藤本貴子のエッセイ

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第19回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第19回

 先月まで開催していた大眄疑妖犬離瓮ぅ鵐織ぅ肇襪蓮峽築と社会を結ぶ」でしたが、「建築」の領域を、建築単体のデザインを超えて、より具体的に社会と繋げて考えようとしている建築家は増えているのではないでしょうか。大眦鹸慙▲ぅ戰鵐箸謀价鼎靴討ださった方々も、多かれ少なかれそのような活動をされていました。90年代にはレム・コールハースが研究組織AMOを立ち上げていますが、大發里茲Δ坊築家の責務を突き詰めて考えていくと、建築家が都市や社会的領域に切り込んでいくのは、必然のことであるように思われます。
 2月10日から26日の間、東京都写真美術館で行われていた恵比寿映像祭に出展していたグループ”Forensic Architecture(フォレンジック・アーキテクチュア、以下FA)”の活動は、より具体的に直接的に、現実と関わっている事例です。FAは、国際検察団体や人権団体のために、建築及びメディアリサーチを行っている、ロンドン大学ゴールドスミス校を拠点とする調査機関です。近年の都市部における武力衝突と非戦闘員の犠牲者の増加を受け、FAは、ソーシャルメディア上を含むあらゆる記録を収集し、紛争地域を建築的な視点から調査・分析しています。今回展示されていたのは、”The Black Friday report”、2014年のガザ侵攻の際の、停戦中であったはずの期間を含む8月1日から4日にかけてラファフにおいて行われた、200人を超える市民の犠牲者を出したとも言われる攻撃についての分析です。被害者・目撃者の証言やイスラエル・パレスチナ両者の公的見解を再検討し、ソーシャルメディア上であらゆる画像や動画を集めて分析した過程と結果が示されていました。爆撃による煙の形や日の陰りを手掛かりに、爆撃を記録した複数の動画や画像から位置を特定したり、衛星写真からイスラエル軍の行動を明らかにしたりすることにより、イスラエル軍が無差別に攻撃を行ったことの動かぬ証拠を白日の下に晒しています。

01_収集した映像やCGを使っての分析。爆弾の型まで特定できる。Forensic Architectureウェブサイト上の動画より。
http://www.forensic-architecture.org/case/rafah-black-friday/


 “forensic”という形容詞は、「法廷の、法廷で用いる」といった意味があり、forensic science=犯罪科学、すなわち犯罪立証のために応用された科学、というような使い方をされます。そう考えると、”forensic architecture”というのは、犯罪立証のための建築学、とでも言えばよいのでしょうか。”forensic”にはまた、「弁論術」という意味もあります。FAの代表であるエイヤル・ワイズマンは、この言葉の語源であるラテン語の”forensis”にまで立ち戻り、元々この言葉が法的な領域に限られていたのではなく、forum=政治・法・経済などを含んだ多面的な公共空間に付帯する言葉であったことを再認識し、この言葉の現在の意味を拡張しようと試みます。国際法の存在そのものについての合意がとれなくなっている現状を踏まえ、現行の国際法の枠組みのみに縛られない、批評的な領域の創出を想定しているのです。
 情報網の急速な拡大は、物理的な流通・可動域の限界を超え、都市の輪郭を曖昧にしていく、といった方向から語られることが多かったように思います。情報の取得・拡散がさらに容易になり、その解像度がどんどんあがった挙句に、膨大なデータの蓄積が都市を可視化していく。このような捉え方は、あまりされてこなかったのではないでしょうか。解像度があがり、物理的なモノの輪郭がはっきりする。それによって、恣意的な主張では覆せないような、明白な事実として都市が浮かび上がってくるわけです。
 アーカイブという手法が現代芸術の分野で多く使われていながら、ドキュメンタリーの解説的な役割以上のことができている作品があまりみられない状況の中で、手法の明快さ、プレゼンテーションの鮮やかさ、そして現実にもたらす作用において、FAは明らかに他の作品群とは一線を画しています。
 この活動は、建築に関するアーカイブの活用、という意味で、著者の携わる領域から遠いところにあるわけではありません。とはいえ、自分の仕事に引き付けて考えると、その即効性を目の当たりにし、遅々として進まぬ資料整理と活用の状態を鑑みて、忸怩たる思いを感じずにはいられませんが・・・。

●リンク
Forensic Architectureウェブサイト(英語のみ)
http://www.forensic-architecture.org

FORENSIS The Architecture of Public Truth(Sternberg Press, 2014)
http://www.sternberg-press.com/?pageId=1488

Forensic Architecture: Violence at the Threshold of Detactability (Eyal Weizman, The MIT Press, 2017.4刊行予定)
https://mitpress.mit.edu/books/forensic-architecture

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●本日のお勧めは菅井汲です。
菅井赤い太陽菅井汲
《赤い太陽》
1976年
マルチプル(アクリル+シルクスクリーン)
(刷り:石田了一)
10.0×7.0×2.0cm
Ed.150 ケースに自筆サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものは「小野隆生コレクション展」を開催しています。
会期:2017年3月7日[火]―3月25日[土] *日・月・祝日休廊
201703_ONO
岩手県に生まれた小野隆生は、1971年イタリアに渡ります。国立ローマ中央修復研究所絵画科を卒業し、1977〜1985年にイタリア各地の教会壁画や美術館収蔵作品の修復に携わり、ジョットやティツィアーノらの作品に直接触れ、古典技法を習得しました。1976年銀座・現代画廊で初個展開催。資生堂ギャラリー[椿会展]に出品。「ライバルは500年前のルネサンスの画家たち」との揺るぎない精神でテンペラ画による肖像画を制作をしています。2008年には池田20世紀美術館で「描かれた影の記憶 小野隆生展 イタリアでの活動 30年」 を開催しました。
本展では、小野の1970年代の初期作品から2000年代の近作まで、油彩・テンペラ・素描など約15点をご覧いただきます。
ono35
小野隆生《夏の終わる日》
2008年  テンペラ・画布  80.0×220.0cm  サインあり

