最初と最後ー舟越直木さんのことを少しだけ

北村淳子


舟越直木さんに、最初に会ったときのことはあまりよく覚えていない。1987年、勤めていた世田谷美術館で「New Trends 世田谷の新世代」という若手作家のグループ展が開催された。私はその頃、美大を出たての非常勤学芸員、展覧会のアシスタントでさえなかった。毎日ギャラリーに作品のメンテナンスにいくのが私の仕事で、他のごく手のかからない作品も目に入ってくるのだけれど、目に入るというより、気配で誘ってくる不思議な作品があった。それは、スポットライトの下で金色に輝く一抱えほどのブロンズ彫刻。複雑な表情を持った4本の線状のかたまりが、厳格な水平面に置かれ、天に向かって身もだえながら伸びていく。鳥籠のようにも見えるけど、ぐるっと周囲を回ってみると、四角い接地面は一方向だけが解放されていて、そこだけ突然実在を欠如させているみたいで、なんだか怖い。官能的な具象彫刻でもないのに、毎日密やかさをもって、こっち来て、と囁きかけてくる。キャプションを見ると「舟越直木 《作品》1986年」(*)とあった。

舟越直木《作品》 1986年舟越直木
《作品》1986年
世田谷美術館蔵


しばらくして、何か用事で美術館に来ていた直木さんと、これもなんでそんなことになったのかよく思い出せないのだけれど、美術館で行われるバレエ公演のリハーサルを一緒に見に行くことになった。たぶんこれが、彼についての最初の記憶。屋外のコンクリートの少し高くなったところに並んで座って、直木さんは半開きの唇にごつごつした指でメンソールのタバコをくゆらせながら、少女たちの手足のリラックスした緩やかな動きを見ている。彼の視線があまりにも強く厳しいものだったので、私はその横顔に釘付けになった。私の視線に気づいた直木さんは、我に返ったようにこちらを見て、恥ずかしそうに「へへ。」と笑った。

私は美術館で学芸員の仕事を覚えながら、直木さんのことも舟越家のことも知るようになっていったのだけれど、ちょうどその頃、保武先生はお倒れになったばかりで、具合がよくなってきた頃には、車椅子で美術館にも来てくださっていた。30代半ばの直木さんにとっては、お父さまのご病気に心を痛めながら、初めての美術館からの出品依頼に応え、それから何より、私を魅了した《作品》という彫刻をものにし、作家として飛躍した大切な時期だったと思う。《作品》以降に発表された彫刻/ドゥローイングは、美しい詩的な、時には諧謔味のあるタイトルがつけられているものもあって、彼の言葉に対する深い信頼を知ることにもなっていくのだけれど、この彫刻はそっけなく《作品》と呼ばれている。長い夢のような考える時間と、交互にやってくる快楽をともなう手仕事に没頭しながら、やがて突然、彼の前に顕れ出たもの。直木さんは、そのなんともいえない豊穣さに、自分自身で驚きもし、すぐにはしっくりくる言葉を見つけることができなかったのかもしれない。

それから30年の時間なんて、本当にあっという間に過ぎた気がする。直木さんはずっと世田谷にいて、彫刻やドゥローイングを作って生きた。その対象は抽象的な形態から、具象的な人の(写実ではない?)、特にぼんやりとした顔へと移っていったけれど、私にとって、このことはそう簡単ではない。いや、直木さん本人にとっては、最初から最後までそんなに複雑なことじゃなかったのかもしれないけれど。

…ひとつのテーマは、いつも、どんな種類の美術の作品にとっても、ただの言いわけでし
かない。作ることは、抑えきれないある欲望―ある直接的な力以外のなにものでもない。(**)

私はといえば、他の美術館でポジションを得て、世田谷を離れた。

元気だった直木さんに最後に会ったのは、2014年のギャラリーせいほうでの個展の時。別の画廊で偶然会って、雨上がりの銀座の裏通りをだらだら散歩した。彼は先の尖がった茶色いオシャレな革靴を履いていて、いつもどおり私のお喋りを無視し、「俺さー、長生きして、いい作品つくりたいんだー。」と言う。私は、ふん、また自分の言いたいことだけ言ってるな、とむくれて返事もしなかった。でも、そのあと見た彼の作品―おぼろげな顔や上半身のドゥローイングはすごくよくて、心臓をわしづかみにされたみたいで苦しくなるほど。何かを描いているというよりは、必死に擦り出した聖骸布のようにも見え、この世のものとも思われなかった。これを「作品」と呼んでいいのかな、と考えこんでしまったし、もともと彼は異界に住んでいるようなところがあったのだけど、この人は大丈夫なのだろうか、とちょっと心配になったのを覚えている。いい作品作ってるじゃん、と言ってあげたかったけど、結局その日、彼は画廊の奥の小部屋に籠って出てくることはなかった。

