藤本貴子のエッセイ

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第24回(最終回)

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第24回(最終回)

vol.23の続き)
 目録をとり終わって図面の内容を把握したら、デジタル化をする場合もあります。デジタル化の目的は、主には資料保護のためです。デジタル技術が今程発達する前から図面資料を保管している組織では、使用頻度の高いものから優先順位を決めてデジタル化を行っていました。しかし、大判のスキャナが登場し、デジタル化の価格も下がってきたこの頃では、資料整理の前にまずデジタル化するという選択をする場合もあるようです。確かに、デジタル化した画像を基に目録化を行って整理を進めることには、資料保護の観点からみても、利点はあります。閲覧も簡便に行うことができます。ただし、データができてしまうと1点1点についてのメタデータが必要になってきますし、データの管理も考えなくてはなりません。現物が存在する以上は、画像と原物の紐づけも必須です。以上のことを考慮した上で、デジタル化の方針を決めるのがよいでしょう。デジタル化後に、現物を廃棄してしまうこともあると聞きます。過去にはマイクロフィルムを撮ったら現物を廃棄している例もありますし、現物を維持するのは大変ですから、廃棄することを簡単に責められはしません。しかしデータの確実な保存方法が確立されていない段階では、デジタル技術を過度に信頼せずに、大切な資料はなるべく現物を維持するようにしたいものです。
 資料の保管にあたっては、作成された年代や技法によって扱い方を変える必要があります。図面の素材は美濃紙やトレーシングペーパー、墨や鉛筆、インクなど、様々です。資料館では主に、中性紙のフォルダに納め、マップケースや棚に保管しています。複製図面にはガスが発生して他資料に悪影響を与える危険があるものもあり、そのようなものは原図とは別に保管する必要があります。温湿度管理ができる収蔵庫が理想ですが、大規模な収蔵庫を完備するのは容易なことではありません。資料の状態や重要度によって収蔵庫のレベルを変えて保管せざるを得ないこともあるでしょう。

DSC05873_s図面筒(右)と平らにした図面を中性紙フォルダに入れた状態(2017年筆者撮影、以下同じ)


DSC05879_s中性紙フォルダをマップケースに収蔵した状態


 その他、建築資料にはスケッチや写真のネガ・ポジ、マイクロフィルムなどのフィルム資料、製本された図面や書類、事務所の文書資料なども含まれます。これらもそれぞれに違った適切な整理・保管方法がありますし、記述内容も変わってきます。アーカイブ機関の場合、多様な資料を全て1点1点博物館の収蔵品のように記録・管理することはしていません。何しろ、大盪駑舛両豺腓録淕未世韻韮緩枚近くあるのです。どの資料をどこまで整理することが適切か判断して早期に活用への道を開くこと、それがアーキビストに求められる職能でしょう。図面の場合、まずは群として情報をとり、閲覧請求に応じて整理を進めて行くという運用も考えていかねばなりません。
 整理・保管は資料の形態別に行うことが効率的ですが、目録上ではそれらのつながりが分かるようになっている必要があります。資料館では目録の作成は主にエクセルで行っていますが、階層的になっているアーカイブの資料情報は、情報をリンクさせる必要があります。膨大な情報を管理し迅速に公開を行うためには、データベースの構築が必須です。美術館・博物館用の管理システムと違って、アーカイブ用システムはまだ一般的ではありません。資料館ではデータベースの構築を目指して調査を行っている最中です。商用パッケージやICA-AtoMやArchivesSpaceといったオープンソースなど、いくつかの選択肢が考えられます。今日ではデジタル技術があっという間に陳腐化してしまうことも考慮に入れて、今後の変化に柔軟に対応できる方法を考えておかなければいけません。また、他機関との連携を視野に入れて、アーカイブ資料用のシステムを如何にコストを抑えて導入できるかも、考えているところです。
 資料館では現在、試験的に閲覧サービスを開始しています。閲覧者がデータベースを検索できる体制がまだ整っていないので、目録から希望資料を選んでもらい、必要な画像データを閲覧用PCのビューワーで見てもらう運用になっています。一部資料は現物も閲覧に供しています。この体制も、システム導入によって変わってくることになります。
 建築資料の閲覧には、設計を依頼した施主の意向をどう考えるか、という問題がいつもつきまといます。特に現用の建築の場合は、所有者のプライバシーやセキュリティ確保に充分に配慮しなくてはなりません。しかし、海外の多くの国では、公的機関に入った資料は公共の財産として扱われ、基本的にあらゆる資料が閲覧に供されることが前提となっています。日本と外国の「公共」の捉え方の違いを実感せずにはいられません。この課題をクリアするにはかなり議論が必要ですが、近現代の建築資料も歴史的な公共資料として活用ができるよう、法律の整備も含めて考えていく必要があります。
 閲覧の他に、所蔵機関が積極的に資料を活用する方法として、展覧会の開催や出版があります。大盪駑舛両豺腓蓮2年間の整理を経て、2016年に「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」展を開催しました。資料の価値づけはもちろん、この展覧会が契機となって、大發設計した建築の再評価にもつながりました。展示した資料は他の機関から貸出の引き合いも増えました。一般の人びとには紙の集積でしかない資料を、読み解いてその価値を発信するために、展覧会は有効な方法です。展覧会の際には、記録としての図録も発行し頒布しましたが、資料群全体の記録とはなっていません。理想的には、ある程度の整理がなされた時点で、資料群を俯瞰する資料整理の記録を出版物としてまとめたいものです。

DSC05603_s「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」展会場風景


 近現代の建築資料の収集から活用に至るまでには、まだまだ多くの課題が残っています。しかし、建築に対しての関心は高まり、資料を残そうという動きも増えているように感じます。元々資料整理は地道で時間がかかるもの。少しでもその活用が進むよう、微力ながらこれからも継続して努力していきたいと思います。
 2年間のお付き合い、どうもありがとうございました。またどこかでお目にかかりましょう!
ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

*画廊亭主敬白
「アーカイブ」という言葉がようやく人々の意識に定着し始めたのは嬉しいことです。海外での研鑽を経て、日本の建築アーカイブの第一線で奮闘する藤本貴子さんに二年間にわたり「建築圏外通信」を執筆していただきました。
資料整理は地道で時間がかかるもの>、息長く取り組む研究者が育つよう、私達も微力ですが応援したいと思います。
藤本さん、ありがとうございました。ますますのご活躍を祈っています。

●今日のお勧め作品は、ル・コルビュジエです。
20170822_corbusier_31ル・コルビュジエ
《二人の女》
1938年
リトグラフ
イメージサイズ:17.6×26.7cm
シートサイズ:38.5×50.2cm
Ed.100
サインあり