●ときの忘れものの次回企画は「堀尾貞治・石山修武 二人展―あたりまえのこと、そうでもないこと―」です。
会期:2017年3月31日[金]〜4月15日[土] *日・月・祝日休廊
初日3月31日(金)17:00〜19:00お二人を迎えてオープニングを開催します。ぜひお出かけください。
horio-ishiyama_DM

堀尾貞治(1939〜)の未発表ドローイングと、建築家石山修武(1944〜)の新作銅版画及びドローイングをご覧いただきます。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・新連載・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第18回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第18回

 「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」展が、2月5日に終了しました。
アーカイブ資料の重要性を発信する方法としての展覧会の可能性を実感した3ヶ月でしたが、一方で、資料を忠実に展示しようとすればするほど、出てくる制約も感じました。残された資料だけで大眄疑佑料緩討鯏舛┐襪砲蓮△匹Δ靴討眄睫世靴れないことが、やはりあるのです。例えば、人間関係。今回の展示では書簡類も多く展示し、大發慮鰺Т愀犬琉戝爾鬚見せすることができました。しかし、大学時代に始まる住宅公団関係者との協働や、大眄疑佑個別に「教育」したという官僚との付き合いなどは、なかなか残された資料だけで伝えることができませんでした。特に、収蔵資料の大部分を占める図面資料からは、そうした側面を窺うのはかなり難しいことです。大眄疑佑箸い人物を知るためには、図面から伝わる意匠デザインにおけるアプローチだけではなく、それ以外の部分も丁寧に伝える必要がありました。そのためにも行ったのが、トークイベントやシンポジウムです。展示室でのイベントは4回、シンポジウムは3回行いました。資料と対峙するだけでは見えてこない、大眄疑佑凌佑箸覆蠅筺大發了彖曚現在においてどのような意味をもつか、といったことが検証されました。
 やはり聞いていて面白かったのは、若い世代の建築家がどのように大發鯊えているか、です。第1回のギャラリートークでは蓑原敬氏と藤村龍至氏にご登壇いただきました。藤村氏は、高度経済成長期と重なる大發了代と比較して、自分が生きている、人口が減少し社会的成熟が求められる今の時代は、大發掲げた「PAU」のうち「P」がprefabricationではなくdigital fabricationとなり、大發取り組んでいた農村の問題は福祉の問題となっている、と語りました。第3回のトークでは、藤本昌也氏と西村浩氏にご登壇いただきました。まさに新しい形で都市づくりを推進している西村氏は、「再び都市へ」というタイトルでプレゼンテーションをしてくださいました。ここでもやはり強調されていたのが、時代の違いでした。西村氏は、これからの建築家はコンテンツやビジネスモデルを創出し、その結果として建築作品をつくるような仕事をしなければならない、と言います。第3回のシンポジウムでは、曽我部昌史氏と藤原徹平氏にプレゼンテーションをしていただきました。曽我部氏は、80年代に持っていた坂出人工土地への興味から始め、「建築の周辺」や、いくつもの価値が複層する場所における建築への関心が、大發了彖曚砲弔覆っていることを語り、みかんぐみのマニフェスト「非作家性の時代に」も、無意識に大發留洞漸爾砲△辰燭里もしれない、と言います。藤原氏は、水際線を埋めたて、山地を造成することと引き換えに高度経済成長が達成されたことへの怒りを大發閥く共有している、と語ります。両者とも、大發計画に関わった横浜のまちから受けた影響を実感していました。横浜や多摩で、知らず知らずのうちに大發離妊競ぅ鵑鯊隆兇靴討た人は、今やかなりの数となっているでしょう。

5_exhibition「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」展会場風景、
2016.12、筆者撮影

20170107 (5)1月7日の藤本昌也氏×西村浩氏のギャラリートークの様子。
筆者撮影。


 大發侶築はソフトをよく考えたうえで設計されているが故に、運用がハードに追いついていないのでは、と思うような作品が多くあります。農協建築にしても、基町団地にしてもそうです。しかし、これら若い世代の話を聞いていると、やっと時代は大眦なソフトを求めるようになってきたのでは、と感じます。過去のものとして振り返るだけではなく、資料が未来への糧となっている、と思えたことは感動的でした。一方、藤原氏が危惧したように、この機会を生かすだけの力が若い世代にあるのかどうか。自戒を込めて考えてしまいます。シンポジウムへの参加者に若い世代が少なかったのも、残念なことでした。
 展覧会は終了しましたが、イベントの内容はまとめ次第HP等で公開の予定です。今回の展示が一過性のもので終わらないよう、努力をしていきたいと思います。
ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、エルテです。
20161222_erte_02エルテ
「NY.SOHO CIRCLE GALLERY」ポスター
1978年
オフセット
シートサイズ:71.2×56.0cm


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ニューヨークで開催されるArt on Paperに出展します。
artonpaper_small_600


会期:2017年3月2日[木]〜3月5日[日]
VIPプレビュー:2017年3月2日(木)
一般公開:2017年3月3日(金)〜5日(日)11:00〜19:00
(5日は12:00から18:00まで)
会場:Pier 36 New York
299 South St, New York, NY 10002
ときの忘れものブースナンバー:G15
公式サイト:http://thepaperfair.com/ny
出品作家:磯崎新安藤忠雄内間安瑆野口琢郎光嶋裕介細江英公植田正治堀尾貞治ジョナス・メカス草間彌生マイケル・グレイヴス

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第17回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第17回

