普後均のエッセイ

普後均のエッセイ「写真という海」第7回(最終回)

普後均のエッセイ「写真という海」第7回(最終回)

『肉体と鉄棒』

 10数年続いているワークショップでいつも受講者に話してきたことがある。それは一つのシリーズとして作品を作り始めたら、タイトルも一緒に考えてほしいということである。なぜタイトルのことを意識する必要があるかというと撮ろうとしている作品に方向性と形を与えることにもなり、イメージと言葉との結びつきを考える切掛にもなるからである。天才的写真家ならまだしも、言葉が介在しないまま感性のみで一つの作品を作り上げることはほとんど無理である。言葉がないまま、いくらでも撮ることの出来るのが写真ではあるけれども、構造を持つまとまった作品にするのは難しい。
 2月15日から25日まで、ときの忘れもので開催される個展で発表する『肉体と鉄棒』は、今までの作品と違って、ある日突然、『肉体と鉄棒』というタイトルが頭に浮かんだ。何をどのように撮影をするのか全く考える前に。天から唐突にそのタイトルが降りてきたという感じだった。
 内容が伴わず、タイトルだけが生き延びている時、とりあえず鉄棒を作ろうということになった。近くの鉄工所に相談に行き、高さが2メートル、幅が1.8メートルほどの組み立て式鉄棒を注文した。無用の長物になってしまうかは、その後の内容次第。
 出来上がってきた鉄棒は新しいため、ピカピカに輝いている。これだと鉄の質感がでない上に、肉体と組み合わせた時、落ち着かない。そんなわけで、雨風に晒し鉄棒全体を錆びさせ、撮影できるまでに数年待つことになった。
 最初に鉄棒とともに撮影したのが田舎の父で、亡くなる三年前の1999年の事だった。父の裸を正面からまともに見たのは初めてだったこともあり、90年近く生きてきた肉体の有り様に強烈な印象を持った。
 『肉体と鉄棒』を撮り始めた頃は家族の物語を中心に据えて展開していこうと考えていたが、そのうち『ON THE CIRCLE』の撮影の時期と重なるにつれ、
全く違うものになった。『ON THE CIRCLE』では表には見えない家族の物語があり、イメージの意味と連続性を意識した作り方をしたこともあって、『肉体と鉄棒』では意味やメタファーを強調せず、どちらかと言うと即物的に撮るということと、一点一点が完結したイメージでありなおかつ瞬間的な美しさを捉える撮り方をしようということになった。
 『肉体と鉄棒』というタイトルであっても、撮影対象を人に限定したわけではなく、ねじ曲がった瓶もあれば、猿やかたつむり、鉄棒上で弾ける水というのもある。今までの作品は、少しでも深く読んでほしいという願いが強かったけれども、『肉体と鉄棒』に関しては、なぜこの対象かと不思議に思いながら、ストロボの光の中で写し止められた一瞬の形を見てもらえたらそれで十分。本来、写真に限らず、作者から離れた作品は、どのように見るかどのように読むかは自由だと思っている。もちろん鉄棒との組み合わせがどのようなものでもいいわけではなく、肉体が持つ要素とどこかで結びついているものを選んではいるけれども。

肉体と鉄棒 1-1普後均
「〈肉体と鉄棒〉より 1」
2015年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 35.8×44.8cm
Sheet size: 40.6×50.8cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 4-1普後均
「〈肉体と鉄棒〉より 4」
2015年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 35.8×44.8cm
Sheet size: 40.6×50.8cm
Ed.15
サインあり


肉体と鉄棒 10-1普後均
「〈肉体と鉄棒〉より 10」
2015年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 35.8×44.8cm
Sheet size: 40.6×50.8cm
Ed.15
サインあり


 僕の好きな写真家の一人にラルフ・ギブソンがいる。彼の作品から形而上的なものや心的世界をも写真で表現できることを若いころ学んだ。ラルフ・ギブソンの大きな展覧会が数年前に東京であり、心躍らせて会場に駆けつけたもののすぐに失望に変わった。写真家自身が指示したのか展示した人の意志だったのかわからなかったものの、ラルフ・ギブソンの『Déjà-Vu』『DAYS AT SEA』などのシリーズから選んだ作品が混ぜ合わされた状態で淡々と並んでいる。解体された建物のパーツを見せられているようで、写真集での輝きをそこに見ることは難しかった。
 写真の宿命と言ってしまえばそれまでだが、確かな構造を持った作品でも簡単に解体されてしまう。だからこそ写真家は作品に構造を与えることに真剣に取り組まなければと思っている。
 これまでの作品は、拾い集めるか、または、作り上げたイメージの集合体にどういう構造を与えるかを考えながら、まとめてきた。今回の『肉体と鉄棒』は、それぞれの作品が構造を持つよう意識しながら作っていることもあり、どちらかと言うとタブロー的である。
 父を撮影した後、たまに会う度にその写真のことを気にしていた。方針が変わってしまい、作品として発表することはこれからもない。しかし、父にはこの展覧会を見て欲しかった。
 父の生きた年齢までというのは無理であっても、体力がある限り、写真という海を泳ぎ続けたいと思う。
ふご ひとし

普後均 Hitoshi FUGO(1947-)
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公に師事。1973年に独立。2010年伊奈信男賞受賞。国内、海外での個展、グループ展多数。主な作品に「遊泳」「暗転」「飛ぶフライパン」「ゲームオーバー」「見る人」「KAMI/解体」「ON THE CIRCLE」(様々な写真的要素、メタファーなどを駆使しながら65点のイメージをモノクロで展開し、普後個人の世界を表現したシリーズ)他がある。
主な写真集:「FLYING FRYING PAN」(写像工房)、「ON THE CIRCLE」(赤々舎)池澤夏樹との共著に「やがてヒトに与えられた時が満ちて.......」他。パブリックコレクション:東京都写真美術館、北海道立釧路芸術館、京都近代美術館、フランス国立図書館、他。

