森下明彦のエッセイ

森下明彦「金坂健二とその時代」その3

森下明彦「金坂健二とその時代」その3

ウォーホル・メカス・金坂


 きわめて大雑把な記述であるが、当時の概況を記しておきたい。1960年代中期から、美術においては「環境芸術」の動向と共に、技術(テクノロジー)への注目が高まっていった。他方、映像の領域に関しては、「拡張映画」への方向が顕著になる。それは旧来の映画の概念や制度を創造破壊する一方、メディアを縦断、総合する「インターメディア」とも結び付いていく(美術家による映像制作が盛んになるのもこの頃であった)。上述のように金坂に関して見てきた事柄も、こうした時代背景を背負っていたのである(もちろん、対抗文化が席巻したことも忘れてはならない)。この辺の経緯については、先に開催された展覧会、「エクスパンデッド・シネマ再考」(東京都写真美術館/2017年8月15日〜10月15日)が記憶に新しいのでこれ以上は触れない(在神戸の私は見逃してしまったのであるが)。

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 以上は準備作業であった。いよいよ本題に入りたい。金坂健二が取り上げた芸術家や映画作家の中でも、執筆の分量が多いと思われるのが、アンディ・ウォーホルである。金坂のウォーホルについての文章をいくつか検討してみたい。あるところで「六六年にはじめてウォーホールにあった日の印象を、ぼくは忘れないであろう」と書いている(『幻覚の共和国』〔晶文社/1971年〕)。この後段でウォーホルを「一種の醜男」と表現し、「ファクトリー」での彼の挙動を観察して、「ただものではなかったのである」とまとめている。
 1967年に出版された『地下のアメリカ』(学芸書林)には短いウォーホル紹介が収められている。執筆はウォーホルが銃撃される以前であったが、ポップ・アートの作家としての彼の仕事に、既に「犹爿瓩離疋薀沺廚鰉未取っているのだ。しかし、版画などの作品と異なり、映画においてはこうした死や虚無があまり感じられないとして、「ツヤヤカな死が映画ではデレンとぶら下がってしまう」とやや曖昧なたとえを使っている。なお、この著作には最初の訪問時に撮影されたと思われる、ケネディ大統領夫人のジャクリーヌの肖像写真を吟味する1枚(カラー図版)が掲載されている。
 さて、実際にウォーホルが撃たれたとなると、金坂はそれを報じる記事を直ちに「映画評論」(1968年8月)に掲載している。
 時代が前後するが、先に見た1966年に発表した長文で金坂健二が提示したアンディ・ウォーホル観は、雑駁にまとめると2つになる。第一はアメリカ的な効率主義をひっくり返したことで、アメリカや西欧の道徳観と言ったものが疑われるようになる。そこに、金坂は慧眼にもジョン・ケージの「沈黙」を引き合いに出す。《エンパイア》の構想はケージの「アイデアそのまま」、と書いているが、私はこれを確認し得ない。もう一つは、アンディ・ウォーホルの映画における「個性の拒否」である。とは言え、そこのからくりは意外に深い。金坂は「人為を排して一種の無我の境地にひたるとすれば、それはコマーシャリズムが彼の主体に代る」ことに等しいと、喝破する。未だウォーホルとその仕事がこの国に一般的でなかった時期にこう述べたことは注目に値しよう(「アンダーグラウンド・シネマ論」/前出)。
 金坂健二も(おそらく複数回に及ぶ)アンディ・ウォーホル訪問を通して、次第にこの希有な芸術家の実態を把握するようになる。いくつかのウォーホル論を書き、3つの時期に分けてフィルモグラフィを構成し(「美術手帖」1973年11月増刊)、一つひとつの映画作品を論じるなど、多角的な取り組みを行っている。
 そうした中には、彼の周囲の関係者についての人物像を紹介したものもある(「映画作家アンディ・ウォーホルと彼をめぐるおかしな、おかしな男女(Andy Warhol)」〔「美術手帖」1973年11月増刊〕)。あろうことか、そこにはヴァレリー・ソラナスについての記述に一節を割いていた。1968年6月3日、ウォーホルを銃撃した犯人である。この事件が当事者であるウォーホルだけでなく、金坂にとっても大きな衝撃を与えたのではと推察される。別人についての行において、金坂の観察眼は撃たれた後のウォーホルをこう書いている:「いままで超然としていた人間関係の中へいやおうなく降りて来た観がある」。とするなら、全くの外野にいる私ですら、ソラナスの主張である「男(MEN)は皆殺して、人間(MAN)になろう」が達成されたとうなづいてしまうだろう。それがアンディ・ウォーホルであったとは、皮肉以上のものがあるのだが。
 これ以降も金坂健二のアンディ・ウォーホルについての著述は散見されるが、ここでは彼の死後に表された追悼文を読んでおきたい(「追悼 アンディ・ウォーホル」〔「キネマ旬報」1987年4月1日〕)。その仕事の評価についてであるが、美術に関してはそれを変えたと言うより、「ポップ社会」を生み出したことを重視している。映画においては、それを個人の手に取り戻し、題材面でも多くのタブーを扱ったとして「映像文化の現在をかくあらしめ」たと指摘する。この文の冒頭はウォーホルの訃報を聞いて「何か矛盾した思いだった。最初から彼には生ける屍、といった趣がついて廻っていた」となっていて、これまでこの拙稿で垣間見て来たことが再確認出来る。
 今回「ときの忘れもの」では、金坂健二撮影のアンディ・ウォーホルの写真が展覧される。金坂が本格的に写真に取り組み始めたのは1968年の渡米後からとされている。先述のように、1966年にアンディ・ウォーホルを撮影しているのはそれ以前のこととなるが、それでもこの時の写真からは、写真家としての「眼」は既にしっかりしていたとうかがえる。
 方法が違うにせよ、ジョナス・メカスと金坂健二の仕事の比較もまた楽しいだろう。最大の面白さは、前回も触れたが、ウォーホル自身が(映画と写真の双方の)撮影者でもあったと言うこと――立場の逆転がいかなる結果をもたらしたのだろうか?
 この時代のキーワードとも言える「個人的なことは政治的である」という標語を受けてのことかもしれないが、上に略述した金坂健二の1966年の長文では、時々「プライベート」という言葉が使われていることが印象的である。アンダーグラウンド映画が「アングラ」として世の中に表層的にはびこった後、実験的な映画がある意味で再び興隆するのは「個人映画」によると言えよう。その推進役として大きな力となったのが前回に触れたジョナス・メカスであり、その『映画日記』や《リトアニアへの旅の追憶》である。
 かくして、3回連載のこの小文も、何やら出発点に戻ったようだ。実は不勉強な私が犯したある見落としがあった。先の1966年の考察において金坂は既に《イエスの罪》に言及しており、当然ながらメカスが出演していることにも触れていた。文章はきちんと読まねばならなかったのである。

