松本竣介研究ノート 第1回

「松本竣介の蔵書」


小松崎拓男


 今、群馬県桐生市にある、個人コレクターだった大川栄二氏のコレクションを展示している大川美術館で、「松本竣介 読書の時間」と題された興味深い展覧会が開催されている。

01大川美術館エントランス入り口大川美術館エントランス入り口

 この展覧会は、すでに終了した「アトリエの時間」、そしてこのあと順次開催予定の「子どもの時間」「街歩きの時間」というタイトルを冠した4部構成の松本竣介の展覧会の第2部として企画されたものである。すでに中村惠一氏のエッセーの中で紹介されているように、この展覧会の中で松本竣介が過ごしたアトリエが再現されているのにも注目である。

 松本竣介の蔵書が主役となっているこの展覧会、単なる蔵書だけを展示した資料展ではない。展覧会は、「イメージとしての女性」「蔵書」「本の仕事」「スクラップブック」という4章の構成で、コレクションに加えて、その章の主題にふさわしい作品が外部の個人コレクターからも集められており、作品展示としても充実したものだ。

02蔵書写真パネル蔵書写真パネル

 松本竣介が読書家であったことはよく知られている。またアトリエを背景に撮られたポートレートには、書架にぎっしりと詰まった蔵書が写り込んでいたり、自身が編集発行していた「雑記帳」などに掲載された文章からも、読書をよくする「知性」の人であったことはよくわかるだろう。そして事実、「家族のもとで大切に保存されてきた蔵書は、900冊におよぶ」(注1)という。
 「生誕100年松本竣介展」の折には図録に主要蔵書目録が、そして今回の「読書の時間」の図録には、それらを補う形での蔵書目録が出来上がっている。しかも私たちは今回、その蔵書を再現されたアトリエで、かつて松本竣介が実際に手に取り読んでいたその現物を書架に配架された形で目にすることができるのだ。
 この膨大な資料から読み解かれる松本竣介については、研究者の杉山悦子氏など専門家の論を待つことにして、ここでは、展覧会場で目にした数々の本の中で気がついた一、二のことを記しておく。

 松本竣介が「油絵描き」、つまりは「洋画家」であった以上、フランスやイタリアの美術や作家に興味を持ち、それらの美術に関わる画集や書籍を読んでいたことは、他の洋画家たちとあまり変わることはないかもしれない。さらにヨーロッパの歴史や哲学、思想、文学などに関心が及んでも、それは遥かな憧れの地への想いであるのだからさほど驚くことはないだろう。特にフランスへの憧れを持ちながら、実際に訪れるという願いが叶うことのなかった松本竣介にとっては、これらの書籍が彼の地へと繋ぐ窓であり、深くヨーロッパに根付く精神を学ぶ場所であったのであり、その意味では蔵書は松本竣介の精神の在り様を読み解く大切な手がかりでもあるだろう。
 さらに関心は海外だけではなく、宮沢賢治をはじめとする日本の文学、詩、小説、随筆、さらには科学など、古典から現代まで多岐にわたる。そして何より驚くのは、時事的な書籍、あるいは娯楽的な雑本が一冊も見当たらないことである。戦中の時局的なものもない。
 「若き青年画家の蔵書としては、質・量ともに例外的なもの」(注2)、「画家の蔵書として素晴らしいもの」(注3)と評され、「美学者か詩人の本棚」(注4)とも言われている。しかし、いわゆる専門の学者の書架ではない。学者や研究者の書架には、自身の専門領域に属する極めて狭い主題の書籍が並ぶのが通例であるからだ。松本竣介の書架にはそれがない。むしろ、それとは逆の、幅広い目配りの効いた非常にバランスのいい選書である。
 つまりそこには、古今東西の古典から現代に至る思想や文学を含めた「教養の書」が集められていると言っていいのではないか。この時、教養という言葉の意味するところは、大人として身につけるべき知識や人格といった一般常識的な教養というものではない。近代的知性が求めるべき学問的な素養としての教養という意味である。古代ギリシャの「自然学」から発する人間の「知性の道筋」といってもよいだろう。
 デカルトはその『方法序説』の中で、真理に至るためには、ただ良識(ボンサンス)さえあればよく、従って誰もがそこに至ることができると説いた。良識(ボンサンス)を持つ一個の人間。それはやがて神と決別する近代的自我を懐胎した新しい人間像、近代の人々の誕生に至る。松本竣介とは、そんな近代人の知性的な現れなのではないかと、この蔵書が教えてくれているように思える。

