河原温

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第23回

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第23回

埼玉県立近代美術館「モダンアート再訪 ダリ、ウォーホルから草間彌生まで 福岡市美術館コレクション展」

今回の訪問先は、福岡市美術館のコレクションが展示されている埼玉県立近代美術館。記憶に新しい現代版画センターの「版画の景色」展の熱がまだ冷めやらぬ会場に、再び熱を帯びた作品が並べられていた。16,000点余りの福岡市美術館のコレクションの中でも、1930年代から2000年代初頭に制作された70点の作品が選出された。展示構成は、「第1章 夢の中からだ」「第2章 不章 不穏な身体」「第3章 身体と物質―九州派・具体・アンフォルメル」「第4章 転用されるイメージ―ポップ・アートとその周辺」「第5章 イメージの消失―抽象と事物」「第6章 再来するイメージ」の6本立てであり、昭和戦前期から戦後のアートの流れを俯瞰してみることができる。出品された作品は、シュルレアリスム、ルポルタージュ絵画、具体、九州派、アンフォルメル、抽象表現主義、ミニマル・アート、ハプニング、ネオ・ダダ、ポップ・アート、グラフィティ・アート、ニュー・ペインティングなどで名を馳せた作家でかためられ、教科書が作れるくらいに充実していることがわかる。その中には、作家の代表作のひとつに数えることが出来る作品も含まれ、誰もが一目みて、目を輝かせてしまうような作品に出会える。

今回、取材にご協力いただいた埼玉県立近代美術館の学芸員吉岡知子氏によると、福岡市美術館は、2016年から2019年のあいだ大幅なリニューアルで改修工事を実施するために休館中で、その間、コレクションの一部を日本各地で公開することになったようである。

埼玉県立近代美術館01埼玉県立近代美術館がある北浦和公園入口。平日にもかかわらず、園内には、新緑を浴びる人たちが集まっていた。


埼玉県立近代美術館02会場に入ると、フジタ、シャガール、ミロ、デルヴォ―、ダリの作品が見える。向かって左側にある三岸好太郎《海と斜光》では、画面に収まりきっていない女性像(断片)が表現されている。瑛九は、三岸好太郎の亡き後、アトリエに訪問したことがあり、好太郎のデッサン約二十枚を自作のデッサンと交換している。宿を転々としていたころに部屋に貼りだして眺めていたようだが、久保貞次郎に2点預けた他は、散逸したようである。恐らく、一部の作品は、生活に困ってお金に換えたのではないかと想像する。(『瑛九―評伝と作品』)


埼玉県立近代美術館03河原温《孕んだ女(下図)》は、「浴室」シリーズのエスキースである。瑛九の妻都によると、河原温は瑛九に議論で勝つことが出来ず、部屋の片隅で泣いていた頃、この「浴室」シリーズが出来たという。(『版画芸術』No.112)


埼玉県立近代美術館04九州派のコーナー。菊畑の著書によると九州派のメンバーは、コールタールを煮やして、黒々としたそれを画面に塗布している。(『反芸術綺談』)
盛り上がった黒光りする物体をみると、まるで狂言「附子」の猛毒を想起させるような、はたまた「千と千尋の神隠し」に登場するカオナシのような不気味さがある。写真図版では見られない作品のマチエールを会場でぜひ確認して欲しい。


埼玉県立近代美術館05菊畑茂久馬《葬送曲No.2》部分。赤い顔をした幼児のイメージが反復して画面を覆い尽くす。


埼玉県立近代美術館06九州派の作品は、時代と共に行方不明になっていたが、黒ダライ児による調査がはじまり(『肉体のアナーキズム』)、その後、福岡市美術館で1988年から定期的に九州派の展覧会が企画され、2015年に行われた九州派展では、300頁を超す研究成果が『九州派大全』というかたちとなった。

埼玉県立近代美術館07マーク・トビー《収穫》、アントニ・タピエス《絵画No.XX察


埼玉県立近代美術館08具体美術協会の吉原治良田中敦子白髪一雄の作品が並ぶコーナー。

埼玉県立近代美術館09風倉匠《ピアノ狂詩曲6-97.P3》、パフォーマンスで使用された鞭と記録映像があるコーナー。映像では、鞭で打たれたグランドピアノがゴーン、ボーン、ビロンと唸っていた。高価なモノを痛めつけている異様な光景に、鑑賞者は釘付けとなって、しばらくその場を離れることが出来なくなっていた。


埼玉県立近代美術館10菊畑茂久馬《ルーレットNo.1》。菊畑は、南画廊で制作費の援助を受け、アトリエについては1963年に田中繁一、1964年に浅川邦夫から借りて「ルーレット」シリーズを制作している。九州派は破天荒な活動を次々に展開し、周囲からは「何を見せてくれるのか」という好奇な目で見られていたに違いない。


ところで、福岡市美術館のコレクション形成はどのように行われてきたのか。本展の図録には、以下のような記述が見受けられた。

(1)近代の西日本出身者や関係の深い作家の絵画・彫刻・工芸作品を系統的に収集し、合わせて各種の関係美術資料を収集する。
(2)近代美術の流れを展望できる内外のすぐれた作品を系統的に収集する。
(3)西日本に関係の深い近世以前の作品を収集する。

以上、このような方針でコレクションが形成されていることから、九州(宮崎県)の出身者である瑛九の作品は、(1)西日本出身者として収蔵の対象とされている。

埼玉県立近代美術館11瑛九《丸2》1958年、油彩・画布
本作は「第5章 イメージの消失―抽象と事物」の中で紹介されている。具象的な表現が見られた油絵から一転して、点描法に至る少し前の作品である。膨張色(進出色)である暖色系と収縮色(後退色)である寒色系を画面上で効果的にちりばめている。


埼玉県立近代美術館12《丸2》のサイン部分。左下に「Q Ei 1958」とある。近付いてみると、キャンバス地が見えるほど薄塗であることがわかる。瑛九は、複雑に混色をし、実験的に絵筆を置いているが、画面は濁らず、むしろ透明感が備わっている。瑛九は一部の美術評論家から「色彩家」と称されるほど、色遣いに長けた人物であった。


ところで、瑛九(杉田秀夫)の上京時と九州派の菊畑茂久馬の上京時の様子が時代は隔たるが若干重なるところがあった。両者とも、とっておきの新作(爆弾)を抱えて、東京に向かったことを紹介しておきたい。
瑛九は、1936年1月、古賀春江の作品に触発されてから、フミタ写真館で大量のフォトグラムを数週間で作り上げる。2月7日には、約百点のフォト・デッサンと、描きためていたペンデッサンをスーツケースにつめて、門司行の夜行列車に乗ったという。
一方の菊畑茂久馬は、1961年4月12日から国立近代美術館で行われる「現代美術の実験展」に《奴隷系図》を出品するために上京している。福岡中の銀行を回ってかき集めた十万円分の五円玉を丸太に貼り付け、五万円くらいになった袋を担いで夜行列車に乗ったという。
九州男児ならではの気質なのだろうか。両者とも次々と新しい表現に取り組み、周りを驚かせていた。

埼玉県立近代美術館13アンディ・ウォーホル《エルヴィス》、草間彌生《夏(1)》《夏(2)》


埼玉県立近代美術館14タイガー立石《大停電’66》、柳幸典《二つの中国》。蟻が巣を作る能力を利用して作られた、ユニークでメッセージ性の強い柳の作品。


埼玉県立近代美術館15ルイ・カーヌ、クロード・ヴィアラ、ジグマール・ポルケの作品があるコーナー。吉岡学芸員は、とにかく作品の大きさに驚いたという。2mを超す作品はざらにあり、中には3mを超える作品も展示されている。

埼玉県立近代美術館16マーク・ロスコ、桑山忠明、フランク・ステラの作品。国内外の作品が同じ空間に並べられているが、それほど違和感がない。


埼玉県立近代美術館17辰野登恵子、大竹伸朗の作品。両者とも海外のアートシーンを彩る巨匠たちに見劣りすることなく、展示室で異彩を放っていた。


埼玉県立近代美術館18リサ・ミルロイ、バスキア、やなぎみわ、金村修の作品が展示されているコーナー。


本展を通してみると、1979年に美術館が開館して以来、継続的に収集されていることが分かる。市立ではあるが、西日本および国内外の重要な作品を体系的に収集するための作品購入資金が継続的に確保されているようである。どこの美術館博物館でも作品購入資金は、無いものと頭にあったために非常に驚いた。また、コレクションの形成に挙げられている収集の三本柱に(1)のように、地元(西日本含む)の作品を積極的に収集していること、またそれと併せて「各種の関係美術資料」も収集の対象となっていることにも注目したい。先にも挙げたように、近年行われた九州派の展覧会図録『九州派大全』では、作品ばかりでなく、資料編の方もたいへん充実している。例えば、機関誌、案内状、ビラ、音声の記録のほか、美術評論などが収録されている。

なお、もうひとつ目を見張ったのは、アメリカ絵画の主要作家が網羅されていることである。1982年に開館した埼玉県立近代美術館では、印象派、エコール・ド・パリのコレクションが厚みをもってコレクションされているが、福岡市美術館では、1979年に開館したにもかかわらず、戦後のアメリカ絵画を早い段階から収蔵していることが分かる。吉岡学芸員は、一歩も二歩も歩みを進めている福岡市美術館について「先見の明がある」と評していた。

本展企画者のひとり尾崎信一郎(鳥取県立博物館副館長兼美術振興課長)の論考を見ると、第二次世界大戦の前後で強調されはじめた「身体」の表現に着目し、次のように語っている「表象される対象から表象する主体へ、作家たちの関心は表現された内容、描かれた身体ではなく、表現の形式、すなわち描く身体へとむけられているのだ。作家の行為が強調される時、行為を受肉する絵画の物質性への関心も深められた。」(本展図録「モダンアート再訪」)

確かに本展の作品を鑑賞していると、「身体」の存在や表現された行為の跡(物質性)が視界に入り、視覚からその作品のマチエールが皮膚感覚として受取ることになる。例えば、三岸好太郎の全身が見えない女性像、河原温のバラバラになった身体表現、白髪一雄の足で描かれた絵画、瑛九の油絵では大小さまざまな色彩の異なる「丸」のイメージを変容させることで現れてくるイリュージョンなど。よりリアルな表現形式を追い求めていくことで、作家個人(集団)による感覚は研ぎ澄まされていき、「小さな物語り」が紡ぎ出されるほどの個性的な表現となる。

福岡市美術館は、短いスパンで変化するモダンアートの動向を見逃さずに作品を収集することが出来ている。コレクションの豊かさを考えた時に、やはり政令指定都市になった時期が関係しているのではないかと思う。福岡市は1972年4月1日に政令指定都市に制定されており、これは全国で札幌や川崎と並ぶ7番目という速さである。1956年9月1日の1番手に並ぶ横浜、名古屋、京都、大阪をみると認めざるを得ないだろう。どこも大コレクションを持つ美術館を保有する都市である。美術のコレクション数と人の豊かさが比例するとは言い切れないが、大コレクションの公開は、多くの人の目を愉しませることのできるパワーを持っているということを、改めて認識させられた展覧会であった。

