東京国立近代美術館

植田正治を見られる美術館

ときの忘れものは近く移転しますが、青山での最後となる「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催中です。27日までですので、どうぞお見逃しなく。

今日は植田正治作品を所蔵している国内の美術館をいくつかご紹介します。
もちろん下記以外の美術館で所蔵しているところも多々あると思いますが、それは他の機会にご紹介いたします。

植田正治写真美術館
植田正治の故郷境湊に近い鳥取県西伯郡伯耆町に1995年に開館(設計:高松伸)、植田正治の作品1万2千点が収蔵されています。
いつでも植田正治の作品を見られる美術館で、現在は<植田正治の「かたち」 写真における造形表現>展が開催されています(2017年6月4日まで、火曜日(祝祭日の場合は翌日)は休館)。
植田正治美術館フライヤー2
植田正治美術館フライヤー


東京都写真美術館
所蔵点数:299件
代表作品:《妻のいる砂丘風景(III)》、《ボクのわたしのお母さん》、〈童暦〉、〈砂丘〉、〈白い風〉、〈音のない風景〉など。
ueda_03_tuma-iii_large植田正治
《妻のいる砂丘風景(III)》1950年頃


ボクのワタシのお母さん植田正治《ボクのわたしのお母さん》1950年
*『植田正治のつくりかた』(2013年、青幻舎)より転載

都写美クロージングパーティ101Fメインエントランスへと続く外壁には、ロベール・ドアノー、ロバート・キャパ、植田正治の大型パネルが展示されています。
植田正治「妻のいる砂丘風景(III)」(2014年9月22日撮影:綿貫不二夫)


米子市美術館
所蔵点数:写真作品170点+資料3点=173点
代表作品:《自写像》、《小狐登場》
子狐植田正治
《小狐登場》1948年
*植田正治『写真とボク』(2010年、クレヴィス)より転載


九州産業大学美術館
所蔵点数:12点
代表作品:〈風景の光景〉シリーズ((1970〜80年に制作、40×52cm)計10点)

清里フォトアートミュージアム(Kmopa)
所蔵点数:5点
代表作品:《少女たち》1945年 サイズ 20.4×31.6cm 
     《カコ》1949年 サイズ 27.0×24.1cm
     《土門拳とモデル》1949年 サイズ 23.7×27.9cm
カコ植田正治《カコ》1949年
*『植田正治作品集』(2016年、河出書房新社)より転載


横浜美術館
所蔵点数:11点
代表作品:《子守り(田園の1)》1938年、ゼラチン・シルバー・プリント、28.5×22.5cm

東京国立近代美術館
所蔵点数:17点
代表作品:《少女四態1939》、《パパとママとコドモたち》、《妻のいる砂丘風景(III)》など。
少女四態植田正治《少女四態》1939年
*『植田正治作品展 砂丘劇場』(1992年、JCIIフォトサロン)より転載

ueda_01_papamama植田正治
《パパとママとコドモたち》1949年


東川町文化ギャラリー
所蔵点数:10点
代表作品:すべて〈砂丘〉シリーズ、1949年、1950年、1983年、1986年、16x20インチ。

以上、8館をご紹介しました。
それぞれが所蔵する作品点数と代表作名については、各館からお答えいただきました。記して謝意を表します。
植田正治作品の展示予定については、各美術館にお問合せください。
〜〜〜
又、7月から山梨県立美術館で開催されるコレクション展にも、植田正治作品が出品されます。
●フジフイルム・フォトコレクション「私の1枚」
会期:2017年7月1日[土]〜8月20日[日]
会場:山梨県立美術館
幕末に写真が渡来してから150年余り、日本では多くの優れた写真家が作品を残してきました。
本展では、その中でも特に重要な101人が撮影した「この1枚」と呼べる代表作を銀塩プリントで展示し、日本写真史の軌跡をご紹介します。
日本写真の黎明期を支えたフェリーチェ・ベアトや下岡蓮杖の作品を筆頭に、写真に絵画的表現を追求した20世紀初頭の芸術写真、写真としての独立した芸術を目指した1930年代の新興写真、戦前戦後に活躍した木村伊兵衛、土門拳、植田正治、林忠彦などが見せた多種多様な表現、そして今日現役で活動する写真家たちの作品など、日本写真史を語る上で欠かせない作品を展示します。甲府市出身の日下部金兵衛、富士山を多く撮影した岡田紅陽、白籏史朗など、山梨にゆかりのある写真家の作品も含まれます。
写真が今まで以上に身近になった今日こそ、日本写真史の流れを改めて見直します。(山梨県立美術館HPより転載)

-------------------------------

●今日のお勧め作品は、植田正治です。
22植田正治
〈白い風〉より
1978年
Type-Cプリント
Image size: 7.4×10.9cm
Sheet size: 8.2×11.7cm

07植田正治
〈白い風〉より
1978年
Type-Cプリント、木製パネル
Image size: 22.0×32.6cm
Panel size: 41.5×52.0cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

3月10日は瑛九の命日/瑛九情報!総目次

明日3月10日は瑛九の命日です(1960年3月10日死去 享年48)。

東京国立近代美術館で昨年11月22日〜2017年2月12日の会期で開催された「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」展に合わせ、2016年11月24日から最終日の2017年2月12日まで毎日<瑛九情報!>を発信しました。
瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)

ときの忘れもののブログは年中無休ですが、81日間、毎日のブログ記事をアップした上に、さらに末尾に<瑛九情報!>を一日も欠かさず追加発信するのはさすがに瑛九=命の亭主でもへろへろになりました。
以下、81日間の<瑛九情報!>総目次です。(この目次を作成するのも一苦労でありました)

11月24日1960年の四人の作家展

11月25日「近美のtwitter

11月26日「この人はコラージュがまじやばいからみといたほうがいいよ。坂口恭平

11月27日「瑛九は1911年(明治44年)生まれ、岡本太郎と同い年

11月28日「展覧会を企画した大谷省吾さん

11月29日「松本竣介と瑛九

11月30日「通りすぎるもの

12月1日「瀧口修造【瑛九へ「ノートから 1951」】より

12月2日「瀧口修造【瑛九のエッチング】『美術手帖』No.74 1953年10月号より

12月3日「瑛九はけっしていわゆる孤絶の人なぞではなかった。いつも社会にむかってひらかれた心を持ちつづけたといってよいだろう。〜瀧口修造

12月4日「瀧口修造【ひとつの軌跡 瑛九をいたむ】『美術手帖』1960年5月号より

12月5日「何事も平均化され、うやむやにされがちな現状にとって、山田光春氏の多年にわたる瑛九探求が『瑛九』として刊行されることはうれしい〜瀧口修造【『瑛九』を待ちながら】
瑛九伝山田光春著『瑛九 評伝と作品』1976年 青龍洞 480頁 瑛九の盟友だった画家山田光春が全国をまわり資料・作品を蒐集調査、克明に瑛九の生涯を追った伝記

12月6日「写真は光線の言葉だといわれます〜瀧口修造『1955年1月・瑛九 フォート・デッサン展目録』より

12月7日「瑛九の父杉田直(すぎた なお)は息子を送った九ヵ月後の1960年(昭和35年)12月7日に亡くなりました。享年92

12月8日「1891年(明治31年)宮崎初の眼科医院を開業した杉田直は医学界の発展に貢献する傍ら俳句をよくし、荻原井泉水の層雲同人として活躍しました

12月9日「たゞ一つ湯婆残りぬ室の隅 漱石/明治41年12月22日夏目漱石から瑛九の父・杉田作郎に送られた俳句

12月10日「1951年瑛九と泉茂らによって大阪で結成されたデモクラート美術家協会には多くの若者が集まりました

12月11日「月が静かにさしよればフラスコにある球面 月月虹/秋田の医師船木綱春は瑛九の父杉田直の俳句仲間でした

12月12日「本展企画者・大谷省吾さんの講演会〜書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九〜は 12 月17 日と1月7日に開催されます

12月13日「なんでも鑑定団に出演したKさん所蔵の油彩大作『田園』が寄託されています、必見です

12月14日「近美の至宝『青の中の丸』は1981年3月1日ギャラリー方寸の開廊記念展で展示された作品です

12月15日「一度は国立近代美術館に展示されながら、その後海を渡ってしまった名作もあり

12月16日「中村茉貴〜美術館に瑛九を観に行く〜第12回

12月17日「瑛九の故郷、宮崎県立美術館では<第三期コレクション展より 瑛九の世界供笋魍催

12月18日「瑛九の多くの文献資料には、早くから瑛九をコレクションし、瑛九の顕彰展を開催してきたある美術館の名がすっぽりと抜け落ちています

12月19日「山形県酒田の本間美術館は瑛九のほぼ全てのリトグラフ作品を所蔵し、7回もの瑛九展を開催してきた

12月20日「酒田の本間美術館は1974年(昭和49)2月2日〜2月23日に瑛九リトグラフ展を開催しています
瑛九石版レゾネ本間美術館のコレクションが基礎となり刊行された『瑛九石版画総目録』1974年 瑛九の会 限定1000部 74頁 1951〜1958年に制作されたリトグラフ158点を収録

12月21日「写真家・細江英公の原点は瑛九
20170107_1
2004年8月21日「第15回瑛九展/1936年画家の出発」
ときの忘れものにて細江英公先生(右)

12月22日「磯辺行久は高校時代にデモクラート美術家協会に入会、最年少

12月23日「デモクラートの解散声明は靉嘔が執筆

12月24日「建築家・磯崎新は学生時代に浦和の瑛九アトリエを訪ねた

12月25日「池田満寿夫の色彩銅版画は瑛九の助言で生まれた

12月26日「12月26日は瑛九の兄・杉田正臣さんの命日
瑛九展小田急レセプション4靉嘔1979年6月新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて
左から杉田正臣さん(瑛九の兄)、郡司君さん(瑛九の姉)、杉田都さん(瑛九夫人)、靉嘔先生


12月27日「新人スタッフの英文レポート

12月28日「瑛九の会の設立趣意書と八人の発起人

12月29日「中村茉貴〜美術館に瑛九を観に行く〜第13回

12月30日「瑛九畏るべし。ほぼ数年おきに回顧展が開催されるというようなことは他の抽象画家では例がありません

12月31日「お正月に瑛九を見られる美術館は七つ

2017年
1月1日「沖縄県立博物館・美術館は元旦から開館、瑛九を展示しています

1月2日「お正月に瑛九を展示している美術館

1月3日「お正月に瑛九を展示している美術館

1月4日「瑛九を所蔵している美術館は亭主の把握しているだけでも48館

1月5日「瑛九のガラス絵〜府中市美術館・ガラス絵 幻惑の200年史展

1月6日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.1創刊号
nemuri_1
瑛九の会『眠りの理由 創刊号
瀧口論文の他に、山田光春「瑛九伝」第一回、杉田都「雪とEi Q」、杉田正臣「思い出すことなど」が掲載された。1966年4月20日発行

1月7日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.2

1月8日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.3

1月9日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.4

1月10日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.5

1月11日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.6,7合併号

1月12日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.8

1月13日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.9,10合併号

1月14日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.11

1月15日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.12

1月16日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.13

1月17日「瑛九の会機関誌〜眠りの理由 No.14

1月18日「瑛九の会の発起人たち

1月19日「瑛九を支えた人々〜福井県鯖江の木水育男さん

1月20日「瑛九を支えた人々〜尾崎正教さん

1月21日「細江英公〜瑛九と私

1月22日「瑛九を支えた人々〜福井県勝山の原田勇さん

1月23日「田中章夫〜本間美術館と瑛九

1月24日「瑛九を支えた人々〜福井県大野の堀栄治さん
瑛九展小田急レセプション2原田1979年6月新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」にて
左から一人おいて、堀栄治さん、中村一郎さん、中上光雄さん、原田勇さんたち、いずれも福井瑛九の会のメンバー。