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◆ときの忘れもののブログは建築関連のエッセイを多数連載しています。
佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。

倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。

大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。

植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は随時更新します。

光嶋裕介のエッセイは随時更新します。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は終了しました。

八束はじめ彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。

芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。

建築を訪ねて

建築家の版画とドローイング

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第23回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第23回

 約2年にわたり、建築資料に関わる様々な事柄について書かせていただきてきましたが、この連載も残すところあと2回となりました。連載の締めとして、私がここ3年間一貫して携わってきた大眄疑融駑舛鯲磴法建築アーカイブ整理の流れをまとめたいと思います。
 大眄疑融駑膳欧蓮旧制浦和高等学校在籍中から前川國男建築設計事務所を経て独立するまで(1937年頃-1962年)の、主に建築活動に関わる大眄疑邑朕融駑舛函大盞築設計事務所(1962-2010年)が行った建築・都市計画業務に関する事務所資料からなります。個人資料にはメモやスケッチ、日記等、事務所資料には建築設計図面のみならず、大判の地図複製に描き込んだ都市計画図や1,000冊に及ぶ報告書、写真アルバムや文書資料等が含まれています。事務所の資料をほぼ丸ごと寄贈していただいたため、資料の搬出は数回に及び、その量も膨大なものとなりました。建築家の資料にどのような種類のものが含まれるかを知るには、恰好の資料群です。
 建築資料は建築家個人や設計事務所が保管していることが多く、本人の逝去や事務所閉鎖等をきっかけに、資料館のような公的な場に移管されます。資料移管についての相談を受けた場合、まずは総量と状況の調査に赴きます。資料の状態は様々で、所員によって綺麗に整理されている場合もあれば、全くの混沌状態もあります。その概要をざっと把握し、何を受入対象とするかを検討します。受入方針は機関や対象資料によって様々で、特定のプロジェクトに関する図面だけを選んで受け入れる選択をする場合もあります。しかし基本的には、アーカイブとして一体的に資料を受け入れることが望まれます。図面資料だけでは分からない設計の過程や建築家の思想が、スケッチや写真、文書記録といった資料からみえてくるのです。資料の有機的なつながりを読み解いていくことこそ、アーカイブ資料を使った研究の醍醐味といえるでしょう。
 いざ資料移動となったら、保管されていた状況が分かるように記録をとります。大盪駑舛両豺腓蓮∧欖匹気譴討い燭泙泙両態で図面筒等に番号をつけ、それをそのまま整理番号として使用しています。しかし、搬出時の保管状態が資料作成時の意図を反映しているとは限りません。度重なる移動で、あるべき並び方が変わってしまっている場合も多くあります。現状にとらわれすぎると、資料整理が却って複雑になってしまうこともあるため、来歴をよく確認し、適度な記録を心がけ、資料整理の方針を立てることが大切です。
 資料館では、譲り受ける資料は、保管庫に入れる前に燻蒸することにしています。資料は温湿度の管理もない場所に長年置きっぱなしの場合が多く、害虫やカビが発生していることもあります。そのような場合は他の資料に悪影響を及ぼす上、整理担当者の健康を害する危険もあります。しかし、筆者が海外で見てきた組織では、燻蒸をしている話は一度も聞きませんでした。「資料整理は虫との闘い」なんていう言葉も聞きました。燻蒸ができるに越したことはないですが、予算がない組織では、そこまで費用をかけらないという現実もあります。非常によい状態で保管されていて、燻蒸が必要ない場合もあるでしょう。燻蒸にも、カビも殺せる薬剤燻蒸と虫対策用の炭酸ガス燻蒸があります。資料の状態をよく確認し、予算や用意する保管庫の状態を考慮に入れながら決めるのがよいでしょう。

DSC06082_s炭酸ガス燻蒸の様子
(2017年筆者撮影、以下同じ)


 資料を整理できる状態が整ったら、総量と種類を把握して、整理の見通しを立てる必要があります。整理には場所と人員、それに時間もかかります。種類によって整理・保管方法も異なります。整理に使える場所はどのくらいか、何人くらいでどれくらい時間をかけて整理するのか、そしてどのような場所にどうやって保管するのか。あらかじめこれを考えておかなければ、やがて作業は破綻してしまいます。米国議会図書館では、資料整理の最初に、手順や必要な保管容器の概算等を計画書としてまとめていました。資料館では、担当が変わったり展覧会の予定が入ったりと、なかなか安定して資料整理のみを進めることができていませんが、整理途中であっても、誰が見ても状況が分かるようにしておくのは大切なことです。
 建築資料で大きな割合と重要度を占めるのは、やはり設計図面です。図面は通常の文書資料とは違い、A2からA0、場合によってはそれ以上と、サイズが大きいことから、扱いには工夫が必要です。建築事務所では図面を筒に入れて保管していることが多く、長年丸められていた資料を整理するために平らに伸ばすのに、また骨が折れます。湿気を加えて伸ばしやすくする方法もありますが、資料館では単純に重しを乗せて数日から数週間置いています。紙の質によっては巻き癖はなかなかとれませんが、それでも1週間ほどで扱いやすくなります。

DSC05875_s図面資料フラットニングの様子


 図面には製図印が押されており、その中に建築物名や図面名称、日付、図面番号、製図者等が書かれていることが多く、主にこの情報を目録にとります。目録を整える際には、最終的にどのように情報を提供するべきかを考えて記述を行う必要があります。検索する人が欲しい資料に到達できること、そして他機関とも情報共有ができること、が目標です。資料館では、国際公文書館評議会(ICA)が定めた記述方式ISAD(G)に準拠することを考え、ISAD(G)の項目と資料館で定めた目録項目のマッピングを行っています。語句の統一も検討する必要があります。建築物の名前や建築に関わる専門用語等をどのように整理していくのかは、これからの課題です。ゲティ財団や米国議会図書館は、美術・建築分野のシソーラスを作成しています。日本語でもこのような取り組みが必要となるでしょう。
ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、斎藤義重です。
20170722_saito_05_beaupin-g-red斎藤義重
《ボーパンG―赤》
1973年
合成樹脂、アルミ板
73×61cm
Ed.100
サインあり
裏面に斎藤義重自筆サイン・シール、東京画廊シールあり


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移転記念コレクション展
会期:2017年7月8日(土)〜7月29日(土) 11:00〜18:00 ※日・月・祝日休廊
※靴を脱いでお上がりいただきますので、予めご了承ください。
※駐車場はありませんので、近くのコインパーキングをご利用ください。
201707_komagome_2出品作家:関根伸夫、北郷悟、舟越直木、小林泰彦、常松大純、柳原義達、葉栗剛、湯村光、瑛九、松本竣介、瀧口修造、オノサト・トシノブ、植田正治、秋葉シスイ、光嶋裕介、野口琢郎、アンディ・ウォーホル、草間彌生、宮脇愛子、難波田龍起、尾形一郎・優、他

