清家克久のエッセイ

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第12回(最終回)

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第12回(最終回)

 一年間の長丁場でしたが、この連載も今回で最後となりました。お付き合いくださった読者の皆様には感謝いたします。
瀧口修造は、孤高でありながら磁場のような存在として多くの人を引き付ける魅力を持ち、創造の根源を問い続けるかのような詩・造形作品や美術評論は今なお比類ない輝きを放っています。このエッセイに触れて一人でも多くの方が瀧口に関心を寄せていただければ幸いに存じます。
さて、今回は私にとって最も印象的な展覧会となった2013年の小樽で開催された「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展について紹介したい。

01「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム展」チラシ


02同上


 この展覧会は、小樽を皮切りに岩手の花巻、山形の天童、そして栃木の足利へと巡回された。私が小樽を選んだのは、瀧口にとって第二の故郷と言ってもよい土地だったからである。5月31日に松山発東京経由の飛行機で新千歳空港へ着き、札幌から電車で小樽へ向かった。同宿のホテルで土渕信彦さんと落ち合った時はすでに夕刻に近かったが、土渕さんの案内で瀧口とゆかりのある場所を足早に見て回った。まず向かったのは、「自筆年譜」にある1924〜25年にかけて三人姉弟で営んでいた花園女学校(現・花園小学校)前の文房具兼手芸材料店跡である。

03花園小学校


04文房具兼手芸材料店跡と推測される場所


 それから、同人誌「山繭」(1926年10月号)に発表された「冬」と題する私小説的散文の舞台と思しき小高い丘にある小樽公園、瀧口がよく通っていたという小樽図書館(現在の建物は1982年落成)、「三夢三話」(「草月」第80号1972年刊)に出てくるゴッホが描いたオーヴェルの役場を彷彿とさせるカトリック富岡教会などである。

05小樽公園の坂道


06小樽公園より市内を望む


07小樽図書館


08カトリック富岡教会


08-2「三夢三話」より(草月80号 1972年)


 翌6月1日の午前中に土渕さんと共に展覧会場の市立小樽文学館と市立小樽美術館(併設)を訪れ、文学館副館長の玉川薫さんと美術館副館長の旭司益さんにご挨拶してから観覧した。展示で注目したのは、やはり瀧口と小樽に関わる写真や史料だった。カタログにも瀧口の「自筆年譜」の草稿や原稿とその基となった手帳が紹介され、調査資料や注釈も加えた「自筆年譜」増補版とも言うべき内容が収録されていた。

09市立小樽文学館・美術館


10同上入口


11同展カタログ


 この日は午後5時から巖谷國士さんの講演が予定されており、昼前に会場に姿を見せておられたので、売店に並べられていた著書「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」(平凡社コロナ・ブックス)を購入しサインを戴いた。この本は、徳島で開催中の同名の展覧会のカタログを兼ね、沢山の図版と共にシュルレアリスムについてわかりやすく解説されている。

12巖谷國士さん


13巖谷國士著「〈遊ぶ〉シュルレアリスム」


 講演までにかなり時間があるので、土渕さんと一緒に小樽駅から電車で北海道屈指の海水浴場のある蘭島海岸へ行くことにした。ここは瀧口にとってとりわけ思い出深い場所だったからである。

14小樽駅


 「ひと夏を北海道の蘭島海岸で、むつかしいブルトンの「宣言書」や「磁場」を相手に、未熟な語学力でたたかった。白骨のような樹の根が打ち揚げられた砂浜で、僕はちょうど現実の漂流物の間に立ちすくんだような気がしていた。そうして一つの別な車輪が勢いよく廻り初めるのを意識した。」(「ある時代」1939年10月「蠟人形」掲載)と追想している。

15蘭島海岸


16同上


17蘭島海岸で拾った石と貝殻


 この時期については、土渕さんは1927年か28年のどちらかと推察されているが、(「橄欖第二号「瀧口修造と小樽―詩「カヒガラ」をめぐって」2012年刊)重要な体験であったことは間違いないだろう。
二人で砂浜を歩きながら瀧口のことを偲んだ。ついでに蘭島に近い余市町の縄文遺跡「フゴッペ洞窟」まで行ってから小樽市内に戻り、戦前からある喫茶店「光」に入ったり運河を観光したりした。

18喫茶店「光」


19日本銀行旧小樽支店


20小樽運河


 巖谷さんの講演は「瀧口修造・小樽・シュルレアリスム」と題し、A4サイズで8ページに及ぶ瀧口の文章を抜粋した資料も配布されていた。ウィリアム・ブレイクの影響や小樽で書かれたと推察される散文「冬」における長姉みさをへの思慕、シュルレアリスムの受容などについて話されたが、小樽の地も手伝ってか瀧口の存在が身近に感じられる濃密な時間となった。この講演会には長姉の夫であった島常次郎のご子息の常雄さんも来ておられた。先に述べた文房具兼手芸材料店は「島屋」と名乗り、戦後に移転(現・島常雄さん宅)したが1988年まで営業していたそうである。

21巖谷國士講演会資料


221958年頃の「島屋」(カタログより)


 初めて小樽を訪れ、短い滞在ではあったが僅かながらも瀧口の足跡を辿り、現地を見ることの大切さを学ぶことが出来た。そして、山々を背に海に面したこの北の街に親しみを覚えた。
最後に、近年開催された画廊における瀧口修造展をいくつか紹介しておきたい。瀧口の作品に直に接する機会を得るには画廊の果たす役割が重要だと思うが、東京では「ときの忘れもの」が2014年から2015年にかけて「瀧口修造展」を4回開催している。残念ながらいずれも見には行けなかったが、これほど積極的に取り上げている所は他に無く、合わせて立派な図録も刊行されている。

23ときの忘れもの「瀧口修造展」案内状


23-2同展図録


 これが起点となって大阪のTEZUKAYAMA GALLERY で展覧会が開かれ、6月7日に同会場で二つのイベント「瀧口修造の講演を聞く会」と国立国際美術館副館長(当時)の島敦彦さんと土渕さんによるトークショーが行われた。私は瀧口の音声を聞くのはこの時が初めてだったが、イメージしていたものとは違っていた。トークショーでは島さんが大阪の北画廊で催された瀧口の第二回個展(1961年)の芳名帳を持参し、そこに署名のある著名人たちを紹介されていた。この会場で綿貫御夫妻や富山の瀧口研究家萩野恭一さんに初めてお目にかかり、愛媛から来たというコレクターの安田逸美さんとも知り合うことができた。関西には少ない現代美術を扱う画廊で、代表の松尾良一さんはバイタリティーを感じさせる方だった。

24TEZUKAYAMA GALLERY「瀧口修造の展」案内状


25TEZUKAYAMA GALLERY


26瀧口修造の講演を聞く会


27島敦彦+土渕信彦トークショー


 2016年7月には名古屋の SHUMOKU GALLERY でも瀧口展が行われ、オープニングに参加した。名古屋ボストン美術館長(当時)の馬場駿吉さんと愛知県美術館長(当時)島敦彦さんによる対談があり、馬場さんのコレクションにまつわるお話が大変興味深かく、「アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々」の手稿本を見せていただいた。画廊主の尾松篤彦さんは若く美的センスを感じさせる方で、瀧口についてもっと知りたいと語っていたのが印象的だった。

28SHUMOKU GALLERY「瀧口修造展」案内状


29馬場駿吉+島敦彦講演会(撮影・安田逸美)


30「アララットの船あるいは空の蜜」手稿本(撮影・安田逸美)


 2017年には京都のART OFFICE OZASA INC.でマルセル・デュシャン生誕130年を記念して「瀧口修造・岡崎和郎 二人展」が行われた。2月4日に土渕さんのギャラリートークに合わせて久しぶりに古都を訪れた。画廊は西陣織会館の奥まった二階にあり、やや狭いながらも静謐な空間が好ましく、画廊主の小笹義朋さんには先の名古屋の展覧会で一度お会いしていた。会場には石原輝雄さんとその友人でレコードコレクターの森田真さん、画家の林哲夫さん、写真家の夜野悠さんや「具体」の作家今井祝雄さんのお姿もあった。

31「瀧口修造・岡崎和郎二人展」案内状


32ART OFFICE OZASA.INC


33同上


34土渕信彦ギャラリートーク


 画廊間のネットワークを通して人と人との繋がりが生まれ、瀧口作品の魅力が広く伝わっていくことは望ましいことであり、今後の活動にも期待したいと思う。
結びに、この連載を強く薦めていただいた我が瀧口修造研究の先達にして畏友の土渕信彦さん、このような場を提供・発信していただいた綿貫令子、不二夫さんと担当の秋葉恵美さんに厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(了)
せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180220_takiguchi2014_III_14瀧口修造
"III-14"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:18.5×13.9cm
シートサイズ :18.5×13.9cm

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◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログはお勧めです。ぜひご購入ください(2,200円)。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年〜1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。

○<埼玉近美「版画の風景」観た。なんだかとても懐かしい気分になり、セゾン文化やもの派の時代の頃に戻った気がした。それはただの感傷だけでも無く、失われた美術や今、カオスラウンジなどが行ってることに繋がっている。
(20180213/Taxxakaさんのtwitterより)>

○<‏ 観てきたというより食べてきた感じ(伝わらない)
どっしりじっくり楽しかった!

