松岡剛のエッセイ

松岡剛「殿敷侃展とその後(2)」

殿敷侃展とその後(2)

松岡剛
(広島市現代美術館学芸員)

 殿敷侃の多様な創作に見出せる一貫性を要約するならば、原爆によって無残に踏みにじられた人間の生や、社会の流れのなかで忘れ去られ蔑ろにされた存在を人々の意識に上らせることで、それらの存在に報いようとするものだった、と言えるのではないでしょうか。広島市現代美術館での殿敷侃展では、彼の創作全般を指し示すキーワードとして彼自身による「逆流」という言葉を用い、サブタイトルを「逆流の生まれるところ」としたのでした。
 前回の末尾で触れましたように、殿敷侃の活動をあらためて見返したとき、彼の周りには、様々な面で彼をサポートした人々が常に存在していたことを認識させられます。とりわけ、長門の地で地元の人々と過ごした日常は彼の問題意識や、制作のテーマにも影響を及ぼしたに違いありません。晩年近くに行った野外プロジェクトには、多数の地元住民の協力を得て実現したものがあります。とりわけ《山口―日本海―二位ノ浜、お好み焼き》(1987)では、多数の人々による参加そのものが主要なテーマとなっています。

1《山口―日本海―二位ノ浜、お好み焼き》1987年
二位ノ浜(長門市)での制作風景
(撮影:読売新聞社)


 また、86年以降、東京の画廊や美術館で廃棄物を用いたインスタレーションを発表するようになりました。たとえば、《森と漂流物が愛し合った時》(板橋区立美術館、1991)で、展示空間に介入させたのは、廃棄物としてだけでなく、東京という中央に対する地方という存在としての異物でもあります。実際彼は、これらの漂流物を長門の海岸で地元住民とともに拾い集め、東京へ送り込んだのでした。それは、主要都市との非対称な関係において、地方の自然や共同体が蔑ろにされる状況の告発であり、いわば地方から都会へと差し向けられた逆流であった訳です。
 今回の展覧会を開催するということは、殿敷侃の生涯はもちろんのこと、彼が作品のテーマとして主題化し報いようとした多くの人々、そして彼の制作を支えた周囲の人々の生に応じることであるように感じられたのでした。

2《BARRICADE IWAKI》1988年
いわき市立美術館での展示風景

3《椰子の実のためのバリケード》1987年
かねこアートG1(東京)での展示風景
(撮影:常葉雅人)

4《対峙する墓標》1991年
水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景
(撮影:佐藤毅

 一方で彼の挑発行為は、既存の制度に支えられつつ再生産する場としての美術館へ向けられたものでもありました。荒々しい素材や、展示空間に収まりきらないスケールばかりでなく、再展示・再構成の極めて困難なその特性によって、作家不在の状況では作品そのものを再び提示することが不可能にさえ思えます。そのため、晩年の殿敷の活動は、展覧会を構成する上で、大きな課題を突きつけるものでした。彼の作品がキャリア全体を通じた展開のなかで、よりダイナミックなものへとなっていき、一連のインスタレーションはその最終局面を示しています。そのため、当時の展示を彷彿とさせる臨場感を提示したい、という欲求にかられます。とはいえ、本展においては、オリジナルに忠実であることを担保できない再構成や、臨場感を過度に演出した展示を控えることとしました。それは、現物としての作品が残されていない状況にあって、次第に曖昧なものとなってしまう「殿敷が残したもの」の輪郭をまずは一度整理することを最優先事項に据えたからです。そして、おそらくは当人も想定していたであろう、主要な作品の不在という状況をまずは受け入れることが、殿敷の挑戦に報いることであると考えました。
 その結果、展覧会前半と後半とを比較すると、「作品」と「資料」との関係が逆転したようになっています。つまり、絵画や版画を中心とした時代においては、残された作品群が主要な展示物として存在し、記録写真や手記といった資料は作品を鑑賞する際の補足として機能しています。一方、現物としての作品があまり残されていない晩年の表現活動に関しては記録や関連資料しかありません。「作品」として展示されているのは、比較的小さな(それ故に今日まで残されてきた)例外的なものに限られます。それらは、より大規模で主要な作品が記録として提示される(ほかない)状況を補完しているかのようです。
 こうした過程を経て初めて、殿敷のプロジェクトを同時代に体験できなかった人々を含む多くの者に、その活動について語り、検証する地平を開くことができるのではないでしょうか。こうしたことは、前半から中期にかけての絵画や版画作品に関して言えば、作品が安定的に残り、保存されていく状況の確保ということに置き換えられます。今回の展覧会開催をひとつのきっかけとして、複数の美術館が殿敷作品の収蔵を検討されています。これらの作品が各地の美術館のコレクションに加えられ、持続的に作品が残り、時代を超えて鑑賞され続ける可能性を得たことはたいへん喜ばしいことです。

