粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』(小学館)

著者からのメッセージ


「無から有を生み出すことができたのも僕が恵まれていたからだ」
この本の主人公である石原悦郎さんがある時私に語ってくれた言葉です。いうまでもなく「写真」に「アート」という新しい価値を生み出したことが石原悦郎さんの功績でした。
 もう少し具体的にお話ししましょう。石原悦郎さんが写真専門の画廊であるツァイト・フォト・サロンを東京、日本橋に創設されたのは1978年のこと。それ以前は、印画紙としての写真、つまりオリジナル・プリントというものには価値がないと思われていました。木村伊兵衛も植田正治も、そのプリントを買ってでも欲しいという欲望自体、世の中にはなかったのです。なぜなら、オリジナル・プリントは印刷原稿である、そういった考え方が一般的だったからです。ですので、石原さんが写真専門画廊をはじめたということは、下手をすればガラクタ屋が登場したと陰口を言われてもおかしくないような事態でした。
 しかし、石原さんは巧妙でした。彼はツァイト・フォト・サロンをはじめる前は、銀座の老舗画廊や現代美術の自由が丘画廊で経験を積んでいたので、「美術を扱う」ということの、いわば「作法」のようなものを身につけておられました。写真がこれから美術品になると、いち早く予感した彼は、「ある言葉」に導かれほとんど直感的に芸術の都、パリを目指します。ところが、パリとて日本とそう変わらない状況にありました。世界的に有名な写真家は存在しても、グラフ・ジャーナリズムが浸透するフランスでは、やはり写真は印刷原稿であったのです。おそらく「しめた」と彼は思ったことでしょう。このことは、写真家本人からしかプリントが手に入らないことを意味しました。まだ手垢の付いていないオリジナル・プリントを、本人から直接買い付けることができる! 石原さんが交友を結んだ人物は、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ブラッサイ、ロベール・ドアノーといった世界的な大スターたちでした。持ち前の愛嬌で彼らの懐にすとんと入り込んだ石原さん。貴重なプリントだけではなく、唯一無二のエピソードの数々までをも提げて意気揚々と帰国し、ツァイト・フォト・サロンをオープンさせます。この経験が「写真がアートである」と訴える際に、大いに役立つことを彼は知っていたのです。
 実は、パリの写真家たちの作品は、写真集という切り口ですでに多くの写真ファンを魅了していました。したがって、巨匠のオリジナル・プリントを前に、実際、彼らがどんな生活をしているかなんて話を聞かされた日には、写真ファンにとってみれば、目の前の作品は何倍にも輝いて見えたに違いありません。それに、石原さんは本当にお話しの上手な方でした。こうして、ツァイト・フォト・サロンには「本物」を見に写真ファンたちが集うようになりました。いつしか、印刷原稿は「本物」という地位を得ていったのです。
 ところが、です。物事は彼の思うようには運びませんでした。人はたくさん見に来るけれど、一向に作品が売れない。人々は写真というものをどうコレクションしていけば良いのか、イメージがつかめなかったのです。こうして、石原さんは写真のコレクターをいかに育てるかに腐心することになります。どうしたら欲しいと思ってもらえるか、美術品としての価値を認めてもらうことができるのか。そこで彼が編み出したいくつもの方法は、本書の読みどころの一つです。
 また、存命作家を扱う現代美術という世界において、写真は骨董品ではありません。コレクターを育てることと同時に、現役である写真家を新たに発掘、発信していかなければなりません。ここでもまた難しい問題がひとつあります。それまで印刷原稿だとばかり思っていたものをアートであると言われても、当の写真家たちがそれに反応できないのです。ここでも石原さんはひとり一人を丁寧に口説いていきました。北井一夫、荒木経惟、森山大道、彼らの写真を作品として画廊という場に初めて持ち込んだのも、石原悦郎という人物なのです。
 本書は、石原悦郎さんの人生を通じて、国内における写真のオリジナル・プリントがいかにして受け入れられたか、受容史という観点から描いた新しい日本写真史だともいえるでしょう。しかし、それはあくまでも結果論であって、彼の仕事の大きさが「写真をアートにした男」という物語を生み出したのです。時代がよかったとか、そんな単純なことではありません。「恵まれていた」とおっしゃる一方で、石原さんご本人の人柄や努力、そして何より芸術に対する深いリスペクトと愛情が一貫して彼の人生には溢れています。さて、仕事に特化した分、石原さんご本人が持っていたキュートでちょっと(どころではない)人誑しな側面までをも描き切ることはむずかしく、それについてはもう少し時間が経ってから開封したいと思います。
(あおた ゆみ

aotayumi粟生田弓
『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』
著者サイン入り

2016年 小学館  322頁
定価本体2,200円+税=2,376円
*ときの忘れもので扱っています。著者の粟生田さんのサインを欲しい方はお申し付けください。
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20161116_IMG_1947在りし日の石原悦郎さんと、粟生田弓さん
撮影:小田川悠