(20180210/理沙さんのtwitterより)>

○<今日は、お目にかかれて幸いでした。
まずは盛況、お祝い申し上げます。
私は、ご夫妻の歴史はもとより、「現代版画センター」についてもほとんど存知あげないので、その意味でも興味津々で出向きました。
無知を恥じつつ申し上げますが、本当に素晴らしい活動を展開されていたのですね。
どれほどの情熱を持って打ちこまれていたか……展示からひしひし伝わってくるだけに、クローズされたときの無念さ、ご苦労、いかばかりかとお察しします。
ご夫婦おふたりで乗りこえていらしたのですね。
それだけに今回の展覧会へのご感慨もひとしおかと、私まで胸が熱くなります。
もちろん展示作品そのものにも目を奪われました。珠玉の作品ぞろい。当時の「版画センター」の充実ぶりがまざまざと想像できます。時間がゆるせば、資料もじっくり読みたいところでした。
渋谷在住の、版画をやっている友人にも勧めました。14日に伺うそうです。
楽しいご気分の張りが続くと思いますが、お疲れが出ませんよう、くれぐれもご自愛ください。

(20180211/MKさんからのメールより)>

西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半〜トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでーー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。

光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について(1月28日ブログ)

荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て(1月31日ブログ)

スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)

毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。

倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)

嶋吉信さんのエッセイ〜「紙にインクがのっている」その先のこと(2月12日ブログ)

大谷省吾さんのエッセイ〜「版画の景色−現代版画センターの軌跡」はなぜ必見の展覧会なのか(2月16日ブログ)

○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号1983年のウォーホル全国展が紹介されています。

○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。

現代版画センターエディションNo.183 一原有徳「SEN」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
183_一原有徳《<現代と声>より 、SEN》一原有徳
<現代と声>より《SEN》
1977年  銅版(作家自刷り)
Image size: 39.5×30.5cm
Sheet size: 65.1×50.2cm
Ed.100   サインあり

パンフレット_05
出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄
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◆ときの忘れものは「ハ・ミョンウン展」を開催しています。
会期=2018年2月9日[金]―2月24日[土] ※日・月・祝日休廊
201802_HA
ロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホルなど誰もが知っている20世紀を代表するポップアートを、再解釈・再構築して自らの作品に昇華させるハ・ミョンウン。近年ではアジア最大のアートフェア「KIAF」に出品するなど活動の場を広げ、今後の活躍が期待される韓国の若手作家です。ときの忘れものでは2回目となる個展ですが、新作など15点を展示します。

●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円



●日経アーキテクチュアから『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』が刊行されました。
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。日経アーキテクチュア編集長のコラム<建築家・安藤忠雄氏の言葉の力:第3回>で、出江寛先生、石山修武先生の次に紹介されていますので、お読みください。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は毎月5日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「TOKYO NETURE PHOTOGRAPHY」は毎月19日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・新連載・西岡文彦のエッセイ「現代版画センターの景色」は全三回、1月24日、2月14日、3月14日に掲載しました。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は終了しました。
 ・関根伸夫のエッセイ「〈発想〉について[再録]」は終了しました。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は終了しました。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は終了しました。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は終了しました。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は終了しました。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
20170707_abe06新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第11回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第11回

 2005年1月に横浜美術館で開催されていた「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展を土渕信彦さんに誘っていただき一緒に観覧した。1981年の高輪美術館以来の日本での大規模なデュシャン展だったが、デュシャンに影響を受けた作家の作品も陳列され、改めてデュシャンが20世紀美術にもたらした衝撃の大きさを物語っているようだった。

01「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展カタログ

 
 2月には世田谷美術館で「瀧口修造 夢の漂流物」展(富山へも巡回)が開催された。このカタログの執筆と参考資料の編集に関わった土渕さんの計らいで私宛にも招待状(瀧口が好んで付けたラベルの意匠の)が届いたが度々上京することはかなわず、瀧口の書斎に遺されていた沢山のオブジェや作品などが一点ずつカラー写真に収められた分厚い図録を見て我慢するしかなかった。

02「瀧口修造夢の漂流物」展チラシ


03同上


04同上・案内状と招待状


05同上カタログ


 その年の12月には慶応義塾大学アート・センターにおいて「瀧口修造1958−旅する眼差し」展も開催された。瀧口のご遺族から寄贈された資料(瀧口修造アーカイヴ)を基に瀧口の生涯の転機となった欧州旅行に焦点をあてた企画である。小冊子のカタログも出たが旅の記録をコンパクトに纏めた貴重な資料となっている。その研究成果の一環として後に「To and From Shuzo Takiguchi」と題する論集や欧州旅行の写真資料等を箱に収めた特装限定本も刊行された。

06瀧口修造1958−旅する眼差し」展案内状(左)とカタログ(右)


07To and From Shuzo Takiguchi


08「瀧口修造1958ー旅する眼差し」特装本刊行案内


 2009年に瀧口歿後30年を記念して土渕さん企画・構成による「瀧口修造の光跡吉というもの」展が日本橋茅場町にある森岡書店で開催されることになり、最終日の7月11日のギャラリートークに合わせて上京した。

09「瀧口修造の光跡吉というもの」展案内状


 「美というもの」は瀧口が1962年に母校の県立富山高校で行った講演の題名で、瀧口の講演自体が珍しく、録音も残されており、それを土渕さんが全て文字に起こし資料や写真を添えてカタログに収録された。

10同上カタログ


 会場は川沿いの古いビルの三階にあって、まるで昭和初期の映画にでも出てきそうな佇まいで、本が置かれた部屋に並べられた作品を見て書斎のようだと思った。

11白いビルの三階に森岡書店


12森岡書店


 この日、造形作家の岡崎和郎さんと空閑俊憲さんが一緒に来ておられたのに驚いた。実はこの時まで二人は同一人物だと勝手に思い込んでいたのである。瀧口綾子夫人による「自筆年譜・補遺」の1976年の箇所に「岡崎和郎作品集『空閑俊憲』制作に序文。」とあるのを作品集の題名と勘違いしていたのだが、編集・発行人が空閑俊憲さんだった。岡崎さんは1960年代から一貫して「御物補遺」をテーマにオブジェの制作を続けている稀有な作家で「デュシャン語録」や「檢眼圖」の制作にも協力している。

13「岡崎和郎の作品1962−1976」


 なお、土渕さんの「瀧口修造の光跡」と題されたコレクション展はこの後毎年行われ4回続いた。

14「瀧口修造の光跡供.妊奪汽鵑垢觴蝓彭鍵篤眈


15「瀧口修造の光跡掘”瓦隆磴諒語」展案内状


16「瀧口修造の光跡検ー蠅先、先が手」展案内状


 2011年11月から千葉市美術館で「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展が開催され、巖谷國士さんの講演と関連企画「瀧口修造の光跡敬瓦隆磴諒語」展に合わせて12月11日に見に行った。

17「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展チラシ


18同上


19千葉市美術館


20「瀧口修造の光跡 百の眼の物語」展会場にて(撮影・石原輝雄)


 石原輝雄さんに再会し、稲垣足穂のコレクターである古多仁昂志さんを紹介された。前日に神田の田村書店に立ち寄ったが、古多仁さんも行ったらしく店主の奥平さんから私の名前を聞いたと話された。
瀧口と足穂が戦前に会っていたことは瀧口の「自筆年譜」(1928年)に記されているが、「詩と詩論」誌上の接点はあるものの交流していた形跡は見当たらない。だが、後年における足穂のデュシャンやオブジェについての言及を見るとこの二人には通じるところがあったと思われ、古多仁さんが見に来ていたのも頷けた。その後、古多仁さんからコレクション展や個展の案内状などを戴いたが、尋常ならざるタルホニストであることを知った。

21「稲垣足穂作品集」別巻付録より(潮出版社1975年刊)


22「コタニ・プレイズ・タルホ」より(喜多ギャラリー2011年刊)


 瀧口を研究されている詩人の林浩平さんも来ておられたが、林さんはかつてNHK松山局のディレクターをしていたことがあり、その関係で愛媛出身の彫刻家森堯茂さんと親交があった。1994年に松山三越での森堯茂彫刻展で林さんと初めてお会いした時に私が瀧口に関心を持っていることを話して以来、久万美術館や瀧口関連の展覧会などでお目にかかるようになった。森さんは戦後における抽象彫刻の草分け的存在で、自由美術家協会に所属していた頃に瀧口から「緊密な構成力を示している」と評されたこともあった。

23瀧口の展評(読売新聞1956年)


 森さんは「私にとりましても大きな意味のある人で時をへると共により鮮明に人間像が甦ってくるような気がします。」と私信に書いてこられた。1997年に愛媛県立美術館で作家活動50年記念展が開かれ、立派な作品集も刊行されている。

24森堯茂彫刻展案内状(愛媛県立美術館


25森堯茂作品集刊行案内


 2007年にも久万美術館で回顧展があり、林さんのプロデュースにより詩人の吉増剛造さんを招いて映像詩の朗読が行われた。林さんから吉増さんに紹介され、予め持参していた詩集「頭脳の塔」にサインをして貰った。なお、昨年森堯茂さんは95歳で亡くなられた。

26吉増剛造詩集「頭脳の塔」サイン

 
 千葉市美術館にはフランス文学者で放送大学名誉教授の柏倉康夫さんも見えられ、石原さんや土渕さんと親しく話しておられたが私は初対面だった。柏倉さんはマラルメの研究者として知られ、美術への造詣も深く銅版画家の浜口陽三と親交があった方である。
展覧会場を出るとすでに日は暮れて寒かったが、柏倉さんと同行の女性たちと一緒に土渕、石原、私の三人も電車で移動し、幕張メッセの近くのレストランで夕食を共にしながら歓談した。

27柏倉康夫さんを囲んでの記念写真


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180120_takiguchi2014_II_18瀧口修造
"II-18"
デカルコマニー
イメージサイズ:15.7×9.0cm
シートサイズ :19.3×13.1cm
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◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が始まりました。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
埼玉チラシ菅井600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年〜85年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約300点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。同館の広報誌もお読みください。

○<「版画の景色 現代版画センターの軌跡」at 埼玉県立近代美術館。
個人的には、菅井汲さんの作品が多く観られたのと、メカスのショートフィルムが観られた事が嬉しかった!それと、今まで存じ上げなかった柳澤紀子さんの作品を観られた事も。
後期の展示も楽しみです!(о´∀`о)

ParticlesOfTwilightさんのtwitterより)>

○<北浦和にある埼玉県美にて《版画の風景〜現代版画センターの軌跡》だん。いやはや、兎にも角にも、凄い展覧会でした! 今、お世話になっている「ときの忘れもの」の画廊主である綿貫さんが、僕の産まれる前からこんな凄いことをしていたなんて…
光嶋裕介さんのtwitterより)>

現代版画センターエディションNo.9 オノサト・トシノブ「Ce1」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
009_オノサト・トシノブ《Ce 1》オノサト・トシノブ
《Ce 1》1974年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
Image size: 21.8×27.1cm
Sheet size: 28.1×33.2cm
Ed.200 サインあり
*レゾネ98番ではタイトルが「G.H.C.5」となっている(『ONOSATO オノサト・トシノブ版画目録 1958-1989』ART SPACE 1989年刊)

パンフレット_05


◆国立近現代建築資料館で2月4日[日]まで「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展が開催中。磯崎新、安藤忠雄らの作品が出品されています。展覧会については戸田穣さんのエッセイをお読みください。
磯崎新「還元クリニック」磯崎新
「CLINIC」
1983年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75  サインあり
*現代版画センターエディション

ギャラリートーク「建築版画の世界」のご案内
植田実(住まいの図書館出版局編集長)× 石田了一(石田版画工房)× 綿貫不二夫(ときの忘れものディレクター)
司会:日埜直彦
日時:1月27日(土曜日)14時から
場所:文化庁国立近現代建築資料館
住所:〒113-8553 東京都文京区湯島4-6-15
入場方法:旧岩崎邸庭園からの入館となりますので、入園料400円(一般)が必要となります。