1月25日「貴重な記録集〜堀栄治・編<福井創美の歩み>

1月26日「1938年のスケッチ帖〜立正大学新聞臨時増刊・青年の読物特輯
表紙瑛九スケッチ帖 「青年の読物特輯」


1月27日「福井県勝山の中上光雄・陽子ご夫妻と瑛九
20150103中上コレクション展 表2015年1月福井県立美術館「福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―」

1月28日「浦和のアトリエを守る都夫人

1月29日「瑛九の銅版画について

1月30日「初期スケッチ帖

1月31日「スタッフMの瑛九展を見て

2月1日「初期抽象画〜作品ーB(アート作品・青)

2月2日「スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポート

2月3日「1941年制作の油彩・逓信博物館 A

2月4日「中村茉貴〜都城市立美術館・瑛九芸術の迷宮へ〜その1

2月5日「瑛九の吹き付け作品

2月6日「スタッフAの瑛九展を見て

2月7日「生前、海外での作品発表の機会がただ一度ありました

2月8日「最大の支援者・久保貞次郎の瑛九コレクション
瑛九展小田急レセプション1泉茂1979年6月新宿・小田急「現代美術の父 瑛九展」レセプションにて
左から、オノサト・トシノブ先生、久保貞次郎先生、マイクを握っている泉茂先生、瑛九の会事務局長の原田勇さん、右端の背広姿は瑛九の会代表の木水育男さん

2月9日「中村茉貴〜都城市立美術館・瑛九芸術の迷宮へ〜その2

2月10日「ときの忘れものの第20回瑛九展と第23回瑛九展のカタログ紹介

2月11日「46の光のかけら/フォトデッサン型紙ポスター

2月12日最終回瑛九の生前最後の個展の案内状
瑛九油絵展1
「瑛九油絵展」案内状
会期:1960年2月23日〜28日
会場:銀座・兜屋画廊



以上、お時間のあるときに再読いただければ嬉しいです。

●本日のお勧め作品は瑛九です。
qei_165瑛九
《花々》
1950  油彩
45.5x38.2cm(F8号)

瑛九 ペン素描
瑛九《作品
1959年
ペンデッサン
イメージサイズ:28.5×18.0cm
シートサイズ:35.1×24.9cm
ペンサインあり

瑛九_フォトデッサン_2瑛九
《作品》
1950年
フォトデッサン
27.8x22.0cm
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

あれからずーと油絵をかいていました〜東京国立近代美術館の瑛九展は最終日です。

11月22日から始まった東京国立近代美術館の<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展は遂に最終日を迎えました。
瑛九=命の亭主としては、あの会場は瑛九記念室にして永久に保存して欲しい。
瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)

「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館

雪のちらつく先日、竹橋に行ってきました。

レール  瑛九
  雪がふる
  胸の中を赤い雪がふる
  ガラスがこわれて そこに心ぞうがとまる
  ふるへてゐる部屋
  トウフやのラッパに少年のリンゴのほほがはずむ。
  母。
  風はたえずレールの上を流れる

  (1936年3月9日山田光春宛書簡より)

今回の展覧会は山田光春旧蔵の作品を中心にデビュー前後の瑛九作品が展示されています。
画廊コレクションにも同じ時代の作品があります。
瑛九作品(吹きつけ)
瑛九「作品
1937年 鉛筆・吹き付け
イメージサイズ:25.5x21.5cm
シートサイズ:28.5x25.0cm
サイン・年記あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから


今回、ときの忘れものは皆さんが少しでも竹橋に足を運んでいただけたらと、連日●本日の瑛九情報! を発信してきました。

最終回の●本日の瑛九情報!は、瑛九の生前最後の個展の案内状です。
瑛九油絵展1
「瑛九油絵展」案内状
会期:1960年2月23日〜28日
会場:銀座・兜屋画廊


瑛九油絵展2
個展案内状の裏に印刷された瑛九のメッセージ
(クリックしてください、拡大します)

既に病篤く浦和中央病院に入院中だった瑛九は展示にも立ち会えず、初日の翌日には東京神田の同和病院に転院、3月10日朝、48歳の生涯を閉じました。
会期中、兜屋画廊には盟友オノサト・トシノブが桐生から毎日電車で通い店番をしました。


瑛九の死去から僅か49日後の4月28日、今泉篤男率いる国立近代美術館は急遽瑛九回顧の展示を敢行しました。
四人の作家1960 表紙
「四人の作家」展目録
会期:1960年4月28日―6月5日
国立近代美術館
出展作家:菱田春草、瑛九、上阪雅人、高村光太郎
没後直後のドキュメントをお読みください。

--------------------------------
二ヶ月以上にわたり、瑛九情報をお読みいただき、ありがとうございました。
ときの忘れものはこれからも瑛九の紹介に微力をつくしたいと思います。

スタッフAの「瑛九展」を見て

本日の瑛九情報!は、
スタッフAの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポートです。

瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)

「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館

冬の冷たい風が心地よい日、東京国立近代美術館で開催されている瑛九展を観に行ってきました。

「ときの忘れものといえば瑛九。」と言っても過言ではない作家さんですが、恥ずかしながらときの忘れものに勤めるまで、自分は瑛九のことをよく知りませんでした。
「えいきゅう」という名前を耳にしたことはあり、美術館のコレクションなどで作品を目にはしていましたが、どんな作家か深く掘り下げることはありませんでした。
それが日々の仕事で扱うようになり、次から次へと作品が出てくる。
しかも油彩や版画、ドローイングはもちろん、フォトデッサンというものまで技法も様々。その上48歳で亡くなっているということに、「えっ、じゃどのくらいのペースでこの作品たちを制作していたんだよ。」と内心驚くというか、面食らっていました。
でもその作品がどれもチャーミングなんですよね。
もう溢れて止まらないと言わんばかりで、イメージの洪水といった印象でした。

今回の展覧会は、瑛九としてのデビュー前後の24歳から26歳という時代に焦点をしぼり構成されています。
その中でも展示中盤に飾られているコラージュ作品に、惹かれました。
人間の体や顔の部位、果物やオブジェの写真が切り刻まれて、黒い背景の前に新たに組み立てられています。何者かとなったそれらは、まるで宇宙の果てにぽつんと浮かんでいるようでした。現実ではありえない形に変換された女性の体や、もうなんだか分からない塊になっているもの。その作品に「レアル」と名付けた瑛九の気持ちとは、一体どんなものだったのか。

20170206コラージュ作品


20170206_320170206_4


又、紙に描きなぐったようなドローイングも、「こういうの分かるなあ」と勝手に思っていました。
自分もクロッキー帳にこういうことをよくやります。
そこには現実のルールなんか必要ない自由な世界を作りあげることができるのです。

今回作品と同じくらい重要な資料として展示されているのが、瑛九が山田光春に宛てた手紙でした。
人が書いた手紙を覗いてしまうのはちょっと気が引けるなあと思いつつ、瑛九の字が彼のドローイングと同じような線であることに、ふふふとなってしまったり。
絵描きさんには個性的な字を書く人が多いと常々思っていたのですが、それは、文字も紙の上のドローイングと同じだからなんだなあ、とふと思いました。

展示構成の最後は、瑛九の全体像をみる内容です。
中でも晩年の点描画は、光そのものを描いているようです。

20170206_2右の「れいめい」がこんなに美しい作品だったのかと、改めて思いました。


この規模の展覧会としては珍しく立派なカタログも刊行されています。
広くないスペースの展示であるものの、それ故ひとつひとつの作品と向き合うことのできる見応えのある内容でした。
あきば めぐみ

2016東京国立近代美術館「瑛九展」『瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす』
2016年
東京国立近代美術館 発行
147ページ
23.8x16.7cm
税込1,300円 ※送料別途250円


*画廊亭主敬白
風の冷たい日が続いています。やわな亭主かはたまた栄養失調気味のスタッフMを気遣って信州のSさんが野沢菜、ヨーグルト、エリンギ、しめじ、りんご、えのきだけなどをどっさり宅急便で送ってくださいました。
竹橋の瑛九展の会期が残り一週間となりました。首都圏の美術館での瑛九展はしばらくはないでしょうから、ぜひお見逃しなく。
スタッフにも業務命令で展観を促し、それぞれにレポートを書かせました。皆、ときの忘れものに入社するまではほとんど知らなかったようですが、門前の小僧、習うよりなれろですね。
瑛九暦半世紀近い社長はもちろん、亭主も日々作品に触れながら、飽きることがない。新たな出会いがあるたびに、さてこの購入資金をどうやって工面するかと四苦八苦しつつ、「よくぞいらっしゃいました」と感謝せずにはいられません。作家の評価は市場に流通してこそ定着します。ありがたいことに今週も海外から瑛九を求めにお客が来日します。流通するだけのモノ(作品)を遺してくれた瑛九のエネルギーに脱帽です。
盟友オノサト・トシノブの作品を中心に企画した「Circles 円の終わりは円の始まり」展が一昨日終了しました。ご来場いただいた皆さん、お買い上げいただいたお客様たちに深く感謝する次第です。
ありがとうございました。

スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポート

本日の瑛九情報!は、
スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポートです。

 読者の皆様こんにちは。相変わらず寒い日々が続く中、今日から丁度一ヵ月後のArt on Paperへの準備に天手古舞なスタッフSこと新澤です。ここしばらくの記事の出だしはずっとこのような感じですが、来月以降はもう少し落ち着けるハズ…だといいですね。

 先日同じくスタッフの松下さんもレポートされた<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>、ときの忘れものが開廊当時から注力してきた作家とあり、自分も展覧会を見てきました。

瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)
「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館

 画廊に勤めて早6年目の自分ですが、体系立てて美術を学んだ経験はなく、瑛九を知ったのもときの忘れものに勤めてからです。中でも紙の上に型紙やレース生地を置いて感光させ、切り抜きをせずに制作するコラージュであるフォトデッサンは、自分が最初に出会った瑛九の作品であり、晩年の点描よりも「これぞ瑛九」と感じる作品群でもあります。

IMG_4134フォトデッサンの代表作「眠りの理由」シリーズ全10点
ときの忘れもの所有の作品は1点欠けているので(9点)、全10点をご覧になりたい方は是非おでかけを。
手前の展示テーブルには、「眠りの理由」のタトウ、展覧会の冊子や当時瑛九が山田光春に宛てた書簡が展示されています。

 今回の展覧会ではそんなフォトデッサンの代表作にしてデビュー作「眠りの理由」とその他フォトデッサン、そして無数のスケッチ画と少数の油彩画で構成されていますが、それ以上に自分が面白いと思ったのは、瑛九が年下の友人、山田光春に長年にわたり送った手紙の数々です。

 誠に勝手な話ながら、今まで自分は瑛九をステレオタイプな、「才能溢れながらも早逝した画家」として見ていました。線は細く、物静かで、周囲の雑音には耳を貸さずにただ一心に作品制作に取り組み続け、若くして燃え尽きた悲運の作家、等といった印象です。
 実際に書き出すとどこの漫画の登場人物かと言いたくなる人物像ですが、当然のように山田光春に宛てた手紙から見て取れた印象は大きく違いました。

 文中で瑛九は自らを「オレ」と称し、世間の自作品への無理解を嘆き、日本美術界の現状を憂い、明け透けに同時期の海外作家と比較されることに憤っていました。筆跡は流麗とは言い難く、ものによっては文字通り書き殴ったかのような物もありました。時代に寄る言葉の使い方の違いはあれど、まるで酔っ払いの愚痴を聞かされているようだ…という感想は、自分の語彙の貧弱さを差し引いてもそう的外れではないと思っています。今回一般に公開されているとはいえ、元々は私的なやり取りなワケですしね。

