井村一巴展DM

井村一巴〈セルフポートレイト展〉――“主観”を超えて 岡部万穂

 少女たちが花束のように顔を寄せ合い、無邪気な笑顔にピースサインを作る。真ん中の一人が、手に持った使い捨ての小型カメラをかざす。
 ささやかな期待に満ちた一瞬の沈黙。「カシャッ」という小さな音とともに、にぎやかな歓声が弾ける。ひしと身体を寄せ合い、目を見開き、小さなレンズの中へ、とっておきの笑顔を送る彼女達の世界は、なぜそんなに明るいのだろう。
 互いの写真を撮り合い、笑いさざめく友人たちの様子を眩しげに眺めていた少女は、すぐさま自分だけのカメラを手に入れる。まだ、現在のようなおしゃれで高画質なデジカメなどは出回っていない頃だ。小さな使い捨てのカメラ。それが井村と写真との出合いだった。
夢中になってシャッターを切り続け、次々と手元にたまっていくプリントは、その頃はまだ、自分を取り巻く世界の断片でしかなかっただろう。しかし、間もなく使い捨てカメラを小型のコンパクトカメラに持ち替え、技法書をたよりに独学でプリントを始めるようになると、カメラは16歳の少女にとって、世界を知るためのかけがえのない手段となった。
「世界を知りたいということでしょうか。」(井村談、写真を“世界を肯定する唯一の手段”と述べていることに対して)
 17歳になると、撮影した写真をコンビニのコピー機を使ってコピーし、個人誌『paper』の刊行を始める(註1)。世界を知ること――自分と世界との関係を築いていくこと。それは身の回りの世界を完全に客観視することによってのみ成り立つものであり、17歳の少女にとって写真を撮ることとは、“表現”よりももっと切実なものであったことが想像できる。しかし次第に、ありのままの世界を写し出すはずの写真には、ほかならぬ自分自身の主観が如実に写し出されるという「矛盾」に気づくことになる。

 「(写真では)抽出した世界の見方になっていく。写真に主観が現れることが許せなかった」(井村談)。写真の矛盾に気づいたとき、あるいはそこでカメラを置き、現実の世界そのものへと分け入っていく方法もあっただろう。しかしカメラのレンズは、自分を取り巻く世界から、世界を捉えようとしている自分自身の姿へと向けられていった。自分自身をカメラの前に立たせ、セルフタイマーを使って撮影するスタイルは、撮影者自身を撮影するという逆説的な状況を作りだすことによって、主体をも客観視し、矛盾そのものを表出させる一つの試みととらえることもできるが、それ以上に撮影者を不在にさせるという意味のほうが大きい。いずれにしても、それは写真を撮るという矛盾に対する精一杯の対処法でもあった。
 大量に撮影されたポートレイトには、さまざまな井村が写っている。
歯を磨く井村、電車に揺られる井村(電車の中では、向かいの窓枠にカメラを置いて撮る)、バスタブに浸かる井村、一糸まとわぬ姿で立ちつくす井村。ありふれた生活の中のありふれた行動。しかし徹底的に自身を追い続けるレンズの焦点は、自分自身の姿ではなく、世界を捉える前にいやがおうにも介在する“自意識”に据えられているようにも見える。ひとたび自意識の存在に気づけば、その視線からは二度と逃れることはできない。主観というものに対する意識は、井村を「主観の現れない写真」の模索へと向かわせ、さまざまな試みへとかりたてていく。

