〈大ガラス〉東京ヴァージョン制作苦労噺

横山正


 割れない前の〈大ガラス〉をつくる――東京ヴァージョンの制作の方針をそう決めたとき,まず第一の問題は「花嫁」の部分の図柄であった。ご承知のように〈大ガラス〉は未完成の段階で展覧会に出され,その戻りの車の中で割れてしまう。それをデュシャンが丹念に修復したのがフィラデルフィアの第一ヴァージョンという訳だが,下半の透視図法にのっとった部分はともかく,上半の自由な形の一部は当初と違って来ている。当初の全体の色の具合がどうだったかは,直接すべての部分の制作に携わった塩崎有隆さんが,透視図の図面を引いた岩佐鉄男さんとフィラデルフィアで何日もかけて考察を重ねて来てくれたが,形はそういう訳にはいかない。唯一の手がかりは《グリーン・ボックス》におさめられている前述の展示会場でのものに思われる一枚の写真の複製だが,これが故意かどうかは分からないが,とにかくまことに不鮮明であって,問題の形はおぼろげにしか分からない。それで悩んでいたとき,全く偶然だが,ツァイト・フォトの石原さんがパリからマン・レイのところにあった写真をいっぱい持って帰って来て,その中に今回展示されている写真,つまり《グリーン・ボックス》に入っている写真のオリジナルがあったのである。もちろん「花嫁」の形ははっきり分かるし,《グリーン・ボックス》の複製では何だか良く分からなかったものがはっきりした。「検眼図」の左手にはまだ剥ぎ残りの膜面が残っているし,透視図の基線も残っている。図柄としてはいちおう完成しているが,フィニッシュがまだだったのである。
 制作にかかると次から次へと難題が飛び出した。まずガラス。旭硝子のご好意で,ガラスはすきなだけどうぞということになったのだが,6ミリ厚のガラスは結構な重さで,それを狭いアトリエの中で動かすのは一仕事である。ロンドンの〈大ガラス〉が強化ガラスで造ったために,ある日,下半が木端微塵になったと聞いて,こちらは普通のガラスにしたが,その代り慎重にやらないと,それまでの苦労が水の泡になる。ただデュシャンの使ったのと同じガラスを使いたいという希望は叶えられなかった。デュシャンのころの板ガラスは,まず円筒形のものを造り,それを切り開いて平らにするという製法で,いまではそんなことはどこもやっていない。その次に昔ふうなのは櫛の歯のようなものにガラスの液をひっかけて高いところへ引っ張りあげていくもので,これは今でも一部で行なわれているが,ある必要な厚さのものを造ろうとすると,その前後の調整で数ヶ月,その工場を独占することになってしまう。そこでやむなくローラーを潜って出て来るタイプのガラスを使うことになった。これでも表面張力を応用して造られる最新のガラスよりはまだ少し暖かみがある。また原料の関係で,今のガラスは昔のものにくらべてずっと青味がある。並べてみるとまったく色が違う。しかしこれも致し方ないことだった。
 このガラスを相手のことで,〈大ガラス〉には上半と下半にひとつずつ,ものすごく難しい部分があった。下半の「検眼図」のところと上半の「9つの射撃の跡」である。まず「検眼図」は銀の膜面から出来ている。東京ヴァージョンではすべてをデュシャンがやったようにしようと考えたから,まず膜面を造り,それを図柄のところだけ残して削り取ろうということになった。ところがこれが難しい。銀をふくんだ化合物の液に触媒を加えて銀を析出させるのだが,図柄のまわりに堰をつくって、そこに液を入れ触媒を放り込んだのでは,まだらになって見られたものではない。東京ヴァージョンの制作では,ご自身もアーティストである旭硝子開発部の小野さんがガラスにかかわる事柄の解決に大活躍して下さったのだが,これについても小野さんがドイツ製の噴霧機を使う方法を思いつかれた。2本のノズルの先から同時に銀の化合物の液と触媒の液が噴出して,ガラスの表面に付いた瞬間に銀が析出するのである。もちろん「検眼図」のところだけちょっとという訳にはいかないから,かなり大きく銀の膜面ができる。そこで不要のところを酸で洗い落とさなければならない。それに図柄に当たるところにはたとえ一点の小さなポツがあってもいけないし,失敗も考えて複数個造る必要がある。幸い大学の便所が広く床がタイル貼りで敷居も高く上って好都合だったから,深夜,ここにガラスを持ち込んで奮闘したのを懐かしく思い出す。それにしてもデュシャンはニューヨークのアパートでどうやってこの作業を行なったのだろう。
 上半の「9つの射撃の跡」も難しかった。まず穴をバリのないようにきれいに開けなければならないし,おまけに中のほうではなく端と来ている。ドリルでやって見るのだが,どうやってもうまくいかないし,ときには割れてしまう。これも考えあぐんだ挙句,小野さんが床の上に厚いゴムのシートを敷き,その上にガラスを寝かせてドリルを使う方法を編み出した。これならバリさえ気を付ければうまく行く。きっとデュシャンもいろいろ試行錯誤したに違いない。ずっと後になってだが,建築の関係で知人がやはり似た問題に遭遇して,同様な解決で成功した話を聞いて興味深かった。
 制作にあたった塩崎さんをはじめとする東大と多摩美大のスタッフの苦労はもちろん他にも山ほどあるのだが,紙幅も限りあるし,今回は直接,ガラスに関係あることにとどめよう。とにかくまる1年,これも知人の棟梁,由井さんが大学の屋上に無償で建ててくれたアトリエでスタッフが頑張って上下2枚のガラスが出来た訳だが,これを枠におさめるのが最後の大問題であった。前述のマン・レイ?撮影の写真に見える木枠に似せたステンレスの枠を造ることにしたが,よく考えて見ると,〈大ガラス〉の構造はほとんど無謀と言ってよいものである。小野さんによるとデュシャンは当時手に入るいちばん大きいガラスを使ったのだろうということだが,前にも述べたように6ミリ厚のガラスは1枚で大変な重さがある。その上に細いガラスを横に載せて,また縦に幅の狭いガラスを入れ,また横にやってさらに縦,その上にもう1枚,細い横に寝せた帯を入れてその上にまた畳1畳半くらいのガラスがどんと載るというのは,ほとんどデュシャンがエンジニアリングに無関心であったから出来たので,もし彼が構造の無理を分かっていたら,この傑作は生まれなかったかも知れない。東京ヴァージョンでは,中央の細い帯1枚だけは挟んで,あと上下2本の帯は接着剤でこれと結んだ一連のリブとして構造からはずすようにした。さらに上半のガラスの重みが下にもろにかからないよう,枠の中にクッションを隠して,少し吊り気味にしてある。このあたりは大ベテランの新宿のガラス屋さん,萩原さんの工夫が大きい。
 さて完成した〈大ガラス〉を移動するのがまた大難事である。斜めに倒していくと,ガラスはそれこそ見事に撓う。萩原さんの懸け声で少しずつ倒していくのだが,もう心臓が停まりそうな恐ろしさである。監修を引き受けて下さった東野芳明さんがまとめられた当時の高輪美術館と西武美術館でのデュシャン展だけには出品したが,その後は各国でのデュシャン展などからたびたび要請があるものの,怖くてすべてお断りしている。東京ヴァージョンの制作にあっては,たくさんの方々が募金に協力して下さり,今回の展覧会にもその方々でお出でになっていらっしゃる方も多いと思うが,そういう訳で出品はお断りしたものの,東京大学教養学部の美術博物館で常時,展覧しているので,出来て13年経った〈大ガラス〉を見にぜひお出でいただけたらと思う。ただ大学内の美術館のため,曜日や時間に制限があり,また休みのときもあるので,お出掛け前に電話(03-3467-1171 ex.488)で確認いただければ幸いである。
(よこやま ただし)