●本日のお勧め作品は、普後均です。
肉体と鉄棒 17-1普後均
「〈肉体と鉄棒〉より 17」
2015年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 35.8×44.8cm
Sheet size: 40.6×50.8cm
Ed.15
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆ときの忘れものは明日から「普後均写真展―肉体と鉄棒―」を開催します。
会期:2017年2月15日[水]―2月25日[土] *日・月・祝日休廊
作家と作品については大竹昭子のエッセイ、及び飯沢耕太郎のエッセイをお読みください。
201702_FUGO

ときの忘れものでは初となる普後均の写真展を開催します。新作シリーズ〈肉体と鉄棒〉から約15点をご覧いただきます。
出品作品の詳細な画像とデータは2月18日のブログをご覧ください。
●イベントのご案内
2月24日(金)18時より中谷礼仁さん(建築史家)をゲストに迎えてギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
※必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申込ください。
E-mail: info@tokinowasuremono.com

◆毎月14日に掲載してきた普後均のエッセイ「写真という海」は今回をもって終了しました。ご愛読ありがとうございました。

普後均のエッセイ「写真という海」第6回

普後均のエッセイ「写真という海」第6回

『見る人』

 車を運転する時、交通標識の指示に従う。運転する人は、それぞれの標識が意味するところを知っている。そうでなければ、免許証を取得できなかっただろうから。シンプルな意味を持つ標識のようなものは、人によって違う解釈をすることはない。
 写真は伝えにくいメディアだという思いから出発している僕にとって、それがどうしてなのかそして見るということがどういうことなのかずっと考えてきた。その過程のなかでまとめたのが『見る人』である。
 『見る人』は『滝を見る人』と『都市を見る人』の二つシリーズで構成している。『滝を見る人』はナイアガラの滝と華厳の滝を見る人の後ろ姿を撮った写真を2枚一組にして23組、『都市を見る人』はニューヨークと東京を見る人の後ろ姿の写真も同じように2枚一組にして23組、合わせて46組の作品である。

Kegon 1-1_600Niagara 1-1_600
普後均
左)〈WATERFALL WATCHERS〉「Kegon1-1」 1994年 C-プリント Image size: 27.5x41.4cm、Sheet size: 35.0x43.0cm
右)〈WATERFALL WATCHERS〉「Niagara1-1」 1994年 C-プリント Image size: 27.5x41.4cm、Sheet size: 35.0x43.0cm

Tokyo 1-1_600New York 1-1_600
普後均
左)〈CITY WATCHERS〉「Tokyo 1-1」 2008年 C-プリント Image size: 27.5x41.4cm、Sheet size: 35.0x43.0cm
右)〈CITY WATCHERS〉「New York 1-1」 2008年 C-プリント Image size: 27.5x41.4cm、Sheet size: 35.0x43.0cm

 滝を見ることと、交通標識を見ることと同じだろうか。一つの意味を持つ標識と人によって見出す意味が違う滝では、見るという行為は同じでも全く違う状況といえる。水や滝を神聖なものとしてとらえるような文化で育ったものとそうでないものが見る滝は違う心の動きをするだろう。華厳の滝でかつて入水自殺者が多数いたことを知る人は、死者の思いと重ねて見るかもしれない。共通の文化を持つ同じ国に生まれ育ったとしても、世代や個人個人の環境の違いよっても見ることに差が生まれる。
 華厳の滝もナイアガラの滝も同じ滝の字を当てるが、それらを目の前にした時、全く違う反応をしたことを覚えている。ナイアガラの滝では、毎秒数千トンもの水が落下し、砕け弾ける音が絶え間なく響き渡る。自然の驚異を感じながら、その音に圧倒され言葉を失った状態で暫く滝を見ていた。自然にしてもある出来事にしても想像を超えるような驚愕するものに直面した時、対象がストレートに視覚や聴覚などに突き刺さり、思考が停止する。隠れていた原始的なものが呼び覚まされ、視線に纏わり付いているものが剥がれ落ちる。
 二つのシリーズで構成する予定はなかったのに、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起きた後、ニューヨークと東京で都市を見る人を撮ることに決めた。異なる滝を見る時の感覚の落差もあれば、滝のような自然のものと人工的な都市を見ることの違いもある。住んでいる人にとっても観光で訪れた人にとってもそれぞれの思いの中で都市を見る。滝のように実体として見る対象があるのと違い、都市は人間を包み込む抽象的な空間であるが故に、その視線の先には人の数だけの都市の物語があるのかもしれない。
 『見る人』のシリーズは、全てが見ている人の後ろ姿とその場の様子を人越しに写した写真である。滝や都市を見ている人がいて、写し手の僕がその後ろにいることになり、そうやって撮られた写真を誰かが見る。このシリーズを見る時、直線上に見る人が三人並ぶ図式になる。一点一点の写真の構図は実に単純ではあるけれども、視線が層をなしている。具体的に写し手の姿は見えないにしても。
 スーパーマーケットのチラシに使われている写真に撮った人の気配は皆無である。人参は人参、大根は大根としてわかればいいのであり、交通標識に似て、意味は明確である。チラシの写真だけではなく、多くの写真は、使い古された記号の範疇で撮られたものなので、写し手の世界のことを思うようなことはほとんどないといっていい。美しいバラ、神々しい山、鮮やかな紅葉などの写真は、写し手を素通りして対象への視線のみでその先は行き止まりである。
 馴染みのある記号を使い、表層をなぞったような写真ではなく、例えば、内省的な世界を表現しようとした作品は、見る側に写真家の意図を正確に伝えるのは、かなり難しいことだ。
 見ることは視覚の構造以外の身体的要素とも文化的、制度的なものとも密接に結びついているがために、見る側に作品を読み取ってもらうには、写真家自身が一つのシリーズとしていかに構築するかを考え、全体の形を明確に提示することが必要である。
 見る側が自分自身の視点と写真家の視点を往還しつつ、写真家の思考をも写真を通してすくい取ってもらえるような作品、困難を極めるにしても、それを目指していきたいと思っている。
ふご ひとし

