現代版画センターの記録

「現代と声全国展」前橋展

「現代と声全国展」前橋展
会期:1977年11月7日〜26日
会場:群馬県前橋市・珈琲館ペルー
主催:現代版画センター前橋支部






1977年「’77現代と声」全国展共通DM

関根伸夫 1975〜1982 print works

シルバーウィークとやらで世の中は5日連続の大型連休。世事に疎い亭主はそんなことも知らず暢気に構えていたのですが、井桁さんの会期にだぶるわけで慌ててスタッフに休日出勤をお願いした次第です。
初日から連日画廊にはあふれんばかりの人の波。井桁さんの人気にいまさらながら驚いています。
このブログもかつてなかったことですが訪問者が毎日1000人を超えるという熱気に私たちがたじろいでいます。
27日(日)まで無休で、井桁さんも連日画廊につめていますので、どうぞお出かけください。
展覧会をご覧になった方の感想は<近未来的彫刻に度肝を抜かれた〜井桁裕子開催中>に一部をまとめましたのでお読みください。

昨日から始まった新連載・藤本貴子さんのエッセイ「建築圏外通信」(毎月22日の更新)はいかがでしたか。建築アーカイブというまだ発展途上の研究分野に藤本さんのような若い女性が参加し、熱心に取り組んでおられるのは嬉しいことです。
ときの忘れものが開廊以来の柱としている「建築家の版画とドローイング」の紹介に一層はげみたいと思っています。

さて先日は、関根伸夫先生の73歳の誕生日を祝し、関根先生のオーラル・ヒストリーをご紹介しました。
1960年代後半から70年代にかけて展開された土や石、木、鉄など「素材」として扱われがちであった未加工のそれらにほとんど手を加えず直接的に提示することにより、ことさらその物質性を前面に押し出すというコンセプトのもとに制作されたもの派の作家たちの作品がいま世界中で高く評価されています。

ご承知の通り、関根先生は環境美術研究所を主宰し、自治体や企業の建築の中にいわゆる「環境彫刻」を設置する仕事も幅広く、精力的に展開していました。
私たちが関根先生を知り、版画制作を依頼したのは1974年からですが、ちょうど環境美術研究所の活動に本腰を入れだした頃でした。
個展やグループ展などでの作品発表という、従来の作家活動から一歩踏み出し、より社会の中に直接的に訴えかけたいという関根先生の思いがあったのだと推測します。
言い換えると、「他の人がみたこともない、想像もしたこともない世界を作品で提示する」ために自らプロデュースに乗り出したわけです。

先日ある人と会ったとき、関根先生のことが話題になったのですが、
関根は間違いなく戦後日本が生み出した最大のスターであり、世界の中で闘える力を持った天才だ。しかし1970年代の日本には彼を世界に押し出すプロデュース力を持った画商が遂に出なかった。関根の不幸はそこにある。
とその人は語りました。

いま世界が「具体」や「もの派」に熱い視線を送っているのを感じるたびに、40年前の関根先生の孤軍奮闘を思い起こします。
先年のロスにおける「もの派」展で富井玲子さんがいみじくも指摘したとおり、当時の日本には「商業画廊が作品のモノ化(永続化)に熱心に取り組んで市場的評価の向上をめざ」すような動きはほとんどありませんでした。
画商のはしくれとしてはまことに忸怩たる思いです。

ご紹介するのは、1975〜1982年にかけて関根先生が制作した現代版画センターのエディション作品です。
RIMG0831_600関根伸夫
「絵空事―鳥居」
1975年
シルクスクリーン
45.0x35.0cm
Ed.75 サインあり
*現代版画センターエディション


RIMG0835_600関根伸夫
「絵空事―緑の風船」
1975年
シルクスクリーン
42.0x35.0cm
Ed.100 サインあり
*現代版画センターエディション

RIMG0838_600関根伸夫
「絵空事―赤の風船」
1975年
シルクスクリーン
42.0x35.0cm
Ed.100 サインあり
*現代版画センターエディション

RIMG0841_600関根伸夫
「夜の虹のproject」
1982年
銅版
60.0x45.0cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション

RIMG0846_600関根伸夫
「紫のパレットのproject」
1982年
銅版
60.0x45.0cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション

RIMG0847_600関根伸夫
「三角の窓のproject」
1982年
銅版
60.0x45.0cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション

RIMG0850_600関根伸夫
「りんごの環のproject」
1982年
銅版
60.0x45.0cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション

RIMG0851_600関根伸夫
「三角の波のproject」
1982年
銅版
60.0x45.0cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション

RIMG0853_600関根伸夫
「空の刀のproject」
1982年
リトグラフ
90.0x63.0cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション

RIMG0854_600関根伸夫
「空の門のproject」
1982年
リトグラフ
90.0x63.0cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション

RIMG0858_600関根伸夫
「虹の門のproject」
1982年
リトグラフ
90.0x63.0cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション

RIMG0855_600関根伸夫
「石のベクトル」
1982年
リトグラフ
90.0x63.0cm
Ed.45 サインあり
*現代版画センターエディション

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巨大地下空間でのウォーホル展

Today, we have suddenly received several inquiries from across the globe on HAGURI’s works. If you could inform us where you have heard or seen his works, we will be much appriciated.
(スタッフSから問い合わせ者への返信メールより)

昨日朝、出勤した大番頭おだちがパソコンをあけて見たものは、カナダから2件、オーストラリアから1件、フランスから1件、テキサスから1件、中国から1件合わせて6件の価格の問い合わせメールでした。
海外から一日数件の問い合わせがあるのは普通のことなので、どうということはないのですが、その内容が全て葉栗剛作品に関してなので驚いたようです。

I am interested in the prices of the wood carvings listed above by Takeshi Haguri, and how much shipping would be to Canada.

