オノサト・トシノブの世界

オノサト・トシノブ「べた丸」から「丸の分割」へ

テレビがないので、まったく疎いのですが、BSフジ『ブレイク前夜〜次世代の芸術家たち〜』という人気番組があるようです。
12月5日(火)21:55〜22:00 BSフジで放送中の『ブレイク前夜〜次世代の芸術家たち〜』にときの忘れもののエース光嶋裕介さんが出演します。わずか5分ですが丁寧につくられているそうで、ぜひご覧になってください。
私たちみたいなテレビ無い族は、数週間するとユーチューブにそれが公開されるとのことです。楽しみです。

さて本日11月30日はオノサト・トシノブ先生の命日です。
亡くなられたのは31年前の1986年11月30日でした。お元気ならばいま105歳、亡くなって30年が一つの区切りと良く言われます。

作家は亡くなると市場での価格は必ず下がります。よく「死ぬと高くなる」と思い込んでいる人が多いのですが、間違いです。
どんな作家でも生きているときのオーラが最高で、亡くなればオーラが消え、やがて忘れられていきます。
どんな作家でも逃れられない記憶と忘却というものの宿命です。

例えば、20世紀の日本の代表的画家を10人挙げろと言われれば、このブログをお読みになる方ならほとんどが答えられるでしょう。では19世紀の10人は? 18世紀の10人は? 17世紀の10人は? となったら専門の学者でもない限り無理です。
亭主だって答えに詰まる。

ときの忘れものの二枚看板、瑛九とオノサトですが(二人は生涯の盟友でした)、ほぼ同年で瑛九に比べ、オノサトは市場の評価も、美術界での評価もいまいちですが、どうやらだんだん近づいてきたようです。

オノサト58年二つの丸
二つの丸 黒と赤》 1958年 油彩、キャンバス 16.2x23.2cm サイン・年記あり

オノサト・トシノブ_1963年_1200
1963年  油彩・キャンバス  45.4×53.0cm(10号)  サイン・年記あり

上は典型的な「べた丸」の傑作、1958年ですから、べた丸の絶頂期ですね。
下は「べた丸」の時代から「丸の分割」に進んだ1963年の制作。前年の1962年に久保貞次郎先生の紹介で志水楠男さんを知り、南画廊で一回目の個展を開き注目されます。この年1963年の第7回日本国際美術展で「相似」(福岡シティ銀行所蔵)が最優秀賞(グランプリ)を受賞し、一躍現代美術の最前線に躍り出ました。
それまで日本国際美術展でグランプリを獲得したのは、安井曽太郎、脇田和、鳥海青児、岡鹿之助、福沢一郎、海老原喜之助斎藤義重の7名だけで、前回第6回は受賞者無しでした。いかにオノサト先生の登場が衝撃的だったかがわかります。
べた丸の時代を過ぎ、大きな円(丸)を精緻な正方形で分割し、埋め尽くす、「円の分割」の時代の最高潮の時期の作品です。
この頃から志水さんの尽力で海外に作品が多く売られていきます。この時期の秀作が国内に少ないのはそのためと思われます。
10号サイズの堂々たるこの時期の作品が市場に出るのは珍しく、私も驚きました。

2015年のシンワオークションに、同時期の作品(1961年、30号)が出たことがあるのですが、コンディションが最悪(剥落、ひび割れ)で、専門家から修復不能と言われたほどでしたが、なんと1千万円を超える落札でした。

シンワアートミュージアム 2015年11月20日開催
ロットNO.242 オノサト・トシノブ 72.8x90.0cm キャンバス、油彩 額装
1961年 裏にサイン、年代 「オノサト・トシノブ展」1962年(南画廊)出品作品

その作品は前述の1962年南画廊の個展に出たもので、出品作品の多くが美術館や海外に収蔵されてしまったため、市場に出てくるのは珍しく、希少と思われたのでしょう。「あんなひどい状態の作品を誰が一千万も出して買ったのか」と業界が騒然となりました。

これがひとつのきっかけでしょう。それまで「べた丸」ばかりが高額で、「丸の分割」時代の作品にはそう高い評価は出ませんでしたが、最近では「丸の分割」の名品には海外からも、国内からも引き合いがあるようです。
残された作品点数は圧倒的にオノサト先生の方が多い。
瑛九の油彩は600点前後、おそらく今後の新発見があっても700点は超えないだろうと、調査にあたった宮崎の学芸員さんは証言しています。
オノサトの油彩は、故・藤岡時彦さん(オノサトのコレクター)の推定では3,000点は優に超すだろうとのことです。

作品数が多いほうが市場では有利です。
さてこれから、オノサト先生の評価はどのように推移して行くでしょうか。鍵は若い世代のコレクターの出現、そして海外での評価です。
果報は寝て待て、といいますが、寝てられるほど優雅でもないし、寿命もある、何とか早いうちに嫁入り先を探したいものです。ぜひご注文ください。

◆ときの忘れものは「メキシコ地震被災地支援・チャリティー頒布会」を開催しています。
今回は予想を超える多くの方から予約申し込みをいただきました。ほとんどの作品が抽選となり、結果のご報告が遅れてしまい申し訳ありません。
メールのある方にはご連絡は完了しています。
ファックス、郵便の方には昨日から順次お送りしていますので、しばらくお待ちください。
201711mexico
会期:2017年11月28日(火)〜12月2日(土)
出品100点のリストは11月11日ブログに掲載しました。
全作品、一律8,000円で頒布し、売上金全額を被災地メキシコに送金します。


◆銀座のギャラリーせいほうで宮脇愛子展が開催されています。
201711MIYAWAKI「宮脇愛子展 last works(2013〜14)」
会期=2017年11月20日[月]〜12月2日[土] ※日・祝日休廊
会場=ギャラリーせいほう 
〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目10-7 東成ビル1F
電話:03-3573-2468
最後の新作である油彩を中心に立体(ガラス、真鍮)、ドローイング、版画など。


●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
(NA建築家シリーズ 特別編 日経アーキテクチュア)
価格:2,700円+税 *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
安藤先生のサイン本をときの忘れもので扱っています。

六本木の国立新美術館では「安藤忠雄展―挑戦―」が開催されています。
会期:2017年9月27日[水]〜12月18日[月]
番頭おだちのオープニング・レポートはコチラを、光嶋裕介さんのエッセイ「安藤忠雄展を見て」と合わせてお読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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暴挙なくして快挙なし

ときの忘れものの新天地駒込には「BOOKS 青いカバ」という本屋さんがあります。
歩いて数分の距離、亭主は二日にいっぺんはのぞいていますが、いつ寄ってもお客さんがいます。
本屋がどんどん潰れているご時勢にです。
きけば発信は twitter らしい。
早速フォローし始めたんですが、いやあ発信はもちろん、本好き、同業の古本屋さんたちの反応が凄いですね。

【新刊】『プレヴェール詩集』(岩波文庫)小笠原豊樹訳
ついに発売されました。
「詩はトイレットペーパーに書くんだ」と言っていたというプレヴェールにふさわしい文庫版です。しかも名訳の誉れ高い小笠原豊樹訳。感極まって口走った「100冊仕入れます」を実行した売場の写真をご覧ください。

(BOOKS 青いカバさんのtwitterより)
プレヴェール詩集青いカバさんの店頭のプレヴェール塔

今回は多くの人にお読みいただくため、送料無料にてネットショップでもお求めいただけます!
そして、小笠原豊樹さんについて触れたブログもぜひ!