追記:この原稿を出稿した後、ジョナス・メカスの「自由な映画を目指して」が訳載された「世界映画資料」(1960年1月)を見ることが出来た。そこには金坂健二の翻訳になるメカスの別な文章、「映画の新世代への呼び声」(「フィルム・カルチャー」第19号所載)とともに、その金坂の短文、「人間のイメージについて」も掲載されていた。金坂の最初のアメリカ渡航以前のことである。
もりした あきひこ

■森下明彦 Akihiko MORISHITA
メディア・アーティスト/美術・音楽・パノラマ愛好家。作品制作や上映会の企画を行うかたわら、美術や映像の調査研究を進めている。
森下明彦
森下明彦さん(左)
2017年12月19日ときの忘れものにて

●今日のお勧め作品は、金坂健二です。
004金坂健二
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1968年
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◆埼玉県立近代美術館で2018年1月16日〜3月25日「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が開催されます。
パンフレット_04


◆ときの忘れものは「WARHOL―underground america」を開催しています。
会期=2017年12月12日[火]―12月28日[木] ※日・月・祝日休廊
201712_WARHOL

1960年代を風靡したアングラという言葉は、「アンダーグラウンドシネマ」という映画の動向を指す言葉として使われ始めました。ハリウッドの商業映画とはまったく異なる映像美を目指したジョナス・メカスアンディ・ウォーホルの映画をいちはやく日本に紹介したのが映画評論家の金坂健二でした。金坂は自身映像作家でもあり、また多くの写真作品も残しました。没後、忘れられつつある金坂ですが、彼の撮影したウォーホルのポートレートを展示するともに、著書や写真集で金坂の疾走した60〜70年代を回顧します。
会期中毎日15時よりメカス映画「this side of paradise」を上映します
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60〜70年代のアメリカを象徴する映像作品です。(予約不要、料金500円はメカスさんのNYフィルム・アーカイブスに送金します)。

