことに、去年、「予約済み」と言っていた“Lit du Tarrent Non Lieu LI”が、また展示されていた。「どう言うことだ」と独り言。
価格を聞くと、なんと、「$350,000.-」
去年の約3倍。あきれて、声も出ない。店員に、「Non-LieuやMireのシリーズで、並の質の作品で、いくらぐらい?」とたずねてみた。「2シリーズとも、サイズが同じですと、同価格で、現在、このサイズ〔90x60〕cmですと、$280,000.-です」
“Lit du Tarrent”に関しては、並の作品とは$70,000.-の差異をつけている。〔通常、近作の場合、あまり差異が出ない〕
このような現象がでてくると、コレクターの眼力が重要になってくる。
 前述の1989年6月15日の日記の中にあるように、店員はXの“体質”を暗示するような言葉を2つ吐いていた。「これ予約済みです」「デュビュッフェは、まだまだ上ります」
 これを聞いた時、真にうけ「良い作品は強いな」と単純に思った。あれだけの人々が、この作品に群がっていたのだから当り前の見方だ。
 1年後、再び、このブースで、この作品を眼にした時、「ハッ」とした。同時に、あの2つの言葉に“異った意味”を感じた。さらに、価格を聞いた時、「これが彼等の本性じゃないか……」と思わずつぶやいた。
 マーケット分析を緻密にしている。「デュビュッフェはまだまだ上る」というkeyの動向をつかむと、そこから戦術が始まる。「良質の作品は、目一杯の高値で売るタイミングを探り、売り止め」 それを「予約済みです」と気の利いた言いまわしで表現。実に≪予約:Reserve≫という単語の使い方がうまい。「予約した人が断念した」と再展示を正統化できる。
 さらに、良質の作品には、売り頃とみるや「これで買うなら売ってやる」という価格をつけてくる。「あくなき利益の追求」によって、彼等は現在の位置を築き、そして、その位置を守ってゆく。
 コレクターとは因果なもの。上質な作品を入手する為には、こういうタイプの商人〔アキンド〕でも、避けるわけにはいかない。「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」 現実を現実としてのみ込み、これに対応して、自分側の防御体制をこれ以上できない程かためて手合せをする。なんとも、痛ましいコレクターの性である。

■  ■

June 15, 1994
朝10時頃、時間があったので、Xをのぞく。ソール・スタインバーグ〔米:1914-1999〕の去年目にとまった作品が売れずに展示されていた。価格は$10,000.-。サイズは〔75x55〕cmぐらい。1年前から気になっていた作品だった。「この価格は安い」と思った。作品の質も良く、全盛期に描かれたものでもある。予約した。条件も了解しあった。
この作品の技法<Stampted Drawing>を確認したかったので、翌早朝、ホテルからFAXを送った。〔紙に、1種類のパターンのスタンプを連続的に押して、イメージ〔中国の風景〕を描く。大変めずらしい作品〕
 その日のうちに、返事がホテルに届いていた。
I wanted to let you know anyhow that we had a client yesterday in the afternoon who reserved Steinberg's that work and will probably buy it. I am very sorry !
「なんとかして、知らせようと思っていたのですが……。昨日の午後、お客がスタインバーグのあの作品を予約しました。おそらく、それを買うと思います。大変申し訳ない」
〔ここでも“Reserve”と“Probably”という単語をうまく使っている〕
 質問は全く無視。自分達の非を棚上げした非礼で、事務的な文面のことわり状だった。予約した時、互に取り決めを了承。それなのに「なぜ?」 「午前中に予約したのに、午後来た客が予約したから、それに売る」とは何? この理不尽さにあきれる。
 しかし、以前に、この画廊で「オヤ?」と思う現象に何回も遭遇していたので、冷静さを取り戻すことには時間がかからなかった。不幸中の幸いは、自分の中心的な関心の作家の作品ではなかったことだ。
 後の事も考え、これを風と流すことにした。

 翌年、いつものようにXに立ち寄った。
June 17, 1995
前年、スタインバーグの件で対応した女性がいたので、<体質>を見きわめるケース・スタディーだと思い、なにくわぬ顔をして、「スタインバーグのあの作品はある?」と聞いてみる。在庫をcheckして戻ってきた。「ありますわよ」と平然として一言。「またか……。去年のFAXは何だったのか?」と思った。「価格は?」と聞くと、「$25,000.-」。この時、思った。「去年、あの時、背後で何か起っていたな……」 これ以上のことは何も聞かなかった。
 出張はパリを回って戻ることにした。パリでは時間が余ったので、超一流画廊のGalerie Lelongで雑談でもと思って立ち寄った。
June 26, 1995〔Galerie Lelong at Paris〕
タピエスやチリダ、F・ベーコンなどの市場の事につき話していると、ベローが「来年、マドリードのレイナー・ソフィア美術館で、珍しい回顧展があるのですよ。誰れのだと思われますか?」 「巨匠じゃないとすると……、一体誰れだろう……」しばらく考えていると、「ソール・スタインバーグですよ」
 「やっぱり!! あれの導火線はこれだ」と思った。ヨーロッパでは、レイナー・ソフィアで回顧展がかかった作家は、ほとんどが「価格の高騰の現象が出る」ので、画商はいつも、これを注視している。
 追い打ちをかけるように、ベローがつぶやいた「スタインバーグは前の価格では、今、もう出せなくなりましたよ」
 1年後のことに、ここでももうこのような反応が出ている。
超一流画廊の情報採集網のすごさ、機敏なしたたかさ、そして、「ここまで、するのかよ」と言いたくなる、あくなき利益の追求。とにかく、彼等はビジネスで、高価な作品だろうが、安価な作品だろうが、扱っているものに関しては、いささかの≪隙(スキ)≫もつくらない。
 『超一流』という名は、ダテにはつかない。
(ささぬまとしき)