 美女たちの裸体で溢れた「快楽の館」。タイトルを額面通り受け取りかねない、原美術館の篠山紀信写真展に行ってきました。
原美術館で撮影された幾多の美女たちのヌード写真が、撮られたほぼその場に展示されています。自分が今観ているのは、宴の跡のようであり、繰り広げられている宴そのもののようであり。空間が積層し、引き伸ばされます。
 この建物って、こんなに色っぽかったっけ・・・。展示を観てまわるうちに、壁の曲面や手すりのカーブがいやに艶っぽく感じられてきました。裸体を横目に、階段の手すりに色気を感じるとは。一体これはどういうことか。写し撮られた裸体そのものは綺麗ではあるけれど、見つめるほど身体の奇妙さが全面化してくるようでもあり、扇情的というのとは少し違う。裸体そのものが欲情的であったり、いやらしいということではなく、むしろ、階段の手すりの木の触感、壁面いっぱいのタイルの冷たさ、壁のくぼみ、庭木の湿り具合、そんな写真作品を囲む物体や空間が匂い立つようなのです。

170109_160204 原美術館「快楽の館」展。
筆者撮影


 この空間の官能性は演出のなせる業なのか、それとも建築のなせる業なのか。
原美術館の元である原邸を設計したのは、建築家渡辺仁。渡辺は、1887年生まれ。1912年東京帝国大学工科大学建築学科を卒業後、鉄道院を経て1917年に逓信省に入省します。1920年に独立するまでにも、様々な設計競技に応募し入選しています。代表作には、ホテル・ニューグランド(1927)、服部時計店(現和光、1932)、東京帝室博物館(現東京国立博物館本館、1937)などがあります。どの建物も全く違った印象で、渡辺が次々と違う様式を使いこなして設計していたことが分かります。1926年には欧州・アメリカへ視察旅行へ出かけており、バウハウスやアール・デコの造形からも触発されたことでしょう。渡辺が活躍したこの時代は、ちょうど日本の近代建築の過渡期にあたります。日本で初めての近代建築運動である日本分離派建築会が発足したのは1920年。渡辺は、近代建築の基礎を築いた辰野金吾や伊東忠太よりはぐっと若く、分離派よりは少しだけ上の世代です。現在原美術館として使われている原邦造邸は1938年竣工。原邸の竣工当時の写真を観ると、真っ白い小口タイル仕上げのこの建物は、日中戦争が勃発し戦争へと突き進んでいく1938年という時代にあり、ひときわ爽やかな印象です。モダニズムのデザインといえますが、幾何学的な形態と優美な曲線が組み合わさって、完全な均質空間とは違う、清潔でありながらニュアンスのある空間です。とは言え、色っぽいね! と即座に言えるかというと、そう感じたことはありません。
 歴史的建造物がギャラリースペースとして活用され、現代の芸術家がその場所ならではの展示を考えるという企画は、近年よく見かけるように思います。ル・コルビュジエのサヴォア邸しかり、ミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パビリオンしかり。しかし、これほどまでに場のポテンシャルを引き出した展示があったでしょうか。芸術家は建築の持つ歴史的重みに遠慮するのか、空間に負けてしまうのか、空間と張り合うだけの力を持った展示は稀だと思います。「快楽の館」展は、明らかに空間の迫力を増し、空間そのものが変質したと思えるような展示となっていました。雑誌の特集などで観たような気になって行ったものの、展示空間の圧倒的な迫力は、体験しなければ分からないものでした。
 篠山さん。全面降伏です。
ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●本日のお勧め作品は、奈良原一高です。
20170105_narahara_05_duchamp55奈良原一高
〈デュシャン 大ガラス〉より
「MD-55」

1992年 (Printed later)
ラムダプリント
イメージサイズ:41.6×27.4cm
シートサイズ:43.2×35.5cm


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

本日の瑛九情報!
〜〜〜
瑛九の会の事務局は当初は東京(尾崎正教)にあり、機関誌『眠りの理由』第1号から第9.10合併号までを刊行しましたが、1970年に事務局が福井に移り、1971年5月1日発行の第11号からは勝山市の原田勇先生が編集担当になりました。
原田勇先生は、1924年(大正13)福井市生まれ、1944年(昭和19)福井工業専門学校機械科を卒業。1949(昭和24)福井県勝山市北郷小学校で教師となり、以後勝山市内の小中学校で美術と数学を教えました。創美運動に参加、児童画の指導に傾注、仲間とともに勝山野外美術学校を20余年にわたって展開。小コレクター運動に参加し、現代美術の普及・啓蒙に尽力され、1970年からは瑛九の会事務局を担当しました。日本素朴派同人として自らも絵筆をとりました。2012年死去。
20170114183744_00007
原田勇『オノサト・トシノブ 実在への召喚』
1987年4月刊
発行:福井オノサト会・中上光雄・原田勇
21.0×14.8cm 59頁

20170114183744_00008
原田勇『美術と教育の小径で』
1981年6月刊
発行:日本素朴派
21.0×14.8cm 174頁

瑛九展小田急レセプション2原田右から三人目が原田勇、続いて中上光雄、中村一郎、堀栄治、いずれも福井瑛九の会のメンバーたち。
「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて
会期:1979年6月8日〜20日
会場:新宿・小田急グランドギャラリー
主催:瑛九展開催委員会
後援:文化庁・瑛九の会

1981年\600\1981年3月1日_ギャラリー方寸_瑛九その夢の方へ_29.jpg
右から中上光雄、原田勇、岡部徳三(刷り師)、尾崎正教(瑛九の会初代事務局)、後ろ姿は亭主。
1981年3月1日
東京渋谷のギャラリー方寸にて
瑛九その夢の方へ」展オープニング

--------------------------------
瑛九_水彩600出品No.3)
瑛九
「(作品名不詳)」
1955年
水彩
27.2x24.1cm
Signed

〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第16回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第16回