(BOOKS 青いカバさんのtwitterより)

少し解説するとですね、店主の小国貴司さん、敬愛するジャック・プレヴェール(Jacques Prevert、1900年〜1977年)の詩集を無謀にも100冊仕入れてしまった。相手は天下の岩波書店、買取です。100冊仕入れたからってそう儲かるわけじゃあない、それこそ売れ残ったら大大赤字。

●8月18日 tomoka watanabe さんがツイート
1つのお店で岩波文庫100冊仕入れるだなんて、青いカバ、どうかしてます。(もちろん、いい意味で!) でも、書店界きってのガイブン目利きな小国さんが、この本!と取り組んでくださるんですから1、『プレヴェール詩集』、間違いないです。買いです。駒込、行くしかない。

●8月21日 古書ほうろう さんがツイート
BOOKS 青いカバさんのプレヴェール塔が、どんどん低くなっているそうです! みなさん、どうぞお早めに(笑)。それにしても凄い。暴挙なくして快挙なし

売れる本を仕入れるのではなく、売りたい本を仕入れる
画商の端くれがついつい忘れる原点を思いださせてくれました。

〜〜〜〜

話は変わりますが、亭主が主宰していた現代版画センターは1974〜1985年の10年間(足掛け12年)に約700点の版画、マルチプル作品をエディションしました。
現代版画センターのエディションの特徴は、最後のいくつかを除き、基本的には限定部数の全てを刷った(制作した)ことです。
つまり限定8部の希少エディション(例:磯崎新「内部風景III 増幅性空間―アラタ・イソザキ」1979年 アルフォト 80×60cm)から、限定11,111部のラージエディション(靉嘔「I love you 」1974年 シルクスクリーン 53×34cm)まで、売れようと売れまい全部数を完成させています。
そんなの当たり前じゃあないかと思うでしょうが、それが当たり前じゃあないのが「版画の世界」です。
このブログの「駒井哲郎を追いかけて」をお読みの方は、駒井作品の限定部数について、「実際に刷られたのは何部なのか?」と亭主が四苦八苦しているのをご存知でしょう。
現代版画の揺籃期(1950年代〜60年代)、まだ日本には本格的な版画の版元は存在していませんでした。作家は注文がくるたびに版木(原版)を取り出し必要な部数だけを刷って注文主に渡していました。芸大の版画教室で駒井先生は弟子の中林忠良先生たちに「何番まで刷ったか、必ずノートに記録しておくように」と教えました。
ところが教えた当のご本人がいちばんイイカゲンで、刷った記録をつけなかったのか、それとも忘れたり、紛失したのか、次の注文が入ると困ったことになる。仕方ないので、新たな限定部数を決めて刷るということを繰り返しました。つまり、同じ作品に1/20と、1/25という分母が違う例が駒井作品には多々あります。
普通に考えれば、ファーストエディションが20部と、セカンドエディションが25部の計45部が作られたことになりますが、実際にはファーストエディションは10部しか刷られず、何部刷ったか忘れてしまった駒井先生はセカンドエディションとして別の分母を記入して10部を刷る、などという顛末となり、20部しか実物は存在しない・・・・・・後世の研究者やコレクターたちが困惑するわけです。

ヨーロッパの近現代美術を支えた版元に倣い、1974年本格的な版画の版元を目指して現代版画センターが生まれました。
作家とはきちんと契約書を交わし(作品の技法、サイズ、限定部数、サイン料を明記)、刷り師(版画工房)には契約書に基づいた刷り部数(販売用+作家保存用+刷り師保存用+版元保存用)を発注する。作家、版元、刷り師(版画工房)の三者がいったん動き出すと、最後の最後に作家が全部数にサインをし、支払いを受けるまで流れは止まりません。

ですので、現代版画センターのエディションのほとんどは全部数が完成しています。
いま必要があって、それらを追いかけています。

縁の深かったオノサト・トシノブ先生にはいくつもエディションをお願いしたのですが、どうしても見つからない作品が2点あります
10cm角の小品で、限定部数も500部もあるので簡単に見つかると思ったのが間違い、苦戦しております。

20170831_onosato96オノサト・トシノブ
Ce.2
1974年
シルクスクリーン
10.0x10.0cm
Ed.500
サインあり
※レゾネNo.96. レゾネのタイトルは「G.H.C.3


20170831_onosato97オノサト・トシノブ
Ce.3
1974年
シルクスクリーン
10.0x10.0cm
Ed.500
サインあり
※レゾネNo.97. レゾネのタイトルは「G.H.C.4


タイトル(作品名)については、現代版画センターのエディション目録での表記と、後にレゾネが刊行されたときの表記が異なることはしばしばあります。

この2点、もしお持ちの方がいましたら、ご一報いただけないでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。

●今日のお勧め作品はオノサト・トシノブ先生の最大サイズの版画作品です。
20170806_オノサト
オノサト・トシノブ「銀河 Galaxy」
1981年  シルクスクリーン
イメージサイズ:43.7×100.0cm
シートサイズ:54.8×111.0cm
Ed.150   サインあり
※レゾネNo.174

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


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オノサト・トシノブ「丸の分割」から「銀河」へ

オノサト・トシノブ先生が亡くなって30年余りが経ちました。
バブル崩壊の余波もあって長い間、市場での評価は低迷していました。
生前は山口長男とともに日本の抽象画を代表する作家として、また南画廊の作家として一目も二目も置かれていたのに、オノサトファンとしては悔しい日々が続いてきました。
ところが、ここ数年、市場での評価が復活高騰しています。

油彩小品、水彩、版画大作「銀河」などが入ってきたので、ご紹介します。

04オノサト・トシノブ
二つの丸 黒と赤
1958年
油彩、キャンバス
16.2x23.2cm
サイン・年記あり

昔から人気なのは50年代の「ベタ丸の時代」。
しかし「ベタ丸の時代」は僅か5年ほどで終わってしまいました。従って作品数も少ない。

オノサト・トシノブ_水彩1963_600オノサト・トシノブ
「作品」
1963年
紙に水彩
19.3×28.5cm
サイン、年記あり

1963年という時期は、「ベタ丸の時代」が終わり、60年代の「丸の分割の時代」に入り、大きな丸(円)の中を、精緻な正方形で分割する作品が頂点に達した年です。
その前年の1962年に久保貞次郎先生に南画廊の志水楠男さんを紹介され、同年3月南画廊で個展を開催します。
60年代は「丸の分割、曼荼羅」スタイルの時代であり、同時に南画廊の志水さんとの蜜月時代でした。
その絶頂が、1964年の第32回ベニス・ビエンナーレ、1966年第33回ベニス・ビエンナーレへの連続出品でした。志水さんとしても、世界の舞台に<南画廊のオノサト>をアピールする重要な機会でした。
この二度のベニス・ビエンナーレに出品されたのが「作品100−A」という大作(130×162cm)で現在はPL教団が所蔵していますが、画面いっぱいに描かれた大きな円の中を小さな正方形が埋め尽くすスタイルの最も良質な作品です。

上掲の水彩作品は、ベニス・ビエンナーレ出品作の制作に没頭していた時期のもので、絵の構成は「作品100−A」に共通しています。
水彩の透明感が強調され、油彩より一層「丸の分割」が鮮やかに見えてきます。

onosato "Silk-2"
1966年
シルクスクリーン
31.0×40.0cm
Ed.120 サインあり
*レゾネNo.20


002_オノサト・トシノブオノサト・トシノブ
「Silk-10」
1967年
シルクスクリーン
50.0x50.0cm
Ed.150
サインあり

オノサト絵画のコレクターとして有名だった藤岡時彦さんが2005年3月に桐生の大川美術館で開催された「オノサト・トシノブ展ーー織都・桐生に生きた抽象画家ーー」図録に<オノサト芸術の時代区分>として、その画業を六期に分けてそれぞれの時代の特徴を論じています。
(詳しくは同図録を参照してください)
第1期 戦前の模索時代(1931〜1942)
第2期 戦後の模索時代(1949〜1954)
第3期 ベタ丸の時代(1955〜1959)
第4期 丸の分割の時代(1960〜1968)
第5期 多様化の時代(1969〜1980)
第6期 総合の時代(1981〜1986)

ブログ7月24日_2_600
1978年3月15日
桐生のアトリエにて
オノサト・トシノブ先生


286オノサト・トシノブ
「波形の十二分割」
1980年
油彩、キャンバス
10.0x10.0cm
裏面にサインあり

丸の分割が行き着くところまで行き、1969年からは藤岡さんの言う「多様化の時代」が約10年続きました。南画廊の志水さんと袂を分かってからの失意と模索の時代といってもいいかも知れません。
亭主が初めてオノサト先生のアトリエを訪ねたのはこの時代でした。

