昨日から「戦後の前衛美術‘50〜‘70 Part S氏&Y氏コレクション(入札)」が始まりました。
海外から河原温、桜井孝身、赤瀬川原平などについて問合せも多く、日本の前衛美術への関心の深さがうかがわれます。
好評だったPart I及びPart IIに続き、1950年代から「夜の会」など前衛美術運動に参加、国際的な視野にたって活躍したS氏旧蔵の作品が中心となります。
さらに今回Part 靴任郎春亡くなられたY氏旧蔵の作品群が加わりました。
Y氏は50年代から丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を携えて全国を巡回した反骨の評論家でした。
入札方法その他についてはHPをご覧ください。
全59点をブログで順次ご紹介します。

河原温「印刷絵画」_01_全体ロットNo.12 河原温
印刷絵画 「いれずみ」

1959年以前
印刷(修復あり)
73.0×51.0cm
*『美術手帖』臨時増刊No.155(1959年3月)107Pに図版掲載

日本にいたときの50年代の「浴室」シリーズ、そして渡米後の1966年1月4日から始まる「日付絵画」(デイト・ペインティング)の間には驚くほどの乖離がありますが、二つの極の間に制作されたのが「印刷絵画」でした。
「印刷絵画」の名はご存知でも実物をご覧になった人はほとんどいないでしょう。そのくらい幻の希少作品であり、今回のセールの目玉のひとつです。
後年の河原は自らの作品については沈黙を守りましたが、「印刷絵画」の時代は実に饒舌で、離日直前の1959年に「印刷絵画」を手掛けた折には、その発想と技法について『美術手帖』誌155号(1959年臨時増刊号「絵画の技法と絵画のゆくえ」)に45ページにわたって詳細な解説文を掲載しています。
今回は実物作品とともに、その『美術手帖』誌も出品しています(ロットNo.13)。
■河原温 On KAWARA(1933-2014)
愛知県刈谷市生まれ。愛知県立八中学校(現愛知県立刈谷高等学校)卒業。1952年上京、新宿のコーヒー店「ブラック」で初個展を開催したが出品作品等の詳細は不明。翌年からアンデパンダン展に出品し、「浴室」「物置小屋」シリーズで時代の閉塞感を表わし注目される。浦和の瑛九のアトリエにも出入りし、デモクラートの作家たちとも交流した。後年の河原はインタビューや写真撮影に応じなくなり、自作について文章を書くこともなくなったが、1950年代には『美術手帖』『美術批評』などに寄稿し、座談会、アンケートなどにおいても盛んに発言していた。
離日直前の1959年に「印刷絵画」の制作を手掛けた。その発想と技法について『美術手帖』誌155号(1959年臨時増刊号「絵画の技法と絵画のゆくえ」)に45ページにわたって自ら解説した文章を載せている。同記事で確認できる限りでは「印刷絵画」は少なくとも3点制作されたが、あまり話題にならずに終わってしまった。今回出品する「印刷絵画」はY氏旧蔵の希少作品である。
その後、メキシコ、パリなどを経て、65年より活動の拠点をニューヨーク へと移し、1966年1月4日より「日付絵画」(デイト・ペインティング)の制作を開始する。時間、空間、意識、存在といっ たコンセプチュアルアートにおける第一人者として国際的にきわめて高い評価を受けている。後年の河原はインタビューや写真撮影に応じなくなり、自作について文章を書くこともなくなった。
渡米後の作品は、1950年代の具象的な作品群とは作風もコンセプトも全く異なるもので、「時間」や「存在」をテーマとした、観念的なものとなる。1966年から描き続けられている「日付絵画」("Today"シリーズ)は、リキテックス(画材の名称)で単一色に塗られたキャンバスに、その「絵」が制作された日の日付だけを、筆触を全く残さない職人技で丹念に「描いた」ものである。制作はその日の0時からキャンバスの下塗りを始め、起床後に黒色などで地を塗り、白で『年月日』を書き入れ、その日のうちに完成させる。完成後の保管は、その日の新聞を入れた箱におさめられている。またその日の24時までに描き終わらなければ廃棄される。
他に常に同じ"I am still alive."という文面の電報を世界各地から発信するシリーズ、過去と未来それぞれ百万年の年号をタイプした「One Million Years」、絵葉書にその日河原が起床した時刻だけを記して特定の相手に郵送する「I Got Up」など、いくつかのシリーズがある。画家本人は1966年以降、カタログ等にも一切経歴を明らかにせず、公式の場に姿を見せず、作品について自己の言葉で語らず、1966年以降の本人の写真やインタビューなども存在しないなど、その実像は謎に包まれている。
2002年、カッセルのドクメンタでは『One Million Years』が展示されるとともに、ブースに入ったアナウンサーが5分間『One Million Years』を朗読するパフォーマンスが行われた。没後2015年にはニューヨーク、グッゲンハイム美術館で回顧展が開催された。
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CIMG8992 のコピーロットNo.13  河原温
『美術手帖』臨時増刊No.155(1959年3月)

