小林紀晴のエッセイ

小林紀晴のエッセイ「TOKYO NETURE PHOTOGRAPHY」 第2回

新連載・小林紀晴のエッセイ「TOKYO NETURE PHOTOGRAPHY」

第2回 NUMABUKURO

new  numabukuro 001


numabukuro 02


晴れた日の午後。
目指すは、妙正寺川。

住宅街を歩いていると、
矯正という言葉が、ふと浮かぶ。
次に共存という言葉。
人間が矯正・・・・人間と共存・・・・。

道脇に枝を折られ、捨てられた庭木。
それでも生き生きしている。
矯正と共存の一端、あるいは犠牲がここにもある。

太陽はどの葉にも平等に正しく降り注ぐ。
感度100でシャッタ速度は250分の1、絞りf8半。
富士山の頂も、路地裏の足元も世界共通。

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小林紀晴
《numabukuro 01》
《numabukuro 02》
共に2017年撮
ゼラチンシルバープリント
11x14inch
Ed.20

こばやし きせい

●今日のお勧め作品は、駒井哲郎です。
20171119_komai_01_gansyou駒井哲郎
《岩礁》
1972年
銅版
23.5×21.0cm
Ed.35
サインあり
※レゾネNo.289(美術出版社)


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆ときの忘れものは「細江英公写真展」を開催しています。
会期=2017年10月31日[火]―11月25日[土]
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細江先生は秋の叙勲で旭日重光章を受章されました。
●会期中、細江英公サイン入り写真集を特別頒布しています。

◆ときの忘れものは「メキシコ地震被災地支援・チャリティー頒布会」を開催します。
201711mexico
会期:2017年11月28日(火)〜12月2日(土)
出品100点のリストは11月11日ブログに掲載し、予約受付を開始しました。
全作品、一律8,000円で頒布し、売上金全額を被災地メキシコに送金します。
※お申込みの返信は、翌営業日となります。(日・月・祝日は休廊です。)


◆銀座のギャラリーせいほうで「宮脇愛子展 last works(2013〜14)」が開催されます。
201711MIYAWAKI「宮脇愛子展 last works(2013〜14)」
会期=2017年11月20日[月]〜12月2日[土] ※日・祝日休廊
会場=ギャラリーせいほう 
〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目10-7 東成ビル1F
電話:03-3573-2468
最後の新作である油彩を中心に立体(ガラス、真鍮)、ドローイング、版画など約40点が展示されます。

●オープングのご案内
初日11月20日(月)17時からオープニングが開催されます。皆さまお誘いあわせの上、是非お越しください。

●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
(NA建築家シリーズ 特別編 日経アーキテクチュア)
価格:2,700円+税 *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
安藤先生のサイン本をときの忘れもので扱っています。

六本木の国立新美術館では「安藤忠雄展―挑戦―」が開催されています。
会期:2017年9月27日[水]〜12月18日[月]
番頭おだちのオープニング・レポートはコチラを、光嶋裕介さんのエッセイ「安藤忠雄展を見て」と合わせてお読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は毎月5日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・関根伸夫のエッセイ「〈発想〉について[再録]」は毎月12日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は終了しました。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は終了しました。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

新連載・小林紀晴のエッセイ「TOKYO NETURE PHOTOGRAPHY」 第1回

新連載・小林紀晴のエッセイ「TOKYO NETURE PHOTOGRAPHY」

 今月から新たな連載を始めせていただくことになりました。東京でネイチャーを撮ろうと思っています。私はずっと以前からネイチャー、あるいはネイチャー写真という存在が不思議でなりませんでした。どこまでがネイチャー写真で、どこからそうでなくなるのか。その境界や定義はどこにあるのか・・・・。
 一般的にネイチャー写真とは自然の中で動植物の姿や、生態を撮ったものをさすはずです。そのことにもちろん異論はないのですが、都市にもネイチャーは存在するはずだ、という思いが以前からありました。どれほど人工物に満たされていようが太陽の光で足元の植物を撮ることは、自然の力によって撮っていることに他ならないからです。
 そんな思いから、現在進行形でフィルムカメラを用いて、写真を撮っていこうと思っています。実験的な行為なのかもしれません。どこへ向かうのか、どこへたどり着くのか・・・・私にもわかりません。


第1回 KUGAYAMA

kugayama 01


kugayama 02

写真コンテストの審査員をさせていただく機会が、ときどきある。
なぜか畑違いのネイチャー写真部門の審査を担当という場面もあって、戸惑うことがある。

ネイチャーってそもそも、なに?
都会の路上にあったら、それはネイチャーじゃなくなるの?

そんな疑問を自分にぶつけてみる。
おそらく、東京にもネイチャーはいっぱいある。

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小林紀晴
《kugayama 01》
《kugayama 02》
共に2017年撮
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20

こばやし きせい

◆小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は終了し、10月から新たな連載「TOKYO NETURE PHOTOGRAPHY」が始まります。毎月19日の更新です。

●展覧会のご紹介
20170919_小林紀晴


20170919_小林紀晴_裏

「鶴田真由 小林紀晴 写真展 Silence of India」
●ニコンプラザ大阪 THE GALLERY
会期:2017年10月26日[木]〜11月8日[水]
時間:10:30〜18:30 ※最終日は15:00まで
休館:日曜
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■『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』を刊行しました。
瀧口修造展 I』、『瀧口修造展 II』よりページ数も増えました。
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』
2017年
ときの忘れもの 発行
92ページ  21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
ハードカバー  英文併記
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
通常価格:2,500円(税別)、送料250円

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第18回(最終回)

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第18回(最終回)