最晩年となる「総合の時代(1981〜1986)」には、色彩は明度を取り戻し、華麗な画面に大転換します。
下にご紹介するシルクスクリーンによる「銀河」は亭主が手がたオノサト版画の中でも最も大判で、最晩年を飾るにふさわしい力作と自負しています。
20170806_オノサト
オノサト・トシノブ「Galaxy」
1981年  シルクスクリーン
イメージサイズ:43.7×100.0cm
シートサイズ:54.8×111.0cm
Ed.150   サインあり
※レゾネNo.174

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電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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オノサト・トシノブ 1982年黒の復活

引越し騒ぎでてんやわんや、毎日海外国内から来るお問い合わせにもろくろくお答えできない有様ですが、思いがけずもオノサト・トシノブ先生の油彩の大作が入ってきました。
連日倉庫と青山、移転先を行ったり来たりで、ヘロヘロですが、こういう力作を目にすると、疲れもふっとび仕事への意欲が湧いてきます。画商冥利に尽きます。

onosato_s100_600オノサト・トシノブ
「衝撃波の円」シリーズより
1982年
油彩・キャンバス
100×100cm
サイン・年記あり

オノサト先生は円を描き続けた画家として有名ですが(もちろん最初から丸一筋というわけではなく初期には建物や静物、風景なども描いています)、その円も時代によって描き方が変化します。

04オノサト・トシノブ
二つの丸 黒と赤
1958年
油彩、キャンバス
16.2x23.2cm
サイン・年記あり

50年代の「べた丸」の典型的な作品ですが、市場での評価が高騰している「べた丸」の時代は僅か5年ほどで終わり、60年代には「丸の分割」の時代が始まり、曼荼羅風の円の作品が多数制作されました。

CIMG1703_600オノサト・トシノブ
「64-G」
1964年  リトグラフ
Image size: 24.0x24.0cm
Sheet size: 49.0x32.0cm
Ed.120
サインあり
※レゾネNo.14

1962年久保貞次郎先生の紹介で志水楠男さんが経営する南画廊で個展を開催、日本の最も良質な画商に認められたことで評価が高まり、続いて1964年のヴェニス・ビエンナーレに出品することで国際的な舞台に押し上げられます。
しかし蜜月は長く続かず、1969年6月の南画廊個展を最後に志水さんとの関係が断絶します。

002_オノサト・トシノブオノサト・トシノブ
「Silk-10」
1967年
シルクスクリーン
Image size: 50.0x50.0cm
Sheet size: 56.5x56.0cm
Ed.150
サインあり


70年代のオノサト先生は黄色を多用したシステマティクな画風に変化しました。
南画廊と断絶したことで発表の場を失ったオノサト先生は極く少数の個人コレクターや、いわゆる四人組(尾崎正教、岡部徳三、高森俊、大野元明)による版画制作によって生活が支えられるという時代が長く続きます。
14オノサト・トシノブ
Tapestry B
1977年
捺染、布
119.5x80.0cm
Ed.100 Signed
*現代版画センターエディション
*レゾネNo.143

1979年3月志水さんが急逝、周囲が期待しまた実際に関係者が和解の労をとったにも関わらず二人の関係は遂に復活しませんでした。
その後、今まで遠慮していた画商たちもオノサト先生に種々の誘いをかけ、先生も画風を一変させ、最後の挑戦をします。
しかし、ある画商からリクエストされた丸型キャンバスの要求にはさすがのオノサト先生も疲労困憊し、1986年に体調を崩し11月30日亡くなりました(享年74)。

1980年代のオノサト先生大きな特徴は「黒の復活」です。
冒頭にご紹介した「衝撃波の円」シリーズよりがその典型です。
オノサト先生は初期から1950年代のべた丸時代には黒色を多用しています。とろこが60年代、70年代にはその画面から黒は消えてしまいました。
南画廊の志水さんが欧米のコレクターに売り込んだ作品には黒はあまり使われていません。
黒なしの画面が20年ほど続き、志水さん没後の1980年代に突如画面に「黒」が復活します。
オノサト先生の中に何がおこったのでしょうか。

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「Circles 円の終わりは円の始まり」開催中

画廊では「Circles 円の終わりは円の始まり」を開催中です。
(会期:2017年1月18日〜2月4日)

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Circles展


本日の瑛九情報!
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先日に続き、画廊コレクションから瑛九の初期スケッチ帖をご紹介します。
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「CARNET CROQUIS」(2)
スケッチブック
全18点の素描
28.5x24.7cm
うち5点に鉛筆サイン、15点にスタンプ印あり
*表紙に「9-Ei」の鉛筆サインあり

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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(2016年11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆ときの忘れものは「Circles 円の終わりは円の始まり」を開催しています。
会期:2017年1月18日[水]―2月4日[土] *日・月・祝日休廊
201701_Circlesオノサト・トシノブの油彩を中心に、円をモチーフに描かれた作品をご覧いただきます。
出品作家:オノサト・トシノブソニア・ドローネ菅井汲瑛九、高松次郎、吉原治良

真岡でオノサト・トシノブ展

見てきました
入場料1600円(一般)、1200円(大学生)、800円(高校生)
国立美術館がこの料金とったらアーティスト育ちません。

http://www.momat.go.jp/am/exhibition/thomasruff/
五味彬さんのfacebookより)>

竹橋の東京国立近代美術館で開催されているいま話題のトーマス・ルフ展(8月30日〜 11月13日)の料金について五味先生の見解、まことに同感です。
この料金とったらアーティスト育ちません」、ずばり核心をつくのは五味先生の凄いところです。
高校生からも800円とるなんて、来るな(見るな)といっているようなもの(中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。とのこと)です。
常設に準じる「近代風景〜人と景色、そのまにまに〜奈良美智がえらぶMOMATコレクション」の料金はというと、一般430円、大学生130円。高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。
これなら、学生さんは何度でも通えます。
高額なクラシックのコンサートにだって音大生への特別割引があったと思うけれど、若いときにいいものを繰り返し見る、聞くことはとても重要です。
日本の為政者たち(行政も)はなぜかくも「教育」に無関心なのでしょうか。
大学生たちの奨学金地獄(20代の若者に数百万円の借金を負わせるなんて、国の未来を放棄していると言わざるを得ません)と、トーマス・ルフ展の高額入場料は同根です。

アタマに来たところで無料の展覧会のご案内です。
栃木県真岡でオノサト・トシノブ展が開催されています。
会場は久保貞次郎先生のお屋敷だったところです。
20160920_onosato1_125020160920_onosato2_1250

久保記念観光文化交流館 美術品展示館 第9回企画展
オノサト・トシノブ展
会期=前期:2016年9月1日(木)〜10月3日(月)
会期=後期:2016年10月20日(木)〜11月28日(月)
午前9時〜午後6時(最終入館 午後5時30分)
休館日:毎週火曜日、展示替休館:8月31日(水)、10月5日(水)、10月19日(水)、11月30日(水)
※10月6日(木)〜17日(月)は第30回真岡市美術展を開催いたします。
会場:久保記念観光文化交流館 美術品展示館
〒321-4305 真岡市荒町1105番地1
筺0285-82-2012
観覧料:無料
オノサト・トシノブ(1912-1986)は、久保貞次郎(1909-1996)が支援し戦後日本の抽象絵画の先駆けとして高く評価されている画家です。真岡市所蔵の久保コレクションより、オノサトの代表的な作風である円や四角形などの幾何形体を鮮やかな色彩で配列した抽象作品約30点を前期と後期に分けて展示いたします。独自の絵画を追求し続けたオノサトの作品世界をお楽しみください。(主催の真岡市教育委員会のHPより)

母屋、洋館、いくつもの蔵、久保先生のお屋敷が久保記念観光文化交流館に生まれかわり、ご遺族から寄贈された瑛九はじめ久保コレクションが順次公開されています。
社長は久保先生の跡見での教え子でした。そのユニークな授業風景についてはコチラをお読みください。
お近くの方はもちろん、オノサトファンの皆さん、ぜひお見逃しなく。