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展覧会については「植田実のエッセイ」と「光嶋裕介のエッセイ」を、「番頭おだちのオープニング・レポート」と合わせ読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


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電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

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森下明彦「金坂健二とその時代」その2

森下明彦「金坂健二とその時代」その2

ウォーホル・メカス・金坂


 前稿に続き、今回は第三の人物、金坂健二(1934〜1999年)に登場していただく。とは言え、その膨大な著述の全てを扱うのはかなわず、いくつかに限定して進めていかざるを得ない。
 金坂健二は1957年、慶応義塾大学文学部英文学科卒業。1961年に渡米し新たな映画の動向に出会い、帰国後に映画評論を執筆し始める。再び64年から足掛け3年に及び、長期にアメリカやメキシコに滞在した。1966年に帰国後、草月シネマテーク第12回「アンダーグラウンド・シネマ――日本・アメリカ」(草月会館ホール/1966年6月29日〜7月2日)の企画・実施に貢献する。この国で初めて(ある程度)まとまって日米の先端的な映画作品が紹介され、大盛況であった(京都、大阪、札幌にも巡回した)。
 その中ではスタン・ブラッケージの諸作品が注目されるが、カール・リンダーの《悪魔は死んだ》(1964年)が特に人気があったと言う。日本からはドナルド・リチー、飯村隆彦《Ai (Love)》(1962年)ほかと、アメリカで制作した金坂の《アメリカ・アメリカ・アメリカ》(1966年)など――両国合わせて10本が上映された(なお、同年10月から11月にかけて、現在の東京国立近代美術館である国立近代美術館にて開催された、「アメリカ短編映画の20年」も忘れてはならないだろう)。
 この上映会のもう一つの意義は、あのジョナス・メカスの有名な宣言がパンフレットに掲載されたことだ(訳は金坂。抄訳ではあるが)。その良く知られた末尾はこうであった――「ピカピカした、ペラペラしたニセモノはもうゴメンだ。荒けずりでナマでいい、生きていてもらいたいのだ。バラ色じゃなくていい。血の色をした映画が欲しいんだ。」(全訳は少し遅れて「映画評論」1966年9月に掲載された)。
 以後、金坂もその牽引役となった、いわゆる「アングラ・ブーム」の渦中に置かれることになったこれらの新しい作品群は、さまざまな毀誉褒貶が入り交じる中、紆余曲折を経ることになる。草月会館ホールでは、「アンダーグラウンド・フィルム・フェスティバル」(1967年3月)、「アメリカの実験映画――シュールレアリスムからアンダーグラウンド・シネマへ」(朝日講堂、草月会館ホール/1967年5月)などが立て続けに開かれ、公募をも含む「第1回草月実験映画祭」(1967年11月)に至る(アンディ・ウォーホルの《ヴィニール》〔1965年〕上映)。翌年には「フィルムアート・フェスティバル東京 ’68」(1968年10月)と改称され、公募部門の最優秀作品賞に原正孝(將人)の《おかしさに彩られた悲しみのバラード》(1968年)が選出された(前回引き合いに出したトニー・コンラッドの《ザ・フリッカー》はこの時に紹介された)。
 ここでは詳述は出来ないが、概ねこのような経過を辿り、この国の個人的、実験的な映像制作は続いていく。忘れてはならないものとして、メカスが主宰する組織に似た作家組合や配給組織に関する提案が金坂健二から出され、(「我々は何故コーポラティブを作るか――アンダーグラウンド独立宣言」〔「映画評論」1968年4月〕)、「ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティブ」が発足したことを挙げておきたい。「アングラ・ブーム」に欠けているのは「協力な作家集団」であるとして、「自由な個性を持つ映像作家の集合である協会の設立」を呼びかけている。