普後均 Hitoshi FUGO(1947-)
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公に師事。1973年に独立。2010年伊奈信男賞受賞。国内、海外での個展、グループ展多数。主な作品に「遊泳」「暗転」「飛ぶフライパン」「ゲームオーバー」「見る人」「KAMI/解体」「ON THE CIRCLE」(様々な写真的要素、メタファーなどを駆使しながら65点のイメージをモノクロで展開し、普後個人の世界を表現したシリーズ)他がある。
主な写真集:「FLYING FRYING PAN」(写像工房)、「ON THE CIRCLE」(赤々舎)池澤夏樹との共著に「やがてヒトに与えられた時が満ちて.......」他。パブリックコレクション:東京都写真美術館、北海道立釧路芸術館、京都近代美術館、フランス国立図書館、他。

◆ときの忘れものは2017年2月15日(水)〜2月25日(土)「普後均写真展―肉体と鉄棒―」を開催します。

●本日のお勧め作品は、根岸文子です。
20170114_negishi_69_fuun_yuushi
根岸文子 「FUUN YUUSHI」
2008年、アクリル・板  130x388cm サインあり
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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

本日の瑛九情報!
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瑛九の会の機関誌『眠りの理由』を順次ご紹介しています。

眠りの理由No.11
『眠りの理由 No.11 瑛九回顧展特集号』
限定500部
1971年5月1日 瑛九の会発行
編集・発行者:原田勇
37ページ 25.2×17.8cm
*11号から瑛九の会事務局が福井に移り、勝山市の原田勇が担当。

眠りの理由No.11目次目次

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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

普後均のエッセイ「写真という海」第5回

普後均のエッセイ「写真という海」第5回

『ON THE CIRCLE』

 いつか僕が育った米沢を撮りたいと思ってきた。今ある姿を撮影するのではなく、どちらかと言えば記憶の中の米沢を作品にしたかった。
遠くに見える山々を借景にして、コンクリートで直方体を作り、それをやや
宙に浮かす。中秋の月の光が奥までと届くような位置に穴を穿ち茶室にする。その一方で直方体は舞台となり、舞台上で馬橇を引いていたような馬や詰襟学生服を着た子供たち、雪に覆われた直方体などを撮りたいと思ってきた。
それを実現するのにはクリアしなければならないことが多すぎ、いつの間にか
この作品のことから離れてしまった。
 10数年前に今住んでいるところに越してきた時、近くに円筒形の防火水槽があることを知った。コンクリート製で直径が6m弱、地面から突き出た高さが60cmほどで、道路に面しており、他の三方が民家。かなり以前に作られた代物で、風格さえ漂っていると言ってもいいような防火水槽だった。後から聞いた話ではあるが、この向かいの民家が火事になった時、防火水槽には水がなく全焼してしまい、それ以来使われてないという。
 この前を通る度に立ち止まってさえ見てしまうほど、この空間に魅力を感じるのはどうしてなのだろう。そう思った時、田舎に作ろうとした直方体の舞台と結びついていることに気がついた。
 防火水槽がある空地にも間違いなく四季が巡ってくる。春の雑草は初々しく、
夏は勢い良く伸びる。冬になれば雪に覆われることもある。一巡りすれば1年という時間を生きたことになる。円環する時間と直線的な時間が円形状の舞台で交差している。そのような時間が展開する現実的な場として、また、新たな物語が生み出される舞台のような場としてここを撮ることに決めたのが2003年だった。
 この『ON THE CIRCLE』のシリーズには様々な写真的手法を取り入れている。記念写真的なもの、スナップ写真、風景写真的な要素もあれ必要なイメージを得るために防火水槽の上で構成したものを撮るようなこともした。
 記念写真やスナップ写真の時制が現在を意識させるものであるなら、構成して撮ったイメージは今という現実から離れて、僕が生まれる前の過去やもう僕が存在しない未来をも表現しようとしたものである。
 円環する時間はイメージの片隅に見える生い茂る草や冬枯れの様子、雪で輪郭を失った防火水槽から伺い知ることができる。
 時間を表現すると同時に、立ち現れるそれぞれのイメージの意味を見る側に読み取ってもらえるような対象を選び構成する必要があった。
小舟と白く光るネオン管の組み合わせは、死に繋がるもの、円形の舞台上で戦うアメリカンフットボールの選手は、戦争を想起させるものとして、中華鍋で顔を覆う花嫁はこれから生きていく人生の不安など、メタファーやある種の記号を使いつつ一点一点のイメージを作り上げた。

c-61_600普後均
〈ON THE CIRCL〉よりNo.61
2007年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 31.2x39cm
Sheet size: 35.6x43.2cm


c-63_600普後均
〈ON THE CIRCL〉よりNo.63
2008年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 31.2x39cm
Sheet size: 35.6x43.2cm


c-64_600普後均
〈ON THE CIRCL〉よりNo.64
2003年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 31.2x39cm
Sheet size: 35.6x43.2cm