IMG_4120瑛九から山田光春に宛てた書簡や展覧会の冊子を展示したテーブルを囲むように当時制作されたドローイング作品が展示されています。

 そんな書簡を展示したテーブルの周りを、山田光春旧蔵のドローイングが囲んでいるのですが、こちらもこちらで妙に刺々しい印象が。ときの忘れものでも瑛九のドローイングやエッチング作品は多数取り扱っていますが、主に50年代のそれらの作品に比べ、30年代後半に描かれた展覧会の作品群は、当時の瑛九の苦悩が反映されているように見えました。

 総じて、日本前衛美術の父としてではなく、そこに至る過程、その更に裏側を垣間見える展覧会だと感じました。作品を通してばかりではなく、限定的ではあるものの、作家の一面を手紙という媒体を通して垣間見ることができる貴重な機会です。

 展覧会は来週の週末まで開催されておりますので、まだご覧になっていない方は是非お出かけ下さい。

(しんざわ ゆう)

瑛九・水彩瑛九「作品」
1954年 水彩 19.0×14.0cm
画面右下に鉛筆サインと年記

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

スタッフMの「瑛九展」を見て

本日の瑛九情報は、12月27日の勝見美生のレポートに続くときの忘れもののスタッフたちによる瑛九展観覧記です。日ごろ「えいきゅう、エイキュウ」と亭主に言われ食傷気味の彼らが果たしてどんな感想を持ってくれるでしょうか。

皆さんこんにちは。
ときの忘れもののスタッフ、松下と申します。
さっそくですが、皆様もご存知の通り、ときの忘れものにとって超重要な作家である瑛九の展覧会<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が、東京国立近代美術館で開催中です。

瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館

今回は、スタッフ全員にレポート提出指令が下っため、大急ぎで展覧会を見てきました。
もちろん、ときの忘れものでは「瑛九」という名前を聞かない日は無いので、観ないわけにはいきません。
読者の皆様は、きっと私よりも瑛九について詳しい方々ばかりだと思いますので、駄文になりますがおつきあいください。

20161129_東京国立近代美術館「瑛九展 1935-1937」_14
左から「青の中の丸」「れいめい」

はじめに、私が瑛九を知ったのは、まさに東京国立近代美術館の所蔵品展でした。今回の展覧会にも出展されている瑛九の油彩画《れいめい》が、靉光やクレーなどに囲まれて展示されていたのです。初見の私は「渋い作家だなぁ」と画面を少しだけ覗いて帰りました。それ以降、何度も4階の常設展示室で《れいめい》と遭遇したのですが、私は注視することはありませんでした。瑛九のフォトデッサンを初めて見たのは、ときの忘れものに勤め始めてからです。とても大事な作品があるというので、梱包材で巻かれたマット装の作品をそっと机に広げました。そこには、深海で網に囚われたような人型。たちこめる煙。白く光る鎖のようなもの。黒地に白色のモチーフがゆらゆらと印画紙の中で浮かんでいました。なんだかその場の気温が1度ほど低くなったような、不思議な感覚だったのを覚えています。
その作品が、瑛九『眠りの理由』でした。

qei17-029瑛九
『眠りの理由』より
1936年
フォトデッサン(フォトグラム)
26.3×21.7cm
Ed.40


IMG_4134瑛九
『眠りの理由』(10点組)
from "Reason of Sleep"
1936年
フォトデッサン
*手前の展示台には『眠りの理由』表紙が展示されている。


この展覧会では、フォトデッサンのコンセプトは、機械文明によって移り変わる人々の現実の捉え方の探求であると語られています。つまり新しいリアリティの探求であると。情報化社会になった現代にも通じる考え方です。
瑛九(1911〜1960 本名、杉田秀夫)はとても早熟で、16歳で美術雑誌に評論を発表し始め、25歳でフォトデッサン集『眠りの理由』を刊行しています。そしてエスペラント語という国際語を操っていたといいますから、昔のインテリは、凄まじかったのですね。『眠りの理由』を刊行する6年前からフォトデッサンの試作を行なっていたそうで、逆算すると10代頃から制作に熱を燃やしていたようで恐れ入ります。この『眠りの理由』の試作期間に、瑛九は年齢が一つ下の山田光春に出会っています。瑛九は山田光春との間で、何通もの書簡のやり取りをしているのですが、この書簡が今回の展覧会で展示されています。『眠りの理由』で輝かしいデビューをした彼でしたが、マン・レイとの比較などをうけて、彼は精神を追い込まれていきますが、その葛藤や苦悩を手紙から垣間見ることができます。(1937年4月23日書簡には、「この手紙は読んだら燃やしてくれ」など人間味ある文面ばかり。)

IMG_4120展示室の中心に書簡が置かれ、周囲の壁に作品が並びます。



私は『眠りの理由』刊行前後に注目したこの展覧会で、瑛九の《れいめい》をみたときの印象ががらっと変わりました。彼のフォトデッサンには、美術の技法だけではなく、真のリアルを問う信念が注ぎ込まれていたのです。また山田光春の存在がなければ、こんなにも瑛九の人間味ある生の声は残っていなかったことでしょう。まだ展覧会に行かれていない皆様には、書簡をじっくり読んでいただきたいと思います。ぜひ瑛九の世界をじっくり味わってみてください。
私事ですが、現在私は25歳。
瑛九が『眠りの理由』を刊行した年齢です。これはオチオチしていられません!
新しいレアルを探しに行かねば!

まつした けんた

◆ときの忘れものは「Circles 円の終わりは円の始まり」を開催しています。
会期:2017年1月18日[水]―2月4日[土] *日・月・祝日休廊
201701_Circlesオノサト・トシノブの油彩を中心に、円をモチーフに描かれた作品をご覧いただきます。
出品作家:オノサト・トシノブソニア・ドローネ菅井汲瑛九、高松次郎、吉原治良

2016年後半をふりかえって

昨日に引き続き、2016年を振り返ります。
今日は後半です。

◆「ルイーズ・ニーヴェルスン展」
2016年7月5日[火]〜7月23日[土]
08倉庫に眠っていたニーヴェルスンの大判版画を展示しました。
ニーヴェルスンというと廃材を使った黒のオブジェを思い起こす人が多いのですが、版画を飾ってみていまさらながらその深く気高い色彩の素晴らしさに感銘しました。

01


20160710_名古屋shumoku gallery瀧口展イベント (7)2016年7月10日
名古屋・SHUMOKU GALLERYにて。
縁あって若い画商さんと知り合い、「瀧口修造展」に協力し、馬場駿吉先生(名古屋ボストン美術館館長)と島敦彦先生(愛知県美術館館長)のトークの聴講に名古屋に伺いました。


7月のある日、フランスからの賓客を迎えて数日間の「安藤忠雄&磯崎新」展を(密かに)開催しました。記念写真を掲載したいのですが、お忍びでの来日だったようで「半年間は公開不可」と言われてしまいました。
ポンピドゥー打合せ01


青山に店を構えて20数年になりますが、すこしづつ街の景色が変わってきました。青山通りのランドマークだった黒川紀章設計の青山ベルコモンズが消滅してしまったのはとてもさびしい。
〜〜

◆「ART STAGE JAKARTA 2016」(ジャカルタ)
2016年8月5日[金]〜8月7日[日]
出品作家:秋葉シスイ、野口琢郎、葉栗剛、長崎美希、安藤忠雄、磯崎新、ル・コルビュジエ、草間彌生、ナム・ジュン・パイク
DSC_1626インドネシアが2億3000万人の世界4位の人口大国だとご存知ですか。
1万3千もの島で構成された世界最大のイスラム人口国でもあります。これからインドと並びどんどん成長するに違いない、ということでジャカルタのアートフェアに初挑戦しました。
結果は・・・・・・一口でいうのは難しいのですが、コレクターはたくさんいます(日本の比ではない)が、資本主義のルールが未成熟で、なかなかビジネス的には難しい面もありました。スタッフのレポートをお読みください。

RIMG1595

〜〜

◆「菅井汲展」
2016年8月6日[土]〜8月20日[土]
関根01_600亭主が親炙した菅井汲先生の1970〜80年代のエディションを中心にご覧いただきました。
会期中、関根伸夫先生(左)がロサンゼルスから帰国、偶然居合わせた大野幸さん(中央)、土渕信彦さん(右)らと初対面ですがなごやかに会食しました。

01


8月沢木耕太郎さんの『流星ひとつ』が新潮文庫に入り、その表紙に故・宮脇愛子先生のドローイングがつかわれました。
1979年6月5日_東大美博 (59)1979年6月5日
沢木耕太郎さん(左)と、宮脇愛子先生(右)
於:東京駒場・東京大学教養学部美術博物館
磯崎新展オープニング

さあ、たんとお上がりなさいね」(『深夜特急4』新潮文庫129ページ)

〜〜

◆「アールデコの作家たち〜バルビエ、エルテ、ラブルール、カッサンドル展」
2016年9月1日[木]〜9月10日[土]
出品作家:ラブルール、バルビエ、エルテ、アドルフ・ムーロン・カッサンドル
02亭主が愛するラブルールなど1910年代半ばから1930年代にかけてヨーロッパおよびアメリカを中心に流行、発展したアール・デコの作品を展示しました。

01

9月7日:MORIOKA第一画廊で上田浩司さん(6月25日死去 享年83)を偲ぶ会があり出席しました。
萬鉄五郎記念美術館館長の中村光紀さんの追悼文を掲載(再録)いたしました。
1991年10月4日〜10月6日_勝山_難波田展令子
1991年10月「難波田龍起展」
福井県勝山市の中上邸イソザキホールにて
上田浩司さん(右)、亭主、社長

201609_盛岡_62
25年後の2016年9月7日盛岡にて、
上田さんと盛岡の街については「ゴーギャンのあるお蕎麦屋さん」と、「ウォーホルのあるラーメン屋さん」をお読みください。


椅子のコレクションで知られる酒井実通男さんから新潟の過疎の村にお座敷画廊ができたことを知らせていただきました。来年はツアーを組んで訪ねましょう。
〜〜

◆「ART FAIR ASIA / FUKUOKA 2016」
2016年9月9日[金]〜9月11日[日]
会場:ホテルオークラ福岡
出品作家:瑛九、松本竣介、瀧口修造、秋葉シスイ、他
201609_AFAF16_27令子・田村
老夫婦だけの参戦では心もとないと瀬戸内の島から駆けつけてくださった田村利生さん(右)と社長。
田村さんが近くの櫛田神社に祈願してくれたおかげで良い出会いをいただき、気持ちの良いフェアとなりました(感謝)。

201609_AFAF16_33_


「内間安瑆の絵画空間」の講義録を読んで亭主がすっかりファンになった琉球大学の永津禎三教授を迎えて一日だけの内間安瑆展を開きました。
〜〜

●ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート
第3回「独奏チェロによるJ.S.バッハと20世紀の音楽」

2016年9月17日[土]
20160917_富田牧子ギャラリーコンサート (23)出演:富田牧子(チェロ)
プロデュース:大野幸
バッハ と、 G.クルターク、P.ヒンデミット、W.ルトスワフスキら現代作曲家たちの曲を演奏していただきました。

RIMG1847_

〜〜

◆「光嶋裕介新作展 〜和紙に挑む〜幻想都市風景」
2016年9月20日[火]〜10月8日[土]
光嶋裕介展ギャラリートーク9月30日(金)には、光嶋裕介さんと小説家・編集者の松家仁之さんによるギャラリートークを開催しました。
大竹昭子さん、周防正行さん、植田実先生など聴衆も豪華で打ち上げは今年最高の盛り上がりでした。

