中村茉貴の「美術館に瑛九を観に行く」

中村茉貴〜都城市立美術館「瑛九芸術の迷宮へ」その3

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第16回

都城市立美術館
UMK寄託作品による「瑛九芸術の迷宮へ」その3


 都城市立美術館で行われた展覧会に関するレポートも今回で最後を迎える。本展は、「1. 瑛九のはじまり」、「2. 増大するイメージ」、「3.色と形の挑戦」と三部構成になっており、その1では、1階会場1・2章のフォト・デッサンおよびガラス絵、初期油彩画を見てきた。その2は2階会場で展示されていた都城市ゆかりの詩人富松良夫と瑛九について、そして、その3では、2・3章に出品された銅版画、リトグラフ、晩年の油彩画等を紹介したい。

都城市立美術館_26階段を2階に上がると、《神話》(1956年、紙・エッチング、右下に鉛筆で「Q Ei」のサインあり、[特])が目に付くところに展示されている。会場を見渡すと瑛九の版画が整然と並んでいる。広々とした会場をも埋め尽くす作品点数の多さは、まさに圧巻である。
向かって右側の壁には、林グラフィックプレスが発行した銅版画の後刷り画集「SCALE」のシーリーズが展示されている。手前からSCALE兇茲蝓圓いり》(1957年、紙・エッチング)、SCALE靴茲蝓塢と少女》(1957年、紙・エッチング)、SCALE靴茲蝓埓院奸1956年、紙・エッチング、ドライポイント、ルーレット)、SCALE兇茲蝓圓燭燭い》(1956年、紙・エッチング)、SCALE垢茲蝓埒垢寮此奸1958年、紙・エッチング、館蔵品)、SCALE垢茲蝓埀世硫屐奸1958年、紙・エッチング、館蔵品)


都城市立美術館_27右から《街B》(1953年、紙・エッチング)、《なやみ》(1953年、紙・エッチング、[特])、《忘れた道》(1957年、紙・エッチング)


都城市立美術館_28《叫び》(1954年、紙・エッチング)、《小さな人魚》(1954年、紙・エッチング)

都城市立美術館_29参考画像:林グラフィックプレスで刷られたエッチングにはスタンプによる裏書がある。


original etching by Ei Q
limited edition of 60
published by Hayashi Graphic Press

林グラフィックプレスを設立した林健夫は、池田満寿夫と親交のあった人物としても知られる。都夫人の許可のもと瑛九が残した銅版の原版から後刷りされた版画集「SCALE」は、機銑后1974-76年、83年刊行)まであり、カタログも発行している。未発表作を含め全278点の銅版画(後刷り)が収録されていることからレゾネとして代用されることもしばしばある(全作品ではないが)。

銅版画のコーナーの次は、リトグラフの作品が並ぶコーナー。リトだけでも23点あり見応えがある。

都城市立美術館_30向かって右側から《蟻のあしあと》(1956年、紙・リトグラフ、[特])、《白い丸》(1956年、紙・リトグラフ、[特])、《街の燈》(1956年、紙・リトグラフ)、《スケート》(1956年、紙・リトグラフ)、《舟》(1956年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり)、《青の構成》(1956年、紙・リトグラフ、「Q」[特])、《夜明けに飛ぶ》(1956年、紙・リトグラフ、スタンプサインあり)※スタンプ(真岡市蔵)は久保貞次郎制作


都城市立美術館_31左から《航海》(1956年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり、[特])、《輪》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり、[特])、《拡声器》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり、[特])、《海底》(1957年、紙・リトグラフ、[特])、《考える鷺》(1957年、紙・リトフラフ)


都城市立美術館_32右から《迷路》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり、[特])、《風が吹きはじめる》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり、[特])、《舞台のピエロ》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり、[特])、《春の風》(1957年、紙・リトグラフ)


都城市立美術館_33右から《赤き微小》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり)、《飛ぶ》(1957年、紙・リトグラフ、「Q Ei」あり)、《流れるかげ》(1958年、紙・リトグラフ、「Q」あり、[特])


都城市立美術館_34右から《壁》(1958年、26.0×21.0、「Q Ei」あり、フォト・デッサン)、《顔》(1958年、25.5×20.5、「Q Ei」あり、フォト・デッサン)


都城市立美術館_35《森のささやき》(1958年、25.5×18.0、ボード・水彩、鉛筆により「Q Ei」、[特])、《春のめざめ》(1958年、43.5×28.5、紙・水彩、「Q Ei」あり、[特])、《虚ろな記憶》(1959年、38.5×22.5、紙・水彩、ペン、「Q Ei」あり、[特])


都城市立美術館_36《空の旅》(1957年、41.0×31.8、キャンバス・油彩、「Q Ei」あり、[特])、《土の中》(1957年、27.3×22.0、キャンバス・油彩、「Q」あり、[特])、《丸の遊び》(1958年、板・油彩、「Q」あり、[特])、《森》(1959年、キャンバス、油彩、「Q」あり、[特])


3回に渡って宮崎県の都城市立美術館の展覧会を紹介してきた。こちらの美術館に訪問して感じたことは、郷土の美術家を展示することが実に自然であるということ。家族写真を飾るかのように、シンプルで気持ちのいい雰囲気があった。いつからか地方美術館でも人気取りのための展示と高額な観覧料を払わないと入場できなくなってきたが、ここでは特別展以外は従来の博物館法に近いスタンスで作品を無料公開している。また、どこの館も展覧会事業費や、まして作品購入費は開館時よりもグッと落ち込んでいるはずであるが、それを見かねてか、テレビ宮崎(UMK)が代わって作品をコレクションしている。良いバランスで美術館が保たれている。薩摩藩の気風によるものかもしれない。平日の昼下がり、確かに来館者は少なかった。しかし、2人組のご婦人が「瑛九さん…」と親しげに呼んで作品を覗く様子に、ほっとする思いがした。

***

ちょっと寄道…

前回、瑛九と親交のあった都城市の詩人「富松良夫」を紹介した。
美術館で展示されていた詩集は高値で入手困難であるが、宮崎県の出版社「鉱脈社」で下記のように再編されている。

都城市立美術館_37富松良夫『黙示』表紙


都城市立美術館_38杉田正臣『父、暁天、瑛九抄』表紙


巻末を見ると、本書は「みやざき21世紀文庫」シリーズとして今まで刊行されたタイトルがズラリと並んでいる。小さな字でそれに付随して本シリーズが出来た経緯を書いている。たいへんユニークで興味深い取り組みをされているので下記に紹介したい。

平成七年秋に宮崎県立図書館で開催され、好評を得た「21世紀の子供たちに伝えるみやざきの100冊の本」展。「宮崎にもこんないい本があったのか」と評判を呼び「ぜひ手に入れたい」という声が相次ぎました。こうした県民の声に応えて、100冊の本を逐次刊行していこうと編集委員会が結成され、平成八年八月から「みやざき21世紀文庫」として第一期(全40巻、解説付。カバー絵・瑛九)の刊行が始まりました。

これこそ郷土愛の結晶である。史料編纂所が発行する県史とは別に読み物として親しみやすい。「郷土誌」ではあるが、ただの「郷土誌」ではない存在感である。一部の巻はネットショップで購入できて、つい最近まで東京国立近代美術館で行われた瑛九展の会期中には、兄正臣の著書がミュージアムショップで平置きされていた。そして、下線で示したように本シリーズは、全て「カバー絵・瑛九」なのである。宮崎県が瑛九をいかにだいじにしているのか一目瞭然である。

宮崎訪問時には、本シリーズの表紙を確認したいと思い宮崎県立図書館へ立ち寄ったものの、手に取る時間がなかった。宮崎でやり残してきたことのひとつで頭の片隅に置き、ブログ記事の構想を練っていると、段々と表紙のことが気になり、頭の中心にまでにじり寄ってきた。「このシリーズは100冊まであるのか。出版されているとすれば、瑛九名品100選ということになるのではないか」と、妄想が膨らんだ。

そこで、駄目もとで出版社に直接問い合わせをしたところ、有難いことに、鉱脈社の鳥井氏が対応していただいた。現在の発行されているタイトルと表紙絵について情報提供していただいたので、下記にリストを公表したい。

<鉱脈社 「みやざき21世紀文庫」シリーズ>
富松良夫『新編 黙示』 1996年: 《つばさ》 1959年、油彩、宮崎県立美術館蔵
中村地平『日向』 1996年: 《田園B》 1959年、油彩、宮崎県立図書館蔵
若山牧水『郷里の山河』1996年: 《泉》 1959年、油彩、個人蔵
石川恒太郎『日向ものしり帳』1996年: 《ブーケ(花束)》 1959年、油彩、宮崎県立美術館蔵
黒木淳吉『タ映えの村』1996年: 《題不明》1958年、油彩、宮崎県立美術館蔵
戸高保『白い浮雲の彼方に』1996年: 《蟻のあしあと》 1956年、リトグラフ、宮崎県立美術館蔵
三戸サツヱ『幸島のサル』1996年: 《丸のあそび》 1958年、油彩、宮崎県立美術館蔵
小野和道『浮上する風景』1996年: 《まと水》 1957年、油彩、長島美術館蔵
小川全夫『よだきぼの世界』1996年: 《丸( 2 )》 1958年、油彩、福岡市美術館蔵
城雪穂『藤江監物私譜/笛女覚え書』1996年: 《題不明》1957年、油彩、宮崎県立美術館蔵
渡辺修三『新編 谷間の人』1997年: 《愛の歌》1957年、油彩、宮崎県立美術館蔵
青山幹雄『宮崎の田の神像』1997年: 《まつり》 1958年、油彩、宮崎県立美術館蔵
岩切章太郎『無尽灯』1997年: 《ながれ一たそがれ》 1959年、油彩、個人蔵
中村地平『中村地平小説集』1997年: 《風船(仮)》1956年、油彩、個人蔵
松田壽男『日向の風土と観光』1997年: 《眼が廻る》 1955年、油彩、宮崎県立美術館蔵
黒木清次『日向のおんな』1997年: 《鳥》 1956年、油彩、宮崎県立美術館蔵
三原七郎『三等院長のメモ』1997年: 《アブストラクション》制作年不明、水彩、宮崎県立美術館蔵
三上謙一郎『死者を追って』1997年: 《花火》制作年不明、油彩、宮崎県立美術館蔵
賀来飛霞『高千穂採薬記』1997年: 《子供たち》1955‐56年、素描、宮崎県立美術館蔵
宮永真弓『海から聞こえる笛/つゆ草の花』1997年: 《芽》 1954年、油彩、宮崎県立美術館蔵
大迫倫子『娘時代』1998年: 《青の動き》 1956年、油彩、宮崎県立美術館蔵
神戸雄一『詩集 鶴、小説集番人』 1998年: 《空》 1957年、工ッチング、宮崎県立美術館蔵
安田尚義『高鍋藩史話』1998年 : 《蜃気楼》1957年、油彩、個人蔵
渡辺綱纜『紫陽花いろの空の下で』1999年: 《街》 1947年、油彩、宮崎県立美術館蔵
みやざき21世紀文庫編集委員会編『宮崎縣嘉績誌』1999年: 《題不明》制作年不明、フォト・デッサン、宮崎県立美術館蔵
若山甲蔵『日向の言葉』2000年: 《だだっこ》 1954年、油彩、宮崎県立美術館蔵
杉田正臣『父、暁天、瑛九抄』2000年: 《明るい森の中》 1958年、水彩、宮崎県立美術館蔵
以上、27巻

作品の所蔵先は宮崎県立美術館が大半であるが、中には長島美術館、福岡市美術館、個人蔵もある。なかでも気になる表紙タイトルは、『中村地平小説集』の《風船(仮)》1996年(生誕100年記念瑛九展レゾネNo.284)である。「風船」はご存知の通り、東京国際版画ビエンナーレに出品されたリトグラフ《旅人》(1957年)の画面上に表れているモチーフである。いずれも瑛九がつけたタイトルかどうか定かではないが、造型上何か関連がある可能性もある。また、著者の中村地平は、全国的に著名な人物であるが、宮崎県立図書館の館長を勤めるなど地域に貢献した人物でもある。1951年5月県立図書館に設置された「子供読書室」の瑛九の壁画(焼失)や、「花と絵の図書館」を館内に設けて児島虎次郎、塩月桃甫、瑛九の作品を展示したのは、彼が着任中のことである。

なお、本シリーズとは別に、鉱脈社の出版物では、福富健男『画家・瑛九の世界』2011年も刊行している。合わせて参照したい論文である。
なかむら まき

●展覧会のご案内
瑛九芸術の迷宮へ「瑛九芸術の迷宮へ」
会期:2017年1月5日[火]〜2017年2月26日[日]
会場:都城市立美術館
休館:月曜(祝日・振替休日の場合、その翌日は休館)
時間:9:00〜17:00(入館は30分前)
主催:都城市立美術館
入館料:無料


 本展では平成27年度にテレビ宮崎から寄託された瑛九作品を中心に、過去にテレビ宮崎が収集した特別出品作品を加えた、写真や銅版画、リトグラフなど約80点を展示いたします。宮崎ゆかりの美術作品が散逸することを防ぎ、県内の文化・芸術を長く伝え残したいという理念のもと築かれたこのコレクションは、代表的な版画やフォトデッサンに加えて、初期の油彩画やガラス絵など。今までほとんど紹介されていない貴重な作品も含まれています。
 当館は開館以来、瑛九作品の収集と企画展示を行ってきましたが、この度の寄託を機会に、瑛九の画業全体がより広く理解されることとなりました。この展示を通じて、瑛九の自由な時代精神を感じ取っていただければ幸いです。(本展HP「ごあいさつ」より転載)

取材にご協力いただいた都城市立美術館の祝迫眞澄学芸員、鉱脈社の鳥井氏には、この場をかりて深く感謝の意を表したい。

※第14回「美術館に瑛九を観に行く」の訂正とお詫び
「富松良夫宛 杉田秀夫書簡 昭和10年8月21日」より抜粋した文章に誤りがありました。訂正箇所は以下のとおり。
[誤]小さな花のもたらる → [正]小さな花のもたらす
[誤]目がくれて → [正]日が暮れて

中村茉貴〜都城市立美術館「瑛九芸術の迷宮へ」その2

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第15回

都城市立美術館
UMK寄託作品による「瑛九芸術の迷宮へ」その2


 前回に引続き、都城市立美術館で開催されていた「UMK寄託作品による 瑛九芸術の迷宮へ」展の報告である。今回は、2階会場に展示されていた瑛九と富松良夫の関係資料に着目したい。

 富松良夫(1903−1954)は、都城市で「南の宮沢賢治」として地元で愛されている詩人で、瑛九と若い頃から親しい関係にあった。良夫の弟富松昇(元宮崎市助役)は、1934年11月に瑛九のアトリエを訪ね、12月には瑛九と山田光春が富松家を訪ねる。翌35年には、瑛九、岡峰龍也、杉田杉(瑛九の妹)、富松昇、藤田頴男、山田光春が洋画研究グループ「ふるさと社」を結成する。

都城市立美術館_16会場の中心に展示された資料。覗きケースには、書簡2通と詩集1冊がある。壁には、瑛九のリトグラフやエッチングが展示されている。


都城市立美術館_17「富松良夫宛 杉田秀夫書簡 昭和10年8月21日」(1935年、都城市立図書館所蔵、部分)


本書簡に記載された内容を下記に少し抜粋したい。

 私は絵画藝術とソの今迄のジャンルに従ひたくはありませぬ。ヱかきは描くものであって、観る人ではありませぬ。ゆえに私はヱカキの批評に全てにといってもいいくらいキタイをおいておりませぬ。又ヱカキのみかたとソのめがねをかけてやるこの国の美術批評家の批評は画家以上に私には他人です。私は人間のコヱ(声)をほっします。ろうごくの窓からみえる一りんの小さな赤い花によする囚人の感情、一りんの小さな花のもたらす囚人への言葉に言えない様な一種の希望を。そういった所に絵画をおいて考へたく思っております。
(中略)
 今年になって、絵筆がにぎれない精神のじょうたいにいます。すこし評論をかこうかと思ひ、それによる自己成長をはかつております。自己と世界の対決で、日が暮れてしまふのです。一歩もうごけやしません。


東京国立近代美術館の「瑛九1935−1937闇の中で『レアル』をさがす」展に展示されていた山田光春宛の書簡と富松良夫宛の書簡はどこか違う雰囲気がある。尻込みせずに自論を主張する瑛九節は健在ではあるものの、言葉の端々に緊張感が漂っている。瑛九とほぼ同い年の山田に比べて良夫は7歳ばかり年上だった為かもしれないが、おそらく、それだけではない。書簡が書かれた時期は、杉田秀夫(瑛九)が画家を志してスタートを切った頃である。すでに詩集を出版している「文学者」と対峙して、自分は「絵描き」と称して考えを説明するも、まだ不慣れで硬さがある。良夫とは土俵は違っても同じ表現者としてシンパシーを感じていたようで、希望や自論をぶつけている。いわば、山田は何でも打ち明けられる同志で、良夫はもっとも身近な表現者の先輩という存在であったのかもしれない。瑛九はこの良夫との往復書簡を通じて「絵描き」として自己形成を図っていったのではないだろうか。

