東京国立近代美術館

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第24回

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第24回

東京国立近代美術館「瀧口修造と彼が見つめた作家たち―コレクションを中心とした小企画」


取材日の当日、東京メトロ竹橋駅の階段を昇ると、ギラギラの太陽に照らされたアスファルトが白く発光し、目を刺激した。皇居周辺を走るランナーも、このときばかりは酷暑のために姿を消していた。信号待ちで立っているだけでも体力を奪われ、暑さを避けるようにして東京国立近代美術館に飛び込んだ。今回の取材は、「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」展である。瑛九の作品が前期と後期あわせて4点が出品されていることから、当館美術課長大谷省吾学芸員による案内で展示を拝見した。

展示を企画されたきっかけは、2017年12月3日大阪大学総合学術博物館主催のシンポジウム「〈具体〉再考 第2回1930年代の前衛」に、大谷氏が加藤瑞穂准教授から誘われて発表者として参加したことによる。討論された内容は、「「デモクラート美術家協会」、「実験工房」、「具体」それぞれの中心的役割を果たした瑛九(1911-1960年)、瀧口修造(1903-1979年)、吉原治良(1905-1972年)の接点に注目し、研究者による発表・討議を通して、戦前の1930年代にまで遡る彼らの活動やその志向、戦後との連続性などについて考え」るというものであった。特色のある活動を展開した彼らの表現の中で、共通する点と異なる点は何か、実際の作品を見ながら議論を深める狙いがあったようだ。

東京国立近代美術館01東京国立近代美術館(2階)展示室前

展示室に入ると、手のひらサイズの黒い冊子が置かれている。表紙は、瀧口修造が好んだラベルのデザインで展覧会名が入っている。瀧口のスケッチブックと見紛うばかりの凝った体裁のであるが、中を開くと、解説文、図版8点、瀧口修造略歴、作品リストが収録された小冊子である。(配布終了)

東京国立近代美術館02瀧口修造と妻綾子を撮影した写真が展示されている。大辻清司の撮影による「瀧口修造ポートフォリオ」から。

山積みとなっている書物が壁一面を覆い尽くしている。瀧口の書斎写真をじっくり見ていると、ある種の趣向が分かってくるため、度々雑誌等に掲載されることがあり、後年は研究対象として扱われている。壁面と化した本の背表紙や絵をのぞき込むと、瀧口のその当時の関心事や交友関係を知る手掛かりとなるのだろう。実際に慶応義塾大学アート・センターで書斎の写真に注目した展示企画が2018年1月22日〜 3月16日 に同大学アート・スペースにて開催された。過去にも、同センターの「瀧口修造アーカイブ」から瑛九も関わっていたタケミヤ画廊の企画展も行われたことがあり、見学させていただいた。今後も大学、美術館の双方でコレクションを積極的に公開していくことで、瀧口や彼に関連する美術家の研究が進むと考えられる。

東京国立近代美術館03参考資料)写真:口絵「瀧口修造の書斎1963」(大岡信『ミクロコスモス瀧口修造』1984年)、左下図版:《作品》1959年、油彩、37.8×44.5僉碧楷崟亀全峠ぁ惘誘綺酩塀検1997年)

瀧口は、作品も図書と同じく書斎に置いていた。写真図版の赤枠部分には、瑛九の作品が1点掛かっている。左下の油絵が写真と同じ作品である。瑛九の作品を瀧口がどのように入手したのか経緯は定かではないが、ひとつの可能性としていえるのは、瑛九夫人(都)が贈ったことである。大谷氏によると、瀧口は作品を購入して手元に置くというよりは、美術家が瀧口に贈るケースが多かったという。瑛九のこの作品は、現在、富山県美術館に収蔵されている。

東京国立近代美術館04瀧口修造のデカルコマニー4点(いずれも制作年不詳)が展示されている風景。

デカルコマニーを用いて制作された作品の多くは、浮かび上がった模様から、あるイメージを想像して、よりそれらしく見えるように加筆する。しかし、瀧口の場合は、ほとんどの作品に手を加えず、そのままの状態で留めている点が他の作家との大きな違いであると、大谷氏は説明していた。展示されているデカルコマニーは、どれも黒を基調として、淡いブルーや紫色が画面に落とし込まれている。紙上を這うように浮かび上がった模様をつぶさに観察してみると、暗闇でざわめく木々に見えたり、夕立の暗雲に見えたり、巨大な湖に見えたり、月面に見えたり、様々なイメージを膨らませることができる。見え方は、千差万別で大谷氏は「○○に見える」と〇〇と言葉を当てはめることさえ憚られるように説明していた。

東京国立近代美術館05バーント・ドローイング3点が展示されている風景。

紙を熱して浮かび上がる焦げや煤けた模様を作品とする技法である。3点をよく見ると、焦げて穴が開いた紙の下に赤い紙を重ねている作品、彩色した紙に火を入れた作品、もしくは、その逆の手順で火を入れた後に彩色している作品で、制作する度に変化を与えていることが分かる。このように実験的に制作される作品に偶然な発見があると、制作するたびにまた制作したい欲に駆られるのだろう。瀧口修造と聞くと、美術批評家・詩人というイメージが第一にわくが、晩年の瀧口は執筆活動をしないで、「美術家」のように作品制作に没頭していたようだ。大谷氏は、瀧口のバーント・ドローイングとルーチョ・フォンターナの作品をよく比較してほしいと語っていた。見比べると似て非なる作品で、フォンターナの目の覚めるような色と鋭く切り裂かれた画面と、どこか湿っぽい瀧口の作品は日本らしい味わいがある。

東京国立近代美術館06.ロト・デッサン2点。制作年不詳、紙、鉛筆

私が撮影した写真では見えづらいかもしれないが、こちらは、ただ黒くて四角い作品ではない。黒い用紙に鉛筆で同心円状の線が幾重にも重ねられた作品である。黒鉛のキラキラと輝く軌道を目で追っていると、画面に吸い込まれるような錯覚に陥る。展示室で直に見ていただきたい作品のひとつである。

東京国立近代美術館07『みづゑ』増刊「海外超現実主義作品集」1937年5月

戦前の日本で出版されたシュルレアリスム関係文献で最も充実した雑誌として有名で、美術ファンならお馴染みの資料である。なお、レクチャー(第二夜)でこの雑誌の詳細な説明を伺い、瀧口の異様な執着心が込められていたことを知った。上部の「みづゑ」と表記されている方がカバー(奥)であり、カバーを外した状態の冊子(手前)が分けて展示されている。「アルバム・シュルレアリスト」という表題の黒バックの表紙とその裏表紙を飾っているのが瀧口の作品である。作者として瀧口の銘はどこにも無いものの、海外のシュルレアリスム特集号で自身の作品を表に置く精神は、改めて考えると驚くべきことだと大谷氏は語る。

本展は、大きく三つのコーナーに分けられ、‖躙修造のコーナー、瀧口と交流のあった日本の美術家のコーナー、B躙が関心を寄せていた海外美術家のコーナーで構成されている。,梁躙の作品は当館が所蔵する全13点が出品され、↓のその他の作品が会場の大半を占め、一巡すると実に多彩な展示空間であることを知る。見るたびに新たな発見がある奥深い作品ばかりのため、瀧口のコーナーを見て他のコーナーを鑑賞したら、また瀧口のところを見返してほしいという。

東京国立近代美術館08左からポール・セザンヌ、ウジェーヌ・アジェ、マックス・エルンストの作品がある風景。瀧口は『近代芸術』(1938年)でセザンヌの作品に精神と物質との闘いを見ている。人の意識の届かない存在としての「物質」をどう捉えるか、という瀧口にとっての重要なテーマが論じられる大事な一例として示された。


東京国立近代美術館09右からイヴ・タンギー、ジョアン・ミロで、左はルーチョ・フォンターナ、ジョセフ・コーネルである。


東京国立近代美術館10左から福沢一郎、浅原清隆、浜田浜雄の作品。こちらは瀧口と交流の深かった美術家である。浅原が描いたハイヒールの立体構造と奥まったソールの部分を見ていると不思議なものに見えてくる。二次元のフラットな画面であるが、ルーチョ・フォンターナの作品を彷彿させる。


東京国立近代美術館11北脇昇《数学的スリル》とオブジェ。アトリエに残っていたという木片は、作品の中でライフル銃や逃げ惑う人物に姿を変えている。見立てに近い造形表現である。


東京国立近代美術館12大辻清司、北代省三・大辻清司、山口勝弘・大辻清司の写真。[後期展示]
撮影された対象が北代、山口によって制作されたオブジェである。彼らは、実験工房のメンバーである。


東京国立近代美術館13手前は荒川修作の《作品》があり、奥には河原温の《孕んだ女》がある。瀧口に限らず、「もの」(物質/物体/オブジェ)をどのように捉えるかは、作品制作の根底にある大きな問題であり、時代を経ても脈々と続く問題として、個々の作品を細かく見ていくと、展覧会に込められた重要なポイントになっているようだ。


次に、瑛九のコラージュ4点に注目したい。下記の作品をよくみると、1点目はまぶたからひたいにかけて切り取られた女性の顔面があり、眼球はなく、人体らしきカケラが連なるように構成されている。背景に当てられた赤い紙の効果で、バラバラの印刷物はひとつの個体となり、人ではない奇怪なイメージが形作られている。また、《作品D》は、能面のように眼球部分がくりぬかれた女性像、《笑えぬ事実》では、女性の顔が白目部分で切断され、同様に切り抜かれた別の顔と上下反転する形で接合されている。4つの瞳孔が空を仰ぎ、画面中央にぬうっと突出た腕は不気味さを増長している。

東京国立近代美術館14瑛九《無題》1937年頃、コラージュ・紙[前期展示]

東京国立近代美術館15瑛九《無題》1937年、コラージュ・紙[前期展示]、鉛筆で「Q Ei /’37」のサインあり

東京国立近代美術館16瑛九《作品D》1937年、コラージュ・紙[後期展示]

東京国立近代美術館17瑛九《笑えぬ事実》1937年、コラージュ・紙[後期展示]

これら瑛九の作品に関しては、大谷氏の論文「瑛九にとっての『現実』」で次のように解釈している。

瑛九が徹底的に拒否したのは、現実を公式化し、手垢にまみれた既成概念の枠を通して理解することであった。そうした惰性的な現実理解が、バタイユのいう「味気のない生をもたらした」とするならば、逆に瑛九が追い求めたのは、知識や概念を取り払った、むき出しの存在としての「レアル」なものということができるだろう。
(大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画1928-1953』2016年)

また、瑛九のコラージュについて、「表現者としての孤独と疎外のぎりぎりの地点からの反撃として生み出されたのだと考えられる」と大谷氏は解釈を加えている。
瑛九は幼少のころから本の虫で、国内外の美術表現は雑誌などから学んでいた。人一倍知識をため込んでいたといっても過言ではない。それは、独自の表現を模索していたからこそ、手あたり次第に目を通していたともいえる。「知識や概念」に向きあった上で目の当たりにした現実(レアル)には、ハッとさせられるくらいの空虚と確固たる魅力がそこにあることに気付いたのであろう。瑛九は「知識や概念」でがんじがらめになる予定調和的な表現ではなく、「孤独」な冒険に挑んだ。そのため、それまで積み上げてきたことを自嘲するかのように、アイロニカルと不穏に満ちた表現になった。

ところで、大谷氏は、大阪大学のシンポジウムや「瑛九1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす」展(東京国立近代美術館ギャラリー4、2016年)で、瀧口と瑛九のふたりが1930年代に映画を製作する計画があったことを書簡の中から見出している。結局、瀧口の体調の悪化で頓挫するものの、フィルム(感光材料)を用いた表現に、ふたりとも関心があったことが分かる。作品を見ても分かるように、両者が同じ方向をめざした表現とは言い難いが、同時代の前衛美術家として互いに無関心ではなかったようだ。瀧口修造が瑛九について書いている記事を一覧で見ると、決して少なくはない。