***

ちょっと寄道…


今回の展示では、福岡市美術館所蔵の大コレクションの中で瑛九の作品は1点のみの出品であった。しかし、『福岡市美術館所蔵品目録 日本作家・海外作家』(1979年)を開くと、瑛九の作品、特にフォト・デッサンを多数所蔵されていることがわかる。

油彩1点
水彩14点
インク7点
コンテ1点
エッチング(後刷り含む)73点
フォト・デッサン45点
リトグラフ15点 
全156点

埼玉県立近代美術館19こちらは、福岡市美術館で1982年2月2日 〜2月28日に行われた「フォトグラム展」の図録。瑛九、マン・レイ、モホリ=ナギ、山口正城の作品が一堂に会した。瑛九の作品は、《コンストラクション》《プレリュード》《自転車》を含むフォト・デッサン18点が展示された。
なお、それ以前の1978年9月12日〜9月21日には、福岡市アートギャラリーを会場にした「瑛九フォト・デッサン展」が福岡市美術館協会により行われた。1979年に美術館が開館する一年前に展覧会を開いて実績を重ねていたのである。




福岡市美術館のコレクションを取材するに当たり、九州に思いを馳せていた頃であった。4月5日に鈴木素直氏がお亡くなりになった。故人は高校生の時に瑛九からエスペラント語を学び、後には「宮崎瑛九の会」事務局長として瑛九の顕彰に生涯をささげた方である。盲・小・中学校教師・詩人・日本野鳥の会宮崎県支部長などを歴任していた。

埼玉県立近代美術館202011年宮崎県訪問時に案内していただいた一ツ葉の海岸付近。瑛九の自宅から一番近い海であり、初期の海辺の絵はここからの眺めだと教えていただいた。真夏の海辺に足を踏み入れると、靴の底がみるみる熱くなるのを感じた。フライパンのように熱い砂地に目を落として、その先に雑草が根をはっていることを不思議に思っていると、帽子をかぶっていなかった私に「コウモリはあるか」と心配して声を掛けていただいた。私はカバンに入れていた携帯用の日傘を慌てて開いて、するすると先を歩く鈴木氏の後を追ったのを鮮明に覚えている。瑛九が生活していた頃には無かったという漁港の加工場に伺うと、地元の方から冷えたジュースをごちそうになった。


埼玉県立近代美術館21瑛九が眠る杉田家の墓を訪れたときの写真。埃をはらって、花を供えて、一緒に手を合わせた。病気をする前のまだまだ若々しい姿の鈴木素直氏である。


埼玉県立近代美術館222018年1月に宮崎へ訪問した時に案内していただいた宮崎小学校。瑛九と鈴木氏の母校である。この時は、「遺影にするから写真を撮って欲しい。姉に送りたいから」と歯を見せて笑っていた。


鈴木素直氏には、2度も瑛九ゆかりの地を案内していただいた。瑛九が県外から来た人に案内していたという大淀川の河川敷の場所。遠くに見える霧島連峰の方角。瑛九が大の字になって寝転がっていたという交差点など、鈴木氏は間近で見ていた瑛九の姿を矢継ぎ早に思い出しては語って聞かせてくれた。

宮崎で鈴木氏と食事をご一緒していた時、多くの人に話しかけられている様子を目の当たりにした。人望が厚く、気さくで親しみやすいことが滲み出ているような人であった。
誠に残念ですが、ご冥福をお祈りいたします。
なかむら まき

●展覧会のご紹介
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「モダンアート再訪 福岡市美術館コレクション展」
会期:2018年4月7日[土]〜5月20日[日]
会場:埼玉県立近代美術館
時間:10:00〜17:30(入場は17:00まで)
休館:月曜(但し4月30日は開館)

20世紀美術は様々な美術運動の消長の歴史ととらえることができます。印象派に始まり、エコール・ド・パリ、シュルレアリスムから一連の抽象画にいたる流れは主にヨーロッパで育まれ、広い意味でモダンアートと呼ばれています。
そして第二次大戦後、モダンアートの舞台はヨーロッパからアメリカに移り、巨大な抽象絵画やポップアートといった新たな成果を生み出しました。日本でもこれらの動向に呼応する作品が制作される一方、明らかにそこから逸脱する作品も生み出されました。明治以降、日本において欧米の美術がいかに受容され、いかなる変容を遂げたかという問題は日本の近代美術史を論じるにあたって興味深い主題です。
1979年に開館した福岡市美術館は近現代美術と古美術を二つの柱とする16,000点に及ぶコレクションによって知られています。2019年のリニューアルオープンに向けて、美術館が大規模な改修工事に入ったことを得難い機会として、この展覧会では福岡市美術館が所蔵する近現代美術のコレクションによって、モダンアートの歴史をあらためてたどりたいと考えます。
ダリやウォーホルから草間彌生まで、ヨーロッパとアメリカ、そして日本のモダンアートを代表する優品70点あまりの魅力をお楽しみ下さい。
埼玉県立近代美術館HPより転載)

出品作家:赤瀬川原平/アルマン/アンディ・ウォーホル/アントニ・タピエス/イヴ・クライン/池田龍雄/石橋泰幸/瑛九/榎倉康二/海老原喜之助/大竹伸朗/オチオサム/尾花成春/風倉匠/金村修/河原温/菊畑茂久馬/草間彌生/工藤哲巳/クロード・ヴィアラ/桑山忠明/桜井孝身/サルバドール・ダリ/篠原有司男/ジグマール・ポルケ/嶋本昭三/ジャン・デュビュッフェ/ジャン・フォートリエ/ジャン=ミシェル・バスキア/ジョアン・ミロ/白髪一雄/タイガー立石/辰野登恵子/田中敦子/田部光子/中村宏/野見山暁治/原口典之/藤野一友/フランク・ステラ/ポール・デルヴォ―/マーク・トビー/マーク・ロスコ/松谷武判/マルク・シャガール/三岸好太郎/向井修二/元永定正/リサ・ミルロイ/ルイ・カーヌ/ルチオ・フォンタナ/ロイ・リキテンシュタイン/ロバート・ラウシェンバーグ/山崎直秀/レオナール・フジタ(藤田嗣治)/やなぎみわ/柳幸典/山内重太郎/横尾忠則/吉原治良

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18〜24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第9回

杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」

第9回 スイス木工所


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今回はスイスの木工所を見ていこうと思います。

第三回のエッセイで紹介したヴェネチアビエンナーレも終わり、再び会場であるArsenalへ向かい撤収作業を行いました。ズントー事務所はそこでLACMAプロジェクトを展示しましたが、それを解体して美術館へ搬送するためです。 設置する際はプロの手によって組み立てられましたが、今回は大きな模型以外は事務所からやって来た自分たち3人で解体する必要があるため、どのように行うのが一番安全で効率的なのか確認も含め発注先であったRuWaという木工所へ向かいました。


日本では、少なくとも僕の年代で周りを見渡して考えると、建設現場で働く大工や左官、板金職人というのは中学高校卒と同時に会社に入って親方に師事して職人になるというのが一般的であったように思います。一方でスイスやドイツの教育システムでは日本でいうところの小学校を卒業した後に普通高等学校へ進むのとは別に、職業訓練学校へ進んで成る道が一般的です。もちろん職人と言っても建設業に限らず様々で、コックや美容師、自動車工、銀行員など多岐に渡ります。彼らは二、三年学校へ行く傍ら仕事をしながら学んでいき卒業と同時に職人となります。(と言っても分野によってはこの卒業証明がなければその仕事ができないという縛りではなく、肩書きのようなものらしいです)
僕たちの事務所でも常に2人の職業訓練学校生が学んでおり、彼らは三年間勉強しHochbauzeichnerいわゆる設計ドラフトマンとなります。
木工関係の仕事では、大工Zimmermann、木工職人Schreiner、カット職人Säger、模型職人Modellbauerなどに細かく分かれています。それでも同じような機械を使い仕事としては部分的に重なっているため、自分が学んだ分野以外のところで仕事をしている人も珍しくありません。
Workflow としては仕入れた丸太をカット職人が大まかに角材とし、大工が無垢のままもしくは集成材にした材木を寸法通りに製材し、必要であれば現場で組み立てる。木工職人は扉から机、バスタブまでの幅広い家具を作り、また巨大で精密なCNCマシンで行う作業を受け持つ職人もいます。訪れた木工所では木造住宅の設計、一部施行施工も受注する比較的大きな規模とシステムを持つ創立80年以上の会社で従業員は全部で35人程度、カット職人、事務員が数名、木工職人と大工が大半でした。展示した全長5mほどの大きな模型を発注した別の製作所Modellbauは比べて小さな会社であったため、当然ながら1人が行う作業の幅は増えていました。


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始めに見せてもらったのは、大きな木材を切断する機械。僕は恥ずかしながら、木材を垂直に立て掛けて切断する機械を見たのは初めてだったので戸惑いましたが、なるほどスペースを有効に使える良いアイデアです。これは大きめの木材を主に短手方向にカットする際に用います。


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続いてこれは木材を長手方向にカットする機械。デジタルのメモリが付いていましたが、実際に精度を出すには十分でないようで、平削盤を使って精度ある仕上げをしていきます。


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木材を綺麗にスライスする機械。まずは下面を水平にしてから、その後別の機械でもう片方を削ります。紹介していると枚挙に遑がないのですが、4面を同時に鉋がけできる機械や巨大なCNCカッターなどもあります。木工所内で加工している範囲では、クラフトマン的手作業と言うよりはむしろ機械の制御とメインテナンスが重視されているように感じました。


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続いて併設されている家具工房へ。こちらは手工業的です。雑然としているようで、モノがきちんと使いやすいところにある。どこへ行っても良い職人さんは身の回りをいつも綺麗にし、工具を大切に扱い、それらが機能的に整頓されている印象があります。フィジカルな仕事であるほど疲れやすくなるため、頭の中が整理されていないとすぐに間違った方向へ作業が進んでしまいがちです。それは事務所内でモデルを作製する時にも度々起こってしまいます。。。


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場所を変えて木材の保管場所へ。この一帯もとても良い香りがします。こうして山に囲まれた場所でその土地で取れる木々(スプルースFichte、カラマツLärche、スイスマツArve)で建材や家具を作る。とても素直で健康的な仕事です。


ズントー建築のクオリティーを保っているのはこうした職人たちです。腕の良い職人を探し一緒に仕事をすることは、良い建築を作る必要条件。今回少し紹介した木工所、職人は氷山の一角で、例えばいつも名指しして依頼する溶接工の職人がいます。彼はヴァルスの温泉施設から新アトリエまで20年以上仕事をしており、オルジアティ(Valerio Olgiati)やデプラツェス(Bearth & Deplazes )らの建築現場にいつも現れます。そうした人材を探し当て、作り手と供にモノ(建築)を発展させていく能力も建築家としての職能だと強く感じています。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
1984年生まれ。日本大学高宮研究室で建築を学び、2008年東京藝術大学大学院北川原研究室に入学。
在学中にETH Zurichに留学し大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりスイスにて研修。 2015年からアトリエ ピーターズントー アンド パートナー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。