都城市立美術館_18「富松良夫宛 杉田秀夫書簡」(年代不詳、都城市立図書館所蔵)
上記の書簡より少し抜粋する。


 私の制作は量だけで、すこしもうまく行きませぬ。油絵之具になれることすらまだ中々に遠い事を思ふとちょっと困るので、わん力的大作にかりたてるわけです。

 「絵描き」同志ではないため、鼓舞するようなところはない。冷静に自分をふりかえって、良夫に報告している。

都城市立美術館_19ケースに入っている本は、富松良夫『詩集 黙示』1958年、龍舌蘭。
表紙は、瑛九の抽象的なフォト・デッサンで飾られている。上部の表題部分は帯状に裁断され、裏表紙の方に回り込んでいる。本書は、1954年良夫が亡くなったあとに編集された。表紙にフォト・デッサン、普及版にデッサン2枚(金属板印刷)、100部限定にエッチング2葉付きで販売された。


都城市立美術館_20本書に挿入されている作品。シュルレアリスムと抽象のあいだのようなスケッチである。タイトルはない。


都城市立美術館_21同書に挿入された作品。タイトルはない。細かな線は幾重にも重なり、花びらや貝殻のようなシルエットが見えてくる。それは、形を変え次第に上昇して消えてゆく、「言の葉」をあらわしているのだろうか。


以下に富松良夫の詩3篇を紹介したい。

   山によせて
ひかりの箭(や)をはなつ朝
山は霧のなかに生まれ
むらさきの山体は
こんじきの匂ひをもつ
あたらしい日を信じ
あたらしい世界のきたるを信じ
さらに深い山の発燃を信じ
にんげんの哀しさも
国の面する悲運のかげも
世界の精神的下降の現実も
わすれてはてるわけではないが
いまこのあざやかな
朝のひかりにおぼれ
悠々と非情の勁さにそびえてゐる
山にまなぼう


   聴く
ふかい夜のめざめ、しんとして揺るがない星の光を額にあてている、
わたしは信ずる、この秋の夜を徹る虫の音は白銀の穂尖だ
脳髄の心をすずしくすずしく刺しとおしてくる……繊やかさ
わたしの肉身はこゝに傾く、ああわたしはしづかに胸を反らすのだ
わたしは死なないであろう、そして無上にわたしは生きるのであろう
星にぬれ、露に濡れ、この窓にわたしの映像をいつまでも填め
わたしは信ずる、生存のはてしなく涼しいその一念を。


   雲
山は風に澄んでいる
凛然と霽れきつた山をわれはまつすぐに受けている
われは坐ったまま、白雲となつて飛ぶ
からだを透きとおらせ
白々と風とあらそう無際辺の旅をする
山脈を超えるとき、われはやまはだに触れて見るのだ
鋼いろのそのつめたさが胸にとおつてくるとき
爽々とわがこころを膊つ一脈の青韻があつた


良夫は日々の生活で得た刺激をあざやかな言葉にかえて、体験した感覚をよみがえらせようとしている。6歳で脊椎カリエスにかかり良夫の体は不自由であるが、詩は空中で生き生きと跳ねあがり、エネルギーに満ちている。情景豊かな表現は、秀夫(瑛九)の影響だろうか。以上のように瑛九と富松の二人の交流関係の結晶として展示されていた資料を詳しく見てみると、互いにいい影響関係にあったことが想像できる。

都城市立美術館_22参考資料:鈴木素直「同時代の軌跡―富松良夫と瑛九」(宮崎日日新聞、2001年11月16日)瑛九と富松良夫の関係を詩人鈴木素直氏は、新聞で次のような点を書いている。一部抜粋する。


・文学の道を歩む富松は美術への関心と共感に支えられ、画家瑛九の世界は文学に育てられた。一九二二、三年ごろから始まる友好関係の中で、文学と美術、さらに音楽の世界をたえずクロスさせながらお互いを刺激し続けた。

・両人とも「就職」することなく、経済的には恵まれない芸術創造だけの生涯を選んだ。

・兵役義務に従事していない。(中略)両人の負い目や戦争観の検証はあまりされていない。

・両人とも数多くの手紙を誠実にまた激しく書いている。


鈴木氏の指摘のとおり都城市立美術館の学芸員祝迫眞澄氏によると、富松関係資料の所在はあまりよくわかっていないという。書簡や瑛九の作品がどこかにある可能性は十分に考えられる。たとえば、愛知県美術館の山田光春アーカイブには、富松良夫に関係する書簡の写しやコピーが保管されている。

同じ宮崎県内でも「瑛九」については宮崎県立美術館(宮崎市)で展示されるという意識が高く、これほどまでボリュームのある展示はしてこなかったと語る祝迫学芸員。これを機に富松と瑛九の関係を、引き続き調査したいと意気込んでいた。

本展の続きは次回にまわし、
ちょっと寄道...

都城市立美術館のとなりには、市立図書館が併設されている。中に入ると、さすが都城市のスターである富松良夫のコーナーが設置されていた。良夫は、瑛九と連絡を取り合う前から美術に関心があり、1928年には絵画グループ「白陽会」を創立し、自らも絵筆を握っていた人物でもある。

都城市立美術館_23富松良夫『詩集 現身』龍舌蘭、1971年
本書の表紙も瑛九のフォト・デッサンで飾られている。


都城市立美術館_24オリジナルエッチング《雨》
雨のなかに妖しく佇む奇妙な構造物。わずかに開いた隙間を除くと何が見えるのだろうか。


都城市立美術館_25オリジナルエッチング《おとぎの国》
家々が立ち並び、全体的に賑やかな作品。3人の男女の他にも、よく見ると家のなかにも人の姿がある。傘をもつ男性に手を振り上げて挨拶をする人。太陽と星、光と影が同居する世界でどのような物語が展開されるのだろうか。


なかむら まき

●展覧会のご案内
瑛九芸術の迷宮へ「瑛九芸術の迷宮へ」
会期:2017年1月5日[火]〜2017年2月26日[日]
会場:都城市立美術館
休館:月曜(祝日・振替休日の場合、その翌日は休館)
時間:9:00〜17:00(入館は30分前)
主催:都城市立美術館
入館料:無料


 本展では平成27年度にテレビ宮崎から寄託された瑛九作品を中心に、過去にテレビ宮崎が収集した特別出品作品を加えた、写真や銅版画、リトグラフなど約80点を展示いたします。宮崎ゆかりの美術作品が散逸することを防ぎ、県内の文化・芸術を長く伝え残したいという理念のもと築かれたこのコレクションは、代表的な版画やフォトデッサンに加えて、初期の油彩画やガラス絵など。今までほとんど紹介されていない貴重な作品も含まれています。
 当館は開館以来、瑛九作品の収集と企画展示を行ってきましたが、この度の寄託を機会に、瑛九の画業全体がより広く理解されることとなりました。この展示を通じて、瑛九の自由な時代精神を感じ取っていただければ幸いです。(本展HP「ごあいさつ」より転載)

中村茉貴〜都城市立美術館「瑛九芸術の迷宮へ」その1

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第14回

都城市立美術館
UMK寄託作品による「瑛九芸術の迷宮へ」その1


 今回、訪れた先は都城市立美術館。ついに瑛九のふるさと宮崎県の地を踏む。ここで今、約80点にもおよぶ瑛九の初期から晩年に至る作品が一挙に公開されている。しかも驚くべきことに、この大コレクションは一民間企業「テレビ宮崎(UMK)」が築き上げたものである。

都城市立美術館_01都城市立美術館。暖かい陽気で、冬の冷たい風が心地よく感じた。木の下のベンチには読書をする中学生がいた。


都城市立美術館_021階展覧会の入り口。入場無料。かなりボリュームがある展示なのに申し訳ないという考えもよぎる。年に一度、他館から作品を借用する特別展と市民のために会場を空ける期間があり、その他はコレクション展示が企画されている。


取材に応じてくださった本展の担当学芸員祝迫眞澄氏によると、テレビ宮崎は、瑛九をはじめ地元のゆかり作家の作品を主にコレクションしているということであった。瑛九の作品だけでも全282点寄託があり、今回は額装されている作品87点とテレビ局で保管している33点を特別出品することになった。

都城市立美術館_03左は《人魚》(年代不詳、フォト・デッサン、28.0×22.0)、人魚の周りには魚が集まり、ゆらゆらとなびくワカメや巻貝が装飾的に置かれている。光と闇が交差する海の神秘的な世界を表現している。隣は《バレー》(1947年、フォト・デッサン、26.5×20.5)本作はテレビ宮崎で保管され、今回特別に展示している。(以後、特別出品は[特]と表記する)


都城市立美術館_04左は《サーカス》(制作年不詳、55.6×45.5、フォト・デッサン、[特])画面上で舞う演者8名がそれぞれに異なるポーズをとる。ガラスのコップにガラス棒、大小の輪っかが軽やかなリズム感を与えている。
右は《画題不明》(1948年、フォト・デッサン、44.3×54.6、[特])立膝をつく女性と跪く女性が象徴的に表現されている。《サーカス》と同様に大型な作品(全紙)である。


都城市立美術館_05こちらの壁面に展示されている作品4点は、左から《村》、《鼻高のプロフィール》、《Visiters to a Ballet Performance》、《家・窓・人》である。1979年「現代美術の父 瑛九」展(瑛九展実行委員会、小田急百貨店)の開催を記念して制作された細江英公のスタジオによるリプロダクション。下側にエンボスサインがある。原作は1950年から51年頃の作である。


瑛九展実行委員会編『瑛九展記念 フォト・デッサン』(細江英公スタジオによるリプロダクション 1979年)
10点セットで限定55部。収録作品は次のとおり。
 1. 芝居 
 2. 家・窓・人 
 3. Visiters to a Ballet Performance
 4. 鼻高プロフィール
 5. 森のつどい
 6. 庭
 7. 村
 8. 子供の部屋
 9. コンポジション
 10. ビルの人
 ※オリジナルは次の美術館が所蔵している。
 国立国際美術館:1 / 北九州市立美術館:2, 4, 6, 7, 9, 10 / 宮崎県立美術館所蔵:3, 5, 8

都城市立美術館_06左手前から《森のつどい》[特]、《ビルの人》、《芝居》、《コンポジション》。上記に同じく細江英公スタジオによるもの。右奥は、《画題不明》(年代不詳、板・油彩、22.0×27.3)。印象派風の明るい色調の背景が淡い黄で大胆に塗られている。画面には所々塗り残しがあり、円形や赤い模様、引っかいて描写された部分が見受けられる。意図的に空けられた穴も数か所あり、何か別の形態のものだったことを想像させる。


都城市立美術館_07左から《並木通り》(1941年、キャンバス・油彩、45.5×38.0、左下「H.Sugita」サインあり、[特])。生誕100年記念瑛九展のレゾネでは、山田光春の記録に含まれていなかったものとして掲載されている(No.056)。《庭》(1942年、キャンバス・油彩、左下「H.sugita」の鉛筆サインあり、[特])瑛九の関係者によれば本作の描かれた場所は宮崎高等農林学校の敷地内に広がっていた風景であるという。レゾネのタイトルは、《庭にて》(No.071)


都城市立美術館_08参考資料:宮崎高等農林学校 絵葉書(1918〜1932年発行か)
本校美術部の展示を瑛九は観に行っていた。
1934年宮崎美術協会展で北尾淳一郎(1896-1973)に会い親交を深めるようになる。1930年代のフォトデッサンに移り込むガラス棒(実験器具)は本校で制作に励んだときの作のようだ。北尾は東京帝国大学農学部で学び、1925年から1930年3月まで宮崎高等農林学校で教鞭をとっていた人物である。ドイツ、イタリア、フィンランドでの留学経験を持ち、写真やレコードを聴く趣味があった。1937年銀座ブリュッケにて「瑛九フォトデッサン・北尾淳一郎レアルフォト合同展」を開催している。


都城市立美術館_09《キッサ店にて》(1950年、キャンバス・油彩、左下に「Q Ei」あり、[特])、キュビスム風に構成された作品。テーブルには、グラスとコーヒーカップが並び、二人は会話を楽しんでいるよう。本作は以前、絵の具の剥離が酷く修復している。(レゾネNo.198)。隣は《卓上》(1947年、キャンバス・油彩、515×25.5、[特])縦長の画面に少し違和感を覚えた人もいるだろう。それもそのはず、瑛九にエスペラントを教わったことから親交を深めていた鈴木素直氏によると、完全だったころの作品をみており、長辺1/3くらいが裁断されているという。また、レゾネには天地が逆さまの像が掲載されている。


都城市立美術館_10向かって左から 《バレリーナ》(1950年、紙・水彩、28.0×20.0、左下「Q」のサインあり)、《バレー》(1950年、ガラス・油彩、22.7×15.8、[特])、《バレーの女》(1950年、ガラス・油彩、17.0×12.0)小品でありながらも、多彩な色面構成とスピード感のある筆跡が印象深い。ガラスの支持体を用いることで、バレリーナの繊細かつ華やかなイメージがより一層ひきたっている。この頃、バレーをモチーフにした作品をしきりに描いている。


都城市立美術館_11右から《人魚の恋》(1954年、エッチング、[特])、《背中合わせ》(1952年、エッチング)《夢の精》(1952年、エッチング)。いずれも瑛九のサインやエディションナンバーはない。しかし、どれもインクの載りが良く、図像がはっきりと表れている。


じつは、瑛九のエッチングの魅力は余白にあると私は思う。インクの拭き残しが空気の層となり、幻想的な空間をつくりあげている。インクの濃淡に幅があるために、歓喜も悲哀をも表現できる。他の人物が刷ったものは、その独特な雰囲気が損なわれてしまっているのである。

ところで、瑛九と共著『やさしい銅版画の作り方』(門書店)を出版した島崎清海は、かつて瑛九にエッチングを教わった時のことを次のように述懐していた。島崎氏がエッチングをはじめた頃、何度やっても上手く刷れず、瑛九に教えを請うた。島崎氏が準備した版とインクを使用し、瑛九が刷ると見事に刷れているという。島崎氏もはやる気持ちでそれに続いて刷りはじめると、注意が入ったという。後で振り返ってみると、紙を水に湿らせる工程のとき、瑛九はおしゃべりを長々としていたという。(「生誕100年記念瑛九」展図録、2011年、p.185)

おそらく、そこに正解や間違いはなく、銅版の腐食具合やインクの粘度など他の調整によりいい状態に持っていくことは出来たかもしれない。しかし、瑛九は幾度も試行錯誤をしたエッチングの経験から、島崎氏の版の状態を瞬時に見極め、最善の方法をやってみせた。生前、島崎氏はこの瑛九の「おしゃべり」という、ひと工程をたいへん気に入っていたようで、満面の笑顔で話していた。

都城市立美術館_12右からSCALE気茲蝓圓△ま》(紙・エッチング)、SCALE 兇茲蝓毀襪里燭燭い》(紙・エッチング、[特])、SCALE 靴茲蝓坩Δ硫函奸併罅Ε┘奪船鵐亜法SCALE 靴茲蝓團凜.ぅリン》(紙・エッチング)。


1階の会場展示はここでひと段落し、2階に続く。


***

ちょっと寄道…

瑛九の展示に隣接して、宮崎ゆかりの作家が展示されていたので紹介したい。本展の会場入り口には、平成27年テレビ宮崎が寄託した山田新一(1899 – 1991)の油絵8点も展示されている。

都城市立美術館_13山田新一の作品群。生まれは台北で、幼少期は父親の仕事に伴って、各地を転々としていた。宮崎県の旧制都城中学校に通い、本籍は都城市にあった。東京美術学校西洋画科に入学し、藤島武二に師事。日展や光風会で活躍する傍ら、各地で後進の指導に勤めた。佐伯祐三と親交の深かった人物としても知られる。


都城市立美術館_14美術館前には、山田新一の筆塚がある。緑青のふいたプレートには、頬杖をつく山田新一の像が刻まれている。


都城市立美術館_15こちらは、美術館所蔵の郷土作家のコーナー。左から秋月種樹《梅図》(年代不詳、146.7×67.0、紙本墨画)、山内多門《梅二題》(1917年、141.0×50.8、紙本墨画)、大野重幸《鳥骨鶏》(1976年、91.4×91.6、紙本彩色)、《鳥骨鶏(白)》(年代不詳、144.9×72.7、紙本彩色)。秋月種樹は、瑛九の父杉田直が漢詩を習うなど交流のあった人物。父直(俳号:作郎)は、宮崎県で有数の文化人として名を馳せ、江戸時代の俳諧資料などを含む貴重なコレクションが県立図書館で保管されている。