<瑛九に関係する瀧口修造の執筆文献>
〔瀧口修造「自由美術家協会第一回展」『美之國』1937年8月〕
瀧口修造「フォト・デッサンに寄せる言葉」『瑛九フォト・デッサン展』目録(宮崎商工会議所、大阪梅田画廊)1951年1月−2月
瀧口修造「瑛九のエッチング」『美術手帖』1953年10月
瀧口修造の詩による版画集『スフィンクス』1954年
瀧口修造「(展覧会に寄せて)」『瑛九フォト・デッサン展』目録(高島屋ギャラリー)1955年1月
瀧口修造「福井の瑛九遺作展のために」『瑛九遺作展』目録(福井市繊協ビル)1960年5月
瀧口修造「瑛九をいたむ」『美時術手帖』1960年5月
瀧口修造「通りすぎるもの」『眠りの理由』1966年4月

瀧口修造の詩による版画集『スフィンクス』は、デモクラート美術家協会会員(北川民次、瑛九、泉茂、加藤正、利根山光人青原(内間)俊子)によって制作された版画と瀧口修造の詩がセットになったもので、瑛九のエッチングは、「五月のスフィンクス」という詩と組まれた。本展では、この作品が当然出品されていると予想していたが、実際は展示されていなかった。改めて調べると、こちらは久保貞次郎が発案したもので、すでに発表されていた瀧口の詩選集に版画を併せたものであった。このころの瑛九は、シュルレアリスムに傾倒していた時期で、銅版に下書きをせずに、頭に思い浮かぶままイメージを刻んでいた。


この瀧口修造展は、これまで評価されてきたシュルレアリスムの紹介者や前衛美術家の支援者という外面的な「瀧口像」ではなく、彼の心を動かした美術思想・表現、さらには個人的な嗜好にまで迫ろうとする瀧口の内面を覗く展示であった。また、比較対象として展示された作品を見ると、瀧口のオリジナリティを作品に見出すこともできる。

瀧口と瑛九に見受けられる共通の特徴としては、^貭蟯間、同じ技法による作品を実験的に繰り返し制作している点、∈酩覆離ぅ瓠璽犬鮓把蠅靴覆い海箸鮃イ鵑静澄↓写真メディアへの関心、ぅ轡絅襯譽▲螢好爐悗隆愎粥↓コこ扱歃儔函淵轡絅襯譽▲螢好函砲鵬欧垢襪海箸ない点が挙げられる。
瑛九は、瀧口の「実験工房」創立とほぼ同時期に「デモクラート美術家協会」という看板を掲げ、瑛九なりの「もの」(現実、レアル)の捉え方を実践してきた。瀧口は売れっ子の批評家でありながら、瑛九という画壇にいつかない人物を気に掛けていたのは、関心の対象や制作態度にかんして通ずるところがあったからかもしれない。

***
ちょっと寄道…


東京国立近代美術館18連続ミニレクチャー第二夜8月10日「瀧口修造とデカルコマニー」にて

展覧会の関連イベントとして行われているレクチャーでは、本展の企画者大谷省吾学芸員が5つのテーマを設けて、30分じっくりと解説するものである。第一夜と第二夜に伺うと、レジュメが用意され、レクチャーで触れられた参考文献の中の一文が掲載されている。大谷氏は、最新の研究成果を報告されるため美術関係者の注目度も高く、会場には、他館の学芸員や瀧口修造の研究者・土渕信彦さん、綿貫ご夫妻もお見掛けした。

第一夜では、「瀧口修造と“物質”」というテーマで、展覧会の開催概要や瀧口修造の関心の元となっている「物質」について掘り下げた内容であった。物質=「私」をとりまく世界、「私」という自我ではない、意識の外(無意識)にある部分を捉えたいと考えた時に、瀧口は「写真」に注目するようになった。印画紙に光が当たって制作される写真は、意識していないものも写し出すことが出来る。会場では、瀧口が関心を示していたウジェーヌ・アジェのスナップ写真が展示されている。

第二夜は、「瀧口修造とデカルコマニー」について、大谷氏は、オスカー・ドミンゲス、ジョルジュ・サンド、ロールシャハが制作したデカルコマニーの作例を挙げ、アンドレ・ブルトン『ミノートル』8号(1936年6月)にデカルコマニーが掲載されたのをきっかけに、わずか半年後に『阿々土』15号(1936年12月)で「対象の予想されないデカルコマニイ」として、作り方が紹介されたことを報告された。また、日本で開催された重要な展示としては、南画廊、新宿セバスチャンの個展の他に、東京府美術館に於いて開催された第5回新造形美術協会(1937年3月)で、瀧口が今井滋、瀧口綾子との共作(詩やデカルコマニー)を発表したことを挙げていた。また、展覧会終了後の5月には、雑誌でデカルコマニーを紹介していたことを示し、そのなかでも、特に重要なものとして、「作者が同時に熱心な鑑賞者になれるのもデカルコマニイです。」(「不思議な窓・デカルコマニイ」『アトリヱ』14巻5号、1937年)という妻綾子の一節を挙げ、デカルコマニーの本質と多様な表現性に触れていた。イメージの生成を循環してゆくことが、言葉では言い表せない何か、=「物質」を捉えることに繋がると考えらている。

瀧口のデカルコマニーについて、大谷氏は次のように解釈をしている。

近代的な表現主体としての作者の存在を相対化させるような性質が、もともとデカルコマニーにはあり、瀧口修造はその性質に身をゆだねているようにみえる。作者としての瀧口が作品の向こう側にいて、その表現意図を作品の表面から読み取らなければならない、というわけではないのだ。むしろ瀧口は作品のこちら側に私たちとともにいて、一緒に作品を見つめているのだと考えたほうがよい。
(中略)
作者と鑑賞者との境界が曖昧になるということは、「〇〇に見える」の「〇〇」が鑑賞者の数だけありうるということも意味する。

(大谷省吾「瀧口修造のデカルコマニーをめぐって」『瀧口修造展供2014年)

上記のように多角的なとらえ方ができるのがデカルコマニーの最大の魅力なのであろう。

東京国立近代美術館19東京国立近代美術館常設展の第9室写真・映像コーナー。

こちらには、細江英公の写真《薔薇刑》11点が展示されている。被写体となっている人物は、文筆家三島由紀夫である。元は、1962年銀座松屋で開催された「NON」展に20点組みで発表された写真である。翌年1963年には、写真集『薔薇刑』が集英社より発行された。
1968年には、《薔薇刑》の意思を引き継ぐように、澁澤龍彦編集の『血と薔薇』が創刊される。三島はここで再びモデルとなり、篠山紀信撮影《男の死》を発表することになった。

東京国立近代美術館20《薔薇刑》が展示されている風景。

細江英公は、瑛九に影響を受けた一人で、埼玉のアトリエに通い、フォト・デッサンの制作風景などを写真に収めている。細江は、瑛九の熱弁に触れて「ケロイド」ができたと比喩するほど、衝撃が走ったようだ。細江はデモクラート美術家協会にも参加している。

ちなみに、瀧口修造は下記の通り細江英公の写真集に寄稿している。
瀧口修造「鎌鼬、真空の巣へ」『鎌鼬』現代思潮社、1969年
瀧口修造「現前するガウディ」『ガウディの宇宙』集英社、1984年

東京国立近代美術館21夜の東京国立近代美術館の外観。ライトに照らされた梁が美しい。

夜間開館の実施中で、ゴードン・マッタ=クラーク展の会期中は21時まで、それ以降は20時まで開いている。美術館の前庭には、多田美波や現在開催中のゴードン・マッタ=クラークの作品が設置され、昼間とは別の表情を浮かべている。
また、見慣れないキッチンカーは、美術館内に店舗を持つ、L’ART ET MIKUNIが出店している。現在開催中の展示にあわせた期間限定のお店で、お弁当やローストビーフのサンドイッチ、ビール、日本酒、甘酒などの飲食ができる。総括ディレクター増田禎司氏にお話を伺うと、美術館の店内で出しているメニューを半額で提供しているものもあり、たいへんお得だという。桜の時期にも出店していて、評判が良いようだ。

夜の美術館では、学芸員によるミニレクチャーやボランティアによる展示解説などのプログラムがあるため、仕事帰りに作品を鑑賞して、外でゆっくりとくつろぐ来館者が多いようである。私も帰り際に冷やし甘酒をすすりながら野外彫刻を見ていると、昼間とは違った開放的な雰囲気を味わうことができた。日中に見かけなかった皇居ランナーの姿が見えると、暑さにも負けずに日常生活を送る日本人の柔軟な精神性を垣間見たような気がして、嬉しくなった。
(なかむらまき)

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち―コレクションを中心とした小企画」
チラシ(部分)
会期:2018年6月19日(火)〜9月24日(月・祝)
会場:東京国立近代美術館 ギャラリー4(2階)
時間:10:00-17:00(金・土曜は20:00まで)
休館:月曜(7月16日、9月17日、9月24日は開館)、7月17日、9月18日
出品作家:赤瀬川原平/浅原清隆/荒川修作/アンリ・ミショー/イヴ・タンギー/ウジェーヌ・アジェ/瑛九/大辻清司/岡崎和郎/加納光於/河原温/北代省三/北脇昇/ジョアン・ミロ/ジョゼフ・コーネル/瀧口修造/ポール・セザンヌ/ルーチョ・フォンターナ/浜田浜雄/福沢一郎/マックス・エルンスト/野中ユリ/福島秀子/山口勝弘

開催概要
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。


「連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜」(入場無料)
講 師:大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時 間:各回とも18:30-19:00
場 所:地下1階講堂
第一夜:7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜:8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜:8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜:9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜:9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」
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●今日のお勧め作品は、瑛九です。
おすすめqei17-024瑛九 Q Ei
『眠りの理由』(10点組)より
from "Reason of Sleep"
1936年
フォトデッサン(フォトグラム)
26.7×21.7cm
Ed.40
※9点セット

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第1夜レポート

「瀧口修造をもっと知るための五夜」第1夜レポート

土渕信彦


去る7月27日(金)、東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の第1夜を聴講しました。同館の企画展示「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」(図1)の関連イベントで、レクチャーのレポートに入る前に、企画展示の内容をご紹介します。
図1 企画展示案内板図1 企画展示案内板

1.企画展示について
展示点数は合計50点余り(展示替えを含む)。内訳は同館所蔵の瀧口修造作品13点と、瀧口が「見つめた」作家の作品40点ほど(ほかに雑誌などの資料11点あり)。瀧口の作品はデカルコマニー4点、バーント・ドローイング3点、ドローイング・水彩3点、ロトデッサン2点、コラージュ1点。デカルコマニーとドローイング・水彩はそれぞれ密度の高い佳品(図2,3)。バーント・ドローイングはいずれも素晴らしい大作(図4)。珍しいコラージュ「パウル・クレーのモニュメントのためのプロジェクト」も、一目見たら忘れられないでしょう(図5)。点数は多くありませんが、バラエティに富んで良いコレクションと思います。何よりも東近美が作品を所蔵していること自体、瀧口が造形作家として評価されたことを示しており、長年コレクションしてきた者として、感慨を禁じ得ません。
図2 正面の壁面図2 正面の壁面(右3点が水彩・ドローイング、左2点はロトデッサン)

図3 デカルコマニー4点図3 デカルコマニー4点

図4図4 バーント・ドローイング3点

図5 コラージュ図5 コラージュ「パウル・クレーのモニュメントためのプロジェクト」

「見つめた作家」の作品では、海外作家ではセザンヌやシュルレアリストからフォンタナ、ミショー、コーネルまで、国内作家では戦前期の前衛画家から戦後の美術家までに及んでいます。各作家とも1〜2点、多くても5点止まりですが、選りすぐりの作品が並んでいて、「さすがは東近美」との思いを抱かせます。解説の小冊子も瀧口修造の手づくり本のようなデザインで、ファンでなくても手にしたくなるでしょう(図6)。
図6 冊子図6 冊子