 写真集『ON THE CIRCL』を構成している65点の作品全ては、三脚を最大限高くした状態からの俯瞰撮影。円形の防火水槽の半円にも満たないエッジが写り込んでいるという共通性はあるものの、それ以外は、円環する時間、直線的な時間、それが結びついてできるスパイラルな時間、過去、未来やそして現在もあり、現実的または架空の世界などを表現しようとしたそれぞれの写真は一見バラバラである。
 僕はこのシリーズにおいてはいかに構築していくかを考えながら、構成に必要なイメージを作り、その中から65点を選び、新たなストーリーが生まれるよう秩序を与えた。写真集をめくりながら見る時のイメージの残像のことも意識しながら。
 ここには写真集から見えてくるストーリーと見えないストーリー、すなわち被写体になってくれた近所の人や友人たちの人生や歴史があり、友人たちとの交流も含めて70年近く生きてきた僕の時間も、見えるものの背後に潜んでいる。
『ON THE CIRCLE』をまとめたことによって、他のシリーズと同様に時間はかかり過ぎたものの、僕の中で写真的な広がりを得たのは確かであり、途方にくれるような広大な海を泳ぐことによって遭遇した大変なことは、その喜びが一瞬にして忘れさせてくれた。
ふご ひとし

普後均 Hitoshi FUGO(1947-)
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公に師事。1973年に独立。2010年伊奈信男賞受賞。国内、海外での個展、グループ展多数。主な作品に「遊泳」「暗転」「飛ぶフライパン」「ゲームオーバー」「見る人」「KAMI/解体」「ON THE CIRCLE」(様々な写真的要素、メタファーなどを駆使しながら65点のイメージをモノクロで展開し、普後個人の世界を表現したシリーズ)他がある。
主な写真集:「FLYING FRYING PAN」(写像工房)、「ON THE CIRCLE」(赤々舎)池澤夏樹との共著に「やがてヒトに与えられた時が満ちて.......」他。パブリックコレクション:東京都写真美術館、北海道立釧路芸術館、京都近代美術館、フランス国立図書館、他。

●本日のお勧め作品は、普後均です。
20161214_fugo_01普後均
「〈ON THE CIRCLE〉シリーズ #53」
2003年撮影(2009年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:31.6×39.2cm
シートサイズ:35.6×43.2cm
Ed.15
サインあり


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本日の瑛九情報!
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ただいま近美で開催中の<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展には晩年の点描油彩の代表作が4点展示されています。
20161129_東京国立近代美術館「瑛九展 1935-1937」_14
左から「青の中の丸」「れいめい」

青の中の丸_600
瑛九「青の中の丸」
1958年 油彩・カンヴァス
90.9×116.7cm
東京国立近代美術館所蔵
※日本経済新聞社『瑛九作品集』所収

光の宝石のような輝きをもつこの50号の「青の中の丸」、瑛九命の亭主にとってはことのほか思い入れの深い作品です。
現代版画センターの直営画廊として渋谷区松濤に「ギャラリー方寸」を開いたのは1981年のことでした。
1981年\600\1981年3月1日_ギャラリー方寸_瑛九その夢の方へ_6.jpg
1981年3月1日
ギャラリー方寸開廊記念「瑛九 その夢の方へ」
メインとして展示した「青の中の丸」
このときは私たちの力不足もあって売れませんでした。
おかげで今は東京国立近代美術館に収めることができ本望であります。
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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆普後均のエッセイ「写真という海」は毎月14日の更新です。

普後均のエッセイ「写真という海」第4回

普後均のエッセイ「写真という海」第4回

『暗転』

 カトマンズの小さな博物館、その建物自体が博物館に収まってもいいような佇まいで、僕以外誰もそこを訪れた人はいなかった。外からの弱い光のなかで、蝶の標本を見ている時、かすかなほんとうにかすかな音を聞いたような気がした。蝶の鱗粉が落ちた音だったのか、それとも羽の一部が崩れた音だったのか。
原型を留めるための標本であっても、箱の中にも間違いなく時間は流れ、蓄積していく時の重みで変化を強いられる。標本のようなものでさえ時間に抗うのが無理であるのなら、生きているもの全て時間に抵抗しようがない。
 死に向かって変化していくわが身と変わりゆく世界とどう関わればいいのかという漠然とした思いが『暗転』シリーズに向かわせた。このシリーズのことを考え始めたのは、1970年代の初めだったが、本格的に撮りだしたのは1980年に入ってからである。
 小さい時からそれに高校を卒業して米沢から東京に出てきてからもしばらくは喘息の発作に苦しんだ。夜中に発作が起きる度に、父の背中に背負われて近所のかかりつけの医者に行き、エフェドリンの静脈注射を打つ事で呼吸を確保することが常だった。呼吸困難から少しずつ肺に空気が満たされつつある時の
安堵と陶酔の感覚。その時の感覚の記憶を作品にしたのが『遊泳』のシリーズである。(このシリーズのことはまたいつか機会があったら書きたいと思う。)
喘息の発作は、僕と日常的世界との当たり前に感じられた結びつきが一挙に崩れるときでもあった。先ほどまでの世界とほとんど変わらないというのに、それを掴むような握力を一挙に失い、意識するのはどうにもならない自分の肉体と静脈に刺さった注射の光景。
 小さい頃からの体験によって、外の世界との関わりがますます希薄になっていくような生活を変えてくれたのが、旅であり、写真だったのかもしれない。
 1980年と1983年のそれぞれ数ヶ月のインド、ネパールへの旅は、現実の生身の世界を見、触れ、考える時間になった。身にまとわりつく空気、騒音や匂い、初めて知ることとなったそれらは、全ての感覚を揺さぶり目覚めさせてくれた。人がうごめく街や小さな漁村、山間の村などあてどもなく歩きながら、事物が変化していく一瞬一瞬に立ち会い、それらを撮影していく。新たな外の世界に向かうと同時にむき出しの生と死の世界に触れることで得体のしれない僕の心の奥底に降りていくような感覚を持ったのをいまでもはっきりと覚えている。

b-21_600普後均
『暗転』シリーズより b-21
1993年撮影(2004年プリント)
ゼラチン シルバー プリント
Image size: 21.7x32.5cm
Sheet size: 11x14inch


b-25_600普後均
『暗転』シリーズより b-25
1980年撮影(2004年プリント)
ゼラチン シルバー プリント
Image size: 21.7x32.5cm
Sheet size: 11x14inch


b-69_600普後均
『暗転』シリーズより b-69
1980年撮影(2004年プリント)
ゼラチン シルバー プリント
Image size: 21.7x32.5cm
Sheet size: 11x14inch