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号〜12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う
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「オノサト・トシノブ展―初期具象から晩年まで」から1980年代の版画作品をご紹介します。
77出品No.77)
オノサト・トシノブ
「A.S.-13」
1982年
シルクスクリーン
Image size: 20.0x20.0cm
Ed.150 サインあり
※レゾネNo.191

78出品No.78)
オノサト・トシノブ
「F-4」
1982年
シルクスクリーン
Image size: 15.0x15.0cm
Ed.200 サインあり
※レゾネNo.192
※福井オノサトの会エディション

79出品No.79)
オノサト・トシノブ
「F-5」
1982年
シルクスクリーン
Image size: 15.0x15.0cm
Ed.200 サインあり
※レゾネNo.193
※福井オノサトの会エディション

80出品No.80)
オノサト・トシノブ
「F-6」
1982年
シルクスクリーン
Image size: 15.0x15.0cm
Ed.200 サインあり
※レゾネNo.194
※福井オノサトの会エディション

81出品No.81)
オノサト・トシノブ
「F-7」
1982年
シルクスクリーン
Image size: 10.0x10.0cm
Ed.200 サインあり
※レゾネNo.195
※福井オノサトの会エディション


82出品No.82)
オノサト・トシノブ
「A.S.-14」
1983年
シルクスクリーン
Image size: 30.0x30.0cm
Ed.150 サインあり
※レゾネNo.196

83出品No.83)
オノサト・トシノブ
「A.S.-17」
1984年
シルクスクリーン
Image size: 60.5x72.5cm
Ed.100 サインあり
※レゾネNo.200

84出品No.84)
オノサト・トシノブ
「F-8」
1984年
シルクスクリーン
Image size: 60.5x72.5cm
Ed.100 サインあり
※レゾネNo.201
※福井オノサトの会エディション

85出品No.85)
オノサト・トシノブ
「F-9」
1985年
シルクスクリーン
Image size: 22.0x27.2cm
Ed.100 サインあり
※レゾネNo.205
※福井オノサトの会エディション

86出品No.86)
オノサト・トシノブ
「F-10」
1985年
シルクスクリーン
Image size: 22.0x27.2cm
Ed.100 サインあり
※レゾネNo.206
※福井オノサトの会エディション

87出品No.87)
オノサト・トシノブ
「A.S.-21」
1986年
リトグラフ
Image size: 35.0x42.0cm
Ed.70 サインあり
※レゾネNo.208

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

「オノサト・トシノブ展―初期具象から晩年まで」は本日が最終日です。
夜19時まで開廊していますのでどうぞお出かけください。
onosato_DM6001934年の長崎風景をはじめとする戦前戦後の具象作品から、1950年代のベタ丸を経て晩年までの油彩、水彩、版画をご覧いただき、オノサト・トシノブ(1912〜1986)の表現の変遷をたどります。
会場が狭いので実際に展示するのは20数点ですが、作品はシートを含め92点を用意したのでお声をかけてくれればば全作品をご覧にいれます。
全92点のリストはホームページに掲載しました。
価格リストをご希望の方は、「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してメールにてお申し込みください。
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●作家と作品については亭主の駄文「オノサト・トシノブの世界」をお読みください。

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第15回

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第15回

「超一流の画廊とは……」


 日本では、スイスのイメージを酪農国と思っている人が多いようだ。が、それはある一面を示すにすぎない。化学技術や精密機器の技術にも優れ、金融分野でも世界で屈指の強国だ。多様な分野でグローバルに活躍するリッチな企業が多い。特に化学品分野では優良企業が多く、医薬品メーカーで、常に世界のベスト5以内に位置し、今注目を集める抗体医薬の開発で世界のトップを走るロッシュも存在している。
 このロッシュや多種の優良企業が本社をかまえる街が、スイス第2の都市、バーゼルである。企業の本社が多い割には、東京のように息のつまるコンクリート・ジャングルの雰囲気はない。ゆったりと流れるライン川を挟んだ実に静かな、自然豊かな中世都市なのだ。その旧市街に≪バイエラー≫という画廊がある。〔Galerie Beyeler: Bäumleingasse 9, 4051 Basel, Switzerland〕

画廊外観
〔1980年代のバイエラー画廊の外観〕
自動車がとまっている建物がバイエラー画廊。入口は中央の黄色のドアーから。
1〜3階が、通常の展示スペース。日本の画廊と違って、店舗風のかまえはしてない。従って、入りずらい雰囲気はある。


 今はなき画廊主、バイエラーが集めた現代美術のすばらしいコレクションをもとに、何年か前、≪美術館≫をバーゼル郊外に建てた。個人がつくった美術館とは思えない程、内容が充実していて、程度が高い。このような面を見ると、この画商の凄さは底知れない。
 画廊内で、実際に遭遇した出来事を通しても、これを感じたことがあった。
 80年代の中頃、フラリとこの画廊に立ち寄り、1階から3階までの展示室をひととおり見て、「オヤジがいれば……」と思い、オフィスを覗くと、ピカソのキュビズムのピーク時のような3号程の極上質の作品が、1点、その壁面にかけられていた。大きな作品でも、これ程の質の作品はそうざらにはない。オヤジと眼があうと、挨拶もそこそこに、思わず口をついた言葉が、「これ、いくらですか?」
 席を立ち、こちらにユックリと向って来て、「このような作品を売ってしまったら、今、もう2度と手に入りません。従って、これは売りものではありません」
 この頃、どんな超一流画廊でも、ピカソのキュビズムの時代の作品を画廊で見ることは、ほとんど不可能に近くなっていた。バイエラーの言葉を聞いていた時、ピカソの画商として名をはせた、あのダニエル=ヘンリー・カーンワイラーの言葉が頭をよぎっていった。
「私は売らなかった絵で財をなし、売った絵で生活をしてきた」
 この言葉には、多様な事を暗示する深い意味が含まれているようにも思えてならない。超一流に登りつめる画商には、ひとつの流儀があるようだ。