*『マルセル・デュシャン展―〈レディメイド〉と〈大ガラス〉の謎』図録より再録

大ガラス 東京バージョンマルセル・デュシャン
『花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも』
(通称『大ガラス』東京ヴァージョン)
ミクスト・メディア
縦227.5、横175.0
1980年
東京大学教養学部美術博物館蔵
引用:http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2001Hazama/07/7128.html

『マルセル・デュシャン』『マルセル・デュシャン展
―〈レディメイド〉と〈大ガラス〉の謎』図録
1993年
朝日新聞社 発行
51ページ
30.0x22.5cm
執筆:河本信治、建畠哲、横山正、井上ひさし、南條史生

■横山正 Tadashi YOKOYAMA(1939- )
1939年岐阜県に生まれる。東京大学工学部建築学科卒業。空間史専攻。東京大学教授を経て、1997年に開館した新潟市新津美術館では「鉄道の街、新津」にちなみラッセル機関車をイメージしたデザインを手掛け、初代館長も務めた。2003年情報科学芸術大学院大学(IAMAS)学長に就任。国際的なIT人材の育成に努め、教育の振興に貢献。また大垣地域産業振興センター顧問などを歴任、地域産業の活性化に尽力している。現在、東京大学および情報科学芸術大学院大学名誉教授。