5「殿敷侃:逆流の生まれるところ」会場風景
広島市現代美術館


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 今回の展覧会を準備するにあたって、作家がアトリエに残した作品・資料は言うに及ばず、制作協力者、美術関係者、ジャーナリストなど、多くの人々の手許にもインスタレーションの記録写真、映像、それに掲載記事から手記など、膨大な資料の存在を確認し、活用することができました。それらを重ね合わせ、補い合わせることで浮かび上がる全体像が展覧会の基礎を形作っています。これらは現在まで、主に個人によって保管されてきたものでした。私たちの調査が一定の成果を伴うものであったとすれば、それは第一にこれらの情報を集約させたことにあるのだと思います。殿敷という作家について、今後も作品の展示や調査研究の機会が持たれ、さらに踏み込んだ議論が繰り広げられることとなれば、本展に携わった者として、これに勝る喜びはありません。展覧会の終了とともに別の業務に追われ、未だその最中ではありますが、今後の研究者に対して、私たちが作家について得たすべての情報を提供する準備を整えておかなくてはならないと考えています。

8タイトル不明、1986年頃、ミクストメディア


まつおか たけし

■松岡剛 Takeshi MATSUOKA
1975年大阪府生まれ。大阪大学文学部卒。1998年より広島市現代美術館学芸員。「HEAVEN:都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン」(2010年)「路上と観察をめぐる表現史」(2013年)「赤瀬川原平の芸術原論展」(共同企画、2014-15年)「ライフ=ワーク」(2015年)「殿敷侃:逆流の生まれるところ」(2017年)などを企画。

*画廊亭主敬白
今春、広島市現代美術館で開催された「殿敷侃:逆流の生まれるところ」(会期:2017年3月18日〜5月21日)について、担当された松岡剛先生に二回にわたり「殿敷侃展とその後」を書いていただきました(9月13日ブログ参照)。
亭主も商売柄、美術館の企画展の裏側を少しはのぞいてきました。何年もかけて組み立てた展覧会ももちろんありますが、日本の行政の単年度予算の性質上、多くは短期決戦にならざるを得ない。そうでなくても日々の雑用に追われる学芸員たちの涙ぐましい努力によって一年足らずの間に組み立てられ、作品集め、展示構成、カタログ編集が同時進行する。入場者を増やすためにしなくてもいい苦労を重ねる。開幕にこぎつけたときは精根尽き果てて・・・・
欧米だと、それからが勝負。会期中にあった様々な反響を整理し、展覧会では実現できなかったこと、積み残した課題を次のステップにする。担当したキューレーターはその業績によって評価され、さらに上を目指す。
日本の「やりっぱなし」はいかにももったいないし、学芸員たちの蓄積にもならない。鑑賞者にとっても「見て終わり」ではなく、受けた感動をさらに深める努力が必要ではないか。亭主の商売でいえば、美術館での展示成果を、市場での評価につなげる努力が求められる。そんな思いを託して原稿執筆を依頼した次第です。
お忙しい中、ご執筆いただいた松岡先生に心より感謝いたします。ありがとうございました。

●本日のお勧め作品は、殿敷侃です。
21_kani殿敷侃
《カブトガニ》(仮称)
油彩
49.5×24.5cm
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

埼玉県立近代美術館では15年ぶりとなる「駒井哲郎 夢の散策者」展が開催されています。
会期:2017年9月12日[火]〜10月9日[月・祝]
企画を担当された吉岡知子さん(同館学芸員)のエッセイ<企画展「駒井哲郎 夢の散策者」に寄せて―武田光司氏のコレクション>をお読みください。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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松岡剛「殿敷侃展とその後(1)」

殿敷侃展とその後(1)

松岡剛
(広島市現代美術館学芸員)

 今年の3月から5月にかけて、広島市現代美術館では広島出身の作家、殿敷侃(1942-1992)を紹介する特別展を開催しました。本展にもご協力を賜りました綿貫氏より機会をいただき、その準備から展覧会の開催までを振り返り、報告させていただきます。

01殿敷侃:逆流の生まれるところ」会場風景 広島市現代美術館


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 「殿敷侃:逆流の生まれるところ」は、その初期から最晩年までの活動を網羅する回顧展として構想されました。殿敷が広島と山口を活動の拠点としていたこともあり、これまでに下関市立美術館(1993)、山口県立美術館(2008)、はつかいち美術ギャラリー(2013)といった各所で回顧展が催されてきたものの、意外なことに出身地である広島市では初の本格的な開催となりました。殿敷にとって広島は出身地というだけでなく、原爆体験が制作の原点であり続けたという点においても重要な場所と言えます。私が今から20年近く前、広島で仕事を始めた時から既に、殿敷の名前は当館でも検証すべき作家として挙がっていたように記憶しています。美術館の先輩学芸員、地元の作家、キュレーターといった人々から話を聞く中で、広島のアートシーンの展開にも深く関わる作家であることを知りました。
 一方で、殿敷侃という作家は絵画に始まり、銅版画、シルクスクリーン版画、インスタレーションへと、技法とともに作風を変転させ、それに伴って発表の方法や場も移り変わっていきます。それ故に、様々な局面で作家や作品に親しみつつも、そのイメージが断片的であったという方も多数おられる状況がありました。こうした作家の全貌をあらためて辿ることは、とりわけ広島という町で活動する美術館として意義のあることに思えました。