サンタフェ惨敗の責任を一身に負って大番頭は何も言わなかったのですが(言い訳になると思ったらしい)、実は現地での評判は掛値なく良く、マスコミの取材も多く、雑誌に掲載されたり、ラジオ出演までしたらしい。
その結果が何かのメディアに紹介されたのでしょう。
数時間のうちにあの巨大彫刻への価格問い合わせが6件も集中してあるのは尋常ではありません。冷やかしでないことは、ほぼ全員が詳しい住所まで書いていることでわかります。本気で買う気なのでしょう。
国内と違い、海外からの問い合わせでは3件に1件は成約しているので確率は高い!
落ち込んでいた大番頭の喜ぶまいことか。
こういうときの決断は亭主や社長なんかより数段早い。
ピコピコ携帯を鳴らして、代休をとっているスタッフSを叩きおこし、出勤を命じたのにはびっくりしました。亭主なんか休み中の社員に電話するなんてとてもおっかなくてできない。
眠い目をこすりながら出勤させられたスタッフSは休み返上で深夜まで海外とのやり取りに忙殺されたのでした(同情します)。
ネットサーフィンしてみると、私たちの知らないところで葉栗剛作品が掲載されていたり、驚いています。ネットの力はすごいですね。

http://beautifuldecay.com/2015/06/18/takeshi-haguri-sculpts-beautifully-detailed-tattooed-characters-traditional-japanese-art/
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本日7月23日は亭主にとって忘れられない思い出の日です。
美術業界に入って約40年、大小さまざまな展覧会を企画し、さまざまな場所、会場で開催してきましたが、一番印象に残っているのが、今から32年前の1983年夏に栃木県宇都宮市大谷の屏風岩石材店(渡辺興平さん所有)の地下巨大空間で開催した「巨大地下空間とウォーホル展」です。
32年前の今日1983年7月23日がオープニングでした。
東京からも貸し切りバス数台を仕立て真夏の大谷に向かいました。
現代版画センター企画による「アンディ・ウォーホル全国展」の一環で、同年6月7日に渋谷パルコPart3で開催した全国展オープニングに続く大イベントでした。
外が36度の猛暑、会場の中は8度という「地下巨大空間」での展覧会でした。
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「巨大地下空間とウォーホル展」
会期:1983年7月24日〜8月20日
*オープニングは7月23日
会場:大谷町屏風岩アート・ポイント

img005_トリミング600
展示は数日前からスタッフが泊り込み、会場構成を担当した関根伸夫先生に指示のもと巨大な地下空間にウォーホル作品を多数展示しました。

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外気との温度差30度、そのため上空に霧がうずまく幻想的な会場となりました。

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(上掲の会場写真は村井修先生の撮影です)

日本発のウォーホルの版画作品「KIKU」「LOVE」を刷った石田了一さんがオープング当日の様子をビデオで撮影していてくれていました。
家庭用の機械ですから、今見るとピンボケではありますが、展示の様子、華やかなオープニング、船田中、大島清次、関根伸夫はじめ錚々たる人たちの挨拶。
記者発表での渡辺興平さん、亭主のスピーチも終わり頃に収録されています。
大反響を呼んだNHKニュースの映像も石田さんは収録しておいてくれたのですが、それはここでは掲載できませんが、貴重な映像です。


建築用石材としてブロックに代わられるまで、大谷石は江戸時代から職人たちの手で掘り続けられ、その採掘杭口が当時まだ百三十も残っていました。その中でも最も巨大な穴が渡辺興平さんの所有する屏風岩石材部の地下空間でした。
他の穴が縦杭しかないのに、渡辺家の所有する穴は太平洋戦争末期に軍部がこの穴の底に大本営を移す計画をたて突貫工事で斜坑を掘ってくれたおかげで地下100Mまでトラックが入れる、実に幻想的というか、古代ローマのカタコンベを連想させる地下空間でした。

渡辺家は船田家とともに作新学院をつくり、足尾鉱毒事件の田中正造をはじめ、孫文、室生犀星らを暖かく迎え入れた地元の旧家ですが、当時のご当主の渡辺興平さんと知人の紹介で知り合った亭主が、この巨大空間を何か文化的なものに使えないかと興平さんに相談されたのがそもそものきっかけでした。

このときのウォーホル展はNHKの夕方6時の全国ニュースにのり、全国から人が押し寄せ、関東バスは臨時便を出すわ、渡辺家は道路の整備はもちろん、仮設トイレの設置やら大騒ぎで、空前の大イベントとなりました。この展覧会がきっかけで、大谷石の地下が俄然注目され、映画の撮影や山海塾の公演、コンサートなどと波及していきます。
20150723_1500『Casa BRUTUS』2014年3月号
アンディ・ウォーホル特集
掲載された亭主の記事
(*画面を二度クリックして拡大してください)

19830723大谷ウォーホル展母と令子
左から社長、亭主の母、亭主。
親不孝な亭主でしたがこのときの展覧会には母も大谷まで来てくれ喜んでくれたようです。

19830723大谷ウォーホル展石田了一
ウォーホルのエディション「KIKU」「LOVE」連作を刷った刷り師の石田了一さんと亭主。
背後の巨大な石柱に展示されたマリリン像も石田さんが現場(大谷石の穴の中)でシルクスクリーンで刷りました。
1983年7月23日

画商生活40年、69歳になりました

今日は7月2日。
敬愛する恩地孝四郎、岡鹿之助、そして浅丘ルリ子、小柳ルミ子、南沙織の美しい人たちの誕生日であります。
そして何を隠そう、本日亭主は無事、69歳を迎えました。
新聞社勤めのサラリーマンから画商に転身してちょうど40年になります。
お世話になった方のことは少し雑誌『彷書月刊』に書いたことがあります。
40年間の紆余曲折、すったもんだのあれこれについては、皆さん聞き飽きた(読み飽きた)でしょうが、本日は本ブログ初公開の画像をいくつか掲載して(目先を変えて)、社長との二人三脚40年間をふりかえってみたいと思います。
1965年8月29日音楽センター綿貫不二夫
1965年8月29日20歳になったばかりの亭主。
場所:レイモンド設計の群馬音楽センター
高崎高校マンドリン・オーケストラの演奏会にて。
亭主の原点はマンドリン(音楽)であり、そこで知遇を得た井上房一郎さんが美術界への扉をあけてくださいました。