◆ときの忘れものは「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」を開催しています。
会期=2018年1月9日[火]―1月27日[木] ※日・月・祝日休廊
磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)に焦点を当て、磯崎の版画作品〈TSUKUBA〉や旧・筑波第一ホテルで使用されていた倉俣史朗デザインの家具をご覧いただきます。他にも倉俣史朗のアクリルオブジェ、磯崎デザインの椅子なども出品します。
版画掌誌第2号
版画掌誌第2号
オリジナル版画入り美術誌
2000年/ときの忘れもの 発行
特集1/磯崎新
特集2/山名文夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版:限定35部:120,000円(税別 版画6点入り)
B版:限定100部:35,000円(税別 版画2点入り)


●日経アーキテクチュアから『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』が刊行されました。
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。日経アーキテクチュア編集長のコラム<建築家・安藤忠雄氏の言葉の力:第3回>で、出江寛先生、石山修武先生の次に紹介されていますので、お読みください。

◆清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
06駒込玄関ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第10回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第10回

 瀧口修造へのアプローチの機運が高まっていたのか、国立国際美術館での「瀧口修造とその周辺」展に続いて1999年には世田谷文学館で「瀧口修造と武満徹」展が開催された。私は残念ながら見に行くことはできなかったが、その渇を癒してもらったのは土渕信彦さんから送っていただいた沢山の展示風景の写真だった。

01「瀧口修造と武満徹」展チラシ


02同上


03展示風景


カタログもテーマごとに分類された資料が大変充実しており、初見のものも数多く収録され、瀧口と武満の関係は師弟というよりも、むしろ父子のような絆で結ばれていたことを知った。瀧口は「焼け跡の向こうから、その人はやって来たように思われた。音の乏しいときに、音を求めてあるく少年。そのシルエットのような最初の存在から、間もなく私は生れる作曲家という人の存在をはじめて身近に知った。私にとっては遅すぎたようだけれど。しかし時はただしく刻んでいた」(武満徹著「音、沈黙と測りあえるほどに」序文・新潮社刊1971年)と書き、世界的な作曲家となった武満は「瀧口修造の存在なくして、作曲家としての私はなかったろう。」と語るほどに瀧口の影響は大きかった。

04同上カタログ


05武満徹の音楽(日本ビクター1966年)表紙・瀧口修造


2001年には富山県立近代美術館で開館20周年記念企画として「瀧口修造の造形的実験」展が開催された。

06「瀧口修造の造形的実験」展チラシ(富山)


07同上


その後、渋谷区立松濤美術館に巡回し、瀧口の後半生の主要な活動となった「言葉によらない表現」の世界が取り上げられ、「瀧口修造が終生手放さず、夫人が守り続けた、もうひとつの瀧口修造コレクション」(カタログ解説より)が初めて公開された。私は東京で見たが、これほど多様な造形作品を前にして圧倒されてしまった。余技などと言える訳もなく、しかも画家の作品とも違う何か、敢えて言うならそこに無償の表現行為の美しい痕跡の数々を眼にしていたのである。

08「瀧口修造の造形的実験」展チラシ(東京)


09同上


10同上カタログより


11同上


カタログは、編集と解説にあたった富山県立近代美術館の杉野秀樹、渋谷区立松濤美術館の光田由里、それに年譜・展覧会歴・参考文献を作成した土渕信彦の三人による労作であり、純白の装丁も「もう一つの詩的実験」であることを示唆している。(なお、富山ではこれに連携して「瀧口修造―夢の漂流物―」展と「瀧口修造の眼―戦後の作家たち」展が開催された。)

12カタログ表紙


ここで紹介しておきたいのは、銀行員を早期退職されてから慶応義塾大学大学院に入り美学・美術史学を専攻していた土渕さんが、修士論文として「瀧口修造の造形におけるシュルレアリスムの展開―オートマティスムから神話へ―」(2001年)を書いていたことである。その抜き刷りを読ませてもらったが、早くから瀧口の造形作品の重要性に着目していた土渕さんは、このなかで既存の瀧口論を比較検討し、近年のシュルレアリスム研究や構造主義との関連などを踏まえた上で「瀧口の造形の分野における実験的な試みを瀧口の多面的な仕事の中核と位置付け」(本稿より)その変遷を綿密にたどり、瀧口によるオートマティスムの実践が言葉から造形へ、さらには「オブジェの店」へと発展し、それがブルトンによる「新しい神話」の概念と呼応していると論じ、シュルレアリストとしての瀧口修造像を提示している。瀧口研究において重要な論考であると思うので、公表されていないだけにその概要だけでも知ってほしいと思った次第である。

13土渕さんの修士論文


2003年には瀧口修造生誕100年を記念した催しや企画が行われ、横須賀市のカスヤの森現代美術館では「コラボレーションの磁場―デュシャン、マン・レイをめぐって―」(共同企画:土渕信彦)と題して瀧口が関わった詩画集やマルチプルなどの展示があり、多摩美術大学上野毛キャンパス図書館では「瀧口修造の蔵書」展もあった。また、富山県立近代美術館から「写真家・大辻清司 フレームの中の瀧口修造、斎藤義重」という珍しい写真を収めた小冊子が刊行されている。「現代詩手帖」誌も生誕百年記念の特集を組んでいたが、従来の瀧口特集を踏襲したような内容で物足りない印象は拭えなかった。

14「コラボレーションの磁場」展チラシ


15同上カタログ


16「瀧口修造の蔵書」展案内状


17「写真家・大辻清司」小冊子


18「現代詩手帖」2003年11月号


そして、名古屋市美術館では土渕コレクションによる「瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展が開催され、11月30日の巖谷國士さんの講演に合わせて名古屋へ向かった。美術館の控室で俳人にして美術評論家の馬場駿吉さん、当館学芸員の山田諭さんに初めてお会いし、そこには石原輝雄さんや光田由里さんも同席されていた。質量ともに屈指の個人コレクションで、単に集められたものではなく技法に沿って系統的に選ばれた瀧口の造形作品67点と自筆原稿3点による見応えのある展示だった。

19「瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展チラシ


20同上


巖谷さんにお目にかかり講演を聴くのもこれが最初だった。瀧口は職業として書くことの困難に直面し、そこから脱出するためにデカルコマニーの制作に没頭し、生涯書くこと描くことの根源を問い続けた人であると話された。周知のとおり巖谷さんは、わが国におけるシュルレアリスム及びアンドレ・ブルトン研究の第一人者として晩年の瀧口が厚い信頼を寄せていた一人であり、最後のリバティ・パスポートと歿後に「シュルレアリスムと絵画」の改訳を託された方でもある。「瀧口修造に捧ぐ」と献辞のある著書「シュルレアリスムと芸術」(1976年河出書房新社刊)の最後に「瀧口修造論への序」が収録されているが、これほど見事に瀧口とシュルレアリスムの関連を解き明かした文章を他に知らない。その末尾に〈未完〉と記されたのは、どのような意図が込められていたのだろうか?その後、折に触れて発表された瀧口に関する文章は「封印された星」(2004年平凡社刊)に纏められたが、この中で「さしあたり『瀧口修造のために』と題するべき書物」だと書かれている。講演が終わったその晩に巖谷さんとご一緒に名古屋名物の味噌煮込みうどんを食べに行ったことも懐かしい思い出となった。

21巖谷國士著「シュルレアリスムと芸術」「封印された星」


22名古屋市・山本屋本店前にて


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20171220_iii-19瀧口修造
《III-19》
"III-19"
デカルコマニー
※『瀧口修造の造形的実験』(2001年)No.205と対
Image size: 14.0x10.5cm
Sheet size: 25.1x17.5cm


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆埼玉県立近代美術館で2018年1月16日〜3月25日「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が開催されます。
パンフレット_02


◆ときの忘れものは「WARHOL―underground america」を開催しています。
会期=2017年12月12日[火]―12月28日[木] ※日・月・祝日休廊
201712_WARHOL

1960年代を風靡したアングラという言葉は、「アンダーグラウンドシネマ」という映画の動向を指す言葉として使われ始めました。ハリウッドの商業映画とはまったく異なる映像美を目指したジョナス・メカスアンディ・ウォーホルの映画をいちはやく日本に紹介したのが映画評論家の金坂健二でした。金坂は自身映像作家でもあり、また多くの写真作品も残しました。没後、忘れられつつある金坂ですが、彼の撮影したウォーホルのポートレートを展示するともに、著書や写真集で金坂の疾走した60〜70年代を回顧します。
会期中毎日15時、16時、17時の三回メカス映画「this side of paradise」を上映します
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60〜70年代のアメリカを象徴する映像作品です。(予約不要、料金500円はメカスさんのNYフィルム・アーカイブスに送金します)。

◆ときの忘れものには小さな庭があります。彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示していますので、どうぞご覧ください。

●書籍のご案内
版画掌誌5号表紙600
版画掌誌第5号
オリジナル版画入り美術誌
ときの忘れもの 発行
特集1/ジョナス・メカス
特集2/日和崎尊夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版ーA : 限定15部 価格:120,000円(税別) 
A版ーB : 限定20部 価格:120,000円(税別)
B版 : 限定35部 価格:70,000円(税別)


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別) *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
ときの忘れもので扱っています。

国立新美術館の「安藤忠雄展―挑戦―」は、大盛況のうちに終了しました。
展覧会については「植田実のエッセイ」と「光嶋裕介のエッセイ」を、「番頭おだちのオープニング・レポート」と合わせ読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12


◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は毎月5日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・関根伸夫のエッセイ「〈発想〉について[再録]」は毎月12日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・九曜明のエッセイ「植田実と本」[再録]は毎月23日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は終了しました。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は終了しました。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第9回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第9回

 瀧口修造が亡くなって三年後の1982年7月から9月にかけて郷里の富山で「第1回現代芸術祭 ― 瀧口修造と戦後美術」展(富山県立近代美術館)が開催された。瀧口と交流のあった作家の作品を通して戦後のアバンギャルド芸術において指導的立場にあった瀧口の存在が改めてクローズアップされる展示だった。

1 「瀧口修造と戦後美術」展チラシ「瀧口修造と戦後美術」展チラシ


2 同上出品リスト同上出品リスト


3 同上カタログ同上カタログ


 このとき瀧口の書斎にあった作家たちから贈られた作品やオブジェなどが初めて公開された。だが、かつて「私の部屋にあるものは蒐集品ではない。その連想が私独自のもので結ばれている記念品」(「白紙の周辺」より)であったはずの「物」たちは主を失い、どこか所在なげに私の目には映った。一方で、デカルコマニーの連作「私の心臓は時を刻む」(1962年南画廊個展発表)には、まさにその「発生の現場」に私自身も立ち会っているような感動を覚えた。

4 瀧口修造の書斎(美術手帖1981年8月号より)瀧口修造の書斎(美術手帖1981年8月号より)


5 瀧口修造個展カタログ(1962年南画廊)瀧口修造個展カタログ(1962年南画廊)


