西岡文彦のエッセイ

西岡文彦「現代版画センターという景色・第3回 印刷メディアの記念碑性」

西岡文彦「現代版画センターという景色」(全3回)

第3回 印刷メディアの記念碑性


 現代版画センターの機関誌「画譜」の表紙デザインは、刷師の写真をアレンジするのが通例となっていた。
 版画制作の黒子である刷師にスポットを当てたのは、版画作品と愛好者の媒介となることを志す版画センターの思想を投影してのことであったのだろう。刷師もまた、作家の思い描くビジョンを作品に定着させるための媒介となることを身上としているからである。おかげで、森義利の刷師として修業中だった私も第2号の表紙に起用される幸運に恵まれることになったのだが、将来になんの希望も見いだせなくなっていた職人見習いの身には、それこそ天にも昇る心地の大抜擢であった。
画譜_第2号_p00_表紙
現代版画センター機関誌『画譜』第2号(1974年9月1日発行)
表紙:西岡文彦

 この「画譜」がセンターの機関誌であったのに対して、機関紙として刊行されていたのが「版画センターニュース」で、前者は雑誌、後者は新聞の体裁をとっていた。この他にもセンターは、エディション作品のカタログや版画家の作品集等々の編纂と刊行に力を注いでおり、出版物を媒介にして美術家と愛好家のコミュニティをメディア上に形成するという先駆的な試みに取り組んでいた。
 じつは、前回の原稿で印象派の育ての親として紹介した画商デュラン=リュエルも同様の試みに取り組み、美術史上初めて出版物を活用したことで知られている。十九世紀当時、唯一のマスメディアとして急成長する印刷物の影響力に着眼したデュラン=リュエルは、詩人、作家、批評家らに寄稿を依頼し雑誌を創刊。カタログ、画集、画家伝等々の刊行にも力を注いでいる。こうした事業は膨大な経費と多大の労力を要し、戦乱や不況のたびに挫折せざるを得なかったが、画商は事業家である以前に愛好家であるべきとの信念から、彼は採算を度外視した出版事業に生涯にわたって情熱を傾けている。
 印象派等の新進画家のオークション開催にも熱心で、美術史上初の「個展」という発表形式を創案したのもデュラン=リュエルであった。画家の個性というものに着目した最初の画商が彼であり、画家の伝記を雑誌に連載したのもそうした思想を反映してのことであった。なかでも『落ち穂拾い』で有名なバルビゾン派の画家ミレーの伝記は有名で、雑誌連載後に単行本として刊行され今日まで読み継がれている。
 このミレー伝に感動して画家を志したオランダの若者がいた。
 牧師を志しながら、激烈過ぎる信仰からかえって思いを果たせず、神に破門されるようにして教会を追われたヴァン・ゴッホである。
 絶望に喘ぐ彼の手紙はミレー伝をしきりに引用しており、神の道に挫折して芸術を志したゴッホが、この書物を「聖書」としていた様子をしのばせる。
 画家の伝記を読んで作品の理解を深めることは、今日では一般的な習慣だが、画家の生涯に人々の関心を喚起した画商はデュラン=リュエル以前には存在していない。経済的なリスクを顧みずミレー伝を刊行した彼のこの情熱がなければ、ゴッホという画家も存在していなかったかも知れないのである。
 そんなデュラン=リュエルの情熱にも似た、熱き思いの結実を、センターの機関誌「画譜」や機関紙「版画センターニュース」にもまた見いだすことができる。作家、詩人、批評家、愛好家、そしてスタッフが思いを綴ったそれぞれの頁は、いわば「近代絵画センター」としてのデュラン=リュエル画廊に紡がれた夢を、現代日本に開花させようと奮闘した人々の名を刻んだ記念碑ともいえるだろう。加えて、それは一九八〇年代に広告・出版から演劇・美術までをリードした西武グループの文化戦略に先駆する「オウンド・メディア・マーケティング」の試みとしても、再評価を待つものといえる。
 オウンド・メディア・マーケティングowned media marketingとは、企業が出版や放送のメディア発信機能を所有し顧客に直接訴求するマーケティング手法のことで、八〇年代の西武の文化戦略はその典型的な成功例である。百貨店を中軸とする大手流通企業が出版社を開設、広報宣伝の域を超えた本格的な書籍や雑誌を刊行して、文化提言と生活提案を訴求する手法は、一見迂遠な印象とは対照的に、ひとたび成功すればきわめて長期的な需要を確保することになる。一時的な「流行」としての消費行動を喚起するのではなく、長期的な「文化」としての生活習慣を定着させることができるからである。
 この戦略が功を奏して西武グループも飛躍的な発展を遂げるが、オウンド・メディア・マーケティングは、メディア維持に要する経費と物販実績の因果関係が把握しにくいため、時として過剰な先行投資を招くという欠点を持っている。デュラン=リュエルも西武グループも、この点では一度ならず苦境に立たされている。
 そうした事情を一変させたのが、低廉なコストで情報発信のできるインターネットの登場であり、今世紀に入りオウンド・メディア・マーケティングが再び注目されているのはそのためである。ネットの普及した今日においては、実質的には大半の企業はオウンド・メディア・マーケティングを実践しているともいえる。
 デュラン=リュエルの偉大さは、印刷物という多大なコストを要するメディアの時代に、いち早くこの手法に挑んだ点にあり、七〇年代の版画センターや八〇年代の西武グループの試みもまた、その勇気の系譜に連なるものといえる。機関誌「画譜」は、まさにそうした勇気の記念碑として記憶されるべき出版物なのである。
 同誌の表紙に起用されたことは二十二歳の私にとっても、記念碑以外のなにものでもなかった。当時の私は、まさにドン底のようなところで生きていたからである。