19740331高輪プリンスホテル オークション
1974年3月31日28歳の亭主。
場所:東京・高輪プリンスホテル
この日が亭主の美術界デビュー(現代版画センター旗揚げオークション)
立っている左から、上司の山本さん、亭主、飯田橋にあった伝説のバー憂陀の金森さんの奥さんで作家の金森敦子さん、渡部さんと高杉さんは毎日新聞の同僚です。
亭主が勤務していた毎日新聞社の上司を口説いて「未来の毎日新聞読者を獲得するために、版画の普及運動を起こし、全国の学校にオリジナル版画を寄贈する」という事業計画をたて、7,000万円の資金を出してもらい会員制による集団版元・現代版画センターを創立しました。
久保貞次郎先生を顧問に、小コレクターの会の尾崎正教先生が事務局長、亭主が次長(会社ではただのヒラ社員でしたから、代表は上司の西本董さんが就任。のち法人化するにあたり亭主が社長に就任しました)という態勢で発足しました。
この日は「全国版画コレクターの会(仮称)準備会」の名で旗揚げオークションを開催、会場のプリンスホテルには亭主の大学時代の親友O君が就職していたので、格安で大広間二つを貸切り、全国から250名の参加者を集め幸先のよいスタートを切ることができました。

19740720盛岡第一画廊オークション 尾崎正教
1974年7月20日29歳の亭主。
場所:盛岡のMORIOKA第一画廊
全国に先駆けて盛岡の画廊の上田浩司さんが現代版画センター盛岡支部をつくってくれ、現代版画センターの初企画「全国縦断 版画への招待展」を開催してくれました。
この日、東京からも島州一先生、森義利先生はじめ20人ほどが北上し、盛岡のお客さまたちと白熱のオークションを展開しました。フリ師をやっているのが尾崎先生、隣でハンマーをたたいているのが亭主です。まだ毛は濃い。

19741007ギャラリープラネット 久保貞次郎 池田令子 木村光佑
1974年10月7日24歳の社長
左から久保貞次郎先生、社長、木村光佑先生。
場所:銀座・ギャラリープラネート
発足当初は当然のことながら自前の作品(エディション)がなかったので、久保先生や小コレクターの会から提供していただいた作品で全国を回っていたのですが、この日ようやくまとまった数のエディション作品が出来上がり、そのお披露目の展覧会を開催しました。
現代版画センターの記念すべき初エディションは靉嘔先生の「I love you」、名人刷り師・岡部徳三さんが手刷りで11,111部を刷りあげました。
余談ですが会場となったギャラリープラネートは高名な作家T先生の女婿が経営者でしたが、この展覧会の終了後、売上金をもって夜逃げしてしまい、今に至るも行方不明です(泣)。
このとき社長(池田さん)はまだ客で、亭主とは他人の間柄であります。
後に亭主の口車に乗せられて現代版画センター事務局に入り辛酸をなめることに・・・

1974和歌山県紀南画廊オークション
日時不明:オークションで作品を売る亭主(左)。
場所:和歌山県の紀南画廊
亭主はカルトンケースに版画を詰め込んで、支部や会員のつてを頼り、つての無いところは飛び込みで全国各地を尋ね、10年間の行商で全都道府県を制覇。

1976_12_20大嶺薫美術館にてオークション
1976年12月20日31歳の亭主。
場所:沖縄の大嶺薫美術館
北海道から沖縄まで、ときには月に11箇所も回って頒布会やオークションを開催しました。沖縄は今は亡き大浜用光さんが支部長でした。
画廊沖縄の上原さんとはこの頃からのお付き合いです。

19780918ギャラリーミキモト 難波田展オープニング 松永健一
1978年9月18日33歳の亭主。
(左から亭主、松永伍一先生、難波田龍起先生と奥様)
場所:銀座・ギャラリーミキモト
亭主のつくったエディションでも会心の作が難波田先生の銅版画集『街と人』『海辺の詩』です。その発表記念展にて。

1979年6月
1979年6月29歳の社長
場所:東京渋谷の現代版画センター事務局
亭主にだまされ、月給5万円で働かされ、千葉県市原から毎日往復6時間かけて渋谷に通う日々でした。
この写真、昨日ときの忘れもののスタッフに見せたのですが、誰だかわからなかった・・・・歳月人をまたず。

19790605東大磯崎新展オープニング 磯崎新 横山正
1979年6月5日33歳の亭主。
(左から亭主、磯崎新先生、横山正先生)
場所:東京駒場・東京大学教養学部美術博物館「磯崎新展」オープニング。
この年の春、教えを受けた南画廊の志水楠男さんが非業の死を遂げました。その告別式の帰途、東大でデュシャンの大ガラスの東京バージョン設置に奔走していた横山正先生から「大ガラスの設置は、現代美術の資料センターとしての遠大な構想の一環であり、今後の展開のために磯崎新展を開催したい」という相談を持ちかけられました。1977年のサンパウロ・ビエンナーレに出品した「空洞としての美術館」をエディションして以来、磯崎先生の版画制作は亭主のライフワークとなっていました。かくして「マルセル・デュシャンのポスター展」に続いて「磯崎新展」が6月5日〜7月6日に開催されました。

菅井汲サイン 猿楽町マンション
1980年某月某日35歳の亭主。
(左から、自作にサインをする菅井汲先生、サポートする社長、影の薄い亭主)
場所:渋谷の某マンション
社長と亭主の愛の巣でしたが、実態は現代版画センターの在庫の山がうずたかく積んでありました。