今回の取材では、都城市立美術館学芸員の祝迫眞澄氏がお忙しい合間をぬって、対応していただいた。この場をかりて感謝を申し上げたい。
なかむら まき


●展覧会のご案内
瑛九芸術の迷宮へ「瑛九芸術の迷宮へ」
会期:2017年1月5日[火]〜2017年2月26日[日]
会場:都城市立美術館
休館:月曜(祝日・振替休日の場合、その翌日は休館)
時間:9:00〜17:00(入館は30分前)
主催:都城市立美術館
入館料:無料


 本展では平成27年度にテレビ宮崎から寄託された瑛九作品を中心に、過去にテレビ宮崎が収集した特別出品作品を加えた、写真や銅版画、リトグラフなど約80点を展示いたします。宮崎ゆかりの美術作品が散逸することを防ぎ、県内の文化・芸術を長く伝え残したいという理念のもと築かれたこのコレクションは、代表的な版画やフォトデッサンに加えて、初期の油彩画やガラス絵など。今までほとんど紹介されていない貴重な作品も含まれています。
 当館は開館以来、瑛九作品の収集と企画展示を行ってきましたが、この度の寄託を機会に、瑛九の画業全体がより広く理解されることとなりました。この展示を通じて、瑛九の自由な時代精神を感じ取っていただければ幸いです。(本展HP「ごあいさつ」より転載)

中村茉貴〜東京国立近代美術館「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」―その2 11月22日〜2017年2月12日

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第13回 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館
「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」―その2


前回に引き続き、東京国立近代美術館2Fギャラリー4で開催中の「瑛九 1935-1937闇の中で『レアル』をさがす」展を取り挙げる。

東京国立近代美術館_01展示会場の入り口。タイトルの字体は、丸みを帯び、一部に若草色を使用している。本展の出品作の多くは瑛九の初期の手のもの。芸術家デビューしたばかりの初々しい「瑛九」を反映しているよう。

前回は、山田光春旧蔵資料の内容と展覧会開催までの経緯などを本展企画の学芸員大谷省吾氏から伺い、第1〜3章に展示されたフォト・デッサン、コラージュ、デッサンをみてきた。今回は、山田光春の史料やエピローグに着目したい。

東京国立近代美術館_02書簡や雑誌などが並ぶ木製の覗きケース。新収蔵となった瑛九より山田に送られた書簡は117通。そのうち、1935〜37年に投函された10通が会場で公開されている。


東京国立近代美術館_03「杉田秀夫から山田光春あて書簡 1935年5月29日」(図録pp123‐124)
中央美術展(東京府美術館、1935年5月19日〜5月30日)に秀夫の《海辺》(F60)が入選したことから、展示を観に上京したときのことを次のように書いている。


「やはり宮崎でみるてんらん展とはとはすこしちがつてゐた。比較的でたらめなことをやつとる奴は一人もおらんかつた。技巧の上で。」

「みんなコテさきでかいてゐてコギレイで古アカデミツクか新アカデミツクか、職人ぞろいにはちがいない」と中央画壇の会場で感じた違和感を率直に述べている。

なお、書簡の終盤では、秀夫(瑛九)が「はじめて美術カンとやらにナラベてみておれは少々アホラしくなつてしまつた。クイツキたい奴ばかりだ。おい貴様もすこしゴウマンになつて田舎でじぶんのやりたい繪をかいてゐゐんだ」と山田に言い放っている。

このとき秀夫は、中央美術展の出品作が技巧面で優れていることを認めつつ、審査員の眼ばかりを気にして、自分の表現を追求しない画家に憤慨している。この経験がのちのデモクラート美術家協会の階級制を設けず、無審査で展覧会に臨む体制につながってゆく。瑛九が「前衛芸術家(アヴァンギャルド)」と位置付けられる所以は、「フォト・デッサン」という技法材料の新しさだけでなく、このような美術団体の制度にかんして一歩前進した考えを持っていたことも関係しているのだろう。

ところで、上記のような瑛九の権威に対する過激な発言は、別日の書簡で裏を返したように、逆の想いが綴られていることにも注目したい。

僕は日本画壇に失戀した うつとうしい感情なかで不眠にかかる。夏の不眠はつらい。失戀したのに僕は彼女にラブレターを書いた。(評論)失戀してかいたラブレターを出した僕へ僕はぼんやりした無表情な失意をしめしてゐる。
(瑛九より山田光春あて書簡 1936年7月17日、図録p.132)※括弧内は瑛九によるもの

以上のように、瑛九は日本画壇と自分の立ち位置が違うことを認識し、評論でもって画壇に認められることを渇望しているかのようだ。このことから、彼の中央画壇に対する執着がなくなったとは言い切れない。おそらく、彼の権威的なものを否定する態度は、排他的なものではなく、むしろ自己に向けられた「戒め」であったのだろう。権威(既成画壇)に依拠しないで、自己の表現を確立しようとする内省的なものであり、これを仲間と共に貫こうとしたと考えられる。

東京国立近代美術館_04第一回自由美術家協会展目録。
この頃、美術家が仲間と共につくった小さなグループが無数にあった。戦前戦後に作られた小グループの目録の中には、紙の酸化やガリ版刷りで数が少ないものもあり、原物の目録ひとつ探すことも難しい。
近代日本アート・カタログ・コレクション」シリーズは、初期美術団体の稀少な目録を収録している。同館のアートライブラリでは、開催中の図録と共に常に手に取りやすいところに配架している。
青木茂監修『近代日本アート・カタログ・コレクション73 (自由美術家協会/美術創作家協会)』(ゆまに書房、2004年)


東京国立近代美術館_05『瑛九油絵作品写真集』(複写)瑛九の没後に山田光春が油絵の行方を調査した記録。作品の写真の下には、タイトル、制作年、号数、所在地、所蔵者、確認日が丁寧に記されている。愛知県美術館には、写真集のもとになった35ミリのカラースライドを保管している。なお、宮崎・埼玉で開催された「生誕100年記念瑛九展」図録(pp.268‐292)にはレゾネとして、全555点のモノクロ図版が掲載されている。


東京国立近代美術館_06右上は山田光春『瑛九年譜』(1966年)、右下は「瑛九の会 設立趣意書」、左は山田光春『瑛九(杉田秀夫)住所・居所・旅行表』(1963年)。瑛九ファンは、この折れ線グラフに見覚えがあると思う。じつは、山田の著書『瑛九 評伝と作品』(青龍洞、1976年)の目次ページに瑛九の活動の軌跡として掲載されている。


東京国立近代美術館_07左から山田光春《作品》(1930年代後半、油彩・ガラス、35.5×45.5)、山田光春《作品》(1951年、油彩・ガラス、45.7×35.8)
黒いバックに原始生物のようなイメージが表現されている。瑛九や長谷川三郎もこのころガラス絵の作品を残している。


東京国立近代美術館_08エピローグが展示されているコーナー。油彩、エッチング、リトグラフと多岐にわたる瑛九の作品。手前から《赤の中の小さな白》(1937年頃、油彩・キャンバス、52.7×45.2、右下に「九」)、《ベッドの上》(1948年、油彩・厚紙、24.4×33.5、サインなし)、《赤い輪》(1954年、油彩・キャンバス、左下に「Q.Ei 1954」)、《シグナル》(1953年、エッチング、右下に「Q.Ei」)、《旅人》(1957年、リトグラフ、37.5×52.3、右下に「Q.Ei」)


東京国立近代美術館_09《赤の中の小さな白》について、瑛九のパトロンであった久保貞次郎(1909−1996、美術評論家)が次のように解説している。


瑛九がこの絵をかいたときは、二十六歳の頃だったが、その数年前からシュールのスタイルで制作していた。この作品はシュールから進んで抽象風になっている。燃えるような情熱を感じさせるこの画布は、瑛九の青年時代の心情をうつしだしているといえよう。赤と橙と黒の構成のなかに、小さな白と、それよりいっそう小さな青のスペースが、まるでかれの情熱を押さえるかのように、おかれている。一見ぎこちない筆づかいのなかに、謎のような複雑さがかくされているのが、みるひとに感じられるだろう。この謎の感情こそ、瑛九の作品のどれにも貫かれた資質であり、この性質はかれの稚拙な筆づかいとともに、芸術家瑛九の人生に対する真摯な探求のあらわれである。まだ、ヨーロッパの前衛芸術がわが国に本格的に紹介されなかったころ、かれは時代の空気を敏感にとらえ、かれのキャンバスにそれを定着した
(『日本の名画検〕硫100選』三一書房、1956年、検8)

東京国立近代美術館_10都夫人のはにかんだ姿が印象的な《ベッドの上》。瑛九は1948年、8月31日宮崎市丸島町へ転居し、9月谷口都と一緒になることから、本作は瑛九と都が同居をはじめたばかりの作品であることがわかる。大谷氏によると、本作の寄贈者日比野夫美子氏は、山田光春の助手として働いていた人物であり、彼女が『瑛九 作品と評伝』(1976年)の完成を都に報告しに行ったところ本作を譲り受けた。都夫人がずっと大事に持っていた特別な作品を、日比野氏に譲渡されたことは、彼女にとって最高の感謝のしるしであったと想像する。


東京国立近代美術館_11前回紹介したように《旅人》は、第1回東京国際版画ビエンナーレ展の出品作である。


東京国立近代美術館_12_晩年の油彩画3点。右手前から《れいめい》(1957年、油彩・キャンバス、80.3×65.2、左下に「Q.Ei 1957」)、《午後(虫の不在)》(1958年、油彩・キャンバス、130.0×162.5cm、左下に「Q.Ei 1958」、《青の中の丸》(1958年、油彩・キャンバス、90.9×116.7、右下に「Q.Ei 1958」)


展覧会のまとめとして、大谷氏が以前から調査されてきたコラージュ《レアル》(1937年、コラージュ・紙、31.8×26.2、右下に「Q.Ei/37」)について書かれている図録の内容をご紹介したい。

大谷氏は、山田光春旧蔵の書簡の中で、批評家が目の前の作品を観ずに、ただ同類の作家に当てはめる安価な見方をしていることを瑛九が痛烈に批判していると指摘し、次の瑛九の言葉を引用している。

「現代がいかに現実の語りにくい時代であるかといふことはもう充分だ。現実を充分に語りにくい現実が現実なので、現実がかたりにくい時代だからと云って、現実を安価に理解して公式的にかたづけて現実を見失つてゐることと現実とは断じて同一ではない筈である」(瑛九「現実について」『アトリヱ』14巻6号、1937年6月p.73)

この瑛九の言葉を受けて大谷氏は、以下のように結論づけている。

現実を理解するとは、どのようにしたら可能なのか。私たちは現実を理解したつもりでいて、実は既成概念の枠にものごとを押し込めて、安易に理解したつもりになっているだけなのではないか。瑛九はそうした問いを、これらの作品によって私たちに突きつけているように思われる。本当に「レアル」なものは、生半可な理性によって、捉えられるものではありえない。それは常に、理性の光の届かない闇の中で、手探りで探し求めなければならないものではないか。だとするならば、これらのコラージュはやはり闇のような暗黒の台紙の上で展開させなければならなかった
(大谷省吾、「闇の中で『レアル』をさがす―山田光春旧蔵資料から読み解く1935‐1937年の瑛九」[本展図録pp.15‐16])

「レアル」なものを表現するための方法として、先に技法材料を選択したわけではなかったということが、大谷氏の指摘から伺い知ることが出来る。読み返すと、理性では捉えきれない「レアル」なものを手探りで探した結果「コラージュ」となった。全身全霊で作品づくりに集中している彼を有名美術家と比較するのは確かにナンセンスである。

当時の絵描きや批評家と瑛九は、「視座」からして異なっていたのだろう。目の前にあるモチーフや出来事を見て写すのではなく、師事する先生の技術を見て写すものでもない。瑛九は、目に見えるものだけではなく、もっと深い人間の真に迫るところに意識を集中し、表現しようと試みていた。このような「視座」の違いに気付いたからこそ、青年瑛九は画壇との距離感が分からなくなった。

本展では、瑛九が、憤りや悲しみ、虚しさ、苦痛、希望などさまざまな感情を抱えていたことを作品や書簡等で確認することができた。山田光春は、このような率直に感情をあらわにする瑛九の様子をつぶさに掬い取ろうとしている。また、熱心に耳を傾ける山田であるからこそ、瑛九は心を開いてすべてを打ち明けていたのだろう。

最後に繰り返しになってしまうが、瑛九の活動からよみ取った大谷氏の言葉を自戒の念を込めて以下に抜粋する。

「私たちは現実を理解したつもりでいて、実は既成概念の枠にものごとを押し込めて、安易に理解したつもりになっている」(本展図録p.16)

忙しなく過ごす私たちは、面倒なことは大枠で捉えて、小さな物事を丁寧に見たり、考えたりしていないのではないだろうか。大枠で捉えたことに果たして意味があるのだろうか。今一度「レアル」なものを注視する勇気を持ちたいと思った。

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<展覧会関連情報 々岷蕾(要旨)>
演題:「書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九」
講師:大谷省吾学芸員 / 日時:12月17日14時から
この日に行われた講演会には、瑛九の関係者や他館の学芸員が集まっていた。以前の取材の段階からおっしゃっていたが、瑛九には専門家をはじめディープなファンが多いため「マニアック」な話になるということであった。たしかに、かなりの数の固有名詞が登場し、凝縮された内容であった。この場で講演内容を少し紹介したい。

はじめに瑛九の生い立ちや家族の紹介をし、今回扱っている作品や資料群について説明があった。瑛九と山田光春が出会ったのは、1934年秋のこと。瑛九の甥が通う宮崎県の妻の学校で山田が教員をしていたことで接点を持った。平日は学校で土日しか対面できなかったころから、しだいに二人は書簡で情報交換するようになったという。同館の所蔵となった書簡はこのうちの117通。本展で展示された書簡(葉書含む)は10通で、図録には1935〜1937年の3年間に書かれた58通が収録されている。本資料群の調査をすることで、瑛九の野心や悩み、あるいは、当時の雑誌ではわからなかった前衛美術の活動について明らかになってくるという。

講演会では、書簡の中に出てくる作品や当時の雑誌などについて、写真や図版を用いて細かな解説が加えられた。ひとつひとつ挙げるとあと3回ブログの枠が必要になるため割愛させていただくが、以下3つの内容について注目したい。

1935年から36年の芸術家デビューを果たす頃のこと。中央美術展で展示された作品を観に意気揚々と上京した杉田秀夫(瑛九)の心の内が綴られた35年の書簡。また、36年の書簡に隠されていたフォト・デッサン集『眠りの理由』誕生秘話およびこれの発売に合わせて初個展を開いた銀座紀伊國屋画廊のこと。当時、どのような傾向の人物が画廊に出入りしていたのかを紹介された。

▲侫ト・デッサン集『眠りの理由』は、未だ謎の多い作品であること。まず、10点1組が揃っている所蔵先が実に少ないということ。公共機関では、横浜美術館・国会図書館(状態悪)・東京国立近代美術館のみ。ただし、フォト・デッサンの天地や順番は、すべて異なるという指摘があった。なお、大谷氏はフォト・デッサンの裏面に唯一鉛筆でタイトルが記されたときの忘れもののコレクションと西村楽器店(宮崎)で開かれた目録を頼りに作品の天地や順序をつけたとの報告があった。

1936年3月9日の書簡について。これは、瑛九が山田に「豫定表」と題し、芸術家としてどのような活動を展開してゆくかをひとことふたこと箇条書きにしているものである。大谷氏はこれに1時間かけて解説された。例えば、「土浦といふ日本で最も新しいけんちく家と共に新しい仕事をする。住むためのキカイとしての住宅とむすびつく我々の作品――壁写真」という一文。「土浦」は、建築家土浦亀城のことであり、彼は紀伊國屋画廊の内装を手掛けていることもあり、こちらの方面から話が出ていたのではないかという報告であった。なお、瀧口修造と映画をつくる予定は実現せず、その他に長谷川三郎との新しき同人展の予定などいくつかは実現するものの、本人が想定していたことよりも大きなものにならなかったのかもしれない。その後の瑛九は、すっかり意気消沈してしまう。

大谷氏は講演会の最後に次のことを付け加えた。いくつかの美術館に収蔵されている瑛九の作品や資料について、総覧できるような仕組み(データベース)を作ることや史料の細かな読み解きをする必要があるということ、これが実現したら瑛九ばかりでなく当時の美術団体の活動状況が見えてくる。確かに、講演会で扱われた書簡に書かれた名前を辿るだけでも、いま明らかになっている交友関係の幅よりももっと広かったのではないかと想像させるものだった。いち瑛九ファンとして、今後の進展を期待したい。
以上、1月7日にも同様の講演会が行われるため、詳しく知りたい方は、ぜひ足をお運びいただきたい。