●今日のお勧めはちょっとチャーミングなオノサト・トシノブの水彩です。
20160916_赤い十字のある円(水彩)_600
オノサト・トシノブ
「赤い十字のある円」
1966年 水彩
10.0×10.0cm Signed

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
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画廊コレクションから版画作品も紹介しましょう。
オノサト65-B
オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO
"65-B"
1965年  リトグラフ
30.0×40.0cm
Ed.120  Signed
サインあり
※レゾネNo.16


onosato "Silk-2"
1966年
シルクスクリーン
31.0×40.0cm
Ed.120 Signed
*レゾネNo.20


onosato "Silk-7"
1967年
シルクスクリーン
50.2×50.2cm
Ed.150 Signed
*レゾネNo.27


Onosato "Silk-32"
1970年
シルクスクリーン
40.0×40.0cm
Ed. 100 Signed
*レゾネNo.55


Onosato "Silk-40"
1971年
シルクスクリーン
32.0×41.0cm
Ed. 160 Signed
*レゾネNo.64


Onosato "Silk-48"
1971年
シルクスクリーン
50.0×50.0cm
Ed. 100 Signed
*レゾネNo.72


Onosato "Silk-52"
1972年
シルクスクリーン
27.2×40.5cm
Ed.150 Signed
*レゾネNo.76


Onosato "Silk-103"
1979年
シルクスクリーン
30.0×30.0cm
Ed. 150 Signed
*レゾネNo.165


Onosato "Silk-105"
1980年
シルクスクリーン
30.0×30.0cm
Ed. 150 Signed
*レゾネNo.173


Onosato "A.S.-2"
1981年
シルクスクリーン
20.0×20.0cm
Ed.88(レゾネにはEd.80と誤記)
Signed
*レゾネNo.177


Onosato "A.S.-3"
1981年
シルクスクリーン
20.0×20.0cm
Ed.88 Signed
*レゾネNo.178


Onosato "A.S.-4"
1981年
シルクスクリーン
20.0×20.0cm
Ed.88 Signed
*レゾネNo.179


Onosato "A.S.-5"
1981年
シルクスクリーン
20.0×20.0cm
Ed.88 Signed
*レゾネNo.180


オノサト"F-2"
1981年
シルクスクリーン
50.0×50.0cm
Ed.80 Signed
*レゾネNo.185


Onosato "A.S.-9"
1982年
シルクスクリーン
30.0×30.0cm
Ed.150 Signed
*レゾネNo.187


Onosato "A.S.-12"
1982年
シルクスクリーン
20.0×20.0cm
Ed.150 Signed
*レゾネNo.190


Onosato "A.S.-13"
1982年
シルクスクリーン
20.0×20.0cm
Ed.150 Signed
*レゾネNo.191


Onosato "A.S.-17"
1984年
シルクスクリーン
60.5×72.5cm
Ed.100 Signed
*レゾネNo.200


Onosato "F-8"
1984年
シルクスクリーン
60.5×72.5cm
Ed.100 Signed
*レゾネNo.201


Onosato "A.S.-21"
1986年
リトグラフ
35.0×42.0cm
Ed.70 Signed
*レゾネNo.208

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

オノサト・トシノブの版画

主力スタッフがジャカルタ出張の中、留守を預かる新人スタッフ松下の奮闘で、6日から菅井汲展が静かに始まりました。
今回、倉庫を整理して用意した菅井作品は38点です。作品画像とデータは8月4日のブログに掲載しましたが、それは亭主が手がけた(エディションした)約半数にあたります。長い間、倉庫に積まれ眠っていた作品群です。だから、いらした方が驚くほどに「コンディションは完璧」であります(ぶっちゃけた話、売れないからそのまま冷凍保存されていました)。

バブル崩壊後、日本の美術市場は悲惨なことになりました。日本画や版画は売る人ばかりで買う人がいなくなってしまった。
ときの忘れものは業者の交換会などには全く入っていないので正確なところはわかりませんが、某氏によれば「ワタヌキさん、ボクは会には2万円しか持っていかないんだ。2万円あると車いっぱいの版画が買える」というような一時は暴落状態でした。

援軍は以外なところからやってきました。
具体」や「もの派」が先ず海外で再評価の機運が盛り上がり、吉原治良白髪一雄リー・ウーハンなどのタブローは世界中から引っ張りだこになりました。どんどん名作は海外に流出しています。
それにつられて(というのが少々情けないのですが)、国内でもにわかに「具体」「もの派」はじめ戦後1960〜70年代の現代美術が注目を浴びます。
グッゲンハイムの具体展の前には、一枚数千円からせいぜい2万円で買えた白髪一雄の版画があれよあれよという間に数十万円に高騰します。とはいえ、具体の多くの作家は、(当時は売れませんでしたから、金のかかる)版画をほとんどつくっていません。
ただ一人、膨大な数の版画をつくっていたのが、元永定正先生でした。
おかげさまで、棚からぼたもちでときの忘れものの「元永定正展」は大ヒットしました。

制作されてから何十年、長い眠りから覚めた版画がいまようやく新たな購買層に受け入れられ、静かに浸透し始めています。
亭主が40年前から手がけ、数十点単位でエディションした作家は菅井汲、元永定正ばかりではなく、関根伸夫、島州一、草間彌生靉嘔オノサト・トシノブ磯崎新宮脇愛子たちですが、それら世界ではとうに高い評価を獲得していた作家の版画が、新しい市場(日本の若い世代、そして海外のアートフェア)で着実に売上げを延ばしています。
始まったばかりの菅井汲展ですが、珍しく初日から赤丸がつきました。嬉しいです。

ときを同じくして群馬県桐生の大川美術館でオノサト・トシノブの特集展示が行なわれていることは先日の小此木先生のエッセイでもご紹介しました。
亭主が「不運なオノサト、強運の瑛九」と嘆いたのはちょうど一年前ですが、どうやら風向きが少し変わってきたらしい。

「丸ひとすじ」と思われているオノサト先生ですが、もちろん具象の時代もあり、「丸」と言ってもその生涯で幾度かスタイルを変えています。その変遷については、<大川美術館「生誕100年 オノサト・トシノブ」展を見て2>に、オノサト・コレクターの故藤岡時彦さんによる時代区分を引用していますので、お読みください。

第1期 戦前の模索時代(1931〜1942年)
第2期 戦後の模索時代(1949〜1954年)
第3期 ベタ丸の時代(1955〜1959年)
第4期 丸の分割の時代(1960〜1968年)
第5期 多様化の時代(1969〜1980年)
第6期 総合の時代(1981〜1986年)

オノサト油彩の市場評価が高騰していると書きましたが、少し前までは1955年〜59年までの僅か5年の間に制作された「べた丸」のみが高額で、それ以降の作品には値がつかなかったというのが正直なところでした。
ところが、「べた丸」がどんなに小品(油彩、水彩)でも数百万円以上するようになったせいか、また東京都現代美術館の福原コレクション(オノサト)の影響か、1960年代の「丸の分割」または私たちが曼荼羅風といっている時代の作品もどんどん高くなってきました。
昨年のシンワオークションで、曼荼羅風のぼろぼろになった傷だらけの油彩が1,000万円を超えて落札されたのには驚きました。あれで一気にオノサト後期の作品にも注目が集まりだしたようです。
タブローが高騰し、なかなか普通の人たちには手が届かなくなると、必然的に版画作品の需要が高まります。

オノサト先生は、初めて版画を手がけた1958年のリトグラフから、没後の夫人によるエディションまで220点の版画作品を残しました。
220点もあると思うか、220点しかないと思うか。

ピカソでも、ウォーホルでも、高騰した市場の要請に幅広く応えられるのは版画しかありません。
シャガールは3000点以上の版画を残しました。
ウォーホルはありすぎて正確なところは不明。
菅井汲は405点。