大岡信 上甲ミドリ
1980年10月35歳の亭主
(左から、大岡信先生、上甲ミドリさん、亭主)
場所:渋谷の東天紅
この年、パリの菅井汲先生の二度目の全国展を新作エディション「GUEST」「GROUP」連作で企画し、東京は佐谷画廊さんが会場でした。
展覧会終了後、帰国した菅井先生を囲み現代版画センターのあった渋谷で会食会を開きました。菅井先生が選んだメンバーは、大岡信、飯田善國 三島喜美代、上甲ミドリ、海藤日出男、中原佑介、そして亭主とカタログのテキストを執筆してくれた北川フラムの諸氏でした。

19810301ギャラリー方寸オープニング 瑛九展
1981年3月1日35歳の亭主。
場所:ギャラリー方寸「瑛九 その夢の方へ」展オープニング
現代版画センターの常設ギャラリーとして渋谷区松濤に「ギャラリー方寸」をつくり、その開廊記念展でした。
挨拶するのは瑛九とも親交した難波田龍起先生。左端が社長。亭主の右はオノサト・トシノブのコレクターとして有名だった藤岡時彦さん夫妻。

19810517松欅会 瑛九展 木水育男
1981年5月17日35歳の亭主
場所:愛知県豊田の美術館松欅堂「瑛九展」講演会
福井瑛九の会の木水育男さんと亭主。
豊田の小林さんは鉄工所を営み、奥様が大の版画コレクターでした。お子様がなく、苦労をかけた奥様にコレクションを飾る展示スペースをつくってあげたいというご主人の愛情から、原広司先生の設計による小美術館の傑作が生まれました。

1981年11月森工房オープニング_原広司_飯沼瑛
1981年10月24日36歳の亭主。
場所:長野県坂城の森工房のオープニング
左から設計者の原広司先生、亭主、松本支部の飯沼瑛さん。
松欅堂を見たリトグラフの刷り師森仁志さんが世界最大級のプレス機を設置するための工房の設計を原先生に依頼しました。森さんには福沢一郎、大沢昌助関根伸夫などの刷りをお願いしました。

西田画廊 オープニング 堀内正和
1982年1月24日36歳の亭主
場所:奈良・西田画廊開廊記念「堀内正和・磯崎新展」オープニング
挨拶する堀内正和先生、その右が西田考作さん、亭主。

19820409プリントシンポジウム展 ギャラリー方寸 岡部徳三 斎藤義重
1982年4月9日36歳の亭主
場所:ギャラリー方寸「プリントシンポジウム展」オープニング
左から、岡部徳三さん、斎藤義重先生、亭主

1982_05_07_ギャラリー方寸大沢昌助展
1982年5月7日36歳の亭主(前列中央)。
場所:ギャラリー方寸「大沢昌助展」のオープニング。
大沢先生はじめ、難波田龍起、堀内正和、ガストン・プチ、建畠覚造、関根美夫の諸先生の顔も見えます。

1983_6_7_パルコウォーホル展オープニング_針生一郎
1983年6月7日37歳の亭主と針生一郎先生。
場所:渋谷パルコ
アンディ・ウォーホル展のオープニング
亭主の画商人生の最大の博打だったウォーホル全国展、「KIKU」のエディションの発表がこの日でした。
針生先生は現代版画センターの運動面での評価を最初に「朝日ジャーナル」誌上でしてくれ、以後各地の支部での講演、機関誌「版画センターニュース」への「現代日本版画家群像」執筆などたいへんお世話になりました。

1983_7_23_大谷石ウォーホル展_石田了一
1983年7月23日38歳の亭主と石田了一さん。
場所:宇都宮大谷・屏風岩の地下採石場跡
上掲、パルコに続いてウォーホル展の会場となったのが故・渡辺興平さん所有の地下巨大空間でした。
シルクスクリーンの天才刷り師として石田さんは亭主のエディションの多くに参加してくれました。
彼が刷ってくれたのは、森義利、関根伸夫、菅井汲、元永定正、アンディ・ウォーホル、草間彌生、堀内正和、磯崎新、安藤忠雄etc., いまは光嶋裕介さんの作品と格闘中。
石田さんは亭主の仕事上のパートナーですが、露天風呂愛好会の会長でもあり(正会員5名、亭主が迷幹事長)、温泉でも全国制覇を目指しております。

GAギャラリーオープニング 磯崎新 宮脇愛子
1983年11月38歳の亭主
場所:東京・GAギャラリー開廊記念「磯崎新展」オープニング
左から、磯崎新先生、宮脇愛子先生、亭主、二川幸夫さん。
二川さんが夢だった建築ギャラリーをオープンするとき、以前から決めていたのは学生時代からの盟友磯崎新先生の展覧会でした。展示したのは亭主のエディションした還元、MoCAシリーズなどの版画作品でした。

1984_9_15_シェラトンウォーホル美ウォーホル展_李慶成
1984年9月39歳の亭主と李慶成さん。
場所:韓国ソウルのシェラトン・ウォーカーヒル美術館のウォーホル展。
後に国立美術館の館長となる李慶成さんが韓国初のウォーホル展を企画され、作品を貸し出した私たちをソウルに招待してくださいました。まだ当時は政治的に難しい時期で、「毛沢東」などは出展できませんでした。

1985年2月39歳、現代版画センター倒産

*1974〜1985年の「現代版画センターの記録」については少しづつまとめていきます。

1987年3月_三越シャガール展司会綿貫
1987年3月3日41歳の亭主
場所:日本橋三越本店の「マルク・シャガール回顧展」オープニング。
倒産した亭主は全てを失い、浪人となり、コンビニの店員をしながら後始末に明け暮れる毎日でした。その始末が一段落し、「残りの人生を考えなさい」といわれ、就職したのがフランス人の経営する企画会社でした。才色兼備の秘書をあてがわれ、日本語以外しゃべれない亭主のフランス通いが始まり、ニースのシャガール夫人を訪ね、生誕100年記念の大展覧会を企画しました。
故・中山公男先生(群馬県立近代美術館館長)に監修をお願いして、東京会場は、当時岡田事件で揺れていた三越に復帰、社長に就任した坂倉芳明さんに直談判してペルシャの秘宝(偽物)展以来封印されてきた美術展再開の第一弾として開催していただきました。
この夜、初来日のヴァランティーナ・シャガール夫人、国立マルク・シャガール聖書のメッセージ美術館シルヴィー・フォレスティユ館長らを招いた三越としては数年ぶりのレセプションが盛大に開催され、亭主が司会を務めました。