<展覧会関連情報◆―蠡∈酩陛検
瑛九の関連作品が東京国立近代美術館の4階にまとめて展示してあると伺って、作品を確認しに行きました。

【4階‐5室】
東京国立近代美術館_13右手前から福沢一郎《牛》(1936年、油彩・キャンバス)、三岸好太郎《雲の上を飛ぶ蝶》1934年、油彩・キャンバス、北脇昇《最も静かなる時》(1937年、油彩・キャンバス)


東京国立近代美術館_14右から吉原治良《作品2》(c.1934年、油彩・キャンバス)、吉原治良《朝顔と土蔵》(c.1931-34年、油彩・キャンバス)、古賀春江《そこに在る》1933年(水彩・鉛筆・紙)、古賀春江《楽しき饗宴》(1933年、水彩・鉛筆・紙)
12月17日に行われた講演会では、瑛九が山田に「古賀春江ついでがあったらおかりしたい」(杉田秀夫より山田光春あて書簡、1936年1月20日、図録p.128)と画集を借りていることを指摘された。その他にも、吉原治良、福沢一郎などの名前が書簡に記載されている。瑛九は自分の殻に籠らず、同時代の画家の活動は一様にチェックしていたようだ。


東京国立近代美術館_15右からオノサト・トシノブ(小野里利信)《黒白の丸》(1940年、油彩・キャンバス)、村井正誠《URBAIN》(1937年、油彩・キャンバス)、長谷川三郎《アブストラクション》(1936年、油彩・キャンバス)、岡本太郎《コントルポアン》(1935/54年、油彩・キャンバス)


【3階‐7室】
東京国立近代美術館_16河原温《浴室》シリーズ1〜28(1953‐54年、鉛筆・紙)、河原温《孕んだ女》(1954年、油彩・キャンバス)、河原温《DEC. 14, 1966》(1966年、アクリリック・キャンバス)、河原温《Date Painting》(1994年、アクリリック・キャンバス)、河原温《Date Painting》(1994年、アクリリック・キャンバス)、河原温《Date Painting》(1994年、アクリリック・キャンバス)
「浴室」シリーズと「date painting(日付絵画)」が展示された部屋。2014年作者の河原温の生きた記録に終止符が打たれた。昨年行われたグッゲンハイム美術館の展示準備中だったようだ。生きながらにして世界で注目される美術館で個展開催が実現した河原温だが、20歳の頃は、瑛九の浦和のアトリエに通っていた。瑛九に論破されて苦しんだ河原温の渾身の作が「浴室シリーズ」である。


瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
休館:月曜(1/2、1/9は開館)、年末年始(12 /28 〜 2017 年1/1)、1/10(火)
時間:10:00〜17:00(金曜・土曜は10:00〜20:00)
主催:東京国立近代美術館

<講演会のお知らせ>
大谷省吾氏(同館美術課長・本展企画者)
「書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九」
2017 年 1 月 7 日[土]14:00-15:30
場所:講堂(地下1階)
※開場は開演30分前、申込不要、聴講無料、先着140名

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ちょっと寄道....

東京国立近代美術館の近くに近代資料や美術品が展示されていることをご存知だろうか。別館の工芸館ではなく、「遊就館」と「昭和館」のことである。科学技術館と日本武道館を挟んだ先に同館はある。

じつは、瑛九の展示タイトルにある「闇の中」という言葉に、瑛九の個人的な悩みからくる「闇」と、戦争の色が濃くなってゆく社会の「闇」の二種が混在しているのではないかと思った。それは、瑛九が不眠症に悩まされている頃の次の書簡に見て取れる。

戦争は生きのこるものを作る。その點生活のドラマテックなしようちようである。
死をおそれないといふことがはじめて生きのこることにてんくわされる。生きおゝせなかつた人と生きのこるものとのビミメウさはまつたく不思議であろうが、作品のゆう劣はそれと同一なのではなからうか。

(瑛九より山田光春あて書簡1937年9月、図録p.144)

瑛九は、人として、あるいは芸術家として生き残ることが出来るか否かという瀬戸際に立たされている、不安や恐怖心を山田に打ち明けている。この頃の美術家については、戦争と隣あわせの生活を送っていたということも、頭の傍らで常に意識して作品を鑑賞したい。

東京国立近代美術館_17こちらは昭和館。「ぬりかべ」のような建物。1階は戦中・戦後のニュース映画を上映するシアタースペースと資料公開コーナー。4階は図書室。当時の貴重な雑誌などを検索・閲覧できる。5階は映像・音響室。文展や二科展の会場のようすを伝える映像もあった。


東京国立近代美術館_186・7階は常設展示室(大人300円)。昭和10年頃から昭和30年頃までの生活のようす伝える資料等が展示されている。エレベータで7階昇ると、突然、国会議事堂前の焼け野原(昭和20年5月25日空襲によるもの)が目の前に広がる。じつは、トリックアートで飾られた演出で、2015年のお正月明けに公開になったという。


展示室には、いくつか興味深い展示資料があった。そのなかでも2点だけ紹介したい。まず金10円と通し番号がつけられた日本万国博覧会の回数入場券(12枚綴り)。まるで株券のように大きく、細かな装飾が加えられている。また、「灯火管制」の解説が視覚的に理解しやすいものであった。瑛九の書簡でも灯火管制の記述が出てくるので以下に抜粋する。

もう太陽は上つたらしいが、晝もあま戸をあけない。毎晩トウ火くわんせいで、いつまでやらせるのかムキヱンキだとかいつてゐる奴もある。(瑛九より山田光春あて書簡1937年10月10日、図録p.145‐146)

瑛九はこの書簡の終わりにドストエフスキー『地下室(地下室の手記)』を読んでいることを山田に告げ、本書の主人公と自分を重ねている。瑛九は、精神的にも肉体的にも「闇の中」を経験していた。この真っ暗闇のなかで、瑛九は色彩の魅力に非常に惹かれていると山田に告げることになる(同年11月11日書簡)。この頃に制作していたのが《赤の中の小さな白》である。

東京国立近代美術館_19靖国神社の参道脇に広がる黄金色の絨毯。


東京国立近代美術館_20編⊃声匐内にある「遊就館」。武具、美術品、遺品等を約10万点収蔵し、特に近代史ゾーンの資料点数の多さは圧巻である。とくに千人針や遺影(一万柱)の展示の前では胸の詰まる思いがした。


東京国立近代美術館_211階玄関ホールには、零式艦上戦闘機(零戦)や機関車、加農砲が展示されている。会場に入ると、子供連れの家族や団体客、外国人観光客で賑わっていた。


東京国立近代美術館_223人の幼い子を持つ未亡人の逞しい姿を現している宮本隆《母の像》。編⊃声劼了夏擦箒内には、奉納された彫刻が数多く存在する。入口のゲートを抜け、エスカレーターで2階に昇ると日名子実三《兵士の像》もある。日名子実三の代表作といえば宮崎の平和台公園にある《平和の塔(八紘之基柱)》。かつて私も瑛九ゆかりの地を巡りながら、足を伸ばしたことがあった。


瑛九は1931年の徴兵検査で不合格となり、戦地に赴くことはなかったが、同館の所蔵にもある一部の美術家は、このような「現実」と向き合って作品を制作していた。

会場:昭和館
休館:月曜日 ※ただし、祝日または振替休日の場合開館、翌日休館。年末年始(12月28日から1月4日)
時間:10:00〜17:30(入館は17時まで)

会場:編⊃声辧〕圭館
休館:年中無休 ※6月末・12月末(26‐31日)臨時休業
時間:9:00〜16:30 
※元日24:00〜16:30/みたままつり期間中(7月13‐16日)、9:00〜21:00

本ブログの記事を作成するにあたって、東京国立近代美術館学芸員の大谷省吾氏(美術課長)、遊就館の鈴木亜莉紗氏(展示史料課 録事)、昭和館の菊池理恵氏(広報課)に取材の協力を得ました。貴重なお時間を割いていただき、この場を借りて深く感謝を申し上げたい。
なかむら まき


本日の瑛九情報!は上掲、中村茉貴さんの近美のレポートです。
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展は東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

●ときの忘れものは2016年12月28日(水)〜2017年1月16日(月)まで冬季休廊です。
いつもより長い冬休みですが、お正月早々、ART STAGE SINGAPORE 2017に出展するためです。
ブログは執筆者の皆さんのおかげで年中無休、年末年始も連日新鮮な情報、エッセイをお届けします。
メールやネットでのお問合せ、ご注文には1月6日より通常通り対応いたします(日曜、月曜、祝日は除く)。

◆銀座のギャラリーせいほうで開催される「石山修武・六角鬼丈 二人展―遠い記憶の形―」には、ときの忘れものの新作エディションが発表されます。
会期:2017年1月10日[火]〜1月21日[土]*日・祝日休廊
201701_ISHIYAMA-ROKKAKU
主催/会場:ギャラリーせいほう
協力:ときの忘れもの
●オープニングパーティー
1月10日(火)17:00〜19:00
ぜひお出かけください。


◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は毎月14日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

中村茉貴〜東京国立近代美術館「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」11月22日〜2017年2月12日

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第12回 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館
「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」


今回、瑛九の作品を求めて訪れた先は、東京国立近代美術館。実は、出身地の宮崎や後半生を過ごした埼玉のみならず、ここ東京でも瑛九の作品は大事にされてきた。

東京国立近代美術館_01東京国立近代美術館。ファインダーをのぞくと瑛九の点描を思わせる鮮やかな葉が飛び込んできた。


これまで、所蔵作品展を含めた企画もの約40本に瑛九の作品が展示され、近年では学芸員大谷省吾氏が本展にかんする論文2本を館報に掲載している。これについては、後に触れることにして、展覧会の内容に入りたい。

「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」展は、2Fギャラリー4で開催されている。ほぼ初公開となっている作品や史料は、瑛九の仕事の中でもたいへん重要な位置を占めている時代のものである。

展示は、次の通り4部構成となっている。会場は、1935年から37年の活動に焦点を当てた第1〜3章のコーナーとエピローグとして瑛九の作品を総覧するコーナーの2つに分かれている。本展を取材するにあたって、展示を企画された学芸員大谷氏が展示会場を案内してくださった。

第1章 1935年(24歳)…「瑛九」以前の杉田秀夫
第2章 1936年(25歳)… 杉田秀夫が「瑛九」となるとき―『眠りの理由』前後
第3章 1937年(26歳)… ほんとうの「レアル」をもとめて― 第 1 回自由美術家協会展への出品前後
エピローグ …その後の瑛九と山田光春


山田光春(1912-1981)は、瑛九と若い時分から付き合いのあった人物であり、『瑛九―評伝と作品』(青龍洞、1976年)の著者である。本書を執筆するために、山田は関係者への情報提供を求め、さらには各地に点在していた油彩画の調査を自らの足で行った。収集された山田の資料は、主に愛知県美術館(第10回「美術館に瑛九を観に行く」参照)で保管され、中核を成す一部の資料群が東京国立近代美術館に収まったのである。

<東京国立近代美術館に収蔵された山田光春旧蔵資料>
フォト・デッサン『眠りの理由』10点組1セット、その他 12点
コラージュ 10点
ペンによるドローイング 42点
油彩 3点
スケッチブック 1冊
掛軸 1本
色紙 8点
書簡(瑛九から山田宛て117通、その他170通)
記録写真
印刷物(瑛九関係の書簡、展覧会図録、チラシ、ポスター、雑誌、新聞など)
山田光春作 ガラス絵 2点
(大谷省吾「闇の中で「レアル」をさがす――山田光春旧蔵資料から読み解く1935‐1937年の瑛九」p.7)


なぜ、東京国立近代美術館に本資料群が収蔵されたのか、大谷氏に経緯を伺うと次のようなことであった。2011年に行われた「瑛九 生誕100年記念展」を機に話が進み、山田光春のご遺族から2012年に本資料群を譲り受けたということであった。

新収蔵になった作品を常設展会場にただ並べたわけではなく、大谷氏は、瑛九の個人展として確立させ、さらに、通常のコレクション展ではほとんど作ることの無い図録を制作された。図録の予算を確保するためには、ポスターや展覧会オリジナルのチケットの費用を図録に当てたようだ。

図録の内容もたいへん充実している。特に巻末では、公にできる範囲で書簡の全文が掲載されている。翻刻は、山田光春のご子息山田光一氏が行い、大谷氏が校閲と注釈を担当している。今回のように、ご遺族が納得する形で作品等を受け入れ、ご遺族の意志をそのまま汲み取って公開できたことは、稀な事例だと思う。

東京国立近代美術館_02壁には《二人》(1935年、油彩・厚紙、40.8×32.1)が掛けられている。赤い服を着た女性が体をくねらせ、首を傾げている。どこか妖艶な雰囲気が漂う。ケース内には、山田光春に宛てた杉田秀夫(瑛九)の葉書が展示されている。


東京国立近代美術館_03右は「ふるさと社十月展 目録」(1935年)、左は「ふるさと社十一月展 目録」(1935年)。「ふるさと社」は杉田秀夫企画のグループ展で、毎月西村楽器店(宮崎市)で開かれていた。会場使用料は無料。十月展目録の表紙は秀夫が担当していた。瑛九の仕事の中で数少ない木版画である。11月展のほうは山田光春の作である。

東京国立近代美術館_04フォト・デッサン集『眠りの理由』10点(1936年、ゼラチン・シルバー・プリント)


東京国立近代美術館_05左は、フォト・デッサン集『眠りの理由』表紙(1936年、ゼラチン・シルバー・プリント)。右は、西村楽器店で行われた「瑛九氏フォトデッサン展目録」(1936年6月12‐13日、個人蔵)。本展図録(p.102)に《眠りの理由(8)》が貼付された状態の目録が掲載されている。また、大谷氏の著書『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八‐一九五三』(国書刊行会、2016年5月、p.280)には、この目録に1936年頃に制作された『眠りの理由』1点を含む全30点のフォト・デッサンの題名を収録している。


東京国立近代美術館_06右から《フォト・デッサン》(1936年、ゼラチン・シルバー・プリント、27.6×22.9、裏面に「Q.Ei/36」)、《フォト・デッサン》(1936年、ゼラチン・シルバー・プリント、24.5×27.4、裏面に「Q.Ei/36」)


東京国立近代美術館_07右から《フォト・デッサン》(1936年頃、ゼラチン・シルバー・プリント、22.8×27.8)、《フォト・デッサン》(1936年頃、ゼラチン・シルバー・プリント、27.7×22.7)、《フォト・デッサン》(1936年頃、ゼラチン・シルバー・プリント、22.7×27.5)
右側と中央のフォト・デッサンには人物のシルエットが写り込んでいる。『眠りの理由』の試作だろうか。


東京国立近代美術館_08瑛九より山田光春あて書簡[便箋4枚](1936年3月9日付、インク・紙、各22.2×14.4)。「マン・レイ」と比較されることに嫌気を感じていると伝えている。


東京国立近代美術館_09「前衛絵画の研究と批判」の特集が組まれた『アトリヱ』(14巻6号 、1937年6月)。瑛九のフォト・デッサンが表紙を飾っている。


東京国立近代美術館_10右から《レアル》(1937年、コラージュ・紙、31.8×26.2、右下に「Q.Ei/37」)
《作品》(1937年、コラージュ・紙、41.5×30.0、裏面に「Q.Ei/37」)
大谷氏の著作物には、瑛九がシュルレアリスムに傾倒した時代のコラージュについて言及している。「死」や「性」が現れている作品の持つ強いイメージについて、バタイユを例に挙げながら読み解いている。
【参照】大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド』国書刊行会、2016年、pp.262‐283 /大谷省吾「[作品研究]変容する眼 : 瑛九のフォトコラージュについて」『現代の眼』No.551、東京国立近代美術館、2005年4・5月、pp.11-13 /大谷省吾「[作品研究] 山田光春旧蔵瑛九作品および資料について」『現代の眼』No.612、東京国立近代美術館、2015年6月、pp.14‐16


東京国立近代美術館_11右から《作品》(1937年、コラージュ・紙、41.5×30.0、裏面に「Q.Ei/37」)
《作品》(1937年、コラージュ・紙、28.0×23.5、裏面に「Q.Ei/37」)


東京国立近代美術館_12右から《作品》(1937年、コラージュ・紙、28.0×23.5、裏面に「Q.Ei/37」)
《作品》(1937年頃、コラージュ・紙、28.0×23.3、裏面に「Q.Ei/37」)


東京国立近代美術館_13右から《作品》(1937年頃、コラージュ・紙、33.8×22.5、右下に「Q.Ei/37」)
《作品》(1937年頃、コラージュ・紙、41.3×29.5、右下に「QEi」)


東京国立近代美術館_14右上《デッサン》(1936年、インク・紙、34.0×34.6)
右下《デッサン》(1936年、インク・紙、34.5×33.9、右下に「QEi」)
左上《デッサン》(1936年、インク・紙、34.5×33.9、右下に「QEi」)
本作は三岸好太郎の貝殻を想起させる。ときの忘れものにも、大きな貝殻が描かれたデッサンを取り扱っている。
【参考】《作品》紙・鉛筆、10.4×8.0
http://www.tokinowasuremono.com/artist-a06-eiq/qei_127.html
左下《デッサン》(1936年、インク・紙、34.5×33.9)


東京国立近代美術館_15こちらも1936年に制作されたデッサン7点。先ほどのデッサン群とは異なり、具体的なフォルムはなく、非定型のイメージが続く。オートマティスムを実践していたことがわかる作品である。


東京国立近代美術館_16《デッサン》(1936年、インク・紙、28.9×24.2)
こちらのデッサンには、「Q.Ei/36.3.28」の表記がある。「瑛九」を名乗りはじめたばかりのサインであるため、よく目にするサインと若干違いが見受けられる。


今回とりあつかう場所は、第1〜3章までとし、次回はエピローグを中心に紹介したい。試作を含めた本作品群は、1935〜37年という短い期間の断片ではあるが、芸術家として駆け出したころで、まるで原石のようにクリアで、なおかつ屈折した異様な光を放っている。

***

ちょっと寄道....