 カメラは見たものを捉えるということに若い時から疑問を感じていた。一眼レフのフィルムカメラの場合、シャッターを切ると同時にミラーが上がりシャッター幕が走行しフィルムに感光するというシステムなのだけれども、ミラーが上がった瞬間、ファインダー内は闇である。シャッタースピードが60分の1秒であればその瞬間は写そうとしている世界、対象物を見ていないことになる。その僅かな時間の推移の中でも世界は変化している。見なかった一瞬を撮ることが写真ではないのか。このことは『暗転』というタイトルにもつながっていく。
 『暗転』といえば何かの切掛で状況が悪い方に転じることと捉えられてしまうが、演劇で幕を下ろさず照明を切った暗がりの中で次の場面に転換するという意味においての暗転である。シャッターを切った瞬間の暗闇の状態が舞台上の闇と結びついたが故のタイトルなのだ。
 『暗転』のそれぞれのイメージは旅先で出会った物事の記録ではなく、モノやヒトと場所の関係を壊すことによって、モノやヒトを抽象化し、変化し続けるものとしての有り様を静かに提示したものといっていい。インドやネパールだけではなく、日本、アメリカ、メキシコなど多くの場所で撮られたイメージで構成されている『暗転』はどこで何を撮ったのかは全く重要なことではなく、茫漠とした心の奥底と呼応したイメージの集積でもある。
 このシリーズを作ったことで、自分自身と外の世界との関わりがどう変化したのか明確にはわからない。一方的に内向するのでもなく、外の世界にも意識が向くようになったと言えるかもしれない。
 このシリーズをまとめてから作品は未発表である。生きている間、写真集を作り、ギャラリーでも発表できる機会があればいいと思っている。
ふご ひとし

普後均 Hitoshi FUGO(1947-)
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公に師事。1973年に独立。2010年伊奈信男賞受賞。国内、海外での個展、グループ展多数。主な作品に「遊泳」「暗転」「飛ぶフライパン」「ゲームオーバー」「見る人」「KAMI/解体」「ON THE CIRCLE」(様々な写真的要素、メタファーなどを駆使しながら65点のイメージをモノクロで展開し、普後個人の世界を表現したシリーズ)他がある。
主な写真集:「FLYING FRYING PAN」(写像工房)、「ON THE CIRCLE」(赤々舎)池澤夏樹との共著に「やがてヒトに与えられた時が満ちて.......」他。パブリックコレクション:東京都写真美術館、北海道立釧路芸術館、京都近代美術館、フランス国立図書館、他。

●本日のお勧め作品は、中藤毅彦です。
20161114_nakafuji_46中藤毅彦
「Winterlicht」
1999年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:54.0×35.9cm
シートサイズ:57.0×38.8cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆普後均のエッセイ「写真という海」は毎月14日の更新です。

普後均のエッセイ「写真という海」第3回

普後均のエッセイ「写真という海」第3回

「GAME OVER」

 「FLYING FRYING PAN」を作り終えた時、写真においての窮屈な状況から少しは自由になったような気がした。必ずしもモノをモノとして撮らなくてもいいという思い。それに、小さなフライパンに宇宙を見ることも可能であり、フライパンを光のイメージまで変容可能であれば、今ここに存在しない未来の姿も過去のことでも表現できるのではないか。言葉にしても映画にしても表現する領域は限りなく広い。写真だけが現在性にしがみつき、狭い意味での記録にこだわり続けるのであれば、写真という海の豊かさに気がつかずに終わる恐れがある。
 1989年、仕事の依頼でカナダ、アルバータ州エドモントンにある商業施設を撮影したことがきっかけになり、「GAME OVER」が生まれた。
この商業施設ウエスト・エドモントン・モールは当時、世界最大のショッピングモールだった。潜水艦で水中を見ることができる「海」があり、人工の波が定期的にやってくる巨大なプールもあれば、アイススケートリンク、ジェットコースターを備えた遊園地、イルカが泳ぎショーも行われる水槽、ヨーロッパの街並みを模したショッピング街、それら全てがガラスで覆われた建物の内部空間に収まっている。極寒の冬でも快適に買い物ができ、スポーツや遊びを楽しみ、施設内のホテルに泊まれば、一歩も建物の外にでることなく何日も過ごすことができるような場所だった。
 仕事としての写真を撮りながら、この施設をシェルターと見做したらどのような作品になるのだろうかと考え始めていた。いつか地球上がのっぴきならない状況になり、人々はシェルター内でしか生き延びられない時代になっているという視点からこの施設を見たらどうなるだろうか。巨大なガラスの空間は、一挙に未来の光景に様変わりし、人々の様子は憂いに満ち溢れており、かつての生活を懐かしんでいるようにさえ見えてきた。人々が外の世界を自由に楽しんだのは遠い昔のこと。当時のことを忘れないための設備は整っているものの、あくまで疑似体験するための空間。地球上で頂点に立ちどのようにもできると思い込んでしまったヒトの日々の振る舞いは、まるでゲームのようだった。そしてついにゲーム・オーバー。
 この場所を舞台にすれば、映画のようにセットを作らなくても、現実の場を借りながら、未来の世界を表現できる。「FLYING FRYING PAN」の時はモノと場所の関係を解体することが重要なことの一つだったけれども「GAME OVER」は一度壊し、改めて未来の場との関係を構築し直す必要があった。

