金子隆一のエッセイ

金子隆一「もうひとつの遊び 植田正治のポラロイド写真」

もう一つの遊び――植田正治のポラロイド写真

金子隆一(写真史家)


「写真で遊ぶ」という言葉は植田正治自身に拠っているが、それは植田の「写真」とのかかわり方の本質を言い当てていよう。そして植田のもう一つの言葉に「写真する」というのがある。こちらは「写真」そのものがシャッターを切る最大の目的であることを現している。この二つの謂いは、写真を通して何事かを伝えたり表現したりするのではなく、つまり「写真」をメディアとしてとらえるのではなく、人間の本源的な行為そのものであることを意味している。

植田正治は、カメラが大好きであった。
カメラというものは、まぎれもなく写真表現のあり方を規制する。大型のビュー・カメラを選択すれば精密な描写が可能になるが、機動性は損なわれる。一方、小型カメラを選択すれば、肉眼の延長として自由自在な視点は可能(機動性)になるが、ネガ・サイズが小さいので描写のシャープネスはあきらめなくてはならない。それゆえに写真家は、自分が何を表現しようとするか、ということによってカメラを選択するのである。それは、カメラという器材を内在化するというベクトルを持ったかかわり方であるといってよいだろう。
だが植田にとってのカメラは、どのようなものとしてあるのだろうか。例えば目の前に新製品のカメラがあるとする。それを使ってどんなことが出来るかということを試みるが、そこで自分の目指す表現を実現するのに適格であるかによって評価するのではない。そのカメラそのものによって切り開かれる世界に、自分自身の表現を合わせてゆくというべきであろう。それは1970年代の代表的シリーズである〈小さい伝記〉は、「ハッセルブラッド」という6×6判の一眼レフカメラで撮影されている。そのカメラを持つことによって、植田は真四角な画面を発見し、それがその表現を成立させる重要な要素となっている。つまり植田はカメラを変えることによって表現の様式のみならず、表現の世界そのものを変容させた顕著な例と言ってよいだろう。この意味において、植田にとってカメラは何かを実現するためのメディアとしてあるのではなく、カメラそのものとの純粋なかかわり方こそが植田の表現の根源にあるのだ。「写真で遊ぶ」「写真する」という謂いは、このようなカメラとのかかわりを指している。植田正治にとってカメラという器材は、外在化された装置として存在しているというべきなのではないか。
植田正治にとって「写真」は、カメラでありレンズであり、プリントを作るときにイメージの周囲に大きく白枠を付けることであり、仲間たちと一緒に写真を撮りに行くことであり、海外の最新の写真集を見ながら喧々諤々と話しをすることである。「写真」に関わるすべてのことが「写真で遊ぶ」ことであり、だからこそ写真は「撮る」ものではなく、一般的な動詞である「する」という言葉として現れてくるのではないだろうか。
P1植田正治
《P1》
制作年:1974〜1985
拡散転写法(SX−70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm

今回新たに発見されたSX−70というポラロイド・カメラで撮影された植田正治の作品は、「写真で遊ぶ」作家にとってどのようなものであったのだろうか。
このことを考える前に、ポラロイド・カメラというものはどのようなものであるのか、ということをまず振り返っておきたい。
ポラロイド・カメラはまぎれもなく銀塩写真のシステムではあるのだが、通常のフィルムや印画紙を使うカメラとの汎用性はなく、それ独自で完結したものである。それゆえにポラロイドは「カメラ」という系の中で考えるのではなく、一つの完結したシステム、つまり「ポラロイド・システム」とでも呼ぶべきなのである。
このポラロイド・システムは、アメリカのエドウィン・H・ランドによって1947年に発表された「拡散転写法」という技法によるもので、当時は「インスタント写真」と呼ばれていた。1948年に最初のポラロイド・カメラが発売された。それは専用のフォールディング・カメラ(蛇腹引き出し式カメラ)で、感光材料は専用のパッケージ化されたものを使う。その専用カメラで撮影したあと、シートを引き出すと現像剤が押しつぶされ画像が数分で形成され、そのシートを剥離するとポジが得られる「ピール・アパート(剥離)方式」と呼ばれるものであった。はじめはモノクロのみであったが、1963年にはカラーのポラロイド・システムが発売される。この「ピール・アパート方式」のポラロイド・システムは、はじめは専用カメラでしか使えなかった。それは言い換えれば、アマチュア写真家が家庭用に使うものであり、プロの写真家が使うシステムではなかったということである。それゆえ、後にビュー・カメラなどに装着できるような装置が発売され、また通常のフィルムのようなネガを、ポジと同時に得られるものも発売される。その発売当初からアドバイザーをつとめていたアメリカを代表する風景写真家アンセル・アダムスは、このポラロイド・システムによって得られるネガの調子が柔らかく豊かな階調が得られるということで一時積極的に使用していたという話もある。この第一段階の技術的進展は、ポラロイド・システムを閉じた系から普通の写真システムと同様の開かれた系への変換を目指すものであったと言えよう。
それを決定的に変えたのが1972年にアメリカ・フロリダ州で発売され、73年には全米で、そして日本では1974年に発売されたSX−70というポラロイド・カメラであった。これはこれまでの「ピール・アパート方式」ではなく、非剥離方式であった。通常のポラロイド写真と異なり乳剤面が露出しておらず、透明なフィルムの下に画像が形成されるのである。専用カメラは、116f8のレンズを装着した専用の折り畳み可能な一眼レフで、最短撮影距離は26僉¬誼奮電子式シャッターを組み込んだAEカメラである。出来上がった写真は、カラーのみで、そのサイズは8×8僂凌浸由僂焚萍未任△辰拭「現代のダゲレオタイプ」とも称されたこのSX−70というポラロイド・システムは、シャッターを切った直後にカメラの底部から吐き出された写真には画像がまだ現れてはおらず、明るいところで見る間に画像が現れてくるという、普通の銀塩写真はもとよりそれまでのポラロイド・システムとも全く異なる写真経験をもたらすものであった。そしてその画像は、これまでのポラロイド・システムによる写真と比べてそのシャープネスという点では明らかに劣っていた。またその色調においてもSX∸70独特のものがあった。さらに、そのプリント自体も、普通の印画紙の写真とは明らかに異なり、独自の物質性が顕著であった。通常のポラロイド・システムが、ネガ/ポジ法をベースとする普通の銀塩写真システムへと開かれたのに対して、SX−70は閉じられた系を開くことが不可能であるのだ。このために一点制作と紙とは異なる物質性も持つことになり、当時「現代のダゲレオタイプ」と称された所以であろう。
そしてこのSX∸70は非剥離方式であるがゆえに、画像が完全に固定される前に、透明フィルムの上から棒状のもので圧力を加え、画像を手でゆがめることが盛んにおこなわれ、「ポラロイド・アート」ともいわれた独自の表現世界を生み出した。アメリカのルーカス・サマラスやレス・クリムスといった写真家が、70年代後半盛んに行い話題となった。
その後、「ピール・アパート方式」のポラロイド・システムは、70年代後半から80年代にかけて8×10インチ、さらには20×24インチと大型化してゆく、一方では83年に発売された「ポラクローム」のようなカラー透明陽画を得られるシステムも開発されてゆく。そしてポラロイド社は、さまざまなポラロイド・システムを写真家のみならずアンディ・ウォーホルのようなアーティストを含めて、提供し、普通の写真システムとは異なった「ポラロイド・アート」の可能性を追求して、厖大なコレクションを作り上げてゆく。