本日の瑛九情報!
〜〜〜
1951年瑛九泉茂らによって大阪で結成された「デモクラート美術家協会」は既存の美術団体を批判し、翌年加藤正らその運動を東京に広げ、以後大阪と東京そして瑛九の郷里宮崎を拠点にさまざまな活動を展開します。「デモクラート」とはエスペラント語で「民主主義者」の意。エスペラントを学んでいた瑛九の命名です。
瑛九がかつて住んだ埼玉県浦和の埼玉県立近代美術館では 1999.8.21(土)-10月11日(月)「デモクラート1951〜1957」展が開催され、瑛九の周辺に集まった作家たちを回顧しました。
その出品作家の名前を挙げてみましょう。

靉嘔、池田満寿夫、泉茂、磯辺行久、井山忠行、岩宮武二、内田耕平、内間俊子、内海柳子、瑛九、織田繁、オノサトトモコ、加藤正、河野徹、河原温、郡司盛男、杉村恒、高井義博、棚橋紫水、津志本貞、鶴岡弘康、利根山光人、早川良雄、春口光義、船井裕、古家玲子、細江英公、幹英生、森啓、森泰、山城隆一、山中嘉一、吉田利次、吉原英雄

瑛九は徒党を組むことを嫌い、学校や組織になじむことの苦手な人だったようですが、彼のもとには多くの若者たちがあつまりました。
浦和の瑛九アトリエに集まった若者たちの中に、河原温がおり、細江英公がおり、まだ学生だった磯崎新もいました。
河原温「印刷絵画」_01_全体河原温
印刷絵画 「いれずみ」

1959年以前
73.0×51.0cm
*『美術手帖』臨時増刊No.155(1959年3月)107Pに図版掲載
〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。

色彩と空間展・南画廊ポスター「戦後の前衛美術‘50〜‘70 Part 掘米札)」より

開催中の「戦後の前衛美術‘50〜‘70 Part S氏&Y氏コレクション(入札)」の入札締切りは明日夕方17時です。
珍しい写真集やポスターも出品していますが、もう少し詳しく説明せよとのリクエストがあったので、再掲載します。
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CIMG8997 のコピー
ロットNo.2 荒木経惟
『センチメンタルな旅』オリジナル本

1971年
写真集(109頁)
24.0×24.0×0.7cm
1000部限定

1971年に私家版として限定千部刊行された幻の写真集。奥付もなく、表紙には「1000部限定 特価1000円」とあり、裏表紙には荒木経惟・陽子の当時の住所まで手書き文字で記載(印刷)されています。表紙にやや汚れがあり。残念なことにテキストのペラ丁はありません。
荒木経惟 Nobuyoshi ARAKI(1940-)
1959年千葉大学写真印刷工学科に入学。1963年カメラマンとして電通に入社(72年退社)。1964年写真集「さっちん」にて第1回太陽賞受賞。1968年同じく電通に勤務していた青木陽子と出会い、1971年結婚。1981年有限会社アラーキー設立。1988年AaR Room設立。1990年妻・陽子が他界。翌年写真集『センチメンタルな旅・冬の旅』を新潮社より出版。「アラーキー」の愛称とともに多彩な活躍を続け、『遺作 空2』『チロ愛死』『道』他、膨大な数の写真集を刊行。海外での評価も高く、90年代以降世界で最も注目を集めるアーティストの一人となる。
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CIMG9006 のコピーロットNo.5 石内都
『YOKOSUKA STORY』

出版社:写真通信社
1979年
写真集(106頁)
23.5×29.0×1.2cm

この写真集『YOKOSUKA STORY』(1979年)も荒木経惟『センチメンタルな旅』と同じく、今回の目玉作品。写真ファン垂涎のまと。石内さんが育った街の空気、気配、記憶をとらえた初期三部作のひとつで、石内写真の原点です。本体の状態は良好ですが、腰巻きには汚れ破れがあります。
■石内 都 Miyako ISHIUCHI(1947- )
群馬県生まれ。神奈川県横須賀市で育つ。多摩美術大学デザイン科織コース専攻中退。
1978年最初の写真集『絶唱・横須賀ストーリー』を刊行(写真通信社)。1979年写真集「APARTMENT」および写真展「アパート」にて第4回木村伊兵衛賞受賞。1999年第15回東川賞国内作家賞、第11回写真の会賞受賞。2006年日本写真協会賞作家賞受賞。2009年毎日芸術賞受賞。2013年紫綬褒章受章。
同じ年生まれの女性の手と足をクローズアップした『1・9・4・7』以降、身体の傷跡を撮ったシリーズを展開。2005年母の遺品を撮影した『Mother's 2000-2005 未来の刻印』で第51回ヴェネチア・ビエンナーレの日本代表に選出され世界的に注目を集める。2007年より現在まで続く、原爆で亡くなった人々の遺品を撮影した『ひろしま』も国際的に評価され、近年は国内外の美術館やギャラリーで個展を多数開催。2012年には、大正・昭和に流行した着物・銘仙を撮った『絹の夢』を発表、2014年には子どもの着物を撮り下ろした『幼き衣へ』を発表するなど、皮膚や衣類と時間とのかかわりをテーマにした写真を精力的に撮り続けている。2014年日本人としては濱谷浩、杉本博司に次いで3人目の「写真界のノーベル賞」と言われるハッセルブラッド国際写真賞受賞。2015年J・ポール・ゲティ美術館(ロサンゼルス)の個展「Postwar Shadows」では『ひろしま』がアメリカの美術館で初公開され、大きな反響を呼んだ。
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CIMG8991 のコピーロットNo.10 オノ・ヨーコ
Yoko ONO『Grapefruit』(1970年版)

書籍(275頁)
14.0×14.5×2.5cm

Yoko ONO『Grapefruit』
Yoko ONO『Grapefruit』Publisher's Note

■オノ・ヨーコ Yoko ONO(1933-)
銀行家小野英輔・磯子の長女として東京で生まれる。1952年、学習院大学哲学科に入学。翌年、アメリカに移住し、サラ・ローレンス大学で作曲と詩を学ぶ。1960年からニューヨークを拠点に、前衛芸術家として本格的な活動を開始。前衛芸術グループ「フルクサス」の活動に参加し、イベント、コンサート、作品展などを行なう。 66年9月には活動の拠点をロンドンに移し、同年11月に個展「未完成の絵画とオブジェ」を開催。その会場でビートルズのジョン・レノンと出会い、1969年結婚。ジョンとともに創作活動や平和活動を行う。1980年のジョンの死後も、創作活動や音楽活動などを通して「愛と平和」のメッセージを世界に向けて発信している。個展は1971年「THIS IS NOT HERE」エバーソン美術館(ニューヨーク)、1989年ホイットニー美術館(ニューヨーク)、1990年「踏み絵」草月美術館(東京)、1997年「HAVE YOU SEEN THE HORIZON LATETY?」オックスフォード近代美術館、2000年「YES YOKO ONO」ジャパン・ソサエティー(ニューヨーク)など多数開催。1993年ヴェネチア・ビエンナーレ、2001年横浜トリエンナーレに出品、2003〜2004年は日本において大規模な回顧展「YES オノ・ヨーコ展」が巡回開催された。
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CIMG8992 のコピーロットNo.13  河原温
『美術手帖』臨時増刊No.155
「絵画の技法と絵画のゆくえ」(1959年3月)

1959年3月発行
雑誌(126頁)
21.0×15.0×0.5cm
*河原温「印刷絵画 I・発想と提案 II・技術」収載。

美帖がなぜそんなに高価なの? と言われそうですが、半世紀前の臨時増刊号でしかも河原温についての最重要文献とあれば仕方ありません。
ロットNo.12として出品した河原温の「印刷絵画」について、河原自らがその発想と技法を45ページにわたって詳細に執筆しています。図版(モノクロ)も豊富に掲載されており、当時の河原の手仕事の様子がよくわかります。
■河原温 On KAWARA(1933-2014)
愛知県刈谷市生まれ。愛知県立八中学校(現愛知県立刈谷高等学校)卒業。1952年上京、新宿のコーヒー店「ブラック」で初個展を開催したが出品作品等の詳細は不明。翌年からアンデパンダン展に出品し、「浴室」「物置小屋」シリーズで時代の閉塞感を表わし注目される。デモクラートの作家たちが集まった浦和の瑛九のアトリエにも出入りし若い作家たちと交流した。後年の河原はインタビューや写真撮影に応じなくなり、自作について文章を書くこともなくなったが、1950年代には『美術手帖』『美術批評』などに寄稿し、座談会、アンケートなどにおいても盛んに発言していた。
離日直前の1959年に「印刷絵画」の制作を手掛けた。その発想と技法について『美術手帖』誌155号(1959年臨時増刊号「絵画の技法と絵画のゆくえ」)に45ページにわたって自ら解説した文章を載せている。同記事で確認できる限りでは「印刷絵画」は少なくとも3点制作されたが、あまり話題にならずに終わってしまった。今回出品する「印刷絵画」はY氏旧蔵の希少作品である。
その後、メキシコ、パリなどを経て、65年より活動の拠点をニューヨーク へと移し、1966年1月4日より「日付絵画」(デイト・ペインティング)の制作を開始する。時間、空間、意識、存在といっ たコンセプチュアルアートにおける第一人者として国際的にきわめて高い評価を受けている。後年の河原はインタビューや写真撮影に応じなくなり、自作について文章を書くこともなくなった。
渡米後の作品は、1950年代の具象的な作品群とは作風もコンセプトも全く異なるもので、「時間」や「存在」をテーマとした、観念的なものとなる。1966年から描き続けられている「日付絵画」("Today"シリーズ)は、リキテックス(画材の名称)で単一色に塗られたキャンバスに、その「絵」が制作された日の日付だけを、筆触を全く残さない職人技で丹念に「描いた」ものである。制作はその日の0時からキャンバスの下塗りを始め、起床後に黒色などで地を塗り、白で『年月日』を書き入れ、その日のうちに完成させる。完成後の保管は、その日の新聞を入れた箱におさめられている。またその日の24時までに描き終わらなければ廃棄される。
他に常に同じ"I am still alive."という文面の電報を世界各地から発信するシリーズ、過去と未来それぞれ百万年の年号をタイプした「One Million Years」、絵葉書にその日河原が起床した時刻だけを記して特定の相手に郵送する「I Got Up」など、いくつかのシリーズがある。画家本人は1966年以降、カタログ等にも一切経歴を明らかにせず、公式の場に姿を見せず、作品について自己の言葉で語らず、1966年以降の本人の写真やインタビューなども存在しないなど、その実像は謎に包まれている。
2002年、カッセルのドクメンタでは『One Million Years』が展示されるとともに、ブースに入ったアナウンサーが5分間『One Million Years』を朗読するパフォーマンスが行われた。没後2015年にはニューヨーク、グッゲンハイム美術館で回顧展が開催された。
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CIMG9011 のコピーロットNo.55
吉原治良 他
『具体』4号