最終回

 改めて、なぜ自分は冬枯れした山や植物に惹かれるのかを考えてみる。連載の第一回で「私は冬の山が好きで嫌いだ」と書いたがその思いに嘘はなく、今もその感覚を抱き続けている。きっとこの先、年齢を重ねても同じだろう。
 一方で、頭の片隅では真逆の季節のことをちらほらと考えているのも事実だ。何故なら、冬枯れした植物のあの絡みつきや、薮といったものは夏の間に形成されるからだ。
 実はまだ一度も発表したことはないのだが、一時、同じ場所で夏の山も撮っていた。まさに盛夏という季節に発情するがごとく木々に絡みつく夏草の葉やツルといったものを。
 それらは巨大な木々を縛り上げるかのようで、どこかエロティックでもある。夏が過ぎれば、絡みつく夏草は次第にその力を失い、死へ向かう。そして抜け殻のように力尽きた残骸。
 ここには明らかに対極がある。コントラストがある。だからこそ、お互いが輝くのか。存在に意味を見つけることができるのか・・・・そんなことを改めて考えていた。
 エロティシズムとタナトス。
 このふたつの言葉にやはり行き着くのか。
 使い古されたほどに、これらの言葉は同時に用いられることが多いが、やはり真理があるからだろう。私は冬枯れした森を歩きながら、この二つのことを無意識のうちに感じていたのだろうか。だから「好きで嫌い」なのだろうか。
 同じく連載の第一回で「端的にいえば、死の匂いということになる」と記したことを思い出す。

01小林紀晴
「Winter 15」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


 この連載も18回目となります。一度だけ休載させていただいたので、1年と7ヶ月ほどの間、お付き合いいただきました。今回でこの「山の記憶」の連載は終了とさせていただきます。長い間、ありがとうございます。読んでいただいた方々にはこの場をお借りして、お礼申し上げます。
 来月から、新たに写真をメインとした東京の植物の連載をやらせていただきます。果たして山の植物ではなく、都会の植物とは・・・・・。
こばやし きせい

●展覧会のご紹介
20170919_小林紀晴


20170919_小林紀晴_裏

「鶴田真由 小林紀晴 写真展 Silence of India」
●ニコンプラザ新宿 THE GALLERY 1+2
会期:2017年9月26日[火]〜10月16日[月]
時間:10:30〜18:30 ※最終日は15:00まで
休館:日曜

●ニコンプラザ大阪 THE GALLERY
会期:2017年10月26日[木]〜11月8日[水]
時間:10:30〜18:30 ※最終日は15:00まで
休館:日曜

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●本日のお勧め作品は、ロベール・ドアノーです。
20170910_doisneau_06_Un-regard-obliqueロベール・ドアノー
"Un regard oblique"
斜めの視線
1948年撮影(1978年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:33.5x37.7cm
シートサイズ:50.7x60.8cm


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

埼玉県立近代美術館では15年ぶりとなる「駒井哲郎 夢の散策者」展が開催されています。
会期:2017年9月12日[火]〜10月9日[月・祝]
企画を担当された吉岡知子さん(同館学芸員)のエッセイ<企画展「駒井哲郎 夢の散策者」に寄せて―武田光司氏のコレクション>をお読みください。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第17回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第17回

お盆

 いま、この原稿を書いているのはお盆の直前で、明日から私は諏訪へ帰省しようとしている。私はライフワークとして全国のお祭りを撮影しているのだが、お盆の時期に諏訪以外で撮った写真はほかに比べ、極端に少ない。お盆にしか行われないお祭りは全国に様々あるので、出かけたい気持ちはもちろんあるのだが、それ以前にまず自分のお盆を優先しなくてはならない、という気持ちが強く働くのだ。お盆に諏訪以外の場所で過ごすことに、いまだに違和感を抱く。

 もはや珍しい部類にはいるのだろうが、お盆の始まりと終わりに家の前で火を焚く風習が残っている。13日の夕方にまず迎え火。
「ぼんさん、ぼんさん、この明かりでおいでなして・・・・」
 亡くなった祖母はいつも、こんなふうに声にした。歌っているようにも、念仏をと唱えているようにも聞こえた。私もそれをなぞる。
 そして16日の晩にまた火を焚く。送り火だ。
「ぼんさん、ぼんさん、この明かりでお帰り・・・」
 同じく歌うようにも、唱えるようにも聞こえる声を数回繰り返す。今年もそれをするために私は帰省する。亡くなった祖父、祖母、父、そして会ったこともない遠い人たちを呼ぶことにもなる。

01小林紀晴
「MUKAEBI」
2011撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch


 幼い頃から、お盆のあいだだけ空気が濃密になると感じていた。ヌメッとして、どこか息苦しいのだ。何かがすぐ近くにいて、身体に張り付くようだと感じていた。何かとは、「霊」ということになるのだろうが、もっと、漠然と何かがいる、という感じだった。怖いわけでもないが、緊張感がともなった。
だから送り火を焚いて送り出すと、正直ホッとした。

 奥座敷にはお盆のあいだだけ精霊棚が設けられる。位牌が並び、当然のようにキュウリで馬を作り、ナスで牛を作る。それは昔から、母の役目と決まっているのだが、私も何度か作った。足は葦の茎で作るので、河原まで取りに行かされた。
 精霊棚を目の前にすると、やはり何かがたったいま「帰ってきている」と思えるのだ。物心つく前から見続けきたのだから、当然の感覚として、刷り込まれたに違いない。

 そして、ふらりと現れるお寺の和尚さん。日にちは決まっているのだが、檀家すべてを回ってくるので、訪れる正確な時間はわからない。長い午後、待ち続けることになる。
 和尚さんが精霊棚に向かってお経をあげている姿を背後から眺めていると、必ずたったいま、自分は夏の頂点にいるのだと思えてくる。毎年のことだ。

