ギャラリー  ときの忘れもの

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カテゴリ: 普後均のエッセイ

普後均のエッセイ「写真という海」第7回(最終回)

普後均のエッセイ「写真という海」第7回(最終回) 『肉体と鉄棒』  10数年続いているワークショップでいつも受講者に話してきたことがある。それは一つのシリーズとして作品を作り始めたら、タイトルも一緒に考えてほしいということである。なぜタイトルのことを意識する …
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普後均のエッセイ「写真という海」第6回

普後均のエッセイ「写真という海」第6回 『見る人』  車を運転する時、交通標識の指示に従う。運転する人は、それぞれの標識が意味するところを知っている。そうでなければ、免許証を取得できなかっただろうから。シンプルな意味を持つ標識のようなものは、人によって違う …
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普後均のエッセイ「写真という海」第5回

普後均のエッセイ「写真という海」第5回 『ON THE CIRCLE』  いつか僕が育った米沢を撮りたいと思ってきた。今ある姿を撮影するのではなく、どちらかと言えば記憶の中の米沢を作品にしたかった。 遠くに見える山々を借景にして、コンクリートで直方体を作り、それをやや …
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普後均のエッセイ「写真という海」第4回

普後均のエッセイ「写真という海」第4回 『暗転』  カトマンズの小さな博物館、その建物自体が博物館に収まってもいいような佇まいで、僕以外誰もそこを訪れた人はいなかった。外からの弱い光のなかで、蝶の標本を見ている時、かすかなほんとうにかすかな音を聞いたような …
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普後均のエッセイ「写真という海」第1回

普後均のエッセイ「写真という海」第1回 ウィリアム フォークナーがヘミングウェイは沖に向かって泳ぐような勇気はなかったと批判的に言ったという。それを知ったのは池澤夏樹の「沖へ向かって泳ぐ」を読んだ時だった。冒険好きの男らしい作家、それまでヘミングウェイに …
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