出版:具体編集委員会
1956年7月1日発行
機関紙(34頁)
24.2×26.0×0.3cm

具体」の機関誌が国際的にも高い評価を得ているのはなぜか。指導者の吉原治良が創立当初から「国際化」を目指し、機関誌に英文を併記したことがポイントでしょう。
地元芦屋で三流、東京で二流、世界で一流>の評価を得た具体の面目躍如です。
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CIMG8999 のコピーロットNo.56
吉原治良 他
『具体』8号

出版:具体編集委員会
1957年9月29日発行
機関紙(88頁)
25.0×26.5×0.6cm

この8号のセールスポイントは「ケース」付だということです。白いケースがそのまま残っている例は少ない。中身はもちろん良好です。
『具体』8号
箱と本体

吉原治良 Jiro YOSHIHARA(1905-1972)
抽象画家、および実業家。吉原製油社長。大阪の北野中学校在学中に油絵をはじめる。関西学院高等商業学部卒業。渡仏後の1928年に初個展を開き公募展などにも絵画を出展した。当初は魚を題材に描き、敬愛する藤田嗣治に作品を見てもらう機会を得るが独自性のなさを指摘され、幾何学的な抽象絵画へと徐々に転換した。1938年には東郷青児主催の二科会の抽象画家らと「九室会」を結成。戦後は吉原製油社長としての実業のかたわら絵画・デザインの発表を再開し、やがて不定形の形を激しい筆致で描いた抽象画を描き始めた。
当時、最先端の流行でもあった海外オートクチュールメゾンのファッションショーの舞台装置をプロデュースするなど時代の波にも乗る。同時に、居住していた芦屋市で若い美術家らを集めて画塾などを行っており、そこから1954年に前衛的な美術を志向する「具体美術協会」を結成しリーダーとなった。1962年には中之島にあった自分の所有する土蔵を改造して具体美術協会の本拠となるギャラリー「グタイピナコテカ」を開き、会員たちの個展を開催した。1972年67歳で死去とともに「具体」は解散した。
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CIMG8993 のコピーロットNo.57
五人組写真集編集委員会

(池田昇一、伊藤久、鈴木完侍、彦坂尚嘉、矢野直一)
『五人組写真集 REVOLUTION』
季刊第1号(1972年)
出版社:写真集編集委員会
1972年3月20日発行
写真集
29.0×21.0cm
55部限定

『五人組写真集 REVOLUTION』
奥付

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YY119_伊坂義夫_ポスターロットNo.4 伊坂義夫
JUNIER WONDERLAND

オフセット
103.0×73.0cm

■伊坂義夫 Yoshio ISAKA(1950-)
東京生まれ。本郷高校デザイン科を卒業後、1970年より作品発表をはじめ、10代を記念してギャラリーオカベで初個展「は〜い、駆け足で誘惑しちゃいなさい!」。1972年三島事件をヒントに日の丸シリーズを制作。1981岡本信治郎と「少年戦記」を合作。国内外で個展やグループ展を開催し、国際版画展などに出品。2002年切手博物館で個展。切手コラージュで人気を得、ヨシダ・ヨシエ、岡本信治郎などとの共作発表や、光学機器の制作、音楽活動など幅広い活動を展開している。
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01ロットNo.58
「色彩と空間展」南画廊ポスター
磯崎新山口勝弘、アン・トルーイット、サム・フランシス、三木富雄、田中信太郎、湯原和夫、五東衛(清水九兵衛)、東野芳明

1966年
オフセット
105.0×74.5cm

1966年9月に志水楠男の南画廊で開催された展覧会のポスター。当時36歳の新進美術評論家だった東野芳明が企画・構成したもので「空間の実体としての色彩を考え、作品とみるものとの新しい関係<環境>を作り出そうとする試み。新しい工業的素材を用いて設計図に基づいた<発注芸術>による作品>が展示された。
<環境>と<発注芸術>という新しい言葉(概念)を使用した先駆的な事例でしょう。
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CIMG8814ロットNo.59
「現代美術フェスティヴァル」ポスター・出品リスト
出品作家:フレッチャー・ベントン、クリスチャン・ボルタンスキー、ピーター・ブリューニング、エウジェニオ・カルミ、セザールとマルセル・ルフラン、ダニル、マーク・ド・ロズニー、マルチェジアンニ・エリオ、グラヴィン‐キャンベル、アラン・ジャッケ、コスタ・カラハリオス、ハンス・クットシェル、ジョセフ・コズス、ピョートル・コワルスキー、ジャン・ル・ガック、サミエル・メイティン、ジョルヴィアック・ミシェル、ルイザ・ミレール、アレックス・ムリナルチック、タニア・モーラン、ナイマン、ニコス、レブ・ヌスベルク、デニス・オッペンハイム、ジーナ・パネ、メル・ラモス、カール・フレデリック・ロイテルスワード、ミモ・ロッテラ、ジャン‐ミシェル・サヌジュアン、ジャン‐フレデリック・シュニーデル、アリーナ・スザボクズニコフ、ティム・ウルリヒ、バーナー・ヴェネット、コンスタンティン・クセナキス
荒川修作、岡本信次郎、馬場彬、三木富雄、元永定正山口勝弘、吉仲太造、村上善男、伊藤隆道、野田哲也、高松次郎、柵山龍司、池田満寿夫、若尾和呂、瀬木愼一

1970年  オフセット
発行:現代美術フェスティヴァル委員会
72.0×47.5cm

フランスの美術評論家でヌーボーレアリスム (nouveau realisme 新現実主義の提唱者ピエール・レスタニー(Pierre Restany)と日本の瀬木愼一の二人によって選ばれたヨーロッパ、アメリカ、日本の最も先鋭な48人の展覧会のポスター兼カタログ。横浜展は1970年11月3日〜11日に横浜市民ギャラリーで開催され、その後盛岡展が1970年11月29日〜12月8日に盛岡・サンビル・デパート7階特設会場で開催された。
ヌーボーレアリスムとは1960年ミラノで開かれた Y.クライン,J.ティンゲリー,F.アルマン,R.アンスら6人のグループ展の出品作にレスタニーが与えた名称。作品がいずれも再現という手段によらず、工業化された現代社会の現実に,断片的な事物をそのまま提示することで肉薄することを唱えた。
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戦後の前衛美術‘50-70 Part III S氏 & Y氏コレクション(入札)」
会期:2016年12月3日[土]―12月10日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
入札締切り:12月10日[土] 17時必着

201612
1950年代から「夜の会」など前衛美術運動に参加、国際的な視野にたって活躍したS氏と、同じく50年代から丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を携えて全国を巡回した反骨の評論家Y氏の旧蔵作品を入札方式で頒布します。
好評だったPart I及びPart IIに続き、1950〜70年代の前衛の時代を駆け抜けた作家たちの希少なコレクションです。
*下記の画像はクリックすると拡大しますが容量の関係で鮮明ではありません。より鮮明な作品画像は下記のURLにてご覧ください(クリックすると拡大します)。
http://www.tokinowasuremono.com/tenrankag/izen/tk1612/284/284_list.jpg
201612戦後の前衛〜_5000

出品予定
赤瀬川原平「零円札」、荒木経惟『センチメンタルな旅』、池田龍雄、伊坂義夫、石内都『YOKOSUKA STORY』、猪瀬辰男、入野忠芳、岩崎巴人、岡本太郎、オノ・ヨーコ Yoko ONO『Grapefruit』、小山田チカエ、河原温「印刷絵画」、絹谷幸二、俊寛(久保俊寛)、桑原盛行、小松省三、近藤竜男、斎藤義重、桜井孝身、篠原有司男、白髪一雄、勝呂忠、スズキシン一、ヌリート・マソン・関根、多賀新、高山良策、田口雅巳、谷川晃一、田淵安一、たべけんぞう、利根山光人、土橋醇、豊島弘尚、中村宏、古沢岩美、三浦久美子、水谷勇夫、緑川俊一、南桂子+浜口陽三、元永定正、横尾忠則、ヨシダ・ヨシエ、吉仲太造、吉原治良、依田邦子、K Noriko(K・ノリコ)、Eugene BRANDS(ユージーン・ブランズ)、Beatriz SANCHEZ(ベアトリス・サンチェス)、Gerard Schneider(ゲラルド・シュネーデル)、Salvador y Domenech DALI (サルヴァドール・ダリ)、Mark TOBEY(マーク・トビー)、Roberto CRIPPA(ロベルト・クリッパ)、Pierre ALECHINSKY(ピエール・アレシンスキー)、Jean TINGUELY(ジャン・ティンゲリー)、
具体』機関誌4号・8号、
五人組写真集 REVOLUTION』季刊第1号(1972年 池田昇一、伊藤久、鈴木完侍、彦坂尚嘉、矢野直一)、
色彩と空間展」南画廊ポスター1966年(磯崎新、山口勝弘、アン・トルーイット、サム・フランシス、三木富雄、田中信太郎、湯原和夫、五東衛(清水九兵衛)、東野芳明)、
現代美術フェスティバル」ポスター1970年(荒川修作、岡本信次郎、馬場彬、三木富雄、元永定正、山口勝弘、吉仲太造、村上善男、伊藤隆道、野田哲也、高松次郎、柵山龍司、池田満寿夫、若尾和呂、瀬木愼一)

本日の瑛九情報!
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たゞ一つ湯婆残りぬ室の隅  漱石

明治41年12月22日夏目漱石から瑛九の父・杉田作郎に送られた書簡に同封された俳句(短冊)です。(ただひとつたんぽのこりぬへやのすみ)
杉田直(俳号・作郎)は独学で医術開業試験に合格。東京帝国大学医局に学び、明治31年宮崎市で眼科医を開業し92歳の天寿を全うしました。若き日(東京時代)俳句結社「秋声会」同人となり、戸川残花・巌谷小波・尾崎紅葉らと親交、のち子規門の「ホトトギス」に入り、内藤鳴雪・夏目漱石・高浜虚子らと交流しました。宮崎では俳誌「つくし」を主宰。荻原井泉水の「層雲」同人となり、また宮崎俳句会を結成しました。
杉田直(俳号:作郎)と長男正臣(俳号:井蛙)はともに俳人でした。親子が集めた俳諧関係の資料類は、1985年(昭和60)宮崎県立図書館に約1万2千点にのぼる杉田文庫として寄贈されました。
杉田正臣著_600
杉田正臣著
『父/暁天/瑛九抄』
2000年
鉱脈社刊行

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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