 私は長いあいだ、迎え火と送り火にカメラを向けることができなかった。写真に収めれば、そこに何かが確実に写ってしまうと考えたからだ。子供じみたことを、と言われそうな気もするのだが、ずっとそう信じてきた。
 それがあるきっかけで、カメラを向けた。ニューヨークで知り合ったアメリカ人の友人が来日し、お盆の時期に彼を連れて帰省したことがある。2002年のことだ。
 彼がいきなり迎え火にカメラを向けて写真をバシバシ撮った。正直、止めたかったのだが、野暮だと思い、そのままにした。
 後日、彼が撮影したネガを見せてもらったのだが、何かは写っていなかった。当然といえば、当然だが、ちょっと拍子抜けした気分だった。
 その翌年、私は初めて迎え火にカメラを向けた。緊張した。後日、現像したフィルムを見てみたが、何かの姿は微塵もなかった。
こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160819_kobayashi_10_work小林紀晴
〈ASIA ROAD〉より2
1995年
ヴィンテージC-print
Image size: 18.7x28.2cm
Sheet size: 25.3x30.3cm
サインあり


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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第16回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第16回

  前回に続き、「スガリ」について繰り返し書くことについて、触れてみたいと思っています。尊敬するある小説家が、「自身にとって大切なことは、時に触れ、何度でも繰り返し書くべき。年齢によって、その意味、理解の濃度と深度は変わっていくから」という意味のことを言ったと前回触れましたが、「スガリ」の似たような一場面を違う形で書いた例をご紹介します。
 前回、蜂に刺された主人公である子供が、さされた患部に祖父のおしっこをかけてもらう描写がありましたが、それは実際の私の体験がもとになっています。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 自分のそれが効くとはとても思えなかった。
「……じいちゃんのをかけてほしい」
 とっさに答えた。じいちゃんは「めたしろ」とまた言った。ぼくは大きな声でもう一度言った。
「じいちゃんのがいい」
 すると、じいちゃんは迷うことなく、ぼくの左手を股間にもっていった。大げさなほどしぶきがあがって、じいちゃんのズボンに無数のシミをつくった。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 蜂に刺され、誰のそれをかけてもらうか。幼い私にとって、突発的な出来事の前で、大きな選択肢でした。瞬時の判断も迫られました。だから記憶は鮮明です。とっさに自分のものより年齢を重ねた祖父のそれの方が効くと考えのです。
 今回は、2008年秋に小説現代(講談社)に発表した『真綿の飛ばし方』という短篇小説からの抜粋です。前回は2016年に発表したものでしたので、さらに8年ほど遡ることになります。いまから9年前に書いたものになります。
 まったく別の話ですが、描写が緩やかにつながっていることに改めて気付かされもしました。
 インドネシアに滞在中のカメラマンが、郷里の小学校の同級生から携帯電話に電話をもらい、帰国後、お盆に帰省し、同窓会のような「スガリ」へ参加するという小説です。中年の大人である主人公が、また蜂にさされます。全員が同い年です。小説の主人公は前回とはまったくの別人です。念のため。
 以下から小説です。

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 蜂が不意に舞い上がった。しかし肉片を持っていない。軌道を眼で追ったが、黒い体はすぐにわからなくなった。このまま巣へ戻ってしまうのだろうか。私は腕を静かにおろし、辺りを見わたし蜂の姿を探した。
 突然激しい痛みが、右の二の腕にやってきた。
「刺された!」
 自分でも驚くほど、大きな声を上げてしまった。腕を慎重に外側から覗きこんでみると、蜂の姿はすでに消えていたが、小さな赤い点をみつけた。きっとあっという間に腫れ上がってしまうだろう。
「毒を出せ」
 真司が慌てて、私の腕をつかんだ。好夫はたいして表情を変えずに、両手をぶらりと下げたまま立っていた。
 左手で刺された箇所をつまみ、親指と人差し指で内側から毒を押し出すようにもみ出した。でも何かがなかから出てくるわけではなかった。
「アンモニアをかけた方がいい」
 好夫がぼんやりとした顔のまま言った。
 私は素直にうなずいた。かつて同じように蜂に指を刺された時、祖父の尿を直接かけてもらった。果たしてそんなものが効くのかどうかは知らない。でも小学生の私は確かに祖父のそれをかけられたのだ。とっさにそれを、どうしてもかけてほしくなった。
 あの時、父は「早くしろ、すぐにかけねえと効かねえだ。ほら手をだせ」と言いながら、自分のズボンのチャックを開け始めた。その姿を見ながら、
「じいちゃんのがいい」
 と私は言った。何故、とっさにそんなことを言ったのだろうか。どうして父では駄目だったのだろうか。湯気をたてる生ぬるい祖父の尿が私の手頸に直接あたり、飛沫をあげるのを、ぼんやりと見ていた。
「どっちにする?」
「どっち?」
 私は聞き返した。
「だで、真司のと俺の、どっちがいいだ?」
「好夫、してくりょ」
 私は迷わなかった。

01小林紀晴
「Winter 14」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160319_kobayashi_05_work小林紀晴
〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第15回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第15回