会期は6月19日(火)〜9月24日(月・祝)なので、ゴードン・マッタ=クラーク展を観に行かれたら、是非この小展示も忘れずにご覧になるようお勧めします。

2.連続ミニレクチャーについて
5回の連続ミニレクチャーは以下のようなテーマが設定されています。
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」
五夜を通じて講師を務められるのは戦前期の前衛美術の専門家として著名な大谷美術課長です。担当された企画展「地平線の夢」(2003年)は、昭和10年代の前衛絵画の展覧会として今なお記憶に新しいものです。近年は大著『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八−一九五三』(国書刊行会、2016年5月。図7)も著されています。その大谷課長がまさに満を持して企画されたのが、今回の連続ミニレクチャーです。
図7 『激動期のアヴァンギャルド』図7 『激動期のアヴァンギャルド


3.瀧口修造と物質
第一夜「瀧口修造と“物質”」(図8)は、昨年11月に大阪大学で開催されたシンポジウム「〈具体〉再考」(第2回)を振り返り、吉原治良瑛九、瀧口の3人の「もの、物質、物体、オブジェ」を比較することから始められました。瀧口については、まず「詩と実在」(1931年)の「ぼくは詩の運動はそれ自身、物質との反抗の現象であることに注意したい」の一節が紹介され、「超現実主造型論」(1936年9月)の「オブジェ」論にも触れながら、「精神と物質」との系譜が辿られました。北脇昇、鶴岡政男、河原温、荒川修作吉原治良白髪一雄、もの派、「人間と物質」展などの作品や言説もスライドで紹介されました。そして1930年代後半の瀧口の「物質」観を示すものとして、『近代藝術』(三笠書房、1938年。図9)冒頭のセザンヌ論の次の一節が採り上げられました。
図8 ミニレクチャー図8 ミニレクチャー

図9 『近代藝術』図9 『近代藝術』


「セザンヌの精神は決して平衡をもったものではなくて、その感覚はたえず物質―人間の把握する空間の媒材として―と闘っている」

すなわち、私たちは言葉によって、花・花瓶・テーブルクロス……等々、自分をとりまく世界=「物質」の一部を認識していますが、言葉によって名付けられないものは、意識からこぼれ落ちてしまいます。つまり、「物質」のうちかなりの部分が、認識できていないことになります。この意識の外にある部分になんとか触れたいという動機こそ、この時期の瀧口の考える人間と物質との関係の根底に横たわるものであると指摘されました。

意識の外にある部分に触れるためのメディアとして写真ほど好適なものはないとされ、配布資料(図10)に記載された瀧口修造の「写真と超現実主義」の次の一節が紹介されました。
図10 配布資料図10 配布資料

「シュルレアリスムの写真について書く前に、読者がひょっとして持たれるかもしれない誤解のひとつを解いておきたいと思う。というのは、写真とは文字どおり現実をうつすものであるから、写真の超現実主義というのは、故意に原画を歪曲したり、切り抜いたりすることで終始するものではないという考え方である。これはまた写真とはかならず現実をありのままに再現するものだというような素朴な誤謬にも相通ずるものである。/この意味で超現実主義とは必ずしも実在を破壊加工するものではない。日常現実のふかい襞のかげに潜んでいる美を見出すことであり、無意識のうちに飛び去る現象を現前にスナップすることである。一体、不思議な感動というものは、対象が、極度に非現実的であり、しかも同じほどに現実的であるという、一種の同時感ではないだろうか?」

続いてアジェ阿部芳文、大辻清司らの写真や論考がスライドも紹介され、瀧口が一貫して取り組んでいたのは、「人間の主観的な意識の外にあるものをどうやったら捉えることができるか」ということではなかったか、と締めくくられました。

30分という限られた時間のなかで、よくこれだけ深い内容を盛り込まれたもので、たいへん感銘を受けました。次回以降も必聴と思います。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日〜9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30−19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
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●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180423_takiguchi2014_II_29瀧口修造
《II-29》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.3cm
シートサイズ :19.4×13.2cm
※II-30と対


20180423_takiguchi2014_II_30瀧口修造
《II-30》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.5cm
シートサイズ :19.3×13.2cm
※II-29と対

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

植田正治を見られる美術館

ときの忘れものは近く移転しますが、青山での最後となる「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催中です。27日までですので、どうぞお見逃しなく。

今日は植田正治作品を所蔵している国内の美術館をいくつかご紹介します。
もちろん下記以外の美術館で所蔵しているところも多々あると思いますが、それは他の機会にご紹介いたします。

植田正治写真美術館
植田正治の故郷境湊に近い鳥取県西伯郡伯耆町に1995年に開館(設計:高松伸)、植田正治の作品1万2千点が収蔵されています。
いつでも植田正治の作品を見られる美術館で、現在は<植田正治の「かたち」 写真における造形表現>展が開催されています(2017年6月4日まで、火曜日(祝祭日の場合は翌日)は休館)。
植田正治美術館フライヤー2
植田正治美術館フライヤー


東京都写真美術館
所蔵点数:299件
代表作品:《妻のいる砂丘風景(III)》、《ボクのわたしのお母さん》、〈童暦〉、〈砂丘〉、〈白い風〉、〈音のない風景〉など。
ueda_03_tuma-iii_large植田正治
《妻のいる砂丘風景(III)》1950年頃


ボクのワタシのお母さん植田正治《ボクのわたしのお母さん》1950年
*『植田正治のつくりかた』(2013年、青幻舎)より転載

都写美クロージングパーティ101Fメインエントランスへと続く外壁には、ロベール・ドアノー、ロバート・キャパ、植田正治の大型パネルが展示されています。
植田正治「妻のいる砂丘風景(III)」(2014年9月22日撮影:綿貫不二夫)


米子市美術館
所蔵点数:写真作品170点+資料3点=173点
代表作品:《自写像》、《小狐登場》
子狐植田正治
《小狐登場》1948年
*植田正治『写真とボク』(2010年、クレヴィス)より転載


九州産業大学美術館
所蔵点数:12点
代表作品:〈風景の光景〉シリーズ((1970〜80年に制作、40×52cm)計10点)

清里フォトアートミュージアム(Kmopa)
所蔵点数:5点
代表作品:《少女たち》1945年 サイズ 20.4×31.6cm 
     《カコ》1949年 サイズ 27.0×24.1cm
     《土門拳とモデル》1949年 サイズ 23.7×27.9cm
カコ植田正治《カコ》1949年
*『植田正治作品集』(2016年、河出書房新社)より転載


横浜美術館
所蔵点数:11点
代表作品:《子守り(田園の1)》1938年、ゼラチン・シルバー・プリント、28.5×22.5cm

東京国立近代美術館
所蔵点数:17点
代表作品:《少女四態1939》、《パパとママとコドモたち》、《妻のいる砂丘風景(III)》など。
少女四態植田正治《少女四態》1939年
*『植田正治作品展 砂丘劇場』(1992年、JCIIフォトサロン)より転載

ueda_01_papamama植田正治
《パパとママとコドモたち》1949年


東川町文化ギャラリー
所蔵点数:10点
代表作品:すべて〈砂丘〉シリーズ、1949年、1950年、1983年、1986年、16x20インチ。

以上、8館をご紹介しました。
それぞれが所蔵する作品点数と代表作名については、各館からお答えいただきました。記して謝意を表します。
植田正治作品の展示予定については、各美術館にお問合せください。
〜〜〜
又、7月から山梨県立美術館で開催されるコレクション展にも、植田正治作品が出品されます。
●フジフイルム・フォトコレクション「私の1枚」
会期:2017年7月1日[土]〜8月20日[日]
会場:山梨県立美術館
幕末に写真が渡来してから150年余り、日本では多くの優れた写真家が作品を残してきました。
本展では、その中でも特に重要な101人が撮影した「この1枚」と呼べる代表作を銀塩プリントで展示し、日本写真史の軌跡をご紹介します。
日本写真の黎明期を支えたフェリーチェ・ベアトや下岡蓮杖の作品を筆頭に、写真に絵画的表現を追求した20世紀初頭の芸術写真、写真としての独立した芸術を目指した1930年代の新興写真、戦前戦後に活躍した木村伊兵衛、土門拳、植田正治、林忠彦などが見せた多種多様な表現、そして今日現役で活動する写真家たちの作品など、日本写真史を語る上で欠かせない作品を展示します。甲府市出身の日下部金兵衛、富士山を多く撮影した岡田紅陽、白籏史朗など、山梨にゆかりのある写真家の作品も含まれます。
写真が今まで以上に身近になった今日こそ、日本写真史の流れを改めて見直します。(山梨県立美術館HPより転載)

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●今日のお勧め作品は、植田正治です。
22植田正治
〈白い風〉より
1978年
Type-Cプリント
Image size: 7.4×10.9cm
Sheet size: 8.2×11.7cm

07植田正治
〈白い風〉より
1978年
Type-Cプリント、木製パネル
Image size: 22.0×32.6cm
Panel size: 41.5×52.0cm

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

3月10日は瑛九の命日/瑛九情報!総目次

明日3月10日は瑛九の命日です(1960年3月10日死去 享年48)。

東京国立近代美術館で昨年11月22日〜2017年2月12日の会期で開催された「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」展に合わせ、2016年11月24日から最終日の2017年2月12日まで毎日<瑛九情報!>を発信しました。
瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)

ときの忘れもののブログは年中無休ですが、81日間、毎日のブログ記事をアップした上に、さらに末尾に<瑛九情報!>を一日も欠かさず追加発信するのはさすがに瑛九=命の亭主でもへろへろになりました。
以下、81日間の<瑛九情報!>総目次です。(この目次を作成するのも一苦労でありました)

11月24日1960年の四人の作家展

11月25日「近美のtwitter

11月26日「この人はコラージュがまじやばいからみといたほうがいいよ。坂口恭平

11月27日「瑛九は1911年(明治44年)生まれ、岡本太郎と同い年

11月28日「展覧会を企画した大谷省吾さん

11月29日「松本竣介と瑛九

11月30日「通りすぎるもの

12月1日「瀧口修造【瑛九へ「ノートから 1951」】より

12月2日「瀧口修造【瑛九のエッチング】『美術手帖』No.74 1953年10月号より

12月3日「瑛九はけっしていわゆる孤絶の人なぞではなかった。いつも社会にむかってひらかれた心を持ちつづけたといってよいだろう。〜瀧口修造

12月4日「瀧口修造【ひとつの軌跡 瑛九をいたむ】『美術手帖』1960年5月号より

12月5日「何事も平均化され、うやむやにされがちな現状にとって、山田光春氏の多年にわたる瑛九探求が『瑛九』として刊行されることはうれしい〜瀧口修造【『瑛九』を待ちながら】
瑛九伝山田光春著『瑛九 評伝と作品』1976年 青龍洞 480頁 瑛九の盟友だった画家山田光春が全国をまわり資料・作品を蒐集調査、克明に瑛九の生涯を追った伝記

12月6日「写真は光線の言葉だといわれます〜瀧口修造『1955年1月・瑛九 フォート・デッサン展目録』より

12月7日「瑛九の父杉田直(すぎた なお)は息子を送った九ヵ月後の1960年(昭和35年)12月7日に亡くなりました。享年92

12月8日「1891年(明治31年)宮崎初の眼科医院を開業した杉田直は医学界の発展に貢献する傍ら俳句をよくし、荻原井泉水の層雲同人として活躍しました

12月9日「たゞ一つ湯婆残りぬ室の隅 漱石/明治41年12月22日夏目漱石から瑛九の父・杉田作郎に送られた俳句

12月10日「1951年瑛九と泉茂らによって大阪で結成されたデモクラート美術家協会には多くの若者が集まりました

12月11日「月が静かにさしよればフラスコにある球面 月月虹/秋田の医師船木綱春は瑛九の父杉田直の俳句仲間でした

12月12日「本展企画者・大谷省吾さんの講演会〜書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九〜は 12 月17 日と1月7日に開催されます

