植田正治の世界――新たな評価の軸をもとめて

金子隆一(写真史家)


植田正治(1913〜2000)が、日本を代表する写真家であることに異議をはさむ者はいないだろう。そしてその評価は国際的にも不動であると言って過言はない。そんな植田の代表作と言えば、戦前においては、「平行並列平面構成」の演出写真の傑作《少女四態》(1939)であり、戦後においては《パパとママとコドモたち》(1949)や50年代の砂丘シリーズ、そして写真集『童暦』(中央公論社、1971年刊)を構成した山陰の子供たちをモチーフにした写真群、そして74年に始まった〈小さい伝記〉シリーズの6×6判のスクエア画面のポートレイトや風景など枚挙のいとまがないほどである。これらの作品群は「植田調」時には英語で「UEDA-CHO」と称される独自の表現のスタイルをもち、誰でもが植田正治の作品であると認識ができるアイコンともなっているといってよいだろう。
これまでの植田正治の評価は、表看板たるいわばアイコン的な作品を中心にしてなされてきたと言ってよいだろう。そのような評価の軸に対して新しい評価の軸をもとめて編集されたのが『植田正治作品集』(河出書房新社、2016年刊)である。この作品集は、植田が存命中に雑誌に発表した作品を綿密に調査し、これまでのアイコン的な作品の間で見過ごされてきたものを発掘して、植田正治という写真家のよりリアルな等身大の作家像を描き出している。ある意味これからの植田正治研究の地平を切り開き、これからの植田正治の評価はこの写真集から始まると言っては、飯沢耕太郎氏とともに編集構成をおこなった筆者の思い上がりであろうか。だがここにおいて、植田の表現がもつ新たなポテンシャル(潜在能力)を指し示すことができたことは断言してよいだろう。
そして今回の「植田正治写真展―光と陰の世界―」は、明らかにこの写真集以後の評価の軸をもって見ることによってこそ、植田の写真世界の新たな豊かさを切り開く糸口となるはずである。

ここで、植田正治が写真家としてどのような軌跡をたどり、そしてどのように評価されてきたかを簡単にたどってみよう。
植田が本格的に写真に熱中し始めた頃は、日本の写真界はピクトリアリズムの芸術写真全盛の時代から、写真の機械的な本質に覚醒した近代写真への動向が顕著になるときであった。1931年に雑誌『カメラ』(12月号)の月例コンテストに《浜の少年》が入選する。スナップショットのまなざしを生かした近代的な表現を持つものであったが、同時に日本光画協会のメンバーとしても活躍している。これはベス単カメラを使ったソフトフォーカスやデフォルマシオン、雑巾がけと称されたレタッチ修整の技法を駆使した絵画的な表現を特徴とする団体で、植田もそのような表現を持つ作品で高く評価されている。つまり、植田はその始まりにおいて、近代的な写真表現とピクトリアリズムの表現とを等価な距離に持っていた、つまり一見すると相反する表現を同時に持ちながら写真家としてスタートしているということになる。
そして30年代半ばになると、写真の機能を生かしたストレートな近代的な表現で山陰の人物や風景を撮影した作品で、『アサヒカメラ』や『写真サロン』といった雑誌で入選を繰り返して、全国的に知られるようになる。特に《都会》(『写真サロン』35年11月号)は、特選をとり。山陰鳥取に植田正治あり、とその名前を全国に轟かすこととなるのであった。そして37年に、石津良介、野村秋良、正岡国男らと中国写真家集団を結成する。「ローカルカラー」を旗印に《少女四態》を筆頭に数々の傑作を発表し、「植田調」といわれる独自の表現様式を確立するのであった。しかし戦争が激しくなり、国家総動員体制の中で植田は、自身の「写真」の居場所を見失ってしまう。

20植田正治
《都会》
『植田正治作品集』(2016年、河出書房新社)P10参照
初出=『写真サロン』(1935年11月号 第33回月例懸賞A 部特選)


そして終戦。ふたたび自由に写真が撮れる時代が来たことを確信して、これまで培ってきた表現をさらに発展させた《パパとママとコドモたち》を発表するも、土門拳を中心として全国を燎原の火のごとく席捲した「リアリズム写真運動」の中で、再び自分の「写真」の方途を見失ってしまうが、自分自身ができることしかできないのだ、という確信のみを頼りに山陰という風土に根差した様々な作品をカメラ雑誌中心に発表を続け、60年代においては「有力な地方作家」としての地位を獲得するのであった。
そんな植田正治の評価を覆したのが、『カメラ毎日』の編集者山岸章二が企画構成をした写真集『童暦』の刊行であった。60年代を中心に撮影された子供の写真で構成されたこの写真集によって、植田は一地方作家から、一躍同時代の現代写真家として新たなスタートをはじめたと言えよう。70年代の〈小さい伝記〉シリーズやヨーロッパで撮影した写真をまとめた写真集『音のない記憶』(日本カメラ社、1974年刊)やベス単カメラのレンズを一眼レフカメラに装着してカラーで撮影した写真集『白い風』(日本カメラ社、1981年刊)によって、植田正治という写真家は日本の現代写真をリードする存在として注目されつづけることになるのである。その評価は、78年にフランスのアルルで開催された国際写真フェスティバルでのワークショップや79年の写真展「JAPAN:A Self-Portrait」(ICP国際写真センター、アメリカ)への参加などによって、国際的なものへと展開してゆく。さらに80年代においては、極めて私的な風景を高度な造形意識で切り取った「風景の光景」シリーズ、アート・ディレクターであった次男充とのコラボレーションによるファッション写真〈砂丘モード〉シリーズ、身近なものをテーブル・トップで構成したカラーの作品〈幻視遊間〉シリーズなどを発表し、その多彩な写真世界は他の追随を許さないものであった。