画廊
Galerie Bayelerの2階の展示室の一部
〔右〕:フリッツ・グラーナの作品。
〔中〕:アンリ・マティス最晩期の“切り紙”の作品。
〔左〕:壁面にかけられている白黒の作品はアルプのレリーフ。
〔左〕:手前の立体はやはりアルプ。大理石で制作されたユニーク作品。


■  ■

 今から40年以上も前のことだ。東京の日本橋、高島屋百貨店の近くにあった南画廊の志水氏から電話があった。いつもと違う弾んだ声で、「今、モジリアーニの作品が画廊に着いたんだよ。程なく美術館に収めるんだ。なかなか見られるものじゃないから、見に来なさい」胸をはった得意満面な様子が伝わってくる。
 当時、東京では「モジリアーニの作品を見る事ができる」ということは、一つの貴重な出来事だった。
 又、「キュービズムの時代に入るか、入らないか、ピカソの端境期(はざかいき)の作品が入荷した時も、同じような電話があった。しかし、この作品、今、記憶にも残ってない。
 こんな状況が、東京の画廊界での1970年代の雰囲気だった。しかも、南画廊は当時の≪日本の現代美術≫を代表する画廊だったのだ。
 この頃、バーゼルのバイエラー画廊では、どんな動きをしていたのか……。そのほんの一部の動きをここに抽出してみると…。

≪70年代に見る、バイエラーや南画廊の動き≫
表


 この表を再度、細かく読んでいただきたい。バイエラーの特質がはっきりと、あぶり出されてくる。具体的に見てみると、

〔1〕:赤字部分に注目してほしい。当時、欧米の通常の画廊では眼にできなくなったセザンヌ、ルノアール、ゴーギャン……など、クラシックな作家の作品も少数ながら展示されている。しかも、他では見られない程、作品の質は非常によい。この画廊の懐の深さを示している。

〔2〕:ピカソ、マティス、ジャコメッティ、デュビュッフェ、ロスコ、リキテンシュタイン、デ・クーニング、ミロ、ポロック……など、現在、眼のくらむ程の価格づけがされている巨匠の作品が、ここに列挙した企画展では=他のものもそうだが=、必ず毎回多数展示されている。しかも、同一作家でも、毎回異った作品が展示されていた。

〔3〕:1970年代前半には、まだ名があまり知られてない≪アグネス・マーティン≫、≪ダン・フレービン≫、≪ブライス・マーデン≫などにも眼をつけ展示している。現在、この3人の作品にも、途方もない価格づけが市場でなされている。“先見の明”があるというか……。
 展示作家を冷静に見ていると、この画廊の戦略が見えてくる。トップグループ、2番手グループ、まだ注目されてない作家を展示して“客の反応”を見るグループなど、これら3つのパーツ〔部品〕を利用して、用意周到に企画展の内容を組み立てている。企画展も計算し尽くされている。

〔4〕:とにかく、ここに列挙した企画展だけ見ても、展示作家の陣容は並みの美術館では到底かなわない。しかも、展示作品の質は高い。要するに、『作家の名前で作品を売る』ような次元を遙かに超越したところに、この画廊の視点が置かれている。
 又、ここに挙げた企画展には“版画”の類は全く展示されていない。

DM
☆〔May〜Jul. 1979〕に開かれた“Jean Arp・Joan Miro”展の案内状。
・左の作品は極めて上質のアルプの木のレリーフ。こんなにも美しい色彩のレリーフは、この時見たのが初めて。制作年は1917年。
・右の作品も極めて上質のミロのOil-painting。代表作だった星座のシリーズの面影が残った作品。制作年は1947年。


■  ■

 ≪情報≫というものは、『その事態』に対して異った3点からつかむと、その本質を見通すのに、正確度を増す。ただ、重要なのはこの3点をシッカリと定めることだ。商社で身につけた情報の処理加工の一方法である。
 この手法を一部使って、直接的、間接的にバイエラーの体質を探ってみたことがある。
〔情報1〕:Dec. 13, 1986〔ニューヨーク:ジェフリー・ホーフェルド画廊で〕
非常によくデュビュッフェのマーケット情報を熟知し、眼力も鋭敏なシャーロット・メイズが言っていた。「今、デュビュッフェのペインティングやドローイングが30%程上昇。これは2年前から始まった。初めてのことです」

〔情報2〕:Jan. 19, 1987〔ニューヨーク:超一流画廊のアクアヴェラ〕
前述のように、この画廊は、自分がデュビュッフェを購入する時の選定画廊にしたところ。番頭から、「デュビュッフェは5年前から扱い始めた」と聞く。

〔情報3〕:Apr. 25, 1987〔ニューヨーク:ドニーズ:ケード画廊〕
ヨーロッパ地域のデュビュッフェの代理店〔リプリゼンタティブ〕であるパリの超一流画廊、ジャン・ブッシェのディレクターをしていた人で、デュビュッフェに関しては生き字引。
4年前、デュビュッフェは持て余す程沢山、作品が市場にあったのに……、今は作品が消えてしまった」
「今、コレクターから作品を引き出そうとすると、デュビュッフェに関してはとてつもない高値での引き取りを要求される」

 <値上り開始>が1984年。これが加速度をくわえてゆく。'87年前半の状況はケードの情報から、美術市場で本格上昇を見る条件が整った事判明。
 “機を見て敏”のギリシャ系アメリカ人、あのアクアヴェラがデュビュッフェで動きだしたのが1982年。さすがにタイミングの取り方絶妙。多方向にアンテナをたて、眼力と共に、情報処理能力のすごさを感じる。そしてなにより注目したのは、『先を見通す』総合力だ。
 一方、アクアヴェラに劣らず、さらにバイエラーも並のシタタカさではない。デュビュッフェの初めての企画展を1965年2月に開いている。この頃、余程のもの好き以外には、作品を買わなかった。しかし、独得の嗅覚で、狙いをつけ、上昇に入った'84年から数え、約19年も前から仕込みに入ったのだ。そして、今思えば、只同然の価格で仕込み、倉で寝かせて、価格の上昇を待つ。
 ウィスキーの醸造業と似ている。「安いアルコールを買い、樽に入れ倉庫で、15年、20年と寝かせ、コハク色の上等なウィスキーになった時、目いっぱいの価格をつけ売るのだ」
 ヨーロッパやアメリカで、一流の画商やすぐれたコレクターから度々耳にした言葉がある。『作品は少なくとも、20年ぐらいは持たないと……』 積み重ねた経験則から出た言葉なのかも……。