これまで植田正治がポラロイド・システムを使った作品としては、私家版写真集『軌道回帰』(1986年刊)が知られている。この写真集に収められた作品は、すべて1983年に発売された「ポラクローム」で撮影されている。これは現像所での処理が不要のカラーフィルムで、一本で36コマを撮影した後に、通常のポラロイド・システムのように明るいところで処理をすると35佝修離ラーの透明陽画(カラースライド)が得られるものであった。植田は、このシステムで得られるカラー写真の色調が鮮やかでないところに魅かれて使ったようである。また植田は、山岸亨子の企画による20×24インチという専用の大型ポラロイド・カメラを使うプロジェクトに参加し、その成果は森山大道、深瀬昌久、横尾忠則、石内都、山崎博ら18人の写真家とともに『スーパー・イメージの世界 ポラロイド20×24作品集』(青弓社、1986年)に収められている。
しかしこれまで植田がSX−70のポラロイドを使った作品がまとまって問題にされたことはなかった。「新しもの好き」の植田のことを考えれば、SX−70が発売された当初に飛びついたことは疑いようがない。海外の写真集などでこれを使った様々な表現があることも知っていたに違いない。にも拘わらず、植田はSX−70を使った成果を発表することはなかったのだ。
植田が写真集にまでした「ポラクローム」というシステムが、それまでのポラロイド・システムと比較して決定的に違うことは、普通のフィルムと同様に一本連続して撮影できる、撮影しなければならないという点にある。SX−70も含めて、ほかのポラロイド・システムは、ダゲレオタイプやコロジオン湿板法、ゼラチン乾板と同じように一コマ撮影である。つまり、通常のポラロイド・システムでは、連続撮影ができない。つまり植田にとっての「写真」は、あくまでも通常の使い慣れたカメラを使うことが重要であったのではないだろうか。
P5植田正治
《P5》
制作年:1974〜1985
拡散転写法(SX−70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm

今回発見された植田正治のSX−70による作品は、前述のように画像に手を加えたものはない。その表現は、〈小さい伝記〉を撮影した頃の表現と極めて似通っているので、1970年代中頃に撮影されたのではないかと推測できる。ここに見られる植田正治の表現は、ストレートであるがゆえに、普通のカメラで撮影したときのような自由闊達さはないと言わざるを得ない。連続撮影をしようとしても、それは動いてゆく現実と渉りあってゆくものではない。一枚一枚のカメラから吐き出される写真を否応なく見てしまい、そこで流れが切断されてしまっているかのようである。植田にとって、大型のビュー・カメラとは異なった不自由さを強いるSX−70のポラロイドで撮影することは、撮影した直後に現像・定着をしなくてはならなかったダゲレオタイプやコロジオン湿板法が示す、本当の意味での写真の歴史的原点を経験することになってしまったのではないだろうか。
このSX−70のポラロイドによる作品は、植田正治の多彩な作品群の中にあって特別なものである。それは、表現として決して成功していないがゆえに、植田が言う「写真で遊ぶ」という意味を逆説的に照射している。それは19世紀的な、写真の発明に遡ってゆく原点ではなく、近代写真というパースペクティブの中で追求された「写真」という枠組みを明らかにしてしまっているように思えてならない。この意味において、SX−70のポラロイドによる植田の作品群は、「もう一つの遊び」として、植田の表現の在り処を示す興味深いものであるのだ。
かねこ りゅういち

『植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録所収

金子隆一(かねこ・りゅういち)
写真史家。1948年東京生まれ。立正大学文学部卒業。おもな著書に『日本写真集史 1956-1986』、『日本近代写真の成立』(共著)、『インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン 1976〜83』(共著)など。展覧会キュレーション多数。

●書籍・カタログのご案内
表紙『植田正治写真展―光と陰の世界―Part II』図録
2018年3月8日刊行
ときの忘れもの 発行
24ページ
B5判変形
図版18点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:800円(税込)※送料別途250円

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『植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:800円(税込)※送料別途250円


●今日のお勧め作品は、植田正治です。
新発掘のこのポラロイド写真はSX-70というポラロイド・カメラを使用したもので、撮影年はSX-70が日本で発売された1974年から〈小さい伝記〉が終わる1985年までと推測されます。
ポラロイド写真ですからネガもポジもありません。オンリーワンのビンテージプリントで、コンディションも発色も良好です。
こちらは6点組での販売となります。
P8植田正治
《P8》
1974年〜1985年
拡散転写法(SX−70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm


P9植田正治
《P9》
1974年〜1985年
拡散転写法(SX−70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm


P10植田正治
《P10》
1974年〜1985年
拡散転写法(SX−70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm


P13植田正治
《P13》
1974年〜1985年
拡散転写法(SX−70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm


P15植田正治
《P15》
1974年〜1985年
拡散転写法(SX−70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm


P18植田正治
《P18》
1974年〜1985年
拡散転写法(SX−70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆ときの忘れものは「ボブ・ウィロビー写真展〜オードリー&マリリン 」を開催しています。
会期:2018年4月10日[火]―4月28日[土]
11:00-19:00  ※日・月・祝日休廊

数々のスターが主演するハリウッド映画のメイキング・シーンを撮影してきた「スペシャル」フォトグラファー、ボブ・ウィロビーが1950-60年代に撮影したオードリー・ヘップバーンとマリリン・モンローのポートレートをご覧いただきます。詳しい出品リスト(25点)はホームページに掲載しました。
また10万冊を所蔵する雑誌図書館六月社の協力を得て、映画専門誌以外のオードリー・ヘプバーンとマリリン・モンローのゴシップ記事などを掲載した30年ほど前の雑誌60種類を図書室で公開しています。ぜひ手にとってご覧になってください。
201804_willoughby

●出品作品を順次ご紹介いたします
03_A086-Audrey-Ladderボブ・ウィロビー
《Hepburn, Audrey, 1962 Audrey Hepburn on set of "Paris When It Sizzles" at Boulogne Studios in Paris, 1962.》(A086)
※「パリで一緒に」
1962(Printed in 2018)
Archival Digital Pigment Print
Image size: 45.7×24.8cm
Sheet size: 50.8×40.6cm
Ed.25
クリストファー・ウィロビーによるスタンプとサインあり


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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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金子隆一「植田正治の写真世界」

植田正治の世界――新たな評価の軸をもとめて

金子隆一(写真史家)


植田正治(1913〜2000)が、日本を代表する写真家であることに異議をはさむ者はいないだろう。そしてその評価は国際的にも不動であると言って過言はない。そんな植田の代表作と言えば、戦前においては、「平行並列平面構成」の演出写真の傑作《少女四態》(1939)であり、戦後においては《パパとママとコドモたち》(1949)や50年代の砂丘シリーズ、そして写真集『童暦』(中央公論社、1971年刊)を構成した山陰の子供たちをモチーフにした写真群、そして74年に始まった〈小さい伝記〉シリーズの6×6判のスクエア画面のポートレイトや風景など枚挙のいとまがないほどである。これらの作品群は「植田調」時には英語で「UEDA-CHO」と称される独自の表現のスタイルをもち、誰でもが植田正治の作品であると認識ができるアイコンともなっているといってよいだろう。
これまでの植田正治の評価は、表看板たるいわばアイコン的な作品を中心にしてなされてきたと言ってよいだろう。そのような評価の軸に対して新しい評価の軸をもとめて編集されたのが『植田正治作品集』(河出書房新社、2016年刊)である。この作品集は、植田が存命中に雑誌に発表した作品を綿密に調査し、これまでのアイコン的な作品の間で見過ごされてきたものを発掘して、植田正治という写真家のよりリアルな等身大の作家像を描き出している。ある意味これからの植田正治研究の地平を切り開き、これからの植田正治の評価はこの写真集から始まると言っては、飯沢耕太郎氏とともに編集構成をおこなった筆者の思い上がりであろうか。だがここにおいて、植田の表現がもつ新たなポテンシャル(潜在能力)を指し示すことができたことは断言してよいだろう。
そして今回の「植田正治写真展―光と陰の世界―」は、明らかにこの写真集以後の評価の軸をもって見ることによってこそ、植田の写真世界の新たな豊かさを切り開く糸口となるはずである。