12月13日「なんでも鑑定団に出演したKさん所蔵の油彩大作『田園』が寄託されています、必見です

12月14日「近美の至宝『青の中の丸』は1981年3月1日ギャラリー方寸の開廊記念展で展示された作品です

12月15日「一度は国立近代美術館に展示されながら、その後海を渡ってしまった名作もあり

12月16日「中村茉貴〜美術館に瑛九を観に行く〜第12回

12月17日「瑛九の故郷、宮崎県立美術館では<第三期コレクション展より 瑛九の世界供笋魍催

12月18日「瑛九の多くの文献資料には、早くから瑛九をコレクションし、瑛九の顕彰展を開催してきたある美術館の名がすっぽりと抜け落ちています

12月19日「山形県酒田の本間美術館は瑛九のほぼ全てのリトグラフ作品を所蔵し、7回もの瑛九展を開催してきた

12月20日「酒田の本間美術館は1974年(昭和49)2月2日〜2月23日に瑛九リトグラフ展を開催しています
瑛九石版レゾネ本間美術館のコレクションが基礎となり刊行された『瑛九石版画総目録』1974年 瑛九の会 限定1000部 74頁 1951〜1958年に制作されたリトグラフ158点を収録

12月21日「写真家・細江英公の原点は瑛九
20170107_1
2004年8月21日「第15回瑛九展/1936年画家の出発」
ときの忘れものにて細江英公先生(右)

12月22日「磯辺行久は高校時代にデモクラート美術家協会に入会、最年少

12月23日「デモクラートの解散声明は靉嘔が執筆

12月24日「建築家・磯崎新は学生時代に浦和の瑛九アトリエを訪ねた

12月25日「池田満寿夫の色彩銅版画は瑛九の助言で生まれた

12月26日「12月26日は瑛九の兄・杉田正臣さんの命日
瑛九展小田急レセプション4靉嘔1979年6月新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて
左から杉田正臣さん(瑛九の兄)、郡司君さん(瑛九の姉)、杉田都さん(瑛九夫人)、靉嘔先生


12月27日「新人スタッフの英文レポート

12月28日「瑛九の会の設立趣意書と八人の発起人

12月29日「中村茉貴〜美術館に瑛九を観に行く〜第13回

12月30日「瑛九畏るべし。ほぼ数年おきに回顧展が開催されるというようなことは他の抽象画家では例がありません

12月31日「お正月に瑛九を見られる美術館は七つ

2017年
1月1日「沖縄県立博物館・美術館は元旦から開館、瑛九を展示しています

1月2日「お正月に瑛九を展示している美術館

1月3日「お正月に瑛九を展示している美術館

1月4日「瑛九を所蔵している美術館は亭主の把握しているだけでも48館

1月5日「瑛九のガラス絵〜府中市美術館・ガラス絵 幻惑の200年史展

1月6日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.1創刊号
nemuri_1
瑛九の会『眠りの理由 創刊号
瀧口論文の他に、山田光春「瑛九伝」第一回、杉田都「雪とEi Q」、杉田正臣「思い出すことなど」が掲載された。1966年4月20日発行

1月7日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.2

1月8日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.3

1月9日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.4

1月10日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.5

1月11日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.6,7合併号

1月12日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.8

1月13日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.9,10合併号

1月14日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.11

1月15日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.12

1月16日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.13

1月17日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.14

1月18日「瑛九の会の発起人たち

1月19日「瑛九を支えた人々〜福井県鯖江の木水育男さん

1月20日「瑛九を支えた人々〜尾崎正教さん

1月21日「細江英公〜瑛九と私

1月22日「瑛九を支えた人々〜福井県勝山の原田勇さん

1月23日「田中章夫〜本間美術館と瑛九

1月24日「瑛九を支えた人々〜福井県大野の堀栄治さん
瑛九展小田急レセプション2原田1979年6月新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」にて
左から一人おいて、堀栄治さん、中村一郎さん、中上光雄さん、原田勇さんたち、いずれも福井瑛九の会のメンバー。

1月25日「貴重な記録集〜堀栄治・編<福井創美の歩み>

1月26日「1938年のスケッチ帖〜立正大学新聞臨時増刊・青年の読物特輯
表紙瑛九スケッチ帖 「青年の読物特輯」


1月27日「福井県勝山の中上光雄・陽子ご夫妻と瑛九
20150103中上コレクション展 表2015年1月福井県立美術館「福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―」

1月28日「浦和のアトリエを守る都夫人

1月29日「瑛九の銅版画について

1月30日「初期スケッチ帖

1月31日「スタッフMの瑛九展を見て

2月1日「初期抽象画〜作品ーB(アート作品・青)

2月2日「スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポート

2月3日「1941年制作の油彩・逓信博物館 A

2月4日「中村茉貴〜都城市立美術館・瑛九芸術の迷宮へ〜その1

2月5日「瑛九の吹き付け作品

2月6日「スタッフAの瑛九展を見て

2月7日「生前、海外での作品発表の機会がただ一度ありました

2月8日「最大の支援者・久保貞次郎の瑛九コレクション
瑛九展小田急レセプション1泉茂1979年6月新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて
左から、オノサト・トシノブ先生、久保貞次郎先生、マイクを握っている泉茂先生、瑛九の会事務局長の原田勇さん、右端の背広姿は瑛九の会代表の木水育男さん

2月9日「中村茉貴〜都城市立美術館・瑛九芸術の迷宮へ〜その2

2月10日「ときの忘れものの第20回瑛九展と第23回瑛九展のカタログ紹介

2月11日「46の光のかけら/フォトデッサン型紙ポスター

2月12日最終回瑛九の生前最後の個展の案内状
瑛九油絵展1
「瑛九油絵展」案内状
会期:1960年2月23日〜28日
会場:銀座・兜屋画廊



以上、お時間のあるときに再読いただければ嬉しいです。

●本日のお勧め作品は瑛九です。
qei_165瑛九
《花々》
1950  油彩
45.5x38.2cm(F8号)

瑛九 ペン素描
瑛九《作品
1959年
ペンデッサン
イメージサイズ:28.5×18.0cm
シートサイズ:35.1×24.9cm
ペンサインあり

瑛九_フォトデッサン_2瑛九
《作品》
1950年
フォトデッサン
27.8x22.0cm
サインあり

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あれからずーと油絵をかいていました〜東京国立近代美術館の瑛九展は最終日です。

11月22日から始まった東京国立近代美術館の<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展は遂に最終日を迎えました。
瑛九=命の亭主としては、あの会場は瑛九記念室にして永久に保存して欲しい。
瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)

「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館

雪のちらつく先日、竹橋に行ってきました。

レール  瑛九
  雪がふる
  胸の中を赤い雪がふる
  ガラスがこわれて そこに心ぞうがとまる
  ふるへてゐる部屋
  トウフやのラッパに少年のリンゴのほほがはずむ。
  母。
  風はたえずレールの上を流れる

  (1936年3月9日山田光春宛書簡より)

今回の展覧会は山田光春旧蔵の作品を中心にデビュー前後の瑛九作品が展示されています。
画廊コレクションにも同じ時代の作品があります。
瑛九作品(吹きつけ)
瑛九「作品
1937年 鉛筆・吹き付け
イメージサイズ:25.5x21.5cm
シートサイズ:28.5x25.0cm
サイン・年記あり
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今回、ときの忘れものは皆さんが少しでも竹橋に足を運んでいただけたらと、連日●本日の瑛九情報! を発信してきました。

最終回の●本日の瑛九情報!は、瑛九の生前最後の個展の案内状です。
瑛九油絵展1
「瑛九油絵展」案内状
会期:1960年2月23日〜28日
会場:銀座・兜屋画廊


瑛九油絵展2
個展案内状の裏に印刷された瑛九のメッセージ
(クリックしてください、拡大します)

既に病篤く浦和中央病院に入院中だった瑛九は展示にも立ち会えず、初日の翌日には東京神田の同和病院に転院、3月10日朝、48歳の生涯を閉じました。
会期中、兜屋画廊には盟友オノサト・トシノブが桐生から毎日電車で通い店番をしました。


瑛九の死去から僅か49日後の4月28日、今泉篤男率いる国立近代美術館は急遽瑛九回顧の展示を敢行しました。
四人の作家1960 表紙
「四人の作家」展目録
会期:1960年4月28日―6月5日
国立近代美術館
出展作家:菱田春草、瑛九、上阪雅人、高村光太郎
没後直後のドキュメントをお読みください。

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二ヶ月以上にわたり、瑛九情報をお読みいただき、ありがとうございました。
ときの忘れものはこれからも瑛九の紹介に微力をつくしたいと思います。

スタッフAの「瑛九展」を見て

本日の瑛九情報!は、
スタッフAの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポートです。

瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)

「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館

冬の冷たい風が心地よい日、東京国立近代美術館で開催されている瑛九展を観に行ってきました。

「ときの忘れものといえば瑛九。」と言っても過言ではない作家さんですが、恥ずかしながらときの忘れものに勤めるまで、自分は瑛九のことをよく知りませんでした。
「えいきゅう」という名前を耳にしたことはあり、美術館のコレクションなどで作品を目にはしていましたが、どんな作家か深く掘り下げることはありませんでした。
それが日々の仕事で扱うようになり、次から次へと作品が出てくる。
しかも油彩や版画、ドローイングはもちろん、フォトデッサンというものまで技法も様々。その上48歳で亡くなっているということに、「えっ、じゃどのくらいのペースでこの作品たちを制作していたんだよ。」と内心驚くというか、面食らっていました。
でもその作品がどれもチャーミングなんですよね。
もう溢れて止まらないと言わんばかりで、イメージの洪水といった印象でした。

今回の展覧会は、瑛九としてのデビュー前後の24歳から26歳という時代に焦点をしぼり構成されています。
その中でも展示中盤に飾られているコラージュ作品に、惹かれました。
人間の体や顔の部位、果物やオブジェの写真が切り刻まれて、黒い背景の前に新たに組み立てられています。何者かとなったそれらは、まるで宇宙の果てにぽつんと浮かんでいるようでした。現実ではありえない形に変換された女性の体や、もうなんだか分からない塊になっているもの。その作品に「レアル」と名付けた瑛九の気持ちとは、一体どんなものだったのか。

20170206コラージュ作品


20170206_320170206_4


又、紙に描きなぐったようなドローイングも、「こういうの分かるなあ」と勝手に思っていました。
自分もクロッキー帳にこういうことをよくやります。
そこには現実のルールなんか必要ない自由な世界を作りあげることができるのです。

今回作品と同じくらい重要な資料として展示されているのが、瑛九が山田光春に宛てた手紙でした。
人が書いた手紙を覗いてしまうのはちょっと気が引けるなあと思いつつ、瑛九の字が彼のドローイングと同じような線であることに、ふふふとなってしまったり。
絵描きさんには個性的な字を書く人が多いと常々思っていたのですが、それは、文字も紙の上のドローイングと同じだからなんだなあ、とふと思いました。

展示構成の最後は、瑛九の全体像をみる内容です。
中でも晩年の点描画は、光そのものを描いているようです。

20170206_2右の「れいめい」がこんなに美しい作品だったのかと、改めて思いました。


この規模の展覧会としては珍しく立派なカタログも刊行されています。
広くないスペースの展示であるものの、それ故ひとつひとつの作品と向き合うことのできる見応えのある内容でした。
あきば めぐみ

2016東京国立近代美術館「瑛九展」『瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす』
2016年
東京国立近代美術館 発行
147ページ
23.8x16.7cm
税込1,300円 ※送料別途250円


*画廊亭主敬白
風の冷たい日が続いています。やわな亭主かはたまた栄養失調気味のスタッフMを気遣って信州のSさんが野沢菜、ヨーグルト、エリンギ、しめじ、りんご、えのきだけなどをどっさり宅急便で送ってくださいました。
竹橋の瑛九展の会期が残り一週間となりました。首都圏の美術館での瑛九展はしばらくはないでしょうから、ぜひお見逃しなく。
スタッフにも業務命令で展観を促し、それぞれにレポートを書かせました。皆、ときの忘れものに入社するまではほとんど知らなかったようですが、門前の小僧、習うよりなれろですね。
瑛九暦半世紀近い社長はもちろん、亭主も日々作品に触れながら、飽きることがない。新たな出会いがあるたびに、さてこの購入資金をどうやって工面するかと四苦八苦しつつ、「よくぞいらっしゃいました」と感謝せずにはいられません。作家の評価は市場に流通してこそ定着します。ありがたいことに今週も海外から瑛九を求めにお客が来日します。流通するだけのモノ(作品)を遺してくれた瑛九のエネルギーに脱帽です。
盟友オノサト・トシノブの作品を中心に企画した「Circles 円の終わりは円の始まり」展が一昨日終了しました。ご来場いただいた皆さん、お買い上げいただいたお客様たちに深く感謝する次第です。
ありがとうございました。

スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポート

本日の瑛九情報!は、
スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポートです。

 読者の皆様こんにちは。相変わらず寒い日々が続く中、今日から丁度一ヵ月後のArt on Paperへの準備に天手古舞なスタッフSこと新澤です。ここしばらくの記事の出だしはずっとこのような感じですが、来月以降はもう少し落ち着けるハズ…だといいですね。

 先日同じくスタッフの松下さんもレポートされた<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>、ときの忘れものが開廊当時から注力してきた作家とあり、自分も展覧会を見てきました。

瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)
「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館

 画廊に勤めて早6年目の自分ですが、体系立てて美術を学んだ経験はなく、瑛九を知ったのもときの忘れものに勤めてからです。中でも紙の上に型紙やレース生地を置いて感光させ、切り抜きをせずに制作するコラージュであるフォトデッサンは、自分が最初に出会った瑛九の作品であり、晩年の点描よりも「これぞ瑛九」と感じる作品群でもあります。

IMG_4134フォトデッサンの代表作「眠りの理由」シリーズ全10点
ときの忘れもの所有の作品は1点欠けているので(9点)、全10点をご覧になりたい方は是非おでかけを。
手前の展示テーブルには、「眠りの理由」のタトウ、展覧会の冊子や当時瑛九が山田光春に宛てた書簡が展示されています。

 今回の展覧会ではそんなフォトデッサンの代表作にしてデビュー作「眠りの理由」とその他フォトデッサン、そして無数のスケッチ画と少数の油彩画で構成されていますが、それ以上に自分が面白いと思ったのは、瑛九が年下の友人、山田光春に長年にわたり送った手紙の数々です。

 誠に勝手な話ながら、今まで自分は瑛九をステレオタイプな、「才能溢れながらも早逝した画家」として見ていました。線は細く、物静かで、周囲の雑音には耳を貸さずにただ一心に作品制作に取り組み続け、若くして燃え尽きた悲運の作家、等といった印象です。
 実際に書き出すとどこの漫画の登場人物かと言いたくなる人物像ですが、当然のように山田光春に宛てた手紙から見て取れた印象は大きく違いました。

 文中で瑛九は自らを「オレ」と称し、世間の自作品への無理解を嘆き、日本美術界の現状を憂い、明け透けに同時期の海外作家と比較されることに憤っていました。筆跡は流麗とは言い難く、ものによっては文字通り書き殴ったかのような物もありました。時代に寄る言葉の使い方の違いはあれど、まるで酔っ払いの愚痴を聞かされているようだ…という感想は、自分の語彙の貧弱さを差し引いてもそう的外れではないと思っています。今回一般に公開されているとはいえ、元々は私的なやり取りなワケですしね。

IMG_4120瑛九から山田光春に宛てた書簡や展覧会の冊子を展示したテーブルを囲むように当時制作されたドローイング作品が展示されています。

 そんな書簡を展示したテーブルの周りを、山田光春旧蔵のドローイングが囲んでいるのですが、こちらもこちらで妙に刺々しい印象が。ときの忘れものでも瑛九のドローイングやエッチング作品は多数取り扱っていますが、主に50年代のそれらの作品に比べ、30年代後半に描かれた展覧会の作品群は、当時の瑛九の苦悩が反映されているように見えました。

 総じて、日本前衛美術の父としてではなく、そこに至る過程、その更に裏側を垣間見える展覧会だと感じました。作品を通してばかりではなく、限定的ではあるものの、作家の一面を手紙という媒体を通して垣間見ることができる貴重な機会です。

 展覧会は来週の週末まで開催されておりますので、まだご覧になっていない方は是非お出かけ下さい。

(しんざわ ゆう)

瑛九・水彩瑛九「作品」
1954年 水彩 19.0×14.0cm
画面右下に鉛筆サインと年記

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

スタッフMの「瑛九展」を見て

本日の瑛九情報は、12月27日の勝見美生のレポートに続くときの忘れもののスタッフたちによる瑛九展観覧記です。日ごろ「えいきゅう、エイキュウ」と亭主に言われ食傷気味の彼らが果たしてどんな感想を持ってくれるでしょうか。

皆さんこんにちは。
ときの忘れもののスタッフ、松下と申します。
さっそくですが、皆様もご存知の通り、ときの忘れものにとって超重要な作家である瑛九の展覧会<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が、東京国立近代美術館で開催中です。

瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館

今回は、スタッフ全員にレポート提出指令が下っため、大急ぎで展覧会を見てきました。
もちろん、ときの忘れものでは「瑛九」という名前を聞かない日は無いので、観ないわけにはいきません。
読者の皆様は、きっと私よりも瑛九について詳しい方々ばかりだと思いますので、駄文になりますがおつきあいください。

20161129_東京国立近代美術館「瑛九展 1935-1937」_14
左から「青の中の丸」「れいめい」

はじめに、私が瑛九を知ったのは、まさに東京国立近代美術館の所蔵品展でした。今回の展覧会にも出展されている瑛九の油彩画《れいめい》が、靉光やクレーなどに囲まれて展示されていたのです。初見の私は「渋い作家だなぁ」と画面を少しだけ覗いて帰りました。それ以降、何度も4階の常設展示室で《れいめい》と遭遇したのですが、私は注視することはありませんでした。瑛九のフォトデッサンを初めて見たのは、ときの忘れものに勤め始めてからです。とても大事な作品があるというので、梱包材で巻かれたマット装の作品をそっと机に広げました。そこには、深海で網に囚われたような人型。たちこめる煙。白く光る鎖のようなもの。黒地に白色のモチーフがゆらゆらと印画紙の中で浮かんでいました。なんだかその場の気温が1度ほど低くなったような、不思議な感覚だったのを覚えています。
その作品が、瑛九『眠りの理由』でした。

qei17-029瑛九
『眠りの理由』より
1936年
フォトデッサン(フォトグラム)
26.3×21.7cm
Ed.40


IMG_4134瑛九
『眠りの理由』(10点組)
from "Reason of Sleep"
1936年
フォトデッサン
*手前の展示台には『眠りの理由』表紙が展示されている。


この展覧会では、フォトデッサンのコンセプトは、機械文明によって移り変わる人々の現実の捉え方の探求であると語られています。つまり新しいリアリティの探求であると。情報化社会になった現代にも通じる考え方です。
瑛九(1911〜1960 本名、杉田秀夫)はとても早熟で、16歳で美術雑誌に評論を発表し始め、25歳でフォトデッサン集『眠りの理由』を刊行しています。そしてエスペラント語という国際語を操っていたといいますから、昔のインテリは、凄まじかったのですね。『眠りの理由』を刊行する6年前からフォトデッサンの試作を行なっていたそうで、逆算すると10代頃から制作に熱を燃やしていたようで恐れ入ります。この『眠りの理由』の試作期間に、瑛九は年齢が一つ下の山田光春に出会っています。瑛九は山田光春との間で、何通もの書簡のやり取りをしているのですが、この書簡が今回の展覧会で展示されています。『眠りの理由』で輝かしいデビューをした彼でしたが、マン・レイとの比較などをうけて、彼は精神を追い込まれていきますが、その葛藤や苦悩を手紙から垣間見ることができます。(1937年4月23日書簡には、「この手紙は読んだら燃やしてくれ」など人間味ある文面ばかり。)

IMG_4120展示室の中心に書簡が置かれ、周囲の壁に作品が並びます。



私は『眠りの理由』刊行前後に注目したこの展覧会で、瑛九の《れいめい》をみたときの印象ががらっと変わりました。彼のフォトデッサンには、美術の技法だけではなく、真のリアルを問う信念が注ぎ込まれていたのです。また山田光春の存在がなければ、こんなにも瑛九の人間味ある生の声は残っていなかったことでしょう。まだ展覧会に行かれていない皆様には、書簡をじっくり読んでいただきたいと思います。ぜひ瑛九の世界をじっくり味わってみてください。
私事ですが、現在私は25歳。
瑛九が『眠りの理由』を刊行した年齢です。これはオチオチしていられません!
新しいレアルを探しに行かねば!

まつした けんた

◆ときの忘れものは「Circles 円の終わりは円の始まり」を開催しています。
会期:2017年1月18日[水]―2月4日[土] *日・月・祝日休廊
201701_Circlesオノサト・トシノブの油彩を中心に、円をモチーフに描かれた作品をご覧いただきます。
出品作家:オノサト・トシノブソニア・ドローネ菅井汲瑛九、高松次郎、吉原治良

2016年後半をふりかえって

昨日に引き続き、2016年を振り返ります。
今日は後半です。

◆「ルイーズ・ニーヴェルスン展」
2016年7月5日[火]〜7月23日[土]
08倉庫に眠っていたニーヴェルスンの大判版画を展示しました。
ニーヴェルスンというと廃材を使った黒のオブジェを思い起こす人が多いのですが、版画を飾ってみていまさらながらその深く気高い色彩の素晴らしさに感銘しました。

01


20160710_名古屋shumoku gallery瀧口展イベント (7)2016年7月10日
名古屋・SHUMOKU GALLERYにて。
縁あって若い画商さんと知り合い、「瀧口修造展」に協力し、馬場駿吉先生(名古屋ボストン美術館館長)と島敦彦先生(愛知県美術館館長)のトークの聴講に名古屋に伺いました。


7月のある日、フランスからの賓客を迎えて数日間の「安藤忠雄&磯崎新」展を(密かに)開催しました。記念写真を掲載したいのですが、お忍びでの来日だったようで「半年間は公開不可」と言われてしまいました。
ポンピドゥー打合せ01


青山に店を構えて20数年になりますが、すこしづつ街の景色が変わってきました。青山通りのランドマークだった黒川紀章設計の青山ベルコモンズが消滅してしまったのはとてもさびしい。
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◆「ART STAGE JAKARTA 2016」(ジャカルタ)
2016年8月5日[金]〜8月7日[日]
出品作家:秋葉シスイ、野口琢郎、葉栗剛、長崎美希、安藤忠雄、磯崎新、ル・コルビュジエ、草間彌生、ナム・ジュン・パイク
DSC_1626インドネシアが2億3000万人の世界4位の人口大国だとご存知ですか。
1万3千もの島で構成された世界最大のイスラム人口国でもあります。これからインドと並びどんどん成長するに違いない、ということでジャカルタのアートフェアに初挑戦しました。
結果は・・・・・・一口でいうのは難しいのですが、コレクターはたくさんいます(日本の比ではない)が、資本主義のルールが未成熟で、なかなかビジネス的には難しい面もありました。スタッフのレポートをお読みください。

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〜〜

◆「菅井汲展」
2016年8月6日[土]〜8月20日[土]
関根01_600亭主が親炙した菅井汲先生の1970〜80年代のエディションを中心にご覧いただきました。
会期中、関根伸夫先生(左)がロサンゼルスから帰国、偶然居合わせた大野幸さん(中央)、土渕信彦さん(右)らと初対面ですがなごやかに会食しました。

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8月沢木耕太郎さんの『流星ひとつ』が新潮文庫に入り、その表紙に故・宮脇愛子先生のドローイングがつかわれました。
1979年6月5日_東大美博 (59)1979年6月5日
沢木耕太郎さん(左)と、宮脇愛子先生(右)
於:東京駒場・東京大学教養学部美術博物館
磯崎新展オープニング

さあ、たんとお上がりなさいね」(『深夜特急4』新潮文庫129ページ)