1959年3月発行
雑誌(126頁)
21.0×15.0×0.5cm
*河原温「印刷絵画 I・発想と提案 II・技術」収載
河原温についての重要文献です。

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CIMG8969 のコピーロットNo.14 絹谷幸二
(顔)

1999年
カタログの扉に色鉛筆デッサン
(カタログは岡崎画廊出版)
21.0×29.7cm  サインあり

■絹谷幸二 Koji KINUTANI(1943-)
1943年奈良県に生まれる。1966年東京藝術大学美術学部油絵専攻卒業。
1971年イタリアへ留学、ヴェネツィアでフレスコ古典画の技法を研究する。純然とした空の青を背景に、限定された形の中に明るく躍動的な色彩で描かれた人物などが特徴とされる。日本におけるフレスコ画の第一人者であり、フレスコ古典技法をもとに、独創的な制作を展開し続ける。
作品は油彩画、フレスコ画、水彩画、壁画、彫刻、立体、版画など多岐にわたる。
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CIMG5338ロットNo.15  俊寛
ピエロ

1975年
油彩・布
53.0×18.5cm
サインあり

■俊寛 Shunkan(1941-)
広島県生まれ、本名は久保俊寛(くぼとしひろ)。修道大学卒業、人人展の会員。第37回从会で「特別陳列久保俊寛, 纐纈敏郎」。2015年被爆70年の夏、若き日を過ごした広島のギャラリー並木で個展「鬼籍のヒロシマ伝」を開催。「原爆の図」を描いた丸木位里・俊夫妻。広島平和美術展を創設した柿手春三に増田勉、下村仁一、四国五郎。被爆体験を作品に込めた殿敷侃、入野忠芳、広島市街にあった画廊「梟(ふくろう)」のオーナー志條みよ子ら縁のあった物故画家や恩人ら13人の肖像を発表した。
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CIMG8576ロットNo.16 桑原盛行
(作品名不詳)

シルクスクリーン
52.3×53.0cm
Ed.50
サインあり

■桑原盛行 Moriyuki KUWABARA(1942-)
広島県沼隈郡内海町生まれ。1967年日本大学芸術学部美術学科造形専攻卒業。在学中から、正方格子の造形的可能性を群組織によって観察する試作を始め、卒業制作でそれをまとめた『変容』で日本大学芸術学会奨励賞を受賞。1968年第12回シェル美術賞展第一席受賞。サトウ画廊で初個展。1974年南画廊で個展(1977年も)。2009年池田20世紀美術館で個展開催、《点から円へ○格子図上の旅》のテーマで回顧的展示。
日大在学中より<正方格子の造形的可能性>を追求、やがてコンパスを用い無数の円を繰り返し描き重ねる『群の光景』シリーズなどを制作。その作品はおぴただしい円を描き重ねることで、豊かな空間を生み出そうと意図している。
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YY66ロットNo.17 小松省三
(作品名不詳)

1981年
エッチング、雁皮刷り
15.0×10.0cm
Ed.20  サインあり

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CIMG8580ロットNo.18 近藤竜男
(作品名不詳)

シルクスクリーン
シート50.3×65.5cm
Ed.45  サインあり

■近藤竜男 Tatsuo KONDO(1933-)
東京生まれ。1955年東京芸術大学油絵科卒業。1961年渡米。1963年からイサム・ノグチのアシスタントを務める('69年春まで)。2001年に帰国して日本に再定住するまでの40 年間、ニューヨークを拠点に制作。その間、最先端のアメリカ美術をアーティストとして目撃し続け、その記録をニューヨーク通信として美術雑誌等に掲載した。‘60 年代当時のアメリカは、抽象表現主義が全盛だったが、その流れとは一線を画し、明快な原色を多用し、独立した複数の色調を組み合わせたミニマルアートへの類似が見られる作品を制作、一貫して緊張感のあるクールな印象の作品を、南画廊、東京画廊、ギャルリー東京ユマニテなどでの個展で発表してきた。帰国後の2002 年に練馬区立美術館で大規模な回顧展「ニューヨーク⇔東京1955-2001」を開催。
著書に「ニューヨーク現代美術1960−1988」( 新潮社) 。
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CIMG8900ロットNo.19 斎藤義重
カット