 その後十六年間、美術館で瀧口修造をテーマとした展覧会は開催されることがなかったが、1991年から刊行が始まった著作集「コレクション瀧口修造」(みすず書房)が1998年7月に全13巻・別巻1をもって完結するのに合わせるかのように大阪の国立国際美術館で「瀧口修造とその周辺」展が開催されることになった。

6 コレクション瀧口修造全13巻・別巻1(みすず書房)コレクション瀧口修造全13巻・別巻1(みすず書房)


 同展の企画に協力していた土渕信彦さんから、このカタログの瀧口修造展覧会歴に私が松山で行った「滝口修造と画家たち展」(1989年)を載せるので、担当学芸員の島敦彦さんへその時の資料を送ってほしいとの連絡を受けた。ささやかな小展示が公の展覧会カタログに紹介されることになろうとは思いも寄らなかった。やがて招待状と素晴らしいポスターが届きオープンの日に合わせて見に行くことになったが、その会場で新たな出会いが待っていたのである。

7 「瀧口修造とその周辺」展ポスター(国立国際美術館)「瀧口修造とその周辺」展ポスター(国立国際美術館)


 本展は先の富山における展覧会の趣旨を受け継ぎながらも、海外の作家を含めてグローバルな瀧口の活動を紹介するものとなり、カタログもコンパクトに纏められ島さんの解説と資料が大変参考になった。

8 同上パンフレット(表)同上パンフレット(表)


9 同上(裏)同上(裏)


10 展示風景展示風景


11 同上カタログ同上カタログ


 この会場で土渕さんからマン・レイ・コレクターの石原輝雄さん、多摩美術大学図書館の恩蔵昇さん、富山県立近代美術館学芸員の八木宏昌さん、瀧口ファンの竹内一人さんたちを紹介された。そして、同館のシンボルとなっているミロの巨大な陶板画「無垢の笑い」の前で記念写真を撮った。後日、撮影者の石原さんから写真と共に手紙をいただいたが、親しみと共感を抱く内容で、これが機縁となって瀧口に関連した展覧会などでお会いするようになり交友が深まっていった。

12 ミロ陶板画前にて記念写真(撮影・石原輝雄)ミロ陶板画前にて記念写真(撮影・石原輝雄)


13 石原さんからの手紙石原さんからの手紙


 石原さんについては「カメラ毎日別冊・マン・レイ」(1984年刊)や「第9回オマージュ瀧口修造―マン・レイ展」(佐谷画廊1989年)の執筆者の一人として名前は知っていたが、土渕さんから送っていただいた「石原輝雄コレクション 我が愛しのマン・レイ展」(名古屋市美術館1996年)のカタログを拝見して、筋金入りのコレクターにして研究者であることを了解した。
14 カメラ毎日別冊カメラ毎日別冊


15 「第9回オマージュ瀧口修造―マン・レイ展」カタログ「第9回オマージュ瀧口修造―マン・レイ展」カタログ


16石原輝雄コレクション展カタログ(名古屋市美術館)


 マンレイスト(Man Ray Ist)を名乗り、銀紙書房と名付けた全てが石原さんの手に成る個人出版によってその収集と研究の成果を次々と発表され、いずれも少部数だが手作り本としての魅力にあふれている。2005年に刊行された「マン・レイの謎、その時間と場所」は、日本での大規模な巡回展の様子を伝えるとともに石原さんによるマン・レイ作品の謎を巡る旅のドキュメントである。一見市販本と見紛う体裁だが中身は石原さんならではの仕掛けが施され、限定50部というのがいかにも惜しまれる。石原コレクションで特筆すべきは数千点に及ぶというエフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)であろう。過去から現在に至る世界各地で開催された展覧会資料等の追跡の様子が石原さんのブログ「マン・レイと余白に」で逐次報告されている。

17 石原輝雄著「マン・レイの謎、その時間と場所」(銀紙書房)石原輝雄著「マン・レイの謎、その時間と場所」(銀紙書房)


18 同書より同書より


 恩蔵昇さんは「第13回オマージュ瀧口修造―アンドレ・ブルトンと瀧口修造展」(佐谷画廊1993年)カタログの執筆者として初めてその名前を知ったが、「瀧口修造の書斎」と題されたその文章に魅かれるものを感じた。写真で見る瀧口の書斎にある作品やオブジェ、本などに目を凝らしていたかつての自分を重ね合わせて読んでいた。

19「第13回オマージュ瀧口修造展アンドレ・ブルトンと瀧口修造」カタログ


 瀧口の蔵書のほとんどが綾子夫人から多摩美術大学図書館に寄贈され「瀧口文庫」として書庫に収められることになり、その整理を担当していたのが恩蔵さんだった。1996年に「瀧口文庫」コレクションの中からポスターだけを選んだ展示が行われるとの情報が土渕さんからあり、そのカタログを注文するために恩蔵さん宛に手紙を出したが、その返事には是非「文庫」を見に来ていただきたいと書かれてあった。恩蔵さんによれば「資料の内容は、和書約3,500冊、洋書2,500冊、雑誌3,000冊さらにポスター約200点およびグルッポTの作品資料など約一万点におよぶ。」という膨大な量である。1999年の6月に多摩美術大学上野毛図書館に資料展示室が開設されたとの手紙と資料を送っていただいたので、その夏に恩蔵さんを訪ねて「瀧口文庫」を見せてもらったが、その数の多さからほとんど眺めるだけで終わってしまった。

20 「瀧口修造文庫ポスターコレクション」展チラシ「瀧口修造文庫ポスターコレクション」展チラシ


21 同上カタログ同上カタログ


22 同上カタログより同上カタログより


 八木宏昌さんは私たちよりも若い世代で学芸員の仕事を通して瀧口をどのように捉えているか興味を感じていた。大阪で初めてお会いした後に富山県立近代美術館から刊行されたばかりの「私の心臓は時を刻む」の作品図録を送っていただいた。瀧口のデカルコマニー連作百点が全てカラーで、しかも一点一点の作品データまで収録されている。瀧口修造初の造形作品集として私にとっても待ち望んでいたものだった。

23 瀧口修造「私の心臓は時を刻む」(富山県立近代美術館)瀧口修造「私の心臓は時を刻む」(富山県立近代美術館)


24 同書より同書より


 八木さんからの手紙には「今という時は、瀧口さんを語るうえで客観的な見方のできる時代だと思います。(中略)現代的な仕事をしながら瀧口さんを追い求めることに疑問を覚えられるかもしれません。しかし、私にとっては、今なお開かれた瀧口さんの目というものが、私の現代美術を見る目に大きく影響しているのです。」と書かれてあった。
せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20171120_瀧口修造瀧口修造
《-06》
水彩、墨、紙
Image size: 31.7x16.8cm
Sheet size: 31.7x16.8cm
Signed


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

本日11月20日(月)17時から銀座のギャラリーせいほうで宮脇愛子展のオープニングが開催されます。皆さまお誘いあわせの上、是非お越しください。私達もスタッフ全員参加します。
201711MIYAWAKI「宮脇愛子展 last works(2013〜14)」
会期=2017年11月20日[月]〜12月2日[土]
※日・祝日休廊

会場=ギャラリーせいほう 
〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目10-7 東成ビル1F
電話:03-3573-2468
最後の新作である油彩を中心に立体(ガラス、真鍮)、ドローイング、版画など。


◆「メキシコ地震被災地支援・チャリティー頒布会」の予約申し込みを連日、多くの方からいただき、スタッフはその対応にてんてこ舞いです。ミロ、シャガール、向井良吉、吉仲太造などに申し込みが集中しており、抽選になります。このままだと一点もお買いになれない方が続出し、せっかくのメキシコ地震被災地支援のお気持ちが無になりかねません
どうぞ皆さん、複数の作品を申し込んでください。
201711mexico
会期:2017年11月28日(火)〜12月2日(土)
出品100点のリストは11月11日ブログに掲載し、予約受付を開始しました。
全作品、一律8,000円で頒布し、売上金全額を被災地メキシコに送金します。
※お申込みの返信は、翌営業日となります。(日・月・祝日は休廊です。)


◆ときの忘れものは「細江英公写真展」を開催しています。
会期=2017年10月31日[火]―11月25日[土]
293

細江先生は秋の叙勲で旭日重光章を受章されました。
●会期中、細江英公サイン入り写真集を特別頒布しています。

●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円

*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
(NA建築家シリーズ 特別編 日経アーキテクチュア)
価格:2,700円+税 *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
安藤先生のサイン本をときの忘れもので扱っています。

六本木の国立新美術館では「安藤忠雄展―挑戦―」が開催されています。
会期:2017年9月27日[水]〜12月18日[月]
番頭おだちのオープニング・レポートはコチラを、光嶋裕介さんのエッセイ「安藤忠雄展を見て」と合わせてお読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は毎月5日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・関根伸夫のエッセイ「〈発想〉について[再録]」は毎月12日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は終了しました。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は終了しました。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第8回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第8回

 前回紹介した戦前におけるシュルレアリスムのグループ「繪畫」のメンバーのなかで最もダリの影響を受けた絵を描き、瀧口修造と晩年まで交流があったのは浜田浜雄である。戦中から戦後間もない時期にかけて頻繁に往来し、蔵書家でもあった浜田が戦火で一切の蔵書を失った瀧口の依頼を受けて美術関係書を貸したり、瀧口も浜田を気遣い創作への励ましや仕事の紹介をしていたことが浜田の日記や往復書簡によって知られている。(「生誕100年浜田浜雄展〜造形の遊戯場〜」米沢市上杉博物館・2015年刊より)

01浜田浜雄「タイム・キーパー」1938年作(生誕100年浜田浜雄展・米沢市上杉博物館)カタログより


02同展カタログ


 また、「みすず233」の瀧口修造追悼号に浜田は「あのころ」と題して寄稿し、1940年頃の交流の一端が綴られているが、「和製ブルトン氏」と称するほど畏敬し瀧口の存在なくしてシュルレアリスムの影響は考えられなかったのだろう。

03みすず233号(みすず書房1979.9-10)


04同上書より


 浜田は1951年に瀧口の勧めによりタケミヤ画廊で個展を行っているが、以後は画家としての影は潜め、大辻清司らと「グラフィック集団」を結成するなどグラフィックデザイナーとして活躍した。

05タケミヤ画廊個展案内状とポートレート(生誕100年浜田浜雄展カタログより)


06グラフィック集団について(同展カタログより)


 私は三輪田先生に連絡していただき1990年2月末、上京の折に渋谷区神宮前のマンションに一人で住んでおられた浜田さんを訪ねた。その時の経緯は瀧口修造研究会会報「橄欖」第一号にも書いたが、肝心の瀧口についての話を伺うことができなかった。その原因は私にあり、初対面とはいえ浜田さんについて無知に等しかったためである。