版画家でいうと、
日本の長谷川潔は、初期の木版やクリスマスカードを含めても634点。
駒井哲郎はモノタイプを加えてもまあ600点前後でしょう。

今後の世界の市場でオノサト人気が高まれば高まるほど「版画の需要」が増えます。それに応じられるのは僅か200種類前後です。

オノサトの初期のリトグラフ(1958〜1966)は18種類しかありません。うち「べた丸」版画は3点のみ、これが一番市場価格も高く、入手はなかなか難しい。
次に1966年からいわゆる「四人組(尾崎正教、高森俊、大野元明、岡部徳三)」が版元となってシルクスクリーンの制作が始まります。刷りは名プリンター岡部徳三さんでした。
後年には岡部さん以外の刷り師が刷ったものもありますが、大半は岡部刷りです。

今後オノサト版画がどういう市場(コレクター)の評価を受けて行くでしょうか。特に若い世代の人たちがオノサトの世界をどう感じるかによって、随分と違ってくるでしょう。
せめて亭主の生きているうちに、「ともに強運のオノサトと瑛九」になって欲しいと切望しています。
さて、亭主が倉庫でアトランダムに選んだオノサト版画21点、じっくりと見ていただき、ご注文をお待ちしています。

オノサト65-A
オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO
"65-A"
1965年  リトグラフ
イメージサイズ:17.0×24.0cm
Ed.120  Signed
※レゾネ(アートスペース 1989年)No.15。レゾネにはEd.150とあるが誤記、正しくはEd.120。


オノサト65-B
オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO
"65-B"
1965年  リトグラフ
30.0×40.0cm
Ed.120  Signed
サインあり
※レゾネNo.16


onosato "Silk-2"
1966年
シルクスクリーン
31.0×40.0cm
Ed.120 Signed
*レゾネNo.20


onosato "Silk-7"
1967年
シルクスクリーン
50.2×50.2cm
Ed.150 Signed
*レゾネNo.27


Onosato "Silk-32"
1970年
シルクスクリーン
40.0×40.0cm
Ed. 100 Signed
*レゾネNo.55


Onosato "Silk-40"
1971年
シルクスクリーン
32.0×41.0cm
Ed. 160 Signed
*レゾネNo.64


Onosato "Silk-48"
1971年
シルクスクリーン
50.0×50.0cm
Ed. 100 Signed
*レゾネNo.72


Onosato "Silk-52"
1972年
シルクスクリーン
27.2×40.5cm
Ed.150 Signed
*レゾネNo.76


Onosato "Silk-103"
1979年
シルクスクリーン
30.0×30.0cm
Ed. 150 Signed
*レゾネNo.165


Onosato "Silk-105"
1980年
シルクスクリーン
30.0×30.0cm
Ed. 150 Signed
*レゾネNo.173


Onosato "A.S.-2"
1981年
シルクスクリーン
20.0×20.0cm
Ed.88(レゾネにはEd.80と誤記)
Signed
*レゾネNo.177


Onosato "A.S.-3"
1981年
シルクスクリーン
20.0×20.0cm
Ed.88 Signed
*レゾネNo.178


Onosato "A.S.-4"
1981年
シルクスクリーン
20.0×20.0cm
Ed.88 Signed
*レゾネNo.179


Onosato "A.S.-5"
1981年
シルクスクリーン
20.0×20.0cm
Ed.88 Signed
*レゾネNo.180


オノサト"F-2"
1981年
シルクスクリーン
50.0×50.0cm
Ed.80 Signed
*レゾネNo.185


Onosato "A.S.-9"
1982年
シルクスクリーン
30.0×30.0cm
Ed.150 Signed
*レゾネNo.187


Onosato "A.S.-12"
1982年
シルクスクリーン
20.0×20.0cm
Ed.150 Signed
*レゾネNo.190


Onosato "A.S.-13"
1982年
シルクスクリーン
20.0×20.0cm
Ed.150 Signed
*レゾネNo.191


Onosato "A.S.-17"
1984年
シルクスクリーン
60.5×72.5cm
Ed.100 Signed
*レゾネNo.200


Onosato "F-8"
1984年
シルクスクリーン
60.5×72.5cm
Ed.100 Signed
*レゾネNo.201


Onosato "A.S.-21"
1986年
リトグラフ
35.0×42.0cm
Ed.70 Signed
*レゾネNo.208

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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆「ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート第3回 独奏チェロによるJ.S.バッハと20世紀の音楽」を9月17日(土)夕方4時(16時)より開催します。いつもより早い開演時間です。
プロデュース:大野幸、チェロ:富田牧子によるプログラムの詳細は8月18日にこのブログで発表します。
要予約、会費:1,000円。メールにてお申し込みください。

小此木美代子「オノサト・トシノブと戦後桐生の青春〜1950年代を中心に」をめぐって、思うこと

大川美術館小特集「オノサト・トシノブと戦後桐生の青春〜1950年代を中心に〜」をめぐって、思うこと

小此木美代子(大川美術館学芸員)


 1955年3月12日〜13日、桐生織物会館で開催されたミノリ文化服装学院による「ミノリ・コスチューム・ショー」。オノサト・トシノブは、この舞台装置の一部として自身の絵画を数点提供した。本作は、市内旧家の蔵から発見され、昨年当館に寄贈されている。
 戦後、和装から洋装に移り変わるなか、桐生にも洋裁学校が次々と開校した時代のこと。この頃頻繁にオノサトのもとに通った若者の一人であり、当時学院で教えていた有村真鐵(1929〜)氏はショーの舞台装置を担当しており、有村の提案によってオノサトから数点の作品が提供されたという。

有村アルバム1有村アルバム2
ミノリコスチュームショー の様子 (有村真鐵氏蔵)
左写真)向かって右手の小品がこのほど当館に寄贈になった一点。他の作品は不明。

「ノーボタンのシックなコート」「プレーンなストリート・ドレス」「手芸的な麻のスーツ」「ミディ・シルエットのホームドレス」など、「春のモードおよそ120体が紹介され、会場を埋め尽くした一般観客の間からただうっとりため息が漏れた」(桐生タイムス1955年3月12日)

オノサト作品 1954オノサト作品
1955年頃


 1948年、オノサトは3年間に及ぶシベリア抑留から帰国。以来桐生に住み、大間々中学校の美術教師のかたわら桐生美術協会初代会長をつとめ、養鶏業をし、1951年には田口智子と結婚した。1952年頃から「オノサト・トシノブ」と表記するようになる。この頃より桐生の若い人たちは、オノサトのアトリエによく通った。オノサトは若い人たちを自身の友人として迎え入れ、受け止め、皆の絵をよく見、若い人たちの話によく耳を傾けた寡黙な人であった、と当時を知る人達は口をそろえる。1954年には「若い画家展」「グループ10」などの結成のなかに、オノサト・トシノブは、指導者としての存在というよりは、その人間的な魅力において、精神的な支持を与える存在としてあった。「グループ10美術展」のリーフレットに寄せられた言葉のなかにオノサトがいかに青年画家たちの心を捉えたか、想像させる一文があるので下記に紹介しておこう。

 「中央にだけ頼らず 自分達の場所で自分達を育てることの必要さを感じだしていることは 芸術と言うものの最も大切な根についた問題にぶつかっているわけです。現在の日本の現実は この様な考え方が育つのに非常に難しい現実です。桐生が他に率先して 新しい独立した日の場所になることを希望してやみません。」(オノサト・トシノブ)

 オノサトが円や四角などの幾何学的な構成の抽象絵画で、独自の絵画世界を確立した1950年代、桐生の街は日々変化を遂げていった。本町通りにスズラン燈が点灯、子供遊園地の開園、吾妻公園の開設、おびただしい数の映画の上映、パン屋、喫茶室の宣伝、その街のなかに、「フラフープ」なんていう遊具も大ブームとなった時代。
 殊に1950年代の作品から鮮烈に放たれてくるかのオノサト絵画の独立心みたいな感覚、あるいは極端なまでの陰と陽の並列といった絵画から立ち上る質感は、1950年代の桐生の街の様相とも、どこか重なり見えてくるような、そんな気分にもなる。