紙に墨
シートサイズ:12.0×17.7cm
サインあり

斎藤義重 Yoshishige SAITO(1904-2001)
東京生まれ。造形作家。大正から昭和初期、当時さかんに移入された ヨーロッパの前衛美術、とりわけダダと構成主義を手がかりに自身の表現を模 索。二科展にレリーフ状の作品を出品しようとしたところ絵画部・彫刻部とも に受け付けられなかったというように、戦前から既成のジャンル分けではとらえきれない作品によって異彩をはなつ。戦後、国内外からの評価が高まり多摩美術大学の斎藤教室からは関根伸夫はじめ1970年前後に登場する「もの派」を筆頭に、すぐれた現代作家が輩出した。1960年代前半に集中して取り組んだ電動ドリルで合板に点や線 を刻み絵具を塗りこめる作品では、板面を刻む行為と、その痕跡としての傷が 主題となっている。晩年は黒色に塗布された板を連結した「複合体」シリーズへと進展し、独自の構成主義的作品を制作した。97歳の長寿を全うしたが、生前から東京国立近代美術館はじめ主要美術館で幾度も回顧展が開催されている。
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CIMG5637ロットNo.20 桜井孝身
宇宙の力

1990年  油彩・布
24.0×33.5cm(F4号)
裏面にサインあり

■桜井孝身 Takami SAKURAI (1928-2016)
福岡県生まれ。1957年に福岡を拠点とする前衛美術家集団「九州派」をオチ・オサム、菊畑茂久馬らと結成。
1950年代後半から福岡市を中心にゲリラ的に華々しい活動を展開した。地方における自律的な芸術活動の先駆的存在として注目をあつめた九州派だが、そのリーダーが桜井であった。初期はアンフォルメル絵画が主であったが、次第に反芸術的オブジェ、パフォーマンスへと展開。作品は身近な素材であったアスファルトやペンキ等を画材として使用、「生活者の視点」という九州派の理念を体現した。作品を残すことを潔しとしなっかったため作品は少ない。今年2016年2月15日死去、享年88。
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CIMG8933 のコピー (2)ロットNo.21 篠原有司男
ドローイング

2005年
スケッチブックにサインペン
シートサイズ:28.7×20.0cm
サインあり

篠原有司男 Ushio SHINOHARA(1932-)
東京生まれ。本名・牛男。愛称「ギューチャン」。1952年東京芸術大学美術学部油絵科に入学、林武に師事するが中退。1960年「読売アンデパンダン展」で活躍していた吉村益信、赤瀬川原平、荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・ オルガナイザーズ」を結成。その後も「イミテーション・アート」や「花魁シ リーズ」などの作品を次々と発表。「ボクシング・ペインティング」は篠原の代名詞となるが、これはマスメディア向けのパフォーマンスであり、芸術のつ もりは毛頭なかったと、のちに赤瀬川との対談で明かしている。1969年、ロ ックフェラー三世基金の奨学金を受けて渡米し、以後ニューヨークに在住。2007年第48回毎日芸術賞を受賞。2012年、ニューヨーク州立大学ニューパルス校ドースキー美術館で初の回顧展を開催。2013年篠原有司男・乃り子夫妻の日常を綴ったドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』(監督:ザッカリー・ハインザーリング)が話題となった。
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白髪一雄_年賀6 (1)ロットNo.22 白髪一雄
暑中見舞い

1962年
葉書に水彩
14.2×10.2cm
サインあり

白髪一雄 Kazuo SHIRAGA(1924-2008)
尼崎市生まれ。1948年京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)日本画科卒業。のちに洋画に転向し、大阪市立美術研究所で油彩を学ぶ。1952年0会結成に参加。ゲンビを通じて吉原治良と出会い、1955年具体美術協会会員となる。以降、具体主要メンバーの一人として活動し、1972年の解散まで参加。1999年文部大臣から地域文化功労者表彰。1971年比叡山延暦寺で得度。文字通り「具体」を代表する作家として世界中の注目を集める。2008年没、享年83。
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CIMG8963 のコピーロットNo.23 勝呂忠
(作品)