河原温の印刷絵画〜「戦後の前衛美術‘50〜‘70 Part 掘米札)」より12番〜30番

昨日から「戦後の前衛美術‘50〜‘70 Part S氏&Y氏コレクション(入札)」が始まりました。
海外から河原温、桜井孝身、赤瀬川原平などについて問合せも多く、日本の前衛美術への関心の深さがうかがわれます。
好評だったPart I及びPart IIに続き、1950年代から「夜の会」など前衛美術運動に参加、国際的な視野にたって活躍したS氏旧蔵の作品が中心となります。
さらに今回Part 靴任郎春亡くなられたY氏旧蔵の作品群が加わりました。
Y氏は50年代から丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を携えて全国を巡回した反骨の評論家でした。
入札方法その他についてはHPをご覧ください。
全59点をブログで順次ご紹介します。

河原温「印刷絵画」_01_全体ロットNo.12 河原温
印刷絵画 「いれずみ」

1959年以前
印刷(修復あり)
73.0×51.0cm
*『美術手帖』臨時増刊No.155(1959年3月)107Pに図版掲載

日本にいたときの50年代の「浴室」シリーズ、そして渡米後の1966年1月4日から始まる「日付絵画」(デイト・ペインティング)の間には驚くほどの乖離がありますが、二つの極の間に制作されたのが「印刷絵画」でした。
「印刷絵画」の名はご存知でも実物をご覧になった人はほとんどいないでしょう。そのくらい幻の希少作品であり、今回のセールの目玉のひとつです。
後年の河原は自らの作品については沈黙を守りましたが、「印刷絵画」の時代は実に饒舌で、離日直前の1959年に「印刷絵画」を手掛けた折には、その発想と技法について『美術手帖』誌155号(1959年臨時増刊号「絵画の技法と絵画のゆくえ」)に45ページにわたって詳細な解説文を掲載しています。
今回は実物作品とともに、その『美術手帖』誌も出品しています(ロットNo.13)。
■河原温 On KAWARA(1933-2014)
愛知県刈谷市生まれ。愛知県立八中学校(現愛知県立刈谷高等学校)卒業。1952年上京、新宿のコーヒー店「ブラック」で初個展を開催したが出品作品等の詳細は不明。翌年からアンデパンダン展に出品し、「浴室」「物置小屋」シリーズで時代の閉塞感を表わし注目される。浦和の瑛九のアトリエにも出入りし、デモクラートの作家たちとも交流した。後年の河原はインタビューや写真撮影に応じなくなり、自作について文章を書くこともなくなったが、1950年代には『美術手帖』『美術批評』などに寄稿し、座談会、アンケートなどにおいても盛んに発言していた。
離日直前の1959年に「印刷絵画」の制作を手掛けた。その発想と技法について『美術手帖』誌155号(1959年臨時増刊号「絵画の技法と絵画のゆくえ」)に45ページにわたって自ら解説した文章を載せている。同記事で確認できる限りでは「印刷絵画」は少なくとも3点制作されたが、あまり話題にならずに終わってしまった。今回出品する「印刷絵画」はY氏旧蔵の希少作品である。
その後、メキシコ、パリなどを経て、65年より活動の拠点をニューヨーク へと移し、1966年1月4日より「日付絵画」(デイト・ペインティング)の制作を開始する。時間、空間、意識、存在といっ たコンセプチュアルアートにおける第一人者として国際的にきわめて高い評価を受けている。後年の河原はインタビューや写真撮影に応じなくなり、自作について文章を書くこともなくなった。
渡米後の作品は、1950年代の具象的な作品群とは作風もコンセプトも全く異なるもので、「時間」や「存在」をテーマとした、観念的なものとなる。1966年から描き続けられている「日付絵画」("Today"シリーズ)は、リキテックス(画材の名称)で単一色に塗られたキャンバスに、その「絵」が制作された日の日付だけを、筆触を全く残さない職人技で丹念に「描いた」ものである。制作はその日の0時からキャンバスの下塗りを始め、起床後に黒色などで地を塗り、白で『年月日』を書き入れ、その日のうちに完成させる。完成後の保管は、その日の新聞を入れた箱におさめられている。またその日の24時までに描き終わらなければ廃棄される。
他に常に同じ"I am still alive."という文面の電報を世界各地から発信するシリーズ、過去と未来それぞれ百万年の年号をタイプした「One Million Years」、絵葉書にその日河原が起床した時刻だけを記して特定の相手に郵送する「I Got Up」など、いくつかのシリーズがある。画家本人は1966年以降、カタログ等にも一切経歴を明らかにせず、公式の場に姿を見せず、作品について自己の言葉で語らず、1966年以降の本人の写真やインタビューなども存在しないなど、その実像は謎に包まれている。
2002年、カッセルのドクメンタでは『One Million Years』が展示されるとともに、ブースに入ったアナウンサーが5分間『One Million Years』を朗読するパフォーマンスが行われた。没後2015年にはニューヨーク、グッゲンハイム美術館で回顧展が開催された。
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CIMG8992 のコピーロットNo.13  河原温
『美術手帖』臨時増刊No.155(1959年3月)

1959年3月発行
雑誌(126頁)
21.0×15.0×0.5cm
*河原温「印刷絵画 I・発想と提案 II・技術」収載
河原温についての重要文献です。

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CIMG8969 のコピーロットNo.14 絹谷幸二
(顔)

1999年
カタログの扉に色鉛筆デッサン
(カタログは岡崎画廊出版)
21.0×29.7cm  サインあり

■絹谷幸二 Koji KINUTANI(1943-)
1943年奈良県に生まれる。1966年東京藝術大学美術学部油絵専攻卒業。
1971年イタリアへ留学、ヴェネツィアでフレスコ古典画の技法を研究する。純然とした空の青を背景に、限定された形の中に明るく躍動的な色彩で描かれた人物などが特徴とされる。日本におけるフレスコ画の第一人者であり、フレスコ古典技法をもとに、独創的な制作を展開し続ける。
作品は油彩画、フレスコ画、水彩画、壁画、彫刻、立体、版画など多岐にわたる。
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CIMG5338ロットNo.15  俊寛
ピエロ

1975年
油彩・布
53.0×18.5cm
サインあり

■俊寛 Shunkan(1941-)
広島県生まれ、本名は久保俊寛(くぼとしひろ)。修道大学卒業、人人展の会員。第37回从会で「特別陳列久保俊寛, 纐纈敏郎」。2015年被爆70年の夏、若き日を過ごした広島のギャラリー並木で個展「鬼籍のヒロシマ伝」を開催。「原爆の図」を描いた丸木位里・俊夫妻。広島平和美術展を創設した柿手春三に増田勉、下村仁一、四国五郎。被爆体験を作品に込めた殿敷侃、入野忠芳、広島市街にあった画廊「梟(ふくろう)」のオーナー志條みよ子ら縁のあった物故画家や恩人ら13人の肖像を発表した。
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CIMG8576ロットNo.16 桑原盛行
(作品名不詳)

シルクスクリーン
52.3×53.0cm
Ed.50
サインあり

■桑原盛行 Moriyuki KUWABARA(1942-)
広島県沼隈郡内海町生まれ。1967年日本大学芸術学部美術学科造形専攻卒業。在学中から、正方格子の造形的可能性を群組織によって観察する試作を始め、卒業制作でそれをまとめた『変容』で日本大学芸術学会奨励賞を受賞。1968年第12回シェル美術賞展第一席受賞。サトウ画廊で初個展。1974年南画廊で個展(1977年も)。2009年池田20世紀美術館で個展開催、《点から円へ○格子図上の旅》のテーマで回顧的展示。
日大在学中より<正方格子の造形的可能性>を追求、やがてコンパスを用い無数の円を繰り返し描き重ねる『群の光景』シリーズなどを制作。その作品はおぴただしい円を描き重ねることで、豊かな空間を生み出そうと意図している。
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YY66ロットNo.17 小松省三
(作品名不詳)

1981年
エッチング、雁皮刷り
15.0×10.0cm
Ed.20  サインあり

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CIMG8580ロットNo.18 近藤竜男
(作品名不詳)

シルクスクリーン
シート50.3×65.5cm
Ed.45  サインあり

■近藤竜男 Tatsuo KONDO(1933-)
東京生まれ。1955年東京芸術大学油絵科卒業。1961年渡米。1963年からイサム・ノグチのアシスタントを務める('69年春まで)。2001年に帰国して日本に再定住するまでの40 年間、ニューヨークを拠点に制作。その間、最先端のアメリカ美術をアーティストとして目撃し続け、その記録をニューヨーク通信として美術雑誌等に掲載した。‘60 年代当時のアメリカは、抽象表現主義が全盛だったが、その流れとは一線を画し、明快な原色を多用し、独立した複数の色調を組み合わせたミニマルアートへの類似が見られる作品を制作、一貫して緊張感のあるクールな印象の作品を、南画廊、東京画廊、ギャルリー東京ユマニテなどでの個展で発表してきた。帰国後の2002 年に練馬区立美術館で大規模な回顧展「ニューヨーク⇔東京1955-2001」を開催。
著書に「ニューヨーク現代美術1960−1988」( 新潮社) 。
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CIMG8900ロットNo.19 斎藤義重
カット

紙に墨
シートサイズ:12.0×17.7cm
サインあり

斎藤義重 Yoshishige SAITO(1904-2001)
東京生まれ。造形作家。大正から昭和初期、当時さかんに移入された ヨーロッパの前衛美術、とりわけダダと構成主義を手がかりに自身の表現を模 索。二科展にレリーフ状の作品を出品しようとしたところ絵画部・彫刻部とも に受け付けられなかったというように、戦前から既成のジャンル分けではとらえきれない作品によって異彩をはなつ。戦後、国内外からの評価が高まり多摩美術大学の斎藤教室からは関根伸夫はじめ1970年前後に登場する「もの派」を筆頭に、すぐれた現代作家が輩出した。1960年代前半に集中して取り組んだ電動ドリルで合板に点や線 を刻み絵具を塗りこめる作品では、板面を刻む行為と、その痕跡としての傷が 主題となっている。晩年は黒色に塗布された板を連結した「複合体」シリーズへと進展し、独自の構成主義的作品を制作した。97歳の長寿を全うしたが、生前から東京国立近代美術館はじめ主要美術館で幾度も回顧展が開催されている。
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CIMG5637ロットNo.20 桜井孝身
宇宙の力

1990年  油彩・布
24.0×33.5cm(F4号)
裏面にサインあり

■桜井孝身 Takami SAKURAI (1928-2016)
福岡県生まれ。1957年に福岡を拠点とする前衛美術家集団「九州派」をオチ・オサム、菊畑茂久馬らと結成。
1950年代後半から福岡市を中心にゲリラ的に華々しい活動を展開した。地方における自律的な芸術活動の先駆的存在として注目をあつめた九州派だが、そのリーダーが桜井であった。初期はアンフォルメル絵画が主であったが、次第に反芸術的オブジェ、パフォーマンスへと展開。作品は身近な素材であったアスファルトやペンキ等を画材として使用、「生活者の視点」という九州派の理念を体現した。作品を残すことを潔しとしなっかったため作品は少ない。今年2016年2月15日死去、享年88。
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CIMG8933 のコピー (2)ロットNo.21 篠原有司男
ドローイング