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営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第22回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第22回

 感銘を受けた建築の写真を撮るとき、頭を悩ませたことはないでしょうか。どこを撮っても、どうも自分がよいと思った空間が撮れていない。部分しか写すことができないのは勿論、全体を画面に収めたと思っても、空間のよさが伝わらない。建築の写真を撮るのは、本当に難しい。逆のこともあります。写真で見てよく知っていると思っていた建築に行ってみて、いい意味でも悪い意味でも予想を裏切られたことはないでしょうか。そもそも、建築は一方向だけから見て把握することはできません。それでも、外観は多方向から見て一応形を認識できたとしましょう。では、中に入ってみたらどうか? 建築の内部はどのように認識すればよいのでしょうか。そこで感銘を受けたとして、その感覚は何に依っているのか。腑分けすれば、壁や柱の位置、建具の納まり、仕上げ材の質感、等々、様々な要素を数え上げることができるでしょう。しかし、その要素の単なる集積が空間を構成している訳ではありません。入った瞬間に、その空間に衝撃を受けた経験はないでしょうか。岸田劉生が言う、「形を超えていきなり人を打つ」瞬間。そのときに知覚したのは、建築を構成している部分部分というよりは、空間そのものがもつ「抽象的な概念」であると言えるのではないか。
 このようなことを考えたのは、豊田市美術館で開催されていた『抽象の力』展を観たからでした。展覧会を企画した岡崎乾二郎氏は、「物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける」と喝破します。展覧会では、抽象芸術の歴史的な捉え直しが試みられており、岸田日出刀らが監修した『現代建築大観』のページや、石本喜久治の朝日新聞東京本社の写真等も展示に含まれていました。作品が極めて具体的な形を持って現れる建築においても、この「抽象の力」が働くと言えないでしょうか。
 ル・コルビュジエが唱えた「建築的プロムナード」という概念は、建築の中を移動していくにつれて、建築の見え方が展開していく、というものでした。これは逆に言えば、建築をひとつの見え方に収斂させることができない、ということでもあります。しかし、ある建築を体験するときには、変化する空間を感覚し、その感覚を統合して建築を知覚しています。
 ル・コルビュジエの自宅であった、ナンジュセール・エ・コリ通りのアパートメントを訪れたとき。方向感覚が攪乱されるような、不思議な感じを覚えました。プランは、中庭の吹き抜けと裏庭で長方形がくびれてH字型になっているもので、決して込み入っているわけではありません。それなのに、自分がどこにいるのか、ふと分からなくなるような複雑さがあります。だからといって空間が分節されているかというと、その反対で、むしろ上階部分まで含めて、弾力をもったひとつの塊のように感覚されるのです。これは、複数の事物(空間)が食い違いながら重なっている状態を同時に知覚できるという、あのピュリスムの絵画そのものではないでしょうか。
 建築において、敷地や周囲の環境を「地」、建築を「図」、とするならば、その関係の反転は容易に起こりえます。ル・コルビュジエが「建築的プロムナード」というときには、「図」としての建築だけを考えているわけではありません。「近代建築の5つの要素」のうちの「ピロティ」や「屋上庭園」においても、「地」と「図」の領域は不明瞭で不可分なものです。よい建築は両者の関係にこそ着目している、と言えるでしょう。
 用途を持つことを考えると、建築は絵画や彫刻とは違って、実用的な理由から決定や選択がなされ、施工される部分が多い。にも拘らず、最終的に実現された空間からは極めて「抽象的な概念」を感得することができるのです。建築を語る際に一番説明しづらく、けれど建築の把握に一番重要なのは、建築がもつ「抽象の力」をどう感得するか、ということなのではないでしょうか。

Amédée Ozenfant, 1920-21, Nature morte (Still Life), oil on canvas, 81.28 cm x 100.65 cm, San Francisco Museum of Modern Art

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、マイケル・グレイブスです。
20170622_graves_sakuhin7_84_1マイケル・グレイブス
「作品 7・84/1」
1984年
木版
30.3×24.0cm
Ed.150
サインあり


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ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
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JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
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◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第21回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第21回

 アーカイブ機関でいつも頭を悩ますのは、時間・空間・人手の不足。その中でも、空間=収蔵スペースの不足は、近現代資料については特に悩ましい問題です。現代に近くなればなるほど残された資料も多くなり、その形態も多様になります。デジタル技術を使用して作成された資料=ボーン・デジタル資料は、決定的な保存方法が見つからないまま、データ量だけは年々増加の一途をたどっています。技術が進歩し続けていく以上、解決策は永遠に見つからないのかもしれません。
 近現代建築資料館では、今のところボーン・デジタル資料の収集は行っていないものの、ご多分に漏れず、物理的な資料を収蔵するスペースの不足は恒常的な問題です。スペースの問題を緩和させるために、収蔵方法の検討は必至です。収集してきた資料は図面筒や段ボール箱に入っており、積み重ねたままだと大きな容積を必要としますし、必要があっても取り出すのに一苦労です。整理を進めるにあたって必要なのは、資料をこれ以上劣化させない安全な状態に移行させ、かつ効率的に収蔵することです。素材や技法によって適切な保管の方法は変わってきますが、その詳細は専門家の方にお任せするとして、ここでは収蔵方法とその工夫についてご紹介します。
 アーカイブ資料は、基本的には中性紙の包材に収容して保管します。筆者が50程の海外の建築アーカイブ施設を見た限りでは、図面は特大サイズでない限り、マップケースに収蔵されていることが殆どでした。マップケースの収蔵力はかなりのもので、紙の質にもよりますが、A0サイズの深さ4.5センチメートルのケース1段にA1サイズの図面が400枚強入ります。しかし、マップケースに収蔵するためには図面が平たい状態になっている必要があり、巻いて筒に保管されていることの多い建築設計図面は、平たくするフラットニング作業に骨が折れます。何十年も巻かれた状態だった図面は、図面端部を保護するテープの糊付けが剥がれてべたべたになっていたり、厚手のフィルムは癖が強くつきすぎてなかなか平らにならなかったり。フラットニングの方法も様々ですが、資料館では、シンプルに重しを乗せて数日から数週間置いています。伸ばした図面は中性紙のフォルダに入れて保管します。予算が潤沢にある施設であれば、中性紙フォルダを大量に購入できますが、特注品はかなり値が張ります。筆者が2週間研修をさせてもらったアルヴァ・アアルト財団では、ロール状の中性紙を購入して、フォルダを切り出して自作していました。フィンランドで外注すると、フォルダひとつがロール紙1本に相当するそうです。筆者もこれを参考に、ロール紙から図面用フォルダを作成してみました。(図1)結果、自家製フォルダのコストは外注の約1/9となることが分かりました。が、これには人件費は含まれていません。アアルト財団では、インターンに作成を任せていました。うまく時間と手間をやりくりして、効率よくコストを抑える必要があります。

