夜野悠のエッセイ

夜野悠のエッセイ「瓢箪(ひょうたん)からキューバ−偶然の賜物(たまもの)だったドイツ個展と写真集出版」全4回集中連載〜4

瓢箪(ひょうたん)からキューバ−偶然の賜物(たまもの)だったドイツ個展と写真集出版
<第4回・最終回>味わい深いキューバの詩。来場者との心の交流


<前回までのあらすじ>2013年夏のキューバ滞在の際に撮った写真とムービーが、偶然のきっかけから京都国際写真祭『KYOTO GRAPHIE KG+』の写真個展(2015年5月)、2017年11月から12月のドイツ・ミュンヘンでの写真個展、写真集出版に結びついた。国立図書館への写真集納本などのためベルリンを訪ね、写真集は旧東ベルリンエリアの写真・アート専門書店で扱われることになった。

◇素晴らしい味わいのキューバの詩
今回の展示ではミクストインスタレーションの一つとして、キューバの詩人の詩を写真布幕にテキストとしてプリントし、英訳を別に展示。なかなか知られることのないキューバの詩に、現地の人たちは、深い感銘を受けていたようだった。展示したキューバの詩の一部をご紹介する。

19<写真22>マヌエル・ナバロ・ルナ



その答えは
たそがれと夜明け
鳩と星
薔薇と泉
路上の貴重な贈物。
とげでなくて花弁
暗闇でなくて光
苦悩でなくて口づけ。

<「父の詩」マヌエル・ナバロ・ルナ 『現代キューバ詞華集』(思潮社 1972年)より>

時は今なお立っている。
アーモンドと西洋杉の樹で囲われた
重苦しい雨をはらんだ空の下
古色蒼然たる壁面の
学校の中庭に
眼がくらむ程に燃えながら
無垢なまま

<「存在」アルシデス・イズナガ 『現代キューバ詞華集』(思潮社 1972年)より>

20<写真23>ハバナの裏町(写真集『CUBA monochrome』から)



僕の目前に、午後は音なく姿をあらわす
僕は息づまる部屋にひきこもる。
午後の輝きは
木々を緑に
子供の頬を大理石の白さに
建物の対照的な色合いをあざやかにしている。
これは ほんの一瞬のこと。
木々も子供も建物も
僕の心の中では
脅える午後と一緒になってしまうのだ。

<「孤独」アルシデス・イズナガ 『現代キューバ詞華集』(思潮社 1972年)より>

わずかの疑いももたず
僕らは 生きている。

一昨日 できあがったばかりの
この陽のあたる島で
太い綱で結ばれた
太陽の色のことばの中で
僕らは 生きる。

<「僕らは生きる」ビクトル・カサウス 『現代キューバ詞華集』(思潮社 1972年)より>


◇心の奥底で通じた来場者との交流―ドイツ写真展の収穫
今回の初めての海外写真展では、さまざまな人たちと出会ったのが大きな財産だった。ドイツではほとんどの人が英語を話し、まるで英語圏にいるような錯覚におちいるほど。ギャラリーでは作品を見てくださった多くの人に声をかけ、新しい友人や知人を得ることができた。

21<写真24>写真展会場を訪れた人たち−facebookから(1)


22<写真25>写真展会場を訪れたひとたち(2)。ハンガリーから見に来てくれた大学の先生。ハンガリーの雑誌に写真展や写真集のことをレビューしてくださるとのことだった。(写真上)。


23<写真26>ゲストブックには好意的なメッセージが多数。


24<写真27>たまたま旅行中に、外に貼ってあった写真展のポスターを見て閉廊ぎりぎりに立ち寄ってくれたイスタンブールからの理系女子学生。写真集を持ち帰り、現地の友人たちに紹介してくれるとのこと。


写真展『CUBA monochrome』は、場所柄が大学街で人通りも多く、通りに面して貼ってあったポスターや、フライヤーを見て、たくさんの人たちが来場した。赤ちゃん連れの若い夫婦から年配の方、学生や大学の先生など来場者もさまざま。大型の写真布幕とムービーとキューバの詩で構成されたインスタレーションが珍しかったのか、多くの方から好意的な評価をいただいた。来場者の一人のアーティストにインタビューを試み、快く写真展の印象を率直に語ってくれた。「センシティブで琴線に触れるとても良い写真展」との言葉をいただいた。写真展の意図や写真を本当に深く感じ、理解してくれていたのがうれしかった。


心の底で通じた来場者へのインタビュー

一方、ミュンヘンにいる間に、ベルリンやパリ、ロンドンの写真関係の美術館、ギャラリー、出版社などに写真集を送ったところ、パリにあるヨーロッパ写真美術館やキューバ大使館から感謝メールが届いたのをはじめ、パリの写真美術館『LE BAL(ル・バル)』から「大変興味深いプロジェクトで、(マグナムで活躍した)館長が写真集をレビューする」というメッセージをいただいた。また、パリの美術館『JEU DE PAUME』からは「写真集を当美術館のライブラリーに収蔵する」というメッセージが届いた。

23<写真28>写真集『CUBA monochrome』は、パリにあるヨーロッパ写真美術館、写真専門美術館『LE BAL』、『ジュ・ド・ポーム国立美術館』の三つの美術館などに収蔵された。


「通底器」のように、言葉や文化、世界にいる場所は異なっても、心の奥底で、通じるものは通じる、精神的に交信できるということを、異国での写真展を通じ、改めて実感した。

偶然が偶然を呼び、実現した異国でのキューバ写真展と写真集出版。何もしなければ怠惰な日常に埋没して日々を過ごしていたかもしれない時間が、ふとした偶然から変容し人生の筋書きが書き換えられた。「偶然を必然に転化させる」(高梨豊)なにか大きな力が筆者に働きかけたのかもしれない。
「私は私の精神を偶然へ向けて舵取りする・・・」(ポール・ヴァレリー『アガート』)。何もしなければ何も生まれない。幸運の先っぽをつかんだら離さず、ひたすら目標へ向かって全力で突っ走る。今回のプロジェクトは偶然のなかに潜む必然のシグナルを逃さず、つかみ取ったことで生まれたと言ってよいだろう。

◆写真集『CUBA monochrome』(6800円)と、モノクロムービーのBlu-rayディスク(2800円)は京都のほか、東京、大阪などの一部の書店、ギャラリーで販売中。
ときの忘れもので扱っています。直接申し込みも可能(連絡先:書肆 夜の遊歩者e-mail: yorunoyuhosya@yahoo.co.jp)。詳しくは『CUBA monochrome』のfacebookサイトへ。

よるの ゆう

25■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)−モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論掘戮如◆慄鳴鮮1987−消えゆく夢幻の風景』、2016年年12月の同展『記憶論検戮任麓命燭肇轡絅襯譽▲螢好爐鬟皀繊璽佞砲靴深命織ぅ鵐好織譟璽轡腑鵝慙上のVOLIERE(鳥かご)―路傍に佇む女神たち』を展示。2017年11月9日から12月3日までドイツ・ミュンヘンで写真展『CUBA monochrome』を開催。併せて写真集も出版。同年12月、京都写真展で『廃墟の時間−旧東ベルリン』を展示。2016年4月から2017年3月まで、ギャラリー『ときの忘れもの』の公式ブログにエッセイ『書斎の漂流物』を12回にわたって連載。


●本日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180114_takiguchi2014_I_12瀧口修造
"I-12"
インク、紙
イメージサイズ:31.3×25.5cm
シートサイズ :35.4×27.1cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


◆ときの忘れものは「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」を開催しています。
会期=2018年1月9日[火]―1月27日[木] ※日・月・祝日休廊
磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)に焦点を当て、磯崎の版画作品〈TSUKUBA〉や旧・筑波第一ホテルで使用されていた倉俣史朗デザインの家具をご覧いただきます。他にも倉俣史朗のアクリルオブジェ、磯崎デザインの椅子なども出品します。

◆国立近現代建築資料館で2月4日[日]まで「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展が開催中。磯崎新、安藤忠雄らの作品が出品されています。
磯崎新「還元CLUB HOUSE」磯崎新
「CLUB HOUSE」
1983年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75  サインあり

ギャラリートーク「建築版画の世界」のご案内
植田実(住まいの図書館出版局編集長)× 石田了一(石田版画工房)× 綿貫不二夫(ときの忘れものディレクター)
司会:日埜直彦
日時:1月27日(土曜日)14時から
場所:文化庁国立近現代建築資料館
住所:〒113-8553 東京都文京区湯島4-6-15
入場方法:旧岩崎邸庭園からの入館となりますので、入園料400円(一般)が必要となります。

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されます。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600会員制による共同版元として1974年に創立した現代版画センターは1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを世に送り出し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、上映会、講演会、パネルディスカッション等を頻繁に開きました。今回の展覧会では45作家、約300点の作品と、機関誌・カタログ等の資料によりその全軌跡を辿ります。同館の広報誌の記事もお読みください。


●BSフジで毎週火曜 に放映される「ブレイク前夜〜次世代の芸術家たち〜」に光嶋裕介さんが紹介され、ユーチューブでも見ることができます。


●書籍のご案内
版画掌誌第2号
版画掌誌第2号
オリジナル版画入り美術誌
2000年/ときの忘れもの 発行
特集1/磯崎新
特集2/山名文夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別)  *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。日経アーキテクチュア編集長のコラム<建築家・安藤忠雄氏の言葉の力:第3回>で、出江寛先生、石山修武先生の次に紹介されていますので、お読みください。
ときの忘れもので扱っています。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
21駒込内観ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

夜野悠のエッセイ「瓢箪(ひょうたん)からキューバ−偶然の賜物(たまもの)だったドイツ個展と写真集出版」全4回集中連載〜3

瓢箪(ひょうたん)からキューバ−偶然の賜物(たまもの)だったドイツ個展と写真集出版
<第3回>写真集を抱え、写真都市ベルリンへ


<前回までのあらすじ>2017年夏、ミュンヘンを訪れた際、ギャラリーのオーナーに、2013年に訪れたキューバの写真を見せたところ「ぜひ個展を」とほぼ2か月後に写真展をすることが決まった。開催までわずかな期間で、写真展の準備をする一方、写真集の出版を決意。

◇写真都市ベルリンへの旅
写真展が始まってから10日近くたつと、さすがにギャラリーに早朝から一日中座っているのもしんどくなり、出来立ての写真集を持って気分転換に五日間、列車でベルリンへ。

13<写真14>写真都市ベルリンは滞在中ずっと寒さが厳しく、しぐれ模様の暗い天気が続いた。


ベルリンの滞在先は旧東ベルリンエリア。今でこそ壁はないが、郊外などへ足を伸ばすと当時を思わせる雰囲気が漂っている。ドイツ南部のミュンヘンに比べるとベルリンは大都会だが、ホームレスの姿が目立ち、持てるものと持たざる者との格差が著しい。ヘルムート・ニュートン写真美術館の前はホームレスのたまり場になっていたほど。モダンなヘルムート・ニュートン写真美術館のスタイリッシュで輝くような内部と、入り口付近のゴミだらけの外の荒んだ風景との対比に驚く。
ベルリンでの目的の一つはベルリン国立図書館への写真集の納本。スタッフの方が笑顔で納本を受け入れてくれたのがうれしい。

14<写真15>ベルリン国立図書館で写真集を納本。スタッフの方が笑顔で受け入れてくれた。


次の目標は写真集を持って写真美術館や写真専門ギャラリー、写真専門書店を回ること。さすがに写真都市ベルリンだけあって、ハードルはかなり高い。写真専門美術館ギャラリーC/O Berlin、ヘルムート・ニュートン写真美術館、ビンテージ写真ギャラリーの『Kicken』、『Camera Work』、写真・アート専門書店『25 Books』、『Do you read me?』といった写真に関係のある場所を訪ね歩いた。
旧東ドイツエリア郊外にある珍しい自費出版の写真集や実験音楽のレコードなどを置いているマニアックな写真・アート専門書店『Motto』でキューバ写真集を預かってくれることになった。ベルリンに来たかいがあったというものだ。

15<写真16>旧東ドイツエリア郊外にある写真・アート専門書店『Motto』に置かれた写真集『CUBA monochrome』の白と黒の二種類のバージョン。


『Motto』で契約書もかわし、スーツケースに入れて持ってきていた6冊をおさめた。書棚に並んだ白と黒の写真集『CUBA monochrome』を見ると、感慨もひとしお。70ユーロという価格設定も「このつくりならもっと高くてもよい」と言ってくれた。別の写真専門書店では「写真集はなかなか売れない」と言われ、どこの書店でも写真集のディスカウントセールを見ていただけに、『Motto』店主の一言は力をつけてくれた。
ベルリンではスノビッシュな写真専門の本屋はたくさんあったが、ここにたどり着いて写真都市ベルリンの底深さをあらためて感じた。メインの写真集も他店にはないディープな品ぞろえで、各国の自費出版本や、かなりマニアックなアート本、オブジェ、デザイン関係、最前線の実験音楽のレコードなどなど。デュシャンの『ボックス』シリーズの復刻も棚の上のほうにさりげなく置いてあった。
『Motto』で入手した『NO-ISBN』は、自費出版を目指す人には興味深い本だ。世界のアンダーグラウンドな自費出版本を紹介している。本を同じデザインで包装している装丁がユニーク。ISBNとは、世界共通の書籍を特定するための国際標準図書番号で、書店で販売されているほとんどの本に記載されている。この本は、そうした既成の出版社の書籍や流通から外れたアンチISBN、非商業主義の出版物に焦点を当てている。

18<写真17>旧東ベルリンエリアの写真・アート専門書店『Motto』で入手した本『NO-ISBN』。


19<写真18>『NO-ISBN』より。非商業的なアート本やオブジェ本のような出版物がたくさん載っている。


ベルリン郊外の旧東ドイツエリア。さすがにこのあたりまで来ると観光客の姿は皆無。ポップでえぐい感じのする落書きも街角のあちこちにあり、 少し危険な香りのする地域だ。冷たい雨の降りしきるなか、よそ者を警戒するような視線を感じながら未知の路上をさまよい歩いた。

16<写真19>旧東ベルリン郊外


17<写真20>旧東ベルリンエリアの壁面グラフィティ


18<写真21>殺伐とした感じが残る旧東ベルリンエリア


よるの ゆう

25■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)−モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論掘戮如◆慄鳴鮮1987−消えゆく夢幻の風景』、2016年年12月の同展『記憶論検戮任麓命燭肇轡絅襯譽▲螢好爐鬟皀繊璽佞砲靴深命織ぅ鵐好織譟璽轡腑鵝慙上のVOLIERE(鳥かご)―路傍に佇む女神たち』を展示。2017年11月9日から12月3日までドイツ・ミュンヘンで写真展『CUBA monochrome』を開催。併せて写真集も出版。同年12月、京都写真展で『廃墟の時間−旧東ベルリン』を展示。2016年4月から2017年3月まで、ギャラリー『ときの忘れもの』の公式ブログにエッセイ『書斎の漂流物』を12回にわたって連載。