07「橄欖」第1号


 浜田さんは75歳になっており、独り暮らしが長かったせいか隠棲しているような印象を受けた。静かな口調で身辺のことを話されたり、ブルーノ・ムナーリの珍しい仕掛け本を見せていただいたりしたが、浜田さんのなかにイロニーの精神が潜んでいることを感じていた。後に三輪田先生が「彼は寡黙な人のようにも見えたが、澄んだ眼に薄笑いを秘めたような魅力があった。」(2006年米沢市上杉博物館「企画展浜田浜雄」カタログより)と述べていたのでデュシャンのイメージと重なるようなところがあったのかもしれない。グラフィックデザインやオブジェに見られるユーモアや風刺的な表現に加えて「たばこの灰で30センチぐらいの高さのオブジェを2か月位かかって作り上げたり、蝋燭で鳥や馬を作り羽根やたてがみが夏の熱さでグシャ!と突然壊れる」のを独りで楽しんでいたというのもダダの精神に通じるものだろう。(「浜田先生の思い出」薬師神親彦「E+D+P 癸苅機彭豕エディトリアルセンター1996年刊より)

08企画展浜田浜雄カタログ2006年


09グラフィックデザインの作品(生誕100年展カタログより)


10オブジェの作品(同上)


11「E+D+P 癸苅機1996年


12同上


 かつては同じ原宿にあった広い庭付きの家にアトリエを構え、夥しいオブジェに囲まれて眞記子夫人と優雅に暮らしていた。その頃の様子は「季刊銀花」(文化出版局1970年第4号・冬)に紹介されているが、浜田浜雄の頭文字の「二つのH」をフランス語に訳するとデブラーシスと読むところから自らをバロン・ダルゴス・デブラーシスと名乗り、高踏的な遊戯に興じていたりもした。1971年6月に夫人を亡くされてからこのマンションに移っていたのである。(瀧口は夫人の死去に際して浜田へ追悼詩を送っている。)

13「季刊銀花4号・冬」(文化出版局1970年)より


14追悼詩「コレクション瀧口修造」第5巻(みすず書房刊)より


 訪問から暫くして瀟洒な和紙の便箋に毛筆でしたためられたお手紙をいただいたが、その封筒の裏に「二つのH」を型取った封蝋が押されていたのも浜田さんならではのエスプリの名残りだったのだろう。

15封筒裏の封蝋


 その後「太陽」の特集号「瀧口修造のミクロコスモス」(1993年4月平凡社刊)が出たとき、浜田さんにこの雑誌をお送りしたのだが、しばらく経って返送されて来た。実は浜田さんが写した瀧口の写真も掲載されており、ご本人はすでに持っておられたのである。にもかかわらず丁重な礼状をいただいたが、そこには病院を転々とし身体の不如意に悩まされていることなども記されていた。

16「太陽」1993年4月平凡社刊より


17浜田さんの手紙(1994年10月31日付消印)


 三輪田先生から浜田さんの訃報を受けたのは、それからわずか1か月半後のことだった。その臨終に立ち会ったのが弟子にあたる薬師神親彦さんである。薬師神さんは宇和島市出身のグラフィックデザイナーで、東京のデザイン事務所の代表を務めている。1961年に受験で上京し、三輪田先生の紹介で浜田のアトリエを訪ねてから交流が始まり、桑沢デザイン研究所在学中から薫陶を受け、晩年まで最も身近に接して厚い信頼を受けていた方である。浜田の歿後に遺された膨大な資料や蔵書の整理にあたられた薬師神さんから浜田が保存していた瀧口に関連する資料のコピーを頂戴する幸運に恵まれた。私が瀧口に関心を持っていることを三輪田先生から知らされていたのである。驚くことにその中に瀧口が戦時下に書いたと思われる未発表詩2編が含まれていた。これについては「橄欖」第三号に詳しく紹介しているが、「倭し美し」「城」と題され、明らかにあの実験的な詩群とは異なり時局への配慮を窺わせる内容である。おそらく他の詩人たちとのアンソロジーとして編まれ、ゲラ刷りの段階で何らかの事情により発表されなかったものと思われる。

18瀧口修造「倭し美し」


19瀧口修造「城」


20「橄欖」第3号


 1996年2月に渋谷区立松濤美術館で初の回顧展として「特別陳列 浜田浜雄―シュールレアリスムの世界―」展が開催されたが、ご遺族と薬師神さんの全面的な協力により実現したものである。

21「特別陳列浜田浜雄シュールレアリスムの世界」展パンフレット


22同展カタログ


 その3か月後に宇和島市の薬師神さんのご自宅でその作品の一部が公開されることになり、松濤美術館学芸員の瀬尾典昭さんや土渕信彦さんも宇和島に来られた。思うに、この宇和島で浜田浜雄作品展が開かれたのは薬師神さんのご尽力もさることながら、浜田・三輪田の二人の絆がもたらした出来事であり、土渕さんや私がその場に立ち会うことができたのも瀧口の導きであるような気がした。

23浜田浜雄作品展(宇和島市・薬師神邸)


24同上


25同展にて(左より三輪田俊助、土渕信彦、清家克久、薬師神親彦)


26同上記事(愛媛新聞)


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

◆清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20171020_takiguchi2014_II_03瀧口修造
《II-3》
デカルコマニー、水彩、紙
イメージサイズ: 14.2×5.1cm
シートサイズ : 14.2×5.1cm


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

■『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』を刊行しました。
瀧口修造展 I』、『瀧口修造展 II』よりページ数も増えました。
2017年10月末までにお申し込みいただいた方には特別価格:2,500円(税、送料サービス)でおわけします。メールにてお申し込みください。請求書を同封して代金後払いで発送します。
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TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』
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ときの忘れもの 発行
92ページ  21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
ハードカバー  英文併記
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
通常価格:2,500円(税別)、送料250円

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第7回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第7回

 宇和島市在住の画家で戦前にシュルレアリスムの影響を受け、瀧口とも交流のあった三輪田俊助先生に当時のお話を伺いたいと思い、初めてご自宅を訪ねたのは1980年代中頃のことだったと記憶する。道路に面した生垣、奥の玄関へ続く煉瓦を敷いた通路脇の植込みや中庭の佇まいに植物を愛する画家のまなざしを感じた。

01三輪田先生の家


01-2中庭


01-3三輪田俊助先生(1997年回顧展カタログより)


 アトリエに入ると正面の大きな掛時計が目に付くが、昔測候所で使われていたものだそうである。描きかけの絵やモティーフとなる静物の類が所狭しと置かれ、ここで画家は日々思索を重ねながら制作されているのだろう。

02アトリエ


03同上


04同上


 この訪問がきっかけとなり度々お宅にお邪魔するようになったが、先生はいつも旺盛な好奇心と探求心に溢れ、お話し好きで瀧口修造のイメージと重なるようなところがあった。控えめで寄り添うようにしておられる奥様も瀧口夫人に似通った印象のある方だった。愛媛の洋画家を代表する一人であり、度々宇和島に取材に訪れた小説家の司馬遼太郎とも交流があった。司馬遼太郎は「街道をゆく」のなかで、三輪田先生が史跡である城山に市が武道館建設を計画していることを知り、「城山の緑を守る会」を立ち上げて反対運動をした経緯について書いている。また、庶民の視点で戦争の悲惨さを後世に伝える「宇和島の空襲を記録する会」の冊子に毎回表紙絵と挿絵の提供をされていることも先生の人間性の一面を伝えるものである。

05司馬遼太郎「街道をゆく」(朝日文芸文庫版)


06城山と「緑を守る会」マイクの前に立つ三輪田先生(季刊えひめ)


07「宇和島の空襲」表紙絵


 三輪田先生は1913年に宇和島和霊神社の宮司の二男として生まれ、國學院大学に進学するが、洋画家で水彩画家として知られた中西利雄と偶然の出会いから親しくなり、絵に興味を持つようになった。いきなり日本水彩画展に出品して入選し、猪熊弦一郎の研究会に参加したり川端画塾でデッサンを学ぶようになり、遂には親に無断で1935年に帝国美術学校(現武蔵野美術大学)に転入学するが、徴兵のこともあり「画家になりたい、というよりもそこへ行くよりほか、もう行き場がないといった追いつめられた気持ちだった。」と当時を述懐している。
自由な校風のなかで新しい芸術思潮であるシュルレアリスムに魅かれ、1937年に学友の浜田浜雄ら6人でグループを結成する。翌年の5月頃からほぼ月に一回瀧口修造を招いて批評会を行い、12月に「繪畫」第一回展を銀座の紀伊国屋画廊で開催した。瀧口が第一回展評を「アトリエ」に発表するが、その中で「二、三を除いてダリのエピデミックな影響はよいにつけ悪いにつけ考えさせられた。」と評される。

08グループ「繪畫」のメンバー(左より浜田浜雄・石井新三郎・武内秀太郎・三輪田俊助・田中素生・田中坦三)


09「繪畫」第1回展ポスター(左)


10「繪畫」第1回展評と浜田浜雄作品(日本のシュールレアリスム展カタログより)


 しかし、意外にも瀧口から「君の絵はルネ・マグリットのようだ。」と言われたそうである。たしかに大地に屹立する大きな蝶を描いた「風景」と題する作品は、「だまし絵」のように見える。蝶の翅は朽ちた葉であり、胴体は蓑のようで、左前方に落ちている翅の破片はまるで飛行機の残骸を想わせる。本人は、「アトリエから見た吉祥寺の景色に、ここに偶然蝶を置いたらどうなるだろうという発想。背景は常に身辺的風景ですが、非合理的な世界をきちっと見せたいという気持ちでした。」と語っている。この作品は「急速に戦時体制へと傾斜していく時代のなかで抑圧され、傷ついていく前衛美術そのものを象徴しているかにみえる。」(大熊敏之「日本超現実主義絵画にみる蝶と貝のモティーフ」蝶の夢・貝の幻1927〜1951展・三岸好太郎北海道立美術館1989年)と評されるなど、日本のシュルレアリスムの代表的な作品としてしばしば取り上げられることになる。

11三輪田俊助「風景」(蝶の夢・貝の幻展カタログより)


12同上カタログ


13「東京モンパルナスとシュールレアリスム展」カタログ


14同上カタログより


 「繪畫」としての活動は1940年6月の第四回展をもって終わり、やがてグループも解散するが、1941年6月には杉並署に拘留されていた瀧口のもとへ仲間の浜田、立川と一緒にお金を出し合って果物の差入れをしたこともあったという。卒業後は「旬刊美術新報」の編集の仕事に就くが、1942年に応召され徳島連隊で三年間を過ごし終戦を迎える。