 筆者が勤務する近現代建築資料館で開催中の展覧会「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」展の関連シンポジウム「大眄疑佑隼綾佞里泙舛鼎り」が、12/10(土)に大盻仗斑呂任△詈‥膰三春町で開催されました。
 三春町には大發設計した4つの建築(三春町民体育館、三春町歴史民俗資料館、三春ダム資料館、三春交流館/まほらホール)があります。当日はこれらの建物の見学会を行い、大盧波嫻の作であるまほらホールでシンポジウム開催となりました。見学会では大盪務所OBの担当者の方々が全国から駆けつけ、それぞれの建物の解説をしてくださいました。
 大發六綾佞里泙舛鼎りに30年余にわたって関わりました。大睨弩紊盪綾佞里泙舛鼎りは継続されています。これだけの長期にわたってまちづくりが継続されている例は、全国でも稀だそうです。大發蓮◆峪綾嫩建築賞」、「学校建築研究会」、「地域住宅計画」などの事業を通じ、友人の専門家たちを三春のまちづくりに呼び込みました。自らが信頼する知人に仕事を任せることができたために、持続的な仕事が可能だったのでしょう。登壇者からは「マスターアーキテクトのいないまちづくり」という言葉がありました。スター建築家を複数呼んで個別の建物の設計を任せるタイプのプロデュースもありますが、大睥プロデュースは、コーディネーター役が2歩も3歩も後ろに下がり、町民たちが主役になるお膳立てをした、と言えそうです。大發設計した歴史民俗資料館をみると、その建築も大發里泙舛鼎りの意図そのもののようです。瓦棒葺きの屋根と土色のタイル壁の建物が、起伏のある丘の中腹に埋め込むように設計されており、まるで三春の土地と一体になったような建築です。無遠慮な造成で三春の土地を破壊することないように考えられたこの計画で、大發三春町に提案したというまちづくりの指針の見本を見せようとしたのかもしれません。

DSC05876_s大眄疑佑砲茲觧綾嫩への指導・助言、近現代建築資料館にて展示中
筆者撮影


 今回は通常のシンポジウムとはちょっと違った企画で、大眄疑佑澗女であるバイオリニストの山田実紀子氏が、ピアニストの東郷まどか氏と共に演奏をしてくださいました。シンポジウムから続けての企画のため、観客は普段見られない音響反射板の組立をそのまま見ることができました。山田氏は「父との勝負ですので」と前置きされ、ベートーヴェンのクロイツェルソナタを演奏されました。勝負だけあって気迫溢れ、どこか大眄疑佑旅太な建築を思わせるような演奏でした。音響可変装置を作動させ、バッハの無伴奏ソナタ1番で残響時間の違いを体感する、というめったにない演出もありました。お父様設計のホールのうち、山田氏が演奏していないのはこのまほらホールだけだとのことでしたが、演奏されて「東京文化会館小ホールととてもよく似ている!」とのご感想。実はホールの音響は東京文化会館と同じ、石井聖光氏が担当されていたのです。ここにも、息の長い付き合いがみられます。
 このようなシンポジウム企画が実現したのも、顔の見える町ならではでした。小さな町に東京文化会館と同じ質のホールがある贅沢さに、アルヴァ・アアルトが幼少から青年時代を過ごした小さな町ユヴァスキュラを思い出しました。ユヴァスキュラにも町の中心にアアルトが設計した素敵なホールがありました。しかし、人口13万のユヴァスキュラに比べて三春町は約十分の一。大發閥Δ膨糠まちづくりに尽力された伊藤寛元町長さんが、「三春の宝」と呼ぶ意味がよく分かります。
 帰り際に三春駅で売店を冷やかしていると、新鮮な野菜が並んでいるのが目に入りました。それらには、自主的に放射能検査が行われている旨の注意書きがついています。そういえば筆者が宿泊した施設の一角にも、放射能測定ができるベクレルセンターという検査所が設置されていました。大發丁寧に考えたまちでも、今もなお人々の暮らしが脅かされている。これは悲しい現実です。

文化庁国立近現代建築資料館で、「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」展開催中(〜2017.2.5)
http://nama.bunka.go.jp/kikak/kikak/1609/

次回シンポジウムは1/21(土)、大發僚藉作品である六本木の全日本海員組合本部にて。資料館でのギャラリートークは1/7(土)、藤本昌也氏×西村浩氏、司会は松隈洋京都工芸繊維大学教授。↓
http://nama.bunka.go.jp/kikak/kikak/1609/notice.html

展覧会ツイッター↓
https://twitter.com/otakamasato2016/

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。
-------------------------
本日の瑛九情報!
〜〜〜
瑛九の浦和のアトリエに集まった若い芸術家たち、昨日は細江英公を紹介しましたが、最年少が磯辺行久でした。高校時代にデモクラート美術家協会に入会、リトグラフの制作を始めます。1959年東京芸術大学絵画科卒業。1962年読売アンデパンダン展にワッペンを連ねたレリーフ作品を出品し注目を集め、翌年の日本国際美術展で優秀賞を受賞しました。1966年渡米、建築や都市計画に関心を移し、アメリカと日本でエコロジカル・プランニングを手掛ける。1991年目黒区美術館で個展を開催し、再び美術家として制作活動を再開しました。
20160128_isobe_04_relief磯辺行久
「ワッペン」
1962年
レリーフ、木
28.1x40.4x4.6cm
サインあり

〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第15回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第15回