●本日のお勧め作品は、クリストです。
20180113_momawrappedクリスト
《The Museum of Modern Art Wrapped (Project for New York)》
1971年  リトグラフ
71×56cm
Ed.100  Signed
*レゾネNo.37(Schellmann)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


◆ときの忘れものは「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」を開催しています。
会期=2018年1月9日[火]―1月27日[木] ※日・月・祝日休廊
磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)に焦点を当て、磯崎の版画作品〈TSUKUBA〉や旧・筑波第一ホテルで使用されていた倉俣史朗デザインの家具をご覧いただきます。他にも倉俣史朗のアクリルオブジェ、磯崎デザインの椅子なども出品します。

◆国立近現代建築資料館で2月4日[日]まで「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展が開催中。磯崎新、安藤忠雄らの作品が出品されています。
磯崎新「還元LIBRARY」磯崎新
「LIBRARY」
1983年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75  サインあり

ギャラリートーク「建築版画の世界」のご案内
植田実(住まいの図書館出版局編集長)× 石田了一(石田版画工房)× 綿貫不二夫(ときの忘れものディレクター)
司会:日埜直彦
日時:1月27日(土曜日)14時から
場所:文化庁国立近現代建築資料館
住所:〒113-8553 東京都文京区湯島4-6-15
入場方法:旧岩崎邸庭園からの入館となりますので、入園料400円(一般)が必要となります。

●BSフジで毎週火曜 に放映される「ブレイク前夜〜次世代の芸術家たち〜」に光嶋裕介さんが紹介され、ユーチューブでも見ることができます。


●書籍のご案内
版画掌誌第2号
版画掌誌第2号
オリジナル版画入り美術誌
2000年/ときの忘れもの 発行
特集1/磯崎新
特集2/山名文夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版:限定35部/価格:120,000円(税別 版画6点入り)  
B版:限定100部/価格:35,000円(税別 版画2点入り)


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別)  *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。日経アーキテクチュア編集長のコラム<建築家・安藤忠雄氏の言葉の力:第3回>で、出江寛先生、石山修武先生の次に紹介されていますので、お読みください。
ときの忘れもので扱っています。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
21駒込内観ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

夜野悠のエッセイ「瓢箪(ひょうたん)からキューバ−偶然の賜物(たまもの)だったドイツ個展と写真集出版」全4回集中連載〜2

瓢箪(ひょうたん)からキューバ−偶然の賜物(たまもの)だったドイツ個展と写真集出版
<第2回>偶然から生まれたドイツ個展と写真集


<前回までの>あらすじ>2013年夏に訪れたキューバ。滞在中悪夢のような食中毒になり観光気分から気持ちがリセット、残りの3日間でハバナの裏町を撮り歩いた。このときの写真とムービーが後で、京都国際写真祭『KYOTO GRAPHIE KG+』の写真個展に結びついた。

◇偶然から生まれたドイツ個展と写真集の出版
京都国際写真祭『KYOTO GRAPHIE KG+』(2015年5月)の写真展の会期も終わり作品を撤収して大型の布幕を巻き取り、家の片隅に放置したままで、この作品群が再び異国で日の目を見るとは思ってもみなかった。
2017年8月、三週間、ドイツ・ミュンヘンに滞在した。帰国二日前だったろうか、滞在先近くのギャラリーのオーナーに、たまたまキューバの写真をみてもらう機会があった。「ぜひやりましょう!」。その場ですぐ11月上旬から1か月近くカフェに併設された大きなギャラリーで写真展をすることが決まった。「偶然の必然」とはいえ、現地での写真展まであと二か月ちょっと。作品は京都の写真展のときのものがあるが果たして間に合うかどうか。今度のギャラリーは京都の写真展のときとくらべてかなり広いので、大型布幕作品も追加印刷しないといけない。以前印刷してもらった奈良の会社を再び訪ねると担当した技術者がやめ、会社の態勢も変わっているようだった。ためしに刷ってみたが以前のような調子にはならないので、京都で別の印刷会社を探し印刷。一方で、パンフレットやポスターなどのデザインと印刷をする一方、簡単な写真集的なパンフレットを作ろうと思った。よくあるオンデマンドの簡便で安価な印刷でゴーサインを出す日、たまたま時間があったのでカフェで「本当に単色刷りの写真集まがいの印刷物でいいのかな」と思い、ネットで「京都、写真集 ダブルトーン印刷」で検索したところ、「サンエムカラー」という印刷会社がヒットした。すぐに電話したところ「今から会って相談しましょう」ということに。京都写真展でインスタレーション用に作成した手作りの写真集を携えて印刷会社へ。細江英公の新『薔薇刑』など内外の写真集を手掛ける高度な印刷技術を持つ印刷会社だった。その場で担当者と話すうち、やはり海外で個展をするからには、お金がかかってもちゃんとしたものを作ろうと方針転換。オンデマンド印刷はキャンセルして本格的な写真集づくりに取り組むことに。オープニングまで残すところ2か月弱。果たして間に合うのか。担当者と会ったその日のうちに仕様や体裁、紙選びなどを決め、どうせつくるなら凝ったものをとアイデアを練った。当初は厚紙で本文をはさんだ「ドイツ装」のデザインに傾いていたが、最高の紙と印刷レベルでするとなると予算がはるかにオーバー。やむなく上製本の体裁で、その代わりデザインに凝ることにした。担当者と話している際、腕一本で会社を立ち上げた会長が通りかかり、「この写真集はわが社の最高の印刷レベルでやる」とのお墨付きをいただいた。通常、印刷レベルは印刷する際のドット数でモノトーン、ダブルトーン、トリプルトーンなどがあるが、ほぼ最高レベルのトリプルトーン+ニス塗りでやることになった。自宅でフォトショップやイラストレーターを使って、写真集のレイアウトやカバーデザインなどを猛スピードで作成。表紙も黒と白のバージョンにすることに。印刷会社のプリント担当の最高責任者のディレクターも加わってなんとか形になるところまでたどり着いた。印刷は導入されたばかりのドイツ製の新鋭印刷機「ハイデルベルク・スピードマスター」。

8<写真8>印刷所で写真集の最終チェック。最新鋭のドイツ製印刷機ハイデルベルク・スピードマスターの前で


フライヤーやポスターなどをつくりながら、並行して本格的な写真集を二か月弱で完成させる作業は写真展直前の10月末になんとか間に合った。今度はその写真集をできるだけ安く安全にドイツに送る方法に頭を絞った。国際郵便のEMSでも段ボールひと箱30キロまでだと4万円弱。一箱26冊入り三箱を現地に送ることにして、足りない場合に備え二箱を印刷会社で待機させた。

9<写真9>出来上がった黒と白のバージョンの写真集『CUBA monochrome』


あとは現地へ布幕写真の大きな作品をどうやって送るかに頭を悩ませた。当初、段ボールに包んでEMSで送ったものの、もし万が一税関で長期ストップして写真展開催に間にあわなかったらと考え、急きょ電話し大阪の空港で発送直前の荷物を取り戻すことに。手荷物用にと調達した1.5m近くあるキーボード用の超大型バッグは、航空会社の規定サイズをはるかにオーバー。ミュンヘン空港では荷物受け取り場所でいくら待ってもこの作品を詰め込んだ大型バッグが出てこず、空港職員に尋ねたところ、特殊荷物の受け取り場所は別にあることが判明しロスタイム1時間。一か月近く家をあけるので、植物にたっぷり水やりをと二階の大型植物に水をやって、空港へ向かう明け方、家を出る10分前に一階天井のライト付近から水が大量にしたたり落ち、電気のショートしている「ジジッジジッ」という異音が。二階に行くと水やりし過ぎて床一面が水浸し。今回のドイツ個展への行脚ではつぎつぎに乗り越えるべき障害が起きた。送った写真集もドイツの税関にひっかからないようひたすら祈ったが、案の定税関でストップ。一箱だけ奇跡的に税関をスルーして届いたものの、二箱は開封されたうえ再度送料負担で滞在先に届いたのは個展の会期をだいぶ過ぎてからだった。

9<写真10>写真集『CUBA monochrome』から。トリプルトーン+ニス塗りのハイグレード処理で印刷


会場となったギャラリーはミュンヘン中心部の大学街にあるモダンなカフェに併設されており、カフェの奥に大きなギャラリー空間がある。作品の展示設営はその場で空間を見て考え、何度も再調整。オープン時間はカフェに合わせるため定休日なしの午前8時から午後6時まで。ギャラリーの専任スタッフがいないため、筆者は毎日、近くのパン屋で調達したサンドイッチを頬張りながら朝から晩までギャラリーに詰めっきりだった。


ドイツ・ミュンヘンの写真展『CUBA monochrome』の会場風景

10<写真11>ドイツ・ミュンヘンの写真展会場となった大学街にある『PAVESI café / gallery』


11<写真12>カフェの奥に、大きなギャラリー空間がある。ミュンヘンの写真展会場風景(1)


12<写真13>作品の設置を終えたミュンヘンの写真展会場風景(2)

よるの ゆう

25■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)−モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論掘戮如◆慄鳴鮮1987−消えゆく夢幻の風景』、2016年年12月の同展『記憶論検戮任麓命燭肇轡絅襯譽▲螢好爐鬟皀繊璽佞砲靴深命織ぅ鵐好織譟璽轡腑鵝慙上のVOLIERE(鳥かご)―路傍に佇む女神たち』を展示。2017年11月9日から12月3日までドイツ・ミュンヘンで写真展『CUBA monochrome』を開催。併せて写真集も出版。同年12月、京都写真展で『廃墟の時間−旧東ベルリン』を展示。2016年4月から2017年3月まで、ギャラリー『ときの忘れもの』の公式ブログにエッセイ『書斎の漂流物』を12回にわたって連載。


●本日のお勧め作品は、磯崎新です。
20180111_053磯崎新"作品"
1986年
コンテ、パステル、紙
45.8×75.0cm  サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


◆ときの忘れものは「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」を開催しています。
会期=2018年1月9日[火]―1月27日[土] ※日・月・祝日休廊
磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)に焦点を当て、磯崎の版画作品〈TSUKUBA〉や旧・筑波第一ホテルで使用されていた倉俣史朗デザインの家具をご覧いただきます。他にも倉俣史朗のアクリルオブジェ、磯崎デザインの椅子なども出品します。

◆国立近現代建築資料館で2月4日[日]まで「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展が開催中。磯崎新、安藤忠雄らの作品が出品されています。
磯崎新「還元群馬」磯崎新
「MUSEUM-I」
1983年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75  サインあり

ギャラリートーク「建築版画の世界」のご案内
植田実(住まいの図書館出版局編集長)× 石田了一(石田版画工房)× 綿貫不二夫(ときの忘れものディレクター)
司会:日埜直彦
日時:1月27日(土曜日)14時から
場所:文化庁国立近現代建築資料館
住所:〒113-8553 東京都文京区湯島4-6-15
入場方法:旧岩崎邸庭園からの入館となりますので、入園料400円(一般)が必要となります。

●書籍のご案内
版画掌誌第2号
版画掌誌第2号
オリジナル版画入り美術誌
2000年/ときの忘れもの 発行
特集1/磯崎新
特集2/山名文夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版:限定35部/価格:120,000円(税別 版画6点入り)  
B版:限定100部/価格:35,000円(税別 版画2点入り)


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別)  *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。日経アーキテクチュア編集長のコラム<建築家・安藤忠雄氏の言葉の力:第3回>で、出江寛先生、石山修武先生の次に紹介されていますので、お読みください。
ときの忘れもので扱っています。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
21駒込内観ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
 

夜野悠のエッセイ「瓢箪(ひょうたん)からキューバ−偶然の賜物(たまもの)だったドイツ個展と写真集出版」全4回集中連載〜1

瓢箪(ひょうたん)からキューバ−偶然の賜物(たまもの)だったドイツ個展と写真集出版
<第1回>悪夢のような食中毒から生まれたキューバ写真


「一見偶然のようにみえるものも、実は必然に導かれている」―2017年7月にパリで急逝されたシュルレアリスムの画家で瀧口修造や寺山修司らと深い交流のあった平沢淑子さんがよくおっしゃっていた言葉だ。まったく予期もしなかったドイツなどでの写真展や写真集出版…後から考えてみるとまさに「偶然の必然」だったような気がする。

◇悪夢のような食中毒から生まれたキューバ写真−残された時間はわずか3日

2013年8月、カナダ・トロントからハバナ空港に降り立ったとき、もう夜も更けていた。人家もまばらな暗い夜道を通り過ぎながら、いつか訪れようと願っていた国キューバへの思いを募らせていた。一夜明けると、中心部のハバナの街は観光客らで賑わっていた。
最初に目に飛び込んできたのは目の覚めるような原色やパステル調のキューバカラーだ。

1<写真1>目の覚めるような色のハバナの街


最初の宿泊先は中心部の古いホテル。界隈のみやげもの店や、キューバ音楽を演奏するレストラン、大道芸などの見世物は観光気分を盛り上げる。この時点で、のちに写真展をするとか写真集をつくるとかの考えはまったくなく、ツーリストとして、この異国の気分を楽しんでいた。
その数日後、旧市街の民宿に移った後。悪夢のような食中毒に。衛生状態はよくないと聞いていたので、水や生ものには気を付けていたが、体調急変はおそらく地元の人が行くレストランのシーフードが原因だったかもしれない。10日間の滞在のうち5日間近く家から一歩も外へ出られずベッドに。目をつぶるとありとあらゆる悪魔の顔が頭の周りをぐるぐる回る。ひどい腹痛の末、最後は病院へ。残すところキューバ滞在日数はわずか三日間。この「地獄落ち」体験が影響したのか、「もう二度とこの場所に来ることはないかもしれない」と思うと居てもたってもいられず、日の出から深夜まで中心街からはずれたハバナの裏町を奥深くまで、小さなコンパクトデジタルカメラを片手にさまよい歩いた。三日間で2000枚近く、数十本のムービーを撮り収めた。観光気分のマインドが完全にリセットされた。悪夢のような食中毒のあと、心の中でハバナの街から「色」が消えた。
さ迷い歩いた場所はハバナ中心部から離れた旧市街と呼ばれる、歴史の時間を感じさせるスペイン風の古色蒼然とした建物群が並ぶエリアを中心にした裏町の住宅街。奥のほうに行くと観光客の姿はない。日々の暮らしを続けるハバナの人々の生活が目の前にある。


<動画1>ハバナの裏町風景

2<写真2>ハバナの街かど(1)悪夢のような食中毒のあと、心の中でハバナの街から「色」が消えた(写真集『CUBA monochrome』から)


4<写真3>ハバナの街かど(2)−(写真集『CUBA monochrome』から)


3<写真4>ハバナの街かど(3)飲食のメニューは限られているようだ。ケースの中にはハンバーガーらしきものが一種類だけ(写真集『CUBA monochrome』から)