15「繪畫」第4回展リーフレット


16旬刊美術新報


 帰郷したものの空襲で家は焼け跡となり、そこにバラック小屋を建て父母と一緒に自給自足に近い生活を送っていた頃、知人から貰った油絵具で拾ったタイルに描いたのが「少女像」だった。わずか15センチ四方の小品だが、市井の人々の復興に向けた暮らしをバックに純真な眼差しの少女の凛とした姿が胸を打つ。また、宇和島の「城山」を描いた作品はまさに「国破れて山河在り」を象徴しており、画家としての新たな出発を告げる重要な作品となった。

17「少女像」1946年作(三輪田俊助展カタログより)


18「城山」1946年作(同上)


 戦後は中学校教員として勤務する傍ら、中央画壇や公募展とは一線を画し「愛媛現代美術家集団」や「シコロ」など革新的なグループを結成し、地方での活動が中心となるが、1964年に銀座のサエグサ画廊で行った個展では、現代画廊を経営し「気まぐれ美術館」の著者で友人でもある洲之内徹が「美しい白と青」と題して展評(愛媛新聞)を寄せ、「仕事のほうはすこしも中央との距離やずれを感じさせない。」と書かれたことが励みになったという。「戯れ」「白い部屋」などの作品には抽象表現主義の影響も見られ、常に新しい表現を追求していたことが伺える。

19「戯れ」1964年作(三輪田俊助展カタログより


20「白い部屋」1964年作(同上)


 その二十年後の1984年には美術評論家の坂崎乙郎の紹介で東京新宿の紀伊国屋画廊で新旧の作品による個展を行っている。

21三輪田俊助展リーフレット(1984年)


22同上


23「高窓の家」1963年作(三輪田俊助展カタログより)


24「廃園にてA」1982年頃作(同上)


 1997年にはそれまでの画業の集大成として、町立久万美術館で回顧展が開催されることになった。そのカタログに先生の盟友である浜田浜雄さんやシュルレアリスム研究家で板橋区立美術館主任学芸員(当時)の尾崎眞人さんらと共に私が寄稿させていただくことになったのは、先生と松岡義太館長(当時)の強いお勧めがあったからである。

25三輪田俊助回顧展パンフレット


26同展カタログ表紙「植物のかげE」1989年作


 そして、展覧会の感想のつもりで書いた文章を先生が愛媛新聞社に紹介し、それが展評として掲載されることになったのである。そのなかで私が言いたかったのは、先生が一貫してシュルレアリスムの精神を持った画家であり、単に「土着の画家」と呼ばれることに異を唱え、優れた画家は住む場所がどこであれ、自然や人間の営みのなかに潜む宝(本質)を見出し、普遍性に達する表現ができるということだった。先生自身も画業を振り返って「風景と自分との関係性というか、無意識の世界を引き出して行く感じです。それはつまり、シュールレアリスムの発想。要するに六十年たって、手法は違うけど、らせん階段を上がるように元のシュールに戻って来たんだね。」と語っている。

27三輪田俊助回顧展評(愛媛新聞)


 2012年には松山市のミウラート・ヴィレッジで「ふるさとを愛した画家三輪田俊助展」が開催され、先生はそれから三年後の2015年5月30日に百一歳の天寿を全うされたが、百歳を超えてもなお、絵筆をとっておられたそうである。

28三輪田俊助展パンフレットより「船影」2012年制作


※三輪田先生の経歴と言葉は主に1997年2月に愛媛新聞紙上に4回に分けて連載された「三輪田俊助が語る〜時代の風景・心の光景」を参考にさせていただいた。

せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

◆清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20170920_takiguchi2014_I_16瀧口修造
《I-16》
インク、紙(郵便はがき)
イメージサイズ:14.1×10.2cm
シートサイズ :14.1×10.2cm

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


埼玉県立近代美術館では15年ぶりとなる「駒井哲郎 夢の散策者」展が開催されています。
会期:2017年9月12日[火]〜10月9日[月・祝]
企画を担当された吉岡知子さん(同館学芸員)のエッセイ<企画展「駒井哲郎 夢の散策者」に寄せて―武田光司氏のコレクション>をお読みください。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第6回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第6回

 1989年は瀧口修造没後10年目にあたり、その記念として私のコレクションだけで小展示をすることを思い立った。きっかけとなったのは、その年の3月に大阪の青井画廊で「オマージュ瀧口修造展」が開かれた事だった。画廊に問い合わせると個人コレクターのもので、展示作品の写真を送ってもらったが「妖精の距離」「デュシャン語録」「檢眼圖」「漂流物標本函」に水彩作品や原稿等、驚くほどの内容で私のコレクションなどその比ではなかった。

1案内状


2展示作品


3同上


4同上


5同上


 それに刺激を受け、ささやかなコレクションながら愛媛で初のオマージュ展をやってみたいと思ったのである。しかし、私一人では自信がなく、尊敬している宇和島市在住の画家で戦前にシュルレアリスムの影響を受け瀧口とも交流のあった三輪田俊助先生にご相談すると賛同と協力のお言葉をいただき決意が固まった。

6三輪田俊助先生(1997年2月22日付愛媛新聞記事)より


7「日本のシュールレアリスム1925〜1945」展カタログより(左頁右下・三輪田俊助作品)


 会場については松山市の画廊での開催が念頭にあり、市の中心部に位置する三番町の「タカシ画廊」に目星を付けていた。ここは、以前東京銀座の「画廊轍」の松山店として1983年に「瑛九展」が開催され、独立し移転してからは1985年に「宇樹夢舟銅版画展」を行い、その折に発行されたリーフレットに美術評論家の瀬木慎一が寄稿し瀧口のことに触れていた経緯もあり、この画廊なら引き受けてもらえそうな予感があった。

8タカシ画廊


9「瑛九展」リーフレット


10同上


11「宇樹夢舟銅版画展」リーフレット


12同上


 4月頃だったか、いきなり画廊を訪ねて画廊主の隆彰雄さんに面会した。趣旨を説明すると画廊企画としては無理だが、2日間程度なら無償で場所を提供してもよいとのご返事をいただいた。丁度瀧口の月命日の7月1日と翌2日が土曜日曜にあたり、私も仕事を休まなくて済むのでわずか2日間ではあるがその日に開催することが決まった。
テーマは「滝口修造と画家たち展」として「マルセル・デュシャン語録」A版を中心に画家との共作である詩画集や瀧口のデカルコマニー1点、加納光於とサム・フランシスの版画各1点を展示することにしたが、それが当時のコレクションの全てだった。
すぐに案内状とカタログ的なリーフレットの作成に取り掛かり、案内状のデザインは「デュシャン語録」に収録されている「self-portrait」を用いることにした。印刷費用を安くするためでもあったが、黒と黄色の2色刷りはシンプルでインパクトがあると思った。

13案内状・表


14案内状・裏


 リーフレットは「瀧口修造の詩的実験1927〜1937」(1967年思潮社刊)に付いている「添え書き」を参考に黄色い紙を三つ折りにすることにした。序詞として大岡信と加納光於の共作のオブジェの函に寄せて書かれた瀧口の詩「アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々」の冒頭の一節を載せたのは、瀧口自らが詩人と画家の間にあって創作するなかで書くこと描くことの意味を問うキーワードだったからある。そして、開催趣旨と出品リストの他に瀧口の生涯と業績のあらましがわかるように自筆年譜と著作年表から抜粋して略年譜を作成した。友人が営む印刷所に頼んで格安で出来上がったが、折りたたむと長形3号の封筒に納まるサイズで内容ともに自分でも納得できるものだった。

15「詩的実験」添え書き


16リーフレット表紙


17出品リストと序詞


18略年譜と開催趣旨 (2)


18-2即席のポスター


 展示にあたっては、画廊の壁面を埋めるほどの作品数がないので「デュシャン語録」の作品を一点ずつ額装することに決めていたが、三輪田先生が自前の額縁にマットを切って余白を活かした額装をしてくださったのは大変有難かった。瀧口関連の展覧会などでは本冊と一緒に平台に並べて展示されるのが通例だが、それぞれが独立した作品としての存在感を発揮しているようで新鮮に映った。
開催当日の朝、自家用車に作品を積んで画廊へ運び、開廊までに準備する時間は2時間ほどしかないという慌しさだった。詩画集の展示用にレンタルしていたショーケースと長机の搬入や、一人での慣れない飾り付け作業に手間取っているのを見かねて画廊主が手伝ってくださり、ポスターも用意してなかったがリーフレットと案内状を組み合わせて即席に作ってもらい何とかオープンに間に合った。

19展示風景


20同上


21同上


 天童さんから祝電と友人からお祝いの花が届いた。事前に新聞社に案内状を送り告知もされてはいたが、どこからも取材はなく2日間を通して友人の他に訪れた客は少なく、残念ながら目論見に反した結果に終わってしまった。

22毎日新聞(1989年6月17日付)より


 しかし、後日土渕信彦さんから思いがけないお手紙をいただき、そこには次のように記されていた。
 「拝啓 先日は滝口修造と画家たち展のカタログをお送りいただき、どうも有難うございました。何という素晴らしいカタログでしょう!封筒を開けるとすぐあのなつかしい黄色が眼に飛びこんできました。この黄色を見ただけでもう胸が高鳴ってしまいました。そっと頁を開けて出品リストを拝見すると主要な詩画集が網羅されています。愛媛にいらっしゃってここまでお集めになるというのは大変なご努力だっただろうと頭が下がります。また、略年譜もポイントがきっちりと実に的確におさえられており、瀧口修造に対する真のアクチャリテが如実にあらわれています。このように純粋な、瀧口氏に対する敬愛の念が感じられるお仕事に接したのは実に久しぶりであるような気がします。私自身がノアであると言うつもりは全くありませんが、どうやらアララットの山腹に漂着した感のある今の私にとって、このカタログはまさにオリーブの小枝か、あるいは空の蜜のようなものであるといっても過言ではないと思います。文字どおり感激しました。」
 過分な讃辞で恐縮したが、土渕さんからこのように評価されたことは何よりの励みとなり、行ったことが無意味ではなかったと思えた。そして、このことが後に新たな出会いをもたらすことになろうとは予想もできなかった。
せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
II-10(137)瀧口修造
《II-13》
デカルコマニー、紙
Image size: 7.3x12.6cm
Sheet size: 9.8x13.7cm
※富山近美76番と対

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清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第5回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第5回

 瀧口綾子夫人の連絡先は自由が丘画廊の実川さんに教えていただいたが、あの書斎のあった新宿西落合の家を出られてから何度目かの転居の後に神奈川県足柄上郡大井町にある実弟の鈴木陽さんの家の近くのアパートに住まわれていた。お手紙によれば「絵画等は郷里の富山県立(近代)美術館に寄託、蔵書は多摩美大図書館に寄贈しました。」とあり、身辺にあって大切に保管していた瀧口の作品や原稿類などの整理にようやく手を付け始めたばかりとの事で、弁護士に相談をしているが著書の出版さえままならないと嘆いておられる状態だった。そうした中で1985年7月に佐谷画廊が第5回オマージュ展として瀧口修造の絵画作品の展示を行った。ドローイング、水彩、バーントドローイング、デカルコマニー、ロト・デッサンなど160点余りが展示されたが残念ながら見に行くことができなかった。