IMG_3939


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 このほど、戦後いち早く発刊した「桐生タイムス」に触れる機会を得たが、この時代、心中や人身事故、服毒自殺、駆け落ち、借金苦のニュースが、なんと紙面に目立って取り上げられた時代だったことか、という感想を持った。戦災による大きな被害を免れた桐生の戦後において、むしろ精神的復興の過渡期のなかで桐生に暮らしたオノサトは、多くの若者と交流し、ひたすらその絵画空間を探究していたのだ。オノサト没後30年を迎える今、画家40代の青春に改めて思いを馳せる時間を持ってみたいと思っている。
おこのぎみよこ

メモ)8月27日(土)18時〜 放談会「オノサト・トシノブ語り合う」を開催予定。

●展覧会のご案内
群馬県桐生の大川美術館で7月2日(土)〜9月25日(日)まで「オノサト・トシノブと戦後桐生の青春〜1950年代を中心に」が特集展示されています。
時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで) 
休館:月曜(月曜祝日の場合は火曜日)、その他臨時休館あり

*画廊亭主敬白
大川美術館は桐生出身の故・大川栄二さんによって1989年に設立されました。松本竣介野田英夫を軸に彼らとつながりの深い作家たちの作品を多数収蔵しています。
桐生で生涯を終えたオノサト・トシノブについても熱心な学芸員によって幾度か回顧展が企画されています。不遇時代を支えた人々によって、市内には多くのオノサト作品がのこされています。
今回の展示を企画した小此木先生に桐生とオノサトのつながりについてご執筆いただきました。亭主が初めてアトリエを訪れた1970年代以降、晩年まではほとんど外部との接触を断ち、ひたすら描くことに没頭されていたのですが、50年代のオノサト先生は多くの若い人たちと交流し、その中からご自分の道を究めていったのだとわかります。
小此木先生にはお忙しい中、貴重な論考をありがとうございました。
特集展示は9月25日までです。オノサトファンの皆さん、ぜひ桐生にお出かけください。
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●本日のお勧め作品はオノサト・トシノブです。
オノサト65-A
オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO
"65-A"
1965年  リトグラフ
イメージサイズ:17.0×24.0cm
Ed.120  Signed
※レゾネ(アートスペース 1989年)No.15。レゾネにはEd.150とあるが誤記、正しくはEd.120。

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オノサト・トシノブのタペストリー

久保貞次郎先生の紹介をきっかけに南画廊の志水楠男さんは1962年に初めてオノサト・トシノブ展を開催します。
1979年3月に急逝した志水楠男さんの七回忌を機に刊行された『志水楠男と南画廊』(1985年 同刊行会)から、南画廊でのオノサト作品の展示の軌跡をたどってみましょう。

●オノサト・トシノブ展
1962年3月12日〜24日(油彩画近作20余点)

●オノサト・トシノブ展
1966年2月21日〜3月2日(油彩作品16点)

●オノサト・トシノブ小品展
1966年10月24日〜11月10日(小品24点)

●オノサト・トシノブ展
1969年6月16日〜28日(油彩画16点、シルクスクリーン1点)

onosato_10
『志水楠男と南画廊』
1985年
「志水楠男と南画廊」刊行会 発行
執筆:大岡信、志水楠男、難波田龍起、今井俊満、小野忠弘、木村賢太郎、加納光於、オノサト・トシノブ、菊畑茂久馬、宇佐美圭司、野崎一良、靉嘔、中西夏之、清水九兵衛、飯田善國、戸村浩、菅井汲、保田春彦、桑原盛行

オノサト先生の南画廊での個展は上記4回です。
油彩の制作数の激増した70年代にそれらが南画廊の壁面を飾ることはありませんでした。

オノサト先生の1970年代、80年代の生活(創作)を支えたのは尾崎正教、大野元明、高森俊、岡部徳三のいわゆる4人組による版画制作(エディション)でした。
皮肉なことですが、この時代、オノサト先生は「版画家」といって差し支えないような世間での評価でした。
膨大な数の油彩画をひとり桐生のアトリエにこもり制作し続けたオノサト先生ですが、それらを本格的に扱う画商はいませんでした。
散発的にオノサト展(油彩)が開かれることはあっても、それは長続きせず、実質的に生活を支えたのは版画でした。
onosato_17
『オノサト・トシノブ 版画目録1958-1989』
1989年
アートスペース 発行
テキスト:オノサト・トシノブ

オノサト先生が亡くなられた後、ご遺族が油彩の画集ではなく、リトグラフ、シルクスクリーン、木版、タペストリー(布に捺染)の全版画220点の画像とデータを収録した版画の目録(カタログレゾネ)を刊行したことがその間の事情を反映しています。
発行元の「アートスペース」はご家族が経営していた画廊です。

亭主は現代版画センター時代に10数点の版画をエディションしました。
中でも1977年にディションしたタペストリー2点は大作でした。
13出品No.13)
オノサト・トシノブ
Tapestry A
1977年
捺染、布
119.5x80.0cm
Ed.100 Signed
*現代版画センターエディション
*レゾネNo.142

14出品No.14)
オノサト・トシノブ
Tapestry B
1977年
捺染、布
119.5x80.0cm
Ed.100 Signed
*現代版画センターエディション
*レゾネNo.143

この2点は、1977年の「現代と声」展のために制作してもらった作品です。
「現代と声」とは、現代美術の状況に対するメッセージとして、新たな共同性の構築をめざす目的をもって、現代版画センターが全国展開したイヴェント全体の呼び名で、その中心は現代日本美術の断面を示す9人の作家(靉嘔磯崎新、一原有徳、小野具定、オノサト・トシノブ、加山又造、関根伸夫野田哲也元永定正)による版画23点の制作でした。
オノサト先生以外の8人は紙による版画作品でしたが、オノサト先生だけには、私たちから布に捺染という技法での制作をお願いしました

なぜか。
上述の「四人組」の皆さんが岡部徳三さんの刷りによるシルクスクリーンをエディションし始めたのは1966年からです(「silk-1」が最初)。
そのシステムは、新作ができあがると四人組の皆さんが桐生のアトリエに呼ばれ、版画にする油彩を選び(購入)、その代金を負担します。選ばれた(購入された)油彩をもとに、刷り師の岡部さんがシルクスクリーンの版をつくり(カッティング)、自ら刷るというものでした。刷り上がった枚数をオノサト家を含め五等分して分け合い、それぞれが自分の持分を自分の販売ルートで販売するというものでした。
つまり、初期リトグラフと違い、シルクスクリーンのほとんどには原画(油彩)が存在します。
オリジナル版画の定義に従えば、これは「エスタンプ(複製版画)」です。
当初から、「オノサト版画はエスタンプではないか」という批判があったようですが、オノサト先生を支援し、版画によってオノサト芸術を普及しようとした四人組と、久保貞次郎先生をはじめとする仲間たちの善意を疑うものはなく、結局それで通ってしまいました。

さて、亭主は1977年の「現代と声」企画にあたり、磯崎新先生、小野具定先生ら今までまったく版画制作をしていない作家にも参加を求めました。それぞれに優秀な刷り師(版画工房)を用意して「オリジナル版画」の制作を依頼したのでした。
オノサト先生に「版画」を依頼すれば、従前のやり方(原画をもとにシルクスクリーンで刷る)になってしまう。それでは他の8作家の「オリジナル版画」との兼ね合いがおかしなものになってしまいます。

油彩を原画とする版画ではなく、純粋に版画のための「原稿」をつくってもらい、オリジナルな版画作品を制作する。そのために考え出したのが、布に捺染技法でつくるタペストリーでした。
これなら、四人組の皆さんの功績を損なうことなく、オリジナル版画を発表できます。ただし制作費用はめちゃくちゃかかりました。
従って上掲の「Tapestry A」「Tapestry B」には原画はありません
オノサト先生の手書き(鉛筆)による実物大の「原稿」があるだけです。