 私の卒業した高校は公立校では全国初のバリケード封鎖に突入、在学期間の過半は討論と集会に費やされることになった。保守リベラルとでもいうべき独特の立ち位置にいた私は、覆面で街頭にデモに出るより素顔で教員や両親と向き合い、学校や家庭を「改革」していくことを主張したため、「革命」を叫ぶ全共闘グループから保守反動と切り捨てられたが、皮肉なことに保守派の学生や教員からは「過激派」の筆頭と目されていた。デモやバリケードを奨励していた「進歩派」教員が警察介入と同時に学生を置き去りにノンポリ化したことに憤った私は、一転して教員批判の先頭に立ったからである。やがて機動隊によるバリケード解除で学内は一挙に「平常化」。寒々としたキャンパスで、私は革新保守の両派から疎んじられる存在となった上に、長年続く家庭の紛糾が泥沼化し、卒業式直後には母親と夜逃げをせざるを得ない状況にまで追い込まれていた。
 当然ながら、正規の進学や就職の望みは断たれ、流れ流れてたどり着いたのが版画家森義利の内弟子という身分であった。森を師と仰いでの入門などではない。夜逃げした私と母の行方を探す父が出した捜索願のおかげで、まっとうな職が望めなくなっていた私を見かね、ある人が斡旋してくれた働き口であった。
 当時はまだ今日と違い、母子が駆け込めるシェルターのような厚生施設もなく、家長である父親が捜索願を提出すれば、母子共に公機関の捜索や追跡の対象となるしかない時代である。母親は面談即決のデパート地下の食品売場でパートで働き、私も履歴書不要の内弟子にでもなる以外、働き口など見つけようなどあるはずもなかった。
 もともと近代以前の奉公や徒弟制は、そうしたものだったのだろう。伝統技法の継承といえば聞こえはいいが、内弟子の実態は雑役夫であり下男のようなものでしかない。
 バリケードの中で討論に明け暮れた高校生活から一転、基本的人権も認められない徒弟となった私だったが、それでも二十歳前後までは気力の保ちようもあった。大学に進んだ学友に対して、先輩社会人としてのプライドのようなものは保てたからである。
 かつての全共闘グループの中には、臆面もなく推薦入試の手続を学校に依頼する者までがおり、そんな無節操な学友よりは自分の方が、高校時代に主張したことに整合した生き方をしているとの秘かな自負もあった。さすがに土方や百姓になる体力も気力もなかったが、職人という労働者階級の端くれとして生きていくのであれば、高校のバリケードで口にしたことを裏切らずにいられるように思えたからである。
 ところが、三年が経ち四年が経ち、かつての学友の就職や結婚を風の噂で耳にする頃になると、なんとも言いようのない焦燥にとらわれ始めた。いつまで経っても見習いの身分である上に、私の修業していた合羽刷(かっぱずり)は師匠である森義利以外は用いていない手法なので、学べば学ぶほど通常の就職は遠のいていったからである。修得した技術で受注できる仕事は、師匠の作品の刷り以外には存在しないのである。
 深夜、自分の行く末を思えば朝まで眠れず、仕事の帰りに便所を借りに勝手に入った雑居ビルの屋上で、手すりもないビルの縁に立ち街路をずっと見下ろしている自分がいた。そんな二十二歳の私が出会ったのが、現代版画センターであり綿貫不二夫氏であった。センターのすべてが、光り輝いて映ったのも無理はない。
 高校のバリケードで耳にした全共闘の声高な革命理論は、唱えた学生自身の無節操な転身によって虚ろな残響と化し、私自身もかつて唱えた改革とはほど遠い前近代的な雇用形態の中で肉体労働に呻吟し続けていた。お金というものが、涙と引き換えにしか手に入らぬことも、ようやく知るに至っていた。
 センターで目にしたのは、そんなお金が、作家に投ずる一票にも似た意思表示になり得るという希望に満ちた現実であった。それは、美術を介した直接民主主義の試みであり、文字通り血涙を絞るようにして得たわずかな金銭が、巨大な夢の実現の糧ともなり得るという、壮大にしてきわめて現実的なビジョンとの出会いでもあった。
 実際のところ、この18年後の1992年、約百国の国家元首がリオ・デ・ジャネイロに集った史上初にしておそらくは最後の国連地球環境サミット会議開催の資金基盤は、センターの試みそのままに版画の収益によって整えられることになった。米国の美術家R・ラウシェンバーグ氏の呼びかけに応え、彼の版画の販売で得た収益が資金調達の端緒となっているからである。サミットで各国元首を筆頭に会議スタッフに配布された和英併記の記念論文集の表紙を、ラウシェンバーグ氏と共に私が飾らせて頂いたのも、その縁あってのことである。思えば、このリオでの僥倖へと至る私の足どりの、記念すべき第一歩が踏み出されたのが、他でもない「画譜」の表紙であった。
 私の手元には、この表紙に用いた写真の紙焼きが残されている。
 便所もない四畳半の安アパートの畳に新聞紙を敷き、二十二歳の私が刷りに励んでいる写真である。裸電球の下、合羽刷に用いる型紙が洗濯物のように吊るされ、がらくたのように染料や絵の具の器が室内に散乱している。
 すべては、この薄汚れた部屋を綿貫氏が訪ねて来てくれた時から始まったのである。
にしおか ふみひこ
写真
「画譜」第2号(1974年9月1日発行)表紙用写真
記念論文集
国連地球環境サミット記念論文集(1992年6月1日発行)の表紙デザイン サミット議長モーリス・ストロング、福岡正信、竹下登ら錚々たる執筆陣による和英併記の論文集で、英文横組側の表紙(右)はラウシェンバーグ作品、和文縦組側の表紙(左)は筆者の作品を装画としている。
サミット新聞
国連地球環境サミット公式新聞 EARTH SUMMIT TIMES(1992年6月14日号)より 会議に参加した国家元首約百名の集合写真 同紙は筆者が企画委員をつとめるNGO「京都フォーラム」と米国の「エコファンド」基金および「ニューヨークタイムス」との提携により刊行。このサミットの成功が「京都議定書」への道を開いた。ロゴ・デザインは筆者。