20160930_光嶋、アジカン_600
千客万来
光嶋さん(中央)、松家仁之さん(右端)とアジカンの皆さん。

20161006光嶋・森田 独立研究者の森田真生さん(左)は『数学する身体』で第15回小林秀雄賞を受賞したばかりです。

20161007光嶋・内田樹神戸からは光嶋さんのお嬢さんと内田樹先生が来廊。

20161005_光嶋展左から、光嶋裕介さん、ゲッティ美術館のアマンダさん、和光大学の三上豊先生。

01


ハワイのホノルル美術館で内間安瑆展が開催されたとの嬉しいニュースもありました。

20161001_水戸クリスト展_612016年10月1日
水戸芸術館にて
スピーチするクリスト(右)
柳正彦さん(左)に招かれ「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」レセプションに出席しました。

20161001_水戸クリスト展_64柳正彦さん(右)とかつての同僚である社長

〜〜

◆「KIAF 2016」(ソウル)
2016年10月12日[水]〜10月16日[日]
出品作家:秋葉シスイ、野口琢郎、安藤忠雄、磯崎新、草間彌生、ナム・ジュン・パイク、関根伸夫、浮田要三
KIAF2016_046ときの忘れもので個展を開いたハ・ミョンウンさん(右)と、インスタレーションアーティストご友人(左)にはさまれてゴキゲンなスタッフS
今回は5月に釜山で出会ったIさんにソウルまで来ていただき通訳をお願いしました。その甲斐あって成果は上々でした。

RIMG0171_

〜〜

◆「山口長男とM氏コレクション展」
2016年10月12日[水]〜10月22日[土]
出品作家:津田青楓、仙波均平、山口長男、緑川廣太郎、オノサト・トシノブ、桂ゆき、古茂田守介、駒井哲郎、高橋秀、加納光於
20161012_大野様1 (1)戦後初のサンパウロ・ビエンナーレ、そして没後の回顧展にも出品された山口長男の代表作を前に。
初日、大野慶人さん(左)が最初のお客様でした。

01

この展覧会では山口長男の大作のほかにも、没後40を迎えた駒井哲郎の超希少作品「夜の中の女」が出品され、久しぶりに「駒井哲郎を追いかけて」の連載を復活できました。
悪運は続き、「悪僧」が二人も訪れるという奇跡が再び起こったのには驚きました。
珍しい駒井作品はそれだけではなく、謎に満ちた「丸の内風景」まで扱うことができました。
これらレアな作品を大枚はたいてお買い上げくださった異端のコレクターSさんはじめ3人のコレクターに心より感謝申し上げます。
●図録刊行のご案内
yamaguchi_cover_300『山口長男とM氏コレクション展』図録
2016年
ときの忘れもの 発行
20ページ 25.7×18.2cm
テキスト:三上豊(和光大学)
和英併記 全出品作品収録
税込540円 ※送料別途250円

ところで、ブログの定番中の定番だった土渕信彦さんの連載「瀧口修造とマルセル・デュシャン」が10月13日(第25回)に遂に終了しました。
この後の穴をどう埋めるか、アタマの痛い亭主であります。
〜〜

◆「ルリユール 書物への偏愛―テクストを変換するもの―」
2016年11月8日[火]〜11月19日[土]
ルリユール展GT_03社長が長年通っているカルチャースクールの縁で、造本作家グループLes fragments de M(略称frgm)の皆さんの展覧会を開催することができました。ときの忘れもの初の造本の展覧会であり、これからも美しい本の展示を目指したいと思っています。
11月19日(土)にはfrgmの皆さんと写真家・著述家の港千尋さんによるギャラリートークを開催しました。

01

〜〜

◆「ART TAIPEI 2016」(台北)
2016年11月12日[土]〜11月15日[火]
出品作家:葉栗剛、長崎美希、野口琢郎、秋葉シスイ、安藤忠雄、磯崎新、関根伸夫、浮田要三、他
ART-TAIPEI-2016_2懸案だった台湾への初出展。亭主は10年ぶりに台北に行ってきました。
左から舟越桂さん、亭主、葉栗剛さん、長崎美希さん。

ART_TAIPEI_16_069シンガポールから出展の画廊さんたちとにぎやかに会食。

RIMG0098_これで今年のアートフェア出展はすべて終了しました。
シンガポール、釜山、ジャカルタ、台北とソウル以外はすべて葉栗剛さんの木彫をメインに構成しました。
「毎回同じ作品を持っていったの?」と思われるかも知れませんが、違います。よく比べてみてください。ここ数年の海外アートフェアで既に葉栗さんの巨像4体を含め10数点の木彫作品を売ってきました。
もし、葉栗さんと出会わなければときの忘れものの海外戦略は今とは随分違った展開になっていたでしょう。
今年最後の台北でも葉栗さんの巨大木彫を売ることができました。スタッフのレポートをお読みください。
次から次へと制作に追いまくられた葉栗さん、刺青を描いた長崎美希さん、ご苦労さまでした。

RIMG0109_


風景を撫でている男の後姿がみえる』:11月18日は私たちの恩人船木仁先生の命日でした。

通りすぎるもの」:11月21日磯崎新アトリエのチーフだった藤江秀一さんが亡くなりました。
11月25日:故毛綱毅曠先生と石山修武先生の共著『異形建築巡礼』の出版記念パーティがあり、安藤忠雄先生はじめ多くの建築家に再会しました。
20161125_国際文化会館・石山修武出版記念会_032016年11月25日国際文化会館にて
左から、亭主、六角鬼丈先生、植田実先生。
後日ご案内しますが、六角鬼丈先生と石山修武先生の新作版画のエディション展が進行しています。
また光嶋裕介さんと倉方俊輔さんによる新たなプロジェクトも計画されています。


名著『異形建築巡礼』を注釈した佐藤研吾さんはまだ20代の若い建築家ですが、来年ブログでの連載をお願いしています。

20161129_東京国立近代美術館「瑛九展 1935-1937」_1411月22日待望の<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まり、社長と会場で懐かしい作品に再会してきました。
「青の中の丸」(左)は35年前、ギャラリー方寸の開廊記念展「瑛九 その夢の方へ」(1981年3月)に出品した作品です。


20161127_桐生大川美術館「松本竣介と野田英夫展」_012016年11月27日
桐生・大川美術館にて
「松本竣介と野田英夫展」
松本竣介は亭主と社長にとってことのほか思い入れに深い作家ですが、嬉しいことにこの秋は鎌倉、東京、桐生の三つの美術館で作品が展示されました。

〜〜

◆「戦後の前衛美術‘50-70 Part III(入札)」
2016年12月3日[土]〜12月10日[土]
postwar_avantgarde_3_08_年末恒例となった入札会です。
1950年代から「夜の会」など前衛美術運動に参加、国際的な視野にたって活躍したS氏と、同じく50年代から丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を携えて全国を巡回した反骨の評論家Y氏の旧蔵作品を入札方式で頒布しました。

postwar_avantgarde_3_01

〜〜

◆「2016年を送る〜画廊コレクション展」
2016年12月14日[水]〜12月27日[火]
出品作家:秋葉シスイ、野口琢郎、光嶋裕介、永井桃子、関根伸夫、瑛九
07_今年最後の展示は、ときの忘れものの大事な作家7作家各1点ずつ、大作を中心に。
来年もこれらの作家たちといい仕事ができればと願っています。

01

〜〜

●ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート
第4回「ガット弦で弾く、J.S.バッハとG.クルタークの無伴奏チェロ作品」

2016年12月22日(木)
RIMG0422出演:富田牧子(チェロ)
プロデュース:大野幸
木田いずみさんの歌と大野幸さんのヴァイオリンも加わったサプライズもあり、心にしみるコンサートでした。
大野さんのプロデュースで来年以降も継続して開催します。

RIMG0412_


WEB展を更新しました。2016年後半の企画展、フェア出展を紹介しました。

モバイルサイトを開設しました。設計したのはドイツ生まれの日本美術研究者イェンス・バルテルさん(Jens Bartel)です。彼の渡米後に引き継いで完成したのは新人スタッフ勝見美生です。
〜〜

本日の瑛九情報!〜〜〜
お正月には美術館で瑛九をみよう!
お正月早々1月1日より沖縄県立博物館・美術館は開館、「夢の美術館−めぐりあう名画たち−福岡市美術館・北九州市立美術館名品コレクション」展に瑛九の作品が展示されています。
亭主の情報収集によればお正月に瑛九を見られる美術館は七つもあります(詳しくは元旦のブログで)。
〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

●ときの忘れものは2016年12月28日(水)〜2017年1月16日(月)まで冬季休廊です。
いつもより長い冬休みですが、お正月早々、ART STAGE SINGAPORE 2017に出展するためです。
メールやネットでのお問合せ、ご注文には1月6日より通常通り対応いたします。
ブログは元旦からエンジン全開、年中無休、元気に発信を続けます!

2016年を二日にわたり振り返りました。
スタッフたちの奮闘振りを脇においといて亭主のことばかり書いてしまいましたが、お正月の近美の「恩地孝四郎展」で打ちのめされ、立ち直るどころか3月の事故であわやの事態に震え、あたふたしているうちに近美の「瑛九展」で暮れた一年でした。二つの展覧会には、かつて扱った恩地孝四郎「赤い花」と、瑛九「青の中の丸」が出品されていたことがせめてもの救いでしょうか。
年末最後の締めくくりはときの忘れものの「今」を象徴するかのようなアメリカ西海岸からの瑛九のフォトデッサンのご注文でした。もちろんスタッフSの奮闘のおかげです。
リハビリ中心の生活で、仕事に集中できなかった悔いは残りますが、皆様のおかげで無事年を越すことができます。
あらためてお客様、作家、取引先の皆様に御礼を申しあげます。ありがとうございました。
どうぞ、良いお年をお迎えください。

綿貫令子、綿貫不二夫、スタッフ一同

中村茉貴〜東京国立近代美術館「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」―その2 11月22日〜2017年2月12日

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第13回 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館
「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」―その2


前回に引き続き、東京国立近代美術館2Fギャラリー4で開催中の「瑛九 1935-1937闇の中で『レアル』をさがす」展を取り挙げる。

東京国立近代美術館_01展示会場の入り口。タイトルの字体は、丸みを帯び、一部に若草色を使用している。本展の出品作の多くは瑛九の初期の手のもの。芸術家デビューしたばかりの初々しい「瑛九」を反映しているよう。

前回は、山田光春旧蔵資料の内容と展覧会開催までの経緯などを本展企画の学芸員大谷省吾氏から伺い、第1〜3章に展示されたフォト・デッサン、コラージュ、デッサンをみてきた。今回は、山田光春の史料やエピローグに着目したい。

東京国立近代美術館_02書簡や雑誌などが並ぶ木製の覗きケース。新収蔵となった瑛九より山田に送られた書簡は117通。そのうち、1935〜37年に投函された10通が会場で公開されている。


東京国立近代美術館_03「杉田秀夫から山田光春あて書簡 1935年5月29日」(図録pp123‐124)
中央美術展(東京府美術館、1935年5月19日〜5月30日)に秀夫の《海辺》(F60)が入選したことから、展示を観に上京したときのことを次のように書いている。


「やはり宮崎でみるてんらん展とはとはすこしちがつてゐた。比較的でたらめなことをやつとる奴は一人もおらんかつた。技巧の上で。」

「みんなコテさきでかいてゐてコギレイで古アカデミツクか新アカデミツクか、職人ぞろいにはちがいない」と中央画壇の会場で感じた違和感を率直に述べている。

なお、書簡の終盤では、秀夫(瑛九)が「はじめて美術カンとやらにナラベてみておれは少々アホラしくなつてしまつた。クイツキたい奴ばかりだ。おい貴様もすこしゴウマンになつて田舎でじぶんのやりたい繪をかいてゐゐんだ」と山田に言い放っている。