1988年パリ・カルナヴァル美術館モンゴルフィエ館長
1988年某月某日43歳の亭主
場所:パリ・カルナヴァレ美術館の屋上
200年前、熱気球を発明し、世界で初の有人飛行を行なったモンゴルフィエ兄弟の末裔である館長のモンゴルフィエ夫妻と、亭主のアシスタントだった中原千里さん

1989年4月3日_NY再訪拓野
1989年4月43歳の亭主と次男拓野、社長、友人のお嬢さん。
(撮影は長男の雄高)
場所:ニューヨーク
1989年はフランス革命200年、エッフェル塔竣工100年にあたります。
フランス人のボスの愛国心に訴え、シャガール展に続き中山公男先生に監修をお願いして<エッフェル塔100年のメッセージ【建築・ファッション・絵画】>を企画し、海外への出張が多くなりました。今まで仕事に明け暮れ家族旅行などしたことがなかったのですが、友人のお嬢さんを交え、ニューヨークを再訪しました。

1991年10月4日〜10月6日_勝山_難波田展令子
1991年10月46歳の亭主と社長、上田浩司さん。
場所:福井県勝山市の中上邸イソザキホール
現代版画センターの顧客だった中上さんが自宅を建て替えることとなり、亭主が磯崎新先生を紹介して実現した住宅建築の傑作です(1983年竣工)。個人住宅であるとともに、地域の文化センター的な役割を担ってきました。
中上さんのおかげで亭主は勝山の町にもう40年も通い続けています(実は明日からも数日勝山に滞在します)。このときは、アートフル勝山の会主催の難波田龍起展が開かれ、はるか盛岡からMORIOKA第一画廊の上田さんもかけつけてくれました。
中上さんのお宅の裏が、このブログでもおなじみの荒井由泰さんの家です。
この頃は借金返済が最優先の日々でしたが、ふとしたきっかけで資生堂ギャラリーの駒井哲郎展を企画し、やがて『資生堂ギャラリー七十五年史』の編纂に取り組むことになり、フランス人の会社を辞め、恩人のLさんのお世話で南青山の一軒家(今の場所)を格安で借り、編集事務所を営んでいました。傍らこのような展覧会のお手伝いもしていました。

1993_05_資生堂レセプション関根伸夫
1993年5月47歳の亭主と関根伸夫先生。
場所:資生堂ギャラリー「椿会展」のレセプション
1919年に始まる資生堂ギャラリーの詳細な記録を編むべく調査編集作業に没頭していました。同時に同ギャラリーの企画展のいくつかにも参加していました。
関根先生には1975年「島州一・関根伸夫クロスカントリー7,500km展」という全国展の行脚の道すがら現代美術のイロハを叩き込まれました。

1994_02_04_フィレンツェ上田・戸村・松井
1994年2月48歳の亭主
場所:イタリア・フィレンツェ
右から、盛岡の老舗直利庵の女将松井裕子さん、亭主、銅版画家の戸村茂樹さん、MORIOKA第一画廊の上田浩司さん。
当時岩手日報にいた中村光紀さん(現萬鉄五郎記念美術館館長)がミケランジェロのピエタ像をすべて見るというマニアックかつ渋いツアーを企画し社告を打ったのですが客が集まらない。そこで東京の私たちにまで動員がかかった。生まれて初めてのパック旅行でしたが気のあった仲間たちとの楽しい旅でした。

1995年3月10日資生堂G史綿貫挨拶
1995年3月10日49歳の亭主。
場所:銀座資生堂
足掛け六年の歳月をかけ736ページの『資生堂ギャラリー七十五年史』が完成し、その刊行記念パーティが開催され、編集チームを代表し亭主が挨拶しました。
監修は富山秀男先生(京都国立近代美術館館長)で、編集委員に阿部公正、飯沢耕太郎海野弘五十殿利治、田中日佐夫、横山勝彦の諸先生を迎え、46人の研究者たちに参加していただきました。
気づいてみれば、亭主はバブルの前に倒産し、バブルのときには六年間ただただ「資生堂ギャラリーの歴史」を追う日々でした。
この日で三上豊さん、柴田卓さんたちとの編集チームを解散し、亭主は社長と二人だけのギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」を開くことになります。

とまあ、ここまで書いてきたのですが(当初は写真と簡単なキャプションだけですまそうと思っていたのですが)ついつい長くなってしまい、これじゃあ40年のうちの半分。
すいません、次回はいずれ近日中に。

あらためてご後援いただいたお客様には心より御礼を申し上げます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

宮脇愛子「銅版画集 1980」〜辻邦生の序文

 五味彬写真展の会期もあと3日となりました。
昨日は関西からのお客様やら、新聞社の文化部の記者さん、国立美術館の学芸員さん、一昨日いらっしゃったカナダの方が友人を連れて連日の来廊などなど、遅くまで千客万来でした。
『ときの忘れものアーカイヴスVol.1 五味彬Yellows』特装版の売れ行きも好調で、画廊には珍しく日銭が入るので、金額は別として何だか豊かになった気分です。在庫がどんどん減ってゆくのを見るのは嬉しい。175部全てが異なるイメージですが、それに合わせるかのように皆さんの好みも多様で、ばらつきがある。だからいいのですね。
 さて、「うつろい」シリーズなど、金属ワイヤーを使った彫刻作品で知られる宮脇愛子の銅版画集をご紹介します。
現代版画センターのエディションとして刊行されました。
宮脇愛子銅版画集宮脇愛子銅版画集 1980
 1980年 銅版6点セット(刷り:プリントハウスOM)
 シートサイズ 45.0×32.5cm  限定50部
 各作品に鉛筆サイン
 現代版画センター刊

