大川美術館小特集「オノサト・トシノブと戦後桐生の青春〜1950年代を中心に〜」をめぐって、思うこと

小此木美代子(大川美術館学芸員)


 1955年3月12日〜13日、桐生織物会館で開催されたミノリ文化服装学院による「ミノリ・コスチューム・ショー」。オノサト・トシノブは、この舞台装置の一部として自身の絵画を数点提供した。本作は、市内旧家の蔵から発見され、昨年当館に寄贈されている。
 戦後、和装から洋装に移り変わるなか、桐生にも洋裁学校が次々と開校した時代のこと。この頃頻繁にオノサトのもとに通った若者の一人であり、当時学院で教えていた有村真鐵(1929〜)氏はショーの舞台装置を担当しており、有村の提案によってオノサトから数点の作品が提供されたという。

有村アルバム1有村アルバム2
ミノリコスチュームショー の様子 (有村真鐵氏蔵)
左写真)向かって右手の小品がこのほど当館に寄贈になった一点。他の作品は不明。

「ノーボタンのシックなコート」「プレーンなストリート・ドレス」「手芸的な麻のスーツ」「ミディ・シルエットのホームドレス」など、「春のモードおよそ120体が紹介され、会場を埋め尽くした一般観客の間からただうっとりため息が漏れた」(桐生タイムス1955年3月12日)

オノサト作品 1954オノサト作品
1955年頃


 1948年、オノサトは3年間に及ぶシベリア抑留から帰国。以来桐生に住み、大間々中学校の美術教師のかたわら桐生美術協会初代会長をつとめ、養鶏業をし、1951年には田口智子と結婚した。1952年頃から「オノサト・トシノブ」と表記するようになる。この頃より桐生の若い人たちは、オノサトのアトリエによく通った。オノサトは若い人たちを自身の友人として迎え入れ、受け止め、皆の絵をよく見、若い人たちの話によく耳を傾けた寡黙な人であった、と当時を知る人達は口をそろえる。1954年には「若い画家展」「グループ10」などの結成のなかに、オノサト・トシノブは、指導者としての存在というよりは、その人間的な魅力において、精神的な支持を与える存在としてあった。「グループ10美術展」のリーフレットに寄せられた言葉のなかにオノサトがいかに青年画家たちの心を捉えたか、想像させる一文があるので下記に紹介しておこう。

 「中央にだけ頼らず 自分達の場所で自分達を育てることの必要さを感じだしていることは 芸術と言うものの最も大切な根についた問題にぶつかっているわけです。現在の日本の現実は この様な考え方が育つのに非常に難しい現実です。桐生が他に率先して 新しい独立した日の場所になることを希望してやみません。」(オノサト・トシノブ)

 オノサトが円や四角などの幾何学的な構成の抽象絵画で、独自の絵画世界を確立した1950年代、桐生の街は日々変化を遂げていった。本町通りにスズラン燈が点灯、子供遊園地の開園、吾妻公園の開設、おびただしい数の映画の上映、パン屋、喫茶室の宣伝、その街のなかに、「フラフープ」なんていう遊具も大ブームとなった時代。
 殊に1950年代の作品から鮮烈に放たれてくるかのオノサト絵画の独立心みたいな感覚、あるいは極端なまでの陰と陽の並列といった絵画から立ち上る質感は、1950年代の桐生の街の様相とも、どこか重なり見えてくるような、そんな気分にもなる。

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 このほど、戦後いち早く発刊した「桐生タイムス」に触れる機会を得たが、この時代、心中や人身事故、服毒自殺、駆け落ち、借金苦のニュースが、なんと紙面に目立って取り上げられた時代だったことか、という感想を持った。戦災による大きな被害を免れた桐生の戦後において、むしろ精神的復興の過渡期のなかで桐生に暮らしたオノサトは、多くの若者と交流し、ひたすらその絵画空間を探究していたのだ。オノサト没後30年を迎える今、画家40代の青春に改めて思いを馳せる時間を持ってみたいと思っている。
おこのぎみよこ

メモ)8月27日(土)18時〜 放談会「オノサト・トシノブ語り合う」を開催予定。

●展覧会のご案内
群馬県桐生の大川美術館で7月2日(土)〜9月25日(日)まで「オノサト・トシノブと戦後桐生の青春〜1950年代を中心に」が特集展示されています。
時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで) 
休館:月曜(月曜祝日の場合は火曜日)、その他臨時休館あり

*画廊亭主敬白
大川美術館は桐生出身の故・大川栄二さんによって1989年に設立されました。松本竣介野田英夫を軸に彼らとつながりの深い作家たちの作品を多数収蔵しています。
桐生で生涯を終えたオノサト・トシノブについても熱心な学芸員によって幾度か回顧展が企画されています。不遇時代を支えた人々によって、市内には多くのオノサト作品がのこされています。
今回の展示を企画した小此木先生に桐生とオノサトのつながりについてご執筆いただきました。亭主が初めてアトリエを訪れた1970年代以降、晩年まではほとんど外部との接触を断ち、ひたすら描くことに没頭されていたのですが、50年代のオノサト先生は多くの若い人たちと交流し、その中からご自分の道を究めていったのだとわかります。
小此木先生にはお忙しい中、貴重な論考をありがとうございました。
特集展示は9月25日までです。オノサトファンの皆さん、ぜひ桐生にお出かけください。
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●本日のお勧め作品はオノサト・トシノブです。
オノサト65-A
オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO
"65-A"
1965年  リトグラフ
イメージサイズ:17.0×24.0cm
Ed.120  Signed
※レゾネ(アートスペース 1989年)No.15。レゾネにはEd.150とあるが誤記、正しくはEd.120。

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