◇珈琲談義から京都国際写真祭KYOTO GRAPHIEへ
「動機は自然とそのときの身体に宿っている」(大辻清司)−。そのとき(2013年夏)は「キューバでずいぶん写真やムービーを撮ったな」という程度で、しばらく記憶から遠ざかっていた。2011年の大地震と原発事故以来ほぼ3年間、東京を出てパリを中心にカナダ、モロッコ、ドイツ、スペイン、イギリスなど海外のあちこちを転々とする三年間の生活に区切りをつけ、縁もゆかりもない京都に居を構え、一年ぐらいたったころだろうか。ある縁がきっかけで、精神的支柱のシュルレアリスムにかかわりのある人たちと出会い、本来のフィールドに立ち返った。そんなとき知り合ったマンレイストのI氏と家が近かったこともあり、2014年の暮れも押し迫った12月のある日、珈琲を飲みながら京町屋の我が家で歓談していた際、「『KYOTO GRAPHIE』という国際写真祭が毎年京都でやっているので、夜野さんも出してみたら」というのがきっかけになった。これがこの先から始まるキューバにまつわるストーリーのトリガーだった。「やってみましょう」と宣言した以上もう後にはひけなかった。1週間後にドイツへ行く予定があり、12月中の国際写真祭の締め切り直前に、まず出品の条件となる会期中の場所確保をと、ネットでリーズナブルな価格で場所のよいギャラリーを探した後、写真展の内容もほとんど決めないままドイツへ。国際写真展なので、よくある額縁での写真展より、すこしひねりを加えた展示をと、思いついたのが長大な写真布幕とムービー、キューバの詩で構成されたインスタレーション。これで行こうと決めた。色彩と音を排除した、モノクロームの写真とハバナの裏町を撮り歩いたモノクロムービーを主体に、『古巴(キューバ)−モノクロームの午後』というタイトルで。帰国後は作品の主体となる大きな写真布幕をプリントできる印刷会社を探した。奈良に美術館などに使われる写真スクリーンのプリント実績のある会社を見つけ、奈良通いが始まった。大きなスクリーンを印刷する若い担当技術者とともに、緑や赤っぽい黒など色転びしてむずかしいモノクロームの印刷に一緒に取り組んだ。3回フル校正が失敗したので三倍費用がかかってしまった。2015年5月1日から7日に京都市中心部の市役所近くのギャラリー「Take two」という場所で、この空間を最大限生かすべくインスタレーションのアイデアづくりに頭を絞った。場所がよかったこともあり、短期間ながら多くの来場者があり、ほぼイメージ通りの展示ができた。


<動画2>京都国際写真祭KYOTO GRAPHIE KG+の個展展示風景

5<写真5>京都国際写真祭『KYOTO GRAPHIE KG+』での展示風景。2015年5月


6<写真6>京都国際写真祭『KYOTO GRAPHIE KG+』での展示風景


7<写真7>京都国際写真祭『KYOTO GRAPHIE KG+』のインスタレーション用に作成した手作りの写真集


よるの ゆう

25■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)−モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論掘戮如◆慄鳴鮮1987−消えゆく夢幻の風景』、2016年年12月の同展『記憶論検戮任麓命燭肇轡絅襯譽▲螢好爐鬟皀繊璽佞砲靴深命織ぅ鵐好織譟璽轡腑鵝慙上のVOLIERE(鳥かご)―路傍に佇む女神たち』を展示。2017年11月9日から12月3日までドイツ・ミュンヘンで写真展『CUBA monochrome』を開催。併せて写真集も出版。同年12月、京都写真展で『廃墟の時間−旧東ベルリン』を展示。2016年4月から2017年3月まで、ギャラリー『ときの忘れもの』の公式ブログにエッセイ『書斎の漂流物』を12回にわたって連載。


*画廊亭主敬白
夜野悠さんには<異国の古書店で遭遇した稀少本や、蚤の市で見つけた珍奇ながらくた、ノイズだらけの古レコード、旅先の道端で拾った小石まで、果てしない時間の海と、さまざまな人たちの人生を漂流し、わが書斎にたどり着いた知の漂着物の数々>を2016年4月から2017年3月まで全12回にわたり「書斎の漂流物」で綴っていただきました。
一年以上にわたる長期連載の際は必ずご本人にお目にかかってから開始するのですが、老兵のフットワークも鈍くなりとうとう夜野さんには一度もお目にかからぬ間に終了してしまいました(涙)。
facebook等でそのご活躍は存じていたものの何となく消化不良でしたが、遂に昨年末、念願の初対面を果たすことができ、今回のドイツ個展と写真集出版についてお書きいただきました。本日から全4回を集中連載いたします(本日と11日、13日、14日に掲載)。ときの忘れものブログ・エッセイでは初の動画まで登場します。ご愛読ください。

●本日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180109_takiguchi2014_III_14瀧口修造
"-14"
デカルコマニー、紙
18.5×13.9cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


◆ときの忘れものは本日より「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」を開催します。
会期=2018年1月9日[火]―1月27日[土] ※日・月・祝日休廊
磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)に焦点を当て、磯崎の版画作品〈TSUKUBA〉や旧・筑波第一ホテルで使用されていた倉俣史朗デザインの家具をご覧いただきます。他にも倉俣史朗のアクリルオブジェ、磯崎デザインの椅子なども出品します。

◆国立近現代建築資料館で2月4日[日]まで「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展が開催中。磯崎新、安藤忠雄らの作品が出品されています。
磯崎新「還元OFFICE1(BANK)」磯崎新
「OFFICE I(BANK)」
1983年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75  サインあり

ギャラリートーク「建築版画の世界」のご案内
植田実(住まいの図書館出版局編集長)× 石田了一(石田版画工房)× 綿貫不二夫(ときの忘れものディレクター)
司会:日埜直彦
日時:1月27日(土曜日)14時から
場所:文化庁国立近現代建築資料館
住所:〒113-8553 東京都文京区湯島4-6-15
入場方法:旧岩崎邸庭園からの入館となりますので、入園料400円(一般)が必要となります。

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されます。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
埼玉チラシメカス600会員制による共同版元として1974年に創立した現代版画センターは1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを世に送り出し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、上映会、講演会、パネルディスカッション等を頻繁に開きました。今回の展覧会では45作家、約300点の作品と、機関誌・カタログ等の資料によりその全軌跡を辿ります。同館の広報誌の記事もお読みください。


●書籍のご案内
版画掌誌第2号
版画掌誌第2号
オリジナル版画入り美術誌
2000年/ときの忘れもの 発行
特集1/磯崎新
特集2/山名文夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版:限定35部/価格:120,000円(税別 版画6点入り)  
B版:限定100部/価格:35,000円(税別 版画2点入り)


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別)  *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。日経アーキテクチュア編集長のコラム<建築家・安藤忠雄氏の言葉の力:第3回>で、出江寛先生、石山修武先生の次に紹介されていますので、お読みください。
ときの忘れもので扱っています。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
02駒込外観ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」第12回(最終回)

夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」

第十二回(最終回)◇「書斎」も漂流する―知の方舟とles épave(漂着物)

書物が言葉を運ぶ方舟ならば、書斎もまた書物を運ぶひとつの方舟である。エッセイ『書斎の漂流物』、今回は筆者自身が漂流物となって、書斎の佇まいの変遷とともに、この知的航海を振り返ってみたい。「レ・ザパァヴ (les épave)」というフランス語がある。「漂着物」という意味だが、調べてみると意味は、おんぼろ車 漂着物 ボロボロにされたもの 廃船 廃虚 敗残 残骸 海難 漂流物 破壊 荒廃 難破 難破する 難破船…などどれも浮沈を繰り返してきたわが「知の方舟」を表現するのに当てはまりそうである。各時代の書斎は筆者の精神的航海と人生に密接にリンクしている。

PHOTO1写真<1>
ノアの方舟。書物が言葉を運ぶ方舟ならば、書斎もまた書物を運ぶひとつの方舟である。


わが書斎の歴史は大学時代に始まる。池袋のはずれの家賃三千円の三畳のぼろアパート。時代は1969年、東大安田講堂陥落の年。この超狭小の空間に18歳から22歳まで5年も暮らした。あるとき大学で精神医学を専攻していたころ、同級生15人近く(思い出してみれば、ほぼ女性だった)をこの部屋に招待し、すき焼きパーティをしたことがあった。隣同士の隙間もなく座り、よくこんな人数が入ったかのか不思議。良家のお嬢様が多く、今から思えばこのようなみすぼらしい貧乏下宿に招かれ吃驚していたのではなかろうか。若さゆえとは言え赤面の至りである。岩波文庫の赤帯(外国文学)、青帯(哲学・歴史など)、黄帯(日本の古典文学)、緑帯(日本の近現代文学)…と片っ端から東西のクラシックを読破したのもこのころ。「この男には読むことが一切であり、書物があたかも性愛の対象だった」(「黄金仮面の王」マルセル・シュオブ−解説種村季弘 コーベブックス 1972年)のかもしれない。河出書房新社のドストエフスキー全集を手に入れ、書簡、日記のたぐいまですべて読みつくした。三畳時代は書斎の揺籃期であった。

この後、会社に入り長崎、福岡、東京などを転々、最後は仙台で早期退職。この時代、特に前半は仕事が忙しく、ゆっくり本と戯れることも少なく、いわば書斎の「暗黒時代」であった。

PHOTO2写真<2>
仙台時代の寮の書斎。仕事の合間に古書店を巡る日々。マニアックな古本レコード屋『S』や、仙台のブックカフェのはしり『火星の庭』や倉庫型古書店『万葉堂』など。本当の意味での書斎はここから始まった。『聊斎志異』など中国の不思議な怪異譚の世界にはまったのもこのころ。


PHOTO3写真<3>
書斎の書棚から。パリのパサージュについて書かれた『PARIS CAPITALE DU XIXe SIECLE, LE LIVRE DES PASSAGES』(WALTER BENJAMIN , Les Éditions du Cerf 1989年)と著者ベンヤミン。「蒐集家の意識のなかでは一冊一冊の本の一番重要な運命は、自分自身との邂逅、自分自身の収集品との邂逅です。真の蒐集家にとっては、一冊の古書を手に入れることは、その本が生まれかわることです。…切り取ること、引抜くことはそれぞれ新たな新生の手順なのです。古い世界を新しくする…」(『蔵書を荷解きする』ベンヤミン 「『パサージュ論』熟読玩味」鹿島茂 青土社 1996年)。ベンヤミンの著作は旅をするときの必携書物であった。


PHOTO4写真<4>
書斎の書棚から。絵本『海の小娘』(若き日の横尾忠則と宇野亜喜良が本のページの始めと終わりからそれぞれ絵物語を展開、本の真ん中でそれぞれの作品が出会い重なる凝った作りになっている。 朝日出版 1962年)。東京・井の頭公園隣接のアパートに住んでいたころ、吉祥寺にあった絵本専門店で入手。棚に二冊あったが1冊で我慢したのは同好の士への武士の情け。


PHOTO5写真<5>
寺山修司関連資料の棚。一時期、演劇や実験映像、短歌などへの関心から寺山修司関連の文献や資料を徹底的に蒐集したことがあった。『にっぽん劇場写真帖』(室町書房 1968年)をはじめとする初期の希少本、音楽、映像なども含め600点ぐらい。今では書棚の片隅にひっそり。


PHOTO6写真<6>
仙台の寮時代の書棚(一部)


PHOTO7写真<7>
仙台の寮のテラスで読書。テーブルと椅子はパリで使われていたもの。


PHOTO8写真<8>
仙台時代によく読んでいたのがヘンリー・ミラー。蔵書のなかでも大きな位置を占めている作家の一人。写真は美しい装丁の『Order and Chaos chez Hans Reichel』(Henry Miller A-Z限定26部特装版署名入り Published by Loujon Press, Tucson, Arizona 1966) 。「根が生の流れの中にあれば、人は蓮のごとく水面に浮び、花を開き、実を結ぶであろう。…彼の内部にある生命は生長発展となって発現するであろう。しかも生長発展は、無限の課程である。凋落も死も生長の一部であるがゆえに、彼は枯れることをおそれない」(ヘンリー・ミラーの言葉『セクサス』大久保康雄訳 ヘンリー・ミラー全集解説 新潮社 1966年)


PHOTO9写真<9>
東京・阿佐ヶ谷時代の書斎。とても落ち着く空間だった。2011年3月11日の大地震と原発事故がなかったら、ここでずっと過ごしていたかもしれない。「室内は芸術の避難場所であり、この室内の真の居住者は蒐集家である。(『パリ-19世紀の首都』ベンヤミン ―「『パサージュ論』熟読玩味」 鹿島茂 青土社 1996年)


PHOTO10写真<10>
東京・阿佐ヶ谷時代の書斎。1DKの狭い空間に天井まで届く書棚をぎっしりと本が占有。このころに、シュルレアリスムの文献など書物コレクションの原型がほぼ完成。


PHOTO11写真<11>
阿佐ヶ谷時代によく読んでいたグスタフ・ルネ・ホッケの蔵書のうち『迷宮としての世界』のドイツ版原書(中央 DIE WELT ALS LABYRINTH ,GUSTAV RENE HOCKE ,ROWOHLT 1957年)


PHOTO12写真<12>
阿佐ヶ谷時代、よく読んでいた建築家キースラー関係の本と山口勝弘の「不定形美術ろん」(学芸書林 1967年)キースラーの構想した建築物は軟体動物のような不定形な姿で知られる。


PHOTO13写真<13>
建築家前川國夫設計の阿佐ヶ谷住宅。ここに住みたかったが、すでに取り壊しが決まっていて阿佐ヶ谷住宅に隣接するアパートを探し出し住んでいた。昭和の空気がそこに保存されていた。喧噪の都会にあって、そこだけ時間の流れが止った昭和のサンクチュアリ(聖域)であった。


会社を退社後移り住んだ阿佐ヶ谷の9年(1993年から)は、書斎の黄金時代。古書店との蜜月が続く。阿佐ヶ谷北口にあった『銀星舎』や名曲喫茶『ヴィオロン』、阿佐ヶ谷南の『書源』など。『銀星舎』の主人とは今でも交流が続いている。会社を辞めた直後の3年間、当時明治学院大学で教鞭をとっていた巖谷國士氏のゼミ(院ゼミ、4年ゼミ、3年の仏語<ランボー「イリュミナシオン」講読>)に参加。埼玉県立近代美術館であった澁澤龍彦展を訪れていた巌谷氏に頼み込んでゼミに入れてもらい、3年間皆勤賞で出席した。ゼミは他大学の学生や社会人も受け入れ、素晴らしい講義と学者としての懐の深さに敬服。今でも感謝の気持ちを忘れることはない。

PHOTO14写真<14>
パリ7区の屋根裏部屋のアパルトマン時代の「ポータブル」ミニ書斎。わずか7平方メートル。フランスでは9平方メートル以下に人が住むと違法?になるらしい。カナダ半年、モロッコ2か月 パリ2年(2012年から2013年) 海外を漂流した臨時書斎。 どこに行っても現地で集めた蔵書は、書棚を眺めてみると国内に残した書斎を縮小した形となっているから不思議だ。長い間に形成された嗜好がそうさせるのか。「パリは風景となってかれに開かれ、部屋となってかれを閉じ込める」(「新しい天使」 ベンヤミン著作集13巻 1994年 晶文社)