■粟生田 弓(あおた ゆみ)1980年東京都生まれ。
東京大学大学院学際情報学環特任助教。同大学院在学中にツァイト・フォトのスタッフとなり、画廊のプレス・リリースや展覧会用カタログなど執筆に関わる業務を中心に行い、その後独立。2009年にファッション・ブランドのRIVORAを立ち上げ現在に至る。編著に『1985/写真がアートになったとき』(青弓社、2014)。

*画廊亭主敬白
2月27日に亡くなられた石原悦郎さんの追悼記事を幾度か掲載してきました。
2016年03月02日:ツァイト・フォト 石原悦郎さんを悼む
2016年03月09日:飯沢耕太郎「石原悦郎——写真をアートにした希代のギャラリスト」
2016年04月04日:京都の石原です。

『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』を書いた粟生田弓さんに<著者からのメッセージ>をお願いしました。
母校東大の特任助教に迎えられたばかりで多忙の中を執筆していただいたことに心より御礼申し上げます。

山本孝(東京画廊)、志水楠男(南画廊)、青木一男・治男(南天子画廊)ら日本の現代美術を画商として牽引してきた人たちにはいまだ後の世代が参考とすべき評伝はありません。
画商さんたちの自伝、評伝、聞き書き本がないわけではありませんが、現代美術に関する限り、作家はじめ関係者のインタビューをした上できちんとした事実に基づいて書かれた本は皆無といっていいでしょう。
日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイブは、「歴史的な関心に基づいてインタヴューを行い、口述史料を残すことで、日本の美術に関する個人的・集団的な記憶を次世代に継承し、その活動を豊かなものにしていく試み」ですが、いまのところ作家や評論家がほとんどで、かろうじて一人、大阪の貸し画廊だった番画廊の松原光江さんがあるくらいです。

そういう経緯を考えるならば、今回の粟生田弓さんの著書は日本の画商史に残る素晴らしい成果です。
あの大風呂敷の石原さんの言葉の裏の真実を見極め、彼が果たした仕事を正当に評価し、写真史の上に定着させようとした著者の謙虚な姿勢に打たれます。
無から有を生み出すことができたのも僕が恵まれていたからだ」という石原さんの最後の幸運は粟生田弓さんという愛ある語り部を得たことでした。

さて主なきツァイト・フォト・サロンはどうなるのでしょうか。
同画廊からのお知らせを再録します。

●20160730/facebookより
本日は皆様に重要なお知らせがございます。 
 このたび、本年2月の弊社代表石原悦郎の逝去にともないまして、ツァイト・フォト・サロンはスペースとしての活動を本年12月をもちまして終了することにいたしました。1978年のオープンから38年間、みなさまには長年にわたりご愛顧賜りまして誠に有難うございました。 
 画廊を閉じることに対しては有難いことにそれを惜しむ声も聞こえてまいりましたが、生前、石原自身も申していた通り、画廊業はオーナーと一心同体であり、石原亡き後は「 ツァイト・フォト・サロン 」とは言えなくなってしまうという考えのもと閉廊することといたしました。 
 グランド・フィナーレを飾る展覧会として、誰か一人の作家を選ぶということは考えられません。これまで開催した展覧会はなんと400回近くにまでのぼります。石原とその時々を共にしてきた作家たちは、いわば石原の友人のような存在なのです。 
 そこで、100名以上のゆかりのある写真作家の作品を一堂に会した展覧会をこの9月より3部構成で開催することにいたしました。" le bal "は、フランス語で舞踏会、ダンスパーティーの意。そのタイトルの下、石原が愛したブルックナーの交響曲第9番の構成にかけて全3部の会期に分けて展示いたします。「maestoso マエストーソ」「scherzo スケルツォ」「adagio cantabile アダージョ・カンタービレ」。ツァイト・フォト・サロンの歴史はもちろん、写真の歴史を彩る様々な作品がそれぞれの会期に画廊の四方の壁を賑やかに埋め尽くします。 
 ぜひ、石原悦郎とツァイト・フォト・サロンの38年間の歴史を体感しにお越しください。
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友人作家が集う - 石原悦郎追悼展 “ Le bal ”
part 1 - maestoso 9月3日(土) - 10月5日(水)
part 2 - scherzo 10月11日(火) - 11月12日(土)
part 3 - adagio cantabile 11月18日(金) - 12月22日(木)
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12月22日でツァイト・フォト・サロンは閉廊します。

●本日のお勧め作品は瑛九です。
瑛九_フォトデッサン_2瑛九
《顔(仮)》
フォトデッサン
イメージサイズ:27.8×22.0cm
シートサイズ:27.8×22.0cm

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