■  ■

 80年代の後半だったと思う。バイエラー画廊のオフィスで、デュビュッフェについて多様な話を、デュタンとしていると、突然、「倉庫を見ませんか?」
 徒歩で画廊から3分ぐらいのところにある大きな一軒家に連れてゆかれた。部屋の数がものすごく多い。1つの部屋に1作家。巨匠には大きな部屋が与えられていた。
 デュビュッフェの倉庫となっている部屋には、約40点程の大小の作品があった。どれも質が良く、良きシリーズの代表作が沢山あった。
 ミロの部屋では、あの「星座シリーズ」のグワッシュがあった。当時でも幻の作品で、世界の画廊でこれを見ることのできるところは、ほとんどないと言っても過言ではない。あるとすれば、ピエール・マティスぐらいだろう。
 この家〔倉庫〕で、長い年月、作品を寝かせ、やがてその価格が何十倍、何百倍にもなったところで、少しずつさらに時間をかけ市場に出してゆく。おそらく、これぞ超一流に駆け上り、又、その地位を長く保つ流儀なのだろう。“超一流”という名称がつくには、それなりの戦略と努力が必要のようだ。
(ささぬまとしき)

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号〜12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う

●今日のお勧め作品は、渡辺貴子です。
20150708_watanabe_22_untitled_2003渡辺貴子
「untitled」(35)
2003年
ひもづくり
H5.5xW14.5xD13.5cm


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
 ・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・新連載「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
 ・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
 ・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
 ・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
 ・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。新たに1983年6月23日<元永定正さんの「日本芸術大賞」受賞を祝う会>を掲載しました。
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笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第14回

Follow-up review on collected Dubuffet work

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第14回

「画廊での事後検証について」


 前回〔5月8日〕のエッセイで詳述した“美術館での事後検証”は、「頭だけであれやこれや考える一種のバーチュアルな世界で、浅薄な自己満足に浸っている」ことはないか?、と同時に、美術館の展示作品と自分のコレクション作品との比較に於ても、「自分に都合の良いような勝手な解釈に走っていないか……」、ある時こんな事をフーッと思ったことがある。注意すべきことだ。
 このような事をなるべく避けるため、よりリアルな状況をつくり、自分の主観や視覚に異なったクールな風をあて、事後検証での誤差値をより極小化する≪仕掛け≫を造って見る必要があるように思えた。
 そこで考え出したのが、市場で、独得の眼で動いている≪画商≫での事後検証である。ここでの結論には、曖昧さはなく至極現実的だ。というのは、最終的には血も涙もない≪数値≫で、それが提示される。このようなドライな状況の中に自分を放り込み、絵画界の厳しい一面に触れることも悪いことではないと思った。
 これを行う時、最大の注意を払ったことは、画商の選定だ。事が事だけに、いいかげんなところではできない。その画商の信頼性、眼力、そして体質を重視した。まず、選定の基準をつくった。
 第1に、その作家を少なくとも15年は扱っていて、かつ眼力やその作家に対する知識に高い評価が、市場で与えられている事。この条件を満していれば、小さな画廊でも是とした。
 第2に、先に「その作家の作品を購入するために選定」した画商と異なっていること。なぜなら、このような超一流画廊は客の扱いにも長けていて、顧客の所有している作品に対し、思っている本音は絶対口にしない。「こんな良い作品をお持ちでさすがですね」など、歯の浮くような世辞をよく耳にする。又、“価格”を聞くと、近い将来ありうる“商売”のことを配慮し、バイアスをかけたものを言う。一筋縄ではいかない。こんな事に振り回されると、何んのたしにもならず、事後検証どころではない。

■  ■

 デュビュッフェに関しては、3画廊を選定した。
≪ロバート・エルコン画廊≫〔ニューヨーク。癌で若くして逝去、従ってロバートの存命中のみ〕
ロバートの眼は鋭敏だった。この眼力で確認した好みの年代以外は扱わない。デュビュッフェでは、1945年前後から1950年代までの作品が主。今でも強く記憶に残っているのは、顧客に嫌われようが、思っている事をズバズバ言う人だった。従って、事を真剣に正面から話し合える人だった。ニューヨークでも、小さな画廊ながら、“個性の強い”画廊として、注目されていた。早世されたのは残念だった。
≪ジェームズ・グッドマン画廊≫〔ニューヨーク〕
ジェームズは紳士的な常識人。デュビュッフェの扱い歴は長かった。全時代につき、作家の特性から市場情報まで、満遍無く知識を備えていた。一言で言えば、オールラウンド・プレーヤーだ。安定感があった。
≪ボードアン・ルボン≫〔パリ〕
彼は学者肌。チャラチャラしたところもなく、世辞など聞いたこともない。画商とは思えない堅さがあった。
 ヨーロッパでのデュビュッフェのスペシャリストとして、美術館でのデュビュッフェ展の企画にも携わり、そして、デュビュッフェの作品集の編者にもなっている。彼独得の細かな分析力と知識、そして眼力は注目に値いする。
 これらの3画廊を訪れる時、必ず持参するものがあった。
 <検証>する作品の写真。これは、〔4”x 5”〕のカラーのトランスパランシー。これをつくる時、可能な限り、作品の色彩に近いものをつくるように努めた。そして、作品のサイズ、制作年、技法を記述したカード。来歴の調査が完了していたなら、そのデータもこのカードに記述しておいた。
 検証の現場では、「その画商がどんな視角で、そして、何に重点を置き作品の特徴や価値を分析するのか?」この1点は、いつも注視していた。とりもなおさず、これらが市場の論理を反映し、価値を決めるkeyとなるものと思ったからだ。