 去る11/12(土)に、展覧会「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」関連シンポジウム「広島基町高層アパートと大眄疑諭廚、広島市立基町小学校で行われました。
 改めて基町アパートを訪れてみて、その迫力に圧倒されます。大眄疑佑呂海侶弉茲髻崢況築」と名付けましたが、単なる建築の集合を超えて、都市スケールで計画されたプロジェクトだったことが身にしみて感じられます。
 スケールは都市ですが、デザインの細部には強いこだわりがみられます。大發離妊競ぅ鵑砲蓮岾僂鰺遒箸后廚箸いζ団Гあるのですが、アパートの階段室をみると、やはり。角の部分に細長く開口部を設けています。屋上の胸壁の角にも開口部が。小学校体育館屋根の角も切り取られたようなデザインがされています。厚ぼったい庇も特徴のひとつ。小学校のいくつもの小窓には、厚みのある庇がついています。そして、屋根。シンポジウム会場の基町小学校体育館も傾斜屋根がかけられていました。体育館としてはこぢんまりとしていますが、傾斜の分だけボリュームのある空間となっています。アパート屋上の集会場も方形屋根で、退屈になりがちな陸屋根に変化をつけています。
 今回はシンポジウムに先立ち、予約制の見学会も行いました。屋上に上がり、大盪務所で設計を担当された藤本昌也氏のお話を聞きます。多くの日本の陸屋根の上にはむきだしの設備が置かれていて美しくないことが大發良塰であったそうです。1.4haもあるアパート屋上は活用が考えられ、集会所が設けられています。ル・コルビュジエが設計したマルセイユのユニテ・ダビタシオンには屋上プールがありますが、基町アパート設計時にはル・コルビュジェが考えたのと同じような公共空間の創出を計画していました。アパートは20階建から12階建までの棟がつながっています。屏風のように角度をつけながら各棟が配置されていることもあり、20階から12階まで屋上を降りながら辿っていくと、ル・コルビュジエが提唱した「プロムナード」のような、景色の変化が楽しめます。屋上から見渡す市内は圧巻で、安全管理の理由から一般には閉鎖されていることがもったいないような贅沢さです。
DSC05644DSC05657
角に開口部のある階段室外観
2016.11.12 筆者撮影

 このアパートの迫力は、スケールの大きさからというよりも、デザインや配置計画全体から、構築への意志がひしひしと伝わってくるからではないかと、この度思い直しました。どんな小さな部分にも手を抜かず、考え抜かれた建築は、明らかに他の高層住宅とは違っています。アパート建設に反対する住民が多くいる現場で、8.1haに3,000戸を収容するアパートをつくるという「重荷に私は押しつぶされそう」と大發禄颪い討い泙后福愿垰埆斬陝1973年7月号)。その重圧をはねのけるように設計された建築であるためか、並々ならぬ大高の使命感と意気込みが凝縮され、その威容―そして同時に異様さ―に現れているのではないでしょうか。地元のPC・鉄骨業者などと検討を重ねてコストを削減し、造形デザインにこだわりながら、高層公営住宅の先駆として都市生活環境の改善を目指す。まさに「PAU」の統合された、ひとつの到達点といえるでしょう。
 基町アパートの敷地南に隣接する中央公園に、サッカースタジアムを建設しようという案が浮上してきているようです。今回のシンポジウムの中で、藤本昌也氏は、アパート周辺の減築も考えながら一帯を緑地とし、平和記念公園から続く公園にするべきだと提案されました。平和記念公園から原爆ドームを結んだ「平和の軸線」の先に、巨大なスタジアムが建設されることが本当によいことなのかどうか。平和記念公園整備の際にも色々な苦労があったでしょうが、今は平和を祈念するための中心地として大切な役割を担っています。今後の広島市民の決断を注視したいと思います。

文化庁国立近現代建築資料館で、「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」展開催中(〜2017.2.5)
http://nama.bunka.go.jp/kikak/kikak/1609/

次回イベントは大發僚仗斑亙‥膰三春町にて。資料館ではギャラリートークも順次行います!
http://nama.bunka.go.jp/kikak/kikak/1609/notice.html

展覧会のツイッター始めました↓
https://twitter.com/otakamasato2016/

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。
-------------------------

藤本さんが担当した「PAU 建築と社会を結ぶ 大眄疑佑諒法」が2016年10月26日〜2017年2月5日まで国立近現代建築資料館で開催中です。

●今日のお勧め作品は、ル・コルビュジエです。
20161122_corbusier_30ル・コルビュジエ
「雄牛#6」
1964年 リトグラフ
イメージサイズ:60.0×52.0cm
シートサイズ:71.7×54.0cm
Ed.150  サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第14回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第14回

 筆者が勤務する近現代建築資料館にて、10月26日(水)より、展覧会「建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法」が始まります。京都工芸繊維大学の松隈洋教授と東京大学の中島直人准教授が、大發残した膨大な資料から、大高正人初の包括的な展覧会を企画してくださいました。
 建築と社会を結ぶ―、建築とはそもそも社会的なものだったのではないのか? という疑問の声が聞こえてきそうです。まさに、本来社会との繋がりの中で考えられなければならない建築が、その結びつきを失ってしまった状況を憂い、本来あるべき姿を求めて格闘したのが大眄疑佑世辰拭△修里茲Δ妨世Δ海箸できると思います。
 大眄疑佑箸いΨ築家は、一般的に見て知名度が高いとはいえません。建築界ですら、そうかもしれません。30代半ばで参加したメタボリズム・グループの一員としての認識はあっても、特に後期の仕事については、すぐに思い浮かぶ人は少ないでしょう。実際、80年代以降は建築雑誌で名前を見ることはかなり少なかったはずです。その理由は、大發次第に単体の建築デザインだけではなく、都市デザインの領域に闘いの場を拡げていったためだと言えそうです。同じくメタボリズム・グループに参加していた建築評論家の川添登は、それを「大高正人の全面戦争」と表現していました*。闘いの場が拡がったために、単体建築のデザインが減り、建築雑誌等での個人名を冠しての作品発表の機会は少なくなっていきました。しかし、その間に大發継続的に手がけていた仕事は、多摩ニュータウンや横浜みなとみらい21といった、大規模な都市デザインでした。筆者はこの2年間大盪駑舛寮依を担当し、都市計画関係の図面を広げる機会も幾度となくありましたが、見たこともないような大きな図面がたくさんありました。そしてそこにはいわゆるデザインの図面だけではなく、デザインの前の段階の現状分析や調査も多く含まれていました。都市に向き合うということ、それはまさに「闘い」と称するのがふさわしい、困難な仕事であったことでしょう。
 今回の展覧会では、大發掲げた3つの理想の融合をキーワードとしています。3つとはすなわち、P = Prefabrication、A = Art & Architecture、U = Urbanismで、大高はその頭文字をとって「PAU」とし、大盪務所が手がけた仕事の件名番号の頭にもこの文字をつけました。主に初期に試みた工業化への取り組みと、大眛汎辰梁し舛悗里海世錣蝓△修靴禿垰圓悗亮茲蠢箸漾この「PAU」は生涯を通じて大發了纏のテーマとなっていたと思われます。その根底には、常に建築を社会的な存在として捉える大發了兩があったといえます。それは、現代においてこそ意識的に考えていかなければならないことではないでしょうか。この展覧会については、来月以降も継続してお伝えしたいと思います。
 大眄疑佑了纏は膨大で範囲も広く、その全貌を知ること・伝えることはとても難しく感じられます。しかし、残された資料を通じて、少しでも多くの方と、大發梁跡とそのメッセージを共有したいと思っています。
 是非、ご来館ください。お待ちしています。