DSC04803_s図1)
ロール状の中性紙から作成した図面フォルダ。
(写真はすべて筆者)


 海外では収蔵容器にも色々なバリエーションがありました。日本の博物館・資料館では資料の平置きが多いようですが、海外のアーカイブ施設では、比較的小さな紙資料は縦置きが基本です。平置きだと必然的に資料や容器を重ねていくことになるので、下にある資料が取り出しにくくなります。縦置きだと、棚からも容器からも資料が取り出しやすいのです。同じ大きさの容器を効率よく詰めて並べた場合、容器自体を取り出すのが難しくなりますが、多くの容器には、指を引っかけて棚から取り出すための紐やくぼみがついていました。(図2、図3、図4)日本で市販されている中性紙容器にはこのような工夫があるものがみつけられなかったので、組み立てる際に紐をつけてみました。ちょっとしたことですが、これで格段に取り出しやすなります。(図5)
 限りある予算やスペースを使ってなるべく多くの資料の収蔵を考えることは、アーカイブ資料に関わる際の大事なことです。細かく地味な作業ですが、小さな工夫が資料を扱いやすくします。アーキビストは資料が利用可能となる状態を目指して整理をするわけですから、最終的な活用のかたちを考えながら、収蔵方法を検討することも大切です。

DSC00330図2)
アメリカで使用されている紐つき中性紙箱。


DSC01756図3)
フランスで使用されている紐つき中性紙箱。


DSC02162図4)
ベルギーで使用されている穴空き中性紙箱が棚に並んでいるところ。


box図5)
市販の中性紙箱に引き出すための紐を付けたもの。


ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、磯辺行久です。
DSCF7400磯辺行久
《ワッペン》
1965年
カラーリトグラフ
イメージサイズ:45.2×30.2cm
シートサイズ :56.0×37.8cm
Ed.50
サインあり


DSCF7394磯辺行久
《ワッペン》
1965年
カラーリトグラフ
イメージサイズ:40.7×27.2cm
シートサイズ :49.5×38.2cm
Ed.50
サインあり


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◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第20回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第20回

 4/8(土)より、大眄疑佑僚仗斑呂任△詈‥膰三春町にて、展覧会「三春が生んだ建築家 大眄疑諭廚始まりました。会場は三春町歴史民俗資料館、大發寮澤廚1982年に竣工した建物です。
 4/16(土)に行われた、資料館の設計を担当された倉本宏氏の講演会に合わせ、三春町を訪れました。当日は快晴で暖かく、まさに春爛漫の風情。朝に三春町に着いたときにはソメイヨシノは殆ど開花していませんでしたが、陽気に誘われ夕方までにどんどん開花が進みました。資料館の傍にある枝垂桜は、日当たりがよいせいか他の木より一足先に薄紅色の花を咲かせていました。土蔵を意識したという資料館の土色のタイル壁と黒色の瓦棒葺きの屋根は、地形になじむようにとの配慮もあってか、冬にはとてもこざっぱりとして見えます。しかし、この季節には枝垂桜の色と優しく調和し、桜を引き立てていました。もしかするとこの建物は、1年に1週間もないくらいの、この素敵な時期に焦点を合わせて設計されたのでは!? と勘ぐってしまうほど。

DSC06197大發残した枝垂桜と歴史民俗資料館(2017年4月16日、筆者撮影)


 資料館は丘の中腹に埋め込むようにして設計されています。地形を生かしつつ資料館を建てる苦労は並々ならぬものであったようですが―実際、当時町長であった伊藤寛氏は、なぜこんなに条件の悪いところにわざわざ建てるのか、完成するまで理解できなかったと言います―、その背景には、大發若い頃から抱いていた環境への意識がありました。倉本氏の講演では、自然地形にこだわった大發了彖曚年代を追って辿られました。大發最初にプロジェクトとして自然地形へのこだわりをみせたのは、1959年の東京湾上都市の提案。人工的な軸線を東京湾上に通した丹下健三案に対し、大皸討漏ご濱を自然のままに残し、湾上都市の水際線も自然に近い曲線を描いています。1960年代からは、彫刻家との付き合いから手がけた宇部の現代日本彫刻展や神戸須磨離宮公園現代彫刻展の会場構成を通じ、公園の地形と造形物の関係を追及しました。そして大發蓮∩粟醴男の元でチーフを務めた東京文化会館(1961)の際には実現できなかった、建築の周囲を含めた公共文化施設の総合的なデザインを、千葉文化の森(1967-70)で実現させます。文化の森の遊歩道には彫刻が印象的に配置されていますが、これは彫刻展でのスタディが実を結んだと言ってよいでしょう。しかしその後は、多摩ニュータウンの自然地形案(1966-69)や神奈川の奈良地区土地利用構想(1973)、港北第一地区東山田団地設計(1979-80)などで度々自然地形を生かした居住空間を提案したにも拘わらず、すべて挫折しています。その後に、故郷でやっと実現したのがこの歴史民俗資料館だったのでした。常に都市を見据えながら建築を考えていた大發蓮70年代から徐々に都市計画の分野に活躍の場を移していきますが、資料館とほぼ同時期に基本計画を検討したみなとみらい21でも、カーブした水際線をデザインし、やがて実現にこぎつけました。

chiba千葉文化の森の遊歩道から千葉県文化会館を望む(2016年12月撮影)


 今回の展示では、三春町を歩きながらまちづくりの軌跡がたどれる年表・マップを作成し(監修:中島直人(東京大学准教授)、デザイン:岩田会津)、配布しています。単体の建築を設計するだけでなく、都市全体を視野に入れて戦った大發、故郷で実現した/しようとした理想を是非体感してください。
 三春町に咲く花は、梅、桃、桜に加え、水仙、菜の花、カタクリに水芭蕉、土筆もそこかしこにみられます。大發自然の風景を後世に遺したいと強く望んだのは、控えめだけれど麗らかで美しい、この里山の春景色の経験があったからでしょうか。確かに、日を経てもなお、思い出す度に心をふっとあかるくさせるような情景でした。三春は春が訪ねどき、展示期間中にどうぞお運びください。

「三春が生んだ建築家 大眄疑諭彭検併綾嫩歴史民俗資料館、4/8(土)〜6/18(日))
http://www.town.miharu.fukushima.jp/site/rekishi/