墨、着彩
シートサイズ:31.7×40.8cm
サインあり

■勝呂忠 Tadashi SUGURO(1926-2010)
東京生まれ。1950年多摩造形芸術専門学校(現多摩美術大学)絵画科を卒業。同年、自由美術協会を退会した村井正誠、山口薫、小松義雄らによって結成されたモダンアート協会創立に参加。1961年イタリアに留学、油彩画のほかモザイク画を学ぶ。1963年帰国。渡欧前は対象を幾何学的な形の集合体として把握し、それらをいったん解体してから再構成する具象画を描いたが、渡欧後は抽象表現を試みるようになる。1973年再び渡欧。トルコ、ギリシャ、イタリア、フランス等を旅行する。1980年代初頭から様々な色調の黄土色を基調とする背景に、布で全身を覆った人物立像を想起させる幾何学的形態を平板な黒い色面で表した画風へ転じる。又、舞台美術や装幀も手がけ、 1954年から描いた早川書房刊行のポケット・ミステリーの表紙原画がある。以後、三田文学表紙(1956年〜1958年)、エラリー・クィーンズ・ミステリ・マガジン(創刊号から1965年まで)などの表紙原画を手がけ、斬新洒脱な画風で注目を集めた。
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CIMG8573ロットNo.24 スズキシン一
マリリン

1976年
ペン、水彩
シートサイズ:55.0×39.7cm
サインあり

■スズキシン一 Shinichi SUZUKI(1932-2001)
山形県酒田生まれ、本名鈴木慎一。日本大学芸術学部美術科卒業。1958年酒田・本間美術館で初個展。グループ「濁」を結成。1960年自由美術協会会員となる。1971年地球堂ギャラリーで個展(マリリン・イメージ特集)。マリリン・モンローを生涯のテーマとして描き続けた。1991年酒田の本間美術館で「スズキシン一の世界 : マリリン・ラブソング」展開催。
平成2年の1月元旦より世界最大の手漉き和紙7.10mx4.35mに100万体のマリリン・モンローを描く「マリリン曼陀羅」の制作を開始してNHKTVや民報TVに度々取り上げられ話題を呼んだ。2001年8月に亡くなるまでに97万8000体のマリリンを描き続けた。
細かく描くためドイツ製のジロット・ペンを裏返しに使い0.01ミリの線をもってモンローを描いていたが、最後の和紙への作品では毛筆を使い、紙の表面を瑪瑙で磨きながら墨で描いた。
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CIMG5371ロットNo.25 ヌリート・マソン・関根
はいしドゥドゥ はいしダダ あるいは詩人はいかに生きるか

1985年
レントゲンフィルムにコラージュ、ドローイング
43.0×35.0cm
サインあり

■ヌリート・マソン・関根 Nourit Masson SEKINE
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CIMG5426ロットNo.26 多賀新
受難告知〈掘

1997年
エッチング、雁皮刷り
22.0×18.0cm
Ed.50 サインあり

■多賀新 Shin TAGA(1946-)
北海道生まれ。銅版画家。1973年版画グランプリ展賞受賞。1983年セントラル版画大賞展受賞。 1983〜84年文化庁在外研修派遣員に選ばれアメリカ、西ドイツに滞在。日本版画協会会員。从展などに参加、内外で個展を多数 開催している。代表作に銅版画・江戸川乱歩の世界、新十二神将合体図など。近年は鉛筆画の作品にも力を入れている。
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CIMG5418ロットNo.27 高山良策
古代の方へ(対話)

1980年  油彩
45.5×53.5cm(F10号)
サインあり

■高山良策 Ryosaku TAKAYAMA(1917-1982)
山梨県生まれ。兄は日本画家の高山無双。1931年に上京し製本工場に勤めながら独学で絵を学 ぶ。1938年陸軍に徴兵され、過酷な状況下でも軍隊での生活を題材に鉛筆や水彩によるスケッチを描いた。1940年シュルレアリスム絵画を描く福沢一郎の絵画研究所で学び影響を受ける。1943年戦争中は東宝航空研究資料室に入り、国策映画の特撮用のミニチュアを製作する。多くの美術家が集まっており、山下菊二、難波田龍起らを知る。1945年戦争末期の3月「池袋モンパルナス」のアトリエつき住宅に転居。1946年山下菊二、大塚睦らと「前衛美術会」を結成。1953年映画『ひろしま』のセットデザインをてがける。以後様々な映画のセット、ミニチュア、人形制作を行う。1967年『ウルトラマン』に続いて『ウルトラセブン』にも参加し、ほとんどの怪獣の造形を担当した。晩年はシュルレアリスムに立脚した土俗的な絵画作品を描く。
肝臓癌で死の床にあったとき輸血の提供に多くの高山怪獣のファンが名乗りをあげたというエピソードがあるとおり、『ウルトラマン』などの映画の「怪獣の父」として若い世代のファンも多い。没後の2001年練馬区立美術館で「高山良策の世界展」が開催された。
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CIMG8987 のコピーロットNo.28 田口雅巳
「富士の国」