 1969年辺りから、金坂健二は自らが牽引してきた新たな映像創造のうねりに対して、別なる行動を開始する。例えば「ニューズリール・ジャパン」の結成(1969年6月)がそうであり、1970年の大阪万国博覧会開催に向けた反対闘争につながる。やがてかの「フィルムアート・フェスティバル東京1969」の初日中止へと至るわけである。
 さて、金坂健二の論考を手短に復習しておきたい。20歳台後半の金坂が1961年に初渡米し、彼の地で新たな映画興隆、つまり「独立映画製作」の作家たちの存在を直接目の当たりにして紹介し、論じたのは1962年のことであった(「オフ・ハリウッド・シネマ」〔「映画評論」1962年7月〕)。後に「アンダーグランド・シネマ」や「個人映画」と呼ばれる動向を知らせたものとしてはきわめて早いものであった。そうした動向の背景に、ディズニー・ランドとハリウッドを重ね合わせ、「閉ざされて生命を奪われたカンヅメ化」を嗅ぎ取っている。これこそ、新たな映画を生み出す背景としての状況なのである(文章の題名がいみじくも示している)。
 アメリカの実践は各地にまたがり、その全貌を短期間でつかむのは困難と言えるが、それにしても金坂の言及した作家たちは傾向や流派の点でも幅広いものであった。要する「牘撚荵唆鉢瓩離▲鵐船董璽爾箸靴董映画に新しいエネルギーを注入し甦らせようとする姿勢」が肝要であり、その点ではイギリスやフランスなど諸外国の実践も合わせて、「明日の映画の可能性を背負っている世代の見取り図を作るのも良い」としている。いずれにせよ、帰国後に金坂健二自身が初めての映画作品、《燃えやすい耳》(1963年)を制作するに至るほど、アメリカでの見聞は彼をして新たな映画創造(と、その運動)へと駆り立てたことは間違いないだろう。
 奇妙なことであるが、金坂がメカスの宣言文などを翻訳し、自らの論考を発表し、アングラを喧伝していくのは1966年以降になってからである(それまでは、主としてアラン・レネやロブ・グリエ、ルイス・ブニュエルほか国内外の革新的な監督たちを取り上げていた。先述の「見取り図」作成の一環であろう)。その時間差の理由は私には分からない。
 1966年の上映会、「アンダーグラウンド・シネマ――日本・アメリカ」の少し後に刊行された論考で、金坂は1962年以来の主題を再び細かに論じている(「アンダーグラウンド・シネマ論」〔「映画評論」1966年10月〕)。背景となるアメリカの文化を変容を説き(ヴェトナム戦争の泥沼化、など)、そこに「映画における人間の自由の追求」であるアンダーグラウンド映画の成長を重ねていく。ウォーホルに関しては後にまとめて論じることにし、取り上げた作家の名前だけ挙げれば、ブルース・ベイリー、スタン・ブラッケージ、ジャック・スミス、ジョナス・メカスほかである。末尾では自由の追求が激しさを増した結果、「時代の狂気を媒介として芸術の中に自ら、もうひとつの狂気を培養する」ようになると書き、その強烈な例としてケネス・アンガーを紹介している。
 しばしば金坂の主張に出てくる基本的な思考は、当時の新しい芸術が「意識とそれによって構成される主体への懐疑」をもたらすと言う点にある(例えば、「複層メディアの時代」〔「アンダーグラウンド・フィルム・フェスティバル」カタログ/1967年〕)。その意識を規制するのが言語である。しかし、現在の環境は「メディアの海」であり、「できあいの言語の船に乗って無傷でその海を渡」ることは出来ない。したがって、「多層的な感覚の解放、メディアそのものの構造への考察によるコミュニケイション・チャネルの開発」が要請されることになる。
 前者(感覚解放)に関しては金坂にとっては幻覚作用をもたらすLSDすら、一つのメディウムなのであった(金坂自身、いくつかのサイケデリック・ショーを演出し、ディスコを企画している)。後者(メディアの構造)は、例えばコンラッドの仕事におけるようにむしろ科学者的な眼差しで映画を創造させることにつながるだろう。
 一つ、注目すべき仕事が1968年に誕生している。先に触れた「ニューズリール・ジャパン」を後に一緒に立ち上げたりする中平卓馬も加わった、『アンダーグラウンド・ジェネレイション』(ノーベル書房/1968年)と言う、もはや写真集とは呼べないような「本」の出版だ。写真をコラージュしたり、つげ義春の漫画を組み込んだりと、かなり奔放に構成されており、これを複層メディアの(あるいは、後述の「インターメディア」の金坂なりの)具体化の一つの例と看做して良いだろう(ここには金坂の編集者的な資質が良く表れていると評価出来る。なお、私は現物を拝見出来ず、国立国会図書館デジタルコレクションを利用した)。
もりした あきひこ