2005年
スケッチブックにサインペン
シートサイズ:28.7×20.0cm
サインあり

篠原有司男 Ushio SHINOHARA(1932-)
東京生まれ。本名・牛男。愛称「ギューチャン」。1952年東京芸術大学美術学部油絵科に入学、林武に師事するが中退。1960年「読売アンデパンダン展」で活躍していた吉村益信、赤瀬川原平、荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・ オルガナイザーズ」を結成。その後も「イミテーション・アート」や「花魁シ リーズ」などの作品を次々と発表。「ボクシング・ペインティング」は篠原の代名詞となるが、これはマスメディア向けのパフォーマンスであり、芸術のつ もりは毛頭なかったと、のちに赤瀬川との対談で明かしている。1969年、ロ ックフェラー三世基金の奨学金を受けて渡米し、以後ニューヨークに在住。2007年第48回毎日芸術賞を受賞。2012年、ニューヨーク州立大学ニューパルス校ドースキー美術館で初の回顧展を開催。2013年篠原有司男・乃り子夫妻の日常を綴ったドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』(監督:ザッカリー・ハインザーリング)が話題となった。
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白髪一雄_年賀6 (1)ロットNo.22 白髪一雄
暑中見舞い

1962年
葉書に水彩
14.2×10.2cm
サインあり

白髪一雄 Kazuo SHIRAGA(1924-2008)
尼崎市生まれ。1948年京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)日本画科卒業。のちに洋画に転向し、大阪市立美術研究所で油彩を学ぶ。1952年0会結成に参加。ゲンビを通じて吉原治良と出会い、1955年具体美術協会会員となる。以降、具体主要メンバーの一人として活動し、1972年の解散まで参加。1999年文部大臣から地域文化功労者表彰。1971年比叡山延暦寺で得度。文字通り「具体」を代表する作家として世界中の注目を集める。2008年没、享年83。
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CIMG8963 のコピーロットNo.23 勝呂忠
(作品)

墨、着彩
シートサイズ:31.7×40.8cm
サインあり

■勝呂忠 Tadashi SUGURO(1926-2010)
東京生まれ。1950年多摩造形芸術専門学校(現多摩美術大学)絵画科を卒業。同年、自由美術協会を退会した村井正誠、山口薫、小松義雄らによって結成されたモダンアート協会創立に参加。1961年イタリアに留学、油彩画のほかモザイク画を学ぶ。1963年帰国。渡欧前は対象を幾何学的な形の集合体として把握し、それらをいったん解体してから再構成する具象画を描いたが、渡欧後は抽象表現を試みるようになる。1973年再び渡欧。トルコ、ギリシャ、イタリア、フランス等を旅行する。1980年代初頭から様々な色調の黄土色を基調とする背景に、布で全身を覆った人物立像を想起させる幾何学的形態を平板な黒い色面で表した画風へ転じる。又、舞台美術や装幀も手がけ、 1954年から描いた早川書房刊行のポケット・ミステリーの表紙原画がある。以後、三田文学表紙(1956年〜1958年)、エラリー・クィーンズ・ミステリ・マガジン(創刊号から1965年まで)などの表紙原画を手がけ、斬新洒脱な画風で注目を集めた。
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CIMG8573ロットNo.24 スズキシン一
マリリン

1976年
ペン、水彩
シートサイズ:55.0×39.7cm
サインあり

■スズキシン一 Shinichi SUZUKI(1932-2001)
山形県酒田生まれ、本名鈴木慎一。日本大学芸術学部美術科卒業。1958年酒田・本間美術館で初個展。グループ「濁」を結成。1960年自由美術協会会員となる。1971年地球堂ギャラリーで個展(マリリン・イメージ特集)。マリリン・モンローを生涯のテーマとして描き続けた。1991年酒田の本間美術館で「スズキシン一の世界 : マリリン・ラブソング」展開催。
平成2年の1月元旦より世界最大の手漉き和紙7.10mx4.35mに100万体のマリリン・モンローを描く「マリリン曼陀羅」の制作を開始してNHKTVや民報TVに度々取り上げられ話題を呼んだ。2001年8月に亡くなるまでに97万8000体のマリリンを描き続けた。
細かく描くためドイツ製のジロット・ペンを裏返しに使い0.01ミリの線をもってモンローを描いていたが、最後の和紙への作品では毛筆を使い、紙の表面を瑪瑙で磨きながら墨で描いた。
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CIMG5371ロットNo.25 ヌリート・マソン・関根
はいしドゥドゥ はいしダダ あるいは詩人はいかに生きるか

1985年
レントゲンフィルムにコラージュ、ドローイング
43.0×35.0cm
サインあり

■ヌリート・マソン・関根 Nourit Masson SEKINE
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CIMG5426ロットNo.26 多賀新
受難告知〈掘

1997年
エッチング、雁皮刷り
22.0×18.0cm
Ed.50 サインあり

■多賀新 Shin TAGA(1946-)
北海道生まれ。銅版画家。1973年版画グランプリ展賞受賞。1983年セントラル版画大賞展受賞。 1983〜84年文化庁在外研修派遣員に選ばれアメリカ、西ドイツに滞在。日本版画協会会員。从展などに参加、内外で個展を多数 開催している。代表作に銅版画・江戸川乱歩の世界、新十二神将合体図など。近年は鉛筆画の作品にも力を入れている。
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CIMG5418ロットNo.27 高山良策
古代の方へ(対話)

1980年  油彩
45.5×53.5cm(F10号)
サインあり

■高山良策 Ryosaku TAKAYAMA(1917-1982)
山梨県生まれ。兄は日本画家の高山無双。1931年に上京し製本工場に勤めながら独学で絵を学 ぶ。1938年陸軍に徴兵され、過酷な状況下でも軍隊での生活を題材に鉛筆や水彩によるスケッチを描いた。1940年シュルレアリスム絵画を描く福沢一郎の絵画研究所で学び影響を受ける。1943年戦争中は東宝航空研究資料室に入り、国策映画の特撮用のミニチュアを製作する。多くの美術家が集まっており、山下菊二、難波田龍起らを知る。1945年戦争末期の3月「池袋モンパルナス」のアトリエつき住宅に転居。1946年山下菊二、大塚睦らと「前衛美術会」を結成。1953年映画『ひろしま』のセットデザインをてがける。以後様々な映画のセット、ミニチュア、人形制作を行う。1967年『ウルトラマン』に続いて『ウルトラセブン』にも参加し、ほとんどの怪獣の造形を担当した。晩年はシュルレアリスムに立脚した土俗的な絵画作品を描く。
肝臓癌で死の床にあったとき輸血の提供に多くの高山怪獣のファンが名乗りをあげたというエピソードがあるとおり、『ウルトラマン』などの映画の「怪獣の父」として若い世代のファンも多い。没後の2001年練馬区立美術館で「高山良策の世界展」が開催された。
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CIMG8987 のコピーロットNo.28 田口雅巳
「富士の国」

オブジェ(書簡入り)
天保150年(1980年)
ミクストメディア
25.0×22.0×6.5cm
サインあり

■田口雅巳 Masami TAGUCHI(1936-2010)
東京生まれ。1945年、平塚、ついで鵠沼に疎開。鎌倉高校在学中より作品を発表。1960年の初個展以来、生涯で100回以上の個展を開催。グループ展や海外での展覧会も多かった。洋画、日本画、立体造形、版画などを74歳で亡くなるまで精力的に発表。併行して湘南風景も描き続け、1981年より江ノ電の走る沿線風景などによる展覧会が江ノ電百貨店(現・小田急百貨店藤沢店)を舞台に2010年の追悼展まで30年にわたり毎年開催され人気を呼んだ。2002年茅ヶ崎市美術館で「プティ・サロン ゲイジュツ・ギワク 田口雅巳の『美術・解体診書』」が開催される。2008年鎌倉高校同窓の真徳寺(藤沢市西富)・吉川晴彦住職より24枚48面の襖絵(障壁画)制作の依頼をうける。没後の2012年茅ヶ崎美術館で「アノ世とコノ世と湘南と 田口雅巳カイコテン」が開催された。
著書に『しょうなん素描』(江ノ電沿線新聞社)、『しょうなん電車の旅』(ICA企画)など多数。
木箱の中にさまざまな言葉と、それらを象徴するオブジェを詰め込んだ作品も多く残した。
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CIMG8562ロットNo.29 谷川晃一
(ドローイング)

1963年  水彩
38.2×27.0cm
サインあり

谷川晃一 Koichi TANIKAWA(1938-)
東京生まれ。画家、絵本作家、美術評論家。中学2年で画家を志す。攻玉社高等学校卒業。以来さまざまな副業につきながらも独学による制作を続ける。1956年20歳で自由美術展入選。1963年読売アンデパンダン展に出品。1964年内科画廊で初個展。1968年より旺盛な批評活動を開始。1988年に伊豆高原へ転居。伊豆高原では作品にも海や樹木や鳥などの要素を加えて、「陽光礼讃」への傾向を強める。さらに自身の芸術思想の実践として 「伊豆高原アートフェスティバル」を立ち上げ、以来20年を超えて各回動員数5万人を誇る文化イベントを成功させる。著書に『アール・ポップの時代』 『毒曜日のギャラリー』『これっていいね雑貨主義』など多数。夫人は画家、エッセイストとしても名高い宮迫千鶴(1947-2008)。神奈川県立近代美術館 葉山で2017年1月15日まで「陽光礼讃 谷川晃一・宮迫千鶴展」が開催されている。
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CIMG8548ロットNo.30  田渕安一
(作品)

1990年  エッチング
35.0×32.0cm
サインあり

■田淵安一 Yasukazu TABUCHI(1921-2009)
福岡県生まれ。学徒動員で入隊し終戦を迎える。東京帝国大学文学部美術史学科でドラクロワ以降のフランス絵画を研究しつつ、新制作派協会に出品を続け、卒業後の1951年に渡仏。以後60年もの間、フランスを拠点に創作活動を続けた。当初は具象的な画風だったが、当時ヨーロッパの美術界を席捲した抽象表現主義を吸収し、厚塗りのマチエールの作品を描くようになる。西欧と日本という、異国で制作する画家として根源的なテーマを自問し続け独自の絵画世界を生み出した。2014年神奈川県立近代美術館鎌倉にて「田淵安一 知られざる世界」が開催された。
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1番から11番は12月2日のブログをご覧ください。
31番から、59番までは、6日、7日、8日、9日のブログで順次ご紹介します。

最低入札価格はHP及びブログには公開しません(あまりに廉価なので)。
入札リスト(最低価格入り)をご希望の方は、こちらから、必ず「件名(入札リスト希望)」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してお申込みください。希望者には郵送でもお送りします。

入札及び落札方法についてはHPに詳しく説明してありますので、ぜひご参加ください。
http://www.tokinowasuremono.com/tenrankag/izen/tk1612/284.html