PHOTO15写真<15>
パリ7区のアパルトマン7階からの眺め。わずか7平方メートル、エレベーターなし。食料や水の買い出しは大変だった。


PHOTO16写真<16>
パリ時代に入手したボードレールの『パリの憂鬱』の豆本(『LE SPLEEN DE PARIS機↓供 BAUDELAIRE ,ÉDITION DE L’ABEILLE D’OR 1930年)。「完全な遊歩者にとって、情熱的な観察者にとって、数の中に、波打つものの中に、運動の中に、うつろい易いものと無限なるものの中に住いを定めることは、涯しもない快楽である」(「ボードレール全集4」―『現代生活の画家』 阿部良雄訳 筑摩書房 1987年)


PHOTO17写真<17>
パリの屋根裏部屋時代に入手したフーリエ全集(Oeuvres completes de Ch. Fourier ,Édition Antropos Paris, 1966年 後ろの美しいブルーの本)。モンマルトル墓地にあるにあるフーリエのお墓にもお参りした。「恋愛と食こそそういう有益なものなのだということがわかるだろう。この二つを人間にとって今よりもっと大切なものにし、このうえなく強力な熱狂の動因に基礎をおいて宗教的統一の絆をつくりあげるには、両者を神のように崇めるべきなのだ」(「愛の新世界」シャルル・フーリエ 福島知己訳 作品社 2006年)


PHOTO18写真<18>
2011年からほぼ3年、海外に滞在。途中阿佐ヶ谷から福岡へ荷物を移した時の仮の書斎


PHOTO19写真<19>
2013年、パリ7区の屋根裏部屋を引き払い、京都へ。京町屋に転居。


PHOTO20写真<20>
ノヴァーリスは書斎のそれぞれの時代を問わず、愛読している。『断片』(ノヴァーリス 第一書房 1939年)と、美しい装丁の函入り(第一書房 1931年版)。「我等は目に見えるものよりも、目に見えざるものと、より近く結ばれている」(『断片』)。


PHOTO21写真<21>
京都の町屋時代の書斎。奥には坪庭があり、真っ白な山茶花や椿、姫林檎の花が咲いた。


PHOTO22写真<22>
森山大道や石元泰博、中平卓馬などの写真集。写真集のコレクションは書斎作り初期のころから進めていた。


PHOTO23写真<23>
京都の町屋の書斎(2013年から2016年)天井が高く、和とモダンの趣のある書斎。『実験映画の夕べ』などプライベートサロンを何度か催した。書斎の第二期黄金時代。一番愛着深い空間だ。


PHOTO24写真<24>
京都の町屋の書斎(2013年から2016年)。ここで過ごした日々が懐かしい。 


PHOTO25写真<25>
京都の町屋時代を終え、2016年から平安神宮近くの家に転居。現在の書斎。あらためて書棚を見回してみると、シュルレアリスム関連の本、資料が圧倒している。


PHOTO26写真<26>
京都(現在の書斎、一階)。書庫は二階にあるが、蔵書の重みで床が抜けないか心配。書斎の第三期黄金時代になるか。それでもなお書斎は膨張し続ける。
最近は「和」の世界にどっぷり漬かりつつある。能を物語、文学として「読む」と、現代にも通じる精神世界が浮き上がってくると感じることがある。現世に執着する死者が霊となって生者と対話する能舞台。世阿弥らの描く妄執、物狂(ものぐるひ)の情念世界に共感を覚える。観世元雅の「弱法師(よろぼし)」は親から捨てられ盲目となった俊徳丸が乞食坊主となってさすらい、ついに親と対面する。心眼で周囲の障害物がいっさい消え去り、「見るぞとよ、見るぞとよ」と輝く難波の海の彼方に西方浄土を見る。「すべての美しい風景は心のうちにある」(『能を読む 元雅と禅竹―夢と死とエロス』梅原猛、観世清和監修 角川学芸出版 2013年)のである。筆者のように旅から旅に明け暮れた遁世者(トンゼモノ)には、能の世界は心に深く浸透する。

PHOTO27写真<27>
梅原猛、観世清和監修のシリーズ『能を読む』(角川学芸出版)。


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「日本の伝統音楽」「にっぽんの子守唄」のレコード。フリージャズや実験音楽も聴いてきたが、最近は雅楽や能、声明(しょうみょう)、土着的な民謡など日本の音楽のルーツにつながるものに惹かれる。


ここまで知の大海を「漂流」し、現在の書斎にたどり着いて感じたことは、はるか時空を超えた古人(いにしえびと)との出会いと対話の楽しみであったように思う。偉大な人々を書斎に召還し、ゆっくり語り合う知の愉悦。書棚の書物は時代とともに一部は入れ替わり、増殖していった。ただ、植物を愛着をこめて育てるように書斎の書棚にしばしば手を伸ばし、二重三重になって書棚の背後に隠れた本を入れ替えたり手入れを怠ると、書斎はあっという間に「知のモルグ(死体置き場)」になってしまう。書斎は「生きている」のだ。

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新居に移ってから入手したアンドレ・ブルトンの手書きテキストとイブ・タンギーの絵による本『VOLIERE(鳥かご)』(Andre BRETON & Yves TANGUY,Pierre Matisse New York 1963年)の一部。


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京都の某「変態骨董屋」の片隅で奇跡の発見。つい最近超格安で入手したロシアバレエの公演プログラム『BALLETS RUSSES』(L’édition Artistique 1928年 公演チケット入り)。表紙デザインが美しく秀逸。ネットで調べたところ十万近い価格。こういうものが意外なところから出てくるのが京都の奥深さ。


いつかは訪れるであろうコレクションの解体と再生。書斎の主が不在になれば、書斎はその引力の中心点を失って崩壊する。アンドレ・ブルトンや瀧口修造らの知の巨大な宇宙が形成されていた書斎でさえ、本人がいなくなれば一気に消え去ってしまう。一般の市井人の書斎などあっけない。蒐集した書物や作品も実は所有しているようで所有していないのだ。人生が時間を借りているように、所有物も生きている間、借りているに過ぎない。
書斎はいつの日か解体され、散り散りになった愛する本たちは、また見知らぬだれかの手にわたって、新たな書斎の一部となる。そして次の世代の知の箱舟=書斎が形成されるのである。書斎の解体は寂しいことではあるが、菅原道真の
「東風吹かば
匂いおこせよ
梅の花
主なしとて
春な忘れそ」の歌を思い起こしたい。

「遊民の最後の旅は死であり、その目標は新しさである。『未知の底に 新たなるものを見いだすために』」(『ベンヤミン著作集6』−『ボードレール』 晶文社 1992年)。さて、この沈没船のような書斎でしばしやすらう書物たちは主なきあと、いったいどこへ漂流していくのだろうか。

―『書斎の漂流物』(完)―

よるの ゆう

■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)−モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論掘戮如◆慄鳴鮮1987−消えゆく夢幻の風景』、昨年12月の同展『記憶論検戮任麓命燭肇轡絅襯譽▲螢好爐鬟皀繊璽佞砲靴深命織ぅ鵐好織譟璽轡腑鵝慙上のVOLIERE(鳥かご)―路傍に佇む女神たち』を展示。京都市在住。

*画廊亭主敬白
京都の石原輝雄さんの推薦で連載をお願いした夜野悠さんですが、毎回実に濃厚な香りただよう書斎の漂流物の数々をご紹介していただきました。
まさにあっという間の一年(12回)で、今回で最終回だなんてとても残念です。
実は亭主も担当の秋葉もときの忘れもの全員がまだ夜野さんとお目にかかっていません。一年の間にはその機会もあるだろうとのんびりしていたのがそもそもの間違い、夜野さん、ご挨拶もせずたいへん失礼しました。
ほんとうにありがとうございました。京都でお会いできるのを楽しみにしています。

●男性陣はNY、留守を守るのは社長以下女性陣。終日来廊者もなく静かに・・・暮れようとしたそのときドアを開けて入ってきたのはイランの彫刻家夫婦とその父親、もちろん初めてです。奈良のどこかに彫刻を設置に来日し、宿泊した大阪のホテルに飾ってあった絵がいたく気に入り、さっそくスマホピコピコして検索したら、当然のことながら(エヘン)googleトップにでたのは「ときの忘れもの」。
めでたくお買い上げいただきました。とても穏やかで仲の良いご家族でした(トランプさんに見せてあげたい)。
ということで本日のお勧め作品は、百瀬寿です。
01_Square-Y_and_P_by_S_and_G百瀬寿
"Square - Y and P by S and G"
1984
53.0×53.0cm
Ed.150 サインあり

02_Square-Golds_Metallic_G_and_B百瀬寿
"Square - Golds, Metallic G and B"
1984
53.0×53.0cm
Ed.150 サインあり

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夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」第11回

夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」

第十一回◇妖精のディスタンス―瀧口修造の小宇宙

瀧口修造といえば、筆者はまずこの写真を想起する。瀧口修造は1958年、パリ9区・フォンテーヌ通り42番地にあるシュルレアリスムを主導したアンドレ・ブルトンの書斎を訪れた。まるでシュルレアリスム界の大天使と熾天使とが美の法廷で会見でもしているかのようだ。

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『アンドレ・ブルトンと瀧口修造−第13回オマージュ瀧口修造展』(1993年 佐谷画廊 撮影:ルネ・ロラン)から。


瀧口修造。戦前から戦後、国際的な超現実主義運動の動きのなかで、常に日本の中心点にいた人である。筆者にとって、はるか遠くにいて至近の距離にいる憧憬の存在。実験詩や、コスモポリタン的な美の視点で俯瞰する美術評論、美のミクロコスモスを絵具と紙で吸い取ったデカルコマニーなどの作品群…。日本のシュルレアリスムのLe point sublime(至高点)にあった人であることは間違いない。
瀧口修造(1903-1979)は富山県出身で医師の家に生まれたが、跡を継がず慶応義塾大学で西脇順三郎に師事、モダニズムやシュルレアリスムの影響を受けた。アンドレ・ブルトンの『超現実主義と絵画』(1930)の翻訳を手始めに『近代芸術』(1938)などシュルレアリスムの紹介や美術評論に力を尽くしたほか、阿部芳文と詩画集『妖精の距離』(1937年)、『瀧口修造の詩的実験1927-1937』(思潮社 1967年)を刊行するなど詩人として知られる。『アンドレ・ブルトン集成』(人文書院 1970−71年)の編集にも携わった。1951年代の実験工房やタケミヤ画廊での若手アーティストの発掘や交流にもエネルギーを注ぎ、若い芸術家たちが新しい美の形を発見、発表する空間を与えた。瀧口修造の美の原点は「…発生の現場に惹きつけられるだけである」(瀧口修造「白と黒の断想」幻戯書房 2011年)という創作の現場に立ち会う興味にあったのかもしれない。

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瀧口修造のサイン


瀧口修造の周辺にはアーティスト、作家、詩人、音楽家らが綺羅星のごとく並ぶ。「実験工房」関係では山口勝弘北代省三福島秀子、武満徹、大辻清司、秋山邦晴らが関わった。オブジェ『検眼図』をともに制作した岡崎和郎、版画家の加納光於とは『稲妻捕り』(1978年)の共著もある。音楽家武満徹や『プサイの函』の松澤宥との深い精神的交流もよく知られている。海外ではアンドレ・ブルトンをはじめ、マルセル・デュシャンサム・フランシスらと交流。タピエスとは詩画集『物質のまなざし』を、ミロとは詩画集『手づくり諺』をそれぞれ刊行した。
「同時代」と遠く離れていた筆者の青春時代。なぜか時代にくるりと背を向け、時代の最前線と直接触れ合えなかったことが悔やまれる。たとえば1969年に設立された「美学校」。土方巽、種村季弘、唐十郎、澁澤龍彦、粟津則雄らの諸氏が初年度の講師陣。当時のそれぞれの分野の最前線にいた錚々たるメンバーである。瀧口修造は「声が小さい」ということで当初予定していた講師陣からはずれたそうだが…。大学に行かず「美学校」に通っていれば、また違った人生になっていたことだろうと時々ふと思う。「同時代」という最高のオペラの最前列席のプラチナチケットを持ちながら見逃してしまったような悔しさがある。

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美学校の当時の広告(雑誌『美術手帖』 1969年4月号)。講師陣の顔ぶれは、ただただ「凄い!」というしか言いようがない。この広告では瀧口修造の名前がある。


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古本の中に挟まっていた瀧口修造の生写真。額装して書斎に飾ってある。


だいぶ以前、買い求めた古本から書斎の瀧口修造の生写真がパラリと出てきたことがあった。何の本にはさまれていたのか失念したが、瀧口修造と親しかった東野芳明が所蔵していたとされる写真のなかに同じものがあるのをネット上で見つけた。撮影者は不詳だが、これも求めているものの情念による引力の働きであろうか。
富山から送られてきた瀧口修造特集の雑誌『とやま文学』(第34号)が届いた日、狼のミニチュアを道端で拾った。こうしたオブジェとの出会いもまたシュルレアリスム的偶然であり、何かの誰かからのメッセージ、交信だと思うようにしている。「連帯を求めて孤立を恐れぬ孤独な一匹狼であれ」という異界からのシグナルか。なにか見えざるものの「引力」が働いているのを感じる時がある。

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道端で拾った狼のミニチュアと雑誌『とやま文学』


2005年に世田谷美術館であった『瀧口修造 夢の漂流物』展。瀧口のたくさんのデカルコマニーに囲まれた美術館の大広間で、高橋悠治によるバッハの「マタイ受難曲」のピアノによるオマージュ演奏があった。瀧口修造が天界からその場に召喚されたように感じるほど鬼気迫る演奏だった。瀧口の作品とバッハのマタイ受難曲の音楽が溶融し、音のデカルコマニーとして記憶のなかに転写されたような気がする。

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『瀧口修造 夢の漂流物』展では、瀧口修造のデカルコマニーが多数展示されていた。作品を眺めていると、まさに「有の世界が無を訪れ、無の世界が有に呼びかける」(「黒の中のオレンジ」瀧口修造−『現代の思想6 美の冒険』 平凡社 1968年)空間がそこにあることをひしひしと感じた。


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『瀧口修造 夢の漂流物』展の関連イベント「デカルコマニー体験」で作った筆者の習作。


慶応義塾大学が2009年に出版した瀧口修造と旅をテーマにした変型本『瀧口修造1958−旅する眼差し』(限定400部)。瀧口の旅をオブジェ化したような本だ。1958年、瀧口修造がヨーロッパ滞在中に撮影した写真を中心に構成。「旅の手帖」や綾子「夫人宛絵葉書」のファクシミリやオリジナルプリントなどが同梱され特製ボックスに収めてある。