このとき秀夫は、中央美術展の出品作が技巧面で優れていることを認めつつ、審査員の眼ばかりを気にして、自分の表現を追求しない画家に憤慨している。この経験がのちのデモクラート美術家協会の階級制を設けず、無審査で展覧会に臨む体制につながってゆく。瑛九が「前衛芸術家(アヴァンギャルド)」と位置付けられる所以は、「フォト・デッサン」という技法材料の新しさだけでなく、このような美術団体の制度にかんして一歩前進した考えを持っていたことも関係しているのだろう。

ところで、上記のような瑛九の権威に対する過激な発言は、別日の書簡で裏を返したように、逆の想いが綴られていることにも注目したい。

僕は日本画壇に失戀した うつとうしい感情なかで不眠にかかる。夏の不眠はつらい。失戀したのに僕は彼女にラブレターを書いた。(評論)失戀してかいたラブレターを出した僕へ僕はぼんやりした無表情な失意をしめしてゐる。
(瑛九より山田光春あて書簡 1936年7月17日、図録p.132)※括弧内は瑛九によるもの

以上のように、瑛九は日本画壇と自分の立ち位置が違うことを認識し、評論でもって画壇に認められることを渇望しているかのようだ。このことから、彼の中央画壇に対する執着がなくなったとは言い切れない。おそらく、彼の権威的なものを否定する態度は、排他的なものではなく、むしろ自己に向けられた「戒め」であったのだろう。権威(既成画壇)に依拠しないで、自己の表現を確立しようとする内省的なものであり、これを仲間と共に貫こうとしたと考えられる。

東京国立近代美術館_04第一回自由美術家協会展目録。
この頃、美術家が仲間と共につくった小さなグループが無数にあった。戦前戦後に作られた小グループの目録の中には、紙の酸化やガリ版刷りで数が少ないものもあり、原物の目録ひとつ探すことも難しい。
近代日本アート・カタログ・コレクション」シリーズは、初期美術団体の稀少な目録を収録している。同館のアートライブラリでは、開催中の図録と共に常に手に取りやすいところに配架している。
青木茂監修『近代日本アート・カタログ・コレクション73 (自由美術家協会/美術創作家協会)』(ゆまに書房、2004年)


東京国立近代美術館_05『瑛九油絵作品写真集』(複写)瑛九の没後に山田光春が油絵の行方を調査した記録。作品の写真の下には、タイトル、制作年、号数、所在地、所蔵者、確認日が丁寧に記されている。愛知県美術館には、写真集のもとになった35ミリのカラースライドを保管している。なお、宮崎・埼玉で開催された「生誕100年記念瑛九展」図録(pp.268‐292)にはレゾネとして、全555点のモノクロ図版が掲載されている。


東京国立近代美術館_06右上は山田光春『瑛九年譜』(1966年)、右下は「瑛九の会 設立趣意書」、左は山田光春『瑛九(杉田秀夫)住所・居所・旅行表』(1963年)。瑛九ファンは、この折れ線グラフに見覚えがあると思う。じつは、山田の著書『瑛九 評伝と作品』(青龍洞、1976年)の目次ページに瑛九の活動の軌跡として掲載されている。


東京国立近代美術館_07左から山田光春《作品》(1930年代後半、油彩・ガラス、35.5×45.5)、山田光春《作品》(1951年、油彩・ガラス、45.7×35.8)
黒いバックに原始生物のようなイメージが表現されている。瑛九や長谷川三郎もこのころガラス絵の作品を残している。


東京国立近代美術館_08エピローグが展示されているコーナー。油彩、エッチング、リトグラフと多岐にわたる瑛九の作品。手前から《赤の中の小さな白》(1937年頃、油彩・キャンバス、52.7×45.2、右下に「九」)、《ベッドの上》(1948年、油彩・厚紙、24.4×33.5、サインなし)、《赤い輪》(1954年、油彩・キャンバス、左下に「Q.Ei 1954」)、《シグナル》(1953年、エッチング、右下に「Q.Ei」)、《旅人》(1957年、リトグラフ、37.5×52.3、右下に「Q.Ei」)


東京国立近代美術館_09《赤の中の小さな白》について、瑛九のパトロンであった久保貞次郎(1909−1996、美術評論家)が次のように解説している。


瑛九がこの絵をかいたときは、二十六歳の頃だったが、その数年前からシュールのスタイルで制作していた。この作品はシュールから進んで抽象風になっている。燃えるような情熱を感じさせるこの画布は、瑛九の青年時代の心情をうつしだしているといえよう。赤と橙と黒の構成のなかに、小さな白と、それよりいっそう小さな青のスペースが、まるでかれの情熱を押さえるかのように、おかれている。一見ぎこちない筆づかいのなかに、謎のような複雑さがかくされているのが、みるひとに感じられるだろう。この謎の感情こそ、瑛九の作品のどれにも貫かれた資質であり、この性質はかれの稚拙な筆づかいとともに、芸術家瑛九の人生に対する真摯な探求のあらわれである。まだ、ヨーロッパの前衛芸術がわが国に本格的に紹介されなかったころ、かれは時代の空気を敏感にとらえ、かれのキャンバスにそれを定着した
(『日本の名画検〕硫100選』三一書房、1956年、検8)

東京国立近代美術館_10都夫人のはにかんだ姿が印象的な《ベッドの上》。瑛九は1948年、8月31日宮崎市丸島町へ転居し、9月谷口都と一緒になることから、本作は瑛九と都が同居をはじめたばかりの作品であることがわかる。大谷氏によると、本作の寄贈者日比野夫美子氏は、山田光春の助手として働いていた人物であり、彼女が『瑛九 作品と評伝』(1976年)の完成を都に報告しに行ったところ本作を譲り受けた。都夫人がずっと大事に持っていた特別な作品を、日比野氏に譲渡されたことは、彼女にとって最高の感謝のしるしであったと想像する。


東京国立近代美術館_11前回紹介したように《旅人》は、第1回東京国際版画ビエンナーレ展の出品作である。


東京国立近代美術館_12_晩年の油彩画3点。右手前から《れいめい》(1957年、油彩・キャンバス、80.3×65.2、左下に「Q.Ei 1957」)、《午後(虫の不在)》(1958年、油彩・キャンバス、130.0×162.5cm、左下に「Q.Ei 1958」、《青の中の丸》(1958年、油彩・キャンバス、90.9×116.7、右下に「Q.Ei 1958」)


展覧会のまとめとして、大谷氏が以前から調査されてきたコラージュ《レアル》(1937年、コラージュ・紙、31.8×26.2、右下に「Q.Ei/37」)について書かれている図録の内容をご紹介したい。

大谷氏は、山田光春旧蔵の書簡の中で、批評家が目の前の作品を観ずに、ただ同類の作家に当てはめる安価な見方をしていることを瑛九が痛烈に批判していると指摘し、次の瑛九の言葉を引用している。

「現代がいかに現実の語りにくい時代であるかといふことはもう充分だ。現実を充分に語りにくい現実が現実なので、現実がかたりにくい時代だからと云って、現実を安価に理解して公式的にかたづけて現実を見失つてゐることと現実とは断じて同一ではない筈である」(瑛九「現実について」『アトリヱ』14巻6号、1937年6月p.73)

この瑛九の言葉を受けて大谷氏は、以下のように結論づけている。

現実を理解するとは、どのようにしたら可能なのか。私たちは現実を理解したつもりでいて、実は既成概念の枠にものごとを押し込めて、安易に理解したつもりになっているだけなのではないか。瑛九はそうした問いを、これらの作品によって私たちに突きつけているように思われる。本当に「レアル」なものは、生半可な理性によって、捉えられるものではありえない。それは常に、理性の光の届かない闇の中で、手探りで探し求めなければならないものではないか。だとするならば、これらのコラージュはやはり闇のような暗黒の台紙の上で展開させなければならなかった
(大谷省吾、「闇の中で『レアル』をさがす―山田光春旧蔵資料から読み解く1935‐1937年の瑛九」[本展図録pp.15‐16])

「レアル」なものを表現するための方法として、先に技法材料を選択したわけではなかったということが、大谷氏の指摘から伺い知ることが出来る。読み返すと、理性では捉えきれない「レアル」なものを手探りで探した結果「コラージュ」となった。全身全霊で作品づくりに集中している彼を有名美術家と比較するのは確かにナンセンスである。

当時の絵描きや批評家と瑛九は、「視座」からして異なっていたのだろう。目の前にあるモチーフや出来事を見て写すのではなく、師事する先生の技術を見て写すものでもない。瑛九は、目に見えるものだけではなく、もっと深い人間の真に迫るところに意識を集中し、表現しようと試みていた。このような「視座」の違いに気付いたからこそ、青年瑛九は画壇との距離感が分からなくなった。

本展では、瑛九が、憤りや悲しみ、虚しさ、苦痛、希望などさまざまな感情を抱えていたことを作品や書簡等で確認することができた。山田光春は、このような率直に感情をあらわにする瑛九の様子をつぶさに掬い取ろうとしている。また、熱心に耳を傾ける山田であるからこそ、瑛九は心を開いてすべてを打ち明けていたのだろう。

最後に繰り返しになってしまうが、瑛九の活動からよみ取った大谷氏の言葉を自戒の念を込めて以下に抜粋する。

「私たちは現実を理解したつもりでいて、実は既成概念の枠にものごとを押し込めて、安易に理解したつもりになっている」(本展図録p.16)

忙しなく過ごす私たちは、面倒なことは大枠で捉えて、小さな物事を丁寧に見たり、考えたりしていないのではないだろうか。大枠で捉えたことに果たして意味があるのだろうか。今一度「レアル」なものを注視する勇気を持ちたいと思った。

***

<展覧会関連情報 々岷蕾(要旨)>
演題:「書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九」
講師:大谷省吾学芸員 / 日時:12月17日14時から
この日に行われた講演会には、瑛九の関係者や他館の学芸員が集まっていた。以前の取材の段階からおっしゃっていたが、瑛九には専門家をはじめディープなファンが多いため「マニアック」な話になるということであった。たしかに、かなりの数の固有名詞が登場し、凝縮された内容であった。この場で講演内容を少し紹介したい。

はじめに瑛九の生い立ちや家族の紹介をし、今回扱っている作品や資料群について説明があった。瑛九と山田光春が出会ったのは、1934年秋のこと。瑛九の甥が通う宮崎県の妻の学校で山田が教員をしていたことで接点を持った。平日は学校で土日しか対面できなかったころから、しだいに二人は書簡で情報交換するようになったという。同館の所蔵となった書簡はこのうちの117通。本展で展示された書簡(葉書含む)は10通で、図録には1935〜1937年の3年間に書かれた58通が収録されている。本資料群の調査をすることで、瑛九の野心や悩み、あるいは、当時の雑誌ではわからなかった前衛美術の活動について明らかになってくるという。

講演会では、書簡の中に出てくる作品や当時の雑誌などについて、写真や図版を用いて細かな解説が加えられた。ひとつひとつ挙げるとあと3回ブログの枠が必要になるため割愛させていただくが、以下3つの内容について注目したい。

1935年から36年の芸術家デビューを果たす頃のこと。中央美術展で展示された作品を観に意気揚々と上京した杉田秀夫(瑛九)の心の内が綴られた35年の書簡。また、36年の書簡に隠されていたフォト・デッサン集『眠りの理由』誕生秘話およびこれの発売に合わせて初個展を開いた銀座紀伊國屋画廊のこと。当時、どのような傾向の人物が画廊に出入りしていたのかを紹介された。