本日の瑛九情報!
〜〜〜
めずらしく油絵の近作をまとめた瑛九の個展(兜屋画廊 2・23−28)を見て、私はふしぎな感じを抱いたものである。「ある日天井を眺めていると、フト描けないから個展でもやってみたら……という考えがうかび」展覧会をひらいたと、カタログの片隅に小さく書かれてある。昨年十一月から慢性じん炎で病臥中だという。親友の小野里利信氏がひとり会場にいた。病状は一時危なかったが、東京の病院に移ってからは愁眉をひらいたという。しかし私はこの会場にいて、作者と作品とのあいだで、なにか取り残されたような感じをどうすることもできなかった。病臥中の作者が、作品をひとりで出してやり、自分は横臥しているという気持はよくわかるようで、同時に奇異な感じがする。だが、それも瑛九らしい、とその場をつくろう気持がなかったとはいえない。そしてそれが誤解の一因なのではないか。瀧口修造【ひとつの軌跡 瑛九をいたむ】『美術手帖』1960年5月号より)〜〜〜
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日〜2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

戦後の前衛美術‘50-70 Part III S氏 & Y氏コレクション(入札)」
会期:2016年12月3日[土]―12月10日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
入札締切り:12月10日[土] 17時必着

201612
1950年代から「夜の会」など前衛美術運動に参加、国際的な視野にたって活躍したS氏と、同じく50年代から丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を携えて全国を巡回した反骨の評論家Y氏の旧蔵作品を入札方式で頒布します。
好評だったPart I及びPart IIに続き、1950〜70年代の前衛の時代を駆け抜けた作家たちの希少なコレクションです。
*下記の画像はクリックすると拡大しますが容量の関係で鮮明ではありません。より鮮明な作品画像は下記のURLにてご覧ください(クリックすると拡大します)。
http://www.tokinowasuremono.com/tenrankag/izen/tk1612/284/284_list.jpg
201612戦後の前衛〜_5000

リストはHPには公開しません
入札リスト(最低価格入り)をご希望の方は、こちらから、必ず「件名(入札リスト希望)」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してお申込みください。希望者には郵送でもお送りします。
出品予定
赤瀬川原平「零円札」、荒木経惟『センチメンタルな旅』、池田龍雄、伊坂義夫、石内都『YOKOSUKA STORY』、猪瀬辰男、入野忠芳、岩崎巴人、岡本太郎、オノ・ヨーコ Yoko ONO『Grapefruit』、小山田チカエ、河原温「印刷絵画」、絹谷幸二、俊寛(久保俊寛)、桑原盛行、小松省三、近藤竜男、斎藤義重、桜井孝身、篠原有司男、白髪一雄、勝呂忠、スズキシン一、ヌリート・マソン・関根、多賀新、高山良策、田口雅巳、谷川晃一、田淵安一、たべけんぞう、利根山光人、土橋醇、豊島弘尚、中村宏、古沢岩美、三浦久美子、水谷勇夫、緑川俊一、南桂子+浜口陽三、元永定正、横尾忠則、ヨシダ・ヨシエ、吉仲太造、吉原治良、依田邦子、K Noriko(K・ノリコ)、Eugene BRANDS(ユージーン・ブランズ)、Beatriz SANCHEZ(ベアトリス・サンチェス)、Gerard Schneider(ゲラルド・シュネーデル)、Salvador y Domenech DALI (サルヴァドール・ダリ)、Mark TOBEY(マーク・トビー)、Roberto CRIPPA(ロベルト・クリッパ)、Pierre ALECHINSKY(ピエール・アレシンスキー)、Jean TINGUELY(ジャン・ティンゲリー)、
具体』機関誌4号・8号、
五人組写真集 REVOLUTION』季刊第1号(1972年 池田昇一、伊藤久、鈴木完侍、彦坂尚嘉、矢野直一)、
色彩と空間展」南画廊ポスター1966年(磯崎新、山口勝弘、アン・トルーイット、サム・フランシス、三木富雄、田中信太郎、湯原和夫、五東衛(清水九兵衛)、東野芳明)、
現代美術フェスティバル」ポスター1970年(荒川修作、岡本信次郎、馬場彬、三木富雄、元永定正、山口勝弘、吉仲太造、村上善男、伊藤隆道、野田哲也、高松次郎、柵山龍司、池田満寿夫、若尾和呂、瀬木愼一)

スタッフSの海外ネットサーフィン No.24 「On Kawara−Silence」

スタッフSの海外ネットサーフィン No.24 「On Kawara−Silence」

SOLOMON R. GUGGENHEIM MUSEUM

 読者の皆様こんにちわ。雨が降って芯から冷えるかと思えば、上着を着ていると汗ばんでしまうほど暖かかったり、どうにも極端な天気な今日この頃、いかがお過ごしでしょうか? 季節の変り目と言うにはいささか早い気がしますが、お布団が恋しいのでもう少し寒い季節が続いて欲しいスタッフSこと新澤です。

 昨年参加したアートフェアの結果を顧みた結果、今年のときの忘れものは海外重点の活動を行うことになりました。つきましては、ときの忘れものもついにアメリカのアートフェアに進出! …する予定です。今の所有力候補は七月にニューメキシコで開催されるART Santa Feですが、何でも最寄の空港から会場まで、荒野の中を100km行く必要があるとか。色んな意味でドッキドキですね。

 と、同じアメリカ国内ということで話題に挙げさせて頂いた今後の展望は脇に置いて、今回の紹介イベントはニューヨーク、グッゲンハイム美術館より「On Kawara−Silence」です。ちなみに同じ国内とはいえ、サンタフェとニューヨーク間は車で移動すると約30時間、距離にして約3200kmあり、北海道から沖縄を含む日本の全長を超えています。デカすぎだろこの国…。

NYC - Guggenheim Museum

 グッゲンハイム美術館(Solomon R. Guggenheim Museum)はアメリカの鉱山王・ソロモン・R・グッゲンハイム(1861年 - 1949年)がビジネスの第一線から退いた後、ドイツ貴族にして画家のヒラ・ヴォン・リベイの協力のもと集めた現代アートのコレクションを収蔵し、1937年に財団として設立され、2年後の1939年に開館しました。当初はマンハッタン東54丁目24番地に位置していましたが、1949年には5番街の現在地に移りました。その後、ニューヨーク近代美術館とともに現代美術の発展普及に大きな役割を果たしてきています。現在の美術館は1943年にフランク・ロイド・ライトに建築設計が依頼され、ライトは翌年には建築設計案を作成しましたが、工事に取り掛かるまでには紆余曲折があり、創立者のグッゲンハイムは没年の1949年になってようやくライトの設計案を承認したという経緯があります。それから建物の竣工までには更に10年間の歳月を要し、完工したのは1959年、ライトの死後半年後のことでした。ここまで時間がかかった原因の一つには、この前例のない特徴的な建築物に対し、ニューヨーク市当局が建築基準法に触れる為に許可を出すのを渋った事情からともいわれています。「かたつむりの殻」とよく形容される螺旋状の構造を持つこの建物は、中央部が巨大な吹き抜けになっており、見学者はまずエレベーターで建物の最上部に上がり、螺旋状の通路の壁面に掛けられた作品を見ながら順路を進む内に自然に階下へ降りるようになっています。美術館施設の概念を根本から覆した作品として、ライトの代表作に数えられている一方で、建築自体の自己主張が大きすぎ、床が傾斜しているため鑑賞者が落ち着かず、美術品の鑑賞をさまたげるという批判もあるようです。

20150226_kawaraそれぞれの作品を制作した日付のみが描かれている河原温の「Today」シリーズ。
各カンバスは一日で仕上げられ、当日中に完成しなかった物は破棄されている。

 そんなグッゲンハイム美術館で2月6日から5月3日まで開催されているのが、「On Kawara−Silence」です。コンセプチュアルアートの巨匠・河原温のあらゆるカテゴリの作品を網羅したこの展覧会では、作品の制作日を描いた「Today」シリーズ、当日の起床時間のみをポストカードに記して発送した「I Got Up」シリーズ、自らの生存のみを電報で知らせる「I Am Still Alive」シリーズなどが、実現されなかった作家のアイデアのドローイングと合わせて展示されています。他にも、紀元前998,031から紀元後1969年、作家がこのアイディアを考えついた年、と紀元後1980年から紀元後1,001,980年、という2種類の印刷されたリストを男女のペアが読み上げ続けるインスタレーション「One Million Years Past and One Million Years Future」も毎週日、水、金の3日間、午前11時から午後5時まで開催されます。

 様々な言語の略称で描かれた無数の日付、それそのものは作家がその作品をその日に描いたという意味しか持ちませんが、例えばその作品を見た人にとってその日付が誕生日や何らかの記念日である場合、無数の作品の中でその一枚だけが個人にとって特別になります。また、日付の描かれた日、河原温はその作品を制作していた。では、それら日付絵画の描かれなかった日、河原温はどうしていたのだろう? 観客がそう考えることも作家の思惑だったとしたら、一連の絵画によって絵画の存在しない時間と空間、そして観客の思考さえ作品の一部としてしまうコンセプチュアルアートのスケールには感嘆せざるをえません。

 以下の動画はグッゲンハイム美術館の公式動画です。内容は英語ですが、今展覧会の展示風景なども見ることができますので、是非ご覧ください。



グッゲンハイム美術館公式ページ:http://www.guggenheim.org/
On Kawara—Silence紹介ページ:http://www.guggenheim.org/new-york/exhibitions/on-view/on-kawara-silence

(しんざわ ゆう)

◆ジョサイア・コンドルの設計、国の名勝に指定されている旧古河庭園・大谷美術館「石山修武銅版画展 窓の内、窓の外」が2月25日〜3月1日開催されています。
展示される新作銅版画作品はときの忘れもののエディションです。
石山修武銅版_13石山修武
13. 《自画像 1》
2014年 銅版
15.0x15.0cm
シートサイズ28.0x25.3cm
Ed.7 Signed

石山修武銅版_14石山修武
14. 《自画像 2》
2014年 銅版
15.0x15.0cm
シートサイズ28.0x25.3cm
Ed.7 Signed

石山修武銅版_15石山修武
15. 《電車の中の女》
2014年 銅版
15.0x15.0cm
シートサイズ28.0x25.3cm
Ed.7 Signed

石山修武銅版_16
16. 《マスクになった女》
2014年 銅版
15.0x15.0cm
シートサイズ28.0x25.3cm
Ed.7 Signed

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

河原温「戦後の前衛美術'50〜'70 S氏コレクションより」(入札式)その2

昨日から画廊では「戦後の前衛美術'50〜'70 S氏コレクションより(入札式)」が始まりました。あいにくの雨でしたが、入札に来られる方がたえませんでした。
ここ一週間、スタッフの大半がシンガポールに出張し、社長は体調を崩してしまい、留守番の老いぼれ亭主はてんてこ舞いです。本日(日曜)も亭主がひとりで頑張っておりますので、どうぞお出かけください。
からだは疲れているのですが、嬉しいことが続いていてちょっとゴキゲンです。
一つは病気療養中のあるお客様から久しぶりに連絡があり、入札していただきました。おからだが悪いときは買う気もおこらない、きっと順調に回復なさっているのでしょう。とても嬉しいできごとでした。
そしてもう一つはシンガポールのアートフェアでスタッフと、同行してくれた作家たちが大健闘していることです。
可愛い子には旅をさせろ、今回はフェアの申し込みから全て大番頭尾立に任せて亭主も社長も言われるまんまに、ん百万円の経費を支出しただけ、あまりプレッシャーをかけるといけないので、「ゼロでもいいから、楽しんでおいで」と笑顔で送り出したのですが、内心では魔の年末を控えハラハラしておりました。最終日の今日の結果次第ですが、どうやら無事年の瀬を迎えられそうです。