このような植田正治の軌跡は、誰もがみとめるところであろう。しかしこの軌跡は、モノクロ写真中心の軌跡であり、カラー写真は〈白い風〉にしても〈幻視遊間〉にしても、特殊なものと位置づけがされてはいないであろうか。つまり、〈童暦〉や〈小さい伝記〉〈風景の光景〉といったモノクロ写真の表現とは断絶した、別物としてカラー写真の作品を位置させていると言える。しかし、70〜80年代のカメラ雑誌を詳細にたどってゆくと、実に多くのカラーの作品が発表されているのである。それらは、明らかに植田を代表するモノクロ写真のシリーズの表現と連続していると見えるものばかりなのである。しかしそれらの多くの作品のカラー原板(ネガもしくはポジ)さらにはオリジナル・プリントを確認することは、前述した『植田正治作品集』の調査では実現せず、発表した雑誌のページ(印刷物)をスキャンして掲載したのであった。今日の印刷技術の進歩は、そのような方法によるものであっても、オリジナル・プリントを原稿とした作品に見劣りがないレベルになったことは驚きであった。
では雑誌の発表ではなく、様々なグループ展などに出品していた作品はどのようなものであったのだろうか。
植田が54年に入賞したことから会員となった二科展での出品経歴を見てゆくと、50〜70年代においてはモノクロの作品が中心になっているが、80年代以降はカラー作品が中心となっている。このことは二科展に限らず様々な展示にはカラー作品へと展開していったと言ってよいだろう。そして、この二科展での事跡は出品のデータが残ってはいるが、現物の作品ではちゃんと確認されてはいない。今回の展覧会に展示されるカラー作品の多くはパネル貼りである。植田は80年代半ばころからは明らかにオリジナル・プリントという意識をもって作品を制作しており、それらはパネル貼りではなくオーバー・マットをして額装するというのが展示の仕方になっている。このことから推測してゆくと、パネル貼りの作品はそれ以前、70〜80年代前半に制作されたものではないかと言えるのである。つまり残されたパネル貼りのカラー作品は、植田正治のミッシングリングを埋める可能性をもつものであると言うべきなのではないかと考える。
これらのカラー作品は、〈白い風〉や〈幻視遊間〉と同様にカラーの写真表現である。しかし植田の写真世界にあっては、それらのシリーズよりはずっとモノクロの写真表現と連続していよう。それらは60年代において山陰の風土のローカリティを際立たせるためのカラー表現とは隔絶している。特別な、カラフルなものを撮るためのカラー写真ではなく、カラー写真があたりまえになった時代のものである。それは明らかに「ニュー・カラー」の時代以後の写真意識であると言うべきであろう。

植田正治の写真世界はあまりにも特徴的であるために、その表現の波頭つまり典型的なものばかりに眼が奪われがちである。だがその周りに存在する多彩な表現は、植田正治という写真家が創造した世界のポテンシャルを感じさせるということにとどまらず、植田正治という写真家の評価の軸をあらたに創造するために存在しているのではないだろうか。70年代を中心としたカラー作品は、「知られざる」作品ではなく、知られていたにも関わらず評価の軸を持ちえなかったがために無視されてきたと言うのが適当なのではないか、という思いにとらわれてならないのである。この「植田正治写真展―光と陰の世界―」に展示される作品群は、その評価の軸を作る一歩になるに違いない。

かねこ りゅういち

◆本日7月4日は植田正治の命日です(1913年3月27日〜2000年7月4日)。
5月に開催した「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となりました。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点を展示しました。出品リストはコチラをクリックしてください。
カタログを編集したのですが、今まであまり知られていなかった作品が多く、展覧会初日になっても次々と新たなデータが判明するような次第で、会期中の刊行はあきらめ、ようやく新しい住所での刊行となりました。
ご執筆いただいた金子隆一先生、データの調査にご協力いただいた植田正治写真事務所の増谷寛様には心より感謝申し上げます。

●カタログのご案内
ueda_cover『植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
価格:800円(税込) 
※送料別途250円
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ホームページのWEB展を更新しました。2017年1月〜6月までの青山時代の企画展・アートフェア出展の記録をまとめました。

駒込開店3日前
青山最後の展示となった植田正治展のカタログが7月7日のお披露目に間に合うか、はらはらしていたのですが、何とかぎりぎりセーフ。ご来場の皆様にお渡しできます。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
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JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
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