 さらに、いまひとつはこの蔵書の中に谷信一『室町時代美術史論』、土居次義『山楽と山雪』『桃山障壁画の鑑賞』、そして藤岡作太郎『近世絵画史』が含まれていいたことである。なぜならこれらの著作は、優れた日本美術研究者として知られた専門家が書き著した名著であり、今なお読むべき文献や参照すべき研究者として、近世以前の美術を専門とする研究者の間でもよく知られたものだからである。松本竣介は、単に西洋かぶれの洋画一辺倒ではなかったのだ。日本美術についても、当代一流の研究者の著作を読み、そこから最も信頼できる先端の美術研究の知見を得ていたのだ。
 
 これらの蔵書には書き込みのあるものや抜き書き、あるいは傍線など松本竣介の思索の痕跡を留めるものがある。これらの分析や、さらにはここでは触れなかったが、スクラップブックなどの存在も明らかにされた。これらを合わせた研究が進めば、松本竣介の思索の一端が明らかにされるだろう。幅広い知的活動の源泉がこの蔵書であるならば、まさにこの蔵書の持ち主であった松本竣介こそが、芸術を創造し、教養に溢れた、文化を総合する知性的近代人、すなわち「総合工房」の主人(あるじ)として最もふさわしいのだということかもしれない。

注1:田中淳「序-読書の時間」『松本竣介 読書の時間』図録 公益財団法人大川美術館 2019.1 p7
注2:杉山悦子「松本竣介の蔵書:未完の読書遍歴 –全集・文庫・雑誌など、そしてたとえば三木清」同上 p124
注3:注1の文章中に示された日本近代文学研究者中島国彦の手紙からの引用。同上 p9
注4:堀江敏幸「内なる神の属性として-松本竣介の本棚」同上 p16 
こまつざき たくお

■小松崎拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。東京在住。美術評論家。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任。現在金沢美術工芸大学教授(2019年3月退職予定)。
キュレーターとして絵画からメディア・アートなどの先端領域まで、幅広い視野で現代美術の展覧会を数多く企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。

●展覧会のお知らせ
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「松本竣介 読書の時間」
会期:2019年1月22日〜3月24日
会場:桐生・大川美術館

*画廊亭主敬白
小松崎拓男先生に竣介についてのエッセイをお願いしてから随分経ちますが、ようやく「松本竣介研究ノート」の連載がスタートすることになりました。
仄聞すれば、卒業論文は竣介と藤田嗣治の比較論、修士論文は作家論として竣介の生涯と作品を執筆し、さらに美術史学会で「戦中の画家 松本竣介−1940年代の活動を中心に」と題して口頭発表されたのが四半世紀前とのこと。言わば竣介研究が研究者としての原点だったようです。
その後、いくつもの美術館でご活躍され、金沢美術工芸大学での教授職もこの3月で定年退職されます。今回の連載を機に、竣介研究の一層の深化を期待する次第です。

●今日のお勧めは、松本竣介です。
matsumoto_10松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO
《作品》
1946年2月
紙にペン、墨、水彩、コラージュ
イメージサイズ:15.5x29.5cm
シートサイズ:23.5x32.3cm
サインあり
※『松本竣介素描』(1977年 株式会社綜合工房)口絵

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◆ときの忘れものは3月下旬の<アートバーゼル香港2019>に初出展し、「瑛九展」を開催します。
basel19会期:2019年3月27日(水)−31日(日)
会場:Convention & Exhibition Centre, HK
ときの忘れものブースナンバー:3D27
公式サイト:https://www.artbasel.com/hong-kong/
海外で瑛九の個展が開催されるのは今回が初めてです。

●瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
・現在、各地の美術館で瑛九作品が展示されています。
埼玉県立近代美術館:「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、他に40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示(4月14日まで)。
横浜美術館:「コレクション展『リズム、反響、ノイズ』」で「フォート・デッサン作品集 眠りの理由」(1936年)より6点を展示(3月24日まで)。
宮崎県立美術館<瑛九 −宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示(4月7日まで)。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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