■  ■

 前回5月8日のエッセイで記述したように、デュビュッフェの1949年制作の水彩、「動物と子供達」は、ニューヨーク近代美術館のデュビュッフェ・ドローイング展の時に。美術館での事後検証を行った。〔1986年12月28日〕
 これから、約4年半後、≪画廊での事後検証≫を行う機会をもった。
June 7, 1991〔Galerie Baudoin Lebon at Paris〕
今日、立ち寄ると、ボードワン・ルボンが居た。暇のようだったので、早速、用意して来たトランスパランシーとデータを出し、
「この作品、デュビュッフェのスペシャリストとして、どのように見ますか?」
彼は、まず、そのトランスパラシーをライトにかざし、チェックしながら……、
「ピザージュ・グロテスクですか?」とまず一言。次に、「このシリーズでは、水彩が6点しかない。その1点じゃないですか……!」
さすがに知り尽くしている。時期によって異なるシリーズの内容を熟知していた。この言葉を画商から聞いたのは初めてだった。
 「大変、珍しいものだ」とつぶやきながら席を立ち、やがて、カタログ・レゾネの第5巻を持って戻ってきた。その作品が載っている該当ページを開き、フィルムとレゾネ〔総作品目録〕のイメージとを、時間をかけかなり細かく比較していた。
「非常に珍しい」と繰り返し、「色彩は最高。〔デュビュッフェの使用する色彩について〕 構図も良い。どこで買われたのですか?」
「ピエール・マティスから……」
「やはり、そうですか」 一呼吸おき、聞きもしないのに、
「価格を言いましょうか……。作品の質は極上、その上珍しいので、今、100万から120万フラン、いや130万、150万でもいいかも……。これ言い値で売れますよ」〔当時の為替レート¥23.47/フランス・フラン〕
 この時、初めて、この作品の“稀少性”というものが、意識に入ってきた。画商の視角だと思った。
 それにしても、≪価格≫のくだりを聞いていた時、しばしの間、心が揺れた。冷静な事後検証どころではない。
 購入後、約4年半経ち、現在の価格は購入価格の10倍を遙かに超えていたのだ。冷静さを取り戻すと、ここでの体験は貴重だと思った。
 “購入する画廊の選定”“日頃の作家研究”、そして雑念をいれずに、“自分の好み”を徹底的に磨き込んだこと、これらがシッカリ噛み合って、この作品が自分の手元にあるのだ、という事を再確認した。
 これは、≪美術館での事後検証≫より、はるかに迫力のある現実感でもって、自分に迫ってくるものがあった。何んでも、考えたことはやってみるものだ。

■  ■

 次回は、今までのエッセイの文中に、度々出現した≪超一流画廊≫とはどんな内容や形態を備えているものか……? そして、「それはいかなるものか?」 現実の例を記述し、見てみたい。しばしの間、舞台はアメリカから、スイスに移る。

(ささぬまとしき)

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
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●今日のお勧め作品は、菅井汲です。
20150608_sugai_GUEST1菅井汲
「GUEST I」
1980年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
57.0x38.0cm
Ed.150 サインあり
※レゾネNo298(阿部出版)

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
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笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第13回

Follow-up review on collected Dubuffet work

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第13回

「事後検証について」


 かなり前のことだった。ニューヨークで失敗をやらかしている。一、二度しか立ち寄ったことがない画廊に、何気なくフラリと入った。以前から気になっていた作家の作品が展示されているではないか……! 何を血迷ったか……、この作品に飛びついた。今、思えばまさに、絵にかいたような衝動買いだ。
 しかし、この時、興味はあったが、この作家の作品をコレクションに加える意志は固めてなかった。従って、それへの学習はあまり進んでなかった
 一ヵ月程経った頃、異った画廊に寄ると、同じ作家の同時代、同サイズの作品が眼に止まる。価格を聞くと、ほぼ同じ。「買った作品と比べると、この方が質ははるかに良い。好みにもより近い」 なんとも言いようのない、苦い思いが走った。
 「これ、よくある事」では済まされない。富裕層の出ならともかくも、財力が限られた筆者のようなサラリーマン・コレクターがこのような行為を重ね、無計画に≪無駄銭≫を使うと、「いざ」という時の購入資金を減少させることになる。と同時に、このような事を重ねると、コレクションの内容も貧弱になる。さらには、自分の部屋に飾り、しばらくの間見ていると、この手は必ず「ものたりなさ」を強く感じるようになる。挙句の果てに、「自分には作品を見る眼がないのでは……?」など、自戒の念も惹起(じゃっき)させ、精神衛生にもよくない。
 幾つかの失敗を体験した後、「これではたまらない」と工夫を重ねだした。
 まず、前々回のエッセイで記述したような方法で、≪コレクションする作家≫を決める。その後に、下記のような三つの〔Step〕を順次、必ず、踏むようになった。
Step I〕:「作品の購入を計画する」
 これに関しては、前回のエッセイで詳述した。選定した美術館で作品を沢山見て、その作家の特性や作品の研究を徹底的に行う。そして、その作家についての正確な市場情報の採集も併せて行う。
 作品購入までの過程で、これらが綿密に行われていることが、この「計画」の核となる。これによって、自分の「狙い」や「好みのパターン」もしっかりと定まる。コレクション行為の基礎にあたるものだ。
Step II〕:「実行する」
 購入行為がこれだ。まず第一に≪好みの作家の作品購入≫を何処でするか? これを定めることが重要だ。コレクションの質に多大な影響が出る。その作家を長期間扱っていて、市場での評価が高く、かつ、眼が良い超一流の画商が条件だ。この選定には力を入れ、作家別に厳密に行った。例えば、デュビュッフェなら、ピエール・マティス画廊、アクアヴェラ画廊〔共に、ニューヨーク〕、バイエラー画廊〔スイスのバーゼル〕を選んだ。
 ここは、一瞬たりとも気の抜けない異邦人との実戦の場なので、間違った選択を極力抑えるべく、〔Step I〕で修得した事を、反射的に出てくる<勘>にまで昇華させておくことが理想だ。
Step III〕:「事後検証をする」
 「購入した作品」の“質”を、機会を見つけて検証することが主目的になる。これを行った結果、質に何んらかの不満点や疑問点が出ると、〔Step I〕や〔Step II〕の過程で、何か欠落した要素があったか、調べるのだ。
 これを行うことで、「今後の課題」や「反省点」があぶり出せる。次の実戦への多様な教訓や修正点を導き出すことにもなる。
 このような一種のケース・スタディを繰り返し行えば、さらに内容の濃い、質の高いコレクションに向かえるように思った。