取材を終えた後、東京国立近代美術館のアートライブラリに立ち寄った。というのは、生前の瑛九が国立近代美術館(京橋)に出品した展覧会を確認したいと思った為である。瑛九が東京の美術館でどのように紹介され、これらのことが彼の活動にどのような影響を持ったのか、改めて資料から読み取りたい。

瑛九が出品されている展覧会を近美のアーカイブで辿ることができる。40件あるうち、東京(旧京橋・竹橋)の会場のものに着目し、中でも気になったタイトルを以下に挙げておく。
【参照先: 東京国立近代美術館 本館・工芸館企画展出品作家総索引(和・欧)検索―出品展覧会情報】http://www.momat.go.jp/AI/name_detail.php?%20id=%2002404

【タイトル】現代写真展:日本とアメリカ
【会  期】1953年8月29日 〜 1953年10月4日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】夜の子供達(1951年、フォト・デッサン)
※本作は、後に発行された図録で「作者寄贈」であること確認した。
             
【タイトル】抽象と幻想:非写実絵画をどう理解するか
【会  期】1953年12月1日 〜 1954年1月20 日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】たそがれ(エッチング)
※『瑛九・銅版画SCALE機戮房録されている《鍵A》と同じ版か

東京国立近代美術館_17
【タイトル】第1回東京国際版画ビエンナーレ展
【会  期】1957年6月15日 〜 1957年7月14日
【会  場】国立近代美術館(京橋) / 読売会館
【出 品 作】旅人(1957年、リトグラフ) / 日曜日(1957年、リトグラフ)
「デモクラート美術家協会」(2016年12月10日「ときの忘れもの」ブログ参照)が解散する切っ掛けになった展覧会。本展で入賞した泉茂にたいして瑛九は面白くなかったのではという関係者もいるが、改めて山田の著書を見返すと次のようなことが書かれている。

デモクラート美術家協会が発足して7年を経て、会員の状況が大きく変化していた。まず、主力メンバーであった人物が大阪から東京に移り、そのうちの何名かは、このころ既に退会していた。会員数は全盛期40数名であったが、28名にまで落ち込んでいた。そして、展覧会最終日7月14日に行われたデモクラートの総会で、瑛九は次のように発言していたことを山田が綴っている。

「このように仲間の多くが国際的な舞台で活躍するようになった今となっては、われわれのデモクラート美術家協会の存立の意味も理由も薄らいだのだから、これを機会に解散しようではないか」

この解散論を受けて協議の場を東京と大阪で設けたものの、何れも参加者が少なく意見がまとまらなかった。会の存続を願うものがいたなかで、展覧会閉幕から2日後に「デモクラート美術家協会解散通知」が会員に届けられる。内容は、以下のとおりである。

デモクラート美術家協会解散通知
戦後混乱の最中、大阪で瑛九を初め数人の美術家がデモクラート美術家協会を結成しました。
――既成画壇否定の立場で――
――デモクラチックに行動し、自分達の仕事を進めてゆこう――と。
グループには運動を通して何人かが加わり、何人かが去り、前衛運動としては永すぎるほどの約八年が経過しました。加わった人も、去った人も、日本の前衛美術運動には何らかの貢献を果たしたと私達は自負いたします。
デモクラートの運動が常識となってきた今日、現会員二八名の私達は賢明に日本の既成画壇がたどった道をさけようと思いますし、今後ますますデモクラチックに行動するために、ここに今まで私達を育てて下さった皆様方に感謝をこめてデモクラート美術家協会を解散することをお知らせします。
一九五七年七月一六日   デモクラート美術家協会

(『瑛九 評伝と作品』p.419)

以上のように東京の美術館で開催された国際展に参加したことが、「デモクラート美術家協会」ないし瑛九にとって、大きな節目となった展覧会であったことを重く受け止めたい。

【タイトル】抽象絵画の展開
【会  期】1958年6月7日 〜 1958年7月13日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】赤の中の小さな白(1937年頃、油彩) / 『眠りの理由』(1936年、フォト・デッサン) / レアル(1937年、コラージュ)

【タイトル】超現実絵画の展開
【会  期】1960年4月1日 〜 1960年4月24日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】『眠りの理由』(1936年、フォト・デッサン) / 赤の中の小さな白(1937年頃、油彩)
周知の通り、「超現実(主義)絵画」は「シュルレアリスム」と同義である。

東京国立近代美術館_18
【タイトル】「四人の作家:菱田春草 瑛九 上阪雅人 高村光太郎」
【会  期】1960年4月28日 〜 1960年6月5日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】労働(1947年頃、油彩)/駄々っ子(1954年、油彩)/月(1957年、油彩)/黄(1959年、油彩)/道のプロフィル(1953年、エッチング)/作品A(1937年、コラージュ)/かぎ(1954年、フォト・デッサン)/日曜日(1957年、リトグラフ)/他、約50点※図版がある作品のみ抜粋
瑛九が亡くなったのは1960年3月10日のことで、本展がはじまる1カ月ほど前のことである。当時の館報には、瑛九と関係の深かった人物である都夫人とオノサト・トシノブが寄稿している。オノサトは、瑛九がギリギリまで準備していた兜屋画廊の「瑛九油絵個展」(2月23〜28日)を手伝っていることから、本展についてもオノサトの協力を得ていた可能性が高い。
【関連資料】杉田都(談)「瑛九のこと」、オノサト・トシノブ「瑛九の芸術」『現代の眼』No.66 、1960年5月、p.5


東京国立近代美術館_19
【タイトル】戦後日本美術の展開:抽象表現の多様化
【会  期】1973年6月12日 〜 1973年7月29日
【会  場】東京国立近代美術館
【出 品 作】赤い輪(1954年、油彩)/午後(虫の不在)(1958年、油彩)
本展図録の表紙には、《午後(虫の不在)》が使用されている。

東京国立近代美術館_20
【タイトル】モダニズムの光跡:恩地孝四郎 椎原治 瑛九
【会  期】1997年2月11日 〜 1997年3月29日
【会  場】東京国立近代美術館 フィルムセンター
【出 品 作】フォト・デッサン(1936年、28.4×23.8)/デッサン6(1935年、鉛筆・紙
23.5×28.0)/フォト・デッサン その1(『眠りの理由』1936年)/フォト・デッサン その5(『眠りの理由』1936年)/題名不詳[フォト・デッサン](27.3×21.8、東京都写真美術館蔵)/フォト・デッサン その2(1936年、30.3×25.3)/フォト・デッサン その3(1936年、30.3×25.3)/赤の中の小さな白(1937年頃、油彩・キャンバス)/レアル(1936年、コラージュ)/作品D(1937年、コラージュ)/デッサン8(1936年、グァッシュ・紙、23.4×27.8)/デッサン1(1935年、コンテ・紙、27.4×22.3)

【タイトル】ばらばらになった身体
【会  期】2006年8月5日 〜 2006年10月15日
【会  場】東京国立近代美術館
【出 品 作】作品C(1937年、コラージュ)/無題(1937年、コラージュ)/レアル(1937年、コラージュ)/笑えぬ事実(1937年、コラージュ)
※検索結果に無いため補足

東京国立近代美術館_21
『近代日本美術の名作 : 東京国立近代美術館 ギャラリー・ガイド』東京国立近代美術館、1997年
ガイドブックの表紙に瑛九の《れいめい》(1957年、油彩)が使用されていることもあった。
【参考:瑛九について13】 http://www.tokinowasuremono.com/nv05-essay/essay_eikyuni/eikyuni02.html

本ブログの記事を作成するにあたって、東京国立近代美術館学芸員の大谷省吾氏(美術課長)に取材の協力を得ました。貴重なお時間を割いていただき、この場を借りて深く感謝を申し上げたい。
なかむら まき

●展覧会のご案内
瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
休館:月曜(1/2、1/9は開館)、年末年始(12 /28 〜 2017 年1/1)、1/10(火)
時間:10:00〜17:00(金曜・土曜は10:00〜20:00)
主催:東京国立近代美術館

瑛九とは何者か?
瑛九(えいきゅう、本名:杉田秀夫、1911−1960)は1936年にフォト・デッサン集『眠りの理由』で鮮烈なデビューを飾り、その後さまざまな技法を駆使しながら独自のイメージを探求した芸術家です。
当館は近年、彼の評伝を著した友人の画家、山田光春の旧蔵していた作品と資料を収蔵しました。
本展は、その中から約50点の初公開作品、書簡などの関連資料に加え、以前から所蔵している作品もまじえて、「レアル(リアル)」を求めて苦闘するデビュー前後の瑛九の実像を紹介します。(東京国立近代美術館HPより転載)

<講演会のお知らせ>
大谷省吾(当館美術課長・本展企画者)
「書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九」
2016 年 12 月17 日(土)14:00-15:30
2017 年 1 月 7 日(土)14:00-15:30
場所:講堂(地下1階)
※開場は開演30分前、申込不要、聴講無料、先着140名

20161122瑛九展チラシ20161122瑛九展チラシ 中

*画廊亭主敬白
本日の瑛九情報は本丸の竹橋からです。
上掲の中村茉貴さんによる「美術館に瑛九を観に行く」連載も12回目を迎えました。満を持して東京国立近代美術館に参上し、新たに収蔵されたコレクションをじっくりと見てきたようです。中村さんには4回分のチケットを渡しているので、レポートはまだまだ続きます(乞うご期待)。
ときの忘れもので開催中の「2016年を送る〜画廊コレクション展」にも瑛九の小品を展示していますが、昨日は随分と遠くからのお客様に楽しんでいただきました。先ず早朝にはイギリスからのお客様、午後には南米から一時帰国のMさんが久しぶりに来廊、ついで東京からはるか西方の某美術館の学芸員さんがわざわざ瑛九を見に道に迷いながら訪ねてきてくださいました。「近美は行かれましたか」と尋ねると「先ずこちらに伺いました」と嬉しいお言葉。土曜日まで滞在し、大谷省吾先生の講演会に参加されるとのことでした。

「美術館に瑛九を観に行く」第11回東京都現代美術館〜瑛九とオノサト・トシノブ

「美術館に瑛九を観に行く」第11回

東京都現代美術館「MOT Collection ONGOING」より、瑛九とオノサト・トシノブ


画廊亭主敬白
ぬかったというか、うっかりしていたというか。今回亭主がご紹介する東京都現代美術館でのコレクション展はとうに会期が終了しているばかりではなく、美術館そのものが大規模改修工事による休館に入ってしまいました(最低2年の長期にわたるらしい)。レポートが遅くなってしまい申しわけありません。この記事を読んで慌てて木場に向かわないようお願いする次第です。

昨年2月に始まった「美術館に瑛九を観に行く」連載は、日本各地の美術館を訪ね、企画展や常設展に展示されている瑛九を観て紹介するのを目的に、研究者やライターによる複数の執筆者のリレー連載を予定しているのですが、なかなか立候補者がおらず、第一回から中村茉貴さんがほとんどを執筆されています。

このところ、スタッフはアートフェアへの参戦で忙しく、亭主は事故による怪我のリハビリに神経が行ってしまい各地の美術館からいただくご案内は目を通すだけで、ろくに読みもしなかった。都現美が長期休館に入ること、休館前のコレクション展に瑛九が展示されていることなど、すっかり忘れていました。
社長が別件で都現美に伺い、ついでにコレクション展を拝見し、オノサト・トシノブの素晴らしい水彩と瑛九のフォトコラージュに感動し、「あら、知らなかったの」と亭主に皮肉を飛ばしたものだから、気が動転した亭主は中村茉貴さんに連絡する余裕もないまま、ぎりぎり最終日(5月29日)に駆けつけ、取材させていただきました。
写真はピンボケ、中村さんのレポートに数段落ちることをお許しください。
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都現美の玄関

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企画展は「スタジオ設立30周年記念 ピクサー展」と「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」の二つ。今まで見たことのない長蛇の列。こりゃあ入れるかなあと心配になりました。

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入館待ちの行列はあのでかい美術館の外まで延々と続いていました。

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現代美術の常設展はご覧の通りの閑散状態。すぐに入れました。

<東京都現代美術館の常設展示「MOTコレクション」では、約4,800点の収蔵品のなかから、毎回およそ100点を選び、多角的な視点により戦後・現代美術を紹介しています。
今期の「コレクション・オンゴーイング」は、特にポップアートと紙作品に焦点をあて、新収蔵品とともに展示します。ポップアートは、開館当初から現代美術の源泉として積極的な収集活動が行なわれてきました。とくにアンディ・ウォーホルやデイヴィッド・ホックニーの作品は、当館のコレクションを代表するものと言えるでしょう。今回はこれらを「アンコール」として構成します。また、収蔵品の大部分を占める紙を素材とした作品群は、保存上の理由からも、展示の機会が限られていました。今期は「紙の仕事」と題して、そうした作品の多彩な表情をお楽しみいただきます。あわせて、「新収蔵品」として、辰野登恵子(1950-2014)と豊嶋康子(1967-)の特別展示をいたします。
本展が、同時代の美術と向き合い形成される当館のコレクションの魅力に触れる契機となることを願っております。なお、会期終了後は、大規模改修工事による休館になります。>
(同館HPより)>
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展覧会ポスター

CIMG7842ポップアートの部屋
<現代美術の源泉であるポップアートは、開館当初より当館のコレクションの核を成してきました。そこで今回は、休館を前に、アンディ・ウォーホル財団から寄贈された貴重な新収蔵品とともに、ウォーホル、リキテンスタイン、ウェッセルマン、ホックニーといった60年代ポップの作品をまとめてご覧いただく部屋を設けます。(同館HPより)>

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「紙の仕事」

紙を素材とした作品の展示は、保存上の理由から照度や期間など多くの制約が課されています。そのような理由から、「MOTコレクション」でもなかなか多くをご紹介できませんでした。そこで今回は、これまで展示の機会の少なかった作品を含め、多彩な紙作品をご紹介します。当館ならではのラインナップで「紙の上の作品、紙による作品」の数々をお楽しみください。(同館HPより)>
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展示のコンセプト

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瑛九が1935年に制作したフォトコラージュ2点が出品されていました。
この頃、瑛九が好んで使用した黒い厚紙の作品は東京国立近代美術館にも収蔵されていますが、都現美にもあったなんて不勉強で知りませんでした。

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瑛九 EI Kyu
[フォト・コラージュB]
Photo-Collage B
1937
グラビア写真/厚紙 (コラージュ)
Photo gravure on cardboard(collage)
28x21.3cm

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瑛九 EI Kyu
[フォト・コラージュA]
Photo-Collage A
1935
グラビア写真/厚紙 (コラージュ)
Photo gravure on cardboard(collage)
41.5x29.5cm

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草間彌生の紙の作品

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会場の中央にはL字型壁面が特設され、オノサト・トシノブの紙の作品が展示されていました。

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オノサト トシノブ ONOSATO Toshinobu
いずれも福原義春氏寄贈作品(Gift of Mr.FUKUHARA Yoshiharu)

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オノサト・トシノブ
「四つの丸 白・黒・グレー Four Circles」
1958 水彩/カンヴァスボード Watercolor on r
28.4 x 19cm

CIMG7861左から、
「赤の丸 Red Circle」
1960 水彩/紙 Watercolor on paper
24 x 34cm

「四つの丸 白・黒・グレー Four Circles」

「一つの丸朱 One Red Circle」
1955 水彩/紙 Watercolor on paper
18.6 x 28cm

CIMG7857左から、
「二つの同心円 Two Concentric Circles」
1969 水彩/紙 Watercolor on Paper
16 x 23cm

「作品 Work」
1963 水彩/紙 Watercolor on Paper
13.8 x 20cm

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展示された作品群の中では小品ですが、熱心にご覧になる方も多い。

うっかり見逃すところでしたが、瑛九の1935年の初期作品2点に加え、オノサト・トシノブの1950〜60年代の秀作まで見ることができ充実したひと時でした。

もともと都現美の日本の戦後・現代美術のコレクションには定評があり、企画展よりコレクション展(常設展示)の方がいい、などとささやかれることもしばしばです。これは嫌味などではなく、NYのメトロポリタンでも、パリのルーブルでもあの凄い集客力の源はコレクション展示です。都現美はそれらの大美術館とは一けた二ケタ落ちるとはいえ、日本の前衛美術を俯瞰する上では最も良質なコレクションも持っているのだから、休館明けには、さらにコレクション展示に力を入れてほしいと切に切に願います。

取材にあたっては休館前日の超多忙な中にもかかわらず、牟田行秀先生、岡本純子先生には丁寧に対応していただきました。厚く御礼を申し上げます。

***

ちょっと寄り道....