*『メタボリズムとメタボリストたち』(大眄疑諭川添登編、2005、美術出版社)

kikak1609
《建築と社会を結ぶ―大眄疑佑諒法》展、国立近現代建築資料館
2016年10月26日(水)〜2017年2月5日(日)
http://nama.bunka.go.jp/kikak/

イベントのチェックはこちらから↓
http://nama.bunka.go.jp/kikak/kikak/1609/notice.html

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、ルイーズ・ニーヴェルスンです。
20161022_nevelson_nontitle_11ルイーズ・ニーヴェルスン
「7508」
1975年
シルクスクリーン
70.8×85.4cm
Ed.40
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は毎月30日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第13回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第13回

 「土木」、と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。ダム、堤防、橋梁工事。身近なようなあまり馴染みのないような、そんな言葉かもしれません。そんな「土木」の仕事を楽しく紹介する展覧会が、21_21 DESIGN SIGHTで開かれています。その名も、《土木展》。
 開催期間がちょうど夏休みということもあって、子供も楽しめる展示になっており、実際子供連れの観客も多く見かけました。筆者も、幼い頃に重機好きの兄と一緒に近所の工事現場を見に出かけたことや、部屋の片隅にショベルカーの運転室を再現したことを思い出し、ワクワクました。

IMG_6743_s展示物のマンホールから顔を出す。


 「工場萌え」という言葉はすっかり市民権を獲得し(wikipediaにも登録されていました)、軍艦島こと端島の炭鉱跡も人気を誇っています。端島を含む明治日本の産業革命遺産が世界遺産に登録されたことも記憶に新しいです。スケールの大きな「土木的なもの」に惹かれる気持ちは、誰もが少なからず持っているといえるでしょう。展示にはそんな心をくすぐるように、壁面一杯のプロジェクションや写真、等倍の土管や左官仕事の作品などが並びます。メディアアートのような作品もありましたが、土木の仕事を分かりやすく表現する、という意図がよく伝わりました。ディレクターである西村浩氏の前文にあったように、土木の仕事を「ビジュアライズする」ことには成功しているといえます。しかしそれだけに、筆者が関わるアーカイブ資料の展示とは、大きく手法が異なるなとも感じました。
 その違いが一番顕著なのは、「土木と哲学」セクションにある永大橋設計図の複製展示です。この作品は「BLUE WALL」と題されており、永大橋設計図青図が壁一杯に並べられています。構造の図面は1枚で理解することは難しく、複数の図面を展示し解説することは必要です。しかし、ここでは個々の図面に対する説明はなく、図面というモノの量を「青の壁」という面でみせる作品となっていました。確かに、単純に物量をみせる展示が必要なこともあります。青い壁もなかなかの迫力です。そして、図面というのは単に柄としても、並べるとなかなかカッコよく見えるものでもあります。ただし、これをアーカイブ資料として展示するためには、こういうわけにはいきません。アーカイブそのものは、モノの堆積です。そしてその量を見せるだけでも、迫力を持ちます。しかし、それだけではモノ自体は何も意味をもちません。アーカイブの魅力は、その一見無価値なモノの羅列の中から、どのような発見ができるか、というところにあるのです。その発見はひとつの小さな事実であることもあれば、大きな歴史の物語であることもあります。アーカイブ資料を展覧会という場でみせるためには、モノとしてではなく、その解釈・発見と共に、発見の可能性があることを伝えることが大切でしょう。そもそも、アーカイブ資料自体が、あらゆる人にとって大切な価値を持つ可能性は極めて低いものです。国会図書館の本の殆どが誰の目にも触れられることなくひっそりと保管され続けているように、アーカイブ資料も必要な人にしか価値は発見できません。であるからこそ、その資料を広く一般に公開する際には、その魅力を伝える方法は丁寧に考えられなければならないはずです。
随分と話が逸れてしまいましたが、以上のようなことまで考えさせられ、よい体験となりました。
ショップにも足止めされること間違いなしですよ。

《土木展》9月25日まで、21_21 DESIGN SIGHTにて開催中↓
http://www.2121designsight.jp/program/civil_engineering/

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、渡辺貴子です。
20160905_watanabe_02_untitled_2010渡辺貴子
「untitled"(12)」
2010年
ひもづくり
H38.0×W12.0×D11.0cm


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第12回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第12回