▲侫ト・デッサン集『眠りの理由』は、未だ謎の多い作品であること。まず、10点1組が揃っている所蔵先が実に少ないということ。公共機関では、横浜美術館・国会図書館(状態悪)・東京国立近代美術館のみ。ただし、フォト・デッサンの天地や順番は、すべて異なるという指摘があった。なお、大谷氏はフォト・デッサンの裏面に唯一鉛筆でタイトルが記されたときの忘れもののコレクションと西村楽器店(宮崎)で開かれた目録を頼りに作品の天地や順序をつけたとの報告があった。

1936年3月9日の書簡について。これは、瑛九が山田に「豫定表」と題し、芸術家としてどのような活動を展開してゆくかをひとことふたこと箇条書きにしているものである。大谷氏はこれに1時間かけて解説された。例えば、「土浦といふ日本で最も新しいけんちく家と共に新しい仕事をする。住むためのキカイとしての住宅とむすびつく我々の作品――壁写真」という一文。「土浦」は、建築家土浦亀城のことであり、彼は紀伊國屋画廊の内装を手掛けていることもあり、こちらの方面から話が出ていたのではないかという報告であった。なお、瀧口修造と映画をつくる予定は実現せず、その他に長谷川三郎との新しき同人展の予定などいくつかは実現するものの、本人が想定していたことよりも大きなものにならなかったのかもしれない。その後の瑛九は、すっかり意気消沈してしまう。

大谷氏は講演会の最後に次のことを付け加えた。いくつかの美術館に収蔵されている瑛九の作品や資料について、総覧できるような仕組み(データベース)を作ることや史料の細かな読み解きをする必要があるということ、これが実現したら瑛九ばかりでなく当時の美術団体の活動状況が見えてくる。確かに、講演会で扱われた書簡に書かれた名前を辿るだけでも、いま明らかになっている交友関係の幅よりももっと広かったのではないかと想像させるものだった。いち瑛九ファンとして、今後の進展を期待したい。
以上、1月7日にも同様の講演会が行われるため、詳しく知りたい方は、ぜひ足をお運びいただきたい。


<展覧会関連情報◆―蠡∈酩陛検
瑛九の関連作品が東京国立近代美術館の4階にまとめて展示してあると伺って、作品を確認しに行きました。

【4階‐5室】
東京国立近代美術館_13右手前から福沢一郎《牛》(1936年、油彩・キャンバス)、三岸好太郎《雲の上を飛ぶ蝶》1934年、油彩・キャンバス、北脇昇《最も静かなる時》(1937年、油彩・キャンバス)


東京国立近代美術館_14右から吉原治良《作品2》(c.1934年、油彩・キャンバス)、吉原治良《朝顔と土蔵》(c.1931-34年、油彩・キャンバス)、古賀春江《そこに在る》1933年(水彩・鉛筆・紙)、古賀春江《楽しき饗宴》(1933年、水彩・鉛筆・紙)
12月17日に行われた講演会では、瑛九が山田に「古賀春江ついでがあったらおかりしたい」(杉田秀夫より山田光春あて書簡、1936年1月20日、図録p.128)と画集を借りていることを指摘された。その他にも、吉原治良、福沢一郎などの名前が書簡に記載されている。瑛九は自分の殻に籠らず、同時代の画家の活動は一様にチェックしていたようだ。


東京国立近代美術館_15右からオノサト・トシノブ(小野里利信)《黒白の丸》(1940年、油彩・キャンバス)、村井正誠《URBAIN》(1937年、油彩・キャンバス)、長谷川三郎《アブストラクション》(1936年、油彩・キャンバス)、岡本太郎《コントルポアン》(1935/54年、油彩・キャンバス)


【3階‐7室】
東京国立近代美術館_16河原温《浴室》シリーズ1〜28(1953‐54年、鉛筆・紙)、河原温《孕んだ女》(1954年、油彩・キャンバス)、河原温《DEC. 14, 1966》(1966年、アクリリック・キャンバス)、河原温《Date Painting》(1994年、アクリリック・キャンバス)、河原温《Date Painting》(1994年、アクリリック・キャンバス)、河原温《Date Painting》(1994年、アクリリック・キャンバス)
「浴室」シリーズと「date painting(日付絵画)」が展示された部屋。2014年作者の河原温の生きた記録に終止符が打たれた。昨年行われたグッゲンハイム美術館の展示準備中だったようだ。生きながらにして世界で注目される美術館で個展開催が実現した河原温だが、20歳の頃は、瑛九の浦和のアトリエに通っていた。瑛九に論破されて苦しんだ河原温の渾身の作が「浴室シリーズ」である。


瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
休館:月曜(1/2、1/9は開館)、年末年始(12 /28 〜 2017 年1/1)、1/10(火)
時間:10:00〜17:00(金曜・土曜は10:00〜20:00)
主催:東京国立近代美術館

<講演会のお知らせ>
大谷省吾氏(同館美術課長・本展企画者)
「書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九」
2017 年 1 月 7 日[土]14:00-15:30
場所:講堂(地下1階)
※開場は開演30分前、申込不要、聴講無料、先着140名

***

ちょっと寄道....

東京国立近代美術館の近くに近代資料や美術品が展示されていることをご存知だろうか。別館の工芸館ではなく、「遊就館」と「昭和館」のことである。科学技術館と日本武道館を挟んだ先に同館はある。

じつは、瑛九の展示タイトルにある「闇の中」という言葉に、瑛九の個人的な悩みからくる「闇」と、戦争の色が濃くなってゆく社会の「闇」の二種が混在しているのではないかと思った。それは、瑛九が不眠症に悩まされている頃の次の書簡に見て取れる。

戦争は生きのこるものを作る。その點生活のドラマテックなしようちようである。
死をおそれないといふことがはじめて生きのこることにてんくわされる。生きおゝせなかつた人と生きのこるものとのビミメウさはまつたく不思議であろうが、作品のゆう劣はそれと同一なのではなからうか。

(瑛九より山田光春あて書簡1937年9月、図録p.144)

瑛九は、人として、あるいは芸術家として生き残ることが出来るか否かという瀬戸際に立たされている、不安や恐怖心を山田に打ち明けている。この頃の美術家については、戦争と隣あわせの生活を送っていたということも、頭の傍らで常に意識して作品を鑑賞したい。

東京国立近代美術館_17こちらは昭和館。「ぬりかべ」のような建物。1階は戦中・戦後のニュース映画を上映するシアタースペースと資料公開コーナー。4階は図書室。当時の貴重な雑誌などを検索・閲覧できる。5階は映像・音響室。文展や二科展の会場のようすを伝える映像もあった。


東京国立近代美術館_186・7階は常設展示室(大人300円)。昭和10年頃から昭和30年頃までの生活のようす伝える資料等が展示されている。エレベータで7階昇ると、突然、国会議事堂前の焼け野原(昭和20年5月25日空襲によるもの)が目の前に広がる。じつは、トリックアートで飾られた演出で、2015年のお正月明けに公開になったという。


展示室には、いくつか興味深い展示資料があった。そのなかでも2点だけ紹介したい。まず金10円と通し番号がつけられた日本万国博覧会の回数入場券(12枚綴り)。まるで株券のように大きく、細かな装飾が加えられている。また、「灯火管制」の解説が視覚的に理解しやすいものであった。瑛九の書簡でも灯火管制の記述が出てくるので以下に抜粋する。

もう太陽は上つたらしいが、晝もあま戸をあけない。毎晩トウ火くわんせいで、いつまでやらせるのかムキヱンキだとかいつてゐる奴もある。(瑛九より山田光春あて書簡1937年10月10日、図録p.145‐146)

瑛九はこの書簡の終わりにドストエフスキー『地下室(地下室の手記)』を読んでいることを山田に告げ、本書の主人公と自分を重ねている。瑛九は、精神的にも肉体的にも「闇の中」を経験していた。この真っ暗闇のなかで、瑛九は色彩の魅力に非常に惹かれていると山田に告げることになる(同年11月11日書簡)。この頃に制作していたのが《赤の中の小さな白》である。

東京国立近代美術館_19靖国神社の参道脇に広がる黄金色の絨毯。


東京国立近代美術館_20編⊃声匐内にある「遊就館」。武具、美術品、遺品等を約10万点収蔵し、特に近代史ゾーンの資料点数の多さは圧巻である。とくに千人針や遺影(一万柱)の展示の前では胸の詰まる思いがした。


東京国立近代美術館_211階玄関ホールには、零式艦上戦闘機(零戦)や機関車、加農砲が展示されている。会場に入ると、子供連れの家族や団体客、外国人観光客で賑わっていた。


東京国立近代美術館_223人の幼い子を持つ未亡人の逞しい姿を現している宮本隆《母の像》。編⊃声劼了夏擦箒内には、奉納された彫刻が数多く存在する。入口のゲートを抜け、エスカレーターで2階に昇ると日名子実三《兵士の像》もある。日名子実三の代表作といえば宮崎の平和台公園にある《平和の塔(八紘之基柱)》。かつて私も瑛九ゆかりの地を巡りながら、足を伸ばしたことがあった。


瑛九は1931年の徴兵検査で不合格となり、戦地に赴くことはなかったが、同館の所蔵にもある一部の美術家は、このような「現実」と向き合って作品を制作していた。

会場:昭和館
休館:月曜日 ※ただし、祝日または振替休日の場合開館、翌日休館。年末年始(12月28日から1月4日)
時間:10:00〜17:30(入館は17時まで)

会場:編⊃声辧〕圭館
休館:年中無休 ※6月末・12月末(26‐31日)臨時休業
時間:9:00〜16:30 
※元日24:00〜16:30/みたままつり期間中(7月13‐16日)、9:00〜21:00

本ブログの記事を作成するにあたって、東京国立近代美術館学芸員の大谷省吾氏(美術課長)、遊就館の鈴木亜莉紗氏(展示史料課 録事)、昭和館の菊池理恵氏(広報課)に取材の協力を得ました。貴重なお時間を割いていただき、この場を借りて深く感謝を申し上げたい。
なかむら まき


本日の瑛九情報!は上掲、中村茉貴さんの近美のレポートです。
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展は東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

●ときの忘れものは2016年12月28日(水)〜2017年1月16日(月)まで冬季休廊です。
いつもより長い冬休みですが、お正月早々、ART STAGE SINGAPORE 2017に出展するためです。
ブログは執筆者の皆さんのおかげで年中無休、年末年始も連日新鮮な情報、エッセイをお届けします。
メールやネットでのお問合せ、ご注文には1月6日より通常通り対応いたします(日曜、月曜、祝日は除く)。

◆銀座のギャラリーせいほうで開催される「石山修武・六角鬼丈 二人展―遠い記憶の形―」には、ときの忘れものの新作エディションが発表されます。
会期:2017年1月10日[火]〜1月21日[土]*日・祝日休廊
201701_ISHIYAMA-ROKKAKU
主催/会場:ギャラリーせいほう
協力:ときの忘れもの
●オープニングパーティー
1月10日(火)17:00〜19:00
ぜひお出かけください。


◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は毎月14日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

「Ei Q 1935-1937: Seeking the "Real" in the Dark」英文レポート

こんにちは。
読者の皆様、はじめまして。
英文ブログ担当の勝見と申します。
11月27日に東京国立近代美術館の英九展を訪ねました。
残念ながら…アメリカ育ちの私はまだレポートを書く日本語力はありません。
本日の記事では英語で感想を少し書きました。

--

On November 27th I visited the Ei Q exhibition at the MoMAT. It was an auxiliary exhibition held in their smaller second-floor gallery. Despite it being a Sunday, there were only a handful of visitors.

IMG_9708



The wall space was split between photo dessins from “Reasons for Sleep”, the “Real” collage series, and especially abstract sketch dessins, with table displays holding catalogues and letters between Ei Q and Yamada Koshun. There was also something of an Ei Q digest room containing various works throughout his life, including oil works and pointillist pieces.