ポスターはこちらからご覧いただけます↓
http://nama.sakura.ne.jp/wp/wp-content/uploads/2017/04/otaka_miharu_leaflet.pdf

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

●本日のお勧めは、普後均です。
20170422_fugo_01普後均
〈ON THE CIRCLE〉シリーズ #53
2003年撮影(2009年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:31.6×39.2cm
シートサイズ:35.6×43.2cm
Ed.15 サインあり

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藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第19回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第19回

 先月まで開催していた大眄疑妖犬離瓮ぅ鵐織ぅ肇襪蓮峽築と社会を結ぶ」でしたが、「建築」の領域を、建築単体のデザインを超えて、より具体的に社会と繋げて考えようとしている建築家は増えているのではないでしょうか。大眦鹸慙▲ぅ戰鵐箸謀价鼎靴討ださった方々も、多かれ少なかれそのような活動をされていました。90年代にはレム・コールハースが研究組織AMOを立ち上げていますが、大發里茲Δ坊築家の責務を突き詰めて考えていくと、建築家が都市や社会的領域に切り込んでいくのは、必然のことであるように思われます。
 2月10日から26日の間、東京都写真美術館で行われていた恵比寿映像祭に出展していたグループ”Forensic Architecture(フォレンジック・アーキテクチュア、以下FA)”の活動は、より具体的に直接的に、現実と関わっている事例です。FAは、国際検察団体や人権団体のために、建築及びメディアリサーチを行っている、ロンドン大学ゴールドスミス校を拠点とする調査機関です。近年の都市部における武力衝突と非戦闘員の犠牲者の増加を受け、FAは、ソーシャルメディア上を含むあらゆる記録を収集し、紛争地域を建築的な視点から調査・分析しています。今回展示されていたのは、”The Black Friday report”、2014年のガザ侵攻の際の、停戦中であったはずの期間を含む8月1日から4日にかけてラファフにおいて行われた、200人を超える市民の犠牲者を出したとも言われる攻撃についての分析です。被害者・目撃者の証言やイスラエル・パレスチナ両者の公的見解を再検討し、ソーシャルメディア上であらゆる画像や動画を集めて分析した過程と結果が示されていました。爆撃による煙の形や日の陰りを手掛かりに、爆撃を記録した複数の動画や画像から位置を特定したり、衛星写真からイスラエル軍の行動を明らかにしたりすることにより、イスラエル軍が無差別に攻撃を行ったことの動かぬ証拠を白日の下に晒しています。

01_収集した映像やCGを使っての分析。爆弾の型まで特定できる。Forensic Architectureウェブサイト上の動画より。
http://www.forensic-architecture.org/case/rafah-black-friday/


 “forensic”という形容詞は、「法廷の、法廷で用いる」といった意味があり、forensic science=犯罪科学、すなわち犯罪立証のために応用された科学、というような使い方をされます。そう考えると、”forensic architecture”というのは、犯罪立証のための建築学、とでも言えばよいのでしょうか。”forensic”にはまた、「弁論術」という意味もあります。FAの代表であるエイヤル・ワイズマンは、この言葉の語源であるラテン語の”forensis”にまで立ち戻り、元々この言葉が法的な領域に限られていたのではなく、forum=政治・法・経済などを含んだ多面的な公共空間に付帯する言葉であったことを再認識し、この言葉の現在の意味を拡張しようと試みます。国際法の存在そのものについての合意がとれなくなっている現状を踏まえ、現行の国際法の枠組みのみに縛られない、批評的な領域の創出を想定しているのです。
 情報網の急速な拡大は、物理的な流通・可動域の限界を超え、都市の輪郭を曖昧にしていく、といった方向から語られることが多かったように思います。情報の取得・拡散がさらに容易になり、その解像度がどんどんあがった挙句に、膨大なデータの蓄積が都市を可視化していく。このような捉え方は、あまりされてこなかったのではないでしょうか。解像度があがり、物理的なモノの輪郭がはっきりする。それによって、恣意的な主張では覆せないような、明白な事実として都市が浮かび上がってくるわけです。
 アーカイブという手法が現代芸術の分野で多く使われていながら、ドキュメンタリーの解説的な役割以上のことができている作品があまりみられない状況の中で、手法の明快さ、プレゼンテーションの鮮やかさ、そして現実にもたらす作用において、FAは明らかに他の作品群とは一線を画しています。
 この活動は、建築に関するアーカイブの活用、という意味で、著者の携わる領域から遠いところにあるわけではありません。とはいえ、自分の仕事に引き付けて考えると、その即効性を目の当たりにし、遅々として進まぬ資料整理と活用の状態を鑑みて、忸怩たる思いを感じずにはいられませんが・・・。

●リンク
Forensic Architectureウェブサイト(英語のみ)
http://www.forensic-architecture.org

FORENSIS The Architecture of Public Truth(Sternberg Press, 2014)
http://www.sternberg-press.com/?pageId=1488

Forensic Architecture: Violence at the Threshold of Detactability (Eyal Weizman, The MIT Press, 2017.4刊行予定)
https://mitpress.mit.edu/books/forensic-architecture

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●本日のお勧めは菅井汲です。
菅井赤い太陽菅井汲
《赤い太陽》
1976年
マルチプル(アクリル+シルクスクリーン)
(刷り:石田了一)
10.0×7.0×2.0cm
Ed.150 ケースに自筆サインあり

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◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

●ときの忘れものの次回企画は「堀尾貞治・石山修武 二人展―あたりまえのこと、そうでもないこと―」です。
会期:2017年3月31日[金]〜4月15日[土] *日・月・祝日休廊
初日3月31日(金)17:00〜19:00お二人を迎えてオープニングを開催します。ぜひお出かけください。
horio-ishiyama_DM

堀尾貞治(1939〜)の未発表ドローイングと、建築家石山修武(1944〜)の新作銅版画及びドローイングをご覧いただきます。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第18回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第18回