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『瀧口修造1958−旅する眼差し』から。手前は瀧口修造撮影のベルギー・ブルッヘ(ブリュージュ)の写真。


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『瀧口修造1958−旅する眼差し』から。下は機中の瀧口修造。


あるとき瀧口修造の署名本がどうしても入手したくなり、東京在住中たまたま訪れた神保町の古書店で『畧説 虐殺された詩人』の署名本を見つけた。署名本は著者をわが書斎に「降臨」させる筆者にとっては精神の触媒のようなものなのである。

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瀧口修造の署名本『畧説 虐殺された詩人』


東京在住中に、青山のとある古書店でレアな同人誌『マリオネット』の創刊号(1971年 限定150部)を手に入れる機会があった。本の扉には瀧口修造の詩『人形餞』が掲載されている。「人よ、人はみなおのれの人形をかくしもつ。人間の人形。それはなんと孤独で、隠れたがることか…」。まるで金属板に精神の鉄筆でもって書かれたかのような詩がここにある。

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同人誌『マリオネット』創刊号。種村季弘の「夢遊者の反犯罪」、富岡多恵子「人形の生死」なども所収。


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同人誌『マリオネット』の扉の瀧口修造の詩『人形餞』。まるで金属板に鉄筆で書かれたかのよう。


シュルレアリスムの自動筆記で創作されたとも思える実験詩『瀧口修造の詩的実験1927-1937』(思潮社 1967年)と、黒の紙に黒の活字で印刷された見えないものが見える人にしか読めないという詩の隠喩とも思える『地球創造説』(書肆山田 1973年)は言葉のオブジェ、オブジェの言葉であろうか。「詩は信仰ではない。論理ではない。詩は行為である」(『詩と実在』瀧口修造−『現代詩手帖』2003年11月号 思潮社)とする瀧口の文学的実験である。

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『瀧口修造の詩的実験1927-1937』


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『地球創造説』。黒の紙に黒のインクで詩を印刷している。「両極アル蝉ハアフロデイテノ縮レ髪ノ上デ音ヲ出ス…」(瀧口修造)


2003年冬、瀧口修造の蔵書が収められている多摩美術大学を訪れる機会があった。東京大空襲で高円寺にあった家が焼け、ブルトンからの手紙や当時蒐集した貴重なシュルレアリスムの資料が焼失したという。ここに収蔵されているのはその後入手したものだそうだ。展示されている書物を見回すと、筆者の書斎にある同じ本を多く見つけ、嬉しい思いを抱いた記憶がある。「マラルメにしたがえば、書物は精神(エスプリ)の楽器である。しかし書物もまた、時に貝殻のやうに、乾燥し、風化し、時間の不思議な光沢を発するのではなからうか」(「近代藝術」瀧口修造 1938年 三笠書房)。同じ精神の楽器で「言葉の音楽」を一緒に聴いたという喜びを感じたのである。

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多摩美術大学所蔵の瀧口修造の蔵書の一部。筆者の書斎にあるシュルレアリスム関係の同じ本を多く見つけた。


瀧口修造は写真論について随所に書いている。筆者も畏敬するアッジェの写真について『新しい写真の考え方』(瀧口修造、渡辺勉ほか 毎日新聞社 1957年)で、瀧口は「ただ怪奇なものを漁って撮ったり、砂漠で貝殻や流木を撮ることだけがオブジェでなく、このアトジェ(アッジェ)のような卑近な事物の非情な記録からも物の精、物の妖気のようなものが感じられるのです」(「アトジェの『飾窓』」から)とアッジェの写真の本質をつく文章を綴っている。
また、『新しいショーウインドー<ウインドーディスプレイ>』(雑誌みずゑ別冊3号 1953年)の巻頭、「飾窓の小美学」と題し、アッジェの写真について触れている。「アジェ(アッジェ)のような巷の写真師は、この飾窓の物体(オブジェ)の季節を最初に感得した詩人の一人ではなかったろうか」。写真家を詩人とみなすところが瀧口らしい見方である。

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『新しいショーウインドー<ウインドーディスプレイ>』(雑誌みずゑ別冊3号。「およそ額縁のある飾窓というものは、それ自身で超現実的なカラクリなのである」(同号『飾窓の小美学』瀧口修造)。


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書斎の瀧口修造(1969年)


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瀧口修造の書斎の机


瀧口修造の書斎には、世界中のシュルレアリストやアーティストらから贈られた作品が展示室のようにぎっしり並び、瀧口修造の居場所を中心にオブジェの小宇宙を構成している。『マルセル・デュシャン語録』(美術出版社 1968年)のなかで、瀧口は「ある日ふとオブジェの店をひらくという考えが浮かんで、それがひとつの固定執念になりはじめた」と述べている。

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2004年春、富山にある瀧口修造のお墓参りをした。お墓の裏側に、瀧口修造が夢見た幻のオブジェの店の名前「Rrose Selavy」(ローズ・セラヴィ)の文字が刻まれている。デュシャンが「オブジェの店」の看板にと命名を許しサインした。


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瀧口修造関係の筆者の蔵書の一部


瀧口修造の『遺言』と題された詩がある。同じ精神のフィールドにいる人たちへのメッセージだ。天界からわれわれを優しく包むように見守ってくれる。

「年老いた先輩や友よ、
 若い友よ、愛する美しい友よ、
 ぼくはあなたを残して行く。
 何処へ? ぼくも知らない
 ただいずれは、あなたも会いにやってきて
 くれるところへ・・・
 それは壁もなく、扉もなく、いま
 ぼくが立ち去ったところと直通している。
 いや同じところだ。星もある。
 土もある。歩いてゆけるところだ。
 いますぐだって・・・ ぼくが見えないだけだ。
 あの二つの眼では。さあ行こう、こんどは
 もう一つの国へ、みんなで・・・
 こんどは二つの眼で
 ほんとに見える国へ・・・」
(「遺言」瀧口修造)

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瀧口修造・綾子夫妻(大辻清司撮影 雑誌『とやま文学 第34号』より)


瀧口修造は静かな声の人であったという。瀧口修造という人間そのものがオブジェのような存在だったのではないだろうか。鉱物でたとえると水晶のような硬質で透明なパーソナリティ。俗世界や諍いとは程遠く、静謐な微笑とともに「見えないもの」を宇宙的なパースペクティブで幻視する人であったように思う。
シュルレアリスムとは本来、作品が美術館という美のモルグに収まったり、美の解剖学者のような研究者に切り刻まれ、本質とかけ離れた微細な成果を漁るものではなく、時代を超越した終わることのない精神の永続革命であろうと思う。待ったなしで「生を刈り取り」精神の永続革命を目指し、ひっそりと隠者のように潜む市井のシュルレアリストたちに、瀧口修造は天界から「出発は遅くとも夜明けに」(瀧口修造「白と黒の断想」幻戯書房 2011年)と、終着駅のない精神の旅への参加を呼びかけることであろう。

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瀧口修造のロトデッサン(マルセル・デュシャン生誕130年記念『瀧口修造・岡崎和郎二人展』2017年2月8日まで 京都・ART OFFICE OZASAギャラリー)より。暗黒の太陽のようなロトデッサンが、額のガラス面に反射した筆者の顔に能面のように貼りついた。


よるの ゆう

作成日: 2017年1月22日(日曜日)

■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)−モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論掘戮如◆慄鳴鮮1987−消えゆく夢幻の風景』を展示。京都市在住。

●本日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20170205_takiguchi2014_III_14瀧口修造
「III-14」
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イメージサイズ:18.5×13.9cm
シートサイズ :18.5×13.9cm

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夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」第10回

夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」

第十回◇映像の悦楽、映画の日々−『シベールの日曜日』から実験映画まで

若き時代の「映画の日々」が懐かしい。映画にのめりこんでいたのは、大学時代。東京・池袋のはずれにある3畳一間の貧乏下宿で、東大安田講堂の陥落や新宿騒乱、反戦デモなど時代の熱いうねりを肌で感じながら、引きこもりがちの生活を送っていた。暗いジャズ喫茶の片隅や部屋で一人、岩波文庫を片っ端から濫読し、「心地よい青春」を世捨て人のように放棄していた時代。読書にあきると池袋文芸坐地下や映画のイベント、京橋フィルムセンターなどをはしごして一日五本の映画を観ることも。当時のメモを見ると、年間350本以上も映画を観ていた。当時入手した京橋フィルムセンターの冊子を見ると、フランスやイタリア、ドイツ、イギリス、スウェーデン、アメリカなどの古典的な映画からヌーヴェルバーグなど幅広く系統的に映画を観ていたことが思い出される。映像という虚構の世界にどっぷり漬かった暗い青春時代、未知の世界を照らし出す映画というファンタスマゴリー(幻燈装置)が道標だった。この早すぎる隠遁の時期は「fuga mundi 世俗世界からの逃避」(『パリ、貧困と街路の詩学』今橋映子 1998年 都市出版)であった。

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学生時代に通った京橋フィルムセンターの当時の特集映画カタログ


人それぞれに運命の女ファムファタールとの出会いのような映画との遭遇があるかもしれない。『シベールの日曜日』(セルジュ・ブールギニョン監督 1962年 フランス映画)は若き日の筆者にとって、そういう映画だった。ベトナム戦争時、戦闘機のパイロットだったピエール(ハーディ・クリューガー)が事故で記憶を失う。復員してパリ郊外のヴィル・ダブレーで暮らしていたある日、親に強制的に寄宿学校に入れられようとしていた少女フランソワーズ(パトリシア・ゴッジ)と駅で出会う。記憶を失い少年のような心を持つ31歳のピエールと親に捨てられた12歳の少女との交流が始まり毎週日曜日、ヴィル・ダブレーの美しい湖畔を散歩する。純真な少年と少女のような逢瀬を見て、住民があらぬ噂をたてる。心配になった同棲中の看護師マドレーヌがこっそり二人の様子をうかがうが、二人のほほえましい交流を見て杞憂だったことがわかる。悲劇はピエールとフランソワーズが森の小屋で二人だけのクリスマスパーティをしようとした際に起こる。何度この映画を観たことだろうか。映像詩と言ってもよいモノクロの美しい映像と少年の心を持った男と少女との純愛。背景にある戦争の傷跡と、ふたりの「純愛」を異常と切り捨てる現実の汚れた常識にまみれた大人たちが、二人を悲劇のクリスマスへと追いやっていく。当時、放映された吹き替え版の録画ビデオを持っていて大切に保管していたが、知り合いの画家に貸したところビデオが行方不明になってしまった苦い記憶がある。その後、絶版になっていたビデオを入手したほか、ドイツ版や字幕入りの日本版などいろいろなバージョンを集めた。つい数年前、ブルーレイ版が出たが、なぜか買い逃してしまったのが悔やまれる。当時観た時にあった最後のシーンの一部がカットされていたのが気になったからかもしれない。今ではプレミアムがついて手が出ない。ビデオやDVD版をチェックしたところやはり記憶に残っていたインパクトのある印象的なシーンが削除されていた。この映画の完全版は今や映画館で観た記憶の中にしか残っていないのが残念だ。

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映画『シベールの日曜日』から。ベトナム戦争中に記憶を失った男ピエールを演じたハーディ・クリューガー(左)とシベール(フランソワーズ)役のパトリシア・ゴッジ


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映画『シベールの日曜日』のビデオ、ドイツ版と日本語版のDVDとパンフレットなど


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パリの映画館ル・シャンポ。数年前、パリ在住中に『シベールの日曜日』が上映されていた。この映画をここで立て続けに五回見に行った記憶がある。


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『シベールの日曜日』のロケ地ヴィル・ダブレー。美しい湖畔と森。ロケ地を訪れてつくづく実感したのは、ドラマは人がいて初めて成り立つという当たり前すぎることだった。ここがあの映画の舞台であったことは確かだが、空虚な風景はあの濃密なポエジーあふれる映画のシーンを再現することは決してない。「実在の町を一切が外見となった書割の町に変容させる魔術的視力」(『ボードレールの世界』―「覗く人 都会詩人の宿命」種村季弘 青土社 1976年)が必要なのかもしれない。強力な魔術的想像力が…。 


いろいろな映画を観てきたが、やはり実験映画への愛着を語らないわけにはいかないだろう。なかでもアメリカの実験映画女性作家マヤ・デレン(1917-1961)抜きには実験映画は語れない。印象に残る作品は『午後の網目』(Meshes of the afternoon 1943)だ。モノクロームのシュルレアリスティックな映像が、迷路のような暗い夢の世界を紡ぎだす。当初、音楽はつけられていなかったが、のちに日本人の音楽家Teiji Itohが東洋的な不思議な音楽を添えている。マヤ・デレンは1953年に米国で行われた「詩と映画」についてのシンポジウムで「イメージは…作者の心の中から始まるのです。夢やモンタージュや詩のイメージは…<垂直的>なもので、論理的な行為ではありません…夢やモンタージュは事件の論理的な連続ではなく、普通の感情から成立している事実が寄せ集められてひとつの中心に導かれたものなのです」(『アメリカの実験映画』 アダムズ・シトニー編 1972年 フィルムアート社 石崎浩一郎訳)と述べている。『午後の網目』で見せた「反現実」としての夢が映画のイメージの発条装置として機能している。「この『反現実』こそ、まさに本物の現実であり、グノーシス派が『光の財宝』のただなかへの跳躍によって到達する現実である」(「魔術的芸術」アンドレ・ブルトン 河出書房新社 1997年 巖谷國士ほか訳)と言えよう。

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アメリカの実験映画作家マヤ・デレン


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マヤ・デレンの実験映画集のDVDと、カナダ・モントリオールの古書店で手に入れた珍しいマヤ・デレンの評論冊子『AN ANAGRAM OF IDEAS ON ART ,FORM AND FILM』(THE ALICAT BOOK SHOP PRESS ,NEW YORK 1946 写真上) 


トロントのマニアックなDVD屋などで手に入れた実験映画のDVDを知人に観てもらおうと、2014年11月に当時住んでいた京都市内の京町屋で『実験映画の夕べ』を開催。 有名な『午後の網目』(Meshes of the afternoon 1943) をはじめとするアメリカの実験映画やマン・レイなどの珍しい映像を上映した。

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『実験映画の夕べ』の番号入り限定10部で手作りしたパンフレット


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『実験映画の夕べ』のパンフレットと上映タイトル


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京都市内の京町屋で開催された『実験映画の夕べ』の様子。画家、デザイナー、マン・レイ研究家、古書店主、翻訳者らが集まった。


ドゥシャン・マカヴエィエフ監督(1932−)のカルト的な映画『SWEET MOVIE』(1974年製作のフランス・西ドイツ・カナダの合作映画)も、前衛的映画という面では興味深い作品のひとつだ。マカヴェイエフ監督は当時のユーゴスラビア出身で、1965年に『人間は鳥ではない』で劇場長編作品監督デビュー。以後前衛的な作品を手掛け、映画界に衝撃を与えてきた。中でも『SWEET MOVIE』はグロテスクで変態的で、かつ詩的、人間の中に抱える暗黒の情動の爆弾がさく裂するかのような映像が連続する。パリのエッフェル塔で伊達男が歌うシーンは深く印象に残る。人間の奥に潜む「悪」を歌いあげる『悪の歌』―。