The photo-dessins he's known best for were displayed along the right wall.

IMG_0463



One of Ei Q's aims through this series of works was to portray the real reality - a reality beyond the misunderstood, “stereotyped” reality in his present day. Beyond that, he was grasping for the expression of a new reality that made sense in the new machine civilization of the 1930s.

He writes,
“What I am seeking is a pictorial representation of the mechanism formed amidst the twentieth-century intricacy of machinery. The light in the cold black skin of a car or the artificial light and shade that get bewilderingly entangled on the streets at night are flowers that have blossomed in our machine culture. Therefore, I believe that the beauty we perceive with our eyes needs to adapt to that sensibility and there has to be a field of painting that represents such aspects. Consequently, I sought means of a new expression in photosensitive paper, which captures the principle of light, that is to say, the most subtle secret of light.”

qei_nemuri-cover"Reason of Sleep" cover
1936



However, the contemporary critics were too focused on the novelty of the method itself to understand what he was trying to express. Though they lauded his breaking of technical barriers, his exploration of a new kind of beauty and the evolution of reality went unnoticed. This drove Ei Q to a depression that can be seen in the letters he shared with Yamada.

“The reality is that it is hard to fully discuss reality in reality. We live in an era in which it is difficult to talk about reality. However, that definitely should not mean that cheaply understanding reality, stereotyping it, and losing sight of it is equal to the reality,” he wrote.

How do you articulate that real reality? To me, the reality which Ei Q describes is a concept that lies beyond entanglements. Nothing we see can be perceived as reality because everything we see passes through an instant, unconscious system of interpretation.

qei17-026From "Reason of Sleep"
1986



On the back wall was the series titled “Real”. These are collages of shapes and images, many laid on a black mat. Is this the state of reality? - the uncanny discomfort of recognizing something totally unknown - the cloying anxiety of failing to recognize something somewhat familiar. Abstraction lacks meaning, but our minds naturally scramble to find one.

qei_itamashiki"Bearing Face"
1937



The subjects in “Real” loom up out of the darkness. The photo dessins and other works also dance out of reach of concrete form - surreal expressions of undefined things.

The exhibit displays many of Ei Q’s representative works, as well as letters between him and Yamada which expressed his depression and state of mind over the years. Considering those, and several rare catalogues and booklets, it is a valuable resource for researchers of Ei Q and Japanese contemporary art. For me, an outsider to the art world, it was an interesting experience in terms of concepts and aesthetics.

* individual images of the works are from the gallery's own archive

英文ブログ
tokinowasuremono.tumblr.com

かつみ みお

*画廊亭主敬白
本日の瑛九情報!は新人スタッフ勝見美生によるレポートです。
亭主が待ち望んだ<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日〜2017年2月12日)。外野応援団として<会期終了まで瑛九について毎日発信します>と宣言したのはいいのですが、いくら瑛九=命の亭主でも毎日毎日新たなネタを探すのは骨が折れる。
中村茉貴さんのレポートはもちろんですが、今回はスタッフ全員にもレポート提出を厳命しました。おかげで日本語の苦手な新人スタッフは四苦八苦、上掲のような英文でのレポートとなりました。どうぞ寛容の心でお読みください。

本年の営業は本日で終了します。
明日12月28日(水)〜2017年1月16日(月)まで冬季休廊です。
いつもより長い冬休みですが、お正月早々、ART STAGE SINGAPORE 2017に出展するためです。
また銀座のギャラリーせいほうで開催される「石山修武・六角鬼丈 二人展ー遠い記憶の形ー」(2017年1月10日〜1月21日)に企画協力しています。
ブログは執筆者の皆さんのおかげで年中無休、年末年始も連日新鮮な情報、エッセイをお届けします。
メールやネットでのお問合せ、ご注文には通常通り対応いたします(日・月・祝日を除く)。

「2016年を送る〜画廊コレクション展」は本日が最終日です。
201612_collection画廊コレクションから7人の作家のそれぞれ大きな作品を一点ずつご覧いただきます。
出品作家:秋葉シスイ野口琢郎光嶋裕介永井桃子小野隆生関根伸夫瑛九

中村茉貴〜東京国立近代美術館「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」11月22日〜2017年2月12日

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第12回 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館
「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」


今回、瑛九の作品を求めて訪れた先は、東京国立近代美術館。実は、出身地の宮崎や後半生を過ごした埼玉のみならず、ここ東京でも瑛九の作品は大事にされてきた。

東京国立近代美術館_01東京国立近代美術館。ファインダーをのぞくと瑛九の点描を思わせる鮮やかな葉が飛び込んできた。


これまで、所蔵作品展を含めた企画もの約40本に瑛九の作品が展示され、近年では学芸員大谷省吾氏が本展にかんする論文2本を館報に掲載している。これについては、後に触れることにして、展覧会の内容に入りたい。

「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」展は、2Fギャラリー4で開催されている。ほぼ初公開となっている作品や史料は、瑛九の仕事の中でもたいへん重要な位置を占めている時代のものである。

展示は、次の通り4部構成となっている。会場は、1935年から37年の活動に焦点を当てた第1〜3章のコーナーとエピローグとして瑛九の作品を総覧するコーナーの2つに分かれている。本展を取材するにあたって、展示を企画された学芸員大谷氏が展示会場を案内してくださった。

第1章 1935年(24歳)…「瑛九」以前の杉田秀夫
第2章 1936年(25歳)… 杉田秀夫が「瑛九」となるとき―『眠りの理由』前後
第3章 1937年(26歳)… ほんとうの「レアル」をもとめて― 第 1 回自由美術家協会展への出品前後
エピローグ …その後の瑛九と山田光春


山田光春(1912-1981)は、瑛九と若い時分から付き合いのあった人物であり、『瑛九―評伝と作品』(青龍洞、1976年)の著者である。本書を執筆するために、山田は関係者への情報提供を求め、さらには各地に点在していた油彩画の調査を自らの足で行った。収集された山田の資料は、主に愛知県美術館(第10回「美術館に瑛九を観に行く」参照)で保管され、中核を成す一部の資料群が東京国立近代美術館に収まったのである。

<東京国立近代美術館に収蔵された山田光春旧蔵資料>
フォト・デッサン『眠りの理由』10点組1セット、その他 12点
コラージュ 10点
ペンによるドローイング 42点
油彩 3点
スケッチブック 1冊
掛軸 1本
色紙 8点
書簡(瑛九から山田宛て117通、その他170通)
記録写真
印刷物(瑛九関係の書簡、展覧会図録、チラシ、ポスター、雑誌、新聞など)
山田光春作 ガラス絵 2点
(大谷省吾「闇の中で「レアル」をさがす――山田光春旧蔵資料から読み解く1935‐1937年の瑛九」p.7)


なぜ、東京国立近代美術館に本資料群が収蔵されたのか、大谷氏に経緯を伺うと次のようなことであった。2011年に行われた「瑛九 生誕100年記念展」を機に話が進み、山田光春のご遺族から2012年に本資料群を譲り受けたということであった。

新収蔵になった作品を常設展会場にただ並べたわけではなく、大谷氏は、瑛九の個人展として確立させ、さらに、通常のコレクション展ではほとんど作ることの無い図録を制作された。図録の予算を確保するためには、ポスターや展覧会オリジナルのチケットの費用を図録に当てたようだ。

図録の内容もたいへん充実している。特に巻末では、公にできる範囲で書簡の全文が掲載されている。翻刻は、山田光春のご子息山田光一氏が行い、大谷氏が校閲と注釈を担当している。今回のように、ご遺族が納得する形で作品等を受け入れ、ご遺族の意志をそのまま汲み取って公開できたことは、稀な事例だと思う。

東京国立近代美術館_02壁には《二人》(1935年、油彩・厚紙、40.8×32.1)が掛けられている。赤い服を着た女性が体をくねらせ、首を傾げている。どこか妖艶な雰囲気が漂う。ケース内には、山田光春に宛てた杉田秀夫(瑛九)の葉書が展示されている。


東京国立近代美術館_03右は「ふるさと社十月展 目録」(1935年)、左は「ふるさと社十一月展 目録」(1935年)。「ふるさと社」は杉田秀夫企画のグループ展で、毎月西村楽器店(宮崎市)で開かれていた。会場使用料は無料。十月展目録の表紙は秀夫が担当していた。瑛九の仕事の中で数少ない木版画である。11月展のほうは山田光春の作である。

東京国立近代美術館_04フォト・デッサン集『眠りの理由』10点(1936年、ゼラチン・シルバー・プリント)


東京国立近代美術館_05左は、フォト・デッサン集『眠りの理由』表紙(1936年、ゼラチン・シルバー・プリント)。右は、西村楽器店で行われた「瑛九氏フォトデッサン展目録」(1936年6月12‐13日、個人蔵)。本展図録(p.102)に《眠りの理由(8)》が貼付された状態の目録が掲載されている。また、大谷氏の著書『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八‐一九五三』(国書刊行会、2016年5月、p.280)には、この目録に1936年頃に制作された『眠りの理由』1点を含む全30点のフォト・デッサンの題名を収録している。


東京国立近代美術館_06右から《フォト・デッサン》(1936年、ゼラチン・シルバー・プリント、27.6×22.9、裏面に「Q.Ei/36」)、《フォト・デッサン》(1936年、ゼラチン・シルバー・プリント、24.5×27.4、裏面に「Q.Ei/36」)


東京国立近代美術館_07右から《フォト・デッサン》(1936年頃、ゼラチン・シルバー・プリント、22.8×27.8)、《フォト・デッサン》(1936年頃、ゼラチン・シルバー・プリント、27.7×22.7)、《フォト・デッサン》(1936年頃、ゼラチン・シルバー・プリント、22.7×27.5)
右側と中央のフォト・デッサンには人物のシルエットが写り込んでいる。『眠りの理由』の試作だろうか。


東京国立近代美術館_08瑛九より山田光春あて書簡[便箋4枚](1936年3月9日付、インク・紙、各22.2×14.4)。「マン・レイ」と比較されることに嫌気を感じていると伝えている。


東京国立近代美術館_09「前衛絵画の研究と批判」の特集が組まれた『アトリヱ』(14巻6号 、1937年6月)。瑛九のフォト・デッサンが表紙を飾っている。


東京国立近代美術館_10右から《レアル》(1937年、コラージュ・紙、31.8×26.2、右下に「Q.Ei/37」)
《作品》(1937年、コラージュ・紙、41.5×30.0、裏面に「Q.Ei/37」)
大谷氏の著作物には、瑛九がシュルレアリスムに傾倒した時代のコラージュについて言及している。「死」や「性」が現れている作品の持つ強いイメージについて、バタイユを例に挙げながら読み解いている。
【参照】大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド』国書刊行会、2016年、pp.262‐283 /大谷省吾「[作品研究]変容する眼 : 瑛九のフォトコラージュについて」『現代の眼』No.551、東京国立近代美術館、2005年4・5月、pp.11-13 /大谷省吾「[作品研究] 山田光春旧蔵瑛九作品および資料について」『現代の眼』No.612、東京国立近代美術館、2015年6月、pp.14‐16


東京国立近代美術館_11右から《作品》(1937年、コラージュ・紙、41.5×30.0、裏面に「Q.Ei/37」)
《作品》(1937年、コラージュ・紙、28.0×23.5、裏面に「Q.Ei/37」)


東京国立近代美術館_12右から《作品》(1937年、コラージュ・紙、28.0×23.5、裏面に「Q.Ei/37」)
《作品》(1937年頃、コラージュ・紙、28.0×23.3、裏面に「Q.Ei/37」)


東京国立近代美術館_13右から《作品》(1937年頃、コラージュ・紙、33.8×22.5、右下に「Q.Ei/37」)
《作品》(1937年頃、コラージュ・紙、41.3×29.5、右下に「QEi」)


東京国立近代美術館_14右上《デッサン》(1936年、インク・紙、34.0×34.6)
右下《デッサン》(1936年、インク・紙、34.5×33.9、右下に「QEi」)
左上《デッサン》(1936年、インク・紙、34.5×33.9、右下に「QEi」)
本作は三岸好太郎の貝殻を想起させる。ときの忘れものにも、大きな貝殻が描かれたデッサンを取り扱っている。
【参考】《作品》紙・鉛筆、10.4×8.0
http://www.tokinowasuremono.com/artist-a06-eiq/qei_127.html
左下《デッサン》(1936年、インク・紙、34.5×33.9)


東京国立近代美術館_15こちらも1936年に制作されたデッサン7点。先ほどのデッサン群とは異なり、具体的なフォルムはなく、非定型のイメージが続く。オートマティスムを実践していたことがわかる作品である。


東京国立近代美術館_16《デッサン》(1936年、インク・紙、28.9×24.2)
こちらのデッサンには、「Q.Ei/36.3.28」の表記がある。「瑛九」を名乗りはじめたばかりのサインであるため、よく目にするサインと若干違いが見受けられる。


今回とりあつかう場所は、第1〜3章までとし、次回はエピローグを中心に紹介したい。試作を含めた本作品群は、1935〜37年という短い期間の断片ではあるが、芸術家として駆け出したころで、まるで原石のようにクリアで、なおかつ屈折した異様な光を放っている。

***

ちょっと寄道....