 今回は趣向を変えて、過去に書いた文章をご紹介したいと思います。
 幼い頃の山に関する出来事で、私がこれまでもっとも繰り返し書いてきた事柄は「スガリ」についてです。地蜂を食する文化が長野県にはあるのですが、私の生まれ育った八ヶ岳の裾野も例外にもれず、それを食べます。俗に「蜂の子」と呼ばれるものです。そもそも「スガリ」の語源は巣狩と思われますが、確かなことはわかっていません。ちなみにイナゴも日常的に食べます。
 繰り返し同じ事柄を書く。私はこのことを意識してやっています。同じことを再び書くことに当初は大きな抵抗がありました。新鮮味はないし、何より二番煎じではないかという思いがあったからです。
 でも、ある著名な小説家で、私より4つほど年上の方(あえてお名前はだしません日本人です)が、「自身にとって大切なことは、時に触れ、何度でも繰り返し書くべき。年齢によって、その意味、理解の濃度と深度は変わっていくから」という意味のことを書かれた文章を読み、多いに影響をうけ、同時に「繰り返し書いてもいい」ことに気がつき、背中を押されもしました。
 それから時折、私は記憶をたどりながら、「スガリ」をできるだけ別の方法で改めて書くことにしています。
 今回は、昨年の春(2016)に『文學界』(2016年5月号・文藝春秋)に発表しました中編小説「山人」のなかから、引用してみたいと思います。最新の「スガリ」の文章です。小説なのであくまで、架空の人物が登場します。東京生まれ東京育ちの主人公の少年が、両親を急に亡くし、父方の祖父母の元に引き取られ、そこで新たな生活を始めるといったストーリーです。
 少し長いですが、お読みください。

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 昨日、じいちゃんとぼくは一緒に田んぼに行って、二匹のトノサマガエルを捕まえた。二匹ともプラスチックの虫かごに閉じ込め、ぼくの手の中にある。ときどきなかでカエルが跳ねる。そのたびにぼくは立ち止まって虫かごを両手でつつむ。もし、カエルが逃げてしまったら、スガリができなくなるからだ。
 じいちゃんがトノサマガエルを捕まえるさまは、手品でもみせられているようだった。糸の先の釣り針に器用にトンボをつけ釣竿をゆすると、トンボがまるで飛んでいるかのように土手と稲のあいだ、水面近くをふらふらとゆれた。しばらく繰り返していると、黒々としたものが水面から突然、勢いよくトンボめがけて飛びだした。じいちゃんが持った釣竿の先端が激しく上下に揺れた。釣り糸がきらきらと光って、次の瞬間、じいちゃんの手のなかにカエルが収まっていた。じいちゃんが閉じた手のひらをゆっくりと開くと、緑と黒の濡れた肌が見えた。黒い目も見えた。指のあいだから、後ろ足がにゅっと出たので驚いた。
「これがオウゲエロだ」
(略)
 じいちゃんは魚籠から取り出したビニール紐で、近くの木の枝にカエルの足を縛りつけた。カエルは力なげに両手をだらりと垂らしている。さらにベルトにつけた革のケースからナイフを出すと、刃をカエルの背中にすっと走らせた。次にその切り口に指を入れ、こじ開けるように皮をはぎ出した。お尻の方から頭の方へ指を滑らせる。魚をさばくみたいに見えた。器用だ。きれいに皮が剥けた。鶏肉を連想させた。そのあとで、カエルの身体のあちこちにナイフで切れ目のようなものを入れていった。そのあとでぎゅっと一度握ると血が吹き出した。家の祖先はカエルじゃなかったのか。
「始めるぞ」
 血の匂いで蜂が来る。そのことは知っている。でも、こんなに残酷なことをする必要なんてあるのだろうか。
「なんか文句でもあるだか? じいちゃんも、父ちゃんに教えてもらっただ」
 じいちゃんはあごをあげ、その姿勢のまま、じっと動かない。飛んで来る蜂を待っているようだった。
 十五分ほどたっただろうか。驚いたことに吊るされたカエルをめがけて蜂がやってきた。最初は注意深くカエルの周りをぐるぐると飛んでいたけど、やがてピタリとカエルの背中にとまった。
 なにも匂ってなどいない。ぼくにはわからないそれが、どうして蜂にはわかるのか。じいちゃんにも、嗅ぎ分けられるのか。地蜂はどれほど遠くからこの臭いを嗅ぎつけたのだろうか。ぼくも上を向いた。ゆっくりと回れ右をするようにぐるりと一周してみた。カエルと蜂とじいちゃんはこうして目には見えないものでつながっているのに、ぼくだけが、誰とも、どこともつながっていないのではないか。
 カエルにとまった蜂に、じいちゃんがそっと親指を近づけた。蜂はおとなしく爪の先に乗った。爪の上にはあらかじめナイフでマッチ棒の先ほどの大きさに切られたカエルの肉片が乗っている。肉片には真綿がつけられている。先を縒って器用に結んであるのだ。それもまたあっという間につくった。
 じいちゃんはじっと動かない。ぼくも黙って地蜂を見つめた。蜂はおそるおそるという感じに肉片を抱えた。かすかな羽音を立て、やがて空中に舞った。ぐるりとじいちゃんとぼくの頭の上に円を一度描くと、迷わず沢の上流の方向へ、真綿の白が遠ざかっていった。