「暴力が支配する世界
人々が苦しむのを見るのは楽しい
俺は生きるために死ぬ
この衝動を許してほしい
血の川 大虐殺
もっと欲しいと俺は叫ぶ
俺の心の太陽が輝く夜を祝おう
歴史を動かすような
野性の馬として俺は生きる
金色のたてがみ 宴を求め さまよう
剣をもってしても
馬を飼慣らすことはできない
あちこちで反乱 だから俺は歌う
俺の墓から馬が生まれる
神をも恐れぬ馬達が」(映画『SWEET MOVIE』より)
ストーリーらしいストーリーはなく、無関係で不気味な映像やシーンがコラージュされている。残酷で不毛な美しい愛の暗黒世界を描いた。映画タイトルの「スィート」とは程遠く、胆汁のような苦さが残るカルト映画の極北と言ってもよい作品だ。

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カルト映画「SWEET MOVIE」のビデオやレコード、マカヴエィエフ監督の作品群の一部。映画音楽はギリシャ出身の作曲家マノス・ハジダキス(1925-)が担当している。


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ロバート・フランクの映像集『FILM WORKS』(2016年)とロバート・フランクのレアDVD『チャパカア』(1999年) 


つい最近、ロバート・フランク(1924-)の映像集『FILM WORKS』(2016年)とロバート・フランクのレア映画『チャパカア』(1999年 DVD)を入手した。 ロバート・フランクと言えば、写真集『アメリカン』("Les Americains" 1958年)など写真家として知られるが、映像作品も多く手掛けてきた。真っ白な木箱に収められた『FILM WORKS』は再発売だが、初版にない洒落たデザインのケースとなっている。『チャパカア』はドラッグにおぼれた男の悪夢と妄想が不思議な映像で脈絡なく展開する。随所にロバート・フランクらしい映像のイメージがちりばめられている。

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実験映画やジョナス・メカス、ゴダール、ヴェンダースなど映画関係の本と、シュルレアリスム関係のビデオやDVDの一部。家ではDVDやブルーレイで映画を観ることがほとんどだが、往年のレーザーディスク(LD)も健在。タルコフスキー全作品とゴダールの映画や、DVD化されていない珍しい映画やドキュメンタリーはLDでしか観ることができない。最近手に入れたゴダールの初期映像集『ソニマージュ / 初期作品集』(1975、76年 ブルーレイ 写真<13>中央)はゴダールの実験的で野心的な映像集で興味深い。


映画と本。わが青春時代はこのふたつが手に手を取って孤独な時間を埋め尽くした。なかでも映画は「現実」以上に、心の中の「現実」となっていた。映画は当時の筆者にとって「幻想的な食べ物」(「ユートピアと文明」ジル・ラプージュ 紀伊国屋書店 1988年)だった。食事は貧しくとも、本とともに映画は精神的栄養を支えた。映画が人生に及ぼす作用は大きい。「一つ一つのイマージュは、それが作用するたびに、あなたがたに全宇宙を修正するよう強いる」(「パリの農夫」ルイ・アラゴン 思潮社 1988年)。映画とは「生」を変え、人生に魔術的化学変化を促すファンタスマゴリー(幻燈装置)であるのかもしれない。
よるの ゆう

■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)−モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論掘戮如◆慄鳴鮮1987−消えゆく夢幻の風景』を展示。京都市在住。

●本日のお勧め作品は、ジョナス・メカスです。
20170105_mekas_01_walden_22ジョナス・メカス
WALDEN #22
「yes this was my Walden this was my chidhood
this was my winter there in a dream」

2005年
ラムダプリント
30.0x20.0cm
Ed.10
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

本日の瑛九情報!
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1月2日のブログでお正月に瑛九を展示している美術館は、東京国立近代美術館はじめ、沖縄県立博物館・美術館埼玉県立近代美術館久留米市美術館大川美術館宮崎県立美術館都城市立美術館の7館あると紹介しましたが、瑛九おっかけ隊の中村茉貴さんから早速メールが入り、府中市美術館の「ガラス絵 幻惑の200年史」展に瑛九のガラス絵が展示されていることを知らせてくれました。
8館目! 会期が長いので、これは行けそうです。
ガラス絵 幻惑の200年史
府中市美術館
会期:2016年12月23日〜2017年2月26日(日)
透明なガラス板に絵を描き、反対の面からガラスを通して鑑賞する、ガラス絵。古くは中世ヨーロッパの宗教画に始まり、中国を経て、日本へは江戸時代中期に伝わりました。
 それから、およそ200年。新奇な素材の輝きと色彩が人々の眼を驚かせ、幕末明治期には異国風景や浮世絵風のガラス絵が盛んに描かれました。大正・昭和初期には、小出楢重、長谷川利行という二人の洋画家がガラス絵に魅了されて自身の芸術の重要な一部とし、戦後も藤田嗣治、川上澄生、芹沢けい介、桂ゆきといった多彩な作家たちが取り組んでいます。
 透明なガラス面を通して見える、絵具そのものの艶やかな色の世界。通常の絵画と絵の具を重ねる順番を逆転させる、緻密な計算と技巧。そして、装飾を凝らした「額」と相まって生まれる、きらびやかな存在感。本展では海を渡って日本に伝えられた海外のガラス絵から、近代以降の多様な作品までの約130点によって、見るものを幻惑し続けるガラス絵の魅力と歴史を紹介します。(府中市美術館HPより)
主な出品作家:畦地梅太郎、糸園和三郎、宇佐美圭司、瑛九、大沢昌助、桂ゆき、金山平三、川上澄生、北川民次、小出楢重、司馬江漢、白髪一雄、清宮質文、鶴岡政男、長谷川利行、藤田嗣治、南薫造、他
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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。

夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」第9回

夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」

第九回◇消えたスワンベリ―謎のコレクターK氏とディープな仙台の蛸壺文化

極北のエロティシズム―。スウェーデンの北方の小都市マルメのアトリエに閉じこもり、過剰とも思える装飾的な技法と奔放な造形で、太古の黄金時代にもつながるエロスを追求した画家スワンベリ(スワンベルクともいう)。描かれた作品のすべてが女性で、精神の深奥に眠る古代の女神たちがこの世に召喚される。この凍りついたエロスの燐光を放つ北方の不思議な絵師の魅力に取り憑かれて久しい。 
スウェーデンのマルメに生まれたスワンベリ(1912-1994)は、17歳のころ、ヴァイオリン職人を目指したがうまくいかず、映画の看板描きの仕事をしながら、夜は工芸学校に通った。22歳の時、ポリオにかかり、生涯このときの障害が残る。1940年、運命の女性グンニと結婚、絵のモチーフになるとともに、彼女はスワンベリを献身的に支えた。1953年、パリで開かれたグループ展に出品していたスワンベリの作品をシュルレアリスムの指導者アンドレ・ブルトンが見て惚れ込み、シュルレアリスムの機関紙「メディオム」(3号)で特集、表紙の絵を飾り、ブルトンが序文「スワンベリ頌」を寄せた。その後パリの「封印された星」画廊で個展。1958年、ランボーの詩『イリュミナシオン』の挿絵画集『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』をスウェーデンで出版、ブルトンに絶賛された。1960年、ニューヨークの国際シュルレアリスム展に出品し、多くのシュルレアリストらから評価を得た。

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装飾的な技法と奔放な造形で極北のエロスを追求したスワンベリの絵(『空の薄青色の蘭とスターの十頭の欲望』<左>1969年と、『女の発光力のもとで』<右>1975年)


「おんなは虹いろの部屋に住むこの孤独なもの、その肌は蝶の群れの奇異な色とりどりの衣裳のしたに、またさまざまな出来事、匂い、朝の薔薇の指たち、澄んだ太陽たち、黄昏時の青い恋人たち、大きな眼をした夜の魚たち、といったもののしたに秘めているのだ」(スワンベリ『おんなに憑かれて』 瀧口修造訳)と喝破するスワンベリとシュルレアリスムの接近は必然であった。シュルレアリスムの魔術的手法「自動筆記」を発明したブルトンがスワンベリの描く世界に見たものは、エロスのオートマティスムであったのかもしれない。

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シュルレアリスムの機関紙『メディオム』(1954年3号)でスワンベリが特集され、表紙の絵を飾った。


20年近く前だったろうか、東京の古書街・神保町のとある若手が始めた古書店で、1958年にスウェーデンで出版された『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』のサイン本を見つけ、大変高価であったが、スワンベリの署名本はめったになく躊躇なく即決した。家に帰って、仔細にチェックすると、なんと三か所にスワンベリのサインがあったのには驚いた。書物の精霊の粋な計らいか、はたまたフーリエの「情念引力」の手助けだろうか。

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アンドレ・ブルトンに絶賛されたランボーの詩『イリュミナシオン』の挿絵画集『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』(1958年)のサイン本。


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『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』(1958年)の扉の献呈署名。


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『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』(1958年)の巻末署名


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『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』(1958年)から。リトグラフ右下にスワンベリのサイン


ランボーの詩『イリュミナシオン』は難解といわれる。しかしスワンベリはイマジネールの力によってその詩境の高みに絵画の表現で、やすやすと到達している。ヘンリー・ミラーは『ランボー論』で、「墓の彼方で彼はいまなお『伝達』している」と述べているが、スワンベリは地下からの詩霊ランボーの言葉を、増殖する詩的エロスのイメージの現像として受信したのではないだろうか。

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『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』(1958年)から『大売出し』
「売り出しだ。大衆向きの無秩序、高価な愛好家向きのこたえられない満足、信者や恋人向きのむごたらしい死!」(『大売出し』−『ランボー全詩集』 青土社 中地義和訳 1994年)


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『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』(1958年)から『夜明け』
「ぼくは夏の夜明けを抱いた。宮殿の正面ではまだ動くものはなかった。…ぼくは歩いた。すると宝石たちが目を凝らし、翼が音もなく舞い上がった。」(『夜明け』−同 中地義和訳)


スワンベリがランボーの詩を通して幻視したものはなんであっただろうか?ユイスマンスが『さかしま』で称揚した人工的なエロスの身振りか、はたまたエロスのマニエリスムか。瀧口修造は「詩に秘んでいる生殖力としての一種の行為乃至は身振りの要素に、画家は敢えて直面した」(『骰子7の目』別巻 河出書房新社 1976年−「水晶の腕に」)とランボーの構築した言葉の水晶宮にスワンベリが到達した美の道筋を明かす。

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スワンベリのポートレート(スウェーデン・マルメ市のアトリエ)


アンドレ・ブルトンはスワンベリの描く女たちについて「ここにはまさしく、《いまだかつて見たことのないもの》のありとあらゆる矢にねらわれた、宇宙の中心をなす女がいる」(『骰子7の目』別巻 河出書房新社 1976年−『ヴァイキングの女』 巖谷國士訳)と述べている。北極光に貫かれ、凍えた美の楽園のルネサンスを謳歌するスワンベリの女たち。エロスの曼陀羅がそこにある。

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スワンベリ関係の蔵書の一部


下の写真<11>のフランス装の一冊の本には苦い思い出がある。アンドレ・ブルトンらによる『FAROUCHE A QUATRE FEUILLES』(1954 édition Bernard Grasset)。だ。

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ブルトンの『FAROUCHE A QUATRE FEUILLES』(1954)


シンプルなフランス装の装丁だが、この版は限定版で、スワンベリ、Simon Hantaï らシュルレアリストによる署名入りのオリジナル版画が四点入っている。この本を見つけたのは仙台に赴任していたころ、よく昼休みに足しげく通っていたカルトなレコードと古本の店「S」だ。ある日、訪ねてみると、店の入り口近くの壁に入ったばかりというこの本が飾られていた。まさかこんな稀少本がこんなところにと思って手に取りページを繰ったところ、四枚あるはずの版画のうち巻頭のスワンベリの版画だけがない。値段を聞くと市場価格の十分の一の「ウン万円」。コレクション本としては価値が落ちるがそれでも三枚の署名入りオリジナル版画がある。この本の出所はだいたい想像できたので、消えた一葉のスワンベリはいつかこの本の中に舞い戻るであろうと買い求めた。「S」の店主にこっそり聞くと、案の定、友人のコレクターK氏所有のもので、スワンベリ好きのK氏がスワンベリの版画だけを本から抜き取り、額装して寝室に飾っているとのことだった。あれから十数年、ことあるたびに消えたスワンベリの版画をK氏に譲ってほしいと言うのだが、いまだに巻頭のスワンベリはコピーのままだ。「不在」のものに対する愛惜ほどトラウマになるものはない。

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ブルトンの『FAROUCHE A QUATRE FEUILLES』の切り取られた空白のページとオリジナル版画のコピー


この本の元所有者である謎のコレクターK氏との出会いはある取材で自宅を訪れた時のこと。なにかのきっかけで映画の話になり「ゴダールの映画では何が一番好きか」と問われ、マイナーな作品『男性・女性』と答えると、同じ映画が好きだったK氏とぐっと距離が縮まった。仙台は「よそ者」をちょっとやそっとのことでは受け入れてもらえない街と聞いてはいたが、まったくその通りで五年たってやっと懐に飛び込めた気がする。仙台は文化も表面的に際立ったものが目立ちにくいが、K氏や「S」の店主のように個人個人が「蛸壺的に」ばらばらに文化的にディープなものをそれぞれ抱え込んでいる。仙台を蛸壺文化の街と思う所以である。

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謎のコレクターK氏。シュルレアリスムをはじめ、内外の前衛芸術のコレクションは素晴らしい。自身のコレクションを公開するため私設美術館を開いたこともある。


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K氏と打ち解けるきっかけとなったゴダールの映画『男性・女性』(1966年)のLD。歌手としても知られるシャンタル・ゴヤがアンニュイな時代に生きる女性を好演。


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仙台にある魔窟のレコード屋「S」で蒐集したレアなレコードの一部。会社の昼休みに立ち寄ってはせっせと実験音楽などレアな盤を片っ端から聞かせてもらっていた。唐十郎劇中歌集『四角いジャングルで唄う』、フリージャズ奏者・阿部薫の『OVERHANG PARTY』『なしくずしの死』、山谷初男『はっぽん』『新宿』などなど。


スワンベリとともに、仙台在住時代に関心を寄せていたのが、不思議なイメージを小空間に閉じ込めた「箱の魔術師」ジョゼフ・コーネル(1903-1972)。コレクションした雑誌の切り抜きや骨董、古い写真など身近にあるものを箱の中に縮小したインスタレーションのようにして配置し、シュルレアリスティックで静謐なイメージの小宇宙を創り出した。