1977年10月21日_現代と声_ヤマハエピキュラス_1 のコピー

現代と声」全国展は1977年10月21日の渋谷ヤマハエピキュラスにおけ る「一日だけの展覧会」を皮切りに1978年2月まで全国を縦断して行われました。それらの会場では作家や評論家たちを招き、パネルディスカッションをはじめとする様々なイヴェントを開催しました。
ブログ7月24日_8_600
1977年10月21日
於:ヤマハエピキュラス
左から、針生一郎、北川フラム(「現代と声」実行委員長)、一原有徳、元永定正、オノサト・トシノブ、野田哲也、飯田善國、関根伸夫、尾崎正教(現代版画センター事務局長)

ブログ7月24日_4_6001977年11月3日
於:群馬県桐生市シマ画廊
「現代と声 '77」桐生展パネル・ディスカッション
右から、
オノサト・トシノブ
岡部徳三(プリンター、岡部版画工房を主宰)
尾崎正教(現代版画センター事務局長)
奈良彰一(桐生支部)

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◆ときの忘れものは2015年7月25日[土]―8月8日[土]「オノサト・トシノブ展―初期具象から晩年まで」を開催しています(*会期中無休)。
onosato_DM6001934年の長崎風景をはじめとする戦前戦後の具象作品から、1950年代のベタ丸を経て晩年までの油彩、水彩、版画をご覧いただき、オノサト・トシノブ(1912〜1986)の表現の変遷をたどります。
会場が狭いので実際に展示するのは20数点ですが、作品はシートを含め92点を用意したのでお声をかけてくれればば全作品をご覧にいれます。
全92点のリストはホームページに掲載しました。
価格リストをご希望の方は、「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してメールにてお申し込みください。
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●作家と作品については亭主の駄文「オノサト・トシノブの世界」をお読みください。

オノサト・トシノブ文献資料

亭主の本棚からオノサト・トシノブ関係の主な文献をご紹介します。

●『ONOSATO』
オノサトの生前刊行された唯一の作品集。収録点数は14点。ベニス・ビエンナーレにもって行くために英文併記でつくられた。
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『ONOSATO』
1964年
南画廊 発行
テキスト:オノサト・トシノブ、久保貞次郎、瀧口修造


●『季刊版画 第9号』
美術出版社は久保貞次郎らが中心になり「版画友の会」を組織し版画の普及に力を入れた。「版画の時代」を象徴し、1961年〜1968年まで機関誌を、その後1968〜1971年まで『季刊版画』を12号まで刊行した。
美術雑誌でのオノサト特集が版画中心に推移したことにより、「版画家オノサト」というレッテルがはられ、油彩画家としての本領が知られることがなかったことは今から思うと残念なことでした。
季刊版画9
『季刊版画』第9号
1970年10月
美術出版社 発行
特集:国際版画展の動向
作家研究:オノサト・トシノブ
テキスト:三木多聞

季刊版画9 目次目次


●『版画藝術 1975年10月号』
オノサトの生前、美術雑誌での特集で最もページが割かれたのがこの『版画藝術』の小特集です。
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『版画藝術 1975年10月号』
1975年
阿部出版 発行
テキスト:中原佑介、村井正誠、オノサト・トシノブ


●『'77 現代と声 版画の現在』
現代と声」は、現代美術の状況に対するメッセージとして、新たな共同性の構築をめざす目的をもって、現代版画センターが1977年度の企画として行なっ たイヴェント全体の呼び名。オノサトなど選ばれた9人の作家の新作版画を中心に全国展、パネルディスカッション、連続シンポジウムなどが各地で開催された。本書はその記録集。
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『'77 現代と声 版画の現在』
1978年
現代版画センター 発行
執筆者、座談会、対談出席者:靉嘔、オノサト・トシノブ、磯崎新、加山又造、小野具定、一原有徳、野田哲也、関根伸夫、元永定正、山田光春、岡部徳三、植田実、多木浩二、橋本誠二、吉村貞司、窪田般彌、尾崎正教、針生一郎、鈴木進、松永伍一、峯村敏明、立松和平、黒田三郎、大島辰雄、谷川俊太郎、松村寛、粟津潔、菅井汲、飯田善国、中原佑介、布野修司、北川フラム


●『実在への飛翔 オノサト・トシノブ文集』
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『実在への飛翔 オノサト・トシノブ文集』
1978年
叢文社 発行
テキスト:久保貞次郎、オノサト・トシノブ


●久保貞次郎著『わたしの出会った芸術家たち』
美術評論家、大コレクターであり「小コレクター運動」を主導した久保は、本書で最も親しい画家として北川民次、瑛九、オノサト・トシノブ、靉嘔の4人をあげている。上掲の『実在への飛翔 オノサト・トシノブ文集』も久保の支援により刊行された。
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『わたしの出会った芸術家たち』
久保貞次郎著
1978年
形象社 発行


●はらだいさむ(原田勇)著『覚え書き オノサト・トシノブ』
瑛九の晩年、木水育男を中心とした福井のコレクターが頒布会を組織して支援したことはよく知られています。
そのメンバーのひとり原田勇と、アートフル勝山の会(荒井由泰代表)の中上光雄らが「福井オノサトの会」を組織して、1970年代以降、取り扱い画商を持たなかったオノサトを支援し、展覧会や版画のエディションを展開しました。
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『覚え書き オノサト・トシノブ』
はらだいさむ(原田勇)著
1981年
日本素朴派、福井オノサトの会 発行


●『季刊みづゑ 1984年夏号』
あまたある美術雑誌でのオノサト油彩の特集は僅かなものでした。
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『季刊みづゑ 1984年夏号』
1984年
美術出版社 発行
テキスト:中原佑介


●『志水楠男と南画廊』
1979年3月急逝した志水楠男の七回忌に刊行された南画廊史。オノサトは「志水氏との出会い」という文章を寄稿。貴重な証言なので同書から引用します。
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『志水楠男と南画廊』
1985年
「志水楠男と南画廊」刊行会 発行
テキスト:大岡信、志水楠男、難波田龍起、今井俊満、小野忠弘、木村賢太郎、加納光於、オノサト・トシノブ、菊畑茂久馬、宇佐美圭司、野崎一良、靉嘔、中西夏之、清水九兵衛、飯田善國、戸村浩、菅井汲、保田春彦、桑原盛行

志水氏との出会い
オノサト トシノブ 画家

 南画廊に、最初に私を紹介したのは、1961年から2年にかけての頃、久保貞次郎であるが、個展をひらくきっかけは,志水氏が市谷の砂土原町に住いのあ る久保氏を尋ね、そのとき壁にかかっていた、私の小品に、はじめて心がとま ったことにあったようだ。その作品は10号位、ひとつの丸、朱の作品であっ た。これはずっとあとで志水氏の述懐である。すでに数年まえ兜屋画廊で、すでに丸のもっとも初期の作品を彼はみているが、その時はほとんどなにも感じ なかったという。
 第1回個展は盛況であった。瀧口修造が、「アラベスクの様な」とパンフレ ットをかざった。
 個展は2回、3回と進んで、そしてヴェネチア・ビエンナーレの出品にもつ ながっていった。私とトモコと志水さんとのヨーロッパ・アメリカ旅行は、その親密な関係のなかで生れた。
 4回目の個展のあと、10年だって、ひさしぶりに桐生で会うことになる。78年の秋に出版された私の文集の出版記念のパーティーに、志水さんが出席し てくれた折であった。桐生に1泊した翌日、私のアトリエを訪れて終日すごし た。陽差しが暖かい、とても気持のよい1日であった。帰りにトモコの車で駅までおくっていった。
 南画廊と共にあった10年間は、大作を次々と制作していた年月であった。
 その頃、ちょうどいろいろの波がよせはじめていた。私は自分にとっての 「絵画とは何か」という問題だけを追い続けていた。
 時代に逆行はない。私もまた、次の新たな時を生きることになるだろう。
 重要な出会いというものがある。そのためにはそれぞれの者が、時代という 条件のなかで、永い重い準備の時間がある。時間が必要である。お互いに知る ことなく、時代の必然性に導かれて、ついに出会うのである。
 氏と私との出会いはその様なものであったと考えている。