(略)
 じいちゃんはどこまで行ったのだろうか。沢をそのまま上がっていったのか。自分がどうすればいいのかが、わからない。カエルが吊るされた場所へ戻るべきか。きっとそうすべきだろう。じいちゃんもそこに戻ってくるのだから。このまま斜面を下り、沢に沿って歩けば戻れるだろう。ぼくは足元を見る。自分が歩いて来た足跡はない。
 あの舌がだらりと垂れた血だらけのカエルが吊るされた場所で、じいちゃんを待つことがどうしようもなく恐ろしく感じられた。でもここにいても仕方がない。歩きだすと、何度も転んだ。そのたびに手のひらは泥だらけになり、爪の先にもそれがつまった。藪をかきわけようとした時、棘で左手の中指をざっくりと切った。
 戻ってきたじいちゃんに中指を切ったことを訴えると「つばでもつけとけ」と相手にされなかった。「泥がついているから、なめられない」と言い返すと「だったら頭を使え」と沢を指差した。「水道の水じゃなきゃ、やだ」なんて言ったら、怒鳴られることはわかっていた。でも、そんな水で傷を洗いたくはなかった。ぼくは代わりにじいちゃんを睨んだ。
「そういうやつは、とっととけえれ、性悪はいるだけで邪魔ずら。だで都会育ちはダメだ」
 じいちゃんはカエルの方に背を向けた。
 太陽が頭の真上を通りすぎた頃、じいちゃんは立ったまま、ばあちゃんが作ってくれたおにぎりを食べた。じいちゃんもぼくも時計を持っていないので、正確な時間はわからない。じいちゃんは不機嫌そうで、ほとんど何も口にしなかった。ぼくも同じように立ったまま食べた。食べ終わると、じいちゃんは虫かごに入れていたもう一匹のカエルを潰した。一匹目のカエルは乾き始め、もう血の匂いがしなくなったからだ。ぼくはその姿をぼんやりと見つめた。じいちゃんがゆっくりと動物に姿を変えていくような気がした。
 日が傾きだした頃、迷ったのだけど、
「ぼくもやりたい」
 と告げた。このままでは帰れないと思ったし、何よりじいちゃんを見返してやりたかった。
「そうか、やってみろ」
 駄目だ、と言われる気がしたので意外だった。
 見よう見まねで左手の親指の先にじいちゃんと同じように蜂を乗せた。じいちゃんの視線を感じ、緊張した。指先が震えていた。どういうわけか蜂は肉を握ろうとはせず、指の上をゆっくり甲の方に歩いてきた。蜂にからかわれているような気がした。怖くなって思わず手を振り払った。次の瞬間、手首の内側に鋭い痛みが走った。
「刺された!」
 じいちゃんはぼくの手を掴み、いきなりくわえた。硬い。吸いだした。
「しょんべんをかけろ、アンモニア消毒だ。自分のをかけろ」
 手首を見ると、赤く腫れ上がっていた。蜂に刺されたからなのか、じいちゃんが勢いよく吸いついたからなのか判別がつかなかった。混乱した。
「ほれ、めたしろ」
 自分のそれが効くとはとても思えなかった。
「……じいちゃんのをかけてほしい」
 とっさに答えた。じいちゃんは「めたしろ」とまた言った。ぼくは大きな声でもう一度言った。
「じいちゃんのがいい」
 すると、じいちゃんは迷うことなく、ぼくの左手を股間にもっていった。大げさなほどしぶきがあがって、じいちゃんのズボンに無数のシミをつくった。ぼくのシャツにも顔にもそれは跳ね返った。温かく、心地よかった。いままで何度も蜂に刺されたのに生きているじいちゃんのおしっこなのだから、毒など簡単に流れ去ってしまうだろう。
(略)
 じいちゃんはどれほどカエルが吊るされた木と藪の先を、行ったり来たりしたのだろうか。三、四十回ほどだろうか。
「見失った、くそ」
 吐き捨てるように、毎回そう言いながら戻ってきた。そのときまでには大抵、吊るされたカエルに地蜂が数匹留まっていた。だから休む間もなく、祖父は次の蜂に真綿のついた肉片を持たせ、地蜂が空中に舞い上がると、あっという間にまた藪のなかに消えていった。
 一日中追い続けたからといって、必ず巣が見つかるとは限らない。いや、見つからないことの方が多い。夕方、じいちゃんも諦めかけていたのだろう、「あと二回だけ」と力なく言って、藪のなかに消えていった。やがて、「見つけたぞ」と興奮気味に声を上げながら、戻ってきた。ぼくに抱きつかんばかりだった。
 手には何も持っていなかった。不思議に思って訊くと「目印をつけてきた」と言った。他人が見ても目印だと思わないもの、つまり木の枝をつかって自分にしかわからない目印をつくったという。以前のように巣をすぐに獲らないのは、相当にわかりにくい場所なので「ぜってえ誰かに獲られる心配はねえぞ。だで、巣が大きくなる秋までこのまま太らせる」のだという。
 やはり動物に近い。普段は隠している動物の本能が目を覚まし、こぼれ出している。それが匂った。なのに、じいちゃんは気がついていない。ぼくはじいちゃんをまじまじと見上げた。これから先、自分にそんなものが備わるなどとは、到底思えなかった。初めてうらやましく思った。
 