*現代版画センターという景色・第1回 オークションの先駆性(1月24日ブログ)
*現代版画センターという景色・第2回 エディションの革新性(2月14日ブログ)

西岡文彦(にしおかふみひこ)
1952(昭和27)年生まれ。多摩美術大学教授/伝統版画家 
柳宗悦門下の版画家森義利に入門、伝統技法「合羽刷」を徒弟制にて修得。雑誌『遊』(工作舎)の表紙絵担当を機に、出版・広告の分野でも活躍。ジャパネスクというコンセプトの提唱者として知られる。
美術書の編集を経て、著書『絵画の読み方』(宝島社)で内外に先駆け名画の謎解きブームをひらく。
『謎解きゴッホ』(河出書房新社)、『名画の暗号』(角川書店)、『ピカソは本当に偉いのか?』(新潮社)、『恋愛美術館』(朝日出版社)、『絶頂美術館』(マガジンハウス)等、著書多数。「日曜美術館」、「世界一受けたい授業」、「笑っていいとも!」、「芸術に恋して」、「たけしの誰でもピカソ」、「タモリ倶楽部」等々、テレビ番組の企画出演も多い。日本版画協会新人賞(’77)、国展新人賞(’78)、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ50周年記念展(’05)招待出品。

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログはお勧めです。ぜひご購入ください(2,200円)。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年〜1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。

【トークイベント】ウォーホルの版画ができるまで―現代版画センターの軌跡
日時:3月18日 (日) 14:00〜16:30
第1部:西岡文彦 氏(伝統版画家 多摩美術大学教授)、聞き手:梅津元(当館学芸員)
第2部:石田了一 氏(刷師 石田了一工房主宰)、聞き手:西岡文彦 氏
場所:2階講堂
定員:100名 (当日先着順)/費用:無料
〜〜〜
○<昨日はプールでくたくたの中気合いで埼玉県立近代美術館行って版画たくさん見れた。しかもすぐ近くにユニオンあって笑、きいた気になってるロック名盤を買い漁った。
(20180311/おわんたすさんのtwitterより)>

○<#埼玉県立近代美術館 「版画の景色」展へ。250点を超える展示は圧巻。建築家磯崎新さんのリトグラフは初見だったのですが、とてもかっこよかったです。大谷石採石場でのウォーホル展の模様とかの展示もありとても楽しめました。この時代の版画をもっと知りたくなりました。3/25迄 #Bura_Bi_Now
(20180312/すぱこさんのtwitterより)>
〜〜〜
西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色は1月24日、2月14日、3月14日の全3回掲載しました。
草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半〜トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。