 「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」展が、2月5日に終了しました。
アーカイブ資料の重要性を発信する方法としての展覧会の可能性を実感した3ヶ月でしたが、一方で、資料を忠実に展示しようとすればするほど、出てくる制約も感じました。残された資料だけで大眄疑佑料緩討鯏舛┐襪砲蓮△匹Δ靴討眄睫世靴れないことが、やはりあるのです。例えば、人間関係。今回の展示では書簡類も多く展示し、大發慮鰺Т愀犬琉戝爾鬚見せすることができました。しかし、大学時代に始まる住宅公団関係者との協働や、大眄疑佑個別に「教育」したという官僚との付き合いなどは、なかなか残された資料だけで伝えることができませんでした。特に、収蔵資料の大部分を占める図面資料からは、そうした側面を窺うのはかなり難しいことです。大眄疑佑箸い人物を知るためには、図面から伝わる意匠デザインにおけるアプローチだけではなく、それ以外の部分も丁寧に伝える必要がありました。そのためにも行ったのが、トークイベントやシンポジウムです。展示室でのイベントは4回、シンポジウムは3回行いました。資料と対峙するだけでは見えてこない、大眄疑佑凌佑箸覆蠅筺大發了彖曚現在においてどのような意味をもつか、といったことが検証されました。
 やはり聞いていて面白かったのは、若い世代の建築家がどのように大發鯊えているか、です。第1回のギャラリートークでは蓑原敬氏と藤村龍至氏にご登壇いただきました。藤村氏は、高度経済成長期と重なる大發了代と比較して、自分が生きている、人口が減少し社会的成熟が求められる今の時代は、大發掲げた「PAU」のうち「P」がprefabricationではなくdigital fabricationとなり、大發取り組んでいた農村の問題は福祉の問題となっている、と語りました。第3回のトークでは、藤本昌也氏と西村浩氏にご登壇いただきました。まさに新しい形で都市づくりを推進している西村氏は、「再び都市へ」というタイトルでプレゼンテーションをしてくださいました。ここでもやはり強調されていたのが、時代の違いでした。西村氏は、これからの建築家はコンテンツやビジネスモデルを創出し、その結果として建築作品をつくるような仕事をしなければならない、と言います。第3回のシンポジウムでは、曽我部昌史氏と藤原徹平氏にプレゼンテーションをしていただきました。曽我部氏は、80年代に持っていた坂出人工土地への興味から始め、「建築の周辺」や、いくつもの価値が複層する場所における建築への関心が、大發了彖曚砲弔覆っていることを語り、みかんぐみのマニフェスト「非作家性の時代に」も、無意識に大發留洞漸爾砲△辰燭里もしれない、と言います。藤原氏は、水際線を埋めたて、山地を造成することと引き換えに高度経済成長が達成されたことへの怒りを大發閥く共有している、と語ります。両者とも、大發計画に関わった横浜のまちから受けた影響を実感していました。横浜や多摩で、知らず知らずのうちに大發離妊競ぅ鵑鯊隆兇靴討た人は、今やかなりの数となっているでしょう。

5_exhibition「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」展会場風景、
2016.12、筆者撮影

20170107 (5)1月7日の藤本昌也氏×西村浩氏のギャラリートークの様子。
筆者撮影。


 大發侶築はソフトをよく考えたうえで設計されているが故に、運用がハードに追いついていないのでは、と思うような作品が多くあります。農協建築にしても、基町団地にしてもそうです。しかし、これら若い世代の話を聞いていると、やっと時代は大眦なソフトを求めるようになってきたのでは、と感じます。過去のものとして振り返るだけではなく、資料が未来への糧となっている、と思えたことは感動的でした。一方、藤原氏が危惧したように、この機会を生かすだけの力が若い世代にあるのかどうか。自戒を込めて考えてしまいます。シンポジウムへの参加者に若い世代が少なかったのも、残念なことでした。
 展覧会は終了しましたが、イベントの内容はまとめ次第HP等で公開の予定です。今回の展示が一過性のもので終わらないよう、努力をしていきたいと思います。
ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、エルテです。
20161222_erte_02エルテ
「NY.SOHO CIRCLE GALLERY」ポスター
1978年
オフセット
シートサイズ:71.2×56.0cm


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◆ニューヨークで開催されるArt on Paperに出展します。
artonpaper_small_600


会期:2017年3月2日[木]〜3月5日[日]
VIPプレビュー:2017年3月2日(木)
一般公開:2017年3月3日(金)〜5日(日)11:00〜19:00
(5日は12:00から18:00まで)
会場:Pier 36 New York
299 South St, New York, NY 10002
ときの忘れものブースナンバー:G15
公式サイト:http://thepaperfair.com/ny
出品作家:磯崎新安藤忠雄内間安瑆野口琢郎光嶋裕介細江英公植田正治堀尾貞治ジョナス・メカス草間彌生マイケル・グレイヴス

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第17回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第17回

 美女たちの裸体で溢れた「快楽の館」。タイトルを額面通り受け取りかねない、原美術館の篠山紀信写真展に行ってきました。
原美術館で撮影された幾多の美女たちのヌード写真が、撮られたほぼその場に展示されています。自分が今観ているのは、宴の跡のようであり、繰り広げられている宴そのもののようであり。空間が積層し、引き伸ばされます。
 この建物って、こんなに色っぽかったっけ・・・。展示を観てまわるうちに、壁の曲面や手すりのカーブがいやに艶っぽく感じられてきました。裸体を横目に、階段の手すりに色気を感じるとは。一体これはどういうことか。写し撮られた裸体そのものは綺麗ではあるけれど、見つめるほど身体の奇妙さが全面化してくるようでもあり、扇情的というのとは少し違う。裸体そのものが欲情的であったり、いやらしいということではなく、むしろ、階段の手すりの木の触感、壁面いっぱいのタイルの冷たさ、壁のくぼみ、庭木の湿り具合、そんな写真作品を囲む物体や空間が匂い立つようなのです。

170109_160204 原美術館「快楽の館」展。
筆者撮影


 この空間の官能性は演出のなせる業なのか、それとも建築のなせる業なのか。
原美術館の元である原邸を設計したのは、建築家渡辺仁。渡辺は、1887年生まれ。1912年東京帝国大学工科大学建築学科を卒業後、鉄道院を経て1917年に逓信省に入省します。1920年に独立するまでにも、様々な設計競技に応募し入選しています。代表作には、ホテル・ニューグランド(1927)、服部時計店(現和光、1932)、東京帝室博物館(現東京国立博物館本館、1937)などがあります。どの建物も全く違った印象で、渡辺が次々と違う様式を使いこなして設計していたことが分かります。1926年には欧州・アメリカへ視察旅行へ出かけており、バウハウスやアール・デコの造形からも触発されたことでしょう。渡辺が活躍したこの時代は、ちょうど日本の近代建築の過渡期にあたります。日本で初めての近代建築運動である日本分離派建築会が発足したのは1920年。渡辺は、近代建築の基礎を築いた辰野金吾や伊東忠太よりはぐっと若く、分離派よりは少しだけ上の世代です。現在原美術館として使われている原邦造邸は1938年竣工。原邸の竣工当時の写真を観ると、真っ白い小口タイル仕上げのこの建物は、日中戦争が勃発し戦争へと突き進んでいく1938年という時代にあり、ひときわ爽やかな印象です。モダニズムのデザインといえますが、幾何学的な形態と優美な曲線が組み合わさって、完全な均質空間とは違う、清潔でありながらニュアンスのある空間です。とは言え、色っぽいね! と即座に言えるかというと、そう感じたことはありません。
 歴史的建造物がギャラリースペースとして活用され、現代の芸術家がその場所ならではの展示を考えるという企画は、近年よく見かけるように思います。ル・コルビュジエのサヴォア邸しかり、ミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パビリオンしかり。しかし、これほどまでに場のポテンシャルを引き出した展示があったでしょうか。芸術家は建築の持つ歴史的重みに遠慮するのか、空間に負けてしまうのか、空間と張り合うだけの力を持った展示は稀だと思います。「快楽の館」展は、明らかに空間の迫力を増し、空間そのものが変質したと思えるような展示となっていました。雑誌の特集などで観たような気になって行ったものの、展示空間の圧倒的な迫力は、体験しなければ分からないものでした。
 篠山さん。全面降伏です。
ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●本日のお勧め作品は、奈良原一高です。
20170105_narahara_05_duchamp55奈良原一高
〈デュシャン 大ガラス〉より
「MD-55」