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往路の東西線で偶然乗り合わせた小林美香さんとお嬢さん

CIMG7870帰りはバスに乗ったら、終点は東京駅北口でした。

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久しぶりのリアル大書店「丸善」に入りました。

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さすが充実の美術書コーナー

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平積みされた大谷省吾先生の新著『激動期のアヴァンギャルド: シュルレアリスムと日本の絵画一九二八-一九五三 』(国書刊行会)、思わず手に取ったのですが重いです、厚いです、少々高いです。他にも日頃の欲求不満を解消すべくまとめ買いして、宅急便で送ってもらいました。


●展覧会の記録
MOT Collection ONGOING コレクション・オンゴーイング
20160305現代美術館コレクション
「コレクション・オンゴーイング」
会期:2016年3月5日[土]〜5月29日[日]
会場:東京都現代美術館常設展示室
主催:東京都/東京都現代美術館
出品作家:ウィレム・デ・クーニング、トーマス・デマンド、デイヴィッド・ホックニー、ロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホル、トム・ウェッセルマン、オノサト・トシノブ、瑛九、草間彌生、太田三郎、辰野登恵子、照屋勇賢、豊嶋康子、福島秀子、吉岡徳仁、他
アトリウム・プロジェクト:大友良英+青山泰知+伊藤隆之
20160305現代美術館コレクション 冊子
同展冊子

●出品リスト
20160305現代美術館コレクション リスト20160305現代美術館コレクション リスト2


20160305現代美術館コレクション リスト320160305現代美術館コレクション リスト4

●今日のお勧め作品は、瑛九です。
qei_165瑛九
《花々》
1950年 油彩
45.5×38.2cm
*「瑛九油彩画カタログレゾネ 1925〜1959」No.202
(2011年、埼玉県立近代美術館・他『生誕100年記念 瑛九展』図録所収)

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆このブログで瑛九に関連する記事は「瑛九について」でカテゴリーを作成しています。
 ・「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第10回 愛知県美術館

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第10回

愛知県美術館
第1期コレクション展 出来事「いま、ここ」という経験


瑛九の作品が3点展示されていると綿貫さんから連絡を受けた。取材先は本企画のブログでぜひとも紹介したいと思っていた愛知県美術館。瑛九ファンにとっては聖地といえる場所のひとつである。

愛知県美術館_01愛知県美術館がある愛知芸術文化センターの外観。美術館のほかに芸術劇場と文化情報センターが併置されている複合施設。美術館のスペースには、一般向けに常時開放されているギャラリーがある。地下5階から12階まであり、2階から天井を仰ぎ見ると巨大な作品が宙に浮いている。


美術館がある場所は10階で、瑛九の作品はコレクション展示室の方に展示されている。
展示は3つに分かれており、展示室1は「木村定三コレクション 生誕300年 蕪村・若冲と江戸時代絵画」、展示室2は「20世紀の美術」、展示室3は「出来事―いま、ここという経験」が開催されている。瑛九の作品は展示室3にあった。

愛知県美術館_02与謝蕪村と伊藤若冲に焦点を当てた展示室1。
写真は向かって右から松村景文《三羽鶴図》、伊藤若冲《菊に双鶴図》、長沢芦雪《眼下千丈図》、伊藤若冲《三十六歌仙図》、伊藤若冲《伏見人形図》が展示されているケース。

蕪村と若冲は共に1716年生まれで、今年は生誕300年。なかでも、若冲の《三十六歌仙図》が今回の目玉であると担当学芸員の深山氏から紹介された。緻密な作風とは一転、漫画のキャラクターのような人物が豆腐料理や酒に興じている。深山氏は、さらに想像を膨らませ、描かれた人物にバンドメンバーの姿を重ねる。味付けされた豆腐はキーボードで皿は太鼓というように……あとは会場でご覧いただきたい。

愛知県美術館_03こちらは「20世紀の美術」の展示室。
手前左の壁にはポール・デルヴォー《こだま(あるいは「街路の神秘」)》がある。奥の壁には左からフランティシェク・クプカ、ライオネル・ファイニンガー、ジョアン・ミロ、フェルナン・レジェ、ベン・ニコルソンの作品が展示されている。展示室2の見どころは、ジム・ダイン《芝刈機》。設置されている白い木製の台は作品の一部であり、芝刈機のハンドル部分と絵画の位置がピッタリ合う高さになっている。

愛知県美術館_04ここから展示室3「出来事−いま、ここという経験」の第1章「痕跡に見る出来事」。
右の赤い作品は白髪一雄、その隣に元永定正、加納光於、田淵安一と作品が並ぶ。作家によって異なる奇抜な色と形を比較し、その制作過程を想像してみると面白い。


ところで、こちらの企画「出来事―いま、ここという経験」では、「国際展は日本でいつ始まったのか?」という問いかけを掲げている。島館長によれば、日本で初めて行われたといわれる大規模な国際展「第10回日本国際美術展 東京ビエンナーレʼ70」(1970年5月10日〜30日)は、東京・京都・福岡の他、愛知に巡回したと言う。会場は愛知県美術館の前身である愛知県文化会館で7月15日〜26日に開催されていた。横浜トリエンナーレをはじめ各地に広がりつつある国際展の出発点が、東京だけではなく地方に元々あったことを思うと感慨深い。

また、2016年は第3回目の「あいちトリエンナーレ」の開催年であり、愛知県美術館は2010年の第1回目から実行委員会に入り、国際芸術祭を支えてきたと島館長は語る。そのため、本展では「あいちトリエンナーレ」開催前に、1970年愛知県で繰り広げられた国際展を写真や新聞雑誌記事で振り返る目的があった。それに付け加えて、作家の経験した出来事が表現されているコレクションを展示することによって、鑑賞者にも追体験を促す狙いがある。

愛知県美術館_05虫ピンで留められた厚紙だけのキャプションには、学芸員が展示に傾けるこだわりを感じる。額に入っている3点の素描は麻生三郎で、奥は設楽知昭《目の服・上衣》。人が衣服を着用して、ちょうど地に足が着く位置に展示してある。


愛知県美術館_06瑛九《驚き》
1951年、フォト・デッサン(Q Ei 1951のサイン・年記あり)


愛知県美術館_07瑛九《しゃがんで》
1951年、フォト・デッサン(Q Ei 1951のサイン・年記あり)


愛知県美術館_08瑛九《作品》
制作年不詳、フォト・デッサン(裏に都夫人のサインあり)


《作品》に見られるメロンの皮に似た網目模様をもつ作例は、以前ときの忘れもので扱っていた《肖像》のように、1950年頃の作品にいくつか認められる。この網目は小さな破片にかたちを変えるなどして1952年頃までフォト・デッサンの画面を飾っている。

当時、瑛九が「ヒカリ染め」(『毎日グラフ』312号、1952年11月10日、毎日新聞社)で紹介したフォト・デッサンの作り方に、この網目模様を解くカギがあるため、以下に抜粋する。「僕は最初デッサンをかく、そしてきる。小さい調子をつかうときチュール、かなあみ、レース、模様ガラスなどをつかう」とある。恐らく瑛九は《作品》の背景に「模様ガラス(かすみガラス)」を使用していたのだろう。こちらの展示コーナーのなかでは瑛九の作品が一番古いが、表現は新しく、見劣りしない。そのとき身の回りにあった素材を用いて実験的に制作しているから、常に新しいイメージが形成されたのだ。他の作家と同様に、瑛九もまた印画紙というデリケートな素材と向き合って、試行錯誤を重ねる姿が目に浮かぶよう。

愛知県美術館_09ここから「第2章 出来事を共有する」のコーナー。
「人間と物質」展のカタログとポスターが展示されている。
カタログは2冊組となっており、上巻は各作家が作品のコンセプトを書き、下巻は展覧会の記録集という構成で編集された。

愛知県美術館_10安斎重男《The 10thTokyo Biennale, Tokyo Metropolitan Museum, May 1970》、大辻清司《eyewitness》が「第10回日本国際美術展 東京ビエンナーレʼ70」の出品作家や制作過程を捉えた写真。その他、覗きケースには関連雑誌を展示している。


当時の「人間と物質」展はアルテ・ポーヴェラ、もの派、コンセプチュアル・アート、パフォーマンス・アートなどで活躍していた作家が、その場に応じて作品制作を行うという展覧会スタイルであった。当時の参加作家は下記のとおり。庄司達は愛知の出身者。河原温は若いころ瑛九のアトリエに通っていた。
エドワルド・クラジンスキ/カール・アンドレ/クリスト/クラウス・リンケ/ジルベルト・ゾリオ/スタニラフ・コリバル/ディートリッヒ・アルブレヒト/ブゼム/ダニエル・ビュラン/スティーブン・カルテンバック/ジュゼッぺ・ペノーネ/バリー・フラナガン/ハンス・ハーケ/ソル・ルウィット/ジャン=フレデリック・シュ二―デル/リチャード・セラ/パナマレンコ/マリオ・メルツ/マルクス・レッツ/ヤン・ディベッツ/ライナー・ルッテンベック/ルチアーノ・ファブロ/ルロフ・ロウ/狗巻賢二/榎倉康二/河口龍夫/河原温/小池一誠/小清水漸/庄司達/高松次郎/田中信太郎/成田克彦/野村仁/堀川紀夫/松沢宥
(展示資料:阿谷俊也「日本国際美術展」毎日新聞夕刊、1970年7月13日より)

愛知県美術館_11「第3章 記憶の中の出来事」のコーナー。
後方の壁には1970年に制作されたアラン・デュケと吉田克朗の作品があり、手前の平台には、須田剋太と浜田知明(木村定三コレクション)の書簡および北川民次のスケッチブック([株]日動画廊名古屋支店寄贈)が展示さている。北川民次は、1949年に「名古屋動物園児童美術学校」を開設していることから、名古屋で活動していたときのスケッチだろうか。


最後に、本展のコンセプトや作品理解に役立つ資料として、「あいちトリエンナーレ2016」の芸術監督港千尋が書いた『記憶「創造」と「想起」の力』(講談社、1996年12月、p.168)のうち「記憶と歴史の相互作用」を一部抜粋して終わりたい。

1.人間の記憶は個々の事柄の痕跡が保存されてできているのではなく、現在との関係においてつねに生成しているものである。それは一度に入力されれば消えないような静的イメージではなく、環境との物理的な関わりにおいてダイナミックに変化してゆくものである。この点で人間の記憶はコンピューターの記憶とは異なる。

2.したがって回想は、回想される事柄とのみ関わるものではなく、回想している個人の感情や感覚とも関わる。カスパロフにとっての手の記憶やプルーストにとっての味や香りの記憶がよく示しているように身体感覚は記憶が成立するための前提条件であり、身体イメージは絶えず生成変化する記憶にとっての、基本的な枠組みとなっている。絵画や彫刻だけではなく、写真や映像芸術などあらゆる芸術的創造にとって、身体感覚と記憶の動的な関係は本質的である。

***

ちょっと寄り道....

愛知県美術館_12愛知芸術文化センター1階にあるアートライブラリー。
美術館付属の小規模な施設ではなく、芸術専門図書館として独立した施設。ライブラリーに配架されていた「資料収集方針」には、資料の収集方法として購入や寄贈の他に寄託があり、収集対象については、各分野の性格に合わせて具体的な資料形態を列挙している。その中には、一般の図書館では扱われないこともある「スライド」「美術館蔵品目録」「展覧会カタログ」「逐次刊行物」などを含む。芸術に特化した環境を整えるため、こうした規定を設けることは大変重要なことで、全国的に見ても貴重な例だと思う。


さて、冒頭で瑛九の「聖地」と書いたのは、『瑛九―評伝と作品』(青龍洞、1976年)の著者山田光春(こうしゅん)収集資料がこちらで管理されているためである。「山田光春アーカイヴ」のうち、瑛九の関連資料はなんと3825点。それも、今から12年前の2004年に公開したものというから驚くべきことである。アーカイヴの構築には少なくとも10年くらいは掛かるだろうから、かなり早い時期に高い目標をもって取り組んでいたことが想像できる。

愛知県美術館_13美術館の裏手にある公園で休息をとる女性像。鳩たちは彼女にすっかりなついているようす。朝倉響子《ラケル》1995年


愛知県美術館_14白い輪郭で縁取られた青い構造物は、ダリ風の時計や蜂などのイラストが施され、白字で「未来へ繋ぐ階段」と書いてある。二次元の空間に迷い込んだような錯覚に陥る。打開連合設計事務所《長者町ブループリント》2013年


愛知県美術館_15アートラボあいち長者町の外観。「あいちトリエンナーレ実行委員会」が入って、展示事業や情報発信を行っている。


愛知県美術館_16ボン靖二《ここにいる》


愛知県美術館_17アートラボあいち大津町の外観。丸窓が印象的な建物。こちらも「あいちトリエンナーレ」の会場のひとつである。


愛知県美術館_18情報コーナーには作家のポートフォリオやカタログなどを置いている。


愛知県美術館_19西山弘洋《象徴》が正面にかかっている。3階の展示スペース


愛知県美術館_202階の堀田直輝の展示スペース。左《斜光》、右《through》


愛知県美術館_21名古屋城。2016年6月1日から本丸御殿(対面所・下御膳所)の公開がはじまるよう。外では重機が音を立てて動いていた。


今回の取材では、お忙しい中、館長島敦彦氏と美術課長深山孝彰氏が丁寧に対応していただいた。この場を借りて深く感謝を申し上げたい。
(なかむら まき)

●展覧会のご案内
愛知県美術館第1期コレクション展
出来事「いま、ここ」という経験

会期:2016年4月1日[金] 〜 2016年5月29日[日]
会場:愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
時間:10:00〜18:00、金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
休館:毎週月曜日
主催:愛知県美術館
出品作家:
[展示室1 木村定三コレクション 生誕300年 蕪村・若冲と江戸時代絵画]
与謝蕪村/呉春/松村景文/長沢芦雪/伊藤若冲/西村清狂
[展示室2 20世紀の美術]
ポール・ゴーギャン/エドゥワール・ヴュイヤール/アルベール・マルケ/ラウル・デュフィ/ピエール・ボナール/アンリ・マティス/エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー/フランティシェク・クプカ/ライオネル・ファイニンガー/ジョアン・ミロ/フェルナン・レジェベン・ニコルソン/ポール・デルヴォー/マックス・エルンスト/アド・ラインハート/サム・フランシス/ジム・ダイン
[展示室3 出来事―いま、ここという経験]
 1970年に東京都美術館を会場に開かれた東京ビエンナーレ「人間と物質」が、その始まりです。正式には、第10回日本国際美術展ですが、隔年で国際的な美術動向を紹介する展覧会として、毎日新聞社主催で開かれてきました。実は、この国際展は、美術批評家の中原佑介をコミッショナーにそれまでの国別を廃し、「人間と物質」というテーマを掲げ、国内外の最も先鋭な美術家たち40名を紹介、その内17名の海外作家が来日、12名の国内作家も会場にかけつけ展示を行うという、日本では初めての画期的かつ先駆的な、今や伝説となった国際展でした。
 しかも、東京だけでなく、京都、愛知、福岡にも巡回、実は愛知県美術館の前身である愛知県文化会館で開催されていたのです。あいちトリエンナーレの出発点はすでに40年前に用意されていたのです。
О第1章 痕跡に見る出来事 | 白髪一雄元永定正/岡乾二郎/加納光於/田淵安一/ルーチョ・フォンタナ/吉川民仁/デイヴィッド・スミス/荒川修作瑛九ロバート・ラウシェンバーグ/麻生三郎/設楽知昭/西村陽平/榎倉康二
О第2章 出来事を共有する | 安斎重男/大辻清司
О第3章 記憶の中の出来事 | パク・ヒョンギ/野田哲也澤田知子/アラン・デュケ/浜田知明/須田剋太/北川民次吉田克朗/野田弘志/設楽知昭/田中功起
※上記は愛知県美術館で作成された目録や展覧会要旨を抜粋したもの。
※企画展「黄金伝説―燦然と輝く遺宝 最高峰の文明展」も開催中。館蔵品のグスタフ・クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》を公開している。
「あいちトリエンナーレ2016」は愛知芸術文化センター他、名古屋市・豊橋市・岡崎市のまちなかで2016年8月11日(木・祝)〜10月23日(日)に開催される。