光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について(1月28日ブログ)

荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て(1月31日ブログ)

スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)

倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)

嶋吉信さんのエッセイ〜「紙にインクがのっている」その先のこと(2月12日ブログ)

大谷省吾さんのエッセイ〜「版画の景色−現代版画センターの軌跡」はなぜ必見の展覧会なのか(2月16日ブログ)

植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ 第47回(3月4日ブログ)

土渕信彦さんのエッセイ<埼玉県立近代美術館「版画の景色ー現代版画センターの軌跡」展を見て(3月8日ブログ)

現代版画センターに参加した刷り師たち(3月11日ブログ)

現代版画センターの生みの親 井上房一郎と久保貞次郎(3月13日ブログ)

塩野哲也さんの編集思考室シオング発行のWEBマガジン[ Colla:J(コラージ)]2018 2月号が展覧会を取材し、87〜95ページにかけて特集しています。

毎日新聞2月7日夕刊の美術欄で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しは<「志」追った運動体>。

○3月4日のNHK日曜美術館のアートシーンで紹介されました。

朝日新聞3月13日夕刊の美術欄で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は小川雪さん、見出は<版画に込めた情熱と実験精神>。

○月刊誌『建築ジャーナル』2018年3月号43ページに特集が組まれ、見出しは<運動体としての版画表現 時代を疾走した「現代版画センター」を検証する>。

○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号1983年のウォーホル全国展が紹介されています。

○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。
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現代版画センターエディションNo.390 山口勝弘「静かな昇天」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
20180314山口勝弘
「静かな昇天」
1981年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
Image size: 54.5×36.0cm
Sheet size: 63.0×49.0cm
Ed.50
*山口勝弘シルクスクリーン版画集『ANTHOLOGICAL PRINTS 1954-1981』収録
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

パンフレット_05
出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄

ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサートのご案内
第7回 愛といのち

日時:2018年4月3日(火)18:00〜
会場:ときの忘れもの
出演:メゾ・ソプラノ/淡野弓子
   スクエアピアノ/武久源造   
プロデュース:大野幸
*要予約=料金:1,000円
予約:必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。

info@tokinowasuremono.com

◆ときの忘れものは「植田正治写真展ー光と陰の世界ーPart 供を開催しています。
会期:2018年3月13日[火]―3月31日[土] 11:00-19:00
※日・月・祝日休廊(但し3月25日[日]は開廊
昨年5月に開催した「Part I」に続き、1970年代〜80年代に制作された大判のカラー作品や新発掘のポラロイド写真など約20点をご覧いただきます。
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●書籍・カタログのご案内
表紙植田正治写真展―光と陰の世界―Part II』図録
2018年3月8日刊行
ときの忘れもの 発行
24ページ
B5判変形
図版18点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:800円(税込)※送料別途250円

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植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:800円(税込)※送料別途250円


◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は毎月5日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「TOKYO NETURE PHOTOGRAPHY」は毎月19日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・新連載・西岡文彦のエッセイ「現代版画センターの景色」は全三回、1月24日、2月14日、3月14日に掲載しました。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は終了しました。
 ・関根伸夫のエッセイ「〈発想〉について[再録]」は終了しました。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は終了しました。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は終了しました。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は終了しました。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は終了しました。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
20170707_abe06新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

西岡文彦「現代版画センターという景色・第2回 エディションの革新性」

西岡文彦「現代版画センターという景色」(全3回)