 2001年に開催された「週末写真館」は、矛盾を徹底的に追求するための象徴的な試みともいえるだろう。これは、会場に設置したスタジオで来場者のポートレイトを撮影し、プリントしたポートレイトを商品として来場者に販売すると同時に、作品として会場に展示していくというもので、2001年から2003年にかけて年に1回、1ヶ月の会期中の週末に行なわれた。
 “初対面の他人を黒いバックの前に座らせ、照明を当て、カメラをのぞくと、途端に「ただ単に相手を見る」という構図が完成してしまう。
それこそ私がこの企画において望んでいた場面であり、その構図や場面、行為は至って単純であり、明解であった。”(『一巴手帖』より)
 合計3回行なわれたこの企画で撮影されたポートレイトは延べ532枚にも及び、初対面の人物の撮影、現像・紙焼き作業、展示をたった一人で行なうという、不眠不休の過酷なものであった。
“しかし、「ただ単に相手を見る」ことで相手のことがほとんど分かる、という問題が起きてしまった。人は見れば、ただ見れば分かる。
「ただ見るだけ」の機会がないだけで。よろこびや悲しみや別れや欲望や後悔や愛情や暴力ややさしさや嫉妬や自尊心や経験や憧れや希望や諦めや恥や迷いやら(って書き連ねましたが、言葉に当てはめただけで本当は何かわからない)何かが見える。背負っている他人の過去が映像的に見える。人間は全然単純じゃないし、明解でもない――”(『一巴手帖』より)。
 このほとんど限界に近い肉体的・精神的労働に対して井村は、“私が人間として生きることに対して矛盾と問題を発生させただけでした”と感想を述べているが、この作業によって「矛盾」に対する、無意識の回答を得ていたのではないだろうか。
 “ずっと自分ばかり撮ってきたように思います――”これは、2004年に本画廊で開催された個展のDMに井村自身が寄せたコメントである。このコメントについて井村は“自分が撮った写真は、被写体がなんであれ、自分しか写らない。(自分=撮影する人の視覚や意識が何より写りこんでしまうヨー!)ていうことです”(『Paper』014号別冊『一巴手帖』より)と説明し、敢えて自分以外の被写体を撮影した写真を選んだこの写真展に「セルフポートレイト展」というタイトルをつけている。
“――私にとって現実の展覧会タイトルは「井村一巴〈決別!セルフポートレイト〉展」だと思いま
す。”(『一巴手帖』より)

 今回の新作展のために、井村は黒いバックの前に佇むモノクロのポートレイトを撮影している。
 撮影は、両親が運営する小さなギャラリーのスペースを借り、深夜、夜通し行なわれる。黒い布の前に一人たたずみ、さまざまなポーズを取ってみる。正面から、斜めから、頬杖をつき、椅子に座り、椅子の上に不自然な姿勢でしゃがみこみ――一晩で、36枚撮のフィルム5〜6本をあっという間に使い切り、夜通し撮りつづけた翌日は筋肉痛に悩まされるという。井村にとってポートレイトとは、身体を張ったパフォーマンスでもある。表現ではなく、主観を超えて、進んでいくための。
 そして井村は、モノクロのセルフポートレイトの表面を、買った洋服の値札を止めている小さな安全ピンの先で削り、絵を描きはじめた。
 柔らかな光沢を持つ印画紙の表面は、針の先で削られてめくれ、支持体の紙が覗いて、かぼそくも白く鋭い線となる。ポートレイトに絡みつくように描かれたそれらは、植物のつるのようであったり、背景一面に降り注ぐ雨であったり、背中に生える翼であったり、頭の上にチョコンとかぶせられたティアラであったりする。楽しげに描かれたこれらの絵は、ただひたすらにかいわらしく、やさしい。
 しかしながら敢えて深読みをするならば、これは、世界と自分とのなすすべもない関係性に亀裂を入れる、ささやかな試みであるようにも見える。
“写真を撮る意味や、主観客観、とは関係なく在る画像・写真を作ってしまっていると思います”(今回の写真についての井村メールより)
 あくまでも素材として自分自身を撮ること。写真を印画紙(物質)として捉えること。それは写真という矛盾に対する一つの答えでもあり、さらにいえば、自分自身もまた、世界を構成している一要素に過ぎないということにはならないだろうか。無数に刻まれた線は、自意識というフィルターの亀裂から漏れ出す光のようにも見える。
 この亀裂の向こうには、友人たちが笑いさざめく、何でもない世界が広がっているのだろうか? 彼女たちの世界があんなにも明るいのは、そこには主観がないからだ。自意識を解き放ったところに初めて、世界は広がりはじめる。
 “表現”というものが、人間が生きていくための一つの理論を視覚化したものであるとするならば、この展覧会はまぎれもなく、写真によって表現することへと到達した作品群であり、来場した私たちは、生まれたばかりの新しい表現に立ち合うことになるだろう。
      (おかべまほ・美術ライター)

(註1)『paper』……井村自身が刊行する個人誌。1997年7月創刊。ゼロックスのカラーコピーを使い、1冊ずつホッチキスで綴じて製本されている。現在015号まで刊行。写真のほかに、井村自身のことばが添えられている。



画廊亭主敬白/来週6月15日から、久しぶりに井村一巴さんの個展を開催します。
本人にとっても、ときの忘れものにとっても二度目の個展です。
写真なのですが、そこに安全ピンで引っ掻いた絵があらわれます。一枚きりしかない「描かれた写真」です。その面白さを何とかお伝えしたいと思い、若いライターの岡部万穂さんに作品について書いていただきました。
展覧会に先駆けて掲載させていただきます。
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