宮脇愛子銅版画集辻邦生序文は小説家の辻邦生

宮脇愛子銅版画集奥付『宮脇愛子銅版画集 1980』奥付

宮脇愛子作品
宮脇愛子「作品機
 銅版 6.7×13.4cm Ed.50 Signed

宮脇愛子作品
宮脇愛子「作品供
 銅版 9.3×9.3cm Ed.50 Signed

宮脇愛子作品
宮脇愛子「作品掘
 銅版 9.4×10.4cm Ed.50 Signed

宮脇愛子作品
宮脇愛子「作品検
 銅版 9.2×11.0cm Ed.50 Signed

宮脇愛子作品
宮脇愛子「作品后
 銅版 15.1×18.1cm Ed.50 Signed

宮脇愛子作品
宮脇愛子「作品此
 銅版 29.8×12.3cm Ed.50 Signed

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靉嘔「海原野」〜お薦め作品

 歳をとると時間の経つのが早い。先日まで暑くて汗をかいていたと思ったら、もう10月も下旬、今年もあと2ヶ月ばかりと知って慌てています。見にいかなければならない展覧会も多いので、どう時間をやりくりしたものやら・・・、若いときはいくつもの展覧会をハシゴしても平気だったのに、最近は一つみると、もうくたくたになってしまう。困ったもんです。
 このブログは、ときの忘れものの取扱作家を私たちなりの視点でご紹介していますが、おかげさまで取り上げた作品への問い合わせや注文が増えてきて、とても励みになります。画商ですから、私たちが推奨する作品が売れれば文句無く嬉しい! ネットを始めた当初は全く反応がなかったことを思うと、隔世の感があります。先日も五味彬写真展のギャラリー・トークに参加された若い方から「写真も好きですが、瑛九も好きです。次の瑛九展はいつですか」と言われ、こちらが面食らってしまった。「美術史の本を読んでも瑛九のことはほとんど無視されている」ともおっしゃっていました。その通りです。そろそろ瑛九を日本の近代美術史の中にきちんと位置づけて欲しいですね。開廊以来、毎年必ず瑛九展を開催してきたのですが(通算18回)、今年ははじめてお休みです。来年は第19回瑛九展を必ず開催しますと、その若い方にお約束しました。
 さて、その瑛九の周辺にいた靉嘔の名作「海原野機をご紹介します。
現代版画センターのエディションとして空前のヒットをした「海原野」連作は機銑靴泙韮嚇世△蝓以前に兇鉢靴鬚款匆陲靴燭里任垢、気なかなか入手(買戻しが)できませんでした。
この連作誕生の経緯については、以前「海原野掘廚里箸にご紹介したのでお読みください。
靉嘔作品の一枚刷り作品の中では当時最もスケールの大きなものとして制作されました。この大きさが靉嘔先生の意欲を刺激したに違いありません。

靉嘔・海原野1
靉嘔「海原野機
 1978年 Screenprint(刷り:岡部徳三)
 Image Size:44.5×85.5cm
 Sheet Size:55.0×110.0cm
 Ed.75   Signed
 *現代版画センターエディション 
 ※レゾネNo.345(叢文社)

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風間完銅版画集『パリ時代 河』

 昨日、「小野隆生新作展2008」が終了しました。お運びいただいた皆さん、お買い上げいただいたお客さま、ほんとうにありがとうございました。
 最終日には、遠路岩手の方が何人もいらっしゃりました。銅版画家の戸村茂樹ご夫妻も上京され久しぶりにゆっくりとお話することができました。皆さん、ここ数年の小野先生の作風がやわらかくなったことに強い印象をもったようです。女性の方からは「こわい」という感想をいつも聞くのですが、今回は「やっと私たちにも買える絵が・・・・」という言葉を聞くことができました。果たしてそれがいいことなのかどうか、画商としては少し不安ではあります。
 池田20世紀美術館での回顧展も先月末、盛況のうちに終わり、この半年間の小野隆生狂想曲もようやく終章に入りました。大切な作品をお貸しいただいた皆さんには心より御礼を申し上げます。

 さて、ある遠方の女性の方からの問い合わせで、昔私が手がけた風間完先生の銅版画集を、思いもかけず倉庫から引っ張り出す仕儀とあいなりました。銅版画集『パリ時代』全3巻をエディションしたことについては、いろいろ思い出すことも多く、いずれこのブログでご紹介もしたいのですが、特に印象に残っていることを一つ二つ・・・・
 私は標高815mの高原に育った山猿ですが、風間先生はとびっきりの都会人、江戸っ子でした。私が出会った多くの作家の中で、風間先生ほどのスマートな人はいなかった。いや一人いました。アメリカ生まれの内間安王星先生もダンディでスマートでした。しかし何といっても風間先生の都会的センスにはどなたもかなわなかった。
 近代日本の優れた画家たちは、皆さんご承知の通り鹿児島、和歌山はじめ東京以外の人が圧倒的です。私が敬愛する戸張孤雁駒井哲郎は珍しく東京出身ですが、それがために没後の再評価が大幅に遅れている、と私は思っているくらいです。こんなことを書き出すときりがないのですが、風間先生の『パリ時代』が完成した折に、私どもの機関誌のために親しい野見山暁治先生と対談をしていただいた。ホスト役(司会)は私なのに、お店の手配から料理まで、すべて風間先生が手配して下さり、私はいい気分で酔っ払ってしまい、気がついたらお勘定から板さんや仲居さんへの心づけまでぜーんぶ風間先生が済ませてしまわれた。私もこの業界長いけれど、あそこまで完璧にやられてしまったのは最初で、最後です。
 あれは、私の身勝手な想像ですが、フランス留学という遅い青春の大切な記念である錆ついた銅版を物置から引っ張り出させ、研磨し、見事なアルバム『パリ時代』として蘇らせた版元(30歳そこそこで生意気に気張っていた私)への労わりだったのではないか。
 というのは、この『パリ時代』、とんでもなくお金がかかっている。身分不相応なほど当時の私としては超一流の材料と職人を使ってつくりました。三巻の布製の函の色、よく見てください(といっても粗末な映像ですいません)。品がいいでしょう、もの凄くこっています。たった75部のアルバムの印刷を担当したのは、かの精興社です。製本はほとんで職人さんの手作業でした。目の飛び出るような請求書が来たのを今でも覚えています。
 それでは、最後の巻をご紹介をします。
風間完銅版画集『パリ時代』全3巻は、1957年58年のパリ留学時、及び1967年の再渡仏の折、パリのフリードランデル版画研究所にて制作されたエッチング作品を、本画集のために新たに手を加え、さらに1978年に制作された新作3点を加えて全33点を全3巻に編集し、各巻11点組のオリジナル銅版画集として、1978年〜79年にかけて現代版画センターから限定75部刊行したものです。
 風間完パリ時代3巻表紙
風間完銅版画集『パリ時代 河
銅版11点組、限定75部、
画集サイズ:39×29cm 特製化粧函入り
*現代版画センターエディション