■森下明彦 Akihiko MORISHITA
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《アンディ・ウォーホル》
1968年
ゼラチンシルバープリント
27.0x34.5cm
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A版ーB : 限定20部 価格:120,000円(税別)
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TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
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2017年11月
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森下明彦「金坂健二とその時代」その1

森下明彦のエッセイ「金坂健二とその時代」その1

ウォーホル・メカス・金坂


 今年見た展覧会で特に印象に残ったのが、アメリカの写真家、ロバート・フランクの個展。東京に続き、私の住む神戸市でも開催された。作品価格の高騰と言う現今の美術界の宿痾に対して、ある方法を持って果敢に挑んだ、批判的でありつつきわめて質の高い展覧であった。写真ばかりでなく、フランクの映画作品も多数上映された。個人映画の歴史に残る名作、《ひな菊を摘め》(1959年)とともに数本が上映されたが、その中に《イエスの罪》(1961年)があった。
 養鶏場に住み孤独な生活を送る女性が、ある時多数の天使に囲まれる。何とその一人がどうもジョナス・メカスが扮しているようなのだ。帰って調べたら、やはり配役に上がっていた。また彼の『映画日記』の邦訳には「ほかに天国へ入る道はなさそうに思えたので」、この役を演じることにしたとの説明とともに、メカス本人の写真が掲載されていた(飯村昭子訳『メカスの映画日記』〔フィルムアート社/改訂版:1993年〕)。
 ひょんな所で見かけたメカス――何かの予兆かと思っていたら、しばらくして本稿を依頼された。ジョナス・メカスと金坂健二が撮影したアンディ・ウォーホルのポートレートを紹介する展観であると言う。本稿は3回に分けて、この3人の仕事を互いに絡み合わせながら論じていく。この稿では以下、近年ではあまり語られることのない実験映画のある問題意識、つまり、メディアを批判的に捉えること自体を作品化するという観点から、いくつかの話題について考えてみたい。

 ジョナス・メカスは個人的/実験的映画の著名な人物として、もはや注釈も不要なほどであろう。ここで少し脱線するが、昨今議論が喧しい、映像に関する「アーカイヴズ」について付言しておきたい。メカスに関しては二重の意味がある。その第一はメカスが長年手掛けて来た日記映画である。多くの芸術家と並び、ニューヨークの下町の人々の生活が活写されている。二つ目の点は、彼が「アンソロジー・フィルム・アーカイヴズ」という映画美術館の設立に努力してきたことである。
 同じような意味で、ウォーホルもまた、彼のアトリエとも言うべき「ファクトリー」における映画やビデオ作品の出演者の映像、あるいは、ポラロイドも使っての多数の人物の(かなり多くの自写像も含む)写真――それらが既に「アーカイヴズ」を形成していたとも言えよう。金坂健二もまた、1960年代に何度も渡米し、当時の芸術家や若者たちを中心としたスナップ写真を撮影している。
 なるほど現在取沙汰される「アーカイヴズ」的視点とは、写真や映像に対して歴史的、社会的、人類学的、と言ったさまざまな評価軸から接近しようとするものであり、美術作品として価値はひとまず保留にされているようである。とは言え、この3人の仕事、殊にメカスに関しては「アーカイヴズ」的な活動を先取りしていたと銘記しておきたいのだ。
 何と言ってもウォーホルの初期映画作品の傑作は《エンパイア》(1964年)だろう。ニューヨークで有名な高層ビルを固定したカメラで延々撮影し、上映時間は8時間余りにもなる。もちろん、実験映画においては紋切り型になったお題目の一つ、物語性の否定の究極の形であることに間違いはない。その結果、時には「ミニマリスト」とも呼ばれたこのような映像からは、別なるもの、つまり「時間」が前景化してくる――この点もしばしば指摘されてきた。
 しかし、この作品は物語の否定を通して、実は別なる(新たなる)物語を生み出しているのではないか。一つは「何も起こらない」と言う出来事である。この《エンパイア》の撮影担当は他ならぬジョナス・メカスであるが、彼は亡霊のように窓ガラスに写っているのが記録されている(ウォーホル自身も同様に姿を見せる)。日没後にビルが照明を当てられ、パッと輝く。別のビルのライトが時々点滅する――期待するような事件が何も起こらない故、初公開時の観客は退屈し、時間を隔て、学習を行った現在の観客はこのような微細な出来事に敏感になるわけだ。メカス自身は当時の多くの観客の反応を嘆きつつ、こう書いていた。「この驚くほど単純な映画の中からなんと多くのことを読みとれることか――なんと豊かな映画だろう」(『メカスの映画日記』)。私なら「驚くほど複雑な映画」と改めたいのだが……。
 第二は、特にこの作品が16ミリ・フィルムで作られていて、さらに映写の速度が遅いということに起因するものである(1秒間16コマと言う、サイレント映画の速度である。撮影は24コマ)。スクリーンの明滅とフィルムの粒子がより一層目立つことになる。現今の高精度デジタル映像では、画面を形成している画素はほとんど見えない。他方、この作品では粒子の動きが表に出てくる。ある意味で、ここでは粒子を見せることが意図されているようでもあり、それにより映画と言うメディアの仕組みを開陳することにつながるだろう。
 ある時期の実験映画の関心は、像を記録したフィルム自体のあり方に特に目を向けていた。いわばイリュージョンとして不在の像に対して、フィルム上に現に実在する粒子やキズ、ゴミを主題にしようと考えていたのである(絵画におけるマティエールと像との相克を考えることと相似の問題である)。「構造映画」、あるいは「映画の物質性」、さらには「唯物主義」とも喧伝されたこのような傾向は、その源流の一つとして、このウォーホルの作品群を同定することが出来る。
 こうした流れの中に位置付けることが可能と思われるこの国の実験映画作家に、居田伊佐雄がいる。彼はある時、イメージと、フィルムのマティエールである粒子とのせめぎ合い(像と粒子それぞれの大きさの比較)について述べながら、粒子の粗い8ミリ・フィルムに写った青空に遠ざかる飛行機について、以下のように書いている。