GAME OVER009普後均
「GAME OVER(9)」
1991年撮影(1992年プリント)
C-プリント(ヴィンテージ)
Image size: 37.8x56.8cm
Sheet size: 50.8x61.0cm(20x24inch)
エディション無し
サインあり


GAME OVER037普後均
「GAME OVER(37)」
1991年撮影(1992年プリント)
C-プリント(ヴィンテージ)
Image size: 37.8x56.8cm
Sheet size: 50.8x61.0cm(20x24inch)
エディション無し
サインあり


GAME OVER051普後均
「GAME OVER(51)」
1991年撮影(1992年プリント)
C-プリント(ヴィンテージ)
Image size: 37.8x56.8cm
Sheet size: 50.8x61.0cm(20x24inch)
エディション無し
サインあり


 ちょうど同じ頃に、写真と他のメディア、特に小説とのコラボレーションがどのような効果を生むのかを考えていた。藤原新也が一人で文章も書き写真も撮った「全東洋街道」の優れた作品に影響を受けたからかもしれない。LIFEなどのグラフ誌では写真とストーリーで構成するフォトエッセイという分野がすでに確立していたけれども、時間をかけた旅でしか得られない視点での写真と文章を1冊の本で見て読んだ時の「全東洋街道」の衝撃は今でも忘れられない。写真と文章それぞれが強度を保ちながら呼応し合い、藤原新也の世界を形作っていた。
ウエスト・エドモントン・モールを未来のシェルター空間としての写真とSF小説とのコラボレーションだったら新しい世界を切り開くことができるかもしれない。帰国してからこのプランを池澤夏樹に相談したことで、後の1996年に池澤夏樹の小説と僕の写真によって「やがてヒトに与えられた時が満ちて……….」(河出書房新社)という本にまとまった。
 相談したことがきっかけになり、1991年にアリゾナ州トゥーソンにある「バイオスフィア2」という巨大なガラス空間の実験施設と二度目のウスト・エドモントン・モールを取材、撮影することになった。「バイオスフィア2」は密閉空間で男4人女4人の8人が、2年間自足しながら生活するというプロジェクトがあり、実験が始まる直前に内部を撮ることができた。この施設を撮影できたことで近未来的な世界がよりリアリティを増したような気がする。
 池澤夏樹との旅の中で確認したことは、小説と写真が説明し補いあうものではなく自立したものにすること、時間軸は未来、僕は二つの施設をシェルターとして撮ることの3点だった。
 小説とのコラボレーション「やがてヒトに与えられた時が満ちて…….」にしても写真だけの作品「GAME OVER」にしても僕にとっては実りある試みであったと思う。2011年の原発事故後は、「GAME OVER」が単なる絵空事のフィクションでなはなく、いつでもどこでも起こり得ることを示唆する作品になり、僕自身が驚いている。
ふご ひとし

普後均 Hitoshi FUGO(1947-)
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公に師事。1973年に独立。2010年伊奈信男賞受賞。国内、海外での個展、グループ展多数。主な作品に「遊泳」「暗転」「飛ぶフライパン」「ゲームオーバー」「見る人」「KAMI/解体」「ON THE CIRCLE」(様々な写真的要素、メタファーなどを駆使しながら65点のイメージをモノクロで展開し、普後個人の世界を表現したシリーズ)他がある。
主な写真集:「FLYING FRYING PAN」(写像工房)、「ON THE CIRCLE」(赤々舎)池澤夏樹との共著に「やがてヒトに与えられた時が満ちて.......」他。パブリックコレクション:東京都写真美術館、北海道立釧路芸術館、京都近代美術館、フランス国立図書館、他。

●本日のお勧め作品は、鬼海弘雄です。
作家と作品については、大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」第4回をご覧ください。
20161014_kikai_01鬼海弘雄
〈アナトリア〉シリーズ
「22羽のアヒルと冬の気球(トルコ)」

2009年撮影(2010年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:29.1x43.6cm 
シートサイズ:40.5x50.5cm
Ed.1/20
裏面にサインあり


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◆普後均のエッセイ「写真という海」は毎月14日の更新です。

普後均のエッセイ「写真という海」第2回

普後均のエッセイ「写真という海」第2回

「FLYING FRYNG PAN」

 「FLYING FRYING PAN」を最初に発表したのが1984年。その後も撮り続けそれをまとめて写真集として写像工房から出版したのが1997年である。
 「FLYING FRYING PAN」以前の作品に「遊泳」「暗転」というシリーズがある。この二つのシリーズは、ストレートに撮ったモノクロームの作品で構成したものであるが、外の世界の記録ではなく僕自身の内なる世界を表現しようとした抽象的な作品だった。
 「遊泳」「暗転」の作品を発表した時に感じたことは、いわゆる写真はいつどこで何を撮ったのかが明確でないと見る側に不安を与えるということである。
どこで撮ったのか何を撮ったのかという質問が多かったのは、見る側の苛立たしさを物語っているようだった。
 現前に展開する心動かされた光景を明確に美しく写すことが写真家にとっての使命と思っている人や写真は写す人が今立ち会って見ている物事の記録と考えている人にとっては、場所を否定し、モノと場所との関係を無視しながら撮った「遊泳」や「暗転」は受け入れがたいものだったに違いない。