 誰の目にもその貢献が明らかなのに、いざそれを具体的に証明しようとすると難しい、そんな存在があります。建築家アルヴァ・アアルトの妻であったアイノ・アアルトは、そのような存在だったと言っていいかもしれません。そのアイノについての展覧会が、ギャラリーエークワッドで開かれています。
 アイノはフィンランドで女性に教育を受ける権利が与えられるようになってほどなく1913年にヘルシンキ工科大学に入学し、建築を学びます。1920年に卒業した後、いくつかの建築事務所勤務を経て1924年にアルヴァの事務所で働き始め、その半年後にはアルヴァと結婚します。それから1949年に亡くなるまでの25年間、アルヴァの公私にわたるパートナーとして、主に家具やインテリアの仕事で活躍しました。アルヴァはアイノの没後も1976年に亡くなるまで多くの素晴らしい仕事を完成させましたから、アイノの名前があまり語られなくなったのも仕方ないことだったのかもしれません。しかし、近年になってアイノについての研究が進んできたようです。
 二人の名前が記されたプロジェクトは数多くありますが、どこまでがアイノのデザインでどこからがアルヴァのものか、その功績を腑分けして解明しようと思っても、アイノの研究者が既に述べているように、それを完全に明らかにすることは不可能でしょう。そして、それはあまり意味のあることとも思えません。アイノが亡くなるまで作品には二人がサインし、展覧会は二人の名前で発表されていたように、まさにそれは二人の構想の結実であったと考えてよいでしょう。二人の関係は、アイノあってのアルヴァ、アルヴァあってのアイノだったと言えます。交友関係においても、二人がそれぞれに友人たちからの刺激を仕事に反映させた様子がうかがえます。1930年代初頭に二人は、バウハウスで教鞭をとっていた芸術家のモホリ・ナギと懇意になっています。ナギと知り合った後にアイノが撮った写真作品からは、明らかにナギの手法に倣おうとしていたことが見てとれます。この時期は、モダニズムを標榜してアアルト夫妻がグリクセン夫妻らとインテリア・デザインの会社アルテックを立ち上げる直前です。ちょうどアルヴァがCIAM(近代建築国際会議)に参加し始めた頃で、二人が多岐にわたる芸術分野からモダニズムの薫陶を受けたことが想像されます。アルヴァとアイノは、問題意識と関心を共有し続けたからこそ、共同で作品をつくっていけたのでしょう。

DSC02867リーヒティのアアルト邸ダイニング・キッチン、2014年、筆者撮影
アイノがデザインした正面の戸棚は、手前のダイニングと奥にあるキッチンの両側から開けることができます。


 エークワッドの展示には、アイノが関わった作品が一通り紹介されていますが、その足跡を詳しく知るためには、展覧会に合わせて翻訳・刊行された『アイノ・アールト』(TOTO出版)に目を通すことをお勧めします。
 また、アイノの仕事をより理解するには、アイノがデザインにおいて力量を発揮したアルテックの軌跡を辿る必要がありそうです。現在、アルテックとアアルト夫妻に焦点をあてた展覧会 Artek and the Aaltos: Creating a Modern World がニューヨークの Bard Graduate Center Gallery で開かれています。この展示には、アイノの学生の頃のスケッチブックや、近年発見されたアルテック設立直前の旅日記を含む、これまで展示されたことのない作品が多く出展されているとのことです。ニューヨーク旅行の際には是非お立ち寄りを。
 
AINO AALTO Architect and Designer 展(2016.8.12-10.31、GALLERY A4)開催中↓
http://www.a-quad.jp/exhibition/exhibition.html

『アイノ・アールト』(TOTO出版)
http://www.toto.co.jp/publishing/detail/A0359.htm

Artek and the Aaltos: Creating a Modern World 展(2016.4.22-9.25、Bard Graduate Center Gallery)こちらも開催中↓
http://www.bgc.bard.edu/gallery/gallery-at-bgc/artek-and-aaltos.html
ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、磯崎新です。
20160822_FOLLY-SOAN2磯崎新
「FOLLY-SOAN 2」
1984年
木版
イメージサイズ:30.0×37.2cm
シートサイズ:57.0×76.0cm
Ed.50
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

●ときの忘れものは、ただいま夏季休廊中です(2016年8月21日[日]〜8月29日[月])。
休み中のお問合せ等への返信は直ぐにはできませんので、ご了承ください。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第11回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第11回

 研究と教育の実践として建築の実測を行い、その資料をアーカイブ化する取り組みを知る機会がありました。
 ひとつは、早稲田大学會津八一記念博物館で開催中の《ル・コルビュジエ ロンシャンの丘との対話》展です。早稲田大学では2013年度よりロンシャンの丘の建築群の実測調査を行っており、本展では礼拝堂のみならず、存在すらよく知られていなかった「巡礼者の家」や「司祭者の家」等の実測課程と結果が展示されています。礼拝堂に残されていた青図も展示されており、厳しい貸し出し規定のあるル・コルビュジエ財団からの借用では実現できない、贅沢な展示となっています。実測図と青図を重ねると、明らかな設計変更の跡も窺えます。実測には複数の学生も関わっており、来年以降もル・コルビュジエ作品の実測を継続するとのことです。
 もうひとつは、来日中のレスリー・ヴァン・デュザー氏(ブリティッシュ コロンビア大学教授)の講演で聞いた、アドルフ・ロース設計のミュラー邸実測調査です。デュザー氏は1991年民主化革命直後のプラハにおいて、ひどく荒れた状態だったミュラー邸の調査を行い、オリジナルの状態に蘇らせました。デュザー氏は学生と共に行った調査の教育的効果についても話してくれました。実測しても建物の全貌が明らかになるわけではありません。実際に測れるのは外周と室内の内寸のみ。入り組んだ部屋の本当の壁の厚みは、決して知ることができないのです。こうした経験は、学生にとっても非常に貴重だったとのことでした。ミュラー邸の調査と考察については ”Villa Müller: a work of Adolf Loos“ として著されています。ミュラー邸の実測図面はミュラー邸内にあるアドルフ・ロース・スタディセンターに納められています。デュザー氏はその後、チェコにあるロースのその他の作品の調査も行っています。調査結果はプラハ市立美術館で2008年から09年にかけて行われた展覧会に合わせて出版された ”Adolf Loos – Works in the Czech Lands” にまとめられ、一部資料はミュラー邸のスタディセンターに集められているそうです。これらの資料について彼女は、これから誰かが活用し研究することを希望すると強調していました。

01Villa Müller: a work of Adolf Loos, Kent Kleinman and Leslie Van Duzer, Princeton Architectural Press, 1994