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■1986年11月30日 桐生の自宅でオノサト・トシノブ死去。

以下はオノサト没後に刊行されたものです。

●はらだいさむ(原田勇)著『オノサト・トシノブ 実在への招喚』
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『オノサト・トシノブ 実在への招喚』
はらだいさむ(原田勇)著
1987年
福井オノサトの会・中上光雄・原田勇 発行


●『抽象への道 オノサト・トシノブ画文集』
新聞、雑誌、個展パンフレットなどに掲載された文章を編んだもの。作品画像も豊富で初期具象から晩年までを網羅。巻末の中原佑介編の「オノサト・トシノブ年譜」は生前の二回にわたるインタビューをもとに編まれたもので詳細な記述は第一級の資料的価値をもつ。
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『抽象への道 オノサト・トシノブ画文集』
1988年
新潮社 発行
テキスト:オノサト・トシノブ
年譜:中原佑介編


●『オノサト・トシノブ 版画目録1958-1989』
リトグラフ、シルクスクリーン、木版、タペストリー(布に捺染)の全版画220点の画像とデータを収録したカタログレゾネ。
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『オノサト・トシノブ 版画目録1958-1989』
1989年
アートスペース 発行
テキスト:オノサト・トシノブ


●『オノサト・トシノブ展図録』
没後初の回顧展カタログ。1939年から晩年までの油彩、水彩を満遍なく網羅し、版画、タペストリーなども加え総計133点が出品された。
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『オノサト・トシノブ展図録』
1989年
練馬区立美術館 発行
テキスト:横山勝彦、中原佑介


●オノサト・トモコ著『オノサト・トシノブ伝』
夫人が日記などをもとに著した作家の伝記。
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『オノサト・トシノブ伝』
オノサト・トモコ著
1991年
アート・スペース 発行


●『オノサト・トシノブ―円を描いた画家―』展図録
オノサトの生まれた長野県で開催された回顧展カタログ。1937年から1986年までの油彩45点を中心に、水彩、版画など総計77点が出品された。
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『オノサト・トシノブ―円を描いた画家―』
1992年
長野県信濃美術館 発行


●『オノサト・トシノブ展 収集家への賛辞―大野元明コレクション』図録
大野元明は尾崎正教、高森俊、岡部徳三のいわゆる「オノサト版画の4人組」のひとりで、1966年から始まったシルクスクリーンの制作を支えた。
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『オノサト・トシノブ展 収集家への賛辞―大野元明コレクション』図録
1997年
フジテレビギャラリー 発行
テキスト:瀬木慎一、大野元明


●『抽象のパイオニア オノサト・トシノブ』展図録
今まで開催された最も大規模な回顧展カタログ。東京国立近代美術館はじめ国内主要美術館とチェース・マンハッタン銀行や個人蔵の代表作を網羅。1933年の初期具象から1986年までの油彩85点を中心に水彩、版画など総計117点が出品された。
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『抽象のパイオニア オノサト・トシノブ』
2000年
群馬県立近代美術館、群馬県立近代美術館友の会、桐生市教育委員会 発行
テキスト:市川政憲、五十殿利治、藤川哲


●『オノサト・トシノブ展―織都・桐生に生きた抽象画家』図録
オノサトが10歳のときに移り住み亡くなる74歳まで住んでいた桐生の大川美術館で開催された回顧展カタログ。大川美術館所蔵作品を中心に油彩20点はじめ水彩、版画など総計35点が出品された。図版の掲載は4点のみ。
大川美術館では1993年に1回目のオノサト展を開催し、カタログも編集されたが、事情があって公開されていません。
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『オノサト・トシノブ展―織都・桐生に生きた抽象画家』
2005年
大川美術館 発行
テキスト:大川栄二、春原史寛、宮地佑治、有村真鐵、奈良彰一、渡邉保、原田勇、新井淳一、保倉一郎、中上光雄、荒井由泰、遠藤京子


●『PRINT WORKS 版画工房と作家たち』図録
1970年代以降の発表場所を持たないオノサトの制作を支えたのは「四人組」による版画制作(エディション)でした。その最大の功労者が上掲の『オノサト・トシノブ伝』に一字も登場しない刷り師の岡部徳三でした。
岡部の没後に開催された工房展カタログには岡部自身の回想が収録されているので引用します。
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『PRINT WORKS 版画工房と作家たち』図録
2007年
岡部版画工房 発行
テキスト:今泉省彦、岡部トモ子、岡部徳三

第一回東京国際版画ビエンナーレ展が開催されたのは1957年。美術界の片隅で息をひそめていた版画に、ようやく陽が差し込むようになった頃だ。その頃よりオノサト・トシノブ氏や靉嘔(アイオウ)氏をシルクスクリーンで刷ってみないか、と周囲から勧められた事もあり、工房の設立を考えていた。両氏とも、まだ無名にちかい作家であり、私自身もシルクスクリーンについて殆ど知識を持たず、同じ創造美育教会のメンバーであった友人より、シルクスクリーン一式を譲り受け、全て手探り状態でスタートした。
 両氏の版画を熱心に勧めてくれる人の中に美術評論家の久保貞次郎氏もいて、「版画は刷るよりも売る方が難しい」と力説されていた。採算がとれない事を心配して、刷り上がった作品の一部を買い取ってくれる事になった。
 こうして両氏の版画を1966年から刷る事になる。
 当時は写真製版がまだ開発途上にあって、今のように柔軟に対応できる代物ではなかった。版ズレがあって当たり前というニス原紙のカッティング版で悪戦苦闘したおかげで、印刷にはどう対応したらよいかが、少しずつ見え始めてきた。
(1996年 神戸アートビレッジセンター「版画工房の仕事展」より 岡部徳三 記)


●『生誕100年 オノサト・トシノブ』展図録
生誕100年を機に開催された唯一の回顧展で、大川美術館では3回目となる。1935年から1986年までの油彩56点、アクリル1点、水彩、コラージュなど総計86点が出品された。1960年前後の「ベタ丸」時代の作品を中心にすえ、1970年以降の油彩の出品は僅か10点という非網羅的展示によりオノサト評価の方向を大胆に提案した画期的な展覧会でした。
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『生誕100年 オノサト・トシノブ』
2012年
大川美術館 発行
テキスト:本江邦夫、小此木美代子

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●今回の展覧会から岡部徳三さんが刷ったシルクスクリーンのいくつかをご紹介します。
16出品No.16)
オノサト・トシノブ
「Silk-2」
1966年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
Image size: 32.0x40.0cm
Ed.120 サインあり
※レゾネNo.20

17出品No.17)
オノサト・トシノブ
「Silk-7」
1967年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
Image size: 50.5x50.2cm
Ed.150 サインあり
※レゾネNo.27

23出品No.23)
オノサト・トシノブ
「Silk-32」
1970年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
Image size: 40.0x40.0cm
Ed.100 サインあり
※レゾネNo.55

38出品No.38)
オノサト・トシノブ
「G.H.C 5」
1974年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
Image size: 21.8x27.1cm
Ed.200 サインあり
*現代版画センターエディション
※レゾネNo.98

50出品No.50)
オノサト・トシノブ
「Silk-74」
1975年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
Image size: 60.5x72.0cm
Ed.100 サインあり
※レゾネNo.108

59出品No.59)
オノサト・トシノブ
「Prints C」
1979年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
Image size: 20.0x20.0cm
Ed.250 サインあり
*現代版画センターエディション
※レゾネNo.164

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◆ときの忘れものは2015年7月25日[土]―8月8日[土]「オノサト・トシノブ展―初期具象から晩年まで」を開催しています(*会期中無休)。
onosato_DM6001934年の長崎風景をはじめとする戦前戦後の具象作品から、1950年代のベタ丸を経て晩年までの油彩、水彩、版画をご覧いただき、オノサト・トシノブ(1912〜1986)の表現の変遷をたどります。
会場が狭いので実際に展示するのは20数点ですが、作品はシートを含め92点を用意したのでお声をかけてくれればば全作品をご覧にいれます。
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