■  ■

 三つの〔Step〕はどれも重要なのだが、特に〔Step III〕には重点をおき注意深く行った。これは〔Step I〕で作家別に選定した超一流美術館で行った。要するに、選りすぐりの作品と、自分が購入した作品とをジックリと比較し、「どのような面が、どのように違うのか……」調べる。自分が実際に行った一例を記述すると……。
 前回エッセイの頭書で記述したデュビュッフェのグワッシュの小品をピエール・マティス画廊から購入したのが、1986年12月12日。神の思し召しか、この2週程後に、ニューヨーク近代美術館で、デュビュッフェのドローイング展が開かれた。
 この作品の購入行為についての、総マトメにも当たる“事後検証”の絶好の機会が突然出現。しかも、これ以上ない最高の場所で、これができるのは夢のような事。肩に力が入った。訪問の3日前から、その折のテーマを考えた。
〔テーマ1〕:この作品の制作年の“1949年”に対して、キュレーターはどんな位置づけを与えてるのか?
〔テーマ2〕:展示作品と比較して、今回購入した作品の質は?
〔テーマ3〕:画商で上質の作品を貸し出したところはどこか? コレクターにも注目。
December 28. 1986〔at MOMA〕
 3階の大展示室を使い展示されていた。1940年代、50年代、60年代、70年代の水彩〔グワッシュ含む〕、墨、インク、マーカー、鉛筆……で、紙に描かれた89点の作品で構成されていた。
 まず、注目したのは、最晩期にあたる80年代〔1985年逝去〕の作品市場には沢山あるは1点も展示されてなかった事、又、70年代の作品への評価が弱い事に驚く。
 まず最初にとりかかったのは、作品を細かく1点1点見ながら、その制作年を書きとり、年別の作品分布表を、現場でつくった。ここのキュレーターの視角を把握するとともに、“1949年の位置づけ”をつきとめるためだ。それがこれである。

表


(i):1940年代の作品重視。7年間で30点〔全展示作品の約3分の1〕
(ii):1946年の1点、47年の2点がポートレートのシリーズ。
(iii):1949年の作品は4点。40年代後半では2番目に多い作品展示。どれも、ピザージュ・グロテスクのシリーズ。重視している。
(iv):40年代の作品内容は他年代のそれらと比べ、非常に魅力的。
(v):70年代・80年代の作品が非常に少ない。80年代に至っては、0。「一般市場でも、この時代は賛否両論が出ている。価格も他年代よりかなり低い」この現象の裏付けが、ここに出ていた。
(vi):全時代を通して展示作品を注意して見ると、≪人物≫を描き入れた作品が大部分を占める。特に60年代は全部これ。≪人物≫の入ってない抽象性の強いイメージの作品は少ない。それは、50年代に集中していた。キュレーターの学術上のデュビュッフェに対する解釈の一断面を見たような気がした。
(vii):画商ではピエール・マティスとシドニー・ジャニスが極めて上質の作品を出品。コレクターでは、ラルフ・F・コーリン〔アメリカの大コレクター〕が頭抜けて眼がよい。彼はピエール・マティスから作品を購入していた。
(viii):展示作品、ひとつひとつをつぶさにチェック。今回、ピエール・マティスから購入した作品は極上質であること判明。作品を購入する画廊を厳選することの重要性を再確認。
(ix):結論。今回の作品購入に関しては、≪反省点≫や≪欠落点≫見つからず。非常に稀なケースだ。
 この展示〔企画展〕、会期中に3回見に行った。≪作品≫を購入して、興奮もさめやらぬ時期に、こんなにも絶妙なタイミングで作品購入行為に対しての条件のそろった事後検証ができたことは、コレクター人生でも、これが最初で、おそらく最後だろうと思っている。しかも、優秀なキュレーターぞろいのニューヨーク近代美術館でできたなんて……。

■  ■

 蛇足ながら、ゲーム感覚で行った≪事後検証≫もあった。美術館でなく、選定した画廊で、である。この事後検証は、冷酷な数字で答が出る。スリルを感じるものだった。次回エッセイで記述してみたい。

(ささぬまとしき)

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
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II コレクションの基礎固め
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 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
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 ・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
 ・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
 ・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
 ・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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臨時ニュース
ご紹介するのが遅くなってしまいましたが、足かけ2年にわたる改修工事を経て、去る4月11日にリニューアルオープンした埼玉県立近代美術館で、5月10日にトークセッションが開催されます。

リニューアルオープン記念展
4/11-5/24「private, private ―わたしをひらくコレクション」

トークセッション 5月10日14:30~16:30 2階講堂 先着70名(無料)
「MOMAT×MOT×MOMAS−コレクション展示の可能性」
鈴木勝雄(東京国立近代美術館主任研究官)
藤井亜紀(東京都現代美術館学芸員)
梅津元(埼玉県立近代美術館主任学芸員)
+「private, private−わたしをひらくコレクション」各セクション担当学芸員
※企画展およびイベント詳細はホームページを参照。