さて、留守を預かる亭主も頑張らねば。

コレクションというのはそれを集めた方の「生き方」や「好み」が自然と反映されるものですが、さすが日本美術界の大物のお一人だったS氏だけあって、いずれも「筋がいい」粒ぞろいの作品群です。
先日は入野忠芳、岩中徳次郎、因藤寿、漆原英子の作品をご紹介しましたが、本日も河原温など珍しいものを中心にご紹介します。
出品番号14 河原温 他ドローイング5点セット
未確認だった詳細が判明したので追記します(2014.12.2)
B126
河原温
1958年 紙にペン
35.8×25.5cm
Signed

B124
東俊二
1958年 紙にペン
25.5×35.8cm
Signed

B125
建畠覚造
1958年 紙にペン
35.8×25.5cm
Signed

B122
5人の寄書き(東俊二、瀬木慎一、河原温、建畠覚造、三井永一)
1958年 紙にペン
25.4×35.7cm
Signed

B123
三井永一
1958年 原稿用紙にペン
25.0×35.8cm
Signed

今まで一度も額装されたことはなく、5点ともに同じサイズの紙に同じ材料を使って描かれ、厚紙に一緒にはさんで保管されていました。1958年のある日、集まった5人がその場で描いたものでしょう。
■河原温 On KAWARA(1933-2014)
愛知県生まれ。1952年上京、翌年からアンデパンダン展に出品し、「浴室」「物置小屋」シリーズで時代の閉塞感を表わし注目される。その後、メキシコ、パリなどを経て、65年より活動の拠点をニューヨーク へと移し、1966年1月4日より「日付絵画」(デイト・ペインティング)の制作を開始する。時間、空間、意識、存在といっ たコンセプチュアルアートにおける第一人者として国際的にきわめて高い評価を受けている。後年の河原はインタビューや写真撮影に応じなくなり、自作について文章を書くこともなくなった。2015年にはニューヨーク、グッゲンハイム美術館で回顧展が予定されている。

■建畠覚造 Kakuzo TATEHATA(1919-2006)
東京生まれ。彫刻家建畠大夢の長男。1941年東京美術学校彫刻科を卒業。1953年から1955年までフランスに留学。サロン・ド・メ(Salon de Mai)などに出品。帰国後に金属を利用した幾何学的な造形を追求、50年代の日本抽象彫刻のパイオニ アとして活躍した。1959年から多摩美術大学の教授として後進を指導。純粋で端正でありながらユーモアあふれる作品は高村光太郎賞、中原悌二郎賞、ヘンリー・ムーア大賞展特別賞等、国内外の賞を多数受賞し、2005年には文化功労者として顕彰された。長男の建畠朔弥も彫刻家、次男の建畠晢は詩人・美術評論家、京都市立芸術大学学長。
tatehata
出品番号21
建畠覚造

「(作品)」
金属・立体
12.0×38.0×23.7cm
Signed

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A53
出品番号18
菅木志雄

「(作品)」
1973年 和紙・シルクスクリーン
50.5×35.5cm
Ed.50
Signed

■菅木志雄 Kishio SUGA(1944-)
岩手県生まれ。多摩美術大学油画科で学ぶ。在学中に斎藤義重と高松次郎に影響を受け、「もの派」グループの中心メンバーとなる。視角を操作する絵や立体作品の制作と同時に素材を使った《積層空間(1968)》のような作品制作を始める。1967年第11回シェル美術賞展1等賞受賞。1968年椿近代画廊で初個展。1970年第5回ジャパン・アート・フェスティバル大賞を受賞。東京都現代美術館など各地の美術館で個展を開催、海外での発表(1973年パリビエンナーレ、1986年ポンピドゥー美術館、1994年グッゲ ンハイム美術館等)も多い。夫人は詩人・小説家の富岡多恵子。
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A47
出品番号19
菅創吉

「魚洞」
1980年 ミクスドメディア(板・オブジェ)
26.7×65.6×3.0cm
Signed

■菅創吉 Sokichi SUGA(1905-1982)
兵庫県生まれ。家庭の事情から美術学校に進学できず日本画家の秋吉蘇月に師事する。20歳で上京し独学で制作を続ける。戦後、毎日新聞嘱託の画家として活動する。1963年から米国に渡り制作と発表を続け高い評価を得 る。美術団体に属さず個展を中心に日本画、油彩画、立体作品の制作、発表を続けてきた。1982年伊東の池田20世紀美術館での回顧展の会期中に死去。1996年3月NHKテレビの「日曜美術館」で放送された「菅創吉の世界」が多くの人々に強烈な印象を与え、再評価の気運が高まった。
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A28
出品番号20
高山良策

「(作品)」
1951年 鉛筆・クレヨン
27.5×38.5cm
Signed

肝臓癌で死の床にあったとき輸血の提供に多くの高山怪獣のファンが名乗りをあげたというエピソードがあるとおり、画家としてより『ウルトラマン』などの映画の「怪獣の父」としての方が有名かもしれません。
■高山良策 Ryosaku TAKAYAMA(1917-1982)
山梨県生まれ。兄は日本画家の高山無双。1931年に上京し製本工場に勤めながら独学で絵を学 ぶ。1938年陸軍に徴兵され、過酷な状況下でも軍隊での生活を題材に鉛筆や水彩によるスケッチを描いた。1940年シュルレアリスム絵画を描く福沢一郎の絵画研究所で学び影響を受ける。1943年戦争中は東宝航空研究資料室に入り、国策映画の特撮用のミニチュアを製作する。多くの美術家が集まっており、山下菊二、難波田龍起らを知る。1945年戦争末期の3月「池袋モンパルナス」のアトリエつき住宅に転居。1946年山下菊二、大塚睦らと「前衛美術会」を結成。1953年映画『ひろしま』のセットデザインをてがける。以後様々な映画のセット、ミニチュア、人形制作を行う。1967年『ウルトラマン』に続いて『ウルトラセブン』にも参加し、ほとんどの怪獣の造形を担当した。晩年はシュルレアリスムに立脚した土俗的な絵画作品を描く。2001年練馬区立美術館で「高山良策の世界展」が開催された。
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B24
出品番号27
元永定正

「年賀状 A HAPPY NEW YEAR」
1961年 半光沢紙に油彩
9.0×14.32cm
Signed

B25
「年賀状 A HAPPY NEW YEAR」
紙にペン
13.1×4.9cm

「具体」の評価の高騰はとどまることを知りません。元永先生の60年代のたらしこみ作品など大作は数千万円がざらです。
元永定正 Sadamasa MOTONAGA(1922-2011)
三重県生まれ。1955年関西を拠点にする「具体美術協会」に参加、 吉原治良に師事する。絵具のたらし込みなど流動感ある絵画によって、折から世界を席巻したアンフォルメルの画家として一躍注目を浴びる。1964年現代日本美術展で受賞したのをはじめ、各種国際展などで活躍。1983年には日本芸術大賞を受賞し、名実共に日本を代表する抽象画家としての地位を確立した。
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B47
出品番号33
吉村益信

「Cut Sea A」
1970年 リトグラフ
29.7×37.9cm
Ed.50
Signed

「具体」の国際的な評価が確立され、続いて「もの派」や「ネオダダ」「ハイレッドセンター」の作家たちの評価も高騰しています。ネオダダのリーダーが吉村益信、常に人々の先頭に立ってリーダーシップを発揮し、既成の枠にとらわれない自由な活動を展開しました。
■吉村益信 Masunobu YOSHIMURA(1932-2011)
大分県生まれ。高校時代は地元大分の美術サークル「新世紀群」で磯崎新、赤瀬川原平、風倉匠らと活動した。1951年武蔵野美術学校油絵科に入学。卒業後は読売アンデパンダン展に出品を始めた。1957年父の遺産を元に新宿区百人町に小さな土地を購入し磯崎新に設計を依頼、住居兼アトリエ「新宿ホワイトハウス」を建て後にネオ・ダダの拠点となる。1960年篠原有司男、荒川修作らとネオ・ダダイズム・オルガナイザーを結成。1962年渡米。帰国後はネオン・アート、ライト・アート、発注芸術の第一人者として、テクノロジーに関心を寄せた作品が高く評価される。1970年の大阪万国博でも活躍し一躍注目され、その後エコロジーやインドへの接近など反文明的な姿勢を示したが、1970年代後半にはアーティスト・ユニオンの事務局長を務めアーティストの社会的自立に貢献した。
01展示スナップ

02右から、2番秋山静、1番赤瀬川原平、3番荒木哲夫、5番磯辺行久、6番入野忠芳、15番(上)斉藤吾朗、7番(下)岩中徳次郎

07壁面(下)右から、29番吉田克郎、30番吉仲太造、31番吉仲太造、32番吉仲太造、44番モンドリアン
テーブルの上、右から28番山口健他詩画集、21番建畠覚造、35番アルマン

08上段右から、15番斉藤吾朗、18番菅木志雄、20番高山良策、22番田淵安一、23番田淵安一、24番堂本尚郎、
下段右から、7番岩中徳次郎、9番内間安瑆、10漆原英子、11番岡本太郎、12番桂川寛、13番鴨居羊子
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◆ときの忘れものは2014年11月29日[土]―12月6日[土]「戦後の前衛美術'50〜'70 S氏コレクションより」を開催します(*会期中無休)。
201411_Scollection_DM
1950年代から前衛美術運動に参加、幅広い分野で半世紀にわたり活躍したS氏のコレクションより、45点を入札方式で頒布します。
出品:赤瀬川原平、秋山静、荒木哲夫、磯辺行久、入野忠芳、岩中徳次郎、因藤寿、内田豊清、内間安瑆、漆原英子、岡本太郎、桂川寛、鴨居羊子、河原温、斎藤吾朗、斎藤義重、坂本昌也、佐野儀雄、篠原有司男、菅木志雄、菅創吉、杉原清一、高山良策、建畠覚造、田淵安一、堂本尚郎、日和崎尊夫、三井永一、杢田たけを、元永定正、山口健、吉田克朗、吉仲太造、吉村益信、脇田愛二郎、アルマン、P.アレシンスキー、P.クレー、ケーニグ、P.スーラージュ、セザール、フェイト、フォートリエ、P.モンドリアン、他
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