風間完パリ時代3巻-目次風間完パリ時代3巻-奥付目次と奥付

風間完エンボス作品に捺された風間完のネーム(エンボス)。奥付に作者自筆のサインを入れ、各作品にはサインにかえて作者デザインによるネーム・プレスが捺された。

風間完パリ時代3巻-河岸風間完パリ時代3巻-セーヌ河「河岸」
「セーヌ河」

風間完パリ時代3巻-パンテオン風間完パリ時代3巻-八百屋で「パンテオン」
「八百屋で」

風間完パリ時代3巻-シテ島への橋風間完パリ時代3巻-14区「シテ島への橋」
「14区」

風間完パリ時代3巻-朝の広場風間完パリ時代3巻-街角「朝の広場」
「街角」

風間完パリ時代3巻-運河風間完パリ時代3巻-カフェ「運河」
「カフェ」

風間完パリ時代3巻-工房にて「工房にて」

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風間完銅版画集『パリ時代 道』

 引き続き、風間完銅版画集のご紹介をします。
風間完銅版画集『パリ時代』全3巻は、1957年58年のパリ留学時、及び1967年の再渡仏の折、パリのフリードランデル版画研究所にて制作されたエッチング作品を、本画集のために新たに手を加え、さらに1978年に制作された新作3点を加えて全33点を全3巻に編集し、各巻11点組のオリジナル銅版画集として、1978年〜79年にかけて現代版画センターから限定75部刊行したものです。
 風間完パリ時代2巻-表紙
風間完銅版画集『パリ時代 道』
銅版11点組、限定75部、
画集サイズ:39×29cm 特製化粧函入り
*現代版画センターエディション

風間完パリ時代2巻-目次風間完パリ時代2巻-奥付目次と奥付

風間完エンボス作品に捺された風間完のネーム(エンボス)。奥付に作者自筆のサインを入れ、各作品にはサインにかえて作者デザインによるネーム・プレスが捺された。

風間完パリ時代2巻-メリーゴーランド風間完パリ時代2巻-街角の教会「メリーゴーランド」
「街角の教会」

風間完パリ時代2巻-橋のある風景風間完パリ時代2巻-教会前の大通り「橋のある風景」
「教会前の大通り」

風間完パリ時代2巻-マルシェにて風間完パリ時代2巻-ビストロ「マルシェにて」
「ビストロ」

風間完パリ時代2巻-北駅近くの運河風間完パリ時代2巻-散歩「北駅近くの運河」
「散歩」

風間完パリ時代2巻-グラシェール通り風間完パリ時代2巻-操車場「グラシェール通り」
「操車場」

風間完パリ時代2巻-広場「広場」

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風間完銅版画集『パリ時代 街』

 三ヶ月のロングランだった池田20世紀美術館の小野隆生展が一昨日終了しました。昨日午後、スタッフから、撤収作業が完了し、美梱(ビコン、美術梱包の略)のトラックに作品を載せたとの報告がありました。ご苦労さまです。これから、作品を借用した16箇所への返品作業が始まります。実は展覧会というのは、後始末こそが一番たいへんなのです。
 ありがたいことに、かけこみで伊東に行ってくださった方からメールやファックスが入る。どなたも60点からの小野作品を一度に見るのは初めてで、ときの忘れものの狭い空間で数点を見るのとは違った、圧倒的な迫力を感じられたようです。
 昨夕は、友人の画廊で個展を開いているドイツ人画家を招いて、近くの料理屋さんで会食をしました。ヨーロッパから帰国した三浦がいるので、何とかコミニュケーションは取れましたが、いかにもドイツ人らしい真面目な風貌、挙措、身長は195cmと見あげるばかりののっぽさんでした。私は、ドイツには縁がなくて、いまだに一度も行ったことがありません。やっと一人知人ができたので、いつかケルンを訪ねたいものです。
 さて、ネットの力は凄いもので、昨日ある女性の方から風間完先生の版画のお問い合わせがありました。以前、私どものコレクション展で展示した記録がホームページに残っていて、それを見つけたらしい。私でさえ忘れていて、一瞬答えにつまってしまった。詳しい画像が欲しいというので、どうせならと、このブログでご紹介しましょう。
 私にとってはことのほか、思い出深い作品です。
1953年(昭和28)朝日新聞の夕刊に連載された小説、邦枝完二『恋あやめ』の挿絵を手がけて以来、挿絵画家として一時代を画した風間完ですが、既に名声を博していたにもかかわらず1957年にパリに留学し、グランド・ショーミエール研究所に2年間在籍し、銅版画を学んだことを知る人は少ないでしょう。ちょうど同じ時期、菅井汲や、野見山暁治もパリに渡っています。
 その後の活躍は皆さんご存知の通り。私の世代なら五木寛之「青春の門」の挿絵を思い出すでしょう。
 1978〜1979年、私が現代版画センター時代にエディションした風間完銅版画集『パリ時代』全3巻は、1957年58年のパリ留学時、及び1967年の再渡仏の折、パリのフリードランデル版画研究所にて制作されたエッチング作品を、本画集のために新たに手を加え、さらに1978年に制作された新作3点を加えて全33点を全3巻に編集し、各巻11点組のオリジナル銅版画集として限定75部刊行したものです。
 奥付に作者自筆のサインを入れ、各作品にはサインにかえて作者デザインによるネーム・プレスが捺された。
風間完パリ時代1-表紙
風間完銅版画集『パリ時代 街』
銅版11点組、限定75部、
画集サイズ:39×29cm 特製化粧函入り
*現代版画センターエディション