―――――――――――――――――――――――――

 小説はここまでです
 文章のなかの幾つかのことは本当にあった出来事です。私はその地で生まれ育ちましたが、初めて父と祖父に連れていってもらった「スガリ」の体験は強烈な記憶としていまも残っています。父と祖父が、突然、野性に目覚めたような、そこへ帰っていくような、あるいは別の動物になっていくような恐ろしさを何よりも感じました。
 この独特の「スガリ」の方法を、いつ誰が編み出したのか。知る術もありませんが、先人が考え出した原始的な方法で蜂の巣を見つける。そのことに驚きもしました。
 次回も、また別の小説に書いた同じく「スガリ」の場面をご紹介したいと思っています。地元で生まれ育ち青年になった男たちが、久しぶりに再会し同窓会的に「スガリ」をする話です。

01小林紀晴
「Winter 13」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160319_kobayashi_05_work小林紀晴
〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。

◆小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第14回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第14回

小正月 04

 お獅子はすべての家を回り終わると、夕方、公民館へ向かう。リヤカーはすでにミカン箱が山積みになっている。
 公民館の畳敷きの閑散した部屋にミカン箱を運び、箱からミカンを出す。ドドドッと畳の上に広がっていく。それを見るのが、毎年どういうわけか好きだった。氷のように冷たく冷えた畳が、ふと暖かく感じられるからだろうか。
 ただ、子供たち全員の感心ごとはミカンのほうにはなく、やはりご祝儀の方にある。すべての封筒から丁寧に現金を取り出し広げ、正確にどの家からいくらもらったかを記録する。
 いま考えれば不思議な気もするが、すべてのお金を子供だけで山分けした。その場に大人の姿はまったくなかった。6年生がその役目を果たし、平等にわけていった。記憶に間違いなければ、そうだったはずだ・・・・。
 一人当たりの金額は2、3万円ほどだっただろうか。当然ながら、子供にとってはかなりの大金で、当然ながら魅了的だった。お年玉に匹敵、あるいはそれ以上の金額だったはずだ。
 さらに、ミカンも山分けされる。でも、すべては山分けさなかった。量が多すぎるからだ。ただ、残りのミカンがどう処理されたのかはまったく記憶にない。あとで親たちが車で運んだのだろうか。とにかく持って帰れるだけのミカンを持つのが習わしだった。置いていくわけにはいかないから、という感じだった。
 外はもう薄暗くなっている。山分けしたお金を封筒にいれて大事に防寒ズボンのポケットに押し込む。
 ミカンは誰もがダンボールの切れ端の上に乗せた。それに紐をつけて、あたかもソリのようにして家まで引き摺って持って帰った。いやソリのようではなく、ソリそのものと呼んでもいいのかもしれない。ところどころアスファルトが露出しているところがあるが、ほぼ自宅までの道は雪か氷に覆われているから、思いのほか楽なのだ。
 急に冷え込んだ空気を頬に感じながら、紐を引っ張った。闇が空から降ってくるような感覚があった。きっと足元が雪で明るいからに違いない。空の方が地面より暗く見えるのだ。そのなかを歩くのは心地よかった。
 さすがにずっとミカンが乗ったダンボールを引っ張っていると、息が上がり、じんわりと汗をかく。だから首元だけがひんやりとする。立ち止まり、息を整える。防寒ズボンのポケットにいれた封筒をズボンの上から確認してみる。かすかな膨らみがわかる。大金がここには入っていると思うと、自然と心が弾む。
 なのに、その後にふと寂しさが差し込む。楽しみにしていた小正月が終わってしまったと実感するからだろう。年末からクリスマス、正月、小正月と続いていた冬の楽しみはここまでだ。明日からは、殺風景で色のない日だけがだらだらと続く。そう思うと、急に憂鬱になる。
 
 翌日、私は熱を出した。突然、節々が痛くて目がさめた。体温計で熱を測ってみると38度ほどあった。インフルエンザかもしれない。とっさに思った。
「厄を貰ってきちまったかもしんねえ」
 父が唐突に言った。
「厄?」
「ほれ、お獅子のなかにへえって家を回ってたで、悪い厄をもらっちまったずら」
「そういうことって、あるの?」
 急に不安になった。
「ああ」
 父はそんな答え方をした。
 熱は4日ほど続いた。医者にも行ったけどインフルエンザではなかった。家族の誰もが、それ以上何も口にしなかった。 
 私はいまでも、あのとき厄をもらって熱が出たと信じている。

01小林紀晴
「Winter 12」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

◆小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160819_kobayashi_10_work小林紀晴
〈ASIA ROAD〉より2
1995年
ヴィンテージC-print
Image size: 18.7x28.2cm
Sheet size: 25.3x30.3cm
サインあり

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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆ときの忘れものの次回企画は「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」です。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など約15点をご覧いただきます。どうぞご期待ください。
●イベントのご案内
5月13日(土)17時より、写真史家の金子隆一さんによるギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第13回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第13回

小正月 03

 どんど焼きの翌日、つまり早朝に雪に紛れたおひねりを拾った日の昼間、今度は子供がお獅子のなかに入って、約100軒の地区すべての家を回る。これは子供にとって大仕事でもある。
 どんど焼きのときと同じくリヤカーに太鼓を乗せて、それを叩きながら昔から決められたコースを一軒の抜けもなく巡らなくてはならない。
 いま考えれば、よく子供だけに任せたものだと思う。大人はそれだけ自分たちのことを信頼していたということになるのかもしれないが、とにかく大人は一切関与しない。6年生、5年生だけで遂行された。全員で6、7人くらいだ。
 お獅子のなかに入るのは二人で、交代しながらその役目を行う。どの家でもご祝儀をくれるのだが、平均は千円札一枚くらいだと記憶している。ときに5千円札が入っていたりして驚くのだが、それはきまって厄年の人がいる家で、さらにミカン箱付きだったりする。そんな大物を乗せるためにリヤカーは必需品なのだ。
「お獅子御免と〜悪魔っ払い〜!」
 御幣を持った先頭の者が玄関先で元気よく声を張り上げる。そして、なかば勝手にずかずかと家のなに入っていく。もちろん靴は脱ぐ。お獅子もそれに続く。
 先頭の者は「お祝いなして、お祝いなして、お祝いなして・・・・」と唱えるように御幣を振り回し口にしながら、適当に部屋から部屋を歩き、また玄関に戻ってくる。なにが「悪魔っ払い」でなにが「お祝い」なのか、口にしている本人たちにもまるでわかっていないけど、とにかく昔からそうときまっている。最後は玄関あたりに家の人が待ち構えていて、お獅子の口からご祝儀袋をいれてくれるのだ。
「ありがとう」
「ご苦労様」
 必ず声をかけてくれるので、なんだか本当に役に立っている気がして、うれしくないわけがない。
 お獅子役は順番でする。後足役より前足・頭役の方が断然楽しい。近所とはいえ、よその家に勝手に入っていくのだからかなり興奮する。なにより最後にご祝儀袋がお獅子の口のなか、眼前にやってくる感覚はたまらない。
 約100軒まわるのに夕方まで、丸一日かかる。どの家を回って、どの家を回っていないかは、もちろん記録する。次第にリヤカーはミカン箱で一杯になり重くなっていく。数人で引っ張らないと動かなくなる。道のほとんどは雪で覆われていて足場が悪いし、なにより夕方になると凍り出すので、滑りやすいのだ。
 正直、かなり疲れる。それでも誇らしい気持ちはかわらない。自分たちが、すべての家から本当に「悪魔っ払い」しているような気持ちになるからだ。すると、強靭で神聖な存在にも思えてもくる。