第2回 エディションの革新性


 現代版画センターで私が関わった忘れられないエディションのひとつに、島州一先生の『筒』(1974)という作品がある。ただし、この作品への関わりは当時修業していた刷師としてではなく、いわば「貼師」としてのものであった。『筒』という作品名そのままに、梱包材の紙筒に巻き付けられたこの作品を貼ったのが私だったからである。
 この作品は、CMCという特殊な糊を微妙な濃度で用いているため、紙面はしっかりと紙筒に貼られているにもかかわらず、剝がしても破れることはない。型絵染め等の制作に際し和紙を板に貼るのに用いるのがこのCMCで、濃度の調整さえ誤らなければ、強度の貼付力と容易な剥離性が共存する不思議な糊である。したがって『筒』というこの作品も、島州一流のオブジェ感覚を楽しみたい場合はそのまま鑑賞し、平面として額装したい場合は紙面を筒から容易に剝がすことができるという、立体性と平面性の共存する作品に仕上がっている。
 限定部数は八百。森義利の工房で日々和紙を貼り続けていた当時の私にすれば、さほど脅威を覚える数字でなく、円筒の曲面に紙を貼る作業にしても、修業で身につけた手技の見せどころということで、喜び勇んで取り組ませて頂いた。なにより、それまで美術雑誌や国際展でしか見たことのなかった作家の作品に、文字通りの手仕事を介して関われる喜びは、それこそ筆舌に尽しがたいものがあった。
 紙筒を両足に挟んで固定し、染色で地色染めに用いる大刷毛で糊を塗布した紙面を巻き付け、乾いた別の大刷毛でこすりつけて貼付するのだが、股間の筒を刷毛でこすり続ける私のあまりに嬉しそうな顔にあきれたカメラマンの友人が、写真を撮ってくれたことがある。見てみると、なるほど人様にはあまり見せられないような喜悦の顔となんとも微妙な姿勢の組み合わせには、我ながら苦笑を禁じ得なかった。
 思えば、ずいぶんと冒険的な作品ではあった。エディションNo.は062。同年開催の版画センター主催の島州一個展のパンフを兼ねた作品で、貼付された紙面には解説文や作家画歴が印刷のゲラの状態で転写されている。紙筒という梱包材を作品に昇華させている点においても、まさにセンターの面目躍如たる作品といえるだろう。前後して神楽坂の「憂陀」というスナックで開催された島先生を囲むパーティなども、会費領収印として「島」の字のシャチハタネームを来場者の額に赤く押印するという、これまた七〇年代ならではの冒険的な趣向であった。
 とはいえ、やはり現代版画センターの最大の冒険性は、エディションという版画作品の発表形式そのものに発揮されていたといえよう。画廊や画商として以上に、「版元」として作家に関わろうとするその姿勢は、版画の歴史からすれば王道以外のなにものでもないのだが、当時の日本の美術状況からすれば、まさに革命的としかいいようのない試みであった。
 加えてセンターの革新性は、エディションという形式による版画作品の「刊行」にあたって、その資金を広く愛好者から募った点にあった。作家を経済的に支援する機会としてのエディションの資金を、画商等のプロの業者の投機的な性格の資金から、愛好者に向けて開かれた公共性の高い資金へと移行させた点において、センターの提案は圧倒的な革新性を誇っていたのである。
 それは、今日のクラウド・ファウンディングに先駆する理念共鳴型の作家支援の試みであったといえるだろう。
 センターのオークションが私にとって、美術が愛好者の購入に支えられているという現実の原風景であったことは前回の原稿でも書いた通り。その光景は、作家の側以上に購入者の側に希望をもたらすものとして私に映っていた。
 購入という行為が、選挙で票を投じるのと同じような意味で、作家に対する支持の表明となることを目の当たりにできたからある。それも巨額ではない、数千円、数万円のお金が、作家の生活を支えるものになり得るという現実、言葉を換えるならば、購入が直接民主主義的な作家の支援に他ならないという、希望に満ちた現実がそこには展開されていたからである。センターが提唱した会員制のエディションは、この直接民主主義的な支援をシステム化したものに他ならない。
 美術史において、このことを意識的に実現したのは、ドイツ・ルネッサンスの巨匠デューラーとされている。多くの画家彫刻家がパトロンである王侯貴族の専横や無理解に苦しんでいる時に、版画作品を刊行することで多数の市民顧客を獲得し、経済的なリスクを分散させた最初の画家がデューラーだったからである。
 美術史というものは、なぜかこうした作家の生活の経済面からの研究をタブー視する傾向が強いのだが、時代は下って、印象派の育ての親とされる画商デュラン=リュエルなども、画家の生活の面倒を見ることによって近代美術を開いている。新進画家の生活を保証することで未知の才能に投資するという今日の画商のビジネス・モデルは、彼がひとりで確立したものであり、モネもルノワールも彼がいなければ才能を開花させずに終ったことは確実である。デュラン=リュエルは、再三にわたって深刻な破産の危機に直面しながらも、当時いかなる画商も取引しようとしなかった冒険的な画家集団「印象派」の生活を支え、作品を買い支え続けたからである。
 現代版画センターのエディションは、この印象派の恩人デュラン=リュエルの果たした貢献を、万人が果たし得る機会として人々に向けて開く試みだったのである。
にしおか ふみひこ
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『版画センターニュースNo.1』(1975年2月20日発行)、島州一「筒」を巻頭で紹介、頒価:500円でした。

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左から、関根伸夫「落ちるリンゴ」、島州一「筒」、島州一「ジーンズ」、島州一「ゲバラ」
於・埼玉県立近代美術館 撮影:タケミアートフォトス