01「第5回オマージュ瀧口修造展」カタログ


02同上カタログより


 だが、購入可能な作品もあるということを聞き、天童さんに依頼してその中から1点のデカルコマニーを選んでもらうことにした。カタログにも掲載されているが、サインは無く1960年代に制作されたモノクロームの作品である。それまでは瀧口の絵画作品が一般に売りに出されるような機会はほとんどなかったのではないだろうか。

03デカルコマニー作品(1960年代)


 翌年の2月には京橋のM.ギャラリーでも「画家としての瀧口修造展」が開かれることになり、綾子夫人から案内状が届いた。初日には間に合わなかったが所用で上京した折に見に行ったところ、すでにほとんどが売約済みとなっていた。後日、記名帖を見られた綾子夫人からお礼の手紙と共にこのカタログが贈られてきたのには恐縮してしまった。

04「画家としての瀧口修造展」案内状


05同上カタログ


06同上カタログより


 土渕さんに初めてお会いしたのは1987年7月1日、佐谷画廊の第7回オマージュ瀧口修造展「マルセル・デュシャンと瀧口修造」の折ではなかったかと記憶している。この展覧会は一画廊の企画としては充実した内容で、デュシャン夫人と綾子夫人から借りてきた作品に加え、「大ガラス」東京版レプリカ制作のために瀧口が遺していた「シガー・ボックス」と呼ばれるメモなどが入った箱とガラスの試作品「チョコレート磨砕器」などが展示されていた。この日、美術評論家の東野芳明さんが画廊の入口に突然現われ、ガラスのドアを一瞬開閉するやいなや立ち去って行ったのを目撃した。酔っているようにも見えたが、東野さんならではのパフォーマンスではないかと私は思った。

07「第7回オマージュ瀧口修造展」カタログ


08同上カタログより


09同上カタログより


 その晩には有楽町のレバンテという会場で瀧口修造を偲ぶ「橄欖忌」が催され、佐谷画廊の手配で私にもその案内状が届いていた。実験工房のメンバーで作曲家の秋山邦晴さんが世話人代表となり、瀧口綾子夫人、武満徹、吉岡実夫妻、漆原英子、北代省三、池田龍雄、岡崎和郎、篠原佳尾、岡田隆彦、吉増剛造、阿部良雄、海藤日出男さんなど、これまで写真でしか見たことがない錚々たる顔ぶれの集まりであった。私は佐谷さんや土渕さんの他に知る人もなく、場違いな所へ来たと感じながら来場者を眺めているしかなかった。武満徹さんが入ってきたときは、まるで武術の達人のように見えたし、当時私が最も傾倒していた詩人吉岡実さんにも近寄ることすらできなかった。吉増剛造さんは懇談に加わらず、独り椅子に座ってカタログを見ていた。綾子夫人にもこの時初めてお会いしたのだが、土渕さんの紹介でご挨拶するだけが精一杯だった。

10橄欖忌案内状


11瀧口綾子夫人(中央)


12左より北代省三、武満徹、海藤日出男


13左より池田龍雄、漆原英子、吉岡実夫妻、篠原佳尾


14左より松澤宥、漆原英子、池田龍雄、岡崎和郎


15左より山口勝弘、吉増剛造


 翌日は竹芝桟橋の近くにある雅陶堂ギャラリーの「ジョゼフ・コーネル展」を見に行った。
「Crystal Cage(水晶の鳥籠)[ portrait of Berenice ](ベレニスの肖像)」というテーマで、コーネルにとって重要な作品とされているものである。
 
16ジョゼフ・コーネル展案内状


17ジョゼフ・コーネル展会場


 ベレニスは永遠の若さの象徴としての架空の少女の名前で、このカタログに寄せてサンドラ・L・スター女史は「コーネルが愛してやまなかった物語の主人公たちをもとにし、事実とフィクションを織り混ぜて作り上げられた夢の子供なのだ。」と解説している。それは一つの作品として顕在しているのではなく、「一個のトランクの中に閉じこめたさまざまな素材の風変わりなアッサンブラージュ(集積)として表現した。」ものなのである。さらに、コーネルとデュシャンの関係に触れて、デュシャンの「大ガラス」のための制作メモを収めた「グリーン・ボックス」などから着想を得たのではないかとも述べている。

18「ベレニスの肖像」(ジョゼフ・コーネル展」1992年・神奈川県立近代美術館カタログより


19グリーン・ボックス(「マルセル・デュシャンと20世紀美術展」2004年国立国際美術館カタログより)


 コーネルの作品を見たのは初めてで、他に箱の作品5点とコラージュ作品4点が展示されていた。コーネルの箱を見ると、小学生の頃に夏休みの図画工作の課題で海藻や珊瑚の絵を背景に糸で釣られた色んな魚たちが泳いでいる紙箱で作った水族館や昆虫の標本箱の記憶が蘇る。巧緻を極めた美しいコーネルの作品は童心を呼び覚まし、ノスタルジーを掻き立てる。

20第3回ジョゼフ・コーネル展カタログ


21同上カタログより


 雅陶堂ギャラリー(現・横田茂ギャラリー)は海岸に面した倉庫の4階の一角をギャラリーに転用し、その広い空間を活かした展示と取り扱う作家に特徴があり、画廊主の横田茂さんは古美術商としての経験と現代美術への造詣を併せ持ち、長く残る本物の美術しか扱わないというポリシーを持った方である。

22鈴江第3倉庫・4階に横田茂ギャラリー


23横田茂ギャラリー


 1978年に日本で初めてコーネルの展覧会を行い、そのときのカタログ制作には瀧口も全面的に協力し、序詩と七つの作品に寄せた断片的な詩を発表していて一冊の詩画集のような趣をもたらしている。1982年に第2回展を行い、この時が3回目にあたるが、それを実現した横田さんの功績は賞賛されねばならないだろう。

24第1回「ジョゼフ・コーネル展」カタログ


25同上カタログより


26同上カタログより


 この東京でデュシャンとコーネルの展覧会がほぼ同時期に開催され、いずれも瀧口修造へのオマージュとして企画されていたのも不思議な巡り会わせであった。
せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20170720_takiguchi2014_I_11瀧口修造
"I-11"
インク、紙
イメージサイズ:30.5×22.0cm
シートサイズ :35.4×27.0cm

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移転記念コレクション展
会期:2017年7月8日(土)〜7月29日(土) 11:00〜18:00 ※日・月・祝日休廊
※靴を脱いでお上がりいただきますので、予めご了承ください。
※駐車場はありませんので、近くのコインパーキングをご利用ください。
201707_komagome_2出品作家:関根伸夫、北郷悟、舟越直木、小林泰彦、常松大純、柳原義達、葉栗剛、湯村光、瑛九、松本竣介、瀧口修造、オノサト・トシノブ、植田正治、秋葉シスイ、光嶋裕介、野口琢郎、アンディ・ウォーホル、草間彌生、宮脇愛子、難波田龍起、尾形一郎・優、他

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清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第4回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第4回

 1980年に思潮社より「現代詩読本」シリーズの1冊として「瀧口修造」が刊行され、その表紙に使われたのが自由が丘画廊での「窓越しに…マルセル・デュシャン小展示」(1978年)に来廊した時の写真(撮影:安齊重男)である。この展示はデュシャンのコレクター笠原正明さんの所蔵品を主とし「瀧口が監修的な立場で関与した国内初の本格的なデュシャンの個展」(「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展カタログより千葉市美術館2011年刊)であった。

01現代詩読本15瀧口修造


02同上表紙の元となった写真
「瀧口修造とマルセル・デュシャン展」千葉市美術館カタログより


1984年の末頃、自由が丘画廊に瀧口関連の作品を探している旨電話と手紙で伝えたところ、しばらくして画廊主の実川暢宏さんから速達の返事が届いた。その中には先の「小展示」におけるリーフレットと瀧口のオブジェの写真が同封されていた。オブジェはある関係者から預かったもので売価も記されていた。12センチ四方の木箱の中に鳥の羽根とバラの花が白い台紙の上に置かれ、「誰のものか、これは? 瀧口修造 (日付) 綾子へ 庭で拾う」とペン書きの献辞があり、月日は判読できないがその下に‘73と書かれている。1973年といえばマルセル・デュシャン大回顧展のために渡米し「扉に鳥影」が作られた時期と重なり、綾子夫人への贈物であるこのオブジェはデュシャンとの関連も伺わせる。

03「マルセル・デュシャン小展示」リーフレット


04瀧口修造のオブジェ


05「扉に鳥影」
ユリイカ1977年8月号付録より


しかし、写真だけでは判断がつかず、翌年の2月に上京した折に初めて自由が丘画廊を訪れ実川さんから現物を見せていただいたが、これは私のような者が持つべきではないと思ったのは、それがあまりに純粋でプライベートな作品であり、お金で購うことへの抵抗感があったのかもしれない。
瀧口は1962年に出身地の富山市で開催された第15回全国造形教育大会において「今日の美術―オブジェを中心として」と題した講演を行っているが、その下書きにあたる未発表原稿が「オブジェの生命」覚え書として遺されていた。(みすず357号1990年12月)その中で「シュルレアリスムがオブジェというものを普遍化させた最初の体系的な運動」であり、「日本に芸術用語としてのオブジェを流行させた最初の張本人は私であった。」と述べ、オブジェの分類の中でも「本質的で基本的なものはobjet naturel(自然の物体)殊にobjet trouvé(発見されたオブジェ)である。」と結論付けていた。

06みすず357号


07同上収録「オブジェの生命覚え書」


瀧口によるあのオブジェはまさにその典型だろう。後日、私の家の近くにある神社の境内で見つけた鳥の羽根を手紙に添えて綾子夫人にお送りしたら「石神井の庭で拾った羽根を失くしてしまい― 思いがけず濡れた様に美しい鳥の羽根をいただき だれが落した羽根かしらと思いました」との返事をいただいたが、もしかすると失くしたのはあのオブジェの羽根だったのだろうか?