リニューアルオープン記念展「private, private−わたしをひらくコレクション」は、それぞれに特徴的なテーマを掲げた3つのセクション、映像作品によるプロローグとエピローグ、そして、「幕間」として設けられたインターセクションという、個性の異なる構成要素が、互いに交錯しながら共鳴する、そんな重層的かつ立体的な構造の展覧会として企てられています。
メインとなるセクションは、若い世代の学芸員3名が、それぞれひとつのセクションを担当しており、私は「インターセクション」を担当しました。各セクションにはテーマが設けられていますが、インターセクションでは「private」というキーワードをふまえてコレクションを自由に組合せてテーマを補強し、プロローグとエピローグの映像作品とも呼応する、重層的な展示構成を意識しました。プロローグ(工事中の美術館を撮影して制作された作品)、エピローグ(北浦和公園に設置されている「中銀カプセル(住宅モデル)」の内部を撮影して制作された作品/2014年の企画展「戦後日本住宅展」においても上映)は、いずれも、映像作家・中川陽介氏の極めて魅力的な映像作品です。
このように、この展覧会では、作品とゆっくりと向き合う経験を重視するのみならず、コレクションをどのように展示し、展覧会をどのように構成してゆくかという課題への取り組みも意識しています。そこで、会期中に、「コレクション展示」をテーマとするトークセッションを計画しました。
5月10日のトークセッションでは、東京国立近代美術館の鈴木勝雄氏、東京都現代美術館の藤井亜紀氏をお迎えし、当館も含めた各館におけるコレクション展示の歴史、現状、課題などを議論しながら、「コレクション展示の可能性」を探ります。企画展各セクションの担当学芸員3名も随時参加する予定です。
(主任学芸員・梅津元さんからの案内を抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」より、出品作品を順次ご紹介します。
出品作品の価格はコチラをご参照ください。

義理人情いろはにほへと篇_19690801_01出品No.45)
西村多美子
「義理人情いろはにほへと篇 1969.08.01 新宿太宗寺」(1)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 24.0x15.7cm
Sheet size : 25.4x20.3cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


義理人情いろはにほへと篇_19690801_02出品No.46)
西村多美子
「義理人情いろはにほへと篇 1969.08.01 新宿太宗寺」(2)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 24.0x15.7cm
Sheet size : 25.4x20.3cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


義理人情いろはにほへと篇_19690801_03出品No.47)
西村多美子
「義理人情いろはにほへと篇 1969.08.01 新宿太宗寺」(3)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 24.0x15.7cm
Sheet size : 25.4x20.3cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


義理人情いろはにほへと篇_19690801_04出品No.48)
西村多美子
「義理人情いろはにほへと篇 1969.08.01 新宿太宗寺」(4)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 24.0x15.7cm
Sheet size : 25.4x20.3cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


義理人情いろはにほへと篇_19690801_05出品No.49)
西村多美子
「義理人情いろはにほへと篇 1969.08.01 新宿太宗寺」(5)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 15.7x24.0cm
Sheet size : 20.3x25.4cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


義理人情いろはにほへと篇_19690801_08出品No.50)
西村多美子
「義理人情いろはにほへと篇 1969.08.01 新宿太宗寺」(6)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 24.0x15.7cm
Sheet size : 25.4x20.3cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


吸血姫_渋谷西武駐車場_197105_02出品No.51)
西村多美子
「吸血姫 1971.05 渋谷西武駐車場」(2)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 15.7x24.0cm
Sheet size : 20.3x25.4cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


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笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第12回

Use museums to look for artists' good time.

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第12回

「美術館を利用し、作家の良き時代をさぐる」


 1986年、年も暮れようとしていた寒い土曜日だった。ニューヨークのマンハッタン、ソーホー地区の画廊街をあちこち、ゆったりと見て歩いていると、親しくしているエリート・バンカーの若いアメリカ人のコレクターとバッタリ。
「元気? 最近何か手に入れた?」 彼が先手をうってきた。いつもながらの挨拶がわりの言葉だ。
「1週間程前に、極上質のデュビュッフェを1点、手に入れましたよ」
「いつ頃の作品? シリーズは何?」 矢継ぎ早に、勘所をついた鋭い問が飛んでくる。「1949年のグワッシュ。ピザージュ・グロテスクのシリーズ」“グロテスクな風景”:1949年3月から1950年1月迄の10ヶ月間に、制作された作品のシリーズの名称
「すごい!! 良い時期のものだ。めったお目にかかれないシリーズの作品。ところで、どこでそれ買われたのですか?」
「ピエール・マティス・ギャラリー」〔世界的な超一流画廊で、特に『デュビュッフェに関しては世界でトップ』と言われていた〕
「やっぱりね。『ピエールの眼は桁違いに良い』と言われているので、それ、いい作品なのでしょうね。それにしても、よく買えましたね。『近頃、ピエールは作品を売らなくなった』と言う噂が広まってますしね」
 ニューヨークの画廊街での、親しいコレクター同士のなにげない対話である。
 しかし、冷静に、対話の内容を追ってみると、欧米のコレクターの習性の一面があぶり出されてくる。
 一言で言えば、その作家の作品ならなんでもよいというような動きはしない。好みの作家でも、上質な作品を多く創出した時期、即ち、その作家を語る時にはずせない時期の作品群に“的”をしぼってコレクションしてくる。シッカリとしたコレクターの常道である。そのために、日々多様な習練や情報採集を重ね、コレクションの質を高める努力をおしまない。このような動きが自分のコレクション行為に与えた影響は計り知れない。