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ジョゼフ・コーネルのポートレート(自宅の庭で)。コーネルは幼少時、父親の死とともに家計が苦しくなり職業を転々とした。コーネルは人見知りで引きこもりがちな性格だったと言われ、母親と小児脳性麻痺の弟と米国ニューヨーク州の小さな家でひっそりと暮らした。箱の作品のほか、コラージュ、実験映画も手掛けている


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ジョゼフ・コーネルの作品


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コーネルのアトリエに置かれたジャンヌ・モローのLPジャケット


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書斎に飾っている同じジャンヌ・モローのLPジャケット。奇しくもコーネルと趣向が一致していたのがうれしい。


スワンベリにせよコーネルにせよ、世の美術界の動向など頓着せず、ひたすらアトリエに籠り、日常から隔絶された創造のガラスの城から作品を生み出し続けた孤高の美の求道者であった。スワンベリとコーネル、彼らもまた美のイマジネールを駆使する幻視者に連なる人たちであろう。

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ジョゼフ・コーネル関係の蔵書の一部


作成日: 2016年11月23日(水)
よるの ゆう

■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)−モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論掘戮如◆慄鳴鮮1987−消えゆく夢幻の風景』を展示。京都市在住。

●本日のお勧め作品は、ジョセフ・コーネルです。
20161205_cornell_01ジョセフ・コーネル
「アンドレ・ブルトン」
1960年頃
Collage by Joseph CORNELL on the photo by Man Ray
24.6x17.9cm
サインあり


マン・レイが撮影したブルトンの肖像のうちでもっとも著名なソラリゼーションによる写真に、コーネルがブルーの水彩で縁どりを施したもの。 裏面全体もブルーに塗られ、コーネルによるサインとタイトルが記されている。
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本日の瑛九情報!
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何事も平均化され、うやむやにされがちな現状にとって、山田光春氏の多年にわたる瑛九探求が『瑛九』として刊行されることはうれしい。瑛九の周辺に熱い友情と支持のサークルがあることも注目してよいことだが、本書はそうした地層の結実であるのみならず、ひとりの芸術家の生死についての記録の集成に異例な情熱を傾けてきた山田氏の瑛九論はおそらく世上の跳ね返った天才芸術論ではなく、私たちにはまだ身近な存在であり、決して鬼面人を驚かす謳い文句つきの画家に陥らぬものをもち、しかも彼を絶えず動かしつづけながら倒れた人間像の在りかを身近かに示してくれるはずである。ふたたび「やあ」といってふと訪ねてくれる瑛九を想うとき、少くとも私にはこの本からあらたに学びたい多くのものがあるはずである
瀧口修造【『瑛九』を待ちながら】山田光春著『瑛九』青龍洞内容見本1976年6月より)〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。

夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」第8回

夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」

第八回◇キューバからの贈り物―南方への憧憬

書斎の窓を開け放つと急に南方の風を感じたい時がある。ふっと頬をなで横切っていく風。遠い地の果てから運ばれてきた風。それは爽やかな風なのか?はたまた微量の毒素と血の匂いを含んだ遠い歴史の怨念がまじりあった南米やアフリカからの熱い風だろうか?幼年時代からの南方への憧れ。想像するだけで、ぞくぞくするような興奮を呼び起こす熱帯のジャングル。いつか南方の地へと、思いを抱き続けていた。「南国のひなびた保養地は北国の大都市の実体をきわだたせ、モスクワはパリの肖像の欠落を埋める。… 空間的な隔たりは容易に時間的な隔たりへの感覚を鋭敏にする」(『ヘルメース』カール・ケーレニイ−『モスクワの冬』ベンヤミン 訳者あとがき 晶文社 藤川芳朗訳)。日差しが衰弱した冬の日、書斎の一隅で、熱い風の吹く遠い異国の辺境を夢見ることがある。
2011年の大地震と原発事故以降、日本をしばらく遠ざかっていた2013年夏、ふとしたきっかけで、憧憬の地のひとつだったキューバを訪れる機会があった。スペイン植民地時代、独立戦争、アメリカの半植民地時代、そして1959年のキューバ革命と半世紀ぶりの歴史的な国交回復…。時代に翻弄されたキューバ。ハバナの裏町は、スペイン植民地時代のコロニアル建築様式の建物群が廃墟然と立ち並ぶ。過酷な歴史を乗り越えてきた人々の表情は貧しい中にも不思議な明るさを持っているように感じた。

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ハバナの裏町 裏町や路地裏、そこではゲニウス・ロキ(土地の精霊)が旅人の導き手となる。「裏町を行こう、横道を歩もう。…理窟にも議論にもならぬ馬鹿々々しい処に、よく考えて見ると一種物哀れなような妙な心持のする処があるからである」(『日和下駄 一名東京散策記』永井荷風)


わずか十日間の滞在だったが、着いて数日後にひどい腹痛に襲われた。目を閉じると頭の周りを妖怪や悪魔、魑魅魍魎が飛び交う悪夢の連続。滞在期間の半分近くを裏町の民宿のベッドの上で過ごし最後は病院へ。どうにか回復して、残された最後の三日間、もう二度と来られないかもしれないと思うと矢も楯もたまらず、日の出とともに裏町に繰り出し、路上を撮影しながら深夜まで徘徊。この時の撮影記録が、ひょんなことから昨年5月の京都国際写真祭KYOTO GRAPHIE(「KG+」)の写真展「古巴(キューバ)−モノクロームの午後」の開催につながった。

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写真展「古巴(キューバ)−モノクロームの午後」のインスタレーション展示のひとつとして限定一部(大、小サイズ)で手作りの写真集『Cuba monochrome』を作った。


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手作り写真集『Cuba monochrome』から。ハバナの裏町。
ハバナの街には意外にも古書店が多かった。街の中心街近くの広場には常設で古書市が開かれている。もちろんチェ・ゲバラやフィデル・カストロら革命にからんだ本も多いが、なかにはアメリカの半植民地時代に持ち込まれたとみられる稀少な書物もある。


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キューバで出版された写真集『EL CUBANO SE OFRECE』(Iván Gañas 1986年)


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内容は素晴らしいが、紙質がわら半紙に近く、恐ろしく印刷が悪い。


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ハバナの古書店に秘蔵されていたバレーデッサンの稀覯本『ADAGES & PAS DE DEUX』(MONIQUE LANCELOT,SERGE LIFAR Paris, éditions Arabesques 1950年 限定130部版)を入手。オリジナルデッサン二葉 デュシャン風の横顔をデザインした表紙が面白い。


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バレーデッサンの稀覯本『ADAGES & PAS DE DEUX』の躍動感あふれるオリジナルデッサン


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バレーデッサンの稀覯本『ADAGES & PAS DE DEUX』から


シュルレアリスム関連の文献を調べるうち出会ったのがメキシコの写真家アルバレス・ブラボ(1902年-2002年)。アッジェらの影響を受け、ニューヨークのジュリアン・レヴィ・ギャラリーで1935年、アンリ・カルティエ・ブレッソン、ウォーカー・エバンスとともに参加した「ドキュメンタリーとアンチグラフィック」と題された三人展の後、1938年、ディエゴ・リベラの紹介でシュルレアリスムの指導者アンドレ・ブルトンとメキシコに亡命中のレフ・トロツキーと出会い、貴重な記録写真を撮影。その後もブルトンに評価されたブラボはシュルレアリスムの雑誌に写真を掲載している。ブラボの写真に、ありふれた日常風景の中に潜む静謐な「死の影」を読み取ることができる。

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マヌエル・アルバレス・ブラボと元妻ロラ・アルバレス・ブラボ(左下隅)の写真集


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マヌエル・アルバレス・ブラボの写真


メキシコは暗黒の歴史を持っている。「マヤ人が『太陽の排泄物』と名付けた黄金」(参照:『メキシコの夢』ル・クレジオ 新潮社 1991年 望月芳郎訳)を求め、スペインの征服者(コンキスタドール)により破壊し尽くされたアステカ文明。呪術の夢で覆われた都市は一握りのコンキスタドールによって血なまぐさい殺戮の原野と化し消滅した。「Ducunt fata volentem,nolentem trahunt. (運命は欲する者を導いて行き、欲しない者を引きずって行く)」(セネカの言葉 -『西洋の没落』第二巻 オスヴァルト・シュペングラー 五月書房)。運命に引きずられた悲劇のアステカ王モクテスマ。太陽信仰と血の生贄、呪術に満たされた神話と夢の世界は彼とともに消え去っていく。
メキシコには「死者の日」があり、盛大に祝われる。死と生まれ変わりの象徴としての骸骨が飾られ、「死」を明るく祝福する。マヤ、アステカを源流とする過去の文明はメキシコに独特の死の美学をもたらした。骸骨の絵師として知られるメキシコの画家ホセ・グアダルーペ・ポサダ(1852年-1913年)。骸骨に姿を変えた人間たちを登場させ、あざ笑うかのように醜い現実を風刺する。「骸骨は用い方さえうまければ、いかなる主題にとり入れてもすぐれた装飾となりうる…」(『幻想芸術』マルセル・ブリヨン−『晩年のボードレール』松井好夫 煥呼堂 1979年)。ポサダは、「阿呆船」に乗り阿呆頭巾をかぶって死の踊りを舞い続ける人間どもを骸骨として描くことでその愚かさを喝破する。

同じあしたは二度来ない、
雪のように溶けてゆく。
魂が消えてゆくときに、
はじめてあしたがやってくる
(『阿呆船』 ブラント 尾崎盛景訳 現代思潮社)

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書棚から抜き出したポサダの本の一部と、ペルー製の骸骨のオブジェ。


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骸骨をモチーフにしたポサダのイラスト。人は一生涯、ダンス・マカーブル(Danse Macabre 死の舞踏)に明け暮れる。


南国とシュルレアリスムと言えば、キューバのシュルレアリストの画家ウィフレード・ラムを思い浮かべるが、カリブ海のマルティニーク島ともかかわりが深い。数年前、カナダのモントリオールの古書店で「南国の再発見」を特集した雑誌『HERMISPHERS』(Editions Hémisphères New York 1944年 YVAN GOLL編集)を入手した。アンドレ・ブルトンがカリブ海のマルティニーク島を訪れた際の印象を元にした『蛇使いの女』『偉大なる黒人詩人』『震えるピン』所収で、『HERMISPHERS』はエグゾティスムとシュルレアリスムに焦点を当てている。
「…よく笑う混血の少女たちが四方へ散っていく。たいていは肌より明るい色の髪をした少女たち。これら虹色の影を伴った美しい肉体は、どんな木の精に暖められるのかしら。カカオの木?コーヒーの木?ヴァニラの木かしら?それらの葉っぱは幼年期の未知の欲望が身を潜めたコーヒー袋の紙に象られ、永続的な神秘を飾り立てる」(アンドレ・ブルトン 『マルティニーク島 蛇使いの女』−「震えるピン」より エディション・イレーヌ 松本完治訳)
南国とは、扉が開かれた書物である。失われた古代の感覚と夢に一瞬にして到達する「野をひらく鍵」(アンドレ・ブルトン)が密林の奥に秘匿されている。

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「南国の再発見」を特集した雑誌『HERMISPHERS』。


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雑誌『HERMISPHERS』から。アンドレ・マッソンによる挿絵。未踏の密林は熱帯の暗黒の夢に満ちている。「ジャングルに棲む捕食動物にとっては、規則は<殺すか、殺されるか>であるのに対し、社会に棲む人間にとっての規則は<社会から閉めだされるか、閉め出されないか>である」(『内面への亡命』R・ジャカール 第2章・忍従と抑圧の原注 誠信書房)。都会の密林には精神を食い散らす「疎外」という名の猛禽類が潜んでいる。
晩年のランボーは詩作を捨て、ひたすら南方の最果ての地アフリカやアラブへと向かった。「ヨーロッパを離れるのだ。海の風がぼくの肺腑を焼くだろう。辺境の気候がぼくの肌をなめして浅黒くするだろう。泳ぎ、草を踏みしだき…ぼくは戻ってくるだろう。鉄の四肢、褐色の肌、荒々しい眸をして…」(『地獄の一季節』アルチュール・ランボー 『ランボー全詩集』(湯浅博雄ほか訳)。精神の南下。精神の上昇と下降。極から極へ。ランボーにとって「遠方とは追放の地」(『意識産業』−旅行の理論 エンツェンスベルガー)だったのである。


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アフリカやアラブからのランボーの手紙を集めた『Les lettres manuscrites de RIMBAUD』(Claude Jeancolas編集 Editions Textuel 1997年)と、「その後」のランボーの軌跡を描いた『Passion L’album d’une vie Rimbaud』(Claude Jeancolas Edité par Textuel  1998年))


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Les lettres manuscrites de RIMBAUD』から。ランボーの手紙と筆跡。


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『Passion L’album d’une vie Rimbaud』から。「詩人ランボー」から「商人ランボー」へ。地獄陥ちの軌跡を描く。


死の前日、ランボーが妹イザベルに口述筆記させた奇怪な「最後の通信(メッセージ)」。

一荷 歯一本のみ ( Un lot 1 dent seul )
一荷 歯二本 ( Un lot 2 dents )
一荷 歯三本 ( Un lot 3 dents )
一荷 歯四本 ( Un lot 4 dents )
一荷 歯二本 ( Un lot 2 dents )
(『ランボーの沈黙』竹内健 紀伊國屋新書 カッコ内は仏語原文)

「歯」とは現実的には貿易品の「牙」(象牙?)のことか。しかし筆者もこの訳(dent,dents)を「歯」ととらえたい。詩を捨て、南方アフリカの奥地を商人として彷徨ったランボーが死の床で発した解釈不能なシュルレアリスティックな最期の「詩」として…。この翌日1891年11月10日午前10時30分、ランボーは37歳の生涯を終えた。「遊民の最後の旅は死であり、その目標は新しさである。<未知の底に 新たなるものを見いだすために>」(『ベンヤミン著作集6』−「ボードレール」 晶文社)。詩の極北を極めたランボーがたどり着いたのは、過酷な南方の「言語なき砂漠」だった。

また見つかった!
なにが?永遠。
太陽と
  溶け合う海
(『地獄の一季節』アルチュール・ランボー 『ランボー全詩集』 青土社 湯浅博雄訳)

作成日: 2016年10月23日(日)
よるの ゆう

■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)−モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論掘戮如◆慄鳴鮮1987−消えゆく夢幻の風景』を展示。京都市在住。

●本日のお勧め作品は、ロベール・ドアノーです。
20161105_doisneau_04_kyabareロベール・ドアノー
「L'ENFER キャバレー地獄」
1952年
ゼラチンシルバープリント
35.0×24.5cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は毎月14日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
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 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は毎月30日の更新です。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