ここで、植田正治が写真家としてどのような軌跡をたどり、そしてどのように評価されてきたかを簡単にたどってみよう。
植田が本格的に写真に熱中し始めた頃は、日本の写真界はピクトリアリズムの芸術写真全盛の時代から、写真の機械的な本質に覚醒した近代写真への動向が顕著になるときであった。1931年に雑誌『カメラ』(12月号)の月例コンテストに《浜の少年》が入選する。スナップショットのまなざしを生かした近代的な表現を持つものであったが、同時に日本光画協会のメンバーとしても活躍している。これはベス単カメラを使ったソフトフォーカスやデフォルマシオン、雑巾がけと称されたレタッチ修整の技法を駆使した絵画的な表現を特徴とする団体で、植田もそのような表現を持つ作品で高く評価されている。つまり、植田はその始まりにおいて、近代的な写真表現とピクトリアリズムの表現とを等価な距離に持っていた、つまり一見すると相反する表現を同時に持ちながら写真家としてスタートしているということになる。
そして30年代半ばになると、写真の機能を生かしたストレートな近代的な表現で山陰の人物や風景を撮影した作品で、『アサヒカメラ』や『写真サロン』といった雑誌で入選を繰り返して、全国的に知られるようになる。特に《都会》(『写真サロン』35年11月号)は、特選をとり。山陰鳥取に植田正治あり、とその名前を全国に轟かすこととなるのであった。そして37年に、石津良介、野村秋良、正岡国男らと中国写真家集団を結成する。「ローカルカラー」を旗印に《少女四態》を筆頭に数々の傑作を発表し、「植田調」といわれる独自の表現様式を確立するのであった。しかし戦争が激しくなり、国家総動員体制の中で植田は、自身の「写真」の居場所を見失ってしまう。

20植田正治
《都会》
『植田正治作品集』(2016年、河出書房新社)P10参照
初出=『写真サロン』(1935年11月号 第33回月例懸賞A 部特選)


そして終戦。ふたたび自由に写真が撮れる時代が来たことを確信して、これまで培ってきた表現をさらに発展させた《パパとママとコドモたち》を発表するも、土門拳を中心として全国を燎原の火のごとく席捲した「リアリズム写真運動」の中で、再び自分の「写真」の方途を見失ってしまうが、自分自身ができることしかできないのだ、という確信のみを頼りに山陰という風土に根差した様々な作品をカメラ雑誌中心に発表を続け、60年代においては「有力な地方作家」としての地位を獲得するのであった。
そんな植田正治の評価を覆したのが、『カメラ毎日』の編集者山岸章二が企画構成をした写真集『童暦』の刊行であった。60年代を中心に撮影された子供の写真で構成されたこの写真集によって、植田は一地方作家から、一躍同時代の現代写真家として新たなスタートをはじめたと言えよう。70年代の〈小さい伝記〉シリーズやヨーロッパで撮影した写真をまとめた写真集『音のない記憶』(日本カメラ社、1974年刊)やベス単カメラのレンズを一眼レフカメラに装着してカラーで撮影した写真集『白い風』(日本カメラ社、1981年刊)によって、植田正治という写真家は日本の現代写真をリードする存在として注目されつづけることになるのである。その評価は、78年にフランスのアルルで開催された国際写真フェスティバルでのワークショップや79年の写真展「JAPAN:A Self-Portrait」(ICP国際写真センター、アメリカ)への参加などによって、国際的なものへと展開してゆく。さらに80年代においては、極めて私的な風景を高度な造形意識で切り取った「風景の光景」シリーズ、アート・ディレクターであった次男充とのコラボレーションによるファッション写真〈砂丘モード〉シリーズ、身近なものをテーブル・トップで構成したカラーの作品〈幻視遊間〉シリーズなどを発表し、その多彩な写真世界は他の追随を許さないものであった。