1992年 (Printed later)
ラムダプリント
イメージサイズ:41.6×27.4cm
シートサイズ:43.2×35.5cm


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本日の瑛九情報!
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瑛九の会の事務局は当初は東京(尾崎正教)にあり、機関誌『眠りの理由』第1号から第9.10合併号までを刊行しましたが、1970年に事務局が福井に移り、1971年5月1日発行の第11号からは勝山市の原田勇先生が編集担当になりました。
原田勇先生は、1924年(大正13)福井市生まれ、1944年(昭和19)福井工業専門学校機械科を卒業。1949(昭和24)福井県勝山市北郷小学校で教師となり、以後勝山市内の小中学校で美術と数学を教えました。創美運動に参加、児童画の指導に傾注、仲間とともに勝山野外美術学校を20余年にわたって展開。小コレクター運動に参加し、現代美術の普及・啓蒙に尽力され、1970年からは瑛九の会事務局を担当しました。日本素朴派同人として自らも絵筆をとりました。2012年死去。
20170114183744_00007
原田勇『オノサト・トシノブ 実在への召喚』
1987年4月刊
発行:福井オノサト会・中上光雄・原田勇
21.0×14.8cm 59頁

20170114183744_00008
原田勇『美術と教育の小径で』
1981年6月刊
発行:日本素朴派
21.0×14.8cm 174頁

瑛九展小田急レセプション2原田右から三人目が原田勇、続いて中上光雄、中村一郎、堀栄治、いずれも福井瑛九の会のメンバーたち。
「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて
会期:1979年6月8日〜20日
会場:新宿・小田急グランドギャラリー
主催:瑛九展開催委員会
後援:文化庁・瑛九の会

1981年\600\1981年3月1日_ギャラリー方寸_瑛九その夢の方へ_29.jpg
右から中上光雄、原田勇、岡部徳三(刷り師)、尾崎正教(瑛九の会初代事務局)、後ろ姿は亭主。
1981年3月1日
東京渋谷のギャラリー方寸にて
瑛九その夢の方へ」展オープニング

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瑛九_水彩600出品No.3)
瑛九
「(作品名不詳)」
1955年
水彩
27.2x24.1cm
Signed

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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第16回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第16回

 筆者が勤務する近現代建築資料館で開催中の展覧会「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」展の関連シンポジウム「大眄疑佑隼綾佞里泙舛鼎り」が、12/10(土)に大盻仗斑呂任△詈‥膰三春町で開催されました。
 三春町には大發設計した4つの建築(三春町民体育館、三春町歴史民俗資料館、三春ダム資料館、三春交流館/まほらホール)があります。当日はこれらの建物の見学会を行い、大盧波嫻の作であるまほらホールでシンポジウム開催となりました。見学会では大盪務所OBの担当者の方々が全国から駆けつけ、それぞれの建物の解説をしてくださいました。
 大發六綾佞里泙舛鼎りに30年余にわたって関わりました。大睨弩紊盪綾佞里泙舛鼎りは継続されています。これだけの長期にわたってまちづくりが継続されている例は、全国でも稀だそうです。大發蓮◆峪綾嫩建築賞」、「学校建築研究会」、「地域住宅計画」などの事業を通じ、友人の専門家たちを三春のまちづくりに呼び込みました。自らが信頼する知人に仕事を任せることができたために、持続的な仕事が可能だったのでしょう。登壇者からは「マスターアーキテクトのいないまちづくり」という言葉がありました。スター建築家を複数呼んで個別の建物の設計を任せるタイプのプロデュースもありますが、大睥プロデュースは、コーディネーター役が2歩も3歩も後ろに下がり、町民たちが主役になるお膳立てをした、と言えそうです。大發設計した歴史民俗資料館をみると、その建築も大發里泙舛鼎りの意図そのもののようです。瓦棒葺きの屋根と土色のタイル壁の建物が、起伏のある丘の中腹に埋め込むように設計されており、まるで三春の土地と一体になったような建築です。無遠慮な造成で三春の土地を破壊することないように考えられたこの計画で、大發三春町に提案したというまちづくりの指針の見本を見せようとしたのかもしれません。

DSC05876_s大眄疑佑砲茲觧綾嫩への指導・助言、近現代建築資料館にて展示中
筆者撮影


 今回は通常のシンポジウムとはちょっと違った企画で、大眄疑佑澗女であるバイオリニストの山田実紀子氏が、ピアニストの東郷まどか氏と共に演奏をしてくださいました。シンポジウムから続けての企画のため、観客は普段見られない音響反射板の組立をそのまま見ることができました。山田氏は「父との勝負ですので」と前置きされ、ベートーヴェンのクロイツェルソナタを演奏されました。勝負だけあって気迫溢れ、どこか大眄疑佑旅太な建築を思わせるような演奏でした。音響可変装置を作動させ、バッハの無伴奏ソナタ1番で残響時間の違いを体感する、というめったにない演出もありました。お父様設計のホールのうち、山田氏が演奏していないのはこのまほらホールだけだとのことでしたが、演奏されて「東京文化会館小ホールととてもよく似ている!」とのご感想。実はホールの音響は東京文化会館と同じ、石井聖光氏が担当されていたのです。ここにも、息の長い付き合いがみられます。
 このようなシンポジウム企画が実現したのも、顔の見える町ならではでした。小さな町に東京文化会館と同じ質のホールがある贅沢さに、アルヴァ・アアルトが幼少から青年時代を過ごした小さな町ユヴァスキュラを思い出しました。ユヴァスキュラにも町の中心にアアルトが設計した素敵なホールがありました。しかし、人口13万のユヴァスキュラに比べて三春町は約十分の一。大發閥Δ膨糠まちづくりに尽力された伊藤寛元町長さんが、「三春の宝」と呼ぶ意味がよく分かります。
 帰り際に三春駅で売店を冷やかしていると、新鮮な野菜が並んでいるのが目に入りました。それらには、自主的に放射能検査が行われている旨の注意書きがついています。そういえば筆者が宿泊した施設の一角にも、放射能測定ができるベクレルセンターという検査所が設置されていました。大發丁寧に考えたまちでも、今もなお人々の暮らしが脅かされている。これは悲しい現実です。