昨年(2017年)1月末、仕事でパリにいて、朝の4時に携帯電話が鳴った。寝ぼけていて出られなかったのだけれど、直木さんからのメッセージが残っていた。入院している、と。ちょっと嫌な予感がした。日本に戻ってしばらくしてから電話をしたら、いつもは無口な彼が弾丸のように矢継ぎ早に、病気の経過を説明してきた。命にかかわることだとわかったけれど、私は「それは、どうかなー。」と曖昧な返事しかできなかった。それから、何度か病院で会った。いつも少し背中を丸めて、無理して椅子に座って待っていてくれる直木さんの姿は、まるで「玉座の王さま」みたいで、ゆったりとした威厳に満ちていたと思う。時々あの鋭い視線で、ガラス窓の外をまっすぐに見ていた。私は、特に最近の顔のドゥローイングについて、聞きたいことが山ほどあったのだけど、彼は「制作について話すのは嫌いだから。」と言ってプイとそっぽを向く。突っ込むと怒りだすのは知っていたので、それ以上聞くのはやめた。それに、喧嘩になったら、もう仲直りする時間はあまりないようにも思われた。

夜の8時になって面会時間終了のアナウンスが聞こえ、「じゃあね。おやすみ。」と言って病室で別れた。彼は閉じた薄緑色のカーテンの向こうから、「なんか、わすれものとか、ないのー?」と私を呼び戻す。

ゴールデンウィーク明け、5月6日の夕方、お兄さんの桂さんから電話があった。「直木が、今朝、亡くなりました。お見舞いに来てくださっていたみたいで…、ありがとうございました。」本当はそうではなかったかもしれないけれど、とても落ち着いた静かな声だった。先輩や友だちに連絡したりしてから、やっと何をするべきなのかを思い出し、夜遅くに近所の石造りの教会に行った。もうとっくに灯りも消えていて、扉は閉まっている。ふたつの尖塔を見上げながら、自分のしていることが愚かに思え、無性に腹がたった。

そんなふうに直木さんとお別れしてから、季節はもう一巡した。今、私の眼の前にあるのは、沈黙する顔の作品だけ。でもそれが、うっすらとした光に満ちていることは、少しわかる。
きたむら じゅんこ

*2018年現在、《作品》(1986年、世田谷美術館蔵)は、ブロンズの表面の錆びが進んでいて、落ち着いた見え方になっている。直木さんは、展示に際しては、自ら美術館にその表面を磨きにきていた、と聞いているので、この作品に関しては、表面をピカピカの状態にしておきたかったのだろう。
**「Kami. Silence-Action―Japanese Contemporary Art on Paper (紙:静と動―現代日本の美術」展カタログ(ザクセン州立美術館銅版画館、国際交流基金 2009年、p.38)の英文から直木さんの言葉を訳出させていただいた。

■北村淳子 Junko KITAMURA
多摩美術大学大学院美術研究科修了。世田谷美術館非常勤学芸員をへて、1993年より宇都宮美術館の設立準備に携わる。専門は現代美術。宇都宮美術館勤務。

*画廊亭主敬白
舟越直木さんが亡くなられてまもなく一年(2017年5月6日没)、銀座のギャラリーせいほうと世田谷美術館で一周忌の追悼展示が行われています。
長年、直木さんの作品を見てこられた宇都宮美術館の北村淳子先生にご寄稿いただきました。

ギャラリーせいほう「舟越直木展」
 会期:2018年4月16日(月)〜4月28日(土)
    日曜休廊
 会場:ギャラリーせいほう
20180416_舟越直木_表20180416_舟越直木_宛名

せいほうギャラリーせいほうの展示風景
2018年4月

世田谷美術館/コーナー展示 「追悼―舟越直木」
 会期:2018年4月14日(土)〜7月8日(日)
 休館日:毎週月曜日(ただし4月30日(月・振替休日)は開館、5月1日(火)は休館)
 会場:世田谷美術館 2階展示室
世田谷世田谷_裏


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ときの忘れものでは幾度か舟越直木さんの作品を展示してきました。
20170724_舟越直木32000年6月「O Jun・舟越直木展」にて
O Junさん(左)と舟越直木さん(右)

舟越直木展2003年2月「舟越直木展
(案内状の画面をクリックすると拡大されます)

0109

112003年2月「舟越直木展」にて
左から、舟越直木さん、深井隆さん、池田信宏さん、北郷悟さん

20180506_舟越直木『舟越直木展』図録
2003年2月
ときの忘れもの 発行
8ページ
21.1x14.9cm
図版:モノクロ6点
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:300円(切手可) ※送料サービス

20180424_Funakoshinaoki_oil1舟越直木
「作品」
1996年
油彩
53.0×45.0cm(F10号)
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新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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