●今日のお勧めは瑛九です。
瑛九 面影
瑛九《面影
1936年
フォトデッサン
イメージサイズ:29.0x22.6cm
シートサイズ:30.2x25.0cm
作品裏面に都夫人の署名あり
※『瑛九作品集』(日本経済新聞社、1997年)140ページ所収

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆このブログで瑛九に関連する記事は「瑛九について」でカテゴリーを作成しています。
 ・「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第9回 平塚市美術館 

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第9回

平塚市美術館「サラリーマンコレクターの知られざる名品 わの会展」


「わの会」とは、埋もれた美術品をコレクションし、作品公開と美術普及活動の推進を目的とする団体であり、2003年5月設立の「わたくし美術館の会」を経て、2010年8月にNPO法人となる。具体的な活動内容は、コレクションの公開の他に、講演会、対談会(作品持ち寄り)、埋もれた作家の発掘・顕彰・普及、会誌(年4回)・図書・会報(毎月)の発行など、なかなか忙しい。
2015年12月の段階で会員は71名(うちコレクター50名)となり、「わたくし美術館」として作品を公開しているところは15館におよぶという。

平塚市美_01平塚市美術館前


今回は、この「わの会」会員のコレクションが公開されている平塚市美術館に伺うことになった。もちろん、取材の目当ては「瑛九」である。個人コレクションは、滅多なことがないと拝見出来ないので、期待に胸をふくらませて取材へ向かった。

平塚市美_02会場入口。
ロビーでは「前田哲明の彫刻−Recent Work−」展も開催中。

平塚市美術館の学芸員安部氏によると、本展の発起人は平塚市在住の「わの会」会員平園賢一氏であり、彼はしばしば美術館に通い「ここで展覧会をやりたい」と述懐していたようだ。

「美術館」は制度によって固められているため、思い入れの強い有志団体の願望を引き受け、展覧会を成り立たせるのは、難しかったのではないかと私は想像した。不躾ながら、安部氏に展覧会の背景を詳しく知りたいと伝えたところ、次のような申し合わせの上で行ったことを明かしてくれた。

 ◆作品を美術館に持ってこられる会員の方。(搬入・搬出は会で行う)
 ◆チラシやポスター(マスコミ対応含む)などの広報は美術館で行う。
 ◆作品選定は会員の自由。ただし、物故作家であること。
 ◆作品の並び、順路の決定などの展示作業は美術館側が行う。
 ◆『わの会の眼―コレクターたちの静かな情熱』(NPO法人あーと・わの会)を図録の変わりに再販

以上のような取り決めで、美術館と「わの会」が主催する展覧会は実施されている。平園氏が10年ほど前から抱いていた夢はこうして現実のものとなったのだ。

平塚市美_03彫刻は、向かって右側が土方久功《マスク》1924年、ブロンズ (平園賢一氏蔵)で左側は柳原義達《赤毛の女》1956年、ブロンズ(木村悦雄氏蔵)である。
奥には、桂ゆき《みみずく》1947・48年頃、油彩・キャンバス(小倉敬一氏蔵)がある。


平塚市美_04一番手前の作品は、麻田浩《物たちのおもい》1983年、油彩・キャンバス(金井徳重氏蔵)。その隣は、奥村光正《コルシカ風景》1980年、油彩・キャンバス(金井徳重氏蔵)。奥の肖像画は、御園繁《伝副島種臣像》1878年、油彩・キャンバス(佐々木征氏蔵)



蒐集も亦 芸術である(梅野隆)

「わの会」には、様々な業種の人たちが集まっているようだけれども、上記の言葉に思いを寄せて活動を展開している。
なるほど会場に足を踏み入れるとあまり目にしたことのない作家名に面を食らう。個性的で魅力ある作品の前では、おもわず足が止まってしまう。なかなか会場から出られなかった。

平塚市美_05橋げたを描いた作品は、菅野圭介《哲学の橋(ハイデルベルク)》1953年、油彩・キャンバス(梅野コレクション)。再販された『わの会の眼』の表紙を飾っている作品でもある。


平塚市美_06瑛九《遊園地》1957年、パステル・油彩・キャンバス(中村儀介氏蔵)、左下にサインあり。本展では、所蔵者が書いた作品解説が添えられている。本作の解説では作品と出会った瞬間のことを、まるで恋に落ちたように綴っている。下記に一部転載する。


この瑛九の《遊園地》は一五〜一六年前、銀座のある画廊のショーウインドーに飾られており、たまたま通りがかった私が、一目惚れをしてしまった作品です。それは、私が今迄見たことの無いようなクレーを思わせる洒落た絵でした。(中村儀介、『わの会の眼』210‐211頁)

平塚市美_07手前の壁には、大塚武《ベニス》1975年頃、油彩・キャンバス(小山美枝氏蔵)。奥には、向かって左から「わたくし美術館」を開館した梅野木雨《自像》1996年、水彩・紙(野原弘氏蔵)が展示され、右隣は斎藤与里、阿以田治修、相吉沢久、津田青楓、田中保、鳥海青児の作品が並ぶ。


平塚市美_08向かって右は瑛九《ともしび》1959年、リトグラフ・紙(野原弘氏蔵)。サイン、Ed.なし。左は瑛九《旅人》1957年、リトグラフ・紙(野原弘氏蔵)。Ed.なし、鉛筆で「QEi」のサインあり。


ところで、久保貞次郎(1909-1996)は、周知のとおり瑛九の大コレクターであると同時に、コレクターの養成に尽力した人物である。彼は、1955年頃から「小コレクター」という新語を使い普及につとめ、1956年7月「よい絵を安く売る会」を発足する。翌1957年8月に長野県湯田中で開かれた「小コレクターの会」をかわきりに全国に運動が展開していった。

久保貞次郎が考えた「小コレクター」とは、「版画でも、ドローイングでも、とにかく三点以上持っているひとをコレクターと呼ぼう。ただし、コレクターの上に、けんそんして、「小」の字を付けよう。そうすれば、ひとびとは気楽にコレクターの名を自称することができる」というもので、戦後の貧しい生活環境でひとりでも多くのひとに作品を持つ喜びを分かち、コレクターの意識を持つようにと編み出した啓蒙活動であった。

なぜ「小コレクター運動」について紹介したのかというと、「わの会」のホームページに「戦後間もないころ故久保貞次郎は人口10万人に1つ美術館をつくろうと唱え。その意思を継いだ故尾崎正教は、一つの街に一つの美術館をという『わたくし美術館』運動を提唱して展開しました。/戦後の復興、経済発展に伴い全国にわたくし美術館が作られていきました」と掲載されていたからである。「わの会」のわたくし美術館もまた久保の意思を継承しているようだ。

平塚市美_09彫刻3点は、武井直也、建畠大夢、菊池一雄の作でいずれも平園賢一氏蔵。後ろに菅野圭介《静物(飛騨の箪笥)》1958年頃、油彩・キャンバス(野原弘氏蔵)。


平塚市美_10左から小松義雄《岩と海》1958年、油彩・キャンバス。三上誠《作品》1965年、ミクストメディア・紙。下村良之介《作品》制作年不詳、淡彩・紙粘土・板。鬼頭曄《酔いどれ天使》1992年、鉛筆・水彩・紙(いずれも堀良慶氏蔵)。


平塚市美_11左から増田誠《オー・ボン・ロワン・ビストロ》1985年、油彩・キャンバス。となりは、永田精二《静物(果物)》制作年不詳、油彩・キャンバス(いずれも増田一郎氏蔵)


平塚市美_12外国の風景3点。右上は三井良太郎《ブリーズ・ミシェ通り》1933年、油彩・板。その下は、相馬其一《ヴェニス風景》1923年、油彩・ボード。左は矢崎千代二《ポン・ヌフ》1923年、パステル・紙。(いずれも福井豊氏蔵)


平塚市美_13左から栗原忠二、河合新蔵、武内鶴之助の作品。(いずれも福井豊氏蔵)本展では、入口で一番気に入った作品を一点選ぶ投票用紙を配布している。会場出口に白い投票箱が設置されている。


さて、最後に久保が1958年「小コレクター運動の意義」のパンフレットに記した内容の中で、「わの会」に通じる思想がみえるため、ここに引用したい。

3.もうひとつの目的は、美術のマスコミがその実力を正当に評価しないために売れないで貧乏している作家を支持し、これを社会にひろめる役割をはたす。この運動に携わるひとびとは、自分の支持する芸術家たちの作品を買い、これを公衆に持たせようと努める。この運動が健全に発展していけば、ぼくたちの思想を、独創的な芸術家を通して公衆社会に一歩一歩訴えることができる。これは通俗主義とのたたかいであり、冒険に興味をいだく諸君自らのたたかいである。

***

ちょっと寄り道....

平塚市美_14平塚八幡宮。かつては、鶴峯山八幡宮と呼ばれた。平塚駅から美術館へ徒歩で行くときには、立ち寄りたくなるところ。


平塚市美_15 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。国の登録有形文化財である。現在は、「八幡山の洋館」と呼ばれ、市民活動の場として親しまれている。


平塚市美_16華やかな内装。館内には、建物の平面図や模型が展示されている。観覧無料。


平塚市美_17美術館から徒歩5分、株式会社パイロットコーポレーションの敷地内にある「蒔絵工房 NAMIKI」。もとは海軍の火薬庫として使用されていた建物で、万が一爆発しても耐えられるよう壁が非常に分厚い。2015年1月15日に開館したばかりで月曜〜金曜日(土日・祝日休)10〜12時、13〜16時に営業。事前予約制で展示解説をしてくれる。


平塚市美_18漆と蒔絵を施した万年筆が展示されている風景。「PILOT」は創業1918年の国産万年筆の会社であり、もとは「並木製作所」という社名であった。工房内では、時代に応じた万年筆の材質の変化を手に取りながら説明を受けることができる。現在、PILOTで蒔絵等を施す万年筆の職人は70名。万年筆1本つくるのに6カ月ほど要するという。


平塚市美_19初期の万年筆が並ぶ展示ケース。当時は、現在のような贈答品や記念品として購買される万年筆と違い、実用品であった。スリムでシンプルなデザインが多い。


平塚市美_20廊下には、パイロットの歴代のポスターが展示されている。手前は、1931年に発行されたポスター(「バランス型万年筆とダンヒルナミキ」)。イギリスの高級ブランド、ダンヒルと並木製作所が手を組んで製作した万年筆を宣伝するものである。奥には、1938年発行のポスターがある。ビン詰のパイロットインキと戦地用固形インキが掲載されている。このころ、万年筆のペン先も細い字が書けるよう改良された。万年筆は、緻密なモノづくりの精神と適応力の高い日本人の特徴をかためた結晶のようであった。


※今回の取材には、平塚市美術館学芸員の安部沙耶香氏、株式会社パイロットコーポレーション(平塚営業所 蒔絵工房「NAMIKI」)の小林京子氏にご協力いただきました。ありがとうございました。
(なかむら まき)

●展覧会のご案内
チラシ表チラシ裏
「サラリーマンコレクターの知られざる名品 わの会展」
会期:2015年12月5日[土]〜2016年2月7日[日]
会場:平塚市美術館
時間:9:30〜17:00(入館は30分前まで)
休館:毎週月曜日
主催:平塚市美術館、NPO法人あーと・わの会
出品作家:脇田和/古茂田守介/宮下勝行/品川工/小寺健吉/中村研一/解良常夫/小出三郎/相原求一朗/喜多村知/吉川三伸/金子周次/山縣章/長谷川潾二郎/南条一夫/木村荘八/野口謙蔵/木田金次郎/金山平三/林倭衛/清宮質文/星野眞吾/桂ゆき/太田聴雨/竹久夢二/小泉清/恩地孝四郎/小堀四郎/小山田二郎/麻田浩/奥村光正/芝田米三/三岸黄太郎/藤井令太郎/御園紫/水木伸一/島崎蓊助/須田輝洲/油井夫山/山本森之助/松山忠三/中村忠二/菅野圭介/中沢弘光/児島丹平/中野和高/大沢鉦一郎/横井礼以/松永敏太郎/澤田利一/福地敬治/瑛九/須田国太郎/児島善三郎/岩崎巴人/佐分眞/柳瀬正夢/長谷川利行/松本竣介/今西中通/大塚武/田淵安一/大沢昌助/駒井哲郎/国吉康雄/楠瓊州/箕口博/梅野木雨/斎藤与里/阿以田治修/相吉沢久/津田青楓/田中保/鳥海青児/菅創吉/広本季与丸/小川千甕/森田恒友/吉岡憲/荒井龍男/北岡文雄/遠山五郎/中山巍/清水敦次郎/本荘赳/二見利節/林重義/森田勝/林武/里見勝蔵/真田久吉/仲田菊代/丸木俊/伊藤慶之助/井上長三郎/中村義夫/綱谷義郎/峰村リツ子/中間冊夫/矢崎千代二/伊庭伝次郎/小松義雄/三上誠/下村良之介/鬼頭曄/中村正義/山下菊二/増田誠/永田精二/小出三郎/睫遽港/正木隆/牧野義雄/三井良太郎/相馬其一/大橋了介/大橋エレナ/玉之内満雄/栗原忠二/河合新蔵/武内鶴之助/山本弘/二世五姓田芳柳/丸山晩霞/渡辺與平/土方久功/柳原義達/菊池一雄/建畠大夢/武井直也/戸田海笛/川上邦世
※東御市梅野記念絵画館(長野県)に巡回予定。2016年2月16日[火]〜3月27日[日]

この展覧会は、美術品コレクターの集まりである「わの会」会員の秘蔵のコレクションを公立美術館で初めて公開するものです。
「わの会」にはサラリーマンをはじめ、公務員、医師など様々な職種の会員がいます。会員は皆、本業の傍ら熱心に美術品を蒐集し、研究し、愉しんでいます。彼らの共通点は、情熱と愛情をもって美術
品を蒐集していることです。この情熱と愛情を共通の理念とし、会員間で情報の交換、作品を発表しコレクションのさらなる充実に努めています。
そのコレクションは決して派手なものではありません。しかし、一点一点、いぶし銀の魅力を放ち、美術館のコレクションとはまた違った魅力を持っています。思いもかけぬ、名品、珍品、いつの間にか忘れられた画家の傑作、有名画家の隠れた一面を示す作品等々、まさにコレクターの情熱と愛情によって発掘された作品ばかりです。
今回の展覧会では、「わの会」会員の秘蔵のコレクションのなかから、これぞ、という自慢の作品約150点を厳選し、コレクターのコメントと併せて展示します。
普段、美術館で展示する作品とはひと味もふた味も違うサラリーマンコレクターの思いの詰まった珠玉のコレクションをお楽しみ下さい。(同展HPより転載)

●今日のお勧め作品は、瑛九です。
20160129_qei17-001瑛九
「逓信博物館 A」
1941年
油彩
46.0x61.1cm


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第8回 郡山市立美術館

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第8回
 
郡山市立美術館 常設展示第3期 展示室4-1.版芸術と技法


  あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川

 今回は、高村光太郎の妻智恵子がつぶやいた場所に程近い福島県の郡山市立美術館へ伺った。

郡山市美_01青空に浮かぶ雲のような建物。緩やかな弧を描く屋根が美しい。野外には、バリー・フラナガン《野兎と鐘》が設置されている。今にも動きだしそうな躍動感のある彫刻である。


 常設展の展示室は、1〜4部屋あり「1.イギリス美術―風景画と肖像画」「2.日本油彩画の表現」「3.郡山の彫刻」「4-1.版芸術と技法」「4-2.ガラスに刻む」の5つのテーマに合わせて館蔵品を紹介していた。元々「イギリス近代美術」「日本の近代美術」「戦後の美術と郷土ゆかりの美術」「本(版)の美術」を軸にコレクションが形成されているため、展示室に一歩足を踏み入れると、洗練された作品の数々に圧倒される。美術の教科書のような作品のラインアップに瑛九が登場する。