(次回に続く)
01小林紀晴
「Winter 11」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160719_kobayashi_07_work小林紀晴
〈ASIA ROAD〉より1
1995年
ヴィンテージC-print
Image size: 18.6x27.9cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり

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小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第12回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第12回

小正月02

 しめ飾りなどが山のように積まれたそれに火が放たれると、辺りが急に明るくなる。足元の雪がレフ板の効果を発揮するからか、誰もの顔が赤く照らされる。みな笑っているように見えるから不思議だ。きっと炎がまぶしいからに違いない。火傷するほどに熱い。
 手にした柳の枝の先のおめえ玉を火のなかにすぐに入れたくなるのだが、じっと我慢だ。火の勢いが強いときに入れると、枝があっとう間に燃えて大事なおめえ玉が炎のなかに落ちてしまう。そんなことをするのは低学年の子供だけで、大人も高学年の子供もじっと炎が小さくなるのを待つ。
 見上げれば、書き初めの書き損じが空高く舞っていく。
「雪だるま」「お正月」「冬の朝」なんて文字がかろうじて読める。高く舞い上がれば舞い上がるほどに字がうまくなると、学校の先生も親も大人はみな真面目な顔をして口をそろえたけれど、そう言われるたびにそんなことはないだろうし、そもそも大人はまったく信じてはいないだろうなと思っていたけど、火の粉と共に闇にそれがひらひらと勢い良く上がっていく姿を目にすると、もしかしたら本当なのかもしれないという気持ちになってくる。
 1時間ほどすると、火の勢いはだいぶ落ち着いてくる。その頃を見計らって老人たちも姿を見せる。太い廃材などが熾火になっている辺りをめがけて、おめえ玉をかざす。とにかく遠火で焼くのがこつだ。
 焦げ目がついて、ぷっくりと内側から膨らんできたら食べごろだ。慎重に枝の先から外して、口に運ぶ。熱々だと意外なほど美味しい。ちなみにこれを食べると「一年間、歯を病まない」と言われている。これまた迷信に違いないことはわかっているつもりだけど、そんな気がしてくる。
 食べ終えて、火の勢いが小さくなると厄投げとなる。私を含めた子供はこれをなによりも楽しみにしている。今年厄年をむかえる人たちが、土手の上からいろんなものを投げるのだ。それを大人も子供の真剣に拾う。
 投げられるもので一番多いのはみかん。拾って一番嬉しいのはおひねりに入った小銭(時々、お札が入っていることも)。お菓子も撒かれる。ただ、とにかく暗く、さらに地面は雪なので、おひねの白い紙はあっという間に、わからなくなる。懐中電灯の明かりだけが頼りだからだ。
 ちなみに最近では、みかんはあまり投げられなくなった。投げると潰れてしまうし、踏まれやすいという理由からだ。うまい棒や小分けされたスナック菓子が人気だ。雪に落ちても濡れないのだ。
 ちなみに数年前、私が厄年のときには軍手を投げた。事前にビニール袋に一組ずつ小分けしたものだ。50組ほどだろうか。前の年に母が拾って「一番役にたったもの」という理由からだ。
 こうして、どんど焼きは終わる。
 ただ、実はまだ終わっていない。数人の子供は翌朝、できるだけ早い時間にどんど焼きの会場になった田んぼへ再び向かうのだ。大人はほとんど来ない。いや、子供も欲張りな男子だけだが。
 理由は前の晩に雪に紛れてしまい、まだ拾われていないおひねりを探すためだ。必ず幾つか取りこぼしがある。それを狙って、早朝に向かうのだ。他の誰かより少しでも早ければ、その分、確実に収穫は多くなる。だから薄暗いうちに行くことになる。
 気温はマイナス15度ほど。吐く息が白く、まつ毛と眉毛の先端が白くなる。息をするたびに喉の奥が痛い。防寒靴の先で雪をかき分ける。ザッ、ザッと心地いい音が耳に届く。すぐ隣にはどんど焼きの真っ黒の灰。そこにはもう誰も目を向けない。

01_600小林紀晴
「Winter 10」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160319_kobayashi_05_work小林紀晴
〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり


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小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第11回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第11回

小正月01

 小正月というものを意識しなくなって久しい。子供の頃は確実にそれを意識していたというのに・・・・。
 雪と寒さに閉じ込められ季節の数少ない楽しみだった。小学校には小正月休みというものがあって、1月15日を中心に3、4日ほど休みになった。きっと、その存在がもっとも大きかったのだろうが、そのあいだに子供が主役の行事がつまっていた。