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◆「アールデコの作家たち〜バルビエ、エルテ、ラブルール、カッサンドル展」
2016年9月1日[木]〜9月10日[土]
出品作家:ラブルール、バルビエ、エルテ、アドルフ・ムーロン・カッサンドル
02亭主が愛するラブルールなど1910年代半ばから1930年代にかけてヨーロッパおよびアメリカを中心に流行、発展したアール・デコの作品を展示しました。

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9月7日:MORIOKA第一画廊で上田浩司さん(6月25日死去 享年83)を偲ぶ会があり出席しました。
萬鉄五郎記念美術館館長の中村光紀さんの追悼文を掲載(再録)いたしました。
1991年10月4日〜10月6日_勝山_難波田展令子
1991年10月「難波田龍起展」
福井県勝山市の中上邸イソザキホールにて
上田浩司さん(右)、亭主、社長

201609_盛岡_62
25年後の2016年9月7日盛岡にて、
上田さんと盛岡の街については「ゴーギャンのあるお蕎麦屋さん」と、「ウォーホルのあるラーメン屋さん」をお読みください。


椅子のコレクションで知られる酒井実通男さんから新潟の過疎の村にお座敷画廊ができたことを知らせていただきました。来年はツアーを組んで訪ねましょう。
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◆「ART FAIR ASIA / FUKUOKA 2016」
2016年9月9日[金]〜9月11日[日]
会場:ホテルオークラ福岡
出品作家:瑛九、松本竣介、瀧口修造、秋葉シスイ、他
201609_AFAF16_27令子・田村
老夫婦だけの参戦では心もとないと瀬戸内の島から駆けつけてくださった田村利生さん(右)と社長。
田村さんが近くの櫛田神社に祈願してくれたおかげで良い出会いをいただき、気持ちの良いフェアとなりました(感謝)。

201609_AFAF16_33_


「内間安瑆の絵画空間」の講義録を読んで亭主がすっかりファンになった琉球大学の永津禎三教授を迎えて一日だけの内間安瑆展を開きました。
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●ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート
第3回「独奏チェロによるJ.S.バッハと20世紀の音楽」

2016年9月17日[土]
20160917_富田牧子ギャラリーコンサート (23)出演:富田牧子(チェロ)
プロデュース:大野幸
バッハ と、 G.クルターク、P.ヒンデミット、W.ルトスワフスキら現代作曲家たちの曲を演奏していただきました。

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◆「光嶋裕介新作展 〜和紙に挑む〜幻想都市風景」
2016年9月20日[火]〜10月8日[土]
光嶋裕介展ギャラリートーク9月30日(金)には、光嶋裕介さんと小説家・編集者の松家仁之さんによるギャラリートークを開催しました。
大竹昭子さん、周防正行さん、植田実先生など聴衆も豪華で打ち上げは今年最高の盛り上がりでした。

20160930_光嶋、アジカン_600
千客万来
光嶋さん(中央)、松家仁之さん(右端)とアジカンの皆さん。

20161006光嶋・森田 独立研究者の森田真生さん(左)は『数学する身体』で第15回小林秀雄賞を受賞したばかりです。

20161007光嶋・内田樹神戸からは光嶋さんのお嬢さんと内田樹先生が来廊。

20161005_光嶋展左から、光嶋裕介さん、ゲッティ美術館のアマンダさん、和光大学の三上豊先生。

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ハワイのホノルル美術館で内間安瑆展が開催されたとの嬉しいニュースもありました。

20161001_水戸クリスト展_612016年10月1日
水戸芸術館にて
スピーチするクリスト(右)
柳正彦さん(左)に招かれ「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」レセプションに出席しました。

20161001_水戸クリスト展_64柳正彦さん(右)とかつての同僚である社長

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◆「KIAF 2016」(ソウル)
2016年10月12日[水]〜10月16日[日]
出品作家:秋葉シスイ、野口琢郎、安藤忠雄、磯崎新、草間彌生、ナム・ジュン・パイク、関根伸夫、浮田要三
KIAF2016_046ときの忘れもので個展を開いたハ・ミョンウンさん(右)と、インスタレーションアーティストご友人(左)にはさまれてゴキゲンなスタッフS
今回は5月に釜山で出会ったIさんにソウルまで来ていただき通訳をお願いしました。その甲斐あって成果は上々でした。

RIMG0171_

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◆「山口長男とM氏コレクション展」
2016年10月12日[水]〜10月22日[土]
出品作家:津田青楓、仙波均平、山口長男、緑川廣太郎、オノサト・トシノブ、桂ゆき、古茂田守介、駒井哲郎、高橋秀、加納光於
20161012_大野様1 (1)戦後初のサンパウロ・ビエンナーレ、そして没後の回顧展にも出品された山口長男の代表作を前に。
初日、大野慶人さん(左)が最初のお客様でした。

01

この展覧会では山口長男の大作のほかにも、没後40を迎えた駒井哲郎の超希少作品「夜の中の女」が出品され、久しぶりに「駒井哲郎を追いかけて」の連載を復活できました。
悪運は続き、「悪僧」が二人も訪れるという奇跡が再び起こったのには驚きました。
珍しい駒井作品はそれだけではなく、謎に満ちた「丸の内風景」まで扱うことができました。
これらレアな作品を大枚はたいてお買い上げくださった異端のコレクターSさんはじめ3人のコレクターに心より感謝申し上げます。
●図録刊行のご案内
yamaguchi_cover_300『山口長男とM氏コレクション展』図録
2016年
ときの忘れもの 発行
20ページ 25.7×18.2cm
テキスト:三上豊(和光大学)
和英併記 全出品作品収録
税込540円 ※送料別途250円

ところで、ブログの定番中の定番だった土渕信彦さんの連載「瀧口修造とマルセル・デュシャン」が10月13日(第25回)に遂に終了しました。
この後の穴をどう埋めるか、アタマの痛い亭主であります。
〜〜

◆「ルリユール 書物への偏愛―テクストを変換するもの―」
2016年11月8日[火]〜11月19日[土]
ルリユール展GT_03社長が長年通っているカルチャースクールの縁で、造本作家グループLes fragments de M(略称frgm)の皆さんの展覧会を開催することができました。ときの忘れもの初の造本の展覧会であり、これからも美しい本の展示を目指したいと思っています。
11月19日(土)にはfrgmの皆さんと写真家・著述家の港千尋さんによるギャラリートークを開催しました。

01

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◆「ART TAIPEI 2016」(台北)
2016年11月12日[土]〜11月15日[火]
出品作家:葉栗剛、長崎美希、野口琢郎、秋葉シスイ、安藤忠雄、磯崎新、関根伸夫、浮田要三、他
ART-TAIPEI-2016_2懸案だった台湾への初出展。亭主は10年ぶりに台北に行ってきました。
左から舟越桂さん、亭主、葉栗剛さん、長崎美希さん。

ART_TAIPEI_16_069シンガポールから出展の画廊さんたちとにぎやかに会食。

RIMG0098_これで今年のアートフェア出展はすべて終了しました。
シンガポール、釜山、ジャカルタ、台北とソウル以外はすべて葉栗剛さんの木彫をメインに構成しました。
「毎回同じ作品を持っていったの?」と思われるかも知れませんが、違います。よく比べてみてください。ここ数年の海外アートフェアで既に葉栗さんの巨像4体を含め10数点の木彫作品を売ってきました。
もし、葉栗さんと出会わなければときの忘れものの海外戦略は今とは随分違った展開になっていたでしょう。
今年最後の台北でも葉栗さんの巨大木彫を売ることができました。スタッフのレポートをお読みください。
次から次へと制作に追いまくられた葉栗さん、刺青を描いた長崎美希さん、ご苦労さまでした。

RIMG0109_


風景を撫でている男の後姿がみえる』:11月18日は私たちの恩人船木仁先生の命日でした。

通りすぎるもの」:11月21日磯崎新アトリエのチーフだった藤江秀一さんが亡くなりました。
11月25日:故毛綱毅曠先生と石山修武先生の共著『異形建築巡礼』の出版記念パーティがあり、安藤忠雄先生はじめ多くの建築家に再会しました。
20161125_国際文化会館・石山修武出版記念会_032016年11月25日国際文化会館にて
左から、亭主、六角鬼丈先生、植田実先生。
後日ご案内しますが、六角鬼丈先生と石山修武先生の新作版画のエディション展が進行しています。
また光嶋裕介さんと倉方俊輔さんによる新たなプロジェクトも計画されています。


名著『異形建築巡礼』を注釈した佐藤研吾さんはまだ20代の若い建築家ですが、来年ブログでの連載をお願いしています。

20161129_東京国立近代美術館「瑛九展 1935-1937」_1411月22日待望の<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まり、社長と会場で懐かしい作品に再会してきました。
「青の中の丸」(左)は35年前、ギャラリー方寸の開廊記念展「瑛九 その夢の方へ」(1981年3月)に出品した作品です。


20161127_桐生大川美術館「松本竣介と野田英夫展」_012016年11月27日
桐生・大川美術館にて
「松本竣介と野田英夫展」
松本竣介は亭主と社長にとってことのほか思い入れに深い作家ですが、嬉しいことにこの秋は鎌倉、東京、桐生の三つの美術館で作品が展示されました。

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◆「戦後の前衛美術‘50-70 Part III(入札)」
2016年12月3日[土]〜12月10日[土]
postwar_avantgarde_3_08_年末恒例となった入札会です。
1950年代から「夜の会」など前衛美術運動に参加、国際的な視野にたって活躍したS氏と、同じく50年代から丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を携えて全国を巡回した反骨の評論家Y氏の旧蔵作品を入札方式で頒布しました。

postwar_avantgarde_3_01

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◆「2016年を送る〜画廊コレクション展」
2016年12月14日[水]〜12月27日[火]
出品作家:秋葉シスイ、野口琢郎、光嶋裕介、永井桃子、関根伸夫、瑛九
07_今年最後の展示は、ときの忘れものの大事な作家7作家各1点ずつ、大作を中心に。
来年もこれらの作家たちといい仕事ができればと願っています。

01

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●ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート
第4回「ガット弦で弾く、J.S.バッハとG.クルタークの無伴奏チェロ作品」

2016年12月22日(木)
RIMG0422出演:富田牧子(チェロ)
プロデュース:大野幸
木田いずみさんの歌と大野幸さんのヴァイオリンも加わったサプライズもあり、心にしみるコンサートでした。
大野さんのプロデュースで来年以降も継続して開催します。

RIMG0412_


WEB展を更新しました。2016年後半の企画展、フェア出展を紹介しました。

モバイルサイトを開設しました。設計したのはドイツ生まれの日本美術研究者イェンス・バルテルさん(Jens Bartel)です。彼の渡米後に引き継いで完成したのは新人スタッフ勝見美生です。
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本日の瑛九情報!〜〜〜
お正月には美術館で瑛九をみよう!
お正月早々1月1日より沖縄県立博物館・美術館は開館、「夢の美術館−めぐりあう名画たち−福岡市美術館・北九州市立美術館名品コレクション」展に瑛九の作品が展示されています。
亭主の情報収集によればお正月に瑛九を見られる美術館は七つもあります(詳しくは元旦のブログで)。
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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

●ときの忘れものは2016年12月28日(水)〜2017年1月16日(月)まで冬季休廊です。
いつもより長い冬休みですが、お正月早々、ART STAGE SINGAPORE 2017に出展するためです。
メールやネットでのお問合せ、ご注文には1月6日より通常通り対応いたします。
ブログは元旦からエンジン全開、年中無休、元気に発信を続けます!