 本展の様子は、既に佐藤毅氏が本ブログで詳細なレポートを寄せられているように、この目まぐるしい展開を遂げた作家の活動をそのスタイルごと、年代順に整理し概観する構成としています。今日作品が残されているものについては、いくつかの例外を除いてほぼ全てのタイプの作品を展示しました。そうすることで、殿敷という作家がどのような流れの中で新たなスタイルに着手し、どのように変化していていったのかということを示そうとしています。こうしてその全貌を提示することで浮かび上がってくる点もありました。

04《は2》1970年 油彩・キャンバス


05《釋寛量信士(鉄かぶと)》1977年 油彩・キャンバス


06《HYDROGEN BOMB (2)》1981年 シルクスクリーン・キャンバス


07《タイヤの生る木[Plan.7]》1991年(撮影:中本修造)


 なかでも注目すべきは、彼が一つの技法に取り組み自身のスタイルへと到る際の集中力でしょう。たとえば、キャリアの前半期を代表するものに銅版画があります。彼のペン画を目にし、才能を見出した美術評論家、久保貞次郎の勧めによって、1977年から始められました。それまでのペン画を思わせる細密な点描によるエッチングに始まり、次第にアクアチントによってモチーフとなる物体を直に型取りするような手法を模索し始めます。さらには、物を銅板に強く押しつけて生じるへこみを利用した作品など実験的な創作を展開させ、多彩な作品を残しました。その制作期間はわずか3年ほどであったと推測されます。このように、彼はひとつの技法に取り組む中で集中的に実験を繰り返し、一定の作風を確立していきます。時としてそれらは作家としての評価や作品の販売に繋がっていくのですが、長く作り続けることはなく、新たな別の技法へと関心が移っていきます。同様のことが、絵画やシルクスクリーンの作品にも見られます。新たな試みと同時に過去のスタイルを平行して続けていた形跡もあまり見られませんでした。彼が綴った手記や、関わった人々の言葉からは、彼が頓着なく軽やかに他の作家のスタイルを受け入れ、取り込んでいった様子も窺われます。また、ひとつのスタイルの中で醸成させた自身の問題意識を新たに展開させる別のスタイルを直感的に選び取っていったようでもあります。
 そこで重要なのが、既存の様式を自身の問題意識に強引に接続させ、換骨奪胎させるかのような、スタイル採用の作法でした。こうした特質を語るときに無視できないのが、彼の原爆体験です。自身も語っているように彼は原爆を制作の原点に据えていました。様々な様相を呈しながらも、作品に透かし見える(見せる?)彼の原爆体験がいずれの作品の印象にも、切実さや重みをもたらします。彼は作風の展開を通して、自身の原爆体験を様々な手法とオーバーラップさせていくことで、既存の手法を読み替えていくとともに、自身の原爆体験の意味合いも普遍性を帯びたテーマへと再編成していったように見えます。

08《作品(石)》1977年 エッチング・紙


09《貝(3)》1978年 エッチング・雁皮紙


10《彼岸花》制作年不明 アクアチント・紙


11《クシ》制作年不明 アクアチント・紙


12タイトル、制作年不明 アクアチント、型押し・紙


 このような作家の歩みを反映させるように、展覧会はその短いキャリアに見合わぬほどバラエティに富み、そこになお一貫性を見出すことのできる流れを形作りました。そして、この流れは彼が常に新たな関心を持ち続け、それにのみ集中し制作に明け暮れた日々を物語っています。たしかに彼の創作は、苦悩や怒り、抵抗の身振りを伴っていますが、一方でそのキャリア全体を眺めたとき、そこに作家としての幸福を見出すこともできるように思われます。このような生活が続けられたことの背景には、彼を慕う周囲の人々の強力なサポートがありました。そうした人々が、作家の没後もアトリエや作品、資料を管理し、本展覧会開催への大きな助けとなったことは言うまでもありません。(つづく)
まつおか たけし

*後編は9月18日に掲載します。

■松岡剛 Takeshi MATSUOKA
1975年大阪府生まれ。大阪大学文学部卒。1998年より広島市現代美術館学芸員。「HEAVEN:都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン」(2010年)「路上と観察をめぐる表現史」(2013年)「赤瀬川原平の芸術原論展」(共同企画、2014-15年)「ライフ=ワーク」(2015年)「殿敷侃:逆流の生まれるところ」(2017年)などを企画。

●本日のお勧め作品は、殿敷侃です。
20170909_08_block殿敷侃
《ドームのレンガ》(1)
1977
銅版、雁皮刷り
イメージサイズ:23.2×32.3cm
シートサイズ :32.8×44.0cm
Ed.50 サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

埼玉県立近代美術館では15年ぶりとなる「駒井哲郎 夢の散策者」展が開催されています。
会期:2017年9月12日[火]〜10月9日[月・祝]
企画を担当された吉岡知子さん(同館学芸員)のエッセイ<企画展「駒井哲郎 夢の散策者」に寄せて―武田光司氏のコレクション>をお読みください。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

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