文化庁国立近現代建築資料館で、「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」展開催中(〜2017.2.5)
http://nama.bunka.go.jp/kikak/kikak/1609/

次回シンポジウムは1/21(土)、大發僚藉作品である六本木の全日本海員組合本部にて。資料館でのギャラリートークは1/7(土)、藤本昌也氏×西村浩氏、司会は松隈洋京都工芸繊維大学教授。↓
http://nama.bunka.go.jp/kikak/kikak/1609/notice.html

展覧会ツイッター↓
https://twitter.com/otakamasato2016/

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。
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本日の瑛九情報!
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瑛九の浦和のアトリエに集まった若い芸術家たち、昨日は細江英公を紹介しましたが、最年少が磯辺行久でした。高校時代にデモクラート美術家協会に入会、リトグラフの制作を始めます。1959年東京芸術大学絵画科卒業。1962年読売アンデパンダン展にワッペンを連ねたレリーフ作品を出品し注目を集め、翌年の日本国際美術展で優秀賞を受賞しました。1966年渡米、建築や都市計画に関心を移し、アメリカと日本でエコロジカル・プランニングを手掛ける。1991年目黒区美術館で個展を開催し、再び美術家として制作活動を再開しました。
20160128_isobe_04_relief磯辺行久
「ワッペン」
1962年
レリーフ、木
28.1x40.4x4.6cm
サインあり

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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第15回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第15回

 去る11/12(土)に、展覧会「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」関連シンポジウム「広島基町高層アパートと大眄疑諭廚、広島市立基町小学校で行われました。
 改めて基町アパートを訪れてみて、その迫力に圧倒されます。大眄疑佑呂海侶弉茲髻崢況築」と名付けましたが、単なる建築の集合を超えて、都市スケールで計画されたプロジェクトだったことが身にしみて感じられます。
 スケールは都市ですが、デザインの細部には強いこだわりがみられます。大發離妊競ぅ鵑砲蓮岾僂鰺遒箸后廚箸いζ団Гあるのですが、アパートの階段室をみると、やはり。角の部分に細長く開口部を設けています。屋上の胸壁の角にも開口部が。小学校体育館屋根の角も切り取られたようなデザインがされています。厚ぼったい庇も特徴のひとつ。小学校のいくつもの小窓には、厚みのある庇がついています。そして、屋根。シンポジウム会場の基町小学校体育館も傾斜屋根がかけられていました。体育館としてはこぢんまりとしていますが、傾斜の分だけボリュームのある空間となっています。アパート屋上の集会場も方形屋根で、退屈になりがちな陸屋根に変化をつけています。
 今回はシンポジウムに先立ち、予約制の見学会も行いました。屋上に上がり、大盪務所で設計を担当された藤本昌也氏のお話を聞きます。多くの日本の陸屋根の上にはむきだしの設備が置かれていて美しくないことが大發良塰であったそうです。1.4haもあるアパート屋上は活用が考えられ、集会所が設けられています。ル・コルビュジエが設計したマルセイユのユニテ・ダビタシオンには屋上プールがありますが、基町アパート設計時にはル・コルビュジェが考えたのと同じような公共空間の創出を計画していました。アパートは20階建から12階建までの棟がつながっています。屏風のように角度をつけながら各棟が配置されていることもあり、20階から12階まで屋上を降りながら辿っていくと、ル・コルビュジエが提唱した「プロムナード」のような、景色の変化が楽しめます。屋上から見渡す市内は圧巻で、安全管理の理由から一般には閉鎖されていることがもったいないような贅沢さです。
DSC05644DSC05657
角に開口部のある階段室外観
2016.11.12 筆者撮影

 このアパートの迫力は、スケールの大きさからというよりも、デザインや配置計画全体から、構築への意志がひしひしと伝わってくるからではないかと、この度思い直しました。どんな小さな部分にも手を抜かず、考え抜かれた建築は、明らかに他の高層住宅とは違っています。アパート建設に反対する住民が多くいる現場で、8.1haに3,000戸を収容するアパートをつくるという「重荷に私は押しつぶされそう」と大發禄颪い討い泙后福愿垰埆斬陝1973年7月号)。その重圧をはねのけるように設計された建築であるためか、並々ならぬ大高の使命感と意気込みが凝縮され、その威容―そして同時に異様さ―に現れているのではないでしょうか。地元のPC・鉄骨業者などと検討を重ねてコストを削減し、造形デザインにこだわりながら、高層公営住宅の先駆として都市生活環境の改善を目指す。まさに「PAU」の統合された、ひとつの到達点といえるでしょう。
 基町アパートの敷地南に隣接する中央公園に、サッカースタジアムを建設しようという案が浮上してきているようです。今回のシンポジウムの中で、藤本昌也氏は、アパート周辺の減築も考えながら一帯を緑地とし、平和記念公園から続く公園にするべきだと提案されました。平和記念公園から原爆ドームを結んだ「平和の軸線」の先に、巨大なスタジアムが建設されることが本当によいことなのかどうか。平和記念公園整備の際にも色々な苦労があったでしょうが、今は平和を祈念するための中心地として大切な役割を担っています。今後の広島市民の決断を注視したいと思います。

文化庁国立近現代建築資料館で、「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」展開催中(〜2017.2.5)
http://nama.bunka.go.jp/kikak/kikak/1609/

次回イベントは大發僚仗斑亙‥膰三春町にて。資料館ではギャラリートークも順次行います!
http://nama.bunka.go.jp/kikak/kikak/1609/notice.html

展覧会のツイッター始めました↓
https://twitter.com/otakamasato2016/

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。
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藤本さんが担当した「PAU 建築と社会を結ぶ 大眄疑佑諒法」が2016年10月26日〜2017年2月5日まで国立近現代建築資料館で開催中です。

●今日のお勧め作品は、ル・コルビュジエです。
20161122_corbusier_30ル・コルビュジエ
「雄牛#6」
1964年 リトグラフ
イメージサイズ:60.0×52.0cm
シートサイズ:71.7×54.0cm
Ed.150  サインあり
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◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
ときの忘れもの
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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