2016年を二日にわたり振り返りました。
スタッフたちの奮闘振りを脇においといて亭主のことばかり書いてしまいましたが、お正月の近美の「恩地孝四郎展」で打ちのめされ、立ち直るどころか3月の事故であわやの事態に震え、あたふたしているうちに近美の「瑛九展」で暮れた一年でした。二つの展覧会には、かつて扱った恩地孝四郎「赤い花」と、瑛九「青の中の丸」が出品されていたことがせめてもの救いでしょうか。
年末最後の締めくくりはときの忘れものの「今」を象徴するかのようなアメリカ西海岸からの瑛九のフォトデッサンのご注文でした。もちろんスタッフSの奮闘のおかげです。
リハビリ中心の生活で、仕事に集中できなかった悔いは残りますが、皆様のおかげで無事年を越すことができます。
あらためてお客様、作家、取引先の皆様に御礼を申しあげます。ありがとうございました。
どうぞ、良いお年をお迎えください。

綿貫令子、綿貫不二夫、スタッフ一同

中村茉貴〜東京国立近代美術館「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」―その2 11月22日〜2017年2月12日

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第13回 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館
「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」―その2


前回に引き続き、東京国立近代美術館2Fギャラリー4で開催中の「瑛九 1935-1937闇の中で『レアル』をさがす」展を取り挙げる。

東京国立近代美術館_01展示会場の入り口。タイトルの字体は、丸みを帯び、一部に若草色を使用している。本展の出品作の多くは瑛九の初期の手のもの。芸術家デビューしたばかりの初々しい「瑛九」を反映しているよう。

前回は、山田光春旧蔵資料の内容と展覧会開催までの経緯などを本展企画の学芸員大谷省吾氏から伺い、第1〜3章に展示されたフォト・デッサン、コラージュ、デッサンをみてきた。今回は、山田光春の史料やエピローグに着目したい。

東京国立近代美術館_02書簡や雑誌などが並ぶ木製の覗きケース。新収蔵となった瑛九より山田に送られた書簡は117通。そのうち、1935〜37年に投函された10通が会場で公開されている。


東京国立近代美術館_03「杉田秀夫から山田光春あて書簡 1935年5月29日」(図録pp123‐124)
中央美術展(東京府美術館、1935年5月19日〜5月30日)に秀夫の《海辺》(F60)が入選したことから、展示を観に上京したときのことを次のように書いている。


「やはり宮崎でみるてんらん展とはとはすこしちがつてゐた。比較的でたらめなことをやつとる奴は一人もおらんかつた。技巧の上で。」

「みんなコテさきでかいてゐてコギレイで古アカデミツクか新アカデミツクか、職人ぞろいにはちがいない」と中央画壇の会場で感じた違和感を率直に述べている。

なお、書簡の終盤では、秀夫(瑛九)が「はじめて美術カンとやらにナラベてみておれは少々アホラしくなつてしまつた。クイツキたい奴ばかりだ。おい貴様もすこしゴウマンになつて田舎でじぶんのやりたい繪をかいてゐゐんだ」と山田に言い放っている。

このとき秀夫は、中央美術展の出品作が技巧面で優れていることを認めつつ、審査員の眼ばかりを気にして、自分の表現を追求しない画家に憤慨している。この経験がのちのデモクラート美術家協会の階級制を設けず、無審査で展覧会に臨む体制につながってゆく。瑛九が「前衛芸術家(アヴァンギャルド)」と位置付けられる所以は、「フォト・デッサン」という技法材料の新しさだけでなく、このような美術団体の制度にかんして一歩前進した考えを持っていたことも関係しているのだろう。

ところで、上記のような瑛九の権威に対する過激な発言は、別日の書簡で裏を返したように、逆の想いが綴られていることにも注目したい。

僕は日本画壇に失戀した うつとうしい感情なかで不眠にかかる。夏の不眠はつらい。失戀したのに僕は彼女にラブレターを書いた。(評論)失戀してかいたラブレターを出した僕へ僕はぼんやりした無表情な失意をしめしてゐる。
(瑛九より山田光春あて書簡 1936年7月17日、図録p.132)※括弧内は瑛九によるもの

以上のように、瑛九は日本画壇と自分の立ち位置が違うことを認識し、評論でもって画壇に認められることを渇望しているかのようだ。このことから、彼の中央画壇に対する執着がなくなったとは言い切れない。おそらく、彼の権威的なものを否定する態度は、排他的なものではなく、むしろ自己に向けられた「戒め」であったのだろう。権威(既成画壇)に依拠しないで、自己の表現を確立しようとする内省的なものであり、これを仲間と共に貫こうとしたと考えられる。

東京国立近代美術館_04第一回自由美術家協会展目録。
この頃、美術家が仲間と共につくった小さなグループが無数にあった。戦前戦後に作られた小グループの目録の中には、紙の酸化やガリ版刷りで数が少ないものもあり、原物の目録ひとつ探すことも難しい。
近代日本アート・カタログ・コレクション」シリーズは、初期美術団体の稀少な目録を収録している。同館のアートライブラリでは、開催中の図録と共に常に手に取りやすいところに配架している。
青木茂監修『近代日本アート・カタログ・コレクション73 (自由美術家協会/美術創作家協会)』(ゆまに書房、2004年)


東京国立近代美術館_05『瑛九油絵作品写真集』(複写)瑛九の没後に山田光春が油絵の行方を調査した記録。作品の写真の下には、タイトル、制作年、号数、所在地、所蔵者、確認日が丁寧に記されている。愛知県美術館には、写真集のもとになった35ミリのカラースライドを保管している。なお、宮崎・埼玉で開催された「生誕100年記念瑛九展」図録(pp.268‐292)にはレゾネとして、全555点のモノクロ図版が掲載されている。


東京国立近代美術館_06右上は山田光春『瑛九年譜』(1966年)、右下は「瑛九の会 設立趣意書」、左は山田光春『瑛九(杉田秀夫)住所・居所・旅行表』(1963年)。瑛九ファンは、この折れ線グラフに見覚えがあると思う。じつは、山田の著書『瑛九 評伝と作品』(青龍洞、1976年)の目次ページに瑛九の活動の軌跡として掲載されている。


東京国立近代美術館_07左から山田光春《作品》(1930年代後半、油彩・ガラス、35.5×45.5)、山田光春《作品》(1951年、油彩・ガラス、45.7×35.8)
黒いバックに原始生物のようなイメージが表現されている。瑛九や長谷川三郎もこのころガラス絵の作品を残している。


東京国立近代美術館_08エピローグが展示されているコーナー。油彩、エッチング、リトグラフと多岐にわたる瑛九の作品。手前から《赤の中の小さな白》(1937年頃、油彩・キャンバス、52.7×45.2、右下に「九」)、《ベッドの上》(1948年、油彩・厚紙、24.4×33.5、サインなし)、《赤い輪》(1954年、油彩・キャンバス、左下に「Q.Ei 1954」)、《シグナル》(1953年、エッチング、右下に「Q.Ei」)、《旅人》(1957年、リトグラフ、37.5×52.3、右下に「Q.Ei」)


東京国立近代美術館_09《赤の中の小さな白》について、瑛九のパトロンであった久保貞次郎(1909−1996、美術評論家)が次のように解説している。


瑛九がこの絵をかいたときは、二十六歳の頃だったが、その数年前からシュールのスタイルで制作していた。この作品はシュールから進んで抽象風になっている。燃えるような情熱を感じさせるこの画布は、瑛九の青年時代の心情をうつしだしているといえよう。赤と橙と黒の構成のなかに、小さな白と、それよりいっそう小さな青のスペースが、まるでかれの情熱を押さえるかのように、おかれている。一見ぎこちない筆づかいのなかに、謎のような複雑さがかくされているのが、みるひとに感じられるだろう。この謎の感情こそ、瑛九の作品のどれにも貫かれた資質であり、この性質はかれの稚拙な筆づかいとともに、芸術家瑛九の人生に対する真摯な探求のあらわれである。まだ、ヨーロッパの前衛芸術がわが国に本格的に紹介されなかったころ、かれは時代の空気を敏感にとらえ、かれのキャンバスにそれを定着した
(『日本の名画検〕硫100選』三一書房、1956年、検8)

東京国立近代美術館_10都夫人のはにかんだ姿が印象的な《ベッドの上》。瑛九は1948年、8月31日宮崎市丸島町へ転居し、9月谷口都と一緒になることから、本作は瑛九と都が同居をはじめたばかりの作品であることがわかる。大谷氏によると、本作の寄贈者日比野夫美子氏は、山田光春の助手として働いていた人物であり、彼女が『瑛九 作品と評伝』(1976年)の完成を都に報告しに行ったところ本作を譲り受けた。都夫人がずっと大事に持っていた特別な作品を、日比野氏に譲渡されたことは、彼女にとって最高の感謝のしるしであったと想像する。


東京国立近代美術館_11前回紹介したように《旅人》は、第1回東京国際版画ビエンナーレ展の出品作である。


東京国立近代美術館_12_晩年の油彩画3点。右手前から《れいめい》(1957年、油彩・キャンバス、80.3×65.2、左下に「Q.Ei 1957」)、《午後(虫の不在)》(1958年、油彩・キャンバス、130.0×162.5cm、左下に「Q.Ei 1958」、《青の中の丸》(1958年、油彩・キャンバス、90.9×116.7、右下に「Q.Ei 1958」)


展覧会のまとめとして、大谷氏が以前から調査されてきたコラージュ《レアル》(1937年、コラージュ・紙、31.8×26.2、右下に「Q.Ei/37」)について書かれている図録の内容をご紹介したい。

大谷氏は、山田光春旧蔵の書簡の中で、批評家が目の前の作品を観ずに、ただ同類の作家に当てはめる安価な見方をしていることを瑛九が痛烈に批判していると指摘し、次の瑛九の言葉を引用している。

「現代がいかに現実の語りにくい時代であるかといふことはもう充分だ。現実を充分に語りにくい現実が現実なので、現実がかたりにくい時代だからと云って、現実を安価に理解して公式的にかたづけて現実を見失つてゐることと現実とは断じて同一ではない筈である」(瑛九「現実について」『アトリヱ』14巻6号、1937年6月p.73)

この瑛九の言葉を受けて大谷氏は、以下のように結論づけている。

現実を理解するとは、どのようにしたら可能なのか。私たちは現実を理解したつもりでいて、実は既成概念の枠にものごとを押し込めて、安易に理解したつもりになっているだけなのではないか。瑛九はそうした問いを、これらの作品によって私たちに突きつけているように思われる。本当に「レアル」なものは、生半可な理性によって、捉えられるものではありえない。それは常に、理性の光の届かない闇の中で、手探りで探し求めなければならないものではないか。だとするならば、これらのコラージュはやはり闇のような暗黒の台紙の上で展開させなければならなかった
(大谷省吾、「闇の中で『レアル』をさがす―山田光春旧蔵資料から読み解く1935‐1937年の瑛九」[本展図録pp.15‐16])

「レアル」なものを表現するための方法として、先に技法材料を選択したわけではなかったということが、大谷氏の指摘から伺い知ることが出来る。読み返すと、理性では捉えきれない「レアル」なものを手探りで探した結果「コラージュ」となった。全身全霊で作品づくりに集中している彼を有名美術家と比較するのは確かにナンセンスである。

当時の絵描きや批評家と瑛九は、「視座」からして異なっていたのだろう。目の前にあるモチーフや出来事を見て写すのではなく、師事する先生の技術を見て写すものでもない。瑛九は、目に見えるものだけではなく、もっと深い人間の真に迫るところに意識を集中し、表現しようと試みていた。このような「視座」の違いに気付いたからこそ、青年瑛九は画壇との距離感が分からなくなった。

本展では、瑛九が、憤りや悲しみ、虚しさ、苦痛、希望などさまざまな感情を抱えていたことを作品や書簡等で確認することができた。山田光春は、このような率直に感情をあらわにする瑛九の様子をつぶさに掬い取ろうとしている。また、熱心に耳を傾ける山田であるからこそ、瑛九は心を開いてすべてを打ち明けていたのだろう。

最後に繰り返しになってしまうが、瑛九の活動からよみ取った大谷氏の言葉を自戒の念を込めて以下に抜粋する。

「私たちは現実を理解したつもりでいて、実は既成概念の枠にものごとを押し込めて、安易に理解したつもりになっている」(本展図録p.16)

忙しなく過ごす私たちは、面倒なことは大枠で捉えて、小さな物事を丁寧に見たり、考えたりしていないのではないだろうか。大枠で捉えたことに果たして意味があるのだろうか。今一度「レアル」なものを注視する勇気を持ちたいと思った。