「飛行機の像は小さくなるにつれて崩れていき、やがて青い粒子の蠢きの中に埋もれてゆく」(「VIEW FESTIVAL 1991」カタログ)。

フィルムの粒状性の悪さを嘆くのではなく、それに着目して作品を発想すべきと言う主張である。
 ギリシャ時代の哲学者を気取って、粒子が世界を形成するとは言わないにしても、少なくとも映画作品の世界においてはフィルムの粒子は本質的な要素と看做せるだろう。同じ銀粒子の布置を持ったコマが存在しない以上、各々のコマは皆それぞれ他と違い、それゆえ同じ映像は二度と出現しない。従って常にその都度、何か生じ、あるいは、消滅しているのである。粒子に注目し、それを開示することは、また同時に映画と言うメディアの楽屋裏を暴露することにもつながる(映画の制作過程を描いたり、「メイキング」と呼ばれる作品とは、似ているようであり、同時に全く違ってもいる)。次にその点について、ジョナス・メカスの作品を取り上げながら、別の角度から見ていきたい。
 メカスの初期の代表作の一つは《リトアニアへの旅の追憶》(1972年)である。この国の映像制作にも多大な影響与えたこの作品――実は途中から非常に短いショットをある間隔を置いて畳み掛けるようなやり方、ないしはコマ単位での撮影が続くようになる。メカスの様式的な技法であり、既に彼の十八番となって人々に認知されているやり方である。もともと映画においては、その技術からして不可避的な明滅する光が、ある種の視覚的な高揚感をもたらす(この点を極限まで押し進めたのが、昨年(2016年)に亡くなったトニー・コンラッドの《ザ・フリッカー》〔1966年〕であった)。メカスの作品にも似たような視覚効果による一種の幻惑が感じられる。
 そしてメカス独自の現実の捉え方にこうした撮影時の工夫をも含めた彼独自の映像用語があると指摘したのが中沢新一であり、これをいみじくも「メカス語」と名付けた(「月刊イメージフォーラム」1989年7月)。普遍言語にも国家の言語にも向かわない、個人と言う局所の言葉であり、かつ凡百の個人映画に見られる「ナルシシズム」にも染まらないものである。
 メカスは後には映画作品の一つ、ないし複数のコマを写真や版画作品として、平面上に定着させる「凍結したコマ」と言う仕事を開始する(1983年に初めて日本へやってきた際に作成したシルクスクリーンがその嚆矢と思われる)。フィルムの端にある穴(パーフォレーション)をも見せたものもある。メディアを異にし、しかも作品全体から切り離され、また動きも失った「凍結したコマ」は粒子の蠢きもなく、「メカス語」を語ることはないかもしれない。そのようではあっても、これも映画と言うメディアの成り立ちを示す、自己参照的な行為だとも考えられる。
 以上のように見ていくなら、メカスの場合は撮影方法に関しても、またこのような平面的作品についても、一貫して「コマを見せる」ことに注力してきたと言っても良いだろう。コマこそ粒子と同じく、フィルムを構成する最小単位であり、映画の根源的な要素であるからだ。ここでまとめして、やや的外れとも思われるが、フィルム作品は粒子を原子とし、コマを分子とする組成を持ったものだと喩えておきたい。通常想定されているショットとは、いわば高分子のようなものだろう。
 今回、メカスが「凍結した」コマには、果たしてウォーホルはどのように捉えられているのであろうか? もちろん、それらの作品を解凍して楽しむのは、私たち観客の特権である。