オブジェ(書簡入り)
天保150年(1980年)
ミクストメディア
25.0×22.0×6.5cm
サインあり

■田口雅巳 Masami TAGUCHI(1936-2010)
東京生まれ。1945年、平塚、ついで鵠沼に疎開。鎌倉高校在学中より作品を発表。1960年の初個展以来、生涯で100回以上の個展を開催。グループ展や海外での展覧会も多かった。洋画、日本画、立体造形、版画などを74歳で亡くなるまで精力的に発表。併行して湘南風景も描き続け、1981年より江ノ電の走る沿線風景などによる展覧会が江ノ電百貨店(現・小田急百貨店藤沢店)を舞台に2010年の追悼展まで30年にわたり毎年開催され人気を呼んだ。2002年茅ヶ崎市美術館で「プティ・サロン ゲイジュツ・ギワク 田口雅巳の『美術・解体診書』」が開催される。2008年鎌倉高校同窓の真徳寺(藤沢市西富)・吉川晴彦住職より24枚48面の襖絵(障壁画)制作の依頼をうける。没後の2012年茅ヶ崎美術館で「アノ世とコノ世と湘南と 田口雅巳カイコテン」が開催された。
著書に『しょうなん素描』(江ノ電沿線新聞社)、『しょうなん電車の旅』(ICA企画)など多数。
木箱の中にさまざまな言葉と、それらを象徴するオブジェを詰め込んだ作品も多く残した。
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CIMG8562ロットNo.29 谷川晃一
(ドローイング)

1963年  水彩
38.2×27.0cm
サインあり

谷川晃一 Koichi TANIKAWA(1938-)
東京生まれ。画家、絵本作家、美術評論家。中学2年で画家を志す。攻玉社高等学校卒業。以来さまざまな副業につきながらも独学による制作を続ける。1956年20歳で自由美術展入選。1963年読売アンデパンダン展に出品。1964年内科画廊で初個展。1968年より旺盛な批評活動を開始。1988年に伊豆高原へ転居。伊豆高原では作品にも海や樹木や鳥などの要素を加えて、「陽光礼讃」への傾向を強める。さらに自身の芸術思想の実践として 「伊豆高原アートフェスティバル」を立ち上げ、以来20年を超えて各回動員数5万人を誇る文化イベントを成功させる。著書に『アール・ポップの時代』 『毒曜日のギャラリー』『これっていいね雑貨主義』など多数。夫人は画家、エッセイストとしても名高い宮迫千鶴(1947-2008)。神奈川県立近代美術館 葉山で2017年1月15日まで「陽光礼讃 谷川晃一・宮迫千鶴展」が開催されている。
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CIMG8548ロットNo.30  田渕安一
(作品)

1990年  エッチング
35.0×32.0cm
サインあり

■田淵安一 Yasukazu TABUCHI(1921-2009)
福岡県生まれ。学徒動員で入隊し終戦を迎える。東京帝国大学文学部美術史学科でドラクロワ以降のフランス絵画を研究しつつ、新制作派協会に出品を続け、卒業後の1951年に渡仏。以後60年もの間、フランスを拠点に創作活動を続けた。当初は具象的な画風だったが、当時ヨーロッパの美術界を席捲した抽象表現主義を吸収し、厚塗りのマチエールの作品を描くようになる。西欧と日本という、異国で制作する画家として根源的なテーマを自問し続け独自の絵画世界を生み出した。2014年神奈川県立近代美術館鎌倉にて「田淵安一 知られざる世界」が開催された。
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1番から11番は12月2日のブログをご覧ください。
31番から、59番までは、6日、7日、8日、9日のブログで順次ご紹介します。

最低入札価格はHP及びブログには公開しません(あまりに廉価なので)。
入札リスト(最低価格入り)をご希望の方は、こちらから、必ず「件名(入札リスト希望)」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してお申込みください。希望者には郵送でもお送りします。