 この時の体験が「FLYING FRYING PAN」を作るきっかけになった。モノをモノとして撮ることだけが写真というメディアに与えられた役目ではない。対象をどこで撮影したかということだけが写真に問われることではない。そういう思いを持ちながら、モノと場所との関係を解体し、モノそのものの属性を消去することとはどういうことなのかを身近なフライパンを使いながら試みたかった。多くの人が考えているような写真的概念から自分自身を解放したかった。
 もしフライパンをチラシやパンフレット用に撮るのであれば、形や色、素材の質感など損ねてはならない。もし、あるホテルの厨房でフライパンをドキュメントとして撮影するのであれば、フライパンがどこで使われているかを意識しない訳にはいかない。
 「FLYING FRYING PAN」の場合は、スポンサーから依頼された仕事でもなく、長い間愛用してきたフライパンを記録として残すために撮ろうとしたわけでもなく、コンセプトを具現化するために、身近なフライパンを撮影対象に選んだだけなのだ。
 属性を剥ぎ取る、それがどういうことなのかを示すためには、選んだ対象が、日常的なものであることが必要だった。

FLYING FRYING PAN-15_600普後均
「FLYING FRYING PAN-15」
1997年プリント
Image size: 36.2×54.3cm
Sheet size: 20×24inch (50.8×61cm)
Ed.10


FLYING FRYING PAN-16_600普後均
「FLYING FRYING PAN-16」
1990年プリント
Image size: 36.2×54.3cm
Sheet size: 20×24inch (50.8×61cm)
Ed.10


FLYING FRYING PAN-46_600普後均
「FLYING FRYING PAN-46」
1983年プリント
Image size: 36.2×54.3cm
Sheet size: 20×24inch (50.8×61cm)
Ed.10


 百聞は一見に如かずとは言え、見る対象が初めて目にするものであれば見ただけではわからないということも多い。目の延長線上にカメラそして写真があるという位置づけに慣れてしまったこともあり、写真は物事を明確に伝えることができるメディアと思っている人も多いけれども、写真では伝えられないことがたくさんあることも事実だ。例えば、記念写真の人物のそれぞれの名前や年齢は言葉の力を借りなければ伝えることが無理なように。写されたものが、一度も目にしたことのない対象物の場合、体験的におおよそ想像できるものもあれば、中にはどのようなものなのか全くわからないことがあるように。
 だからこそ、身近にあるフライパン。誰もが知っているような道具であるフライパンを思い浮かべながら、属性が消失していく過程で新たに生まれたイメージを見る時、写真というメディアの奥の深さそして広がりを感じとってもらえると考えた。

 細江英公のスタジオから1973年に独立してからもしばらく狭い流しとガスコンロ一つの4畳半のアパートに住んでいた。電話を受けるときは大家さんの取次、掛けるときは外の公衆電話、そんな時代だった。
 ある日、コンロ上の油汚れのフライパンに冬の透明な西日が差し込んだ瞬間、乱舞する光の中に実在から離れたまるで違う世界を、そのフライパンに見た。その日から、フライパンの状態や光の変化によって表情を変えるフライパンを見ることが、ひもじい日々の楽しみになったのを覚えている。コンセプトを形にするためにそのフライパンを撮りだしたのは、それから何年か経ったときだった。
 集中力の欠如からこのシリーズをまとめるのに何年もかかってしまったけれども、形や質感や重さからようやく解放された鉄のフライパンは、ついに光になり宇宙の彼方に飛び去ってしまった。
ふご ひとし

普後均 Hitoshi FUGO(1947-)
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公に師事。1973年に独立。2010年伊奈信男賞受賞。国内、海外での個展、グループ展多数。主な作品に「遊泳」「暗転」「飛ぶフライパン」「ゲームオーバー」「見る人」「KAMI/解体」「ON THE CIRCLE」(様々な写真的要素、メタファーなどを駆使しながら65点のイメージをモノクロで展開し、普後個人の世界を表現したシリーズ)他がある。
主な写真集:「FLYING FRYING PAN」(写像工房)、「ON THE CIRCLE」(赤々舎)池澤夏樹との共著に「やがてヒトに与えられた時が満ちて.......」他。パブリックコレクション:東京都写真美術館、北海道立釧路芸術館、京都近代美術館、フランス国立図書館、他。

●本日のお勧め作品は、白髪一雄です。
20160914_shiraga_06白髪一雄
「作品1966」
1966年 水彩・紙
9.0×14.0cm サインあり

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◆新連載・普後均のエッセイ「写真という海」は毎月14日の更新です。

普後均のエッセイ「写真という海」第1回

普後均のエッセイ「写真という海」第1回

ウィリアム フォークナーがヘミングウェイは沖に向かって泳ぐような勇気はなかったと批判的に言ったという。それを知ったのは池澤夏樹の「沖へ向かって泳ぐ」を読んだ時だった。冒険好きの男らしい作家、それまでヘミングウェイにいだいていた僕のイメージ。小説を書くことにおいては、新たな試みをすることへの失敗を恐れて体験的なことしか書かなかったということらしい。
僕の趣味の一つは泳ぐことである。少なくとも週一回は仲間たちと数十年、プールで泳いできた。良いコーチに巡り会えたこともあって、それなりに上達したけれども、安全に管理されたプールで泳ぐことはできても、未だに海は怖いし泳ぎたいとも思わない。
そんな僕でも写真の海を目の前にした時、無謀だとは思わず、恐怖心もなく
自然に沖へ向かって泳ぎ始めていた。そして今も疲れ気味とはいえ泳ぎ続けている。
持続できた理由は、大学卒業後、細江英公のスタジオで働いた数年間に新しい写真の世界を直接見聞きできたからと言ってもいいのかもしれない。1970年代初め、細江英公は「抱擁」を制作していた時であり、森山大道の発表前の作品を驚きを持って見る機会もあり、アメリカからは新しいスタイルの写真情報が時間差なくスタジオに届いていた。なんという豊かな海、光り輝く海。スタジオで過ごした充実した時間は泳ぎだすエネルギーとなり、直接指導されたことは殆どなかったものの細江英公は持続への精神的支えになった。この先にもっとおもしろいことがあるかもしれない、新たな可能性を見つけることができるかもしれないという思いは未知の世界に向かう原動力である。
写真と言ってもそれで表現される世界は多種多様である。僕個人のことをとってみても、仕事の依頼でスポンサーや編集者の意向に沿うような形で写真を撮ることもあれば、記念写真や旅先の記憶を持ち続けたいために撮る写真もある。
ただ、写真との関わりの中で圧倒的に時間を費やしてきたのは、発表することを前提にしながら個人的なことを表現するために写真を使うことだった。そしてその結果がいくつかの作品になった。