風間完パリ時代1-目次風間完パリ時代1-奥付目次と奥付

風間完エンボス作品に捺された風間完のネーム(エンボス)

風間完パリ時代1-路地風間完パリ時代1-街の時計「路地」
「街の時計」

風間完パリ時代1-角のタバコ屋風間完パリ時代1-モンマルトルの階段「角のタバコ屋」
「モンマルトルの階段」

風間完パリ時代1-街の窓風間完パリ時代1-酒屋「街の窓」
「酒屋」

風間完パリ時代1-小さな教会風間完パリ時代1-サン・ルイの橋「小さな教会」
「サン・ルイの橋」

風間完パリ時代1-ノートルダム寺院風間完パリ時代1-メトロ・グラシェールの駅「ノートルダム寺院」
「メトロ・グラシェールの駅」

風間完パリ時代1-セーヌ河岸「セーヌ河岸」

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難波田龍起先生との出会い1〜初めてのエディション「海の風」

難波田龍起海の風

難波田龍起 Tatsuoki NAMBATA
「海の風」
  1977  etching(銅版刷り・木村茂)
  18.0×27.9cm
  Ed.35  Signed
  *レゾネNo.53

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◆一昨日8日から始まった「難波田龍起展 没後10年ー未発表版画を中心に」の初日には難波田先生のご子息武男さんも見えられ、しばし思い出話にはなが咲きました。
今回の展示には油彩2点も出品していますが、ほとんどは私がエディションした版画です。ですから、一点一点に強い思い出があります。追悼文集に難波田龍起先生の銅版画と題して私の苦い失敗談を書いたことがありますが、ここでは今回の展覧会の出品作品について具体的に制作された経緯などを書いてみましょう。

私が経堂の難波田先生のお宅に初めて伺ったのは1977年でした。
当時、現代版画センターを主宰していた私は難波田先生に版画をつくってもらいたいと手紙を出したのですが、今思うと汗顔の至りですが、ご子息二人を相次いでなくされて間もない時期に一面識もない若僧の私がのこのこと出かけていったわけです。
現代版画センターは機関誌「版画センターニュース」(誌名はその後[Print Communication][Ed]と変るが、1975年2月から1985年1月まで通巻105号発行)を毎月出していました。その中の<事務局日誌>欄から難波田龍起先生関連の記事を抜き書きすると、

5月7日作品制作打合せの為難波田龍起先生訪問。
5月28日難波田龍起先生宅訪問。
6月4日作品打合せのため難波田龍起先生訪問。
6月6日刷り師赤川氏と難波田龍起先生訪問。
6月14日難波田先生を刷り師赤川氏と訪問、作品制作打合せ。
9月26日難波田龍起先生と共に奈良の木村茂先生訪問。
10月16日木村茂先生と難波田先生の銅版刷りについて打合せ。
10月17日難波田・木村両先生と会食、今後の銅版制作について話がはずむ。
11月5日ケン工房、山村氏より銅版受取り。難波田先生を訪ね制作打合せ。
11月21日木村茂先生より刷り上った難波田先生の作品届く。その作品を持って難波田先生宅へ。さっそくサイン入れ。

私の記憶も段々ぼけてきましたが、この日誌を読み返すと、最初は赤川勲さん(東京芸大で駒井哲郎先生に学び、赤川版画工房を主宰していた)に協力を求め難波田先生の版画エディションを企図したことがわかります。
しかし取りかかったはいいもののなかなかうまく行かず、赤川版画工房での制作を断念し、その頃私たちが親しくさせていただいていた奈良在住の銅版画家・木村茂先生に応援を求めたのでした。

木村先生は、既に銅版画家として高い評価を得ていました。売れない時代にアルバイトで他人の刷りを行なうことはあっても、当時の木村先生に刷りの仕事をお願いするなんてことは普通なら非常識の謗りをまぬがれません。ちょうど個展で上京されていた木村先生に銅版制作がうまく行かないと私が愚痴をこぼしたのでしょう。難波田先生を深く尊敬されていた木村先生が「それならぼくが手伝いましょう」と製版と刷りを自ら名乗りをあげてくれたのでした。

停滞していたエディションの制作が一気に進行し、現代版画センター初の難波田龍起エディションとして「海の風」「立ち話」「海辺」の3点の銅版画が「版画センターニュースNo.32」1977年11月号に発表されたのでした。

1977年11月21日にサインをされた「海の風」は木村先生の実に繊細な製版技術により、細かな線が生き生きと輝き、半年がかりの試行錯誤の末にやっと完成した秀作でした。
刷るインクも木村先生の進言でブルーが混じっています。

この作品以降、難波田先生の銅版制作への情熱が一気に燃え上がり、次々と作品が誕生します。
木村茂先生はこの後も難波田先生の銅版制作のサポートを申し出てくださったのですが、さすがに私たちとしては畏れ多くて、以後の銅版作品については山村常夫・素夫の双子兄弟に刷りをお願いすることになります。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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