*画廊亭主敬白
19790605東大磯崎新展オープニング 磯崎新 横山正1979年6月5日
「磯崎新展」オープニング
於:東京大学教養学部美術博物館
左から綿貫不二夫、磯崎新、横山正

今回の展覧会では、アルトゥーロ・シュワルツ著『大ガラスと関連作品第一巻』とそこに挿入されたデュシャンの9点の銅版画を展示しています。
デュシャン「大ガラス」ケース
アルトゥーロ・シュワルツ著
マルセル・デュシャン挿画
『大ガラスと関連作品第一巻』
1967年
・9点のオリジナル銅版画とデュシャンのメモ書きの忠実な複製144点とその英訳が併載されたテキスト挿入
・アクリルケース
43.3×27.7×7.1cm
Ed.150
*奥付にデュシャンとアルトゥーロ・シュワルツのサインあり

デュシャン「WITH MISSING ELEMENTS ADDED」
マルセル・デュシャン
「完成された大ガラス」
エッチング
イメージサイズ:34.9×23.3cm
紙サイズ:41.9×50.2cm
版上サインあり

よく知られているようにデュシャンの『大ガラス』(正式の題名は『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』 (La Mariée mise à nu par ses célibataires, même) は、アメリカのフィラデルフィア美術館にあります。
1915年に制作が始められ、1923年に未完のまま放棄された作品です。
高さ約2.7メートルの2枚の透明ガラスの間に、油彩、鉛の箔、場所によっては「ほこり」で色付けをした作品で、友人のマン・レイは大ガラスを撮った「埃の培養」という写真作品を残しています。
上部の「花嫁」の領域と下部の「独身者」の領域に分けられますが、この作品の構想や各部分の表す意味については、難解で哲学的なメモ類(『グリーンボックス』など)が残されており、これらを分析することでデュシャンでなくとも「大ガラス」を再制作、再現することが可能です。
事実、フィラデルフィアのオリジナルの他に、リチャード・ハミルトンによって制作されたロンドンバージョン、ウルフ・リンデによるストックホルムバージョンが存在します。
さらに駒場の東京大学美術博物館には、瀧口修造、東野芳明監修のもと再制作された東京バージョンがあります。
資金集めから再制作の作業にいたるまで、中心になって奮闘されたのが、当時助教授だった横山正先生でした。

また亭主の昔話になりますが、1979年の春、南画廊の志水楠男さんが死去、その告別式の帰途、東大でデュシャンの大ガラスの東京バージョン設置に奔走していた横山正先生から「大ガラスの設置は、現代美術の資料センターとしての遠大な構想の一環であり、今後の展開のために磯崎新展を開催したい」という相談を持ちかけられたのでした。
横山先生の尽力で、「マルセル・デュシャンのポスター展」に続いて「磯崎新展」が6月5日〜7月6日に開催されました。上掲の写真は若き日の磯崎先生、横山先生です。
翌1980年に完成した大ガラスは、駒場美術博物館のシンボルとして常設展示されていますので、どなたでも鑑賞できます。
今回のテーマが「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、特に<大ガラス>だったので横山先生に原稿をお願いしたのですが、超多忙な横山先生から「今回はごめんなさい。かわりに昔書いたものでよければ」と上掲エッセイの再録をお許しいただきました。
横山先生は今は故郷岐阜県の大垣に住み、大垣つれづれというエッセイをウエブで連載していますのでぜひお読みください。

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものは2014年11月5日[水]―11月22日[土]「瀧口修造展 III 瀧口修造とマルセル・デュシャン」を開催しています(*会期中無休)。
DM_m1月3月に続く3回展です。
瀧口修造のデカルコマニー、ドローイング、《シガー・ボックス》、《シガー・ボックス TEN-TEN》、《扉に鳥影》、マルセル・デュシャンの《グリーン・ボックス》、オリジナル銅版画『大ガラス』、奈良原一高の写真《デュシャン 大ガラス》連作、瀧口修造・岡崎和郎《檢眼圖》をご覧いただき、瀧口とデュシャンとの交流の実相と精神的な絆の一端を明らかにします。

●デカルコマニー47点を収録したカタログ『瀧口修造展供(テキスト:大谷省吾)を刊行しました(2,160円+送料250円)。
表紙2014年 ときの忘れもの 発行
64ページ 21.5x15.2cm
執筆:大谷省吾「瀧口修造のデカルコマニーをめぐって」
再録:瀧口修造「百の眼の物語」(『美術手帖』216号、1963年2月、美術出版社)
ハードカバー
英文併記


『瀧口修造展機と合わせご購読ください。