西岡文彦(にしおかふみひこ)
1952(昭和27)年生まれ。多摩美術大学教授/伝統版画家 
柳宗悦門下の版画家森義利に入門、伝統技法「合羽刷」を徒弟制にて修得。雑誌『遊』(工作舎)の表紙絵担当を機に、出版・広告の分野でも活躍。ジャパネスクというコンセプトの提唱者として知られる。
美術書の編集を経て、著書『絵画の読み方』(宝島社)で内外に先駆け名画の謎解きブームをひらく。
『謎解きゴッホ』(河出書房新社)、『名画の暗号』(角川書店)、『ピカソは本当に偉いのか?』(新潮社)、『恋愛美術館』(朝日出版社)、『絶頂美術館』(マガジンハウス)等、著書多数。「日曜美術館」、「世界一受けたい授業」、「笑っていいとも!」、「芸術に恋して」、「たけしの誰でもピカソ」、「タモリ倶楽部」等々、テレビ番組の企画出演も多い。日本版画協会新人賞(’77)、国展新人賞(’78)、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ50周年記念展(’05)招待出品。
画譜_第2号_p00_表紙
機関誌『画譜』第2号(1974年9月1日発行)
表紙は合羽刷を制作中の西岡文彦さん

*画廊亭主敬白
現代版画センターの草創期を担ってくれた西岡文彦さんによる「現代版画センターという景色」の第二回目を掲載します。
第1回 オークションの先駆性(1月24日掲載
第2回 エディションの革新性(本日掲載)
第3回 道標milestoneとしての画譜(3月14日掲載予定)
現代版画センターは「エディション制」を確立するために多くの刷り師たちの協力を求めました。カタログのテキストブックには46名の刷り師・版画工房の名が記載されています。
しかし、本稿にある「貼師」の名はありません。思えば優れた版画の誕生には多くの人たちが関わっていたのだといまさらながら想起する亭主です。

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログはお勧めです。ぜひご購入ください(2,200円)。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年〜1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。

西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半〜トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでーー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。

光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について(1月28日ブログ)

荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て(1月31日ブログ)

スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)

毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。

倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)

嶋吉信さんのエッセイ〜「紙にインクがのっている」その先のこと(2月12日ブログ)

○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号1983年のウォーホル全国展が紹介されています。

○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。

現代版画センターエディションNo.62 島州一「筒」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
062(2)_島州一《筒》島州一
「筒」
1974年
ゼロックス、シルクスクリーン
8.0(直径)×45.0(長さ)
Ed.800 サインあり

パンフレット_05
出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄
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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
18駒込庭
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

西岡文彦「現代版画センターという景色」第1回

西岡文彦「現代版画センターという景色」(全3回)