 15日の晩にどんど焼が行われる。その行事は全国的に行われているものだが、北関東から甲信越にかけて特に盛んな印象がある。あるいは、ほかの地方について私が知らないだけなのもしれない。
 私の地元でも古くから行われてきた。地区のはずれの雪で埋まった田んぼの真ん中に正月に使ったしめ飾り、松、だるま、書き初めの書き損じたものなどを高く積む。トラック数台分ほどの量だろうか。先端は屋根ほどの高さまでなる。
 それらを各家から集めるのが子供達の役目で、一台のリヤカーを数人でひいた。道路はどこも雪がカチカチに凍っているから坂道は危険でもあった。
 あつめたそれらを、とにかくできるだけ高く積み上げる。きまって先端にだるまを乗せる。まだ低学年の頃に6年生が自作した弓と破魔矢を使って、先端のだるまを射るのを目撃したことがある。見事に貫通して驚いた。
 山積みにする準備は明るいうちに終えるが、日が暮れ出す頃に再びでかける。そのときの胸の高鳴りはいまでも忘れることはない。空になったリヤカーには太鼓を乗せる。それを叩きながら地区の端から端まで、声を合わせて囃し立てるのだ。
「どんど焼きに来ておくれ!は〜やくしないと灰になる!どんど焼きに来ておくれ!は〜やくしないと灰になる!」
 どの家も雪をかぶってひっそりとしている。背後の山は黒々としていて、あたかも死んでいるかのようだ。果たして家のなかに人がいるのだろうか。心配になるほどだが、自分たちの声がきっと、こたつの脇の誰かに届いていることを信じて、声を張り上げる。
 振り向くと、下級生が我慢しきれなかったというふうに家から道路に飛び出してきて、じっとこっちを見ていたりする。そんな姿を目にすると自然と頬が緩む。無言のうちに通じ合っている気持ちになるからだ。
 さらに大人の姿のちらほらと現れ始める。大人もまたこのときをじっと待ってことに気がつく。すると自分たちのことが誇らしい気持ちになる。地区の役になっているという実感からだろうか。
 誰の手にも同じものが握られている。重そうに両手でもっていたり、肩にかけている姿もある。おめえ玉(まゆ玉)だ。柳の枝の先にいくつもつけられている。食紅で赤や緑といった毒々しい色に染められている。もちろん、ただの白もある。上新粉で作られた団子だ。一般的には蚕のまゆを模したものといわれているが、私の地元ではあまりその形をしていない。先端は丸いのだが、枝側はすっと細まっている。
 柳の枝は正月がすぎた頃に父が近くの河原へ行き、ナタで切ってきたものだ。父曰く「柳は火にくべても燃えにくいから」とのことだ。
 おめえ玉を作るのは母の役目で、出来上がったそれを柳の枝につけていくのを私は時々手伝った。完成したそれは、しばらく部屋の鴨居などにひっかけておく。乾燥させるためではなく、単純に飾って眺めるためだと思う。
 太鼓の音と自分の叫び声がきっかけとなり、それぞれの家からおめえ玉を持ち出す瞬間が来た。それがいまだ。そう思うと自然と胸が高まった。

600小林紀晴
「Winter 09」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20

こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。
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本日の瑛九情報!
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瑛九の会は、1965年結成、機関誌『眠りの理由』を創刊号(1966年4月20日)から第14号(1979年6月8日)まで刊行し、瑛九顕彰に大きな役割を果たしました。瑛九の会を担った人たちを順次ご紹介します。
先ずは発起人の一人で福井の頒布会を組織して晩年の瑛九を支援した木水育男さんです。
1981年\600\1981年3月1日_ギャラリー方寸_瑛九その夢の方へ_13.jpg
1981年3月1日
東京渋谷のギャラリー方寸にて
瑛九その夢の方へ」展オープニングで挨拶する木水育男さん(右)
正面に展示されているのが現在は東京国立近代美術館所蔵の「青の中の丸」

木水育男さんは1919年(大正8)9月8日福井県鯖江に生まれ、福井師範学校を卒業後、教師となります。1940年(昭和15)応召、終戦まで北支、南方に歴戦。1945年(昭和20)12月南方より復員、国民学校教師に復職し、1980年(昭和55)福井県武生南小学校校長を退職するまで教師として子ども達に接します。その間、北川民次、土岡秀太郎、久保貞次郎、瑛九らと出会うことによって新しい美術教育に情熱を傾けました。1951年(昭和26)創造美育協会(創美)設立に参加し、その活動を通じて泉茂、靉嘔ら多くの作家達と親交し、支援を続けました。1997年(平成9)6月3日死去、享年77。
没後2011年、故郷の鯖江で「瑛九との軌跡 木水育男(奥右衞門)を巡る人々」展が開催されました。

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『瑛九からの手紙』
2000年9月8日発行、発行人:木水クニオ、 発行:瑛九美術館
29.6×21.0cm 209頁
20170114183744_00005 のコピー
『木水育男追悼集ー木水さんとわたしー』
1999年2月20日刊
編集・発行:「木水育男追悼集」出版発起人会
20.5×15.0cm 354頁

20170114183744_00002


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20170114183744_00004


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RIMG0740瑛九水彩鉛筆1956年600瑛九
「ターゲット」
1956年 水彩、鉛筆
23.3×19.8cm
サイン、年記あり

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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(2016年11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆銀座のギャラリーせいほうで「石山修武・六角鬼丈 二人展―遠い記憶の形―」が開催中。ときの忘れものの新作エディションが展示されています。
会場の展示スナップはコチラをご覧ください。
会期:2017年1月10日[火]〜1月21日[土]*日・祝日休廊
201701_ISHIYAMA-ROKKAKU
主催/会場:ギャラリーせいほう
協力:ときの忘れもの
石山修武の新作銅版画の詳細はコチラをご覧ください。
石山修武_ (30)石山修武
「大きな伽藍もつくられた」
2016年  銅版
Image size: 60.7x44.8cm
Sheet size: 74.3x53.5cm
Ed.3  Signed
シート価格:100,000円(税別)

六角鬼丈の新作シルクスクリーンの詳細はコチラをご覧ください。
04六角鬼丈「輪景(金光教)」
2017  シルクスクリーン
Image size: 36.5x69.0cm
Sheet size: 56.0x75.0cm
Ed.15  Signed
シート価格:100,000円(税別)

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◆小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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