02Adolf Loos – Works in the Czech Lands, Maria Szadkowska, Kant, 2009


 最近、とある壊される予定の建物の実測に行った研究者から、持ち主から実測図面の公開を拒否されたと聞きました。建て替え予定の建物の図面公開を施主が拒否した例もあります。建物を所有しきれなくなったことが公になることを恐れたり、解体の反対運動が起こることを危惧して、建物の情報さえも抑えようとするケースは少なくないようです。どうも、日本では建物の存亡や情報の活用如何はひとえに所有者の独断に委ねられているように感じます。法律的にはそうでしょう。しかし、建築を文化としてとらえたときに、果たしてその考え方は妥当と言えるかどうか。文化は共有されて初めて文化になると言えます。建物がある文化の一面を体現しているならば、その建物を巡る議論はもっと公に開かれてよいのではないでしょうか。建物を保持するには莫大な費用がかかりますが、文化の結実であると考えれば、所有者にだけその負担を強いるわけにはいきません。しかし、そもそも日本では建築が文化を担っているとは一般に認識されていない、とも言えます。建築の文化的意義を、どうすれば広く伝えることができるのか。建築資料に関わる者にも責任の一端があることを、自戒を込めつつ考えます。

《ル・コルビュジエ ロンシャンの丘との対話》展 開催中(2016年6月29日〜8月7日)
http://www.waseda.jp/culture/aizu-museum/news/2016/06/17/1208/

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、磯崎新画文集『栖 十二』より第三信アドルフ・ロース[ミュラー邸](1928-30年 プラハ)です。
第3信より挿画7_A
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画7
アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ

第3信より挿画8_A
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画8
アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第10回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第10回

ジョージ・オーウェルの『1984』は有名なディストピア小説ですが、歴史が絶え間なく書き変えられていく=アーカイブが改竄され続けていく国家が描かれています。消してしまうことは勿論、現在の政治状況に合わせて不都合な事柄は何度でも書き直されてしまう。これは単なる焚書よりも恐ろしいことです。一体いつの記述が本来書かれたものだったのかが分からなくなってしまうのです。自分が信じていたこと、前提としていたことが常に脅かされる状態にあるということは、自分の存在自体も脅かされる状態にあるということです。主人公であるウィンストン・スミスは文書管理の部署に属し、政府の指示に基づいた文書の改竄・破棄を担当しているわけですが、そのような仕事に従事する主人公が、システムに抗おうとして密かに記述=自らの存在を確認するものとしてのアーカイブ化を始めるというところは象徴的です。『1984』が書かれたのは70年近く前ですが、同じようなモチーフは現在に至るまで書き継がれています。6月号『新潮』掲載の絲山秋子「新月とマリンバ」には、記録が抹消され、音のみが歴史を伝える手段となっている近未来(?)が描かれていました。これだけ記録やデータが溢れている時代ですが、大きなシステムに飲み込まれて歴史が消えてしまうことへの不安が募っているのでしょうか。
建物は歴史をどのように伝えるでしょう。
秋田の雄勝町にある白井晟一設計の雄勝町役場が取り壊しの危機にあるということで、6/11に行われたシンポジウム「雄勝町役場を考える」を聞きに行ってきました。
シンポジウム前に役場を見学したところ、白井建築に対して持っていた「重厚な闇の空間」というイメージを払拭するような、明るい軽やかな空間が役場2階に広がっていました。ドーリア式の楕円柱や独特の曲線をえがく手摺など、“白井晟一らしい”と思うような要素もちりばめられていますが、むしろ明快なモダニズム建築の要素の方を強く感じます。この建物が竣工したのは1956年。白井晟一にとって初の鉄筋コンクリート建築です。建物をRC造にするにあたっては、議会の強い希望があったようです。小さな町の役場に鉄筋コンクリート造は分不相応だと援助を拒否されながらも、かつての火事の経験から不燃建築をとの思いを貫き、戦後民主主義の始まりとなる会議場を擁する役場が誕生したわけです。町の人びとの熱意に白井も応え、当時の標準よりも費用を抑えた坪単価での実現となったそうです。ベルリンでは人民戦線運動に与していたという白井がデザインした、あの開かれた明るい空間は、民衆へと開け放たれた政治の象徴のつもりではなかったかと感じてしまいます。ガラスで仕切られた部屋の内部の見通しはよく、談合や密談を許さないための構成になっているかのようなのです。一方で、時代に迎合するのではなく永遠のものとしての建築をつくろうという意志が、ドーリア式の柱に現れているようでもあります。
現存する30件ほどの白井建築のうち、10件は湯沢地域にあるといいます。戦後初の作品である羽後病院も湯沢に実現しました。白井が戦中に縁あって家財道具を湯沢に疎開していたことがきっかけで戦後に仕事を依頼されたようですが、単に縁があったというだけでは済まされないほどの数の建築をこなしています。シンポジウム登壇者の松隈洋教授は、白井は湯沢に育てられた建築家だと言います。そして勿論、湯沢が白井に育てられた側面もあるでしょう。

DSC05387旧雄勝庁舎、2016年6月筆者撮影


雄勝町役場も一度は取り壊しが決まったと報道されています。焚書ならぬ近代建築の焚築(?)は至るところで行われていますが、それはまさに歴史を抹消することです。今回白井晟一とこの建物を巡る歴史を少し知り、改めてその思いを強くしました。

「白井晟一 湯沢・雄勝6作品群を遺す会」が発足しています。フェイスブックのチェックをどうぞ↓
https://www.facebook.com/leaveshiraiseiichi6works/

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、安藤忠雄です。
20160622_andou_25_drawing2
安藤忠雄
「Koshino House」
2015年
紙にクレヨン、コラージュ
イメージサイズ:20.7×61.0cm
シートサイズ:23.6×63.6cm
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
tokinowasuremono
緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
Archives
Categories
最新コメント
記事検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