***

<展覧会関連情報 々岷蕾(要旨)>
演題:「書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九」
講師:大谷省吾学芸員 / 日時:12月17日14時から
この日に行われた講演会には、瑛九の関係者や他館の学芸員が集まっていた。以前の取材の段階からおっしゃっていたが、瑛九には専門家をはじめディープなファンが多いため「マニアック」な話になるということであった。たしかに、かなりの数の固有名詞が登場し、凝縮された内容であった。この場で講演内容を少し紹介したい。

はじめに瑛九の生い立ちや家族の紹介をし、今回扱っている作品や資料群について説明があった。瑛九と山田光春が出会ったのは、1934年秋のこと。瑛九の甥が通う宮崎県の妻の学校で山田が教員をしていたことで接点を持った。平日は学校で土日しか対面できなかったころから、しだいに二人は書簡で情報交換するようになったという。同館の所蔵となった書簡はこのうちの117通。本展で展示された書簡(葉書含む)は10通で、図録には1935〜1937年の3年間に書かれた58通が収録されている。本資料群の調査をすることで、瑛九の野心や悩み、あるいは、当時の雑誌ではわからなかった前衛美術の活動について明らかになってくるという。

講演会では、書簡の中に出てくる作品や当時の雑誌などについて、写真や図版を用いて細かな解説が加えられた。ひとつひとつ挙げるとあと3回ブログの枠が必要になるため割愛させていただくが、以下3つの内容について注目したい。

1935年から36年の芸術家デビューを果たす頃のこと。中央美術展で展示された作品を観に意気揚々と上京した杉田秀夫(瑛九)の心の内が綴られた35年の書簡。また、36年の書簡に隠されていたフォト・デッサン集『眠りの理由』誕生秘話およびこれの発売に合わせて初個展を開いた銀座紀伊國屋画廊のこと。当時、どのような傾向の人物が画廊に出入りしていたのかを紹介された。

▲侫ト・デッサン集『眠りの理由』は、未だ謎の多い作品であること。まず、10点1組が揃っている所蔵先が実に少ないということ。公共機関では、横浜美術館・国会図書館(状態悪)・東京国立近代美術館のみ。ただし、フォト・デッサンの天地や順番は、すべて異なるという指摘があった。なお、大谷氏はフォト・デッサンの裏面に唯一鉛筆でタイトルが記されたときの忘れもののコレクションと西村楽器店(宮崎)で開かれた目録を頼りに作品の天地や順序をつけたとの報告があった。

1936年3月9日の書簡について。これは、瑛九が山田に「豫定表」と題し、芸術家としてどのような活動を展開してゆくかをひとことふたこと箇条書きにしているものである。大谷氏はこれに1時間かけて解説された。例えば、「土浦といふ日本で最も新しいけんちく家と共に新しい仕事をする。住むためのキカイとしての住宅とむすびつく我々の作品――壁写真」という一文。「土浦」は、建築家土浦亀城のことであり、彼は紀伊國屋画廊の内装を手掛けていることもあり、こちらの方面から話が出ていたのではないかという報告であった。なお、瀧口修造と映画をつくる予定は実現せず、その他に長谷川三郎との新しき同人展の予定などいくつかは実現するものの、本人が想定していたことよりも大きなものにならなかったのかもしれない。その後の瑛九は、すっかり意気消沈してしまう。

大谷氏は講演会の最後に次のことを付け加えた。いくつかの美術館に収蔵されている瑛九の作品や資料について、総覧できるような仕組み(データベース)を作ることや史料の細かな読み解きをする必要があるということ、これが実現したら瑛九ばかりでなく当時の美術団体の活動状況が見えてくる。確かに、講演会で扱われた書簡に書かれた名前を辿るだけでも、いま明らかになっている交友関係の幅よりももっと広かったのではないかと想像させるものだった。いち瑛九ファンとして、今後の進展を期待したい。
以上、1月7日にも同様の講演会が行われるため、詳しく知りたい方は、ぜひ足をお運びいただきたい。


<展覧会関連情報◆―蠡∈酩陛検
瑛九の関連作品が東京国立近代美術館の4階にまとめて展示してあると伺って、作品を確認しに行きました。

【4階‐5室】
東京国立近代美術館_13右手前から福沢一郎《牛》(1936年、油彩・キャンバス)、三岸好太郎《雲の上を飛ぶ蝶》1934年、油彩・キャンバス、北脇昇《最も静かなる時》(1937年、油彩・キャンバス)


東京国立近代美術館_14右から吉原治良《作品2》(c.1934年、油彩・キャンバス)、吉原治良《朝顔と土蔵》(c.1931-34年、油彩・キャンバス)、古賀春江《そこに在る》1933年(水彩・鉛筆・紙)、古賀春江《楽しき饗宴》(1933年、水彩・鉛筆・紙)
12月17日に行われた講演会では、瑛九が山田に「古賀春江ついでがあったらおかりしたい」(杉田秀夫より山田光春あて書簡、1936年1月20日、図録p.128)と画集を借りていることを指摘された。その他にも、吉原治良、福沢一郎などの名前が書簡に記載されている。瑛九は自分の殻に籠らず、同時代の画家の活動は一様にチェックしていたようだ。


東京国立近代美術館_15右からオノサト・トシノブ(小野里利信)《黒白の丸》(1940年、油彩・キャンバス)、村井正誠《URBAIN》(1937年、油彩・キャンバス)、長谷川三郎《アブストラクション》(1936年、油彩・キャンバス)、岡本太郎《コントルポアン》(1935/54年、油彩・キャンバス)


【3階‐7室】
東京国立近代美術館_16河原温《浴室》シリーズ1〜28(1953‐54年、鉛筆・紙)、河原温《孕んだ女》(1954年、油彩・キャンバス)、河原温《DEC. 14, 1966》(1966年、アクリリック・キャンバス)、河原温《Date Painting》(1994年、アクリリック・キャンバス)、河原温《Date Painting》(1994年、アクリリック・キャンバス)、河原温《Date Painting》(1994年、アクリリック・キャンバス)
「浴室」シリーズと「date painting(日付絵画)」が展示された部屋。2014年作者の河原温の生きた記録に終止符が打たれた。昨年行われたグッゲンハイム美術館の展示準備中だったようだ。生きながらにして世界で注目される美術館で個展開催が実現した河原温だが、20歳の頃は、瑛九の浦和のアトリエに通っていた。瑛九に論破されて苦しんだ河原温の渾身の作が「浴室シリーズ」である。


瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
休館:月曜(1/2、1/9は開館)、年末年始(12 /28 〜 2017 年1/1)、1/10(火)
時間:10:00〜17:00(金曜・土曜は10:00〜20:00)
主催:東京国立近代美術館

<講演会のお知らせ>
大谷省吾氏(同館美術課長・本展企画者)
「書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九」
2017 年 1 月 7 日[土]14:00-15:30
場所:講堂(地下1階)
※開場は開演30分前、申込不要、聴講無料、先着140名

***

ちょっと寄道....

東京国立近代美術館の近くに近代資料や美術品が展示されていることをご存知だろうか。別館の工芸館ではなく、「遊就館」と「昭和館」のことである。科学技術館と日本武道館を挟んだ先に同館はある。

じつは、瑛九の展示タイトルにある「闇の中」という言葉に、瑛九の個人的な悩みからくる「闇」と、戦争の色が濃くなってゆく社会の「闇」の二種が混在しているのではないかと思った。それは、瑛九が不眠症に悩まされている頃の次の書簡に見て取れる。

戦争は生きのこるものを作る。その點生活のドラマテックなしようちようである。
死をおそれないといふことがはじめて生きのこることにてんくわされる。生きおゝせなかつた人と生きのこるものとのビミメウさはまつたく不思議であろうが、作品のゆう劣はそれと同一なのではなからうか。

(瑛九より山田光春あて書簡1937年9月、図録p.144)

瑛九は、人として、あるいは芸術家として生き残ることが出来るか否かという瀬戸際に立たされている、不安や恐怖心を山田に打ち明けている。この頃の美術家については、戦争と隣あわせの生活を送っていたということも、頭の傍らで常に意識して作品を鑑賞したい。

東京国立近代美術館_17こちらは昭和館。「ぬりかべ」のような建物。1階は戦中・戦後のニュース映画を上映するシアタースペースと資料公開コーナー。4階は図書室。当時の貴重な雑誌などを検索・閲覧できる。5階は映像・音響室。文展や二科展の会場のようすを伝える映像もあった。


東京国立近代美術館_186・7階は常設展示室(大人300円)。昭和10年頃から昭和30年頃までの生活のようす伝える資料等が展示されている。エレベータで7階昇ると、突然、国会議事堂前の焼け野原(昭和20年5月25日空襲によるもの)が目の前に広がる。じつは、トリックアートで飾られた演出で、2015年のお正月明けに公開になったという。


展示室には、いくつか興味深い展示資料があった。そのなかでも2点だけ紹介したい。まず金10円と通し番号がつけられた日本万国博覧会の回数入場券(12枚綴り)。まるで株券のように大きく、細かな装飾が加えられている。また、「灯火管制」の解説が視覚的に理解しやすいものであった。瑛九の書簡でも灯火管制の記述が出てくるので以下に抜粋する。

もう太陽は上つたらしいが、晝もあま戸をあけない。毎晩トウ火くわんせいで、いつまでやらせるのかムキヱンキだとかいつてゐる奴もある。(瑛九より山田光春あて書簡1937年10月10日、図録p.145‐146)

瑛九はこの書簡の終わりにドストエフスキー『地下室(地下室の手記)』を読んでいることを山田に告げ、本書の主人公と自分を重ねている。瑛九は、精神的にも肉体的にも「闇の中」を経験していた。この真っ暗闇のなかで、瑛九は色彩の魅力に非常に惹かれていると山田に告げることになる(同年11月11日書簡)。この頃に制作していたのが《赤の中の小さな白》である。

東京国立近代美術館_19靖国神社の参道脇に広がる黄金色の絨毯。


東京国立近代美術館_20編⊃声匐内にある「遊就館」。武具、美術品、遺品等を約10万点収蔵し、特に近代史ゾーンの資料点数の多さは圧巻である。とくに千人針や遺影(一万柱)の展示の前では胸の詰まる思いがした。


東京国立近代美術館_211階玄関ホールには、零式艦上戦闘機(零戦)や機関車、加農砲が展示されている。会場に入ると、子供連れの家族や団体客、外国人観光客で賑わっていた。


東京国立近代美術館_223人の幼い子を持つ未亡人の逞しい姿を現している宮本隆《母の像》。編⊃声劼了夏擦箒内には、奉納された彫刻が数多く存在する。入口のゲートを抜け、エスカレーターで2階に昇ると日名子実三《兵士の像》もある。日名子実三の代表作といえば宮崎の平和台公園にある《平和の塔(八紘之基柱)》。かつて私も瑛九ゆかりの地を巡りながら、足を伸ばしたことがあった。


瑛九は1931年の徴兵検査で不合格となり、戦地に赴くことはなかったが、同館の所蔵にもある一部の美術家は、このような「現実」と向き合って作品を制作していた。

会場:昭和館
休館:月曜日 ※ただし、祝日または振替休日の場合開館、翌日休館。年末年始(12月28日から1月4日)
時間:10:00〜17:30(入館は17時まで)

会場:編⊃声辧〕圭館
休館:年中無休 ※6月末・12月末(26‐31日)臨時休業
時間:9:00〜16:30 
※元日24:00〜16:30/みたままつり期間中(7月13‐16日)、9:00〜21:00

本ブログの記事を作成するにあたって、東京国立近代美術館学芸員の大谷省吾氏(美術課長)、遊就館の鈴木亜莉紗氏(展示史料課 録事)、昭和館の菊池理恵氏(広報課)に取材の協力を得ました。貴重なお時間を割いていただき、この場を借りて深く感謝を申し上げたい。
なかむら まき


本日の瑛九情報!は上掲、中村茉貴さんの近美のレポートです。
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展は東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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