入札及び落札方法についてはHPに詳しく説明してありますので、ぜひご参加ください。
http://www.tokinowasuremono.com/tenrankag/izen/tk1612/284.html

本日の瑛九情報!
〜〜〜
めずらしく油絵の近作をまとめた瑛九の個展(兜屋画廊 2・23−28)を見て、私はふしぎな感じを抱いたものである。「ある日天井を眺めていると、フト描けないから個展でもやってみたら……という考えがうかび」展覧会をひらいたと、カタログの片隅に小さく書かれてある。昨年十一月から慢性じん炎で病臥中だという。親友の小野里利信氏がひとり会場にいた。病状は一時危なかったが、東京の病院に移ってからは愁眉をひらいたという。しかし私はこの会場にいて、作者と作品とのあいだで、なにか取り残されたような感じをどうすることもできなかった。病臥中の作者が、作品をひとりで出してやり、自分は横臥しているという気持はよくわかるようで、同時に奇異な感じがする。だが、それも瑛九らしい、とその場をつくろう気持がなかったとはいえない。そしてそれが誤解の一因なのではないか。瀧口修造【ひとつの軌跡 瑛九をいたむ】『美術手帖』1960年5月号より)〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

戦後の前衛美術‘50-70 Part III S氏 & Y氏コレクション(入札)」
会期:2016年12月3日[土]―12月10日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
入札締切り:12月10日[土] 17時必着

201612
1950年代から「夜の会」など前衛美術運動に参加、国際的な視野にたって活躍したS氏と、同じく50年代から丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を携えて全国を巡回した反骨の評論家Y氏の旧蔵作品を入札方式で頒布します。
好評だったPart I及びPart IIに続き、1950〜70年代の前衛の時代を駆け抜けた作家たちの希少なコレクションです。
*下記の画像はクリックすると拡大しますが容量の関係で鮮明ではありません。より鮮明な作品画像は下記のURLにてご覧ください(クリックすると拡大します)。
http://www.tokinowasuremono.com/tenrankag/izen/tk1612/284/284_list.jpg
201612戦後の前衛〜_5000

リストはHPには公開しません
入札リスト(最低価格入り)をご希望の方は、こちらから、必ず「件名(入札リスト希望)」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してお申込みください。希望者には郵送でもお送りします。
出品予定
赤瀬川原平「零円札」、荒木経惟『センチメンタルな旅』、池田龍雄、伊坂義夫、石内都『YOKOSUKA STORY』、猪瀬辰男、入野忠芳、岩崎巴人、岡本太郎、オノ・ヨーコ Yoko ONO『Grapefruit』、小山田チカエ、河原温「印刷絵画」、絹谷幸二、俊寛(久保俊寛)、桑原盛行、小松省三、近藤竜男、斎藤義重、桜井孝身、篠原有司男、白髪一雄、勝呂忠、スズキシン一、ヌリート・マソン・関根、多賀新、高山良策、田口雅巳、谷川晃一、田淵安一、たべけんぞう、利根山光人、土橋醇、豊島弘尚、中村宏、古沢岩美、三浦久美子、水谷勇夫、緑川俊一、南桂子+浜口陽三、元永定正、横尾忠則、ヨシダ・ヨシエ、吉仲太造、吉原治良、依田邦子、K Noriko(K・ノリコ)、Eugene BRANDS(ユージーン・ブランズ)、Beatriz SANCHEZ(ベアトリス・サンチェス)、Gerard Schneider(ゲラルド・シュネーデル)、Salvador y Domenech DALI (サルヴァドール・ダリ)、Mark TOBEY(マーク・トビー)、Roberto CRIPPA(ロベルト・クリッパ)、Pierre ALECHINSKY(ピエール・アレシンスキー)、Jean TINGUELY(ジャン・ティンゲリー)、
具体』機関誌4号・8号、
五人組写真集 REVOLUTION』季刊第1号(1972年 池田昇一、伊藤久、鈴木完侍、彦坂尚嘉、矢野直一)、
色彩と空間展」南画廊ポスター1966年(磯崎新、山口勝弘、アン・トルーイット、サム・フランシス、三木富雄、田中信太郎、湯原和夫、五東衛(清水九兵衛)、東野芳明)、
現代美術フェスティバル」ポスター1970年(荒川修作、岡本信次郎、馬場彬、三木富雄、元永定正、山口勝弘、吉仲太造、村上善男、伊藤隆道、野田哲也、高松次郎、柵山龍司、池田満寿夫、若尾和呂、瀬木愼一)