 再び私個人のことを述べさせていただきたい。ロバート・フランク展の前であるが、今年、2017年7月はある友人の映像作家のための小冊子の原稿を書いていた。その中には、初来日のジョナス・メカスが福岡にもやってきて、地元の映像作家たちと交歓したことに触れた文章もあった。メカスは既に今年の7月の時点で私の意識に再び現れていたのだ。本当のことを言えば、《エンパイア》についてもそうだったが、私たちが現在映像を語ろうとする時、ジョナス・メカスは神の如く、何処にも遍在しているのである。

(惜しくも10年前に亡くなった福間良夫が撮影した写真を上記の冊子に掲載することの承諾をメカスさんに得る段階で、画廊主宰の綿貫さんのお世話になったことを記しておきます。)

もりした あきひこ

■森下明彦 Akihiko MORISHITA
メディア・アーティスト/美術・音楽・パノラマ愛好家。作品制作や上映会の企画を行うかたわら、美術や映像の調査研究を進めている。

●今日のお勧め作品は、金坂健二です。
20171214_20171214_005金坂健二
《アンディ・ウォーホル》
1968年
ゼラチンシルバープリント
23.5x35.1cm

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◆ときの忘れものは「WARHOL―underground america」を開催します。
会期=2017年12月12日[火]―12月28日[木] ※日・月・祝日休廊
201712_WARHOL

1960年代を風靡したアングラという言葉は、「アンダーグラウンドシネマ」という映画の動向を指す言葉として使われ始めました。ハリウッドの商業映画とはまったく異なる映像美を目指したジョナス・メカスアンディ・ウォーホルの映画をいちはやく日本に紹介したのが映画評論家の金坂健二でした。金坂は自身映像作家でもあり、また多くの写真作品も残しました。没後、忘れられつつある金坂ですが、彼の撮影したウォーホルのポートレートを展示するともに、著書や写真集で金坂の疾走した60〜70年代を回顧します。
会期中毎日15時よりメカス映画「this side of paradise」を上映します
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60〜70年代のアメリカを象徴する映像作品です。(予約不要、料金500円はメカスさんのNYフィルム・アーカイブスに送金します)。

●書籍のご案内
版画掌誌5号表紙600
版画掌誌第5号
オリジナル版画入り美術誌
ときの忘れもの 発行
特集1/ジョナス・メカス
特集2/日和崎尊夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版ーA : 限定15部 価格:120,000円(税別) 
A版ーB : 限定20部 価格:120,000円(税別)
B版 : 限定35部 価格:70,000円(税別)


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別) *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
ときの忘れもので扱っています。

国立新美術館で開催中の「安藤忠雄展―挑戦―」は20万人を突破、会期も残り僅かです(12月18日[月]まで)。
展覧会については「植田実のエッセイ」と「光嶋裕介のエッセイ」を、「番頭おだちのオープニング・レポート」と合わせ読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


◆埼玉県立近代美術館の広報紙 ZOCALO の12月-1月号が発行され、次回の企画展「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が特集されています。館内で無料配布しているほか、HPからもご覧いただけます。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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