取材を終えた後、東京国立近代美術館のアートライブラリに立ち寄った。というのは、生前の瑛九が国立近代美術館(京橋)に出品した展覧会を確認したいと思った為である。瑛九が東京の美術館でどのように紹介され、これらのことが彼の活動にどのような影響を持ったのか、改めて資料から読み取りたい。

瑛九が出品されている展覧会を近美のアーカイブで辿ることができる。40件あるうち、東京(旧京橋・竹橋)の会場のものに着目し、中でも気になったタイトルを以下に挙げておく。
【参照先: 東京国立近代美術館 本館・工芸館企画展出品作家総索引(和・欧)検索―出品展覧会情報】http://www.momat.go.jp/AI/name_detail.php?%20id=%2002404

【タイトル】現代写真展:日本とアメリカ
【会  期】1953年8月29日 〜 1953年10月4日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】夜の子供達(1951年、フォト・デッサン)
※本作は、後に発行された図録で「作者寄贈」であること確認した。
             
【タイトル】抽象と幻想:非写実絵画をどう理解するか
【会  期】1953年12月1日 〜 1954年1月20 日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】たそがれ(エッチング)
※『瑛九・銅版画SCALE機戮房録されている《鍵A》と同じ版か

東京国立近代美術館_17
【タイトル】第1回東京国際版画ビエンナーレ展
【会  期】1957年6月15日 〜 1957年7月14日
【会  場】国立近代美術館(京橋) / 読売会館
【出 品 作】旅人(1957年、リトグラフ) / 日曜日(1957年、リトグラフ)
「デモクラート美術家協会」(2016年12月10日「ときの忘れもの」ブログ参照)が解散する切っ掛けになった展覧会。本展で入賞した泉茂にたいして瑛九は面白くなかったのではという関係者もいるが、改めて山田の著書を見返すと次のようなことが書かれている。

デモクラート美術家協会が発足して7年を経て、会員の状況が大きく変化していた。まず、主力メンバーであった人物が大阪から東京に移り、そのうちの何名かは、このころ既に退会していた。会員数は全盛期40数名であったが、28名にまで落ち込んでいた。そして、展覧会最終日7月14日に行われたデモクラートの総会で、瑛九は次のように発言していたことを山田が綴っている。

「このように仲間の多くが国際的な舞台で活躍するようになった今となっては、われわれのデモクラート美術家協会の存立の意味も理由も薄らいだのだから、これを機会に解散しようではないか」

この解散論を受けて協議の場を東京と大阪で設けたものの、何れも参加者が少なく意見がまとまらなかった。会の存続を願うものがいたなかで、展覧会閉幕から2日後に「デモクラート美術家協会解散通知」が会員に届けられる。内容は、以下のとおりである。

デモクラート美術家協会解散通知
戦後混乱の最中、大阪で瑛九を初め数人の美術家がデモクラート美術家協会を結成しました。
――既成画壇否定の立場で――
――デモクラチックに行動し、自分達の仕事を進めてゆこう――と。
グループには運動を通して何人かが加わり、何人かが去り、前衛運動としては永すぎるほどの約八年が経過しました。加わった人も、去った人も、日本の前衛美術運動には何らかの貢献を果たしたと私達は自負いたします。
デモクラートの運動が常識となってきた今日、現会員二八名の私達は賢明に日本の既成画壇がたどった道をさけようと思いますし、今後ますますデモクラチックに行動するために、ここに今まで私達を育てて下さった皆様方に感謝をこめてデモクラート美術家協会を解散することをお知らせします。
一九五七年七月一六日   デモクラート美術家協会

(『瑛九 評伝と作品』p.419)

以上のように東京の美術館で開催された国際展に参加したことが、「デモクラート美術家協会」ないし瑛九にとって、大きな節目となった展覧会であったことを重く受け止めたい。

【タイトル】抽象絵画の展開
【会  期】1958年6月7日 〜 1958年7月13日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】赤の中の小さな白(1937年頃、油彩) / 『眠りの理由』(1936年、フォト・デッサン) / レアル(1937年、コラージュ)

【タイトル】超現実絵画の展開
【会  期】1960年4月1日 〜 1960年4月24日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】『眠りの理由』(1936年、フォト・デッサン) / 赤の中の小さな白(1937年頃、油彩)
周知の通り、「超現実(主義)絵画」は「シュルレアリスム」と同義である。

東京国立近代美術館_18
【タイトル】「四人の作家:菱田春草 瑛九 上阪雅人 高村光太郎」
【会  期】1960年4月28日 〜 1960年6月5日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】労働(1947年頃、油彩)/駄々っ子(1954年、油彩)/月(1957年、油彩)/黄(1959年、油彩)/道のプロフィル(1953年、エッチング)/作品A(1937年、コラージュ)/かぎ(1954年、フォト・デッサン)/日曜日(1957年、リトグラフ)/他、約50点※図版がある作品のみ抜粋
瑛九が亡くなったのは1960年3月10日のことで、本展がはじまる1カ月ほど前のことである。当時の館報には、瑛九と関係の深かった人物である都夫人とオノサト・トシノブが寄稿している。オノサトは、瑛九がギリギリまで準備していた兜屋画廊の「瑛九油絵個展」(2月23〜28日)を手伝っていることから、本展についてもオノサトの協力を得ていた可能性が高い。
【関連資料】杉田都(談)「瑛九のこと」、オノサト・トシノブ「瑛九の芸術」『現代の眼』No.66 、1960年5月、p.5


東京国立近代美術館_19
【タイトル】戦後日本美術の展開:抽象表現の多様化
【会  期】1973年6月12日 〜 1973年7月29日
【会  場】東京国立近代美術館
【出 品 作】赤い輪(1954年、油彩)/午後(虫の不在)(1958年、油彩)
本展図録の表紙には、《午後(虫の不在)》が使用されている。

東京国立近代美術館_20
【タイトル】モダニズムの光跡:恩地孝四郎 椎原治 瑛九
【会  期】1997年2月11日 〜 1997年3月29日
【会  場】東京国立近代美術館 フィルムセンター
【出 品 作】フォト・デッサン(1936年、28.4×23.8)/デッサン6(1935年、鉛筆・紙
23.5×28.0)/フォト・デッサン その1(『眠りの理由』1936年)/フォト・デッサン その5(『眠りの理由』1936年)/題名不詳[フォト・デッサン](27.3×21.8、東京都写真美術館蔵)/フォト・デッサン その2(1936年、30.3×25.3)/フォト・デッサン その3(1936年、30.3×25.3)/赤の中の小さな白(1937年頃、油彩・キャンバス)/レアル(1936年、コラージュ)/作品D(1937年、コラージュ)/デッサン8(1936年、グァッシュ・紙、23.4×27.8)/デッサン1(1935年、コンテ・紙、27.4×22.3)

【タイトル】ばらばらになった身体
【会  期】2006年8月5日 〜 2006年10月15日
【会  場】東京国立近代美術館
【出 品 作】作品C(1937年、コラージュ)/無題(1937年、コラージュ)/レアル(1937年、コラージュ)/笑えぬ事実(1937年、コラージュ)
※検索結果に無いため補足

東京国立近代美術館_21
『近代日本美術の名作 : 東京国立近代美術館 ギャラリー・ガイド』東京国立近代美術館、1997年
ガイドブックの表紙に瑛九の《れいめい》(1957年、油彩)が使用されていることもあった。
【参考:瑛九について13】 http://www.tokinowasuremono.com/nv05-essay/essay_eikyuni/eikyuni02.html

本ブログの記事を作成するにあたって、東京国立近代美術館学芸員の大谷省吾氏(美術課長)に取材の協力を得ました。貴重なお時間を割いていただき、この場を借りて深く感謝を申し上げたい。
なかむら まき

●展覧会のご案内
瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
休館:月曜(1/2、1/9は開館)、年末年始(12 /28 〜 2017 年1/1)、1/10(火)
時間:10:00〜17:00(金曜・土曜は10:00〜20:00)
主催:東京国立近代美術館

瑛九とは何者か?
瑛九(えいきゅう、本名:杉田秀夫、1911−1960)は1936年にフォト・デッサン集『眠りの理由』で鮮烈なデビューを飾り、その後さまざまな技法を駆使しながら独自のイメージを探求した芸術家です。
当館は近年、彼の評伝を著した友人の画家、山田光春の旧蔵していた作品と資料を収蔵しました。
本展は、その中から約50点の初公開作品、書簡などの関連資料に加え、以前から所蔵している作品もまじえて、「レアル(リアル)」を求めて苦闘するデビュー前後の瑛九の実像を紹介します。(東京国立近代美術館HPより転載)

<講演会のお知らせ>
大谷省吾(当館美術課長・本展企画者)
「書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九」
2016 年 12 月17 日(土)14:00-15:30
2017 年 1 月 7 日(土)14:00-15:30
場所:講堂(地下1階)
※開場は開演30分前、申込不要、聴講無料、先着140名

20161122瑛九展チラシ20161122瑛九展チラシ 中

*画廊亭主敬白
本日の瑛九情報は本丸の竹橋からです。
上掲の中村茉貴さんによる「美術館に瑛九を観に行く」連載も12回目を迎えました。満を持して東京国立近代美術館に参上し、新たに収蔵されたコレクションをじっくりと見てきたようです。中村さんには4回分のチケットを渡しているので、レポートはまだまだ続きます(乞うご期待)。
ときの忘れもので開催中の「2016年を送る〜画廊コレクション展」にも瑛九の小品を展示していますが、昨日は随分と遠くからのお客様に楽しんでいただきました。先ず早朝にはイギリスからのお客様、午後には南米から一時帰国のMさんが久しぶりに来廊、ついで東京からはるか西方の某美術館の学芸員さんがわざわざ瑛九を見に道に迷いながら訪ねてきてくださいました。「近美は行かれましたか」と尋ねると「先ずこちらに伺いました」と嬉しいお言葉。土曜日まで滞在し、大谷省吾先生の講演会に参加されるとのことでした。
ときの忘れもの
blogランキング

ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
ときの忘れもの
ホームページはこちら
Archives
Categories
最新コメント
記事検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