GAME OVER053_600普後均
〈GAME OVER 〉シリーズより


僕の場合は何か一つの対象に興味を持てなかった。ある分野でプロフェッショナルな技量を身につける才能もなかった。今思い返してみると自分にとって写真がどのようなものかわからなかった時から、存在している事物そのものへの興味より曖昧な自分の世界への興味が常に優っていたような気がする。そのような世界を写真で表現しようとする時、対象を限定できなかったし、既成の写真の方法では表現することは難しかった。
多くの写真家や評論家、写真の分野にいない人たちも、「写真とは何か」という問いに答えそして語ってきた。
中にはこの広大な領域を一言で片付けることに躊躇しない人はいたし、今もいるような気がする。例えば「写真は今だ」という言い方。写真家が今立ち会って目にしているこの世界を写し止める事こそが写真家の仕事であり、そのためのメディアが写真だということと解釈していいと思うのだが、写真を一括りにしてそんな簡単には言えないといつも思ってしまう。もちろん写真においての現在性は重要な事ではあるが全てではない。
買い物リストのメモから日記、新聞記事、詩歌、小説など言葉で成立する世界は山ほどある。そして作家が自分自身の小説を語る時、言葉はコミュニケーションの道具だなどと一言で済ますようなことはありえない。
多岐にわたる写真を語る時も、写真のどの領域に軸足を置いているかを明確にしないと焦点が定まらないものになってしまう。
写真の海は限りなく広い。慣れ親しんだ海もあれば未知の海もきっとあるはずだ。
次回から、少し立ち泳ぎしながら、今まで泳いできた方向に目を向けようと思う。
ふご ひとし

●ワークショップのお知らせ
「第12期写真ワークショップ受講生募集」
個人それぞれが個性あふれる作品を作り上げていくためのワークショップです。
作品の講評を受けながら、写真とは何かということを学び、表現したいことや表現方法を明確にし、作品の完成を目指していきます。
作品を作る意欲のある方でしたらプロでもアマチュアでも大歓迎です。
第12期普後均写真ワークショップの受講生を募集します。
 
第12期写真ワークショップ:2016年11月−2017年9月
毎月第3土曜日(午後1時から5時まで)
場所:東京都練馬区桜台5-6-5 106 普後均スタジオ
受講料:50,000円(分割払い可 銀行振込)
条件:作品持参(モノクロプリント、カラープリント、デジタル作品)
定員:8名(定員になり次第〆切り)
申し込み方法:住所、氏名、電話番号、略歴を書いて下記メールアドレス宛にお申込み下さい。
普後均メールアドレス:photo25flying@ybb.ne.jp

普後均 Hitoshi FUGO(1947-)
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公に師事。1973年に独立。2010年伊奈信男賞受賞。国内、海外での個展、グループ展多数。主な作品に「遊泳」「暗転」「飛ぶフライパン」「ゲームオーバー」「見る人」「KAMI/解体」「ON THE CIRCLE」(様々な写真的要素、メタファーなどを駆使しながら65点のイメージをモノクロで展開し、普後個人の世界を表現したシリーズ)他がある。
主な写真集:「FLYING FRYING PAN」(写像工房)、「ON THE CIRCLE」(赤々舎)池澤夏樹との共著に「やがてヒトに与えられた時が満ちて.......」他。パブリックコレクション:東京都写真美術館、北海道立釧路芸術館、京都近代美術館、フランス国立図書館、他。

●本日のお勧め作品は、普後均です。作家と作品については、大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第3回をご覧ください。
20160814_34bbb11e普後均
〈ON THE CIRCLE〉シリーズ #53
2003年撮影(2009年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:31.6x39.2cm 
シートサイズ:35.6x43.2cm
Ed.15  Signed

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

*画廊亭主敬白
このブログでは写真関係の連載が大竹昭子さん、小林紀晴さん、小林美香さんと3本あり、飯沢耕太郎さんにも不定期で執筆していただいています。今月から新たに普後均さんの連載を開始します。
私たちが普後さんのプリントを初めてコレクションしたのは、大竹昭子さんの「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」によってでした。大竹さんが絶賛する、漆黒の闇に浮かび上がるヘルメットの不気味な迫力、聞いてみればありふれた工事風景のスナップなのですが、写真表現の凄みを感じたものでした。
来年2月にときの忘れもので個展を開催する予定です。どうぞご期待ください。

◆新連載・普後均のエッセイ「写真という海」は毎月14日の更新です。

◆「ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート第3回 独奏チェロによるJ.S.バッハと20世紀の音楽」を9月17日(土)夕方4時(16時)より開催します。いつもより早い開演時間です。
プロデュース:大野幸、チェロ:富田牧子によるプログラムの詳細は8月18日にこのブログで発表します。
要予約、会費:1,000円。メールにてお申し込みください。
tokinowasuremono
緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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