このような植田正治の軌跡は、誰もがみとめるところであろう。しかしこの軌跡は、モノクロ写真中心の軌跡であり、カラー写真は〈白い風〉にしても〈幻視遊間〉にしても、特殊なものと位置づけがされてはいないであろうか。つまり、〈童暦〉や〈小さい伝記〉〈風景の光景〉といったモノクロ写真の表現とは断絶した、別物としてカラー写真の作品を位置させていると言える。しかし、70〜80年代のカメラ雑誌を詳細にたどってゆくと、実に多くのカラーの作品が発表されているのである。それらは、明らかに植田を代表するモノクロ写真のシリーズの表現と連続していると見えるものばかりなのである。しかしそれらの多くの作品のカラー原板(ネガもしくはポジ)さらにはオリジナル・プリントを確認することは、前述した『植田正治作品集』の調査では実現せず、発表した雑誌のページ(印刷物)をスキャンして掲載したのであった。今日の印刷技術の進歩は、そのような方法によるものであっても、オリジナル・プリントを原稿とした作品に見劣りがないレベルになったことは驚きであった。
では雑誌の発表ではなく、様々なグループ展などに出品していた作品はどのようなものであったのだろうか。
植田が54年に入賞したことから会員となった二科展での出品経歴を見てゆくと、50〜70年代においてはモノクロの作品が中心になっているが、80年代以降はカラー作品が中心となっている。このことは二科展に限らず様々な展示にはカラー作品へと展開していったと言ってよいだろう。そして、この二科展での事跡は出品のデータが残ってはいるが、現物の作品ではちゃんと確認されてはいない。今回の展覧会に展示されるカラー作品の多くはパネル貼りである。植田は80年代半ばころからは明らかにオリジナル・プリントという意識をもって作品を制作しており、それらはパネル貼りではなくオーバー・マットをして額装するというのが展示の仕方になっている。このことから推測してゆくと、パネル貼りの作品はそれ以前、70〜80年代前半に制作されたものではないかと言えるのである。つまり残されたパネル貼りのカラー作品は、植田正治のミッシングリングを埋める可能性をもつものであると言うべきなのではないかと考える。
これらのカラー作品は、〈白い風〉や〈幻視遊間〉と同様にカラーの写真表現である。しかし植田の写真世界にあっては、それらのシリーズよりはずっとモノクロの写真表現と連続していよう。それらは60年代において山陰の風土のローカリティを際立たせるためのカラー表現とは隔絶している。特別な、カラフルなものを撮るためのカラー写真ではなく、カラー写真があたりまえになった時代のものである。それは明らかに「ニュー・カラー」の時代以後の写真意識であると言うべきであろう。

植田正治の写真世界はあまりにも特徴的であるために、その表現の波頭つまり典型的なものばかりに眼が奪われがちである。だがその周りに存在する多彩な表現は、植田正治という写真家が創造した世界のポテンシャルを感じさせるということにとどまらず、植田正治という写真家の評価の軸をあらたに創造するために存在しているのではないだろうか。70年代を中心としたカラー作品は、「知られざる」作品ではなく、知られていたにも関わらず評価の軸を持ちえなかったがために無視されてきたと言うのが適当なのではないか、という思いにとらわれてならないのである。この「植田正治写真展―光と陰の世界―」に展示される作品群は、その評価の軸を作る一歩になるに違いない。

かねこ りゅういち

◆本日7月4日は植田正治の命日です(1913年3月27日〜2000年7月4日)。
5月に開催した「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となりました。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点を展示しました。出品リストはコチラをクリックしてください。
カタログを編集したのですが、今まであまり知られていなかった作品が多く、展覧会初日になっても次々と新たなデータが判明するような次第で、会期中の刊行はあきらめ、ようやく新しい住所での刊行となりました。
ご執筆いただいた金子隆一先生、データの調査にご協力いただいた植田正治写真事務所の増谷寛様には心より感謝申し上げます。

●カタログのご案内
ueda_cover『植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
価格:800円(税込) 
※送料別途250円
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ホームページのWEB展を更新しました。2017年1月〜6月までの青山時代の企画展・アートフェア出展の記録をまとめました。

駒込開店3日前
青山最後の展示となった植田正治展のカタログが7月7日のお披露目に間に合うか、はらはらしていたのですが、何とかぎりぎりセーフ。ご来場の皆様にお渡しできます。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
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JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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