■  ■

 前回エッセイでの記述の〔2〕:“好みの作家の“特性”をより深く把握する”につき、具体的に見てみると……。
 プロ野球界の天才、長嶋でも、打率3割3分前後を連続打ったのは、16年間の選手人生でたったの3年間〔1959年が0.334、60年が0.334、61年が0.353〕と短い。同様に、高名な作家でも、上質の作品を連続的に産み出す時期がある。しかし、期間は限られている。どうしてと思う程にどうしようもない作品を制作する時期もある。
 他人のゲン〔言〕でなく、自分の眼で、好みの作家のこのような時期をどのようにしてさぐるか……、それを確認する方法をあれやこれや試行錯誤を繰り返した。挙げ句の果て、結論として、美術館を利用するのが最良の策と思った。
 しかも、好みの作家、例えばデュビュッフェなら、どの美術館が上質の作品を多数収蔵していて、かつ、そこにはデュビュッフェを知り尽したキュレーターがいるか、あるいは、過去にいたか、を多様な情報網を利用して多角的にチェックした。その結果、浮き上ってきた美術館がニューヨーク近代美術館とパリのポンピドゥー・センターだった。
 この2館に機会ある度に立ち寄り、デュビュッフェの常設や企画の展示作品を具(ツブサ)にチェックすることを繰り返し、自分なりのパターンをつくった。
 そして、これらから弾き出した“自分のデータ”を、あの最高の眼を持ったピエール・マティスの画廊での展示作品と照合し、その特定時期の内容の特徴までも確認し、自分の行動の正確度をあげることを意図した。
 前述2館での自分の行動が日記に残っている。それらの中から、2例程、ここに記述してみたい。

■  ■

 1990年12月2日、ニューヨーク近代美術館では、“現代美術の源流”をさぐる企画展、≪High & Low≫が開かれていた。
 ここの優秀なキュレーターは「どんな切り口を見せるのか?」 又、この特殊な企画展では、「デュビュッフェはどんな位置づけがなされているのか?」
 自分にとって、この2つの重要なテーマを抱えて、これを見にいった。そして、その前夜、「先入観を総て捨て、自然体で見ること」と日記帳のその日の頁の一番上に、自分への警告を書き留めている。真剣だったようだ。
 大きな源流として、≪キュービズム≫と≪ダダ≫をクローズアップ。1920年代にアメリカで、この2つの流れを融合させたスチュワート・デービスをアメリカ美術の源流としていた。これら3つの流れ以外に、さらに異った源流も提示していた。イタリアの未来派のバッラの流れ。これらと全く異質のデュビュッフェの流れ。主要な源流は5つ。デュビュッフェの流れは重視されていて、予想以上に大きく取り上げられているのに驚く。
 デュビュッフェの作品は目立って多く展示されていて、「嬉しかった」のは、≪ピザージュ・グロテスク≫のシリーズの大作2点が、この展示の中心的な存在として、据えられていたことだ。
 この他に、1945年の作品が2点。さらに、≪ポートレート≫のシリーズ1946年8月〜47年2月と、47年6月〜7月の2つの期間に描かれた。気心を知った友人の肖像を幼児が描くような表現で、人物の外観をそっくりに描くのではなく、その人の性格まで含めた“印象”としての肖像を適格に表現したシリーズは1946年が2点、47年が3点、合計5点。これら以外の年代の作品は展示されず。
 ここで、ハッキリと確認できたこと。
(i):デュビュッフェの極めて重要な時期は40年代後半。
(ii):シリーズで見てみると、≪ポートレート≫と≪ピザージュ・グロテスク≫に代表的位置を与えていた。

 自分のコレクションに自信を持たせる裏打ちを与え、さらに、今後に励みを与えたのがこの企画展だった。

■  ■

 1994年6月22日〔CENTRE GEOGES POMPIDOWで〕
 今日は一般展示をジックリ見ることにした。訪問時のテーマは3つ。まず「良質の作品を見て総合的な勘を養うこと」 次に、「ポンピドゥー・センターの現代美術に対する最新の視角をつかむこと」 最後に、「デュビュッフェの展示室の内容分析」
この3番目のテーマの部分だけを日記より抽出すると……。
 デュビュッフェはやはり相当に重視している。展示場のレイアウトが変えられ、かなり変化していたが、作品展示スペースは相変らず広い。今日見た限りだと、アンリ・マティスがトップで、次に位置しているのがデュビュッフェ。巨匠レジェと比べてみても総合的な展示では勝っていた。
 デュビュッフェは21作品が展示され、頭抜けて多かった。他フロアーにも2点展示。この21点を丹念に時間をかけてみた。

第12回 表


デュビュッフェ「Le Metro」_600パリ地下鉄の車内の雰囲気がよく出ている。地下鉄の走る音、車内でのオシャベリも聞える。走る振動も感じる。


 フランスの文化戦略の核となっている、ル・アーブル生れの生粋のフランス人ゆえ、ここでは広き時代にわたって作品を展示している。が、やはり重点は1940年代に置かれている。その中でも、≪ポートレート≫シリーズは、ここでも重視されている。他フロアーにも、ポートレートのドローイングが2点展示されていた。

■  ■

 頭書の1986年にピエール・マティスから購入した作品“動物と子供達”(1949)は、2015年3月7日(土)〜5月17日(日)まで、東京国立近代美術館の2階の一般展示ギャラリーで展示されてます。又、1975年に南画廊から購入した1947年制作の“3人のベドウィン人”も同時に展示されてます。
 前回エッセイの中の〔3〕の“美術館での購入作品の事後検証”は次回記述します。

(ささぬまとしき)

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号〜12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う

◆笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。

●今日のお勧め作品は、ベン・ニコルソンです。
20150408_nicholson_04ベン・ニコルソン
「作品」
1968年
エッチング、鉛筆、ガッシュ、紙
イメージサイズ:30.0x28.0cm
シートサイズ:43.5x37.5cm
サインあり


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tokinowasuremono
緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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