第1回 オークションの先駆性


 私と現代版画センターとの出会いは1974年。22歳の頃のことで、「合羽刷(かっぱずり)」という伝統的な版画手法の刷師として私が弟子入りしていた版画家森義利のもとへ、綿貫不二夫氏が来訪されたのが御縁の始まりだった。
 その折りの綿貫氏のお誘いの言葉に甘えて渋谷の桜ヶ丘の事務所にうかがった私は、たちまちセンターに夢中になり、毎日のように通い始めた。
 夢中になった理由はいくつもあるが、その最大の理由は、当時の現代版画センターが持っていた熱気にあった。新たな時代の到来を予感させて余りある白熱した気運というものが、坩堝(るつぼ)のように渦巻いていたのである。
 無論、坩堝の中心はリーダー綿貫氏のカリスマ的な魅力にあったわけだが、その熱気はセンターを訪れるすべての人々に伝播し、美術作家や刷師をまじえてのディスカッション、スタッフの打合せ、食事や休憩時の雑談までが独特の熱を帯びており、そうした折りに耳にした声はいずれも、40年以上を経た今も鮮やかに甦ってくる。「わたくし美術館」というコンセプトを掲げ、瑛九オノサト・トシノブの作品の普及と個人コレクターの育成に尽力した教育者の尾崎正教氏の雄弁なソプラノ・ボイスから、日本のシルクスクリーン版画のパイオニアとして靉嘔草間彌生の作品を手がけた刷師の岡部徳三氏の寡黙なバリトンまで、当時、センターで聞いた会話の断片は、まるで頭の中に録音されているかのように今も生々しく再生される。
 若かった私が、大人のかっこよさと底力というものを知り、自分のガキさ加減を思い知らされたのも、こうした声のやりとりを介してのことであった。
 そうした声がひときわ鮮烈に甦るのが、オークションの記憶である。
 インターネットどころかパソコンも存在していない時代のことである。オークションという言葉にしても、今よりはるかに縁遠いものであった。
 世界の二大オークション会社のひとつであるクリスティーズの名が日本のマスコミをにぎわせたのは10年以上も後の1987年。クリスティーズのオークションで安田火災海上(現損害保険ジャパン日本興亜)が、ゴッホの『ひまわり』を当時の史上最高価格の58億円で落札した折りのことである。バブル景気に湧き始めた日本経済の活気を象徴するニュースとなったが、その3年前の1984年に平凡社から刊行された全15巻の『大百科事典』を見てみると、9万に上る掲載項目の中に「オークション」の語は見当たらない。「競売」の項目を見ても、裁判所の行なう動産や不動産の競売が、法律用語として記載されているのみである。
 無論、クリスティーズやライバル会社のサザビーズの名も見当たらず、オークションともども索引にすら記載されていない。9万項目を立て総2万頁に及び索引40万語を擁する百科事典の中にこれらの語が一度も登場していないという事実が、当時におけるオークションの社会的認知の低さを物語っている。
 現代版画センターが全国各地でオークションを開催し始めたのは、この事典の刊行の10年前のことである。
 その先駆性は、高く評価されてしかるべきであろう。
 それは、数千円単位の出費から始めて、美術作品を購入し身近に鑑賞することの喜びを人々が学ぶことのできるイベントであり、展覧会カタログやポストカードであれば数百円単位で落札できる、裾野の広い美術普及活動でもあった。当時のセンターの熱気を象徴するイベントであり、私がそれまで経験したことのなかった「エデュテインメントedutainment」すなわち教育機能を備えた啓蒙的エンターテインメントでもあった。
 市民教育家としてのキャリアの長い尾崎正教氏は、オークションを市場の競りのように盛り上げる熟達の技の持ち主であり、持ち前のソプラノ・ボイスも参加者を和ませ、会場は爆笑で包まれるのが常であった。一方、綿貫氏によるオークションは、手練れの演者であった尾崎氏とは対照的に、愛好者と寄り添うような参加する側の視点と、時に思わぬハプニングを招く進行が持ち味であった。
 なかでも忘れがたいのは、センターに理解が深く何点ものエディションを制作した島州一氏の個展会場で開催されたオークションである。
 会場は銀座の画廊。実物大の布団をシルクスクリーンで布に刷った作品の下に現物の布団を展示するという、なんともユーモラスな作品のかたわら、参加者全員が画廊の床に腰を下ろす寄り合いスタイルで始まったオークションには、今日の世界的名声を確立する以前の写真家荒木経維氏のヌード作品も出品されていた。
 ヘア写真集が一般化するはるかに以前のことで、写真の一部を隠すことを条件に出品された荒木作品の、隠すべき箇所を進行役の綿貫氏がみごとに間違え、会場は大爆笑の渦。いちばん喜んだのは、見物に来ていた荒木氏自身であった。
 牧歌的ともいうべき追憶の風景ではあるが、私自身に美術作品や美術家と社会の関係を実感させてくれた原風景がここにある。
 美術というものが、愛好者の購入に支えられているという現実を目の当たりにさせてくれる景色が、センターのオークションには広がっていたからである。
にしおか ふみひこ
19740629全国縦断企画”版画への招待展”松山20171206120058_00004
1974年7月3日愛媛県松山市・ヒロヤ画廊/松山支部結成記念オークション

19740720全国縦断企画”版画への招待展”20171206114110_00001
1974年7月20日岩手県盛岡市・MORIOKA第一画廊/盛岡支部結成記念オークション

西岡文彦(にしおかふみひこ)
1952(昭和27)年生まれ。多摩美術大学教授/伝統版画家 
柳宗悦門下の版画家森義利に入門、伝統技法「合羽刷」を徒弟制にて修得。雑誌『遊』(工作舎)の表紙絵担当を機に、出版・広告の分野でも活躍。ジャパネスクというコンセプトの提唱者として知られる。
美術書の編集を経て、著書『絵画の読み方』(宝島社)で内外に先駆け名画の謎解きブームをひらく。
『謎解きゴッホ』(河出書房新社)、『名画の暗号』(角川書店)、『ピカソは本当に偉いのか?』(新潮社)、『恋愛美術館』(朝日出版社)、『絶頂美術館』(マガジンハウス)等、著書多数。「日曜美術館」、「世界一受けたい授業」、「笑っていいとも!」、「芸術に恋して」、「たけしの誰でもピカソ」、「タモリ倶楽部」等々、テレビ番組の企画出演も多い。日本版画協会新人賞(’77)、国展新人賞(’78)、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ50周年記念展(’05)招待出品。
画譜_第2号_p00_表紙
機関誌『画譜』第2号(1974年9月1日発行)
表紙は合羽刷を制作中の西岡文彦さん

*画廊亭主敬白
<青春の一時期、現代版画センターにて熱狂の日々をおく>った西岡文彦さんがいまや多摩美術大学教授、伝統版画家として大活躍していることは、その多数の著書とともに知っていました。しかし会う機会はありませんでした。
昨秋偶然柳澤紀子先生の出版記念会で「ワタヌキさん!」と声をかけられ、40年前の日々が甦ったのでした。ちょうど埼玉県立近代美術館の「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展のために資料を集め整理していたときでしたが、メールでおそるおそる原稿の依頼をした次第です。
草創期を担ってくれた西岡さんは「現代版画センターという景色」と題して3回の連載エッセイを快諾してくれました。どうぞご愛読ください。
第1回 オークションの先駆性(本日掲載)
第2回 エディションの革新性(2月14日掲載予定)
第3回 道標milestoneとしての画譜(3月14日掲載予定)


◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が始まりました。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年に創立、1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約300点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。同館の広報誌もお読みください。

○<版画の普及とコレクターの育成を目指して版元としてエディションを頒布し、イベントを組織し、会誌にはいろんな文章が載っていた。そんな活動があったんだ、へー。どうして倒産しちゃったんだろうというところが気になりますが……。あとこれって町田市立国際版画美術館ではやらないの?と素朴に思ったりした。アンディ・ウォーホルに菊の版画作らせて大谷石のところで展覧会したりしてたのか。
(20180121/seachangさんのtwitterより)>

○<伺いました。いい展覧会ですね。現代版画センターの活動・出版した作品をゆっくり拝見でき、また好きな作家・作品を再確認できて良かったなぁと思います。あれだけの資料を整理して纏め上げた学芸員の熱意に頭が下がりますね。カタログも一級の資料ですね。会期中にまた伺います。
水戸野 孝宣さんのfacebookの投稿より)>

現代版画センターエディションNo.11 小田襄「銀世界ー夢」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
011_小田襄《銀世界−夢》小田襄
《銀世界−夢》
1974年
メタルリーフプリント(刷り:宮本海平)
Image size: 28.8×21.6cm
Sheet size: 39.3×34.0cm
Ed.200  サインあり

久保貞次郎先生の推薦で彫刻家の小田襄先生が選ばれ、メタリックで硬質な抒情を湛えたエディションが誕生しました。
本日は小田先生の命日です。ステンレススチールによる独自の造形世界を展開し、59年に神戸須磨離宮公園現代彫刻展で「風景船」が大賞を受賞しています。日本美術家連盟理事長、多摩美術大学教授を歴任し、平成16年1月24日67歳で亡くなられました。ダンディでスマートな方でした。

1974年10月7日_ (12)左から久保貞次郎、小田襄
1974年10月7日「エディション発表記念展」オープニングにて
会場:銀座 ギャルリープラネート

パンフレット_05


◆国立近現代建築資料館で2月4日[日]まで「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展が開催中。磯崎新、安藤忠雄らの作品が出品されています。展覧会については戸田穣さんのエッセイをお読みください。
磯崎新「還元TOWN HALL 」磯崎新
「LECTURE HALL-I」
1982年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75  サインあり
*現代版画センターエディション

ギャラリートーク「建築版画の世界」のご案内
植田実(住まいの図書館出版局編集長)× 石田了一(石田版画工房)× 綿貫不二夫(ときの忘れものディレクター)
司会:日埜直彦
日時:1月27日(土曜日)14時から
場所:文化庁国立近現代建築資料館
住所:〒113-8553 東京都文京区湯島4-6-15
入場方法:旧岩崎邸庭園からの入館となりますので、入園料400円(一般)が必要となります。

●日経アーキテクチュアから『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』が刊行されました。
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。日経アーキテクチュア編集長のコラム<建築家・安藤忠雄氏の言葉の力:第3回>で、出江寛先生、石山修武先生の次に紹介されていますので、お読みください。

野口琢郎さんが「日曜美術館」に出演します
今週28日(日)放送のNHK Eテレ 日曜美術館のクリムト特集にVTRで出演します。
クリムト関係のテレビ出演は2回目、箔画やってると海外のアートフェアなんかで「まるでクリムトね、あはは」と笑われて通り過ぎて行かれる事もあり悔しい思いは何度もしましたが、クリムトのお陰でテレビに出られるので有り難いかもです 笑
恐らく2〜3分のVTRになるかと思いますが、今回は半笑いでモゾモゾ話さないように気をつけたつもりなので 笑 ぜひご視聴くださいませ、どうぞよろしくお願い致します。
NHK Eテレ 日曜美術館 「熱烈!傑作ダンギ クリムト
1月28日(日) 9:00〜9:45
2月 4日(日) 20:00〜20:45 (再放送)
(野口さんのfacebookより)

◆ときの忘れものは「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」を開催しています。
会期=2018年1月9日[火]―1月27日[木] ※日・月・祝日休廊
磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)に焦点を当て、磯崎の版画作品〈TSUKUBA〉や旧・筑波第一ホテルで使用されていた倉俣史朗デザインの家具をご覧いただきます。他にも倉俣史朗のアクリルオブジェ、磯崎デザインの椅子なども出品します。
版画掌誌第2号
版画掌誌第2号
オリジナル版画入り美術誌
2000年/ときの忘れもの 発行
特集1/磯崎新
特集2/山名文夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版:限定35部:120,000円(税別 版画6点入り)
B版:限定100部:35,000円(税別 版画2点入り)


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
06駒込玄関ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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