 瑛九の作品は、「4-1. 版芸術と技法」の石版画の一角に展示されていた。目録には次のように書き添えられ、本展を通じて版画技法の変遷を観ることが出来る。

 版画は、版に絵柄を施し、紙などに写し取る方法で作られます。複数性があるため、版画は本の挿絵をはじめ、古くからいろいろな用途に使われてきました。
 版種には木版、銅版、石版、シルクスクリーンなど様々あり、技法も多岐にわたっています。版画は古くから作られてきましたが、とりわけ近代以降、それぞれの版の性質を生かした個性豊かな芸術表現が数多く生まれました。
(「郡山市立美術館 常設展示目録 平成27年第3期」)


 印刷技術が発展しても、なお愛着を持つ層が安定的にいるのは、手元で見るという「版芸術」の性質が関係しているのだろうか。これらの技法は一過性なものにならず、別の世代や別の地域の作家によって表現される。

郡山市美_02常設展示室4の展示風景。中心の覗きケースには、石版画の『国画余芳 正倉院御物』(印刷物蔵版、1880年)が展示されている。奥は、銅版画を紹介しているコーナー。会場では、目録に加え「版画の技法」という二つ折りのリーフレットが配布されている。


郡山市美_03板目木版と木口木版が並ぶコーナー。


郡山市美_04左から瑛九オノサト・トシノブ泉茂のリトグラフ。
瑛九は、自らを「リト病」というほどリトグラフに熱中した。


郡山市美_05瑛九《拡声器》1957年、リトグラフ・紙
(エディションナンバーは19/20、鉛筆で「QEi」のサインあり)


今回、瑛九の作品が展示されていたのは1点のみだが、『郡山市立美術館収蔵品目録』(2013年)を参照すると全32点も瑛九の作品を収蔵している。技法材料別に点数を列挙すると以下のようになる。

<郡山市立美術館が所蔵する瑛九の作品数>
エアブラシ:7/木炭:3/クレヨン:1/インク:9/水彩・鉛筆:6/エッチング:1/リトグラフ:2/セロファン:2/フォトデッサン:1

同展の担当学芸員である菅野洋人氏は、瑛九の作品を所蔵する理由について、次のように語る。「美術館で「版の美術」「本の美術」は、収集対象となっている柱のうちのひとつであるということ」また、「瑛九は地域ゆかりの作家ではないが、福島ゆかりの作家である鎌田正蔵(1913‐1999)がグループ「貌」でシュルレアリスムに傾倒していたことから、シュルレアリスムの表現をする作家を位置づけるために同時代の瑛九の作品が必要であった」という。

郡山市立美術館では、日本におけるシュルレアリスムと戦後の版画を考察する上で、瑛九は抑えておくべき作家として扱われていた。当時の瑛九を知る関係者にとっては、信じられないことではないだろうか。地域ゆかりの作家を収蔵するのは、地方美術館の役目である。しかし、一方で何もゆかりのない土地の美術館に作品が収蔵される意味の大きさを改めて思い返した。ある意味では、この段階になってはじめて「芸術家」として認識されたといえるのではないだろうか。

***

ちょっと寄り道....

郡山市立美術館を後にして、福島県ゆかりの版画家斎藤清の作品を見に会津柳津まで行くことになった。「やないづ町立斎藤清美術館」の存在を知ったのは、つい最近のこと。渋谷駅にあるヒカリエで12月2〜13日の12日間「オリジナル・モダーン―誰の目にも見えなかった、斎藤清だけに見えていたモダニズムの構図」という版画展が開催されていた。若い人が集まるおしゃれなビルに、物故者の木版画が並んでいた。少し違和感をおぼえつつも、版画が現代の流行に劣ることのなく展示されている様子は格別輝いて見えた。(※雲母刷りではありません)

後で知ったことだが、瑛九と斎藤清は全く接点が無かったというわけでもない。1957年に開催された第1回東京国際版画ビエンナーレのカタログの中で日本を代表する版画家として二人の名前を確認することが出来る。瑛九は、《日曜日》と《旅人》のリトグラフを出品。斎藤清は《埴輪》と《エジプト》の木版を出品していた。

郡山市美_06磐越西線の車窓からみる磐梯山。丁度、山が見えるころに車掌さんが1888年7月15日の磐梯山噴火についてアナウンスする。


郡山市美_07郡山市立美術館の「4-1.版芸術と技法」には、日本における木口木版の傑作「磐梯山噴火真図」(1888年8月1日東京朝日新聞第1915号付録・実物)が展示されていた。図版は同じ新聞の複写物である。作者山本芳翠(画)と合田清(刻)は、二人で画塾兼印刷所の「生巧館」を設立した。


7月24日と翌25日の紙面には、「生巧館員磐梯山紀行」という枠を設け、山本芳翠に同行する記者が被害のあった集落の様子を事細かに伝える。結局は、芳翠を現地に残して記者は退散してしまうが、24日のトップに以下のような告知が掲載された。

磐梯山噴火に付いては(略)尚一層適切に同地の実況を知り其惨状を想見せしめんとせんには精細なる真図を得るに在に付今回欧風画を以て有名なる彼(かの)生巧館主山本芳翠氏に委託し親しく実地に就て其実況を撮影又は写生し極めて精細極めて確実なる一大真図となし且同館の欧風彫刻家合田清氏に之が彫刻を請ひ附録として刊行する筈にて既に山本氏には該地へ出張し目下その實景写生中なれば近日を期して精密完全の一大真図を高覧に供する事を得べし
(「東京朝日新聞」1888年7月24日1面)
※当時の新聞と同様に強調の部分はそのまま表記した

当時、写真技術はあったものの木口木版の再現性にはまだ遠く及ばなかったのだろう。しかし、驚くのは、速さを求められる新聞に木口木版が附録として付いてくることである。磐梯山の記事を参照すると、1週間もかからないうちに版が作られていることになる。神経を集中しなければ彫ることのできない作業が、数日のうちに仕上がっている。まさに神業であり、「生巧館」刷りの木口木版は、好奇な目で見られたに違いない。

郡山市美_08会津柳津駅に到着。無人駅だけれども、地元の人が当番で駅舎の清掃と観光客の相手をしている。私は帰りの電車を待っているとき、当番のご婦人からカラフルな折り紙の箱と1杯の温かいコーヒーをいただいた。


郡山市美_09切りたった岩山に創建された福満虚空蔵尊圓藏寺。弘法大師ゆかりの地であり、赤べこ発祥の地でもある。


郡山市美_10只見川の上にかかる鮮やかな鉄橋。


郡山市美_11Y字路の中心に斎藤清のアトリエがある。


郡山市美_12窓から見える風景。鉄橋が見える。


郡山市美_13やないづ町立斎藤清美術館の入口。毎週月曜日休館。9〜11月は無休。※臨時休館日あり。開館時間は9:00〜17:00まで。アトリエは9:00〜12:00、12:45〜16:30のためご注意を。それぞれ入館は30分前


郡山市美_14展示室前の風景。交通の便は良くないけれど、館内には10名近くの来館者がいた。斎藤清が使用していた彫刻刀や鑿なども展示されていた。


郡山市美_15帰り道に名物の「あわ饅頭」を購入した。「災難にあわないように」という所以がある。


※学芸員の菅野洋人氏は、当日、イベントがあるという忙しい合間を縫って取材に応じて下さいました。有り難うございました。
(なかむら まき)

●展覧会のご案内
「郡山市立美術館 常設展示」
会期:10月15日[木]〜12月27日[日]
会場:郡山市立美術館 常設展示室4
時間:9:30〜17:00(入館は30分前まで)
休館:毎週月曜日
主催:郡山市立美術館
出品作家:アレクサンダー・カズンズ/トマス・ローランドソン/ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー/ジョン・コンスタブル/サー・ジョン・エヴァレット・ミレイ/ウィリアム・ホガース/サー・ジョシュア・レイノルズ/トマス・ゲインズボロ/サー・トマス・ローレンス/サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ/リチャード・ウィルソン/ジョン・クローム/サー・アルフレッド・イースト/司馬江漢/高橋由一/百武兼行/山本芳翠/浅井忠/原撫松/黒田清輝/中沢弘光/山下新太郎/木村荘八/小出楢重/満谷国四郎/岸田劉生/中川一政/吉井忠/石川寅治/藤島武二/齋藤与里/梅原龍三郎/安井曾太郎/中村彝/中山巌/本田晶彦/佐藤静司/三坂耿一郎/山本昇雲/吉田博/フランク・ブランギン(画)漆原木虫(刻)/川上澄生/斎藤清/トマス ・ ビューイック/山本芳翠(画)合田清(刻)/日和崎尊夫/柄澤齊/ジョン・マーティン/エドアルド・キヨソネ/石田有年/長谷川潔駒井哲郎/山下清澄 /池田満寿夫/亀井竹二郎/瑛九オノサト・トシノブ泉茂靉嘔/ウィリアム・スコット/佐藤潤四郎/各務鑛三

郡山市立美術館 常設展示第3期 目録
目録1目録2


目録3目録4


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●今日のお勧めは瑛九です。
瑛九着陸
瑛九「着陸
1957年 リトグラフ 
イメージ・サイズ:46.3x30.2cm
Ed.20 自筆サイン・年記あり
*レゾネNo.97(瑛九の会)

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

西荻窪であったジョナス・メカスの写真展。雰囲気がほんと素敵だった。とても良い夜だった。
そしてMerry Christmas
。 (YUTOさんのtwitterより)
東京・西荻でジョナス・メカスの写真展と映画の上映会が始まりました(夜間のみの開催)。

◆冬季休廊のお知らせ
2015年12月27日(日)―2016年1月4日(月)はギャラリーをお休みします。

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第7回 真岡・久保記念観光文化交流館

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第7回 
真岡・久保記念観光文化交流館


 今回は、真岡鐵道に乗車して栃木県真岡市にある久保記念観光文化交流館へ行ってきた。真岡は瑛九を一生涯支えた久保貞次郎(1909‐1996)のゆかりの地であり、瑛九もまた真岡に度々訪れていた。スランプに陥っていたときの療養地、戦禍を逃れるための疎開地、児童画公開審査会の審査員として参加したときなど、瑛九は様々な場面で真岡の地を踏んでいた。

久保記念01蒸気機関車の形をした真岡駅。土日祝日はSLに乗車できる時間帯がある。


 真岡駅から徒歩15分。趣のある酒蔵とおしゃれな古家具店を通り過ぎ、大きな通りに出たところで左手に曲がるとやがて久保記念観光文化交流館が見えて来る。本館は、昨年10月にオープンしたばかりの複合観光施設である。

久保記念02久保が1957年に米蔵をアトリエとして改修した。現在は「美術品展示館」と改め、真岡市が所蔵する「久保コレクション」「宇佐美コレクション」等を展示する場として活用されている。


久保記念031958年頃の「久保アトリエ」。二階部分の外壁に左からオノサト・トシノブ《壁画A・B・C・D》、瑛九《カオス》、靉嘔《四つの雲》、一階外壁には左から池田満寿夫《運行》、磯辺行久《火が燃える》が掛けられていた。オノサトと瑛九の作品は東京都現代美術館に収蔵され、その他の作品は真岡市が所蔵している。


久保記念04展示室内。無料で観覧できる。


久保記念05本展では、瑛九の初期から抽象画に至るまでの油彩画、フォト・デッサン、エッチング、リトグラフが展示されている。


久保記念06展覧会は前期と後期に分かれており、こちらの油彩4点の他は全て展示替えとなる。


久保記念07会場に展示されている写真パネル。当時もこの場所に瑛九の作品がびっしりと並んでいた。


瑛九と久保貞次郎の最初の出会いは、1935年12月8日こと。日本エスペラント学会が宮崎で行われたときに久保が訪れたのが切っ掛けであった。分厚い眼鏡の青年瑛九と親しくなった久保は、彼のアトリエでおびただしい数の作品を披露され、ショックを受ける。以来、瑛九を親身になって見守り続けた久保貞次郎であるが、それを象徴するような次のエピソードを紹介したい。

瑛九のは油彩二十点、水彩三十点、種類の違う版画二百点ほど買った。今年、ぼくが展覧会の費用を全部負担するから、個展をやらないかとすすめたが、かれにことわられた。理由はめんどうくさいからだという。これにはぼくも閉口した。かれは、食って、わずかの制作費ができれば、個展などやらないほうが、ずっと制作のじゃまにならないでよいと語る。(「楽天的作家を」『芸術新潮』1958年12月)

そして、久保はこの文章の終わりに「おくれた思想をよりどころとしない、しかもいつもみづからあいまいにおちるのを嫌う画家たちをたゆまず探し求め、熱心にかれらの作品を買い入れなければならない」と、画家の不本意な言い分にもめげることのなく、受け入れてゆくという姿勢を示している。

当時、瑛九の作品は久保や小コレクター運動によって得た一部のファンによって購入されていた。しかし、瑛九の暮らしは、決して裕福ではなかったであろう。都夫人は鎌倉彫の内職をし、サービスをしてくれる遠くの八百屋にまで自転車をこいで野菜を買いにいく生活を送っていた。

自分に残された時間を察知していたのであろうか。晩年の瑛九は、とにかく作品を作ることに集中していた。

<出品作品リスト(※前期のみ)>
姉妹、1944年、紙、油彩
題不詳、1944年頃、紙、油彩
手品師、1956年、カンヴァス、油彩
窓、1957年、カンヴァス、油彩
黄と白と青の網目、1957年、カンヴァス、油彩
題不詳、1958年、合板、油彩
ピアの、1936年、印画紙、フォト・デッサン
題不詳、年代不詳、印画紙、フォト・デッサン
春の風、1951年、印画紙、フォト・デッサン
ネオン、1956年、紙、リトグラフ
海辺の孤独、1957年、紙、リトグラフ
ともしび、1957年、紙、リトグラフ
題不詳、年代不詳、紙、エア・ブラシ
題不詳、年代不詳、紙、エア・ブラシ
エッチング集『小さい悪魔』未使用の表紙、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』表紙、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』1 背中合わせ、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』1 背中合わせ、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』2 ヴァイオリン、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』4 散歩、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』4 散歩、1952年、紙、エッチング
真岡市蔵(宇佐美コレクション)

※宇佐美兼吉(1916-1999)のコレクションについては、2014年に栃木県立美術館で行われた「瑛九と前衛画家たち展 : 真岡発 : 久保貞次郎と宇佐美コレクションを中心に」で刊行された「宇佐美コレクション総目録」を参照されたい。
後期では瑛九の和綴画帖『道楽静楽』と画冊『師教照心』が展示される予定。いずれも兄正臣と岡田式静坐に取り組んでいた時期のもので、大変貴重な資料である。

***

ちょっと寄り道....

久保記念08「久保記念館」は、もともと明治40年に建てられた「日本銀行宇都宮代理店真岡出張所真岡支金庫」であった。1階には案内と真岡木綿の展示があり、2階は久保貞次郎の資料を常設する資料室として無料で公開している。


久保記念092階の久保資料館。


久保記念10久保貞次郎「瑛九のフォト・デッサン」の原稿。(『みづゑ』1950年12月)


久保記念11久保貞次郎が使用していたスタンプの数々。瑛九の画集(1971年)の刊行に合わせて制作されたものもある。


久保記念12右は観光まちづくりセンターで、左はレストラン「Trattoria COCORO」


久保記念13ちょっと無理をしてパスタのランチメニューを注文した。サラダ、自家製パン、シフォンケーキ、コーヒーがセットで付いてくる。画像はメインの「フレッシュトマトとマスカルポーネのフェデリーニ」。


久保記念14観光物産館。


久保記念15久保記念観光文化交流館を訪れたら、五行川を渡って「久保講堂」まで足を運ぶことをお勧めしたい。1938年に遠藤新(1889‐1851)の設計で真岡小学校の講堂として建てられた木造建築。久保家が建設費、および1986年の移設費等を受け持った。この場所で児童画公開審査会が行われた。現在は、国登録文化財に指定されている。


(なかむら まき)

●展覧会のご案内
久保記念_チラシ表久保記念_チラシ裏

「瑛九 久保記念観光文化交流館 美術品展示館企画展」
会期:前期 9月16日[水]―10月18日[日]/後期 10月21日[水]―11月29日[日]
会場:久保記念観光文化交流館 美術品展示館
時間:9:00〜18:00(入館は閉館の30分前まで)
休館:毎週火曜日(9月22日、11月3日を除く)、9月24日、10月19日、11月4日
主催:真岡市教育委員会
出品作家:瑛九

●今日のお勧め作品は、瑛九です。
20151014_qei_115瑛九
「風景」
板に油彩
23.7×33.0cm(F4)
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
tokinowasuremono
緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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