◆ときの忘れものは「ルリユール 書物への偏愛―テクストを変換するもの―展」を開催します。
会期:2016年11月8日[火]〜11月19日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
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造本作家グループLes fragments de M(略称frgm)は2011年10月、三人の製本家と一人の箔押し師が集まり、ルリユールをもっと多くの方々に知っていただき、より身近なものとして慈しんでもらうことを願い、活動を始めました。
メンバーは羽田野麻吏さん、平まどかさん、市田文子さん、中村美奈子さんで、2014年11月よりブログでfrgmのエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」を連載しています。
「ルリユール」とはフランス語で「製本」を意味し、書店で売られているいわゆる機械製本も含める語ではありますが、一方で工芸としての製本を強く想起する言葉として、フランス語圏の国々では使われています。工芸としての製本とは、読書家・愛書家が自らの蔵書を製本家に依頼して、世界に一つの作品に仕立て直す(具体的には山羊革や仔牛革などを表装材に用い、その上に革や他の素材による)装飾を施していきます。
本展ではfrgm皆さんのルリユール作品約35点をご覧いただきます。
●イベントのご案内
展覧会最終日の11月19日(土)19時より、港千尋さん(写真家、著述家)を招いてギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
※必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申込ください。
E-maii. info@tokinowasuremono.com

夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」第7回

夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」

第七回◇怪鳥ロプロプとコラージュ―イメージの幻視者マックス・エルンスト

怪鳥ロプロプがわが書斎に降り立ったのは、いつのことだっただろうか。「ロプロプ」とは言うまでもなくシュルレアリスムの巨人マックス・エルンストが創造した想像上の巨大な怪鳥のことである。マックス・エルンストがまだ十代だったある夜、最愛の友人の桃色インコ「オルネボム」が死んだ。翌朝、父親が妹ロニの生まれたことを伝えると、オルネボムの精気が妹に乗り移ったような錯覚に陥り、エルンストは気絶してしまうほどのショックを受けたという。以後、「鳥」のイメージはエルンストの中で、生涯「死と再生」のイメージのシンボルとして繰り返しコラージュや絵画などの作品に登場する。怪鳥ロプロプはエルンストの青春期の悲劇的な出来事の中で生まれた暗黒のフェニックスであったといえよう。

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マックス・エルンストのコラージュロマン『百頭女』(1929年)の中では、「鳥類の王」である怪鳥ロプロプがパリの街燈に夜の食事を運ぶシーンも登場する。


マックス・エルンストが再発見した幻視的コラージュ。まったく関係のない図版を切り貼りし、デペイズマン(異化作用)によって、不思議で異様な世界が再構築される。エルンストによれば、デペイズマンとは「デペイゼ(=追放する、異国に追いやる、環境をかえる)という動詞から来る言葉で、事物を日常的な関係から追放して異常な関係のなかに置き、ありうべからざる光景をつくり出す行為」。異なるイメージの衝突により、非日常的な異世界が立ち現われる。エルンストの言う「詩的火花」の発火装置がコラージュの断片に仕掛けられている。「そこでは、すべての事象は暗い因襲の檻から解き放たれ、<自己>は無化し、軽々と匿名の大気に溶けいっている」(『すべての因襲から逃れるために』武満徹)。想像力は解き放たれ、一枚のコラージュから何千もの物語が生まれる。作品を見るものが想像力を自由に駆使することによって、作者と共同で創造の一部の担い手になると言ってもよいだろう。
コラージュを偏愛するようになったのは、「合理」がすべてを采配する会社組織に属しているころだったように思う。内なる自由な精神生活さえ「常識」や「合理」によって規制される窮屈な状況に辟易していた時、精神を一瞬にして異世界へと誘うエルンストのコラージュの世界に出会った。現実逃避ではなく精神の解放をもたらす、シュルレアリスムという形而上の桃源境への入り口の鍵を手に入れたのだった。
エルンストの絵画論『絵画の彼岸』(河出書房新社 巌谷國士訳 1975年)によると、「1891年4月2日午前9時45分、マックス・エルンストははじめて感覚の世界と接触した。かれは母親がワシの巣のなかにおき、7年間ワシによってはぐくまれた卵から出てきた」と鳥人エルンスト誕生について記している。エルンストが生まれたケルン近郊はローマ帝国の植民地で、魔術道士コルネリウス・アグリッパの出身地。東方の三博士の遺骨が祀られたカテドラルもある。エルンストの生誕地ケルン近郊のブリュールには純潔を守り命を絶った1万千もの処女の骸骨が修道院に飾られているという。エルンストの生地周辺には魔的な雰囲気が醸成されていた。エルンストはノヴァーリスやヘルダーリンなどのドイツロマン派やホフマンやルソー、ドストエフスキーなどを耽読していた。
コラージュのイメージの原型となる幻覚的体験をしたのはエルンストが7歳の時だった。はしかにかかり熱にうかされてベッドから見える木の羽目板の模様が異様な眼玉や鼻、鳥の頭などに見えたという。エルンストはこうした幻覚的ビジョンを雲や壁のしみなどから意図的に引き起こすのが悦楽的な行為だったようだ。エルンスト自身、こうした幼児の体験が「霊感や啓示の過程と直接結びつく、デッサンや絵画における二、三の技術的可能性(フロッタージュ、コラージュ、デカルコマニー)を探求させた」(『絵画の彼岸』)としている。イメージの見者エルンストは偏執狂的ともいえる超視力への欲望について「わたしの眼は、外部から襲い掛かる驚異的な世界だけでなく、わたしの若い夢のなかに執拗かつ規則的にほとばしり出ては消えてゆく、あの神秘的で不気味なもうひとつの世界に渇えていた。<はっきり見ること>はわたしの神経の安定のための必然的要求となった。そして<はっきり見る>ためには、ただひとつの手段しかなかった。視野に入ったものすべてを紙に定着すること。デッサンすること」(『ラインの回想』マックス・エルンスト−『美術手帖1960年6月号 特集マックス・エルンスト』のエッセイ「幻視の芸術家」大岡信より)だったと分析する。
エルンストによると、コラージュの発想が生まれたのは1919年のある雨の日のこと。「ライン川のほとりにあるとある街にいるとき、人類学や微生物学、心理学、鉱物学、古生物学 などの教室用実験材料を載せたある挿絵入りカタログをたまたま苛立って眺めていると、そのページから次々と妄想が生まれた」(『絵画の彼岸』)という。異なるイメージ同士の不意の出会いが「私のもっとも秘密の欲望を露呈するドラマと化した」(同)。挿絵入りカタログから生まれた奇怪な妄想のイメージ。エルンストの奇想天外、魔訶不思議な暗黒の情景に筆者は憑りつかれたのだった。

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マックス・エルンストの『百頭女』と『慈善週間または七大元素』のドイツ新版(Zweitausendeins 1975年 ミュンヘンの古書店で入手)

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エルンストのコラージュロマン『百頭女』から


夜の女王が闇を支配する。ありとあらゆる日常の反転、想像力の陰画の風景。怪鳥ロプロプが生息する夜の世界。エルンストのコラージュロマンは夜の物語である。「・・・この瞬間、夜の町は忽然として、その冷たい魚の肌のやうな新鮮さと、本源的快楽と恐怖を取り戻すだらう。暗い濃厚な情緒に咽喉元までたっぷり涵されながら、彼がゆくあらゆる町角は、殺意のある口をあんぐりとあけている。その晩彼が會った夜は、正しく本物の夜なのだ」(『美の襲撃』三島由紀夫 講談社 1961年)。夜の想像力の支配者エルンストの『百頭女』はまさに殺意に満ちた百鬼夜行の異様な「本物の夜」の情景を魔術的コラージュで描いた暗黒ロマンであった。シュルレアリスムは夜につくられたのである。こうしたコラージュロマンは『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』(1930年)、『慈善週間または七大元素』(1934年)へと続く。パリのポンピドゥーセンターに展示されているエルンストのコラージュを何度も見る機会があったが、あらゆる角度から目を凝らして見ても、紙を貼り合わせて作られたもの(パピエ・コレ)には見えないほど精巧に作られ、すべてをエルンストが描いたように思われた。

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エルンストのコラージュロマン『百頭女』から

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『慈善週間または七大元素』(1934年)から


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『慈善週間または七大元素』(1934年)から


エルンストの作品の中でも特に惹かれるのが『七つの微生物』(SEPT MICROBES, LES ÉDITIONS CERCLE DES ARTS 1953年)。オスカー・ドミンゲスが始めたデカルコマニーの手法によって生成されたミクロコスモスの中に広がる広大な想像宇宙。10cm四方から極小の5mm四方まで様々な大きさに貼られた絵と詩的なメッセージ。微小な絵に描かれた雄大な想像のミクロコスモスの大地。この本の紹介を見て、オリジナルがどうしてもほしくなり、フランスの古書店から取り寄せた。

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エルンストの『七つの微生物』(1975年版)


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エルンストの『七つの微生物』(1975年版)から


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エルンストの『七つの微生物』(1975年版)から


エルンストと言えば、毎年のようにオマージュ瀧口修造展を企画していた佐谷画廊の故佐谷和彦氏のことを思い出す。筆者の当時の自宅近くの阿佐ヶ谷に近い荻窪に、銀座からギャラリーを移してから、たびたび散歩の途中でばったり会い、善福寺川沿いのベンチに座って佐谷さん手持ちのビールをご馳走になった思い出も。「同じフィールドにいる人間同士だね」とにこやかに佐谷さんが話していたのが懐かしい。家から近かったこともあり、佐谷画廊をたびたび訪ねた。その時に見せてもらったエルンストのオリジナルのフロッタージュ『博物誌』(1926年 ジャンヌ・ビュシェ刊)は圧巻だった。200万円という価格を聞いて「見るだけ」であったが、眼福にあずかった。エルンストは『絵画の彼岸』の中で、フロッタージュについて「床板に手あたり次第に紙をあて、黒鉛でその上をこすることによって」得られた幻覚的なイメージの蒐集に憑りつかれたと述べている。床板から生まれる妄想的イメージの数々…。「人間の顔、様々な動物、…岩山、海、洪水」。筆者も子供のころ、眠りに落ちる前、天井の壁のシミに人の顔や奇怪な動物、妖怪のようなものを見て、恐れおののいた思い出がある。エルンストはそれを客観化し、自ら持つ幻視、瞑想能力を強化することによって世界の原初的なイメージを紙の上に定着した。

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『博物誌』(1926年)のフロッタージュ


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『博物誌』(1926年)のフロッタージュ


2005年12月、エルンストのお墓参りをしようとパリのペール・ラ・シェーズ墓地を訪れた。お墓の場所がわかりにくく、なかなか見つからなかったが、集合墓地の一角にようやくエルンストのお墓を見つけた。あのシュルレアリスムの巨人のお墓にしてはあまりにも小さく、質素すぎて少なからずショックを受けた記憶がある。エルンストのお墓は約40センチ四方のプレートで覆われた小さなもの。黒の御影石に金文字で「MAX ERNST 1891-1976」とだけ刻まれている。近くには無縁墓となったのか、蓋が外れ、中が見えるほど放置されたものもあった。もしビル・ゲイツ並みの富豪だったらエルンストの彫刻(エルンストとドロテア・タニングが一緒に写った作品 写真<13>)でお墓を建ててあげたいと思ったものである。エルンストは「作品こそがわが墳墓」と言うかもしれないが…。

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ペール・ラ・シェーズ墓地の質素なマックス・エルンストのお墓


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マックス・エルンストと妻のドロテア・タニング。ペール・ラ・シェーズ墓地にこのエルンストの彫刻がお墓としてあったなら…>


パリの古書店を巡るたびにエルンストの署名本を入手したいと念じていたが、2010年、パリ5区にあった古書店で、ついに手に入れることができた。献呈署名本で、タイトルは『Écritures』(Éditions Gallimard 1970年初版)。本の扉に「a Jaqueline Bour entre deux verre du champagne」(「二つのシャンペングラスの間で…」)と書かれており、つがいの鳥が対話でもしているかのような不思議な絵文字が添えられている。

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献呈署名本『Écritures』(1970年)


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献呈署名本『Écritures』(1970年)と、本の扉に描かれたエルンストの絵入りサイン。対話する鳥の絵文字。怪鳥ロプロプの「幼鳥」だろうか。古代文字のような絵文字で構成された作品は『マクシミリアナ、または天文学の無法な演習』(1964年)がある。


エルンスト関係の蔵書の中でも稀少書の部類に入るのがポール・エリュアールとの共作『不滅者の不幸』(LES MALHEURS DES IMMORTELS, ÉDITION DE LA REVUE FONTAINE 1945年版 初版は1922年)。神保町の仏古書を扱うT書店のバーゲンセールで入手した「宝物」。1800部刊行されたうちの「1番」で、T書店の店主は「1番という番号からして、もしかしたらエルンストの手元にあったものかもしれない」と言っていた。手放すのを惜しんでか「この本は将来、家宝になりますから」と筆者に手渡すとき念を押して話したのを記憶している。

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『不滅者の不幸』(1945年版) 


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『不滅者の不幸』(1945年版)から


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『不滅者の不幸』(1945年版)から


エルンストの友人ポール・エリュアール邸の壁に描いた絵を集めた美しい装丁の本もお気に入りの一冊だ。『MAX ERNST PEINTURES POUR PAUL ELUARD』(Éditions Denoël 1969年)。エルンストの絵はエリュアールがこの家を去った後、上から塗料や壁材で覆われ、隠されていたが、エリュアールの娘が思い出し発見されたという。

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ポール・エリュアールの家の壁画に描かれた絵を集めた美しい装丁の本『MAX ERNST PEINTURES POUR PAUL ELUARD』(1969年)


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『MAX ERNST PEINTURES POUR PAUL ELUARD』(1969年)から


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『MAX ERNST PEINTURES POUR PAUL ELUARD』(1969年)から


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幻視者マックス・エルンスト


マックス・エルンストはある意味、魔術的想像力で世界を再創造した「宇宙創成者(デミウルゴス)」(「畸型の神 あるいは魔術的跛者」種村季弘 青土社)のような存在であったかもしれない。イメージ同士の衝突による日常から非日常への暗転。ランボーの意識的な錯乱とのアナロジー。黒い地下想像力と「ポエジーの発火」によって描かれた魔的な作品世界。「シュルレアリストとは、これらの《呪われた場所》に近づくことのできた、いわば選ばれた人間である。かれは狂人によって、理性の絶対的な有効性を疑うように強いられる。半ば明晰で半ば錯乱したかれのメッセージは、知性にコントロールされた言葉よりも、ときとして一層真理に近づく」(「シュルレアリスムとカフカ」 マヤ・ゴート 審美文庫 金井裕訳)。「見ること」を究極的に極めたマックス・エルンストは偉大な幻視者の系譜に連なる一人であったと言ってもよいだろう。

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マックス・エルンスト関係の蔵書の一部

 
作成日: 2016年9月22日(木)
よるの ゆう

■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)−モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論掘戮如◆慄鳴鮮1987−消えゆく夢幻の風景』を展示。京都市在住。

●本日のお勧め作品は、マックス・エルンストです。
エルンスト「緑の蜥蜴」
マックス・エルンスト
兵士のバラードより<ジャン・ピエールは緑の蜥蜴>
1972年  カラー石版
イメージサイズ:22.6×18.3cm
シートサイズ:38.3x29.0cm
H.C 将供伸将記
Signed

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