08綾子夫人の手紙


実川さんは初対面の私にも親切に応対してくださり、画廊を始めた経緯や日本ではあまり取り扱われていなかったド・スタールやポリアコフなどの展覧会を行ったこと、駒井哲郎の版画がまだ売れない時期に1枚1万円で仕入れていたことなどを話された。そして、瀧口先生はまるで仙人のような生活を送っていたと語り、あの書斎をそのまま遺せなかったことを惜しまれた。また、デュシャンの「大ガラス」東京版が国有財産として東京大学教養学部美術博物館に東洋美術の考古物と一緒に陳列されていることが面白いと言い、見に行くことを勧められ、その場で「大ガラス」の制作に携わった東大の横山正助教授の助手の方に電話して見学の了解まで取り付けていただいた。翌日、駒場にある美術博物館へ行き「大ガラス」と初めて対面することができた。世界で三つしかない「大ガラス」のレプリカの一つが、この日本にあること自体特筆すべきだが、デュシャン夫人は瀧口修造と東野芳明による監修を条件に制作を許可したそうである。しかし、その完成を見ずに瀧口は逝ってしまったのも「ガラスの遅延」(「急速な鎮魂曲」美術手帖1968年12月号)と言うべきだろうか。

09東京大学教養学部美術博物館パンフレット


10「大ガラス」東京版
(写真・清家克久)


実川さんは瀧口の本を探すなら友人でそうした情報に詳しい人がいると言って紹介されたのが詩人で朗唱家の天童大人さんだった。天童さんからは瀧口の本が見つかるたびに電話や手紙で頻繁に連絡をいただいた。そのおかげで一気に収集が進み、その中には「超現実主義と絵画」「黄よ。おまえはなぜ」「星は人の指ほどの―」「畧説虐殺された詩人」「自由な手抄」など容易に見つけることができないものも含まれていた。

11アンドレ・ブルトン「超現実主義と絵画」
訳厚生閣書店刊1930年


12サム・フランシスとの詩画集「黄よ。おまえはなぜ」
南画廊刊1964年


14野中ユリとの詩画集「星は人の指ほどのー」
私家版1965年


15アポリネール「畧説虐殺された詩人」
訳湯川書房刊1972年


16マン・レイ素描エリュアール詩「自由な手・抄」
訳GQ出版社刊1973年


17同上


このことが機縁となって交流が始まり、ご自身の活動である詩の朗唱や美術展評に関する資料などを送っていただいた。私には朗唱という言葉は聞き慣れないものだったが、聲の持つ始原の力を現代に蘇らせる行為として朗読との違いを強調されていたように思う。天童さんが初めて即興朗唱を試みたのは瀧口の三回忌を目前にした1981年6月26日、東京・六本木のストライプハウス美術館でのイベントにおける「アントナン・アルトー ― 瀧口修造へ ―」と題する作品であったという。(巒気通信創刊号1985年発行)瀧口とアルトーといえば第1巻のみ刊行され絶版となった「アントナン・アルトー全集」(現代思潮社刊1971年)の瀧口にしては珍しくエキセントリックな装幀と内容見本に書かれた「未知の人アントナン・アルトー」を思い出す。

18「巒気通信創刊号」
鹿火編集室刊1985年


19「アントナン・アルトー全集第1巻」
現代思潮社刊1971年


20同上内容見本


天童さんは1983年より吉増剛造さんらと共に北海道を回る「北ノ朗唱」を行っていたが、愛媛でも聲を発したいという希望に応えるため、私が仲介となり松山で出版を営む創風社の大早友章さんに主催を、後援を友人の江原哲治さんにお願いして1989年9月9日松山市のアオノホールにおいて詩人の白石かずこさんと天童さんを招き「詩の夜 SPIRIT VOICE」と題して四国初の朗唱のイベントが行われた。

21「北ノ朗唱」ポスター1986年


22「詩の夜SPIRIT VOICE」チラシ


23同上新聞記事


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
041瀧口修造
「III-19」
デカルコマニー
※『瀧口修造の造形的実験』(2001年)No.205と対
Image size: 14.0x10.5cm
Sheet size: 25.1x17.5cm


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清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第3回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第3回

 佐谷画廊のことを知ったのは、1982年7月に「オマージュ瀧口修造展」と銘打って詩画集「妖精の距離」と「スフィンクス」の展示を行っていたからである。このカタログは小冊子のモノクロ図版だったが、滅多に見ることができない詩画集の全容を写真で紹介していた。このために寄せられた巖谷國士さんの「三年ののち」と題するテキストは、戦前におけるチェコスロヴァキアと日本のシュルレアリスム運動の比較を通していかに瀧口修造が孤立し「詩的実験」が彼一人によって遂行された〈運動〉であったかを論じ、その中から生まれた幸福とも言える成果が「妖精の距離」であることを示されたものだった。そして、初めて名前を知ったもう一人の寄稿者、土渕信彦さんの「切抜帖から」と題する文章からは、純粋かつ熱烈なファンとしての追悼の念とこれから研究を志す決意のようなものが伝わってきて親近感を覚えた。

「オマージュ瀧口修造展」案内状佐谷画廊1982年「オマージュ瀧口修造展」案内状
佐谷画廊
1982年


「オマージュ瀧口修造展」カタログ佐谷画廊1982年「オマージュ瀧口修造展」カタログ
佐谷画廊
1982年


 佐谷画廊はこの前年に瀧口の三周忌に合わせてアントニ・タピエスとの詩画集「物質のまなざし」の展示を行っているが、後になってそれを第1回展として恒例のオマージュ瀧口修造展を開催するようになった。1982年の11月には画廊も京橋から銀座に移り、翌年の第3回展は「加納光於 ― 瀧口修造に沿って」と題し、カタログも大判となりカラー図版も入るようになった。

「物質のまなざし」カタログ佐谷画廊1981年「物質のまなざし」カタログ
佐谷画廊
1981年


「加納光於ー瀧口修造に沿って」カタログ佐谷画廊1983年「加納光於ー瀧口修造に沿って」カタログ
佐谷画廊
1983年


同上カタログより同上カタログより


 私が初めて佐谷画廊を訪れたのは1984年の2月のことで、佐藤忠雄コレクション展が開かれていた。「画廊にて 現代絵画収集35年の軌跡」刊行記念の企画で、著者の佐藤さんもおられて本にサインをしていただいた。佐藤さんは高級官僚の経歴を持つ現代美術のコレクターとして知られていた。この本の中で特に印象に残ったのは、南画廊における三木富雄の絶筆となったデッサンとの出会いの場面と、画廊主志水楠男の死に触れて「この人の偉さはパイオニアとしての偉さであると思う。精力的に新しい画壇の創成に、努力された点にあると思う。価値のあるものを売ったり買ったりするのではない。まったく価値のないものを、価値のあるものにする仕事をされたのである。」と書いていたことである。

JPG「佐藤忠雄コレクション展」案内状
佐谷画廊
1984年


JPG「画廊にて」佐藤忠雄著
1984年
書苑刊行


JPG「月刊大樹誉6月号」より
三木富雄のデッサンと佐藤忠雄さん
1991年(株)東興


 この展覧会の折に画廊の応接間に置かれていた一つの作品に目が留まった。それは動物の紋章のような形に鮮やかなコバルトブルーの色が紙に食い込むように刷られたもので、加納光於の「ソルダード・ブルー」(接合された青)と名付けられた作品だった。私は直感的に瀧口修造の詩におけるイメージと物質の結合を連想したが、それはまるで「原型ノナイ青空ノ鋳物」のように見えた。(「掌中破片」煌文庫1書肆山田1979年刊)

JPG加納光於「ソルダード・ブルー」
1965年作


JPG「掌中破片」
書肆山田
1979年刊行


 周知のとおり加納光於は独学で銅版画を始め、早くから瀧口にその才能を認められ1956年にはタケミヤ画廊で最初の個展を行っている。瀧口はすでにその将来を予見するかのように南画廊での個展に寄せて「加納光於は黒と白の銅版画家である。そして、いままでのところそれに限っている。」(「一人の銅版画家についてのノート」1960年加納光於個展リーフレットより)と書いているが、その4年後に飽くなき表現技法の追求の過程で初めて色彩に取組んだのが亜鉛版をガスバーナーで焼き切ったものに色を付け凸版で刷ったメタルプリントだった。加納は「金属表面の凹凸のため圧刷プレス機がこわれてもいい、その瞬息の間に消え去った〈色彩〉の動的なダイナミズムのようなものを呼び戻してみたい。そうしてできたのがソルダード・ブルー」だと語っている。(ポエティカ臨時増刊特集・加納光於「馬場駿吉によるインタビュー〈揺らめく色の穂先に〉」より1992年小沢書店刊)

10「加納光於個展」リーフレット
南画廊
1960年


11「ポエティカ臨時増刊特集・加納光於」
小沢書店
1992年


11-2馬場駿吉によるインタビュー記事〈揺らめく色の穂先に〉


 この作品を購入したことがきっかけとなって、私は加納さんへ手紙を出したが、すぐに作品を購入したことへの感謝とデータを記した返事を頂いた。そして、1985年の2月に神奈川県の鎌倉山にあるアトリエを訪ねた。鎌倉駅からバスに乗り、とある停留所で降りて谷側に沿った細い小径を下って行くと入口に加納光於と書かれた白い木製の郵便箱が立っていた。その右手に見える白い洋館がかつて瀧口修造も訪れ「ある日、私は辿りついた谷間の家で」と書いたアトリエであった。(「加納光於についてのある日の断章」1967年南画廊個展〈半島状の!〉より)

12加納光於さんの手紙


13加納光於のアトリエ
「ポエティカ臨時増刊特集加納光於」より
小沢書店
1992年


 その日は、あいにく激しい雨が降っていたが、函のオヴジェ「アララットの船あるいは空の蜜」が置かれた書斎のような部屋でいくつか質問を交えてお話を伺った。瀧口さんについて何か書く予定はないですかと聞くと「瀧口さんのような人は後にも先にもいないし、書くことによってますます捉えがたい存在となるおそれがあるが、いつかオマージュとしての本を出したい。」と答えられ、制作にあたっては、「先にイメージがあるのではなく、不定形なものを明確にしたい欲求にかられて表現している。版画にこだわる訳ではないが、そのプロセスを大切にしている。」と語った。また、レオナルド・ダ・ヴィンチの素描「洪水」についての関心も示されたが、詩画集「稲妻捕り Elements」(1978年書肆山田刊)はその反映であったのかもしれない。
2時間ほど滞在し、その場で署名をされた図録「加納光於1977」(南画廊での個展に際して刊行)を戴いて帰途についたが、しばらくは興奮冷めやらぬ心地であった。
※アトリエ訪問時における加納さんの言葉は私の覚書に基づくものである。

14「アララットの船あるいは空の蜜」
1972年制作
(みずゑ1978年3月号特集・加納光於より)


15レオナルド・ダ・ヴィンチ素描展カタログより
「洪水」
西武美術館
1985年


16「稲妻捕り Elements」
書肆山田
1978年


17同上図版より


18「加納光於1977」
南画廊刊


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
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20170520_V-09(185)瀧口修造
「V-09」
水彩、インク、色鉛筆、紙
Image size: 27.5x22.7cm
Sheet size: 31.5x26.8cm
サインあり


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